東武佐野線
佐野線(さのせん)は、群馬県館林市の館林駅と栃木県佐野市の葛生駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。
2005年2月に佐野市・田沼町・葛生町が合併して佐野市となったため、群馬県内は館林市内、栃木県内は佐野市内と、それぞれ1県1市を走っている。
目次
路線データ[編集]
- 路線距離(営業キロ):22.1km
- 軌間:1067mm
- 駅数:10駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 交換可能駅:終点の葛生駅を除く各駅(ただし、起点の館林駅は専用ホームが一つしかない)
運行形態[編集]
特急「りょうもう」が朝の葛生発と夜の葛生行に設定されているほかは、すべてワンマン運転の普通列車のみの運行である。館林行始発と館林発終発は館林 - 佐野間の運行であるが、これと「りょうもう」を除いた他のすべての列車が館林 - 葛生間の運行である。
日中は1時間に1本、朝と夕方は1時間に2 - 3本程度の列車が設定されている。
使用車両[編集]
現在の車両[編集]
- 800系・850系・8000系(南栗橋車両管区館林出張所所属・ワンマン運転対応車) - 800系・850系は3両編成、8000系は2両編成。
- 200系・250系(南栗橋車両管区館林出張所所属・特急りょうもう号)
過去の車両[編集]
- 3050系 - 1996年4月運用終了
- 5000系・5050系 - 2006年3月17日運用終了
- 1800系通勤化改造車 - 2006年3月17日運用終了
歴史[編集]
佐野線の前身は、1888年に設立され、1890年までに葛生 - 越名間が開業した安蘇馬車鉄道である。江戸時代から葛生で産出される石灰石を運ぶための馬車鉄道で、越名まで運ばれた石灰石や木材などは、船に積み替えられて渡良瀬川から利根川を下って東京方面に運ばれていた。やがて、輸送力の限界から社名を佐野鉄道に改めて、1894年に蒸気機関車による鉄道に変更した。
1912年に佐野鉄道は東武鉄道に吸収合併された。この頃東武鉄道では日光進出の計画を立てており、当初は館林から佐野、葛生、鹿沼を経由して日光まで結ぶ構想であったため、ルートの重なる佐野鉄道を合併したのである(後に日光へは栃木経由に変更)。東武鉄道は佐野鉄道が持っていた鉄道敷設免許を利用して館林 - 佐野間を建設、1914年に開業し、館林 - 葛生間直通運転を開始した。館林や東京浅草まで直行できる鉄道ができたことで佐野町 - 越名間の旅客・貨物輸送は著しく減少し、1915年には旅客営業を休止し、1917年に廃止された。
葛生からの石灰石輸送は東武鉄道となってからも続けられ、葛生駅から先では東武の会沢線・大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道といった貨物線が延び、佐野線でも貨物列車が多数運行されていたが、トラック輸送への移行が進み、1997年までにこれらの貨物線群や北館林荷扱所 - 葛生間での貨物列車運行は廃止され、残った久喜 - 北館林荷扱所間の石油輸送も2003年9月に廃止された。この佐野線の石油輸送列車が、東武鉄道で最後まで運行された貨物列車で、これにより1世紀以上に渡る同社の貨物列車の歴史に幕が降りた。
2006年3月より、合理化のため全線でワンマン運転を開始した。
年表[編集]
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)
- 1893年(明治26年)4月13日 安蘇馬車鉄道が佐野鉄道に社名変更。
- 1894年(明治27年)3月20日 葛生 - (旧)佐野町 - 越名間の鉄道開業。葛生 - 越名間の馬車鉄道廃止。
- 1903年(明治36年)6月17日 吉水 - 佐野町間に佐野連絡所を設け、佐野連絡所 - 佐野間が開業。日本鉄道両毛線佐野駅に連絡[2]。
- 1912年(大正元年)8月12日 東武鉄道が佐野鉄道を合併し佐野線とする。
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)
- 1917年(大正6年)2月17日 佐野町 - 越名間の廃止[11]。
- 1927年(昭和2年)12月16日 館林 - 葛生間が電化。渡瀬駅開業。
- 1943年(昭和18年)4月1日 佐野町駅を佐野市駅に改称。
- 1972年(昭和47年)5月1日 渡瀬 - 田島間に北館林荷扱所開業。
- 2006年(平成18年)3月18日 普通列車でワンマン運転開始。
- 2007年(平成19年)3月18日 PASMO導入。
- 2009年(平成21年)6月6日 ダイヤ改正により、佐野市発着の初電・終電の2本を佐野発着へ延長。
- 2012年(平成24年)3月17日 全駅で駅ナンバリング導入。
駅一覧[編集]
- 特急「りょうもう」号の停車駅は当該項目を参照のこと。
- 普通列車は各駅に停車する(ワンマン運転)。
- 全駅でPASMOが利用可能だが、館林以外には自動改札がなく、簡易ICカード改札機を設置して対応している。
- 線路(全線単線) … ◇:列車交換可 |:列車交換不可 ∧:終着駅
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|
TI-10 | 館林駅 | - | 0.0 | 東武鉄道:伊勢崎線・小泉線 | | | 群馬県 館林市 |
