日本

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日本国

Japan

日本国の地図
建国 紀元前660年2月11日
公用語 日本語
首都 東京
天皇 明仁
内閣総理大臣(首相) 福田康夫
面積 377,835km²
人口 127,767,944人
GDP(自国通貨表示) 504兆9,180億円
GDP(MER) 4兆9911億ドル
国歌 君が代
国際電話番号 81

日本国(にっぽんこく・にほんこく)、通称日本は、ユーラシア大陸東端の日本列島を主な領土とする東アジア島国である。

目次

[編集] 概要

日本は、第二次世界大戦後に成立した日本国憲法を最高規範として、司法・行政・立法の三権が分立する(三権分立法治国家である。日本の国家理念ともいうべき立憲主義は、国民主権、それに基づく基本的人権の尊重、平和主義、の三つの柱を基調としている。日本国の国家元首について法的に明確な定めはなく、天皇と首相の外国訪問などの際には、ともに国家元首に相当する扱いを受けているのが現状である(列席する場合は儀礼上に天皇が上席)。日本国憲法は天皇を日本国と日本国民統合の象徴とする[1]

日本の経済力はGDPMER: ドル時価換算)で世界第2位に位置している。典型的な工業国である。日本は、1975年の第一回先進国首脳会議からG8(当時はG6)の一翼を担い、世界経済に強い影響力をもち、国際社会における経済支援等において担う役割と責任も大きい。

民族的には日本人(日本民族、大和民族、和人)がほとんどだが、日本国内に存在する他の少数民族としては、以下のものが挙げられる。

東アジア出身者を中心に、日本以外の国籍の人々が帰化する例も見られる。また日本を離れて外国に居住した日系人なども南北アメリカを中心に見られる。国籍を取得していない者も多い。

使用言語はほぼ完全に日本語であり、慣習法として日本語が公用語になっている。

地勢的には、島国であり、海上交易・漁業ともに盛んな海洋国家でもあり、地政学上は典型的なシーパワーに分類される。内海をふくむ領海排他的経済水域などの水域面積は約447万平方キロメートルであり、これは国土面積の11.7倍である[2]

位置はユーラシア大陸の東端に位置する台湾の東方にある与那国島から北海道までを領土としており、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国(日本国は承認していない)、ロシア連邦と接し(ロシアとは日本海以外にオホーツク海をもはさんで接している)、東シナ海をはさんで中華人民共和国中華民国(日本国は承認していない)。などと接している。また、南方にはパラオ、小笠原諸島の延長線上にミクロネシア北マリアナ諸島)がある。太平洋をはさんでアメリカ大陸がある。

[編集] 国名

国号(正式名称)には通常「日本国」が用いられる。但し法文で規定されたものではない。「日本」の国号が成立する以前は対外的には「倭国」または「倭」と書かれ、国内的には「やまと」と読まれた。さらに古くは実に多様な名があったらしく、「大和」、「葦原中国」または「豊葦原千五百秋瑞穂国」、「中国」、「豊葦原中津国」、「豊秋津島」、「大八洲」、「磯輪上秀真国」、「細矛千足国」、「玉垣内津国」、等さらに多くの別名があった。漢文由来の異称も、中国大陸の扶桑蓬莱伝説に準えた「扶桑」、「蓬莱」という呼び方をはじめとして、「東海姫氏国」、「阿母郷」、「日下」、そのほか多様である。対外的にももっとも一般的な通称だった「倭国」は、7世紀頃に「日本」と改名されたと考える説が有力である(異説もある)が、当時は国内での読み方は「倭」でも「日本」でも、ともに「やまと」であり、国内的には表記の変更にすぎなかったと考えられる(「日本」という名詞は、正式国名として採用される以前には、「扶桑」、「蓬莱」、「東海姫氏国」、「阿母郷」、「日下」、などと同様の語だった)。「ひのもと」という読み方は後に起こった。「皇朝」はもともとは中原王朝の天子の王朝をさす漢語であるが、日本では天皇王朝をさす漢文的表現として使われ、国学者はこれを「すめみかど」または「すめらみかど」等と訓読した。「神國」、「皇國」、「神州」、「天朝」、「天子國」(國は国の旧字体)などは雅語(美称)としての「皇朝」の言い替えであって、国名・国号というようなものではない。「本朝」は「我が国」というような意味であってこれも国名ではない。江戸時代儒学者などは日本をさして「中華」、「中原」、「中朝」、「中域」、「中國」などと書くことがあったがこれも国名ではない。「大日本」と大とつけるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字をつけて天子の王朝であることを示す中国の習慣からきている(「有漢、皇魏、聖晋、大宋、大清、大韓」等)。しかし、「おおやまと」と読む場合はそれとは関係ない古称の一つである。「帝國」は、もとは「神國、皇國、神州」と同様であったが、近代以後は"empire"の訳語として使われる。古代においては王国を束ねる盟主の意味があり、天子は一人であるとする中原王朝の反発を招いたほか、歴代中原王朝に属する朝鮮半島の王国もこれに抗議した。しかし本来は「山城国」など、日本六十六州の帝であり、主に中原王朝からの自立の意図でも用いられた。「帝国主義」の語はカール・マルクスの亡命先である19世紀の覇権国家・大英帝国の意味であり、日本をそのような超大国と解するのは誤解を伴う部分もある。明治時代から第二次世界大戦後までの国号は様々に変遷しており、従来の日本、日本国のほか大日本も用いられた。当時は単に「帝國」とも略称された。戦後は主に「日本」或いは「日本国」でほぼ統一されている。但し日本公式の印鑑である「国璽」には「大日本」の名称が使用されている。

