日本テレビ放送網

出典: Yourpedia

日本テレビ から転送)
日本テレビ放送網株式会社
Nippon Television Network Corporation
種類 株式会社
市場情報 <tr> <td style="white-space:nowrap" 東証1部 </td><td> 9404 </td> <td>1959年9月15日上場</td>
略称 日本テレビ、日テレ、NTV
本社所在地 〒105-7444
東京都港区東新橋一丁目6番1号
電話番号 03-6215-1111(代表)
設立 1952年(昭和27年)10月28日
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送など
代表者 久保伸太郎(代表取締役 社長執行役員
資本金 185億7,500万円
売上高 連結:3,436億5,100万円
単独:2,886億3,600万円
2007年3月期)
総資産 連結:5,292億6,500万円
単独:4,588億4,500万円
(2007年3月期)
従業員数 連結:2,886人 単独:1,083人
(2007年3月末日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)読売新聞グループ本社 14.84%
讀賣テレビ放送(株) 6.20%
(株)読売新聞東京本社 5.33%
(2007年3月31日現在)
主要子会社 (株)バップ 53.0%
(株)日本テレビアート 100%
(株)日本テレビエンタープライズ 100%
関係する人物 氏家齊一郎代表取締役 取締役会議長)
間部耕苹(代表取締役相談役
外部リンク www.ntv.co.jp
画像:Nittele tower Shiodome 2007-2.jpg
日本テレビタワー 全景
画像:Ntv chukeisha.jpg
日本テレビの中継車

日本テレビ放送網株式会社にっぽんテレビほうそうもうNippon Television Network Corporation)は、日本の放送事業者である。一般的には、略して、日本テレビ(にほんテレビ)、更に略し、日テレ(にっテレ)などと呼ばれる。略称は「NTV」。

目次

[編集] 概説

Template:日本のテレビ局

[編集] 放送免許

[編集] 主な株主(2007年3月31日現在)

  1. 株式会社読売新聞グループ本社 (15.0%)
  2. 読売テレビ放送株式会社 (6.3%)
  3. 株式会社読売新聞東京本社 (5.4%)
  4. 学校法人帝京大学 (3.5%)
  5. 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) (3.1%)
  6. 株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ (3.0%)
  7. モルガン・スタンレー・アンド・カンパニー・インターナショナル・リミテッド (2.3%)
  8. 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) (2.2%)
  9. 名古屋テレビ放送株式会社 (2.2%)
  10. 株式会社よみうりランド (2.0%)

(出資比率は自己株式を控除して計算)

[編集] 呼出符号(コールサイン)

  • 標準テレビジョン放送(地上アナログ放送):JOAX-TV(VHF4ch、映像171.25MHz/50kW、音声175.75MHz/12.5kW)(テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため、「JO*X-TV」シリーズの中で“A”が与えられた)
  • 標準テレビジョン音声多重放送:JOAX-TAM
  • 標準テレビジョン文字多重放送:JOAX-TCM
  • 地上デジタルテレビジョン放送:JOAX-DTV(UHF25ch/リモコンID4ch、周波数545.142857MHz/10kW)

[編集] 保有チャンネル

関東広域圏における地上放送の他にSKY PerfecTV!(東経124・128度CS放送)で 日テレG+、及び日テレNEWS24の2つのチャンネルを放送している。これらの2つのチャンネルはSKY PerfecTV!110(東経110度CS放送)では委託放送事業者であるシーエス日本を通じて放送され、また一部のケーブルテレビでも放送されている。

[編集] ネットワーク

1966年 NNN(Nippon News Network)を、またNNS (Nippon television Network System)を形成し、各地の地方局と系列局関係を結んでいる。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。

[編集] 呼称

開局以来長年「4チャンネル」「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始める。2000年12月には、開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。

2003年の汐留移転を契機に、コーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「日テレ」が採用された。なお、新聞テレビ情報誌番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「NTV」として表記されている。

