東北地方

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東北地方のデータ
6県の合計
面積 66,889.55km²
総人口 9,662,247
(2006年3月31日)
人口密度 144.45人/km²
(2006年3月31日)
位置

東北地方(とうほくちほう)とは、本州東北部にある日本の地方である。青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県の6県で構成され、本州の約3割の面積を占める。

気象歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本(日本の北の部分)として、交通などでは関東地方と共に東日本本州の東の部分)に分けられることが多い。

新潟県を東北地方に入れる場合には、「東北地方と新潟県」「東北7県」「奥羽越」などと呼ばれる。

目次

[編集] 地理

スウェーデンベルギーポルトガルギリシャなどとほぼ同規模)
中部地方とほぼ同じ面積。九州オランダスイスデンマークの約1.5倍。関東地方の約2倍。北海道の約0.8倍の広さ)
  • 人口密度は1km²あたり約144人(2005年10月1日-国勢調査)
スイスと同程度)
  • 東北六県の県民総生産の合計は32兆4200億円(2003年-県民経済計算
スイスベルギースウェーデンオーストリアなどのヨーロッパ中堅国のGDPを超える)


県名 総面積(S)
岩手県 15,279km²
福島県 13,783km²
秋田県 11,612km²
青森県 9,607km²
山形県 9,323km²
宮城県 7,285km²
合計 66,889km²
県名 可住面積(P) P/S
福島県 4,218km² 30.6%
岩手県 3,710km² 24.3%
青森県 3,204km² 33.4%
秋田県 3,155km² 27.2%
宮城県 3,130km² 43.0%
山形県 2,850km² 30.6%
合計 20,267km² 30.3%
県名 DID面積 DID/P DID/S
宮城県 231km² 7.4% 3.2%
福島県 176km² 4.2% 1.3%
青森県 156km² 4.9% 1.6%
山形県 113km² 4.0% 1.2%
秋田県 87km² 2.8% 0.7%
岩手県 86km² 2.3% 0.6%
合計 849km² 4.2% 1.3%


県名 人口密度(人/S) 可住地人口密度(人/P)
宮城県 325.6人/km² 757.7人/km²
福島県 153.3人/km² 500.8人/km²
青森県 152.0人/km² 455.6人/km²
山形県 131.9人/km² 431.5人/km²
秋田県 100.5人/km² 370.0人/km²
岩手県 91.7人/km² 377.8人/km²
東北6県 145.7人/km² 480.7人/km²
  • 国土交通省東北運輸局による統計。「P/S」は総面積(S)に対する可住面積(P)の割合。「DID」は人口集中地区のこと。「DID/P」は可住面積(P)に対するDIDの割合。「DID/S」は総面積(S)に対するDIDの割合。

[編集] 地形

プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレート日本海溝で潜り込んでいる。そのため、東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山八甲田山八幡平岩手山栗駒山蔵王連峰吾妻連峰安達太良山那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上にはカルデラ地形の鬼首カルデラおよび十和田湖田沢湖・蔵王の御釜などのカルデラ湖も多く、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。

日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)越後山脈が連なっており、岩木山鳥海山月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することが出来る。

太平洋側には北上山地阿武隈山地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場がなく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈山地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。

これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川阿武隈川雄物川最上川などの河川が流れ、多くの盆地平野を作り出している。

[編集] 気候

気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸奥羽山脈西側(盆地)、奥羽山脈東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。

日本海沿岸奥羽山脈西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で日本最高気温40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。

太平洋側の奥羽山脈東側(盆地)は、内陸性気候になっている。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。

太平洋沿岸は、太平洋側気候になっている。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。

主な都市の冬 (平年値)

