北陸本線

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

北陸本線(ほくりくほんせん)は、滋賀県米原市米原駅から新潟県上越市直江津駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線幹線)である。米原~近江塩津間が大阪近郊区間に含まれる。このほか、通称敦賀港線とも呼ばれる敦賀敦賀港間の貨物支線を持つ。

日本海に沿って近畿北陸東北とを結ぶ日本海縦貫線の一部を構成する。また、米原~長浜間は東海道本線の米原~京都間とともに琵琶湖線の愛称がある。

米原~近江塩津間ではICOCA、及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica東海旅客鉄道(JR東海)のTOICA、またスルッとKANSAIPiTaPaが使用できる。さらに米原~長浜間では、上記に加えてJスルーカードも使える。

路線データ[編集]

なお、支社及び鉄道部の管轄は以下のように分かれている。

運行形態[編集]

優等列車[編集]

並行する新幹線がないため、大阪・名古屋方面および新潟・越後湯沢上越新幹線と接続)方面への特急列車が多数運転されている。そのため、「特急銀座」とも呼ばれる。大阪方面からの特急列車の大半は湖西線を経由するが、大阪~新潟間の急行きたぐに」は米原経由となっている。ただし、強風などの影響により湖西線が不通になった場合、湖西線経由の特急も米原経由で運転される。

地域輸送[編集]

米原~敦賀間[編集]

長らく電化方式の違いにより北陸線ローカル列車は本数も少なく、東海道線との直通列車がほとんどなく不便であったが、地域を活性化する手段として京阪神からの新快速の直通運転を滋賀県・長浜市が主体で計画し、費用の地元負担により1991年に米原~長浜間が直流電化に転換された。運転本数増加と直通運転による利便性の向上は観光客の増加・地元人口の増加などの効果を呼び、大きな成果を上げた。

その成功により、滋賀県が湖北地区活性化を、福井県・敦賀市が観光客誘致を目的に直流化を計画し、敦賀までは2006年10月に直流へと電化方式が変更された(工事完成は2006年9月24日、ダイヤ改正は10月21日)。

この直流化工事により現在は大阪方面からの新快速が1時間に1本程度、1日上下25本(うち、米原経由が8本・湖西線経由が17本)敦賀まで運転されている(北陸本線内は各駅に停車)。また、米原経由近江塩津折り返しの列車も18本設定されている。昼間時間帯以外では新快速の本数が少なくなるために地元自治体ではラッシュ時・深夜にも新快速を増やすようJR西日本に要望を出している。

直流化に合わせてホームの嵩上げ工事が行われた。1991年の長浜までは8両分、2006年の敦賀延長時の虎姫~敦賀間は4両分のホーム有効長となっている。そのため、北陸線に直通する新快速には米原(または湖西線近江今津東海道本線JR京都線京都)で分割併合するものが多い。

長浜~敦賀間の直流化完成時に、一部の普通列車でワンマン運転に対応した両運転台の125系電車が投入された。また、交直両用の新型車両521系電車が製造され、2006年11月30日から順次使用が開始された。

近江塩津折り返しの新快速の運行補完を目的に、13時台以降は長浜折り返しの新快速に接続する長浜~近江塩津間の区間列車を毎時1本設定し、長浜以北における利便性をさらに高めている。この列車は1時間毎に125系と521系が交互に担当している。なお、下りは近江塩津で湖西線からの新快速敦賀行きと接続させることで、利便性のさらなる改善を図っている。

新快速は近江舞子・米原以北の各駅停車区間でも「新快速」の表示を出し、駅時刻表も新快速と表記されている。京阪神の快速が明石以西・高槻(一部時間帯では京都)以東で「普通」となるのに対して、新快速は(姫路以西も含めて)各駅停車でも新快速である。これは新快速が一種のブランド化している現象で、地元自治体にとっては実体が各駅停車であっても「新快速が直通する」ことが大事なのである。

敦賀~金沢間[編集]

敦賀、今庄、武生、鯖江、福井、芦原温泉、大聖寺、小松、美川、松任、金沢の各駅間で普通列車が運転されている。

小松~七尾線に直通する列車も存在する。また福井~越前花堂間は越美北線(九頭竜線)のディーゼル列車も運行されている。

2007年3月改正ダイヤでは敦賀以東から滋賀方面に直通する普通列車は存在しない。滋賀方面から直通する普通列車は近江今津発の福井行き1本のみ存在する。

編成はほとんどの場合2両・3両・6両の編成であるが、越美北線のディーゼル列車は福井~越前花堂間を1両~2両などで運行している。福井以南ではワンマン運転を行う列車もある。

特急列車を中心としたダイヤが組まれているため、間隔が不均等な上に待避が多く、北陸新幹線開業による改善が期待されている。なお、福井以東(金沢~直江津間も含む)では20年以上に渡って新造車両の投入が滞っており、同区間の普通列車はすべて国鉄より継承された車両で運用されているが、2014年度の新幹線開業後に金沢以東がJR西日本から経営分離される可能性が高いこともあり、老朽化が進む普通列車用車両の置き換えは具体化していない。

また、敦賀~金沢間では唯一、早朝に福井から敦賀に向かい新快速と連絡する上り快速列車1本が存在し、福井、鯖江、武生、南条、今庄、敦賀に停車する。

この列車は1982年11月まで急行「くずりゅう」として運転されていたものだが、格下げ後は何度か普通列車に格下げされたり、快速に格上げされたりと不安定である。

金沢~直江津間[編集]

金沢、高岡、富山、黒部、泊、糸魚川、直江津の各駅間で普通列車が運転されている。

また、七尾線の全列車が金沢もしくは金沢以西発着で運転されている。そのうち上下各1本は北陸線内では金沢~津幡間無停車の快速列車である。朝ラッシュ時には城端線の城端から富山までを直通するディーゼル列車が平日に限り運行されている。

