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本番組直前に生放送されている[[ミニ番組]]『'''[[#ミニステ|ミニステ]]'''』についてもこの項目で扱う。 | 本番組直前に生放送されている[[ミニ番組]]『'''[[#ミニステ|ミニステ]]'''』についてもこの項目で扱う。 | ||
− | [[タモリ]]が現在[[司会]]を務める[[番組]]の中では、[[1982年]][[10月4日]]に始まった、[[帯番組|帯]][[バラエティ番組]]『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』・『[[笑っていいとも!増刊号|増刊号]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]])、同じく1982年[[10月8日]]に始まった、同局のバラエティ番組『[[タモリ倶楽部]]』に次いで4番目に放送年数の長い[[長寿番組]]でもある。また、[[ゴールデンタイム]] | + | [[タモリ]]が現在[[司会]]を務める[[番組]]の中では、[[1982年]][[10月4日]]に始まった、[[帯番組|帯]][[バラエティ番組]]『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』・『[[笑っていいとも!増刊号|増刊号]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]])、同じく1982年[[10月8日]]に始まった、同局のバラエティ番組『[[タモリ倶楽部]]』に次いで4番目に放送年数の長い[[長寿番組]]でもある。また、[[ゴールデンタイム]]で放送されている音楽番組の中では当番組が一番長期間放送されている。テレビ朝日の番組では徹子の部屋。ドラえもんについで3番目に長く放送されている |
== 概要 == | == 概要 == | ||
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1組目のアーティストの楽曲が終わった後にタモリが「続いては、ジェネレーション♪ソングのコーナーです」もしくは「続いては、(シングル)ランキングのコーナーです」と言い、「ジェネレーション♪ソング」・「MUSIC QUESTION(MQ)」(不定期)・「[[シングル]][[ランキング]]」・「Young Guns」(不定期)といったコーナーが放送される。 | 1組目のアーティストの楽曲が終わった後にタモリが「続いては、ジェネレーション♪ソングのコーナーです」もしくは「続いては、(シングル)ランキングのコーナーです」と言い、「ジェネレーション♪ソング」・「MUSIC QUESTION(MQ)」(不定期)・「[[シングル]][[ランキング]]」・「Young Guns」(不定期)といったコーナーが放送される。 | ||
− | 放送開始から30分以上(最長でも40分)経過するまで、一度も[[提供クレジット]]・CMが流れない時間編成を長年に渡って継続しており、同局の[[ネオバラエティ]]の「[[『ぷっ』すま]]」や「[[アメトーーク!]] | + | 放送開始から30分以上(最長でも40分)経過するまで、一度も[[提供クレジット]]・CMが流れない時間編成を長年に渡って継続しており、同局の[[ネオバラエティ]]の「[[『ぷっ』すま]]」や「[[アメトーーク!]]SMAP駅」、終了した番組では[[ネオネオバラエティ]]の「[[堂本剛の正直しんどい]]」でも、類似した時間編成が見られる。また、例外として、「[[ミュージックステーションスーパーライブ]]」や上半期総集編などの特別番組の時は、冒頭で[[提供]][[クレジット]]が流れる。 |
また、[[2011年]][[1月]]より、[[提供クレジット]]の間に流れる音楽の時間が20秒ほどから10秒ほどに短縮された。この頃からスポンサー枠も開始当初から続いていた1時間通し枠から前半枠・後半枠に分かれている。また、1本目のCM明けに画面右下に入れ替えの提供クレジットが表示されている(コメント無し)が、これは、同局の[[報道番組]]『[[報道ステーション]]』の1本目のニュースあるいはそれ以降のニュースのVTR明けに画面下に表示される提供クレジットを基にしたと思われる。 | また、[[2011年]][[1月]]より、[[提供クレジット]]の間に流れる音楽の時間が20秒ほどから10秒ほどに短縮された。この頃からスポンサー枠も開始当初から続いていた1時間通し枠から前半枠・後半枠に分かれている。また、1本目のCM明けに画面右下に入れ替えの提供クレジットが表示されている(コメント無し)が、これは、同局の[[報道番組]]『[[報道ステーション]]』の1本目のニュースあるいはそれ以降のニュースのVTR明けに画面下に表示される提供クレジットを基にしたと思われる。 | ||
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: [[2012年]][[10月26日]]生放送分からスタート。 | : [[2012年]][[10月26日]]生放送分からスタート。 | ||
: 各テーマに沿ったシチュエーションごとに思い浮かべる曲のある年代と現在の[[ランキング]]を比較する。比較するランキングは、女性1,000人が選んだ「[[結婚式]]で流したい曲ベスト5」や「[[告白]]する時に聴きたい曲ベスト5」など。2013年1月からは、番組が47都道府県のうち1つを訪問し、平成生まれと昭和生まれの人たちに聞いた各テーマに沿ったシチュエーションごとに思い浮かべる曲のランキングベスト5を比較する。 | : 各テーマに沿ったシチュエーションごとに思い浮かべる曲のある年代と現在の[[ランキング]]を比較する。比較するランキングは、女性1,000人が選んだ「[[結婚式]]で流したい曲ベスト5」や「[[告白]]する時に聴きたい曲ベスト5」など。2013年1月からは、番組が47都道府県のうち1つを訪問し、平成生まれと昭和生まれの人たちに聞いた各テーマに沿ったシチュエーションごとに思い浮かべる曲のランキングベスト5を比較する。 | ||
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=== 過去のコーナー === | === 過去のコーナー === | ||
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: 文字体はそのままに冒頭のタイトル・アーティスト・作詞作曲テロップに[[アニメーション]]が挿入され、お洒落なデザインとなった。また、2005年4月1日までは[[レターボックス]]にも右上にタイトル・アーティストのテロップが表記されていた。フォントは[[スーラ|スーラ-B]]。アニメーションの変更は番組ロゴの複数回の変更の時に行われている。 | : 文字体はそのままに冒頭のタイトル・アーティスト・作詞作曲テロップに[[アニメーション]]が挿入され、お洒落なデザインとなった。また、2005年4月1日までは[[レターボックス]]にも右上にタイトル・アーティストのテロップが表記されていた。フォントは[[スーラ|スーラ-B]]。アニメーションの変更は番組ロゴの複数回の変更の時に行われている。 | ||
: 2005年4月22日の改装以降は初登場アーティストのみ左上(右上)にタイトル・アーティストのテロップを表記していたが、2009年夏あたりから全アーティスト一貫してタイトル・アーティストのテロップを左上に、2010年7月あたりからその曲の簡単な概要(例:「今週のNo.1ソング」など)を右上に表記している。また、これまで海外アーティストの曲披露の際は、本来の英訳歌詞しか表示されなかったが、『ミュージックステーションスーパーライブ2005』での[[O-ZONE]]の出演以降は、英訳歌詞の下に小さく和訳歌詞も表示されることになった。これは外国語詞の楽曲を歌唱する邦楽アーティストでも同様である。 | : 2005年4月22日の改装以降は初登場アーティストのみ左上(右上)にタイトル・アーティストのテロップを表記していたが、2009年夏あたりから全アーティスト一貫してタイトル・アーティストのテロップを左上に、2010年7月あたりからその曲の簡単な概要(例:「今週のNo.1ソング」など)を右上に表記している。また、これまで海外アーティストの曲披露の際は、本来の英訳歌詞しか表示されなかったが、『ミュージックステーションスーパーライブ2005』での[[O-ZONE]]の出演以降は、英訳歌詞の下に小さく和訳歌詞も表示されることになった。これは外国語詞の楽曲を歌唱する邦楽アーティストでも同様である。 | ||
− | : 2011年10月からは縁取り無しになっている。また、リクエストランキングや「BIRTH YEAR | + | : 2011年10月からは縁取り無しになっている。また、リクエストランキングや「BIRTH YEAR SONGS」でも同じ歌詞テロップが付加されるようになった。 |
=== シングルランキングの本文など === | === シングルランキングの本文など === | ||
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: この日は北海道釧路沖を中心に震度6の地震([[釧路沖地震]])が20時6分頃に発生。東京でも震度3を観測し、スタジオが揺れる様子も放送された。その後の『ニュースステーション』は内容を大幅変更しニューススタジオから放送した。 | : この日は北海道釧路沖を中心に震度6の地震([[釧路沖地震]])が20時6分頃に発生。東京でも震度3を観測し、スタジオが揺れる様子も放送された。その後の『ニュースステーション』は内容を大幅変更しニューススタジオから放送した。 | ||
; [[1993年]][[2月5日]] | ; [[1993年]][[2月5日]] | ||
− | : 前年8月7日の同番組で初のテレビ出演を果たした[[ZARD]]が「[[負けないで]] | + | : 前年8月7日の同番組で初のテレビ出演を果たした[[ZARD]]が「[[負けないで]]」で自身5度目の番組出演。ZARDは「負けないで」で大ブレイクしたが、この時期を境に極端に露出を控えるようになり、この放送後はテレビ番組でトークを披露することは無くなった(その後も、テレビ番組で一方的にコメントを寄せる映像が放送されることはごく稀にあった)。 |
; [[1993年]][[9月10日]] | ; [[1993年]][[9月10日]] | ||
: [[北海道南西沖地震]]の応援歌としてリリースした「なぜこんな時代に・・・」で[[泉谷しげる]]が『Mステ』初出演。曲中にはテンションが上がり客席へ乱入した。その後はもみくちゃにされたり帽子を取られたりとで結局ほとんど歌えなかった。 | : [[北海道南西沖地震]]の応援歌としてリリースした「なぜこんな時代に・・・」で[[泉谷しげる]]が『Mステ』初出演。曲中にはテンションが上がり客席へ乱入した。その後はもみくちゃにされたり帽子を取られたりとで結局ほとんど歌えなかった。 | ||
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; [[2003年]][[6月27日]] | ; [[2003年]][[6月27日]] | ||
: この日[[ロシア]]から来日した[[t.A.T.u.]]が初登場。ところが[[オープニング]]は出演していたがその後の出演をボイコット。午後8時35分頃、タモリは「t.A.T.uが、『出たくねぇ』という事で控え室から出て来ません」と状況を説明。その後も出演を待ち続けたが、番組終了10分前にタモリがt.A.T.uが結局出ないことを説明した。このため、既に演奏を終えていた[[THEE MICHELLE GUN ELEPHANT]]が急遽もう1曲演奏する事で番組の尺を埋めた(曲目は「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」)<ref>[[2009年]][[6月]]に登場した[[9mm Parabellum Bullet]]のメンバーはこの時の演奏を見て「バンドってカッコいい」と思い、バンド活動を決意したと番組初出演時に発言し、タモリを驚かせた。</ref>。その後エンティングでタモリや武内絵美、その日のアーティスト達が「わぁ~!」などと大盛り上がりした。なお、急なトラブルに遭遇して気が動転していたのか、番組終了間際に行われる武内絵美による出演歌手の一斉紹介は行われないまま、番組が終了した。 エンディングに少ししか映っていないがスタッフは一列に並んでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに謝罪したという。 | : この日[[ロシア]]から来日した[[t.A.T.u.]]が初登場。ところが[[オープニング]]は出演していたがその後の出演をボイコット。午後8時35分頃、タモリは「t.A.T.uが、『出たくねぇ』という事で控え室から出て来ません」と状況を説明。その後も出演を待ち続けたが、番組終了10分前にタモリがt.A.T.uが結局出ないことを説明した。このため、既に演奏を終えていた[[THEE MICHELLE GUN ELEPHANT]]が急遽もう1曲演奏する事で番組の尺を埋めた(曲目は「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」)<ref>[[2009年]][[6月]]に登場した[[9mm Parabellum Bullet]]のメンバーはこの時の演奏を見て「バンドってカッコいい」と思い、バンド活動を決意したと番組初出演時に発言し、タモリを驚かせた。</ref>。その後エンティングでタモリや武内絵美、その日のアーティスト達が「わぁ~!」などと大盛り上がりした。なお、急なトラブルに遭遇して気が動転していたのか、番組終了間際に行われる武内絵美による出演歌手の一斉紹介は行われないまま、番組が終了した。 エンディングに少ししか映っていないがスタッフは一列に並んでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに謝罪したという。 | ||
− | : 後日t.A.T.u.曰く「日本のアーティストに邪魔された、自分たちだけのステージにしたかった」との声が上がったと言う<ref>しかし、後年t.A.T.uが語ったところによると実際は当時のプロデューサーである[[シャポヴァロフ]]の無茶な指示によるものであることを明かしている。</ref>。以上がこの日の放送内容であったが、この番組におけるt.A.T.u.の行動が翌日のスポーツ新聞などやワイドショー、週刊誌で大きく取り上げられ、t.A.T.u.は各方面からのバッシングを受け、結果的に日本のメディアから姿を消した。翌日([[6月28日]]放送分)の『[[やじうまプラス]]』ではこの件を取り上げ、t.A.T.u.本人による電話出演またはリハーサル時の映像を放送した。 | + | : 後日t.A.T.u.曰く「日本のアーティストに邪魔された、自分たちだけのステージにしたかった」との声が上がったと言う<ref>しかし、後年t.A.T.uが語ったところによると実際は当時のプロデューサーである[[シャポヴァロフ]]の無茶な指示によるものであることを明かしている。</ref>。以上がこの日の放送内容であったが、この番組におけるt.A.T.u.の行動が翌日のスポーツ新聞などやワイドショー、週刊誌で大きく取り上げられ、t.A.T.u.は各方面からのバッシングを受け、結果的に日本のメディアから姿を消した。翌日([[6月28日]]放送分)の『[[やじうまプラス]]』ではこの件を取り上げ、t.A.T.u.本人による電話出演またはリハーサル時の映像を放送した。 |
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; [[2003年]][[11月28日]] | ; [[2003年]][[11月28日]] | ||
: この日出演した[[タッキー&翼]]が「[[夢物語]]」を歌唱した[[滝沢秀明]]がファンから「脱いで!」というコールがあり、終盤で上半身裸になった。その後の[[12月26日]]の「SUPERLIVE2003」出演時に滝沢が「母親から'''『アンタ、TVで何やってんの!』って怒られた'''」と発言している。 | : この日出演した[[タッキー&翼]]が「[[夢物語]]」を歌唱した[[滝沢秀明]]がファンから「脱いで!」というコールがあり、終盤で上半身裸になった。その後の[[12月26日]]の「SUPERLIVE2003」出演時に滝沢が「母親から'''『アンタ、TVで何やってんの!』って怒られた'''」と発言している。 | ||
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: オープニングで[[Hey! Say! 7]]の紹介がされている時、下からいきなり[[KAT-TUN]]の[[亀梨和也]]が現れた。また、同日にスタートする同メンバーの[[中丸雄一]]が出演するドラマ『[[スシ王子!]]』の番宣もした。亀梨は直前でスタッフから「歌え」と言われたらしく歌詞カードを渡され1番サビ後の[[中島裕翔]]のソロパートを共演、途中で自分がカメラに映るたびに'''「昭和です」'''と呟いていた場面も見られた。また、亀梨は舞台の練習中であり、その合間を縫って来ていた。 | : オープニングで[[Hey! Say! 7]]の紹介がされている時、下からいきなり[[KAT-TUN]]の[[亀梨和也]]が現れた。また、同日にスタートする同メンバーの[[中丸雄一]]が出演するドラマ『[[スシ王子!]]』の番宣もした。亀梨は直前でスタッフから「歌え」と言われたらしく歌詞カードを渡され1番サビ後の[[中島裕翔]]のソロパートを共演、途中で自分がカメラに映るたびに'''「昭和です」'''と呟いていた場面も見られた。また、亀梨は舞台の練習中であり、その合間を縫って来ていた。 | ||
; [[2008年]][[9月12日]] | ; [[2008年]][[9月12日]] | ||
− | : この日の2時間スペシャルをもって番組を卒業することになった[[堂真理子]] | + | : この日の2時間スペシャルをもって番組を卒業することになった[[堂真理子]]の最後の出演の回。エンディングでタモリから花束が贈呈され、最後には「あのたくさんのアーティストの皆さんのパフォーマンスをこんなに近くで感じることができて、そしてお伝えすることができて、ほんとに幸せに思っております。いつも見守ってくださったタモリさん、ゲストの皆様、そして視聴者の皆様ほんとにありがとうございました」と最後の挨拶の言葉を述べた。 |
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=== 2010年代 === | === 2010年代 === | ||
; [[2011年]][[3月18日]]・[[3月25日|25日]] | ; [[2011年]][[3月18日]]・[[3月25日|25日]] | ||
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=== 報道特別編成 === | === 報道特別編成 === | ||
* [[1986年]][[11月21日]]の放送では、同日に起こった[[三原山]]([[伊豆大島]])の[[噴火]]関連のニュースを番組内に組み込んで放送した。そのため、トークはカットされ、[[小泉今日子]]らゲストアーティストは楽曲のみ披露となった。その後は報道特別番組となり、当時金曜日のみ23時台で放送されていた『[[ニュースステーション]]』は番組初の22時からの前倒し編成で放送した。 | * [[1986年]][[11月21日]]の放送では、同日に起こった[[三原山]]([[伊豆大島]])の[[噴火]]関連のニュースを番組内に組み込んで放送した。そのため、トークはカットされ、[[小泉今日子]]らゲストアーティストは楽曲のみ披露となった。その後は報道特別番組となり、当時金曜日のみ23時台で放送されていた『[[ニュースステーション]]』は番組初の22時からの前倒し編成で放送した。 | ||
− | * [[2011年]][[3月11日]]の放送は、約5時間前に[[東日本大震災|東北地方太平洋沖地震]]が発生し、テレビ朝日本社がある六本木周辺でも震度5強を観測した。テレビ朝日本社に大きな被害は見られなかったが、その件で津波警報が発令され急遽報道特番が放送されたために急遽放送中止となった。ちなみに、その回の出演予定者だったのが、[[aiko]]・[[EXILE]]・[[NYC (アイドルグループ)|NYC]]・[[CHEMISTRY]]・[[Superfly]]・[[2NE1]](そのうち、NYCとCHEMISTRYは[[3月18日]]に、EXILEは[[4月1日]]に振替出演をした)。自然災害の影響で当番組が休止となったのは、番組開始以来初めての出来事だった。本来は[[3月25日]]に[[キリンチャレンジカップ#2011年|サッカー中継]] | + | * [[2011年]][[3月11日]]の放送は、約5時間前に[[東日本大震災|東北地方太平洋沖地震]]が発生し、テレビ朝日本社がある六本木周辺でも震度5強を観測した。テレビ朝日本社に大きな被害は見られなかったが、その件で津波警報が発令され急遽報道特番が放送されたために急遽放送中止となった。ちなみに、その回の出演予定者だったのが、[[aiko]]・[[EXILE]]・[[NYC (アイドルグループ)|NYC]]・[[CHEMISTRY]]・[[Superfly]]・[[2NE1]](そのうち、NYCとCHEMISTRYは[[3月18日]]に、EXILEは[[4月1日]]に振替出演をした)。自然災害の影響で当番組が休止となったのは、番組開始以来初めての出来事だった。本来は[[3月25日]]に[[キリンチャレンジカップ#2011年|サッカー中継]]で、元々当番組が休止予定だったが、震災の社会的な影響で中止となった事もあって、同日に事実上の振替放送となった。 |
− | + | ||
=== 放送休止 === | === 放送休止 === | ||
