成田国際空港

出典: Yourpedia

Template:Infobox 空港 成田国際空港(なりたこくさいくうこう、通称:成田空港:Narita International Airport、IATA空港コードNRT)は、千葉県成田市の南東部、三里塚地区にある国際空港首都圏に発着する国際線や、主要都市への国内線航空便が発着する第一種空港である。日本航空全日本空輸アメリカ合衆国ノースウエスト航空ハブ空港でもある。

2004年4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団 (New Tokyo International Airport Authority, NAA) が成田国際空港株式会社 (NArita International Airport Corporation, NAA) と名称を変え民営化(特殊会社化)された。これに合わせ、空港の名称も、従来より、成田地区住民の立地負担により稼働している空港が(または東京から遠く離れた成田にある空港が)「東京」を称するのはおかしいとも批判されていたことを踏まえ、それまでの新東京国際空港から正式に成田国際空港へと改称された。英字略称は公団時代も現在も同じ「NAA」である。

目次

[編集] 空港概要

空港の様子をGoogle Map で見る (表示される画像は現在の成田空港の様子を反映したものですが、最新の画像とは限りません)

  • 開港:1978年5月20日
  • 航空機発着回数:18万8820回(2006年)日本第2位(1位は東京国際(羽田)空港
  • 航空旅客数:約3506万人(2006年)日本第2位(1位は東京国際空港)、世界第24位
  • 航空貨物取扱量:約223万トン(2006年)日本最大(2位は関西国際空港)、世界第5位
  • 空港敷地面積:940 ha(計画1,080 ha)
  • 滑走路
    • A滑走路:16R/34L, 4000×60 m (16R・34LともILSを装備)
    • B滑走路:16L/34R, 2180×60 m (16L・34RともILSを装備、計画2500×60 m)
  • 誘導路:延長 約25.5 km 幅30 m(一部23 m)(暫定計画を含む)(計画延長 約34.2 km 幅30 m)
  • 航空保安無線施設
    • ILS 4式 (計画ILS6式)
    • VOR/DME 2式
  • エプロン:面積 約218 ha (計画面積 約260 ha)
  • スポット:137スポット(工事により一部閉鎖中の物を含む)(計画143スポット)
  • 運用時間:24時間
  • 利用時間:6:00 - 23:00(航空機の通常離発着時間帯に制限)
  • 誘導路の延長・エプロンの面積の推移は「誘導路の延長とエプロンの面積の推移」を参照

[編集] 空港機能

日本で最長の4000mの滑走路をもち、日本の空の玄関口のひとつであるが、建設反対闘争が激しく、政府が土地収用法に基づく強制執行を行ったが限界があった。そのため、開港後30年近く経過しながら未だに全体計画は完了していない。開設後の拡張工事も進まず、騒音問題からの使用時間制限などもあり、羽田空港の拡張や航空自衛隊百里基地茨城県小美玉市)軍民共用化(百里飛行場)を行なう計画が進んでいる。

第2滑走路も土地買収が進まないため、計画の2500mより短い2180mの暫定滑走路のまま使用している。また現在求められている機能に対しても、騒音問題のため深夜や早朝の離着陸ができないなど、不十分な状態が続いている。それらのことから、ラッシュ時には滑走路手前の誘導路に航空機の列があったり、長時間上空待機する航空機が多い。成田国際空港株式会社が2180mの第2滑走路の延長に着手し2500mに伸ばす事に決定したが、騒音源が近くなるなどの事情により本来の計画とは反対側の北側の方に伸ばすことを決めた。しかし、この決定ではターミナルからさらに遠くなるという事情もあり、話し合いは泥沼化している。当初の予定では2010年竣工だった。B滑走路の効率性向上に、滑走路延長だけではなく、誘導路整備が急務で平行誘導路で「への字」に湾曲している部分に限っての『行政代執行』も検討されている。詳細は「歴史」の節を参照。

2500m滑走路が完成すると、燃料がほぼ空になった状態のボーイング747旅客機の着陸が可能になるほか、中型機の離着陸には問題のない長さになるので、成田国際空港の発着数がかなり改善することが期待される。しかしB滑走路に並行する誘導路の一部が「への字」に湾曲しており、B747やB777-300の通過が極めて難しく、B滑走路東側に新たに平行誘導路が設置される予定。

