関東・東京地方

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関東・東京地方(かんとう・とうきょうちほう)とは、本州の東部に位置する日本の地方である。茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県の1都6県から構成される。一般的には日本の首都として特殊な立場にある東京都を東京地方とし、残りの6県を関東地方とする。但し東京都を含めた関東・東京地方を指して「関東地方」と呼ぶこともある。日本の総人口の3分の1が集中し、その8割以上が東京地方及び南関東(以下、特に言及がない場合は神奈川県・千葉県・埼玉県を指す)に集中する。ただし東京都と経済的繋がりの強い山梨県を関東地方として扱うことがある(山梨県#山梨県の分類参照)。

現代の関東地方が「関東」と呼称されるに至った経緯については、関東の項目を参照のこと。

地理

位置

日本最大の平野「関東平野」が中央に広がり、北西側は山岳地帯、東南側は太平洋に面する。関東の東部には房総半島(千葉県)、南部には三浦半島(神奈川県)が太平洋に突き出しており、房総半島と三浦半島の間に東京湾、三浦半島と真鶴半島の間に相模湾を形成する。また、地理的な一体性は薄いが旧伊豆国である東京都島嶼部も東京都の管轄下にあるため、行政的には関東・東京地方である。なお関東・東京地方には山梨県を含むケースもあるが、ここでは取り上げない。

上記市町村内に「最○端」が存在する。但し、伊豆諸島や小笠原諸島を加えると、最東端は東京都小笠原村南鳥島、最西・最南端は同村の沖ノ鳥島。南鳥島は日本の最東端、沖ノ鳥島(無人島)は日本の最南端であるため、関東・東京地方は日本の最東・最南端とも言える。

自然地理

地質的には第四紀沖積層洪積層であり、植生は平野部やその周辺の標高約500~900mの低山には常緑広葉樹林が広がり、箱根で約900m、丹沢高尾で約800m、奥多摩奥武蔵奥秩父で約700m、西上州赤城山足尾山地筑波山で約600m、北毛那須の山地で約500mまで照葉樹が生えることができる。

また、常緑広葉樹林の上にはブナシラカバミズナラなどの落葉広葉樹林が広がる。しかし、千葉県は標高が低いため成立しない。茨城県には筑波山山頂周辺と、北部の山の一部にしか広がっていない。

また、落葉広葉樹林の上にはシラビソダケカンバなどの針葉樹林が落葉広葉樹林の下限から約1100m高い標高から広がるが、千葉県はもちろん、茨城県神奈川県にも標高が低いため成立しない。東京都には雲取山周辺の僅かな面積にしか広がっていない。

北端には帝釈山脈高原山那須連山八溝山三国山脈、西端には関東山地奥秩父山塊もこの一部)などの山地がそびえて、各隣接地方へ繋がる。日本最大の平野である関東平野が広がり、塩那丘陵をはさんでその直ぐ北には那須岳山麓に広がる日本最大級の扇状地那須野が原、東側には上総台地を挟んで千葉県の海岸沿いには九十九里平野が広がる。千葉県南部は房総丘陵で、茨城県の霞ヶ浦周辺は常総台地常陸台地になっている。群馬県や埼玉県秩父地方などは盆地になっている。荒川江戸川などの各河川は東京湾へ注ぎ、鬼怒川利根川(「坂東太郎」とも呼ばれた)は犬吠埼太平洋へ注ぐ。

東京湾は、房総半島三浦半島に囲まれ、千葉県の西側、東京都の一部と神奈川県の東側に面して、浦賀水道から太平洋に接する。沿岸部は工業地帯になっている。神奈川県の南側は相模湾相模灘に、茨城県の沿岸は鹿島灘に面する。また、相模湾には、二回の関東地震の震源地となった相模トラフが通っているために、各地で地震対策にも力が入れられている。

最高地点は、栃木県日光市と群馬県片品村との境にある日光白根山(奥白根山)山頂。日本の都道府県の最高地点としては、八番目に高い。また、関東以北(関東・東北・北海道)の最高地点でもある。都道府県の最高地点は埼玉県が三宝山 (2483m)、東京都が雲取山(2017m)、神奈川県が蛭ヶ岳 (1673m)、茨城県が八溝山 (1022m)、千葉県が愛宕山(408m)である。千葉県の愛宕山は、各都道府県の最高峰の中では最も低い。

