関東地方
この項目では、日本の地方区分としての「関東」について説明しています。日本や中国における「関東」の概念については「関東」をご覧ください。 |
colspan=2 align="cente==
ぷちFM897すみだリヴァーは東京都墨田区本所 1丁目に開局しているミニFM局。
目次
概要
沿革
配信中の番組(2015年8月 現在)月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
土曜日
日曜日
不定期
外部サイト
この記事から呼び出されているウィキペディア由来のテンプレート「[[Tem |{{#ifexist: {{{2}詳細は{{#if:{{{1}}}|「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{1}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{1}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{1}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{1}}}|{{{1}}}]]|{{{1}}}}}」 | 「{{#invoke:Error|error|エラー:記事名が入力されていません|tag=}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{2}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{2}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{2}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{2}}}|{{{2}}}]]|{{{2}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{3}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{3}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{3}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{3}}}|{{{3}}}]]|{{{3}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{4}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{4}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{4}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{4}}}|{{{4}}}]]|{{{4}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{5}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{5}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{5}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{5}}}|{{{5}}}]]|{{{5}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{6}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{6}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{6}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{6}}}|{{{6}}}]]|{{{6}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{7}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{7}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{7}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{7}}}|{{{7}}}]]|{{{7}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{8}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{8}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{8}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{8}}}|{{{8}}}]]|{{{8}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{9}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{9}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{9}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{9}}}|{{{9}}}]]|{{{9}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{10}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{10}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{10}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{10}}}|{{{10}}}]]|{{{10}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{11}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{11}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{11}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{11}}}|{{{11}}}]]|{{{11}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{12}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{12}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{12}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{12}}}|{{{12}}}]]|{{{12}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{13}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{13}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{13}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{13}}}|{{{13}}}]]|{{{13}}}}}」 }}{{#if:|{{#if:|、|、および}}「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{14}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{14}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{14}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{14}}}|{{{14}}}]]|{{{14}}}}}」 }}{{#if:|、および「{{#if:{{#ifeq:{{#titleparts:{{{15}}}}}|-||{{#ifeq:[[:特別:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{15}}}}}]]|{{raw:Special:Whatlinkshere/{{#titleparts:{{{15}}}}}}}|valid}}}}|[[:{{{15}}}|{{{15}}}]]|{{{15}}}}}」 }}{{#if:|…{{#invoke:Error|error|最大15記事までです。|tag=}} }}を参照 + これは記事の内容を補足する記事へのリンクを生成するテンプレートです。plate:未完]]」は、正しく機能しないため無効化されています(原版はこちら)。 問題を起こしている機能を使用しない形にテンプレートを改良するか、或いはテンプレートの機能に必要なMediaWiki拡張機能が復旧した際に、無効化される前の版に戻すことが可能です。 ig> 東京地下鉄株式会社(とうきょうちかてつ、英称 : Tokyo Metro Co., Ltd.)は、東京都の特別区(東京23区)およびその付近[1] で地下鉄を経営する鉄道事業者である。 愛称は東京メトロ。東京の地下鉄路線のうち、銀座線などの9路線を運営している。 概要帝都高速度交通営団#営団の廃止・株式会社化 も参照 1941年に設立された特殊法人(営団)である帝都高速度交通営団(交通営団)を国の行政改革の一環として民営化するにあたり、同営団の事業を承継する法人として、2004年(平成16年)4月1日に東京地下鉄株式会社法に基づいて設立された特殊会社である。9路線11系統・195.1km(営業キロ)の地下鉄路線を運営するほか、関連事業を営む。 設立の経緯もあり、設立時に発行された株式は営団時代の出資者がそのまま引き継いでおり、現在の株主は旧国鉄の出資金を承継した日本国政府(名義上は財務大臣)と、東京都となっている。2009年(平成21年)度までに株式を上場することを目標としていた[2]が、2009年に2010年(平成22年)度以降へ延期されており[3]、現在は公式サイト上で「できる限り早期の株式上場を目指します」と上場目標時期を明言していない状態となっている[4]。このように完全に公的資本会社であるが、民営化前の営団時代から日本民営鉄道協会に加盟しており、民営化後は16社目の大手私鉄とみなされている。 愛称とシンボルマーク正式名称の「東京地下鉄」および愛称の「東京メトロ」はいずれも営団末期に社内(団内)で募集したものの中から採用された[5]。「メトロ」という言葉は(イギリスやアメリカを除く[6])世界各地で「地下鉄」の意味として用いられているが、これは1863年にロンドンで世界初の地下鉄を開業させたメトロポリタン鉄道に由来する[7]。 東京地下鉄では、前身の営団時代から地下鉄路線網を「メトロネットワーク」と呼び路線図に記載していたほか、プリペイドカードのメトロカードや駅売店の「Metro's」(メトロス)、オリジナルキャラクターでアリの「メトロン」、ドメイン名「www.tokyometro.jp」(旧営団時代は「www.tokyometro.go.jp」)など、「メトロ」という語を多用している。また、パスネット対応カードを「SFメトロカード」という名称で発行していた。 シンボルマークは、営団時代の「S」(地下鉄の「SUBWAY」のほかにSAFETY(安全)、SECURITY(保安)、SPEEDY(速さ)、SERVICE(サービス)の「S」の意味を含む)を図案化したものから、メトロ (METRO) の「M」を図案化した「ハートM」を採用している。これは、アテネオリンピックのシンボルマーク開発も手掛けた英国のデザイン会社ウルフオリンズ 社に依頼したものである。 コーポレートカラーは、シンボルマークの背景色でもある「ブライトブルー」。「東京メトロ」の背景色は「ダークブルー」とし、ブライトブルーを常にメインとしながらも両色を並べて表示する。シンボルマークと愛称を知ってもらうために、基本的に2つのボックスと2つの色を常に並べて表示し、これをコミュニケーションマークと制定した。 理念・キャッチコピー東京メトログループ理念は「東京を走らせる力」。2013年(平成25年)4月からのキャッチコピーは「Color your days.」である。 2013年(平成25年)4月から7代目のイメージキャラクターとして女優の堀北真希を起用している(歴代のキャッチコピーとイメージキャラクターは「キャッチコピーおよびイメージキャラクター」を参照)。 路線