業界ではCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日)、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」と呼ぶこともある。渋谷には日テレが出資したライブスペースSHIBUYA-AX(シブヤ-アックス)があり、1990年台後半(読売新聞は~い朝刊の次番組)の土曜深夜にもずばり“AX”(読みは「アックス」)という番組があった。

ちなみに、ロシアの「NTVテレビ」およびマレーシアの「ntv7」とは無関係。

登記上の社名は「にほん」では無く「にっぽん」と読むのが正しい。(これは日本放送協会の場合と同様。ただし、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多い)

[編集] 備考

  • 日本テレビは日本のテレビ業界においても、新しい放送媒体を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を業界では1番多くの時間放送している事でも有名である。カラー放送、音声多重放送ワイドクリアビジョン放送も、日本の民放では日本テレビが初めてであった。


[編集] 主な中継局

[編集] アナログ放送

  • 東京都
    • 大井町 70ch *品川区大井町地区では東京4chを視聴している家庭がほとんどである。
    • 八王子 35ch *八王子市周辺でも、東京4chを視聴している家庭が多い。
    • 多摩 51ch *多摩市周辺でも東京4ch視聴者が多い。
    • 新島 54ch(垂直偏波)
    • 八丈島 4ch
    • 三宅島 4ch
    • 小笠原父島 53ch
  • 茨城県
    • 水戸 42ch(垂直偏波)
    • 鹿嶋 33ch
    • 日立 54ch
    • 高萩 53ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 53ch
    • 日光 54ch
    • 矢板 36ch
  • 群馬県
    • 前橋 54ch
    • 富岡 53ch(垂直偏波)
    • 桐生 53ch
    • 沼田 53ch
  • 埼玉県
    • 児玉(熊谷・本庄) 53ch(垂直偏波)
    • 秩父 16ch
  • 千葉県
    • 成田 53ch
    • 銚子 53ch
    • 香取佐原 54ch
    • 勝浦 53ch
    • 館山 54ch(垂直偏波)
  • 神奈川県
    • 山下町 71ch *東京4ch視聴者多し。
    • 横浜みなと 54ch *東京4ch視聴者多し。
    • 久里浜 41ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)
    • 平塚 35ch(垂直偏波)*東京4ch視聴者多し。
    • 小田原 54ch
    • 湯河原 53ch

[編集] デジタル放送

  • 茨城県
    • 水戸 14ch
    • 日立 14ch
  • 栃木県
    • 宇都宮 34ch
    • 矢板 19ch
  • 群馬県
    • 前橋 33ch
    • 沼田 25ch
  • 埼玉県
    • 秩父 25ch
  • 千葉県
    • 銚子 25ch
  • 神奈川県
    • 平塚 25ch(垂直偏波)
    • 小田原 25ch

