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=== 大正期・昭和初期 === | === 大正期・昭和初期 === | ||
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[[1914年]](大正3年)12月20日には[[東京駅]]が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。同時に東京駅 - 高島駅間で電車(現在の[[京浜東北線]])の運行が開始されている<ref name="rj198905" />。 | [[1914年]](大正3年)12月20日には[[東京駅]]が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。同時に東京駅 - 高島駅間で電車(現在の[[京浜東北線]])の運行が開始されている<ref name="rj198905" />。 | ||
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=== 昭和中期 === | === 昭和中期 === | ||
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[[1945年]](昭和20年)に日本は敗戦を迎える。その後の[[戦後混乱期|混乱期]]には列車ダイヤは乱れ、また客車不足のために[[貨車]]による旅客輸送が行われたりもした。蒸気機関車を動かすための[[石炭]]も不足したため、一時は特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態にもなった。[[1948年]](昭和23年)にようやく急行列車が復活。[[1949年]](昭和24年)に公共企業体としての日本国有鉄道が発足後、戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始(のちに「つばめ」に改称)、また電化区間も沼津駅から西へ再び延伸を始めた。[[1950年]](昭和25年)は「つばめ」に加えて特急「[[つばめ (列車)|はと]]」が登場し、戦時中に延びていた所要時間も戦前の水準にまで短縮された。また東京口では客車普通列車が電車化され“[[湘南電車]]”の運行が開始されている<ref name="rj198905" />。 | [[1945年]](昭和20年)に日本は敗戦を迎える。その後の[[戦後混乱期|混乱期]]には列車ダイヤは乱れ、また客車不足のために[[貨車]]による旅客輸送が行われたりもした。蒸気機関車を動かすための[[石炭]]も不足したため、一時は特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態にもなった。[[1948年]](昭和23年)にようやく急行列車が復活。[[1949年]](昭和24年)に公共企業体としての日本国有鉄道が発足後、戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始(のちに「つばめ」に改称)、また電化区間も沼津駅から西へ再び延伸を始めた。[[1950年]](昭和25年)は「つばめ」に加えて特急「[[つばめ (列車)|はと]]」が登場し、戦時中に延びていた所要時間も戦前の水準にまで短縮された。また東京口では客車普通列車が電車化され“[[湘南電車]]”の運行が開始されている<ref name="rj198905" />。 | ||
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=== 昭和後期・平成期 === | === 昭和後期・平成期 === | ||
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[[1964年]](昭和39年)10月1日、東海道新幹線東京駅 - [[新大阪駅]]間が開業。当時の最速達列車「[[ひかり (列車)|ひかり]]」は両駅間を当初4時間、翌年から3時間10分で運転した。これによって東京 - 京阪神間輸送の主役は新幹線に移ったため、[[在来線]]と呼ばれるようになった東海道本線では優等列車の多くが廃止され、代わって地域輸送主体の路線に変化していった<ref name="asahi-1" />。1970年代以降、京阪神地区では並行他社線に対抗する都市間速達輸送列車として[[新快速]]が新設された。同様に名古屋地区でも電車による快速列車が登場している。首都圏では[[通勤五方面作戦]]の一環として湘南電車と[[横須賀線]]電車の[[SM分離|線路の分離]]が[[1980年]](昭和55年)に行われている<ref name="dj201005" />。[[1984年]](昭和59年)以降は列車本数の少なかった静岡・名古屋地区でも短距離列車の増発・等時隔ダイヤ化が行われるようになる。 | [[1964年]](昭和39年)10月1日、東海道新幹線東京駅 - [[新大阪駅]]間が開業。当時の最速達列車「[[ひかり (列車)|ひかり]]」は両駅間を当初4時間、翌年から3時間10分で運転した。これによって東京 - 京阪神間輸送の主役は新幹線に移ったため、[[在来線]]と呼ばれるようになった東海道本線では優等列車の多くが廃止され、代わって地域輸送主体の路線に変化していった<ref name="asahi-1" />。1970年代以降、京阪神地区では並行他社線に対抗する都市間速達輸送列車として[[新快速]]が新設された。同様に名古屋地区でも電車による快速列車が登場している。首都圏では[[通勤五方面作戦]]の一環として湘南電車と[[横須賀線]]電車の[[SM分離|線路の分離]]が[[1980年]](昭和55年)に行われている<ref name="dj201005" />。[[1984年]](昭和59年)以降は列車本数の少なかった静岡・名古屋地区でも短距離列車の増発・等時隔ダイヤ化が行われるようになる。 | ||
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** 10月6日:【海】[[平成26年台風第18号|台風18号]]の影響により由比駅 - 興津駅間、鷲津駅 - 新所原駅間で土砂流入が発生し、富士駅 - 興津駅間および新居町駅 - 豊橋駅間で運転を見合わせ。復旧には相当時間がかかる見込み<ref>[http://traininfo.jr-central.co.jp/sep/pc/senku12/P02.html 運行状況 東海道本線(熱海〜豊橋)] - 東海旅客鉄道、2014年10月7日閲覧</ref>。 | ** 10月6日:【海】[[平成26年台風第18号|台風18号]]の影響により由比駅 - 興津駅間、鷲津駅 - 新所原駅間で土砂流入が発生し、富士駅 - 興津駅間および新居町駅 - 豊橋駅間で運転を見合わせ。復旧には相当時間がかかる見込み<ref>[http://traininfo.jr-central.co.jp/sep/pc/senku12/P02.html 運行状況 東海道本線(熱海〜豊橋)] - 東海旅客鉄道、2014年10月7日閲覧</ref>。 | ||
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== 運行形態 == | == 運行形態 == | ||
東海道本線全線の運行形態の概要を以下に示す<ref>最新ダイヤについて:『JR時刻表』2013年3月号、交通新聞社。</ref>。 | 東海道本線全線の運行形態の概要を以下に示す<ref>最新ダイヤについて:『JR時刻表』2013年3月号、交通新聞社。</ref>。 | ||
=== 優等列車 === | === 優等列車 === | ||
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[[1964年]]の[[東海道新幹線]]開業前は、[[つばめ (列車)|「つばめ」「はと」]]「[[こだま (列車)|こだま]]」をはじめとする[[優等列車]]([[特別急行列車|特急]]・[[急行列車|急行]]・[[準急列車|準急]])が多数運行されており、当路線沿線の各都市間を結んでいた。しかし東海道新幹線開業後は都市間連絡鉄道としての機能を新幹線に譲ったため、当路線内のみの優等列車は縮小されていき、国鉄時代から準急・急行・特急と種別を変えながら最後まで残った「[[東海 (列車)|東海]]」も[[2007年]]に廃止された。現在当路線全線を通して運行する昼行優等列車は設定されておらず、線内のみを運行する優等列車はJR化後に新設された通勤特急「[[びわこエクスプレス]]」のみとなっている。一方、当路線の一部区間を経由して[[伊豆半島]]・[[甲信地方]]・[[岐阜県]]飛騨地方・[[北陸地方]]・[[北近畿]]・[[山陰地方]]など他路線沿線へ向かう優等列車は現在に至るまで存続し、さらに民営化後には貨物線などの有効活用によって新たに[[南紀]]方面の列車や、[[成田国際空港]]・[[関西国際空港]]へのアクセス特急が乗り入れるようになった。なお現在、[[三島駅]] - [[富士駅]]間および[[静岡駅]] - [[名古屋駅]]間には定期昼行優等列車の設定が無い。 | [[1964年]]の[[東海道新幹線]]開業前は、[[つばめ (列車)|「つばめ」「はと」]]「[[こだま (列車)|こだま]]」をはじめとする[[優等列車]]([[特別急行列車|特急]]・[[急行列車|急行]]・[[準急列車|準急]])が多数運行されており、当路線沿線の各都市間を結んでいた。しかし東海道新幹線開業後は都市間連絡鉄道としての機能を新幹線に譲ったため、当路線内のみの優等列車は縮小されていき、国鉄時代から準急・急行・特急と種別を変えながら最後まで残った「[[東海 (列車)|東海]]」も[[2007年]]に廃止された。現在当路線全線を通して運行する昼行優等列車は設定されておらず、線内のみを運行する優等列車はJR化後に新設された通勤特急「[[びわこエクスプレス]]」のみとなっている。一方、当路線の一部区間を経由して[[伊豆半島]]・[[甲信地方]]・[[岐阜県]]飛騨地方・[[北陸地方]]・[[北近畿]]・[[山陰地方]]など他路線沿線へ向かう優等列車は現在に至るまで存続し、さらに民営化後には貨物線などの有効活用によって新たに[[南紀]]方面の列車や、[[成田国際空港]]・[[関西国際空港]]へのアクセス特急が乗り入れるようになった。なお現在、[[三島駅]] - [[富士駅]]間および[[静岡駅]] - [[名古屋駅]]間には定期昼行優等列車の設定が無い。 | ||
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:** 山陰方面([[智頭急行智頭線]]直通) : 「[[はくと (列車)|スーパーはくと]]」(京都駅 - 神戸駅(*)間) | :** 山陰方面([[智頭急行智頭線]]直通) : 「[[はくと (列車)|スーパーはくと]]」(京都駅 - 神戸駅(*)間) | ||
; 夜行列車 | ; 夜行列車 | ||
− | :* 東京発着 | + | : * 東京発着 |
− | :** 四国方面 : 寝台特急「[[瀬戸 (列車)|サンライズ瀬戸]]」(東京駅 - 神戸駅(*)間) | + | : ** 四国方面 : 寝台特急「[[瀬戸 (列車)|サンライズ瀬戸]]」(東京駅 - 神戸駅(*)間) |
− | :** 山陰方面 : 寝台特急「[[出雲 (列車)|サンライズ出雲]]」(東京駅 - 神戸駅(*)間。当路線内では「サンライズ瀬戸」と併結運転) | + | : ** 山陰方面 : 寝台特急「[[出雲 (列車)|サンライズ出雲]]」(東京駅 - 神戸駅(*)間。当路線内では「サンライズ瀬戸」と併結運転) |
− | :* 大阪発着北海道方面 : 臨時寝台特急「[[トワイライトエクスプレス]]」(山科駅(*) - 大阪駅間。臨時列車だが、恒常的に週4往復運行) | + | : * 大阪発着北海道方面 : 臨時寝台特急「[[トワイライトエクスプレス]]」(山科駅(*) - 大阪駅間。臨時列車だが、恒常的に週4往復運行) |
+ | '''注記''' | ||
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==== 東京駅 - 熱海駅間(JR東日本 首都圏地区) ==== | ==== 東京駅 - 熱海駅間(JR東日本 首都圏地区) ==== | ||
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人口の集中が著しい[[首都圏 (日本)|首都圏]]では東海道本線も有数の通勤路線となっており、他地区と比べて圧倒的な利用者数を有する。京浜地区では古くから長・中距離列車と分離した近距離電車の運行が行われ、現在も以下の運行系統がそれぞれ専用の線路で運行されている。 | 人口の集中が著しい[[首都圏 (日本)|首都圏]]では東海道本線も有数の通勤路線となっており、他地区と比べて圧倒的な利用者数を有する。京浜地区では古くから長・中距離列車と分離した近距離電車の運行が行われ、現在も以下の運行系統がそれぞれ専用の線路で運行されている。 | ||
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* 伊皿子信号所:田町駅 - 品川駅間、電車線上(約6.0km) | * 伊皿子信号所:田町駅 - 品川駅間、電車線上(約6.0km) | ||
* 芝仮信号場:伊皿子信号所と同一地点 | * 芝仮信号場:伊皿子信号所と同一地点 | ||
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'''参考文献''' | '''参考文献''' | ||
* 中村建治 『東海道線誕生-鉄道の父・井上勝の生涯』 イカロス出版、2009年4月。ISBN 978-4-86320-175-0。 | * 中村建治 『東海道線誕生-鉄道の父・井上勝の生涯』 イカロス出版、2009年4月。ISBN 978-4-86320-175-0。 | ||
− | * 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 01 東海道本線』 | + | *朝日2009 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 01 東海道本線』 朝日新聞出版、2009年 |
− | * | + | *RP1984-12 「<特集>東海道線」『鉄道ピクトリアル』第440号、電気車研究会、1984年12月 |
− | * | + | *RP2003-9 「【特集】大都市圏JR線区の快速運転」『鉄道ピクトリアル』第736号、電気車研究会、2003年9月 |
− | * | + | *RP2004-9 「【特集】東海道本線今昔」『鉄道ピクトリアル』第751号、電気車研究会、2004年9月 |
− | * | + | *RP2006-3 「【特集】東海道本線全線電化50年」『鉄道ピクトリアル』第736号、電気車研究会、2006年3月 |
− | * 「【特集】東海道本線 (I) | + | *RP2013-2 「【特集】東海道本線 (I)」『鉄道ピクトリアル』第872号、電気車研究会、2013年2月 |
− | * 「【特集】東海道本線 (II) | + | *RP2013-3 「【特集】東海道本線 (II)」『鉄道ピクトリアル』第873号、電気車研究会、2013年3月 |
− | * | + | *RF1986-10 「特集・東海道線全線電化30年」『鉄道ファン』第306号、交友社、1986年10月 |
− | * | + | *RJ1989-5 「全通100年を迎えた東海道本線」『鉄道ジャーナル』第271号、鉄道ジャーナル社、1989年5月 |
− | + | '''出典注''' | |
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== 関連項目 == | == 関連項目 == |
2018年6月23日 (土) 15:42時点における最新版
東海道本線(とうかいどうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から兵庫県神戸市中央区の神戸駅までを結ぶJRの鉄道路線である。このほかに品川駅から武蔵小杉駅を経由して鶴見駅に至る支線(通称品鶴線)、大垣駅から美濃赤坂駅に至る支線(通称美濃赤坂線)、および多数の貨物支線を持つ。
東京駅から熱海駅までは東日本旅客鉄道(JR東日本)、熱海駅から米原駅までは東海旅客鉄道(JR東海)、米原駅から神戸駅間までは西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄となっている。支線については一部の貨物支線が日本貨物鉄道(JR貨物)の管轄であるほかは、接続する本線と同会社による管轄となっている(「路線データ」節を参照)。
なお、広義では東海道・山陽新幹線の東京駅から新神戸駅までの区間も東海道本線に含める場合がある(後述)が、本項目では在来線としての東海道本線全般の概要や沿革などについて記す。新幹線については「東海道新幹線」「山陽新幹線」を、また在来線の地域ごとの詳細については以下の記事も参照。
- 東海道線 (JR東日本) (東京駅 - 熱海駅間)
- 東海道線 (静岡地区) (熱海駅 - 豊橋駅間)
- 東海道線 (名古屋地区) (豊橋駅 - 米原駅間)
- 琵琶湖線 (米原駅 - 京都駅間)
- JR京都線 (京都駅 - 大阪駅間)
- JR神戸線 (大阪駅 - 神戸駅間)
概要[編集]
東海道本線は、東京から横浜・静岡・浜松・名古屋・京都・大阪などの、太平洋ベルトといわれる本州の太平洋側の各都市を経て神戸までを結ぶ全長589.5km(支線を除く)の路線である。
当路線のうち新橋駅(後の汐留貨物駅、現存せず) - 横浜駅(現在の桜木町駅)間は日本最初の鉄道として1872年(明治5年)に開業した。その後関西で大阪駅 - 神戸駅間が開業し、数回にわたる路線延伸を経て1889年(明治22年)に新橋駅 - 神戸駅間の全線が開業して首都圏と京阪神とが鉄道で結ばれた。その後、東京駅の開業や山間部でのルート変更などを経て、現在の東海道本線が出来上がっている。長らく日本国有鉄道(国鉄)が運営する一本の路線であったが、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によってJR東日本・JR東海・JR西日本の3社に管轄が分かれ、この旅客3社が第一種鉄道事業者として線路の保有と旅客列車の運行を行い、JR貨物が第二種鉄道事業者として旅客3社の線路を使用して貨物列車を運行するという体制となった。
全線開業以降は日本を代表する動脈となり、東京と京阪神などを結ぶ優等列車が多数運行されていたが、1964年(昭和39年)に輸送力増強を目的とした東海道新幹線が開通すると、遠距離の旅客輸送は同新幹線に譲り、並行する東海道本線の旅客輸送は地域輸送中心の体制に移行した。一方で、貨物輸送に関しては現在まで大動脈としての位置づけを保っており、多数の貨物列車がJR貨物によって運行されている[1]。気候は関ヶ原付近をのぞくと通年温暖で、改良により勾配も抑えられている。