国名の読み方には「にっぽん」と「にほん」の2通りの読み方がある。訓読みで「ひのもと」とも読む。[3]日本政府は正式な読み方を明確に定めていない。しかし、日本の紙幣切手スポーツ国際試合ユニフォームなどには「NIPPON」と描かれているように、公的な機関においては「にっぽん」と読ませる場合が多い。これは一説によると、ラテン語圏ではH音が発音されないため「ニオン」と呼ばれてしまうからという理由であるという。これには英語の語感が"nip on"に通じ甚だ印象が悪いことから「NIHON」にすべしとの意見もあるが、外国語の事情にあわせて自称を変更することには賛否両論があろう。現代では、スポーツの応援など元気をだす時、威勢をあげる時は「にっぽん」、詩的でやさしく穏やかな文脈では「にほん」というように、語感に応じて使い分けられる面もある。

「日本」の最初の用例は確実なものは決めがたい。『日本書紀』は「倭」を遡って「日本」に書き改めているからである。例えば『日本書紀』大化元年七月の条によって645年7月に高句麗百済の使者に示した詔の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」という語が最初とする見解もあるがこれにも疑問がある。語義としての「日本」は、有名な『隋書大業三年(607年)の「日出づる処の天子」が知られるが、この頃はまだ「日本」とはされていなかったことが逆に証明される。12世紀成立の朝鮮半島の史書『三国史記』「新羅本紀」文武王十年(670年)12月条に、「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」とあるがこれは新唐書からの拙速な孫引きにすぎず、史料的価値を低く見る説が有力である。

「日本」という国名が最初に公式に定められたのは、701年施行の『大宝律令』とされるが、条文法規に定められる以前、天武天皇の頃から使われてはいただろう。(「天皇」号の使用と「日本」号の使用は軌を同じくするとみられている(異説もある)。近年発掘された飛鳥池遺跡出土の天武六年(678年)銘の木簡から、この頃「天皇」号が既に使用されていることがわかっている。)また、734年には井真成の墓誌として中国大陸でも使用されている。

公式の英語表記は、Japan

なお、「日出ずる処」を各国語に訳した名詞句も「日本国」を示すものとして使用されている。例:(英語)"(the) land of (the) rising Sun"、(フランス語)"le pays du soleil levant"、(スペイン語)"El pais del sol naciente"。

[編集] 首都

詳細は日本の首都を参照

首都東京[4]世界最大の都市圏でもある。東京都を中心に神奈川県埼玉県千葉県などを含む都市圏人口は約3300万人。東京都特別区人口は約850万人である。東京には、皇居のほか、国家の最高機関国会内閣最高裁判所があり、政治・経済の中心地である。