計画されているC滑走路(第3滑走路)は長さ3200m・幅60mの横風用で建設は凍結されている。仮に横風用滑走路が完成すれば、強い北風・南風の際の着陸が容易になる。現在一部が誘導路として使用されている。また、完成すれば気象変化による離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。

A滑走路に並行する誘導路の滑走路化やB滑走路東側に平行滑走路建設が検討されてはいるが、誘導路の滑走路化では滑走路と誘導路との間が規定より狭くなる為実現は難しく、B滑走路東側に平行滑走路建設はB滑走路東側に石油タンクが出来てしまい、こちらも実現は難しい。

周辺地域住民への環境配慮も必要で、成田空港では、開港以来、住宅などの防音工事に400億円超、電波障害対策に200億円超など、合計3200億円超の環境対策事業を実施しており、今後も実施され続ける予定である。

他の空港とは違い、空港に通じるすべての車両入り口、成田空港駅、空港第2ビル駅、東成田駅の出口改札に、建設反対の過激派テロの警戒のため検問所が設置されており、空港警備隊の検問など警備が厳しく(専門の警察機動隊である「千葉県警察成田国際空港警備隊」が常駐)、空港敷地内への入場に際しては旅行者・従業員のほか見学・送迎その他の入場客についても、空港警備員から身分証明書パスポート運転免許証・学生証等)の提示と来場理由を確認(旅客の場合は、航空券の提示を求められる場合もある)するため、時間がかかる場合があり、また警備の都合上、旅客と空港関係者以外の空港敷地への立ち入りが禁止されることも少なからずある。空港警備隊とは別に、空港会社でも警備組織を子会社に置いており、空港警備にあたっているが、その分の警備費は年間100億円近くになる。(2005年の場合、94億円)

[編集] 貿易港としての機能

成田空港の2004年(平成16年)度の輸出額は10兆6572億円、輸入額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータ等の事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。

  • 主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品 (17.4%)、科学光学機器 (9.4%)、映像機器 (8.2%)、事務用機器 (6.8%)、音響・映像機器の部分品 (4.0%)
  • 主な輸入品目(平成16年度):事務用機器 (15.6%)、半導体等電子部品 (14.5%)、科学光学機器 (7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品 (3.6%)

また、成田空港には、まぐろなど魚介類の輸入通関が多く(平成15年度7万1924トン、国内の漁港第8位の松浦港の水揚げ量9万7805トンに次ぐ取扱量)、「成田漁港」の別名がある。

(参考:「成田空港の貿易動向」平成17年2月 東京税関資料)