[編集] 沿革

[編集] 1950年代

  • 1951年9月4日 正力松太郎、日本テレビ放送網設立構想を発表。
  • 1951年10月2日 日本テレビ放送網、テレビ放送免許を申請。
  • 1952年7月31日 日本最初のテレビ放送予備免許を取得。
  • 1952年10月15日 創立総会を開催し、正力松太郎を社長に選出。
  • 1952年10月28日 会社設立(資本金2億5千万円)。
  • 1953年4月15日 資本金を5億円に増資。
  • 1953年8月17日 名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請。
  • 1953年8月18日 街頭テレビ受像機を関東一円(都内29ヵ所、周辺部13ヵ所)に設置。
  • 1953年8月20日 試験電波を発射。
  • 1953年8月27日 テレビ放送本免許を取得。
  • 1953年8月28日 午前11時20分、「鳩の休日」の映像と共に民放初のテレビ局(地上アナログ)として本放送を開始(この日が開局記念日)。日本初のテレビ局としての開局を目指していたが、多くの機器を輸入に頼っていたため納入が間に合わず、NHKに先行された。
  • 1953年8月29日 プロ野球巨人-阪神戦(後楽園球場)を民放としてテレビ初中継。
  • 1953年10月27日 プロボクシング世界選手権白井義男-テリー・アレン戦を中継。街頭テレビ熱高まる。
  • 1954年2月19日力道山木村政彦シャープ兄弟プロレス実況」を放送(3日間)。以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こる。
  • 1954年10月4日 ニュース番組「きょうの出来事」放送開始。
  • 1955年4月1日 資本金を7億5千万円に増資。
  • 1955年11月28日 清水与七朗が社長に就任。
  • 1956年8月19日 午前6時30分、日本初のテレビ早朝放送を開始。画面に初めて時分テロップを入れる。(いわゆる時刻出し
  • 1956年12月1日 中部日本放送(CBC)大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送(ABC)テレビ)が開局し、両社とネットワークを形成。
  • 1956年12月31日 精工舎(現・セイコーホールディングス)提供、同局を始め民放4社による共同制作の「ゆく年くる年」を放送。
  • 1957年3月17日ミユキ野球教室」放送開始(1990年3月終了)。
  • 1957年4月18日 カラーテレビ放送の免許を申請。
  • 1957年12月27日 カラーテレビ実験局本免許を取得。
  • 1957年12月28日 カラーテレビ実験局開局(民放初)。
  • 1958年4月1日 資本金を10億円に増資。
  • 1958年8月28日 番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、讀賣テレビ放送(YTV)、テレビ西日本(TNC)が開局。先に開局した西日本放送(RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる。
  • 1958年10月1日 (株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に。
  • 1958年 技術開発が進み、同局初のVTRドラマ「雑草の歌」が放映される。また、初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組「手品教室」が始まる。
  • 1959年 日本初のカラーテレビドラマ「赤い陣羽織」放送。
  • 1959年4月 ネットワークニュース番組「日本テレニュース」スタート。
  • 1959年4月10日 皇太子明仁親王今上天皇)結婚(成婚)。この日、39台のカメラを駆使してテレビ史上に語り継がれる大規模生中継を行う。その後、成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を、午後9時から特番「このよき日」でカラーで放送した。この番組の中では、日本初のカラーCMも放送された。
  • 1959年9月15日 同局の株式が東京証券取引所に上場する。
  • 1959年10月24日 毎日放送(MBS)日本シリーズ中継を共同製作する。
  • 1959年12月3日 日本初のカラーVTR放送「ペリー・コモ・ショー」(米NBC-TVからダビングされたカラービデオテープを再生)放映。

[編集] 1960年代

  • 1960年6月 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
  • 1960年9月10日 カラーテレビ本放送開始。(NHKラジオ東京(KRT)と共に東京地区では初)当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
  • 1961年1月8日 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始。
  • 1961年6月4日 「シャボン玉ホリデイ」放送開始(1972年10月1日終了)。
  • 1962年 フランスのRTFテレビと番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
  • 1963年 通信衛星リレー1号を利用して、日米間で初の白黒テレビの電送実験。放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成。
  • 1964年10月 東京オリンピック開催。これに関する自社製作におけるカラー放送を強化する。
  • 1964年 多摩丘陵・よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
  • 1965年 パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈。
  • 1966年4月1日 NNN(Nippon News Network)発足。
  • 1966年6月30日 ザ・ビートルズの日本武道館来日公演をカラーで独占生中継し、視聴率は56%に達した(同時にカラーVTRでも録画され、このカラービデオテープは後にVAP(全編)や東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)(一部)からビデオ・ソフト化される。)。
  • 1966年 世界初、カラーのスポットコマーシャル(日立製作所提供)の放送が開始される。
  • 1967年7月21日 福井近夫が社長に就任。
  • 1967年 ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
  • 1968年4月 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
  • 1969年10月9日 当時の会長、正力松太郎が死去。
  • 1969年10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の有価証券報告書を訂正。
  • 1969年12月1日 資本金を24億円に増資・
  • 1969年 コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。

