B'z
B'z(ビーズ)は、松本孝弘、稲葉浩志の2人で構成される日本の音楽ユニット[1][2]。ビーイング傘下のレコード会社(レーベル)、VERMILLION RECORDSに所属。公式ファンクラブは「B'z Party」である。
メンバー[編集]
人名 | パート(ライブ) | パート(レコーディング) |
---|---|---|
松本孝弘 (まつもと たかひろ) |
ギター | ギター 作曲 編曲 音楽プロデューサー |
稲葉浩志 (いなば こうし) |
ボーカル | ボーカル 作詞 編曲 |
サポートメンバー[編集]
人名 | パート(ライブ) | パート(レコーディング) | 在籍期間(ライブのみ) |
---|---|---|---|
増田隆宣 | キーボード | オルガン キーボード(以前) |
1992年 - 1997年 1999年 - |
シェーン・ガラース(Shane Gaalaas) | ドラム | ドラム パーカッション |
2002年 - |
バリー・スパークス(Barry Sparks) | ベース | 不定期参加 | 2003年 2008年 |
徳永暁人(from doa) | ベース | ベース コーラス(一部担当) 編曲 |
1998年 2003年 - 2007年 |
大田紳一郎(from doa) | ボーカル ギター |
コーラス(一部担当) | 2003年 - 2008年 |
畠山勝紀 | ギター・テック | ギター・テック | 1991年 - |
元サポートメンバー[編集]
人名 | パート | 在籍期間(ライブのみ) |
---|---|---|
明石昌夫 | ベース マニピュレート |
1989年 - 1997年 |
満園庄太郎 ビリー・シーン(Billy Sheehan) |
ベース | 1999年 - 2001年 2002年 |
阿部薫 田中一光 デニー・フォンハイザー(Denny Fongheiser) 黒瀬蛙一 |
ドラム | 1989年 - 1990年 1990年 - 1994年 1995年 - 1997年 1998年 - 2001年 |
広本葉子 大島康祐 |
キーボード | 1989年 - 1992年 1998年 |
高原裕枝 中村優子 |
コーラス | 1992年 |
澤野博敬 澤田秀浩 |
トランペット | 1993年 |
野村裕幸 | トロンボーン | 1993年 |
吉田じゅんべい | サクソフォーン | 1993年 |
その他サポートメンバー[編集]
人名 | パート | 在籍期間 |
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山口昌人 | ドラム | テレビ出演時(シェーンが来日していない時のみ) |
$pyke(Hazuki Kido) | ベース | テレビ出演時(「SUPER LOVE SONG」の演奏など) |
GO (from SUNSOWL) | ドラム | テレビ出演時(2007年 - ) |
来歴[編集]
結成前〜デビュー[編集]
1987年、音楽制作会社ビーイングに所属し、浜田麻里やTM NETWORKなどのツアーサポートやスタジオ・ミュージシャンとして活動していた[1]ギタリストの松本が、「自らの音楽を表現できるバンドを創る」という構想のもと、バンド結成へ向けた活動を開始。その間、あるボーカリストとバンドを組む事を音楽雑誌で公表したが、そのボーカリストとデビューする事はなかった[3]。
1988年5月、ボーカリストを探していた松本は、ビーイングの社長で音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープは学生時代の稲葉が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた[4]。長戸はB'z結成の2、3年前から「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」と事あるごとに言い続けていたという[5]。
長戸を介して、2人は曲をあわせる約束を交わす(しかし松本は、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」と後日語っている[6])。翌日「SOUND JOKER」という小さなスタジオで初顔合わせした2人は、ビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」の2曲をセッションする[4][7]。しかし、機材の故障により結局その日は2曲しかセッションが出来ず、その場はお開きとなった。後日再び会った時には、何故か既にデビューへ向けての活動が始まっていたという[4]。その後2人はユニットB'zを結成、1988年9月21日にシングル『だからその手を離して』、アルバム『B'z』の同時リリースでデビューした。
2人が初めて出会ってB'z結成・デビューに至るまでは、約4ヶ月という短い期間であった。B'z結成時はお互い(特に稲葉)の合意が形成されないままデビューへの話が進んだらしく、稲葉は結成当時について「振り返ってみれば、これまで松本さんから『一緒にバンドをやろう!』とはっきり口にして言われたことは一度もない」とインタビューやライブMCで語っている[8][9]。ただし1993年に敢行されたライブツアー『LIVE-GYM '93 "RUN"』でのMCでこのエピソードが語られたときは、「そういえば言っていないな」ということで、稲葉が冗談めかしながら「一緒にやろう!」と言った事もある。
結成当時の音楽業界では、「新人はアルバムを3枚リリースするまでにヒット作品を作れなければ見切りをつけられる」という風習があった。そのため、松本はデビュー時から明確なビジョンを持って制作に当たっており、稲葉と初対面した際に「3年以内に(当時一番売れていた音楽雑誌である)『Gb』の表紙を飾る」「3年以内に『オリコン』の(1位〜50位までが掲載されている)左ページに載る」といった「三ヵ年計画」を力説していたという[9][10]。
初期のB'zのプロデューサーは中島正雄である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザーという肩書きで指揮していた。
結成後〜現在[編集]
デビュー当時はTM NETWORKのツアーにくっつける形でキャンペーンを行うなど、地道な活動を続けていた[1]。キャンペーンについては、「松本によるギターセミナー」と称して客を集めるものの、実際はセミナーを早々に切り上げて後半をB'zのお披露目コンサートの時間に当てる、といったものであった(これについては客の方もB'zのお披露目のためのセミナーだということは認識していた)[9]。メンバーは「(多くのファンと)握手しすぎて手から指紋が消えた」「(お辞儀のしすぎで)一日が終わると体が"くの字"から戻らない」などと語ったことがあり、キャンペーンや挨拶回りはかなりのハードスケジュールだった[8]。