銀座線と丸ノ内線は標準軌(軌間1,435mm)・第三軌条方式(直流600V)、それ以外の路線は他社線との相互乗り入れを行う必要性などから狭軌(軌間1,067mm)・架空電車線方式(直流1,500V)による電気鉄道となっている。また、車両の大きさも銀座線が小型車(16m級)、丸ノ内線と日比谷線が中型車(18m級)、その他の線区が大型車(20m級)と、建設時期や他社乗り入れ車両の関係から線区ごとに異なっている。 なお、東京地下鉄では起点から終点に向かう下り線を「A線」、終点から起点に向かう上り線を「B線」と呼んでいる。駅ではホームの番号が若い方をA線としている(綾瀬・中野坂上および半蔵門線各駅をのぞく自社管理駅に限る)。また、列車番号では上下で奇数偶数の区別をしていないため、直通のない銀座・丸ノ内線をのぞいて「A○○△△S」「B○○△△K」(○○はその列車の始発「時」、△△は運用番号、末尾のアルファベットは車両の所属元の符号)のように頭にA・Bが付く。 ちなみに、2004年の発足時に導入された駅番号(駅ナンバリング)は、基本的に西・南から東・北方面に向かって振られており、路線によっては起点ではなく終点側の駅が「01」である場合もある点に注意が必要である。上表では左側の駅が起点である。なお、各線の記事の駅一覧では駅番号順で記載している。 今後の新線開業については、当初の営団の目標である「地下鉄網の整備」に目途が立ち、民営化を目指すために東京地下鉄が設立されたという経緯を勘案し、副都心線以降は行わない方針である。ただし、今後新線建設に対する協力を求められる場合には、東京地下鉄の都市鉄道ネットワークの一部を構成する事業者としての立場から、「当社の経営に悪影響を及ぼさない範囲内において行う」という方針であるともいう。 1982年1月に免許申請を行った8号線(豊洲 - 亀有間14.7 km)については、半蔵門線(水天宮前 - 押上間)の開業や輸送需要予測の減少等、免許申請時とは事業環境が異なってきたことから、東京地下鉄としては、整備主体となることはきわめて困難と表明している。 直通運転区間東京地下鉄では、銀座線・丸ノ内線をのぞく7路線で他社線との相互直通運転を行っている。ここではその概要のみ示す。詳細は各路線の記事を参照のこと。 東京地下鉄の所有車両は、東武鉄道(日比谷線・有楽町線・半蔵門線・副都心線)、東京急行電鉄(半蔵門線・南北線・副都心線)、横浜高速鉄道(副都心線)、東日本旅客鉄道(JR東日本)(東西線・千代田線)、小田急電鉄(千代田線)、西武鉄道(有楽町線・副都心線)、東葉高速鉄道(東西線)、埼玉高速鉄道(南北線)と相互乗り入れを行っており、埼玉県・千葉県・神奈川県・茨城県までの広範囲で運転されている。ただし、茨城県内の乗り入れ駅は取手駅のみであり、乗り入れ時間帯も通勤時間帯に限定される。 ()内の駅名は通常のダイヤにおける最長直通運転区間(臨時列車、有料特急列車をのぞく)で、一部時間帯のみしか直通運転を行わない区間もある。[ ]内の英字は当該社所属車両に割り当てられる運用番号の末尾の記号(列車記号)で、この英字によって所属を区別する。なお、東京地下鉄の所有車両の識別符号はメトロを示す「M」ではなく、営団時代から引き続き「S」が使われている。おおむね各鉄道会社の所属車両の表示は東武と東葉高速が「T」[8]、東急・横浜高速・JR東日本は「K」、小田急は「E」、西武と埼玉高速は「M」である。
歴史東京の地下鉄の歴史は、1927年(昭和2年)東京地下鉄道株式会社が、早川徳次により浅草駅 - 上野駅間(現在の銀座線の一部)を開業したことによって始まった。その後、新橋駅までの延伸と1938年(昭和13年)に部分開業した東京高速鉄道の新橋駅-渋谷駅間との1939年(昭和14年)の相互直通運転開始を経て、戦時下の政府による交通事業の統制(陸上交通事業調整法)によって東京市内の乗合バスと軌道は東京市へ、地下鉄両社は1941年(昭和16年)9月1日に新たに設立された帝都高速度交通営団に引き継がれた。 営団とは戦争(日中戦争)遂行のための統制管理目的の組織である。帝都高速度交通営団は住宅営団、食糧営団などとともにその営団の一つであり、その運営は帝都高速度交通営団法に規定されている。終戦後、GHQの指令によって、他のほとんどの営団は解体されたが、帝都高速度交通営団はその運営が戦争目的ではないと認められ存続された。このため、新線建設の資金調達に関しては財政投融資が活用され、公団に近い形で運営が行われてきた。また公共企業体ながら日本民営鉄道協会(民鉄協)に加盟した。 戦後は、日本国有鉄道(国鉄分割民営化以降は日本政府)と東京都が出資する特殊法人という位置付けにあったが、1986年(昭和61年)6月10日の臨時行政改革推進審議会の答申で、営団地下鉄民営化の基本方針が打ち出された。その後も1995年(平成7年)2月24日と2001年(平成13年)12月19日の閣議決定を経て、2002年(平成14年)12月18日に東京地下鉄株式会社法が公布され、2004年(平成16年)4月1日に東京地下鉄株式会社となった。株式会社化後も、引き続き出資比率は政府53.4%と東京都46.6%となっており、2008年(平成20年)6月14日の副都心線開業後に株式を上場して、完全民営化を目指すとしている。 1995年(平成7年)3月20日、オウム真理教による無差別テロ事件である地下鉄サリン事件が発生した。当日は営団地下鉄全線で一時運休、中でもサリンを散布された日比谷線は終日運休した。霞ケ関駅などの事件現場となった駅は、3-6日間営業を中止した。 東京地下鉄発足後は、表参道駅を皮切りに商業施設「エチカ」を展開するなど新しい動きが見られるほか、主要駅に「サービスマネージャー」を配し、様々な質問に対応している。 車内の自動放送も変更され、新たに英語による案内放送が開始された。さらに、新しい案内サインシステムの導入を進めている(詳細は「サインシステム」の節を参照)。 また、フリーペーパーにも力を入れており、外部の編集・発行分を含めて自社系列の定期刊行フリーペーパーを7誌発行して各駅の専用ラックにて配布しているほか(筆頭は広報紙「メトロニュース」。民営化に伴うリニューアルで「TOKYO METRO NEWS」。「メトロ―」当時は現業部門の裏話なども掲載していた)、2006年秋からは、専用ラックをリニューアルさせると同時に、他社にも門戸を開放して、全部で6社18紙誌の配布を行っている。 そして、発足当時よりテレビのミニ番組『東京日和』を日本テレビで放送するなど、沿線以外からも旅客誘致に努めている。 年表各路線の詳しい沿革・乗り入れ区間の変遷などは各路線の記事の沿革・歴史の項を参照 前史
東京地下鉄発足後
車両以下の車両は、2004年の東京地下鉄発足後に運用されたものである。営団地下鉄時代に運用を終了した過去の車両については「帝都高速度交通営団」の項を参照。
運賃大人普通旅客運賃(小児半額・端数は1円単位で切り捨て)。2014年4月1日改定。
一日乗車券・回数券について有効期間内の1日に限り、東京地下鉄線全線が乗り降り自由な「東京地下鉄一日乗車券」(大人600円、小人300円)がある。当日券と前売券の2種類があり、当日券は自動券売機と定期券売り場で、前売券は発売日から6か月間以内の1日のみ有効で定期券売り場のみで販売されている。なお、自動券売機で販売する一日乗車券(発売当日限り有効)はパスネット・PASMO・Suicaでも購入可能で、他社が管理する駅(中野・西船橋・日比谷線北千住・中目黒・代々木上原・半蔵門線/副都心線渋谷・和光市・目黒)も含めた東京地下鉄線全駅で購入できる。2015年2月10日発売分から従来の大人710円、小人360円から値下げされた。 このほか、都営地下鉄と組み合わせた「東京メトロ・都営地下鉄共通一日乗車券」や、23区内の都営交通(都営地下鉄・都営バス(多摩地域を含む)・都電荒川線・「日暮里・舎人ライナー」)やJR線と組み合わせた「東京フリーきっぷ」、各私鉄などと組み合わせた一日乗車券も販売されている。また、東京への訪問者や学生の修学旅行のために、1日間または2日間有効のオープンチケットも販売されている。なお、オープンチケットは、関東1都6県および山梨県をのぞく全国の旅行代理店で東京方面向けの旅行商品(JR乗車券等を含む)とセット販売となる。 営団地下鉄から民営化されて以降、「○○東京メトロパス」として自社の一日乗車券と私鉄など各交通機関と組み合わせた多数の企画乗車券が発売されている。 また、民営化以後、映画や美術館などのイベントなどの図柄を印刷した一日乗車券が枚数限定で発行されている(2006年春のドラえもん、同年夏のディズニー、同年冬のさようなら東西線5000系、2012年5月の東京スカイツリーグランドオープンなど)。SFメトロカードの記念図柄カードは2007年2月をもって新規発売を終了した。2007年秋の「第24回全国都市緑化ふなばしフェア おとぎの国の花フェスタinふなばし」に併せて東葉高速鉄道とのセット一日乗車券を発売するほか、ぐるっとパスとのセット一日乗車券も同時期から発売された。さらに100以上の都内のスポットに一日乗車券を提示するだけで割引などを受けられる「ちかとく」サービスも利用することも可能である。 回数券は「同一運賃帯に有効」という方式(券面には運賃のみが記載されており、入場時に入場駅名が印字される。乗り越しの場合は差額のみ精算する)を採用しており、普通回数券(11枚綴り)、時差回数券(12枚綴り/平日10時-16時の入場か精算および土曜・休日の全時間帯に有効)、土休日回数券(14枚綴り)の3種類がある。いずれも普通片道運賃の10倍で発売日から3か月間有効、自動券売機で現金かパスネット・PASMO・Suicaで購入できる。なお、綾瀬-北千住間の相互発着については両駅でのみ(北千住駅は千代田線のみ)当該区間の140円回数券(普通回数券・時差回数券・土休日回数券)を発売している。 サインシステム発足時より新しい案内サインシステムの導入を進めている。東京都渋谷区のデザイン会社・アール・イー・アイがデザインを手がけたもので、旧営団地下鉄のサインシステムが検討された1975年当時から「利用者の高齢化」「国際都市化」「鉄道の複雑化」が進展したことを受け、全般的にユニバーサルデザインを取り入れつつも、サインの数を増やさず、かつ大型化もせずに表示の重点整備や簡略化をすすめ、字体もぼやけた状態でも誤読の少ない書体を選定している[10]。 発足時は大手町駅と銀座駅に試験的に設置され[11]、2005年10月から本格導入を開始[12]、2006年3月までに乗り換え駅を中心に83駅に、残る駅も副都心線接続予定駅と他社管轄駅をのぞき2007年3月末までに導入された。半蔵門線渋谷駅(2008年6月に開業した副都心線も)は、2007年12月2日の東急への業務移管に伴い、東急様式のサインシステムが設置された。 有楽町線の地下鉄成増駅 - 池袋駅間の各駅と新宿三丁目駅・明治神宮前駅は、2008年6月14日の副都心線開業に合わせてさらに新しい案内サインシステムが設置された。トピー工業が納入したLED誘導サインが用いられており、薄型化と省電力を実現している[13]。ただし、副都心線開業後も駅名標や改装工事中のエリアには、更新されずに残っているサイン類があったが、2010年3月6日に明治神宮前駅が「明治神宮前〈原宿〉駅」と案内を改めるのに伴い、駅名標は更新されている。 英字表記2006年頃より駅の看板・車内の案内表示器の英字表記(ラテン文字表記)に対して長音符(マクロン)が使われなくなり、以前から存在する長音符が付いている看板類と混在している状態である。しかし、他社の路線名・駅名などには使われている。 乗降人員上位15位