* 基本的には[[春]]・[[秋]]の[[改編]]期と[[年末年始]]期には放送を休止(およそ年十数回)し、[[ABCテレビ|朝日放送]]制作のレギュラー番組のスペシャル放送(あるいはスペシャル番組)やその前の『[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』といったアニメスペシャルなどの改編期特番が放送される。 | * 基本的には[[春]]・[[秋]]の[[改編]]期と[[年末年始]]期には放送を休止(およそ年十数回)し、[[ABCテレビ|朝日放送]]制作のレギュラー番組のスペシャル放送(あるいはスペシャル番組)やその前の『[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』といったアニメスペシャルなどの改編期特番が放送される。 | ||
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: また、次のミニ番組『[[easy sports]]』では竹内由恵がテレビ朝日毛利庭園内でランニングを行っている(この期間中は同局の女子アナウンサーがリレー形式で六本木ヒルズ内でランニングを行っている)。 | : また、次のミニ番組『[[easy sports]]』では竹内由恵がテレビ朝日毛利庭園内でランニングを行っている(この期間中は同局の女子アナウンサーがリレー形式で六本木ヒルズ内でランニングを行っている)。 | ||
* [[FNS27時間テレビ (2012年)]]([[フジテレビジョン|フジテレビ系列]]) | * [[FNS27時間テレビ (2012年)]]([[フジテレビジョン|フジテレビ系列]]) | ||
− | : [[2012年]][[7月21日]]・[[7月22日|22日]]に放送。タモリが総合司会を務め、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』を中心とした『[[FNSの日]]』の特別番組で、「'''NEKASANAI STATION'''(ネカサナイステーション)」という『Mステ』をパロディ化したコーナーが放送された。司会はタモリとフジテレビアナウンサーの[[三田友梨佳]] | + | : [[2012年]][[7月21日]]・[[7月22日|22日]]に放送。タモリが総合司会を務め、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』を中心とした『[[FNSの日]]』の特別番組で、「'''NEKASANAI STATION'''(ネカサナイステーション)」という『Mステ』をパロディ化したコーナーが放送された。司会はタモリとフジテレビアナウンサーの[[三田友梨佳]]が務めた。スタジオセットやタイトルロゴ・ロゴマークも本家そっくりのものが使用された。 |
== 脚注・出典 == | == 脚注・出典 == |
2023年12月20日 (水) 19:56時点における最新版
この項目では、テレビ朝日で放送されている音楽番組について説明しています。その他の用法については「ミュージックステーション (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
ミュージックステーション MUSIC STATION | |
---|---|
放送局 | 日本 |
ジャンル | 音楽番組 |
放送期間 | 1986年10月24日 - 現在 1000 |
放送時間 | 金曜日 20:00 - 20:54 54 |
制作局 | テレビ朝日 |
企画/PD | 伊東寛晃(演出兼務、テレビ朝日) / 山本たかお(チーフプロデューサー、テレビ朝日) |
監督/総指揮 | |
演出 | 伊東寛晃(P兼務、テレビ朝日) |
原作 | |
脚本 | |
出演者 | タモリ 竹内由恵(テレビ朝日アナウンサー) ほか ゲストアーティスト数組 |
ナレーション | |
音声 | ステレオ放送 |
字幕 | |
データ放送 | データ連動放送 (2010年1月15日 - ) |
オープニング | 松本孝弘「# 1090 〜Thousand Dreams〜」 |
エンディング | 松本孝弘「# 1090[千夢一夜]」 |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: ・放送回数は2010年2月5日生放送分まで ・ナレーター:ウォード・セクストン・服部潤・ユキ・ラインハート | |
『ミュージックステーション』(英称:MUSIC STATION)は、テレビ朝日系列で1986年(昭和61年)10月24日から毎週金曜日20:00 - 20:54(JST)に生放送されている音楽番組である。ステレオ放送、ハイビジョン制作(2003年10月3日 - )、番組連動データ放送(2010年1月15日 - )を実施している。通称は「Mステ(エムステ)」「MS(エムエス)」[1]「Mステーション(エムステーション)」[2]。
本番組直前に生放送されているミニ番組『ミニステ』についてもこの項目で扱う。
タモリが現在司会を務める番組の中では、1982年10月4日に始まった、帯バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』・『増刊号』(フジテレビ系列)、同じく1982年10月8日に始まった、同局のバラエティ番組『タモリ倶楽部』に次いで4番目に放送年数の長い長寿番組でもある。また、ゴールデンタイムで放送されている音楽番組の中では当番組が一番長期間放送されている。テレビ朝日の番組では徹子の部屋。ドラえもんについで3番目に長く放送されている
目次
概要[編集]
テレビ朝日が日曜日昼の時間帯に放送していた、音楽番組『歌謡ドッキリ大放送』に代わり、『ワールドプロレスリング』などを放送していた金曜20時台に新設された音楽番組である。初代メイン司会者は、『歌謡ドッキリ大放送』の司会者だった関口宏が同番組から引き続き担当していた。
番組開始当初は、若年層向けのJ-POPアーティスト系・アイドル系から中高年向けの演歌歌手まで出演する「ファミリー向け」番組であった。半年後の1987年3月27日を以って関口が降板した。
1987年4月3日より、かつて同局の『夢のビッグスタジオ』の司会[3]やTBS系列『ザ・ベストテン』の久米宏の臨時司会を黒柳徹子と共に担当していたタモリが、テコ入れのため2代目メイン司会者として就任した。
タモリのメイン司会就任後もコンセプトは一緒であったが、1988年頃から演歌歌手の出演が減少していき、若年層向けのJ-POPアーティスト系が多数出演するようになる(1990年頃からは、「J-POP」がジャンルとして確立されていった時代だった)。一方、TBS系列『ザ・ベストテン』やフジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』といった名物音楽番組が続々放送終了していき、「歌番組冬の時代」と呼ばれた1994年頃までは視聴率は横ばい状態(ほとんどが一桁台)が続いていたが、1995年頃から完全に「J-POP」・「アイドル」に絞り、完全な若年層向けにして、フジテレビ系列『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(1994年10月17日 - 2012年12月17日)やTBS系列『うたばん』→『ザ・ミュージックアワー』(1996年10月16日 - 2010年9月14日)[4]といったニュータイプの音楽番組が相次いでスタートした。放送開始当初は観客を入れなかったが、1991年1月から観客を動員するようになり現在に至っている。
1990年代後半 - 2000年代中期頃、ミリオンヒット連発などの好影響があり、視聴率は開始当初の不調から一転して10%台後半まで登りつめたが、2000年代末期以降は、10%前後で推移している。しかしスペシャルでは15%前後と高視聴率になることが多い。
本番組では「楽曲を聴かせること」をコンセプトとして、その時代を代表するアーティストらが生放送でスタジオライブを毎回、数組のアーティストが繰り広げ、最新の音楽を“最高の音楽の形”で披露する。また、司会者が毎回登場する豪華アーティストらと軽妙なトークを展開する。多くのアーティストがこの番組を出演目標に掲げている。この他、バラエティ色の強いフジテレビ系列『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』やTBS系列『うたばん』には出演しないアーティストも多く出演している(その逆の場合も同様)。また、歌手だけでなく俳優・女優、当時は歌手で後に俳優・女優へ転身した芸能人やお笑い芸人・タレントなども出演している。また、海外からのアーティストが出演することもある。
現在、若年層向けのJ-POP系中心でゴールデンタイム枠内で常時生放送を実施しているレギュラー音楽番組は本番組のみである(演歌系を含めてもNHK総合テレビ『NHK歌謡コンサート』と本番組のみ。民放に限れば演歌系を含めても本番組が唯一)。
基本的にトップバッターとトリを務めるアーティストとは、ほとんどトークを展開しない(トリを務めるアーティストは時間がある場合はトークを多少やっている)。年末年始に生放送をしている特別番組『ミュージックステーションスーパーライブ』に関しては、トップバッターとトリの両方でトークを行っている。
出演者[編集]
司会者[編集]
- メイン司会者
- タモリ(1987年4月3日 - )
- サブ司会者
司会者の変遷・マイクの色[編集]
名前から向かって右の欄に書かれている色は所持していたマイク(マイクカバー)の色。
期間 | メイン | サブ | スタジオサブ | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1986.10.24 | 1987.3.27 | 関口宏 | ■ | 中原理恵 | ■ | 早見優 | ■ |
1987.4.3 | 1987.9.25 | タモリ | ■ | ■ | 松井康真 | ■ | |
1987.10.2 | 1990.3.23 | 松井康真1 | ■ | 木下智佳子2 | ■ | ||
1990.4.13 | 1993.3.19 | 生島ヒロシ | ■ | (不在) | |||
1993.4.9 | 1993.9.24 | ■ | 有賀さつき | ■ | |||
1993.10.15 | 1996.3.22 | 有賀さつき | ■ | (廃止) | |||
1996.4.5 | 2000.3.31 | 下平さやか | ■ | ||||
2000.4.14 | 2002.3.22 | 武内絵美 | ■ | ||||
2002.4 | 2003.12 | ■ | |||||
2004.1 | 2004.3.12 | ■ | |||||
2004.4.9 | 2006.3 | 堂真理子 | ■ | ||||
2006.4.21 | 2007.3.16 | ■ | |||||
2007.4.6 | 2008.3 | ■ | □ | ||||
2008.4 | 2008.9.12 | ■ | |||||
2008.10.3 | 2009.12.11 | 竹内由恵 | ■ | ||||
2010.1.22 | 現在 | ■ | ■ | ||||
|
- 補足
- 松井(現在社会部所属で原発担当)・木下(現在テレビ朝日福祉文化事業団所属で児童福祉事業担当)・下平・武内絵美・堂・竹内由恵はテレビ朝日アナウンサー。
- 松井は当時『ニュースステーション』のスポーツキャスターを担当していたが、1988年4月より金曜日の放送時間が22時に繰り上がったのに伴い、生放送との兼ね合いから金曜日のみ朝岡聡(当時テレビ朝日アナウンサー)が担当する事になった。
- 司会者が現在使用しているソニー製のワイヤレスマイクは1996年6月からで、それ以前のマイクは1985年製と1992年製の2つを使用していた。1992年製のマイクについては大規模なアーティストやベースのコーラスとして使用する場合がある(1992年製のマイクのロゴは全国朝日放送時代のものである)。
- タモリが使用しているマイクには、1987年4月から1996年3月と2004年2月から2007年3月の期間では金箔が編み込まれていた(現在でも特番時で使用されることがある)。
- 下平以降のサブ司会者は、本番組最終出演時は、金箔が編み込まれた赤マイクを使用している。要出典
- タモリは2001年11月にゴルフ事故の検査入院で、2009年7月には精密検査(人間ドック)と白内障手術に伴う健康面の問題でそれぞれ休養しており、その時は武内絵美(2001年)・竹内由恵(2009年)が実質上のメイン司会代理を務め、トークの部分はその日の出演アーティストがリレー形式で行った。
- タモリは1987年4月3日の放送分から25年以上に渡りメイン司会を担当しており、これは民放で放送されている音楽番組の司会者の中では年数上では最長寿の記録となっている
ナレーター[編集]
- メイン
- サブ
これとは別に番組のナレーターではないが、番宣CM担当として岩井証夫[6][7]が担当している。(2003年10月頃 - )
ゲストの出演傾向[編集]
これまで1300組を超えるアーティストが出演をしている。ただし、声優は原則として一切出演しない。
J-POP歌手[編集]
ジャニーズ事務所所属者以外では、現在はエイベックス所属者やソニー・ミュージック所属者のアーティストがほぼ毎週生出演しており、現在では番組中にこれらのレコード会社のCMも放送されている(いずれもPT扱い)。
演歌歌手[編集]
上述のとおりり放送初期はよく出演していたが徐々に減少していき、1992年9月11日放送分以降は原則出演なし。以降の演歌歌手の出演は、2004年のデビューからしばらくの間、演歌・歌謡曲路線だったジャニーズ事務所所属の関ジャニ∞程度。氷川きよしはポップス歌手“KIYOSHI”名義としての数回の出演歴がある。演歌を歌ったのは1998年の『ミュージックステーションスーパーライブ』時の中澤裕子(元モーニング娘。初出演時のメドレーの一環)が最後で、全フレーズ演歌を歌唱したのは1992年9月4日出演の堀内孝雄&桂銀淑(『都会の天使たち』)が最後である。
クラシック歌手[編集]
クラシックアーティストの出演はほとんどないが、数少ないケースとして『千の風になって』を大ヒットさせた秋川雅史が、2007年4月6日生放送分の『ミュージックステーション3時間スペシャル』と、同年12月21日の『ミュージックステーションスーパーライブ2007』に生出演している。
ハードロック・ヘヴィメタル系[編集]
上述の演歌同様積極的には扱っておらず、80年代には聖飢魔IIやEARTHSHAKER、ハードロック路線だったころの浜田麻里・SHOW-YA、1989年7月14日にE・Z・Oが全米ツアー中に現地生中継で出演しており、90年代にはX JAPAN・筋肉少女帯・DIR EN GREYが出演。海外のバンドでは1996年にキッス、1997年にエアロスミスが出演した程度である[8]。2002年8月9日にSEX MACHINEGUNSが出演したのを最後に国内外のヘヴィメタルバンドの出演は無くなっている。
海外からのアーティスト[編集]
番組初回放送の1986年10月24日にジャッキー・チェンが生出演して以来、KISS、スキャットマン・ジョン、エアロスミス、レニー・クラヴィッツ、マライア・キャリー、ヒラリー・ダフ、アヴリル・ラヴィーン、t.A.T.u.、バックストリート・ボーイズ、スティーヴィー・ワンダー、U2、OASIS、レッドホットチリペッパーズ、レディー・ガガ、テイラー・スウィフトなど多くの海外アーティストが生出演している。これは『ニュースステーション』でもほぼ同様の傾向があった。
過去に出演した海外からのアーティストについては、ミュージックステーションに出演した海外からのアーティストを参照のこと。
以前は本来の歌詞のテロップのみが歌唱時に表示されていたが、『ミュージックステーションスーパーライブ2005』でのO-ZONE以降は歌詞の上に小さく和訳歌詞も表示されることになった。これは外国語詞の楽曲を歌唱する邦楽アーティストでも同様。
ジャニーズ系[編集]
上述のとおり、原則毎週生出演している。また、予備軍のジャニーズJr.が生出演し、先輩ジャニーズのヒット曲をメドレーすることもある(基本的にトップバッターかトリのトークなし)。また、CDデビュー前のKAT-TUN・Ya-Ya-yah・Kis-My-Ft2等に関しては、オリジナル楽曲を生披露することもあった。
1988年 - 1992年まで、光GENJIがレギュラー出演していた(現在のジャニーズ枠はこの名残である)。1995年9月3日の「卒業(解散)」に至るまで、出演回数は234回と歴代ゲストでトップ。ただし、1993年と1994年においてはジャニーズ歌手が出演しない回がしばしばあった。
俳優・女優及び芸人・タレントなど著名人[編集]
俳優[編集]
- 俳優では、1990年12月21日生放送分に植木等が生出演。「スーダラ節」を歌唱。
- その他、俳優では織田裕二・福山雅治・大泉洋・陣内孝則・中村雅俊・三上博史(本城祐二としての出演もある)・哀川翔・中井貴一・江口洋介・柳葉敏郎・吉田栄作、ユースケ・サンタマリア、反町隆史・片岡鶴太郎・石原裕次郎・神田正輝(松田聖子とのデュエット)・舘ひろし・渡哲也(いしだあゆみとのデュエット)・西田敏行・柴田恭兵・奥田瑛二・時任三郎・高橋克典・藤木直人・松平健・玉木宏などが生出演している。哀川翔と柳葉敏郎は、一世風靡セピアとしての出演もある。
女優[編集]
- 女優では(当時は歌手で後に女優へ転身した者も含む)中山美穂・小泉今日子・薬師丸ひろ子・斉藤由貴・永作博美(ribbonとして出演していた時期もあった)・南野陽子・田中美奈子・深津絵里・高橋由美子・宮沢りえ・沢口靖子・黒木瞳・いしだあゆみ(渡哲也とのデュエット)・鳥居かほり(藤井暁(元テレビ朝日アナウンサー)とのデュエット)・富田靖子・田中裕子(夫の沢田研二と同じ日の出演もある)鈴木蘭々・篠原涼子・瀬戸朝香・広末涼子・松雪泰子・高岡早紀・松たか子・観月ありさ・ともさかりえ・内田有紀・ソニン(EE JUMPとしても出演)・知念里奈・上戸彩・仲間由紀恵(高橋克典とのデュエット。仲間由紀恵 with ダウンローズとしての出演)・柴咲コウ・新垣結衣・北乃きい・松下奈緒・武井咲などが生出演している。
声優[編集]
お笑い芸人・タレント[編集]
- お笑い芸人・タレント(著名人)では、志村けん(ミニモニ。とのコラボレーション(バカ殿様とミニモニ。姫)として出演)・明石家さんまと所ジョージ(ユニットとして工藤静香と三人で出演。所ジョージ単独での出演もある。)・とんねるず(石橋貴明・木梨憲武・野猿・矢島美容室としても出演)・島田紳助(「紳助&バスガス爆発楽団」としても出演)・ネプチューン(名倉潤・原田泰造・堀内健)・小堺一機・松嶋尚美(ロックバンドKILLERSとして)・藤井隆・研ナオコ(THE 虎舞竜との共演もある)・加藤紀子・森口博子・山瀬まみ・渡辺満里奈・杉本彩・鈴木紗理奈・ロンドンブーツ1号2号(田村淳・田村亮、淳はjealkbとしても出演)・勝俣州和・はなわ・波田陽区・レイザーラモンHG・中川翔子など。
- また、エキセントリック少年ボウイオールスターズとしてダウンタウン(浜田雅功・松本人志)・今田耕司・東野幸治・130Rなどが生出演している。
2000年代後半以降の出演傾向[編集]
- 2000年代後半以降はCDリリースをするほとんどの女性タレントを「MUSIC TOPICS」で宣伝を行うようになったが、2007年12月7日には前々回の同コーナーで告知をしていた女優・新垣結衣がスタジオに生出演、「heavenly days」を歌唱した。
- 2008年以降にヒットを連発したフジテレビ系列『クイズ!ヘキサゴンII』から誕生したユニットも番組のレギュラー放送には出演していないが、同年末の『ミュージックステーションスーパーライブ』には羞恥心が初出演し、その後は羞恥心メンバーである上地雄輔(遊助として出演)、つるの剛士が出演した他、各ユニットの映像が『Mトピ』などで使われるようになった。
- 2006年以降はAKB48が出演しているが、最新シングル発売週では、原則として選抜フルメンバー(SKE48(2008年から)やNMB48(2011年から)などの姉妹グループ内からも含む[9])が出演する事が多い[10][11]。
タイムテーブル[編集]
タイムテーブル |
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備考 |
オープニング[編集]
ほぼ暗いスタジオ全体を映した状態で「# 1090 〜Thousand Dreams〜」が流れる中で番組タイトルロゴが出され、アウトロに合わせてスタジオが明るくなるのと同時に司会者にズームアップされる。その後、司会者2人が挨拶と自己紹介を行う。この挨拶は、番組開始当初から行われている。
司会者の位置は、メイン司会のタモリは画面向かって左側、サブ司会の竹内由恵アナは画面向かって右側で2ショットが映し出される。
そして、サブ司会者が今流行している事や番組放送日は何の日なのか、また、今夜のゲストアーティストの詳細などについてタモリとゲストアーティストがスタジオ背後の階段から登場する前に軽くトークを繰り広げる。ほぼ必ず、竹内は「タモリさん - 」と会話を始める。
そして、本番組のボイスナレーターである、ウォード・セクストンによる、その日のゲストアーティストの紹介で1組ずつ階段から降りて来る[15]。ゲストアーティスト全員がスタジオへ集結すると竹内が「と言ったラインナップで60分の生放送をお送りいたします」と言い(現在はこの言葉は特番時を除き言わなくなった)、司会者がゲストアーティストを1組ずつ挨拶・紹介し、楽曲紹介などをする。そして、楽曲1曲目を披露するゲストアーティストはスタンバイに入り、楽曲へ入る。
中盤[編集]
毎回、ゲストアーティスト1〜数組が生出演し、生で楽曲を披露する。そして、ゲストアーティストの楽曲が1組ずつ終わり、つなぎ部分は次の楽曲披露のゲストアーティスト達と司会者がトーク(会話)を繰り広げる。
1組目のアーティストの楽曲が終わった後にタモリが「続いては、ジェネレーション♪ソングのコーナーです」もしくは「続いては、(シングル)ランキングのコーナーです」と言い、「ジェネレーション♪ソング」・「MUSIC QUESTION(MQ)」(不定期)・「シングルランキング」・「Young Guns」(不定期)といったコーナーが放送される。