編成はほとんどの列車が3両もしくは6両であるが、城端から富山への直通列車や、その回送代わりに富山~高岡間を客扱いで定期運行する列車は1両編成や4両編成などである。

2007年3月18日のダイヤ改正では、七尾線直通列車以外では久々となる快速列車が設定された。2006年11月に開業した商業施設金沢フォーラスへの買い物客の利用を見込み、土曜・休日の午前中に富山から金沢に向かう上り2本が「ショッピングトレイン」として新設された。このうち1本は以前からも休日のみ運転の快速列車(後に普通列車に降格)として同区間を往復する形ですでに設定されていたが、2004年3月に同区間を運行する高速バス路線が設定され利用客の流出が起こったため、当該列車の快速列車への再昇格および増発に踏み切った経緯がある。富山、小杉、高岡、福岡、石動、津幡、金沢に停車する。時刻表には列車名が記載されていないが、専用のヘッドマークが掲示された。なお、金沢駅構内に新たな商業施設として金沢百番街「くつろぎ館」がオープンした2007年5月26日からは列車名を「ホリデーライナーかなざわ」に変更し、ヘッドマークも新規のものが掲示された。

なお、1960年代には福井~富山駅間を運行する快速列車として「こしじ」の名称を与えられているものもあった。

貨物輸送[編集]

日本海縦貫線の一部である北陸線では、貨物輸送が盛んである。大半の貨物列車は、EF81形電気機関車EF510形電気機関車の牽引するコンテナ車で編成された高速貨物列車である。また各区間に1往復ずつではあるが、化学薬品輸送タンク車などで編成された専用貨物列車も運行されている。貨物支線である敦賀~敦賀港間にも、1往復の高速貨物列車が運行されている。

北陸線の貨物列車の発着があるコンテナの取扱駅は、敦賀港駅南福井駅金沢貨物ターミナル駅富山貨物駅青海駅である。

使用車両[編集]

北陸本線では、以下の車両が使用される。

特急・急行列車[編集]

普通列車[編集]

その他、穴水~七尾間で普通列車を運行している第三セクター鉄道ののと鉄道が七尾~津幡~金沢間の乗り入れも目論み、2005年に新型車両を導入しているが、2007年現在では七尾以南の具体的な運行予定は無い。

歴史[編集]

概略[編集]

北陸本線は全線が官営鉄道として建設された。長浜~敦賀港間は東海道線の支線として日本人技術者の手で建設され、1889年に同区間が開業した。敦賀港が1899年に国際港として開港するとロシアなど大陸との定期航路に連絡する列車が運行されるようになった。

当初、木ノ本~敦賀間は塩津経由で計画されていたが、諸事情により柳ヶ瀬経由で敷設された。これには柳ヶ瀬~今庄間に連絡線を敷設する意図もあったそうである。その後、後述のように紆余曲折を経て68年後の1957年の近江塩津経由の新線への切り替えにより当初の計画通りの路線に落ち着いた。また柳ヶ瀬トンネル掘削工事は難航し、トンネルが開通するまでの2年ほどは雁ヶ谷~洞道西口間は峠越えの徒歩連絡であった。

福井、金沢、富山方面への延伸にあたっては、政府の財政難から民間資本による建設が計画されたが、不況で資金が集まらず会社設立まで至らなかったり、鉄道敷設の仮免状下付にまで漕ぎ付けたものの内紛から着工することができなかったため、結局その後、敦賀以遠も官営鉄道として建設することが決定され、1893年に着工された。

1896年に敦賀~福井間が開業し、同年に北陸線と命名された。この時、敦賀~今庄間は険しい山地を避け海側の杉津経由で建設されたが、それでも25‰の急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所となった。「北陸線の盲腸」とまで謂われた路線ではあるが、その路線風景の美しさは鉄道唱歌にも詠われたほどである。時の大正天皇が行幸行脚した際には杉津駅で汽車の発車を止めて、しばし眼下に広がる敦賀湾の眺望を堪能したという逸話も残っている。

路線はさらに延伸され、1899年には富山駅まで開業した。当時の富山駅は神通川の付け替え(馳越線)の計画があったことなどから、1903年に神通川が付け替えられた後の1908年に神通川橋梁が完成するまで神通川左岸にあたる田刈屋に設けられた。

北陸最大の難所といわれる親不知海岸を通る富山~直江津間は富山線(富山東線・富山西線)として建設された。1909年の線路名称制定時に米原~魚津間が北陸本線とされ、糸魚川までは北陸本線として開業し、糸魚川~直江津間は信越線の一部として開業した。そして1913年に最後の青海~糸魚川間が開業し、米原~直江津間の全線が北陸本線となった。

全通してからは輸送力増大のため、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となった。

木ノ本~敦賀間は日本初のダイナマイト掘削による柳ヶ瀬トンネルなどを含む鉄道敷設黎明期の旧規格の急勾配区間であり、開業時より土砂崩落、雪害、線路凍結やヤスデ異常繁殖による車輪空転事故、トンネル内の窒息事故などが頻発していた。就中、1928年12月の柳ヶ瀬トンネル内の窒息事故を契機に深阪経由の新線を敷設することが決定した。戦争を挟んで工事が一旦、中断したものの戦後第一次5か年計画として1952年に再開。不況により再度中断するもの1957年に木ノ本~敦賀間が近江塩津経由の新線に切り替えられた。この時、同区間の旧線は柳ヶ瀬線として分離される。その後、柳ヶ瀬線は勾配区間用にエンジン2基搭載したディーゼル車キハ52を投入したものの、赤字線から脱することができず、北陸本線並走区間複線化への路盤提供のためもあり、1964年に廃止されている。詳しくは当該項目を参照。

引き続き第二次5か年計画として敦賀~今庄間の改良工事に着手。1962年には全長13,870mの北陸トンネルが開通し、敦賀~今庄間が新線に切り替えられ、杉津経由の旧線は無事故を記録したまま廃止された。詳細は北陸トンネル、旧線各駅の項を参照。