都市 降雪量累計最深積雪1月(平年値)
日照時間日隔差平均気温最高気温最低気温
札幌 630 cm 101 cm 97.2 時間 8.6℃-4.1℃-0.9℃-7.7℃
深浦 385 cm 44 cm 31.3 時間 4.7℃-0.4℃2.0℃-2.7℃
秋田 409 cm 41 cm 44.6 時間 5.4℃-0.1℃2.7℃-2.7℃
酒田 375 cm 37 cm 39.9 時間 5.4℃1.5℃4.1℃-1.3℃
青森 774 cm114 cm 56.7 時間 5.8℃-1.4℃1.5℃-4.3℃
新庄 878 cm 126 cm 43.1 時間 5.8℃-1.3℃1.4℃-4.4℃
山形 491 cm 50 cm 89.6 時間 6.6℃-0.5℃3.0℃-3.6℃
若松 537 cm 58 cm 80.9 時間 6.4℃-0.7℃2.6℃-3.8℃
むつ 564 cm 70 cm 77.0 時間 6.8℃-1.6℃1.4℃-5.4℃
盛岡 351 cm 36 cm 124.0 時間 7.6℃-2.1℃1.7℃-5.9℃
福島 235 cm 26 cm 136.6 時間 7.3℃1.4℃5.4℃-2.1℃
白河 173 cm 21 cm 160.9 時間 8.6℃0.2℃4.6℃-4.0℃
八戸 318 cm 33 cm 134.5 時間 7.0℃-1.2℃2.5℃-4.5℃
宮古 186 cm 32 cm 163.6 時間 8.8℃0.2℃4.8℃-4.0℃
大船渡 77 cm 13 cm 148.6 時間 7.3℃0.7℃4.4℃-2.9℃
石巻 56 cm 17 cm 167.6 時間 7.2℃0.5℃4.4℃-2.8℃
仙台 90 cm 17 cm 151.3 時間 7.2℃1.5℃5.2℃-2.0℃
小名浜 14 cm 6 cm 189.6 時間 9.1℃3.6℃8.2℃-0.9℃
東京 13 cm 7 cm 180.5 時間 11.9℃5.8℃9.8℃2.1℃

日本海沿岸奥羽山脈西側奥羽山脈東側太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。

降雪量累計気象庁の統計データでいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を、シーズン全体で合計した量(平年値)
最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
日隔差:1月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の寒暖の差(平年値)

主な都市の夏 (8月 の平年値)

都市 平均気温最高気温最低気温日隔差日照時間降水量
札幌 22.0 ℃ 26.1 ℃ 18.5 ℃ 7.6 ℃ 173.5 時間137.3 mm
深浦 23.1 ℃ 26.8 ℃ 19.9 ℃ 6.9 ℃ 185.9 時間157.4 mm
秋田 24.5 ℃ 28.6 ℃ 20.9 ℃ 7.7 ℃ 200.4 時間181.9 mm
酒田 24.9 ℃ 29.1 ℃ 21.0 ℃ 8.1 ℃ 211.6 時間175.8 mm
青森 23.0 ℃ 27.6 ℃ 19.3 ℃ 8.3 ℃ 190.8 時間129.3 mm
新庄 23.9 ℃ 28.9 ℃ 19.8 ℃ 9.1 ℃ 177.5 時間174.5 mm
山形 24.6 ℃ 30.2 ℃ 20.3 ℃ 9.9 ℃ 184.7 時間148.8 mm
若松 24.8 ℃ 30.4 ℃ 20.3 ℃ 10.1 ℃ 199.5 時間131.0 mm
むつ 21.7 ℃ 25.7 ℃ 18.2 ℃ 7.5 ℃ 152.8 時間140.4 mm
盛岡 23.2 ℃ 28.1 ℃ 19.2 ℃ 8.9 ℃ 158.8 時間177.8 mm
福島 25.2 ℃ 30.2 ℃ 21.5 ℃ 8.5 ℃ 159.7 時間144.3 mm
白河 23.3 ℃ 28.1 ℃ 19.7 ℃ 8.4 ℃ 154.0 時間228.2 mm
八戸 22.3 ℃ 26.5 ℃ 19.1 ℃ 7.4 ℃ 173.3 時間139.8 mm
宮古 22.2 ℃ 26.4 ℃ 19.1 ℃ 7.3 ℃ 165.2 時間180.8 mm
大船渡 23.0 ℃ 26.9 ℃ 19.8 ℃ 7.1 ℃ 161.5 時間198.6 mm
石巻 23.5 ℃ 26.9 ℃ 20.8 ℃ 6.1 ℃ 178.1 時間127.0 mm
仙台 24.1 ℃ 27.9 ℃ 21.2 ℃ 6.7 ℃ 155.4 時間174.2 mm
小名浜 23.9 ℃ 27.3 ℃ 18.5 ℃ 8.8 ℃ 193.9 時間141.7 mm
東京 27.1 ℃ 30.8 ℃ 24.2 ℃ 5.8 ℃ 177.5 時間155.1 mm

