全国高等学校野球選手権大会

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全国高等学校野球選手権大会
全国高等学校野球選手権大会

全国高等学校野球選手権大会とは、朝日新聞社日本高等学校野球連盟の主催で、毎年8月に兵庫県西宮市阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球大会であり、入場者数は毎年80万人前後を動員する学生スポーツ及び国内アマチュアスポーツ最大の大会である。

5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。大会旗および優勝旗の色は赤で、優勝旗はその色から、「深紅の大優勝旗」と呼ばれている。大会の通称は「夏の(高校野球)大会」、「夏の甲子園」、「夏の高校野球」、「夏の選手権」または単に「甲子園」。

概要

出場校

地方大会と代表校

代表校は地方大会で決める。本大会の予選のように扱われることがあるが独立した大会である。原則として各府県1校ずつだが、北海道北北海道南北海道で2つに分けた2校、東京都東東京西東京で2つに分けた2校となり合計で49校となる。6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会で勝ちあがった学校が出場できる。大会は地方大会、全国大会ともにすべてノックアウトトーナメントで開催される。なお第59回大会1977年)まで(記念大会を除く)は、学校数の少ない府県は2つで1つの代表を選出していた。

1敗も許されないトーナメント方式の大会を勝ち抜くことは、毎年非常に厳しいとされている。また、全国の参加校は現在約4000校前後ある。1990年に4000校を超えたが、2012年に23年ぶりに4000校を下回った。

都道府県別では第60回記念大会1978年)以降、256校以上の9回戦制になってしまう参加校がある北海道と東京都で各2校を出す他は、40校未満(例:山梨県福井県和歌山県鳥取県香川県徳島県高知県)の小地区でも、8回戦制の128校以上(例:埼玉県千葉県神奈川県愛知県大阪府兵庫県福岡県)の大地区でも、各府県1校だけである。特に第94回大会(2012年)現在、参加校は神奈川県[1]の地方大会が一番多い(190校)。次いで愛知県(189校)、大阪府(181校)の順。逆に参加校が一番少ない地方大会は、鳥取県(25校)である。過去に各都道府県高野連に加盟する学校数が256校を超えたのは、東京都(267校)と北海道(293校)だけである。

なお第80回記念大会1998年)では記念大会として従来通りの北海道・東京都に加えて、参加校128校を超える埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県の6府県が最大8回戦制からそれぞれ2校に拡大され最大7回戦制になった為、その年に選手登録された生徒にとっては厳しさが緩和された。

しかし、同じく最大8回戦制である北海道2地区(北北海道、南北海道)、東京都2地区(東東京、西東京)、福岡県は緩和されず、超激戦地区大会だった。同様に第90回記念大会2008年)も最大8回戦制である都道府県のうち先述の6府県だけが2校に拡大されている。またもや福岡県が緩和されず。東京都は1996年に区割り変更を行い世田谷区の加盟校を西から東に変更。しかし、近年は東が増加してアンバランスになってきた為、第95回記念大会の東西東京大会で、区割り変更を行い世田谷区の加盟校が東から西、中野区の加盟校が西から東に変更された。

地方大会の基本的なルールは選抜高等学校野球大会と同じく開催年度の公認野球規則アマチュア野球内規高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上)が実施されている。但し、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。

試合組み合わせ

組み合わせ抽選は大会直前に行われる組み合わせ抽選会でまず3回戦までの組み合わせを決定(併せて選手宣誓者も決定される)し、準々決勝4試合と準決勝2試合はその都度甲子園球場で決定される。シード制は採用されていないため、初戦で注目校同士の対戦になる事もある。

組み合わせ抽選は毎年開会式3日前の16:00から行う。

選手宣誓は各校の立候補した主将によるくじ引きで決定する。

当初は選抜高等学校野球大会同様に、一度の抽選で決勝戦までの対戦を決めていた。しかし第40回大会1958年)、第45回大会1963年)は記念大会として1県1代表制を採り、出場校が増えたため現行と同様にまず3回戦までの組み合わせを決定し準々決勝と準決勝はその都度甲子園球場で決定される方式を採った。