現在、木ノ本~敦賀~今庄間の旧線ルートの大半には北陸自動車道が通っている。刀根下り、杉津上り両パーキングエリアはかつての駅跡である。この路線変更によりかつての急行停車駅、中ノ郷駅、今庄駅近辺は寂れ、杉津駅が廃止されたことにより、越前海岸に停車する駅が失われた。柳ヶ瀬区間および杉津区間の在りし日の記録フィルムが2004年に発掘されJR西日本金沢支社の手で編集、DVD化されている。

路線改良はこれに留まらず、倶利伽羅峠越え、親不知、更にはフォッサマグナにあたり、地盤が脆弱で地滑り事故の多発していた浦本~直江津間なども新線付け替えを余儀なくされた。いずれも長大なトンネルを含む新線に付け替えられ、輸送力・スピードアップ・事故防止・勾配緩和に貢献した。一方で風光明媚な海岸線の眺望などの喪失を残念がる年配者の声もある。

電化および複線化も順次進められた。1957年に田村~敦賀間が電化され、1969年には全線の電化・複線化が完成した。田村~梶屋敷間の電化では交流60Hzが採用されたが、交流電化としては仙山線に次いで日本で2番目、60Hzは日本初である。なお、民営化後に新快速など京阪神方面との直通運転のため1991年9月に田村~長浜間が直流電化に転換され、2006年9月24日には長浜~敦賀間が、湖西線の永原~近江塩津間とともに直流電化に転換された。

2014年度に北陸新幹線長野金沢間が開業する際、金沢~直江津間はJRの経営から分離されることになっている。具体的な運行主体は現時点では未定である(なお、北陸本線の富山駅と接続していた富山港線は、北陸新幹線建設に伴う富山駅周辺連続立体交差化事業の影響でJRと経営分離し、第三セクター鉄道の富山ライトレールとなったが、並行在来線の経営分離とは関係が無く、この会社が並行在来線の運行主体となる予定もない)。また、鉄道ファンの間では、金沢~直江津間の経営分離後に、首都圏~北陸間の輸送を受け持つ北陸新幹線とは利用者層が異なる一部の長距離列車(きたぐに・日本海・トワイライトエクスプレス)や貨物列車の運行がどのようになるのかについて、動向が注目されている。

年表[編集]

全通前[編集]

  • 1882年明治15年)3月10日 - 長浜~柳ヶ瀬間(15M5C50L≒24.25km)、洞道口~金ヶ崎間(8M76C16L≒14.4km)開業。柳ヶ瀬~洞道口間は徒歩連絡。長浜駅、大寺駅、河毛駅(初代)、高月駅、木ノ本駅、中ノ郷駅、柳ヶ瀬駅、洞道口駅(後の洞道西口駅)、刀根駅(初代)、麻生口駅、疋田駅、敦賀駅、金ヶ崎駅(現在の敦賀港駅)開業。
  • 1883年(明治16年)10月21日 - 洞道口駅を洞道西口駅に改称。
  • 1884年(明治17年)4月16日 - 柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬~洞道西口間(2M29C54L≒3.81km)延伸開業。洞道西口駅、麻生口駅廃止。
  • 1885年(明治18年)3月16日 - 高月~木ノ本間に井ノ口駅開業。刀根駅(初代)廃止。
  • 1886年(明治19年)5月1日 - 大寺駅、河毛駅(初代)廃止。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 米原~長浜間(4M50C≒7.44km)延伸開業。
    • 7月6日 - マイル・チェーン・リンク表記からマイル・チェーン表記に簡略化(米原~金ヶ崎間 31M1C21L→31M1C)。
  • 1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定、米原~敦賀~金ヶ崎間を北陸線とする。
  • 1896年(明治29年)7月15日 - 敦賀~福井間(38M40C≒61.96km)延伸開業。杉津駅、今庄駅、鯖波駅(現在の南条駅)、武生駅、鯖江駅、大土呂駅、福井駅開業。
  • 1897年(明治30年)9月20日 - 福井~小松間(30M3C≒48.34km)延伸開業。森田駅、新庄駅(現在の丸岡駅)、金津駅(現在の芦原温泉駅)、細呂木駅、大聖寺駅、動橋駅、小松駅開業。敦賀~金ヶ崎間旅客営業廃止。金ヶ崎駅を金ヶ崎荷扱所に変更。井ノ口駅廃止。
  • 1898年(明治31年)4月1日 - 小松~金沢間(17M48C≒28.32km)延伸開業。美川駅、松任駅、金沢駅開業。
    • 11月1日 - 金沢~高岡間(25M29C≒40.82km)延伸開業。津幡駅、石動駅、福岡駅開業(高岡駅は中越鉄道の駅として既に同年1月21日に開業)。
  • 1899年(明治32年)3月20日 - 高岡~富山間(11M5C≒17.8km)延伸開業。小杉駅、富山駅開業。
  • 1902年(明治35年)2月15日 - 新庄駅を丸岡駅に改称。
    • 6月1日 - 虎姫駅開業。
    • 11月1日 - 全線で改マイル(米原~富山間 +19C≒0.38km、敦賀~金ヶ崎間 +27C≒0.54km)。
    • 11月12日 - マイル・チェーン表記からマイル表記に簡略化(米原~富山間 153M7C→153.1M、敦賀~金ヶ崎間 1M5C→1.1M)。
  • 1903年(明治36年)1月1日 - 長浜駅舎移転。旧駅舎は現在の長浜鉄道記念館である。
  • 1907年(明治40年)11月16日 - 粟津駅開業。
  • 1908年(明治41年)2月16日 - 津幡~石動間に倶利伽羅信号所を開設。
    • 3月21日 - 杉津~今庄間に大桐信号所を開設。
    • 3月25日 - 金ヶ崎荷扱所を(貨)金ヶ崎駅に変更。
    • 4月21日 - 敦賀~杉津間に東郷信号所を開設。
    • 6月1日 - 大桐信号所が駅に昇格し大桐駅開業。
    • 11月3日 - 呉羽駅開業。
    • 11月16日 - 呉羽~富山間経路変更、富山駅移転(+0.4M≒0.64km)。富山線 富山~魚津間(15.8M≒25.43km)開業。東岩瀬駅(現在の東富山駅)、水橋駅、滑川駅、魚津駅開業。
  • 1909年(明治42年)6月1日 - 敦賀駅移転、米原方面~福井方面スイッチバック運転を解消(代りに米原方面~金ヶ崎駅がスイッチバックとなる)。
    • 6月15日 - 倶利伽羅信号所が駅に昇格し倶利伽羅駅開業。
    • 10月12日 - 線路名称制定、米原~魚津間、敦賀~金ヶ崎間を北陸本線とする。
  • 1910年(明治43年)4月16日 - 魚津~泊間(14.7M≒23.66km)延伸開業。三日市駅(現在の黒部駅)、生地駅、入善駅、泊駅開業。
  • 1911年(明治44年)7月1日 - 信越線 直江津~名立間(9.2M≒14.81km)開業。郷津駅、谷浜駅、名立駅開業。
    • 11月1日 - 森本駅開業。
  • 1912年(明治45年)3月2日 - 敦賀駅構内の線路を付け替え米原方面から金ヶ崎へのスイッチバックを解消。
    • 8月1日 - 野々市駅(初代、現在の西金沢駅)開業。
    • 10月15日 - 泊~青海間(14.5M≒23.34km)延伸開業。市振駅、親不知駅、青海駅開業。
    • 12月16日 - 信越線 名立~糸魚川間(16.5M≒26.55km)延伸開業。筒石駅、能生駅、梶屋敷駅、糸魚川駅開業。
    • 12月20日 - 寺井駅開業。