[編集] 1970年代

  • 1970年5月29日 小林與三次が社長に就任し、読売色が一層強まる。
    • この辺りから、対外的に使用する社旗を青地に社章(「NTV」ロゴを丸で囲った物)を白く抜いた物より、読売新聞の社旗を模した上から緑・赤・青色の模様の旗に変更。
  • 1970年11月10日 同局の送信所を、麹町の本社社屋に隣接したテレビ塔から東京タワーに移行。
  • 1970年 那覇、ワシントン、モスクワ、ソウルに各支局を開設。世界ネットを強化。
  • 1971年 全国高校サッカー選手権大会毎日新聞社に代わって主催し、独占中継権を得る。自社製作の番組のカラー化率がほぼ100%に達する(日本の民放初)。
  • 1972年 系列18社によるNNS(日本テレビネットワーク協議会)発足。当時のネット局名古屋テレビ(NBN)と番組編成を巡って係争。この結果、12月に東海地区のテレビネットを中京テレビ(CTV)へ一本化する事に決定。(CTV開局後もNBNと2局並列でクロスネット加盟=当時CTVはNET中心の編成=だった)
  • 1973年1月14日 ハワイで行われたエルビス・プレスリー・ショーを独占衛星生中継。
  • 1973年 アメリカABCニュース社と、ニュース提供と衛星中継に関する契約を締結。
  • 1973年10月31日 日本テレビ系列愛の小鳩事業団設立。
  • 1973年12月20日 読売新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビと東京放送(TBS)の新聞資本を統一する合意が成立。
  • 1974年 石油危機による電力節減のため、郵政省が民放各社に深夜の放送自粛を要請。在京5社の申し合わせで、1月7日から深夜0時30分で放送終了となる。
  • 1974年3月31日 開局以来の3社ニュースの放送が「読売新聞ニュース」に一本化される。
  • 1974年5月 読売新聞社は朝日新聞社と毎日新聞社が持つ全ての日本テレビ株式を購入。これで日本テレビは完全に読売グループの傘下に入る。
  • 1974年 小林社長、ヴァティカンでローマ教皇パウロ6世から勲章を授与される。
  • 1974年12月1日 資本金を37億2500万円に増資。
  • 1975年 同局の「愛の小鳩事業団」が日本で初めての「手話スクール」を開講する。UHF局(テレビ神奈川)へのプロ野球リレーナイター供給を開始。「水曜ロードショー」にて、名作映画『風と共に去りぬ』がテレビで世界初放映される。
  • 1976年11月25日 日本テレビ放送網文化事業団設立。「フランス美術賞展」などの美術展を開催。
  • 1977年3月20日 資本金を41億円に増資
  • 1977年10月 視聴者参加型大型クイズ番組「木曜スペシャル 第1回アメリカ横断ウルトラクイズ」スタート(以後1992年まで毎年1回行われた)。
  • 1978年1月 開局25周年に伴い、シンボルマーク(社章)を変更。(「NTV」ロゴを丸で囲った物から、日本テレビの"日"と地球をメルカトル図法的にデザイン化したものに。放送では1992年夏頃まで、社の封筒では2003年夏頃まで使用されていた〈1992年以降は「なんだろう」のマスコットと一緒に〉。現在は株券・社債のみに使用。)
  • 1978年4月1日 無償新株式(1:0.1)発行。資本金が45億1000万円となる。
  • 1978年8月26日24時間テレビ」スタート(以後、毎年8月に行われる。)。
  • 1978年9月28日 世界初の音声多重放送実用化試験放送を開始。番組第1号は「ミセス&ミセス」。この日から、後楽園球場の巨人戦もステレオ放送になる。
  • 1979年3月5日ズームイン!!朝!」放送開始。
  • 1979年12月31日欽ちゃんの仮装大賞」の第1回が放送。