キャッチコピーおよびイメージキャラクターCM挿入歌の作詞・作曲者は「関連項目」節も参照
関連企業・団体グループ企業
公益法人
東京地下鉄向け車両を製造したメーカー上記は営団時代を含む。東京地下鉄移行後に新車を納入したメーカーは日立製作所、日本車輌製造と川崎重工業。 不祥事
格付け株式会社日本格付研究所による格付けは、「AAA」となっている。(2011年11月21日現在)[25] その他
脚注[ヘルプ]
参考文献
関連項目
外部リンク警告: 既定のソートキー「とうきようちかてつ」が、その前に書かれている既定のソートキー「ふちえふえむ897すみだりうああ」を上書きしています。 新規項目作成有難うございます == 管理者をしております防人と申します。当yourpediaに参加頂き有難うございます。質、量ともにwikipediaの足元にも及ばないサイトではございますが、今後も精力的にご活動頂ければと思います。--防人 2014年7月13日 (日) 20:16 (UTC) Wikipediaからのコピペによる記事作成の場合は必ず、出典元および、何年何月何日何時何分 (UTC) 版を、本文に明記してください。(2014-07-24T03:01:09 1.114.23.182)
新規項目作成有難うございます多くの項目を作成頂き有難うございます。これからも獅子堂重工さんのご活躍に期待します。--防人 2014年8月23日 (土) 23:55 (UTC) ありがとうございます。これからも路線及び駅記事を作成する所存でございます。--獅子堂重工 2014年8月23日 (土) 14:56 (UTC) どうも。さて、私はここ在住のユーザです。駅を執筆してくださり、ありがとうございました。さて、上溝の駅について、ご存じでしょうか。一週間以内に私のトークにお答えください。長津田 2014年9月25日 (木) 01:05 (UTC) 福原 遥(ふくはら はるか、1998年8月28日 - )は、日本の子役タレント。埼玉県出身。NEWSエンターテインメントスクール所属。身長140cm。左利き。 概要小学1年生の時より子役として活躍。2009年3月より、NHK教育の子供料理番組、「クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!」の主役、柊まいん役を演じ、料理を作る実写と声優の両方をこなしている。 左利きだが、同作では右利きの役として、右手で包丁などを使いこなしている。 趣味・特技は、バレエ、朗読暗唱、ピアノ、一輪車、体操、鉄棒、空手、新体操、料理、編物と多彩である。 出演作品テレビドラマ
テレビアニメ
映画CM等
ディスコグラフィシングル
外部リンク福原遥の画像
ご回答ありがとうございました。ありがとうございました。あなたのような、勉強熱心なユーザは、管理者になるべきと思います。ありがとうございました。以後、よろしくお願い致します。ーー長津田 2014年9月26日 (金) 07:21 (UTC) 加筆訂正をお願いします。こんにちは。Takumi3でございます。新規ページの大量作成ありがとうございます。
北海道旅客鉄道株式会社(ほっかいどうりょかくてつどう、英称:Hokkaido Railway Company)[注 1]は、1987年4月1日に日本国有鉄道(国鉄)から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つ。北海道全域と青森県のごく一部をエリアとする。通称はJR北海道(ジェイアールほっかいどう)、英語略称はJR Hokkaido。本社所在地は札幌市中央区。コーポレートカラーは萌黄色。社歌はダークダックスの「北の大地」。 概況国鉄分割民営化時に、鉄道21路線3,176.6 km、航路113.0 kmおよび自動車(バス)事業を承継した、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)による特殊会社で、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構を介して日本国政府が全ての株式を所有している。 発足後、鉄道路線は特定地方交通線等の整理により9路線806.1 kmを廃止、2路線90.4 kmを開業、線路付け替え等により3.2 km減となっており、2014年5月12日現在、鉄道14路線2,457.7 kmを保有する。うち幹線系線区が5路線1,327.9 km、地方交通線が9路線1,129.8 kmである(詳細後述)。 航路(青函連絡船)は津軽海峡線(青函トンネル)の開業により1988年に廃止され、自動車事業は2000年に100%子会社のジェイ・アール北海道バスに移管された。 営業概況北海道全体の人口は、1987年の会社発足時と2012年現在との比較においてほぼ横ばいから微減傾向であるが人口密度は日本一低く、札幌都市圏への人口流入・一極集中の傾向が続いており、札幌以外の道内市町村では人口減少が深刻化している。他のJRグループ各社と比較しても過疎地域を走る路線が大半を占め、道路網延伸や自家用車の普及、航空や高速バスとの競争も激しく、加えて全道が豪雪地帯・寒冷地のため除雪や車両・施設の維持管理費、光熱費に膨大な経費を要し、経営基盤は非常に弱い。2013年3月期の連結決算では、営業収益約1,650億円に対し、営業利益ベースで約241億円もの大幅な赤字となっており、後述する経営安定基金の運用益収入などの政策的補填による営業外収益(約259億円)により、辛うじて経常利益ベースでは黒字(約17億円)を確保しているが、最終的な純利益ベースでは赤字(約26億円)となっている[注 2]。 全14路線のうち、2008年度の路線別営業係数が黒字なのは僅か3路線(千歳線、海峡線、石勝線)のみで、全国のJRグループ約200路線のワースト3を占める(留萌本線、日高本線、釧網本線)などワースト10の中にJR北海道が最多の5路線を占めている[注 3]。2013年度の輸送密度(1キロメートル当たりの1日平均利用者数)においても、採算ラインとされる8000人を割り込む路線が約87%を占める[1]。 会社発足以来、高速バスや航空など競合交通機関への対抗策として、新型車両(785系電車、281系気動車など)の投入によるスピードアップや、割引きっぷなどの各種商品展開により収益増を図る一方、地方ローカル線区におけるワンマン運転の拡大や、社員数を発足当時の14,000人から7,100人へ半減したり[2]、各種営業・保線管理業務等の外注化による人件費削減など徹底したコストカットを実施してきたほか、JRタワーに代表される駅ビル・不動産関連事業等からの利益創出に努めてきた。しかし、道内では高速道路(道央自動車道、道東自動車道など)の延伸開通が次々と予定されており、さらなる苦境が続くことが予想されている。 経営安定基金前記のように会社発足当初から厳しい経営環境が予想され、営業損益ベースでは全く経営が成り立たないことから、国による政策的経営支援スキームとして、経営安定基金[注 4]が設けられており、さらに固定資産税減免などの各種支援措置を受けている。また、四国旅客鉄道(JR四国)や九州旅客鉄道(JR九州)、日本貨物鉄道(JR貨物)と同様に独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構国鉄清算事業本部(発足当初は日本国有鉄道清算事業団)が株式を100%保有しており、2013年現在では株式上場の目途は立っていない[注 5]。 バブル景気の只中であった会社発足当時と比較すると、約25年間で市中金利は大幅に下落(一例として日銀発表の長期プライムレートは1987年3月の5.2%から、2013年4月の1.2%まで下落)しており、当初スキーム策定時に見込んだ運用益が大きく減少しているほか、営業面でも当面大きな好転要素がない厳しい状況にあることを鑑み、2011年6月、改正旧国鉄債務処理法により経営安定基金の積増し(20年後に返済)が行われた。また、鉄道・運輸機構から無利子貸付される2,200億円を元手に鉄道・運輸機構の債券を購入(10年間は年率2.5%固定)することによって債券の利率を補助代わりに得るスキームが新たに設けられた(債券の金利である年間55億円が経常利益として計上される)。同時に老朽化した設備更新のため、600億円の助成金および無利子貸付(1/2を助成金、1/2を無利子貸付)が行われた。 個別営業施策等事業は境界を接する東日本旅客鉄道(JR東日本)と提携することが多く、2社共同企画の旅行商品を発売するなど、経営上の重要なパートナーとなっているが、既に2002年に完全民営化を達成し堅固な経営基盤を有するJR東日本と比較すると、事業環境には大きな開きがある。2015年度に新函館北斗駅まで開業する北海道新幹線は東北新幹線と相互直通運転を行う予定。 JR東日本が導入している「Suica」などと同様の非接触型ICカード乗車券として、2008年10月25日に「Kitaca」が札幌圏の55駅で導入された。2009年3月14日からは「Suica」との相互利用が、2013年には「PASMO」や「ICOCA」などとの間で相互利用がそれぞれ可能となった。一方で、札幌市交通局(札幌市営地下鉄)の「SAPICA」とは2013年に片利用が始まったが、相互利用については現時点で未定である。 北海道内は1968年(昭和43年) - 1980年(昭和55年)にかけて道央地区で電化が進められたが、青函トンネルをのぞき、いずれの電化区間も非電化区間直通の関係で特急を中心に気動車列車を多く運行している。 駅のホーム内にある駅名標はJR東日本のものに類似するデザインである[注 6]。2011年時点では札幌圏を中心に一部駅で新デザインの駅名標への交換が進んでいる。これは西日本旅客鉄道(JR西日本)のものに類似したデザインで、両隣の駅の表示部の背景を自社のコーポレートカラーで塗りつぶしている。かつては新千歳空港駅の駅名標も新デザインだったが、2011年夏頃に旧デザインのものに交換され[注 7]、2010年に高架化工事が完成した後の旭川駅でも旧デザインの駅名標が設置されるなど、JRグループ内ではサインシステムが明確なマニュアルやデザインコード等で統一されていない状況にある[注 8]。 