日本コロムビア
日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)は、日本のレコード会社である。
目次
概説[編集]
1910年(明治43年)10月1日、神奈川県橘樹郡川崎町(現在の川崎市川崎区)で日本蓄音機商会として設立された、日本で最初(最古)のレコード会社である。創業時から米国コロムビア・レコード社とは提携関係にあり、ソフトはもとより、レコード盤や蓄音機の技術面での輸出入が行われていた。日蓄工業を経て1946年(昭和21年)に日本コロムビアへ改称。1960年代までビクタートーキングマシン(RCAビクター)[1]とコロムビアの米国2強によってレコード盤(カッティング・録音)・蓄音機(再生)技術双方の開発が競われており、日本コロムビアはLP盤による邦楽作品をいち早く売り出した。
戦後、主に演歌・歌謡曲や伝統芸能・学校音楽教材のレコード制作・発売が中心であったが、1960年代中盤以降はグループサウンズ、アニメや特撮等のアニメソング、1970年代中盤以降はアイドル歌謡曲分野にも進出した。一方で米国コロムビア・レコードは1968年(昭和43年)に輸入発売権が解消されたため(#コロムビアレコードの商標を参照)、洋楽(ロックバンド・ポップスなど)のラインナップは大幅に減少し、現在では自社プロデュース或いは発売権取得によるクラシックやジャズ演奏を中心とした少数派に留まっている。1990年代中頃より不採算部門と言われたJ-POPへ力を入れている。
昭和期には、美空ひばり・石川さゆり・島倉千代子・都はるみ・藤山一郎・舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大御所が多数所属し、ビクター音楽産業・東芝EMI・テイチクと市場を二分する程の勢いがあった。その一方で、J-POP部門はそれらのレコード会社やソニーミュージック・ポニーキャニオン・エイベックスなど新興勢とは相反して、ゴダイゴ・中村雅俊・榊原郁恵・松山千春・ザ・コレクターズ、平成期以降はミッシェル・ガン・エレファント・ピチカート・ファイヴ、毛皮のマリーズなど、ファン層が比較的限定されたアーティストで占められていた。
1947年(昭和22年)に傘下となった日本電気音響(ブランド名・DENON[デンオン(デノン)])は、放送局向けに供給していたカートリッジDL-103を1964年(昭和39年)頃に一般オーディオ市場に流通させたことをきっかけとして、以後デンオン(デノン)ブランドによるコンポーネント機器を発売した。1972年(昭和47年)頃には、NHK技研との共同開発による世界初の実用PCMデジタルレコーダー(DENON DN023R)によるデジタル録音・LP盤発売を実施するなど、ソフトとハードを兼ね備えていたメーカーとしての顔も見せていた。しかし後述の経営再建策により、2001年(平成13年)にデノン(現・デノン コンシューマー マーケティング)として分社化され、その後の日本マランツとの経営統合により、高級志向に特化したオーディオ機器メーカーとして事業を行っている。
1992年(平成4年)頃に、ANIMEXレーベル内の特撮音楽(旧ブラジルレコード)とアニメソング一部作品の制作・発売元を株式会社フォルテ・ミュージックエンタテインメント(Forte Music Enterprise、FME)に分社化[2]し、ディレクターが独立。しかし、1996年(平成8年)頃に債務超過に陥り会社が清算されたため、コロムビアが同社の音源を買い上げる形で収束している。
かつては長きにわたり、日立製作所が筆頭株主である日立グループの一社で、なおかつ第一勧銀グループの社長会である三金会においても、旧財閥に属さない「勧銀15社」の1つとして所属する、民族(国内)資本の名門レコード会社であった。しかし、後述の2001年(平成13年)に実施された経営再建に伴うグループ外企業からの出資・経営支援により、みずほグループや日立グループの系列から脱退している[3]。
2012年現在の主要取引銀行は三井住友信託銀行である。フェイスグループ入り以前は三菱東京UFJ銀行であった[4]。