「首都圏」といわれる地方でありながら、自然環境に恵まれているといえる。自然公園面積の割合は、東京都が全国第二位、埼玉県が第四位、神奈川県が第十位である。

気候

  • 太平洋沿岸に位置するため、が多く、に乾燥する太平洋側気候が見られる。沖合いは黒潮の通路となっている。但し、群馬県北部の一部は日本海側気候小笠原諸島南日本気候となっている。それに併せて、茨城県(北部、鹿行地域)、千葉県(印旛を除く)、東京都(多摩地域を除く)、神奈川県(横浜・川崎、三浦半島、湘南、西湘)では海洋性気候、それ以外の地域は内陸性気候となっており、群馬県の山間部、埼玉県秩父地方、東京都の多摩西部では中央高地式気候の特徴もみられる。
  • やませ(北東気流)により、東海地方以西に比べて気温が大幅に下回ることがあり、時には北海道より気温が低くなることもある。
  • 栃木県、群馬県、埼玉県北部には、夕立による雷の発生が多い。
  • 群馬県・栃木県の豪雪地帯では、日本海からの雪雲により、冬に降雪が多い。特に、群馬県片品村は関東地方唯一の特別豪雪地帯で冬の降雪が非常に多い。
  • 冬は、南岸低気圧が通過する時に、が降り易い。東京水戸など沿岸平野部の降雪は、ドカ雪(湿り雪)か粉雪かの二つのパターンが多い。特徴として、南岸低気圧の時は湿り雪で、冬型の時は粉雪となる日が多い。但し、冬型で大雪となる地域は那須岳三国山脈に近い北側の山間部に多く、南側にはない。例外的に寒冷低気圧の降雪や、強い冬型の時に房総半島から相模湾にかけての地域で発生する局地的な不連続線に伴う降雪もある。
  • ケッペンの気候区分では大半が温帯、標高の高い山は亜寒帯火山列島南鳥島沖ノ鳥島熱帯と3種類の気候が存在する。

歴史

ヤマトの最東方に位置するフロンティアの地から、武士の王国、そして日本の中心地へと、関東・東京地方は変遷した。

先史時代

関東・東京地方に人が住みはじめたのは旧石器時代であった。群馬県の岩宿遺跡からは、関東ローム層から旧石器時代の物とされるナイフ形石器が発見されているが、関東ローム層の酸性土壌のために、人骨などは見つかっていない。

縄文時代の関東・東京地方は温暖な環境に恵まれ、縄文人は関東各地に大型集落を営んだ。当時の環境では西日本より東日本の方が漁労採集には適しており、縄文時代の南関東は日本列島で最も人口密度の高い地域であったと推測されている。縄文海進の時期には、現在の茨城県中南部の低地、千葉県北部の下総台地以外の地域、東京23区の東部、埼玉県の東南部は海であった。内陸に入り込んだ遠浅の海はよい漁場となり、現在海岸から離れている地域にも加曽利貝塚を筆頭に巨大貝塚が形成された。

弥生時代、関東・東京でも水田稲作が行われるようになり、多摩川流域や相模平野を中心に農耕が行われていたと思われる。海面の後退と土砂の堆積により、まだ東京湾に流れ込んでいた利根川の下流域に広大な沖積平野が生まれるが、当時の幼稚な灌漑技術では耕地化できなかった。関東ローム層に覆われた台地は水源に恵まれないため、まだ深い森であった。

古代

古代、4世紀頃には既にヤマト王権が関東地方を勢力下に置いていたとされるが、その根拠の一つが、関東・東京にも存在する前方後円墳で、これはヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられている。関東南部の旧入間川(荒川)~旧荒川(元荒川)~旧利根川(古利根川)~旧渡良瀬川(江戸川)~毛野川(鬼怒川)に至る地域は、古代は低湿地帯であり、香取海の水は現在の千葉県北西部・茨城県南西部にまで広がっており、現在では関東平野の中央部にあたるこれらの地域と外洋は香取海を通じてつながっていた。従って、概して当時の関東・東京はこの低湿地帯の北部にあたる毛野川流域地域(毛野国)とその南部地域(无射志国)に分かれていたと考えられる。毛野国は、筑紫国吉備国に比肩する大国であったといわれる。ただし毛野国は記紀に上毛野国造(上毛野氏)と下毛野国造(下毛野氏)に分かれた形で登場している。上毛野氏は現在の群馬県中部から南部、下毛野氏は那須地方を除く栃木県中南部に勢力を持ったとみられている。この毛野氏一族は天武天皇から朝臣姓を賜るなどヤマト王権と関係が深く、毛野一族は蝦夷対策や朝鮮半島政策での将軍に任命されており、律令制以前に軍事を司った豪族だったとみられる。また奈良時代下毛野朝臣古麻呂が登場し、大宝律令の作成に関与している。古麻呂が創建したと伝える下毛野氏氏寺・下野薬師寺は、奈良東大寺大宰府観世音寺と並ぶ三戒壇に指定されている。一方、上総国下総国安房国房総半島(ふさ)と呼ばれ、『古語拾遺』によると、四国から渡来した忌部氏が開拓したという。これらの諸国を一括する語が「吾妻」である。記紀神話では、日本武尊の説話が起源とされているが(「あづまはや」という嘆きの詞)、元々は当地の神話であった物を取り込んだ可能性がある。その傍証として、天武10年(681年)に詔を受けて史書編纂に従事した群臣のうち、王族を除くトップは上毛野君三千であった。なお、上総国下総国常陸国には、阿波忌部氏に続き神八井耳命の血を引く肥後国造の一族である多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、鹿島神宮を建立し氏神されたという鹿島の元本宮伝承などが存在する。また、香取神宮もこの際に出雲系の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが起源だとする伝承がある。