当時の朝日新聞縮刷版を見ると、第40回大会1958年)、第45回大会1963年)ともに、1回戦から、その都度抽選を行っている。また、1952年8月11日の朝日新聞紙上に「今度の大会から、第3日第1試合の第一回戦(7試合14チーム)の番組と、不戦一勝のクジを引いた残り9チームによる第2回戦の取り組みを決めるだけで、勝ち残ったチームがどのチームと顔を合わせるかは次の抽選まで決まらないという方式をとった。」(原文のまま)という記述がある。朝日新聞紙上で確認できるそれ以前については、敗者復活戦の無くなった第5回から7回まではすべて抽選。8回から12回までは記述が見当たらず不明。1927年の第13回大会から中止前年の1940年第27回大会まではその都度抽選。戦後復活の1946年昭和21年度大会から、1951年の昭和26年度大会(この~年度大会という呼称は、1953年の昭和28年度大会まで続いている)までは、現行選抜大会と同じヤグラ方式である。以上のことから、1952年から1994年までは、その都度抽選を行ったことになる。

その後 第76回大会1994年)までは初戦が大会直前に決定しその後の組み合わせは随時甲子園で抽選して決定していたが阪神・淡路大震災に因る交通障害、或いは選手の健康管理上試合スケジュールの均一化を図ることから第77回記念大会1995年)から再びこの方式に戻された(この時1日4試合日の開始時刻も8:00開始から、30分繰り下げられて8:30開始となった)。

かつて一発抽選だった頃は、隣接県同士が初戦で対戦することも珍しくなかったが、第60回記念大会(1978年)以降1府県1代表制(但し北海道・東京都は2代表制)となってからは隣接県同士の対戦を避けるため東海・近畿・北信越(福井のみ西ブロック、88年からは石川が東→西に編入)地区を境に東西対決方式で抽選する形が第88回大会2006年)まで29年間続いていた。しかし、東西隣接した府県勢同士がこの後も初戦で対戦しあう事態が度々あったことに加え、地区別で唯一東西両ブロックが混在していた北信越勢だけが92年の星稜(石川)対長岡向陵(新潟)を皮切りに、5度初戦でつぶしあう新たな弊害も起こっていた。第89回大会2007年)からは東西対決方式を廃止し、第59回大会1977年)以来30年ぶりのフリー抽選式に戻した。但し、これまで通り北海道、東京都の2代表に関しては初戦で直接当たらないように配慮している。

準々決勝戦については、第84回大会2002年)までは1日4試合を一括開催していたが、第85回記念大会2003年)から選手の健康管理を考えて、1日2試合ずつの2日間開催に変更した。但し、雨天中止による日程遅延が3日間以上続いた場合は日程消化の関係で4試合を一括開催する。この関係で長年8月8日にほぼ固定されていた開幕日が、1 - 2日程度前倒しして行われるようになっている。

現在、夏の甲子園大会の出場校数が49(但し第80・90回の記念大会は55)であるため、1校だけ組み合わせの時点で初戦の対戦校が決定しない。その1校は1回戦を免除される(現在では2回戦で開幕戦に勝利した学校と対戦)利点があるものの、対戦成績は出場49校が定着した第60回記念大会1978年)以降、第80回記念大会1998年)・第90回記念大会2008年)を含め8勝27敗(引き分け再試合1:2012年第94回大会時点)である。対戦校が決定している今日では第88回大会2006年)で鹿児島工がこのジンクスを破って4強入りしたが、中迫監督は「試合を見に行かせた」「対戦相手の試合を見られることもいいこと」などと振り返っている。