日本海沿岸奥羽山脈西側奥羽山脈東側太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。

日隔差:8月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の暑涼の差(平年値)

[編集] 地域

[編集] 東北地方内の区分

古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「商業勢力の地盤」の境界であった出羽山地による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。

ただし、文化的には江戸時代による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸海岸沿岸や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。

[編集] 太平洋側と日本海側

東北地方を「太平洋」と「日本海」に区分することがある。両者の境界は、那須火山帯上にある恐山奥羽山脈の線、または中央分水嶺[1]による竜飛岬津軽半島)~奥羽山脈とする線などがある。

この分類は、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため冬の降雪量が多く、太平洋側は少ない。夏の気候では、日本海側はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋側はやませの影響で気温が低い年がある。

また、海流の面で、太平洋側は親潮黒潮、日本海側は対馬海流(とリマン海流)の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。黒潮は速度が速く、江戸の出現まで太平洋側に大都市がなかったため、江戸時代以前は太平洋側の海運は発達しなかったが、日本海側は海流の速度が遅く、畿内への最短路であったために東北地方の物流の中心として古代から発達した。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。

[編集] 陸奥国と出羽国

  • 「内陸国」と「沿岸国」

陸奥国国府仙台平野多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野酒田に置かれたことでわかるように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。

太平洋側(陸奥国)は、沿岸平野がいわき市周辺、仙台平野八戸周辺と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」としての歴史が綴られている(→みちのく)。

一方、日本海側(出羽国)は、沿岸に庄内平野秋田平野能代平野津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」としての歴史が綴られている(→越後国の先にある地域)。

藩政時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。

  • 境界

陸奥国と出羽国の境界とされる奥羽山脈は、所々で山脈自体が低い部分があり、かなり低いが存在したりするため、日本海側の一部が太平洋側に組み込まれて区分されている。

令制国 の区分では、太平洋側の「陸奥国」に、奥羽山脈の西側にある会津地方や津軽地方を含んでおり、その他の日本海側の部分が「出羽国」となっている。しかし、陸奥国と出羽国の境界は、時期により変更されることが度々あった。

基本的に、奥羽山脈東側(太平洋側)が陸奥国、日本海沿岸南部地域が出羽国であり、その間の挟まれた奥羽山脈西側盆地群は、陸奥側の政治勢力の盛衰によって陸奥国と出羽国の間で所属が変化していたようである。そのため、会津地方や津軽地方の他、現在の山形県内陸部(村山地方および置賜地方)や秋田県内陸部(仙北三郡)が、陸奥国に区分されたこともあった(→#歴史陸奥国出羽国)。

奥羽山脈西側盆地群(斜字 は令制国の陸奥国):青森平野青森湾)、鹿角盆地横手盆地仙北三郡)、新庄盆地山形盆地米沢盆地会津盆地

即ち、測量された地図が無かった時代には、東北地方の「内陸勢力」の版図が陸奥国、日本海側「沿岸勢力」の版図が出羽国とされていたと考えられる。鎌倉時代以降は、日本海沿岸地域は政治勢力化せずに商業勢力に留まることが多く、陸奥国側の内陸政治勢力が、陸奥国と出羽国を一体的に「奥州」として管轄した。

  • 分割

1868年(明治元年)旧暦12月7日に、陸奥国は陸奥国陸中国陸前国岩代国磐城国に分割され、出羽国は羽前羽後に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。

[編集] 北東北と南東北

東北地方は、主要都市の間に東北新幹線山形新幹線秋田新幹線が通ることで、全ての県に新幹線が通っている唯一の地方となった。そのため、新幹線が優位に立つ中距離移動(200km~800km)が便利である。また、東北地方を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、奥羽山脈を越えた地方内の近距離移動(200km程度以内)の利便性も上昇した。これに伴い、運行本数が少なく、往々にして運賃・料金が高い在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。

この陸上交通の再編成により、青森県岩手県秋田県の三県を「北東北」、山形県宮城県福島県の三県を「南東北」と区分する例が増加している。

北東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市秋田市の場合、陸路では東京からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。そのため、期待していたほど北東北三県都(青森市・盛岡市・秋田市)の経済的結び付きは強くならなかった。

一方、南東北三県は、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していた上、陸上交通の再編成によって、経済主導でその枠組みを更に強くした。南東北においては、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成しており、南東北三県都(仙台市・山形市福島市)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。