宋書倭国伝』の武の上表文に、のちの雄略王の祖先が「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を征すること六十六国と記されていることから5世紀頃の関東地方には、国と認識されるものが複数存在したことが記されている。『梁書』などの「扶桑國」「女國」、『旧唐書』に登場する「毛人國」、唐代の漢詩に見える「扶桑東更東」といった地域を関東に比定する説がある。稲荷山古墳金錯銘鉄剣銘文中の「大王」も、畿内ではなく関東にいた首長を指すとする立場(古田武彦井上秀雄鶴岡静夫ら)もある。太田天神山古墳のような巨大古墳や、金鈴塚古墳のような豪華な副葬品を持つ古墳が築造された。このように、関東地方は、古墳時代には、畿内に比肩しうる王権を確立していたとも考えられている。

律令制五畿七道の交通網について、関東・東京には畿内から陸奥国に伸びる東山道と、同じく畿内から伸びて三浦半島から海路房総半島に出て香取鹿島に向かう東海道が整備されたと言われる。「関東」は、京の防備のために設けられた東海道伊勢国鈴鹿関鈴鹿峠)、東山道美濃国不破関関ケ原)、北陸道越前国愛発関(愛発山、あらちやま)の三関から東の全域を指した。その中でもとりわけ、「東海道の足柄関箱根峠)から東の国」と「東山道の碓氷関(碓氷峠)から東の国」が、関東地方に当たる。陸奥国東北地方太平洋側)との境には、白河関勿来関が設置された。関東・東京地方には、西から順に相模国武蔵国下総国上総国安房国常陸国上野国下野国の8つの令制国が設置され、分割統治された。古くは坂東(ばんどう)といわれた。坂東は信濃国上野国の界にあたる碓日嶺と、駿河国相模国の界にあたる足柄坂の東の意味である。

大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは新羅が権勢を揮い、663年には百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗668年に同様に滅された。また、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの人間が渡来人として日本各地に流れてきており、ヤマト王権は彼らに関東の未開発地を与えて住まわせ、関連する地域の名が今でも残る(例:武蔵国高麗郡新羅郡新座郡)。

律令時代の関東・東京は配流の地でもあり、斑鳩奈良に本拠地を置く畿内政権からは、「都からは遠く、自力で帰るのが難しい地方」と見られており、特に安房国常陸国は、「遠流」の地ともいわれ、北九州へ向かう防人も関東から多く徴用され、それを象徴する語に「鹿島立ち」があるとされる。

平安時代には、親王任国には、常陸国上総国上野国親王任国に設定された。11世紀頃に成立した『更級日記』などに、松戸幕張利根川武蔵野等の情景が描かれている。

平安時代中期には都から渡ってきた下級貴族が武士化し、開発領主として関東・東京各地で開拓を進める流れが生まれる。10世紀には親王任国が半制度化し、下総国常陸国上野国には桓武系平氏を中心に平家武士が増加、その一人である平将門は自ら天皇と称し、関東の独立を目指して蜂起すると、下野国押領使藤原北家魚名流藤原秀郷は朝廷の意向をもってこれを討伐した。概ね北関東以北は藤原北家や清和源氏河内源氏)を出自とする領主、南関東平氏を出自とする領主が支配した。

この頃、関東・東京は「あづま」(畿内から見て東なので「東」の字が充てられる)と呼ばれ、関東・東京の武将たちは、その勇猛さから「あづまえびす」(東夷)と侮蔑的に呼ばれた。将門の独立志向が、その後の関東の武士政権への道を開いたことを、網野善彦は指摘している。

中世

平安末期の関東・東京地方は、中小の武士団が割拠した。北関東藤原北家流諸氏(那須諸氏宇都宮氏小田氏小山氏結城氏等)や清和源氏流諸氏(足利氏新田氏佐竹氏)、南関東東京地方桓武平氏流諸氏(鎌倉党三浦党秩父党千葉党など)や武蔵七党が領有した。彼らは相馬御厨など土地の支配権をめぐって相互に争った。源頼朝鎌倉幕府を樹立する際に中核となったのは、このような関東武士団であった。

関東・東京の武士は承久の乱の後、地頭として西日本各地に移住する。三浦渋谷二階堂葛西など、関東地方の地名に由来する苗字が九州のような遠方にも多数分布するのはこのためである。

南北朝時代には、足利幕府(源氏政権)の出仕機関である鎌倉府が同じく鎌倉に置かれ、鎌倉公方(源氏)を関東管領(主に藤原勧修寺家流)が補佐、さらに関東八屋形(藤原北家流6氏・源氏流1氏・平氏流1氏の計8氏)が各領土内での実権を有した。事実上、東国武家政権の伝統を引き、東日本を広く管轄した。

室町時代には、鎌倉公方は室町幕府(源氏)と対立し、これに、関東管領上杉氏(藤原勧修寺家流)も加わった。その結果、大きな戦いだけでも、

と相次ぎ、小規模なものも含めれば、関東・東京地方は連年続くことになった戦争によって荒廃した。一連の戦いによって関東管領・鎌倉公方(古河公方)をはじめ、関東・東京の各氏は勢力が衰え、戦国時代にはこれに乗じた小田原北条氏(後北条氏=伊勢平氏を称す)が台頭し、関東・東京各地を次々と支配下に置いた。対抗勢力としての上杉氏河越夜戦に敗れた。