なお2013年度の第95回記念大会は、1994年以前の1試合ごとの抽選に戻すことになった。1994年以前の組み合わせ抽選は初戦は大阪市内の会場で、本選に入ってからは1回戦・2回戦・3回戦・準々決勝のそれぞれの最終日に甲子園球場で公開抽選の形式でまとめて決定していたが、第95回の大会では初戦は従来通り事前に大阪市内会場で抽選会を行った後、本選に入ってからはそれぞれの勝ち上がり校は試合の終了後にすぐ組み合わせ抽選を行い、極端な連戦や試合間隔の開きすぎといった不公平感は極力なくすように日程を調整する。このほか準々決勝についてはこれまでの1日2試合×2日間から、2002年(実質は2003年)まで行っていた1日4試合開催に戻すこと、また準々決勝のあくる日は原則として休養日(雨天中止が3日間以上続いた場合は休養日なし)に充て、選手の連戦による健康被害軽減に努めることになった。

全国大会では地方大会で採用されている点差によるコールドゲームは全試合認められていない。但し降雨による天災等止むを得ない事情で試合を中断・打ち切る場合は、試合が7回以降に入った場合に成立(コールドゲーム)とする。尚地方大会同様全国大会も決勝戦に限り、試合が9回攻撃終了とならない場合ノーゲームとなる。

会場 

1915年第1回全国中等学校優勝野球大会豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置されたものであるが、規模の小ささなどが問題になりすぐに他の会場探しが始まった。

この当時は遠征費用が全て出場校持ちだったこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することも考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加。1923年第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案する。

鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川とした後にできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三氏の構想もあって、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致する。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設。1924年8月1日に完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年であることから、甲子園大運動場と命名された。

同年第10回大会から使用を開始。1946年第28回大会はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行う。さらに出場校を大幅に増やした第40回記念大会1958年第45回記念大会1963年も甲子園球場と西宮球場を併用して使用するものの、不公平として評判が良くなかったため(甲子園で試合できず敗退した学校からは苦情があった)、これ以降は一貫して甲子園で行われるようになった。

当大会を主目的に建設された甲子園球場は半世紀余りの大会を優先的に行っているため、当球場は高校野球の聖地として高校球児達の憧れの舞台となっている。「甲子園」という言葉自体が高校野球全国大会の代名詞となっており、“夏の甲子園”という通称としても扱われているように当大会に大きく貢献していることから、2010年シーズンから大会の特別協力として扱われている。

会期

現在の全都道府県から代表が出場する以前(第40・45回を含む。第50・55回は基本14日間)は8月中旬(概ね8月10日前後から)の10日間前後が割り当てられていた。

第60回・1978年以後各都道府県の代表が参戦するようになってから、概ね8月8日を起点とした14日間を基本として行うようになったが、選手の健康管理の観点から第85回・2003年(実際は雨天中止のため第86回・2004年)以後は準々決勝を原則2日間に分けて行うことになったため、15日間が基本となった。出場枠が55校に拡大される場合は2日間延長される。

第95回・2013年は前述のとおり、準々決勝を1日でまとめて行う代わりに、その翌日を休養日とするため、休養日を除いた基本日程は14日間に戻る。

夏の大会における甲子園の土

3年生部員にとってこの大会で負けると高校野球生活が終わるという意味をこめて「夏が終わる」と表現され、大会途中で敗退したチームが試合終了直後に甲子園の土を拾い集める光景はよく報道でも取り上げられている。なお優勝・準優勝校が土を拾い集める場面はテレビ放送で流されないために、大会途中で敗退したチームのみが行うものと誤解されている場合もあるが、実際には優勝・準優勝校も閉会式や記念写真撮影、インタビュー終了後、グラウンドから去る寸前に土を拾っている。また1・2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない者もいる。