TI-31 | 渡瀬駅 | 2.7 | 2.7 | ◇ | ||
- | 北館林荷扱所 | - | - | | | ||
TI-32 | 田島駅 | 4.2 | 6.9 | ◇ | 栃木県 佐野市 | |
TI-33 | 佐野市駅 | 2.1 | 9.0 | ◇ | ||
TI-34 | 佐野駅 | 2.5 | 11.5 | 東日本旅客鉄道:両毛線 | ◇ | |
TI-35 | 堀米駅 | 1.6 | 13.1 | ◇ | ||
TI-36 | 吉水駅 | 2.1 | 15.2 | ◇ | ||
TI-37 | 田沼駅 | 2.5 | 17.7 | ◇ | ||
TI-38 | 多田駅 | 1.6 | 19.3 | ◇ | ||
TI-39 | 葛生駅 | 2.8 | 22.1 | | |
留置線のある駅[編集]
- 北館林荷扱所(2003年9月限りで貨物輸送が廃止されたことにより、北館林荷扱所内に設置されていた資材管理センター北館林解体所は渡瀬駅構内扱いとなっている。廃車車両が留置される)
- 葛生駅(かつて貨物列車の受け渡しを行っていた)
廃駅[編集]
*印は廃止駅・連絡所
- 佐野連絡所*(佐野 - 朱雀*間)
- 朱雀駅*(佐野 - 堀米間)
- 山菅2号*(貨物駅、多田 - 山菅1号*間)
- 山菅1号*(旧終点。山菅2号* - 葛生間。現「葛生駅」開業後、貨物駅として復活)
廃止区間[編集]
佐野連絡所 - 駅名不詳[1] - (旧)佐野町駅 - 高萩駅 - 越名駅
過去の接続路線[編集]
- 田沼駅:戸奈良線 - 1939年4月5日廃止 (貨物線)
- 葛生駅:東武会沢線
※東武大叶線・日鉄鉱業羽鶴専用鉄道専用線は会沢線の途中駅である上白石駅から分岐。
乗降人員[編集]
2006年度における各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す(単位:人)。
- 館林駅 - 10,175
- 渡瀬駅 - 243
- 田島駅 - 110
- 佐野市駅 - 766
- 佐野駅 - 2,989
- 堀米駅 - 389
- 吉水駅 - 1,533
- 田沼駅 - 1,120
- 多田駅 - 154
- 葛生駅 - 1,385
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 吉水 - (旧)佐野町間の延長工事中に設けられた仮駅である。東武鉄道に存在した駅で唯一駅名が判明していない駅で、東武鉄道では「若松町城西地内」と呼称している。大町雅美『郷愁の野州鉄道』によれば、駅名は「佐野」で、「佐野」の駅名が記載されている明治22年版時刻表も掲載されている。
- ↑ 「連絡線使用開始」『官報』1903年6月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 鉄道大臣官房文書課『日本鉄道史』下編、鉄道省、1921年、pp.565-566(国立国会図書館デジタルコレクション)。実際の仮線の接続地点は(旧)佐野町駅の越名側に設けた仮連絡点。
- ↑ 鉄道大臣官房文書課『日本鉄道史』下編、鉄道省、1921年、pp.566(国立国会図書館デジタルコレクション)に沿って詳細に書けば、従来線の仮連絡点 - 越名間に新連絡点を設け、佐野町 - 新連絡点間を新線に切り替えて従来線の仮連絡点 - 新連絡点間を廃止。
- ↑ 「軽便鉄道哩程異動」『官報』1914年10月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)。官報中の第二連絡所は仮連絡点。
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始聯絡所停車場廃止並哩程異動」『官報』1914年10月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)。官報中の第一連絡所は佐野連絡所。
- ↑ 鉄道大臣官房文書課『日本鉄道史』下編、鉄道省、1921年、pp.566(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道停車場位置変更並名称変更」『官報』1915年2月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1915年7月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸営業休止」『官報』1915年7月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸営業廃止」『官報』1917年3月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
- 大町雅美『郷愁の野州鉄道』随想舎、2004年、pp.127-154.
- 今尾恵介『地形図でたどる鉄道史 東日本編』JTB、2000年、p.62-64.
- 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社、2008年、pp.19, 29.
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年
- 『私鉄史ハンドブック』正誤表(再改訂版)2009年3月作成 (pdf)