全通以後[編集]

  • 1913年(大正2年)4月1日 - 青海~糸魚川間(4.1M≒6.6km)開業し米原~直江津間全通。新規開業区間と信越線糸魚川~直江津間を北陸本線に編入。柳ヶ瀬~疋田間に刀根信号所を開設。
  • 1916年(大正5年)11月1日 - 東郷信号所が駅に昇格し新保駅開業。
    • 12月25日 - 刀根信号所が駅に昇格し刀根駅(2代目)開業。
  • 1918年(大正7年)11月15日 - 細呂木~大聖寺間に熊坂信号所を開設。
  • 1919年(大正8年)1月11日 - 敦賀~敦賀港間で旅客営業再開、改キロ(+0.4M≒0.64km)。金ヶ崎駅を敦賀港駅に改称。
    • 11月25日 - 新保~杉津間に葉原信号所を、杉津~大桐間に山中信号所を開設。
  • 1921年(大正10年)4月15日 - 熊坂信号所が駅に昇格し牛ノ谷駅開業。
  • 1922年(大正11年)3月15日 - 柳ヶ瀬~刀根間に雁ヶ谷信号所開設。
    • 4月1日 - 信号所を信号場に変更。
  • 1923年(大正12年)8月1日 - 加賀笠間駅開業。
  • 1925年(大正14年)8月1日 - 金沢~森本間に小坂信号場を、森本~津幡間に花園信号場を開設。
    • 10月1日 - 野々市駅を西金沢駅に改称。
  • 1926年(大正15年)5月1日 - 春江駅開業。
    • 7月3日 - 東岩瀬~水橋間に浜黒崎仮停車場開業。
  • 1927年昭和2年)9月1日 - 呉羽~富山間に田苅屋信号場開設。飛越線(現在の高山本線)分岐点。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更、一部営業キロ修正(米原~直江津間 228.3M→366.5km、敦賀~敦賀港間 1.5M→2.7km)。
  • 1931年(昭和6年)9月15日 - 法性寺駅(現在の坂田駅)開業。
  • 1932年(昭和7年)9月20日 - 貨物支線 敦賀港~敦賀新港間 (1.2km) 開業。(貨)敦賀新港駅開業。
  • 1933年(昭和8年)8月1日 - 小坂信号場が駅に昇格し東金沢駅開業。
  • 1938年(昭和13年)10月1日 - 金沢~津幡間複線化。花園信号場廃止。丸岡~金津間に越前下関駅開業。
  • 1940年(昭和15年)11月1日 - 法性寺駅、田村駅、越前下関駅廃止。
    • 12月1日 - 福井操車場~福井間複線化。同時に福井操車場開業。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 貨物支線 敦賀港~敦賀新港間 (1.2km) 廃止(1986年10月31日まで敦賀港駅構内側線として存続)。
    • 4月10日 - 今庄~鯖波間に湯ノ尾信号場を開設。
    • 10月1日 - 福井~森田間に北福井信号場を、大聖寺~動橋間に作見信号場を、滑川~魚津間に早月信号場を開設。
  • 1944年(昭和19年)10月11日 - 敦賀~新保間に深山信号場開設。作見信号場が駅に昇格し作見駅(現在の加賀温泉駅)開業。

第二次大戦後[編集]