大会歌

同大会歌は、第12回大会1926年)に制定され第29回大会1947年)までは、福武周夫作詞、信時潔作曲、陸軍戸山学校合唱団が歌いポリドールより発売された『全国中等学校優勝野球大会の歌』。「撃ちてし止まん」等、文語体で詞が統一されている。選抜高等学校野球大会の大会歌は『全国選抜中等学校野球大会の歌』であって、歌唱者さらにレコードレーベルが同じだったが曲調と詞は合間に手拍子が挿入されているなど、『全国中等学校優勝野球大会の歌』とは全く異なっていた。

現在も選手入場の際に使われている『(全国中等野球)大会行進曲』は山田耕筰が作曲した作品であり、第21回大会1935年)から使用されているが、富田砕花作詞の歌詞がある。この場合は『全国中等野球大会行進歌』と呼ばれる。

栄冠は君に輝く』は学制改革により従来の中等学校が高等学校となり、夏の甲子園大会が全国高等学校野球選手権大会と呼ばれることになる1948年に作成された。朝日新聞社は学制改革を記念して「高等学校野球大会歌」を募集した。5252の応募作品の中から加賀道子(実際には夫の加賀大介の作)の歌詞「栄冠は君に輝く」が選ばれ、古関裕而が作曲し、第30回大会から大会歌に制定される。伊藤久男とコロムビア男声合唱団によって歌われて1949年日本コロムビアからレコードを発売。

開閉会式の司会

第78回(1996年)までは、主催者の職員が司会を担当していたが、第79回(1997年)以後は、近畿圏に在学する高校の放送部員(概ね、NHK杯全国高校放送コンテストの近畿地区の各府県コンクール・アナウンス・朗読の部門で入賞した生徒)が4人(開会式・閉会式に各2名ずつ)が担当するようになった

開会式

開式の前に関西吹奏楽連盟関西合唱連盟がライトスタンドと1塁側アルプスの間に設けられたゲートから入場。
  1. 開式の辞
    開式の言葉ののちファンファーレが鳴り響く。
  2. 選手入場
    ライトスタンドと1塁側アルプスの間に設けられたゲートから入場。曲は『大会行進曲』(作曲・山田耕筰)。春の選抜高校野球と違い、流行歌による入場行進曲の設定はない。先導者・国旗・大会旗・(記念大会は歴代優勝校旗)の順に入場し各校がそれに続く。先ずは前年度優勝校が優勝旗を持って入場(地方大会を優勝し代表校として出場する場合は出場選手全員、敗退している場合は主将のみが単独で入場)。その後、下1桁が奇数回開催の時は北から南、下1桁が偶数回開催時は南から北の順に主将を先頭に3列で入場し、レフト寄りから前年度優勝校、続いて入場した学校はセンター、3校目は2校目に入場した学校の手前、4校目は2校目に入場した学校の奥と交互に外野側に整列。選手は白色の運動靴で入場する。全出場校が揃うとともに選手は一斉にバックネット方向へ前進する。
    第31回大会(1949年)から西宮市立西宮高等学校2年生の女子生徒が国旗、大会旗、(記念大会は歴代優勝校旗)、代表校のプラカードを持っている(プラカードガール)。
  3. 国旗掲揚・大会旗掲揚
    演奏は関西吹奏楽連盟、合唱は関西合唱連盟がする。なお、東日本大震災後に行われた第93回大会(2011年)では黙祷が行われた。(その時の黙祷は、サイレンはなし。)
  4. 大会会長の開会の挨拶
    朝日新聞社社長による。
  5. 優勝旗返還
    優勝旗が前年度優勝校の主将から大会会長の朝日新聞社社長に返還され、そのレプリカが引き換えに進呈される。
  6. 御祝の言葉
    文部科学大臣による。
  7. 励ましの言葉
    日本高等学校野球連盟会長による。
  8. 選手宣誓
  9. 大会歌演奏・選手退場
    選手達は3塁側から4列ずつで退場する。
  10. 閉会の辞
    開会式の司会を務めた高校生が自己紹介する。関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。