[編集] 周辺地方との関係

前述の通り、青森下北半島などの地方では、青函トンネル青函フェリーを通じて函館北海道渡島支庁)との繋がりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想が練られている。又、津軽海峡沿いの大間(青森県)では、フェリーで函館まで1時間40分程度である事から、買物や通院を函館で済ませる傾向が見られる。元来、この土地の領主(岩手の南部氏、津軽の津軽氏、渡島の松前氏)は清和源氏の家系であり、その時代より相互間の繋がりが深い地域であった。

ただし、近代において大間の例は青森県内の一般的な事例とというわけではない。当たり前のことだが、(1) 青森~函館間が最短でも列車で2時間弱を要する点、(2) カーフェリーの便は在るが、所要時間が長くて便数が少ない点、(3) 海峡の長さから道路橋や道路トンネルが建設されていない点、の3点から、関門トンネル瀬戸大橋を挟む地域のように、通勤・通学を含めたより日常的・定期的な交流が生まれるには至っていない。

日本海沿岸は、古代からの海運の歴史の外に、羽越本線国道7号の陸上交通路の発達により、下越地方新潟県北部)との関係が深い。又、会津地方と下越地方は、両方とも磐越西線磐越自動車道の沿線で、阿賀野川流域である為に、繋がりが深い。又、会津地方と栃木県藤原地方は、両方とも東武鬼怒川線野岩鉄道会津鉄道国道121号会津西街道下野街道)の沿線である為に、繋がりが深い。さらに下野街道は北は山形県米沢市までを結んでいた。

太平洋沿岸のうち、福島県浜通りの特にいわき市は、常磐線国道6号常磐自動車道などの陸上交通路が早くから敷設された為に、水戸などの茨城県北部との繋がりが深い。

福島空港須賀川市玉川村)は、北関東日光東照宮那須温泉郷などへの韓国人観光客の玄関口としても機能しており、ペ・ヨンジュンも利用した。又、空港空白地域の茨城県栃木県の住民にも利用されている。

福島県中通りは、栃木県とは隣接しており、自家用車による交流は盛んだが、鉄道を介した繋がりは浅い(→東北新幹線#概要山形新幹線#需要秋田新幹線#需要)。ただし、那須温泉郷や日光などの観光地への観光需要は大きく、東北地方と栃木県のタウン情報誌TJN加盟全9誌では、毎号見開き2頁の共通誌面を作っている。

[編集] 定義域と名称

江戸時代までの分割統治の時代は、「奥羽」または「奥州」として一括されて、奥州探題などの地方支配組織が設置されることもあった。

明治時代でも、明治14年(1881)7月に設立された東北鉄道株式会社は、現在の北陸本線にあたる大阪から新潟までの路線建設を計画する会社であり、新潟県で「東北新報」(後述)という名の新聞が発刊されるなど、当初は「東北」と名の付く地域が現在の東北六県だけではなく、新潟県および北陸地方を含むものとして認識されていた。

 その後、中央集権的・統一国家的な「地方への支配」が進められ、「東北地方」という名称が、基本的に現在の東北六県を指すものとして確立して行った。明治政府の中央集権体制の下、仙台が地方支配の中心地とされ、仙台に置かれた国家機関が管轄する範囲として、東北地方が決められた。

又、「東北地方の雅称は『奥羽地方』(おううちほう)であり、『東北地方』は俗称である」という説もあるが、明治以降135年以上に渡って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に「東北」が多く用いられてきたため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が一般的となっている。

また、「奥羽」の称は、太平洋側の「陸奥国」と、日本海側の「出羽国」を合わせた称であるが、明治元年に陸奥国と出羽国が分割され、現在の福島県では「陸」が付かない名称の令制国が設置されたため、教科書でもその令制国名が用いられ、日本史に詳しくない人は「奥羽地方」に福島県が含まれることを知らないこともある。

[編集] 新潟県を東北地方に編入する場合

畿内が日本の中心であった時代は、陸上交通も畿内を中心に発達しており、現在の新潟県五畿七道北陸道に区分されていた。幕末には、戊辰戦争で幕府側にたった中越地方下越地方奥羽越列藩同盟に加わったが、敗戦と廃藩置県によって一時的なものに終わり、地方の枠組みとはならなかった。