しかし、デビュー作は全く売れずオリコンチャート100位以内にも入らないなど、デビューからしばらくは苦戦が続いた。ブレイクのきっかけは1989年にリリースしたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』である。このミニアルバムに収録された同名の曲が、タイアップの効果もあり有線で注目され始め、オリコンチャートに(10位以内には入らなかったものの)163週ランクインするというロングヒットを記録。1990年リリースの4thシングル『BE THERE』で初のトップ10入り、そして同年リリースの5thシングル『太陽のKomachi Angel』が初のオリコンチャート1位を記録しブレイクを果たす[8]。
ブレイク以降から現在にかけて、シングル連続初登場首位獲得数やアーティスト・トータル・セールスを始めとする日本音楽界における数多くの記録を樹立(詳細は後述)、『日本が誇るロックユニット』と呼ばれるまでに人気を博す[2]。2007年にはロックンロール・音楽界に貢献したアーティストを讃える「ハリウッド・ロックウォーク」へ殿堂入りとなった(後述)。2008年9月21日には結成20年となり、2010年に至るまでもコンスタントにCDをリリースしたりライブを敢行したりなどといった活動を行っている。
概要[編集]
ユニット名[編集]
アクセントの位置[編集]
ユニット名である「ビーズ」は、世間的には抑揚をつけない平板な読み方(例えば「リール」「レール」に近い読み方)が主流であるが、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)でメンバーが語ったところによると、正しい読み方は先頭にアクセントを置いた「ビィズ」であるとされる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント)。また『NHKスペシャル』(NHK)においてB'zを特集した際、NHKは先頭にアクセントを置いた読み方を採用している。これについてNHK側は「ご本人たちもファンも関係者もみんな(「ビ」にアクセントを置いて)『ビィズ』とよんでいます」と回答した。
平板な発音の方が一般に定着した理由について放送文化研究所は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」という前提を置いた上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのでは」という見解を語っている[11]。
なおメンバーは「自分達はビィズと呼んでますが、どちらでも呼びやすいように呼んで下さい。」と発言している[12]。
ユニット名の由来[編集]
ユニット名の由来については諸説ある。これは、ユニット名の由来についてのメンバーの発言や、由来について触れている参考文献の内容にばらつきがあるためである。そのため、現在でも正式な由来は曖昧なままになっている。
以下は雑誌や会報のインタビュー等においてユニット名の由来を尋ねられた際の、メンバーの主な回答である。
- 結成当初、最初にユニット名として書かれていたのは『松本バンド A'z(アズ)』という名前であった。しかし、当時の世相で「A'z(アズ)≒エイズ(AIDS)」ともとられる可能性があることに気付き「その名前はまずいだろう」ということになり、「"A"の次は"B"だろう」ということで『B'z』とした。その後、「B」から始まる名前のバンドは、非常に力強いバンド(「ビートルズ等)が多いことが分かり、また「『B'z』だと憶えやすそう」という意見もあり、現在の名前となった[10]。
- 『僕らの音楽』(フジテレビ系列)2005年3月26日放送回で、稲葉は「『A〜Zのすべてを包括する』という意味で『A'z』としようとした。しかし、発音がまずいので、Aの次にあるBを使って『B'z』にした。」と発言した。
- 3rdアルバム『BREAK THROUGH』のバンドスコアでは、メンバーは「何か記号的、かっこいいものにしたかった」とコメントしており、企業のロゴのように意匠化しやすいイメージで名前を付けたとしている[13]。
- 松本がパーソナリティを務めたTOKYO FM『BEAT ZONE』の中でゲスト出演の稲葉が「『蜂の群れ(Beeの複数形)』でB'z」との発言をした(1995年頃は17thシングル「love me, I love you」やLIVE-GYMで使うロゴマークに蜂の腹部を模したものを使用していた)。
- 1989年の会報で松本は、「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった」と語っている[14]。
- 『エースが2人』で『A'z』だという案もあったが、発音しにくいので最終的に『B'z』に落ち着いた[8]。
2人組になった経緯[編集]
B'z結成当時、日本の音楽シーンが「バンドブーム」を迎えていた中、B'zは当時としては異色であった2人組のユニットという形式でデビューした。松本はこのことについて「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と語っている[15]。しかし松本は、当初ベースやドラム担当を含めた4人くらいのバンドを考えており、実際に何人かに当たってみることはしていたという[15]。当時を振り返り松本は「最初のうちは(ドラムやベース担当といった)他のメンバーも探すつもりだったが、(稲葉と)2人でデモテープを作っているうちに「2人でもいい」と思うようになり、2人でいこうということになった」[6]「バンドって4〜5人いても、重要なものを飾るのは2人くらいでしょ? だったら2人がいいかなって思った。(中略)僕のギターと気に入ったボーカルさえあれば、後はサポートメンバーを入れればいいだけの話。稲葉と2人でやっていこうと思った。」[15]と語っている。
メディアへの露出[編集]
毎年ライブツアーを主体とした活動を行っており、テレビの露出は少ない。また音楽以外の活動(バラエティ番組出演、CM出演、俳優活動など)には消極的な姿勢を見せている。音楽番組の出演は多いが、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)、『COUNT DOWN TV』(TBS系列)などに出演する程度である。年末年始は『NHK紅白歌合戦』などの大晦日・正月の特番には一切出場しないため、年末最後のテレビ出演(仕事納め)は『ミュージックステーションスーパーライブ』(テレビ朝日系列)となることが多い。近年になっては、2007年の『ミュージックステーションスーパーライブ』にて「SUPER LOVE SONG」を披露したのを最後に、音楽番組での演奏披露は2024年12月現在行われていない。テレビ出演自体も2009年に『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』(フジテレビ系列)の宣伝番組にコメントを寄せて以来出演していない。
音楽以外の活動などについて松本は「才能のある人が多い時代だから、バンドをやっている人でも音楽以外のフィールドに出て行く人って多いでしょう?でも僕らはあくまでも音楽活動をメインにしていきたい」「音楽のフィールドを固めていくことが、バンドを長続きさせる秘訣だと思っている」と語っている[8]。