閉会式

表彰式に先立ち、共同公開インタビューとして、NHKアナウンサーの司会により優勝監督へ、朝日放送アナウンサーの司会により優勝校の殊勲選手若干名にそれぞれインタビューを行う。閉会式の準備ができるまでの間、ベンチ周辺でインタビューが行われ、閉会式の準備が終わり次第、閉会式が始まる。
  1. 開式の辞
    開会式とは別の高校生(放送部員)が閉会式開幕のあいさつを行う。
  2. 選手入場・整列
    校名プラカードは開会式で優勝校・準優勝校を担当した西宮市立西宮高等学校2年生の女子生徒が持っている。選手はスパイクシューズのまま入場する。
  3. 審判委員長講評
    日本高等学校野球連盟会長による。
  4. 優勝旗授与
    大会会長の朝日新聞社社長から主将に授与される。
  5. 優勝授与
    大会会長の朝日新聞社社長から副主将に授与される。
  6. 準優勝盾授与
    大会会長の朝日新聞社社長から主将に授与される。
  7. 優勝メダル授与・準優勝メダル授与
    大会会長の朝日新聞社社長から授与される。
  8. 大会会長の閉会の挨拶
    朝日新聞社社長による。
  9. 大会旗降納(大会歌演奏)・国旗降納(国歌演奏)
    選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。演奏は関西吹奏楽連盟、合唱は関西合唱連盟がする。
  10. 優勝校・準優勝校選手場内一周(大会歌演奏)
    内野側から反時計回りに一周する。NHKの放送は途中で番組が終了する。
  11. 閉会の辞
    閉式のことばとともに司会を務めた高校生が自己紹介する。
  12. ファンファーレ
    演奏者(関西吹奏楽連盟の一部メンバー)がバックスクリーン整列し、開会式と同じファンファーレを演奏。
  13. 蛍の光合唱・演奏
    蛍の光合唱・演奏後、関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。球場内にはオルゴールの栄冠は君に輝くが流れる。閉会式後は写真撮影やインタビューが行われる。

海外遠征

大会終了後、基本的に上位進出校の3年生選手を集め、国際親善を主目的とした海外遠征チームが組まれる。行き先は主にアメリカ(韓国、ブラジルへの遠征実績もあり)で、2006年以降はアーバンユース・アカデミーカリフォルニア州コンプトンにあるMLBの野球振興・選手育成機関)との対戦が組まれている。

選手及びコーチングスタッフは、帽子マークは「J」、胸文字は「JAPAN」、袖に日章旗という、数十年間変わっていない簡素なデザインのユニフォーム(白及びグレー地)を着用することが多いが、過去には試合により各校のユニフォームの袖に国旗を縫いつけたものも併用したことがある。また背番号は1(優勝投手)から投手→捕手→内野手→外野手の順に振り分けられる(つまり投手は背番号がほぼ一ケタ、野手は背番号が必ず10番台となる)。

海外遠征の代わりに、真剣勝負の場であるAAA世界野球選手権大会もしくはAAAアジア野球選手権大会に出場する年もある(その場合、選手権不出場校の選手や2年生以下の選手が選ばれたことがある)。この場合、2011年アジア選手権・2012年世界選手権は社会人他アマ代表と同一の、2013年世界選手権は同年のWBC日本代表と同一のユニフォームを着用する。