路線の名称は、かつて江戸と京都を結んでいた東海道に沿う経路で建設されたことに因んでいる。ただし、熱田駅 - 草津駅間は、当初中山道経由で路線が計画された経緯から、中山道および美濃路に沿っている。これは中世の東海道の経路である[2]。現代では東海道本線と並行する主要道路として、東名・新東名・名神・新名神などの高速道路および国道1号がいずれも東京圏・名古屋圏・大阪圏の三大都市圏を結んでいるものの、一部区間では経路が大幅に異なる。
国鉄時代の『日本国有鉄道線路名称』では、本路線を指す名称として「東海道本線」が使われており、「東海道線」の名称は東海道本線およびその支線だけでなく、山手線・横須賀線・御殿場線・身延線・飯田線・武豊線・福知山線などを支線として含む総称として使われていた。しかし、国鉄が分割民営化された際に策定された「日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画」[3]においては、本路線の(御殿場線などを含まない)名称が「東海道線」と定められている。以降、両方の名称が並立して使用されている。例えば国土交通省発行の文書や、同省監修『鉄道要覧』では「東海道線」の名称が使われ、JRの線路名称公告では「東海道本線」の名称が使われている。ただし、国土交通省やJR各社のウェブサイトにおいても両方の名称が混用されている。
東京近郊では、旅客案内上の「東海道線」は小田原・熱海方面への中距離電車や特急列車を指し、東京駅 - 大船駅間で並行して走る近距離電車(かつての国電)に対しては山手線・京浜東北線・横須賀線などといった系統名称を使用することで区別している[脚注 1]。また、JR西日本は民営化後、自社の管轄区間に「琵琶湖線」「JR京都線」「JR神戸線」の路線愛称を設定した[脚注 2]。終点である神戸駅からはほとんどの列車が山陽本線と直通運転していることから「東海道・山陽本線」とまとめて呼ばれることがある。
なお、東海道新幹線(管轄はJR東海)は東海道本線の線増として建設されたため、その観点で同新幹線および山陽新幹線新大阪駅 - 新神戸駅間(JR西日本)を東海道本線に含めた場合、東海道本線は支線をのぞいて全区間複々線の路線となる。1982年の東北新幹線開業以前は、新幹線は完全な線増扱いであったが、JR線路名称公告では東海道新幹線および山陽新幹線新大阪駅 - 新神戸駅間を東海道本線の名無しの支線として扱っている。一方、基本事業計画や『鉄道要覧』では別の路線として扱われている。
歴史[編集]
明治期[編集]
日本の鉄道開業 も参照 明治時代に入ると、政府は東京と大阪を結ぶ鉄道の計画を持ち上げたが、当時は東海道経由と中山道経由の2案があり、方向性が未決定であったため、まずは流動の多い東京 - 横浜間を支線として先行開業させることとなった。まず1872年(明治5年)10月14日(旧暦9月12日)に新橋駅(のちの汐留駅) - 横浜駅(現在の桜木町駅)間が日本で最初の鉄道として開業。翌年9月15日からは貨物列車の運行も開始された。一方関西では1874年(明治7年)の大阪駅 - 神戸駅間の仮開業を経て、1877年(明治10年)2月5日に京都駅 - 神戸駅間の営業を開始。1880年(明治13年)には逢坂山経由で大津駅(現在の浜大津駅付近)まで延伸され、大津駅 - 長浜駅間には太湖汽船による琵琶湖経由の鉄道連絡船が開設された[5]。
1883年(明治16年)8月、政府はすでに東京 - 高崎間(現在の高崎線)の建設が決まっていたことに鑑み、東京 - 大阪間幹線鉄道を中山道経由で建設することを決定。中部地区ではこの中山道線建設のための資材輸送を目的として、現在武豊線となっている区間を含めた武豊駅 - 木曽川駅間が1886年(明治19年)に開業。また1884年(明治17年)には中山道ルートの一部として大垣駅 - 関ヶ原駅 - 長浜駅間が開業している[5]。
しかし1886年7月、政府は東京 - 大阪間鉄道の予定経路を、工期が半分に抑えられるとして、工事の難航が予想された中山道経由から東海道経由に変更した[5]。ただし、既存路線を積極的に活用して建設予算を低減する方針から、名古屋 - 草津間は江戸時代の東海道ではなく、美濃路と中山道に沿うルートでの敷設となった。
この後は一大プロジェクトとなり、一気に建設が進んでいった。1887年(明治20年)には木曽川駅 - 加納駅(現在の岐阜駅) - 大垣駅間、横浜駅 - 国府津駅間、浜松駅 - 大府駅間が開業。武豊駅 - 大府駅間は支線化された。1889年(明治22年)に国府津駅 - 浜松駅間(現在の御殿場線経由)、そして関ヶ原駅 - 米原駅 - 大津駅間が開業し、こうして新橋駅 - 横浜駅間開業から17年の月日を経て、新橋駅から神戸駅までが鉄路で結ばれた。このときに全線直通列車が1往復運行され、所要時間は20時間強であった。なお正式な路線名称はこれまで設定されていなかったが、1895年(明治28年)には「東海道線」の路線名称が与えられた[5]。このときの路線は、伊豆・箱根、伊吹山、逢坂山という交通の難所において、ルートが異なっていた。
最初のころは、「宿場にお客が来なくなる」「汽車が火事を起こす」などと宿場から反対された結果、市街地に用地を取得できず多くのルートが郊外に建設されたため、宿場から離れた地点に設けられた駅も多かったとも言われている(鉄道忌避伝説)。ただし、当時の新聞記事や県の記録などには、東海道各宿が積極的な誘致運動を行なっていた記録こそあれ、反対運動を行なっていたという記録が見つからないことから、これを否定する見解もある[6]。
日清戦争終戦後の1895年(明治28年)10月には、神戸駅から西へ伸びる山陽鉄道(現在の山陽本線)との直通運転が始まった。翌1896年(明治29年)には新橋駅 - 神戸駅間の急行列車の運行が開始され、1900年(明治33年)には寝台車、1901年(明治34年)には食堂車の連結も開始されている。1906年(明治39年)には最急行が登場し、1909年(明治42年)には新橋駅 - 神戸駅間が12時間50分にまで短縮。明治最後の年である1912年(明治45年)に最急行が特別急行(特急)に変更され、新橋駅 - 山陽本線下関駅間で運行された。
大正期・昭和初期[編集]
1914年(大正3年)12月20日には東京駅が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。同時に東京駅 - 高島駅間で電車(現在の京浜東北線)の運行が開始されている[5]。
大正期になると輸送力増強のため、前述の難所においてルートの変更が必要となった。そのひとつである逢坂山(大津駅 - 京都駅間)は新逢坂山トンネル・東山トンネルが新たに造られ1921年(大正10年)に現在のルートになった。これによって特急列車による東京駅 - 神戸駅間の所要時間は11時間45分となった。伊豆・箱根地区(国府津駅 - 沼津駅間)についても別ルートを建設することとし、1925年(大正14年)までに国府津駅 - 熱海駅間が「熱海線」として開通したが、熱海駅 - 沼津駅間は丹那トンネルの建設が難工事となったため、開通が遅れることとなった。一方、このころから列車線の電化工事が東京側から始まり、1928年(昭和3年)までに東京駅 - 熱海駅間の電化が完成、それまでの蒸気機関車に代わる電気機関車の運用も開始された[5]。
1929年(昭和4年)には初めて愛称つきの特急「富士」「櫻」が、翌1930年(昭和5年)には超特急「燕」が登場。1934年(昭和9年)には丹那トンネルが開業し、国府津駅 - 沼津駅間の現在のルートが完成。旧ルートは御殿場線と名称が変更された。同時に電化区間も東京駅 - 沼津駅間となり、「燕」の東京駅 - 神戸駅間は8時間37分となった。また同年以降、京阪神地区でも電車(緩行電車・急行電車[脚注 3])の運転が開始された。1937年(昭和12年)7月には特急列車が1日5往復体制となり、このときが戦前における東海道本線の黄金期とされる。しかし日中戦争、そして太平洋戦争が始まり戦時体制下となると、特急列車は廃止されていき、寝台車や食堂車も消滅し、代わって貨物列車が増発・長編成化されていった。また空襲によって駅や線路・車両がたびたび破壊された[5][7]。
昭和中期[編集]
1945年(昭和20年)に日本は敗戦を迎える。その後の混乱期には列車ダイヤは乱れ、また客車不足のために貨車による旅客輸送が行われたりもした。蒸気機関車を動かすための石炭も不足したため、一時は特急・急行や一等車・二等車がまったく走らないという事態にもなった。1948年(昭和23年)にようやく急行列車が復活。1949年(昭和24年)に公共企業体としての日本国有鉄道が発足後、戦後初の特急列車「へいわ」が運行開始(のちに「つばめ」に改称)、また電化区間も沼津駅から西へ再び延伸を始めた。1950年(昭和25年)は「つばめ」に加えて特急「はと」が登場し、戦時中に延びていた所要時間も戦前の水準にまで短縮された。また東京口では客車普通列車が電車化され“湘南電車”の運行が開始されている[5]。
1956年(昭和31年)、東海道本線全線の電化が完成した。これによって特急「つばめ」「はと」は東京駅 - 大阪駅間7時間30分となる。1958年(昭和33年)には20系客車による寝台列車(ブルートレイン)が運行を開始。また151系電車を使用した初の電車特急「こだま」が運行を開始し、東京駅 - 大阪駅間を6時間50分、東京駅 - 神戸駅間を7時間20分で結んだ。1960年(昭和35年)には「つばめ」「はと」も電車化され、従来の展望車に代わるパーラーカーが連結された。このほかにも優等列車が多数増発されていった[5][4]。貨物列車では1959年(昭和34年)に高速コンテナ列車「たから」の運行が開始された[7]。一方このころになると輸送力増強のための線増計画が持ち上がり、標準軌による別線建設が決定。1959年(昭和34年)に着工が始まり、これが東海道新幹線となるのである[8]。
昭和後期・平成期[編集]
1964年(昭和39年)10月1日、東海道新幹線東京駅 - 新大阪駅間が開業。当時の最速達列車「ひかり」は両駅間を当初4時間、翌年から3時間10分で運転した。これによって東京 - 京阪神間輸送の主役は新幹線に移ったため、在来線と呼ばれるようになった東海道本線では優等列車の多くが廃止され、代わって地域輸送主体の路線に変化していった[4]。1970年代以降、京阪神地区では並行他社線に対抗する都市間速達輸送列車として新快速が新設された。同様に名古屋地区でも電車による快速列車が登場している。首都圏では通勤五方面作戦の一環として湘南電車と横須賀線電車の線路の分離が1980年(昭和55年)に行われている[9]。1984年(昭和59年)以降は列車本数の少なかった静岡・名古屋地区でも短距離列車の増発・等時隔ダイヤ化が行われるようになる。
1987年(昭和62年)4月1日に行われた国鉄分割民営化によって、東海道本線は旅客3社と貨物1社に経営が分かれ、各社の地域事情に合わせた輸送改善が行われるようになった。通勤ラッシュの激しいJR東日本の首都圏地区では列車の定員増加による混雑緩和、他社と競合するJR東海の名古屋地区とJR西日本の京阪神地区では快速列車の増発やスピードアップが図られていった。通勤客向けの通勤ライナーも各地域で相次いで登場した。さらに空港アクセス特急の乗り入れ、1997年(平成9年)からの京阪神緩行電車のJR東西線・宝塚線直通運転、2001年(平成13年)開業の湘南新宿ライン[10]など、新たな運行形態も登場させている。一方、新幹線開業後も残っていた夜行寝台列車は、航空機や高速バスなどに押されて利用者が減少。2009年(平成21年)をもって東京駅発着のブルートレインが姿を消し、その後は電車特急「サンライズ瀬戸・出雲」1往復を残すのみとなった[4]。JR貨物では貨物列車の高速化が行われ、2004年(平成16年)には動力分散式の貨物用電車“スーパーレールカーゴ”の運行を開始している[1]。
年表[編集]
ここでは当路線の線路の変遷や駅の開業・改廃などを中心に記す。*が付いている駅は、後に路線分離により東海道本線の駅ではなくなった駅。列車の運行形態の歴史については「#関連項目」節で挙げられている記事を参照。
新橋駅 - 神戸駅間全通まで[編集]
- 1872年(明治5年)
- 1873年(明治6年)9月15日:新橋駅 - 横浜駅間で貨物営業を開始。日本初の貨物列車の運行日。
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年)5月1日:支線(安治川支線)大阪駅 - 安治川駅間(1M60C≒2.82km)が開業。安治川駅が開業。
- 1876年(明治9年)
- 1877年(明治10年)
- 1879年(明治12年)
- 1880年(明治13年)
- 1881年(明治14年)5月7日:鶴見駅 - 横浜駅間複線化。これにより新橋駅 - 横浜駅間の複線化が完成。
- 1882年(明治15年)5月1日:太湖汽船が琵琶湖上の長浜駅 - 大津駅間に鉄道連絡船を就航。
- 1883年(明治16年)5月1日:関ヶ原駅 - 長浜駅間(14M32C65L≒23.19km)が開業。この区間は伊吹山が途中にあり、これも現在のルートとは異なる。関ヶ原駅・春照駅が開業。長浜駅で官設鉄道金ヶ崎駅方面に接続。
- 1884年(明治17年)5月25日:大垣駅 - 関ヶ原駅間(8M35C32L≒13.59km)が延伸開業。大垣駅・垂井駅が開業。
- 1885年(明治18年)
- 1886年(明治19年)
- 3月1日:武豊駅 - 熱田駅間(20M49C38L≒33.18km)が開業(後の大府駅 - 熱田駅間は7M76C20L≒12.80km)。*武豊駅・*半田駅・*亀崎駅・*緒川駅(初代)・大高駅・熱田駅が開業。この路線は建設資材を武豊港から陸揚げして輸送するために設けられた。
- 4月1日:熱田駅 - 清洲駅間(8M54C80L≒13.98km)が延伸開業。清洲駅(初代、現在の枇杷島駅)が開業。
- 5月1日:清洲駅 - 一ノ宮駅間(6M2C50L≒9.71km)が延伸開業。名護屋駅(現在の名古屋駅)・一ノ宮駅(現在の尾張一宮駅)が開業。
- 6月1日:一ノ宮駅 - 木曽川駅間(3M43C20L≒5.70km)が延伸開業。木曽川駅が開業。
- 1887年(明治20年)
- 1888年(明治21年)
- 1889年(明治22年)
- 2月1日:国府津駅 - 静岡駅間(71M27C≒114.81km)が延伸開業。国府津駅から沼津駅までは途中現在の御殿場線を経由し箱根を避けるように路線を敷設した。*松田駅・*山北駅・*小山駅(現在の駿河小山駅)・*御殿場駅・*佐野駅(現在の裾野駅)・沼津駅・鈴川駅(現在の吉原駅)・岩淵駅(現在の富士川駅)・興津駅・江尻駅(現在の清水駅)・静岡駅が開業。
- 4月16日:静岡駅 - 浜松駅間(47M35C≒76.34km)が延伸開業。この時点で、長浜駅 - 大津駅間琵琶湖の水路を用いることで、関東から関西までの輸送路が一応完成。焼津駅・藤枝駅・島田駅・堀ノ内駅(現在の菊川駅)・掛川駅・袋井駅・中泉駅(現在の磐田駅)が開業。
新橋駅 - 神戸駅間全通以後[編集]
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)
- 1894年(明治27年)
- 1895年(明治28年)
- 4月1日:線路名称制定、新橋駅 - 神戸駅間、大船駅 - 横須賀駅間、大府駅 - 武豊駅間、深谷駅 - 長浜駅間、米原駅 - 敦賀駅 - 金ヶ崎駅間[11]、馬場駅 - 大津駅間を東海道線とする。
- 1896年(明治29年)
- 1896年(明治29年)度:神奈川駅 - 程ヶ谷駅間の軍用短絡線を陸軍省から譲り受ける。
- 1897年(明治30年)3月5日:大谷駅 - 京都駅間が複線化。
- 1898年(明治31年)
- 4月15日:馬場駅 - 大谷駅間複線化され、馬場駅 - 京都駅間の複線化が完成。
- 6月15日:茅ヶ崎駅・三島駅(初代、現在の下土狩駅)が開業。
- 7月10日:天竜川駅開業。
- 7月15日:蒲原駅 - 興津駅間が複線化。
- 8月1日:神奈川駅 - 程ヶ谷駅間の短絡線(2M16C≒3.54km)が開業し、本線に編入。神奈川駅 - 横浜駅間、程ヶ谷駅 - 横浜駅間が支線となる。横浜駅 - 大船駅間が複線化。支線 馬場駅 - 大津駅間の旅客営業再開、石場駅 - 大津駅間改キロ(3C≒0.06km延長)。
- 10月1日:京都駅 - 向日町駅間が複線化。
- 12月15日:大船駅 - 茅ヶ崎駅間が複線化。
- 12月25日:岩淵駅 - 蒲原駅間、興津駅 - 静岡駅間が複線化。
- 1899年(明治32年)
- 1900年(明治33年)
- 1900年(明治33年)度:神山合図所を神山信号所に、野洲川合図所を野洲川信号所に、富士川合図所を富士川信号所に改称。
- 1901年(明治34年)
- 2月5日:国府津駅 - 山北駅間が複線化。
- 3月15日:品川駅 - 大森駅間に大井聯絡所を開設。大井聯絡所 - 大崎駅間で貨物列車の運行開始。
- 6月11日:山北駅 - 小山駅間が複線化。現在の御殿場線にあたる区間の全線複線化完成。
- 8月1日:大井聯絡所 - 大崎駅間(72C≒1.45km)が正式開業。
- 8月23日:大垣駅 - 垂井駅間が複線化。
- 10月10日:平沼駅が開業。
- 11月27日:八幡駅 - 野州駅間が複線化。
- 11月28日:能登川駅 - 八幡駅間が複線化。
- 12月1日:河瀬駅 - 能登川駅間が複線化。
- 12月5日:米原駅 - 河瀬駅間が複線化。
- 12月28日:関ヶ原駅 - 長岡駅間が複線化。
- 1902年(明治35年)
- 1月1日:大津線に紺屋関駅が開業。
- 2月10日:垂井駅 - 関ヶ原駅間が複線化。
- 4月15日:二宮駅が開業。
- 6月16日:野洲駅 - 草津駅間が複線化。野洲川信号所が廃止。
- 9月1日:蒲郡駅 - 岡崎駅間が複線化。
- 11月1日:長岡駅 - 米原駅間が複線化。新橋駅 - 神戸駅間改キロ、同区間で8C≒0.16km延長。米原駅 - 敦賀駅 - 金ヶ崎駅間を北陸線として分離[12]。
- 11月12日:営業距離の単位をマイルのみに変更(新橋駅 - 神戸駅間 375M17C→375.2M、神奈川駅 - 横浜駅間 1M55C→1.7M、程ヶ谷駅 - 横浜駅間 2M38C→2.5M)。
- 12月21日:静岡駅 - 焼津駅間に石部信号所を開設。静岡駅 - 石部信号所間が複線化。
- 1903年(明治36年)
- 1904年(明治37年)
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)
- 3月1日:清洲信号所 - 木曽川駅間複線化。
- 3月15日:金谷駅 - 堀ノ内駅間に友田信号所を、山北駅 - 小山駅間に谷峨信号所を開設。
- 3月27日:名古屋駅 - 枇杷島駅間が複線化。
- 4月8日:枇杷島駅 - 清洲信号所間が複線化。
- 4月9日:興津駅 - 江尻駅間に清見寺仮乗降場を開設。昭憲皇太后の清見寺行啓のためお召し列車が停車した。
- 4月10日:清見寺仮乗降場が廃止。
- 4月19日:清洲信号所が廃止。
- 4月20日:焼津駅 - 島田駅間が複線化。
- 6月13日:大府駅 - 大高駅間が複線化。
- 6月15日:弁天島仮停車場が開業。
- 8月20日:貨物支線(神戸臨港線)灘聯絡所 - 小野浜荷扱所間(2.0M≒3.22km)開業。灘信号所を灘聯絡所に改称。小野浜荷扱所(のちの小野浜駅→神戸港駅)が開業。
- 9月26日:大高駅 - 熱田駅間が複線化。