ただし過去には、ラジオ番組のパーソナリティを勤めたことがある。東海ラジオ『Come on JTB B'z WAVE-GYM』(両名)、『WAVE-GYM Vol.0』(稲葉)、TOKYO FM『BEAT ZONE』(松本)ではレギュラーを務め、単発ではニッポン放送『オールナイトニッポン』(1992年、1995年、2000年、2001年、2003年、2005年)と、多数のラジオ番組のパーソナリティを務めたことがある。
ファン[編集]
ファンクラブ 「B'z Party」の加入者数は延べ人数で54万人を超える[16](休眠会員含む)。50ページを超えるほどの会報が年に4回ほど発行される。この会報においては、メンバーへのインタビューが内容の約3割を占めている。
音楽活動[編集]
音楽方向性[編集]
初期の作品はギターサウンドを抑え打ち込みを前面に出したTM NETWORKに近いデジタルサウンドであった。これについて松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」「TMから始まったものが今の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と語っていたり[17]、メンバーは「デジタルでは絶対に音が作れないギターとボーカルを、デジタルビートと融合させる、というコンセプトで活動している」とも発言していた[4]。松本はライブやレコーディングにTMNのサポートメンバー時代の仲間である阿部薫や久保こーじを招いていた[18]。
ブレイク以降は様々にスタイルを変え、デジタルビートから、ダンス、生の管楽器や弦楽器を導入したアレンジや、4ピースバンドロックなどという風に時代ごとに特徴がある。11thシングル『ZERO』や14thシングル『Don't Leave Me』の頃からロックサウンドへの移行が顕著になって行き、同時に打ち込み音を使用する割合は徐々に減少傾向になる。近年の楽曲はライブ感を重視したものとなっている[1]。
マーティ・フリードマンはB'zの曲風について、B'zとアメリカのロックバンド・エアロスミスとを比較し、「B'zはエアロよりも現代的な音であり、東洋的なメロディーや繊細なアレンジなどはエアロには無理である。またエアロはブルースが基本であるが、B'zは日本的な歌謡曲の作り方である。」と評している[19]。
楽曲製作[編集]
- 作詞・作曲
全ての楽曲の作曲を松本、作詞を稲葉が担当している。ただし、1stアルバム『B'z』収録の『Nothing to Change』のみ作詞は亜蘭知子が、また同アルバム収録の『孤独にDance in vain』のみ作曲は大槻啓之が担当した。松本曰く、「当時はあれが限界だった」と語っている[20]。また、B'zのほとんどの楽曲は松本の曲が先に作られ、そのメロディに稲葉が詞をつけるという、音楽用語で言う『曲先』で作られている[8]。
- 編曲(アレンジ)
編曲(アレンジ)は、1995年までは松本と明石昌夫が主に担当していた。1995年リリースの16thシングル『ねがい』以降からは稲葉も編曲に参加している。また、同年にB+U+Mを解散して以降は、松本と稲葉の他に多くのアレンジャーが編曲を担当している。
レコーディングやアレンジのときには、メンバーはもちろんのこと、他のサポートメンバー、ディレクター、ステージングのエンジニアなどもアレンジのためをアイデアを持ち寄ることがあるという。その際にメンバーはそのアイデアを口頭で否定することはなく、まずそれらを"一度試してみて"、最後に一番良いものを完成形として採用するという方法がとられる[8][21]。
- レコーディング
レコーディングはメンバーそれぞれが別々に行うことが多い。松本がギターのレコーディングを済ませるまで稲葉はスタジオには入らず、松本のレコーディングが一段楽して初めて稲葉がボーカルのレコーディングに入る。これについて稲葉は「出来上がった松本のギター演奏を"初めて耳にした瞬間"のフィーリングを念頭においてレコーディングに入りたい」「メロディを何度も耳にしてるとどこが良くてどこが悪いのか段々判らなくなってくる。だから松本さんの完パケ(完全パッケージ)を一度だけ耳にして、次の瞬間自分のボーカルの世界へ没頭したい。」と語っている[8]。
松本のギターソロのパートは、曲を流しながらアドリブでギターを弾いたものを録音し、それを聴き直して納得が行ったものを完成形とするという方法がとられている[21]。
リリース[編集]
デビュー以降から2024年現在まで、シングルは毎年リリースされている。特に、1988年リリースの1stシングル『だからその手を離して』から2008年リリースの45thシングル『BURN -フメツノフェイス-』まで、シングルのリリース間隔が1年以上が空いたことはなかった。
また、ほぼ1年半に1作のペースでオリジナルアルバムをリリースしている。オリジナルアルバムのほかにベストアルバム、ミニアルバムなどもリリースしている。
LIVE-GYM[編集]
ライブツアータイトルは、一貫して『LIVE-GYM』と銘打っている。
2nd beat[編集]
シングルのカップリング曲を『2nd beat』(1曲目は1st beat、3曲目は3rd beat)と呼称している。
B+U+M[編集]
1990年から1994年まで、音楽製作集団『B+U+M(B'z UNREAL MUSIC)』を結成していた。
Z'b[編集]
Z'b(ズービ)とは、B'zメンバーがLIVE-GYMで洋楽のカバーをしていたときに使っていた名前。B'zとは別人という設定で、それぞれにキャラ設定がある。
メンバーは以下の通りである。
- ボーカル - アミーゴこましエンジェルJr.(名古屋のみ、早乙女 順)<稲葉浩志>
- ギター - 綾乃小路幹彦(神戸のみ、マリモ・ハラオ)<松本孝弘>
- ベース - はだか一貫<明石昌夫>
- キーボード - マンボウ・カメ(名古屋のみ、菊の門 雅)<広本葉子>
- ドラム - チャッキーこけし<田中一光>
評価[編集]
なぜ売れるのか[編集]
音楽評論家の大貫憲章は、R25の取材に対して、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、ハードロックサウンドとシャウト、稲葉浩志の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか、としている[2]。また、音楽プロデューサーの亀田誠治は、B'zの曲がヒットする要因を、ヒット曲に必要な条件である「アーティストパワー」「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えている「勝ち組安定型」と定義した[22]。継続して売れ続けていることがCDショップで積極的に売り出されることにつながり、そのことがまた売り上げにつながっているとした。この傾向はMr.Children・サザンオールスターズ・スピッツも同様であるとしている。
