群馬県
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| 群馬県のデータ | |
| 画像:Map of Japan with highlight on 10 Gunma 群馬県.svg | |
| 自治体コード | 10000-5 |
| 面積 | 6,363.16 km² 全国第21位 |
| 総人口 | 2,024,044人 (2005年10月1日:全国第19位) |
| 総世帯 | 725,744世帯 (2005年10月1日) |
| 県民の日 | 10月28日 |
| 知事 | 小寺 弘之 (こでら ひろゆき) |
| ISO 3166-2 | JP-010 |
| 群馬県の花 | レンゲツツジ |
| 群馬県の木 | クロマツ |
| 群馬県の鳥 | ヤマドリ |
| 群馬県の魚 | アユ |
| 群馬県の歌 | 群馬県の歌 |
| 群馬県庁 | |
| 所在地 | 〒371-8570 |
| 群馬県前橋市大手町一丁目1番1号 | |
| 電話番号 | 027-223-1111 |
| 外部リンク | 群馬県庁 |
| 市町村境界図 | |
| 隣接都道府県 | 長野県、新潟県、 栃木県、埼玉県、福島県 |
群馬県(ぐんまけん)は、日本の都道府県の一つで、関東地方北部に位置する。県庁所在地は前橋市。
上代においては栃木県域とともに「毛野国」(毛の国)を形成し、これを上下に分かち「上毛野国(かみつけぬのくに)」とされ、のちに上野国となる。現在の県域はほぼ上野国と一致し、今でも異称として「上州(じょうしゅう)」「上毛(じょうもう、かみつけ)」を用いることがある。県名は、藤原京木簡では「車」の一字で表記されていたが、奈良時代の初めに全国の群や郷の名を二文字の好字で表記する事となり「車(くるま)」を「群馬」と書くようになったことに由来する。この地方が古くから馬に関係あったことはよく知られている。「空っ風」「雷」「カカア天下」が名物。海洋国家である日本において、内陸側に位置する数少ない県である。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 位置
しかし、野反湖と尾瀬の水は日本海へ注ぎ、関東地方で日本海側河川の集水域になっているのは群馬県だけである。
余談だが、県の形が羽を広げた鶴のように見えるため、上毛かるたでは「鶴舞う形の群馬県」という札がある。
[編集] 自然公園
[編集] 地勢
北部は赤城山、谷川岳などの山があり、冬季は降雪量が多い。 南部は関東平野の北端にあたり、前橋市や高崎市など、県の中心の施設があり、伊勢崎市は絣で、桐生市は織物である。また、太田市は富士重工業の工場があり、高崎市とともに工業都市として有名である。食物は下仁田町のねぎ、嬬恋村のキャベツ、富岡市や下仁田町のこんにゃく、館林市と渋川市伊香保町水沢地区(旧・伊香保町)のうどんなどが有名である。
県域の多くが山間部であるため県の人口の7割ほどが南部に集中している。
[編集] 歴史
岩宿遺跡を始め旧石器時代の遺跡が多い。上毛野国(かみつけぬのくに)は古代東国の一大中心地で、4世紀前半から前方後円墳が出現した。前橋天神山古墳、朝子塚古墳(太田市)、浅間山古墳(高崎市)、太田天神山古墳など東日本最大規模の古墳が築かれた。 また、太田市飯塚町にて埴輪挂甲の武人(はにわ けいこうのぶじん)が出土され、国宝に指定されている。
律令制の下では東山道上野国で、国府の所在地は現在の前橋市元総社町付近であったと推定されている。延喜式神名帳に記載される名神大社としては後に一ノ宮となった貫前神社(富岡市)や赤城神社(前橋市、富士見町に論社3社)、伊香保神社(伊香保町)があり、吉井町の辛科神社は渡来系の神社として知られている。このあたりには古くから渡来人が多かったようで、8世紀始めに甘楽、緑野、片岡各郡から6郷を割き、多胡郡が成立した。多胡郡建郡を記念する多胡碑など上野三碑が古代の金石文として知られる。
中世には鎌倉御家人となった上州武士も多かった。新田義貞が足利尊氏とともに後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政にも参画した。
江戸時代初期には東国の北の守りとして主に譜代大名が上州に配置され、前橋藩、高崎藩、沼田藩、館林藩などがあった。
江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地となった。 上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得る事が出来たからである。これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧である。いわゆる「かかあ天下と空っ風」である。養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っている。民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ評価が高い。往々にして写真美術の題材になるなど養蚕業の深奥は未だに尽きるところがない。 養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展を促しておりこれを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立された。