- 11月1日:貨物支線 沼津駅 - 蛇松駅間 (2.0M)、平塚支線(1.0M≒1.61km)が正式開業。(貨)蛇松駅(後の沼津港駅)が正式開業。神奈川駅 - 横浜駅間および程ヶ谷駅 - 横浜駅間を区間統合し、神奈川駅 - 横浜駅 - 程ヶ谷駅間に変更。
- 12月20日:掛川駅 - 袋井駅間が複線化。
- 1908年(明治41年)ごろ:小野浜荷扱所を小野浜駅に変更。
- 1908年(明治41年)
- 2月2日:刈谷駅 - 大府駅間が複線化。
- 2月10日:西ノ宮駅 - 住吉駅間に戎仮乗降場(初代)が開業。神崎駅 - 西ノ宮駅間に武庫川仮信号所(初代)を、西ノ宮駅 - 住吉駅間に芦屋仮信号所(初代)を開設。西宮神社祭典に伴う列車増発に対応するため。
- 2月12日:戎仮乗降場(初代)・武庫川仮信号所(初代)・芦屋仮信号所(初代)が廃止。
- 2月22日:西ノ宮駅 - 住吉駅間に岡本仮乗降場(初代)が開業。岡本梅林公園への旅客輸送のため。
- 3月16日:岡本仮乗降場(初代)が廃止。
- 3月28日:袋井駅 - 中泉駅間、安城駅 - 刈谷駅間が複線化。
- 4月29日:穂積駅 - 大垣駅間が複線化。
- 6月2日:豊橋駅 - 御油駅間が複線化。
- 6月29日:御油駅 - 蒲郡駅間が複線化。
- 7月29日:岡崎駅 - 安城駅間が複線化。
- 9月11日:芦谷信号所を駅に変更し幸田駅が開業。
- 9月23日:東神奈川駅が開業。
- 10月26日:中泉駅 - 天竜川駅間の天竜川東岸に天竜橋信号所を開設。
- 11月5日:中泉駅 - 天竜橋信号所間が複線化。
- 11月16日:吹田駅 - 大阪駅間に高畑仮信号所を、神崎駅 - 西ノ宮駅間に武庫川仮信号所(2代目)を、西ノ宮駅 - 住吉駅間に芦屋仮信号所(2代目)を開設。神戸港で観艦式開催による列車増発に対応するため開設。
- 11月19日:高畑仮信号所・武庫川仮信号所(2代目)・芦屋仮信号所(2代目)が廃止。
- 1909年(明治42年)
- 2月8日:岡本仮乗降場(2代目)が開業。
- 4月21日:富士駅が開業。
- 6月11日:木曽川駅 - 岐阜駅間に木曽橋信号所を開設。長良信号所が廃止。
- 6月15日:木曽橋信号所 - 岐阜駅間、長良信号所 - 穂積駅間が複線化。
- 10月12日:国有鉄道線路名称制定。新橋駅 - 神戸駅間、支線 神奈川駅 - 横浜駅 - 程ヶ谷駅間、貨物支線 沼津駅 - 蛇松駅間、灘聯絡所 - 小野浜駅間を東海道本線とする。大井聯絡所 - 大崎駅間を山手線貨物支線、大船駅 - 横須賀駅間を横須賀線、大府駅 - 武豊駅間を武豊線、馬場駅 - 大津駅間を大津線として分離。
- 11月1日:用宗駅が開業。用宗駅 - 焼津駅間の石部信号所が廃止。
- 11月24日:用宗駅 - 焼津駅間に石部仮信号所を開設。
- 12月16日:浜松町駅 - 烏森駅間の電車線(0.7M≒1.13km)が開業。浜松町駅 - 品川駅間が複々線化(電車線敷設)。田町駅・浜松町駅・烏森駅(現在の新橋駅)が開業。都心環状線としての山手線の始まり。
- 12月21日:西宮駅 - 住吉駅間に戎仮乗降場(2代目)開業(初代と同目的)。神崎駅 - 西ノ宮駅間に武庫川仮信号所(3代目)を、西ノ宮駅 - 住吉駅間に芦屋仮信号所(3代目)を開設(両者とも廃止日不詳)。
- 1910年(明治43年)
- 2月21日:高槻駅 - 茨木駅間に茨木川仮信号所(初代)を開設。
- 3月6日:富士川信号所 - 岩淵駅間が複線化。
- 3月15日:富士川信号所が廃止。
- 3月29日:京都駅 - 向日町駅間に吉祥院信号所を、向日町駅 - 山崎駅間に神足信号所を、山崎駅 - 高槻駅間に梶原信号所を、高槻駅 - 茨木駅間に富田信号所を、茨木駅 - 吹田駅間に坪井信号所を、吹田駅 - 大阪駅間に山口信号所を、神崎駅 - 西ノ宮駅間に水野信号所を、西ノ宮駅 - 住吉駅間に打出信号所を開設。
- 4月2日:茨木川仮信号所(初代)が廃止。
- 6月25日:烏森駅 - 有楽町駅間の電車線 (0.7M) が延伸開業。有楽町駅が開業。
- 8月24日:蒲原駅 - 興津駅間に洞隧道仮信号所(初代)を開設(廃止日不詳)。
- 9月15日:有楽町駅 - 呉服橋駅間の電車線 (0.7M) が延伸開業。呉服橋駅(東京駅の仮駅)が開業。
- 10月1日:灘聯絡所を駅に変更、(貨)灘駅(初代)が開業。
- 10月6日:用宗駅 - 焼津駅間に磯浜仮信号所を開設。
- 11月1日:磯浜仮信号所 - 焼津駅間が複線化。
- 11月5日:京都駅 - 向日町駅間に梅小路仮信号所、桂川信号所を開設。吉祥院信号所が廃止。
- 12月8日:石部仮信号所廃止。
- 1911年(明治44年)
- 2月25日:梅小路仮信号所を仮停車場とし梅小路仮停車場開業。西本願寺・知恩院の大法会参拝団体客専用の仮駅。
- 3月9日:磯浜仮信号所が廃止。蒲原駅 - 興津駅間に洞隧道仮信号所(2代目)を開設(廃止日不詳)。
- 3月10日:用宗駅 - 磯浜仮信号所間が複線化。
- 3月31日:浜松駅 - 舞坂駅間に高塚信号所を開設。
- 4月10日:江尻駅 - 静岡駅間に草薙信号所を開設。
- 5月1日:貨物支線(名古屋港線)名古屋駅 - 名古屋港駅間(5.0M≒8.05km)が開業。(貨)名古屋港駅開業。程ヶ谷駅 - 戸塚駅間に権現信号所を、戸塚駅 - 大船駅間に久保信号所を、国府津駅 - 松田駅間に下曽我信号所を、御殿場駅 - 佐野駅間に富士岡信号所・岩浪信号所を開設。神山信号所が廃止。
- 5月5日:梅小路仮停車場を聯絡所に変更、梅小路聯絡所を開設。
- 6月28日:名古屋港線 名古屋駅 - 名古屋港駅間で旅客営業開始。
- 9月1日:横浜駅構内扱いとして横浜港荷扱所開設。
- 1912年(明治45年)
- 1913年(大正2年)
- 2月1日:木曽川駅 - 木曽橋信号所間複線化。木曽橋信号所が廃止。
- 3月1日:大津線 (1.3M) を編入し貨物支線とする。同線の石場駅、紺屋関駅廃止。鷲津駅 - 二川駅間に白須賀信号所を開設。
- 3月15日:藤沢駅 - 茅ヶ崎駅間に辻堂信号所を開設。
- 4月5日:大谷駅 - 山科駅間に大塚信号所を開設。
- 6月1日:馬場駅を大津駅(2代目)に、大津駅(初代)を浜大津駅に改称。
- 6月2日:横浜駅構内扱いとして高島荷扱所開設。
- 6月21日:梅小路聯絡所を駅に変更し梅小路駅が開業。
- 8月1日:打出信号所を駅に変更し芦屋駅が開業。天竜川橋梁が複線化され、全線の複線化が完成。
- 10月25日:吹田駅 - 大阪駅間に宮原信号所を開設。山口信号所が廃止。
- 11月27日:袋井駅 - 中泉駅間に原野谷川仮信号所を開設、原野谷川橋梁修繕のため。
- 1914年(大正3年)
- 3月31日:原野谷川仮信号所廃止。
- 4月25日:安土駅が開業。
- 9月13日:駿河駅 - 御殿場駅間に竹ノ下仮信号所を開設。
- 10月24日:岐阜駅 - 穂積駅間に長良川仮信号所(初代)を開設。
- 12月1日:長岡駅を近江長岡駅に改称。
- 12月20日:東京駅、神奈川駅 - 横浜駅間に高島町駅、大井聯絡所を駅に変更し大井町駅が開業。新橋駅(初代)が汐留駅に、烏森駅が新橋駅(2代目)に改称。
- 呉服橋駅廃止。呉服橋駅 - 東京駅間(0.2M≒0.32km)を廃止し、支線 東京駅 - 浜松町駅間 (1.9M) を本線に編入、浜松町駅 - 品川駅間 (2.4M) も本線に計上。新橋駅 - 横浜駅間の客車運転に代えて、東京駅 - 高島町駅間の電車運転(京浜電車、現在の京浜東北線)開始、同時に品川駅 - 横浜駅間複々線化。汐留駅 - 品川駅間 (3.1M) の旅客営業廃止。
- 12月24日:電車線 田町駅 - 品川駅間に伊皿子信号所を開設。
- 1915年(大正4年)
- 1月10日:新居町駅が開業。
- 2月15日:山北駅 - 谷峨信号所間に酒匂仮信号所を、谷峨信号所 - 駿河駅間に相沢仮信号所を開設。
- 2月24日:戎仮乗降場(2代目)、岡本仮乗降場(2代目)廃止。名古屋港線 名古屋駅 - 名古屋港駅間の旅客営業が廃止。
- 4月19日:長良川仮信号所(初代)が廃止。
- 5月10日:天竜橋信号所が廃止。
- 6月20日:酒匂仮信号所・相沢仮信号所が廃止。
- 7月10日:駿河駅 - 御殿場駅間に松沢仮信号所を開設。
- 7月15日:佐野駅を裾野駅に改称。
- 8月15日:神奈川駅 - 程ヶ谷駅間が経路変更(改キロなし)。新線上に横浜駅(2代目、現在の横浜市営地下鉄3号線の高島町駅付近)が開業。高島町駅、旧線上の平沼駅が廃止。横浜駅(初代)を桜木町駅に改称。桜木町駅への支線の起点を神奈川駅から横浜駅に変更(0.7M≒1.13km短縮)。桜木町駅 - 程ヶ谷駅間(2.5M≒4.02km)が廃止。
- この時点での本線と桜木町駅への支線の分岐点は神奈川駅で、横浜駅で両線が立体交差していた。また高島町駅は横浜駅京浜電車ホームとなった。
- 8月30日:松沢仮信号所・竹ノ下仮信号所廃止。
- 12月25日:岐阜駅 - 穂積駅間に長良川仮信号場(2代目)を開設。
- 12月30日:貨物支線(高島線)程ヶ谷駅 - 東横浜駅間(3.3M≒5.31km)が開業。東横浜駅開業。高島荷扱所を桜木町駅から分離し(貨)高島駅開業。支線 横浜駅 - 桜木町駅間電化、貨物営業廃止。京浜電車の運行区間が桜木町駅まで延伸。
- 1916年(大正5年)
- 1月1日:一ノ宮駅が尾張一ノ宮駅に改称。
- 3月3日:長良川仮信号所(2代目)が廃止。
- 4月6日:彦根駅 - 河瀬駅間に高宮川仮信号所を開設(廃止日不詳)。
- 4月15日:由比駅が開業。
- 4月16日:山手線貨物支線 大崎駅 - 大井町駅間が廃止。
- 5月16日:袋井駅 - 中泉駅間に太田川仮信号場(初代)を開設(廃止日不詳)。
- 7月10日:貨物支線(清水港線)江尻駅 - 清水港駅間(1.0M≒1.61km)が開業。*(貨)清水港駅が開業。
- 8月28日:酒匂仮信号所を開設。
- 9月1日:弁天島仮停車場を駅に変更し弁天島駅が開業。
- 11月6日:酒匂仮信号所が廃止。
- 12月1日:辻堂信号所を駅に変更し辻堂駅が開業。
- 12月8日:名古屋港線 八幡聯絡所 - 白鳥駅間(1.1M≒1.77km)が開業。(貨)白鳥駅開業。名古屋港方面と白鳥方面の分岐点に八幡聯絡所を開設。
- 12月13日:袋井駅 - 中泉駅間に太田川仮信号場(2代目)を開設(廃止日不詳)。
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年)
- 1月20日:用宗駅 - 焼津駅間に瀬戸川仮信号所を開設。
- 2月16日:伊皿子信号所が廃止。
- 4月1日:丹那トンネル工事開始。
- 5月1日:貨物支線 川崎駅 - 浜川崎駅間(2.7M≒4.35km)が開業。(貨)浜川崎駅が開業。
- 5月15日:大阪駅 - 神崎駅間に歌島仮信号所を開設。
- 6月1日:篠原信号所を開設。
- 8月1日:貨物支線(北方貨物線)吹田駅 - 宮原聯絡所 - 宮原操車場 - 歌島聯絡所 - 神崎駅間(6.8M≒10.94km)が開業。宮原操車場開設。宮原信号所を宮原聯絡所に、歌島仮信号所を歌島聯絡所に改称。
- 8月25日:瀬戸川仮信号所が廃止。
- 9月10日:貨物支線 熱田駅 - 古渡聯絡所 - 千種駅間(3.0M≒4.83km)、梅小路駅 - 丹波口駅間(1.8M≒2.90km)が開業。
- 1919年(大正8年)
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)
- 2月1日:子安信号所が廃止。
- 2月18日:茅ヶ崎駅 - 平塚駅間に馬入川仮信号所を開設(廃止日不詳)。
- 4月1日:信号所・聯絡所を信号場に、仮信号所を仮信号場に変更。
- 5月15日:下曽我信号場を駅に変更し*下曽我駅が開業。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)
- 1月16日:名古屋駅 - 稲沢駅間が3線化(稲沢線敷設)。
- 2月16日:狼川信号場が廃止。
- 3月10日:貨物支線 宮原信号場 - 歌島信号場間が複線化。
- 10月15日:吹田駅 - 大阪駅間に上淀川仮信号場を開設。吹田駅 - 上淀川仮信号場間が複々線化。
- 12月13日:横浜駅 - 国府津駅間が電化。
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)
- 1月19日:名古屋港線 名古屋港駅 - 堀川口駅間(1.2M≒1.93km)が延伸開業。(貨)堀川口駅が開業。
- 2月12日:大塚信号場・深溝信号場が廃止。
- 3月20日:辻堂駅 - 平塚駅間が複々線化。
- 3月31日:程ヶ谷駅 - 大船駅間が複々線化。
- 6月2日:白須賀信号場が廃止。
- 10月15日:横浜駅が現在地に移転、神奈川駅 - 程ヶ谷駅間経路変更(新線は平沼駅のあった旧線跡を転用、改キロなし)。神奈川駅廃止。この時点では横浜駅に京浜線ホームが開業していなかったため、従来の京浜線の横浜駅東口前に仮ホームを設置し、旧横浜駅京浜線ホームを高島口乗降場として残した。
- 12月1日:(貨)梅田駅・(貨)湊川駅が開業。
- 12月7日:貨物支線 汐留駅 - 品川駅間が電化。
- 1929年(昭和4年)
- 1月24日:茨木駅 - 吹田駅間が複々線化。
- 3月15日:吹田駅 - 大阪駅間に千里信号場を開設。
- 4月9日:熱田駅 - 名古屋駅間に露橋仮信号場を開設。
- 4月17日:梅橋信号場が廃止。
- 7月1日:高塚信号場を駅に変更し高塚駅が開業。
- 7月2日:青島信号場が廃止。
- 7月3日:三河三谷駅が開業。
- 8月21日:貨物支線(品鶴線)品川駅 - 鶴見駅間(11.0M≒17.70km)が開業(複線)。目黒川信号場・新鶴見操車場が開設。鶴見駅 - 横浜駅間が6線化、横浜駅 - 程ヶ谷駅間が複々線化。
- 9月15日:高島線 入江信号場を駅に変更し(貨)入江駅が開業。
- 9月16日:高島線 高島駅 - 程ヶ谷駅間(2.1M≒3.38km)が廃止。
- 1930年(昭和5年)
- 1月26日:横浜駅京浜線ホームが完成し、横浜駅 - 桜木町駅間の現在線が使用開始。高島口乗降場が閉鎖。
- 2月1日:清水港線 清水港駅 - 清水埠頭駅間(0.5M≒0.80km)が延伸開業。*(貨)清水埠頭駅が開業。
- 3月30日:梅小路駅 - 向日町駅間が複々線化[13]。
- 4月1日:貨物支線 熱田駅 - 千種駅間 (3.0M) が廃止。貨物支線 東神奈川駅 - 海神奈川駅間 (2.0km) を横浜線から編入。名古屋港線 八幡信号場 - 白鳥駅間(1.1M→1.9km)の起点を名古屋駅に変更 (+3.0km)。
- 営業距離の単位をマイルからメートルに変更(東京駅 - 神戸駅間 373.5M→601.2km、品川駅 - 汐留駅間 3.1M→4.9km、品川駅 - 鶴見駅間 11.0M→17.8km、川崎駅 - 浜川崎駅間 2.7M→4.1km、鶴見駅 - 横浜港駅間 6.9M→10.9km、東神奈川駅 - 高島駅間 1.4M→2.5km、横浜駅 - 桜木町駅間 1.0M→2.0km、沼津駅 - 蛇松駅間 2.0M→3.2km、江尻駅 - 清水埠頭駅間 1.5M→2.5km、名古屋駅 - 堀川口駅間 6.2M→9.9km、大垣駅 - 美濃赤坂駅間 3.1M→5.0km、馬場駅 - 浜大津駅間 1.3M→2.2km、梅小路駅 - 丹波口駅間 1.8M→2.8km、吹田駅 - 神崎駅間 6.8M→10.7km、東灘駅 - 神戸港駅間 3.0M→4.9km)。
- 8月1日:貨物支線 汐留駅 - 芝浦駅間 (2.8km) が開業。(貨)芝浦駅開業。
- 9月25日:高槻駅 - 茨木駅間が複々線化。
- 10月30日:品鶴線 新鶴見操車場駅 - 鶴見駅間が電化。
- 12月1日:荒尾駅開業。荒尾信号場を南荒尾信号場に改称。
- 1931年(昭和6年)
- 3月27日:名古屋駅 - 枇杷島駅間に栄生仮信号場を開設。露橋仮信号場が廃止。
- 8月1日:神足駅(現在の長岡京駅)が開業。
- 10月1日:程ヶ谷駅を保土ヶ谷駅に改称。
- 1932年(昭和7年)7月8日:千里信号場が廃止。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 2月24日:清洲駅(2代目)開業。
- 3月:名古屋駅 - 稲沢駅間が4線化(稲沢線複線化)。
- 3月1日:高島線 入江駅 - 新興駅間 (2.7km) が開業。(貨)新興駅が開業。
- 5月25日:大阪駅 - 神崎駅間に歌島信号場を開設。
- 6月2日:上淀川仮信号場が廃止。
- 6月15日:高島線 高島駅 - 山内町駅間 (2.6km)、高島駅 - 表高島駅間 (1.3km) が開業。(貨)山内町駅(のちの横浜市場駅)・(貨)表高島駅が開業。
- 7月20日:吹田駅 - 神戸駅間が電化され、電車運転開始。塚本駅・立花駅・甲子園口駅・六甲道駅・元町駅が開業。歌島信号場が廃止。
- 9月15日:馬場駅を膳所駅に改称。
- 9月17日:山科駅 - 京都駅間に東山仮信号場を開設。
- 10月1日:三島駅(初代)を下土狩駅に改称。
熱海線[編集]
- 1920年(大正9年)10月21日:熱海線 国府津駅 - 小田原駅間(3.9M≒6.28km)が開業。小田原駅が開業。途中に酒匂川信号所を開設。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)6月1日:酒匂川信号場を駅に変更し鴨宮駅が開業。
- 1924年(大正13年)10月1日:真鶴駅 - 湯河原駅間(2.1M≒3.38km)が延伸開業。湯河原駅が開業。
- 1925年(大正14年)3月25日:湯河原駅 - 熱海駅間(3.4M≒5.47km)が延伸開業。熱海駅が開業。
- 1926年(大正15年)
- 1928年(昭和3年)2月5日:小田原駅 - 熱海駅間が電化。小田原駅 - 湯河原駅間が複線化。
- 1930年(昭和5年)
- 4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(16.7M→26.9km)。
- 1934年(昭和9年)11月6日:湯河原駅 - 熱海駅間が複線化。
丹那トンネル開通後[編集]
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)
- 2月1日:名古屋駅付近高架化・経路変更。(貨)笹島駅が開業。
- 2月2日:栄生仮信号場が廃止。
- 3月15日:名古屋汎太平洋平和博覧会開催により、八幡信号場 - 名古屋港駅間に名古屋博覧会前駅が開業。
- 5月23日:東灘駅 - 神戸駅間が複々線化。
- 6月1日:名古屋博覧会前駅が廃止。
- 10月10日:京都駅 - 吹田駅間が電化。大阪駅 - 塚本駅間が複々線化。
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 8月1日:品鶴線 品川駅 - 新鶴見操車場間が電化。
- 11月1日:小野浜駅に神戸港駅(こうべみなとえき)を併合 (-1.5km)、小野浜駅が神戸港駅(こうべこうえき)に改称。
- 1940年(昭和15年)
- 4月1日:東淀川駅が開業。
- 6月1日:舞坂駅を舞阪駅に改称。
- 11月1日:共和駅が休止。
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 7月1日:清水港線 清水港駅 - 清水埠頭駅間改キロ (-0.2km)、清水埠頭駅 - 三保駅間 (6.0km) 延伸開業。*(貨)巴川口駅・*(貨)三保駅が開業。
