フジテレビジョン

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株式会社フジテレビジョン
Fuji Television Network, Inc.
画像:FujiTVStudioOdaiba.jpg
種類 株式会社
略称 フジテレビ
本社所在地 日本
137-8088
東京都港区台場二丁目4番8号
電話番号 03-5500-8888(大代表)
設立 2008年10月1日
(新設分割のため)
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送
代表者 代表取締役会長 日枝久
代表取締役社長 豊田皓
資本金 88億円
(2008年10月1日現在)
売上高 単体: 3,778億75百万円
連結: 5,826億60百万円
(2007年3月期)
従業員数 1,426人(2008年10月1日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 100%
外部リンク www.fujitv.co.jp
特記事項:FCGビル設計・丹下健三・都市・建築研究所

株式会社フジテレビジョン (Template:lang-en) は、関東広域圏放送対象地域とする放送局

略称はコールサイン (JOCX-TV) からCX。通称はフジテレビフジ

2008年9月までは、76社、5法人、3美術館、10,000名強の従業員からなる日本最大のメディア・コングロマリットであるフジサンケイグループの中核企業であり、資本関係上もグループの統括会社となっていたが、2008年10月1日に株式会社フジテレビジョン(旧会社)は、株式会社フジ・メディア・ホールディングスに商号変更、テレビジョン放送関連事業を同日設立した「株式会社フジテレビジョン(新会社)」に事業譲渡および放送免許を承継し、純粋持株会社また、認定放送持株会社となった。本項目では2008年9月30日までの旧会社、および2008年10月1日以降の現行会社について述べる。偏向教科書であるつくる会教科書を発行した、扶桑社の株主である。

目次

[編集] 会社概要

Template:日本のテレビ局

各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とするフジネットワークFNS:Fuji Network System、FUJI NETWORK SPORT)と、ニュース素材の供給・ネットを目的とするフジニュースネットワーク(FNN:Fuji News Network)を組織している。

地上放送の他にスカイパーフェクTV!(東経124・128度CS放送)、および委託放送事業者であるサテライト・サービスを通じてe2 by スカパー!(東経110度CS放送)で、フジテレビ721・フジテレビ739・フジテレビCSHDの3つのチャンネルを放送していて、一部のケーブルテレビでも放送されている。

メインバンクは、みずほコーポレート銀行(旧富士銀行)であり、FNSチャリティーキャンペーンにおけるフジテレビの振込先もみずほ銀行東京中央支店(旧富士銀行本店)である。また、以前フジテレビで芙蓉グループ提供の番組「感動エクスプレス」「満足!迷い旅」を放送していた。さらに、フジサンケイグループと芙蓉グループの合弁の広告会社富士アドシステムとフジサンケイグループ傘下の広告会社3社と合併した広告会社クオラスがある。

[編集] 送信所

放送区域は、本来は沖縄県の放送対象地域である大東諸島が含まれる。これは、系列局の沖縄テレビが、大東諸島に中継局を設けていないため。TBS琉球放送並びに、テレビ朝日琉球朝日放送の際も同様)。

  • アナログ放送
    • コールサイン:JOCX-TV
    • チャンネル:8ch(東京)
    • 映像出力:50kW
    • 音声出力:12.5kW
  • デジタル放送
    • コールサイン:JOCX-(D)TV
    • チャンネル:21ch(東京)
    • 出力:10kW
    • リモコンキーID:8

[編集] アナログ放送の主な中継局

  • 東京都
    • ※八王子 - 31ch
    • ※多摩 - 55ch
    • 新島 - 58ch
    • 父島 - 57ch
    • 母島 - 58ch
    • ※大井町 - 74ch
  • 茨城県
    • 水戸 - 38ch
    • 日立 - 58ch
    • 常陸鹿嶋 - 41ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 - 57ch
  • 群馬県
    • 前橋 - 58ch
    • 桐生 - 35ch
    • 利根 - 57ch
  • 埼玉県
    • 秩父 - 29ch
    • 児玉 - 57ch
  • 千葉県
    • 銚子 - 57ch
    • 成田 - 57ch
    • 館山 - 58ch
  • 神奈川県
    • ※横浜みなと - 58ch
    • 横須賀久里浜 - 37ch
    • 平塚 - 39ch
    • 小田原 - 58ch
    • ※山下町 - 75ch
  • 沖縄県
    • 北大東 - 46ch
    • 南大東 - 58ch