その他

  • 日本の電力消費は全国高等学校野球選手権大会をピークになっており、電力供給もそれに合わせて調整を行っているという通説がある。電力需給の観点から、電力行政を管轄する通商産業省(現:経済産業省)が開催時期をずらすことについて検討をしたことがある。
  • 様々な感動的なドラマを生み、思いもよらない結末を迎える事から「甲子園には魔物が棲む」と言われている。
  • 第82回大会(2000年)の開会式から、ライト側で西宮をPRする会による人文字を行っている。
  • 開幕試合の始球式朝日新聞社ヘリコプターからボールを投下する。
  • 毎年8月15日終戦の日の為、正午に選手、観客を含めて1分間の黙祷を行う(サイレン鳴響も行う)ため、試合は一時中断する。なお実際はインプレー中(打球が飛んでいる等)のケースを避ける為に正午より少し前からプレーが中断され、この間に場内放送でスタンドの観客にも黙祷への協力を求める。なお正午の段階で試合前の場合は、正午ではなく試合開始直前に行う場合が有る。例として第92回大会2010年)は、第2試合の興南明徳義塾戦の開始直前に黙祷が行われた。
  • 第92回大会(2010年)現在、第1回から全ての大会の予選に参加した高校(皆勤校)は全国に15校ある。
  • 春夏通算で全国47都道府県との対戦を終えているのは、2013年夏大会終了までに北海道東京都大阪府兵庫県の4都道府県。以上の4つは当該都道府県との対戦もあり47となる。当該都道府県を除く46カード全てに勝利しているのは、大阪府と広島県。王手がかかっているのは、東京都、愛知県、兵庫県で、東京は福島県、愛知は沖縄県、兵庫は三重県にまだ勝利がない(2013年夏大会終了まで)。
  • 夏季オリンピック開催年は、開催期間の重複を可能な限り避けるための日程調整が実施されることがある。例として、第74回大会1992年バルセロナ五輪)は8月10日から、第90回記念大会2008年北京五輪)は史上最も早い8月2日にそれぞれ開幕していた。
  • 第95回大会(2013年)終了時点で、次の27都道府県が優勝を経験している。第95回大会では、岩手県山形県群馬県宮崎県がベスト4に進出したため(この時の代表校はそれぞれ、花巻東日大山形前橋育英延岡学園だった)、28番目の優勝県誕生が期待されたが、準決勝で東北2県(岩手・山形)が、決勝で春夏通じて初めて進出した宮崎がそれぞれ敗れたため、県勢初の優勝はならなかった。
  • 太字は選抜未制覇の地域
北海道、茨城県、栃木県、群馬県千葉県、東京都、神奈川県、長野県、東海4県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、広島県、山口県、四国4県、福岡県佐賀県、大分県、沖縄県

歴史

歴代優勝校

全国高等学校野球選手権大会歴代優勝校を参照。

夏の高校野球に関する様々なエピソード

全国高等学校野球選手権大会に関するエピソードを参照。

第1試合の基本的な開始時間

  • 4試合開催日 8:00
  • 3試合開催日 9:30(初日のみ10:20)
  • 2試合開催日(主として準々決勝、準決勝) 11:00
  • 1試合開催日(主として決勝) 12:30ないしは13:00
2試合以上開催する場合、「試合時間は2時間・その後のグラウンド整備と次の試合の練習に30分」と想定され新聞の組み合わせ発表では4試合日の場合「(1)8:30、(2)11:00、(3)13:30、(4)16:00」とそれぞれ掲載されているがあくまでも目安であり、原則的に前の試合終了から30分後に次の試合を行う。
なお第93回・第94回は、東日本大震災に伴う節電対策のため試合開始時間が一部日程で繰り上げられる処置が取られたが、第95回2013年)については4試合日は8時開始を維持したが、2・3試合日は平年と同じ時間帯に戻した。

各種記録

高校野球全国大会の記録一覧を参照。

2013年現在、以下の県が一度も決勝戦に進出したことがない。

  • 岩手県
  • 山形県
  • 山梨県
  • 富山県(準決勝に進出なし)
  • 福井県
  • 鳥取県
  • 島根県
  • 長崎県

大会における問題点

  • サスペンデッドゲームを採用していないこと、球場がドームではないことから、大量の得点差がついた試合も降雨等による天災でノーゲームとなり、先日の試合でリードされていた高校が、翌日の試合で勝利するという現象がしばしば起きている。
    1. 2003年(第85回大会)・駒大苫小牧倉敷工戦:駒大苫小牧が8-0と大量リードしながら4回途中で降雨ノーゲームの宣告。翌日の再試合では倉敷工が5-2で勝利。
    2. 2009年(第91回大会)・如水館高知戦:如水館が2-0・6-5と2試合共にリードしながら、大会史上初の2日連続の降雨ノーゲーム。再試合では高知が9-3で勝利。
  • 準々決勝後の再抽選では、インターバル期間に差が生じてしまうことがある。

