徳島県

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徳島県のデータ
画像:Map of Japan with highlight on 36 Tokushima 徳島県.svg
自治体コード 036000-7
知事 飯泉嘉門
面積 4,145.46km²
全国第35位
総人口 809,974
(2005年10月1日:全国第44位)
総世帯 298,280世帯
(2005年10月1日)
ISO 3166-2 JP-36
徳島県の花 すだちの花
徳島県の木 ヤマモモ
徳島県の鳥 シラサギ
徳島県の歌 徳島県民の歌
徳島県庁
所在地 〒770-8570
徳島県徳島市万代町一丁目1番地
電話番号 088-621-2500
外部リンク 徳島県
市町村境界図
画像:TokushimaKen map.png

徳島県(とくしまけん)は、四国の東部に位置する、日本である。

目次

[編集] 概要

が多く収穫された事から、令制国では阿波国(あわのくに)と呼ばれていた。

吉野川四国山地紀伊水道をはじめとする自然が多く残っており、鳴門渦潮や祖谷渓、大歩危小歩危などの観光資源を有する。

農作物の生産も盛んであり、その多くが近畿地方へ出荷されている。近畿地方への野菜果物の出荷高は、徳島県産が占める割合が全国一高い。

[編集] 地理

県北部の徳島平野を除いては全体的に山地の多い地形で、特に徳島平野以南に峙える四国山地は、西日本でも有数の険しい山岳地帯となっている。この山々は昔から現在に至るまで徳島県内の物流や交流の大きな障害となって来た。その一方で、山間部からは吉野川勝浦川那賀川など、水量の豊富な河川が多数流れ出しており、豊かな水資源をもたらしてくれている。河川が少なく水不足に陥りやすい隣の香川県とは対照的であるが、逆に治水に長年悩まされている。また那賀川下流域ではほぼ毎夏、工業用水などの渇水が深刻化している。気候は県内のほぼ全ての地域が太平洋岸式気候のエリアに属し、温暖多雨であるが、吉野川以北の一部地域では瀬戸内海式気候に属するエリアも存在する。なお徳島県内で最長の河川は吉野川(徳島県側延長109km※)ではなく那賀川(延長125km)である(※総延長194kmから高知県側85km(高知県海洋局HPより)を引き算出)。

[編集] 主な海

[編集] 主な河川

[編集] 主な平野

[編集] 主な山

[編集] 主な島


[編集] 隣接都道府県

[編集] 自然公園

[編集] 歴史

※関連ページ「阿波国」も参照する事。

戦国時代には、三好郡を拠点にしていた三好氏が、東四国から山城国までの八国を支配した。

[編集] 「徳島県」と「名東県」

元々、徳島市名東郡に属する都市だったので、廃藩置県の第一次府県統合(1871年)当時の徳島県は、名東県という名称であった。当初の名東県は、現在の徳島県に当たる旧阿波国の外に、旧淡路国淡路島)も範囲としていた。 さらに、1873年2月20日には香川県も編入した。

しかし、第二次府県統合により、1875年9月5日に旧讃岐国部分が香川県として分立再置県され、1876年8月21日に淡路国部分が兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入された。

この後の1880年3月2日に、旧名東県が高知県から分離されて、現在の徳島県が発足した。

尚、宮武外骨の説(→都道府県#名称)では、徳島藩は当初「曖昧藩」だったから、徳島藩の首府であった徳島市の所在する名東郡から名前を取って「名東県」となったということになる。しかし、復活の際に、なぜ都市名を取った「徳島県」に変更されたのかは判らない。