NHKスペシャル(NHK)2008年10月7日放送回において、「B'zが売れる秘密を知るため」としてB'zの密着取材を行ったドキュメンタリー『メガヒットの秘密 -20年目のB'z-』が放送された。その番組内でメンバー本人に「B'zはなぜ売れるんですか?」と質問したところ、松本は「感覚かな、野性の勘ですよね。『これはイケる!』っていう…。」と答え、稲葉は「とにかく『手を抜いてない姿を見せる』というのがテーマでやっているので、そこが(ファンに)伝わってれば何らかの結果は出て来るんじゃないかなとは思ってますね」と答えた。また番組のラストのナレーションでは、B'zが売れる理由を「取材を通じて見つけたのはあまりにもシンプルな答えだった。それは、愚直な努力をコツコツと積み重ねる2人の姿だった。」とした。
パクリ問題[編集]
テンプレート:ローカルルール B'zを論評する時に、避けて通れないのが「パクリ」であるといわれている[23]。 『マルコポーロ』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており[24]、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、メロディ、リフ、アレンジなどのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている[25]。 2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、朝日新聞で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた[26]。
夏至明および別冊宝島編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」「ビーイングという出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている[27]。
また、大滝詠一や奥田民生など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見[24]、 元ネタであるハードロックに対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見[27][28]、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見[29]、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見[30]などがある。
この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している[27][30]。
- 松本「よくいるでしょ。この曲のここはツェッペリンだな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」[31]
- -「遊び心があるわけですよね」
- 松本「たとえば、B'zの曲の中に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のフレーズを入れちゃおうか、とかね」
- -「でも、必ず”あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」
- 松本「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」[4]。
夏至明はこの問題について、B'zだけの問題ではなく西洋のロックを範とするJ-POPに構造的に内包されているものであるとし、1999年の『音楽誌が書かないJポップ批評3[27]』にて、B'zを「全肯定」する論陣を張った。ただし2007年には、この「全肯定」が「永遠の翼」にみられるような保守回帰傾向に荷担してしまったかもしれない、という反省と後悔をしている[32]。
「ハリウッド・ロックウォーク」への殿堂入り[編集]
2007年9月21日に結成20周年に突入したB'zが、ハリウッド・ロックウォークに殿堂入りとなった。
ハリウッド・ロックウォークはロックを芸術として、また、音楽を発展させるのに大きな貢献をしたミュージシャンを讃えるべく、1985年11月、ハリウッドの中心に位置するギターセンター・ストアに設立された。エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノンら170組を超えるミュージシャンが殿堂入りしており、館内にはミュージシャンのサイン入りプレートや手形、ギターなどが展示されている。
B'zは176組目の受賞者となり、日本・アジア圏のミュージシャンで選ばれたのはB'zが初という快挙になる。主な選出理由は20年の長きに渡る活動、日本で一番のCDの総売上げ、米国でのライブツアーを成功させた実績、過去の受賞者スティーヴ・ヴァイの推挙などである。ヴァイは「B'zはとても才能があり、ロック・ウォークが彼らのような英語圏以外のアーティストに注目したのは素晴らしいこと。心からおめでとうと言いたい」と祝福した[33]。11月19日正午(現地時間)にハリウッド・ロックウォークで授賞式が一般公開で行われ、B'zの二人の手形が刻まれた。
『Flash Back-B'z Early Special Titles-』における権利問題[編集]
1997年4月26日にBMG JAPANから『Flash Back-B'z Early Special Titles-』が発売された。内容は、オリジナルアルバム『B'z』、『OFF THE LOCK』、『BREAK THROUGH』と、ミニアルバム『BAD COMMUNICATION』の計4作から選曲し、ベストアルバム的な構成で2枚組にまとめたものである。
しかしこのアルバムは、B'zメンバーや所属事務所の許可なしに制作・販売されたものである。無許可のため、ジャケットや歌詞カードにメンバーの写真は1枚も使用されていない。ただし、上記のアルバム4作と1st〜3rdシングル3作の代表原盤権はBMG JAPANにあるため、このアルバムの発売自体は違法ではない。原盤権自体はビーイングも保有しているが、代表原盤権は保有していない。なお、旧BMGビクター移籍後のB'zのCD等の原盤権はVERMILLION RECORDSの親会社であるビーイングが保有している。
発売当時、B'zが所属するビーイングではZARDのアルバム『ZARD BLEND 〜SUN&STONE〜』の発売日を急遽変更し、『Flash Back-B'z Early Special Titles-』と同週に発売させることになった。結果、初動売り上げで20万枚差をつけてZARDが1位を獲得した。そして翌年にリリースされた『B'z The Best "Pleasure"』では「初のオフィシャルベスト」と強調された。
その後、和解のために2000年2月23日にBMGファンハウス(当時)のBERG レーベルからマストアルバムという形で『B'z The "Mixture"』が発売された。このアルバムの原盤権はビーイングにあり、発売元がBMGとなっている。
