銀座駅
銀座駅(ぎんざえき)は、東京都中央区銀座四丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。
目次
概要[編集]
銀座線・丸ノ内線・日比谷線の3路線が乗り入れている。各路線の駅番号は、銀座線がG 09、丸ノ内線がM 16、日比谷線がH 08である。銀座線の車内放送では「三越・松屋前」、日比谷線では「松屋・三越前」と案内される。丸ノ内線では副駅名は放送されない。
駅務管区所在駅。銀座駅務管区として銀座地域、新橋地域、東銀座地域を管理する。銀座地域は、当駅のみを管理している。
歴史[編集]
- 1934年(昭和9年)3月3日 - 松屋と三越の資金提供を受け、東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)の駅が開業。
- 1941年(昭和16年)9月1日 - 東京地下鉄道、路線を帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡。
- 1945年(昭和20年)1月27日 - 連合国軍機から投下された2000ポンド爆弾が直撃し、浅草方面行ホーム新橋側の天井の一部が瓦解。加えて水道管破裂により日本橋駅 - 新橋駅間のトンネルが水没し被害区間以外での折り返し運転となった。
- 1946年(昭和21年)1月 - 空襲を受けた区間の修復が完了し供用が再開された。
- 1957年(昭和32年)12月15日 - 営団地下鉄丸ノ内線(現・東京メトロ丸ノ内線)の西銀座駅が開業。銀座線銀座駅との乗り換え業務を開始。
- 1964年(昭和39年)8月29日 - 営団地下鉄日比谷線(現・東京メトロ日比谷線)の駅が開業。同時に丸ノ内線西銀座駅を銀座駅に改称し、銀座総合駅が誕生。
- 1971年(昭和46年)7月1日 - 営団では初となる駅冷房を開始(日本橋駅と同時)[1][2]。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 案内所を開設(日本橋駅と同時)[1]。
- 1993年(平成5年)11月4日 - 継続定期券発売機を導入[3][4]。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 営団地下鉄民営化により、当駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される。同時に案内サインシステムを更新[5]。
- 2005年(平成17年)10月 - 12月 - 案内表示を再更新[6]。
- 2008年(平成20年)3月23日 - 丸ノ内線ホームの可動式ホーム柵を稼働開始。
- 2012年(平成24年)10月31日 - 銀座線ホームに服部良一作曲「銀座カンカン娘」を発車メロディとして導入[7]。
駅構造[編集]
中央通り(銀座通り・国道15号)の地下に銀座線ホーム(テンプレート:ウィキ座標)、外堀通りの地下に丸ノ内線ホーム(テンプレート:ウィキ座標)、晴海通りの地下に日比谷線ホーム(テンプレート:ウィキ座標)がある。いずれも島式ホーム1面2線の構造である。
銀座線と丸ノ内線のホームは同一階層(地下2階)に、日比谷線のホームはそれらの1層下(地下3階)に位置している。日比谷線ホームまたは地下2階(ホーム直上)にある改札内連絡通路を経由することで、3路線は改札内で乗り換えが可能である。
丸ノ内線のホームが建設された当時は、銀座線のホームとは改札内で接続されず、西銀座駅という別個の駅として開業した。後に日比谷線の銀座駅が開業し、日比谷線ホームを介して銀座線と接続されたため、この時丸ノ内線の駅も銀座駅に改称し、銀座線・日比谷線の銀座駅と同一駅扱いになった。
日比谷線のホームは、元々戦前の東京地下鉄道時代に新宿方面への路線の駅として建設されていたものを、同線の建設にあたって改築の上、供用したものである。
なお、日比谷線のコンコース通路上に、東京地下鉄道の創業者・早川徳次の胸像がある。また、同じく日比谷線ホームの上層中央にはステンドグラス製の大型壁画が設置されている。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 銀座線 | 赤坂見附・渋谷方面 |
2 | 銀座線 | 上野・浅草方面 |
3 | 丸ノ内線 | 新宿・荻窪方面 |
4 | 丸ノ内線 | 大手町・池袋方面 |
5 | 日比谷線 | 霞ケ関・六本木・中目黒方面 |
6 | 日比谷線 | 上野・北千住・南栗橋方面 |