他多数

※はその中継局周辺でも東京8chを視聴する場合が多く、映りが良くない場合に視聴される。他局の同位置にある中継局も同様。

[編集] デジタル放送の主な中継局

  • 茨城県
    • 水戸 - 19ch
    • 日立 - 19ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 - 35ch
  • 群馬県
    • 前橋 - 42ch
  • 埼玉県
    • 秩父 - 21ch
  • 千葉県
    • 銚子 - 21ch
  • 神奈川県
    • 平塚 - 21ch
    • 小田原 - 21ch

[編集] 沿革等

[編集] 沿革

  • 1957年(昭和32年)11月18日 - 文化放送ニッポン放送を主体とし、東宝松竹大映映画会社各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立。(富士テレビに決定される前は中央テレビジョンで仮決定されていた。)
  • 1958年(昭和33年)12月 - 商号を株式会社フジテレビジョンに変更。
  • 1959年(昭和34年)1月9日 - 本免許を受ける。
  • 1959年(昭和34年)3月1日 - 地上アナログテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-TV)。開局は大阪・毎日放送(MBS)と福岡・九州朝日放送(KBC)と同日。関西地区においては、関西テレビ(KTV)と毎日放送とのネットワーク関係を結ぶが、翌年関西テレビに一本化する。
  • 1959年(昭和34年)6月 - 東名阪福の基幹4局でネットワーク協力体制に調印し、フジネットワークシステム(FNS)の基礎を確立。
  • 1960年(昭和35年)1月17日 - 本局の送信出力を映像50KW、音声12.5KWに増力する。
  • 1964年(昭和39年)9月3日 - 東京オリンピック開始に伴い、カラー試験放送を開始(東京地区では3番目)。最初の番組は『僕は見たんだ』で、午前10時半からの30分番組。同放送は4日後の9月7日に本放送を開始する。
  • 1966年(昭和41年)10月 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
  • 1969年(昭和44年)10月 - フジネットワークシステム(FNS)発足。
  • 1971年(昭和46年) - 制作局を廃止させ系列子会社化(「フジポニー」「フジ制作」「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する(1980年の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。
  • 1973年(昭和48年)『キンカン素人民謡名人戦』を最後に、自主制作番組が全部カラー放送になる。
  • 1978年(昭和53年)10月2日 - 音声多重実用化試験放送開始。東京では日本テレビNHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は神宮球場からのヤクルト戦のステレオ放送。
  • 1984年(昭和59年) - フジサンケイグループ議長・鹿内春雄が将来の衛星放送事業(現在のBSフジフジテレビ721、739、ディノスチャンネルなど)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、当時はまだ更地であったお台場への社屋移転構想を発表する。(#フジテレビお台場移転の経緯を参照。)
  • 1985年(昭和60年)12月8日 - 文字多重放送本放送開始。
  • 1986年(昭和61年) - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。
  • 1988年(昭和63年) - 開局30周年を記念してオリエント急行を日本で走らせる。
  • 1989年(平成元年)8月 - 第一世代クリアビジョン放送開始。
  • 1989年(平成元年)頃 - 民放では初めて、ソニー製の1インチ非圧縮デジタルハイビジョンVTR DVH-1000が導入される。
  • 1990年(平成2年)11月 - ハイビジョン試験放送開始。
  • 1993年(平成5年) - 新本社・演奏所となるFCGビルが着工。
  • 1994年(平成6年)11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。
  • 1995年(平成7年)4月 - 株式会社フジサンケイグループ本社を合併。
  • 1995年(平成7年)9月 - ワイドクリアビジョン(EDTV-II)本放送開始。
  • 1996年(平成8年) 8月- 東京都港区台場のFCGビルが完成。河田町からの移転作業が部署別に順次開始される。
  • 1997年(平成9年)3月10日 - 台場のFCGビルへの本社・演奏所機能の移転が完了。本社事業所所在地変更(東京都港区台場二丁目4番8号)。旧河田町本社ビルの解体作業開始。
  • 1997年(平成9年)8月 - 東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