- 10月11日:大垣駅 - 新垂井駅 - 関ヶ原駅間に下り列車用の迂回線 (13.8km) が完成、同区間を下り本線とし垂井駅経由の下り本線を撤去。新垂井駅が開業。
- 12月1日:貨物支線(清水港線)を旅客営業開始に伴い清水港線 (8.3km) として分離。(貨)山内町駅が(貨)横浜市場駅に改称。膳所駅 - 京都駅間が3線化(上り2線・下り1線)[13]。
- 12月:用宗駅 - 焼津駅間の経路を石部トンネル経由から内陸側の日本坂トンネル経由に変更[13]。
- 1945年(昭和20年)
- 1月1日:名古屋港線 名古屋駅 - 名古屋港駅間の旅客営業が廃止。東海橋乗降場が廃止。
- 6月10日:西伊奈信号場を開設。
- 7月11日:共和駅が営業再開。
戦後[編集]
- 1946年(昭和21年)
- 6月28日:由比駅 - 興津駅間に洞仮信号場(2代目)を開設。
- 9月13日:洞仮信号場(2代目)が廃止。
- 11月1日:大垣駅 - 垂井駅 - 関ヶ原駅間の下り線専用の支線が開業(旧下り本線が復活)。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)8月1日:西伊奈信号場を駅に変更し西小坂井駅が開業。御油駅を愛知御津駅に改称。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 5月20日:品川駅 - 新鶴見操車場間に丸子信号場を開設。
- 6月1日:貨物支線(西名古屋港線)笹島駅 - 西名古屋港駅間 (12.6km) が開業。(貨)西名古屋港駅が開業。
- 1952年(昭和27年)11月15日:尾張一ノ宮駅を尾張一宮駅に改称。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1月1日:名古屋港線(貨)堀川口駅が移転 (+1.5km)。
- 4月15日:東京駅 - 有楽町駅間に1線増設し常磐線の電車が有楽町駅まで乗り入れ開始。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)4月1日:貨物支線 東神奈川駅 - 海神奈川駅間 (2.0km)、高島線 東神奈川駅 - 東高島駅間 (1.5km) が廃止。(貨)海神奈川駅が廃止。
- 1960年(昭和35年)3月1日:三河大塚仮停車場を駅に変更し三河大塚駅開業。
- 1961年(昭和36年)4月6日:貨物支線(梅田貨物線)吹田駅 - 梅田駅間 (7.6km)、梅田駅 - 福島駅間 (1.0km)、神戸臨港線 神戸港駅 - 湊川駅間 (2.4km) に営業キロを設定。吹田駅 - 大阪駅 - 尼崎駅間の貨物営業が廃止。
- 1962年(昭和37年)
- 1964年(昭和39年)
東海道新幹線開業後[編集]
- 1965年(昭和40年)
- 3月18日:梅田貨物線 梅田駅 - 福島駅間改キロ (-0.1km)。
- 7月:目黒川信号場・蛇窪信号場が廃止。
- 7月1日:高島線 横浜港駅 - 山下埠頭駅間 (2.0km) 開業。(貨)山下埠頭駅開業。
- 10月1日:貨物支線 品川駅 - 汐留駅間および汐留駅 - 芝浦駅間を区間統合し、品川駅 - 芝浦駅間に表示を変更。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)10月1日:新蒲原駅が開業。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)10月1日:貨物支線(東海道貨物線) 汐留駅 - 東京貨物ターミナル駅 - 塩浜操駅間 (16.5km) が開業[13]。貨物支線 川崎駅 - 小田操車場駅 - 浜川崎駅間 (4.1km) が廃止。塩浜操駅 - 浜川崎駅間改キロ (-0.1km)。(貨)東京貨物ターミナル駅が開業。小田操車場が廃止。
- 1974年(昭和49年)
- 9月1日:貨物支線 沼津駅 - 沼津港駅間 (3.0km) が廃止。(貨)沼津港駅が廃止。
- 10月1日:六甲道駅 - 神戸港駅間の旅客営業廃止。梅田貨物線 吹田駅 - 梅田駅間および梅田駅 - 福島駅間を区間統合し表示を吹田駅 - 福島駅間に、神戸臨港線 六甲道駅 - 神戸港駅間および神戸港駅 - 湊川駅間を区間統合し表示を六甲道駅 - 湊川駅間に変更。
- 1976年(昭和51年)
- 1978年(昭和53年)10月1日:名古屋港線 白鳥駅 - 名古屋市場駅間 (1.2km) が廃止。(貨)名古屋市場駅が廃止。
- 1979年(昭和54年)10月1日:東海道貨物線 鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 戸塚駅間 (20.2km) が開業[13]。大船駅 - 小田原駅間の複々線化が完成[13]。(貨)横浜羽沢駅が開業。(貨)東横浜駅を信号場に変更し東横浜信号場開設。東海道貨物線 汐留駅 - 浜川崎駅間および浜川崎駅 - 鶴見駅間を区間統合し表示を汐留駅 - 鶴見駅間に変更。
- 1980年(昭和55年)10月1日:品鶴線 品川駅 - 鶴見駅間に横須賀線電車が乗り入れ旅客営業を開始(SM分離)[13]。貨物支線 尼崎駅 - 尼崎市場駅間 (1.5km)、名古屋港線 名古屋港駅 - 堀川口駅間 (3.4km) が廃止。新川崎駅・東戸塚駅・*(貨)名古屋貨物ターミナル駅開業。(貨)堀川口駅・(貨)尼崎市場駅が廃止。東戸塚駅 - 戸塚駅間が本線と東海道貨物線の重複区間となる。
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物支線 千里丘駅 - 吹田操車場駅 - 大阪貨物ターミナル駅間 (10.3km) が開業、岸辺駅 - 吹田操車場駅 - 大阪貨物ターミナル駅間 (8.8km) にも営業キロ設定(千里丘駅 - 吹田操車場間、吹田操車場駅 - 岸辺駅間は本線との重複区間)。高島線 高島駅 - 表高島駅間 (1.3km)、東高島駅 - 横浜市場駅間 (1.2km)、名古屋港線 名古屋駅 - 八幡信号場 - 白鳥駅間 (4.9km) が廃止。(貨)大阪貨物ターミナル駅開業。(貨)表高島駅・(貨)横浜市場駅・(貨)白鳥駅廃止。横浜港駅を信号場に変更し横浜港信号場開設。品川駅 - 芝浦駅間を区間分離し表示を品川駅 - 汐留駅間および汐留駅 - 芝浦駅間に表示を変更。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物支線 汐留駅 - 東京市場駅間 (1.1km)、梅小路駅 - 京都市場駅間 (1.8km) が廃止。(貨)東京市場駅・(貨)京都市場駅が廃止。新鶴見操車場・吹田操車場を信号場に変更し新鶴見信号場・吹田信号場開設。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 4月2日:西大井駅が開業。
- 4月26日:六合駅が開業。
- 11月1日:高島線 横浜港信号場 - 山下埠頭駅間 (2.0km) 、神戸臨港線 神戸港駅 - 摩耶埠頭駅間 (4.5km) が廃止。(貨)岐阜貨物ターミナル駅・西岐阜駅が開業。(貨)汐留駅・(貨)山下埠頭駅・(貨)笹島駅・新垂井駅・(貨)摩耶埠頭駅が廃止。(貨)高島駅を信号場に変更し高島信号場開設。汐留駅廃止により、品川駅 - 東京貨物ターミナル駅間改キロ (-6.8km)。高島駅廃止により貨物支線 高島駅 - 桜木町駅間の起点を東高島駅に変更 (+1.0km) 。笹島駅廃止により笹島駅 - 西名古屋港駅間の起点を名古屋駅に変更(改キロなし)。
- 1987年(昭和62年)
分割民営化以降[編集]
以降、【東】はJR東日本、【海】はJR東海、【西】はJR西日本、【貨】はJR貨物に関する出来事を表す。
- 1987年(昭和62年)
- 4月1日:国鉄分割民営化。東京駅 - 熱海駅間など計176.2kmを東日本旅客鉄道が、熱海駅 - 米原駅間など計372.7kmを東海旅客鉄道が、米原駅 - 神戸駅間など計166.1kmを西日本旅客鉄道が、貨物支線3線区計18.3kmを日本貨物鉄道が継承。
- 東海道貨物線 品川駅 - 東京貨物ターミナル駅間改キロ (+4.4km)。品川駅 - 鶴見駅間の区間を分割し、品川駅 - 浜川崎駅、鶴見駅 - 八丁畷駅間とする (-3.0km)。鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 戸塚駅間の終点を東戸塚駅に (-4.2km)、名古屋港線 名古屋駅 - 名古屋港駅間の起点を山王信号場に (-1.8km)、貨物支線 千里丘駅 - 大阪貨物ターミナル駅間の起点を吹田信号場に (-1.6km)、神戸臨港線 六甲道駅 - 神戸港駅間の起点を東灘信号場に変更 (-1.4km)。
- 高島線 鶴見駅 - 高島駅間および高島駅 - 桜木町駅間を区間統合し表示を鶴見駅 - 桜木町駅間に変更。
- 高島線 鶴見駅 - 新興駅 - 東高島駅間 (11.0km)、貨物支線 岸辺駅 - 大阪貨物ターミナル駅間 (8.8km)、神戸臨港線 灘駅 - 神戸港駅間 (4.3km) の営業キロ設定を廃止。
- 東海道貨物線 浜松町駅 - 浜川崎駅間、鶴見駅 - 八丁畷駅間、鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間、高島線 高島駅 - 桜木町駅間、貨物支線 梅小路駅 - 丹波口、北方貨物線 吹田駅 - 尼崎駅間、梅田貨物線 吹田駅 - 梅田駅 - 福島駅間で旅客営業開始。浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅間の貨物営業廃止。
- 大垣駅 - (新垂井)駅 - 関ヶ原駅間の下り専用線が本線であったのを、大垣駅 - 垂井駅 - 関ヶ原駅間の下り線を本線扱いに変更。大垣駅 - (新垂井)駅 - 関ヶ原駅間は支線となる。
- 7月1日:【海】第二種鉄道事業が開業(山王信号場 - 名古屋港駅間 6.2km)。(臨)ナゴヤ球場正門前駅が開業。
- 4月1日:国鉄分割民営化。東京駅 - 熱海駅間など計176.2kmを東日本旅客鉄道が、熱海駅 - 米原駅間など計372.7kmを東海旅客鉄道が、米原駅 - 神戸駅間など計166.1kmを西日本旅客鉄道が、貨物支線3線区計18.3kmを日本貨物鉄道が継承。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)3月10日:
- 【西】貨物支線 梅小路駅 - 丹波口駅間が電化。
- 【貨】塩浜操駅を川崎貨物駅に改称。
- 1991年(平成3年)
- 1993年(平成5年)3月18日:【貨】東静岡駅を静岡貨物駅に改称。
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)10月1日:
- 【東】東海道貨物線 品川駅 - 浜松町駅間 (3.7km) 廃止。
- 【西】甲南山手駅が開業。
- 1998年(平成10年)
- 2001年(平成13年)
- 2003年(平成15年)
- 3月31日:【海】西名古屋港線 名古屋駅 - 名古屋貨物ターミナル駅間改キロ(3.9km→7.0km)。
- 12月1日:【貨】神戸港臨港線 東灘信号場 - 神戸港駅間 (3.4km) が廃止。神戸港駅が廃止。
- 2004年(平成16年)10月6日:【海】西名古屋港線 名古屋駅 - 名古屋貨物ターミナル駅間が名古屋臨海高速鉄道に転換。
- 2006年(平成18年)4月1日:【貨】第二種鉄道事業(梅小路駅 - 丹波口駅間 3.3km)が廃止。
- 2007年(平成19年)3月18日:
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)3月14日:【海】南大高駅が開業。
- 2010年(平成22年)3月13日:【東】品鶴線に武蔵小杉駅横須賀線ホームが開業。
- 2011年(平成23年)3月12日:【貨】梅小路駅を京都貨物駅に改称。
- 2012年(平成24年)3月17日:【海】相見駅が開業。
- 2013年(平成25年)
- 3月16日:【貨】(貨)吹田貨物ターミナル駅開業。[17]
- 4月1日:【貨】【西】(貨)梅田駅が廃止され[17]、梅田信号場となる。
運行形態[編集]
東海道本線全線の運行形態の概要を以下に示す[18]。
優等列車[編集]
1964年の東海道新幹線開業前は、「つばめ」「はと」「こだま」をはじめとする優等列車(特急・急行・準急)が多数運行されており、当路線沿線の各都市間を結んでいた。しかし東海道新幹線開業後は都市間連絡鉄道としての機能を新幹線に譲ったため、当路線内のみの優等列車は縮小されていき、国鉄時代から準急・急行・特急と種別を変えながら最後まで残った「東海」も2007年に廃止された。現在当路線全線を通して運行する昼行優等列車は設定されておらず、線内のみを運行する優等列車はJR化後に新設された通勤特急「びわこエクスプレス」のみとなっている。一方、当路線の一部区間を経由して伊豆半島・甲信地方・岐阜県飛騨地方・北陸地方・北近畿・山陰地方など他路線沿線へ向かう優等列車は現在に至るまで存続し、さらに民営化後には貨物線などの有効活用によって新たに南紀方面の列車や、成田国際空港・関西国際空港へのアクセス特急が乗り入れるようになった。なお現在、三島駅 - 富士駅間および静岡駅 - 名古屋駅間には定期昼行優等列車の設定が無い。
夜行優等列車についてはかつて、線内で運行される急行列車や、当路線沿線と山陰・四国・九州・北陸・東北方面を結ぶ寝台特急・急行が多数存在し、このうち客車を使用した寝台列車はブルートレインと呼ばれた。しかし分割民営化後は、利用者の減少により列車の廃止・統合などが行われていき、東海道本線を定期列車として走行するブルートレインは2012年の「日本海」の臨時列車化をもって姿を消した。現在定期列車として残る夜行列車は電車を使用したサンライズエクスプレスのみである。
2012年3月改正時点の各列車の東海道本線内の走行区間は以下のとおり。(*)印の駅は全列車が通過する。全運行区間など各列車の詳細については当該列車の記事を、過去の列車については下記の列車項目および「#関連項目」節で挙げた項目を参照。
- 昼行列車
- 以下はすべて特急列車である。
- 首都圏発着
- 静岡発着
- 名古屋地区発着
- 京阪神地区発着
- 線内のみ : 「びわこエクスプレス」(米原駅 - 大阪駅間)
- 信州方面(中央西線直通) : 「しなの」(名古屋駅 - 大阪駅間)
- 北陸方面(湖西線・北陸本線直通) : 「サンダーバード」(山科駅(*) - 大阪駅間)
- 関西空港方面(阪和線・関西空港線直通) : 「はるか」(米原駅 - 京都駅 - 新大阪駅 - 福島駅(*)間[※ 3])
- 南紀方面(阪和線・紀勢本線直通) : 「くろしお」(京都駅 - 新大阪駅 - 福島駅(*)間[※ 3])
- 北近畿方面(福知山線直通) : 「こうのとり」(新大阪駅 - 尼崎駅間)
- 北近畿方面(播但線直通) : 「はまかぜ」(大阪駅 - 神戸駅間)
- 山陰方面(智頭急行智頭線直通) : 「スーパーはくと」(京都駅 - 神戸駅(*)間)
- 夜行列車
- * 東京発着
- ** 四国方面 : 寝台特急「サンライズ瀬戸」(東京駅 - 神戸駅(*)間)
- ** 山陰方面 : 寝台特急「サンライズ出雲」(東京駅 - 神戸駅(*)間。当路線内では「サンライズ瀬戸」と併結運転)
- * 大阪発着北海道方面 : 臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」(山科駅(*) - 大阪駅間。臨時列車だが、恒常的に週4往復運行)
注記
普通列車[編集]
電化前の客車列車時代には長距離・長編成の普通列車が多く運行されており、その中には東京駅から九州の門司駅までの1123.9kmを丸1日以上かけて運行される普通列車もあった。電車運転となった後にも東京駅 - 米原駅間445.9kmを走行する普通列車が設定されていたことがある[脚注 5][7]。京浜地区や京阪神地区では戦前から電車(省電・国電)による短距離・高頻度運転が行われていたが、それ以外の地区では長年貨物列車や長距離列車が優先され、地域輸送列車の運行には大きな制約が課せられていた。
しかし、鉄道貨物輸送の減少や新幹線開業による優等列車の減少により線路に余裕が生まれたことにより、1984年からは各地区で近距離旅客列車(いわゆるシティ電車)の増発が行われ、高頻度の地域輸送が実施されるようになった。1987年の国鉄分割民営化によって3社に分割されて以降は、JR東日本の首都圏、JR東海の静岡地区と名古屋地区、JR西日本の京阪神地区のそれぞれで頻回運行の普通列車(快速列車を含む)が各社によって設定され、地域事情に合わせたダイヤや車両が運用されている。民営化から20年以上が経過した現在、普通列車はほとんどが各地区内で完結する運行となり、地区間をまたがる列車は朝夕時間帯のわずかな本数のみに限られている。
なお夜行の普通列車としては、東京駅と大垣駅を結ぶ長距離列車(いわゆる大垣夜行)が民営化後まで存続し、1996年からは指定席制の快速「ムーンライトながら」として運行されていたが[19]、2009年以降は臨時列車として多客期に運行されるのみとなっている[20]。
以下に、各地区ごとの普通列車の運行形態の概要を述べる。
東京駅 - 熱海駅間(JR東日本 首都圏地区)[編集]
人口の集中が著しい首都圏では東海道本線も有数の通勤路線となっており、他地区と比べて圧倒的な利用者数を有する。京浜地区では古くから長・中距離列車と分離した近距離電車の運行が行われ、現在も以下の運行系統がそれぞれ専用の線路で運行されている。
- 東海道線 : 列車線を通り、藤沢駅・小田原駅方面へ向かう中距離列車で、電車列車の導入以来「湘南電車」と呼ばれていた。京浜東北線や横須賀線と並行する東京駅 - 大船駅間では主要駅のみ停車する。詳細は後述。
- 横須賀線[脚注 1] : 東京駅から横浜駅・大船駅を経由して三浦半島の逗子駅・久里浜駅方面へ向かう。東京駅 - 大船駅間では東海道本線を走行。上述の東海道線列車と長らく線路を共用していたが、1980年より独立した線路での運行となり、同時に総武快速線との直通運転を開始。東京駅 - 品川駅間は地下線、品川駅 - 鶴見駅(通過)間は支線の品鶴線経由となった[9][21]。
- 湘南新宿ライン : 品鶴線と山手貨物線を使用して渋谷駅・新宿駅・池袋駅を経由し、東海道本線大船駅以西と高崎線の相互間、横須賀線と東北本線(宇都宮線)大宮駅以北の相互間をそれぞれ直通運転する。民営化後の2001年12月1日より運行を開始した[10]。
- 京浜東北線[脚注 1] : 東京駅 - 横浜駅間の電車線で運行される近距離電車。東北本線電車線および根岸線と一体化し大宮駅 - 大船駅間を結ぶ。各駅停車が基本だが、1988年より日中に東京都心部で快速運転を行っている[22]。
- 山手線[脚注 1] : 東京都中心部を環状運転する電車。東京駅 - 品川駅間で東海道本線電車線を走行する。全電車各駅停車。昭和時代前半まで京浜東北線と線路を共用していたが、1956年より分離され独立した線路で運行されている[21]。
- 横浜線 : 東神奈川駅を起点に八王子駅までを結ぶ路線だが、一部電車が京浜東北・根岸線へ直通(東神奈川駅 - 横浜駅間が東海道本線区間)。
首都圏地区の東海道線中距離列車は、横須賀線との線路分離後から民営化後にかけて列車本数の増発や快速列車・通勤ライナーの設定などの輸送改善が行われ、2001年からは旧来からの東京駅発着の系統のほかに前述の湘南新宿ラインが加わり、東海道沿線と渋谷・新宿・池袋の副都心地区、さらには高崎線とが1本の列車で結ばれるようになった[22][10]。一方でJR東海管内へ直通する普通列車は民営化後に徐々に削減され、現在では沼津駅への列車が朝夕夜に残るのみで、国府津駅から御殿場線への直通は無い。また伊東線直通列車も朝夕夜が中心となった。