2006年3月、鉄道総合技術研究所・川崎重工業との共同開発による「ハイブリッド車体傾斜システム」を発表した。これは、従来の制御付き自然振り子(曲線ガイド)式と、空気ばね圧制御式の車体傾斜システムとを組み合わせた世界初の技術であり、従来の振り子式を上回る最大8度の傾斜度を実現させることで重心の移動を抑え、乗り心地を維持したまま曲線部のさらなる速度向上を可能とするものである。2015年度に予定される北海道新幹線の新函館北斗駅開業時に合わせ、函館駅 - 札幌駅間の特急列車への導入が目指され、実用化されればほぼ全線での時速140キロメートル運転が可能となり、函館-札幌間で約20分の所要時間短縮が見込まれていた。試作台車をキハ283系気動車1両に取り付け走行試験が行われていたが、試験終了後は元に戻され、定期運行に復帰した。2014年9月に次世代車キハ285系の試作車が落成したが、後述にあるように事故や不祥事が相次いだことから、速度向上より安全性を優先する方針に変更されたため開発中止が決定され、試作車は在来線用総合検測車への転用を含めた活用方法が検討されることになった[3]。 2006年3月18日のダイヤ改正から、道内完結(急行「はまなす」を含む)の全列車が全面禁煙となり、さらに2007年3月18日のJR東日本のダイヤ改正より、JR東日本も特急列車の全面禁煙に踏み切り、「スーパー白鳥」・「白鳥」が禁煙化された。これにより、北海道内を走る列車で喫煙車のある列車は「北斗星」・「カシオペア」・「トワイライトエクスプレス」と数えるのみとなったが、これらの列車でも2005年9月からロビー・デッキ等の灰皿は順次撤去され、徐々に禁煙化されてきている。また、電子たばこについても2009年5月1日に使用禁止している。 事故や不祥事の頻発2010年頃より、会社としての経営管理・安全管理面等に影を落とす事象が頻発しており、2011年5月27日には石勝線で特急「スーパーおおぞら14号」の脱線火災事故(負傷者39名)を起こした[4]。その後も信号故障[5]や運転士の居眠り[6]、三六協定違反[7]といった重大インシデント・不祥事が次々と発覚し、国土交通大臣から事業改善命令を受けている[8]。また、同社が2011年度に実施した車両検査について、延べ約3,100回中28%が検査項目の一部が未実施であるなど、社内基準を遵守しない状態だったことが、会計検査院から2012年11月に指摘されている[9]。国土交通省のまとめによると、2011年度までの5年間で車両や設備の不具合などJR北海道自らに起因する輸送障害(運休や30分以上の遅れ)の発生件数は、他のJR旅客5社平均の約2倍にのぼっている[10][11]、同社社員からも「人員の削減が進み、必要な保線作業が行き届いていない」と長年続く合理化で現場の疲弊を指摘する声があがっている[12]。 2011年9月、当時の代表取締役社長であった中島尚俊が行方不明になり(後に遺体となって発見)、後任人事が難航した。結局前任者の小池明夫が再就任するが、その間約2か月間にわたり社長不在という異常事態となるなど、企業統治全般において不安を残す状況が続き、2013年の定時株主総会を機に新たに野島誠が取締役専務から代表取締役社長へ就任し、小池明夫は会長職へ戻る人事を行った。 2013年に入っても、室蘭線の特急列車が、乗客の20歳代女性の腕をドアに挟んだまま走行[13]。7月に特急列車出火事故、8、9月には2か月連続で保線ミスによる走行中の貨物列車脱線、ほかにも運転士の覚醒剤使用、運転士が車両に搭載のATSを破損させる、などの事故や不祥事が続いている[14]。同年9月には、レールの異常を放置した問題で鉄道事業法に基づき国土交通省による再度の特別保安監査が入った[15]。 2014年1月15日に同社の一連の不祥事との関連ははっきりと分かっていないが同社相談役で北海道新幹線の計画などに貢献してきた坂本眞一が北海道後志管内余市町の余市港で遺体となって発見された。同月21日には国土交通省が2013年9月19日に発生した函館線貨物列車脱線事故等による3回の特別保安監査の結果等を整理・分析し、「JR北海道の安全確保のために講ずべき措置―JR北海道の再生へ―」を取りまとめ発表した。これにより同社の再生に国が関与することが明示され、以降5年間再生の状況を監視することも明記された。この文書に基づき政府は2014年4月1日付で経営陣を刷新し、経営トップの若返りとJR東日本からの外部出向による主要ポストへの就任が実施された。 2014年10月29日には、苫小牧駅・石狩当別駅・新十津川駅など11か所の副本線で、検査や補修が実施されていなかったことが、会計検査院の指摘により判明している[16][17]。 2015年4月3日には、青函トンネル内にて「スーパー白鳥」34号の5号車の床下から煙が発生し、竜飛定点(旧竜飛海底駅)から青森側に約1kmのトンネル内で緊急停車するという事故が起きた。青函トンネル内から列車の乗客が避難する事態は1988年3月のトンネル開業以来。列車の乗客は124人・乗務員は5人で、乗務員の誘導で降車し、事故地点から旧竜飛海底駅まで歩いて移動。さらにケーブルカー(青函トンネル竜飛斜坑線)を使い乗客全員が地上に避難した[18][19]。 要因分割民営化時に14,000人だった社員数は2013年には約半減の7,100人になり、脱線事故が起きた担当の保線管理所では、10年前に保線管理所が3箇所から1箇所に減らされるなど大幅な人員削減や効率化、鉄道事業の慢性的な大幅赤字のために置き換えが進まず老朽化した車両や線路などの設備が多いこと挙げられている[20][21]。 高速バスや航空機などの競合交通機関や自家用自動車への対抗策として、優等列車の所要時間の大幅短縮や増発がなされたが、寒暖の差が大きい厳しい気候下で相当の連続した高速運転を行うことから、本州以南と比較して車両や線路の設備に金属疲労などの負荷が大きいことも要因である。また、北海道と本州を結ぶ道路橋や道路トンネルが無いことから四国や九州と比較して貨物列車の輸送シェアは高いが、経営基盤が脆弱なJR貨物がJR北海道に支払う線路使用料には線路保守にかかわる建設勘定経費や人件費が含まれておらず、電車と比較して重量が非常に重く長編成の貨物列車は線路にさらに負荷をかけることから、経営基盤が脆弱なJR北海道の大きな負担となっている。[22] 国鉄分割民営化後のJR北海道社内の労働組合の対立も同社経営改革の障壁の一つとしてあげられている。同社の最大労働組合は北海道旅客鉄道労働組合(JR北鉄労)で8割の管理職を除く社員が加入しており、JR北海道労働組合(JR北労組)、国労道本、建交労道本部と続くが、組合が違うと飲み会や結婚式にも呼ばないなど対立関係にあることが、日常業務のコミュニケーションにも支障を及ぼしていると指摘されている[23]。JR北海道労組の執行部は、ほかの組合との「平和共存拒否」と言っているという[24]。 JR北海道は最大労組であるJR北鉄労の意向を伺わないと安全対策ができない体質になっており、実際、2008年に会社はアルコール検知器を導入し、全乗務員(運転士・車掌)に乗務前に各自で検査するよう呼びかけたが、『アルコール検査は自主的であり強制ではない』として検査を拒否した社員もいた。2009年に国土交通省の立ち入り検査で12人の車掌がアルコール検査を拒否していることが発覚したが、その後も検査の義務化へ踏み切れず、2011年にも同検査が非義務状態にあるのはJR各社で同社のみとのマスコミによる指摘にも『乗務員の自主性を重んじる。検知器の使用を強制することは検討していない』とし、同検査が同社で義務化されたのは2012年になってからとなった[25][26]。 国会で警察庁は、「JR総連の執行役員の中には、JR北海道労組幹部だった者が含まれていると認識している」と答弁している[27]。 本社・支社
歴代社長
歴史
今後の予定
路線ラインカラーは「日本の鉄道ラインカラー一覧」を参照。
現有路線2007年10月1日から、一部路線には駅ナンバリング制を導入している。詳細は「北海道旅客鉄道の駅ナンバリング」を参照。
廃止路線
改キロ
予定路線
ダイヤ詳細は JRダイヤ改正 を参照
JR北海道管内全域に及ぶダイヤ改正については他のJR各社に合わせてダイヤ改正を行うことは少なく、他のJR各社と同時期にダイヤ改正を実施したのは近年では2009年3月と2014年3月に実施したほかは独自にダイヤ改正を実施することが多く、特に10月にダイヤ改正を実施することが多い。ただし、2013年11月実施分は、列車の減速等従来ダイヤからの後退があったことから、「改正」ではなく「変更」と称した[30]。 列車JR北海道発足以降に同社の路線で運行されている、もしくはかつて運行されていた愛称付きの列車を挙げる。種別が変更された列車は変更後のもので記載し、他社の車両による運行のものはその会社名も記載する(廃止列車は廃止時点)。詳細は各列車の記事を参照。 廃止列車
車両JR北海道の車両形式 も参照 道内の半数以上の路線が非電化のため、所有車両の多くは気動車である。気候条件に鑑み、当該地域で使用する車両は国鉄時代から特別の寒冷対策を施している。一般的な仕様として、小型化のうえ二重窓とした客室窓、開口幅の小さい片開き式の客用扉・出入台と客室を仕切るデッキ扉などが挙げられる。車体各部には凍結を防止するヒーターが設けられ、暖房容量も本州以南の車両に比べ大きい。 JR北海道発足後に開発された車両ではデッキ扉に代わる寒冷対策として、エアカーテンの設置・客用扉の開閉を乗客のボタン操作で行う「半自動扉」の装備など、室内を物理的に分断せずに外気流入を最小限に抑える工夫がなされている。また、1991年に発生した日高本線での踏切脱線転覆事故を契機として乗務員保護対策が進められ、運転席を高い位置に設ける「高運転台仕様」としたうえで衝撃吸収構造とした車両が相次いで開発された。 高速バス・航空機などの競合交通機関や自家用自動車への対抗策として、優等列車の所要時間短縮・増発の対策もなされた。JR北海道発足後に開発された特急用気動車では、曲線区間の多い路線向けに振り子式の281系・283系気動車、車体傾斜式の261系気動車を投入して曲線通過速度を向上させ、札幌 - 室蘭・旭川間および新青森 - 函館間の特急用電車では785・789系電車の投入によって、それぞれ所要時間の短縮と増発を実現している。 しかしながら、一年を通じて寒暖の差が大きい厳しい気候下で相当の連続した高速運転を行うことから、本州以南と比較して車両や設備に金属疲労やアイドリングなどエンジンへの負荷が大きく、さらに厳しい経営から保守管理費が1996年33.4億円から2010年は17.7億円(47.1%減)、輸送管理費が1996年約154億円から2010年は約92億円(40.5%減)と大幅に削減されたことから[31]テンプレート:出典無効営業運行中の出火や発煙事故がたびたび発生しており[32]、識者からは整備体制の問題が指摘されている[33]。2013年11月からは、車両や設備への負担を抑えることを目的に、本数の減便とスピードダウンに踏み切ることとなった[34]。さらに2014年8月からは、特急気動車における全てのダイヤで最高130km/h運転を廃止すると共に、曲線通過速度を向上させる機構の使用停止に踏み切ることとなる[35]。 2016年3月に新函館北斗駅まで開業する予定の北海道新幹線の車両については、2014年2月に4編成40両を発注し、同年内に納入が始まることが同年3月12日に明らかにされた[36]。同年4月16日にはその車両H5系のデザイン・仕様が発表され[37]、11月1日には最初の2編成が函館総合車両基地で公開された[38]。 車両基地JR北海道の車両基地と略号は以下の通り。