放送開始から30分以上(最長でも40分)経過するまで、一度も提供クレジット・CMが流れない時間編成を長年に渡って継続しており、同局のネオバラエティの「『ぷっ』すま」や「アメトーーク!SMAP駅」、終了した番組ではネオネオバラエティの「堂本剛の正直しんどい」でも、類似した時間編成が見られる。また、例外として、「ミュージックステーションスーパーライブ」や上半期総集編などの特別番組の時は、冒頭で提供クレジットが流れる。
また、2011年1月より、提供クレジットの間に流れる音楽の時間が20秒ほどから10秒ほどに短縮された。この頃からスポンサー枠も開始当初から続いていた1時間通し枠から前半枠・後半枠に分かれている。また、1本目のCM明けに画面右下に入れ替えの提供クレジットが表示されている(コメント無し)が、これは、同局の報道番組『報道ステーション』の1本目のニュースあるいはそれ以降のニュースのVTR明けに画面下に表示される提供クレジットを基にしたと思われる。
エンディング[編集]
「# 1090[千夢一夜]」が流れる中で、CM明けにサブ司会者がその日のゲストアーティスト(基本的にはトリで歌ったアーティスト)に「今夜の『ミュージックステーション』はいかがでしたか?」など楽曲を披露した感想を一言ずつもらう(この時、途中でスタッフエンドロールが画面右下から上に流れる)。
その後、オープニング曲の「#1090 〜Thousand Dreams〜」をバックに提供クレジットに入り、サブ司会者はここで「○○の皆さんありがとうございました。」とその日のゲストアーティスト1組ずつに言って最後にタモリ、もしくはタモリとその隣にいたアーティストの顔を映し、番組は終了する。この時、タモリは「また、来週です」と言う場合がある。
その後、次番組であるバラエティ番組『世界の村で発見!こんなところに日本人』の通常のCM通りの15秒予告が流れる[16][17]。
ちなみに2010年4月以降、テレビ朝日のゴールデンタイムの番組のクロスプログラムは、前番組の出演者が「(前番組)の後は(次番組)」と言ってから次番組の予告へと流れるが、当番組は生放送という性質上、タモリや竹内由恵が「『ミュージックステーション』の後は○○」と言うことはなく、そのまま次番組の予告へと流れるため、このようなクロスプログラムの演出をとっていない唯一のゴールデンタイムの番組である[18]。
主なコーナー[編集]
1996年以降、当番組には、「シングルランキング」コーナー以外にレギュラーコーナーは無かったが、2002年以降「Mステ秘宝館」や「Young Guns(YG)」など、コーナーが増えている。2010年からは「BIRTH YEAR SONGS」などといった名曲コーナーが誕生している。
現在のコーナー[編集]
- SINGLE RANKING BEST10
- 毎週、1週間を通じて番組が独自に音楽リサーチ会社(オリコンチャート)に依頼して作成・集計した『シングルCDランキング BEST10』が10位から1位まで順に発表される。
- 過去には、『アルバムランキングBEST10』や『DVDランキングBEST10』も紹介されていた。
- 当番組が毎週金曜日に生放送されるため、オリコンなどの週間チャートとは順位が異なる。(少なくとも)公式には独自集計としているため、オリコンデイリーチャートで3位まで公表されている推定売上枚数(以前は指数)の合計から導かれる順位とは必ずしも一致しない。集計期間は金曜日から木曜日となっている。また、毎年1月最初の放送では、「年間ランキングBEST50」(2003年のみBEST100)、6月最後及び7月最初の放送には上半期(1月 - 6月)BEST50を発表する(2009年のみBEST20)。2010年以降は、年間・上半期共にに放送されていない。1990年代にはゲスト席の後ろの左側にあるランキングボードに今週のベスト10が表示されていた。順位発表は普段PVだが、シングル曲を発売前に『ミュージックステーション』で披露した場合その時の映像になる。(両A面で違う曲を歌う場合を除く)
- コーナー開始当初は番組後半に行われていたが、その後は、1曲目終了後に行っていた。2010年2月に後述の「BIRTH YEAR SONGS」開始後は、そのコーナーと入れ替わりで2曲目の後に行うようになった(現在は20:30過ぎ頃に行っている)。
年度 | 曲名 | 歌手名 |
1995年度 | TOMORROW | 岡本真夜 |
1996年度 | LA・LA・LA LOVE SONG | 久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL |
1997年度 | CAN YOU CELEBRATE? | 安室奈美恵 |
1998年度 | 夜空ノムコウ | SMAP |
1999年度 | Automatic | 宇多田ヒカル |
2000年度 | TSUNAMI | サザンオールスターズ |
2001年度 | Can You Keep A Secret? | 宇多田ヒカル |
2002年度 | H | 浜崎あゆみ |
2003年度 | 世界に一つだけの花 | SMAP |
2004年度 | 花 | ORANGE RANGE |
2005年度 | 青春アミーゴ | 修二と彰 |
2006年度 | Real Face | KAT-TUN |
2007年度 | 千の風になって | 秋川雅史 |
2008年度 | truth/風の向こうへ | 嵐 |
2009年度 | Believe/曇りのち、快晴 | 嵐 / 矢野健太 starring Satoshi Ohno |
- MUSIC QUESTION?(MQ)
- 2009年10月16日生放送分からスタート。通称『MQ』。
- 音楽やアーティストに関する疑問・質問などを視聴者からはがき・手紙・メールなどで募集し、番組独自に調べ紹介する。採用されると番組特製ティッシュ箱が貰える。
- 当初は、VTRを使用していたが、後にスタジオでの竹内由恵からの質問や疑問にトーク内で内包される形に変わった。これ以降は、当初は「『MQ』のコーナーです」と紹介していたが、コーナー名の紹介はロゴなどの表示でしか確認できず、後に口頭で「質問のコーナーです」との紹介にとどまる形になっている。スタジオのトーク内に内包されてからはその回のアーティストからの質問もある。
- Young Guns(YG)
- 2005年2月18日生放送分の800回スペシャルからスタート。不定期で放送される。
- これから活躍が期待されるアーティストを紹介し、特集をするコーナー。通称『YG』。2007年2月18日放送分からは、番組ホームページで「Young Gunsに出て欲しいアーティスト」の応募も行っていた。
- なお、9mm Parabellum Bulletのみ、2009年6月と2010年4月の2回で紹介されていた。過去に取り上げたアーティストについては、ミュージックステーション Young Gunsに登場したアーティストを参照のこと。
- 2012年5月4日より半年間「MUSIC STATION YOUNG GUNS - ON THE WEB」としてWEB限定コンテンツとして再開した。
- ジェネレーション♪ソング
- 2012年10月26日生放送分からスタート。
- 各テーマに沿ったシチュエーションごとに思い浮かべる曲のある年代と現在のランキングを比較する。比較するランキングは、女性1,000人が選んだ「結婚式で流したい曲ベスト5」や「告白する時に聴きたい曲ベスト5」など。2013年1月からは、番組が47都道府県のうち1つを訪問し、平成生まれと昭和生まれの人たちに聞いた各テーマに沿ったシチュエーションごとに思い浮かべる曲のランキングベスト5を比較する。
過去のコーナー[編集]
- 1001名曲大全集
- 毎回1曲、懐かしの楽曲を歌って、日本版名曲大全集を作ろうとしていた番組開始初期のコーナー。
- YOU POP INFORMATION
- 早見優が担当していた初期の洋楽情報コーナー。
- がんばれ!先輩
- 1986年末から1987年夏にかけて行われていた企画。
- 毎回、ゲストアーティストの誰かの母校(主に小学校)の後輩達が生中継で出演していた。
- リポーターは藤井暁アナウンサー。
- アルバムランキング
- 内容は、「シングルランキング」と同じで、開始当初は「アルバムランキングベスト10」に関する映像を「シングルランキング」と同様に全て放送していた。
- 2005年3月頃に一旦終了したが、2006年1月27日の放送で復活した。復活後は、当日出演しているアーティストの作品や番組が注目するアルバムを1 - 2作品紹介していた。
- 「着うたランキング」が開始されると、まとめて放送されるようになった。復活当初は不定期だったが、2010年9月に事実上終了するまでは、ほぼ毎週このコーナーが放送されていた。
- ジャストフィットシリーズ
- 音楽をテーマにしたミニドラマ。1993年に開始。
- 「ジャストフィット家の人々」「Just Fitの名のもとに」「ジャストフィット相談室」といったタイトルが出て、その後、ワンシーンのシチュエーションが出てくるので、「このシチュエーションにジャストフィットする音楽は?」に対して、一般のアンケートやアーティストの意見を元に紹介するというコーナーで、1996年3月頃に終了した。
- 出演者や一部の間では賛否両論であったが、逆らえない状況もあったためか、男性視聴者及びジャニーズアーティストをはじめとする男性アーティストをフォローする一面もあった。ミニドラマには原田龍二と原久美子が出演。ミニドラマ最終回には原田がスタジオにゲスト出演した。タモリはこのコーナーに対して度々、前向きではないリアクションを見せていた。
- My Just Fit
- ゲストアーティストの曲の歌詞の一節を虫食いにして、「あなたならこの部分になんという言葉を当てはめるか?」と他のゲストアーティストに問うコーナー。こちらも「ジャストフィットシリーズ」と同様、1996年3月頃に終了した。
- 免許証拝見コーナー
- ゲストアーティストが自らの運転免許証を持ち寄って普段の顔と“テレビ映り”の顔とのギャップを見比べるのが恒例となっていた。THE YELLOW MONKEYの吉井和哉が自らの免許証を持参し披露したところあまりのギャップにタモリが大きな興味を示したことがきっかけでスタート。2003年頃に終了した。
- MUSIC STATION NEXT
- 番組終了後に放送されていた次回予告のミニ番組。2001年10月から2002年3月頃まで行われていた。
- 視聴者からの質問
- 2004年頃から始まった企画。番組ホームページで応募された視聴者からアーティストへの質問を本人が答えていくもの。2005年4月の番組リニューアルからは行わなくなり、7月の番組ホームページ、リニューアル時に応募も無くなったためこの企画はほぼ廃止した。後に「MUSIC QUESTION?」のコーナーへ移行された。
- Mステ秘宝館
- 2005年1月21日生放送分からスタート。
- 『ミュージックステーション』放送開始20周年を記念して設けられ、人気アーティストの初登場シーンや『ミュージックステーション』の舞台裏が覗けるなど秘蔵映像、トーク名場面を公開したコーナー(タモリが館長役、堂が副館長役)。
- 2005年4月22日放送分からは、その回のゲストアーティストのリクエスト(○年△月 - ×月)による形式になった。2005年10月7日放送分の「20周年突入記念スペシャル」を最後に終了した。
- 着うたランキング
- 2005年5月20日生放送分からスタート。
- 「シングルランキングBEST3」発表の前に発表される。2009年4月からは「シングルランキングBEST10」の前に順番が変更になった。「レコチョク」(旧・レコード会社直営♪)が集計した、「着うたランキングBEST20」が発表される(2009年8月5日放送分からBEST10に変更)。また、ランキングとは別に、注目の着うた楽曲も2、3曲取り上げる。2006年1月27日から放送分は、2005年3月に終了した「アルバムランキング」が復活し、新たに「ダウンロードランキング」(「iTunes Music Store」調べ)、「DVDランキング」が登場し、「着うた」発表後「アルバム」「ダウンロード」「DVD」の3つのランキングのうち1つをBEST10形式で発表する。末期には「着うたフルランキングBEST10」もあった。コーナー終了後は注目の着うた楽曲を取り上げるだけとなっている(こちらも後に廃止)。
- MUSIC TOPICS(Mトピ)
- 2005年10月28日生放送分からスタート。
- 歌手関連及び音楽関連のエピソードを2 - 3項目(最近は2項目で統一)をVTR形式にて今話題なことを紹介をするコーナー。偶に紹介されたアーティストなどからコメントVTRが届く事がある。年間最後の番組の同コーナーでは年末大恒例の『ミュージックステーションスーパーライブ○○○○』(丸の中には年数が入る)に出演するアーティストが紹介される。通称は『Mトピ』。
- 放送1000回直前企画『Mステスタッフが選んだ記憶に残る名場面集』
- 2009年11月6日生放送分から2010年2月5日生放送分まで行われた。
- 『ミュージックステーション』がこの日で990回目の放送回数という事で10回に渡りカウントダウン企画で生放送1000回目を迎える間近に『ミュージックステーション』のスタッフが特選した歴代・過去の映像を放送回数によって分け傑作集で数週間に渡って振り返る企画。振り返ったのは第1回 - 第800回の放送で、第801回 - 第900回の放送は日程の都合上なのか振り返られなかった。
- Mother's Songs
- 2010年7月9日生放送分からスタート。
- 「BIRTH YEAR SONGS」の派生コーナーで、小学生の子供を持つ母親に青春時代の思い出のラブソングを当番組が徹底的に調査をして、実際に母親から我が子へ思い出のラブソングを紹介するコーナー。
- アーティストイメージ一斉調査 Mステ国民投票
- 元々は番組ホームページ内で行われていたものだったが、2011年5月20日生放送分(厳密には同年4月29日放送分)から番組内でもスタートする。
- 視聴者からの投票を元に決定したテーマにアーティストイメージランキングを「BEST5」で5位から1位までを発表する。インタビューをする視聴者が学生の場合は、スタッフが特定の学校に訪問してロケを行う場合が多くなっている。
- わずか数回で番組内での放送は終了したが、2011年秋の番組ホームページリニューアルまで、番組ホームページには引き続き存在していた。
- BIRTH YEAR SONGS
- 2010年2月19日生放送分からスタート。
- ある年のヒット曲を、街角にいる(視聴者)それらの曲と同い年生まれの年齢の人々に聴いてもらい、番組放送日と同じ月のその年の月間シングルランキングTOP10(及び圏外曲)を順に10位から1位までを振りかえる。
- 当初は2曲目の後に行っていたが、現在はシングルランキングと入れ替わりで1曲目の後に行われている。
- このコーナーは聴く人々がほぼ学生であるため、スタッフが特定の学校に訪問してロケを行う場合が多くなっている。同年6月18日放送分で「Mother's Songs」と入れ替わる形で一旦休止後、同年8月20日放送分にその回の年月の「週間シングルランキング」に変わる形で再開した(『COUNT DOWN TV』の「CDTVライブラリー」に近い形となっている)。最近はその回の出演アーティストの出身地や母校に訪問する機会も増えている。
単発コーナー[編集]
- リクエストランキング・アーティスト総売り上げランキング
- 2002年秋頃から行われており、春と秋の3時間スペシャル及び1月最初の放送と6月最後もしくは7月最初の放送の2時間スペシャルで放送される。
- テーマに沿った曲を視聴者からリクエストを募った「BEST100」及び「BEST111」(2005年夏頃から)を発表する(2つに分けて「BEST50×2」で発表する場合もある)。また、「春・秋の3時間スペシャル」では、豪華ゲストアーティスト7 - 8組が生出演し歌唱する。
- 2011年頃からは、番組が独自に音楽リサーチ会社(オリコンチャート)に依頼して作成・集計した「アーティスト総売り上げランキング」をジャンル形式で発表している。
- FLASH BACK 〜トーク名場面集〜
- 1月最初の放送と6月最後もしくは7月最初の放送の2時間スペシャルで3部構成(2007年以降は4部)に分けられて放送される。1月は年間、6月・7月は上半期(1月 - 6月)の司会であるタモリとアーティストらのトーク名場面集を放送する。2009年以降は年間・上半期共に放送されていない。
1回だけ行われたコーナー[編集]
- プレミアム月間
- 2004年11月生放送分に行われた企画。
- 1ヶ月丸ごと使用して各週毎のテーマに合ったアーティストが3 - 4組登場、過去のVTRなどを振り返りながら過去の名曲と新曲をメドレーで披露した。2004年11月5日生放送は「冬の名曲特集」、2004年11月19日生放送は「10周年アーティスト特集」、2004年11月26日生放送は「今夜限りのスペシャルライブ」。セットもこの1ヶ月のみ400人の観客に囲まれた形に新調された。
- 1000回直前SP 秘蔵映像満載 Mステアワード1986 → 2010
- 2010年1月15日放送分にて放送開始24年目の『ミュージックステーション』で生まれた様々な記録を秘蔵映像と共に発表をする。
- また、この日から番組連動データ放送が開始され『ミュージックステーション』生放送中にテレビのリモコンの「d」ボタンを押すと画面にキーワードが表示され4週間分ある言葉を完成させると正解者の中から抽選で豪華アーティストの直筆サイン入りTシャツがプレゼントされる(但し、実施されていない一部地域が存在する)。
- ミュージックステーション 放送回数1000回SP 初登場1000組全部見せます
- 2010年2月12日生放送分にて放送回数1000回目を迎えて、番組開始当初から現在までの豪華ゲストアーティスト総合計1000組の『ミュージックステーション』初登場映像を五十音順に『ミュージックステーション1000回記念スペシャル』内にて放送した。
- 名曲♪ダンスコンテスト
- 2012年8月31日生放送分からスタート。
- 毎週、名曲に合う振り付けを事前に募集し、NO.1を決定する。応募作品の中から、ゲストアーティストに一押しのダンスを選出してもらう。
- デビュー年別 同期アーティスト名鑑
- 2012年10月19日生放送分からスタート。
- 同じ年代にデビューしたアーティストを年代別にランキング形式で紹介していく。
ミニステ[編集]
ミニステ | |
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放送局 | 日本 |
ジャンル | 音楽番組 / ミニ番組 |
放送期間 | 2002年10月18日 - 現在 |
放送時間 | 金曜日 19:54 - 20:00 6 |
制作局 | テレビ朝日 |
企画/PD | 伊東寛晃(演出兼務、テレビ朝日) / 山本たかお(CP、テレビ朝日) |
監督/総指揮 | |
演出 | 伊東寛晃(p兼務、テレビ朝日) |
原作 | |
脚本 | |
出演者 | 竹内由恵(テレビ朝日アナウンサー) 他 ゲストアーティスト |
ナレーション | |
音声 | ステレオ放送 |
字幕 | |
データ放送 | |
オープニング | |
エンディング | 松本孝弘「# 1090 〜Thousand Dreams〜」 |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: 生放送を行っている。(テレビ朝日と北海道テレビと岩手朝日テレビと山口朝日放送と九州朝日放送にて放送)。 | |
『ミニステ』は、2002年(平成14年)10月18日から本編レギュラー放送生放送開始前の毎週金曜日19:54 - 20:00(JST)に生放送が行われているミニ番組・音楽番組である。ステレオ放送、ハイビジョン制作が実施されている。
概要[編集]
番組開始前から前番組の終了直後に行われていた生放送による全ゲストの紹介予告(15秒)を拡大する形で開始。この形式の予告は当番組開始後はラストに行われるようになり、該当箇所には事前に編集・制作されたVTRによる番組予告が行われている。
司会・進行は本編のサブ司会者が担当している。番組開始当初から2004年3月までは武内絵美が、2004年4月から2008年9月までは堂真理子が、2008年10月からは現在までは竹内由恵が1人でその日のゲストアーティストのうち1組(2組)とトークを展開し、20:00から生放送が開始される『ミュージックステーション』の生放送開始直前の1コマ(番宣・ジャンクション・舞台裏)を伝えている。番組開始以降殆どの回にジャニーズ事務所所属のアーティストが出演している。
なお、SMAPが出演する際は基本的にはサブ司会者は出演せず、SMAPのみで出演しているが、2010年7月18日放送回ではベッキー♪♯と共演した。
『ミニステ』番組内(特に画面左下)で写る猫の顔をした女性イラストは武内絵美がデザイン(堂になってからは猫人間のイラストはほとんどなくなったが、堂デザインのアレンジ版もある)。
放送対象地域[編集]
『ミニステ』は当初、関東ローカルでの放送であったが、2005年10月28日からは岩手朝日テレビでも放送されている。
北海道テレビでは、2005年4月から『ミニステ』のネット放送が開始されていたが、2006年10月から11月までの2ヶ月間と、2008年1月18日から8月22日まで同局のマスコットキャラクターのアニメ『「ユメミル、アニメ「onちゃん」』が放送されていた7ヶ月間と、2009年と2010年に北海道テレビ独自の番宣番組に差し替え放送されていた期間と、2010年9月から2012年3月まで北海道テレビの石沢綾子アナが務める番宣番組の『アヤコレ!』が放送されていた18ヶ月間は『ミニステ』のネット放送が打ち切られていたが、2012年4月27日から『ミニステ』のネット放送が復活している。
九州朝日放送では2011年4月22日から『ミニステ』のネット放送が開始されている。
山口朝日放送では2011年10月から『ミニステ』のネット放送が開始されている。
特別番組(スペシャル放送)[編集]