テレビ・ラジオ中継

全国高等学校野球選手権地方大会内の各都道府県の項や、中継を行う各放送局の項も参照。

NHKでの中継

全国大会の中継(テレビ)

1954年(第36回大会)からNHKがテレビによる中継を始めた。基本的に総合テレビのみで18:00まで中継するというスタイル(国会中継のため、教育テレビに差し替えられたケースもある)であった。しかし、1974年(第56回大会準々決勝東海大相模鹿児島実業戦が延長戦となり、テレビ中継の放送予定時間を大幅に超えたため、試合途中の18:55で中継放送を打ち切った(鹿児島地区のみ18:59まで延長)。その直後からNHKに対して視聴者から中継打ち切りに対する抗議が殺到し、天気予報とそれに続く『7時のニュース』終了後に中継を再開した。

これを受けて、NHKでは翌1975年第57回大会)から現在のように総合テレビと教育テレビのリレー中継方式で完全生中継を行うようになった。但し、1998年(第80回大会)は編成の都合上、一部日程において午前中の教育テレビへのリレー時に15分間の中断が存在した(当該試合出場校の地元局では中継を続行)。地上デジタル放送開始以降は、イベントリレー機能を利用してリレー時の案内を実施している。

現在は全試合アナウンサーと解説者1名で実況しているが、1980年代(遅くとも1984年)から1998年までは初戦のみ両校関係者をゲストとして招き、4人体制で中継を行っていた。

初戦では学校紹介のVTRが放送され、主に学校所在地の市区町村を中心に紹介している。

2010年までは衛星第2テレビでも開会式、準々決勝、準決勝、決勝・閉会式のみ放送していた。なお、小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは、東東京・西東京・沖縄のそれぞれの代表出場校の試合も放送していた。

開会式、決勝、閉会式はリアルタイム字幕放送を実施。

海外向けのNHKワールド・プレミアムでも準決勝、決勝・閉会式を放送している。録画での時差放送(ディレード)となる場合と生中継となる場合があるが、近年は編成の都合上、時差放送で行われることが少なくない。

2011年2012年東日本大震災に伴う節電省エネルギーのため、第1試合は3試合以上行う場合(開会式日は除く。2011年は準々決勝・準決勝も含む)は午前8時開始となったため、平日に総合テレビで中継される際は冒頭15分間の生中継は行わない。また通常は(選抜も含め)決勝戦は総合テレビでの完全中継であるが、この2年間は決勝戦が午前中の開催となったため、試合が11:54以後も続いている場合は総合テレビの定時枠(正午のNHKニュース連続テレビ小説午後の再放送など)確保のため、通常日と同じく教育テレビへリレーされ、13:05以後も試合が続いていれば再び総合テレビに戻る(国会中継が行われる場合は教育テレビで継続して放送する)。2012年はロンドンオリンピックの録画中継(8:15)の為、大会前半は教育テレビで午前8:00から放送された。

全国大会の中継(ラジオ等)

ラジオ中継の歴史は古く、戦前の1927年(昭和2年)に当時の大阪中央放送局が初の実況中継を行っている(これがスポーツ実況中継の始まりでもあった)。

現在は原則として、日本国内向けにラジオ第1放送で全試合を中継。放送時間は4試合日の場合、8:05-18:20(2012年の場合。時間は変更の場合あり)。IPサイマル配信「NHKネットラジオ らじる★らじる」でも同時配信される。