車両工場工務所等
キャンペーンガール民営化された1987年度から、JR北海道の開催するイベントやキャンペーン活動への参加やポスター撮影などの活動を行うキャンペーンガールを採用してきた。当初は「JR北海道フレッシュガール」の名前で、途中から「ミス・ツインクル」と改称された。当初の採用人数は本社で4人、各支社で3人ずつの13人で、2008年度から各支社の採用を2人に減らして合計10人とした。しかし応募者の減少やイベントへの参加機会の減少などもあり、経費削減の観点から2009年度一杯で採用を打ち切った[39]。 関係会社JR北海道の関連会社で「JR」が社名につく会社は、レンタカー会社と構造物設計調査会社を除き、いずれも片仮名表記が「ジェイ・アール」と間に「・」(中黒)が入るのが特徴である(他社は入らない)。 現在のグループ企業
かつてのグループ企業
脚注出典
注釈
注釈2[ヘルプ]
関連項目
外部リンク警告: 既定のソートキー「ほつかいとうりよかくてつとう」が、その前に書かれている既定のソートキー「ふくはら はるか」を上書きしています。 菅野 美穂 本名堺 旧姓 (菅野 )美穂(かんの みほ、1977年8月22日 - )は、日本の女優、歌手、タレントである。愛称は、芸能人の間では菅ちゃん、ファンからはカンノちゃん。 埼玉県坂戸市出身(出生は神奈川県伊勢原市)。研音所属。身長158cm、体重42kg、スリーサイズはB81 W54 H82。 来歴淑徳与野高等学校卒業、淑徳大学国際コミュニケーション学部中退。1992年(平成4年)、テレビ朝日系バラエティ『桜っ子クラブ』の番組内ユニット「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格してデビュー。「さくら組」としての活動は2ndシングル「DO-して」から参加。同番組のレギュラー出演を継続しながら、CMやドラマなど徐々に番組の外での活動を増やしていく。 1993年(平成5年)、テレビ朝日系『ツインズ教師』の生徒役でドラマデビュー。NHK朝の連ドラ『走らんか!』の準主役に抜擢、そして1996年(平成8年)、テレビ朝日系『イグアナの娘』で主人公・青島リカ役を演じ、演技力が評価される。1997年(平成9年)末のテレビ朝日系『君の手がささやいている』では、聴覚障害者が困難を乗り越えて家庭を築いていく様を好演した。同番組は第15回ATP賞1998年(平成10年)のグランプリとなり、菅野も1998年エランドール賞新人賞の第3回大賞を受賞する。また、2001年(平成13年)末にかけて全5編の続編が毎年制作された。 一方でソロでの歌手活動も行う。1995年(平成7年)3月から翌年にかけて、シングル「恋をしよう!」、「太陽が好き!」、「負けないあなたが好き」を発表。1995年8月には1st Album『HAPPY ICECREAM』(ビクターエンタテインメント)を発表した。 1997年(平成9年)8月22日、20歳の誕生日にヘアヌード写真集『NUDITY』を発売。記者発表の席で唐突に涙を見せたり、事前に内容を暴露した週刊誌を批判するなど騒動も起きたが、人気女優が乳房や陰部を完全に露出するのは異例で大きな話題を読んだ。写真集は80万部のベストセラーとなり、以後も人気が衰えることはなかった。 一時期、バラエティ番組への出演は準レギュラーのフジテレビ系『サタ☆スマ』のみだったが、2005年(平成17年)4月より、同局の『ブログタイプ』で数年ぶりにバラエティ番組のレギュラーとなり、再現VTRでミニドラマを演じた。 『Dolls』で第40回(2002年度)ゴールデン・アロー賞 映画賞受賞。2006年(平成18年)4月よりタニ・プロモーションから研音に移籍。 2013年3月22日のスポニチで堺雅人とご成婚することが報じられた。その後4月にご成婚した 各ワイドショーで大奥の共演シーンが放送された 2013年11月18日 のクリープに出席し 挙式の事きかれ否定した しかしワイドショーで 取り上げられたのは 昼帯だけだった 2015年?月?日に出産した 人物特技中学生時代は陸上部に所属しており、100メートル走の自己ベストは13.8秒、県大会に出場したこともある。 交友関係
芸風
性格
趣味
その他
テレビ2014年年明け各ワイドショー ハワイ出国放送 ワイスク(2014年1月8日。12月16日。テレビ朝日、) 報道キャスター、サンジャポ (報道キャスターは2014年1月11日、 サンジャポは翌日、TBS) 帰国模様放送 モロッコ紀行、(2014年1月11日、BS7) 3月21日に再放送放送された 凡(2014年4月18日。日本テレビ)イベント模様放送 ウーマン(2014年9月6日。13日。日本テレビ) みやね(2014年10月21日)ご主人とのデート模様放送 ZIP。スッキリ。PON(2014年10月23日。VTR。日本テレビ)PONには翌日にも出演 目覚まし(2014年10月23日。VTR。フジテレビ)じゃんけんに出演 2014年10月24日のワイドショー及びブランチ 2014年12月9日のワイドショー 志村動物園(2014年12月13日。VTR。日本テレビ) シュウイチ(2014年12月14日。VTR。日本テレビ) ブランチ(2014年12月20日。VTR。TBS)テレビと映画コーナーに連続出演した 朝鳥(2014年12月19日。VTR。テレビ朝日) 知っとこ(2014年12月20日。VTR。MBS) モニタリング(2014年12月25日。TBS) 2015年8月14日のワイスクとみんなの報道以外のワイドショー ドラマはつる底無し(99年)2014年7月31日に再放送放送された アルジャー(2001年。フジテレビ)2014年6月18日の超報道の作者崩御の話題で出演シーン放送された 治物語 (2013年10月18日 にBSTBSで再放送 が放送された) CM三井家(2014年) 映画大奥(2012年)2014年4月20日に放送された ベイマックス。(2014年。日本吹き替え。キャスフィ役。)9月17日のYahoo!で発表された。10月22日のエブリ及び翌日のワイドショーでイベント放送された 書籍写真集
その他書籍
ビデオ・DVD
トリビア大奥と催眠でこち亀の アニメとドラマの白鳥と共演した 働きマンでは アニメのミーナ ドラマの大原と中川圭一と共演している スカイハイのイズコとルーキーの江夏が ゲストで出ていた 外部リンク菅野美穂の画像警告: 既定のソートキー「かんの みほ」が、その前に書かれている既定のソートキー「ほつかいとうりよかくてつとう」を上書きしています。大西 利空(おおにし りく、2006年(平成18年)5月16日 - )は、日本の子役。 テアトルアカデミー所属。 出演映画
テレビドラマ
CM
スチール舞台
その他外部リンク
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1都6県の合計 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
面積 | 32,423.90km² | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
総人口 | 41,040,394人 (2006年3月31日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人口密度 | 1,265.75人/km² (2006年3月31日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
位置 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関東地方(かんとうちほう)とは、本州の東部に位置する日本の地方である。茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都6県から構成される。しかし、山梨県を含める場合もある。(各省庁等)
現代の関東地方が「関東」と呼称されるに至った経緯については、関東の項目を参照すること。
地理
位置
日本最大の平野「関東平野」が中央に広がり、北西側は山岳地帯、東南側は太平洋に面する。関東の東部には房総半島(千葉県)、南部には三浦半島(神奈川県)が太平洋に突き出しており、房総半島と三浦半島の間に東京湾、三浦半島と真鶴半島の間に相模湾を形成する。また、地理的な一体性は薄いが伊豆諸島や小笠原諸島も東京都の管轄下にあるため、行政的には関東地方である。
上記市町村内に「最○端」が存在する。但し、伊豆諸島や小笠原諸島を加えると、最東端は東京都小笠原村の南鳥島、最西・最南端は同村の沖ノ鳥島。南鳥島は日本の最東端、沖ノ鳥島(無人島)は日本の最南端であるため、関東地方は日本の最東・最南端とも言える。
島嶼
自然地理
地質的には第四紀の沖積層や洪積層であり、植生は平野部やその周辺の標高約500~900mの低山には常緑広葉樹林が広がり、箱根で約900m、丹沢や高尾で約800m、奥多摩、奥武蔵や奥秩父で約700m、西上州や赤城、足尾山地や筑波山で約600m、北毛や那須の山地で約500mまで照葉樹が生えることができる。
また、常緑広葉樹林の上にはブナやシラカバ、ミズナラなどの落葉広葉樹林が広がる。しかし、千葉県は標高が低いため成立しない。茨城県には筑波山山頂周辺と、北部の山の一部にしか広がっていない。
また、落葉広葉樹林の上にはシラビソやダケカンバなどの針葉樹林が落葉広葉樹林の下限から約1100m高い標高から広がるが、千葉県はもちろん、茨城県や神奈川県にも標高が低いため成立しない。東京都には雲取山周辺の僅かな面積にしか広がっていない。
北端には帝釈山脈、高原山、那須連山、八溝山、三国山脈、西端には関東山地(奥秩父山塊もこの一部)などの山地がそびえて、各隣接地方へ繋がる。日本最大の平野である関東平野が広がり、塩那丘陵をはさんでその直ぐ北には那須岳山麓に広がる日本最大級の扇状地那須野が原、東側には上総台地を挟んで千葉県の海岸沿いには九十九里平野が広がる。千葉県南部は房総丘陵で、茨城県の霞ヶ浦周辺は常総台地や常陸台地になっている。群馬県や埼玉県秩父地方などは盆地になっている。荒川、江戸川などの各河川は東京湾へ注ぎ、鬼怒川、利根川(「坂東太郎」とも呼ばれた)は犬吠埼で太平洋へ注ぐ。
東京湾は、房総半島と三浦半島に囲まれ、千葉県の西側、東京都の一部と神奈川県の南側に面して、浦賀水道から太平洋に接する。沿岸部は工業地帯になっている。神奈川県の南側は相模湾・相模灘に、茨城県の沿岸は鹿島灘に面する。又、相模湾には、二回の関東地震の震源地となった相模トラフが通っている為に、各地で地震対策にも力が入れられている。
最高地点は、栃木県日光市と群馬県片品村との境にある日光白根山(奥白根山)山頂。日本の都道府県の最高地点としては、八番目に高い。又、関東以北(関東・東北・北海道)の最高地点でもある。都道府県の最高地点は埼玉県が三宝山 (2483m)、東京都が雲取山(2017m)、神奈川県が蛭ヶ岳 (1673m)、茨城県が八溝山 (1022m)、千葉県が愛宕山(408m)である。千葉県の愛宕山は、各都道府県の最高峰の中では最も低い。
「首都圏」と言われる地方でありながら、自然環境に恵まれているといえる。自然公園面積の割合は、東京都が全国第二位、埼玉県が第四位、神奈川県が第十位である。
- 山地:三国山脈、足尾山地、帝釈山脈、八溝山地、関東山地、丹沢山地、房総丘陵
- 山:那須岳、高原山、男体山、日光白根山、女峰山、榛名山、妙義山、赤城山、谷川岳、八溝山、加波山、筑波山、雲取山、甲武信ヶ岳、三宝山、高尾山、蛭ヶ岳、丹沢山
- 川:鬼怒川、小貝川、那珂川、箒川、久慈川、利根川、荒川、中川、多摩川、江戸川、酒匂川、相模川
- 瀑:湯滝、竜頭滝、華厳滝、袋田滝