  • 1946年(昭和21年)9月1日 - 名立~谷浜間に有間川仮乗降場が開業。
  • 1947年(昭和22年)7月1日 - 有間川仮乗降場が駅に昇格し有間川駅開業。
  • 1948年(昭和23年)2月13日 - 田苅屋信号場を田刈屋信号場に改称。
    • 8月25日 - 福井~森田間に九頭竜仮信号場を開設。
    • 8月30日 - 浜黒崎仮停車場廃止。
    • 9月1日 - 湯ノ尾信号場が駅に昇格し湯尾駅開業。
  • 1949年(昭和24年)4月8日 - 九頭竜仮信号場廃止。
  • 1950年(昭和25年)1月28日 - 浦本駅開業。
    • 5月20日 - 東岩瀬駅を東富山駅に改称。
  • 1951年(昭和26年)9月1日 - 北福井仮乗降場廃止。
  • 1952年(昭和27年)12月1日 - 福井操車場が駅に昇格し(貨)南福井駅開業。
  • 1954年(昭和29年)8月1日 - 坂田駅開業(法性寺駅の復活)。河毛駅(2代目)開業。
  • 1955年(昭和30年)5月1日 - 北鯖江駅開業。
    • 10月1日 - 富山操車場開設。
    • 11月11日 - 倶利伽羅~石動間に安楽寺信号場開設。
  • 1956年(昭和31年)4月10日 - 三日市駅を黒部駅に改称。
    • 11月10日 - 富山~富山操車場間複線化。
    • 11月19日 - 福岡~高岡間に西高岡信号場開設。田刈屋信号場廃止。
  • 1957年(昭和32年)4月25日 - 西高岡信号場が駅に昇格し西高岡駅開業。
    • 8月12日 - 田村~長浜間複線化。
    • 10月1日 - 木ノ本~近江塩津~敦賀間 (23.4km) が単線で開業。余呉駅、近江塩津駅、新疋田駅開業。近江塩津~新疋田間に沓掛信号場を、新疋田~敦賀間に鳩原信号場を、牛ノ谷~大聖寺間に熊坂信号場を、泊~市振間に越中宮崎信号場を開設。木ノ本~敦賀間の旧線 (26.1km) を柳ヶ瀬線として分離。田村~近江塩津~敦賀間交流電化。米原~田村間複線化。
      • 米原~田村間は非電化のまま残され、蒸気機関車の牽引により交直接続を行った。機関車交換のため、田村駅は急行停車駅となる。
      • 当初は倶利伽羅峠越え旧線に使用していたE10形が充てられたが、1962年(昭和37年)春までに全車引退(2号機のみ青梅鉄道公園で保存)。以降は信越線に使用していたD50形が投入され1969年(昭和44年)頃まで余生を送った。
    • 11月15日 - 市振~親不知間に風波信号場を開設。
    • 11月20日 - 越中宮崎信号場が駅に昇格し越中宮崎駅開業。
  • 1958年(昭和33年)4月10日 - 貨物支線 東富山~富山操車場~蓮町間 (8.5km) 開業(東富山~富山操車場間は本線との二重戸籍区間)。
  • 1959年(昭和34年)3月31日 - 生地~入善間に西入善信号場を開設。

1960年代[編集]