16世紀後期には小田原北条氏の勢力圏は関東・東京地方の西半分をはじめ広範な地域に及び、それに対して東部地域では里見氏佐竹氏宇都宮氏がこれに抗し領土を守った。最終的に朝廷の意向を受けた豊臣秀吉が鎮圧に乗り出し、小田原の役によって小田原北条氏は滅亡、同氏に従っていた千葉氏小山氏などの旧家も運命をともにした。小田原北条氏の旧領には徳川氏が入り、後にそれがそのまま江戸幕府の勢力基盤として継承されたこと、小田原の役で中央政権に服属して安堵を受けた里見氏、佐竹氏、宇都宮氏などもその後の中央政権の動向に巻き込まれてその後20年余りのうちに関東・東京の領有権を没収されていったことから、この変動が生じた天正18年(1590年)を関東・東京地方における中世と近世の画期として捉えられている。ただし、従来の支配体系が全否定された訳ではなく、小田原北条氏の拠点になった城の動向を見ても徳川氏の本拠となった江戸城小田原城川越城などのように近世以後も継承されたもの、箕輪城(→高崎城)、唐沢山城(→佐野城)、本佐倉城(→佐倉城)のように領国支配の安定に伴う新城築城まで用いられ続けたもの、八王子城鉢形城栗橋城のように廃城になったものなど様々であり、単純に天正18年を中世と近世の「断絶」とみなす考え方は、継承したものと断絶したものが混在していた地域の実情を見誤る危険性をはらんでいる[1]

近世

江戸時代には、関東・東京地方は関八州と呼ばれ、武蔵国相模国上総国下総国安房国上野国下野国常陸国の八国を指した。関八州を得た徳川家康駿府(現:静岡市駿河区葵区の一部、市制施行時の静岡市)から江戸(現:東京都区部の一部、のちに東京市となる東京府区部にほぼ相当)に本拠地を移した。

この時期には測量技術の発達を背景に、中世までには考えられなかったような大規模な干拓や灌漑が実施できるようになり、大規模な土木事業が次々と実施された。家康は江戸湾に注ぐ利根川渡良瀬川水系を毛野川水系に纏め、現在の利根川水系の原型を形造る利根川東遷事業を進めた。この事業によって江戸付近の雨期の河川氾濫を治め、旧利根川・旧渡良瀬川の下流~河口地帯を干拓して江戸の町の基盤を作った。こうして家康は江戸幕府を樹立し、江戸は水路を周囲に巡らす世界屈指の大都市となった。

その後は椿海の干拓、三富新田開拓などの新田開発が進み、荒川利根川下流の低湿地や武蔵野の大半が耕地化され、関東・東京地方の農業生産力は激増した。幕府は畿内からの先進技術や人材の導入に努め、当初は大坂からの移入に頼っていた物産(酒、木綿、醤油など)の多くも、江戸時代中期頃には関東・東京の地場生産品で賄えるようになり、江戸には天明文化や化政文化の華が開いた。

江戸時代の関東・東京地方は、まさに徳川氏のお膝元であった。徳川御三家の一つ・水戸徳川家が治める水戸藩、徳川氏の側近が治める川越藩など、関東・東京各地には徳川氏の血縁者や譜代大名旗本が治める(地方王国)が樹立され、日光神領などの天領を含め、徳川家の支配地となった。また、日光日光東照宮)や鹿嶋鹿島神宮)や成田成田山新勝寺)といった門前町も盛えた。

幕末には、マシュー・ペリーが率いるアメリカ艦隊が江戸湾に入港した。水戸天狗党の挙兵、上野戦争宇都宮攻防戦といった北関東の戦役など、政局や戊辰戦争の舞台となった。

近代

江戸幕府が倒されて明治政府が誕生すると、天皇を初めとする皇族京都御所から江戸城に移り、江戸は東亰(とうけい、後に東京(とうきょう))と改名されて、東京は明治政府の本拠地となった。これ以後、東京は実質上の首都、政治・経済・文化の中心となった。関東・東京は、畿内以外で初めて、中央集権型政権の本拠地が置かれる地方となった。

東京には軍事以外の全ての国家の中枢機関が置かれた。そして、東京と横浜は、文明開化の中心地となり、近代化を主導した。 1872年10月には新橋~横浜間で日本初鉄道が開通し、以降は官民を挙げて鉄道が建設され、関東・東京地方には東京を中心とする鉄道網が築かれた。

1871年8月の廃藩置県を経て、1876年8月以降の関東・東京地方は、南西から時計回り順に神奈川県東京府(1943年7月以後は東京都)、埼玉県群馬県栃木県茨城県千葉県の7つの県に分割され、現在に至っている。1876年4月17日までは、鎌倉や東京との繋がりが深い伊豆半島が、足柄県の一部として関東・東京地方に含まれていた。

現代

第二次大戦後、在日米軍は旧陸海軍の軍事施設を接収し、関東・東京地方各地に軍事基地を置いた。アメリカ合衆国の世界戦略のもと、戦略爆撃で焼け野原になった東京は急速に復興し、戦後10年もしないうちに戦前同様の繁栄を謳歌した。東京には各地から「金の卵」と呼ばれる労働者が集まった。内陸には、民需に転じた軍需工場を中核に関東内陸工業地域が成立した。東京湾岸には京浜工業地帯京葉工業地帯が造成され、東京湾の干潟の多くが消滅していった。