丸ノ内線荻窪方面の発車標は、更新前(液晶式)は先発列車のみの表示であったが、更新後(LED式)は次発列車も表示されるようになり、後に池袋方面にも増設された。
2007年9月から丸ノ内線ホームに可動式ホーム柵が設置された。しかし、車両とホームの隙間を調整する工事が必要となり、実際の稼働開始は2008年3月23日まで延期された。
利用状況[編集]
2013年度の一日平均乗降人員は245,300人である[* 1]。東京メトロの駅では池袋駅、北千住駅、大手町駅に次ぐ第4位であるが、この値には乗換人員を含まない。
- 東京メトロ線内の乗換人員を含んだ、2012年度の路線別1日平均乗降人員は以下のとおりで、3路線を合算した1日平均乗降人員は453,342人である[* 2]。
- 銀座線 - 154,609人
- 丸ノ内線 - 134,105人
- 日比谷線 - 164,628人
各年度の一日平均乗車人員は下表のとおり。
- 1967年度以前と1974年度以降は、各線とも東京メトロ線内の乗換人員を含まない。
年度別一日平均乗車人員(1956年 - 2000年)[編集]
年度 | 銀座線 | 丸ノ内線 | 日比谷線 |
---|---|---|---|
1956年(昭和31年) | 30,009 | 未開業 | 未開業 |
1957年(昭和32年) | 32.337 | [備考 1] 19,842 | |
1958年(昭和33年) | 33,067 | 26,332 | |
1959年(昭和34年) | 40,014 | 49,656 | |
1960年(昭和35年) | 40,665 | 54,082 | |
1961年(昭和36年) | 47.723 | 63,137 | |
1962年(昭和37年) | 45,469 | 69,400 | |
1963年(昭和38年) | 46,473 | 71,876 | |
1964年(昭和39年) | 40,171 | 76,718 | [備考 2] 18,809 |
1965年(昭和40年) | 38,467 | 70,979 | 22,520 |
1966年(昭和41年) | 34,190 | 70,493 | 23,202 |
1967年(昭和42年) | 37,953 | 76,058 | 29,160 |
1968年(昭和43年) | 77,644 | 119,042 | 90,285 |
1969年(昭和44年) | 87,395 | 129,239 | 96,181 |
1970年(昭和45年) | 93,901 | 135,088 | 100,063 |
1971年(昭和46年) | 100,044 | 125,874 | 102,743 |
1972年(昭和47年) | 99,238 | 127,567 | 105,290 |
1973年(昭和48年) | 98,937 | 119,381 | 105,816 |
1974年(昭和49年) | 140,301 | ||
1975年(昭和50年) | 173,459 | ||
1976年(昭和51年) | 59,578 | 63,929 | 47,447 |
1977年(昭和52年) | 60,701 | 63,471 | 48,518 |
1978年(昭和53年) | 60,093 | 60,655 | 46,036 |
1979年(昭和54年) | 60,678 | 59,899 | 45,107 |
1980年(昭和55年) | 64,534 | 55,474 | 44,038 |
1981年(昭和56年) | 64,389 | 56,200 | 44,444 |
1982年(昭和57年) | 64,734 | 56,164 | 45,014 |
1983年(昭和58年) | 65,333 | 56,068 | 46,484 |
1984年(昭和59年) | 66,986 | 59,811 | 48,121 |
1985年(昭和60年) | 66,485 | 60,710 | 48,137 |
1986年(昭和61年) | 67,373 | 60,559 | 49,630 |
1987年(昭和62年) | 67,426 | 60,721 | 49,831 |
1988年(昭和63年) | 67,288 | 60,052 | 50,055 |
1989年(平成元年) | 65,337 | 58,255 | 48,726 |
1990年(平成 | 2年)64,797 | 55,195 | 48,868 |
1991年(平成 | 3年)61,858 | 51,243 | 48,628 |