  • 1960年(昭和35年)5月31日 - 呉羽~富山間複線化。
    • 7月1日 - 西入善信号場が駅に昇格し西入善駅開業。
    • 9月26日 - 松任~西金沢間複線化。
    • 9月28日 - 西金沢~金沢間複線化。
    • 9月30日 - 石動~福岡間複線化。
  • 1961年(昭和36年)9月28日 - 福井~森田間複線化。
    • 9月29日 - 魚津~黒部間に片貝信号場、青海~糸魚川間に姫川信号場を開設。
  • 1962年(昭和37年)2月19日 - 丸岡~金津間複線化。
    • 3月19日 - 今庄~湯尾間複線化。
    • 3月21日 - 今庄~福井間交流電化。
    • 5月10日 - 複線電化に先立ち、今庄機関区廃区式、挙行。
    • 6月2日 - 新線切り替えに先立ち、敦賀~今庄旧線区間廃線式を挙行。
    • 6月9日 - 早朝上り216、下り225列車を以て下り線線路付け替えのため敦賀~杉津~今庄間 (26.4km) 廃止。以降終日新線を暫定使用。運行は旧ダイヤに基づき、敦賀駅で時間差調整された。深山信号場、新保駅、葉原信号場、杉津駅、山中信号場、大桐駅この日早朝限りで廃止。今庄機関区廃区。
      • 敦賀、今庄両機関区に在籍していた(小浜線用を除く)旧線用蒸気機関車はすべて金沢機関区に移籍(一部、長野機関区移籍。DFなどディーゼル機関車は富山機関区移籍。DDは米原機関区移籍になり、柳ヶ瀬線でも時折使用された)。
    • 6月10日 - 北陸トンネル正式開通。敦賀、福井各駅にて祝賀式典が執り行われる。敦賀~今庄間複線交流電化新線 (19.3km) 開業。南今庄駅開業。
      • 同時に福井~金沢間はディーゼル機関車牽引となり福井駅が機関車付け替え駅となる。
    • 8月1日 - 安楽寺信号場~石動間複線化。
    • 8月10日 - 福岡~西高岡間複線化。
    • 8月29日 - 小川信号場~泊間複線化。入善~泊間に小川信号場を開設。
    • 9月15日 - 倶利伽羅~安楽寺信号場間複線化。安楽寺信号場廃止。
    • 9月25日 - 津幡~倶利伽羅間複線化。
    • 9月27日 - 松梨信号場~寺井間複線化。小松~寺井間に松梨信号場を開設。
    • 9月28日 - 能生~筒石間に百川信号場開設。
    • 9月29日 - 寺井~小舞子間複線化。
    • 9月30日 - 熊坂信号場~大聖寺間複線化。
    • 12月10日 - 粟津~小松間複線化。
    • 12月28日 - 米原~田村間直流電化。田村駅の米原寄りにデッドセクションを設置。
  • 1963年(昭和38年)4月4日 - 福井~金沢間交流電化。
    • 4月15日 - 武生~鯖江間複線化。
    • 7月22日 - 牛ノ谷~熊坂信号場間複線化。熊坂信号場廃止。
    • 9月1日 - 小舞子~美川間複線化。
    • 9月16日 - 王子保~武生間複線化。
    • 9月25日 - 鯖波~王子保間複線化。
    • 9月27日 - 小松~松梨信号場間、高岡~越中大門間複線化。松梨信号場廃止。
    • 9月30日 - 新設された衣掛隧道ループ線(鳩原ループ線)を上り線として使用開始に伴い、新疋田~敦賀間複線化。
    • 10月1日 - 本線下り線専用となるため柳ヶ瀬線の疋田~敦賀間休止。バス転換。鳩原信号場廃止。
    • 10月20日 - 筒石~名立間に西名立信号場開設。
  • 1964年(昭和39年)4月10日 - (仮)小舞子駅が正式な駅に昇格し小舞子駅開業。
    • 5月11日 - 柳ヶ瀬線 木ノ本~柳ヶ瀬~疋田~敦賀間 (26.1km) 廃止。
    • 8月24日 - 金沢~富山操車場間交流電化。
    • 9月22日 - 浦本~能生間に木浦信号場開設。
    • 9月24日 - 旧柳ヶ瀬線線路盤を本線上り線に転用し、木ノ本~余呉間複線化。
    • 9月26日 - 春江~丸岡間複線化。
    • 9月29日 - 西高岡~千保川信号場間複線化。西高岡~高岡間に千保川信号場を開設。
    • 11月20日 - 早月信号場が駅に昇格し東滑川駅開業。
  • 1965年(昭和40年)4月23日 - 生地~西入善間複線化。
    • 5月27日 - 細呂木~牛ノ谷間複線化。
    • 7月5日 - 越中大門~小杉間複線化。
    • 7月20日 - 上市川信号場~滑川間複線化。水橋~滑川間に上市川信号場を開設。
    • 7月30日 - 富山操車場~東富山間複線化。
    • 8月9日 - 近江塩津~沓掛信号場間複線化。
    • 8月20日 - 美川~加賀笠間間複線化。
    • 8月25日 - 千保川信号場~高岡間複線化。千保川信号場廃止。富山操車場~泊間交流電化。
    • 8月31日 - 青海~姫川信号場間複線化。
    • 9月23日 - 余呉~近江塩津間複線化。
    • 9月25日 - 動橋~粟津間複線化。
    • 9月27日 - 金津~細呂木間複線化。
    • 9月30日 - 市振~風波信号場、黒岩信号場~青海間複線化。泊~糸魚川間交流電化。
    • 12月10日 - 黒部~生地間複線化。
  • 1966年(昭和41年)3月11日 - 湯尾~鯖波間複線化。
    • 3月16日 - 森田~春江間複線化。
    • 3月18日 - 加賀笠間~松任間複線化。
    • 3月24日 - 風波信号場~親不知間複線化。風波信号場廃止。
    • 6月1日 - 水橋~上市川信号場間複線化。上市川信号場廃止。
    • 8月30日 - 東滑川~角川信号場間複線化。東滑川~魚津間に角川信号場を開設。
    • 9月7日 - 鯖江~北鯖江間複線化。
    • 9月13日 - 北鯖江~大土呂間複線化。
    • 9月22日 - 大聖寺~作見間複線化。
    • 9月24日 - 大土呂~南福井間複線化。
    • 9月29日 - 作見~動橋間複線化。
    • 11月25日 - 西入善~入善間複線化。
    • 11月30日 - 沓掛信号場~新疋田間複線化。沓掛信号場廃止。
    • 12月3日 - 東富山~水橋間複線化。
    • 12月15日 - 親不知~黒岩信号場間複線化。黒岩信号場廃止。
  • 1967年(昭和42年)5月19日 - 泊~越中宮崎間複線化。
    • 8月22日 - 滑川~東滑川間複線化。
    • 8月29日 - 小川信号場~泊間複線化。
    • 9月20日 - 入善~小川信号場間複線化。小川信号場廃止。
    • 9月29日 - 越中宮崎~市振間複線化。
  • 1968年(昭和43年)3月25日 - 野々市駅(2代目)開業。
    • 8月9日 - 魚津~片貝信号場間複線化。
    • 9月16日 - 姫川信号場~糸魚川間複線化。姫川信号場廃止。
    • 9月25日 - 有間川~谷浜間複線化。
    • 9月27日 - 角川信号場~魚津間複線化。角川信号場廃止。
    • 10月1日 - 越美北線の越前花堂駅に北陸本線ホームを開設。
  • 1969年(昭和44年)6月4日 - 糸魚川~梶屋敷間複線化。
    • 6月17日 - 片貝信号場~黒部間複線化。片貝信号場廃止。
    • 6月19日 - 梶屋敷~浦本間複線化。
    • 9月29日 - 浦本~有間川間新線切り替え複線化。能生・筒石・名立駅移転。木浦信号場、百川信号場、西名立信号場廃止。
    • 10月1日 - 谷浜~直江津間新線切り替え複線化。郷津駅廃止。糸魚川~直江津間直流電化、全線複線電化完成。全線で営業キロ改定、計2.8km短縮。
      • 余呉~近江塩津間・新疋田~敦賀間・武生~鯖江間・大土呂~越前花堂間・森田~春江間・動橋~粟津間・西金沢~金沢間・高岡~越中大門間・滑川~東滑川間・生地~西入善間を0.1kmずつ延長。
      • 近江塩津~新疋田間・南今庄~今庄間・今庄~湯尾間・鯖波~王子保間・鯖江~北鯖江間・福井~森田間・春江~丸岡間・作見~動橋間・野々市~西金沢間・倶利伽羅~石動間・石動~福岡間・越中大門~小杉間・魚津~黒部間・西入善~入善間・越中宮崎~市振間・青海~糸魚川間を0.1kmずつ短縮。
      • 寺井~小舞子間を0.2km短縮。小舞子~美川間・市振~親不知間を0.2km延長。
      • 浦本~能生間を0.5km短縮、能生~筒石間を1.1km延長、筒石~名立間で2.4km短縮、名立~有間川間で0.4km短縮、有間川~谷浜間で0.1km延長、谷浜~直江津間を0.3km短縮。浦本~直江津間の新線切り替え区間は計2.4km短縮。