春・秋のスペシャル[編集]
毎年、春(3月・4月の時期)と秋(9月・10月の時期)のテレビ番組改編時期にゲストアーティスト6 - 7組を呼び、19:00 - 21:54 → 19:00 - 21:48(JST)まで生放送の『3時間スペシャル』を生放送している。
レギュラー放送ではさほど曲順は重視されていないが、春・秋スペシャルや(『ミュージックステーションスーパーライブ』も)ではNHK『NHK紅白歌合戦』や民放他局の年末音楽番組と同様にセールスや序列などで曲順が決められ、トリには大御所格のベテランが起用される。
冬・夏のスペシャル[編集]
毎年、冬の1月最初の年内放送と夏の6月最後及び7月最初の放送に20:00 - 21:54 → 20:00 - 21:48(JST)まで『2時間スペシャル』(生放送ではなく録画放送)を放送している[19]。このスペシャルではゲストアーティストは一切出演せずにメイン司会であるタモリとサブ司会であるテレビ朝日女子アナウンサーのみの出演である。観客は通常通り入れている。[20]
放送内容は過去放送回のトークの名場面集やシングルランキングの総集編、リクエストランキング及び番組が独自に調査・制作したランキングを司会者のトークを交えつつVTRでの進行で行う。2009年以降は総集編は無くなり、番組が独自に調査・制作したランキングで司会者同士のトークの場面は極端に少なくなり、ほぼ全編VTR進行の構成となっている。
また、2011年・2012年は5月の初めに「2時間スペシャル」を放送している。こちらは生放送で「3時間スペシャル」に近い構成となっている。
スーパーライブ[編集]
毎年12月にその年を代表する豪華ゲストアーティストによる、年末特別番組『ミュージックステーションスーパーライブ』の生放送を行っている。1992年から放送が開始され、通常のレギュラー放送で生放送がされているテレビ朝日の本社からではなく、東京ベイNKホールにて開催されていたが、2005年6月で閉鎖されることになったため、2004年はさいたまスーパーアリーナ、2005年以降は幕張メッセで開催されている。
なお、放送時間が2時間半(1992年・1993年) → 2時間(1994年) → 2時間45分(1995年) → 3時間45分(1996年 - 2002年[21]) → 4時間5分(2003年) → 4時間10分(2004年から現在)と、傾向としては、年々長くなっている。現在は19:00(一部地域は18:53) - 23:10(JST)。
1組だけでのスペシャル[編集]
- 「DREAMS COME TRUE Magic Journey Special Live」(「JAZZY"M"」では、メイン司会のタモリがトランペットで参加。)
- 1994年9月2日放送分
- 「CHAGE&ASKA 15周年記念スペシャル」
- 「サザンオールスターズ デビュー30周年記念特番 ミュージックステーション まるごとサザンスペシャル」
2012年最強アーティストLIVEスペシャル[編集]
2012年11月30日放送分に、2012年最後のレギュラー放送ということで、ゲストアーティスト(The MONSTERS・EXILE・絢香・コブクロ・AKB48・Mr.Children)の「今年の一枚」、2012年の主な振り返り、歴代シングル売り上げトップ5を紹介。また、2012年12月21日放送の『MUSIC STATION SUPERLIVE』の出演ゲストアーティストも大発表した。
スーパーアイドルスペシャル[編集]
2013年3月1日放送分に、超豪華4組のゲストアーティスト(SMAP・嵐・AKB48・Perfume)による『スーパーアイドルスペシャル』をライブ形式にて生放送を行った。また、視聴者が選んだお気に入りのダンスナンバーベスト3も発表した。
備考[編集]
- 2002年秋頃から、スペシャル放送において、視聴者からリクエストを募った「ラブソングBEST100」「元気をくれた曲BEST100」などを発表するようになった。
- 2005年夏頃から「BEST111」となり、スペシャル放送によっては、出演アーティストの思い出の楽曲を発表する。
- 2006年には、「ジャニーズヒストリー」も行った。
- 2006年4月 - 2011年3月まで次の9時枠番組がドラマ枠だったため、春と秋のスペシャル放送は、第1弾(2時間スペシャル)・第2弾(3時間スペシャル)に分けて放送する場合があった。また、ランキングにおいて曲が紹介される時は、既に披露されている曲ならば披露時の映像である[22]、披露していない曲の場合は、PVが放映され、PVが製作されていない場合は、ライブ映像が放映される[23]。ライブ映像もない場合は、そのCDのジャケットが映される。例外として、過去のテレビ番組からの引用[24]、ライブ映像が2000年代後半頃から多用してあり、中には他局の協力を得て、放送される映像まである。
- 『ミュージックステーションスーパーライブ』では、2001年以降エンディングでTOKIOのリーダーの城島茂が「城島タモリ」(タモリのものまね・格好をして登場)を披露するのが恒例である[25]。しかし、2005年・2006年はTOKIOが司会を務めるフジテレビ系列『メントレG』が番組終了間際に開始されていたため、披露できなかった。2007年は、同年4月に『メントレG』が日曜9時に移動したことで3年ぶりの披露が期待されるもエンディングが短かったためか実現しなかった[26]。翌年、2008年に4年ぶりの披露が実現。それに代わって2008年以降は同メンバーの国分太一が出演するフジテレビ系列『全日本フィギュアスケート選手権』が番組開始と同時に開始されたが(ただし、放送時間は2時間。この時だけ国分は『スーパーライブ』のオープニングには出ていない)、他のメンバーへの影響はなく「城島タモリ」は2年連続で披露された。
SMAPは金SMAPの影響で21時前に出る事多い。2014年は金SMAP休止だったが21時前に出演した
テーマ曲[編集]
- 1986年10月24日 - 1990年3月23日:『ミュージックステーション・オリジナルテーマ』(前田憲男)
- 番組初期:『LOVE STATION』(早見優)
- 1990年4月13日 - 1992年3月20日:『The Desire』(原題:「DESIRE,THE* 欲望」)(横関敦)
- アルバム「SEA OF JOY」収録
- 1992年4月10日 - 現在:『#1090 〜Thousand Dreams〜』(松本孝弘(B'z))
- エンディング
- 1992年4月10日 - 2002年2月22日:『どうしても君を失いたくない - Instrumental -』(コーラス:大黒摩季)
- 2002年3月1日 - 現在:『# 1090[千夢一夜]』
- エンディング
スタジオセット[編集]
- スタジオセットは六本木センター(1986年5月末まで使用していた六本木旧社屋) → 東陽町放送センター → 六本木ヒルズ本社地下1階にある第1スタジオ(スペシャル時は第2スタジオも)を使用しており、ほぼ常時建て込まれている状態である。
- 『Mステ』のシンボルとなっている鉄骨は初代から既にある。
- トーク席は3~4列で座る。
- トーク席の司会者の左側に1アーティスト当たり、最小は1人で、最大は6~12人まで可能(7~13人以上は2列以上で座る)。
- 初代:1986年10月24日 - 1987年頃
- 2代目:1987年頃 - 1988年頃
- 3代目:1988年頃 - 1989年頃
- 灰色と白を基調とし、トーク席が丸い椅子から長椅子になったセット。このセットから座ってトークする形式になるが、ゲストによっては座ってトーク、立ってトークの2パターンがあった。
- 4代目:1989年頃 - 1990年
- 白いラインを基調としたセット。
- 5代目:1990年4月 - 9月
- 青と白を基調にし、左側に司会者テーブル、右側にゲスト席が設けられたセット。ゲスト席ではなく、司会者テーブルで座ってニュース番組のようにトークする形式となった。1990年7月 - 9月は司会者テーブルの後ろの壁に人形のようなイラストが描かれている。
- 6代目:1990年10月 - 1991年3月
- 白を基調としたセット。司会者テーブルが廃止され、このセットから観客席が設けられ、1991年1月より観客が入るようになる。二つの四角形のセットが並び、この二つの四角形のセットの中に観客が入り、中央に階段が設けられ、オープニングでゲストが降りてくるようになり、現在にも引き継がれている。トーク席は階段の前に左右それぞれに設置。
- 7代目:1991年4月 - 1993年3月
- 白を基調としたセット。二つの四角形が六角形に変わり、右側の観客席がトーク席と出演者が見るモニターに変更(左側に観客席、中央にカーブ式の階段、右側にトーク席とモニター)。また、このセットからランキングボードが登場し、シングルランキングが始まるとランキングが表示される。トークや楽器曲披露の場合は絵が差し替わっている。
- ちなみにこのランキングボードに書かれている絵はMをモチーフにしたキャラクターでタモリを模している。下にはSTATIONと書いている。1992年4月からはMをモチーフにした絵に変更し、モニターの部分は「M」を斜めにしたものに変わった。モニターは当初2か所ぐらいあり、表にはMをモチーフにしたキャラクターでタモリ・生島を模したものであった(左がタモリ、右が生島)。1992年からは3か所目の長方形のモニターが設置されるようになり、表には横に「MUSIC STATION」と書いている。
- 8代目:1993年4月 - 1996年9月
- 二つの六角形が扇形に変わる。また、階段が直線式に変わった。またランキングボートはMをモチーフにした絵から、「MUSIC STATION」に変わった。またモニターの表はMを斜めにしたものに変わった。
- 9代目:1996年10月4日 - 2000年1月
- 先代のセットをマイナーチェンジ。ランキングボードは廃止。このセットは上の柱と柱の間にパネルが設置された。モニターの表は上に「MUSIC」下に「STATION」に変わったが形は従来のままである。
- 10代目:2000年2月 - 2003年9月12日
- 六本木センター建て替えに伴い、使用していたスタジオが六本木センターから東陽町放送センターに移動。
- 左側にトーク席、右側に観客席、その間に階段が設けられる。またセット上の柱と柱の間にあったパネルが廃止。
- 11代目:2003年10月3日 - 2005年4月1日
- テレビ朝日の社屋移転に伴い、使用していたスタジオは東陽町放送センターから六本木ヒルズ新本社の第1スタジオへ変更された。
- 左側に観客席、右側にトーク席が設けられ、その上にLEDパネルが設置された。中央の観客席のバック上には「MUSIC STATION」と書かれている。また、両側に階段が設けられた(これに伴い、ゲストは左右交互に降りてくる)。2005年1月21日に観客席とトーク席が入れ替わり、トーク席のバックだけは変わり、液晶モニターが複数設けられた(モニターには番組のロゴやコーナーのタイトルが映る)。
- 12代目:2005年4月22日 - 2006年9月22日
- ほぼ先代の末期と一緒のセット。左側に設けられていた階段が撤去された。また、番組ロゴなどのリニューアルに伴い、観客席の間に階段を設置するなどセットの一部を改装した。また、階段上のバックは観客席中央のバックとほぼ同じである。モニターの表は番組ロゴに変わる。
- 13代目:2006年10月13日 - 2011年9月16日
- 先代のアレンジ版。中央の観客席のバック上に真ん中に番組ロゴ、左側に「M」のマーク、右側に「20M(Mは下)」の20周年記念のマーク(階段上のバックも同様)が書かれており(後に右側の「20M」が「M」のマークに変わる)、トーク席のバックはバック右側に特大モニターと左右につながった小さいモニター(3つ)が設けられ、バック左側には「MUSIC STATION」と横に書かれたロゴが書かれている。LEDパネルもピッチの間隔がより狭くなりドット数が増え色鮮やかになった。ちなみに歴代セットの中ではこのセットが一番長く使われ続けていた。
- 14代目:2011年10月14日 - 現在
- 先代から踏襲し、数年ぶりに新デザイン。5年ぶりにセットリニューアルをした。ドーム並のコンサートを踏襲したセット。消えると透明、点灯や点滅がすると透けて見えるLED「ClairCell」(クレアセル)電飾を日本のテレビ番組のセットとしては初めて導入、2003年10月以降に続けているLEDパネルは継承。大幅な省電力化と様々な楽曲に合わせて細やかな雰囲気作りとなった。[29]また、これまでは左側がトーク席、右側が観客席(その間に階段)だったが、今回のリニューアルを機に左側が観客席、右側がトーク席、中央に階段と位置が変わった。1列のトーク席の1アーティストは、5~9人から10~12人へと拡大された。中央の階段の登場口では、1アーティストずつ、左右交互で登場する(大人数グループの場合は左右同時に登場する(主にAKB48、EXILE等))[30]。また、司会者の背にあるモニターは先代よりコンパクトな感じになった。
- また、これまで冬・夏の2時間スペシャルではトーク席をバックにテーブルと椅子を設置していたが、このセットではトーク席ではなく、観客席をバックにテーブルと椅子を設置している。
番組タイトルロゴ・カラーリング[編集]
- 番組開始 - 2003年9月12日:「ミュージック-MUSIC STATION-ステーション」
- 同局で放送されていた報道番組『ニュースステーション』のロゴを模した初代ロゴ。上に「ミュージック」下に「ステーション」(金色→白色→銀色で縁取られた)で、その中間に英語表記(カラーリングは番組開始から1987年頃は緑色、1987年から1990年3月までは銀色で1990年4月から2003年9月は青色)。旧社屋から、六本木センター建て替えに伴う代替施設として使用された東陽町放送センターまで15年以上続いたロゴだった。「SPECIAL」の色は1990年代までは金色(「SPECIAL」)で2000年代以降は赤色(「SPECIAL」)。
- 2003年10月3日 - 2005年4月1日:「ミュージック-・MUSIC STATION・-ステーション」
- 先代のアレンジ版。この時だけ「SPECIAL」のロゴは紅色(「SPECIAL」)。
- レギュラー放送:「ミュージック-・MUSIC STATION・-ステーション」
- スペシャル放送:「ミュージック-・MUSIC STATION・-ステーションSPECIAL」
- 2005年4月22日 - 2011年9月16日:「“MUSIC STATION”▶▶」
- 番組開始以来初めて英語表記のタイトルに変わった番組ロゴ。オープニングだけでなく、テロップ、LEDスクリーンなどのデザインが統一された。
なお、クオーテーションマーク(『“”』)はロゴが横書きで表示される場合「”」が表記されない。
同時にオープニングCGでは、スペクトル色の液体CGが多用される。
- 2011年10月14日 - 現在:「MUSIC STATION●━ ━●SINCE 1986」
- 6年半ぶりに番組ロゴを新調。立体的なロゴではなくグラフィックとして洗練されたロゴ。立体感は無いが、ロゴの中で多様な青色が何色も使用され光沢感をだしている。
新聞ラ・テ欄のタイトル表記が「Mステーション」となってから、1行目の空きスペース残り2文字を埋める言葉に「今夜」が最も多く使われている(他には『豪華』など)。また初期のラ・テ欄では出演者同士の対決色を煽る文章が書かれる事があった。
テロップフォント[編集]
司会者・アーティスト表示[編集]
- 放送開始 - 1992年3月
- 1992年4月 - 1998年
- フォントはスーシャB(写研)。
- 1999年1月 - 2003年9月12日
- 2003年10月3日 - 2005年4月1日
- フォントは?。ここからアニメーションのデザインが付いた。左上にダイヤモンドがのっかったもので司会者は青緑、アーティストは緑である。アーティストのデザインは登場時とトーク時で異なる。これは以降の変更時でもほぼ同じである。
- 2005年4月22日 - 2008年9月12日
- ここから名前表示に「MUSIC STATION」の装飾が付くようになった。デザインは司会者とアーティストで若干異なる。
- 2008年10月3日 - 2010年2月12日
- デザインを変更。デザインは司会者とアーティストで若干異なる。司会者のデザインは左上に「MUSIC STATION」の装飾が付いている。
- 2010年2月19日 - 2011年9月16日
- デザインを変更。デザインは司会者とアーティストで若干異なる。両方ともデザインは左に「(M)」のマークが付いている(スペシャルの際には「(M)」の下に「SPECIAL」のマークが付いている)。名前表示の色はタモリが紺色、竹内由恵がピンク、アーティストが赤色となっている。また、当初は竹内由恵の名前表示の際には「MUSIC STATION」の装飾が付いていなかったが、2011年3月25日より竹内由恵にも「MUSIC STATION」の装飾が付くようになり、「テレビ朝日アナウンサー」の肩書きは名前と同じピンクとなった。
- 2011年10月14日 - 現在
- デザインを変更。デザインは司会者・アーティスト共通となっているが、「MUSIC STATION」の装飾のデザイン色はレギュラー・スペシャルで異なり、レギュラー放送は青、スペシャル放送はピンクとなっている。
曲披露[編集]
番組内でアーティストが曲を歌う際のテロップも変更されている。ただし、こちらは番組の改装に合わせた変更はほとんど意識されていない。
- 放送開始 - 1992年3月
- 曲の冒頭でタイトル・アーティスト・作詞作曲テロップが表示され、このスタイルは現在もなお引き継がれている。文字体は丸ゴシック(ナール)で、歌詞テロップはこの頃はまだ記載されていなかった。
- 1992年4月 - 1998年
- 初めて歌詞テロップが採用される。
- 1999年 - 1999年12月
- 文字体を丸ゴシックからゴシック体へ一新。
- 2000年1月 - 2003年9月
- 文字サイズが小型化。
- 2003年10月3日 - 現在
- 文字体はそのままに冒頭のタイトル・アーティスト・作詞作曲テロップにアニメーションが挿入され、お洒落なデザインとなった。また、2005年4月1日まではレターボックスにも右上にタイトル・アーティストのテロップが表記されていた。フォントはスーラ-B。アニメーションの変更は番組ロゴの複数回の変更の時に行われている。
- 2005年4月22日の改装以降は初登場アーティストのみ左上(右上)にタイトル・アーティストのテロップを表記していたが、2009年夏あたりから全アーティスト一貫してタイトル・アーティストのテロップを左上に、2010年7月あたりからその曲の簡単な概要(例:「今週のNo.1ソング」など)を右上に表記している。また、これまで海外アーティストの曲披露の際は、本来の英訳歌詞しか表示されなかったが、『ミュージックステーションスーパーライブ2005』でのO-ZONEの出演以降は、英訳歌詞の下に小さく和訳歌詞も表示されることになった。これは外国語詞の楽曲を歌唱する邦楽アーティストでも同様である。
- 2011年10月からは縁取り無しになっている。また、リクエストランキングや「BIRTH YEAR SONGS」でも同じ歌詞テロップが付加されるようになった。
シングルランキングの本文など[編集]
- 1994年4月 - 1996年9月
- 1996年10月 - 2000年1月
- 2000年2月 - 2003年9月12日
- 2003年10月 - 2005年3月
- 2005年1月にそのシングル曲の解説がつくようになるなどの、若干のマイナーチェンジを行った(ランキングのカウントは除く)。
- 2005年4月22日 - 2008年9月
- 2008年10月 - 2010年2月5日
- 2010年2月19日 - 2011年9月
- 2011年10月 - 現在
- 当番組の25周年リニューアルにより、タイトルロゴや順位の数字、あらゆる解説の文字が一新。
字幕・テロップ[編集]
なお、著作物(音楽)を演奏している最中と前後には右下にウォーターマークが常に表示されている。これは、地上デジタル放送の促進で高品位な映像と音声が記録可能であり、これらの映像が高品位のまま権利者に無断で複製されるのを水際で阻止するためで、2005年4月22日から表示され始めた。さらに近年は出演者が出演している時にもこれらの表示がされる様になった(肖像権保護のために)。この表示は、特別番組や季節で若干のデザイン変更はあるが、基本的に表示されないという事は一切ない。
番組に関すること[編集]
観覧希望[編集]
当番組はスタジオに観客を入れての生放送だが、年2回(1月の第2週と6月の最終週もしくは7月の第1週に放送される視聴者からのリクエストランキング&トーク名場面集スペシャル)は録画放送である。前述のジャニーズ枠との関係か、スタジオでの観覧資格は18歳〜25歳の女性限定となっており、出演者のファンクラブより会員限定にて募集が行なわれる[31]。
なお、毎年12月下旬開催で年末年始に生放送がされている特別番組『ミュージックステーションスーパーライブ』は一般公募制となっており、年齢や性別、およびファンクラブ加入の有無を問わず観覧可能になっているが、こちらは事前抽選による募集である。
また、未だに生放送だと思っていない、または信じていないアーティストや視聴者も多い。アーティストから「本当は録画ですか?」「いつ放送するんですか?」[32]と言った質問をされると司会者がしばしば話している。
番組特製グッズ[編集]
番組生放送終了後に、ノベルティグッズとして、その日に出演したアーティストに番組名のロゴマークが入った5つのティッシュボックス1パックを配布している。これは、番組開始当初から行なっていることで、番組開始当時のプロデューサーであったテレビ朝日事業局長の北村英一いわく、「『安い値段でたくさん作れて、全ての人々が必要なもの』といえばティッシュが最適」ということでティッシュにしたという[33]。当時はティッシュだけではなく、毛玉取り機や爪やすりなどといったノベルティグッズも存在していたという[34]。ティッシュのデザインは2005年と2011年10月に変更されている。2011年10月に新調された際には、開け口には staying with music!のコピーが印刷されている。
