栃木県
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| 栃木県のデータ | |
| 画像:Map of Japan with highlight on 09 Tochigi 栃木県.svg | |
| 自治体コード | 09000-0 |
| 県知事 | 福田富一(ふくだとみかず) |
| 面積 | 6,408.28km² |
| 人口 | 総人口 2,016,196人 男 1,001,064人 女 1,015,132人 (2005年1月1日) |
| 県民の日 | 6月15日 |
| ISO 3166-2 | JP-09 |
| 栃木県の花 | ヤシオツツジ |
| 栃木県の木 | トチノキ |
| 栃木県の鳥 | オオルリ |
| 栃木県の歌 | 県民の歌 |
| 栃木県庁 | |
| 所在地 | 〒320-8501 |
| 栃木県宇都宮市塙田1丁目1番20号 | |
| 電話番号 | 028-623-2323(代表) |
| 外部リンク | 栃木県公式ページ |
| 市町村境界図 | |
栃木県 (とちぎけん) は、日本の都道府県の一つで、関東地方北部(北関東)に位置する内陸県。
東は茨城、西は群馬、南は埼玉、北は福島の各県と接している。海洋国家である日本において、内陸側に位置する数少ない県の一つである。
県庁所在地は宇都宮市。
古墳時代、毛野川(けぬのかわ)(現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「下野国(しもつけのくに)」が成立し、唐名では「野州(やしゅう)」と称する。現在でも「下野(しもつけ)」の呼称が広く使われている。
目次 |
[編集] 地理
関東地方の北部に位置し、面積は6,408.28km²で全国第20位(関東最大の県)、東西約84km・南北約98km。県都宇都宮市は、東京から約100km、JR東北新幹線で約50分強の位置にあり、地方中核都市の指定を受けている。
東部の八溝山地、北部から西部にかけての那須連山・高原山・日光連山・帝釈山地・足尾山地の山岳地帯と、県中央部の那珂川・鬼怒川・渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。
- 東部の八溝山地は標高600~1,000mの阿武隈山地に続く比較的なだらかな山地が連なる。
- 北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園に指定されており、日光・鬼怒川・川治・塩原・那須などの観光地がある。
- 特に北部は、奥羽山脈(那須火山帯)に連なる那須連山・高原・男体・日光白根山などの諸火山がある。日光連山他のけわしい山岳地帯は、標高2,000m以上の山脈が関東の北限を形成し、瀑布や湖沼が点在している。また、諸河川の源にもなっており、鬼怒川は中央部を、渡良瀬川は群馬県との県境を流れ利根川に合流し、那珂川は八溝地域から東折し茨城県に入り、ともに太平洋に注いでいる。
[編集] 自然公園
[編集] 歴史
[編集] 先土器~平安時代
- 古墳時代、毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川、鬼怒川は当時下野国~下総国と流れ現在の土浦市南方で香取海(銚子で太平洋に繋がる内海)に注ぐ大河であったが、江戸時代の利根川東遷事業より後は利根川に注ぐ川へと変更された)流域一帯には毛野国が成立しており、ヤマト王権において毛野国は筑紫、出雲、吉備などと並び強大な発言力を有していたと言われる。
- 古代・邪馬台国の時代(神代)には毛人が住む地域であったと解されるのが一般的であるが、その後、第10代天皇で真の意味でのヤマト王権の初代開祖とも言われる崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命が父の命でこの地に入って毛野国を建国し、その後毛野国の有力豪族となった毛野氏の祖となり、ヤマト王権において有力豪族の一角をなした。毛野国は奈良時代には上毛野(上野)国と下毛野(下野)国に分国されたと言われるが、毛野川は上野国を流れておらず、上野国を流れるのは利根川(古来は東京湾に注いでいたが利根川東遷事業の後は銚子で太平洋に注ぐ川へと変更された)であることを鑑みると、この説も定かではない。
- 国造は下毛野君である。大和朝廷は701年に律令を定める(大宝律令)が、これに先じて朝廷は下毛野国から下毛野古麻呂を呼び、古麻呂は藤原不比等とともにその編纂に深く関わった。
