東武桐生線
桐生線(きりゅうせん)は、群馬県太田市の太田駅から同県みどり市の赤城駅までを結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。
元々、太田軽便鉄道の路線であった太田 - 藪塚間を買収し、さらに太田軽便鉄道の未成線であった藪塚 - 相老間を新たに敷設して、1913年(大正2年)3月に開業した。
目次
路線データ[編集]
沿線概況[編集]
この項目では太田駅より赤城駅方面へ北上するように記述する。桐生線の普通列車は太田駅では一番南側のホームである5・6番ホームから発車する。太田駅の周りは中層ビルに囲まれていて、発車からしばらくはビル群や富士重工業の工場、国道407号などの広い道路が目につく。高架駅である太田駅を出発すると、すぐに伊勢崎線伊勢崎方面の線路を横断し、伊勢崎線と分かれる。線路は単線となり北へと進路を変えながら徐々に高架を降りていく。高架を降りきるとすぐ左に大きな病院があるが、2012年に移転した富士重工業健康保険組合太田記念病院である。風景はすぐに都会的な雰囲気から、のどかな田園風景に変わる。列車はしばらくすると三枚橋駅に着く。
この先は左側(西側)が平地、右側(東側)が数百メートルの平地の先に山地(八王子丘陵)という景色になり、この景色が阿左美駅付近までしばらく続く。三枚橋駅を出た列車はしばらくすると緩い左カーブを過ぎ、右側遠くに北関東自動車道が見えてくると治良門橋駅に到着する。
治良門橋駅からしばらく線路右側沿いに川が流れ、田園風景とあわせたのどかな光景を見ることができる。徐々に右奥に見える北関東自動車道が迫ってくると桐生線はその下をくぐる。程なくして藪塚駅に到着する。藪塚駅は藪塚温泉や三日月村などの観光地を抱え、特急「りょうもう」号も停車する。
薮塚駅を出ると線路は少しずつに右にカーブを描きながら、右側に延々と続いていた山も徐々に低くなり、山が無くなるあたりでみどり市(旧笠懸町域)市街地に入り阿左美駅に到着する。
阿左美駅を出るとすぐ左の群馬県道68号桐生伊勢崎線と併走する。線路南東方面の台地に沿いながら、桐生の町へと徐々に坂を下っていく。やがて国道50号の橋の下をくぐり、桐生市に入る。このあたりから左後方の高台に巨大な照明塔がいくつも立っているスタジアムのような物が見え始めるが、これが桐生競艇場である。桐生線は阿左美駅から相老駅まで、この競艇場(阿左美沼)の東側を迂回するように進んでいく。坂を下ると線路は再び北に進路をとり、新桐生駅に到着する。桐生線は桐生市民の東京への足となっており、特に「りょうもう」号はこの駅で大半の乗客が乗降してゆく。JRの桐生駅は同駅から2km以上離れており、徒歩で30分弱を要する。
新桐生駅を出ると桐生線は桐生市街の西端の高台を走り、右側に桐生市街が一望できる。列車はゆっくりと進みながら徐々に高台を下りつつ桐生の町を進むと、右側に多数の線路が見えてくる。ここには東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎総合訓練センター・両毛線下新田信号場・わたらせ渓谷線下新田駅と3つの施設が隣接している。桐生線は両毛線の上を跨いでいくが、交差地点のどちらの路線にも駅は無い。さらに坂を下りてゆくと線路の盛土が無くなり、右側から非電化のわたらせ渓谷線の線路が近づいてくると相老駅に到着する。この駅はわたらせ渓谷線との乗換駅となっている。休日になるとわたらせ渓谷への観光客の乗り換えが目立つ。同線の従来のトロッコ列車「トロッコわたらせ渓谷号」は2駅先の大間々駅が始発だが、2012年4月より新設されたトロッコ列車「トロッコわっしー号」は、相老駅から直接乗り換えることができる。
相老駅を出るとわたらせ渓谷線と別れ、左に少しずつカーブを描きながら、右から上毛電気鉄道上毛線が近づいてくる。するとすぐ桐生球場前駅があるが、桐生線にはホームがないため通過する。ここから先は上毛線と併走し複線のような見た目となる。しばらく直線が続いてから左にカーブを描くが、この付近でふたたびみどり市(旧大間々町域)に入る。カーブを曲がるとすぐに列車の速度が落ちていき、まもなく終点、赤城駅に到着する。
赤城駅は2面4線のホームを持ち、そのうち桐生線ホームは車止めのある3番・4番ホームとなっている。構内踏切を渡ると上毛線中央前橋駅方面への線路が続いており、わずかな期間だが桐生線からの直通運転も行われていた。赤城駅はみどり市の旧大間々町の市街地の中にあり、駅の横に国道122号へと続く県道が走っている。同駅から北側は旧大間々町の商店街となっており、そこを徒歩10分ほど歩けばわたらせ渓谷線の大間々駅がある。
運行形態[編集]
特急と普通列車が運行されている。
- 特急「りょうもう」
- 赤城と伊勢崎線浅草との間を運行する。全車指定席の有料特急。かつては急行と称したが、1999年の特急化に際し基本的に運転・料金形態は変わっていない。ほぼ1時間に1本の運行となっている。