高度経済成長期以降、特にオイルショック後の産業構造の転換を背景に、第二次産業から第三次産業までの大手企業の本社が次々と東京に移転し、経済面で東京への一極集中が進行した。これに伴って東京都区部周辺のベッドタウン化が顕著になり、東京を中心とする都市圏は大幅に拡大、農地や山林を侵食してスプロール化し、東京の50km圏内は市街地が一面に広がる状態となった(東京都市圏)。しかし、東京への一極集中は、政治・行政・経済・文化など、多方面の問題にもなっている。

近畿地方との間には東海道新幹線1964年10月開通)と東名高速道路1969年4月開通)が、東北地方太平洋側(旧陸奥国)との間には東北新幹線1982年6月開通)と東北自動車道1987年9月全通)が建設された。これにより、本州太平洋側の地方は、高速交通網での縦断が可能な時代になった。

地域

関東・東京地方内の区分

  • 南関東(みなみかんとう):利根川以南の千葉県+神奈川県+埼玉県の3県を指す。埼玉県を除いて2県とする場合もある。
  • 北関東(きたかんとう):茨城県+栃木県+群馬県の3県を指すことが多いが、埼玉県を含めた4県を指しても使われる。
    • 衆議院比例代表の北関東ブロック:茨城県+栃木県+群馬県+埼玉県。
  • 東京地方(とうきょうちほう):東京都を指す。南関東に含める場合もある。
  • 首都圏(しゅとけん):首都圏整備法及び関連法では、「東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県を首都圏とする。」と定められている。
  • 東京圏(とうきょうけん):東京の都市圏が拡大しているため、時期により範囲は異なる。総務省の基準では、新宿移転前の東京都庁(東京都千代田区。現在の東京国際フォーラム)から70km圏内を指し、東京都、千葉県、茨城県、埼玉県、神奈川県に及ぶ(2000年国勢調査時)。一般的には、「東京都心からNkm圏」のように用いる。
  • 東京都市圏:東京都区部(旧東京市)の都市雇用圏(10%通勤圏)。東京都、千葉県北西部、茨城県南西部、埼玉県東部・中南部・西南部、神奈川県の大部分を含む。
  • 関東大都市圏:中心地である東京都区部・横浜市・川崎市・千葉市・さいたま市への通勤通学人口が常住人口の1.5%以上である市町村を指す。2005年国勢調査では、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県の大部分と、茨城県・栃木県・群馬県の一部、山梨県の上野原市大月市、静岡県の熱海市
  • 常総(じょうそう):茨城県+千葉県。狭義では、利根川に近い茨城県南部(旧葛飾県・旧新治県)+千葉県北部(旧葛飾県)の一帯を指す。広義では関東の東半分に当たるので、東関東(ひがしかんとう)ともいう。
  • 常武(じょうぶ):茨城県+千葉県+東京都。城東地区+常総を指す。
  • 東上(とうじょう):東京都+埼玉県+群馬県。
  • 両毛(りょうもう):群馬県南東部+栃木県南西部。
  • 上武(じょうぶ):群馬県+埼玉県。
  • 毛武(もうぶ):群馬県+栃木県+埼玉県。
  • 葛飾(かつしか):東京都城東地区+千葉県西部+埼玉県東部+茨城県西部の一部。
  • 総武(そうぶ):千葉県+東京都(+埼玉県)。(千葉県北部だけを指すときもある。)
  • 多摩地域(たま):東京都から区部と島嶼部を除いた地域。但し、明治時代東多摩郡に属していた中野区杉並区を含む場合もある。
  • 武蔵(むさし):昔は、埼玉県+東京都+神奈川県の一部だったが、現在は埼玉県秩父地方入間郡+東京都西部の多摩地域。奥武蔵は、秩父地方の奥の旧大滝村などが合併した秩父市辺りのこと 飯能も加わることもある
  • 武相(ぶそう):東京都+神奈川県(+埼玉県)。
  • 八高(はちこう) :八王子市 - 高崎市の縦断区間。
  • 埼京(さいきょう) :東京23区 - さいたま市の縦断区間。
  • 京成(けいせい) :東京23区 - 成田市の横断区間。
  • 京葉(けいよう) :東京23区 - 千葉市の横断区間。
  • 京浜(けいひん)・東横(とうよこ) :東京23区 - 横浜市の縦断区間。

地域別の特徴

南北に分けた場合

東西に分けた場合

  • 東関東(茨城県+千葉県)
  • 西関東(東京地方+茨城県と千葉県を除く関東地方)
    • 西に関東山地が峙える。地域間移動は流動的で、川(利根川多摩川)を越えた地域同士の交流も目立つ。両毛デルタ地帯や国道16号沿線にはロードサイドショップが多く、埼玉県から多摩地域への移動は、道路では国道16号経由、鉄路では東京経由が主流である。
    • 北西部(毛武)に当たる埼玉県・栃木県・群馬県では、農業が盛んである。しかし、南西部(武相)に当たる東京都と神奈川県では、農業の占める割合が極めて低く、第三次産業の占める割合が極めて高い。これも、交易によって勢力を維持した平氏流諸氏の支配地域と、農業によって勢力を維持した源氏流諸氏の支配地域の特徴がよく表れている現象の一つと言えよう。しかしながら、近年の北西部における農業の衰退は激しく、群馬県の耕作放棄地率は全国3位の高比率である。[2]