1992年(平成 | 4年)63,444 | 47,279 | 48,088 |
1993年(平成 | 5年)60,811 | 47,833 | 45,956 |
1994年(平成 | 6年)57,600 | 48,677 | 44,496 |
1995年(平成 | 7年)55,825 | 46,893 | 43,309 |
1996年(平成 | 8年)55,353 | 46,438 | 42,312 |
1997年(平成 | 9年)55,236 | 45,263 | 41,219 |
1998年(平成10年) | 55,658 | 45,036 | 41,027 |
1999年(平成11年) | 54,787 | 44,587 | 40,396 |
2000年(平成12年) | 54,570 | 43,592 | 39,542 |
年度別一日平均乗車人員(2001年以降)[編集]
年度 | 銀座線 | 丸ノ内線 | 日比谷線 |
---|---|---|---|
2001年(平成13年) | 54,959 | 43,200 | 39,427 |
2002年(平成14年) | 53,981 | 42,540 | 37,688 |
2003年(平成15年) | 53,514 | 42,027 | 36,940 |
2004年(平成16年) | 52,438 | 40,668 | 38,296 |
2005年(平成17年) | 52,652 | 40,970 | 38,101 |
2006年(平成18年) | 52,370 | 41,326 | 39,047 |
2007年(平成19年) | 52,847 | 41,964 | 40,811 |
2008年(平成20年) | 51,775 | 40,981 | 40,082 |
2009年(平成21年) | 49,614 | 39,263 | 38,241 |
2010年(平成22年) | 48,433 | 38,277 | 36,877 |
2011年(平成23年) | 46,984 | 37,265 | 35,331 |
- 備考
- 利用状況の出典
駅周辺[編集]
駅周辺には繁華街として知られる銀座の街が広がり、また、有楽町や八重洲などのビジネス街も徒歩圏にある。 銀座 も参照
銀座四丁目交差点付近(A1 - A13出入口)[編集]
※A6出入口は閉鎖中
- 銀座四郵便局
- 銀座通郵便局
- 銀座みゆき通郵便局
- ユニクロ 銀座店
- 銀座コア
- 三愛ドリームセンター
- 日産銀座ギャラリー
- 銀座三越
- 王子ホールディングス本館
- 松屋銀座
- 伊東屋 (ITO-YA) 銀座本店
- Apple Store Ginza
- 山野楽器 銀座本店
- 教文館
- メルサGinza-2
- シャネル 銀座
- VanaH株式会社 東京銀座支社
- ブルガリ 銀座タワー
- ティファニー 銀座本店
- カルティエ 銀座本店
- 銀座和光
- ニューメルサ
- 松坂屋 銀座店
- 資生堂銀座ビル
- ヤマハ銀座ビル
- 歌舞伎座(最寄りは東銀座駅)
- コートヤード・バイ・マリオット東京銀座ホテル(最寄りは東銀座駅)
- メルキュールホテル銀座東京
- ホテルモントレ銀座
- JRAウインズ銀座
- 中央通り
- 昭和通り
晴海通り沿い(B1 - B10出入口)[編集]
数寄屋橋交差点付近(C1 - C9出入口)[編集]
- モザイク銀座阪急(旧・数寄屋橋阪急)
- プランタン銀座
- 銀座並木通郵便局
- 東映本社
- 丸の内TOEI (1)・(2)
- 西銀座デパート
- 有楽町センタービル(有楽町マリオン) - 旧・日本劇場、朝日新聞東京本社
- 銀座インズ
- 東京交通会館
- 東京交通会館内郵便局
- 有楽町イトシア
- 博品館
- 東京海上日動火災保険本社
- 首都高速都心環状線銀座入口(内回り・外回り)
周辺の駅[編集]
以下の駅は至近にあり、各駅とは徒歩で乗り換えができる距離である。ただし、これらの駅との連絡運輸は行っていない。
- 銀座一丁目駅(有楽町線)
- 東銀座駅(日比谷線、都営浅草線) - 地下通路で連絡。
- 日比谷駅(日比谷線・千代田線・都営三田線) - 地下通路で連絡。
- 有楽町駅(有楽町線・JR山手線・京浜東北線) - 地下通路で連絡(日比谷駅経由)。
バス路線[編集]
晴海通り上にある「銀座四丁目」「数寄屋橋」「銀座」が最寄り停留所である。
銀座四丁目(都営バス)
有楽町マリオン前(東武バスイースト)・有楽町駅(京成バス・東京ベイシティ交通・ちばグリーンバス・成田空港交通)
- ミッドナイトアロー柏・我孫子:我孫子駅行(三郷団地・柏駅経由)(東武)