  • 1998年(平成10年)4月 - 放送法に基づきCSデジタル放送」2チャンネルの委託放送事業者の認定を受ける。
  • 1998年(平成10年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ721」放送を開始。
  • 1999年(平成11年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ739」放送を開始。
  • 2000年(平成12年)12月1日 - 午前11時、系列のBSデジタル放送『BSフジ』(デジタルBS8Ch)開始。
  • 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-DTV)。
  • 2005年(平成17年)1月17日 - 系列ラジオ局のニッポン放送株式の公開買付(TOB)を発表した。その結果、ニッポン放送発行済み株式の36.47%を取得した。
  • 2005年(平成17年)5月23日 - ライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を『LFホールディングス』に変更(7月12日に合併)。
  • 2005年(平成17年)6月13日 - 産業再生法に基づく事業再構築計画の認定を受ける。2008年(平成20年)5月まで。
  • 2005年(平成17年)7月15日 - 地上波キー局として初めてのブロードバンド動画配信サービス、「フジテレビ On Demand」のサービスを開始。
  • 2005年(平成17年)9月1日 - ニッポン放送と株式交換し、同社を完全子会社化。
  • 2006年(平成18年)1月22日 - ライブドア証券取引法違反で1月18日に家宅捜索される。
  • 2006年(平成18年)3月15日 - ポッドキャスティングフジポッド」の配信開始。
  • 2006年(平成18年)3月16日 - 日枝会長が記者会見を行いUSEN宇野康秀社長にフジテレビが所有するライブドア持ち株を95億円で全株譲渡しUSENとの業務提携を発表。同時にライブドアとの提携解消とライブドア・ショックにより受けたフジテレビの損害総額345億円の賠償請求を行うことを決定した。
  • 2006年(平成18年)4月1日
    • 地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。
    • ニッポン放送からアナウンサーを含む47人がフジテレビに転籍。
  • 2006年(平成18年)4月3日 - 事業持株会社化し、フジサンケイグループの統括会社になる。これとともに株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、これまでのラジオ放送事業・中波放送局免許は『株式会社ニッポン放送』を新設し、同社に承継)を吸収合併し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式は吸収後消却され、ポニーキャニオンディノス等ニッポン放送傘下の企業がフジテレビ傘下に移動。
  • 2007年(平成19年)3月26日 - ライブドアに対する345億円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起したと発表した。
  • 2007年(平成19年)3月29日 - ポニーキャニオンと扶桑社の発行済み全株式を取得し、完全子会社化。同時にBSフジへの出資比率を上げる。
  • 2007年(平成19年)9月1日 - ハイビジョンでの報道取材を開始する(スポーツ報道の一部は以前からハイビジョン化されている)。
  • 2007年(平成19年)9月14日 - 東京都江東区青海臨海副都心に建設した「フジテレビ湾岸スタジオ」の運用を開始。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - CSチャンネル「フジテレビCSHD」放送を開始。在京民放キー局主体で初のCS放送によるハイビジョン放送である。
  • 2008年(平成20年)4月14日 - 地上デジタルテレビジョン放送において、海賊版防止・著作権保護の観点による画面上にウォーターマークの表示を開始。(在京局では4局目)他の実施局よりは比較的薄めに表示されており、ワンセグでは非表示。
  • 2008年(平成20年)9月4日 -総務大臣から、放送法に基づく認定放送持株会社の認定を取得し、また新設会社(2008年10月1日設立予定)へのテレビジョン放送免許の承継が許可された。
  • 2008年(平成20年)10月1日 - 株式会社フジテレビジョンが『株式会社フジ・メディア・ホールディングス』に商号変更、認定放送持株会社に移行、同時に地上波放送関連事業を分社新設分割方式による事業子会社『株式会社フジテレビジョン(新設会社)』に放送免許共々承継。

[編集] 番組史

[編集] 歴代社長

  1. 水野成夫(1957年設立〜1964年)
  2. 鹿内信隆(1964年〜1968年)
  3. 浅野賢澄(1968年〜1982年)
  4. 石田達郎(1982年〜1985年)
  5. 羽佐間重彰(1985年〜1988年)
  6. 日枝久(1988年〜2001年)
  7. 村上光一(2001年〜2007年)
  8. 豊田皓(2007年〜)