ウィキペディア内で、一部の京都の賎民が「首都は京都である」などと主張している。詳しくは日本の首都参照。

[編集] 歴史

詳細は日本の歴史を参照。またアイヌ琉球地域に関して日本の領土になったのが明治以後であるためそれ以前の歴史には違いがあるので、各々の項を参照のこと。

[編集] 建国年と皇紀

日本書紀』には、辛酉年春正月庚辰1月1日)にカムヤマトイワレヒコ(和風号「神日本磐余彦火火出見天皇」の仮名の音。漢字の号は神武天皇)が即位したとあり、これを日本建国と位置づけているが、現代では歴史的事実を反映したものではないとの説が有力である[5]明治5年11月15日 (旧暦)1872年12月15日)に、西暦紀元前660年神武天皇即位紀元の皇紀元年とされ、明治6年(1873年)1月1日から使用された。

現代の日本では紀年法としてはグレゴリオ暦(西暦)もしくは元号が使われることが多く、皇紀はほとんど使用されていないが、一部の現行法上においては現在も効力を有しており、法律文書などには記載されている(明治31年勅令第90号・閏年ニ関スル件)。

なお、東北地方では、神武天皇に殺された長脛彦の兄安日彦が津軽に亡命したことをもって日本の建国としている(中尊寺文書、平泉雑記など)。

[編集] 国号の成立から現在まで

「日本」という国号が成立したのは701年前後と推定される。『隋書』、『旧唐書』、『新唐書』などに記された遣隋使の報告によれば、倭国と日本国は別の国であり、併合して日本国となった[6]平安時代の貴族の会話[要出典]の中で、日本国が中国に対して「日の本」すなわち東方にあることをもって日本としたと説明されており、畿内においては東方の飛鳥地方を日本(ひのもと)と呼び、更には朝廷から東方にある関東地方や東北地方を長らく「日本」と呼んでいたことからも、この説が妥当であるとする見解がある。ただし、景行期に東海地方以東の蝦夷の国を「日高見国」と呼んでいたことから反論も根強く、日本国号の起源について未だに定説は見られない。

朝廷は8世紀から拡大策に強め、東北の蝦夷や九州の隼人などを服従させることにより、徐々に拡大を続けた。これ以後の主な対外戦争には、白村江の戦い刀伊の入寇蒙古襲来応永の外寇文禄・慶長の役などがある。この間に「日本」と呼ばれる地理的領域は北上し、日本は東北沿岸から津軽、更には北海道東部のアイヌ部族の呼称として移動していった。またモンゴル帝国において、ようやく大和朝廷の対外的呼称が「日本」に固定されるようになり、権力者層に次第に日本意識・日本人意識が貫かれるようになった。18世紀になると、シャクシャインの乱ロシア帝国との接触で北方への関心が強まり、アイヌおよびロシアへの他者意識として日本観・日本人観が江戸の庶民に定着していった。これに応じて日本の指す領域は南下し、アイヌ居住地である蝦夷ガ島(北海道)以南が日本と意識されるようになった。19世紀になるとアメリカ合衆国始めヨーロッパ各国への他者意識として日本観・日本人観がいよいよ定着し、現代の日本観・日本人観にほぼ一致するようになった。

19世紀半ば以降、欧米列強国家形態に触発される形で、天皇を中心とした近代国家を創出しようという試みがおこり、朝廷幕府によって分割統治されていた時代が終焉、近代的な意味での「日本国」が成立した。明治維新と呼ばれる近代化政策を実行し、1871年廃藩置県と翌1872年琉球処分を通じて、ほぼ現在の領土が確定した。更に大日本帝国憲法を日本人自身の手で書き上げ、1889年に施行され、翌1890年二院制からなる議会政治を作り上げた。その後日清戦争に勝利し、日露戦争にも勝利してアジアの国家としてはじめて列強国と対等に戦い、西洋植民地主義の影響力を駆逐することに成功した。大正デモクラシーの時代には、自由な言論と、保守政党から社民主義政党共産党までの幅広い複数政党制も確立された。20世紀前半には台湾朝鮮半島を併合した。第一次世界大戦では連合国側として参戦、南洋諸島委任統治を行い、事実上の傀儡政権として満州国中国東北部)を通じて中国大陸の東部ほぼ全域へ支配圏を広げ、東南アジアのほぼ全域、一部太平洋諸国にその影響力を拡張した。その結果諸外国と決定的に対立、太平洋戦争(閣議決定では、支那事変(日中戦争)を含め対米英戦争を大東亜戦争と呼称すると決定した)へと発展した。

