中京圏
中京圏(ちゅうきょうけん)とは、愛知県の県庁所在地である名古屋市を中心とする圏域である。名古屋圏や名古屋大都市圏とも呼ばれる。
目次
概要[編集]
名称[編集]
「中京」とは、名古屋市が東京市(現在の東京都区部)と京都市との間に位置している点から、明治時代に名古屋市を「中京」と呼称されたことに因む。この名称を採用した理由や根拠は不明。
元来、名古屋は東京や京都に並ぶ京であるという自尊から、名古屋市民によって称された名称であったとの説もある要出典。
特徴[編集]
木曽三川流域に発達した地域が基盤となって形成された。この地域の中心地で、愛知県の県庁所在地である名古屋市を中心点とした文化圏や経済圏が確立して、愛知県・三重県・岐阜県の3県にまたがる圏域を中京圏(名古屋圏)と称するようになった。
行政や経済や文化などの各面において、名古屋市への一極集中が著しい。
戦国時代には、尾張地方と西三河地方から多くの武将を輩出した。交通面で見ると、太平洋沿岸(愛知県、三重県)は東海道の、内陸側(岐阜県)は中山道の沿線になっている。
範囲[編集]
中京圏は、中京都市圏や名古屋大都市圏(名古屋市の経済や文化の影響力を強く受け人口交流のきわめて濃密な圏域を指す言葉)と、範囲の被る場合が多い。
範囲は、統計資料の定義により多様である。かつては金山橋(金山駅前)を中心に半径約40kmの圏域(大まかに東海環状自動車道の内側)で、外周は岡崎市・美濃加茂市・岐阜市・大垣市・四日市市を結んだ内側の地域とされ、鉄道・道路などの影響でヒトデ型であった。
近年は、交通網、情報通信網などのインフラ整備が進んだことや、圏の力が増すことにより圏域を拡大し続けている。圏域には、愛知県尾張・三河、岐阜県美濃、三重県北勢を含む。[1] また、30%以上の依存率を示す地区を名古屋市と同一生活圏とし、10%までを近郊型地帯となる。[2]
他にも、内閣府政府広報室の大都市地域の住宅・地価に関する世論調査では、名古屋駅を中心とした半径30kmの円内地区とし、国土交通省の大都市交通センサス調査では愛知県、三重県、岐阜県の区域とした。
但し、三重県のうち旧伊賀国は、鈴鹿峠よりも西側に位置するので、名古屋市の影響力が弱く、奈良市や大阪市の影響力が強いので、「名古屋圏」から外される事が多い。
三大都市圏の一つだが、他の大都市圏を「東京圏」「大阪圏」と呼ぶ場合には、「名古屋圏」の方が多用されている。
- 中京大都市圏
- 総務省統計局の国勢調査統計表で用いられる圏域設定で、名古屋市への15歳以上通勤・通学者数の割合が、当該市町村の常住人口の1.5%以上であり、かつ名古屋市と連接している「周辺市町村」を合わせた範囲としている。都市圏 (総務省)参照。
- 中京経済圏
- 物流や資本動向を指標とする広域圏。範囲は確定されておらず、概ね愛知県全域、三重県(伊賀地方全域と、東紀州の一部を除く)、岐阜県(北部を除く)、静岡県西部、長野県南部と木曽郡ともいわれていたが、経済動向や交通網の整備など各種要因により拡大の傾向がある。名古屋市の経済界や企業では「中部経済圏」(愛知県、岐阜県、三重県、静岡県の一部)という語を使う場合が多い。
- 中京交通圏
- 名古屋駅を中心に半径40kmの地域を指す。首都交通圏、京阪神交通圏と合わせた三大都市交通圏の一つで、国土交通省関連の統計に多く利用される。
- 中京広域圏
- 地上波による放送の広域放送圏の一つで、愛知県、岐阜県、三重県の区域を指す。この範囲は東海3県とも呼ばれる。
- 中京地方
- 国土地理院をはじめとする官公庁や一般でも時に利用される用語であるが、明確・厳密な区域区分の定義はない用語である。
自然地理[編集]
濃尾平野を中心に名古屋都市圏が広がり、更に太平洋岸の中小規模な平野に都市が連なる。
地質的には北部及び中部が西南日本内帯に属し、それぞれ美濃帯(丹波-美濃帯)、領家帯に区分される。三重県南部及び三河の一部は西南日本外帯に属し、三波川帯及び四万十帯に区分される。
沿岸はプレート境界になっているため、東海地震や東南海地震などの警戒区域になっている。
歴史[編集]
- 古代から平安時代まで
平野部は気候が温暖なので、古代から人類の定住が見られた。特に濃尾平野においては、弥生人の勢力が隆盛を誇った。
律令時代には東海道(初期)や東山道が整備され、関東から畿内や北部九州へ向かう防人の通行路となった。
戦国大名が乱立すると、尾張国と西三河の二地域からは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった「戦国三大武将(三英傑)」が輩出された。