[編集] 交通機関

  • 東京都心までは60km程度離れており、東京への用務客は移動に要する時間が長い。そのために当初は東京~成田間を成田新幹線リニアモーターカー (HSST) で結ぶ計画もあったが、建設コストの割に速達効果が薄いなどから中止となる。
  • 空港建設が難航した為、余波を受け千葉県内の道路鉄道などの公共事業の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では収用委員会が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである[1]
  • 1978年には京成電鉄が成田空港駅(現在の東成田駅)まで上野から直通特急「スカイライナー」を運行開始したが、肝心の空港へは駅からバスへ乗り継ぐ必要があり、利用客は伸びなかった。しかし現在は空港ターミナル地下の駅から発着するようになり、利便性が増している。
  • 1991年には、直通の軌道系交通機関がないため「世界一不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時の運輸大臣・石原慎太郎の鶴の一声により、東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄の路線が、建設中止になっていた成田新幹線東京駅成田空港駅間)の路盤の一部を活用してそれぞれ分岐・延伸し、成田空港に乗り入れることとなった(成田空港高速鉄道も参照)。現在は京成線の短絡線として北総線の延伸工事(京成成田新高速鉄道線)が進行中であり、これにより東京都内から成田空港への所要時間の短縮が見込まれる。
  • 国内線が、新千歳空港仙台空港小松空港中部国際空港大阪国際空港広島空港福岡空港那覇空港の計8つの空港に就航しているが、各々便数が限られており、国内線と国際線との乗り継ぎは限られる(関西国際空港便、中部国際空港便の一部は国際線乗継専用便としての国際線扱い。国内線扱いの関西国際空港便は休止中)。このため、国際線から国内線への乗り継ぎは都心を横断した先の東京国際空港で行うことになる(航空会社の国内線時刻表では羽田発着国内線~成田発着国際線の乗り継ぎ時間は3時間以上と案内されている)。これらの背景から、地方都市からは、より国内線網が充実している関西国際空港中部国際空港経由で海外に向かうケースが多く見受けられる。また、同様の理由から、国内地方都市との路線を多く持つソウル(仁川国際空港)経由(主に大韓航空アシアナ航空)で海外へ向かうケースも見られる。
  • 一部海外のガイドブックに「エラーポート」と評されるほどの利便性の悪さは、航空機による移動が身近なものとなった今日、無視できないものになってきている。これは世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であるが、急速な航空事情の変化や、日本の国土事情などを鑑みると、容易には解決できない問題でもある。
  • 近年、関西国際空港神戸空港中部国際空港など、主に西日本の海上大規模空港の急ピッチの建設、増設を巡る諸問題も、上記における成田空港の空陸両面の輸送上の機能不全から空港充実が急務として(それだけが原因ではないが)、建設が後押しされていった側面もある。
  1. 財団法人国土技術センターのサイトより

[編集] 空港ターミナル

航空会社により第1ターミナルと第2ターミナルに分かれ、複数ターミナルを持つ大規模空港に多く見られるように、距離が離れているため、間違えると移動に時間が掛かる(ターミナル間連絡バスで約15分)。特に、近年増加している他社との「コードシェア便」(共同運航便)では注意が必要で、実際に機材を運航する航空会社が使用するターミナルに向かう必要がある。

近年、成田空港では第2ターミナルへの偏重、混雑時間の集中やコードシェア便の増加により、利用者にとって不便な部分が多かった。そのため、国際航空連合(エアライン・アライアンス)のグループごとにまとめて、同じターミナルに集約することによって、利用者の利便性を高め、混雑解消を目指し、第1ターミナル南ウイングが供用開始する2006年6月から約1年間かけて20社が段階的に移転することになった。

現在、主な国際航空連合3つは旅客ターミナルがおおまかに分かれており、JALグループを含むワンワールド(oneworld)陣営の多くは第2ターミナル、ANAグループを含むスターアライアンス(Star Alliance)陣営は第1ターミナル南ウイング、ノースウエスト航空大韓航空が加盟するスカイチーム(Sky Team)陣営が第1ターミナル北ウイングを使用している。

(参考:成田国際空港株式会社 - 航空会社再配置計画

[編集] 歴史

[編集] 開港まで

1960年代になると、年々増大する国際輸送についての航空機の重要性が高まったが、当時の国際線の主力空港であった羽田空港は手狭であり、再拡張により航空需要に対応しようと検討したが、

  • 沖合に拡張した場合東京港の港湾計画との調整が極めて難しい事。
  • 当時の港湾土木技術では難工事になる事
  • 航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける事
  • 仮に拡張出来たとしても、空港の処理能力は20%~30%程度の増加に留まる事

などから長期的航空機輸送需要に対応できない事が判明した。この為、当時の運輸省は、首都圏内の他の場所に新空港を建設する為の検討に入った。

そこで、「新東京国際空港」として建設計画が立てられ、当初は千葉県富里村(現・富里市)を建設予定地としていたが、地元自治体との調整は難航した。そのため、1966年佐藤栄作内閣は、建設予定地を同県成田市三里塚に変更した。国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林、またその周辺の土地は開拓農民達の物であった為、用地買収は容易に進むと考えたからである。

しかし、地元農民は土地を失うことや騒音問題から反発し、「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を始めた。さらに新左翼が、新空港は日本に新たな軍事基地を作るものだとして反対活動に参加し、運動が過激化した(三里塚の項も参照)。用地買収は停滞したため、政府は土地収用法に基づき行政代執行1971年に2回実行、警察官に死者を出しながら(東峰十字路事件)、ようやく1期工事の用地を取得した。反対派は鉄塔を建てて対抗していたが、1977年5月6日にこの鉄塔は撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、学生1名が死亡した。