[編集] 1980年代

  • 1980年2月9日 緊急警報放送の実験放送を開始。
  • 1980年 VTRカメラが初めてエベレストに登る。この登山のドキュメンタリー番組「生と死に賭けた36時間・これがチョモランマだ!」が高い評価を呼び、芸術祭テレビドキュメンタリー部門で優秀賞を獲得。
  • 1982年6月29日 高木盛久が社長に就任。
  • 1983年8月28日 開局30周年を機に故・正力松太郎会長の遺訓の中から社訓・信条を制定。
  • 1983年9月7日 テレビジョン同期放送の実験放送を開始。
  • 1984年 民放業界最大の規模のコンピュータグラフィックスシステムを完成。参議院選挙、衆議院総選挙などの報道で稼動。
  • 1985年1月24日 資本金を70億8560万円に増資。
  • 1985年5月20日 無償新株式(1:0.1)発行。
  • 1985年11月29日 文字多重放送の本放送を開始。
  • 1985年 日本テレビニューヨークスタジオ開設、生放送スタート。
  • 1987年1月2日3日 東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)中継放送開始。
  • 1987年10月5日 「ズームイン!!朝!」にて、SNGの実験運用を開始する。
  • 1987年10月 マイケル・ジャクソンの横浜スタジアムでの来日公演を録画放送。
  • 1988年5月5日 エベレスト(チョモランマ)山頂から世界初の生中継を実施し、成功。日本中にこの模様が中継された。(開局35周年記念企画「チョモランマがそこにある!」)
  • 1988年5月20日 無償新株式(1:0.04)発行。
  • 1989年6月29日 佐々木芳雄が社長に就任。
  • 1989年7月7日 SNG日本テレビサテライトネットワーク運営開始。
  • 1989年8月24日 クリアビジョン放送の本放送を開始。

[編集] 1990年代

  • 1990年5月21日 無償新株式(1:0.05)発行。
  • 1991年8月1日 1単位の株式数を100株から10株に変更。
  • 1991年8月 「第3回世界陸上競技選手権東京大会」のホストブロードキャスターを務め、世界131ヶ国に鮮明な映像・音声を送る。
  • 1992年8月28日 開局40周年を記念して、スタジオジブリ制作のマスコットキャラクター「なんだろう」が登場。この「なんだろう」は、日本テレビのシンボルマークとして、企業ロゴが変わった現在でも使用されている(色は日本テレビ、CS日本、RFラジオ日本が線の色1色をふち取りしたものが、BS日テレは2000年12月1日の開局から1992年のなんだろうが登場したときから使われている緑色のものとなっている。CS★日テレは光り輝くタイプとなっていた。)。
  • 1992年11月6日 SNGデジタル伝送実験局免許取得。氏家齊一郎が社長に就任。
  • 1994年 アール・エフ・ラジオ日本の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
  • 1994年11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル)。第1回「流転の海」他を放送。
  • 1995年7月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始。
  • 1995年 インターネットに日本テレビ公式webページ(http://www.ntv.co.jp/)を開設。
  • 1996年4月3日 CSデジタル放送「CS★日テレ」の委託放送業務認定取得、同年8月28日に放送開始。
  • 1996年 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
  • 1997年2月24日 CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
  • 1997年 NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月1日に日テレNEWS24と名称変更)。
  • 1998年 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
  • 1999年 キャンペーン「日テレ営業中」がJR東日本ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。