隣接する県を編入する例

中央省庁や企業・団体のエリア区分による「関東」の範囲は、必ずしも「箱根関小仏関碓氷関から東」とは定義されておらず、統一されていない。

その他の例

  • 21世紀FIT構想[3](福島県+茨城県+栃木県の頭文字)
    • 首都移転候補地を域内に含む3県の観光、地域連携などの地域推進協議会。

経済

経済の全体的傾向

平成19年度の関東のGDPは203兆7486億円である[4]。これはインドロシアのGDPよりも大きく、巨大な経済圏を形成している[5]

地域別特徴を見ると、本社の大半は、東京都区部に集中している。一方で、東京都区部を除く地域には、工場や物流拠点が集中しており、特定企業の工場が集まる「企業城下町」や、営業所や小売業が多く立地する都市が多く見られる。

第一次産業

農業

  • 東部茨城県千葉県は、全国でも上位の農業粗生産額を誇り、北西部の群馬県と埼玉県と栃木県でも農業生産が多いが、近年では住宅や工業地帯の開発、後継者問題により衰退しており、耕作放棄地が増加している。また、南西部の東京都と神奈川県では大きく衰えており、ほぼ自給が不可能な状況だ。特に千葉県は、農業生産額が北海道に次いで第二位であり、野菜の生産額は日本第一位を誇る。
  • 東京周辺では、典型的な都市近郊農業として、野菜や花卉の栽培が多い。
  • 関東・東京地方各市町村における年間農業産出額(2006年)は、多い順に以下の通り。
    1. 鉾田市茨城県)<539億円>
    2. 旭市千葉県)<418億円>
    3. 前橋市群馬県)<387億円>
    4. 深谷市埼玉県)<356億円>
    5. 香取市(千葉県)<321億円>
    6. 那須塩原市栃木県)<264億円>
    7. 大田原市(栃木県)<247億円>
    8. 行方市(茨城県)<235億円>
    9. 銚子市(千葉県)<228億円>
    10. 筑西市(茨城県)<228億円>
    11. 坂東市(茨城県)<219億円>
    12. 真岡市(栃木県)<218億円>
    13. 宇都宮市(栃木県)<198億円>
    14. 小美玉市(茨城県)<197億円>
    15. 太田市(群馬県)<190億円>

畜産業

  • 大消費地である東京を控え、茨城県や栃木県、千葉県を中心に養豚、養鶏、酪農が多い。生乳生産量では、北海道に続いて、栃木県が第二位、千葉県が第三位に位置する。

漁業(水産業)

  • 太平洋側を中心に水揚げが多い。特に銚子漁港は、国内有数の水揚げ高を誇る。
  • 成田国際空港は、水産物輸入金額が日本一であるため、「成田漁港」とも呼ばれる。

第二次産業

鉱業

  • 昭和半ばまで、日立市足尾など一部の鉱山が操業していたが、1975年頃に閉鎖された。
  • 埼玉県の秩父市、栃木県佐野市(旧葛生町)付近では、セメント原料の石灰岩ドロマイトの採掘が行われている。
  • 関東・東京地方の地下には日本最大のガス田である南関東ガス田があり、千葉県では天然ガスの採掘が行われている。大半は東京向けに供給される。また、副産物であるかん水からはヨードが精製されており、医薬品向けに日本から輸出される数少ない鉱物資源となっている。南関東ガス田の埋蔵量が多いのに採掘が比較的少ないのは、天然ガス採掘が地盤沈下をもたらすためである。

工業

「大手」「超大手」といわれる製造業の本社(工場とは限らない)は、東京都区部に所在するものが多い。しかし、関東・東京地方に工場を置く企業(親会社)の本社が、必ずしも関東・東京地方に所在するとも限らない。


建設業

多くの大手ゼネコンの本社が、東京都区部に集中している。東京都区部では、大規模なオフィスビルやマンション・道路・鉄道(地下鉄)などの建設が行なわれている。

第三次産業

商業

金融

東京には中央銀行である日本銀行や多くの都市銀行が本店を置いているほか、各地の地方銀行や主要な海外金融機関も情報収集を兼ねて東京支店を置いている。また、東京証券取引所、各種商品市場も置かれている。

サービス

基本的には東京都区内に集積するものが多い。

  • IT関係などの集積が多い。
  • 各放送局のキー局(親局)が東京都区内に所在する。東京には各地方局の支社もあり、東京に本社のある企業や出演者などへの営業活動や、一部の番組製作も行われている。
  • 大手通信会社(電気通信事業者)の本社が東京都区内に所在する。