- 栃木県の県庁所在地である宇都宮市の名称は二荒山神社の別号宇都宮大明神に由来し、宇都宮の歴史は即ち出雲神を祀る当神社の歴史と言える。この神社は毛野国の開祖である豊城入彦命を祀る。創祀は命の曾孫である奈良別君と言われるが、この時既にこの地には豊城入彦命によって国土開拓の祖神・大物主命が祀られていたと言われており、西暦200年代、遅くても300年代(社伝では仁徳天皇41年、西暦353年=奈良別君の時代)には成立していたと言われる。平安時代、当神社は延喜式神名帳に下野国唯一の一之宮名神大社(河内郡)とされ、下野国で最も由緒正しい格式ある神社と位置付けられていた。神社は国造下毛野氏の統治下にあって下毛野氏の血縁者が代々座主を務め、平安時代末期に藤原北家道兼流で毛野氏あるいは中原氏の流れを汲んだ宇都宮氏がその座を継いだと言われている。宇都宮氏は鎌倉時代以降22代500年に亘って鬼怒川流域一帯を統治し、小倉百人一首の成り立ち、宇都宮歌壇の成立、菩提寺・東勝寺の造営など当地の文化的素養の養生に尽力するとともに、また元寇の折には鎌倉幕府軍総大将として討伐に向かい、関東内の戦乱にあっては時の中央政府(鎌倉幕府、室町幕府、鎌倉府、関東管領等)の意向を受けてその鎮静に当たり、武門としても当時の関東地方の治安維持に貢献した。
- 宇都宮二荒山神社は宇都宮大明神と呼ばれ、古来からその武徳が尊ばれてきた。藤原北家魚名流・藤原秀郷(俵藤太,田原藤太)卿は、平将門の乱の折、その追討を命じられたが苦戦、当神社に参じて授かった霊剣をもって将門を制したと言われる。また藤原北家長家流・那須与一宗高は源平合戦屋島の戦いで「南無八幡大菩薩、日光権現、宇都宮、那須湯前大明神」と唱え、見事平家船上の扇の的を射落としたと言われる。また元寇の際には社殿から鏑矢が西へ飛び去ったという言い伝えがある。この他、源頼義、義家(八幡太郎)父子は前九年の役の前に参拝し、奥州安倍氏を掃討したといい、また源頼朝も奥州藤原氏平定に際して参拝したと言われる。徳川家康は当神社に広大な土地寄進を行ったと言われる。
- 下野国には11社(大社1、小社10)が延喜式神名帳に記されている。
- 一方、下毛野国と那須国は7世紀後半に統一されて下野国、すなわち栃木県の現在の形が作られた。下野国は9郡(足利郡、安蘇郡、梁田郡、都賀郡、河内郡、芳賀郡、那須郡、寒川郡、塩谷郡)に分かれ、政治の中心として国府が置かれた。国府付近には、国分寺・国分尼寺・下野薬師寺がつくられ、都から伝えられた華やかな文化が栄えた。
- 日光開山の祖と知られる勝道上人は、下野薬師寺で5年間修行した後、二荒(男体)山頂を目指して日光に入り、766年対岸に輪王寺の起こりとされる四本龍寺を建立、日光山を開いた。782年には、3度目の試みで山頂に達し、その後、神宮寺(現在の中善寺)や二荒山神社を建立、日光1200年の原点を築いた。「日光」という地名は二荒(ふたら)を音読した「にこう」に佳字をあてたものであるという説がある。
[編集] 鎌倉~江戸時代
- 鎌倉幕府が成立すると、足利・小山・宇都宮・那須などの下野諸氏は鎌倉御家人となり活躍した。
- 小山氏は藤原北家魚名流・藤原秀郷の後裔と言われ、武家として鎌倉時代には下野国の守護を務める家柄であったが、室町時代初期、小山義政が下野国国司・宇都宮氏を攻略し宇都宮基綱を戦死させたため、鎌倉府・関東管領によって討伐された。
- 結城氏は小山氏の庶流であり、主家・小山氏が鎌倉府によって討伐されると小山氏を継いだ。小山氏・結城氏は室町時代には室町幕府に抵抗して鎌倉を追われた古河公方に組して下野守護に再任された。足利氏の力が弱まると関東に台頭してきた後北条氏方に就くが、主家・小山氏は後北条氏に追討されてしまう。豊臣秀吉によって後北条氏が討たれると結城氏が旧小山氏領を支配したが、江戸時代になると間もなく福井へ転封され、氏姓も松平氏に改めてこの地を去った。
- 藤原北家道兼流で毛野氏(あるいは中原氏)の流れを汲む関東の名門・宇都宮氏は、宇都宮二荒山神社(宇都宮大明神)の神職者として関東の治安維持に貢献した。鎌倉時代、元が九州に攻め寄せると、これを鎮めるべく鎌倉軍総大将として征西しこれを防いだ。室町時代、足利尊氏を助け下野・上野・越後守護を務め、関東管領・上杉氏に引き継ぎ、その上杉氏を討って関東を争乱に陥れた鎌倉公方・足利持氏を室町幕府の意向を受けて牽制した。戦国時代、後北条氏が台頭すると常陸国の佐竹氏とともにこれを牽制した。しかし豊臣秀吉によって後北条氏が滅びると、その秀吉が東国勢力の自領化を進め、宇都宮氏は備前国へ配流されてこの地を去った。
- 代々宇都宮氏の重臣を務め、また宇都宮氏と姻戚関係にもあった紀清両党の益子氏および芳賀氏は宇都宮宗家がこの地を去った後もこの地に留まり、宇都宮氏が築いた文化を伝承したと言われる。なお、益子の西明寺には宇都宮氏墓所があり、現在も守られている。また宇都宮貞綱が亡母の供養に鋳造した鉄製塔婆を保存する清巌寺は清原氏(清党)芳賀氏が建立したものである。
- 足利荘に本拠を置いた清和源氏義家流・足利氏は鎌倉北条氏に仕えるが、足利尊氏の代に後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉幕府の討幕運動に参加する。尊氏は後醍醐天皇の建武の新政からは離反し、北朝を建てて幕府を開き、室町時代には足利将軍家となる。足利学校は「坂東の大学」として宣教師によってヨーロッパにまで隆盛の様子が伝えられている。
- 藤原北家長家流・那須氏は那珂川流域に安定した地域を形成し、関東では珍しく戦国時代・江戸時代・明治時代を乗り切り、現在もこの地に家名を継いでいる。那須与一宗高を生む。