[編集] 社史概要

画像:Former Fuji Television Headquarters.JPG
旧河田町本社(1991年4月撮影)
画像:Kawadacho comfo garden.jpg
河田町時代のフジテレビ本社があったところは、現在高級高層マンションになっている(河田町コンフォガーデンURの運営で、フジテレビとは無関係)。本社があった痕跡はないが、別館などは現在もフジテレビが使っている。

[編集] 1950年代〜1960年代

[編集] 1970年代〜1980年代

  • 1976年、「プロ野球ニュース」がキャスターに佐々木信也を迎えて放送再開される。アニメ・子供向け番組などでは注目されたが、全般としては、特に現代ドラマにおいて視聴率が低迷し迷走を極めていた1970年代を経て、1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズを打ち出した。面白い番組・視聴者の笑いを取れる番組を生み出そうという意識改革のスローガンであった。そこから横澤彪がプロデュースした『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』など数々の人気番組が生まれていった。「軽チャー路線」(かる-ろせん)とも評された。
  • バラエティ番組中心の編成は結果として視聴者の支持を集め、1982年に「年間視聴率三冠王」(ゴールデン・プライム・全日でトップ)を獲得。その後「三冠王」は12年間続いた。
  • 1980年代後半のバブル景気時には、いわゆる「トレンディドラマ」が人気を博し、ゴールデン・プライム帯の視聴率を押し上げた。

[編集] 1990年代

画像:Fuji-TV DAIVA1996.jpg
フジテレビ本社があるFCGビル(1996年、アクアシティ建設前)
画像:Fujitv.jpg
フジテレビ本社があるFCGビル(東京テレポート駅側より)
  • 1990年代前半には、『カノッサの屈辱』など、深夜放送を中心とした人気番組が続々生まれた。しかし、1993年夏頃から「三冠王」のうちのいくつかをバラエティや巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビに明け渡すようになってくると、その勢いも次第に衰えていった。1994年〜2002年には9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を日本テレビが達成した。
  • 1997年3月10日に東京都新宿区河田町から東京都港区台場のFCGビル(通称:フジテレビ本社ビル)に移転。新社屋の設計は丹下健三・都市・建築設計研究所、施工は鹿島建設。敷地面積21102.220m²、延べ床面積141825.438m²、地下2階 地上25階 塔屋1階。直径32mの球体展望室が印象的。収録に使用した道具や収録スタジオ(V4スタジオ)などが見られる見学者コースがあり、お台場周辺の観光スポットの1つになっている。ビル全体の“見た目サイズ”はワイドクリアビジョンテレビの16:9をイメージしているとされる。
  • 建物は、低層部については公開スペースを1階に設け、スタジオを3階に設置するという珍しい構造で、高層部については「オフィスタワー」と「メディアタワー」の2棟を中央3フロアに合計6本ある渡り廊下(コリドール)が繋ぐ構造となっている。
  • かつてはメディアタワー棟22〜24階に、本社建て替え工事の間借りとして、系列ラジオ局のニッポン放送の本社があった(2004年9月6日にかつて本社があった千代田区有楽町に移転し、9月13日より全業務を開始した)。
  • 1999年にはイメージキャラクターのラフくんが登場、2002年からは「きっかけは、フジテレビ。」のキャッチコピーで様々なキャンペーンを展開、毎年本社ビルで行われているイベントも名物となっている。不定期で社内を歩き回り、愛嬌を振りまいている。

[編集] 2000年代〜

この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが、Yourpediaはニュース速報ではありません。性急な編集をせず事実を確認し正確な記述を心懸けてください。なお、この内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。
  • 2003年度(2003年4月〜2004年3月)の調査ではプライムタイムの視聴率が日本テレビを上回った。この結果2004年には「三冠」を日本テレビから奪還し低迷期から脱した。2004年度においては、「四冠」も獲得した。
  • 2004年度からはお笑い系のバラエティ番組だけでなく、『IQサプリ』や『タモリのジャポニカロゴス』、『熱血!平成教育学院』などの教養系なバラエティ番組も多く制作しだした。これは今までこの様な番組を制作していた日テレよりも若干多くなっており、視聴率的にも成功している番組もある。
  • 2008年5月15日、フジテレビは2008年4月に施行の改正放送法に基づく『認定放送持株会社』制への移行を取締役会で決定した[1]
    • その概要は、現在の株式会社フジテレビジョンを純粋持株会社『株式会社フジ・メディア・ホールディングス (FUJI MEDIA HOLDINGS,INC.)』に商号変更、地上波テレビ放送事業は放送免許も含め、分社型新設分割方式によって新設する『株式会社フジテレビジョン(新設会社)』への移管・免許承継する予定。
  • 2008年6月27日、定時株主総会にて放送持株会社制への移行が承認された。今後、主務大臣の認可・法的な処理を実施の上、2008年10月1日から新体制に移行した。