日中は、東京駅発着列車は1時間あたり快速「アクティー」1本と普通5本が運行される。一部列車は平塚駅や小田原駅止まりとなり、小田原駅 - 熱海駅間は毎時3 - 4本の運行となる。湘南新宿ラインは特別快速が小田原駅まで毎時1本、快速(戸塚駅以西は普通と同じく各駅に停車)が平塚駅まで毎時1本運行される。平日朝ラッシュ時の上り方面は2 - 3分間隔の高密度運行となり、ほかに朝夕には「湘南ライナー」など座席定員制の通勤ライナー(一部貨物線経由)、平日夕ラッシュ時下り方面には川崎駅・横浜駅を通過する通勤快速も運行される。
将来は東北・上越新幹線建設工事に伴って一度廃止された東北本線東京駅 - 上野駅間の列車線を復活させ、宇都宮線・高崎線・常磐線との相互直通運転が2014年度末から行われる予定となっている(上野東京ライン)[23][24][25]。このほかに東海道貨物線・品鶴線を利用して相模鉄道との直通運転を行う計画(相鉄・JR直通線)[26]がある。
熱海駅 - 豊橋駅間(JR東海 静岡地区)[編集]
静岡県地区では国鉄末期の1984年より、静岡駅を中心とした区間に短距離列車「するがシャトル」を設定して高頻度・等時間隔ダイヤ運行が開始され、民営化後は静岡駅周辺に加えて同県東部の三島駅・沼津駅周辺、同県西部の浜松駅周辺の3都市圏に重点を置いたダイヤが組まれた。この静岡地区では都市圏の範囲が他地域に比べて狭く、各駅停車による近距離輸送が中心となっている。2007年3月改正での通勤快速の廃止以降、同県内中心の快速列車の設定はなく、名古屋地区から乗り入れる快速列車も含めて各駅に停車する。
日中、三島駅 - 沼津駅間では毎時5本、興津駅 - 静岡駅 - 島田駅間では毎時6本、掛川駅 - 浜松駅間では毎時4本、それ以外の区間では毎時3 - 4本の普通が運行される。朝夕夜には御殿場線や身延線との直通列車が運行されるほか、熱海駅 - 沼津駅間ではJR東日本からの直通列車、静岡駅・浜松駅 - 豊橋駅間では名古屋地区からの直通列車がある。沼津駅 - 浜松駅間では乗車整理券制のホームライナーも運行される。
豊橋駅 - 米原駅間(JR東海 名古屋地区)[編集]
名古屋を中心とした中京都市圏では豊橋駅 - 名古屋駅 - 岐阜駅間で競合する名古屋鉄道への対抗のため、1971年より電車による快速列車が登場した。1980年代以降は列車本数の大幅な増加や等時隔ダイヤ化により“国電型ダイヤ”が形成され、さらに民営化後は新快速・特別快速といった新列車種別の設定、武豊線直通列車の拡大などが行われ、現行のダイヤに至っている[27][28]。
日中は快速列車が豊橋駅 - 大垣駅間で毎時4本、各駅に停車する普通が豊橋駅 - 大府駅間で毎時2 - 3本、大府駅 - 岐阜駅間で毎時4本の運行であり、岐阜駅 - 大垣駅では快速列車が各駅停車の役割を担う。朝夕には浜松駅や米原駅まで直通する列車があるほか、大府駅 - 名古屋駅間では武豊線直通列車が運行される。また名古屋駅 - 関ヶ原駅間ではホームライナーが運行される。輸送密度の低い大垣駅 - 米原駅間は日中毎時2本の普通がピストン運行され、朝・深夜にはJR西日本からの直通列車がある。同区間は快速列車も各駅に停車する。
大垣駅 - 美濃赤坂駅間の支線(美濃赤坂線)は、朝夕は毎時1 - 2本、日中は2 - 3時間に1本の運行で、2012年より一部列車をのぞいてワンマン運転が行われている[29]。
米原駅 - 神戸駅間(JR西日本 京阪神地区)[編集]
近畿圏では神戸駅以西の山陽本線、および米原駅から北へ伸びる北陸本線の直流電化区間と一体化した運行体系である。京都駅 - 大阪駅 - 神戸駅間の京阪神間では阪急電鉄・京阪電気鉄道・阪神電気鉄道と競合するため、対抗策として戦前から急行電車[脚注 3]による速達運転が行われ、現在ではその流れを受け継ぐ快速に加えて1970年に新設された新快速が頻繁に運行されている[27]。なお快速は高槻駅以東(朝は京都駅以東)では普通として運行される。ほかに京阪神間では通勤型電車を使用した普通(緩行電車)も運行されている。国鉄末期の1986年改正以降は草津駅以西の方向別複々線[脚注 6]が有効活用され[27]、基本的には列車の速さで線路を使い分ける形態だが、首都圏のような完全な系統分離ではなく、時間帯や区間に応じて柔軟な使い分けがなされている。
日中のダイヤでは1時間あたり米原駅 - 野洲駅間で新快速2本と普通2本、野洲駅 - 山科駅間では新快速3本と普通4本、山科駅以西では湖西線直通の新快速1本を加えた新快速4本と快速(高槻駅以東普通)4本の体制となっている。朝夕には草津線に直通する列車が運行され、早朝・深夜にはJR東海の大垣駅へ直通する快速(高槻駅以東普通)が3往復ある。緩行電車は高槻駅以西で日中1時間あたり8本の運行で、1997年のJR東西線開通時より尼崎駅経由で高槻方面と福知山線(JR宝塚線)相互、神戸方面とJR東西線相互の直通運転が行われている。
上記以外に山科駅 - 京都駅間では京都駅発着の湖西線列車、大阪駅 - 尼崎駅間は大阪駅発着の福知山線列車が乗り入れている。
貨物列車[編集]
貨物列車は新橋駅 - 横浜駅開業から約1年後の1873年9月15日に運行が開始され[5]、以来、国鉄末期に運行規模の大幅縮小はあったものの、東海道本線では約140年間にわたって貨物列車の運行が続いている。
2012年3月改正時点では、鶴見駅と吹田信号場との間には、定期列車で1日45往復ほどのコンテナ高速貨物列車が運行されている。このうち1往復は東京貨物ターミナル駅と桜島線安治川口駅とを結ぶM250系貨物電車(スーパーレールカーゴ)を使用した列車であり、両駅間を6時間12分で結んでいる。首都圏と名古屋圏・京阪神圏とを結ぶ列車のほか、北海道・東北・山陽・九州などを発着する列車も当路線を経由しており、加えて米原駅・山科駅以西では北陸本線などの日本海縦貫線に直通する列車が1日10往復ほど運行されている。これらの列車の多くは、旅客列車の運行の少ない深夜帯に当路線を走行しており、多い時間帯には1時間当たり6本の貨物列車が走っている。また、石灰石輸送などを目的とした専用貨物列車が大府駅 - 稲沢駅間や笠寺駅 - 美濃赤坂駅間で運行されている。新規製造された鉄道車両の甲種輸送も不定期に行われている[30]。[31]
東海道本線上の駅で定期貨物列車の発着があるのは、東京貨物ターミナル駅・川崎貨物駅・横浜羽沢駅・相模貨物駅・沼津駅・富士駅・静岡貨物駅・西浜松駅・稲沢駅・岐阜貨物ターミナル駅・京都貨物駅・吹田貨物ターミナル駅・大阪貨物ターミナル駅である(2013年3月16日改正時点)。また川崎貨物駅・笠寺駅・美濃赤坂駅で貨物専用路線に接続している。[31][17]
なお首都圏の小田原駅以東、および大阪付近の茨木駅 - 尼崎駅間では、貨物列車は旅客列車とは別の専用の線路を走行し(貨客分離)、特に東戸塚駅以東と新大阪駅 - 尼崎駅間では走行経路も旅客列車とは異なっている。また名古屋駅 - 尾張一宮駅間では通称“稲沢線”と呼ばれる貨物専用の線路が並行する。
そのほか[編集]
- 荷物列車
- 国鉄時代には、旅客列車・貨物列車のほかに荷物列車も運行されていた。旅客列車の下り大阪・神戸側に荷物車を連結することがあったほか、機関車牽引の荷物専用列車も運行された[7]。これらは民営化直前の1986年11月にすべて廃止されている。廃止直前の時点では、汐留駅と九州とを結ぶ急行荷物列車が1日5往復、岐阜駅と東北本線青森駅とを結ぶ急行荷物列車が1日1往復、貨物列車と同様の経路で運行されていた[32]。
- 修学旅行列車
- 1959年からは155系電車などの専用車両を使用した「ひので」「きぼう」「こまどり」などの列車名を名乗る修学旅行列車が運行された。これらは1965年ごろにピークを迎えたが、やがて修学旅行輸送は新幹線へと移行し、在来線の修学旅行列車は1973年までに姿を消した[19]。
使用車両[編集]
この節では当路線でこれまで使用されてきた主な車両を、普通列車用・優等列車用・機関車など、の3項目に分けて列挙する。
旅客列車に関しては開業時から電化完成後しばらくの間まで、主に機関車(電化前は蒸気機関車、電化後は電気機関車)が客車を牽引する客車列車が多く運用されていた。1950年(昭和25年)より東京口において中距離電車の運転が始まって以降は客車列車の電車化が進み、1968年(昭和43年)10月からは他路線に直通する列車を除いて全面的に電車運転となった[19]。なお直流電化である当路線内で運転される電車は基本的に直流用電車であり、交流電化の北陸本線などに直通する列車には交直流電車、非電化線区に直通する列車には気動車(ディーゼルカー)が用いられている。貨物列車は1日1往復の電車式“スーパーレールカーゴ”を除き、機関車が貨車を牽引している。
ここでは貨車・事業用車、および国鉄時代に使用された郵便車・荷物車は割愛する。運用区間や車両仕様などの詳細情報は車両の記事、または本記事冒頭で挙げた地域別の記事を参照。
優等列車用車両[編集]
東海道本線内運行の優等列車(特急列車・急行列車)用の車両と運用列車を挙げる。前述のとおり、現在は東海道本線経由で三大都市圏間を結ぶ昼行列車は存在せず、直通先の路線環境や列車の用途に合わせた性能や車内設備を持った車両が各社によって設計・投入されている。間合い運用で普通列車や通勤ライナーに運用されるものも存在する。
以下、事業者名表記の無いものは国鉄の形式、あるいは国鉄からJR各社に継承された形式である。
過去の車両[編集]
- 客車
- 直流電車
- 80系(300番台車) : 準急「あまぎ」「東海」「比叡」
- 151系・181系 : 「こだま」「つばめ」「はと」など特急
- 153系 : 「東海」「比叡」など各準急・急行、東京駅 - 大垣駅間の夜行列車(大垣夜行)、京阪神地区の新快速、名古屋地区の快速
- 155系・159系・167系 : 修学旅行用団体列車「ひので」「きぼう」など
- 157系 : 「ひびき」「あまぎ」など特急・急行
- 165系 : 「東海」「ごてんば」など急行、大垣夜行など
- 183系・189系 : 特急「あまぎ」「踊り子」、首都圏の通勤ライナー、臨時快速「ムーンライトながら」
- JR西日本183系(485系からの改造車) : 特急「こうのとり」
- JR東日本E351系 : 首都圏の通勤ライナー
- 交直流電車
- 気動車
現用車両[編集]
- 客車
- 24系客車 : 寝台特急「トワイライトエクスプレス」。過去には各寝台特急・急行(ブルートレイン)
- 直流電車
- 185系 : 特急「踊り子」、「湘南ライナー」など首都圏の通勤ライナー、臨時快速「ムーンライトながら」。過去には普通運用も存在
- 381系 : 特急「くろしお」「こうのとり」。過去には特急「しなの」
- JR東日本251系 : 特急「スーパービュー踊り子」、「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原」
- JR東日本253系 : 特急「日光」(臨時延長運行時)。過去は特急「成田エクスプレス」用
- JR東日本E257系 : 500番台車が「おはようライナー逗子」「ホームライナー逗子」で使用。過去には0番台車が東海道線通勤ライナーで使用
- JR東日本E259系 : 特急「成田エクスプレス」、臨時特急「マリンエクスプレス踊り子」
- JR東海371系 : 静岡地区の臨時快速[35]。過去には静岡地区のホームライナー
- JR東海373系 : 特急「ふじかわ」、静岡地区のホームライナー・普通。過去には特急「東海」、快速「ムーンライトながら」、名古屋地区のホームライナー、東京駅 - 静岡駅間の普通など
- JR東海383系 : 特急「しなの」のうち、大阪駅直通列車のみ当路線に乗り入れ。過去には夜行急行「ちくま」でも使用
- JR西日本281系 : 特急「はるか」
- JR西日本283系 : 特急「くろしお」(2012年3月改正まで「オーシャンアロー」)
- JR西日本・JR東海285系 : 寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」
- JR西日本287系 : 特急「くろしお」「こうのとり」
- 伊豆急行2100系 : 臨時特急「リゾート踊り子」
- 交直流電車
- 気動車
普通列車用車両[編集]
当路線の普通列車(快速列車を含む)に使用される車両は、国鉄時代は片側2扉クロスシートの80系や片側3扉セミクロスシートの113系などの共通仕様の車両が全線で運用されていた。しかし1980年代以降、並行他社線との競争の激しい京阪神地区や名古屋地区において、快適性を重視した片側2扉転換式クロスシートの117系が快速列車用に投入されたのを皮切りに、地域実情を考慮した車両が投入されていくようになる。分割民営化後はこの流れがさらに進み、旅客3社各々が独自仕様の車両を投入・運用している。ラッシュ時の混雑率の高いJR東日本の首都圏地区では混雑緩和に重点が置かれ、ロングシートの増加や2階建て車両の投入によって定員を増やし、E217系以降の新系列車両では扉も通勤形車両と同様の片側4箇所として乗降時間の短縮が図られている。近距離輸送が中心のJR東海静岡地区も、民営化後に投入された車両はロングシートが中心となっている。一方、JR東海の名古屋地区やJR西日本の京阪神地区では、117系の転換式クロスシートを継承しつつ、扉を113系などと同様の片側3箇所とした車両が主力として運用されるようになった。
現在、非電化の武豊線(2015年電化予定)に直通する列車などに気動車が用いられるほかは、すべて電車による運転となっている。各社ごとに次のような特徴がある。
- JR東日本
- JR東日本の車両は、グリーン車と通勤ライナー用の215系を除いて片側4扉である。東海道線列車と、並行する横須賀線・京浜東北線・山手線の電車はそれぞれラインカラーで色分けされた各系統専用の車両が運用されている。京浜東北線と山手線はそれぞれロングシート10両・11両編成の通勤タイプ車両である。東海道線・湘南新宿ラインと横須賀線に関してはロングシートに加えて一部車両にセミクロスシートを装備し、グリーン車2両を連結した近郊タイプの車両が使用されている。編成は東海道線・湘南新宿ラインが基本編成10両+付属編成5両、横須賀線が付属編成4両+基本編成11両の構成でいずれも最長15両編成。
- JR東海
- JR東海の普通列車(快速含む)用車両は片側3扉の近郊型である。静岡地区(熱海駅 - 浜松駅間)と名古屋地区(豊橋駅 - 米原駅間)とで運用される車両が分かれているが、浜松駅 - 豊橋駅間では両地区の車両が折半で混用されているほか、掛川駅 - 浜松駅間などでも名古屋地区用の車両の運用がある。静岡地区用の車両はロングシートで2両・3両単位で連結され、名古屋地区用の車両は転換式クロスシートで概ね4両・6両・8両編成を組む。
- JR西日本
- 新快速・快速(快速は高槻駅または京都駅以東で普通として運行)には片側3扉転換式クロスシートの近郊型車両が6・8・10・12両編成で使用され、新快速は多くの列車が12両編成である。京阪神間を中心に運行される普通(緩行電車)には片側4扉ロングシートの通勤型車両7両編成が使用される。
以下に東海道本線の地域輸送で使用される車両の一覧を示す。事業者名表記の無いものは国鉄の形式、あるいは国鉄からJR各社に継承された形式(JR化後に製造されたものも含む)である。なお間合い運用などで使用される特急用車両は前節参照。また、山手線・京浜東北線・横須賀線・横浜線、京阪神緩行電車、および当路線に乗り入れる湖西線・福知山線、過去に乗り入れた二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線)などの車両の一覧は各路線記事を参照。
過去の車両[編集]
- 客車
- 直流電車
- 気動車
現用車両[編集]
- 直流電車
- 113系 : かつては東海道本線全線で運用されていたが、名古屋地区では1999年、京阪神快速では2004年、首都圏地区では2006年、静岡地区では2007年に運用終了。現在はJR西日本の草津線 - 京都駅間直通列車で運用。
- 117系 : 当初は京阪神地区新快速、名古屋地区快速用として投入され、名古屋地区では2013年3月15日まで運用[38]。現在はJR西日本の草津線 - 京都駅間直通列車で運用。
- 211系 : 首都圏・名古屋・静岡地区に投入され、首都圏および名古屋地区では2012年まで運用されていた[39]。現在は静岡地区でJR東海独自仕様の5000・6000番台車が運用。
- JR東日本215系 : 「湘南ライナー」などで運用。2001年までは快速「アクティー」、2004年までは湘南新宿ラインでの運用もあった。
- JR東日本E231系 : 近郊タイプ車両が東京駅発着系統および湘南新宿ラインで運用され、前者の一部はJR東海沼津駅まで直通する。
- JR東日本E217系 : 東京駅発着系統で運用。
- JR東日本E233系 : 3000番台車が東京駅発着系統で運用。
- JR東海311系 : 名古屋地区での運用を基本とし、一部は静岡駅まで乗り入れる。
- JR東海313系 : JR東海全区間で運用。基本的に2000番台車が静岡地区で、0・1100・5000番台車が名古屋地区で運用される。
- JR西日本221系 : 快速として運用。一部がJR東海大垣駅まで乗り入れる。2000年までは新快速でも運用されていた。
- JR西日本223系 : 1000・2000番台車が新快速・快速、6000番台車が快速として運用。一部がJR東海大垣駅まで乗り入れる。
- JR西日本225系 : 0番台車が新快速・快速として運用。一部がJR東海大垣駅まで乗り入れる。
- 気動車
機関車など[編集]
当路線内で貨車や客車の牽引に使用されてきた機関車を挙げる[7][33][40]。便宜上、貨物用電車もここに含める。基本的に交直流電気機関車は北陸本線との直通列車に使用され、それ以外の当路線内運用には直流電気機関車が用いられる。また京浜地区や静岡・名古屋・大阪周辺の短い区間でディーゼル機関車も運用されている。
- 過去の車両
- 現用車両
沿線概況[編集]
明治政府は当初、幹線ルートを海路との競合を避けるために中山道沿いにすると決定したものの、山岳地帯への敷設が困難なことから東海道ルートに変更した経緯がある。東海道ルートに変更した際に、すでに開業していた区間は最大限に活用する形で早期に東西両京を結ぶことを目指したため、中山道ルートを前提として路線が当時までに開業していた熱田駅 - 草津駅間のルートは旧東海道から外れている。元来の東海道筋である三重県側(旧伊勢国)には、私設鉄道の関西鉄道によって関西本線・草津線が敷設されている。
海岸沿いを通る区間は少なく、早川駅 - 熱海駅間および蒲原駅 - 興津駅間が海沿いに敷設されているほかは、国府津駅・吉原駅・用宗駅・弁天島駅付近でわずかに海岸沿いを通る程度である。また品川駅や横浜駅の近辺はもともとは海岸線に近いところに敷設され、用地が取得できなかった品川駅は造成した埋立地の中に、横浜駅の手前の区間は遠浅の海の中に盛り土をして作られたが、どちらも後の埋め立てで海岸沿いからは離れている。