1978年3月26日、開港直前になって成田空港に過激派ゲリラが管制塔に乱入し、管制塔内の機器を破壊した。このため開港が5月20日まで延期となった。関連して1978年5月5日には京成電鉄の成田空港連絡特急「スカイライナー」用車両(京成AE形電車)が宗吾車庫で放火され、1両を焼失した他、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした。開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。政府は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、千葉県警察本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の成田国際空港警備隊に至っている。

このような混乱の一因となったのが、政府も自ら認めているように、所謂「ボタンの掛け違え」があったにもかかわらず強引な手法で建設を強行したことである。この結果反対住民は引くに引けない状況に追い込まれ、最終的には反対運動に外部の過激派を引き入れてしまうことになった。

[編集] 開港後

1978年5月20日に開港したものの、それ以後も極左暴力集団によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に1985年(昭和60年)10月20日には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突した事件が発生した(「10.20成田現地闘争」)。 これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、1991年11月から隅谷三喜男東京大学名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き1993年9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。

円卓会議の結論を受け、最終的には1995年に当時の村山富市首相が謝罪、これが地元の受け入れるところとなり、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、1996年には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、2002年に供用開始した。隅谷三喜男団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化、極左勢力は孤立し事態は一応の収束を見るに至っている。

なお、この事件を題材とした作品に『ぼくの村の話』(尾瀬あきら 著、講談社モーニングKC)がある。また、ドイツミュンヘン国際空港はこのような紛争を避けるため、徹底して成田空港の事例を研究し、反対派を十分に説得した上で建設されている。日本でも、成田での経験を元に大規模空港は騒音問題等が発生しにくい海上に造られるようになった。(参考:成田国際空港株式会社 - 環境対策・地域共生 - 共生の経緯 - 地域と共生する空港づくり大綱