織田家臣団として信長に仕えた武将には、尾張国や西三河地方の出身者が多く、これらの中には、後に全国各地の藩主となった者も少なからずいる(例:山内一豊)。
- 江戸時代
江戸幕府が樹立されると、江戸と京都とを結ぶ東海道五十三次と中山道六十九次が整備された。主な宿場町には、東海道では岡崎宿、池鯉鮒宿、桑名宿、四日市宿、亀山宿などがあり;中山道では大湫宿、太田宿、加納宿、関ヶ原宿などがあった。
また、江戸時代には綿が盛んに生産され、副業として綿織物産業が成立していた。尾張国の桟留縞など、好評を博す地域の名産品も誕生した。尾張藩第7代藩主徳川宗春の代に、現在の大都市としての名古屋の基礎が築かれた。
- 明治から第二次大戦まで
綿織物生産が隆盛を極め、大阪府に次いで全国二位の綿織物生産量を誇るに至った。濃尾地震の発生とインド綿の輸入に端を発して衰えた綿織物工業は、第一次世界大戦の勃発により毛織物の輸入が途絶えるとともに毛織物工業へと移行し、以後中京圏は国内繊維産業の中心地となった(例:一宮市、岐阜市、西尾市)。
- 第二次大戦後
高度経済成長期以後、首都たる東京都区部への一極集中が強まると、東京都区部と西日本を結ぶ東海道と中山道の交通網が益々重要になった。このため、戦前に発達した工業都市を中心にして、特に東海道線沿線は工業生産の中心地になった。
名古屋市に近い三重県北部(北勢)との経済的な連関も一層深くなり、伊勢湾岸の中京工業地帯の形成も伴って、「名古屋圏」「中京圏」が確立された。
交通[編集]
鎌倉時代以降、国家的な見地から東西の連結が重視されてきたが、近代においても東西の幹線が重点的に整備された。
主な鉄道[編集]
主な道路[編集]
- 高速道路
- 中京圏環状ルート:東海環状自動車道、伊勢湾岸自動車道
- 東海道ルート:東名高速道路、東名阪自動車道
- 中山道ルート:中央自動車道、名神高速道路
- 南紀ルート:伊勢自動車道、紀勢自動車道(建設中)
- 北陸ルート:東海北陸自動車道
- 国道
港湾[編集]
空港[編集]
経済[編集]
農業[編集]
温暖な気候と豊富な日照に恵まれているため、全国一のシェアを誇る菊、電照菊をはじめとする花卉、柑橘類や柿などの果樹、野菜の生産が盛んである。都市近郊では、一戸当たりの耕地面積が小さいが販売金額が大きくなっており、生産性の高さが特色となっている。愛知県では名古屋コーチンをはじめとする鶏、三重県、岐阜県では松阪牛、飛騨牛といった肉牛の生産も盛んである。
工業[編集]
太平洋ベルト上に位置しており、伊勢湾岸には日本を代表する工業地帯である中京工業地帯が形成されている。
西三河地方は「トヨタ王国」とも呼ばれており、トヨタ自動車の影響力が非常に強い。
経済圏構想[編集]
なお、近年では、名古屋市を中心とした半径100kmの以内の地域を「グレーター・ナゴヤ」のブランド名で統一して、海外企業を積極的に誘致し、世界有数の産業集積地にすることを目標とした、大名古屋経済圏構想もあり、グレーター・ナゴヤ・イニシアティブ (GNI) と呼ばれる。(関連ページ)
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- ↑ 伊藤郷平/著「中京圏」『日本大百科全書 第15巻』より(小学館、1985年)ISBN 4-095-26014-9
- ↑ 『日本地名大辞典 4 中部』(朝倉書店、1968年)
- 尾留川正平・他/編『日本地誌 第9巻 中部地方総論・新潟県』(二宮書店、1972年)ISBN 4-817-60012-8
- 尾留川正平・他/編『日本地誌 第12巻 愛知県・岐阜県』(二宮書店、1969年)ISBN 4-817-60012-8
- 尾留川正平・他/編『日本地誌 第13巻 新潟県・三重県』(二宮書店、1976年)ISBN 4-817-60013-6
- 溝口常俊/著「中京工業地帯」『世界大百科事典 第18巻』より(平凡社、1988年)ISBN 4-582-02200-6
- 伊藤郷平/著「中京圏」『日本大百科全書 第15巻』より(小学館、1985年)ISBN 4-095-26014-9
- 金森久雄・他/編「中京交通圏」『経済辞典 第4版』より(有斐閣、2002年)ISBN 4-641-00207-X
- 伊藤郷平/著『中京圏』(大明堂、1972年)
- (参考)ノート:中京圏/参考文献(ノートにおける議論の中で持ち寄られた、参考文献、国土地理院の見解、検索結果等の要約)nl:Chukyo_(regio)