明治政府東京を本拠地とした中央集権国家を形成すると、国の出先機関が仙台に置かれた。この時、仙台にある国の出先機関が新潟県を管轄する場合があったり、仙台の陸軍第二師団司令部の管轄(仙台師管区)が宮城県・福島県・新潟県の3県であったりした。明治中後期には、新潟市で「東北日報」という新聞が発行されていた(仙台でも同名の新聞が発行されていた→後の河北新報)。しかし、新潟県は、明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど経済背景も異なっており、仙台に立地する機関が新潟県を管轄して「東北7県」とする例は限定的であった。

ただし、法的には新潟県が東北地方に区分される場合がある。それは、明治時代から始まった水力発電との関係が強い。当地での電源開発の最重要地域の1つに阿賀野川只見川)があるが、これは新潟県下越地方と福島県会津地方(両地域とも分水嶺である奥羽山脈の西側)を流域としており、電力において下越地方と会津地方は不可分であった。このため、1950年電力事業再編政令で、「東北7県」を供給範囲とする東北電力が設立され、その後も「東北7県」を対象範囲とする地域開発の法律がつくられた。

新潟県を含めた7県を「東北地方」と定義する法律(戦後)
  1. 北海道東北開発公庫法1956年1999年
     中央省庁再編にあわせ、北海道東北開発公庫は解散し、日本政策投資銀行へ継承。
  2. 東北開発株式会社法1957年1986年
     1986年に東北開発株式会社特殊会社)は民営化。その後、三菱マテリアルと合併。
  3. 東北開発促進法(1957年~2005年
     国土総合開発法の改正に伴い、他の地方開発促進法とともに廃止。
  4. 地方行政連絡会議法1965年~)
※1~3をまとめて「東北三法」ということがある。

昭和30年代後半から始まる全国総合開発計画国土形成計画でも、これらの法律に則って「東北7県」の枠組みが用いられている(この場合は「東北圏」と称す)。又、北海道と東北7県で、北海道東北地方知事会議が開催されている。

経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みに従って東北経済連合会が構成され、関連する産・学・官連携シンクタンク(現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド、観光事業[2]などでも新潟県が含まれている。

東北経済連合会では、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力がリーダーシップをとっており、その経済力を背景に、同社提供のブロックネットローカル番組が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北地方と新潟県」と言う)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の地方紙で連携企画が掲載されたりしている(→河北新報#紙面参照)。

以上のように、東北電力関連や経済政策の面においては、「東北7県」を以って「東北地方」とする例が見られる。しかし、新潟県を東北地方に編入する場合は、「東北7県」「東北地方と新潟県」「奥羽越」「東北圏」などと言い、単に「東北地方」と言った場合にはほぼ新潟県が含まれない。

なお、新潟県の県庁所在地の新潟市(下越地方)と東北諸地域を結ぶ交通網では、1914年に磐越西線、1924年に羽越本線、1997年に磐越自動車道が全通した。東京との間では、1931年上越線、1982年に上越新幹線、1985年に関越自動車道が全通し、新潟県は日本の政治経済の中心地である東京との結び付きが強くなっていった。

[編集] 歴史

東北地方を経済の視点から見た歴史は「東北地方の経済史」を参照

畿内政権の律令制中央集権体制下では、出羽国は越国北陸道)の先にある沿岸国(船で到達できて畿内に近い)、陸奥国は東山道を徒歩で行くために、「道奥=みちのおく(みちのく)」すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような測量された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の盛衰に従って変化し、必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない。蝦夷俘囚)勢力が後退した鎌倉時代以降は、政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。

奥州(東北地方)は、近畿地方の諸政権(天皇・公家政権、室町幕府、織田・豊臣政権)が支配した時代には、政権所在地からは遠いため、半独立的な政治勢力が生まれていた。しかし、関東地方の諸政権(鎌倉幕府江戸幕府明治政府)には近いため、政権への従属的傾向が強くなる。明治以降は、戊辰戦争奥羽越列藩同盟が敗れたため、激烈な減封を受けて知識層である武士階級を大量に失い、野蒜築港台風のために2年で閉港となったため、開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた。また、日本人の9割以上が農民だった明治期までは、寒冷地であるため農産物による人口の涵養が出来ずに、人口の少ない地方となっており(→都道府県の人口一覧)、国内市場としての重要度も低かった。

現在は人口も増え、新幹線が全てのに通っている唯一の地方となり、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。一方で、人口の仙台都市圏への集中、その他の地域の過疎化も進んでいる。