全線複線電化完成後[編集]

  • 1970年(昭和45年)10月1日 - 作見駅を加賀温泉駅に改称。大聖寺駅・動橋駅に振り分けていた特急・急行停車を同駅に統合。接続連絡していた北陸鉄道加南線全廃の引き金となる。
  • 1972年(昭和47年)3月15日 - 金津駅を芦原温泉駅に改称。3月1日の三国線廃止による。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 鯖波駅を南条駅に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月10日 - 大阪方面発着の特急・急行が一部除き湖西線経由となる。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 貨物支線 東富山~蓮町間 (8.5km)廃止。
  • 1987年(昭和62年)3月31日 - 敦賀~敦賀港間旅客営業廃止。富山操車場が駅に昇格し(貨)富山操駅開業。
    • 4月1日 - 国鉄分割民営化により、米原~直江津間 (353.9km) を西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が米原~直江津間の第二種鉄道事業者、敦賀~敦賀港間 (2.7km) の第一種鉄道事業者となる。
  • 1988年(昭和63年)10月1日 - 明峰駅開業。
  • 1990年(平成2年)3月10日 - (貨)富山操駅が(貨)富山貨物駅に改称。
  • 1991年(平成3年)9月14日 - 田村~長浜間を交流電化から直流電化に変更。デッドセクションを坂田~田村間から長浜~虎姫間に変更。坂田駅が米原駅方に0.2km移転。
  • 2002年(平成14年)10月21日 - 金沢~森本間の旅客線を、並行する貨物線を転用し移設 (-0.1km)。あわせて東金沢駅を移設。
  • 2003年(平成15年)6月12日 - JR貨物金沢駅が(貨)金沢貨物ターミナル駅に改称。
  • 2005年(平成17年)4月18日 - 福井駅付近高架化。
  • 2006年(平成18年)9月24日 - 長浜~敦賀間を交流電化から直流電化に変更。デッドセクションを北陸トンネル敦賀口付近に変更。
    • 10月21日 - 長浜~敦賀間直流電化正式開業。


列車の沿革[編集]

北陸本線の列車の沿革については、以下の各項目を参照のこと(それぞれ前身列車も含む)。

駅一覧[編集]

  • 米原駅~長浜駅間については琵琶湖線も参照。
  • 普通列車、京阪神方面との快速列車、新快速は線内の各駅に停車。
  • 優等列車については列車記事を参照のこと。
  • 電化方式:直流:1500V、交流:20,000V・60Hz
電化方式 駅名 営業キロ 接続路線 所在地
直流 米原駅 0.0 東海旅客鉄道:東海道新幹線東海道本線大垣駅名古屋駅方面、特急「しらさぎ」直通)
西日本旅客鉄道:東海道本線(琵琶湖線 草津駅京都駅方面、急行「きたぐに」・新快速直通)
近江鉄道:本線
滋賀県 米原市
坂田駅 2.4  
田村駅 4.7   長浜市
長浜駅 7.7  
虎姫駅 12.8   東浅井郡虎姫町
河毛駅 15.6   東浅井郡湖北町
高月駅 18.2   伊香郡高月町
木ノ本駅 22.4   伊香郡木之本町
余呉駅 26.5   伊香郡余呉町
近江塩津駅 31.4 西日本旅客鉄道:湖西線(直通あり) 伊香郡西浅井町
新疋田駅 39.2   福井県 敦賀市
敦賀駅 45.9 西日本旅客鉄道:小浜線
交流 南今庄駅 62.5   南条郡南越前町
今庄駅 65.1  
湯尾駅 68.7  
南条駅 72.2  
王子保駅 76.7   越前市
武生駅 81.0 福井鉄道:福武線武生新駅
鯖江駅 86.2   鯖江市
北鯖江駅 89.4  
大土呂駅 94.1   福井市
越前花堂駅 97.3 西日本旅客鉄道:越美北線(福井駅まで直通)
(貨)南福井駅 98.1  
福井駅 99.9 えちぜん鉄道:勝山永平寺線
福井鉄道:福武線(福井駅前駅
森田駅 105.8  
春江駅 108.1   坂井市
丸岡駅 111.9  
芦原温泉駅 117.6   あわら市
細呂木駅 121.4  
牛ノ谷駅 124.5  
大聖寺駅 130.2   石川県 加賀市
加賀温泉駅 134.3  
動橋駅 137.5  
粟津駅 142.4   小松市
小松駅 148.2  
明峰駅 151.0  
寺井駅 154.0   能美市
小舞子駅 157.0   白山市
美川駅 158.8  
加賀笠間駅 162.8  
松任駅 167.2  
野々市駅 170.5   石川郡野々市町
西金沢駅 172.9 北陸鉄道:石川線新西金沢駅 金沢市
金沢駅 176.6 北陸鉄道:浅野川線北鉄金沢駅
(貨)金沢貨物ターミナル駅 179.2  
東金沢駅 179.2  
森本駅 182.0  
津幡駅 188.1 西日本旅客鉄道:七尾線(直通あり) 河北郡津幡町
倶利伽羅駅 194.4  
石動駅 201.2   富山県 小矢部市
福岡駅 208.4   高岡市
西高岡駅 211.9  
高岡駅 217.2 西日本旅客鉄道:城端線(平日のみ城端駅→富山駅へ直通あり)・氷見線
万葉線:高岡軌道線高岡駅前駅
越中大門駅 220.9   射水市
小杉駅 224.6  
呉羽駅 231.2   富山市
富山駅 236.0 西日本旅客鉄道:高山本線
富山地方鉄道:本線電鉄富山駅)、市内軌道線富山駅前駅
富山ライトレール:富山港線富山駅北駅
(貨)富山貨物駅 238.8  
東富山駅 242.6  
水橋駅 247.5  
滑川駅 253.0 富山地方鉄道:本線 滑川市
東滑川駅 256.5  
魚津駅 261.5 富山地方鉄道:本線(新魚津駅 魚津市
黒部駅 267.8   黒部市
生地駅 271.8  
西入善駅 276.0   下新川郡入善町
入善駅 279.9  
泊駅 285.1   下新川郡朝日町
越中宮崎駅 289.8  
市振駅 294.5   新潟県 糸魚川市
親不知駅 303.1  
青海駅 308.4  
糸魚川駅 315.0 西日本旅客鉄道:大糸線
直流 梶屋敷駅 319.3  
浦本駅 322.8  
能生駅 327.9  
筒石駅 335.4  
名立駅 339.6   上越市
有間川駅 343.8  
谷浜駅 347.2  
直江津駅 353.8 東日本旅客鉄道:信越本線長岡駅新潟駅方面へ特急・急行・貨物列車直通)
北越急行:ほくほく線(直江津駅~犀潟駅間信越本線乗り入れ、特急「はくたか」直通)
貨物支線
敦賀駅 (0.0km) - (貨)敦賀港駅 (2.7km)