- 湖沼:中禅寺湖、五十里湖、霞ヶ浦、北浦、印旛沼、芦ノ湖
- 海浜:鹿島灘、九十九里浜、東京湾、相模湾(湘南)
- 国立公園:日光国立公園、秩父多摩甲斐国立公園、富士箱根伊豆国立公園、
- 国定公園:水郷筑波国定公園、南房総国定公園
気候
- 太平洋岸に位置するため、夏に雨が多く、冬に乾燥する太平洋側気候が見られる。沖合いは黒潮の通路となっている。但し、群馬県や埼玉県などの内陸部では、寒暖差の大きい内陸性気候が見られる。
- 夏はオホーツク海気団よりやませが吹き込み、気温が下がる時がある。
- 夏になると、特に栃木県北部、群馬県、埼玉県北部には、夕立による雷の発生が多い。
- 関東北部山岳地帯の近辺では、日本海からの雪雲により、冬に降雪が多い。
- 冬から春には、南岸低気圧が通過する時に、雨や雪が降り易い。東京や水戸など沿岸平野部の降雪は、ドカ雪(湿り雪)か粉雪かの二つのパターンが多い。特徴として、南岸低気圧の時は湿り雪で、冬型の時は粉雪となる日が多い。但し、冬型で大雪となる地域は那須岳と三国山脈に近い北側の山間部に多く、南側には無い。例外的に寒冷低気圧の降雪もある。
歴史
武士の王国から日本の中心地へと、関東地方は変遷した。
古代
古代の関東地方の地形であるが、現在の茨城県中南部、千葉県の下総台地以外の地域、東京都の平地部、埼玉県の東南部は海であった。群馬県の岩宿遺跡からは、関東ローム層から旧石器時代の物とされるナイフ形石器が発見されている。縄文時代の遺跡が多数存在し、貝塚はよく知られる。
五畿七道の交通網について、関東には畿内から陸奥国に伸びる東山道と、同じく畿内から伸びて三浦半島から海路房総半島に出て香取・鹿島に向かう東海道が整備されたと言われる。
古代よりヤマト王権と関東の間に交流があったと言われる。その根拠の一つは、関東にも前方後円墳が存在すること。そして何よりも7世紀末、下野国国造である下毛野氏一族の下毛野朝臣古麻呂が藤原不比等たちとともに選定した律令制(大宝律令)が導入され、大和朝廷の誕生に関東の勢力も大きく関与したことである。
古代は朝廷の支配に属さない「まつろわぬ(逆らう)人」が住む未開地とされ、東日本(関東から東北)や北海道までの地方に住む住民は「蝦夷」(えみし)と呼ばれたという。しかし、以上の考え方は神代の後に起こった勢力による関東の定義であり、それ以前から神代文字に象徴される文化国家が関東の地にも存在し、衰退あるいは後発勢力に融合し神話化したとする説もある。
関東南部の旧入間川(荒川)~旧荒川(元荒川)~旧利根川(古利根川)~旧渡良瀬川(江戸川)~毛野川(鬼怒川)に至る地域は、古代は低湿地帯であった。従って、概して当時の関東はこの低湿地帯の北部にあたる毛野川流域地域(毛野国)とその南部地域(无射志国)に分かれていたと考えられる。
毛野国は、筑紫や吉備に比肩する大国であったといわれる。奈良時代、下毛野氏の氏寺であった下野薬師寺は、奈良の東大寺、大宰府の観世音寺と並ぶ三戒壇に指定されており、この点からも下毛野氏が大和朝廷との関係において高い地位にあったことが伺える。
一方、上総国・下総国・安房国の房総半島は総(ふさ)と呼ばれ、『古語拾遺』によると、四国から渡来した忌部氏が開拓したという。これらの諸国を一括する語が「吾妻」である。記紀神話では、日本武尊の説話が起源とされているが(「あづまはや」という嘆きの詞)、元々は当地の神話であった物を取り込んだ可能性がある。その傍証として、天武10年(681年)に詔を受けて史書編纂に従事した群臣のうち、王族を除くトップは上毛野君三千であった。
又、『梁書』などの「扶桑國」「女國」、『旧唐書』に登場する「毛人國」、唐代の漢詩に見える「扶桑東更東」といった地域を関東に比定する説がある。稲荷山古墳金錯銘鉄剣銘文中の「大王」も、畿内ではなく関東にいた首長を指すとする立場(古田武彦、井上秀雄、鶴岡静夫ら)もある。太田天神山古墳のような巨大古墳や、金鈴塚古墳のような豪華な副葬品を持つ古墳が築造された。このように、関東地方は、古墳時代には、畿内に比肩しうる王権を確立していたとも考えられている。
律令期
律令制の五畿七道において、「関東」は、元々は東海道の鈴鹿関(鈴鹿峠)、東山道の不破関(関ヶ原)、北陸道の愛発関(愛発山)から東の全域を指した。その中でもとりわけ、「東海道の足柄関(箱根峠)からから東の国」と「東山道の碓氷関(碓氷峠)から東の国」が、関東地方に当たる。陸奥国(東北地方太平洋側)との境には、白河関と勿来関が設置された。
関東地方には、西から順に相模国、武蔵国、下総国、上総国、安房国、常陸国、上野国、下野国の8つの令制国が設置され、分割統治された。南関東は江戸開発以前、多摩川流域を中心に農耕が行われていたと思われる。
大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは唐と新羅が権勢を揮い、663年には百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗も668年に同様に滅された。又、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの高官が渡来人として日本各地に移住しており、関東各地の地名などにもその名残が残されている(例:武蔵国高麗郡・新羅郡→新座郡)。なお、当時自分の出身地を移住先の地名に残せたのは、その氏族・人物が当時の統治者から移住が認められていた者である証拠であり、こうした地域に移住してきた氏族・人物は移住前の土地でも身分が認められていた者であった客観的な証拠とも言える。逆に、不法入国者の場合だと自分の出自は隠さねばならず、むしろそういう者の方が多かったであろうことを鑑みると、地名に名残が無いから朝鮮半島方面からの移住者がいなかったと思うのは大きな誤りと言える。
律令時代の関東は配流の地でもあり、斑鳩や奈良に本拠地を置く畿内政権からは、「都からは遠く、自力で帰るのが難しい地方」と畿内からは見られており、特に安房国と常陸国は、「遠流」の地ともいわれ、北九州へ向かう防人も関東から多く徴用され、それを象徴する語に「鹿島立ち」があるとされる。
一方、律令制定以前、藤原不比等とともに大宝律令の制定に携わった下野国の豪族下毛野古麻呂は、第十代天皇である崇神天皇の第一皇子・豊城入彦命の末裔とされ、古代ヤマト王権に並ぶ毛野国を立国し筑紫や吉備・出雲に比肩するほどに栄えたとされ、奈良時代には氏寺の下野薬師寺が東大寺(大和国)・観世音寺(筑前国)と並び三戒壇に指定された歴史を鑑みるに、関東には都の影響を受けつつ、成熟した独自文化が養生されていったことが推察される。
平安時代には、11世紀頃に成立した『更級日記』などに、武蔵野の情景が描かれている。10世紀には親王任国が半制度化し、上野国、常陸国、下総国には桓武系平氏を中心に平家武士が増加、その一人である平将門は自ら天皇と称し、関東の独立を目指して蜂起すると、下野国押領使で藤原北家魚名流・藤原秀郷は朝廷の意向をもってこれを討伐した。概ね北関東以北は藤原北家や清和源氏(河内源氏)を出自とする領主、南関東は平氏を出自とする領主が支配した。この頃、関東は「あづま」(畿内から見て東なので「東」の字が充てられる)と呼ばれ、関東の武将たちは、その勇猛さから「あづまえびす」(東夷)とやや侮蔑的に呼ばれた。将門の独立志向が、その後の関東の武士政権への道を開いた事を、網野善彦は指摘している。下毛野公時は足柄山の金太郎のモデルとなったと言われる。
幕府の時代
源頼朝が鎌倉幕府を樹立する頃には、関東各地で開拓が進み、中小武士団が割拠した。北関東は藤原北家流諸氏(那須諸氏、宇都宮氏、小田氏、小山氏、結城氏等)や清和源氏流諸氏(足利氏、新田氏、佐竹氏)、南関東は桓武平氏流諸氏(鎌倉党、三浦党、千葉党など)や武蔵七党が領有した。
南北朝時代には、足利幕府(源氏政権)の出仕機関である鎌倉府が同じく鎌倉に置かれ、鎌倉公方(源氏)を関東管領(主に藤原勧修寺家流)が補佐、さらに関東八屋形(藤原北家流6氏・源氏流1氏・平氏流1氏の計8氏)が各領土内での実権を有した。事実上、東国武家政権の伝統を引き、東日本を広く管轄した。
室町時代には、鎌倉公方は室町幕府(源氏)と対立し、これに、関東管領の上杉氏(藤原勧修寺家流)も加わった。その結果、大きな戦いだけでも、
と相次ぎ、小規模なものも含めれば、関東地方は連年続く事になった戦争によって荒廃した。一連の戦いによって関東管領・鎌倉公方(古河公方)をはじめ、関東の各氏は勢力が衰え、戦国時代にはこれに乗じた小田原北条氏(後北条氏=伊勢平氏を称す)が台頭し、関東各地を次々と支配下に置いた。対抗勢力として上杉氏が期待されたが影響力は発揮されなかった。最終的に朝廷の意向を受けた豊臣秀吉が鎮圧に乗り出すが、それまでは里見氏、佐竹氏、宇都宮氏がこれに抗し領土を守った。しかしその後、新たに起こった中央政権によって関東の領有権を没収されていった。
江戸時代には、関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国を指した。関八州を得た徳川家康は駿府(現静岡市駿河区、葵区の一部、市制施行時の静岡市)から江戸(現東京都区部の一部、のちに東京市となる東京府区部にほぼ相当)に本拠地を移し、江戸湾に注ぐ利根川・渡良瀬川水系を毛野川水系に纏め、現在の利根川水系の原型を形造る利根川東遷事業を進めた。この事業によって江戸付近の雨期の河川氾濫を治め、旧利根川・旧渡良瀬川の下流~河口地帯を干拓して江戸の町の基盤を作った。こうして家康は江戸幕府を樹立し、その後は江戸幕府によって隅田川や江戸川、玉川上水などの水路整備事業が行われ、江戸は水路を周囲に巡らす世界屈指の大都市となった。又、田沼意次により、印旛沼の干拓事業なども行われた。
江戸時代の関東地方は、正に徳川氏の自領であった。徳川御三家の一つ・水戸徳川家が治める水戸藩、徳川氏の側近が治める川越藩など、関東各地には徳川氏の血縁者や譜代大名・旗本が治める藩(地方王国)が樹立され、日光神領などの天領を含め、徳川家の支配地となった。また、日光(日光東照宮)や鹿嶋(鹿島神宮)や成田(成田山新勝寺)といった門前町も盛えた。
幕末には、マシュー・ペリーが率いるアメリカ艦隊が江戸湾に入港したり、水戸天狗党の挙兵、上野戦争や宇都宮攻防戦といった北関東の戦役など、政局や戊辰戦争の舞台となった。
明治維新以後
江戸幕府が倒されて明治政府が誕生すると、天皇を初めとする皇族が京都御所から江戸城に移り、江戸は東亰(とうけい、後に東京(とうきょう))と改名されて、東京は明治政府の本拠地となった。これ以後、東京は実質上の首都、政治・経済・文化の中心となった。そして、関東は、畿内以外で初めて、中央集権型政権の本拠地が置かれる地方となった。
東京には、軍事と経済以外の国家の中枢機関が置かれた。そして、東京と横浜は、文明開化の中心地となり、近代化を主導した。この文明開化の時代には、官民を挙げて鉄道が建設されて、速達力が高上する時代が到来した。
1871年8月の廃藩置県を経て、1876年8月以降の関東地方は、南西から時計回り順に神奈川県、東京府(1943年7月以後は東京都)、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県の7つの県に分割され、現在に至っている。1876年4月17日までは、鎌倉や東京との繋がりが深い伊豆半島が、足柄県の一部として関東地方に含まれていた。
第二次世界大戦の戦乱を経て、高度経済成長期が到来すると、東京湾岸には京浜工業地帯が造成され、京浜工業地帯の中小工場には、東日本各地から「金の卵」と呼ばれる労働者が集まった。そして、第二次産業から第三次産業までの大手企業の本社が、次々と東京に移転し、経済面で東京への一極集中が進行した。しかし、東京への過剰な一極集中は、政治・行政・経済・文化など、多方面の問題にもなっている。