[編集] フジテレビお台場移転の経緯

1980年(昭和55年)に掲げた「軽チャー路線」がようやく波に乗り出し、1984年(昭和59年)には年間売上高も開局以来初めて在京キー局でトップに躍り出た。局舎のお台場移転構想が持ち上がったのはこのころである。

当時のフジサンケイグループ議長鹿内春雄が、所用で当時はまだ更地だったお台場を訪れ「テレビ局を運営するならビルの林立した都心よりも、その都心を広々と見渡すことのできるお台場のような場所がいい」と考え、後のフジテレビ役員会議で提唱した。当時の東京都知事鈴木俊一も「情報の集まる所に人は集まる」と考えており、「臨海副都心計画を成功させるためにはお台場エリアに一大エンターテインメントも必要」という方針を打ち出していた。そのようなこともあり、かねてから親交が深かった春雄にフジテレビの誘致を積極的に行っていたことが、この移転構想へつながったと見られている。お台場は当時未開発の地であり、都心と比較しても地価が安く、用地も都から安価で提供してもらえたことも大きく影響した。

当時はレインボーブリッジゆりかもめはおろか、臨海副都心線さえ開通していなかったことや、都心からも遠いこともあり、ほとんどの役員はお台場移転案に消極的であった。前述のように将来における民放の衛星放送への参画や、それに伴うスタジオの増設、局内のデジタル回線への変更などで当時の河田町の局舎では限界があったため、新局舎の建設が必要であることは役員の誰もが理解していた。このため、再三にわたる議論の末、

  1. 河田町の局舎解体後、跡地に新局舎を建て直す案(移転不要案)
  2. 都心に近くて広大な土地のある品川区大崎(現在の大崎ニューシティやゲートシティ大崎があるJR大崎駅東口地区)への移転案
  3. 春雄のお台場移転案

の3つに絞られた。フジテレビの現場サイドも局舎そのものを観光名所にして、そこから新たな収益構造を作りたいという目的があったため、住宅地のど真ん中にある河田町では地理的に集客力に限界があり、この目的は達成できないとして1.の移転不要案は却下された。また、2.と3.を比べても、お台場は海沿いで眺めも良く、開発されつくした大崎エリアと比べても未開発で集客面でも将来性が大きかったことと、前述の地価の面でも大きく有利に動いた。これに加えて鈴木都知事の協力が得られたことにより、3.の春雄のお台場移転案が決定的になった。

これを受け、春雄は局内に総合開発室を設置し、初代室長に当時取締役編成局長だった日枝久を抜擢。将来の台場新局舎の建設計画や用地取得、および衛星放送開始に備え、10年越しでの大プロジェクトを敢行し、現在の「お台場のフジテレビ」を築き上げた。また、これらのプロジェクトで費やした費用は10年間で実に数千億円に上ったという。

[編集] 目玉マークの誕生

[編集] フジテレビの特記事項

  • 他局での出演が少なく、フジテレビに好んで出演する芸能人や、フジテレビのことが好きな視聴者のことを、俗に「フジっ子」と言う。
  • ドラマ等の撮影は都内複数のスタジオで分散して行われていたため、それらのスタジオを集中・統合化する目的で本社から近い江東区青海フジテレビ湾岸スタジオを建設した。
  • 局舎は一つになっているように見えるが、実際はオフィスタワーとメディアタワーに大きく分かれており、その間をスタジオや見学者コース、「コリドール」と呼ばれる空中回廊で結ぶ構造になっている。
  • テロップのフォントは、フォント制作会社のニィスと共同開発した物を使用している。これが先駆となって、他局や色々な印刷物にもこのフォントが使用されるようになった。