海岸線から離れた所に敷設されているのは、軍部が他国艦隊による鉄道への艦砲射撃を恐れて山間部に敷設することを要請したから、という説がある。明治期に鹿児島本線の八代駅 - 鹿児島駅間(八代駅 - 川内駅間は現在の肥薩おれんじ鉄道線)を当初海岸沿いではなく山間ルート、現在の肥薩線のルートで敷設したのと同様である。また昭和期には浜名湖にかかる橋梁の爆撃を恐れ、二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道線)を東海道本線のバイパスルートとして開業させたり、橋脚が多い同線の小田原駅 - 熱海駅間が爆撃が受けた場合に備え、小田急小田原線(当時は東京急行電鉄の所有)と御殿場線が代替として活用できるよう、松田駅構内に連絡線を設けさせようとした事例もある。松田駅の連絡線は戦中には完成しなかったが、戦後に直通列車の運転実施のため開通した。
一方で当時の土木技術や車両性能から、トンネルや勾配を抑えるために敷設条件が限られた、という説も有力である。東海道の海岸沿いは地形が険しい箇所も多く、また内陸のルートより遠回りになる場合もある。地形がきつい旧東海道の豊橋 - 岡崎間や鈴鹿峠からは大きく外れたルートを取り(ただし、後に名鉄名古屋本線や関西本線・草津線がそれら地域の便を図る形で開業した)、京都駅 - 大阪駅では京街道の対岸を通した。
なお国府津駅 - 沼津駅間の箱根峠迂回路や関ヶ原周辺、それに大津駅 - 京都駅間の逢坂山越えでは開業後に編成が長大化した後、勾配緩和によって補助機関車の連結を解消することを目的とし、路線の付け替えが行われている。
以下に東京駅 - 神戸駅間の本線全線、および大垣駅 - 美濃赤坂駅間の支線の線路および沿線の概況について記す[41]。なお品川駅 - 武蔵小杉駅 - 鶴見駅間の支線(品鶴線)については横須賀線を、東海道貨物線・梅田貨物線・北方貨物線については各記事を参照。
JR東日本区間[編集]
東京駅 - 大船駅間[編集]
起点・東京駅はJR新幹線・在来線各線が集中するターミナル駅。21世紀に入って以降、皇居側丸の内口の赤レンガ駅舎が開業当時の外観に復原されたほか、八重洲口側には高層ツインタワー「グラントウキョウ」が建設された[42][43]。品川駅までの東京都心部では、地上の海側(進行方向左側)の東海道線の複線(列車線)と、内陸側(進行方向右側)の山手線・京浜東北線が使用する複々線(電車線)との6線が東海道新幹線と並行して南へ進み、加えて地下に横須賀線用の複線が敷設されている[脚注 1]。また、田町までの各駅からは地下鉄(東京メトロ・都営)各線が接続する。有楽町駅を過ぎると新橋駅。現代の新橋駅は二代目で、日本最初の鉄道として新橋駅 - 横浜駅間が開業したときの初代新橋駅は現在の駅の東、国鉄末期まで存在した貨物専用の汐留駅の位置にあった。現在同駅の跡地は再開発が進み、ゆりかもめの駅もある。次の浜松町駅からは東京モノレールが1kmほど東海道本線に並行。また東海道新幹線の向こう側に休止中の東海道貨物線(大汐線)が並行し、新幹線回送線とともに臨海部の東京貨物ターミナル駅方面へ続く。田町駅を過ぎると列車線の上下線が分かれ、間に東京総合車両センター田町センターを挟む。横須賀線が地上に上がると、東海道新幹線と京急本線が接続する都心南部のターミナルである品川駅に至る。ここまでの駅のうち、東海道線と横須賀線は東京・新橋・品川の3駅のみに停車する。
品川駅を出ると京急本線をくぐり、続いて横須賀線電車が経由する東海道本線支線(品鶴線)が、山手線や東海道新幹線とともに内陸側に離れ、本線は東海道線と京浜東北線の線路別複々線となる。この先、京急本線や国道15号(第一京浜)とともに川崎を目指して南南西へ進む。山手線の車両基地(東京総合車両センター本区)沿いを過ぎると京浜東北線大井町駅へ。続いて住宅街を進み、同線大森駅・蒲田駅を過ぎる。このうち大井町駅と蒲田駅からは、都内南部を走る東急各線が接続。六郷川橋梁で多摩川を越えると、東京都区部から神奈川県川崎市へ移り、南武線が接続する川崎駅に至る。
ここから横浜駅までは海側の京急本線と並行しながら住宅地を進む。南武線浜川崎支線(南武支線)をくぐると、海側から東海道貨物線が並行して横浜市へ。続いて内陸側から品鶴線が貨物線と横須賀線線路との複々線で現れ、前者は東海道貨物線に合流、後者は右隣に並行する。鶴見川を渡ると京浜東北線と鶴見線の接続駅で、貨物線のジャンクションでもある鶴見駅。同駅を過ぎると横浜羽沢駅を経由する東海道貨物線が地下に潜り内陸側に、続いて同貨物線から分岐した支線(高島線)が海側に離れ、代わって京浜東北線が東海道線の左へ移る。横須賀線・東海道線・京浜東北線の3複線で進み、京浜東北線新子安駅を過ぎると、内陸側から横浜線が京浜東北線に合流し、両線の接続駅である東神奈川駅。同駅手前より国道1号(第二京浜)が並行し、同国道と首都高速神奈川2号三ツ沢線をくぐると横浜駅へ至る。同駅は地上のJR各線・京急本線・相鉄本線、地下の東急東横線・みなとみらい線・横浜市営地下鉄ブルーラインの合計6社局が乗り入れる。京浜東北線は同駅から根岸線に直通するが、日本最初の鉄道開業時の横浜駅は現在の同線桜木町駅の位置にあり、同線が磯子駅まで延伸されるまで現在の横浜駅 - 桜木町駅間は東海道本線に属していた[21]。東海道新幹線は内陸部の新横浜駅に発着し、横浜駅からは横浜線または地下鉄線で連絡している。
京急本線と根岸線が横浜駅で海側へカーブして離れ、東海道本線右隣には相鉄本線が同線西横浜駅付近まで並行。同線が離れると東海道線と横須賀線の複々線で住宅街を進む。左側に国道1号(東海道)が並行し、横須賀線保土ヶ谷駅を過ぎ右にカーブ。ここから多摩丘陵と三浦丘陵に挟まれた谷間を進み、保土ヶ谷バイパスをくぐった後に両線が少し離れてトンネルを抜ける。このうち東海道上り線の清水谷戸トンネルは日本の鉄道トンネルとしては現役最古である。内陸側から東海道貨物線が現れ横須賀線の右隣に並行し、離れていた東海道線が近づき3複線となる地点に横須賀線東戸塚駅がある。緩いS字カーブを描きながら工場群の中を進み、横須賀下り線が東海道線の左へ移り方向別複々線となると、地下鉄ブルーラインも接続する戸塚駅へ。さらに柏尾川沿いに南下すると横須賀上り線が左へ移り、海側から根岸線が現れて大船駅となる。同駅は横浜市と鎌倉市に敷地が跨っており、横須賀線・根岸線との結節点であるほか、湘南モノレール江の島線も発着している。
大船駅 - 熱海駅間[編集]
大船駅からは一般に湘南と呼ばれる地域を西に向かう。大船駅を過ぎると横須賀線が海側に離れ、ここから小田原駅までは旅客線と貨物線の線路別複々線区間となる。工業地帯を抜け、横須賀線の車両基地・鎌倉車両センターに沿い湘南貨物駅跡地を通過。その後境川を渡ると藤沢駅。同駅ではスイッチバック構造の小田急江ノ島線のほか、駅前ロータリーの向かい側から江ノ電が接続する。小田急江ノ島線をくぐり、周辺で再開発が進む辻堂駅を過ぎると、ここから国府津駅まではおおむね国道1号(東海道)と並行する。住宅密集地や工場群の中を進み、右側の茅ヶ崎運輸区を過ぎると相模線が接続する茅ヶ崎駅。そして新湘南バイパスをくぐると周辺に田畑が点在するようになり、相模川を渡ると平塚駅へと至る。
平塚駅から小田原駅までは1979年(昭和54年)に複々線化が完成した区間で、この間に踏切は無い。平塚市から中郡に入り、貨物線にある相模貨物駅を通過。花水川を渡ると、線路は東京駅から続いた関東平野から、大磯丘陵と相模湾に挟まれた低地へと移り、また沿線は田畑の比率が高くなる。大磯駅と二宮駅を過ぎると相模湾に近づき、左側奥に国道1号と西湘バイパスが並行して小田原市内の国府津駅に至る。開業当初はここから箱根山を北に迂回して御殿場駅を経由する経路であったが、後述の丹那トンネルの開業後に現ルートとなった。現在の国府津駅ではその旧ルートであるJR東海御殿場線と、JR東日本国府津車両センターへの回送線が分岐する。ここより相模湾から離れ足柄平野に入り、貨物線上の西湘貨物駅と旅客線の鴨宮駅を過ぎ、右側から東海道新幹線が並行。酒匂川を渡って市街地に入り、国道255号と伊豆箱根鉄道大雄山線を跨ぐと内陸側から小田急小田原線が現れ、在来線(JR東日本)・新幹線(JR東海)と伊豆箱根・小田急・箱根登山鉄道の5社の接続駅である小田原駅に至る。同駅構内で旅客線と貨物線が合流し、この先東海道本線は名古屋駅まで複線のみとなる。
小田原駅からは、箱根峠を越える国道1号(東海道)から離れて相模湾沿いを南南西に向かい、JR東海三島駅までは東海道新幹線とほぼ並行する。小田原駅を出ると小田原城の西側を過ぎてトンネルを抜け、箱根登山鉄道線が内陸側に離れる。西湘バイパスをくぐり、早川を渡ると市街地の南端に位置する早川駅。この付近から熱海駅までは国道135号と並行。また箱根山の外輪山が海岸近くまで迫り、カーブやトンネルが多く存在する。トンネルを5つ抜けると、相模湾に面した根府川駅を過ぎ、上路平行弦ワーレントラス橋の白糸川橋梁を渡る。次の真鶴駅の手前には真鶴トンネルがあるが、同トンネルの区間はかつて現在より海側を通っていた[13]。真鶴半島の付け根にあり真鶴漁港の最寄駅である真鶴駅を過ぎ、トンネルを抜けて盆地部に出ると、湯河原温泉の最寄り駅・湯河原駅。同温泉を流れる千歳川を渡ると神奈川県から静岡県に移り、東海道本線で2番目に長い[脚注 7]泉越トンネルへ。さらにトンネルを抜けて伊豆山を越すと、伊豆半島の玄関口のひとつである熱海駅に至る。新幹線接続駅であるほか伊東線が分岐しており、在来線駅はJR東日本が管轄するJR東海との境界駅である。熱海市は温泉都市であり、駅から南東側の相模灘沿岸に温泉街がある。
JR東海区間[編集]
熱海駅 - 静岡駅間[編集]
熱海駅を出ると伊東線の来宮駅がある。隣に並行している東海道本線にホームは無いが、熱海駅で折り返す車両の留置線がある。そのすぐ西側から、東海道本線最長[脚注 7]の丹那トンネルに入り、来宮駅上り場内信号機の地点から線路の管轄がJR東日本からJR東海へと移る。全長7,804mの同トンネルで伊豆半島付け根の丹那山地の下を抜けると、山間部にある函南駅。同駅からはトンネルを抜けつつ勾配を下っていき、山地を抜けると新幹線接続駅の三島駅。伊豆への西の玄関口でもあり、伊豆箱根鉄道駿豆線が分岐している。
三島駅から富士駅までは富士山・愛鷹山の南側の平地を西へ向かい、また静岡市までは国道1号や東名高速道路に近いルートを通る。東海道新幹線が内陸側へ離れ、黄瀬川を渡る手前で内陸側から御殿場線が近づく。同線が東海道本線として使用されていた時代は現在の下土狩駅が三島駅となっていた。その御殿場線が合流すると沼津駅。かつては沼津港駅に通じる貨物支線が分岐していたほか、機関車の基地である沼津機関区が併設されていた。同市内の片浜駅手前からは、旧東海道を挟んで千本松原が駿河湾沿いに吉原駅付近まで続く。原駅を過ぎ、東田子の浦駅からは製紙の街・富士市に入り、工場・倉庫群の中を進む。田子の浦港近くにある吉原駅からは岳南鉄道線が接続。次の富士駅からは身延線が接続しているほか、沿線の製紙工場への専用線が分岐している。また東海道新幹線の新富士駅は富士駅から直線距離で1.5kmほど離れている。
富士駅を出ると身延線と分かれた後、富士川を渡る。その後山地を避けて左にカーブして南へ向かい、富士川駅を出て東海道新幹線をくぐる。再び西へ向きを変え、次の新蒲原駅からは静岡市内の駅となる。蒲原駅を過ぎると興津駅手前までは山地が駿河湾沿岸まで迫り、東海道本線と国道1号・東名高速道路が駿河湾沿いに集中して南西へ向かう。その途中にある由比駅付近は由比漁港で揚がるサクラエビやシラスを名産とした観光地となっている[44]。薩埵(さった)峠付近で東名高速道路が内陸側に離れ、海岸沿いを進むと国道52号をくぐり興津駅、そして清水港付近の倉庫や工場群の中を進むが、その途中には臨時駅であった袖師駅跡地がある。清水港近くにある清水駅は景勝地・三保の松原の最寄駅であり、かつては国鉄清水港線が分岐していた。
清水駅からは駿河湾沿いから離れて静岡平野を南西へ進む。清水駅を出ると左隣に静岡鉄道静岡清水線が2kmほど並行。この区間では1950年(昭和25年)に事故で不通になった東海道本線の列車が静鉄線を走行したことがある[脚注 8]。静鉄線と分かれると東海道新幹線が用宗駅まで並行。有度丘陵(日本平)の北側に位置する草薙駅は草薙神社の最寄駅。東名高速道路をくぐった後、上下線の間に静岡貨物駅を挟み、その構内の上を静鉄線が跨いでいく。同貨物駅構内が終わると貨物操車場跡地の再開発商業地区に設置された東静岡駅。周辺は静岡県コンベンションアーツセンター(グランシップ)があり高層住宅などの再開発が進んでいる。高架に上がると静岡車両区からの回送線が合流し、静岡市の中心駅で新幹線接続駅でもある静岡駅。駅北側の繁華街の中に静鉄新静岡駅、さらにその北側に静岡県庁をはじめとする官公庁街がある。
静岡駅 - 豊橋駅間[編集]
静岡駅を出ると安倍川を渡る。この先、旧東海道や国道1号は山間に廻り宇津ノ谷峠を越すが、東海道本線は峠を避けて海岸沿いへ向かう。静岡市内の安倍川駅を経て再び駿河湾に近づき、用宗駅を過ぎると石部トンネルに入る。この区間の海岸線は切り立った崖が続く大崩海岸であり、かつて東海道本線はトンネルの間でこの海岸沿いに出ており、その後は現在東海道新幹線が使用している日本坂トンネル経由となっていた時期もあった[13][21]。この付近では東海道新幹線のほかに東名高速道路と国道150号も並行する。トンネルを抜け、焼津駅からは海岸沿いを離れて静岡県中西部の志太平野を西南西へ進む。西焼津駅を過ぎると東海道新幹線や東名高速道路から離れて、かつて静岡鉄道駿遠線との接続駅であった藤枝駅、そして島田市に入って大井川に近づき、六合駅・島田駅に至る。東海道新幹線開業前の1960年(昭和35年)、藤枝駅 - 島田駅間には高速試験用の線路が設けられ、この線路で175km/hの狭軌最高速度記録が誕生した[45]。
島田駅を過ぎると大井川を渡る。渡り終えると菊川駅までは牧之原台地の山越え区間となり、沿線には茶園が多くなる。大井川鐵道大井川本線が接続する金谷駅からは、東海道三大難所のひとつとされた「小夜の中山」を避け、牧の原トンネルへ[21]。このトンネルの下り線部分は1974年(昭和49年)に新線に切り替えられたため、出口付近では上下線の間が離れている[13]。大きくクランク型に曲がりながら進むと菊川駅、そして東海道新幹線と並行して山間部を抜けると掛川駅。ここでは東海道新幹線と、当初東海道本線のバイパスとして作られた天竜浜名湖鉄道線(旧・国鉄二俣線)が接続。駅の南には小笠山、北には掛川城がそびえ立っている。
掛川駅から浜松駅までは静岡県西部の工業地帯を西へ進むが、工場群の合間には田園地帯も広がる。東海道新幹線と並行して東名高速道路をくぐり静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパ)の最寄り駅・愛野駅を経て、静岡鉄道駿遠線との西の接続駅であった袋井駅へ。同駅を過ぎた辺りから遠州平野に出て原野谷川・太田川を渡り磐田駅・豊田町駅に至る。東海道本線最長の天竜川橋梁(全長1,209m)で天竜川を渡ると浜松市に入り、国道1号をくぐり天竜川駅、そして高架に上がり浜松駅に至る。新幹線停車駅であるとともに、隣接する新浜松駅からは遠州鉄道線が発着している。駅付近には静岡県で最も高いビルであるアクトシティ浜松がそびえ立つ。
浜松駅を出ると左側に貨物専用の西浜松駅、右側にJR東海浜松工場の線路群が広がる。スズキの本社が付近にある高塚駅を経て、舞阪駅を過ぎると東海道新幹線や国道1号と並行し、遠州灘に近い浜名湖南端部を渡る。この中間の島には弁天島駅がある。浜名湖を渡り終えると湖岸近くを進み、浜名湖競艇場が近接する新居町駅、その後東海道新幹線や国道1号から離れて湖西市役所最寄駅である鷲津駅へ。そして湖岸からも離れ、天竜浜名湖鉄道線の終点・新所原駅。同駅にかかる小川を境に愛知県に入る。東海道新幹線が再び並行して二川駅を過ぎると豊橋平野に入り、国道259号と豊橋鉄道渥美線をくぐり豊橋駅に至る。
豊橋駅 - 名古屋駅間[編集]
豊橋駅は東三河地区の中核都市である豊橋市の中心駅で、東海道新幹線と飯田線・名鉄名古屋本線・豊橋鉄道渥美線のほか、駅前からは東海地方唯一の路面電車となった豊橋鉄道東田本線が発着する。東海道本線は同駅から名古屋市に向かっておおむね北西方向へ進む。名鉄名古屋本線との競合区間となるが、名鉄線は東海道本線よりも内陸側を経由し、また国道1号も同線に沿って進む。豊橋駅を出ると複線の線路を共用している飯田線・名鉄名古屋本線が右隣に3kmほど並行する。豊川・豊川放水路を通過すると、両線は東海道本線から離れ平井信号場でそれぞれに分岐する。西小坂井駅・愛知御津駅辺りでは豊橋平野の田園地帯の中を進む。蒲郡市に入ると三河湾湾岸近くを進み、三河大塚駅付近にはテーマパークであるラグーナ蒲郡がある。星越山トンネルを抜けて三河三谷駅を過ぎると高架に上がり蒲郡駅。名鉄蒲郡線が左隣に並行し、蒲郡競艇場に近接する三河塩津駅を過ぎると名鉄蒲郡線と三河湾から離れ、三ヶ根山と遠望峰山に挟まれて北西方向へ。三ヶ根駅・幸田駅を出ると岡崎平野をほぼ直線で北へ進み、相見駅を経て愛知環状鉄道線(旧・国鉄岡多線)が接続する岡崎駅に至る。なお、岡崎市の事実上の玄関口は名鉄名古屋本線の東岡崎駅となっている。
岡崎駅を出ると、岡崎市の市街地を通らずに愛知環状鉄道線と分かれて左に曲がり、矢作川を通る。その後は西北西にほとんど直進で進み、沿線には住宅地が増える。西岡崎駅を過ぎ、名鉄西尾線と交差し安城市の中心駅・安城駅へ。その次は新幹線接続駅の三河安城駅だが、在来線側は普通のみが停車する。刈谷市に入り東刈谷駅・野田新町駅を過ぎると、名鉄三河線が接続する刈谷駅で、付近に豊田自動織機やデンソーの本社がある。刈谷駅を過ぎると工業地帯や住宅地の中を進む。逢妻駅を過ぎ逢妻川を渡ると右にカーブし、武豊線と合流して大府駅に至る。
ここから岐阜駅までは、当初計画されていた中山道経由の鉄道建設のための資材運搬を目的として建設された区間であり[5]、濃尾平野を北北西方向へ進む。左側には未成線となった南方貨物線用地が笠寺駅まで続く。共和駅を過ぎ、伊勢湾岸自動車道・名古屋第二環状自動車道をくぐる付近から名古屋市に入り、南大高駅手前から右隣に東海道新幹線が並行。大高駅を過ぎ名古屋高速3号大高線をくぐると、貨物専用の名古屋臨海鉄道東港線が分岐する笠寺駅。東海道新幹線と分かれて住宅街の中を進むと、四日市方面へ向かう国道1号(東海道)をくぐり、東海道本線はここから旧東海道ルートを外れる。続いて右側から名鉄名古屋本線、左側から名鉄常滑線が現れ、両線が複々線を構成して右隣に並行。名鉄神宮前駅の北にJRから熱田神宮への最寄り駅である熱田駅がある。名鉄線と並行して北へ進むと金山駅で、中央本線(中央西線)と名鉄線・名古屋市営地下鉄が接続し「金山総合駅」とも呼ばれている。
この先名古屋駅までは隣に中央本線や名鉄線と並行するが、次の尾頭橋駅は東海道本線のみの駅で、付近にはナゴヤ球場がある。同駅を過ぎると中央本線が右側から左隣へ移り、同線の山王信号場で東海道本線支線であるJR貨物名古屋港線が合流。また東海道新幹線も並行する。名古屋高速5号万場線をくぐると貨物駅であった笹島駅の跡地横を過ぎ、左側から関西本線・あおなみ線(旧東海道本線貨物支線)・近鉄名古屋線が近づき名古屋駅に至る。同駅は1999年(平成11年)に高層ツインタワーであるJRセントラルタワーズが完成。名古屋市営地下鉄も接続し、近接する地下駅の名鉄名古屋駅・近鉄名古屋駅を含め5社局が乗り入れるターミナル駅である。
名古屋駅 - 美濃赤坂駅・米原駅間[編集]