1945年第二次世界大戦に敗れ、東北アジアと太平洋で戦場になった国々、および日本において、多数の人々が犠牲になった。日本の軍隊はアジア太平洋の多くの地域で連合軍やゲリラとの戦いなどで軍民ともに多数の死傷者を出すことになった。日本の国土も首都東京を始め空爆により焦土と化した。また、この際、広島と長崎に無差別に原子爆弾が使用されており、人道的見地、医療的見地から様々な議論を呼んでいる。日本は、それまで拡大した領土の大半を失い、アメリカ合衆国を中心とする連合国軍の占領下に置かれた。

第二次世界大戦後の日本は、軍国主義の否定によって再出発した。その拠り所が日本国憲法である。日本国憲法は1946年11月3日に大日本帝国憲法を改正する形で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のもとに公布され、1947年5月3日施行された。日本国憲法では、天皇を国の統合の象徴とすることや主権が国民にある立憲民主制国家として再生させること及び、紛争の解決手段としての戦力の保持および交戦権を放棄することなどが示され、国号も日本国と改めた。

1950年に隣国朝鮮半島で、朝鮮戦争が勃発。GHQの指示により、警察予備隊(後の自衛隊)が設立され、事実上の再軍備の道を辿った。1951年サンフランシスコ平和条約を締結し、日本と連合国は講和。1952年4月28日日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効により占領は終了し、独立を回復した。独立回復後の日本はその基本理念として一切の軍国主義を否定し、アメリカ合衆国とは同盟関係を結んだ。

1955年に、保守政党である日本民主党自由党が合同し55年体制のもとで長期安定政権を確立した。その後、日本は高度経済成長を迎え、経済は驚異的な勢いで発展した。東京オリンピック日本万国博覧会の開催は、戦後の日本が国際社会に復帰することの象徴にもなった。1968年1972年には日本の領土とされながらも、施政権を喪失していた小笠原諸島沖縄の施政権が米国から返還された。

現在では、発展途上国のための支援ODAなどを行い、世界の平和や相互理解に一定の役割を果たすまでになった。近年は先進国として国際紛争解決のために国連平和維持軍の一員として、日本が軍隊派遣をするかどうかが議論の対象となっている。しかし現在の日本国憲法下では軍事力の放棄が記されていることなどのため、自衛隊の派遣については日本国内で賛否が分かれている。現在は憲法改正の動きなども見られ、活発な議論が行われている。

1999年8月13日国旗及び国歌に関する法律(通称:国旗・国歌法)で、国旗日章旗(通称:日の丸)、国歌君が代と定められた。

[編集] 今後の課題

数々の異例の大躍進に支えられて現在の地位を確立した日本も、問題を抱えていないわけではない。急速に進む高齢化と出生率の低下は、かなりの部分を国民の技術に依存してきた国力を削ぎかねないとの意見がある。

また、2007年に各自治体の財源を襲うと言われている「団塊の世代」の大量退職に伴う退職金の支給問題や、若年層を中心に広がる所得格差、また依然として低いレベルにとどまっている国民全体のコンピューターのソフトウェア技術に対する分不相応の理解度は、すでに各所で問題を引き起こしつつあるとされており、インド中国の後塵を拝しつつあるとも言われる。

[編集] 民族

詳細は日本民族日本の民族問題日本の外国人を参照。

日本人の起源は、いわゆる縄文人弥生人を基調とし、古代には中華世界から「倭人」と呼ばれた人々が中心となっているとされているが、日本人の起源そのものについては諸説あり、定かではない。自称としては「和人」、あるいは近代的民族意識の下では「大和民族」とも言う。古代からの天皇を頂点とする近畿地方の朝廷と、中世以降における天皇を支配の正統原理として後ろ盾とする武家政権との、二重構造で成立していた中央政権の支配下に入った地域の住民が、固有の日本人とされる。