[編集] 年表

  • 1962年昭和37年)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定。
  • 1963年(昭和38年)6月10日:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4000m滑走路2本、3600m滑走路1本、2500m滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
    • 8月27日:富里案及び霞ヶ浦案を運輸相が提示。富里・八街反対同盟が結成される。
  • 1965年(昭和40年)11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
  • 1966年(昭和41年)3月15日:富里村(現・富里市)・八街町(現・八街市)・山武町(現・山武市)・酒々井町の5町村長が「富里空港返上声明書」を提出決定する。
  • 1968年(昭和43年)2月26日:三里塚・芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
  • 1971年(昭和46年)2月22日:建設予定地で第1次行政代執行。反対同盟と機動隊が衝突。
    • 9月16日東峰十字路事件。建設予定地で第2次強制代執行。反対派の鉄塔が倒される。千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員30名が東峰十字路付近で青年行動隊や過激派数百人に襲撃され、そのうち3名が殉職した。
  • 1977年(昭和52年)5月7日:運輸省航空局のYS-11型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
    • 11月26日:飛行場及び航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
    • 11月28日:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
    • 12月3日ICAO(国際民間航空機関)及び関係50ヵ国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
  • 1978年(昭和53年)3月26日:開港4日前の成田空港に過激派ゲリラが突入し、管制塔の機器を破壊。前25日には機動隊の撃ったガス弾の直撃を受け、救護所を警護していた学生1名が死亡している。
    • 3月28日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを全世界の航空関係機関に発出する。
    • 4月4日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
    • 5月20日:開港。
    • 5月21日:航空機運航開始。京成電鉄空港線(京成成田駅~成田空港駅(現:東成田駅))が開業。京成上野駅からの特急スカイライナーが運行開始。
    • 7月:新東京国際空港警備を目的として千葉県警察新東京国際空港警備隊が創設される。
  • 1981年(昭和56年)3月16日:鹿島港から土屋燃料中継基地に向かっていた燃料輸送列車が、千葉県神崎町内で過激派に襲撃、放火される。幸いジェット燃料には着火しなかった。
  • 1983年(昭和58年)8月8日:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
  • 1984年(昭和59年)6月23日:開港以来の国際旅客5000万人達成。
    • 8月1日:航空燃料A系パイプライン供用開始。(1日あたり2万2000 kl、年間最大800万 kl)
  • 1985年(昭和60年)6月23日:第1ターミナル2階の荷捌き場で航空貨物が爆発、死傷者が出る。(成田空港手荷物爆発事件
    • 10月20日:10.20成田現地闘争。千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突。241人を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。
  • 1986年(昭和61年)11月26日:第2期工事に着工。
  • 1988年(昭和63年)3月19日:開港以来の国際旅客1億人達成。
    • 9月21日:成田空港の土地問題を担当する千葉県収用委員会会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後中核派が犯行を自認する。
    • 10月24日:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続き、2004年(平成16年)12月8日、16年振りに機能回復されたが、成田空港については、土地収用法を適用しない事となった。
  • 1989年(平成元年)2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成 。
  • 1990年(平成2年)9月28日:開港以来の国際旅客1億5000万人達成。
    • 11月6日:開港以来の発着回数が100万回達成。
  • 1991年(平成3年)1月18日:開港以来の航空貨物取扱量1000万トン達成。
    • 3月19日:成田線成田駅~成田空港駅、京成本線京成成田駅~成田空港駅が開業。
    • 8月1日:二期区域エプロン一部供用開始。
    • 11月21日:第1回成田空港問題シンポジウム開催(以後15回開催)。
  • 1992年(平成4年)2月20日:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
    • 12月3日:第2旅客ターミナルビル地下駅「空港第2ビル駅」供用開始。
    • 12月6日:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1及び第2サテライト閉鎖。
  • 1993年(平成5年)2月2日:新管制塔供用開始(全高92.3 m)。
    • 2月5日:開港以来の国際旅客2億人達成。
    • 5月24日:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
    • 9月20日:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
  • 1994年(平成6年)9月15日:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーⅡ運用開始。
    • 10月11日:成田空港問題解決の為の第12回成田空港問題円卓会議で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
  • 1995年(平成7年)4月8日:開港以来の国際旅客2億5000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
  • 1996年(平成8年)3月28日:ILSカテゴリーⅢa運用開始、及びストップ・バーシステム供用開始。
    • 7月1日:新東京国際空港公団 (NAA) 本社が成田空港内に移転。
  • 1997年(平成9年)4月3日:開港以来の国際旅客3億人達成。
    • 10月13日:開港以来の航空貨物取扱量2000万トン達成。
  • 1998年(平成10年)1月22日:芝山鉄道線建設工事起工。
    • 2月1日:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
    • 4月25日:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
    • 5月27日:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
    • 7月15日:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
    • 11月10日:NAAとニューヨーク・ニュージャージーポートオーソリティの間で姉妹空港の締結を調印。
    • 11月18日:成田空港-羽田空港間直通列車運転開始。
    • 12月23日:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
  • 1999年(平成11年)3月16日:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
    • 4月27日:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
    • 5月10日:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
    • 9月3日:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
    • 9月12日太陽光発電システム運用開始。
    • 12月3日:平行滑走路工事着工。
  • 2000年(平成12年)4月1日コージェネレーションシステム導入・運用開始。
    • 7月7日:第1ターミナルビル第2サテライト供用開始。
  • 2001年(平成13年)10月31日:暫定平行滑走路の完成。
  • 2002年(平成14年)2月21日:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
    • 4月18日:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。
    • 5月13日:回転翼航空機(ヘリコプター)の受け入れ条件を一部緩和。
    • 9月25日:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
    • 5月27日:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
    • 10月16日:空港南口ゲートの供用開始。
    • 10月27日芝山鉄道の供用開始。
    • 12月16日:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
  • 2003年(平成15年)1月20日:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」及び新会社「成田国際空港株式会社」の名称について扇国土交通大臣へ要望書を提出。
    • 4月17日:第2旅客ターミナルビル北側及び地上通路沿いのスポットの供用開始。
    • 5月29日:開港以来の航空貨物取扱量3000万トン達成。
    • 11月17日:航空燃料輸送量1億 kl達成。
  • 2004年(平成16年)4月1日:新東京国際空港公団が民営化され成田国際空港株式会社に改組。新東京国際空港から成田国際空港に改称、第2給油センター供用開始。
    • 10月19日:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
    • 11月25日:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
  • 2005年(平成17年)6月8日:開港以来の離発着数が300万回達成。
    • 7月15日:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
    • 11月:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられたが、元同志らのカンパでこれを支払う。
    • 11月8日:第2ゲートの検問を突破した男を千葉県警察の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人(成田国際空港警察署)は右脇腹を刺され死亡、もう1人(佐倉警察署)は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで現行犯逮捕された。
    • 11月18日:旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
  • 2006年(平成18年)1月15日:空港反対同盟熱田派の熱田一元代表が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。熱田元代表は、「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」とコメントし、反対運動から完全に身を引く。「横堀墓地」には死去した支援者の墓や櫓があり、成田空港反対運動の象徴となっていた。
    • 4月13日:ILSカテゴリーⅢb運用開始。 
    • 6月2日:航空会社再配置、第1旅客ターミナル南ウイング(第5サテライト)・第4-第5サテライト連絡地下通路が供用開始。
    • 7月10日:成田国際空港会社は平行滑走路の北伸2500 m化に伴う飛行場変更申請を国に対して行った[1]
    • 11月19日エアバスA380が初めて成田国際空港に着陸した。