第二次大戦中には疎開地として多くの民衆・企業を受け入れた。軍需工場が集中する高崎市街地、前橋市街地、伊勢崎市街地、桐生市街地、中島飛行機太田工場、小泉工場はそれ故に米軍による市街地空襲の標的となり、その内、高崎市、前橋市、伊勢崎市、太田町(現:太田市)の市街地は甚大な被害を受けた(桐生市はほとんど被害なし)。戦後はこれまでの平野部の農業、工業製造業も復活したが、娯楽民生に技術を転用した好例として遊技機(パチンコ機パチスロ機)の製造販売が盛んである。製造業の系譜は途切れることなくまた女性の社会参加も同様である。県民の一世帯あたりの自家乗用車保有台数は全国でも首位を争うほどである。一家に親世代子世代用の各乗用車に加え一定の労務に従事する女性のための乗用車を用意しているのが各統計に見られる多くの姿である。
政治的にも首都圏にありながら保守土着の性質が未だに残り、当選回数を重ねて首班指名を受けるという現代保守政治の手続に忠実な意識である。このため戦後には福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三,福田康夫と4人の総理大臣を輩出している。
[編集] 主要年表
[編集] 古代
- 708年 (和銅元年)多胡郡新設
- 766年(天平神護2年)上野国内の新羅人193人に吉井連の姓を賜う
- 811年 (弘仁2年)上野国を中国から大国に昇格させる
- 826年 (天長3年)上野国を親王任国とする。(上野太守は葛井親王)
- 939年 (天慶2年)平将門、上野国府を襲う
- 1108年(天仁元年)7月21日 浅間山噴火
[編集] 中世
- 1333年(正慶2年)新田義貞上野国で挙兵、鎌倉攻略
- 1336年(建武3年)足利軍、新田軍を破り、上野国制圧
- 1438年(永享10年)関東管領上杉憲実、鎌倉公方足利持氏と対立し、平井城に退去
- 1560年(永禄3年)長尾景虎、関東管領上杉憲政の要請により上野国へ出兵
- 1590年(天正18年)徳川家康、関東入部。徳川家臣、上野入国(江戸の北の守りとして譜代大名が多い)
[編集] 近世
- 1601年(慶長6年)譜代大名酒井氏、前橋藩主となる。
- 1603年(慶長8年)浅間山大噴火
- 1614年(慶長19年)徳川家康、大光院を建立する。
- 1616年(元和2年)大渡、真正、福島、五料に関所を設置。
- 1620年(元和6年)イエズス会宣教師フェルナンデス、沼田城下で伝道
- 1631年(寛永8年)白井、大戸、猿ヶ京に関所を設置。
- 1649年(慶安2年)厩橋を前橋と改名する。
- 1661年(寛文元年)徳川綱吉、館林藩主となる。
- 1669年(寛文9年)岡上景能、岡登用水を開く。
- 1680年(延宝8年)徳川綱吉、幕府第5代将軍となる。
- 1767年(明和4年)前橋城崩壊、前橋藩は川越に移城。
- 1783年(天明3年)浅間山大噴火
- 1850年(嘉永3年)国定忠治処刑
- 1866年(慶應2年)上州世直し一揆
- 1867年(慶應3年)前橋藩主 松平直克、川越城から再築された前橋城へ帰城。
- 1868年(慶應4年)上州諸藩、会津藩と戦う。
[編集] 明治
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)
- 1873年(明治6年)6月15日 入間県と合併し熊谷県となる。県庁は熊谷に置かれる。
- 1876年(明治9年)
- 4月~8月 第二次府県統合(3府35県1使1藩)
- 8月21日 第二次群馬県成立(熊谷県を廃止し、第一次群馬県域と栃木県の山田郡、新田郡、邑楽郡域を統合する。現在の群馬県の形に近くなる)。県庁が再び高崎に置かれる。
- 1881年(明治14年)太政官布告で群馬県庁の所在地を高崎から前橋に改定。
- 1884年(明治17年)
- 1885年(明治18年)10月15日 高崎駅~横川駅間鉄道開通(現:信越本線)。
- 1888年(明治21年)11月15日 両毛鉄道足利駅~桐生駅間開業。
- 1889年(明治22年)
- 1892年(明治25年)4月1日 東群馬郡前橋町が関東で4番目に市制施行し、前橋市誕生。人口は約3万2,000人。
- 1893年(明治26年)4月1日 横川駅~軽井沢駅間鉄道開通。
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)
- 1900年(明治33年)
- 1903年4月23日 東武鉄道伊勢崎線加須駅~川俣駅間開通。当時の川俣駅は利根川右岸の埼玉県側にあった。
- 1907年(明治40年)8月27日 東武鉄道伊勢崎線川俣駅~足利町駅(現:足利市駅)間開業。川俣駅移転。館林町に館林駅開業。