中世以降、沖縄(琉球)に成立し南西諸島の大半を支配下に置いた琉球王国、及び北海道・千島列島・樺太南部(蝦夷地)に居住したアイヌ(ウタリ)については、それぞれ「南の日本」、「北の日本」とも称される。これらの地域に住む人々は、弥生時代以降、「中の日本(主要な3島及びその周辺島嶼を指す)」とはやや異なる歴史を歩んだ経緯があり、固有のエスニシティを発達させた。ただ、元来、鎖国基調にあった、中の日本に対し、琉球は南方で、アイヌは北方でそれぞれ大陸勢力との接触・交流を担っていたという構造が背景にあり、中の日本は限られた窓口を通じての大陸勢力との直接接触を除くと、琉球、アイヌを通じて間接的に大陸勢力と接触していた側面が色濃い。 なおアイヌと共に樺太にいたウィルタニヴフは、樺太南部へのソビエト侵攻と占領後、北海道や本州へ移住した。今でもロシアに対して樺太南部の返還を求める声も僅かながらある。また小笠原諸島には19世紀初頭ハワイから植民団が入植し、ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーを形成したが、明治維新後日本領有が確定し、ヨーロッパ系、ハワイ系住民は順次日本国籍を取得し、日本人社会に溶け込んでいった。

アイヌ人は現在でも民族的・文化的独自性を保持し、二風谷ダム訴訟判決でも日本における先住性が確認された。またアイヌ文化振興法が制定され、アイヌ語やアイヌ文化の保持・発展に国も積極的な支援を行うこととなり、アイヌ語話者も少しずつ増えてきている。

また、明治維新以降、20世紀に入り、伝統的に大陸勢力とのつながりが深い朝鮮半島や台湾を併合し、さらに軍事的、政治的、経済的に激しく中国に食い込んでいったため、これらの地域の出身者も、日本国籍取得者(帰化者)、外国人登録者(永住者)の双方の形態で、比較的多数の住民として抱えていくことになった。

現在総人口の約1.5%が外国人登録者である。韓国籍、朝鮮籍、中国籍、台湾籍、ブラジル国籍、フィリピン国籍などが多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。韓国・朝鮮籍、及び中国籍については、戦前の旧日本領出身者及びその子孫が多く、最近では中国残留孤児や家族の永住帰国も多い。また最近の外国籍増加の背景には、1990年の入管法改正でブラジルなどに移民した日本人移民及び子孫の、日本での就労が自由化された事が大きい。

[編集] 地理

世界地図
世界地図

四つの大きな島、北海道本州四国九州と、、小笠原諸島南西諸島など周辺の小島からなる列島島弧)が、領土の中心をなす。全体的に弓形状になっており、全6,852島からなる面積は約37.8万km²(北方四島以外の千島列島、南樺太を除く)。領土の約70%が山であり、森林率も高い。周囲はすべて海であり、地上の国境線は実効支配領域においては無い。

現在、ロシアとの間に北方領土(南千島列島を主とする。北千島列島・南樺太も含む場合あり)、中国台湾との間に尖閣諸島韓国との間に竹島領有問題がある。尖閣諸島以外は相手国側が実効支配している。

周囲の海を大別すると、南側がフィリピン海、東側が太平洋、北西側が日本海、西側が東シナ海、北側がオホーツク海である。本州と四国の間の海は特に瀬戸内海と呼ばれる。沖合を暖流黒潮対馬海流寒流親潮リマン海流が流れる。

列島付近ではユーラシアプレート太平洋プレートフィリピン海プレート北米プレートがせめぎ合い、環太平洋造山帯火山帯地震帯と呼ばれる帯の一環をなしている。そのため地震が頻発し、世界全体で放出される地震エネルギーのうち1割から2割が日本周辺に集中すると言われている。そのため、震度1クラスや2クラスくらいの地震は日本のどこかで毎日のように起きている。また、火山活動が活発であった事から、火山性土壌が多く、これが日本列島の地味を豊かにした面もある。また温泉が多い事も火山のめぐみと言える。