名古屋駅から岐阜駅までは引き続き名鉄名古屋本線との競合区間が続き、同線や国道22号とともに北進する。名古屋駅を出ると、本線の左隣に貨物線(稲沢線)が並行する線路別複々線となる。右隣には名鉄線が並行し、それと分かれると庄内川を渡って名古屋市から清須市に入り、名鉄名古屋本線西枇杷島駅付近を越えて枇杷島駅へ。ここからは稲沢線上から東海交通事業城北線が分岐する。その後、五条川信号場付近で稲沢線が本線左隣から右隣へと移り、清洲城近くを通る。この付近より東海道新幹線は東海道本線から離れ岐阜羽島駅経由の別ルートへと進む。名古屋第二環状自動車道をくぐると清洲駅だが同駅は稲沢市にある。さらに進むと旅客駅と貨物拠点が併設された稲沢駅で、稲沢線上には貨物列車用の線路群(旧稲沢操車場)が広がる。この先で稲沢線と本線が合流。名神高速道路をくぐって高架に上り、左側から名鉄名古屋本線・名鉄尾西線が寄り添うと、名鉄一宮駅に隣接する尾張一宮駅に至る。
尾張一宮駅から左隣に名鉄名古屋本線が3kmほど並行した後、東海北陸自動車道をくぐって木曽川駅に至り、そして木曽川を渡る。この木曽川鉄橋ではかつてC62形蒸気機関車が高速度試験で129km/hの速度記録を出した。渡り終えると愛知県から岐阜県に移り、岐阜市に入る。笠松競馬場付近を通過し、国道21号(岐大バイパス)をくぐると再び高架に上がり、左にカーブして高山本線と合流し、岐阜駅に至る。同駅は岐阜城のある金華山の南西に位置し、駅周辺には名鉄岐阜駅や高層ビルの岐阜シティ・タワー43がある。
岐阜駅からは西方向へ向かい、またここからJR西日本の草津駅までは中山道(米原駅までは現在の国道21号が相当)に沿ったルートをとる。岐阜駅の次の西岐阜駅には岐阜駅高架工事で移転新設された岐阜貨物ターミナル駅が隣接する。そして長良川を渡ると瑞穂市に入り穂積駅へ。濃尾平野をほぼ直線で貫きながら揖斐川の橋梁を渡ると大垣市に入り、右隣に樽見鉄道線(旧・国鉄樽見線)が現れて同線東大垣駅付近から3kmほど並行すると大垣駅。同駅はかつて関ヶ原越えの補助機関車の基地があり、また現在は車両基地である大垣車両区が駅西側に隣接する。
大垣駅から接続している養老鉄道線を跨ぐと南荒尾信号場を通過する。同信号場では東海道本線の支線(通称美濃赤坂線)が分岐するほか、下り線が2本に分岐している。美濃赤坂線は、南荒尾信号場で本線から分岐するとすぐ、カーブ上に荒尾駅がある。同駅を過ぎると住宅街を進みやがて美濃赤坂駅に至る。同駅からは貨物線の西濃鉄道市橋線が延びている。
本線は南荒尾信号場から関ヶ原駅まで急勾配が続き、戦時中の輸送力増強の一環として勾配を10‰に緩和した迂回線が新設された。以来この迂回線が下り本線であり、下り特急列車や貨物列車はこの本線を進む。トンネルを抜けつつ山沿いをカーブしながら進む下り本線にはかつて新垂井駅があった。一方、下り普通列車は上り線の隣に並行する「垂井線」と呼ばれる単線の線路を進む。この垂井線と上り線はほぼ直線に近いが、25‰の勾配があり、途中に垂井駅がある。下り本線と上り線・垂井線が合流すると関ヶ原駅に至る。関ヶ原は交通の要衝であり、東海道新幹線・国道21号(中山道)・名神高速道路が東海道本線に寄り添っている。またこの付近は豪雪地帯である。
関ヶ原駅から琵琶湖東岸までの区間は、当初は現在北陸本線の駅である長浜駅に向かい、同駅で連絡船に接続していたが、その後2度にわたる線路の付け替えで現在のルートになった。国道21号に沿って今須トンネルを抜けると東海道本線の最高地点(標高179m)を過ぎ[46]、旧中山道の今須宿を過ぎて滋賀県に移り、柏原駅に至る。ここからは伊吹山と霊仙山に挟まれた盆地をΩ形にカーブを描いて進み、近江長岡駅付近では伊吹山の近くに迫る。この伊吹山山麓には住友大阪セメントのセメント工場があり、かつて近江長岡駅から工場への専用線が延びていた。醒井養鱒場の最寄駅である醒ヶ井駅を過ぎて近江盆地の田園地帯に入ると、北陸自動車道と国道8号をくぐる。この付近にある下り第1閉塞信号機の地点で線路の管轄がJR東海からJR西日本に移る。上下線の間に機関区跡地が電留線として広がり、東海道新幹線が近づいて北陸本線と合流すると米原駅に至る。
JR西日本区間[編集]
米原駅 - 京都駅間[編集]
米原駅の在来線側はJR西日本が管轄するJR東海との境界駅で、東海道新幹線・北陸本線および近江鉄道本線と接続。米原駅からは琵琶湖の東岸を経由して京都駅を目指し、この区間は民営化以降「琵琶湖線」の愛称で案内されている[脚注 2]。そのうち彦根駅から野洲駅までの区間は朝鮮人街道とともに湖東平野を南西に進む[47]。平坦地を通る曲線の少ない区間で沿線は田園地帯が多い。また米原駅 - 膳所駅間は丹那トンネル区間をのぞく新橋駅 - 神戸駅間で最後の開通区間である。米原駅を出ると貨物列車用発着線が広がり、左側には操車場跡地に建設され、JR各社の新幹線試験車両が静態保存されている鉄道総合技術研究所(JR総研)の風洞施設がある。やがて東海道新幹線や近江鉄道本線と分かれて琵琶湖寄りを進む。米原駅 - 彦根駅間はかつて湖岸(松原内湖)を通っていたが現在は内湖は埋め立てられている[48]。近江鉄道本線に再び近づくと彦根駅で、同駅西側には彦根城がある。
彦根駅を出ると近江鉄道本線が同線彦根口駅付近まで左隣に並行。南彦根駅を出て、犬上川を渡って河瀬駅・稲枝駅を過ぎ、さらに愛知川を渡ると東近江市の能登川駅。能登川駅から安土方面へ進むと、かつては内湖(小中之湖)が迫り、内湖に突き出た安土山(安土城址)の風景を見ることができたが、戦中に埋められ干拓されている[49]。腰越山トンネルをくぐって安土山南東側を通ると安土駅、そして近江商人の街並みや水郷への最寄り駅である近江八幡駅へ。同駅からは近江鉄道八日市線が接続する。篠原駅を出ると上下線の間に車両基地を挟み、野洲駅へ。このあたりから京都・大阪方面などへの通勤圏となり住宅が増えてくる。野洲川を渡ると守山駅、続いて栗東駅へ。それぞれの駅前にはマンション群がある。そして草津線が合流し草津駅に至る。
草津駅からは方向別複々線区間となり[脚注 6]、そのうち京都駅までは1970年(昭和45年)に複々線化された区間。また名古屋市内で分かれていた国道1号(東海道)と再び並行する形となり、大津駅までは琵琶湖の南端を迂回する形で西へ進む。草津駅を出るとすぐに草津川トンネルをくぐり、次は南草津駅で、立命館大学びわ湖くさつキャンパスの最寄り駅でもある。瀬田駅から滋賀県の県庁所在地である大津市に入り、琵琶湖の南端から流れ出す瀬田川を渡る。石山寺や東レの本社工場の最寄り駅である石山駅と次の膳所駅では京阪石山坂本線が接続しており、両駅間で同線は東海道本線より琵琶湖寄りを通っている。膳所駅はかつて機関区も置かれていたことがあり、付近の線路は山越えに備えて高い位置に敷かれている。現在、ここからは1921年(大正10年)に完成した新逢坂山トンネル・東山トンネルを抜けて京都駅までほぼ直進するルートであるが、開業当初はここから逢坂山の山塊を避けて南側へ迂回し、現在の奈良線稲荷駅を経由して京都駅へ向かっていた。その途中には日本初の山岳トンネルであった逢坂山隧道があり、現在は京都大学地震予知研究センターがトンネル跡地を使用している[50]。
現ルートは膳所駅を出ると、左側に国道1号が並行。次の大津駅は過去に2度移転しており、前述の新逢坂山トンネル完成後に現在の場所となった。大津駅を出るとすぐに国道161号と京阪京津線をくぐり、新逢坂山トンネルを抜け、京都府京都市に入る。湖西線と合流し、京阪京津線・京都市営地下鉄東西線も接続する山科駅からは大きな築堤を進んで京津線を跨ぎ、東山トンネルを抜けて京都盆地に出ると東海道新幹線と並行し、京阪本線を跨ぐ。鴨川を渡ると南側から奈良線が近づき、国道24号を跨いで京都駅に至る。同駅は京都観光の玄関口であるとともに、JR在来線各線や東海道新幹線・近鉄京都線・京都市営地下鉄烏丸線が発着するターミナル駅。1997年(平成9年)に総ガラス張りの駅ビルが完成し、駅西側にはJR京都駅NKビルも開業している。
京都駅 - 大阪駅間[編集]
京都駅からは淀川の北側を東海道新幹線・阪急京都本線とともに大阪に向かって南西へ進み、また吹田市までは名神高速道路も近くを通る。一方、国道1号と京阪本線は淀川の対岸を経由する。この区間は民営化後「JR京都線」の愛称で案内されている[脚注 2]。京都駅から向日町駅までは複々線に単線の貨物線を加えた5線区間となる。山陰本線(嵯峨野線)が北側へ離れた後、右側には梅小路蒸気機関車館が、さらに先には京都貨物駅がある。同貨物駅からは山陰本線丹波口駅への東海道本線貨物支線(山陰連絡線)が分岐し、山陰本線・東海道本線と合わせてデルタ線を形成している。左隣に並行する東海道新幹線の線路が下り外側線の直上を通る区間に西大路駅が位置する。桂川を渡ると南方向へと向きを変え、貨物線が本線右側から左側へ移り桂川駅へ。京都市を出て向日町駅を過ぎると、左側には車両基地である吹田総合車両所京都支所(旧・向日町運転所→京都総合運転所)がある。この車両基地からの連絡線と合流すると長岡京駅に至る。
名神高速道路の天王山トンネル入口付近をくぐると、天王山と男山に挟まれた隘路に入り、左側から阪急京都本線が寄り添う。この山崎は古来から京都と大阪の交通路の隘路であり、狭い平地の中に東海道本線・阪急京都本線のほか、東海道新幹線・国道171号(西国街道)、淀川をはさみ京街道・京阪本線が寄り添う。阪急線を跨ぎ、淀川に張り出す天王山の麓をまわる途中に山崎駅がある。同駅のホームに京都府と大阪府の府境があり、周辺にはサントリー山崎蒸溜所がある。島本駅を過ぎると隘路を抜けて大阪平野に入り、右側の車両基地を過ぎて高槻駅に至る。
高槻駅から沿線は住宅地が中心となる。摂津富田駅を出ると安威川を渡って茨木駅。その先で大阪モノレールや近畿自動車道・大阪中央環状線をくぐると貨物線が右側へ分岐し、貨客分離区間に入る。貨物線にはJR貨物の大阪貨物ターミナル駅からの支線が合流し、吹田駅手前まで吹田貨物ターミナル駅(吹田操車場跡)が広がる。旅客線の千里丘駅を過ぎ、岸辺駅の手前では阪急電鉄正雀工場とアルナ車両、同駅の先ではJR貨物吹田機関区・JR西日本吹田総合車両所がそれぞれ左側に広がる。吹田駅の先で阪急千里線を越え、右側の貨物線から分岐した片町線支線である城東貨物線が旅客線を乗り越えて南東側へ離れる。旅客線の複々線と梅田貨物線・北方貨物線の計8本の線路で神崎川を渡ると大阪市に入り東淀川駅。戦前に計画された弾丸列車の接続駅となる予定だった駅で、現在の新幹線接続駅である新大阪駅までは700mもない。北方貨物線が右側へ離れると、東海道・山陽新幹線における大阪の玄関口である新大阪駅。大阪市営地下鉄御堂筋線とも接続し、大阪東部を縦断するおおさか東線も通る予定である。駅開業時は周囲に田園が広がる風景だったが、現在はビジネス街として発展している。
新大阪駅からは山陽新幹線が西へまっすぐ山陽方面へ向かうのに対し、東海道本線はU字型にカーブを描いて淀川対岸の大阪市街地を経由する。新大阪駅を出ると網干総合車両所宮原支所からの東回り回送線が合流し、阪急京都本線を乗り越えて淀川を渡る。渡り終えると並行していた梅田貨物線が右に離れ西九条駅方面へ向かう。HEP FIVEの観覧車の手前で右にカーブして南側から大阪環状線が近づくと大阪駅に至る。同駅には2011年(平成23年)に商業施設・大阪ステーションシティが開業した。周辺は梅田の繁華街であり、阪急各線や阪神本線・地下鉄御堂筋線の梅田駅、地下鉄谷町線東梅田駅、四つ橋線西梅田駅およびJR東西線北新地駅がある。
大阪駅 - 神戸駅間[編集]
大阪駅からは阪急神戸本線・阪神本線や国道2号・阪神高速3号神戸線とともに神戸を目指して西方向へ向かう。この大阪駅 - 神戸駅間は関西地区初の鉄道開業区間であり、新橋駅 - 横浜駅間に次いで歴史が古い。民営化後は「JR神戸線」の愛称で案内されている[脚注 2]。大阪駅を出ると、東海道本線が大きく右にカーブする形で直進する大阪環状線と離れて梅田貨物線を跨ぎ、阪神高速11号池田線と並行して再び淀川を渡り塚本駅に至る。網干総合車両所宮原支所への西回り回送線が分岐し、江崎グリコ神崎工場を過ぎて北方貨物線が合流すると、阪神高速池田線が右側へ離れる。左にカーブすると地下を通るJR東西線の加島駅があるが、東海道本線に駅は無い。同線はその先で東海道上下各外側線・内側線の間に現れる。神崎川を再び渡ると兵庫県尼崎市に入り、JR東西線と福知山線(JR宝塚線)が接続する尼崎駅に至る。
ここから芦屋駅付近までは再び住宅密集地の中を進む。尼崎市役所の最寄駅である立花駅を過ぎると武庫川を渡って西宮市に入り、すぐに甲子園口駅があるが、阪神甲子園球場へは阪神本線の甲子園駅のほうが近い。同駅を過ぎ、名神高速道路と阪急今津線をくぐると西宮駅。この付近からは国道2号と並行して大阪湾と六甲山地に挟まれた平地の住宅街を進み、内陸側の阪急と海側の阪神の線路も近づく。さくら夙川駅、続いて芦屋市に入り芦屋駅へ。天井川の芦屋川を芦屋川トンネルで抜けると神戸市に入る。
甲南山手駅を過ぎ、次の摂津本山駅は阪急の岡本駅と500mほどの位置にある。住吉川トンネルで天井川の住吉川の下を抜けると、左側から六甲ライナーが近づき住吉駅へ。同駅を出ると高架になり石屋川を渡る。ここにはかつて、天井川の石屋川をくぐる日本初の鉄道トンネル・石屋川トンネルがあった。阪神・淡路大震災による倒壊から再建された六甲道駅、神戸港駅につながっていた貨物支線(神戸臨港線)が分岐していた東灘信号場、そして灘駅を過ぎ、右隣に現れた阪急神戸本線と並行して高架線を進む。新生田川を渡ると三宮の市街地に入り、三ノ宮駅に至る。同駅は隣接する阪急・阪神の三宮駅とともに神戸市中心部のターミナルを形成しており、ポートライナー・神戸市営地下鉄も接続している。山陽新幹線の新神戸駅は六甲山地の麓にあり、地下鉄山手線で連絡している。
三ノ宮駅を出ると阪急神戸高速線と並行して高架線を進み、元町駅付近で同線が地下に潜る。同駅の高架下には元町高架通商店街があり、周辺には日本三大中華街の一つ・南京町がある。元町駅の次は神戸駅。メインターミナルとしての機能や賑わいは三ノ宮駅に譲るが、神戸ハーバーランドなどの開発が進み、湊川神社にも近い。東京駅から営業キロで589.5km続いた東海道本線はこの駅で終点であるが、線路はこの先山陽本線へと続いている。
データ[編集]
路線データ[編集]
管轄・路線延長[編集]
- 営業キロ
- 全長713.6km(支線含む。東京駅 - 神戸駅間589.5km)
- 東日本旅客鉄道(JR東日本) - 第一種鉄道事業者 全長172.5km
- 東海旅客鉄道(JR東海) - 第一種鉄道事業者 全長360.1km
- 西日本旅客鉄道(JR西日本) - 第一種鉄道事業者 全長166.1km
- 日本貨物鉄道(JR貨物)
- 第一種鉄道事業区間 全長14.9km
- 山王信号場 - 名古屋港駅間 6.2km(通称:名古屋港線)
- 吹田信号場 - 大阪貨物ターミナル駅間 8.7km(通称:大阪ターミナル線)
- 第二種鉄道事業区間
- 品川駅 - 熱海駅間 (97.8km)
- 品川駅 - 新鶴見信号場間 (13.9km)
- 東京貨物ターミナル駅 - 浜川崎駅間 (12.9km)
- 鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間 (16.0km)
- 鶴見駅 - 八丁畷駅間 (2.3km)
- 鶴見駅 - 新興駅 - 東高島駅 - 桜木町駅間 (11.2km)
- 熱海駅 - 米原駅間 (341.3km)
- 南荒尾信号場 - 関ヶ原駅間 (10.7km)
- 南荒尾信号場 - 美濃赤坂駅間 (1.9km)
- 米原駅 - 神戸駅間 (139.0km)(北方貨物線経由)
- 吹田駅 - 梅田信号場 - 福島駅間 (8.5km)
- 第一種鉄道事業区間 全長14.9km
- 支社ごとの管轄区間
- 東日本旅客鉄道東京支社 : 東京駅 - 蒲田駅間、品川駅 - 西大井駅間、浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅間
- 東日本旅客鉄道横浜支社 : 川崎駅 - 熱海駅間、武蔵小杉駅 - 鶴見駅間、川崎貨物駅 - 浜川崎駅間、鶴見駅 - 八丁畷駅間、鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間、鶴見駅 - 桜木町駅間
- 東海旅客鉄道静岡支社 : 熱海駅(構内のぞく) - 新所原駅間
- 東海旅客鉄道東海鉄道事業本部(直轄) : 新所原駅 - 米原駅間(両端駅構内のぞく、新垂井線含む)、大垣駅 - 美濃赤坂駅間
- 西日本旅客鉄道近畿統括本部(直轄) : 米原駅 - 神戸駅間、吹田駅 - 福島駅間、吹田駅 - 宮原操車場 - 尼崎駅間、京都貨物駅 - 丹波口駅間[脚注 9]
- 会社境界駅については、熱海駅はJR東日本、米原駅はJR西日本の管轄。JR東日本とJR東海との境界は熱海駅西側の丹那トンネル東口付近、JR東海とJR西日本との境界は米原駅東方。
駅[編集]
駅数:181
- 旅客駅:168(起終点駅含む、品川駅 - 武蔵小杉駅 - 鶴見駅間、大垣駅 - 美濃赤坂駅間以外の支線の駅をのぞく)
- JR東日本:35
- JR東海:83(熱海駅・米原駅をのぞく)
- JR西日本:50
- 貨物駅:13(旅客併設駅をのぞく)
線路・電化方式[編集]
- 軌間
- 1067mm
- 複線・単線区間
- 複々線以上(在来線※):
- 複線:
- JR東日本 : 小田原駅 - 熱海駅間、品川駅 - 武蔵小杉駅 - 新鶴見信号場間、浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅 - 浜川崎駅間、鶴見駅 - 八丁畷駅間、鶴見駅 - 東高島駅間、鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間
- JR東海 : 熱海駅 - 名古屋駅間、稲沢駅 - 米原駅間(南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ヶ原駅間は、上り本線と垂井線の並列)
- JR西日本 : 米原駅 - 草津駅間、吹田駅 - 梅田信号場間、吹田駅 - 宮原操車場 - 尼崎駅間
- 単線:単線区間はすべて支線
- JR東日本 : 入江信号場 - 新興駅間、東高島駅 - 桜木町駅間
- JR東海 : 南荒尾信号場 - 美濃赤坂駅間、南荒尾信号場 - (新垂井) - 関ヶ原駅間(下り専用の勾配緩和別線)
- JR西日本 : 京都貨物駅 - 丹波口駅間、梅田信号場 - 福島駅間
- JR貨物 : 山王信号場 - 名古屋港駅間、吹田駅 - 大阪貨物ターミナル駅間
- 電化区間
- 下記以外の全区間 : 直流1500V
- JR貨物山王信号場 - 名古屋港駅間 : 非電化
運行管理[編集]
- 閉塞方式
- (複線および単線)自動閉塞式 : 下記以外
- 車内信号式(ATC方式) : 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅間の電車線(山手線・京浜東北線)
- 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) : 吹田駅 - 大阪貨物ターミナル駅間
- タブレット閉塞式 : 八幡信号場 - 名古屋港駅間
- 保安装置
- 最高速度(電車および気動車)
- JR東日本
- 東京駅 - 小田原駅間 120km/h
- 小田原駅 - 熱海駅間 110km/h
- 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅間(電車線) 90km/h
- 浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅 - 大船駅間(東海道貨物線) 95km/h