廃止区間[編集]

名称(駅・信号場などの別含む)は廃止時点のもの。柳ヶ瀬線も参照。括弧内は起点からの営業キロ。

敦賀~今庄間(1962年廃止、俗称:杉津線もしくは山中線)
敦賀駅 (0.0km) - 深山信号場 (2.3km) - 新保駅 (5.9km) - 葉原信号場 (9.3km) - 杉津駅 (12.9km) - 山中信号場 (17.8km) - 大桐駅 (21.1km) - 今庄駅 (26.4km)
貨物支線(1943年廃止)
敦賀港駅 (0.0km) - 敦賀新港駅 (1.2km)
貨物支線(1986年廃止)
東富山駅 (0.0km) - 富山操車場 (3.8km) - 蓮町駅 (8.5km)
※東富山~富山操車場間は本線との二重戸籍区間。

新線付け替え区間[編集]

  • 今庄駅 - 湯尾駅
  • 牛ノ谷駅 - 熊坂信号場 - 大聖寺駅
  • 倶利伽羅駅 - 安楽寺信号場 - 石動駅
  • 市振駅 - 風波信号場 - 親不知駅 - 黒岩信号場 - 青海駅
  • 浦本駅 - 木浦信号場 - 能生駅 - 百川信号場 - 筒石駅 - 西名立信号場 - 名立駅 - 有間川駅
  • 有間川駅 - 谷浜駅
  • 谷浜駅 - 郷津駅 - 直江津駅

廃駅[編集]

#廃止区間にある駅を除く。括弧内は米原駅起点の営業キロ。

  • 法性寺駅 - 1940年廃止 (2.6km)
  • 田村駅(初代) - 1940年廃止 (4.6km)
  • 大寺駅 - 1886年廃止(約13.3km)
  • 河毛駅(初代) - 1886年廃止(約15.8km)
  • 井ノ口駅 - 1897年廃止・高月~木ノ本間(約19.7km)
  • 北福井仮乗降場 - 1951年廃止・福井~森田間(約100.3km)
  • 越前下関駅 - 1940年廃止・丸岡~芦原温泉間 (114.9km)
  • 浜黒崎仮停車場 - 1948年廃止・東富山~水橋間 (245.3km)
  • 郷津駅 - 1969年廃止・谷浜~直江津間(谷浜から2.4km、直江津まで4.5km)

廃止信号場[編集]

#廃止区間にある信号場を除く。括弧内は米原駅起点の営業キロ。

  • 沓掛信号場 - 1966年廃止・近江塩津~新疋田間(約33.5km)
  • 鳩原信号場 - 1963年廃止・新疋田~敦賀間(約44.7km)
  • 九頭竜仮信号場 - 1949年廃止・福井~森田間(約101.3km)
  • 熊坂信号場 - 1963年廃止・牛ノ谷~大聖寺間 (127.2km)
  • 松梨信号場 - 1963年廃止・明峰駅付近 (151.5km)
  • 花園信号場 - 1938年廃止・森本~津幡間 (185.1km)
  • 安楽寺信号場 - 1962年廃止・倶利伽羅~石動間(約199.1km)
  • 千保川信号場 - 1965年廃止・西高岡~高岡間 (214.8km)
  • 田刈屋信号場 - 1956年廃止・呉羽~富山間 (234.7km)
  • 上市川信号場 - 1966年廃止・水橋~滑川間 (250.6km)
  • 角川信号場 - 1968年廃止・東滑川~魚津間 (258.9km)
  • 片貝信号場 - 1969年廃止・魚津~黒部間(約276.0km)
  • 小川信号場 - 1967年廃止・入善~泊間 (282.6km)
  • 風波信号場 - 1966年廃止・市振~親不知間(市振から5.9km、親不知まで2.5km)
  • 黒岩信号場 - 1966年廃止・親不知~青海間(親不知から4.2km、青海まで1.1km)
  • 姫川信号場 - 1968年廃止・青海~糸魚川間(青海から3.2km、糸魚川まで3.5km)
  • 木浦信号場 - 1969年廃止・浦本~能生間(浦本から4.1km、能生まで1.5km)
  • 百川信号場 - 1969年廃止・能生~筒石間(能生から4.3km、筒石まで2.1km)
  • 西名立信号場 - 1969年廃止・筒石~名立間(筒石から4.1km、名立まで2.5km)

過去の接続路線[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

テンプレート:アーバンネットワーク

このページは Wikipedia日本語版由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は北陸本線にあります。執筆者のリストは履歴をご覧ください。 Yourpediaと同じく、WikipediaGFDLのライセンスで提供されています。 コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。