[編集] 日本の範囲

最東端
東京都南鳥島(北緯24度16分59秒・東経153度59分11秒)
最西端
沖縄県与那国島西崎(北緯24度26分58秒・東経122度56分01秒)
正式な「日本の最○端」のなかで唯一、公共交通機関で誰でも自由に訪れることができる場所である。
最南端
東京都沖ノ鳥島(北緯20度25分31秒・東経136度04分11秒)
  • 人の住む最南端としては、沖縄県波照間島(北緯24度2分25秒・東経123度47分16秒)
最北端
北海道択捉島カモイワッカ岬(北緯45度33分28秒・東経148度45分14秒)

[編集] 気候

大半の地域は温帯に属する。南方の諸島は亜熱帯、北方は亜寒帯的気候を示す。海洋性気候だが、モンスーンの影響を受け、四季等寒暖の差は大きい。

冬季は、シベリア高気圧が優勢となり北西の季節風が吹くが、その通り道である日本海では暖流の対馬海流から大量の水蒸気が蒸発するため、大量の雪を降らせる。そのため日本海側を中心に国土の約52%が豪雪地域であり、世界でも有数の豪雪地帯となる。逆に太平洋側では空気が乾燥した晴天の日が多い。

夏季は、太平洋高気圧の影響が強く、高温多湿の日が続く。又、台風も多い。ただし、北部を中心にオホーツク海高気圧の影響が強くなると低温となり、しばしば農業に悪影響を与える。

また日本は、比較的降水量の多い地域でもある。主な要因は日本海側での冬季の降雪、6・7月(沖縄・奄美は5・6月)に前線が停滞して起こる梅雨、夏季から秋季にかけて南方海上から接近・上陸する台風など。

[編集] 地域・広域行政区画

詳細は日本の地域を参照。

日本は都道府県(1都1道2府43県)という広域行政区画から構成される。但し、地域区分(地方区分)には揺れが見られる。また、一部のなどは行政上は別途政令指定都市中核市特別区に定められているほか、各都道府県を、さらに細かく分けた市町村という行政単位や、町村をいくつかまとめたがある。北海道には独立出先機関として14の支庁が置かれている(全国市町村一覧参照)。

以下に、日本の地域(地方)と47都道府県を示す。地域(地方)は一般的なものを示した。太字は都道府県名で、左の数字は下の図の数字と対応している。

[編集] 北海道

[編集] 本州

[編集] 四国

[編集] 九州

[編集] 沖縄

日本の各都道府県の位置
日本の各都道府県の位置

[編集] 主要都市

東京を除く主要都市のうち、人口が200万人を超える都市は次の都市である。右側()内は1平方キロメートルあたりの人口密度。以下同様。

横浜は、東京のベッドタウン化に伴い人口が増加した。大阪は、終戦後の人口が約320万人であったが、郊外のベッドタウンの開発により減少した。名古屋は、中京圏の中核都市である。他に100万人を越える都市として札幌市仙台市さいたま市川崎市京都市神戸市広島市福岡市などが、かつて100万人を超える人口を擁した都市として北九州市がある。

Template:日本の都道府県庁所在地 Template:日本の政令指定都市 Template:日本の中核市 Template:日本の特例市

[編集] 人口

詳細は日本の人口統計都道府県の人口一覧を参照。

[編集] 年齢構成

近年、急速な少子化高齢化が進行しつつある。それに加えて、戦後のベビーブームで誕生した年齢層で人口の多い団塊の世代が相次いで定年を迎えるため(2007年問題と呼ばれる)、被扶養人口の爆発的増加が危惧されている。 Template:日本/5歳階級別人口

[編集] 地域別分布

日本の各地方の人口は次の通りである。

  • 首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、群馬県、栃木県、山梨県):約4024万人
  • 近畿圏(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県、三重県、福井県):約2475万人
  • 東海地方(愛知県、岐阜県、三重県、静岡県):約1493万人
  • 九州・沖縄地方(福岡県、大分県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県):約1478万人
  • 東北地方(宮城県、青森県、岩手県、秋田県、山形県、福島県):約974万人
  • 中国地方(広島県、岡山県、山口県、鳥取県、島根県):約770万人
  • 北陸・信越地方(新潟県、長野県、富山県、石川県):約697万人
  • 北海道(北海道):約566万人
  • 四国地方(香川県、愛媛県、高知県、徳島県):約413万人