- 清和源氏義家流・新田氏流を名乗ることに成功した徳川家康が江戸の地に徳川幕府を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、天領や旗本領に細分化されて徳川家の譜代大名や旗本が支配するようになった。日光は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。
- 二宮尊徳は、近世後期の荒廃した農村のたて直しを図るため、桜町(現在の二宮町)の旗本領の復興につとめ、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。
[編集] 幕末~近・現代
画像:栃木県旧本庁舎.jpg
栃木県庁 旧本庁舎(宇都宮市)
- 戊辰戦争では宇都宮など北関東における戦役の舞台となり、明治維新を迎えると政府は、中央集権をおし進めるため1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)に廃藩置県を断行、旧来の封建支配の一掃を図った。その後、全国的な府県の再編が行われ、同年12月25日(旧暦11月14日)、下野国北部に宇都宮県が、また下野国南部に上野国南東部を加えて栃木県が設置された。両県の管轄区域および県庁所在地は以下の通りである。
- 1873年(明治6年)6月15日に宇都宮県と栃木県が合併して今日の栃木県が成立、県庁が栃木町に置かれた。
- 1876年(明治9年)に上野国内3郡が熊谷県の北半部(上野国内)と合併して群馬県の一部となり、ほぼ現在と同じ県域となった。
- 1884年(明治17年)、栃木県という呼称のまま、県庁が宇都宮町に移された。
[編集] 人口
[編集] 年齢構成
年齢5歳階級別人口
平成15年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
| 年齢 | 人口 |
|---|---|
| 0~4歳 | 画像:g50.png画像:g05.png画像:g03.png 94 |
| 5~9 | 画像:g50.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 96 |
| 10~14 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g01.png画像:g01.png 100 |
| 15~19 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g01.png画像:g01.png 117 |
| 20~24 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g01.png画像:g01.png 117 |
| 25~29 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g05.png 138 |
| 30~34 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g10.png画像:g01.png 148 |
| 35~39 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 129 |
| 40~44 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png 127 |
| 45~49 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g05.png 138 |
| 50~54 | 画像:g100.png画像:g05.png 170 |
| 55~59 | 画像:g50.png画像:g30.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 144 |
| 60~64 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g10.png画像:g05.png 122 |
| 65~69 | 画像:g50.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g01.png 108 |
| 70~74 | 画像:g50.png画像:g10.png 97 |
| 75~79 | 画像:g30.png画像:g10.png画像:g05.png画像:g03.png画像:g01.png 80 |
| 80歳以上 | 画像:g50.png画像:g03.png 87 |
年齢5歳階級別人口
平成15年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
- データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)