- 深夜急行バス:千葉駅行(京成)
- 深夜急行バス:行徳・西船橋駅・桐畑行(京成)
- 深夜急行バス:新浦安駅・サンコーポ西口行(京成)
- 深夜急行バス:日の出七丁目行(京成・東京ベイシティ)
- 深夜急行バス:成田空港第2ターミナル行(船橋駅・津田沼駅・JR成田駅経由)(ちばグリーン)
- 深夜急行バス:京成佐倉駅行(ちばグリーン)
- 深夜急行バス:成田空港第2ターミナル行(金町駅・松戸駅・五香駅・千葉ニュータウン中央駅・JR成田駅・京成成田駅経由)(成空交通)
数寄屋橋(都営バス)
- 都04:豊海水産埠頭行
- 都03:晴海埠頭行/四谷駅行
- 都05:晴海埠頭行、東京ビッグサイト行、深川車庫行
- THE アクセス成田:成田空港行
- THE アクセス成田:成田空港近隣ホテル行
- マイタウンライナー:ちはら台駅行
- マイタウンライナー:大網駅行 ※ちはら台駅行(大網駅行接続便)にて大宮町バスターミナルにて乗り換え
- マイタウンライナー:幕張ベイタウン・検見川浜駅・歯科大正門・平和交通本社(宮野木)行(同上) ※2012年6月4日運行開始
- マイタウンライナー:幕張ベイタウン・検見川浜駅・歯科大正門・あすか交通本社(美浜区幸町2丁目)行(あすか交通) ※2012年6月4日運行開始
- 深夜急行バス:千代田団地入口行
- 深夜急行バス:山田インター入口行(大網駅経由)
- 深夜急行バス:五井駅行(ちはら台駅経由)
- 深夜急行バス:印旛日本医大駅行
- 深夜急行バス:JR成田駅行(四街道駅経由)
- 深夜急行バス:東葉勝田台駅行(津田沼駅経由)
数寄屋橋(銀座駅)(京成バス、京成バスシステム、成田空港交通、リムジン・パッセンジャーサービス)
- 東京シャトル:成田空港行
銀座(晴海通り・天賞堂向かい、アルマーニ前)(関東バス・西東京バス)
その他[編集]
- 開削工法による埋設諸配管の整理時に中央通りの電線地中化も果たされた。この時に設けられた共同溝は、銀座松屋口からガラス越しに見学することができる[8]。
- 日比谷線の地下2階部分(改札内連絡通路の東銀座側)に地下商店街として計画された部分が存在している。三原橋地下街両脇にあるビルの立ち退き先として整備したものの、入居業者が反対したため商店街としての機能を果たせず、東京都の文集庫として使用されている[9]。
- 当駅から霞ケ関駅までは丸ノ内線経由と日比谷線経由のルートがあるが、丸ノ内線は隣の駅であるのに対し、日比谷線は途中日比谷駅に停車する。なお、日比谷線の当駅 - 霞ケ関間を経由する定期券は、丸ノ内線の同区間にも乗車することが可能である。
- 地下鉄博物館には2002年の改装工事前まで当駅の立体模型が展示され、駅の一日を音声で紹介していた。
- 2007年11月17日は、2016年夏季オリンピックの東京招致を目的に卓球・フェンシング・テコンドーの試合が当駅構内で開催された。
- 2007年末、東京メトロの駅で初めて改札口付近にデジタルディスプレイが設置された。この装置は、広告画像や遅延・事故などの情報などを表示するためのものである[10]。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 東京メトロハンドブック2008
- ↑ 丸ノ内線駅構内の駅冷房は翌1972年より開始。
- ↑ '94営団地下鉄ハンドブック
- ↑ 上野駅、霞ヶ関駅、新橋駅、秋葉原駅、御茶ノ水駅、葛西駅と同時に導入。翌1994年に導入された後楽園駅も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。
- ↑ これは、大手町駅とともに先行実験のために設けられたものである。
- ↑ この時に設けられた案内表示が現在の「案内サインシステム」である。
- ↑ 銀座線の4駅に街のイメージに合った発車合図メロディを導入しますPDF - 東京地下鉄 ニュースリリース 2012年10月24日
- ↑ 他に同様の見学ができる駅は日本橋駅がある。
- ↑ 『ぜいたくな流用 銀座・三原橋の地下街 商店が入居に反対 万策つきて倉庫街 4年越しお役所仕事の末路』(朝日新聞、1969年7月1日)
- ↑ その後、2008年6月14日に開業した副都心線各駅(渋谷駅を除く)にも設置され、2010年度中に他社管理駅を除く全駅に設置された。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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