東大寺
東大寺(とうだいじ,Tōdai-ji)は南都七大寺のひとつで、華厳宗の寺院である。正式名は「金光明四天王護国之寺」である。
概要[編集]
若草山麓に733年に創建された金鐘寺が起源という説がある。728年(神亀5年)9月、聖武天皇の皇子の基親王が薨去した。11月、基親王の菩提を追善するために山房造営を命じた[1][2]。家永三郎はこの山房が東大寺の前進の金鐘寺であるとの説を唱えた[3]。
別説として、741年(天平13年)の国分・国分尼寺建立の詔により国分寺として、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる説がある。740年(天平12年)2月、聖武天皇は、河内国知識寺に詣で『華厳経』の教えから、盧舎那大仏造立を強く願われ、743年(天平15年)10月15日に「盧舎那大仏造立の詔」を発した。747年(天平19年)から、大仏の鋳造が始まった。752年(天平勝宝四年)4月に「大仏開眼供養会」が行われた。大仏殿は758年(天平宝字2年)に竣工した。
建物群[編集]
南大門[編集]
国宝建造物である。南大門は南に面した正門で仏教寺院の正門である。天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊したため、鎌倉時代の1199年(正治元年)に再建された。入母屋造、五間三戸二重門で、下層は天井がなく腰屋根構造。日本国で最大の山門である。
法華堂[編集]
国宝建造物である。「三月堂」ともいう。寺伝によれば、東大寺創建以前の金鍾寺の遺構とされる。仏像群も天平時代のものである。「三月堂」ともよばれる。鎌倉時代に礼堂を入母屋造りに改築して2棟をつないだ。不空羂索観音を本尊として祀るための堂である。旧暦3月に法華会が行われる。
大仏殿[編集]
国宝建造物である。創建から2度にわたって焼失し、現在のものは1708年(宝永5年)に再建されたものである。平成24年に大仏殿内、廻廊、霊名所、授与所の照明装置を全てLED化し、消費電力は8分の1となった。
良弁堂(開山堂)[編集]
国宝建造物である。秘仏の良弁僧正像(国宝)が安置される。良弁が遷化した773年(宝亀4年)年から246年後に初めて御忌法要が行われたことから、この堂はその時に創建されたと考えられている。良弁は751年(天平勝宝4年)、東大寺の初代別当となり、聖武天皇、行基、菩提僊那とともに「四聖」と言われる。