しかし、2009年現在においても、この作品は公式サイトのディスコグラフィーには掲載されていない。また、BMG時代の音源はiTunes Storeでは単独販売されておらず、これらをiTunes Storeで入手する場合は約2万円のBOXセット販売のみとなっており、現時点ではアートワークすらダウンロードできない状態である。
主な記録[編集]
オリコン[編集]
(2024年12月現在)
シングル記録[編集]
- シングル総売上枚数:約3,486万枚(歴代1位)●★
- シングル通算首位獲得数:43作(歴代1位)●★
- シングル連続首位獲得数:43作(歴代1位・継続中)●
- シングル連続首位獲得年数:20年(歴代1位・継続中)●
- シングル連続初登場首位獲得数:43作(歴代1位・継続中)
- シングル通算TOP10獲得数:44作(SMAP、THE ALFEEと並び歴代2位、歴代1位は浜崎あゆみ)●
- シングル連続TOP10獲得数:44作(浜崎あゆみに次いで歴代2位・継続中)●
- シングル連続TOP10獲得年数:20年(歴代1位・継続中)●
- シングル通算ミリオン獲得数:15作(歴代1位)●★
- シングル連続ミリオン獲得数:13作(歴代1位)●
- シングル連続ミリオン獲得年数:6年(歴代1位)●
- 同一アーティストによる週間シングルTOP10内同時ランクイン数:9作(歴代1位)●
- 2003年に旧作シングル10作をマキシシングル化して同時再発売した際、新作「IT'S SHOWTIME!!」が1位、3位 - 10位まで再発シングルがランクインした。(2位はSMAPの「世界に一つだけの花」)
- シングルの歴代1位記録、最多11冠達成(●で記した記録)[34]
- 2009年8月11日に初めて達成。2024年12月現在は、「シングル通算TOP10獲得数」「シングル連続TOP10獲得数」で浜崎あゆみに抜かれ9冠である。
アルバム記録[編集]
- アルバム総売上枚数:約4,451万枚(歴代1位)★
- アルバム通算首位獲得数:23作(歴代1位)★
- アルバム首位連続獲得年数:8年(1996年から2003年まで。歴代3位タイ)
- アルバム通算ミリオン獲得数:19作(歴代1位)★
- アルバム連続ミリオン獲得数:8作(歴代2位、歴代1位はZARDの9作)
- アルバム初動ミリオン獲得数:10作(歴代1位)
その他の記録[編集]
- アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):約7,937万枚(歴代1位)
- 音楽VHS作品売上本数:30.1万枚(歴代2位。歴代1位はGLAY『サバイバル』の90.2万枚)
- シングル・アルバムのオリコン主要6部門を6冠全て制覇(★で記した記録)[35]
日本レコード協会[編集]
(2024年12月現在)
- CD総出荷枚数:約9,900万枚(歴代1位)
- 認定ミリオンセラー数(出荷枚数):シングル20作・アルバム21作(ともに歴代1位)
- 認定シングルCD連続ミリオンセラー記録(出荷枚数):17作(歴代1位)
- 認定アルバムCD連続ミリオンセラー記録(出荷枚数):10作(歴代1位)
その他[編集]
受賞歴[編集]
日本ゴールドディスク大賞[編集]
- 1991年 - 1993年、1995年、1996年:ベスト5アーティスト賞
- 1992年 - 1996年:ベスト5シングル賞
- 1992、1994、1996年:ミュージック・ビデオ賞
- 1996年:グランプリ・アルバム賞『LOOSE』
- 1998年:ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『SURVIVE』
- 1999年:アーティスト・オブ・ザ・イヤー、ソング・オブ・ザ・イヤー『HOME』、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『B'z The Best "Pleasure"』、『B'z The Best "Treasure"』
- 2000年:ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『Brotherhood』
- 2001年:ソング・オブ・ザ・イヤー『今夜月の見える丘に』、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『ELEVEN』、『B'z The "Mixture"』
- 2003年:ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー 『GREEN』『The Ballads 〜Love & B'z〜』、ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー 『a BEAUTIFUL REEL.』
- 2004年:ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー 『BIG MACHINE』
- 2005年:ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー 『Typhoon No.15』
- 2006年:ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー 『THE CIRCLE』、『B'z The Best "Pleasure II"』
日本有線大賞[編集]
- 1990年(第23回) 最多リクエスト歌手賞
- 1991年(第24回) 最多リクエスト歌手賞
その他[編集]
- 1999年 ワールド・ミュージック・アワード World Selling Japanese Artist of the year
- 2010年(第1回)Billboard JAPAN Music Awards“Hot 100 of the Year 2009”『イチブトゼンブ』
ディスコグラフィ[編集]
公演一覧[編集]
LIVE-GYM#公演一覧 を参照
タイアップ一覧[編集]
君の中で踊りたい | TBS系ドラマ23『ハイミスで悪かったネ!』エンディングテーマ |
BAD COMMUNICATION | 富士通「FM TOWNS」CMソング |
LOVE & CHAIN | テレビ朝日系『ニュースステーション』スポーツコーナー オープニングテーマ |
BE THERE | テレビ朝日系『水曜スーパーキャスト』エンディングテーマ |
太陽のKomachi Angel | カメリアダイヤモンドCMソング |
Easy Come, Easy Go! | カメリアダイヤモンドCMソング |
愛しい人よGood Night... | テレビ朝日系ドラマ『代表取締役刑事』エンディングテーマ |
HOT FASHION -流行過多- | フジテレビ系『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』エンディングテーマ |