日本には、100万人規模以上の人口を有する大都市が、各地方(四国地方を除く)に点在している。国民の多くはこれらの大都市、またはその周辺部で生活する。都市部は沿岸の平野部に集中し、国土の1割に人口の9割が住む。また、日本海側に比べて太平洋側に人口が集中している。中でも特に、東京を中心とした首都圏の人口は、日本の人口の約3分の1を占め、世界最大の都市圏を構成している。そのため、都心部では土地の値段が高騰化し、ドーナツ化現象などの問題も起きている。

人口が700万人を超える都道府県は次の通りである。

また、日本の政令指定都市の人口は次のとおりである。

なお、2007年4月1日より新潟市新潟県)と浜松市(静岡県)も政令指定都市となった。
  • 相模原市が藤野町等と合併後、政令指令都市を目指すと市長が表明した。すでに相模湖町等とは合併している。

一方で農漁村では、若い働き手が都市部へ移住してしまうため、過疎化高齢化が進行している。

[編集] 動植物

詳細は日本の動植物を参照。

国土が南北に長く、また森林限界を越える高山帯や広い海洋をもつこともあり、国土の面積の狭さに比べて、生息する動物植物の種類は豊富である。

日本は四方が海で囲まれているため、外部から新しい生物が侵入してくる可能性が低い。それに加え、多くの離島があるため、その島独自の生態系が維持されてきた土地が多数ある。特に小笠原諸島や、南西諸島は古くから本土と比べ孤立した生態系を築いてきたため、その島固有の動植物が多数生息している。殊に、小笠原諸島においては「東洋のガラパゴス」と呼ばれるほど特殊な生態系を持つ。そのため、その島の名前がその動植物につけられたものも多数ある(例:小笠原諸島のオガサワラトンボオガサワラノスリ。南西諸島のうち、八重山列島西表島に生息するイリオモテヤマネコなど)。

[編集] 哺乳類

哺乳類については日本の哺乳類を参照。

日本には100種強の哺乳類が生息し、そのうち固有種は3割を超え、7属が固有属である。日本の哺乳類相は、北海道本州の間にあるブラキストン線、また南西諸島のうち、トカラ列島奄美諸島の間にある渡瀬線で区切られており、これらを境に、異なる動物群が生息している。

大型哺乳類では、北海道のヒグマ、本州のツキノワグマニホンジカニホンカモシカなどがいる。

固有種であるニホンザルのうち、下北半島に住む個体群は、世界で最も北方に棲息するサルである。ニホンオオカミエゾオオカミニホンアシカ、および日本のラッコ個体群は絶滅。ニホンカワウソも絶滅の可能性が高い。日本犬日本猫は、都道府県によって様々な品種がある。

[編集] 鳥類

詳細は日本の鳥類日本の野鳥一覧を参照。

500種を越える鳥類が観察されている。

四周を海に囲まれるため、水鳥の種類は豊富である。南北に長い弧状列島は、渡り鳥の中継地としても重要である。また、シベリアで繁殖する鳥の越冬地やさらに南に渡る鳥の渡りの中継地点として重要であり、東南アジア等で越冬した鳥が繁殖する地でもある。このように日本列島は渡り鳥が豊富に行き交う位置にある。近年日本国内の渡り鳥の中継拠点となる干潟の乱開発による減少や、日本で繁殖する鳥の越冬地である東南アジアの森林環境の破壊が、日本で見られる鳥類の存続の脅威となっている。

日本の固有種メグロなどがある。国鳥キジ。日本のトキ個体群は絶滅。現在佐渡市で人工的に繁殖されているトキは、中国個体群から借り入れたものである。

人家の近くには、カラススズメハトツバメなどが生息し、古来日本文化の中で親しまれてきた。

[編集] は虫類・両生類

は虫類両生類はいずれも亜熱帯に種類が多く