きせかえコンテンツ[編集]
2010年7月中旬から、当番組の携帯電話専用のきせかえコンテンツがテレビ朝日の携帯ホームページの「テレ朝コンプリート!」で配信されるようになった。テレビ番組史上初となる試みのコンテンツでは、当番組のCGをイメージした演出に、当番組のお馴染みのボイスナレーター・ウォード・セクストンによって、電話着信やメール受信を知らせる着ボイスを配信可能とした。その他には、ウォード・セクストンに合わせて当番組のオープニングテーマ曲である松本孝弘が作曲の「# 1090 〜Thousand Dreams〜」が流れる“DX着信ボイスVer.”も配信された。
さらに、きせかえのTOPメニューページの操作中に、100万回に1回の確率で特別なメニューアイコンが現れる仕掛けもされている。
番組ホームページについて[編集]
アフターMステ[編集]
毎回、番組終了後にその日に出演をしたアーティスト達にその日に番組が終わっての感想やファンに向けてのメッセージをフリップに書いて当番組専用ホームページにて公開している。
Mステツイッター[編集]
2012年からは当番組専用の『twitter』が当番組専用ホームページでスタートした。
番組情報やアーティストの出演情報などを紹介している。
Young Guns on the Web[編集]
当番組の放送開始25周年記念として、番組ホームページやYouTubeなどで、インターネット向けのオリジナル動画番組『MUSIC STATION YOUNG GUNS ON THE WEB』が2012年5月4日より配信開始。
毎回、2012年、当番組への出演が期待出来るアーティスト1組をピックアップして、トークやスタジオライブを随時配信する。司会進行は竹内由恵が1人で行い、当番組と同じスタジオセットで毎回『ミュージックステーション』生放送終了後に収録される。基本的にはメインスポンサーのP&GのCMを見てから視聴する形になっている。番組中、観客の歓声や拍手が入っているが、この番組は観客を入れておらず、歓声や拍手の音で処理されている。
ちなみに冒頭のタイトルコールはウォード・セクストンではなく、服部潤が行っている。
沿革・記録[編集]
放送時間[編集]
すべて日本時間(JST)で記す。
期間 | 放送時間 (レギュラー放送) |
放送時間 (スペシャル放送) | ||
---|---|---|---|---|
春・秋 | 冬・夏 | |||
1986.10.24 | 2000.3 | 20:00 - 20:54(54分) | 19:00 - 21:54(174分) | 20:00 - 21:54(114分) |
2000.3.31 | 19:00 - 21:48(168分) | |||
2000.4.14 | 2000.9.15 | 19:54 - 20:48(54分) | 19:54 - 21:48(114分) | |
2000.10.6 | 現在 | 20:00 - 20:54(54分) | 20:00 - 21:48(108分) |
- 備考
- 1990年代までは春・秋の3時間スペシャル、冬・夏の2時間スペシャルは終了時間が21:54だったが、2000年代以降は『ニュースステーション』が2000年3月27日より、フライングスタート(21:54からのスタート)を実施したことに伴い、終了時間も21:48と6分短縮された。
- 2000年4月14日から9月15日までは『Nステ』のフライングスタートに伴い、開始時刻を6分前倒し、フライングスタートを実施していた。2000年10月20日より元の20:00スタートに戻っている。
- 2013年1月11日の2時間スペシャルは久しぶりに20:00 - 21:54の放送時間であった。
出演回数ランキングベスト15[編集]
(2024年現在)
|
|
瞬間最高視聴率ランキングトップ5[編集]
(2024年現在)
順位 | 放送回数 | 放送日 | 主な内容 | 視聴率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
第1位 | 第300回 | 1993年8月27日 | CHAGE and ASKAのCHAGEが外国人コーラスに身振り手振りで通訳した瞬間 | 38.7% | 第300回記念SP |
第2位 | 第565回 | 1999年6月18日 | 当時16歳の宇多田ヒカルが初登場で 「First Love」を歌い終え笑顔になった瞬間 |
33.6% | |
第3位 | 第394回 | 1995年10月6日 | TRFのSAMが視聴者から寄せられた似顔絵を見て思わず苦笑いをした瞬間 | 29.2% | 放送開始10年目突入SP |
第4位 | 第500回 | 1997年12月26日 | B'zの稲葉浩志が「Calling」を歌唱し雄叫びをあげた瞬間 | 28.4% | 『スーパーライブ'97』 |
第5位 | 第241回 | 1992年4月10日 | プリンセスプリンセスが「M」のサビを歌唱した瞬間 | 28.1% | 視聴者からのリクエストNO.1 の曲を歌うSP |
(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) |
放送回数記念日[編集]
放送日 | 番組放送回数 |
---|---|
1986年10月24日 | 放送開始第1回目 |
1988年12月9日 | 放送開始第100回目 |
1991年4月12日 | 放送開始第200回目 |
1993年8月27日 | 放送開始第300回目[35] |
1995年11月24日 | 放送開始第400回目 |
1997年12月26日 | 放送開始第500回目[36] |
2000年5月5日 | 放送開始第600回目 |
2002年8月9日 | 放送開始第700回目 |
2005年2月18日 | 放送開始第800回目 |
2007年8月3日 | 放送開始第900回目 |
2010年2月12日 | 放送開始第1000回目 |
番組史[編集]
- 1980年代(1986年10月 - 1990年3月)
1986年10月24日、放送開始。メイン司会者の関口宏の他に、サブ司会者に中原理恵、スタジオサブ司会者に早見優を中心に進行。記念すべき第1回目の放送は、花火をバックにタイトルロゴ表示と早見のタイトルコールで番組が始まった。テーマ曲は前田憲男作曲の番組オリジナルテーマに。
初期は『夜のヒットスタジオ』のようなオーケストラピットを用いて、楽曲を演奏・披露するというスタイルをとっていた。また、全国各地からの中継で楽曲を披露するスタイルも度々あった。
記念すべき第1回目のゲストアーティストはチェッカーズ・近藤真彦・中山美穂・中森明菜・本田美奈子.・河合奈保子・早見優・安全地帯・細川たかし・アン・ルイスが、海外からのゲストとして香港からジャッキー・チェンが生中継で出演をした。第1曲目はチェッカーズで披露曲は「NANA」だった。
当時の番組は、若年層向けのJ-POP系・アイドル系から中高年向けの演歌歌手まで出演する「ファミリー向け」番組で、関口が特に若年層向けの歌手や音楽に、若者が演歌にいずれもついていけず、関口自身も「おじさんだから」と番組中によく発言していた。半年後の1987年3月27日をもって関口が降板し、早見もスタジオサブ司会者から外れた。
1987年4月改編で番組のテコ入れを実施。その一つとして、1987年4月3日より、タモリが2代目メイン司会者として就任した。タモリの就任後も引き続き「ファミリー向け」番組として番組は続けられた。
1988年から演歌歌手の出演が次第に減少する傾向にあった。また、この頃から光GENJIが番組のレギュラー出演として定着する。
- 1990年代(1990年4月 - 2000年3月)
1990年4月13日、サブ司会者に元TBSアナウンサーの生島ヒロシが就任。スタジオサブ司会者はこの間は不在で、タモリと生島の2人体制となる。スタジオセットとテーマ曲がリニューアル。テーマ曲が横関敦の「The Desie」に変わる。この代のセットは司会者テーブルとゲスト席に分かれたセットで、司会者テーブルでトークするというニュース番組のようなスタイルだった。
1990年10月から階段からゲストアーティストが降りてくるセットになり、オープニングでゲストが降りてくるようになり、降りている間はサブ司会者によるゲストの紹介があった。また、1991年1月から観客を動員するようになった。
1991年4月からセットがリニューアル。同時にオープニング映像もスタジオに変わり、徐々に司会者へとズームアップしていくという演出に切り替わった。
1992年4月10日からテーマ曲がB'zの松本孝弘作曲の「#1090 〜Thousand Dreams〜」に刷新され、以降はこの曲が番組のテーマ曲として定着した。また、オープニングもスタジオ全体をほぼ暗い状態にしてからのスタートとなり、タイトルロゴ表示後、司会者へズームアップしていくの同時にスタジオが明るくなるという演出に変わった。
1992年年末より、当番組の年末音楽特別番組として『ミュージックステーションスーパーライブ』が開始した。
1993年4月、元フジテレビアナウンサーの有賀さつきがスタジオサブ司会者に就任。この半年間はタモリ・生島を含めて3人体制となった。半年後の1993年10月より、有賀がサブ司会者に昇任し、再びタモリを含めた2人体制となり、同時にスタジオサブ司会者はこれをもって完全廃止となった。
1996年4月5日、新サブ司会者にテレビ朝日アナウンサーの下平さやかが就任。これ以降サブ司会者は、テレビ朝日の女子アナウンサーに固定される。この頃は、「シングルランキング」以外にコーナーはほとんどなかったが、トーク内に「免許証拝見コーナー」を入れるテコ入れを行っている。
2000年1月1日、番組初の元旦スペシャルが放送された(録画放送)。セットもこの日のために特別に組まれた。
2000年2月、番組開始からスタジオとして使用していた六本木センターの建て替え工事に伴い、東陽町放送センターに移動。スタジオセット・オープニング・番組ロゴの色を新しいものに変更した。
- 2000年代前半(2000年4月 - 2005年3月)
2000年4月14日、1999年の「スーパーライブ」で前説を担当していた武内絵美がサブ司会者に就任。この半年間は『ニュースステーション』のフライングスタートにより、19:54 - 20:48の放送となっていた。半年後、20時台のフライングスタートが廃止となり、再び20:00 - 20:54の放送に戻った。
2001年10月から2002年3月まで当番組終了後のミニ番組として『MUSIC STATION NEXT』が放送されていた。
2002年3月1日、3代目テーマ曲作曲者のB'zの松本孝弘がスタジオに登場。「恋歌」と「#1090 〜Thousand Dreams〜」のリメイク曲「#1090千夢一夜」を披露した。この日よりエンディングテーマが「どうしても君を失いたくない -Instrumental-」からこの「#1090千夢一夜」に刷新された。
2002年秋のスペシャル放送から、視聴者からリクエストを募った「ラブソングBEST100」「元気をくれた曲BEST100」などといったテーマに沿った「リクエストランキングBEST100」を開始した。同時に2002年10月14日から、本番組開始前のミニ番組として『ミニステ』開始される。
2003年10月3日から、テレビ朝日がアークヒルズ本社から六本木ヒルズ新本社へと社屋移転したのに伴い、『Mステ』もスタジオセット・タイトルロゴをリニューアルした。タイトルロゴは初代のデザインにアレンジを施したものだった。六本木ヒルズ新本社からの最初の放送はスタジオのみならず、六本木ヒルズ各名所からの歌披露となった。また、この回よりハイビジョン制作を開始。地上アナログ放送では画面の上下が黒帯のレターボックス映像で放送されていた(2005年4月1日まで)。
2004年4月9日より、新サブ司会者に堂真理子を起用。堂は新人アナウンサーかつテレビ朝日入社からわずか8日でデビューを飾った。
2004年11月、1ヶ月限定の特別企画として「プレミアム月間」が行われる。
2005年1月21日、スタジオセットの席の入れ替えとトーク席のリニューアルを行う。同時に『Mステ』20年目突入記念企画として「Mステ秘宝館」を開始。
2005年2月18日、放送回数800回を突破。この回から期待のアーティストを紹介するコーナー「Yong Guns」を開始。また、ゲストアーティストの紹介方法がサブ司会者からウォード・セクストンによる紹介に変更された。
2005年4月1日、番組開始から(六本木ヒルズ社屋移転時のアレンジ版も含めて)18年半にわたって変わらずに使われ続けていた『ニュースステーション』の初代ロゴを模したロゴはこの回で最後となった。
- 2000年代後半・リニューアル期(2005年4月 - 2011年9月)
2005年4月22日、番組の全面リニューアルを行う。出演者は司会のタモリ・堂に加え、ナレーターとして服部潤(実際の登板は2005年4月1日から)、5月頃からユキ・ラインハートが加わり、ウォード・セクストンを含めてナレーターとしての出演者は3人となる。スタジオセットやタイトルロゴ・グラフィックデザインやVTRのCGも大幅にリニューアルした。また、この回から画面右下にウォーターマークが常時表示されている。
2005年5月20日から「シングルランキング」BEST3の発表の前に「着うたランキング」が開始される。2006年1月27日からこれに加え、「アルバムランキング」「ダウンロードランキング」「DVDランキング」が加わる。
2005年夏から「リクエストランキングBEST100」が「リクエストランキングBEST111」に変わる。これ以降「リクエストランキング」は「BEST100」や「BEST111」であったり、2つのジャンルに分けて「BEST50(または100)×2」など回によってまちまちとなる。この日より番組公式ホームページも番組リニューアルから3ヶ月遅れでリニューアルした。
2006年10月20日、放送開始20周年を迎える。その記念として9月22日(2時間スペシャル、もう一度みたいあの名場面一挙大公開スペシャル)、10月13日(3時間スペシャル、もう一度聴きたい曲ベスト100×2)に20周年記念スペシャルを放送した。10月13日の3時間スペシャルにはセットをマイナーチェンジし、オープニング時のカメラ演出が広角となり、明るくなった。
2008年10月3日、竹内由恵がサブ司会者に就任。番組ロゴをマイナーチェンジ、番組公式ホームページも2005年夏以来大幅にリニューアルされた。
2010年2月12日、放送回数1000回目を迎える。『ミュージックステーション1000回記念スペシャル 初登場1000組全部見せます』と題して、これまで登場したアーティスト1000組の初登場シーンを振り返る。
2010年2月19日からは名曲コーナーとして「BIRTH YEAR SONGS」を開始。
2010年4月23日より、放送前のクロスプログラムで、直前番組『クレヨンしんちゃん』の主人公・野原しんのすけによる「このあとは、ミュージックステーションだゾ」という番組紹介が追加された。
- 2010年代~現在(2011年10月 - 現在)
2011年10月14日、放送開始から25周年を迎えた。スタジオセットを2006年秋以来5年ぶりに、タイトルロゴとグラフィックデザイン・VTRのCGを2005年春以来6年半ぶりに新しいものに変更した。番組公式ホームページも2008年秋以来3年ぶりにリニューアルした。
2012年5月4日から「Young Guns」のスピンオフ動画番組『MUSIC STATION YOUNG GUNS ON THE WEB』が番組ホームページとYouTubeの番組公式チャンネルなどで配信開始される。
番組での出来事など[編集]
1980年代[編集]
- 1987年1月9日
- この日石原裕次郎がハワイからの衛星生中継で登場し、近況報告をした。「BEYOND THE REEF」を現地から歌唱。これが生涯最後のテレビ生出演となった。6ヵ月後の7月17日に裕次郎が亡くなり、その日が金曜日だったため、19:30からのアニメ枠(当時は『宇宙船サジタリウス』を放映)から90分の緊急追悼特番を組んだ。その後20:00からは『Mステ』のスタジオから放送し、司会のタモリや当日の出演歌手も引き続いて出演し故人を偲んだ。また、『ニュースステーション』の金曜版でもこの訃報を報道した際、この日のゲストである浜田麻里と江守徹がこの件に関して追悼コメントを述べた。
1990年代[編集]
- 1990年8月24日・31日
- 聖飢魔IIが「有害ロック」の演奏中、デーモン小暮閣下が大暴走。24日はスタジオ破壊、31日には消火器のようなものをまき散らすなどして大暴れした。ちなみに24日の放送では光GENJIもこれに便乗し、大暴れした。
- 1990年8月31日
- サザンオールスターズが映画『稲村ジェーン』の主題歌「真夏の果実」を演奏。曲中盤で映像が流れた。同日は夏休み最後ということもあり、出演者にはかき氷が振舞われた。
- 1992年7月10日
- この日生島ヒロシが、本番中に左の鼻の穴から出血するというハプニングが発生。その後鼻の穴に綿を詰めて進行した。翌週7月17日の槇原敬之とのトークではCDの売れ行き状況を「鼻血が出そうな勢いですね」と自虐的なコメントをする。
- 1992年8月7日
- この日ZARDが『Mステ』でテレビ初出演。この時の坂井泉水はかなり緊張していた。披露した曲は「眠れない夜を抱いて」だった。
- 1993年1月15日
- この日は北海道釧路沖を中心に震度6の地震(釧路沖地震)が20時6分頃に発生。東京でも震度3を観測し、スタジオが揺れる様子も放送された。その後の『ニュースステーション』は内容を大幅変更しニューススタジオから放送した。
- 1993年2月5日
- 前年8月7日の同番組で初のテレビ出演を果たしたZARDが「負けないで」で自身5度目の番組出演。ZARDは「負けないで」で大ブレイクしたが、この時期を境に極端に露出を控えるようになり、この放送後はテレビ番組でトークを披露することは無くなった(その後も、テレビ番組で一方的にコメントを寄せる映像が放送されることはごく稀にあった)。
- 1993年9月10日
- 北海道南西沖地震の応援歌としてリリースした「なぜこんな時代に・・・」で泉谷しげるが『Mステ』初出演。曲中にはテンションが上がり客席へ乱入した。その後はもみくちゃにされたり帽子を取られたりとで結局ほとんど歌えなかった。
- 1993年12月24日
- 東京ベイNKホールで行われた「SUPERLIVE93」にて、X JAPANが「X」披露後、ドラマーのYOSHIKIがドラムセットを破壊、投げた椅子がテレビカメラに直撃した。番組終了後、そのテレビカメラは使用不可能となったらしい。そして、ギターのHIDEは、自分のギターを股に挟んで腰を振ったり、ギターを振り回すなどの過激なパフォーマンスをし、お決まりの「飛べ、飛べ、飛べ、飛べ…」のセリフの後に叫んだ「俺たちがサンタクロースだーー!!」はあまりにも有名。ちなみにYOSHIKIがライブ中にドラムセットを破壊するのはよくある事であるが、音楽番組で破壊するのはこれが最後と見られる。
- 1994年6月24日
- この日の放送回のエンディングで曲が流れる中、提供読みが進み、きれいに番組が終了すると思いきや、次の瞬間タモリが和田アキ子にキスをし、和田はびっくりした表情を見せた。後日タモリは「あの人(和田アキ子)は耳の後ろが弱い」と満足そうな笑みを浮かべ述懐した。
- 1995年1月20日
- 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)から3日後の放送。アーティストの紹介後、有賀さつきが兵庫県南部地震の被災者へのお悔やみの言葉を述べた。この日出演したSMAPが兵庫県南部地震の被災者への応援メッセージを述べると共に「がんばりましょう」を歌った。
- 1995年9月1日
- この日、9月3日をもって解散する光GENJIがラストライブ。数曲をメドレーで披露し、最後の曲となった「ガラスの十代」のカップリング「Graduation」を歌唱し、紙吹雪が降る中ローラースケートをステージの中央に置いて姿を消し終わった。その後ステージの中央に置かれたローラスケートの部分が照明で明るくされた。この日の最後の出演で234回目となり、歴代トップの出演回数を残した。
- 1995年10月20日
- メンバーを代表して奥居香が「来年(1996年)の5月でPRINCESS PRINCESSを解散します」と全国のファン・視聴者に向けてPRINCESS PRINCESSの解散を宣言することを発表した。「M」「Fly Baby Fly」の2曲を歌唱。また、解散直前の1996年5月24日には最後の出演をし、1989年の大ヒット曲「Diamonds」を歌唱した。
- 1995年12月1日
- この日のMステでTo Be Continuedの曲披露後、緊急ニュースが急遽放送され番組が一時中断した。この時GLAYが曲披露を出来るかどうかが不安視されたが約10分後番組が再開され無事に「生きてく強さ」を披露した。
- 1997年8月1日
- 大黒摩季が、当時テレビ朝日主催で行われていたイベント「パイン'97」の会場であった、レインボースクエア有明特設ステージからの生中継出演として、音楽番組への初出演[37]を果たし、「あなただけ見つめてる」「熱くなれ」「夏が来る」「ら・ら・ら」をメドレーで歌った。タモリともトークがあり、「大黒摩季は実在しない」という都市伝説をタモリに笑顔で問われ、本人は「意外に良く知っていて、そうなんだと笑いながら聞いていた」そうで、「この通り実在しております」と初めて本人の口から数々の都市伝説を一蹴した。事実上初の音楽番組出演は話題となり、視聴率は17%越えの高視聴率を記録した。また、1998年9月にもライブ会場の宮城県総合体育館から生出演し、「この闇を突き抜ける」「ROCKs」をメドレーで歌った。
- 1998年1月30日
- この日、hide with Spread Braverが(この形式では)初出演、「ROCKET DIVE」を披露した。この3ヵ月後の5月2日に自宅で死亡していたのが発見されたため、事実上最後の出演となった。ちなみに数日後の5月8日とこの年の上半期総集編SP(放送日不明)にてhideの追悼特集が放送され、この番組で披露した時の映像を中心に放送された。
- 1999年2月5日