[編集] 近・現代

  • 明治2年(1869)7月25日(旧暦6月17日) - 版籍奉還により全国に府藩県三治体制が実施される。
  • 明治4年(1871)8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県実施。徳島県設置(旧徳島藩阿波国淡路国)。全国は3府302県となる。
  • 明治4年(1871)12月26日(旧暦11月15日) - 徳島県を名東県(みょうどうけん)へ名称変更。徳島藩の藩庁所在地(今の徳島市が名東郡に属していたこと)が名称の由来。全国的にいわゆる第一次府県統合(明治4年12月10日(旧暦10月28日)~明治5年1月2日(明治4年旧暦11月22日))実施により全国は3府72県となる。
  • 明治6年(1873)2月20日 - 名東県が香川県(旧讃岐国)を合併(香川県廃止)。
  • 明治8年(1875)9月5日 - 香川県が名東県から分立して香川県が再配置となり名東県は再び(旧阿波国・旧淡路国)で設置。
  • 明治9年(1876) - 全国的に県の大規模な合併が実施(いわゆる第2次府県統合)の結果、名東県から淡路島が分離し、同時に、名東県自体が高知県へ編入されて、名東県廃止。全国で38府県まで整理される。
  • 明治13年(1880)3月2日 - 高知県から分立して徳島県(旧阿波国)を設置。
  • 明治21年(1888) - この年までに富山県、福井県、奈良県、鳥取県、徳島県、香川県(明治21年12月3日愛媛県から分立再置。全国最後の設置)、佐賀県、宮崎県の8つの県が復活。
  • 明治22年4月1日 - 市制(同日実施されたのは全国で31市(特別市制施行の京都市・大阪市・赤間関市(現下関市)を含む))・町村制を実施。徳島市は同年10月1日市制施行(四国で同年4月1日施行は高知市のみ(全国1番)で、徳島市は四国では高知市に次いで2番目(全国36番目)、松山市は同年12月15日(全国39番目)、高松市は翌年明治23年2月15日実施(全国40番目)。
  • 明治23年(1890)5月17日 - 府県制郡制の施行を経て3府43県に統合。現在の都道府県の原型になる。

[編集] 戦後

[編集] 行政

[編集] 県知事(戦後・公選)

[編集] 県議会

  • 2006年10月1日現在(欠員2)
会派名
40
自由民主党・新政会 9
自由民主党・交友会 7
新風21 6
「改革・一新」県政会 5
日本共産党 4
自由民主党・明政会 4
公明党 2
県民ネットワーク・夢 1
無所属 2

[編集] 人口

[編集] 年齢構成

Template:徳島県/5歳階級別人口

画像:demography36000.svg
徳島県と全国の年齢別人口分布図(比較) 徳島県の年齢・男女別人口分布図
紫色は徳島県
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査2005年
  • 都道府県の人口一覧より徳島県の人口の明治・大正・平成の推移
  • 1888年(明治21年) - 67万6100人(全国32位、四国2位)
  • 1920年(大正9年) - 67万0212人(全国40位、四国4位)
  • 2005年(平成17年) - 80万9974人(全国44位、四国3位)

[編集] 産業

[編集] 農業

徳島では野菜の生産が盛んである。特に吉野川北岸地域・河口付近ではさまざまな野菜が栽培され、主に京阪神方面へと出荷されて行く。徳島の農産物は関西の市場で常にトップシェアを誇っており、中でも鳴門金時に代表されるサツマイモスダチレンコンイチゴにおいては他地域の追随を許さない程のブランド力を築き上げている。夏季に冷涼な山間地を生かした、イチゴの通年出荷体制は全国に先駆けたものである。

ただ東京方面へあまり出荷されていない事から、全国的には知名度が低いのが悩みの種。現在は徳島県が「新鮮なっ! とくしま号」と名付けたキッチン付きの大型トラックで徳島の農産物の売り込みを行っており、関西のみならず全国的なブランド力アップに力を入れている。

[編集] 畜産業

かつては名西郡石井町森永乳業が、吉野川市(旧:麻植郡鴨島町)には明治乳業の工場があり、また県内独自の牛乳メーカー(毎日牛乳)があった(現在も森永乳業は稼働している)。酪農が盛んに行われており、吉野川市鴨島町には「牛島」(うしのしま。酪農が地名の由来)という名称の地域もある。

最近は酪農経営・乳牛数共に全盛期の4分の1に落ち込んでいる反面、徳島市における牛乳消費量都道府県庁所在地の中では最も高い。

[編集] 水産業

[編集] 林業

[編集] 県内に本社のある主要企業

[編集] 県内に拠点事業所のある主要企業

県内に工場がある主要企業


県内の発電所

  • 四国電力阿南発電所(阿南市)
  • 四国電力橘湾発電所(阿南市)
  • 電源開発橘湾発電所(阿南市)