[編集] 空港への交通

成田空港への交通機関、また成田空港から東京国際空港(羽田空港)への交通機関の詳細については、成田空港公式ページ:空港アクセス情報を参照のこと。

[編集] 鉄道

第1ターミナルの下に成田空港駅が、第2ターミナルの下に空港第2ビル駅があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)成田線京成電鉄本線が通じている。

利用する人は少ないが、京成東成田線芝山鉄道東成田駅(旧成田空港駅)利用でもアクセス可能。(各ターミナルまで無料ターミナル間連絡バスがあり、第2ターミナルまでは徒歩でも移動可能)

現在はどのルートでも都心までかなりの時間がかかる。成田エクスプレス京成スカイライナーを使った場合でも、最速で51分とかなり時間がかかるが、京成成田新高速鉄道線(成田空港駅~北総鉄道印旛日本医大駅間)が2010年4月に開通すると、スカイライナー日暮里駅まで36分で結ばれる予定である。

JR東日本
京成電鉄

[編集] バス

[編集] 高速バス・リムジンバス

上記以外は京成バス千葉交通成田空港交通東京空港交通の何れかが運行。発着地により共同運行会社も乗り入れる。詳細は当該バス会社項目を参照されたい。

[編集] 一般路線バス

[編集] タクシー

[編集] ヘリコプター

[編集] 自動車

自動車で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある、

※海外要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによってゲートが封鎖される場合があるので入場には注意が必要。

駐車場

  • 空港内駐車場について

空港内には、

  • 第1ターミナル駐車場(P1):普通車約1000台、大型バス20台収容
    入場から1時間まで460円、1時間超え6時間まで30分毎230円、6時間超え30分毎30円。長期駐車の場合、午前0時を超え1泊2日以上1500円/日×2=3000円
  • 第2ターミナル駐車場(P2):普通車約1300台収容
    入場から1時間まで500円、以下第1ターミナル駐車場に同じ。
  • 貨物駐車場ビル普通車:普通車約70台収容
    入場から6時間内まで30分毎250円、以下第1・第2ターミナル駐車場に同じ。
  • 大型バス駐車場(P3):普通車110台、大型バス30台収容
    入場から1時間まで980円、1時間を超え8時間内まで30分毎470円、8時間を超え30分毎140円。

の4つの有料駐車場が設けられており、空港利用者なら誰でも利用することが出来るようになっている。また、自動二輪車用の駐車スペース(第1・2ターミナル、貨物)も確保されている。第2ターミナル立体駐車場には、普通車100台分の予約駐車スペースが有り、事前にインターネットで申し込む事によって利用可能である(事前に1日分利用料1500円×日数分の振り込みが必要)。