- 初出演のDir en greyが「残-ZAN-」を演奏したが、彼らのライブパフォーマンスを再現するという意図で吊り人間や壁の人間オブジェといったホラー的要素をフィーチャーしたあまりにも過激なパフォーマンスで番組終了後に視聴者(特に主婦)からの苦情が多数寄せられた。これは『Mステ』放送直前の番組が『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』であったため、主な視聴者年齢層である子供たちがそれらのアニメを視聴していたそのままの流れで視聴し、Dir en greyが『Mステ』にトップバッターで出演したことが原因だと思われる。(大人はもちろん子供には過激すぎるステージ内容だった)ちなみに、このパフォーマンスの後タモリは「凄いですねぇ~」と驚きと衝撃の混じった発言をしていた。その後、Dir en greyは年内に、シングル「Cage」「予感」リリース時に2回Mステに出演した(その時は苦情無し)が、これが原因なのか話題になったにも関わらずこの年のスーパーライブには出演しなかった。
- 1999年6月18日
- 1998年のデビュー以降、学業優先のためテレビに出演していなかった宇多田ヒカルが地上波初登場(収録自体は『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の方が早かった。ちなみに、こちらでも最高視聴率を記録している)、「First Love 」を披露した。またオープニングの登場時に階段から滑って転んでしまうというハプニングが起きた。この日の番組視聴率は関東地区26.5%、関西地区28.7%(ビデオリサーチ調べ)で番組史上最高視聴率となった。
2000年代[編集]
- 2000年3月31日
- この日をもって解散する事になったSPEEDが『Mステ』だけしか見られないファイナルライブを全国から集まった約16万通の中から選ばれたファン500人と共に開催した[38](同ライブのセットは新垣仁絵のデザインによるセット/トーク中には10代で一区切りをつけた4人についてタモリが「俺なんか10代の頃は何にも考えてなかった」と言って4人を笑わせていた)。ライブは全部で9曲(『ALL MY TRUE LOVE」→「Body & Soul」→「White Love」→4人の挨拶・その1→「Long Way Home」→「Luv Vibration」→4人のオリジナルダンスショー→「Breakin' out to the morning」→「Go! Go! Heaven」→「STEADY」→4人の挨拶・その2ときて最後は「Starting Over」で締め括った)・20分ほどだったが最後の曲「Starting Over」を歌唱中に上原多香子が号泣した。
- エンティングではタモリから花束が贈呈され、上原に続いて今井絵理子もタモリから花束を贈呈された時に号泣。島袋寛子は終わった後の一言は「無」だけだったという。また、この日は下平さやかの卒業日でもあり、この時の下平の表情は対照的に涙ではなく笑顔だった。ちなみに下平にはなぜかタモリから花束の贈呈がなかった。タモリも「下平もお疲れ様」と言った(SPEEDの解散日のこの日・2000年3月31日が偶々、金曜日に重なった事にタモリも驚いていた)。解散ライブ(即日解散での)をMステで行うのはSPEEDが史上初めてとなった。
- このあと放送された『ニュースステーション』ではこのファイナルライブの裏側とSPEEDのインタビューを交えた特集が放送された。ちなみに『Nステ』でも1997年4月から金曜日のスポーツキャスター担当していた長島三奈がこの日をもって最後の出演であった(しかし、テレビ朝日の諸事情により、一週間延長され、4月7日で正式に『Nステ』を卒業した)。
- タモリのいない放送
- タモリは2000年代に2回番組を休んでいる。
- 2001年11月9日・16日
- タモリが11月4日にゴルフ事故で検査入院を余儀なくされ、武内絵美がメインを代行した9日。この日出演したアーティストはKinKi Kids・郷ひろみ・プッチモニ・及川光博・中川晃教・CHEMISTRY・矢野真紀。オープニングでは堂本剛がセリフやタモリの物真似をした。
- 16日。タモリがゴルフ事故から復帰。この日はタモリが復帰して2日目の放送であった。この日の放送では、KinKi Kidsがタモリ不在時の事について「タモリさんが居なくて寂しかった。」「タモリさんが居なくちゃMステじゃない。」と話した。この日出演していたネプチューンの堀内健も「自分に素直に!」「ドンマイ!」とアドバイスを飛ばした。初めてMステを欠席したタモリは「今度は、早退してみたい」と意気込みを語った。また、KinKi Kidsの「Hey! みんな元気かい?」の歌の途中で堂本剛が「おかえり、タモさん!」とアドリブで歌いラストを飾った。
- 2009年7月17日・31日
- タモリが精密検査(人間ドック)と白内障の手術をする事が7月10日のエンディングで発表され(白内障手術に関してはタモリ自らが公表した)、竹内由恵だけで放送した17日。なお、タモリは翌週の『笑っていいとも!』で復帰したが、この週は当番組は『世界水泳ローマ2009』のため休止。復帰から2週間後の31日で当番組に復帰した。
- 2002年6月14日
- 21世紀で初めて・アジアで初めてそして初の韓国の2カ国共同開催と初めて尽くしとなった2002 FIFAワールドカップ。前回優勝国のフランスや優勝候補のアルゼンチンやポルトガルなどがグループステージで次々と敗退。ダークホースのトルコとセネガルなどが快進撃。そして開催国の日本と韓国の2ヶ国が開催国の意地で決勝トーナメントに進出。日本はベスト16・韓国は第4位に食い込むなどと改めてアジアサッカーの2大チームの意地を見せた。その日本が決勝トーナメント進出を決めた試合が何と本番組の放送日に重なってしまった。大阪の長居スタジアムで行われたチュニジア戦でスタジオからサッカー・日本代表を応援する模様が放送され、タモリは呆然と見ているしかなかった。
- ちなみに制作のテレビ朝日では午後3時に試合を長居スタジアムから生中継し関東地区では45.5%、関西地区(ABCテレビ)では44.3%、東海地区(名古屋テレビ)では40.9%と高視聴率をマークして、当日の『ニュースステーション』は大阪の朝日放送から生放送した。スタジオの出演者は久米宏・渡辺真理・角澤照治・川平慈英・森永卓郎であった(上山千穂と真中瞳は長居スタジアム周辺のビールバー店からの中継で出演した)。
- 2003年6月27日
- この日ロシアから来日したt.A.T.u.が初登場。ところがオープニングは出演していたがその後の出演をボイコット。午後8時35分頃、タモリは「t.A.T.uが、『出たくねぇ』という事で控え室から出て来ません」と状況を説明。その後も出演を待ち続けたが、番組終了10分前にタモリがt.A.T.uが結局出ないことを説明した。このため、既に演奏を終えていたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが急遽もう1曲演奏する事で番組の尺を埋めた(曲目は「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」)[39]。その後エンティングでタモリや武内絵美、その日のアーティスト達が「わぁ~!」などと大盛り上がりした。なお、急なトラブルに遭遇して気が動転していたのか、番組終了間際に行われる武内絵美による出演歌手の一斉紹介は行われないまま、番組が終了した。 エンディングに少ししか映っていないがスタッフは一列に並んでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに謝罪したという。
- 後日t.A.T.u.曰く「日本のアーティストに邪魔された、自分たちだけのステージにしたかった」との声が上がったと言う[40]。以上がこの日の放送内容であったが、この番組におけるt.A.T.u.の行動が翌日のスポーツ新聞などやワイドショー、週刊誌で大きく取り上げられ、t.A.T.u.は各方面からのバッシングを受け、結果的に日本のメディアから姿を消した。翌日(6月28日放送分)の『やじうまプラス』ではこの件を取り上げ、t.A.T.u.本人による電話出演またはリハーサル時の映像を放送した。
- 2003年11月28日
- この日出演したタッキー&翼が「夢物語」を歌唱した滝沢秀明がファンから「脱いで!」というコールがあり、終盤で上半身裸になった。その後の12月26日の「SUPERLIVE2003」出演時に滝沢が「母親から『アンタ、TVで何やってんの!』って怒られた」と発言している。
- 2004年1月30日
- この日泉谷しげるがガガガSPのコザック前田とともに出演。相変わらずの破天荒な性格で、再びMステで暴走しまくった。オープニングでは「タトゥーです」と書いてある紙を持って登場し、さらに「ロシア攻め込むぞ」「二度と来んな」「Mステなめんなよ」と暴走し、曲披露の際にも「他のやつに金使いすぎなんだよ!タッキー&翼のセットをくれ!」とセットに不満を持ち、タッキー&翼のステージセットを要求する場面もあり、エンディングでも「録画放送にしろ!」「二度と、俺を出すな!」などの発言をし、この番組に対するクレームを連発した。だが、共演していたタッキー&翼に対しては褒めている。
- 2004年3月12日
- この日をもって番組を卒業することになった武内絵美の最後の出演の回。稀に使用していた赤マイクもスタッフの計らいで金箔が編みこまれた。エンディングではタモリから花束が贈呈され、その時に思わず涙を流した。最後には「ほんとにあっという間の4年間で、すごい楽しいお話をたくさんさせていただきました。あの、テレビをご覧になっている皆さん、そしてこのスタジオにいる皆さん、そしてタモリさん、本当にありがとうございました」と最後の挨拶の言葉を詰まらせながらも最後の『Mステ』の仕事を全力でこなした。
- なお、このあと3月26日をもって『ニュースステーション』も終了することになった。
- 2004年4月9日
- 武内絵美の後任として8代目サブ司会者に起用された堂真理子はこの日入社わずか9日目という超異例のスーパーハイスピードでのテレビ出演(しかもゴールデンタイムで司会)を果たした。タモリもオープニングで「テレビ朝日も無茶苦茶やるな~、ほんとに。少しは立場を考えてやれって言うのに」と発言していた。堂は「タモさん、よろしくお願いします」と言っていた。
- ちなみにこの週の4月5日に始まった『Nステ』の後番組『報道ステーション』の番組開始第1週目でもある。
- 2004年4月23日・6月18日
- 堂真理子にとっての2回目のレギュラー放送。この日出演の布袋寅泰が映画『キル・ビル』のテーマソングである「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」を披露。だが、曲紹介のときに堂が「ほてい」を「ぬのぶくろ」と読み間違えるハプニングが発生、布袋ファンからは苦情が殺到した[41]。またこれに関連して、6月18日にもGARNET CROWの楽曲「君を飾る花を咲かそう」を「君に飾る花を咲かそう」と誤読してしまい、エンディングで堂がメンバーに謝罪をしていた。
- 2004年8月27日
- この日、SMAPの香取慎吾が忍者ハットリ君のコスプレをして六本木に参上した。因みにこの日にて音楽番組独占披露だった。なお、事前番組の『ミニステ』ではWやBerryz工房と共演していた。
- 2004年10月29日
- この日出演した松浦亜弥(「渡良瀬橋」を披露)とモーニング娘。(「涙が止まらない放課後」を披露)だったが、なんと両名共トップバッターを担当することになった。2組まとめてトップバッターを担当するのは番組史上初である。ちなみに、12月3日のH.P.オールスターズ出演の際もBoA(「メリクリ」を披露)と両名トップバッターだった。
- 2004年12月3日・24日
- この年の流行語として話題となった波田陽区の「残念!」、「○○斬り!」そして「切腹!」の3つの言葉。これを利用して波田が当番組で大暴れした。六本木ではKinKi Kidsや福山雅治さらにH.P.オールスターズを斬り、さらにさいたまスーパーアリーナで行われたスーパーライブではタッキー&翼や上戸彩、ORANGE RANGEが波田の餌食に巻き込まれた。最後は共に「切腹!」とカミングアウトして自爆して倒れた。
- 2004年12月24日
- さいたまスーパーアリーナで開催したこの年のスーパーライブでは、「伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜」を披露し終えたはなわが突然アリエナイザーに強制連行されかけた所に怒り爆発の後藤真希と松浦亜弥がクリスマス服に身を包み、特捜戦隊デカレンジャーと共に登場。2人&1戦隊の合計7名でアリエナイザーを倒し、はなわを助けた。また、10月8日の3時間スペシャルでは後浦なつみとして安倍なつみも参加していた。はなわの所属事務所はこんなシーンを用意していたスーパーライブのスタッフに対して「何ていう事をしてくれたんや!」と抗議した。
- 2005年1月21日
- この日出演したモーニング娘。の新曲「THE マンパワー!!!」が東北楽天ゴールデンイーグルスの応援歌であるという縁で、当時同球団の新監督であった田尾安志が仙台からの中継で生出演を果たし、「モーニング娘。に負けないように頑張ります」とコメントした。なお、モーニング娘。はイーグルスのユニフォームの複製品(「E」が「モ。」になっている)を着て「THE マンパワー!!!」を歌唱した。ちなみに、この日は2代目リーダーであった飯田圭織の最後の出演の日でもあった。
- 2005年2月4日
- 日本テレビ系ドラマ『ごくせん』挿入歌の「絆」と新曲「GOLD」をこの日、同ドラマにKAT-TUNの亀梨和也と赤西仁が出演していた縁で他局ながらドラマの教室セットから中継で披露した。同ドラマ主演の仲間由紀恵はこの日コメントで出演した。
- 2005年4月1日
- 前回3月11日の「笑顔日和」披露でラスト出演の予定となっていたZONEだったが、4月1日の解散コンサートが金曜日だという事で、解散コンサートの開催地である日本武道館からの中継で急遽出演が決定した。この日の3時間スペシャルではこの解散コンサートの模様を随時中継を挟んだ。そしてこの3時間スペシャルのトリを飾り、さらに最後のアンコールが全国生中継され、ウエディングドレス姿で4人が全国のファン・視聴者に最後の挨拶をした後に「secret base 〜君がくれたもの〜」を号泣しながらフルコーラスで披露した。ちなみに、解散ライブ(即日解散での)をMステで行うのは2000年3月31日の春スペシャルのSPEED以来史上2組目である。ちなみにZONE解散前日の3月31日はSPEEDがMステで解散ライブを行い、解散してから丁度5年が経った日でもある。
- 2005年6月3日 - 17日
- この回から3週連続でKinKi Kidsが出演。3日の放送回では、堂本剛の「魚」の話と堂本光一の「車」の話が対立し、トークがほとんどできず、放送終了後番組史上初の視聴者からの緊急投票を1週間行う事になった。
- 10日。その結果、剛の「魚」の話に決まったが、それでも負けた光一が「車」の話で邪魔をしてしまい結局数秒でトークは終了。その後「ビロードの闇」(2回目)を披露する回でもあったのだが、光一が「僕らは見ることさえ許されないだろう」を「僕らは一人で打ちひしがれるだろう」と歌詞を間違えた。そのためか剛も笑ってしまい、「砂漠のように辛辣(しんらつ)な」を「砂漠のようにこの街で」と間違え、次のパートが歌えなかった。
- 17日。先週の歌披露で間違えたシーンをVTRで検証した。この日の回は何とか間違えずに最後まで歌えたものの、この出来事は本人たちがネタにする程の珍事件となった。剛はこの事件を「3回打ちひしがれた事件」と称している。その理由は歌詞を間違えて2回『打ちひしがれた』事、そしてKinKi Kidsも打ちひしがれたから(2つ共本人談)。と語っている。
- ちなみに、これ以来敗北した光一の車関連のトークはMステでは一切禁止となっているらしく、翌年7月14日放送での光一がソロで出演した際、車の話題を出した時にADから「Mステでは車の話NG。誰か奴を止めて」というカンペが出された。
- 2005年8月26日
- 当時Mステの次に放送されていた『笑いの金メダル』にてウルフルズのトータス松本プロデュースで結成された笑金オールスターズがMステに初出演を果たした。この日は同番組が「Mステ出演記念!生放送SP」であったので笑金メンバーが特別に全員集結して「ココロ花」を披露した。因みにこの後の番組生放送SPで同番組司会の三宅裕司は「鉄拳が笑顔で歌っててびっくりしたよ!」とコメントしていた。
- またこの日は、映画『NANA』に主演し主題歌を歌ったNANA starring MIKA NAKASHIMAが出演し、「GLAMOROUS SKY」(オリジナルver)をテレビ独占披露した。応援には作曲者であるHYDEがギター担当として特別に参加した。 以降、他の音楽番組においても「SUPERLIVE2005」での同曲の披露は全てアコースティックギター1本の伴奏による「アコースティックver.」で対応した。
- 2006年3月17日
- この日、先週(3月10日)に続きKAT-TUNが東京ドームでのデビューライブからの中継で出演。「Real Face」を披露した。オープニングではライブ観客5万人全員で「タモさ~ん!!」コールを行い、タモリは「何か俺が東京ドームでやってるみたい」と発言。ちなみに、この「Real Face」はMステでスーパーライブ含め計5回披露している。また、観覧に当時ワイドショーで世間を騒がせていた森進一が来ており、カメラに映ると笑顔を見せた。
- 2006年4月21日
- 前月の3月をもってEXILEを脱退していたSHUNだったが、ファンの強い要望もあってかこの日に6人が緊急集結。200人のファンと共に事実上のラストライブを開催し、新曲「YES!」とデビュー曲「Your eyes only〜曖昧なぼくの輪郭〜」を披露した。トークではHIROが「脱退してもいつまでも仲間なので」と発言した。SHUNは涙をこらえながらの歌唱で曲披露終了後のCM中にはATSUSHIと強く抱き合っていた。
- 2006年4月28日
- 前日(4月27日)に小泉今日子との交際説を写真週刊誌に報じられたKAT-TUNの亀梨和也が同グループとして生出演。オープニングにてKAT-TUN他メンバーから、グループで行っている全国ツアーの話題が出たことから、タモリが交際と全国ツアーをかけて亀梨に「順調?」と質問をぶつける一幕があった(亀梨は軽く笑う程度の応対だった)。翌4月29日付けの『スポーツニッポン』はこのタモリと亀梨のやりとりを取り上げていた。
- 2006年5月26日・6月2日
- 5月26日。NEWSの山下智久が自身のソロデビュー曲「抱いてセニョリータ」を引っさげて出演。だが、途中の歌詞を間違えてしまった上、サビの部分で、山下が誤って手をぶつけてしまいマイクスタンドが転倒。にも拘らず、山下の歌声がそのまま流れたというハプニングがあり、この時の山下は「口パク」で歌っていた事が全国的にオンエアされてしまった。[42]山下は四つんばいになってマイクを拾った。またその直後にはカメラミスもあり、まったく関係ない映像が一瞬放送されてしまった。倒してしまったマイクスタンドはバックで踊っていたジャニーズJr.の二階堂高嗣が踊りながら元に戻した。なお、山下はエンディングで恥ずかしそうに「間違っちゃった」と言い、苦笑していた。山下は母親に電話で「ださっ!!」と言われてしまったらしく、実妹がその時にカバーに入り、「人間なんだから」と慰めてくれたらしい。
- 6月2日。2週連続で出演した山下。今回は無事に「抱いてセニョリータ」を歌い終えると思われたが、スタジオに突如亀梨和也が登場し、ステージに乱入。山下は「抱いてセニョリータ」を歌いながら亀梨と共に「青春アミーゴ」のダンスを決め、修二と彰のプチ復活が実現した。披露後、山下は「お客さんが興奮してステージに上がってきたのかと思った。また歌詞間違えるかと思った」と発言。ただ、実際に亀梨が登場した瞬間の山下は確実に驚いていて、何かつぶやいていたが、流れてくる歌声はそのままであったので、やはりサビの部分だけ口パクの可能性は大である。これはスタッフ並びに他の出演者が全員知っていた事であり、山下だけに知らされていなかっただけであり、いわゆる山下へのサプライズであった。出演時亀梨は自身が主演していたドラマのロケの合間を縫ってテレビ朝日に来ていた(V6の「グッデイ!!」披露後にドラマのロケ現場へ戻っていった)。
- 2006年6月9日
- まだメジャーデビュー前だったAKB48が、インディーズ2ndシングル「スカート、ひらり」を当番組で披露、音楽番組初出演[43]を果たす。出演したのは当時のチームAメンバー20名で、そのうちテロップで名前が紹介されたのはソロパートのある7名(大島麻衣・高橋みなみ・成田梨紗・小嶋陽菜・前田敦子・中西里菜・板野友美)のみだった。
- 2006年12月1日
- テレビ番組には出演しない姿勢をとっていた洋楽バンドU2がこの日Mステに初出演。六本木ヒルズ森タワーの屋上から生演奏でスペシャルライブを披露した。U2のメンバーは東京の夜景を一望できるこのステージを大変気に入り、このライブ映像を持ち帰ったという。そして、そうした素晴らしい環境を提供したこの番組に感謝し、世界三大番組の一つ(後の2つは不明)だと言っていたらしい。このエピソードは後にタモリから語られた。U2はこの日、日本のテレビ番組出演は1983年11月21日にフジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』に出演して以来23年ぶりとなる出演だった。ちなみにU2は同局の報道番組『ニュースステーション』の最後の10代目テーマ曲を担当している。
- 2007年2月16日
- この日嵐が新曲「Love so sweet」をテレビ初披露。しかし、二宮和也が仕事の都合上で追い付かなくなったため、急遽遅れて到着する事となった。その後、NEWSの曲披露終了後に無事合流した。翌2月23日のトークでは櫻井翔曰く、二宮はこの日他アーティストのトーク中にずっとパリでの土産話をしていたらしい(おそらく先週はパリでの仕事だったと思われる)。
- 2007年3月2日