[編集] 2000年代

  • 2000年 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、NTT東日本とともに、テレビ番組アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。ライブハウス「SHIBUYA-AX」オープン、Dragon Ashこけら落しを務めた。
  • 2000年12月1日 午前11時、系列のBSデジタル放送「BS日テレ」(デジタルBS4ch)放送開始。
  • 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
  • 2001年9月 開局以来のオープニング・エンディング「鳩の休日」を諸事情により休止。
  • 2001年9月28日 「ズームイン!!朝!」終了。 (後番組は 「ズームイン!!SUPER」)
  • 2003年7月 CIを導入。通称名を「日本テレビ」「NTV」から「日テレ」「NIPPON TELEVISION」へと変更、ロゴマークも「なんだろう」を継承するも、そのデザインも含め一新された。略称「NTV」の国内での使用も中止(但し、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記)し、国内での対外愛称は「日テレ」に統一、CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作「日テレ(ロゴ)」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。(ぐるぐるナインティナインなどごく一部の番組は現在も「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」の表記が残っている)ただ、BS日テレ・CS日本の社名ロゴは、従来の日本テレビの社名ロゴがそのまま踏襲されている。また、番組表等業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。
  • 2003年10月25日 同局プロデューサーによる視聴率不正操作が発覚。翌月18日、取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
  • 2003年12月1日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
  • 2004年2月29日 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が汐留に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大(汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンだったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ<麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化>、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された)。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスターの運用を開始。生テロップのフォントも変更。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。
  • 2004年11月5日 読売新聞グループ本社マスコミ集中排除原則により、歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき、有価証券報告書を同グループ名義へと訂正、同社株は一時「監理ポスト」に割り当てられた(同年11月22日まで)。
  • 2005年6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎が代表取締役社長に就任。
  • 2005年10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ・オン・デマンドサイト「第2日本テレビ」をオープンする。
  • 2005年12月1日 「NNN24」を「日テレNEWS24」に名称変更。
  • 2006年3月1日 「G+ SPORTS&NEWS」を「日テレG+」に名称変更。
  • 2006年4月1日 地上デジタルワンセグの本放送を開始。
  • 2006年4月3日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
  • 2006年4月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入。
  • 2006年9月29日 全民放中の最長寿番組「NNNきょうの出来事」が終了し、52年の歴史に幕。 (後番組は「NEWS ZERO」)

[編集] 開局当日の編成(1953年8月28日)

  • 11:20放送開始 「開局記念式典」の実況中継
  • 11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
  • 12:00に本来なら精工舎コマーシャル第1号が放映される予定だったが、フィルムを裏から写してしまい放送できなかった
  • 12:00 歌の祭典
  • 12:30 記録映画「上代の彫刻」
  • 13:00 NTVニュース天気予報(ここで一旦放送中断。テストパターン画像が放送された)
  • 17:30放送再開 日本南方民謡集
  • 17:40 テレビ浮世絵
  • 17:55 リサイタル
  • 18:10 国際ニュース
  • 18:20 週間テレニュース
  • 18:40 記録映画「天竜川」
  • 19:00に精工舎のCMが放送された。これが実質的なコマーシャルの第1号。
  • 19:00 花競祝写絵
  • 19:45 劇場中継「ニューヨーク幻想曲」(会場:帝国劇場
  • 21:00 「開局記念式典」の録画中継
  • 21:15 テレニュース(これで放送終了)

[編集] 特徴

正式社名が日本テレビ放送網であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。(これが実現していれば現在の日本国内の民放が違っていたであろう)

開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。

プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や「なんでもやりまショー」などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と独占中継権を結んだのが有利に働いた。

日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。すべては自社こそテレビのパイオニアであることを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、のちに頓挫する。

しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局であるよみうりテレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社製作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降。

正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の単独ネット化、読売新聞への完全系列化、ラジオ日本との提携など正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われた。しかし、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直したものの、依然として巨人戦に頼った編成のため、全体ではまだ「民放の雄」と呼ばれたTBSに及ばずといった感は否めなかった。朝枠に情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化。ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時、カルチャー路線化が成功し視聴率3冠王に輝いてたフジテレビに、現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。

そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ「TVおじゃマンボウ」を開始することで、視聴者へのPRを行った。
しかしその後、地上波キー局における「興味を示せばなんでも良い」という傾向への転換や、インターネットなどの他のメディアへの興味による全体的な視聴率の低下による「視聴率稼ぎ」に終始する作り方へと変わったことで、番組内容の低レベル化、情報操作や歪曲、過剰なスピード化とそれによる視聴者の思考を疎外する作り方が横行し、やらせや過剰演出、情報の捏造などの問題へと発展している。