テレビとは異なり、11:50から正午のニュース終了(12:20)まで中継が一時中断するほか、毎正時ごろのニュース挿入による中断もある。また、放送時間終了時に試合が続いている場合はそのままラジオ第1で時間を延長して放送するが、18:50からニュース終了まで中継は中断する。ニュース終了後も試合が続いている場合は、ニュース終了後に中継を再開する(中断中に試合が終了した場合は、ニュースの中で結果のみ放送する)。

地方大会の中継

総合テレビでは、各地方大会の決勝戦(一部地域では準々決勝・準決勝も含む)を放送している。なお、関東・中京・近畿の各地区では総合テレビ・教育テレビで地域を分担して決勝戦を中継している。同日に行われる決勝戦が多い場合一部の試合が録画中継となる。北海道地区では南北海道大会・北北海道大会ともに全道向け放送を行うが、中継試合が同日に重なった場合はローカル放送へ変更。札幌・函館・室蘭の各放送局では南北海道大会を、旭川・帯広・釧路・北見の各放送局では北北海道大会を中継する。なお旭川・帯広・釧路・北見の各放送局では南北海道大会、札幌・函館・室蘭の各放送局では北北海道大会の試合経過速報も随時伝えている。

ラジオでは、各地の地方大会も生中継している。

  • 多くの地区では原則として決勝戦が行われる球場での試合が中継され、その他の球場からは随時試合結果・経過速報を伝えている。
  • 北海道地区では、ラジオ第1放送とFM放送(ラジオ第1放送が中継できない場合に限る)を使って中継。各地の支部予選はブロック代表決定戦のみ道内各局別に放送し、南北海道大会・北北海道大会は1回戦から全試合を中継。南北海道大会と北北海道大会の日程が重複しない限り南北海道大会・北北海道大会ともに全道放送している。なお、日程が重複した場合は南北海道大会・北北海道大会で地域別にローカル放送を行う場合もある。
  • 関東地区では東東京大会・西東京大会をラジオ第1放送で決勝戦のみ、その他はFM放送で準決勝・決勝を放送する。
  • 国際放送NHKワールド・ラジオ日本」および「NHKネットラジオ らじる★らじる」では地方大会の中継(春季・秋季も含む)が一切行われず、中継のない他地域と同様に通常番組を放送・配信している。

民放での中継

民放ラジオによる地方大会の中継
  • 県域民放テレビ局の無い茨城県ではAM局の茨城放送が中継を行っている。
  • 県域民放AM局の無い群馬県ではFM局のFMぐんまが中継を行っている。
  • かつてはテレビ朝日と関係を持っていた文化放送が東西東京・神奈川・千葉・埼玉県大会の決勝戦を中継していた時期がある。
  • 県域民放テレビ局がある佐賀県ではAM局のNBCラジオ佐賀が決勝のみ中継を行っている。

また、テレビ朝日系列各局と朝日新聞資本がある一部のテレ朝系以外の放送局では7月中旬頃から朝日新聞の大会CMが放送される。バックのBGM「栄冠は君に輝く」は当初は学生の混声合唱であったが21世紀になってからはハウンドドッグサーカス (歌手)森山良子夏川りみ小椋佳イメージアーティストが歌うようになった。映像は前年度の本大会(年度により地方大会も)の模様をフィルム撮影したものを使っている。ナレーションは小林清志

ケーブルテレビでの中継

一部のケーブルテレビでも、都道府県予選大会(主に放送エリア内の球場・学校の試合)を中継しており、近年は地域密着を掲げるケーブルテレビのコンテンツのひとつとなっている。

夏の高校野球の球史に残る試合

長い歴史を持つ大会であるゆえに『球史に残る』とされる試合は多く、以下は一例である。

脚注

  1. 第91回大会2009年)迄はほぼ例年、神奈川県地方大会の参加校が一番多く、一時200校を超えた時期もあった。

関連項目

外部リンク

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