交通

幹線交通網

関東・東京地方の幹線交通網は、東海道ルート甲州街道ルート中山道三国街道ルート日光街道奥州街道ルート水戸街道ルート常総ルート房総半島ルートに大きく分けられる。

連絡線としては、例幣使街道ルートなどがある。兵士街道古道鎌倉街道大山街道や、その他関東各地域中核都市から周辺部に伸びる路線群が整備されている。

鉄道

関東・東京地方の鉄道網は東京から放射状に伸びており、路線相互の接続駅間を結ぶ鉄道路線が高度に整備され、世界最大の輸送力を誇っている。

※ケーブルカーやロープウェイ、貨物専用路線は割愛。

東京都

その他

  • 概ね南西(横浜方面)から順に時計回りに列挙する
  • 東京都内にかかるものは除く
JR東日本

鶴見線根岸線相模線川越線信越本線吾妻線上越線両毛線日光線烏山線水戸線水郡線成田線鹿島線内房線外房線久留里線

JR東海

御殿場線

私鉄・第三セクター
神奈川

京急大師線京急久里浜線京急逗子線東急こどもの国線横浜高速鉄道みなとみらい線相鉄本線相鉄いずみ野線横浜市営地下鉄シーサイドライン小田急江ノ島線江ノ島電鉄線湘南モノレール線伊豆箱根鉄道大雄山線箱根登山鉄道線

埼玉

東武越生線西武狭山線西武秩父線秩父鉄道線東武野田線埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)

北関東(茨城・栃木・群馬)

ひたちなか海浜鉄道湊線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線関東鉄道常総線関東鉄道竜ヶ崎線東武佐野線東武日光線東武宇都宮線真岡鐵道真岡線上信線上毛線東武桐生線東武小泉線わたらせ渓谷鐵道線

千葉

東武野田線流鉄流山線新京成線東葉高速線京成千葉線京成千原線千葉都市モノレール1号線2号線銚子電気鉄道線いすみ鉄道いすみ線小湊鉄道線

各県(各地域)中心都市の近郊路線

(南西から順に時計回りに列挙する)

道路

詳細の路線については「関東・東京地方の道路一覧」も参照のこと。

江戸時代五街道が整備されて以後、日本橋を始点にして幹線国道が放射状に整備され、連絡線国道が環状(弧状)に整備されている。高速道路は、首都高都心環状線を中心に、各方面へ放射状に延びている。

また、国道16号沿線や両毛デルタ地帯では、モータリゼーションの進展が著しい。

主な幹線国道と高速道路
主な連絡線国道と高速道路

バス

東京都区部や周辺都市に、東北・中部・近畿など各地方からの高速バスが多数発着している。

一方、郊外や中小都市での一般路線バスは、モータリゼーションの進展で経営が苦しくなっている。

航空

空港としては、東京国際空港(羽田、RJTT)や成田国際空港(RJAA)が立地する。いずれも事情により、アジアハブ空港としての立場が揺らいでいる。 東京と成田の両空港はマルチエアポート対応。

この他、茨城空港(RJAH)・調布飛行場(RJTF)・大島空港(RJTO)・新島空港(RJAN)・神津島空港(RJAZ)・三宅島空港(RJTQ)・八丈島空港(RJTH)が立地し、伊豆諸島ではそれに加えて東京愛らんどシャトルが就航している。

海運

東京湾岸の横浜港東京港千葉港を中心に、世界各地を結ぶ貨物船が東京湾に出入りしている。また、日本の大手海運会社である日本郵船商船三井川崎汽船が東京に本社を置いている。

東京港・横浜港など - 伊豆諸島間には東海汽船神新汽船伊豆七島海運などが、東京港 - 小笠原諸島間には小笠原海運共勝丸が就航している。

この他、茨城港鹿島港が工業製品・原材料の輸出入等の拠点となっている。茨城港大洗港区 - 苫小牧港にはカーフェリー 商船三井フェリー)が就航している。

東京から主な都市への距離

関東・東京地方の中心都市となっている東京から、主な都市や峠への「Nkm圏」を以下に掲載する。km数は国道の距離標を基準にして測る。

ルート(国道) 30km圏 60km圏 100km圏 150km圏
東海道(R1) 横浜 藤沢 箱根峠 富士市
甲州街道(R20) 八王子 相模湖 大月 韮崎
中山道(R17・R18)
三国街道(R17)
さいたま 熊谷 高崎 碓氷峠(R18)
月夜野(R17)
東武東毛(R122) 岩槻 加須 桐生 足尾
日光街道(R4・R119)
奥州街道(R4)
春日部 古河 宇都宮 日光(R119)
那須塩原(R4)
常総東野(R6・R294) 下妻 真岡 大田原
水戸街道(R6) 土浦 水戸 日立
常総(R14・R51) 千葉 成田 銚子鹿嶋 大洗
外房(R14・R128) 千葉 東金 大原 鴨川
内房(R14・R16・R127) 千葉 木更津 富浦 館山