近畿地方との間には東海道新幹線(1964年10月開通)と東名高速道路(1969年4月開通)が、東北地方太平洋側(旧陸奥国)との間には東北新幹線(1982年6月開通)と東北自動車道(1987年9月全通)が建設された。これにより、本州太平洋側の地方は、高速交通網での縦断が可能な時代になった。
地域
関東地方内の区分
- 南関東(みなみかんとう):利根川以南の千葉県+東京都+神奈川県+埼玉県の1都3県を指す。埼玉県を除いて1都2県とする場合もある。
- 北関東(きたかんとう):利根川以北の茨城県+栃木県+群馬県の3県を指す。埼玉県を含めて4県とする場合もある。
- 衆議院小選挙区の北関東ブロック:茨城県+栃木県+群馬県+埼玉県。
- 東京圏(とうきょうけん):東京の都市圏が拡大しているため、時期により範囲は異なる。総務省の基準では、新宿移転前の東京都庁(東京都千代田区。現在の東京国際フォーラム)から70km圏内を指し、東京都、千葉県、茨城県、埼玉県、神奈川県に及ぶ(2000年国勢調査時)。一般的には要出典、「東京都心からNkm圏」のように用いる。
- 東京大都市圏:東京都区部(旧東京市)の都市雇用圏(10%通勤圏)。東京都、千葉県北西部、茨城県南西部、埼玉県南東部、神奈川県北東部を含む。要出典
- 常総(じょうそう):茨城県+千葉県。狭義では、利根川に近い茨城県南部(旧新治県)+千葉県北部の一帯を指す。関東の東半分に当たるので、東関東(ひがしかんとう)ともいう。
- 両毛(りょうもう):群馬県+栃木県。
- 上武(じょうぶ):群馬県+埼玉県。
- 毛武(もうぶ):群馬県+栃木県+埼玉県。
- 東上 (とうじょう) :東京都+埼玉県+群馬県。
- 武相(ぶそう):東京都+神奈川県(+埼玉県)。
- 総武(そうぶ):千葉県+東京都(+埼玉県)。
- 多摩地方(たま):東京都から区部と島嶼部を除いた地域。但し、明治時代東多摩郡に属していた中野区と杉並区を含む場合もある。
- 武蔵(むさし):昔は、埼玉県+東京都+神奈川県の一部だったが、現在は埼玉県秩父地方・飯能などの西部+東京都西部。要出典奥武蔵は、秩父地方の奥の旧大滝村などが合併した秩父市辺りのこと 飯能も加わることもある
- 八高 (はちこう) :八王子市~高崎市の縦断区間。
- 埼京 (さいきょう) :東京23区~さいたま市の縦断区間。
- 京葉 (けいよう) :東京23区~千葉市の横断区間。
- 京浜 (けいひん) :東京23区~横浜市の湾岸(もしくは東部)縦断区間。
- 東横 (とうよこ) :東京23区~横浜市の中部縦断区間
地域別の特徴
南北に分けた場合
- 南関東:桓武天皇の子孫が多く領地として有した歴史から、桓武平氏諸氏の影響力が強い地域。平氏の支配下の地に河内源氏が鎌倉の領有権を得て以来、鎌倉幕府(源氏)、室町幕府時代の鎌倉府(源氏)、江戸幕府(徳川氏)、明治政府といった政権の本拠地が置かれて来た。
東西に分けた場合
- 東関東(茨城県+千葉県)要出典
- 常総ともいう。日本屈指の農業地帯。利根川近辺には水郷筑波国定公園が位置しており、水郷や筑波山などの観光地を持つ。
- 地域間移動は線的で、東関東自動車道、国道6号、国道51号といった南北の幹線に沿った地域同士の交流関係が深い。
- 西関東(茨城県と千葉県を除く関東地方)要出典
- 西に関東山地が峙える。地域間移動は流動的で、川(利根川、多摩川)を越えた地域同士の交流も目立つ。両毛地方や国道16号沿線にはロードサイドショップが多く、埼玉県から多摩地方への移動は、道路では国道16号経由、鉄路では東京経由が主流である。
- 北西部(毛武)に当たる埼玉県・栃木県・群馬県では、農業が盛んである。しかし、南西部(武相)に当たる東京都と神奈川県では、農業の占める割合が極めて低く、第三次産業の占める割合が極めて高い。
- これも、交易によって勢力を維持した平氏流諸氏の支配地域と、農業によって勢力を維持した源氏流諸氏の支配地域の特徴がよく表れている現象の一つと言えよう。
隣接する県を編入する例
中央省庁や企業・団体のエリア区分による「関東」の範囲は、必ずしも「箱根関・小仏関・碓氷関から東」とは定義されておらず、統一されていない。
- 関東1都6県+山梨県 (首都圏)
- 関東1都6県+静岡県+山梨県
- 第三管区海上保安本部
- 全国紙東京本社発行版に掲載される映画広告
- 日本テレビのローカル天気予報
- 関東1都6県+静岡県+山梨県+長野県
- 関東1都6県+静岡県+山梨県+長野県+新潟県 (広域関東圏)
- 関東1都6県+山梨県+長野県
- 関東1都6県+山梨県+長野県+新潟県 (関東甲信越)
- 関東1都6県+静岡県+愛知県+三重県+山梨県+長野県+岐阜県+新潟県+富山県+石川県+福井県
尚、関東地方の広域道路地図には、北は相馬から、西は豊橋までを網羅する物が多く、東京(日本橋)から300km圏内の範囲となっている。これ以外にも、各県ごとの地図や、東京23区のみといった地域別地図もある。
経済
経済の全体的傾向
関東地方は日本の人口の約1/3を占めており、中でも利根川以南の一都三県のみで、3400万人を超す人口を抱えており、153兆5000億円ものGDPを生み出している。
地域別特徴を見ると、本社の大半は、東京都区部に集中している。一方で、東京都区部を除く地域には、特定企業の工場が集まる「企業城下町」や、営業所や小売業が多く立地する都市が多く見られる。
第一次産業
農業
- 東部の茨城県と千葉県は、全国でも上位の農業粗生産額を誇り、北西部の群馬県と埼玉県と栃木県でも農業生産が多いが、南西部の東京都と神奈川県では衰えている。特に千葉県は、農業生産額が北海道に次いで第二位であり、野菜の生産額は日本第一位を誇る。
- 東京周辺では、典型的な都市近郊農業として、野菜や花卉の栽培が多い。
- 関東地方各市町村における年間農業生産額(2003年)は、多い順に以下の通り。
要出典(wikipedia:検証可能性参照)
畜産業
- 大消費地である東京を控え、茨城県や栃木県、千葉県を中心に養豚、養鶏、酪農が多い。生乳生産量では、北海道に続いて、栃木県が第二位、千葉県が第三位に位置する。
漁業(水産業)
第二次産業
鉱業
- 昭和半ばまで、日立市や足尾など一部の鉱山が操業していたが、1975年頃に閉鎖された。
- 埼玉県の秩父市、栃木県佐野市(旧葛生町)付近では、セメント原料の石灰岩、ドロマイトの採掘が行われている。
- 千葉県では天然ガスの採掘が行われている。大半は東京向けに供給される。また、副産物であるかん水からはヨードが精製されており、医薬品向けに日本から輸出される数少ない鉱物資源となっている。
工業
- 南部:東京湾沿岸に、大規模な臨海型工場地帯が広がり、それぞれ京浜工業地帯(東京-神奈川)や京葉工業地域(東京-千葉)と称される。尚、京葉工業地域も、京浜工業地帯に含める事がある。
- 北部:宇都宮や太田などを初めとする地域では、内陸型の北関東工業地域が形成されている。
- 東部:茨城県の北部(日立市やひたちなか市)や千葉県の東葛地域(我孫子、柏、津田沼など)には、日立製作所の関連工場が多い。また、茨城県の鹿行地域には鹿島臨海工業地帯が形成されている。
- 関東地方における主要工業都市は、各市町村別の年間製造品出荷額(2003年)の多い順に以下のようになっている。
要出典(wikipedia:検証可能性参照) 「大手」「超大手」といわれる製造業の本社(工場とは限らない)は、東京都区部に所在するものが多い。しかし、関東地方に工場を置く企業(親会社)の本社が、必ずしも関東地方に所在するとも限らない。
建設業
多くの大手ゼネコンの本社が、東京都区部に集中している。東京都区部では、大規模なオフィスビルやマンション・道路・鉄道(地下鉄)などの建設が行なわれている。
第三次産業
商業
- 東京では、新宿・池袋・渋谷・銀座・日本橋・上野を中心に百貨店や専門店、高級ブランド店、大規模商業施設、飲食店などがあり、集積度は高い。
- 国道16号圏内の鉄道沿線、特に東京と横浜には、鉄道駅の利用者の方が圧倒的に多いために、駅周辺を地盤とする「カメラ系家電量販店」やレールサイドショップが多い。
- 一方で、国道16号の圏外になると、バイパスや郊外を地盤とする「北関東系家電量販店」や郊外型ショッピングセンターが多い。
- 関東地方の主な商業集積地は、各市町村における年間商品販売額(2001年、含卸売業)の多い順に以下のようになっている。
要出典(wikipedia:検証可能性参照)
金融
東京には中央銀行である日本銀行や多くの都市銀行が本店を置いているほか、各地の地方銀行や主要な海外金融機関も情報収集を兼ねて東京支店を置いている。また、東京証券取引所、各種商品市場も置かれている。
サービス
基本的には東京都区内に集積するものが多い。
- IT関係などの集積が多い。
- 各放送局のキー局(親局)が東京都区内に所在する。東京には各地方局の支社もあり、東京に本社のある企業や出演者などへの営業活動や、一部の番組製作も行われている。
- 大手通信会社(電気通信事業者)の本社が東京都区内に所在する。
交通
幹線交通網
関東地方の幹線交通網は、東海道ルート、甲州街道ルート、中山道・三国街道ルート、日光街道・奥州街道ルート、水戸街道ルート、常総ルート、房総半島ルートに大きく分けられる。
連絡線としては、例幣使街道ルートなどがある。兵士街道古道鎌倉街道・大山街道や、その他関東各地域中核都市から周辺部に伸びる路線群が整備されている。
- 東海道ルート:東海道新幹線、東海道本線、京急本線、東名高速道路、国道15号、国道1号、国道246号
- 甲州街道ルート:中央本線、中央自動車道、国道20号
- 中山道・三国街道ルート:上越新幹線、北陸新幹線(長野新幹線)、高崎線、上越線、信越本線、関越自動車道、上信越自動車道、国道17号、国道18号
- 日光街道・奥州街道ルート:東北新幹線、宇都宮線、日光線、東武日光線、東北自動車道、日光宇都宮道路、国道4号、国道119号
- 水戸街道ルート(水戸以北は陸前浜街道):常磐線、常磐自動車道、国道6号
- 常総ルート:総武本線、成田線・鹿島線・大洗鹿島線、東関東自動車道、国道51号
- 房総半島ルート:内房線、館山自動車道、国道127号
鉄道
関東地方の鉄道網は東京から放射状に伸びており、路線相互の接続駅間を結ぶ鉄道路線が高度に整備され、世界最大の輸送力を誇っている。
- 東京都
- 東京メトロ、都営地下鉄
- 京浜急行本線、JR京浜東北線、JR東海道線、JR横須賀線、JR湘南新宿ライン、JR埼京線、東京臨海高速鉄道りんかい線、東急池上線、東急目黒線、東急東横線、東急田園都市線、京王井の頭線、小田急小田原線、京王線、JR中央快速線、西武新宿線、西武池袋線、東武東上線、JR高崎線、JR宇都宮線、つくばエクスプレス線、JR常磐線、京成本線、JR総武線、JR京葉線
- 東急大井町線、東急多摩川線、京急空港線、東急世田谷線、東武伊勢崎線、北総公団線
- JR南武線、JR武蔵野線、JR八高線
- 各県(各地域)中心都市の近郊路線
(南西から順に時計回りに列挙する)
道路
- ※ 詳細の路線については「関東地方の道路一覧」も参照する事。
江戸時代に五街道が整備されて以後、日本橋 (東京都)を始点にして幹線国道が放射状に整備され、連絡線国道が環状(弧状)に整備されている。高速道路は、首都高都心環状線を中心に、各方面へ放射状に延びている。
又、国道16号沿線や両毛では、モータリゼーションの進展が著しい。
- 主な幹線国道と高速道路
- 国道1号(国道246号)・東名高速道路
- 国道20号・中央自動車道
- 国道17号・関越自動車道
- 国道18号・上信越自動車道
- 国道119号・日光宇都宮道路
- 国道4号・東北自動車道
- 国道6号・常磐自動車道