- 大船駅 - 小田原駅間(東海道貨物線) 120km/h
- 新鶴見信号場 - 東高島駅 - 桜木町駅間(東海道貨物支線) 95km/h
- JR東海
- 熱海駅 - 豊橋駅間 110km/h
- 豊橋駅 - 米原駅間 120km/h
- 南荒尾信号場 - 美濃赤坂駅間(支線) 85km/h
- 南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ヶ原駅間(垂井線) 85km/h
- JR西日本
- 米原駅 - 神戸駅間 130km/h
- JR東日本
旅客運賃・乗車券関連[編集]
- 旅客運賃体系
- 後述の電車特定区間をのぞいて幹線運賃
- 大都市近郊区間(旅客営業規則による)
- 東京近郊区間 : 東京駅 - 熱海駅間、品川駅 - 武蔵小杉駅 - 鶴見駅間
- 大阪近郊区間 : 米原駅 - 神戸駅間
駅一覧[編集]
この節では、当路線上に設置されている停車場(駅・信号場)を会社ごとに列挙する。本項目では全停車場の名称と主要な停車場(主に支線・他路線の分岐点や運行上の拠点駅)のキロ程のみを記し、詳細は地域ごとの路線記事・系統記事に記載する。また過去に存在した停車場についても触れる。
(貨)は貨物専用駅。◆・◇・■を付与した駅は貨物取扱駅を表す(◇は定期貨物列車発着なし、■はオフレールステーション)[31]。(臨)は臨時駅を表す。支線・貨物線の名称は通称。
東日本旅客鉄道[編集]
詳細については各運行系統記事(東海道線 (JR東日本)、湘南新宿ライン、横須賀線、京浜東北線、山手線)、および下に記された各支線記事を参照。
() 内は起点からの営業キロ
- 本線
- 東京駅 (0.0km) - 有楽町駅 - 新橋駅 - 浜松町駅 - 田町駅 - 品川駅◇ (6.8km) - 大井町駅 - 大森駅 - 蒲田駅 - 川崎駅 (18.2km) - 鶴見駅 (21.7km) - 新子安駅 - 東神奈川駅 (27.0km) - 横浜駅 (28.8km) - 保土ヶ谷駅 - 東戸塚駅 (36.7km) - 戸塚駅 - 大船駅 (46.5km) - 藤沢駅 - 辻堂駅 - 茅ヶ崎駅 (58.6km) - 平塚駅 - (貨)相模貨物駅◆ - 大磯駅 - 二宮駅 - 国府津駅 (77.7km) - (貨)西湘貨物駅◇ - 鴨宮駅◇ - 小田原駅◇ (83.9km) - 早川駅 - 根府川駅 - 真鶴駅 - 湯河原駅 - 熱海駅 (104.6km) - (来宮駅)[脚注 10]
- 品鶴線
- 品川駅 (0.0km) - 西大井駅 - 武蔵小杉駅 (10.0km) - 新川崎駅 - 新鶴見信号場 - 鶴見駅 (17.8km)
- 東海道貨物線
- 浜松町駅 (0.0km) - (貨)東京貨物ターミナル駅◆ (7.7km) - (貨)川崎貨物駅◆ - 浜川崎駅◇ (20.6km)
- 鶴見駅 (0.0km) - 八丁畷駅 (2.3km)
- 鶴見駅 (0.0km) - (貨)横浜羽沢駅◆ (8.3km) - 東戸塚駅 (16.0km)
- 高島線(貨物線)
- 鶴見駅 (0.0km) - (貨)東高島駅 - 桜木町駅 (8.5km)
東海旅客鉄道[編集]
詳細については、熱海駅 - 豊橋駅間は「東海道線 (静岡地区)#駅一覧」、豊橋駅 - 米原駅間は「東海道線 (名古屋地区)#駅一覧」を参照。
() 内は起点(本線は東京駅、美濃赤坂線は大垣駅)からの営業キロ
- 本線
- 熱海駅 (104.6km) - 函南駅 - 三島駅◇ (120.7km) - 沼津駅◆ (126.2km) - 片浜駅 - 原駅◇ - 東田子の浦駅 - 吉原駅◇ - 富士駅◆ (146.2km) - 富士川駅 -新蒲原駅 - 蒲原駅 - 由比駅 - 興津駅 - 清水駅 - 草薙駅 - (貨)静岡貨物駅◆ - 東静岡駅 - 静岡駅 (180.2km) - 安倍川駅 - 用宗駅 - 焼津駅 - 西焼津駅 -藤枝駅 - 六合駅 - 島田駅◇ - 金谷駅 - 菊川駅 - 掛川駅 (229.3km) - 愛野駅 - 袋井駅 - 磐田駅◇ - 豊田町駅 - 天竜川駅 - 浜松駅 (257.1km) - (貨)西浜松駅◆ - 高塚駅 - 舞阪駅 - 弁天島駅 - 新居町駅 - 鷲津駅 - 新所原駅 - 二川駅 - 豊橋駅■ (293.6km) - 西小坂井駅 - 愛知御津駅 - 三河大塚駅 - 三河三谷駅 - 蒲郡駅 - 三河塩津駅 - 三ヶ根駅 - 幸田駅 - 相見駅 - 岡崎駅 (325.9km) - 西岡崎駅 - 安城駅 - 三河安城駅 (336.3km) - 東刈谷駅 - 野田新町駅 - 刈谷駅 - 逢妻駅 - 大府駅 (346.5km) - 共和駅 - 南大高駅 - 大高駅 - 笠寺駅 - 熱田駅 - 金山駅 (362.7km) - 尾頭橋駅 - 名古屋駅◇ (366.0km) - 枇杷島駅 - 五条川信号場 - 清洲駅◇ - 稲沢駅◆ - 尾張一宮駅 - 木曽川駅 - 岐阜駅 (396.3km) - 西岐阜駅 - (貨)岐阜貨物ターミナル駅◆ - 穂積駅◇ - 大垣駅 (410.0km) - 南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ヶ原駅 (423.8km) - 柏原駅 - 近江長岡駅◇ - 醒ヶ井駅 - 米原駅◇ (445.9km)
- 美濃赤坂線
- 大垣駅 (0.0km) - 南荒尾信号場 (3.1km) - 荒尾駅 - 美濃赤坂駅◆ (5.0km)
西日本旅客鉄道[編集]
詳細については各愛称路線記事(米原駅 - 京都駅間は琵琶湖線、京都駅 - 大阪駅間はJR京都線、大阪駅 - 神戸駅間はJR神戸線)、および下に記された各支線記事を参照。
() 内は起点(本線は東京駅)からの営業キロ
- 本線
- 米原駅◇ (445.9km) - 米原操車場 - 彦根駅 - 南彦根駅 - 河瀬駅 - 稲枝駅 - 能登川駅 - 安土駅 - 近江八幡駅 - 篠原駅 - 野洲駅 (483.9km) - 守山駅◇ - 栗東駅 - 草津駅◇ (491.4km) - 南草津駅 - 瀬田駅 - 石山駅◇ - 膳所駅◇ - 大津駅 - 山科駅 (508.1km) - 京都駅 (513.6km) - (貨)京都貨物駅◆ (515.4km) - 西大路駅 - 桂川駅 - 向日町駅◇ - 長岡京駅 - 山崎駅 - 島本駅 - 高槻駅 (535.2km) - 摂津富田駅 - 茨木駅 - 千里丘駅 - 吹田信号場(吹田貨物ターミナル駅◆) (546.3km) - 岸辺駅 - 吹田駅 (548.8km) - 東淀川駅 - 新大阪駅 (552.6km) - 大阪駅 (556.4km) - 塚本駅 - 尼崎駅 (564.1km) - 立花駅 - 甲子園口駅 - 西宮駅 - さくら夙川駅 - 芦屋駅 - 甲南山手駅 - 摂津本山駅 - 住吉駅 - 六甲道駅 - 東灘信号場 - 灘駅 - 三ノ宮駅 (587.0km) - 元町駅 - 神戸駅 (589.5km)
- 山陰連絡線
- 京都貨物駅 (0.0km) - 丹波口駅 (3.3km)
- 北方貨物線
- 吹田駅 (0.0km) - 宮原操車場 - 尼崎駅 (10.7km)
- 梅田貨物線
- 吹田駅 (0.0km) - 新大阪駅 - 梅田信号場 - 福島駅 (8.5km)
- JR Kyoto sta01nt3200.jpg
京都駅
- JRW osaka-station 201104.jpg
大阪駅
- Kobe Station01bs5s3750.jpg
神戸駅
日本貨物鉄道[編集]
名古屋港線についての詳細は路線記事を参照。() 内は起点からの営業キロ
- 名古屋港線
- 山王信号場 (0.0km) - 八幡信号場 - (貨)名古屋港駅 (6.2km)
- ※山王信号場は中央本線の線路上に設けられている。1987年 - 1994年には山王信号場 - 名古屋港駅間にJR東海のナゴヤ球場正門前駅が設置されていた。
- 大阪ターミナル線
- 吹田信号場 (0.0km) - (貨)大阪貨物ターミナル駅◆ (8.7km)
未成線[編集]
- 南方貨物線
- 大府駅 - 笠寺駅 - (貨)名古屋貨物ターミナル駅
- ※後述の西名古屋港線とあわせ、貨物列車のバイパスとする予定の路線であったが、工事凍結となった。
廃止区間[編集]
( ) 内は起点からの営業キロ。駅名・施設名は廃止時点のもの。東海道貨物線、高島線、名古屋港線、神戸臨港線も参照。
- 貨物支線(1985年廃止)
- 汐留駅 (0.0km) - 芝浦駅 (2.8km)
- 貨物支線(1984年廃止)
- 汐留駅 (0.0km) - 東京市場駅 (1.1km)
- 貨物支線(1959年廃止)
- 東神奈川駅 (0.0km) - 海神奈川駅 (2.0km)
- 支線(1915年廃止)
- 桜木町駅 (0.00km) - 保土ヶ谷駅 (4.02km)
- 貨物支線(平塚支線・1924年廃止)
- 平塚駅 (0.00km) - 駅名不詳(1.61km 駅名は「平塚荷扱所」とも)
- 旧線(1934年に御殿場線に改称)
- 国府津駅 (0.0km) - 下曽我駅 (3.8km) - 松田駅 (10.2km) - 山北駅 (15.9km) - 谷峨信号場 (20.0km) - 駿河駅(現在の駿河小山駅)(24.6km) - 足柄信号場 (28.9km) - 御殿場駅 (35.5km) - 富士岡信号場 (40.6km) - 岩波信号場 (45.3km) - 裾野駅 (50.7km) - 三島駅(初代。現在の下土狩駅)(55.6km) - 沼津駅 (60.2km)
- ※谷峨・足柄・富士岡・岩波の4信号場は後に駅に変更されている。
- 貨物支線(沼津港線・1974年廃止)
- 沼津駅 (0.0km) - 沼津港駅 (3.0km)
- 貨物支線(1930年廃止)
- 熱田駅 (0.0km) - 古渡信号場 (1.8km) - 千種駅 (4.8km)
- 貨物支線(西名古屋港線)
- 名古屋駅 (0.0km) - 名古屋貨物ターミナル駅 (3.9km) - 西名古屋港駅 (12.6km)
- ※2004年に、名古屋臨海高速鉄道に転換
- 旧線(1899年廃止)
- 関ヶ原駅 (0.00km) - (貨)深谷駅 (7.34km) - 春照駅 (10.60km) - 上阪駅 - 長浜駅 (23.03km)
- (貨)深谷駅 (0.00km) - 近江長岡駅 (2.88km)
- ※春照駅、上阪駅は廃線前に廃止
- 貨物支線(1969年廃止・以前の大津線)
- 膳所駅 (0.0km) - 浜大津駅 (2.2km)
- 旧線(1921年廃止)
- 膳所駅 (0.0km) - 大谷駅 (3.06km) - 大塚信号所 (6.12km) - 山科駅 (8.53km) - 稲荷駅 (13.36km) - 京都駅 (16.25km)
- ※稲荷駅 - 京都駅間は現在の奈良線。
- 貨物支線(1984年廃止)
- 梅小路駅 (0.0km) - 京都市場駅 (2.8km)
- 支線(1877年廃止・安治川支線)
- 大阪駅 (0.00km) - 安治川駅 (2.82km)
- 貨物支線(1980年廃止)
- 尼崎駅 (0.0km) - 尼崎市場駅 (1.5km)
廃駅[編集]
#廃止区間にある駅をのぞく。東海道貨物線・高島線・名古屋港線・神戸臨港線も参照。
- 呉服橋駅:1914年廃止、東京駅北方(-0.3km付近)
- 神奈川駅:1928年廃止、東神奈川駅 - 横浜駅間(28.2km付近)
- 平沼駅:1915年廃止、横浜駅南方(29.5km付近)
- 興津川駅:1890年廃止、由比駅 - 興津駅間
- 清見寺仮乗降場:1907年廃止、興津駅 - 清水駅間
- (臨)袖師駅:1971年廃止、興津駅 - 清水駅間 (166.7km)
- (貨)笹島駅:1986年廃止、名古屋駅同一地点扱い (366.0km)
- 新垂井駅:1986年廃止、大垣駅 - 関ヶ原駅間(下り専用線、大垣駅起点8.1km)
- 大宮通仮停車場:1877年廃止、梅小路駅付近
- 戎仮乗降場:1915年廃止、西宮駅 - 芦屋駅間(574.5km付近)
- 岡本仮乗降場:1915年廃止、摂津本山駅・甲南山手駅付近(初代・2代目は578.2km付近、3代目は576.6km付近)
- (貨)東灘駅:1972年廃止、現在の東灘信号場 (583.7km)
廃止信号場[編集]
#廃止区間にあるものをのぞく。
- 伊皿子信号所:田町駅 - 品川駅間、電車線上(約6.0km)
- 芝仮信号場:伊皿子信号所と同一地点
- 子安信号所:鶴見駅 - 新子安駅間(約24.6km)
- 権現信号所:保土ヶ谷駅 - 東戸塚駅間(約34.2km)
- 川上信号所:東戸塚駅 - 戸塚駅間(約37.0km)
- 久保信号所:戸塚駅 - 大船駅間(約43.6km)
- 馬入川仮信号場:茅ヶ崎駅 - 平塚駅間(約61.6km)
- 来宮信号場:熱海駅 - 函南駅間(105.8km。来宮駅構内に併合)
- 沼川仮信号場:吉原駅 - 富士駅間(約142.3km)
- 富士川信号所:富士駅 - 富士川駅間(約148.1km)
- 洞隧道仮信号所:由比駅 - 興津駅間(初代は約161.9km、2代目は約161.6km)
- 洞仮信号場:由比駅 - 興津駅間 (162.6km)
- 石部仮信号所:用宗駅 - 焼津駅間(約190.0km)
- 磯浜仮信号所:用宗駅 - 焼津駅間(約191.1km)
- 瀬戸川仮信号所:用宗駅 - 焼津駅間(約192.0km)
- 青島信号所:六合駅 - 島田駅間
- 友田信号場:金谷駅 - 菊川駅間 (217.7km)
- 梅橋信号所:掛川駅 - 袋井駅間(約233.6km)
- 原谷野川仮信号所:袋井駅 - 磐田駅間(約239.3km)
- 太田川仮信号所:袋井駅 - 磐田駅間(約241.6km)
- 天竜橋信号所:豊田町駅 - 天竜川駅間(約249.8km)
- 白須賀信号所:鷲津駅 - 新所原駅間(約281.6km)
- 大塚信号所:三河大塚駅付近(約305.6km)
- 深溝信号所:三河塩津駅 - 三ヶ根駅間(約314.7km)
- 野田信号場:東刈谷駅付近(約338.1km)
- 露橋仮信号場:尾頭橋駅 - 名古屋駅間 (363.6km)
- 栄生仮信号場:名古屋駅 - 枇杷島駅間 (368.2km)
- 清洲信号所:枇杷島駅 - 清洲駅間(約373.2km)
- 木曽橋仮信号所:木曽川駅 - 岐阜駅間(約391.7km)
- 長良川仮信号所:西岐阜駅 - 穂積駅間(約401.1km)
- 寺倉信号場:醒ヶ井駅 - 米原駅間(約443.0km)
- 高宮川仮信号所:南彦根駅 - 河瀬駅間(約455.7km)
- 野洲川信号所:野洲駅 - 守山駅間(約486.2km)
- 狼川信号場:南草津駅 - 瀬田駅間(約495.1km)
- 瀬田川仮信号場:瀬田駅 - 石山駅間(約497.6km)
- 東山仮信号場:山科駅 - 京都駅間 (512.0km)
- 桂川信号所:西大路駅 - 向日町駅間(約517.9km)
- 吉祥院信号所:西大路駅 - 向日町駅間(約518.1km)
- 神足信号所:向日町駅 - 長岡京駅間(約523.4km)
- 桜井仮信号場:山崎駅 - 高槻駅間 (529.6km)
- 梶原信号所:山崎駅 - 高槻駅間(約531.9km)
- 富田信号所:摂津富田駅付近(約538.1km)
- 茨木川仮信号所:摂津富田駅 - 茨木駅間(約540.2km)
- 坪井信号所:千里丘駅 - 吹田駅間(約544.9km)
- 千里信号場:吹田駅 - 東淀川間 (549.2km)
- 片町線貨物支線(吹田駅 - 放出駅間)の分岐点。
- 西吹田仮信号場:吹田駅 - 東淀川駅間 (550.2km)
- 高畑仮信号所:吹田駅 - 大阪駅間
- 宮原信号場:東淀川駅 - 新大阪駅間 (552.3km)
- 北方貨物線と本線の分岐点。
- 山口信号所:東淀川駅 - 新大阪駅間(約552.4km)
- 上淀川仮信号場:新大阪駅 - 大阪駅間 (554.7km)
- 野里信号場:塚本駅 - 尼崎駅間(約560.1km)
- 歌島信号場:塚本駅 - 尼崎駅間初代は約561.2km、2代目は560.6km)
- 北方貨物線と本線の合流地点。塚本駅に統合され廃止。
- 水野信号所:立花駅 - 甲子園口駅間(約567.7km)
- 武庫川仮信号所:立花駅 - 甲子園口駅間(約568.5km)
- 芦屋仮信号所:芦屋駅 - 甲南山手駅間(約576.3km)
補足注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 正式には山手線は品川駅 - 新宿駅 - 田端駅間、横須賀線は大船駅 - 久里浜駅間の路線であり、京浜東北線は大宮駅 - 東京駅 - 横浜駅間の電車線の通称。東京駅 - 品川駅 - 横浜駅間の山手線・京浜東北線の線路および東京駅 - 大船駅間の横須賀線の線路はすべて東海道本線に含まれている。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 「琵琶湖線」は北陸本線の米原駅 - 長浜駅間を含めた長浜駅 - 京都駅間、「JR京都線」は京都駅 - 大阪駅間、「JR神戸線」は山陽本線の神戸駅 - 姫路駅間を含めた大阪駅 - 姫路駅間の愛称として使用されている。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 急行電車とは現在の快速列車に相当するもので、特別料金が必要な急行列車とは異なる。
- ↑ RP2004-9 10-23頁「東海道本線 線路改良の記録」によると、この日(1970年3月9日)に草津駅 - 京都駅間が複々線化と記されている。
- ↑ 距離はいずれも営業キロ。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 神戸駅以西の山陽本線も含めると、新長田駅東側まで方向別複々線が続き、同駅付近から西明石駅まで線路別複々線となっている。
- ↑ 7.0 7.1 貨物線および横須賀・総武快速線の東京トンネルをのぞく。
- ↑ 詳細は「桜橋駅 (静岡県)」参照
- ↑ 駅業務については、米原駅 - 吹田駅間各駅(京都駅は在来線部分のみ)を京都支社、東淀川駅 - 尼崎駅間各駅(新大阪駅は在来線部分のみ)を大阪支社、立花駅 - 神戸駅間各駅を神戸支社が、それぞれ受け持つ。
- ↑ 10.0 10.1 来宮駅は連動駅であるが東海道線上にはホームは無い。
出典[編集]
参考文献
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関連項目[編集]
列車の沿革
- 優等列車
- 東海道本線優等列車沿革
- 東海 (列車)#東京対名古屋間優等列車沿革
- 近鉄特急史#東海道本線 : 名古屋対大阪間について
- 山陽本線優等列車沿革 : 当路線から山陽本線に直通する列車について
- マリンライナー#四国連絡列車沿革 : 四国への宇高連絡船に連絡(または瀬戸大橋線を経由)する列車について
- 主なダイヤ改正時の東海道本線優等列車
- 普通列車
- 湘南電車、東海道線 (JR東日本)#東海道線東京口普通列車の沿革、湘南新宿ライン#歴史 : 首都圏(中距離列車)
- 山手線、京浜東北線、横須賀線 : 首都圏(近距離電車)
- 東海道線 (静岡地区)#静岡地区都市型ダイヤの沿革
- 東海道線 (名古屋地区)#東海道本線中京圏の列車の沿革
- 京阪神快速#歴史 : 京阪神地区(新快速・快速)
- 京阪神緩行線#沿革 : 京阪神地区(各駅停車)
- ムーンライトながら#東海道本線夜行普通列車沿革