  • 民間駐車場について

国道51号が交差する寺台ICから国道295号へ入って空港へ向かうと、空港の数キロ手前から、駐車場業者が出現する。主に、航空券を購入した旅行会社から紹介されることが多い。料金は内容や時期にもよるが一日当たり1000~2000円程度で空港内の駐車場よりも安い。バスの便のない地区の人々は自家用車で向かい、このような駐車場へ止めることも多い。その場合、車を駐車場に置いて、駐車場の送迎バスでターミナルへ向かう。帰国時には、駐車場へ電話をかけてターミナルに迎えにきてもらう。仮に周辺駐車場へ止める場合、東関東自動車道で空港へアクセスした場合、「成田IC」を下りて国道295号から空港方面に向かう必要がある。

また空港周辺の多くのホテルでは、宿泊すると最大で2週間程度車を預かってくれるサービスがある。ホテルによってはパーキングプランのような商品を出していることもある。

※ターミナル前のカーブサイド(車両乗降場)での、送迎や駐車、車両受け渡しは禁止されている。また、空港内では、成田国際空港警察署によって駐車違反やシートベルト違反などの交通取締りが頻繁に行われている。

[編集] ターミナルビル

画像:3rd floor of Narita Terminal 2 200507.jpg
第2ターミナル本館出発ロビー
画像:Shuttle of Narita Turminal 2 200507-2.jpg
第2ターミナルサテライト連絡シャトル

旅客が用いるターミナルビルは2棟に分かれており、交通機関によって結ばれている。 (参考:ターミナル間連絡バス

[編集] 第1ターミナル

  • 第1ターミナルビルは中央ビル並びに南北ウイングと第1~第5サテライトに分かれている。出発ロビーは4階、到着ロビーは1階である。第1、第2サテライトは北ウイングに、第3~5サテライトは南ウイングに接続している。  
    • 中央ビル 主に店舗などがある。
    • 北ウイング 主にスカイチーム加盟各社のチェックイン・カウンターがある。
      • 第1サテライト 11~18ゲート (11番はバスゲート兼用、13番は欠番)
      • 第2サテライト 21~29ゲート (28番、29番はバスゲート)
    • 南ウイング 主にスターアライアンス加盟各社と、ANAハンドリング各社のチェックイン・カウンターがある。
      • 第3サテライト 31~38ゲート (32番はバスゲート)
      • 第4サテライト 41~47ゲート
      • 第5サテライト 51~59ゲート (59番はバスゲート)

南ウイングを利用するスターアライアンス加盟各社(シンガポール航空を除く)は、航空会社別のチェックイン・カウンターではなく、ファーストクラスビジネスクラスエコノミークラスの座席別「ゾーン・チェックイン」であり、世界初の試みである。インライン・スクリーニング、カーブサイド・チェックインなど、新しいサービスが導入された。

[編集] 第2ターミナル

  • 主にワンワールド加盟各社と、JALハンドリング各社のチェックイン・カウンターがある。出発ロビーは3階、到着は1階である。本館とサテライトに分かれる。両館の連絡は、無料の新交通システム日本オーチス・エレベータ製。日本初のロープ式シャトル)による。
    • 本館
      • 61~67ゲート
      • 71~77ゲート
      • 70A~70M(バスゲート)
    • サテライト
      • 81~88ゲート
      • 91~99ゲート

63、64、65の各ゲートは国内・国際線共用ゲートとなっており、国内線で運用した飛行機がその後、国際線で運用する飛行機がこのゲートを使用する場合が多い。そのため、待合室は国内線、国際線利用者が利用できる時間帯が決まっている。また、66、67ゲートには、コミューター機対応の国内線専用ゲートがある。

2007年までにインライン・スクリーニング対応工事が実施される予定。

[編集] 店舗

両ターミナルの中にはレストランや本屋、みやげ物屋などの各種売店、DFSなどの免税店がテナントとして入っている他、銀行、医療施設、コンビニエンスストアや航空会社のラウンジなどがある。

[編集] 定期路線一覧

[編集] 国際線