娯楽

スポーツ

関東・東京地方に本拠地を置くプロ野球チーム
関東・東京地方に本拠地を置くJリーグチーム

芸能

放送局キー局東京23区に集中しているため、多くの芸能事務所番組制作会社が東京23区に拠点を置いている。

商業公演は交通の利便性が良い東京23区横浜幕張さいたまなどで多く開催されている。

テレビジョン放送

東京地方+関東6県(関東広域圏)を放送対象地域とする広域放送と、各都県を放送対象地域とする県域放送ローカル局)がある。

広域放送は五局存在するが、いずれも東京都区部に本社を置くキー局であり、関東平野のほぼ全域で東京タワーからの電波が受信可能である。また、山間部や東京都島嶼部小笠原諸島小笠原村ケーブルテレビ)でも、中継施設を通じて、静岡県熱海市伊東市などでも小田原テレビ中継局新島中継局を通じて受信可能となっている。県域放送は、茨城県を除く全ての都県に一局ずつ存在する。

広域放送
県域放送

日本放送協会(NHK)は、総合テレビは広域放送、教育テレビは全国放送を行っているが、地上デジタルテレビジョン放送におけるデジタル総合テレビにおいて、茨城県で県域放送を行っている。他の都県では、従来通り東京都区部を親局とする広域放送が当面は維持されるが、5県(栃木県群馬県埼玉県千葉県神奈川県)内にある中継局は、東京都内と同様の、27chではなく各県ごとに、異なったチャンネルを使用している。詳細としては、栃木県内が47ch、群馬県内が37ch、埼玉県内が13ch、千葉県内が34ch、神奈川県内が19chを使用する。

言語・方言

関東・東京地方の日本語方言は、大きく分けて東関東方言西関東方言の二種類の方言がある。

  • 東関東方言:茨城県、栃木県のほぼ全域で用いられている方言。福島県中通り浜通りなどの東北弁との類似性が高い。方言圏の南端は千葉県大網白里町付近。
  • 西関東方言:東京都特別区・多摩、埼玉県、群馬県、神奈川県、千葉県のほぼ全域、栃木県南西部、茨城県南部の一部、山梨県郡内地方で主に用いられている方言である。いわゆる東京弁下町方言も西関東方言の一種とされるが他地方方言の影響も見られる。

現在の東京周辺では1.東京通勤が多い、2.他地方の出身者(移住)が多い、3.テレビ・ラジオの影響などで、日本語共通語(標準語)かそれに近い関東色のある新方言首都圏方言)が多用され、土着の方言を話す人口・機会が比較的少なくなっている。特に東京都心部で暮らす地方出身者は、いわゆる標準語を意識的に用いようとすることが多いが、時間の経過とともに周囲の首都圏方言に同化していく傾向がある。

また、伊豆諸島八丈島青ヶ島で話される八丈方言は、古代東日本方言の特徴を色濃く残す方言であり、他の方言との差異が大きい。伊豆大島など伊豆諸島北部は関東方言よりも、伊豆半島などが属する東海東山方言に類似する。

小笠原諸島は、欧米人とハワイ先住民が移民・開拓し、遅れて日本人が入植した土地であるため、欧米系住民(太平洋系の人々を含む)が話していた英語の語彙と日本語八丈方言、日本語標準語が混合された、独特の日本語新方言「小笠原方言」と呼べるものが存在していたが、日本返還後は急速に日本語標準語化が進み、現在は標準語ないし首都圏方言に近い言葉が話されるようになっている。

人口・面積

平野が広く、首都である東京特別区を抱える地方なので、日本の人口の30%以上が集中する。

ISO 3166-2 都道府県名 順位 人口 割合 面積 人口密度
JP-08 茨城県 11 2,992,152 2.30% 6,095.69km² 486人/km²
JP-09 栃木県 20 2,011,691 1.60% 6,408.28km² 313人/km²
JP-10 群馬県 19 2,033,535 1.60% 6,363.16km² 314人/km²
JP-11 埼玉県 5 7,037,849 5.50% 3,797.25km² 1,890人/km²
JP-12 千葉県 6 6,028,315 4.70% 5,156.60km² 1,200人/km²
JP-13 東京都 1 12,369,185 9.70% 2,187.65km² 5,960人/km²
JP-14 神奈川県 3 8,687,422 6.80% 2,415.84km² 3,740人/km²
JP-19 山梨県 41 887,595 0.70% 4,465.37km² 199人/km²
41,160,149 32.20% 32,423.90km² 1,308人/km²

※順位・人口・割合は2003年10月1日のデータによる。

主要都市

横浜市川崎市さいたま市千葉市相模原市
船橋市宇都宮市横須賀市柏市高崎市川越市前橋市
川口市所沢市越谷市水戸市平塚市草加市春日部市茅ヶ崎市厚木市大和市太田市つくば市伊勢崎市熊谷市小田原市甲府市
  • 人口50万人以上の都市
八王子市

脚注

  1. 齋藤慎一「中近世移行期の断絶と継承」(『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年)第10章(論文初出2003年))
  2. 耕作放棄地の現状
  3. [1]
  4. 平成19年度県民経済計算
  5. World Economic Outlook Database

関連項目


北日本

蝦夷奥羽地方

東北地方

東日本

関東広域地方

関東地方

甲信越地方

東海地方

西日本

関西地方

中国地方

四国地方

九州地方

琉球地方

外部リンク