| 画像:demography09000.svg | |
| 栃木県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 栃木県の年齢・男女別人口分布図 |
■紫色は栃木県
■緑色は日本全国 | ■青色は男性
■赤色は女性 |
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |
[編集] 産業
[編集] 商業・工業
- 工業製品
- 日光・鬼怒川、那須地域では観光産業が盛ん。
[編集] 農林水産業
麻布用の大麻生産量は日本一である。
[編集] 国際友好提携・交流関係
- 画像:Flag of the People's Republic of China.svg 浙江省(中華人民共和国)
- 1986年 両県省に窓口設置
- 1989年6月 友好交流に関する協定書を締結
- 1993年10月13日 友好提携協定書に調印、正式な友好県省提携樹立
- [[画像:Template:country flag alias France|22x20px|Template:country alias Franceの旗]] ヴォクリューズ県(フランス) - 1988年 交流事業開始
-
アメリカ合衆国インディアナ州 - 1999年7月16日 姉妹提携締結
[編集] 地域
[編集] 都市圏
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
| 1980年 | 新 | 1990年 | 1995年 | 2000年 |
|---|---|---|---|---|
| 宇都宮都市圏 54万7545人 | 東 北 新 幹 線 開 業 82 年 大 宮 85 年 上 野 91 年 東 京 | 宇都宮都市圏 80万0459人 | 宇都宮都市圏 85万9178人 | 宇都宮都市圏 88万8005人 |
| 鹿沼都市圏 9万5999人 | ||||
| 今市都市圏 5万0423人 | ||||
| 日光都市圏 2万3885人 | - | |||
| 小山都市圏 19万0194人 | 小山都市圏 20万9818人 | 小山都市圏 23万9249人 | 小山都市圏 24万5698人 | |
| 足利都市圏 16万5753人 | 足利都市圏 16万7615人 | 足利都市圏 16万5588人 | 足利都市圏 16万3066人 | |
| 佐野都市圏 14万2411人 | 佐野都市圏 14万7663人 | 佐野都市圏 14万7842人 | 佐野都市圏 14万5194人 | |
| 栃木都市圏 12万9963人 | 栃木都市圏 13万4946人 | 栃木都市圏 13万4676人 | 栃木都市圏 13万3058人 | |
| 大田原都市圏 10万0083人 | 大田原都市圏 11万1945人 | 大田原都市圏 11万6708人 | 大田原都市圏 12万2127人 | |
| 真岡都市圏 9万2065人 | 真岡都市圏 10万3541人 | 真岡都市圏 10万5897人 | 真岡都市圏 10万7175人 | |
| 黒磯都市圏 7万3363人 | 黒磯都市圏 7万9014人 | 黒磯都市圏 8万3023人 | 黒磯都市圏 8万5713人 | |
| - | 矢板都市圏 3万5585人 | 矢板都市圏 3万6650人 | 矢板都市圏 3万6444人 |
- ※包含されてしまった都市雇用圏は灰色、都市雇用圏が成立していない場合は、灰色且つ「-」で示す。
- ※東北新幹線・那須塩原駅は、大田原と黒磯との中間。
[編集] 地域圏
従来、10の広域市町村圏に区分されていたが、平成の大合併の影響で、栃木地区と小山地区を合わせて現在は9つの圏域に区分されている(地図)。
- 那須地区
- 日光地区
- 塩谷地区
- 南那須地区
- 宇都宮地区
- 鹿沼地区
- 芳賀地区
- 栃木・小山地区
- 両毛地区
以下の14市6郡17町がある。町は「ちょう」ではなくすべて「まち」と読む。
[編集] 平成の大合併
- 2005年1月1日 - 黒磯市、西那須野町、塩原町が合併し、那須塩原市に。
- 2005年2月28日 - 佐野市旧自治体、田沼町、葛生町が合併し、佐野市に。
- 2005年3月28日 - 氏家町、喜連川町が合併し、さくら市に。
- 2005年10月1日
- 2006年1月1日 - 鹿沼市に粟野町が編入。
- 2006年1月10日 - 国分寺町、石橋町、南河内町が合併し、下野市に。
- 2006年3月20日 - 日光市旧自治体、今市市、旧藤原町、旧足尾町、旧栗山村が合併し、日光市になったが、新日光市役所は旧今市市役所。
- 2007年3月31日 - 宇都宮市に上河内町、河内町が編入。
[編集] その他の地域区分例
- 県北、県南の2大区分-参議院選などの地区割り
- 県北、県央、県南の3大区分
- 県北、県東、県西、県央、県南の5大区分
- 塩那地区、安足地区、宇河地区などの分類
- 那須ナンバー(ご当地ナンバー)、宇都宮ナンバー、とちぎナンバー