I Wanna Dance -Wicked Beat Style- | フジテレビ系『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』オープニングテーマ(イントロ部分のみ) |
LADY NAVIGATION | カネボウ化粧品 '91夏のイメージソング |
ALONE | 関西テレビ・フジテレビ系ドラマ『ホテルウーマン』主題歌 |
BLOWIN' | カルビー「ポテトチップス」CMソング |
TIME | テレビ朝日系『ステーションEYE』オープニングテーマ |
愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない | 日本テレビ開局40年記念ドラマ『西遊記』主題歌 |
裸足の女神 | トヨタ「カローラ・レビン」CMソング |
Don't Leave Me | テレビ朝日系ドラマ『新空港物語』主題歌 |
MOTEL | ブティックJOY CMソング |
ねがい | 全局25局ネット『J-ROCK COUNT DOWN 50』エンディングテーマ |
love me, I love you | テレビ朝日系ドラマ『外科医柊又三郎』主題歌 |
LOVE PHANTOM | テレビ朝日系ドラマ『X-FILE』主題歌 TBS系『COUNT DOWN TV』オープニングテーマ |
ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜 | テレビ朝日系アニメ『地獄先生ぬ〜べ〜』エンディングテーマ |
MOVE | ベネッセコーポレーション「進研ゼミ中学講座」CMソング |
Real Thing Shakes | 日本テレビ系ドラマ『俺たちに気をつけろ。』主題歌 |
傷心 | テレビ朝日系『超次元タイムボンバー』テーマソング |
FIREBALL | 資生堂「ピエヌ」CMソング |
哀しきdreamer | テレビゲーム『INDY 500』イメージソング |
Calling | テレビ朝日系ドラマ『ガラスの仮面』主題歌 |
ハピネス | テレビ朝日系ドラマ『ガラスの仮面』挿入歌 |
Liar! Liar! | PerfecTV『MUSIC FREAK TV』CMソング '97 NHL 日本公式開幕戦オフィシャルテーマソング |
ビリビリ | 全局25局ネット『J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50』エンディングテーマ |
さまよえる蒼い弾丸 | 大塚製薬「ポカリスエット」CMソング 『J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50』エンディングテーマ |
Hi | フジテレビ系『Fomurla Nippon』テーマソング |
HOME | 角川文庫CMソング |
The Wild Wind | 映画『不夜城』主題歌 |
RUN -1998 Style- | 日産「アベニール」CMソング |
Pleasure'98 〜人生の快楽〜 | 「NHL GAME ONE 98 JAPAN」テーマソング |
ギリギリchop | 読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ |
ONE | 映画『名探偵コナン 世紀末の魔術師』主題歌 |
F・E・A・R | フジテレビ系『F1グランプリ1999・2000』テーマソング |
今夜月の見える丘に | TBS系ドラマ『ビューティフルライフ』主題歌 |
You pray,I stay | サントリー「スーパーチューハイ」CMソング |
juice | テレビ朝日系『おネプ!』エンディングテーマ |
RING | 読売テレビ・日本テレビ系ドラマ『明日を抱きしめて』主題歌 |
ultra soul | 「世界水泳福岡2001」大会公式テーマソング |
スイマーよ2001!! | 「世界水泳福岡2001」大会公式テーマソング |
ROCK man | フジテレビ系『感動ファクトリー・すぽると!』エンディングテーマ |
GOLD | 「世界水泳福岡2001」大会公式テーマソング |
熱き鼓動の果て | TV ASAHI NETWORK SPORTS 2002テーマソング 「パンパシ水泳横浜 2002」大会公式テーマソング |
Everlasting | 映画『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』主題歌 |
SIGNAL | テレビゲーム『ときめきメモリアル Girl's Side』オープニングテーマ |
美しき世界 | テレビゲーム『ときめきメモリアル Girl's Side』エンディングテーマ |
IT'S SHOWTIME!! | TV ASAHI NETWORK SPORTS 2003テーマソング |
野性のENERGY | TV ASAHI NETWORK SPORTS 2003テーマソング |
アラクレ | フジテレビ系ドラマ『あなたの隣に誰かいる』主題歌 |
CHANGE THE FUTURE | NHK-BS2 衛星アニメ劇場『時空冒険記ゼントリックス』主題歌 |
儚いダイヤモンド | NBA JAPAN GAMES 2003 CMソング |
Nightbird | ロッテ「のど飴」CMソング |
ROOTS | 読売テレビ・日本テレビ系アニメ『ブラック・ジャック2時間スペシャル 〜命をめぐる4つの奇跡〜』主題歌 |
WAKE UP, RIGHT NOW | アサヒ「スーパードライ」CMソング |
BANZAI | アサヒ「スーパードライ」CMソング |
ARIGATO | TV ASAHI NETWORK SPORTS 2004 テレビ朝日系 アテネオリンピック2004 テーマソング |
いつかのメリークリスマス | 映画『恋は舞い降りた。』挿入歌 TBS『恋するハニカミ!』テーマソング フジテレビ『感動ファクトリー・すぽると!』オープニングテーマ |
パルス | NHKドラマ『生き残れ』テーマソング |
愛のバクダン | テレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』エンディングテーマ 「ゼスプリ ゴールド・キウイ」CMソング |
OCEAN | フジテレビ系ドラマ『海猿 UMIZARU EVOLUTION』主題歌 |
なりふりかまわず抱きしめて | 「朝日新聞」CMソング |
RUN | 「晴れの国おかやま国体・輝いて!おかやま大会」イメージソング |
衝動 | 読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ |
結晶 | 日本テレビ系 土曜ドラマ『喰いタン』主題歌 |
ゆるぎないものひとつ | 映画『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌』主題歌 |
ピエロ | ドワンゴ「いろメロミックス」CMソング |
SPLASH! | ドワンゴ「いろメロミックス」CMソング |
永遠の翼 | 映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』主題歌 |