- この日宇多田ヒカルが約8ヶ月ぶりに出演。当時着うたがCDリリース前に200万ダウンロードを記録するなど大ヒットしていた「Flavor Of Life -Ballad Version-」を披露。しかし、イヤーモニターのトラブルで出だしまでのカウントが聞こえず、「♪ありがとう、と~」と始まるサビの肝心な出だしが歌えなかった。
- 2007年6月1日・29日
- 1日。同年5月27日に闘病中に不慮の事故で亡くなったZARDの坂井泉水を偲び、音楽番組初出演となった1992年8月7日放送分と最後の音楽番組出演となった1993年2月5日放送分の映像を中心に在りし日を振り返った。そして、坂井が闘病中に「元気になったら、また『ミュージックステーション』で歌ってみたいね」と周囲の関係者に語っていた事も明かされた。だが、この日はレギュラー放送で時間が取れず、放送終了後視聴者やZARDファンからの反響が大きかった。
- 29日。視聴者やZARDファンからの反響を踏まえ、追悼特集を放送。坂井自身の書いた「負けないで」の歌詞、レコーディング中の様子など貴重な映像も放送され、「IN MY ARMS TONIGHT」を歌った1992年10月16日放送分の映像も放送された。そして最後の音楽番組出演となった1993年2月5日放送分の「負けないで」に至ってはフルコーラスで放送した。[44]
- 2007年7月27日
- オープニングでHey! Say! 7の紹介がされている時、下からいきなりKAT-TUNの亀梨和也が現れた。また、同日にスタートする同メンバーの中丸雄一が出演するドラマ『スシ王子!』の番宣もした。亀梨は直前でスタッフから「歌え」と言われたらしく歌詞カードを渡され1番サビ後の中島裕翔のソロパートを共演、途中で自分がカメラに映るたびに「昭和です」と呟いていた場面も見られた。また、亀梨は舞台の練習中であり、その合間を縫って来ていた。
- 2008年9月12日
- この日の2時間スペシャルをもって番組を卒業することになった堂真理子の最後の出演の回。エンディングでタモリから花束が贈呈され、最後には「あのたくさんのアーティストの皆さんのパフォーマンスをこんなに近くで感じることができて、そしてお伝えすることができて、ほんとに幸せに思っております。いつも見守ってくださったタモリさん、ゲストの皆様、そして視聴者の皆様ほんとにありがとうございました」と最後の挨拶の言葉を述べた。
2010年代[編集]
- 2011年3月18日・25日
- 3月11日の放送が急遽放送中止された後(後述)、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から1週間という節目の放送となった18日。通常のオープニングはカットされ、番組ロゴも白字で画面右上に表示した。スタジオは観客を入れない無観客状態の中での放送となった(スタジオもトーク席しか映しておらず、観客席や階段はほとんど映していなかった。トーク席の一部の照明も消灯されており、モニターもグラフィカルな動きをしておらず、止まったままの状態であった)。司会者の挨拶の後、竹内由恵が東日本大震災の被災者へのお悔やみの言葉を述べた。このため、ゲストも1組ずつ登場するものではなくスタジオに全員揃った状態で簡単に紹介された(この日の出演アーティストはNYC・CHEMISTRY・JUJU・タッキー&翼・FUNKY MONKEY BABYS・ふくい舞・吉井和哉)。また、演奏楽曲も最新の曲中心ではなく被災地へ向けた応援ソングの中心とした復興支援ライブという形で、ステージもバックに大きな☆型のセットが飾られたものであった。(披露した曲はNYC「勇気100%」・CHEMISTRY「My Gift to You」・JUJU「奇跡を望むなら...」・タッキー&翼「愛はタカラモノ」・FUNKY MONKEY BABYS「あとひとつ」・吉井和哉「FLOWER」・ふくい舞「いくたびの櫻」)また、アーティストからの応援メッセージコメント文VTRも流された(放送終了後には公式サイトにてジャニーズアーティストを除くアーティストからの応援メッセージコメント文を提載、また一部のアーティストはそのアーティスト直筆のものが使用された)。また、当日出演予定であったKARAは東京都が韓国外通省による渡航注意地域に指定されていたため出演できなかった。その代わりに応援メッセージコメント文が読み上げられた。
- この間、同局の報道・ワイドショー番組はオープニングをカット・エンディングでもテーマ曲を一切流さず、CM前のジングルのみであったが、当番組ではオープニングとエンディングにテーマ曲を流し、CM前のジングルは流さないという逆の方法をとった。
- 25日。震災から2週間という節目の放送。当初予定していたサッカー中継が中止となり、休止返上しての放送になる(事実上、3月11日の振替放送となる)。内容は先週と同じであるが、オープニングも復活し、観客は通常通り入れた。この日の出演アーティストはAI・加藤ミリヤ・Cocco・堂本剛・浜崎あゆみ・平原綾香・ゆず。これらのアーティストは先週の放送後、番組側から出演依頼を受けて出演している。ちなみに、ほとんどが応援ソングであったが(AI「Story」・加藤ミリヤ「Love is…」・Cocco「ジュゴンの見える丘」・浜崎あゆみ「Life」・平原綾香「Jupiter」・ゆず「Hey和」)、堂本剛のみは被災地への激励を兼ねた最新の曲(「縁を結いて」)となった。
- 2011年4月1日
- 震災から3週間の節目の回の放送。3時間スペシャルである「聞くと元気になれる元気ソングBEST120」を放送。上記の放送内容に近い形となった。
- この日出演したのはKAT-TUN・PUFFY・EXILE・AKB48・嵐。この他に、両側耳管開放症の悪化を理由に活動休止した中島美嘉がテレビ復帰を果たし、また、2007年の『ミュージックステーションスーパーライブ2007』を最後に、音楽番組での演奏披露は3年4カ月出演していなかったB'zが久々の出演を果たす。
- 披露した曲は以下の通り。スタジオ内容は上記2週とほぼ同じ。
- KAT-TUN「PERFECT」、PUFFY「アジアの純真」と「誰かが」のメドレー、中島美嘉「Dear」、EXILE「Each Other's Way 〜旅の途中〜」と「I Wish For You」のメドレー、AKB48「誰かのために -What can I do for someone?-」と「ヘビーローテーション」のメドレー、嵐「Lotus」と「Happiness」と「感謝カンゲキ雨嵐」のメドレー。
- B'zはトークでは松本孝弘が「最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム部門賞」に輝き、「第53回グラミー賞」を受賞した話題に触れた。披露した曲は、テレビ初披露の新曲「さよなら傷だらけの日々よ」と「Brotherhood」のメドレーを披露した。
- 2011年9月16日
- 25周年企画第一弾として『MUSIC STATION25周年記念特別番組 秘蔵映像でつづる名曲100選 1986▶2011』を3時間に及ぶ特番で放送。名曲100選は5年ごとに20曲を売り上げ順にランキングで放送。また、その時期に番組で起こったことや初登場などの映像(この日のゲストも含む)も公開された。福山雅治が「家族になろうよ」と「fighting pose」をメドレーで披露した。この日のゲストは、AKB48・福山雅治・東方神起・倖田來未・EXILE・Hey! Say! JUMPだった。番組セットやロゴに「25th」または「25」という文字が加わった。また、出演予定だった浜崎あゆみが、滞在先のニューヨークで咽頭炎を発症し、帰国便に搭乗できず、出演できなかった[45]。
- 2011年10月14日
- 25周年企画第二弾として『MUSIC STASION SP あなたの故郷No.1は? 47都道府県別アーティスト売上ランキング』を3時間に及ぶ特番で放送。番組ロゴとセットが新しくリニューアルされた。1曲目の関ジャニ∞が「T.W.L」とテレビ初披露の「モンじゃい・ビート」をファンとのライブ形式でメドレーで披露した。また冒頭のトークでは同メンバーの錦戸亮が山下智久と共にNEWS脱退表明後初のテレビ出演であり、脱退までの経緯を語っている(翌10月21日の放送でテゴマスが出演した時も同様のことを言っている)。<この日のゲストは関ジャニ∞の他に、木村カエラ、L'Arc~en~Ciel、KARA、YUIで全員テレビ初披露の新曲を披露した。
- 2012年8月17日・24日・31日・9月7日
- 前田敦子のAKB48として最後のMステの17日。卒業を記念した「スペシャルメドレー」と題して、「フライングゲット」・「ポニーテールとシュシュ」「夢の河」の3曲を披露した。「夢の河」歌唱前には「AKB48の前田敦子です。こうしてAKB48として『ミュージックステーション』で自己紹介させていただくのも今日で最後になりました」と挨拶し、「番組に『これからもたくさん出られるように頑張ろうね』とメンバーと誓ったことを覚えています」と思い出も語った。途中、「夢の河」歌唱中に涙で声を詰まらせるハプニングもあったが、無事に歌いきり、エンディングではタモリから花束を贈られ涙を流した。なお、前田は放送終了後、「夢の河」歌唱中のハプニングの件に関して、自身のブログで謝罪している。
- ちなみにこの週の『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」は、すべてAKB48の主力メンバーが出演するという放送週であった[46]。曜日順に柏木由紀・篠田麻里子・小嶋陽菜・渡辺麻友・大島優子の5人が出演した。
- 24日。AKB48の東京ドームコンサート1日目の最中での放送。先週の放送終了後の模様が放送され、その中でスタジオに残っていたファンの前に再登場し、他のメンバー全員に見守られながら、当日のオンエアに至るまでの心境や、ファンとメンバーへの感謝の気持ちを泣き笑いで語っていた。
- 31日。東京ドームコンサート及び前田卒業後初の新生のAKB48がお披露目された。冒頭では東京ドームコンサートと前田の卒業公演の模様、同公演終了後の舞台裏を放送した。曲披露前に総監督の高橋みなみが所信表明し、こう述べた。「先週、AKB48は結成当初の夢である(東京)ドームコンサートを3日間行わせていただきました。秋葉原の小さな劇場から東京ドームまで1830メートル。ファンのみなさんの応援とあきらめずに歩き続けられた結果です。メンバー前田敦子が卒業。私たちAKB48は新たな第2章、新たな1830メートルを歩き始めたいと思います。よろしくお願いします。AKB48総監督 高橋みなみ」。その後AKB48メンバーによる円陣が行われ、新曲「ギンガムチェック」を披露した。こうして新生のAKB48としての新たなスタートを切った。
- 翌9月7日の放送にも出演し、「ギンガムチェック」と「ファースト・ラビット」のメドレーを披露した。
- これ以降、前田とAKB48の共演はほとんど無いが、12月21日の「ミュージックステーションスーパーライブ2012」に前田が卒業後初めてMステに出演。久々のAKB48と前田敦子の共演が実現した。
特別編成[編集]
報道特別編成[編集]
- 1986年11月21日の放送では、同日に起こった三原山(伊豆大島)の噴火関連のニュースを番組内に組み込んで放送した。そのため、トークはカットされ、小泉今日子らゲストアーティストは楽曲のみ披露となった。その後は報道特別番組となり、当時金曜日のみ23時台で放送されていた『ニュースステーション』は番組初の22時からの前倒し編成で放送した。
- 2011年3月11日の放送は、約5時間前に東北地方太平洋沖地震が発生し、テレビ朝日本社がある六本木周辺でも震度5強を観測した。テレビ朝日本社に大きな被害は見られなかったが、その件で津波警報が発令され急遽報道特番が放送されたために急遽放送中止となった。ちなみに、その回の出演予定者だったのが、aiko・EXILE・NYC・CHEMISTRY・Superfly・2NE1(そのうち、NYCとCHEMISTRYは3月18日に、EXILEは4月1日に振替出演をした)。自然災害の影響で当番組が休止となったのは、番組開始以来初めての出来事だった。本来は3月25日にサッカー中継で、元々当番組が休止予定だったが、震災の社会的な影響で中止となった事もあって、同日に事実上の振替放送となった。
放送休止[編集]
- 基本的には春・秋の改編期と年末年始期には放送を休止(およそ年十数回)し、朝日放送制作のレギュラー番組のスペシャル放送(あるいはスペシャル番組)やその前の『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』といったアニメスペシャルなどの改編期特番が放送される。
- 2000年代頃まではプロ野球中継による休止があった(中止時は別番組を放送)。スポーツ中継による休止では、世界水泳、北京オリンピック(2008年)、バンクーバーオリンピックフィギュアスケート女子フリー(2010年)、サッカー日本代表アジア地区予選、ワールド・ベースボール・クラシック2次ラウンド(2013年)などがある。
- 毎年7月上旬にテレビ東京系列で『夏祭りにっぽんの歌』(2011年は『プレミア音楽祭』)が生放送される場合は、原則として放送休止となる(2009年は休止せず)。
主な演出[編集]
ここではレギュラー放送及びスペシャル放送での演出の内容を記する。『ミュージックステーションスーパーライブ』での主な仕掛けはこちらを参照。
- 花火(爆発)
- キャノン砲
- カラー&シルバーテープミサイル
- 雨
- 過去歴代で最も雨の使用量が多かったのは吉田栄作「僕は何かを失いそうだ」披露時(1991年6月7日)。
- 紙吹雪
- ファイヤーバナー
- 特にL'Arc〜en〜Cielによく使われている。
- CGアニメーション
- 最大のCGはポルノグラフィティ「あなたがここにいたら」の放送の際で使われた(2008年2月15日)。メンバーの2人以外の背景はすべてCGだった。
- 歌詞スーパー
- 屋外での演奏
- 現在一番高いところで歌われたのはこちらもポルノグラフィティであり、六本木ヒルズ森タワーの約238m屋上で「メリッサ」が歌われた(2003年10月3日、テレビ朝日の六本木ヒルズ移転後初放送)。なお同所からはU2も披露している(2006年12月1日)。
- ファンを入れての演奏
- 200 - 300人(スペシャルでは300人以上の場合もある)程度のファンに囲まれての曲披露。不定期だが、1ヶ月に1回以上は行われる。これまでにはB'z・L'Arc〜en〜Ciel・ポルノグラフィティ・関ジャニ∞などが使用。現在多用しているのはORANGE RANGE。客寄せライブ時には飛び跳ねたりする客もいるため、たまにテレビ朝日本社がゆれる時がある。使用される場所はスタジオ内やテレビ朝日の玄関内が多い。
スタッフ[編集]
レギュラー放送[編集]
- ナレーター:ウォード・セクストン・服部潤・ユキ・ラインハート
- 構成:伊藤正宏、樅野太紀
- テーマ音楽:松本孝弘(B'z)
- 第1スタジオ
- TM(テクニカルマネージャー):大島秀一
- TD(テクニカルディレクター):福原正之
- カメラ:住田清志・宮内大貴・大槻和也・高田格・錦戸浩司・石黒康一・千ヶ崎裕介
- VE(ビデオエンジニア):齋藤弘行
- 音声:清水美都子・中田孝也・森永茂
- 照明プロデューサー:中根鉄弥
- 照明:栗屋俊一・小林和史・大場浩・松山努・鈴木敏也・眞如博之・岩本真也・白川寛・西川知里・五十嵐久夫(週替わり)
- 美術プロデューサー / デザイン:出口智浩
- 美術デザイン:小林尚弘・山下高広・小谷知輝・谷口絵梨果(週替わり)
- 美術進行:北浦浩一郎
- クレーン:俵谷祐輔
- 技術アシスト:麻生貴志・浅田康和
- 音響:佐藤友教
- 効果:小林功樹
- 編集:小池周平
- MA(マルチオーディオ):萩原佳和
- 照明アシスト:巻嶋恵梨・中村真梨子・松山努・山本美奈子・廣瀬蓉子・池谷祐介・三澤孝至・浜田功・未満一成(週替わり)
- 大道具:松本友博
- 電飾:中川雄介・松木忠昭・塚原聡・田岡知乙・佐伯直亮(週替わり)
- 特殊装置:對馬淳一
- 特殊効果:大野晃一
- アクリル装飾:川本貴史・梶野昭弘・春田真衣(週替わり)
- オブジェ:長野敦子・八代利江子・神保金司・松井達彦・田中綾佳・ファイバー・ワーク(週替わり)
- トラス:齋藤政利・細田正利(週替わり)
- レーザー:鈴木しんいち・AIRNOTES・ランダム
- 風船装飾:滝戸誠
- 植木:西村正範
- モニター:鈴木準司
- CGディレクション:横井勝
- CGデザイン:佐藤信太郎・真栄城樹・村澤ちひろ・上野貴弘・矢木秀和・大橋緑・高井梓・早川雄志・松尾裕介・斎藤まゆみ・南浩樹・山本裕之・管澤英子・吉原真生・村野彰彦(週替わり)
- CGLED:南浩樹・佐藤信太郎・山本裕之・真栄城樹
- CGシステム:澤口明子・山内光史
- CGバーチャル:中村敦・加藤喬
- CGバーチャル制作:葛原健治・高橋愛
- CGタイトル:矢木秀和・松尾裕介
- テロップ:原田甫・神野幸代
- スタイリスト:中原正登(タモリ担当)・山下貢理子(竹内由恵担当)
- メイク:MIKAMI YASUHIRO(Pittura) http://beauty.hotpepper.jp/slnH000163601/ - (竹内由恵担当)
- 編成:二階堂義明・西岡佐知子(テレビ朝日)
- 宣伝:平泉季里子(テレビ朝日)
- TK(タイムキーパー):長谷川夏子(テレビ朝日)
- 制作進行:浅倉きよみ(テレビ朝日)
- ディレクター:藤沢浩一・栗井淳・舘智有里・常岡浩治・尾崎敦朗・吉岡祐也(テレビ朝日)
- アシスタントプロデューサー(AP):荒井祥之(テレビ朝日)
- 演出・プロデューサー:伊東寛晃(テレビ朝日、以前はディレクターを担当)
- チーフプロデューサー:山本たかお[47](テレビ朝日、以前はディレクター・演出 → プロデューサー → 一時離脱を経て現職)
- 衣装協力:ORIHICA・KOOKAI・BEAMS・fecture・STELLA CIFFON・STAR JEWELRY ほか
- 資料協力:oricon(オリコン)
- 技術協力:テイクシステムズ
- 美術協力:テレビ朝日クリエイト
- 制作協力:田辺エージェンシー
- 制作:テレビ朝日ミュージック
- 制作著作:テレビ朝日
スペシャル放送[編集]
- 第2スタジオ / テレビ朝日アトリウム(スペシャル放送のみ)
- SW(スイッチャー):横関正人
- カメラ:石黒康一・加藤英昭・熱田大
- VE(ビデオエンジニア):佐藤淳太
- 音声:新井八月・江尻和茂・森永茂
- 照明:松山務・鈴木敏也・眞如博之・栗屋俊一・吉川哲男・江藤儀浩・五十嵐久夫・市川一弘
- 美術デザイン:宇家譲二・森永牧子・金澤弘道・小林尚弘
- 美術進行:山本和記・加藤正洋・若林広・古閑洋司
- クレーン:持田尚克
- 技術アシスト:穴沢康至・首藤康仁・宮田浩
- 照明アシスト:小林和史・吉原由樹・松山努
- 大道具:船木憲太・荒川康之・小野祐樹・関口康充
- トラス:細田政利・齊藤政利・倉成純一
- イントレ:倉成純一
- 電飾:田岡知己・塚原聡
- 特殊装置:小口和宏・田中徳一・町端航
- 特殊効果:吉川剛史・釜田智志
- アクリル装飾:梶野明弘
- オブジェ:神保金司・八代利江子
- 植木:藤田国康
- レーザー:ランダム
- モニター:小林昇平
歴代スタッフ[編集]
- ナレーター:村井かずさ・皆口裕子
- 構成:飯田まち子・青木和佳・ほそかわ紀子・根田真児・酒井義文・西澤公太郎・望月卓・鵜沢茂郎・森保鉄志・内堀尚
- スーパーバイザー:菅原正豊
- テーマ音楽:前田憲男・横関敦・小野寺忠和
- 振り付け:ポピー吉野
- 協力:テレビ朝日ミュージック
- TD(テクニカルディレクター):関口光男・宮田一・内野盛和・有泉重正・品本幸雄・小林俊明・大島秀一・二瓶友美・加藤英昭・大川戸元昭
- カメラ:品本幸雄・小林俊明・大島秀一・二瓶友美・大川戸元昭・高木武彦・加藤英昭・小山由美子・片平修巳・住田清志・立川伸太郎・川口忠久・有泉重正・浅川英俊
- VE(ビデオエンジニア):西山勝・小山恭司・小野真介・重岡恵吾・木島洋・重藤貴志・城口順・高林正彦
- 音声:胡桃澤啓司・阿部健彦・戸塚信也・牧野行雄・小池幸宏・森永茂・新井八月・長谷川泰裕・中島健次・稲川俊一郎
- 照明:岡本勝彦・眞如博之・古田真司・吉川哲男・市川一弘・江藤儀浩・富田裕治・五十嵐久夫・矢島安雄・岩本真也・江頭儀浩・高柳薫・西川知里・阿部勝則(週替わり)
- 照明アシスト:宮崎晃・鈴木岐彦・加無木克志・中澤範子
- 照明プロデューサー:高野安隆
- 美術:高原篤・石上久
- 美術デザイン:石井哲也・石上久・綿貫冬樹・中塚宏・玉置未和・村竹良二・小山晃弘・宇家譲二・清野啓太・堀場綾枝子(週替わり)
- 美術進行:加藤正幸・齋藤直純・古閑洋司・北浦浩一郎・大滝千秋・野口敏嗣
- クレーン:川上智
- 効果:菅野洋志・中村剛・細野貴裕・梅澤駿・丸山孝之・中山尚・菅野洋志
- 技術アシスト:岡元祐二・竹中祟将・宮田浩・清水政寿・横倉康次・木村元・浅田康和・小林和史・深谷勝成・大石忠道・渡辺薫(週替わり)
- 音響:横張史靖・按田宗周・返町吉保・田村智宏・新見政弘
- イントレ・トラス:倉成純一・斎藤政利
- 大道具:荒川康之・大窪学・真次智樹・尾和敏明・馬場幸三・松本友博・竹内俊彰・松本寿久・渡部修綱・松野秀生・バンセイ
- 電飾:中川雄介・田岡知巳・富田智博・滝和治・羽根利満・白石剛・樋口直樹
- 特機:畠沢優一・高橋友之
- 特殊装置:深井将・町端航・田中徳一
- 特殊効果:吉川剛史・釜田智志・大野晃一
- トラス:倉成純一・細田正利
- アクリル装飾:岡林和志・菊池博・日野直治・大川有一・梶野明弘・神保金司・中尾信行(週替わり)
- オブジェ:大野周一・松井達彦
- 植木:藤田国康・恩田雅章・杉田英展
- 小道具:佐藤友昭
- レーザー:戸倉浩治
- タイトル・CG:横井勝・佐藤信太郎
- CG:山本裕之・齋藤まゆみ・佐々瑛子
- CGデザイン:高井梓・松尾裕介・野沢栄二・村野彰彦・西村江里子
- CGバーチャル:中村敦・葛原健治
- CGLED:高井梓・澤口明子
- CGタイトル:松尾裕介
- タイトル:宍戸淳一
- テロップ:小林宏嗣・小川龍也・片桐幸三・石川理
- 編集:小池周平・佐賀靖弘
- スタイリスト:栄明美・堀切ミロ・山下眞理子・相馬さとし(タモリ担当)
- ヘア&メイク:MIKAMI YASUHIRO(Pittura) http://beauty.hotpepper.jp/slnH000163601/