- 国道14号・国道51号・東関東自動車道
- 国道127号・館山自動車道
- 主な連絡線国道
バス
東京都区部や周辺都市に、東北・中部・近畿など各地方からの高速バスが多数発着している。
一方、郊外や中小都市での一般路線バスは、モータリゼーションの進展で経営が苦しくなっている。
航空
空港としては、東京国際空港(羽田、RJTT)や成田国際空港(RJAA)が立地する。いずれも事情により、アジアのハブ空港には程遠い位置づけである。
海運
東京湾岸の横浜港、東京港、千葉港を中心に、世界各地を結ぶ貨物船が東京湾に出入りしている。又、日本の大手海運会社である日本郵船や川崎汽船が東京に本社を置いている。
東京から主な都市への距離
関東地方の中心都市となっている東京から、主な都市や峠への「Nkm圏」を以下に掲載する。km数は国道の距離標を基準にして測る。
ルート(国道) | 60km圏 | 100km圏 | 150km圏 |
---|---|---|---|
東海道(R1) | 藤沢 | 箱根峠 | 富士 |
甲州街道(R20) | 相模湖町 | 大月 | 韮崎 |
中山道(R17・R18) 三国街道(R17) |
熊谷 | 高崎 | 碓氷峠(R18) 月夜野(R17) |
日光街道(R4・R119) 奥州街道(R4) |
古河 | 宇都宮 | 日光(R119) 那須塩原(R4) |
水戸街道(R6) | 土浦 | 水戸 | 日立 |
下総(R14・R51) | 成田 | 銚子、鹿嶋 | 大洗 |
房総半島(R14・R128) | 東金 | 大原 | 鴨川 |
娯楽
スポーツ
- 関東地方に本拠地を置くプロ野球チーム
- 関東地方に本拠地を置くJリーグチーム
芸能
放送局のキー局が東京23区に集中しているため、多くの芸能事務所や番組制作会社が東京23区に拠点を置いている。
商業公演は交通の利便性が良い東京23区や横浜、幕張、さいたまなどで多く開催されている。
テレビジョン放送
関東一都六県(関東広域圏)を放送対象地域とする広域放送と、各都県を放送対象地域とする県域放送(ローカル局)がある。
広域放送は五局存在するが、いずれも東京都区部に本社を置くキー局であり、関東平野のほぼ全域で東京タワーからの電波が受信可能である。又、山間部や伊豆諸島・小笠原諸島(小笠原諸島はテレビのみ)でも、中継施設を通じて受信可能となっている。県域放送は、茨城県を除く全ての都県に一局ずつ存在する。
- 日本テレビ放送網(NTV、日テレ)
- 東京放送(TBS)
- フジテレビジョン(CX、フジテレビ)
- テレビ朝日(EX、tv asahi)
- テレビ東京(TX、TV TOKYO)
- NHK放送センター(NHK G、総合)
- 放送大学学園(UD、U-AIR) - 関東広域圏のうち授業実施予定地域
- 栃木県 - GYT とちぎテレビ
- 群馬県 - GTV 群馬テレビ
- 埼玉県 - TVS テレビ埼玉(テレ玉)
- 千葉県 - CTC 千葉テレビ放送(チバテレビ)
- 東京都 - MX 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)
- 神奈川県 - tvk テレビ神奈川
日本放送協会(NHK)は、総合テレビは広域放送、教育テレビは全国放送を行っているが、地上デジタルテレビジョン放送におけるデジタル総合テレビにおいて、茨城県で県域放送を行っている。他の都県では、従来通り東京都区部を親局とする広域放送が当面は維持されるが、五県内(栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)にある中継局は、東京都内と同様の、27chではなく各県ごとに、異なったチャンネルを使用している(する予定)、詳細としては、栃木県内が47ch、群馬県内が37ch、埼玉県内が13ch、千葉県内が34ch、神奈川県内が19ch使用する(予定)。
言語・方言
関東地方の日本語方言は、大きく分けて東関東方言と西関東方言の二種類の方言がある。
- 東関東方言:茨城県、栃木県のほぼ全域と埼玉県、千葉県の一部で用いられている方言。福島県中通り・浜通りの方言との類似性があり、方言圏の南端は千葉県銚子市付近。
- 西関東方言:東京都特別区・多摩、埼玉県、群馬県、神奈川県のほぼ全域と千葉県の大半、栃木県両毛地域、山梨県郡内地方の一部で主に用いられている方言である。いわゆる東京弁、下町方言も西関東方言の一種とされるが他地方方言の影響も見られる。
現在の東京周辺では1.東京通勤が多い、2.他地方の出身者(移住)が多い、3.テレビ・ラジオの影響などで、日本語共通語(標準語)かそれに近い関東色のある新方言(いわゆる首都圏方言)が多用され、土着の方言を話す人口・機会が比較的少なくなっている。特に東京都心部で暮らす地方出身者は、いわゆる標準語を意識的に用いる事が多いが、時間の経過とともに、周囲の首都圏方言に同化していく傾向がある。
又、伊豆諸島の八丈島や青ヶ島で話される八丈方言は、古代東日本方言の特徴を色濃く残す方言であり、他の方言との差異が大きい。
小笠原諸島は、元々欧米人とハワイ先住民が移民・開拓した土地であるため、欧米系住民(在来島民)が話していた英語の語彙と日本語八丈方言、日本語標準語が混合された、独特の日本語新方言「小笠原方言」と呼べるものが存在するが、現在ではテレビの影響などで、急速に日本語標準語(それに近いものを含む)化が進んでいる。
人口・面積
平野が広く、首都である東京特別区を抱える地方なので、日本の人口の30%以上が集中する。
ISO 3166-2 | 都道府県名 | 順位 | 人口 | 割合 |
---|---|---|---|---|
JP-08 | 茨城県 | 11 | 2,992,152 | 2.30% |
JP-09 | 栃木県 | 20 | 2,011,691 | 1.60% |
JP-10 | 群馬県 | 19 | 2,033,535 | 1.60% |
JP-11 | 埼玉県 | 5 | 7,037,849 | 5.50% |
JP-12 | 千葉県 | 6 | 6,028,315 | 4.70% |
JP-13 | 東京都 | 1 | 12,369,185 | 9.70% |
JP-14 | 神奈川県 | 3 | 8,687,422 | 6.80% |
41,160,149 | 32.20% |
※順位・人口・割合は2003年10月1日のデータによる。
年齢構成
関連項目
北日本
東日本
関東地方
西日本
外部リンク
- ↑ 87%が採算割れ路線のJR北海道 新たな赤字ローカル存廃論議浮上も - 北海道新聞、2014年05月10日。
- ↑ J-CASTニュース 2015年1月21日
- ↑ 新型特急車両の開発中止についてPDF - 北海道旅客鉄道、2014年9月10日閲覧
- ↑ 石勝線 清風山信号場構内で発生した列車脱線事故についてPDF - 北海道旅客鉄道
- ↑ 石勝線 追分駅構内における信号機の誤表示についてPDF - 北海道旅客鉄道
- ↑ 運転士が列車を運転中に居眠りをしていたことについてPDF - 北海道旅客鉄道
- ↑ 36協定違反(労働基準法違反)についてPDF - 北海道旅客鉄道
- ↑ 事業改善命令・改善指示に対する報告についてPDF - 北海道旅客鉄道
- ↑ “JR北海道車両検査 28%で基準守られず…検査院指摘”. 読売新聞. (2012年11月5日).オリジナルの2012年11月5日時点によるアーカイブ。 2015年5月14日閲覧。]
- ↑ JR北海道:トラブル全国の倍 車両不具合多く(毎日jp 2013年04月21日 12時10分版)
- ↑ なぜJR北海道でトラブルが続くのか - 杉山淳一 Business Media 誠(2013年7月26日 8時00分 更新)
- ↑ 北海道新聞 2013年9月22日付(16版) 33面
- ↑ “JR北海道の特急、乗客の腕をドアに挟み走行”. 読売新聞. (2013年7月17日).オリジナルの2013年7月21日時点によるアーカイブ。 2015年5月14日閲覧。
- ↑ 【主張】JR北海道 信頼回復の誓いどうした - msn産経ニュース、2013年9月23日
- ↑ 国交省、札幌保線所も特別監査 JR北海道レール異常放置 - msn産経ニュース、2013年9月23日
- ↑ JR2社:重要線路未検査 北海道・四国12カ所 毎日新聞 2014年10月29日
- ↑ 会計検査院による「鉄道施設の維持管理についての意思表示」についてPDF JR北海道ニュースリリース 2014年10月28日
- ↑ 青函トンネル:特急から煙、124人徒歩で避難…過電流か - 毎日新聞、2015年4月3日
- ↑ 青函トンネルで緊急停止 特急から煙 乗客124人、地上避難 - 北海道新聞どうしんウェブ、2014年4月3日 18時41分、2014年 2時35分更新
- ↑ 赤字拡大する一方のJR北海道 それでも「倒産」しないカラクリ - J-CASTニュース、2013年9月25日
- ↑ 失われた安全 〜JR北海道で何が〜 NHKクローズアップ現代
- ↑ JR北海道再生のための提言書
- ↑ 労組同士でも対立が先鋭化 JR北海道の底知れぬ病巣 - ダイヤモンド社・週刊ダイヤモンド コラム【第928回】(2013年10月29日)
- ↑ “「革マル派の勢力を一掃せよ」”. 日経ビジネス (2014年4月14日). 2014年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月14日閲覧。
- ↑ JR北海道 社員の8割以上が「革マル系労組」所属PDF - 『民主化闘争情報』No.886、JR連合、2013年10月3日
- ↑ 【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(432)革マル・金欠「JR北海道」の闇 産経新聞 2013年10月6日
- ↑ “朴槿恵大統領に「体でも売れ」 韓国鉄道公社のスト闘争 JR総連が共闘”. 産経新聞. (2013年12月30日).オリジナルの2015年5月12日時点によるアーカイブ。 2015年5月14日閲覧。
- ↑ ネットワーク JR北海道線路図 - 北海道旅客鉄道(2014年5月14日閲覧)
- ↑ 会社概要 - 北海道旅客鉄道(2014年5月15日閲覧)
- ↑ 11月以降のダイヤについてPDF - 北海道旅客鉄道(2013年10月23日)
- ↑ JR総連 討議資料 2014年3月
- ↑ 「ディーゼル特急を守れ」、JR北海道のギリギリの闘い冷泉彰彦、ニューズウィーク日本語、2013年9月5日
- ↑ 特急また出火、135人避難 JR北海道でトラブル続発 夏観光への影響懸念Sankeibiz、2013年7月15日
- ↑ JR北海道「メンテナンス体制強化」へダイヤ修正 - 特急列車の減速・減便も - マイナビニュース、2013年9月4日
- ↑ 「北海道の特急、120キロに減速 JR北、8月ダイヤ改正」 - 日本経済新聞、2014年7月5日
- ↑ 北海道新幹線4編成40両、年内に納入開始 JR社長会見、総額180億円 - 北海道新聞、2014年3月13日
- ↑ 北海道新幹線用車両についてPDF - 北海道旅客鉄道、2014年4月16日
- ↑ “フル編成、堂々 北海道新幹線、線路に 七飯”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年11月1日).オリジナルの2014年11月1日時点によるアーカイブ。 2014年11月1日閲覧。
- ↑ 交通新聞2010年1月21日
- ↑ ダイエー、JR北海道と「㈱北海道ジェイ・アール・ダイエー」設立。道内で大規模小売事業 - 食の情報源 2011年9月25日閲覧