1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」だったフジテレビをついに追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年~2002年に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」は30ヶ月連続となり、民放最高記録も樹立することを達成し、「民放界の雄」として一時代を築き、君臨し続けた。
しかし2003年度には、巨人戦視聴率の低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、「プライムタイム」が2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月~2005年3月)の調査では、ついに全部門2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。

しかし東京民放キー局の中では唯一サスペンスドラマの再放送を行なっていない局でもあり、この点は比較的高い評価を得ている。 事実他局がサスペンスドラマの再放送を行なっている時間帯に子供向けアニメなどを放送している。

[編集] 所在地・経営幹部

[編集] 役職

  • 局長
  • 局次長
  • 部長
  • 部次長
  • 担当副部長
  • 社員の種類
    • 正社員
    • 年契社員
    • シニア年契社員
    • 協力スタッフ(人材派遣会社からの派遣社員)

[編集] テレビの時刻出し

[編集] 主なテレビ番組・日本テレビの番組

[編集] 傾向

  • 伝統的に、巨人戦を中心としたスポーツ中継やバラエティ番組を得意としており、1960年代から1970年代に掛けてシャボン玉ホリデーなどの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率そのものも低迷した(詳しくは視聴率争いを参照)ものの1990年代にはその勢いを取り返した。その反面で一時期までは「ロンパールーム」や「カリキュラマシーン」などの教育番組にも取り組んだ。
  • アニメについても「ルパン三世」「それいけ!アンパンマン」や系列局読売テレビ制作の「名探偵コナン」「犬夜叉」などを放送。「スタジオジブリ」制作の映画作品にも加わるなど、アニメ史に煇く作品を輩出して来た。
  • しかし、前述のように2003年まで視聴率三冠王を達成してきた日本テレビも90年代の黄金期を築いた番組の視聴率が低下しはじめると、続々と人気番組の打ち切りを決定。名物長寿サスペンスドラマ番組「火曜サスペンス劇場」、同じくも52年間続いた長寿報道番組「NNNきょうの出来事」や、夕方の報道番組「NNNニュースプラス1」、20年間続いたお昼の生活情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」でも例外ではなく、また以前である2001年には、20年近く続いた平日午前の「ズームイン!!朝!」「ルックルックこんにちは」を終了させたこともある。結果、ここ数年で日テレのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。しかし打ち切られた後の枠の番組は必ずしも順調とは言えず、苦戦を強いられている番組もあれば、他の裏番組と互角な争いを繰り広げ、人気を得ている番組もあるため、番組の好不調の波が激しいことも言えよう。しかし、そして同時期から開局当時からの「ドル箱番組」だった巨人戦の視聴率が低迷し、ついに2006年には年間平均視聴率が1桁を記録するようになる。これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日テレは大きなダメージを受け、現在では縮小傾向にあるものの早々に巨人戦中継の縮小に方向転換したフジテレビと対照的に視聴率で大きく水を開けられる結果となっている。

[編集] 日テレ名物の番組のテコ入れ

  • 日本テレビの番組の特徴として、大規模なてこ入れが多いことがあげられる。
    • 例えば「伊東家の食卓」は生活に役立つ「裏ワザ」を紹介する内容にしてから視聴率が上向き、「エンタの神様」は歌やマジックなどを取り入れた総合エンターテインメント番組からお笑いに特化した番組に変化することで視聴率が上昇。いずれの番組も開始から数ヶ月は不振だったものの新機軸を入れることにより視聴率が上向いた成功例として知られる。
    • しかし、てこ入れによってかえって視聴率を低下させることもしばしばで、例えば「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」では、「ウリナリ芸能人社交ダンス部SP」や「ポケットビスケッツ」等の企画が好評を博したが(「~社交ダンス部」のコンセプトはその後「