[編集] 地域

以下の8市8郡15町1村がある。徳島県の構成町村は、町はすべて「ちょう」、村は「そん」と読む。

地域としては北部と南部、または北東部と北西部と南部に分かれる。愛媛県における東予中予南予、香川県における東讃中讃西讃のような地域の呼称は一般的ではなく、北西部を「西部」、北東部を「央部」や「東部」と呼ぶことも多い。人口密集地の北東部のみを指して「北部」と呼ぶことや、名西郡以西を「西部」と呼ぶこともまれにある。

北部(北東部と北西部)は香川県との繋がりがあるが、県都・徳島市から西へ離れるにつれて徳島県の影響力が弱まり、相対的に香川県の影響力が強まる傾向にある。 県内地域間の人口移動は、北東部への移動が大半である。北西部や南部への人口移動は少なく、北西部・南部間の移動は皆無に近い状況である。

徳島県の出先機関である南部総合県民局と西部総合県民局についても関連を示した。

[編集] 北東部(央部、東部)

総面積の約25%を占め、総人口の約75%(約60万人)が暮らす徳島県の中心地域。県内では京阪神との繋がりが最も深い地域であり、近畿圏の一部として扱われる場合もある。その一方で、四国他県や中国地方との繋がりは浅く、言葉や方言なども含め、ほぼ完全な近畿志向の地域となっている。政経両面において、近畿の一員として扱われることも珍しくない。大阪市の民放各局のニュース番組では、困惑を招かぬよう「近畿と徳島」という表現がなされている。

[編集] 北西部(西部)

総面積の約33%を占め、総人口の約12%(約10万人)が暮らす過疎地域。県の北東部とは異なり、昔から香川県・愛媛県や中国地方との交流が盛んで、特に近年は高速道路の開通により、それまでの高松市に加え、愛媛県四国中央市新居浜市ショッピングセンターなどにもしばしば買い物へ出掛けるようになった。 しかし、四国中央市や新居浜市も香川県の影響を強く受けており、愛媛県という点を意識する機会は多くない。

瀬戸大橋開通後は、山陽地方岡山市などへ気軽にアクセス出来るようになっている。その一方で徳島市へ買い物に出向く人は少なく、同じ県内でも北東部在住の県民と北西部在住の県民とではかなり交流面での感覚が異なっている。

県都から離れた中山間地のため、かつては権力者の力が末端まで及ばず、権力者の支配への抗争が多発していた。山岳武士が権力者の主導する改宗に反抗したり、6つの山村を中心に百姓一揆が連鎖発生(上郡一揆)して大きな動きとなった。

別子銅山土佐藩参勤交代道、借耕牛金毘羅宮参拝等を通じた他県との交流も知られている。

[編集] 西部総合県民局(2006年4月開設)

[編集] 南部

総面積の約40%を占め、総人口の約15%(約12万人)が暮らす過疎地域。沿岸部の他、内陸部でも在阪民放のテレビが視聴できるため、関西志向が強い。その一方で県内ではもっとも道路整備の遅れている地域であり、県外資本は勿論、県内資本のチェーン店ですら阿南市以南の地域には殆ど店を出店していないのが現状である。このため、経済面・物流面において取り残されつつあり、今後の道路整備に地域発展の強い期待が寄せられている。

[編集] 南部総合県民局

[編集] 市町村合併

[編集] 交通

[編集] 航空

[編集] 鉄道路線

以上の路線はいずれも電化されておらず、徳島県域では電化された鉄道路線が全くない。徳島県の鉄道路線は非電化で電車ではなく気動車が走っている。

現在、全国で唯一、電車が走っていない県となっている。また徳島駅~佐古駅間(高徳線・徳島線の双単線)を除き、県内は全て単線の運行である。高架駅舎は、佐古駅海部駅宍喰駅である。橋上駅舎は、阿南駅である。

[編集] バス