- 1909年(明治42年)2月17日 東武鉄道伊勢崎線足利町駅~太田駅間開業。
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)4月15日 足尾鉄道下新田連絡所~大間々町駅(現:大間々駅)間開業。(桐生駅~下新田連絡所間は、官設鉄道両毛線を借用)
[編集] 大正
- 1912年(大正元年)
- 1913年(大正2年)
- 1914年(大正3年)
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年) スペイン風邪流行、死者766人。
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)3月4日 中原鉄道が上州鉄道と改称する。
- 1924年(大正13年)3月31日 上越南線渋川駅~沼田駅間開業。
- 1926年(大正15年)11月20日 上越南線沼田駅~後閑駅間開業。
[編集] 昭和
- 1927年(昭和2年) 4月1日 高崎市に群馬郡塚沢村、片岡村が編入される。
- 1928年(昭和3年)
- 1931年(昭和6年) 中島飛行機株式会社設立
- 1932年(昭和7年) 3月18日 東武鉄道桐生線相老駅~新大間々駅(現:赤城駅)間開業。
- 1933年(昭和8年) 4月1日 桐生市に山田郡境野村が編入される。人口は約7万5,000人。
- 1934年(昭和9年) 陸軍特別大演習
- 1937年(昭和12年)
- 1939年(昭和14年) 10月1日 高崎市に群馬郡佐野村が編入される。
- 1940年(昭和15年) 9月13日 佐波郡伊勢崎町、殖蓮村、茂呂村が新設合併、市制施行し、伊勢崎市誕生。県内4番目の市となる。
- 1941年(昭和16年) 6月1日 東武鉄道小泉線太田駅~小泉町駅間が開業。
- 1943年(昭和18年) 11月1日 新田郡太田町に新田郡鳥之郷村が編入される。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年) 第一回公選知事選挙
- 1948年(昭和23年) 5月3日 新田郡太田町が市制施行し、太田市誕生。人口は約4万9,000人。県内5番目の市となる。
- 1949年(昭和24年) 10月1日 群馬郡から北群馬郡が分立する。
- 1950年(昭和25年) 4月1日 北甘楽郡が甘楽郡と改称する。
- 1951年(昭和26年)
- 1953年(昭和28年) 10月14日 群馬大橋開通。
- 1954年(昭和29年)
- 4月1日
- 前橋市に勢多郡上川淵村、下川淵村、芳賀村、桂萱村、群馬郡東村、元総社村、総社町が編入される。人口は約15万2,000人。
- 利根郡沼田町、利南村、池田村、薄根村、川田村が新設合併、市制施行し、沼田市誕生。人口は約4万3,000人。
- 邑楽郡館林町、郷谷村、大島村、赤羽村、六郷村、三野谷村、多々良村、渡瀬村が新設合併、市制施行し、館林市誕生。
- 北群馬郡渋川町、金島村、古巻村、豊秋村が新設合併、市制施行し、渋川市誕生。人口は約3万9,000人。
- 多野郡藤岡町、神流村、小野村、美土里村、美九里村が新設合併、市制施行し、藤岡市誕生。人口は約4万2,000人。
- 甘楽郡富岡町に黒岩村、一ノ宮町、高瀬村、額部村、小野村が編入、市制施行し、富岡市誕生。人口は約3万8,000人。
- 9月1日 前橋市に勢多郡南橘村が編入される。人口は約16万4,000人。
- 10月1日
- 4月1日
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年) 2月1日 吾妻郡原町が「吾妻町」と改称する。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年) ダイハツ前橋製作所設立
- 1962年(昭和37年) 陸上自衛隊第12師団司令部、相馬が原に設置
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年) 9月1日 高崎市に群馬郡群南村が編入される。人口は約17万人。
- 1967年(昭和42年) 5月1日 前橋市に勢多郡城南村が編入される。人口は約22万人。
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年) 女性8人を誘拐殺人した大久保清事件起こる
- 1974年(昭和49年)10月17日 県立近代美術館開館。県立群馬の森開園。
- 1976年(昭和51年) 福田赳夫、内閣総理大臣就任
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1月 あかぎ国体冬季大会
- 9月 あかぎ国体夏季大会
- 1985年(昭和60年)
- 8月12日 日本航空123便墜落事故(高天原山)。
- 10月28日 群馬県民の日制定。
- 1986年(昭和61年)
- 10月1日 佐波郡赤堀村が町制施行し赤堀町誕生。(現:伊勢崎市)