- 普通列車
- ワンマン運転の2両編成で、一部をのぞき小泉線東小泉まで直通運転する。朝夕を除くと1時間に1本の運行となっている。
使用車両[編集]
現在の車両[編集]
- 8000系(南栗橋車両管区館林出張所所属・ワンマン列車2両編成) - 5000・5050系を使用していた頃は、代走として使用されていたこともある。
- 200系・250系(南栗橋車両管区館林出張所所属・特急りょうもう号)
過去の車両[編集]
- 1800系(急行りょうもう号)
- 3050系
- 5000系・5050系
歴史[編集]
桐生線のもとになった薮塚石材軌道は石材採掘販売をしていた薮塚石材[1]を改組したもので社長は葉住利蔵であった。太田-薮塚間に軌道を敷設し人力で石材の運搬をしていたが呑竜様の開山忌などには参詣客の輸送もしていた。やがて一般旅客及び貨物の輸送をするため軽便鉄道敷設を出願し1911年7月免許状が下付されると10月に太田軽便鉄道に改称、さらに蒸気機関車に変更するべく翌年に東武鉄道専務を社長に迎え東武鉄道出資により改築工事をはじめ、やがて東武鉄道に鉄道部門を譲渡することになった。
- 1909年(明治42年)7月20日 藪塚石材軌道株式会社設立[2] [3]
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年)2月1日 鉄道免許状下付(新田郡笠懸村-山田郡相生村間 軌間2ft 動力人力)[5]。
- 1913年(大正2年)
- 1928年(昭和3年)3月1日 全線電化。
- 1932年(昭和7年)3月18日 相老 - 新大間々(現在の赤城)間が開業[8]。
- 1937年(昭和12年)5月5日 阿左美駅開業。
- 1958年(昭和33年)11月1日 新大間々駅を赤城駅に改称。
- 1996年(平成8年)10月1日 貨物営業廃止(運行最終日は9月25日)。
- 2006年(平成18年)3月18日 普通列車のワンマン運転及び小泉線への直通運転開始。
- 2012年(平成24年)3月17日 全駅で駅ナンバリング導入。
駅一覧[編集]
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
TI-18 | 太田駅 | - | 0.0 | 東武鉄道:小泉線(東小泉方面直通運転)・伊勢崎線 | 太田市 |
TI-51 | 三枚橋駅 | 3.4 | 3.4 | ||
TI-52 | 治良門橋駅 | 2.5 | 5.9 | ||
TI-53 | 藪塚駅 | 3.8 | 9.7 | ||
TI-54 | 阿左美駅 | 3.2 | 12.9 | みどり市 | |
TI-55 | 新桐生駅 | 1.7 | 14.6 | 桐生市 | |
TI-56 | 相老駅 | 2.3 | 16.9 | わたらせ渓谷鐵道:わたらせ渓谷線 | |
TI-57 | 赤城駅 | 3.4 | 20.3 | 上毛電気鉄道:上毛線 わたらせ渓谷鐵道:わたらせ渓谷線(大間々駅) |
みどり市 |
PASMO導入[編集]
- 桐生線では、2007年3月18日からSuicaとの相互利用が可能なICカード「PASMO」が導入されているが、太田駅を除く桐生線の駅には自動改札機を設置していないため、簡易ICカード改札機を設置して対応している。
脚注[編集]
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治42年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 2.0 2.1 『東武鉄道六十五年史』710頁
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治43年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年7月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『東武鉄道六十五年史』711頁
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年3月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年3月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献[編集]
- 『太田市史』通史 近現代、1994年、388-390頁
- 『東武鉄道六十五年史』、1964年、710-711頁
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 桐生線 - 東武鉄道公式サイト