- 宣伝:下恵子・天野貴代・中嶋哲也・蓮美理奈・井上裕子・宮田奈苗(テレビ朝日)
- 広報:天野貴代・太田正彦・保坂正紀・織田笑里・小久保聡・重松愛・中島哲也・蓮実理奈(テレビ朝日)
- 調査:中川雄介・瀬口大介(テレビ朝日)
- 編成:林雄一郎・尾崎雅彦・西山隆一・森大貴(テレビ朝日)
- TK(タイムキーパー):尾木みち・中里優子(テレビ朝日)
- FD(フロアディレクター):吉岡祐也(テレビ朝日)
- アシスタントプロデューサー:深山典久
- ディレクター:平城隆司・青山幸光・瀬戸口修・武居康仁・中貞明・山本清・杉村全陽・佐藤信也・河口勇治・林雄一郎・中貞人・高橋正輝・山本和仁・新田彩子(テレビ朝日)
- 演出:山本隆夫・成田信夫(テレビ朝日)
- プロデューサー:北村英一・藤井智久・斉藤由雄・西村裕明・清水克也(以前はディレクターを担当、2012年8月3日まで、テレビ朝日)
- チーフプロデューサー:三倉文宏(テレビ朝日)
- 制作:皇達也(テレビ朝日)
ネット局と放送時間[編集]
現在、テレビ朝日系列24局に同時ネット、JNN系列の山陰放送には時差ネットで放送されている。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送曜日・時間 | 放送日遅れ | ミニステ | 放送開始時期 |
---|---|---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日(EX) | テレビ朝日系列 | 金曜日 20:00 - 20:54 |
同時ネット | ○ | 制作局 |
北海道 | 北海道テレビ(HTB) | 番組開始 - | ||||
青森県 | 青森朝日放送(ABA) | × | 1991年10月 - [48] | |||
岩手県 | 岩手朝日テレビ(IAT) | ○ | 1996年10月 - [49] | |||
宮城県 | 東日本放送(KHB) | × | 番組開始 - | |||
秋田県 | 秋田朝日放送(AAB) | 1992年10月 - [50] | ||||
山形県 | 山形テレビ(YTS) | 1993年4月 - [51] | ||||
福島県 | 福島放送(KFB) | 番組開始 - | ||||
新潟県 | 新潟テレビ21(UX) | |||||
長野県 | 長野朝日放送(abn) | 1991年4月 - [52] | ||||
静岡県 | 静岡朝日テレビ(SATV) | 番組開始 - | ||||
石川県 | 北陸朝日放送(HAB) | 1991年10月 - [53] | ||||
中京広域圏 | メ〜テレ(NBN) | 番組開始 - | ||||
近畿広域圏 | 朝日放送(ABC) | |||||
広島県 | 広島ホームテレビ(HOME) | |||||
山口県 | 山口朝日放送(yab) | 1993年10月 - [54] | ||||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送(KSB) | 番組開始 - | ||||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ(eat) | 1995年4月 - [55] | ||||
福岡県 | 九州朝日放送(KBC) | ○ | 番組開始 - | |||
長崎県 | 長崎文化放送(NCC) | × | 1990年4月 - [56] | |||
熊本県 | 熊本朝日放送(KAB) | 1989年10月 - [57] | ||||
大分県 | 大分朝日放送(OAB) | 1993年10月 - [58] | ||||
鹿児島県 | 鹿児島放送(KKB) | 番組開始 - | ||||
沖縄県 | 琉球朝日放送(QAB) | 1995年10月 - [59] | ||||
鳥取県・島根県 | 山陰放送(BSS) | TBS系列 | 火曜日 24:55 - 25:55 |
11日遅れ | 2000年10月 - [60] |
放送を終了した局[編集]
- 山梨放送(日本テレビ系列) - 放送終了時期不明
- 高知放送(日本テレビ系列) - 2012年9月で打ち切り。
日本国外での放送[編集]
- 毎週土曜日夜に2週前の番組を放送する。
- Animax Asia - (香港他)
- 毎週日曜日夜に3週前の番組を放送する。
- 2007年4月 - 隔週放送のため未放送分あり。
- 毎週土曜日に半年前の番組を放送。
関連番組[編集]
- 『ニュースステーション』の後継番組で、2004年4月5日より放送されている古舘伊知郎がメインキャスターを務めている報道番組。番組タイトルの「ステーション」や制作手法など、『Nステ』の名残を受け継いでおり、番組ロゴも『Mステ』の英語表記の番組ロゴとデザインが類似している。
- 2003年10月10日、テレビ朝日の六本木ヒルズ新社屋への移転を記念したスペシャルドラマ『新テレアサ誕生記念ドラマ 生放送はとまらない!』が放送された。ドラマは「ミュージックスタジアム」という『Mステ』をモチーフにした音楽番組を舞台にしたもので、浜崎あゆみ・Gackt・B'zなど多数のアーティストが出演。当時の『Mステ』スタッフも多数関わっていた。
- 『MUSIC STATION SPECIAL もう一度聴きたい昭和・平成の名曲ベスト100×2!』が2009年1月30日に「3時間スペシャル」で『50時間テレビ』枠内で生放送された。また、同局の報道番組『報道ステーション』のメインキャスター及び同局の元アナウンサーである古舘伊知郎がオープニングとエンディング部分に特別出演をした。
- また、次のミニ番組『easy sports』では竹内由恵がテレビ朝日毛利庭園内でランニングを行っている(この期間中は同局の女子アナウンサーがリレー形式で六本木ヒルズ内でランニングを行っている)。
- 2012年7月21日・22日に放送。タモリが総合司会を務め、『笑っていいとも!』を中心とした『FNSの日』の特別番組で、「NEKASANAI STATION(ネカサナイステーション)」という『Mステ』をパロディ化したコーナーが放送された。司会はタモリとフジテレビアナウンサーの三田友梨佳が務めた。スタジオセットやタイトルロゴ・ロゴマークも本家そっくりのものが使用された。
脚注・出典[編集]
- ↑ 同局の報道番組『ニュースステーション』の通称「NS」にちなむ。『Nステ』放送終了後はこの通称は消滅した模様。
- ↑ 新聞のラ・テ欄ではこの表記を使用している(特にGコード普及以後)。
- ↑ 1982年4月に西田敏行と共に担当。だが、西田が「スケジュール多忙」を理由にコーナー別撮りとなったため、2〜3週女優と共に担当し、当時テレビ朝日アナウンサーの古舘伊知郎に相方を代わるも、西田が出なくなった事で視聴率が減退し、6回で降板した皇達也プロデューサーの後を追う形で西田・古舘と共に降板し、番組はわずか8回で打ち切りとなる。なお、残り2回は佐々木正洋(テレビ朝日アナウンサー)と南美希子(当時テレビ朝日アナウンサー)が代行した。
- ↑ 約半年後、月曜深夜枠で『カミスン!-Coming Soon!!-』が開始。1年後、後継番組として『うたばん』開始当初の枠であった火曜21時台にて『火曜曲!』(2012年4月24日 - )が現在放送されている。
- ↑ 以前は「シングルCDランキング」の冒頭で画面右下に名前が表示されていたが、2005年4月1日よりスタッフロールに他のナレーターとともに名前が表示されるようになった。
- ↑ スペシャル放送時は服部潤が担当することもある。2009年11月6日放送分では服部潤が不在であったため、彼の代理を務めた。口調はこの回だけ服部を模した口調になっていた。この時だけスタッフロールに名前がクレジットされていた。
- ↑ 2011年6月以降の番組直前の番宣CMは岩井証夫ではなく、別の女性がやっている。また、CMの予告時間が『報道ステーション』の予告と同じ5秒となっている。
- ↑ 同局の「ニュースステーション」ではリッチー・ブラックモア(ブラックモアズ・ナイト)(1997年)、ヴァン・ヘイレン(1998年)が出演しているが「ミュージックステーション」では出演していない。
- ↑ 大抵は各姉妹グループのエースかつツートップのメンバーが選抜されており、松井珠理奈・松井玲奈(以上SKE48から選抜)、山本彩・渡辺美優紀(以上NMB48から選抜)がそこから選抜されている。言うならば事実上の「グループ兼任」である(つまり、AKB48のチームには所属しないでAKB48自体を兼任している)。ちなみに松井珠理奈と渡辺美優紀は2012年4月より、AKB48のチームを実際に兼任している。
- ↑ ただし、何らかの都合で出演できないメンバーがいるときは、それ以外のメンバーが代わりに選抜されて出演する。これまでは以下の通り。
- 2011年5月27日放送分の「Everyday、カチューシャ」では篠田麻里子→秋元才加
- 2011年10月28日放送分の「風は吹いている」では河西智美→島崎遥香
- 2012年2月17日放送分の「GIVE ME FIVE!」では山本彩→島崎遥香
- 2012年10月5日放送分の「UZA」では松井珠理奈・松井玲奈→川栄李奈・加藤玲奈
- 2012年11月30日放送分の「永遠プレッシャー」では木本花音(SKE48)→川栄李奈
- 2013年2月22日放送分の「So long !」では峯岸みなみ・渡辺美優紀→加藤玲奈・藤江れいな
- 2012年3月1日放送分の「So long !」〜「GIVE ME FIVE!」では峯岸みなみ・横山由依(2012年11月よりNMB48兼任)・指原莉乃→川栄李奈・藤江れいな・宮澤佐江(2012年11月よりSNH48)
- ↑ 2012年5月25日放送分の「真夏のSounds good !」では選抜メンバーが36人に対し、当番組を含む多くの音楽番組の楽曲披露は22人になっている。
- ↑ ソロデビューは2012年5月2日になっているが、本番組の出演は同年5月18日放送分。さらに、翌週には「真夏のSounds good !」のリリース週にあたり、AKB48として出演し、違った形での2週連続出演。
- ↑ 一時期、この間に楽曲披露後に提供クレジットを入れてCMとなっていたことがある。提供クレジットは最初のCMに入る前に表示される。
- ↑ たまにないときがある。春・秋の改編期シーズン・冬・夏のスペシャルシーズンや『ミュージックステーションスーパーライブ』シーズンになると3時間・2時間スペシャルの予告やスーパーライブの観覧希望の募集告知が放送されている。
- ↑ これが使われるようになったのは2005年2月18日の「800回記念スペシャル」時から。それまではサブ司会者による紹介だった。
- ↑ スペシャル放送の場合(「スーパーライブ」を除く)は『報道ステーション』(以前は『ニュースステーション』)の5秒予告(と仮屋昌伸か柳沢真由美のナレーション)が流れる(『Nステ』は予告ナレーションなし)。
- ↑ 2010年3月以前はドラマ・バラエティ共に5秒予告だった。
- ↑ 例外として水曜20時台の番組は、4月から6月期のドラマについては従来通りだが、『新・警視庁捜査一課9係』や『相棒』は従来と異なり、『新・警視庁捜査一課9係』の場合は『9係』の出演者(渡瀬恒彦・井ノ原快彦(V6)ら)が「この後は『新・警視庁捜査一課9係』」と言ってから『9係』の予告へと流れるが、『相棒』に至っては、『Mステ』同様、そのまま『相棒』の予告へと流れる。
- ↑ 2009年は放送枠が1時間しか確保できなかったため、録画放送ではあるものの通常のレギュラー放送の扱いとなった。
- ↑ 司会者同士のトークの際はVTRのような字幕を表示する演出は取っておらず、スタッフロールの最後の「制作著作:/tv asahi」のクレジットは生放送のようなランダムな動きをするCGは使用せず、通常のスタッフロールと同じ扱いとなっている(『SmaSTATION!!』では当番組とは違って、字幕を表示しており、録画放送であってもこのクレジットは通常のランダムな動きをするCGを使用している)。
- ↑ 2000年のみ3時間50分。
- ↑ 特にSMAPは森且行が在籍していた頃の映像では、森の出演部分はカットされており(全体時はほぼカットしていない)、番組が独自に一部編集されているものに差し替えられている。
- ↑ 特に安室奈美恵は2000年代前半以前の曲に関しては披露映像時のではなく、ライブ映像に差し替えられている。次いでDREAMS COME TRUEなど。
- ↑ 同局では『歌謡ドッキリ大放送』など。
- ↑ 2010年1月29日放送の「Mステスタッフが選んだ記憶に残る名場面集」(放送第601回 - 第700回編)で取り上げられた際、この日出演したKAT-TUNの亀梨和也曰く、自分の出番以上に張り切っているとのこと。
- ↑ 『メントレG』は2008年9月に放送終了。その後、TOKIOには新番組として『5LDK』が与えられたが、こちらは「城島タモリ」のお披露目をするようにさせるためか、木曜日23時台(バラパラ枠)での放送となっている。
- ↑ 同アルバムに収録されている「どうしても君を失いたくない」のインストゥルメンタルバージョン。なお、こちらは番組のエンディングテーマとして作られたためか、音源化はされておらず、アルバムなどのCDにも収録されていない。また、原曲と一部異なっており、前者は原曲のアレンジ版、後者は原曲をそのまま流用してアレンジしたものの音源だった。レギュラー放送・スペシャル放送は前者、スーパーライブは後者を使用していた。
- ↑ 2002年3月1日生放送分にこの番組で同アルバムに収録されている「恋歌」とともに披露された。
- ↑ (2011-10-14) 『Mステ』もLED化! 省エネで“ドーム級コンサート”実現 ORICON STYLE [ arch. ] 2011-10-31
- ↑ 2012年9月7日の放送は、ゲストが10~40人以上とあまりにも多かったために(この回のゲストの中にAKB48とEXILEと三代目 J Soul Brothersの混合ユニット・EXILE TRIBEが出演したため)、右側の登場口に急遽仮設のトーク席を設置したため、左側の登場口からしか登場できなかった。
- ↑ 2009年8月21日は親子での観覧となった。
- ↑ もっとも、山陰放送や高知放送の様に深夜に遅れネットされている地域に限っては生放送とは言えず、事実上の「録画放送」になってしまう。
- ↑ 『SmaSTATION!!』でも、メールを読まれた投稿者には『スマステ』のティッシュボックスがプレゼントされているが、もととなったのはこの番組ではないかと思われる。
- ↑ 堂真理子 2月25日のミュージックステーション日記
- ↑ 放送300回目は2010年1月15日に放送された放送1000回直前SPの最高視聴率ランキングで第1位にランクインした。この日はサザンオールスターズ・TUBE・CHAGE&ASKA・中森明菜・光GENJIの5組が出演し過去の秘蔵VTRを交え、2時間のスペシャルで放送した。
- ↑ 放送500回目は「スーパーライブ'97」だったが2010年1月15日に放送された1000回直前SPでもMステ放送500回目で最高視聴率第4位にランクインした。この日は33組のアーティストが出演し、XJAPANが(1度目の)解散前の最後の出演。「紅」と「Forever Love」のSPメドレーを披露した。
- ↑ 単なる音楽番組への出演ということでは、正確には1992年の「ミュージックフェア」だが、これはコーラスとしての出演であり、自らの曲は歌っておらず、また1996年の「熱くなれ」がNHKのアトランタオリンピックテーマソングに選ばれた際にインタビューに答えているが、「サンデースポーツ」というスポーツ番組で、音楽番組ではなかった。この生出演当日に初めてテレビで自らの曲を歌っているため、事実上の音楽番組初出演は『ミュージックステーション』である。
- ↑ 実に32000倍という確率からの当選者500人が選ばれた。
- ↑ 2009年6月に登場した9mm Parabellum Bulletのメンバーはこの時の演奏を見て「バンドってカッコいい」と思い、バンド活動を決意したと番組初出演時に発言し、タモリを驚かせた。
- ↑ しかし、後年t.A.T.uが語ったところによると実際は当時のプロデューサーであるシャポヴァロフの無茶な指示によるものであることを明かしている。
- ↑ この事について布袋は後日公式サイトで堂をフォローするコメントをしていた。
- ↑ 但し、歌詞を間違えた部分は口パクではないため、サビのみが口パクだった可能性もある。そのため、サビのみきれいな声である。また、12月22日の「SUPERLIVE2006」でもサビの歌声が二重に聞こえており、一番は途中で気付いたのか普通の「口パク」に戻っていたが、それ以降は二重に聞こえている。従って、サビのみ異様に歌声が綺麗に聞こえる。
- ↑ 同日に放送された日本テレビ『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』にも出演。
- ↑ 余談ではあるがこの「負けないで」の映像はこの年の『第58回NHK紅白歌合戦』で設けられた坂井の追悼コーナーでも流された。
- ↑ http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/09/17/0004474600.shtml
- ↑ 5月に出演した高橋みなみ、6月に出演した前田敦子、現在レギュラー出演している指原莉乃は除く。
- ↑ 以前は山本隆夫名義。
- ↑ 青森朝日放送開局までは未放送。
- ↑ 岩手朝日テレビ開局まではテレビ岩手(日本テレビ系列)が不定期でネットしていた。
- ↑ 秋田朝日放送開局までは未放送。
- ↑ 山形テレビのネットチェンジ(フジテレビ系列からテレビ朝日系列)までは山形放送(当時、日本テレビ系、テレビ朝日系クロスネット)が1987年10月 - 1988年9月、1989年4月 - 1993年3月にの期間にネットしていた。放送時間は金曜日深夜 23:50 - 24:45(3時間50分遅れ) → 水曜日夕方17:00 - 17:55(5日遅れ)→ 水曜日深夜 23:55 - 24:50の同じく(5日遅れ)と変遷している。
- ↑ 長野朝日放送開局までは、テレビ信州(当時、日本テレビ系列、テレビ朝日系クロスネット)がネットしていた。1987年9月で同時ネット打ち切り、10月以降は深夜の遅れネットとなる。
- ↑ 北陸朝日放送開局までは石川テレビ(フジテレビ系列)がネットしていた。
- ↑ 山口朝日放送開局までは未放送。
- ↑ 愛媛朝日テレビ開局までは南海放送(日本テレビ系列)がネットしていた。
- ↑ 長崎文化放送開局までは未放送。
- ↑ 熊本朝日放送開局までは未放送。
- ↑ 大分朝日放送開局まではテレビ大分(当時、日本テレビ系列、フジテレビ系列、テレビ朝日系クロスネット)がネットしていた。ただし、開局の半年前(1993年3月)に打ち切っている。
- ↑ 琉球朝日放送開局までは未放送。
- ↑ 土曜日夕方から水曜日深夜へ移り、2011年2月3日までは木曜に放送されていたが、2011年2月9日からは水曜に戻り2012年4月からは現在の放送時間。遅れネットのため番組中の提供テロップなどは番組ロゴに差し替えとなっている。
関連項目[編集]
- 音楽番組
- ミュージックステーション Young Gunsに登場したアーティスト
- ミュージックステーションに出演した海外からのアーティスト
- ミュージックステーション1000回記念スペシャル
- 花の金曜ゴールデンスタジオ→ハナキンスタジオ(本番組開始前の5年半前に金曜夜8時枠で放送された音楽番組)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!
- タモリ倶楽部
外部リンク[編集]
- ミュージックステーション(テレビ朝日 公式サイト)
- ミュージックステーション(@Mst_com)- Twitter
- MUSIC STATION YOUNG GUNS ON THE WEB(YouTube)
テレビ朝日系列 金曜20時台 | ||
---|---|---|
前番組 | ミュージックステーション (1986年10月24日 - ) | 次番組 |
ワールドプロレスリング(新日版) (1972年7月28日 - 1986年9月19日) 【月曜20時台に移動して継続】 | ----- | |
テレビ朝日 金曜19:54 - 20:00枠 | ||
クレヨンしんちゃん ※19:30 - 20:00 (1996年4月12日 - 2000年3月17日) 【6分縮小して継続】 | ミュージックステーション (2000年4月14日 - 2000年9月15日) | 不明 ※19:54 - 19:56 【20:48から移動】 都のかほり ※19:56 - 20:00 【20:50から移動して継続】 |
あたしンち ※19:30 - 20:00 (2002年4月 - 2002年9月) 【6分縮小して継続】 | ミニステ (2002年10月18日 - ) | ----- |
テレビ朝日 金曜20:48 - 20:54枠 | ||
ワールドプロレスリング(新日版) ※20:00 - 20:54 (1972年7月 - 1986年9月) 【月曜20時台に移動して継続】 | ミュージックステーション (1986年10月 - 2000年3月) | 不明 ※20:48 - 20:50 都のかほり ※20:50 - 20:54 【6分繰り上げ】 |
不明 ※20:48 - 20:50 【19:54に移動】 都のかほり ※20:50 - 20:54 【19:56に移動して継続】 | ミュージックステーション (2000年10月 - ) | ----- |
テレビ朝日 金曜20:54 - 21:00枠 | ||
世界痛快伝説!!運命のダダダダーン! ※20:54 - 21:48 (2000年10月20日 - 2001年9月21日) 【6分繰り下げて継続】 | ミュージックステーション NEXT (2001年10月 - 2002年3月) ※20:54 - 20:56 都のかほり ※20:56 - 21:00 【19:56から再移動して継続】 | 不明 ※20:54 - 20:56 都のかほり ※20:56 - 21:00 |
テンプレート:ミュージックステーション テンプレート:関口宏 テンプレート:タモリ