ロンリースターズ | 映画『北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章』主題歌 CM「ポケメロJOYSOUND」 |
FRICTION | テレビゲーム『バーンアウト ドミネーター』BGM テレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』2007年10月期オープニングテーマ |
オレとオマエの新しい季節 | 日本テレビ系ドラマ『The O.C.』エンディングテーマ |
ONE ON ONE | TBS系『世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ |
純情ACTION | JAPAN BASKETBALL LEAGUE 2007-2008 OFFICIAL SONG |
パーフェクトライフ | CM「music.jp」 |
BURN -フメツノフェイス- | KOSE「エスプリーク・プレシャス」CMソング |
いつかまたここで | テレビ朝日系ドラマ『小児救命』主題歌 |
ZERO | キリンビール「麒麟ZERO」CMソング |
イチブトゼンブ | フジテレビ系ドラマ『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』主題歌 |
イチブトゼンブ -Ballad Version- | フジテレビ系ドラマ『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』挿入歌 |
DIVE | スズキ「スイフト」CMソング |
PRAY | 映画『TAJOMARU』主題歌 |
long time no see | テレビ朝日系ドラマ『サラリーマン金太郎2』主題歌 |
関連人物・グループ[編集]
- 生沢佑一
- B'zの多くのレコーディングにコーラスで参加。
- 池田大介
- ストリングスが導入されている曲の編曲に数多く参加している。
- 宇浦冴香
- 2作目のシングル『Sha la la -アヤカシNIGHT-』、3作目のシングル『マイミライ』、を稲葉が作詞・作曲。4作目のシングル『休憩時間10分』を、稲葉が作曲を手掛けている。
- Aerosmith
- 2002 FIFAワールドカップ オフィシャルコンサートで共演。
- 大黒摩季
- 1991年から1993年までB'zのレコーディングにコーラスで参加していた。
- オルケスタ・デ・ラ・ルス・BIG HORNS BEE
- 「DE LA LUZ HORN SECSSION」として、アルバム『The 7th Blues』のレコーディングに参加。以後、アルバム『LOOSE』や『Brotherhood』、『ELEVEN』のレコーディングにも一部のメンバーが参加している。
- 上木彩矢
- 06年「ピエロ」をカバー。稲葉が彼女用に歌詞の一部を書き直す。
- 坂井泉水(ZARD)
- B'zと同じビーイングに所属し松本とはTAK MATSUMOTO featuring ZARDとして共同作品をリリースしている。またテレビ出演が7回と極めて少ないZARDだが、B'zとZARDが音楽番組で共演したことがある。
- ZARD唯一の全国ライブ「What a beautiful moment Tour」にはB'zの2人で訪れ、この時のことを2005年に出演したオールナイトニッポンで語っている。
- また、B'zやビーイングの許可なしに『Flash Back-B'z Early Special Titles-』が販売された際に、ビーイングはZARDのアルバム『ZARD BLEND 〜SUN&STONE〜』の発売日を『Flash Back-B'z Early Special Titles-』と同週に急遽変更して対抗し、オリコンでZARDが1位、B'zが2位となり非公認アルバムの首位獲得の阻止に協力した。B'z#『Flash Back-B'z Early Special Titles-』における権利問題 を参照
- 坂井泉水が急死した際には松本、稲葉がそれぞれ追悼のコメントを寄せた。
- チャド・スミス(Red Hot Chili Peppers)
- 09年のアルバム『MAGIC』の2曲目『DIVE』、5曲目『long time no see』、6曲目『イチブトゼンブ』のレコーディングに参加[37]。
- 坪倉唯子
- 1990年のB'zのレコーディングにコーラスで参加。B'zは彼女に「GO-GO-GIRLS」を提供し、その後セルフカバーした。
- TUBE
- 同じ事務所の所属であり、B'zよりデビューは早いが、彼らはB'zのファンだと公言しており、親交が深い。メンバーの前田亘輝のソロアルバム『Feel Me』では、稲葉は楽曲を2曲提供し、クレジットにはないが、松本はギターで参加していた。
- TM NETWORK
- 松本が彼らのサポートメンバーとして参加して以来、現在でも各メンバーと親交がある。B'zとして初ステージを踏んだのはTM NETWORKのライブイベントだった。リーダーの小室哲哉が邦楽で最も好きな男性ボーカリストとして稲葉を挙げている。
- T-BOLAN
- B'zとしてデビューする前に、稲葉がゲストボーカルとして参加していた。
- DIMENSION
- キーボードの小野塚晃とサックスの勝田かず樹がB'zのレコーディングに参加。特に、小野塚はアルバム『RISKY』から近年まで多くのレコーディングに参加しており、B'zのレコーディングには欠かせない人物である。
- 東京スカパラダイスオーケストラ
- 「SKA-PARA HORNS」として、シングル『Don't Leave Me』とアルバム『The 7th Blues』のレコーディングに参加。
- FENCE OF DEFENSE
- B'z初ステージのライブイベント『SF Rock StationファイナルイベントThank You TM NETWORK』で共演。メンバー全員が松本と共にTM NETWORKのサポートメンバーとして活動していた。松本をTM NETWORKに紹介したのはメンバーの北島健二。
- マーティ・フリードマン
- 日本のロックで最初に衝撃を受けたのがシングル曲「Liar!Liar!」である。それ以降B'zファンで松本とは親交がある。
- Mr.Big
- アルバム『Brotherhood』にビリー・シーンとパット・トーピーが参加。ビリーはその後サポートメンバーとして"B'z Live-Gym 2002 GREEN〜GO★FIGHT★WIN〜"にも参加。また、ボーカルのエリック・マーティンは、TMGに参加。
- LOUDNESS
- かつての事務所の先輩であり、互いのライブにも顔を出している[38][39]。
- 稲葉は学生時代に「ICBM」というLOUDNESSのコピーバンドを組んでおり、影響を受けたヴォーカリストとして度々二井原実の名前を挙げている[40]。
- 特にドラムの故樋口宗孝とは交流が深く、一緒に飲みにいったり、松本のソロアルバムのレコーディングにも度々参加していた。また、2008年12月に樋口が死去した際、限られた人物のみで行われた通夜にTUBE、浜田麻里等と共に訪れている[41]。