[編集] フジテレビの評価

  • バラエティ番組やドラマは大変好評な局であるが、一方で報道番組や教養番組はバラエティ色を濃くしたものも多い事などから「報道2001」「ニュースJAPAN」以外の番組の評価は低い[要出典]。しかし、1985年8月12日日本航空123便墜落事故では現場が特定困難であった山中から、翌日にTV上に最も早く事故現場の映像を流し速報を伝えたり、2003年12月14日のサッダーム・フセイン拘束のニュース速報を他局に先駆けて伝えた上に民放で唯一報道特番を組むなど、報道でも実績を残している。
  • 社員に有名人や大手クライアントの子息や孫が多い。アナウンサーではタレント永六輔の娘永麻理アナ(1993年退社)や俳優竜崎勝の娘高島彩アナ、俳優・高橋英樹の娘高橋真麻アナ、元プロ野球選手・田淵幸一の息子田淵裕章アナなどがいる。アナウンサー以外にも元議長・鹿内信隆の孫の鹿内植や、中曽根康弘村上勇の子息、大島渚の息子の大島新1999年退社)、宇津井健の息子の宇津井隆遠藤周作の息子の遠藤龍之介(同社取締役)、かまやつひろしの息子のTAROかまやつも入社をしており、大手クライアントでは東宝松竹王子製紙の役員の子息や孫も入社している。これらに対しては、コネも実力の内という考えや、業務上の人脈確保などの観点から擁護する考えもあるが、放送業の公共性の高さゆえに批判もある[要出典]
  • インターネットを利用した一般新卒社員募集活動に熱心なテレビ局である。一般の四大卒応募希望者はエントリーから書類選考に相当する段階まで、メールアドレスを含むインターネット接続環境手段を持たないと応募はほぼ不可能である。また、サイト内採用情報(「こちらフジテレビ」)では、在籍社員のコメントも多種多様で充実している。掲載内容ではアナウンサー職や制作職社員のコメントには秀逸なものも見受けられる一方、憧れのフジテレビに入社できたと歓喜のあまり極端に主観的なコメントを述べた社員を掲載してしまうこともある。過去には「面接で放送禁止用語(性器を表現する言葉)を叫んだところ受かってしまった」と豪語した国立大卒女性技術社員のコメントが掲載されていた(2003年度採用情報より)。
  • バラエティ番組では、女子アナをタレントのように扱うことが多く、クイズ番組等に回答者として自社アナを出演させる機会も多々ある(他の民放でも似た傾向はあるが、フジテレビはそれが顕著)。アナウンサーにタレント性を求めている影響から、入社以前に芸能活動経験をもつアナウンサーも多数在籍している。
  • それらのことから軽薄なイメージが強い[要出典]社風であるが、一方で質の高いドキュメント番組も多く、放送関係の各賞の受賞回数は上位に位置する(代表的なのはNONFIXザ・ノンフィクションなど)。
  • 軽チャー路線やトレンディードラマなどで1980年代以後の若者文化を牽引し、定着させた面がるが、その副作用として報道番組が軽薄の謗りを受ける面がある[要出典]正論路線を貫こうとする報道部門と、実利を追うドラマ、バラエティー部門には確執がある。報道部門は営業上の業績がドラマ部門・バラエティー部門の足元にも及ばず、「喰わせてもらっている」との負い目から、社内での発言力は極めて小さいとされる[要出典]
  • 在京キー局中、労働組合の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いとも言われている。(民放労連会報・会員コメントより)
  • 2006年頃より、ネット上の各種コンテンツ掲載内容に関して敏感になってきている[要出典]

[編集] フジテレビ制作番組

フジテレビ制作の番組については、フジテレビ番組一覧を参照。 制作セクションは編成制作局にあり、第三制作部までに分かれていた。ドラマ制作センター(旧・第一制作部、英語ではdivision1→ディビジョン1)はドラマ、バラエティ制作センター(旧・第二制作部)はバラエティ・音楽番組、情報番組センター(旧・第三制作部)はドキュメンタリー・情報番組などを作っている(2002年7月に第三制作部は生活情報局に移行、2004年6月に情報番組センターに改称)。また、報道特番についてはFNN系報道特別番組を参照。

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