[編集] 旧石器時代

旧石器時代氷河期に当たり、現在よりも寒冷であった。そのため、当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり、現在は海底に沈んでいるため、海岸線での生活については殆ど判っていない。内陸の生活については、東北地方でも富沢遺跡金取遺跡などで判るが、他の幾つかの遺跡が旧石器捏造事件によって研究が振り出しに還ってしまったため、現在検証作業中である。

[編集] 縄文時代

縄文時代には気候が温暖化して、東北地方も現在より暖かかった。当時の採集・狩猟・漁労を中心とした生活では、西日本よりも東日本の方が生活に適しており、関東地方中部地方・東北地方の諸地方の人口が多かった。最も人口密度が低かった近畿地方中国地方四国地方と比べて、人口密度が最も高かった関東は30倍以上、東北も5倍~10倍程度の人が住んでいたと見られている。そのため、1440年も続いた巨大集落である三内丸山遺跡などが造られ、関東や北陸などと共に縄文文化の中心を担った。

[編集] 弥生時代

弥生時代になると、大陸の中国長江下流域から水稲耕作技術(ジャポニカ種)が九州北部などに伝わった。それまで人口の少なかった九州・山陰・山陽・近畿の諸地方は、これで人口が急増し、以後、日本の中心地となっていく。東北に水稲耕作技術が伝わったのは青森県の垂柳遺跡に見られるように弥生時代前期であるが、一般的には紀元前後と見られる弥生時代中期後半前後まで水稲農耕は完全に受容されたとはいえず、特に北部においては続縄文文化であったとする見方もある。

[編集] 古墳時代

古墳時代には、東北地方でも多くの古墳が造られた。青森県でも古墳が見られるが、小規模な終末期古墳に限られる。古墳が集中している地域は仙台平野会津地方などの東北地方南部となっている。又、奈良盆地に起源があるとみられる前方後円墳も造られ、ヤマト王権との交流がすでに始まっていたと考えられている。東北地方最大の前方後円墳は、宮城県名取市にある雷神山古墳である。

[編集] 古代

古代に入ると、ヤマト王権と東北地方との関係は、古墳時代までの緩い連合体、文化交流のレベルから、より強い主従関係、ないしは中央集権的な都と地方という関係が強まっていく。

畿内政権側から見た古代の東北地方と、新潟県米山峠以東(中越地方下越地方佐渡島)は「未征服地」であり、畿内政権に服従しない異民族「蝦夷(えみし)」が住んでいるとされた(蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある)。以降、古代から中世にかけて、畿内政権側の征服戦争と、東北地方(特に奥六郡)の独立や半独立の動きの中で、征夷軍と蝦夷軍が衝突し、東北地方の歴史は作られていった。

7世紀中期~後期に、天皇を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が国造として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。

この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部(置賜郡)と中部(最上郡)が畿内政権側に服従し、常陸国から分離される形で道奥国(みちのく。後に陸奥国)が設置された。この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。

日本海側では、既に新潟県上越地方頸城郡)まで征服したヤマト王権越国(こしのくに)の連合軍が、「 (き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。まず、647年渟足柵(現在の新潟市中心部)、更に648年磐舟柵(現在の岩船郡村上辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と越国に組み入れていった。658年になると、越国守であった阿倍比羅夫が、180艘の軍船を率いて更に日本海沿岸を北上し、「鰐田(あぎた)の浦」(現在の秋田市周辺?)から津軽地方へと到った(日本書紀)。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿部水軍は658年~660年の間に三度来航し、交易をして帰っている。その後、畿内政権と同盟関係にあった百済新羅の侵攻を受けたため、阿部水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。

律令制整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して庄内地方に達し、現在の酒田市最上川河口部辺りに出羽柵を設置。越国(こしのくに)が越前国越中国越後国の3ヶ国に分割されると、708年和銅元年)9月28日、庄内地方出羽郡が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、712年(和銅5年)9月23日に越後国から分立して出羽国になり、しばらく後に陸奥国から置賜郡最上郡を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る(国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている)。更に北進した畿内側の軍は、733年に出羽柵を秋田高清水岡(現在の秋田城跡)に移した。但し、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はやや緩い支配だった。

724年には、東北太平洋側に多賀城などが築かれ、南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。北東北では、北上山地太平洋と隔絶され、多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域(=