関連項目[編集]
参考文献・出典[編集]
本ページの参考文献は、以下の音楽雑誌やwebサイトがある。刊行時期を過ぎたものは閲覧が困難である。閲覧を希望する場合は国立国会図書館、大宅壮一文庫、古書店等を利用する必要がある。各出版社でバックナンバーの請求を受け付けている場合もあるので、外部リンクのリンク先もあわせて参照のこと。
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 佐伯明『B'z ウルトラクロニクル』ソニー・マガジンズ、2003年。ISBN 4-7897-2101-9
- ↑ 2.0 2.1 2.2 新型光「B'zはなぜこれほど売れるのか ちょっと真面目に考えてみた」 R25、2005年12月15日。(参照:2007年5月1日。)
- ↑ 『Go!Go!GUITAR』ヤマハミュージックメディア1987年
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 『B'z The Book Treasure』Rooms RECORDS、1998年。
- ↑ 『GB』1990年 ソニーマガジン社
- ↑ 6.0 6.1 『Be with! volume003』B'z PARTY、1989年。
- ↑ 『Be with! volume000』B'z PARTY、1988年。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 『音楽のヒーローたち B'z伝説』汐文社、2002年。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 佐伯明『B'z ミラクルクロニクル』ソニー・マガジン、2008年。ISBN 978-4-7897-3328-1
- ↑ 10.0 10.1 『Be with! volume075』B'z PARTY、2007年。
- ↑ 「平板読みは間違い!? 「B'z」の正しい呼び方って?」日刊サイゾー、2008年10月13日
- ↑ 1992年 MJ -MUSIC JOURNAL-出演時に、司会者の古舘伊知郎からの質問にて。
- ↑ 『B'z Break through + Bad communication』リットーミュージック、1992年。ISBN 4-8456-0631-3
- ↑ 『Be with! volume001』B'z PARTY、1989年。
- ↑ 15.0 15.1 15.2 グループZERO『B'z HISTORY 2006』シーエイチシー、2006年。ISBN 4-86097-165-5
- ↑ 『Be with! volume078』B'z PARTY、2008年。
- ↑ 『TMN最後の嘘(トリック)』ソニー・マガジンズ 1994年
- ↑ 久保こーじ「久保こーじのBUZZ LEAGUE」2006年9月19日。(参照:2007年5月2日)
- ↑ マーティ・フリードマン『い〜じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-』日経BP社、2008年。ISBN 978-4-8222-6319-5
- ↑ 『別冊カドガワ B'z総力特集』角川書店、2003年。ISBN 4-04-721503-1
- ↑ 21.0 21.1 『NHKスペシャル』(NHK)2008年10月7日放送回「メガヒットの秘密 -20年目のB'z-」
- ↑ 亀田誠治「JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論 第4回 講義概要」 立命館大学、2006年10月21日。(参照:2007年5月1日。)
- ↑ 烏賀陽弘道「日本的「模倣文化」の象徴-B'z」 『Jポップの心象風景』 文藝春秋社 2005年。ISBN 4-16-660432-5
- ↑ 24.0 24.1 都築響一「サルマネクリエイター天国18回」 『マルコポーロ』94年10月号 文藝春秋社
- ↑ TAK・E.「元ネタ完全ガイド」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」再考!』 宝島社 2001年。ISBN 4-7966-2335-3
- ↑ 批評の広場「見えない姿 奇妙な存在感」 都築響一の文より 『朝日新聞』1999年1月30日
- ↑ 27.0 27.1 27.2 27.3 夏至明「B'z嫌いの人のためのB'z入門」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評3』 宝島社 1999年。ISBN 4-7966-9466-8
- ↑ 山本かずしげ「テーマ:パクリ&オマージュ」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」再考!』 宝島社 2001年。ISBN 4-7966-2335-3
- ↑ 栗原裕一郎「思想としてのB'z」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」再考!』 宝島社 2001年。ISBN 4-7966-2335-3
- ↑ 30.0 30.1 夏至明「B'z」 宝島編集部編『「パクリ・盗作」スキャンダル読本』 宝島社 2006年。ISBN 4-7966-5072-5
- ↑ 『GB』94年5月号 ソニーマガジン社
- ↑ 夏至明「あの頃 B'zを「全肯定」したワケ」『別冊宝島1474号 音楽誌が書かないJポップ批評50』宝島社、2007年。 (ISBN 978-4-7966-5946-8)
- ↑ 「B'zが米ロック殿堂入り!アジアのミュージシャンで初の快挙」 『サンケイスポーツ』2007年9月21日
- ↑ 「B'z“初の月9主題歌”で20年連続シングル首位獲得 最多11冠達成」ORICON STYLE、2009年08月11日
- ↑ 「B'z、オリコン主要6部門制覇の金字塔」ORICON STYLE、2007年12月11日
- ↑ インプレスが、ネットイベントに全面協力 日本新記録の同時アクセス数、14,600を記録!、インプレス、2000年2月25日。
- ↑ 「B'zが創りだす、さらなる“MAGIC”」『Yahoo! Music』2009年11月17日
- ↑ 『Be with! volume073』B'z PARTY、2007年。
- ↑ TOKYO FM「BEAT ZONE」1997年2月20日放送
- ↑ 『Be with! volume039』B'z PARTY、1998年。
- ↑ 「AIR BLANCA (影山ヒロノブOfficial Website) Blog」 2008年12月3日。(参照:2009年5月10日。)
外部リンク[編集]
- B'z Official Web Site(公式サイト)
- B'z LIVE-GYM.COM(LIVE-GYM開催前後のみ)
- B'z no bise(B'zの歌詞の仏訳と評論)