かつて関係があった米国コロムビア・レコードとハリウッドの大手映画スタジオであるコロンビア映画は、英語では同一表記であるが、両社間は元々関わりが無かった。しかし、ソニーによる買収により1990年(平成2年)以降はソニーグループに属している。
発音が似ているためか、「コロンビア」と誤記されることが多い[5]。なお、「コロムビア」と書くが、原音はむしろ「コロンビア」に近く、日本でも多くは「コロンビア」と発音される。
2014年6月23日、2014 FIFAワールドカップ・グループCの日本vsコロンビア戦を応援する趣旨で、6月25日の試合終了までの限定で社名を「日本vsコロンビア株式会社」とすることを発表した(なお、正式な社名の変更ではない)。[6]所属歌手のクミコが、6月21日にコンサート内で行った発言がきっかけである[7][8]。
経営母体の変遷[編集]
リップルウッドによる買収[編集]
平成期に入ると、小室ブームの牽引により売上シェアが急激に拡大したエイベックスの様にミリオンセラーを誇るキラーアーティストの不在に加え、他社と比べて積極的ではなかったJ-POP部門で、THE YELLOW MONKEY(→ファンハウス)・HOUND DOG(→SMEJ)・観月ありさ(→avex tune)ら、当時のオリコンチャートに入る複数の有力アーティストが1997年(平成9年)前後に所属事務所側の意向によって他社へ移籍すると、代わりの新人アーティスト発掘に出遅れたこと、演歌・歌謡曲部門では、2000年(平成12年)デビューの氷川きよしを除いてヒット曲に恵まれなかったこと等による売り上げ減少が続き次第に経営不振に陥った。
このため、経営再建のスキームとして2001年(平成13年)5月に日立製作所と主力取引銀行(第一勧銀・三和銀など)の意向により、経営権を企業再生ファンドであるリップルウッド(RH)の手に委ねた。
これと前後して、J-POP部門を1998年(平成10年)に分社化した株式会社ヒートウェーブ(HEAT WAVE)が2001年(平成13年)3月に債務超過に陥り、清算後にコロムビアに吸収されている。同年8月にはレコーディングスタジオを兼ねた赤坂4丁目の本社屋の不動産を売却し、六本木移転まで賃借する形式をとった[9]。
そして同年10月1日に、先ず音響機器部門をデノンとして分社化(日本コロムビア完全子会社)。即座にリップルウッド中間持株会社の「ニューデノン」(98%・59億円出資)と日立(2%・1億円出資)に、デノン持株分を日本コロムビアが売却することで60億円を調達。さらに事業分割後の日本コロムビアは、同日に第三者割当増資によって65円の優先株を9230.8万株発行し、匿名組合出資ファンド「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」(リップルウッドが8割、第一興商と三菱商事が残りの1割ずつ出資)に対して83%、日立製作所に13%を割り当て、投資ファンドが筆頭株主(全体の41.66%出資)となる。この時点で日立製作所の持株比率が全体の2割強となり、外資主導の資本構成となる。なお、日立へ累積債務の引換として41億円相当の普通株が割り当てられた[10]。
100億円規模の資金調達が実現した結果、財務状態は健全化。当時の株価が200円前後で推移したため、普通株に転換出来ればこの時点でリップルウッドに含み益が発生しているが、2002年(平成14年)7月にも、リップルウッドを主な引受先とする68億円分の普通株発行により資本を増強している。
リップルウッドは、2002年(平成14年)にデノンと日本マランツが株式移転(経営統合)によって設立したディーアンドエムホールディングスの株式保有を続け、2008年(平成20年)にベインキャピタルへ売却した事により、126億円という莫大な譲渡益(キャピタルゲイン)を得ることになった。
経営改革の成果と業績の低迷[編集]
RHの方策により、アメリカのBMGエンタテインメントで会長職を歴任したストラウス・ゼルニックが代表取締役会長に内定し、ソニーミュージックのプロデューサー・BMGファンハウス副社長を歴任した元サディスティック・ミカ・バンドのメンバーであった松村克己(ジャック松村)と、ビーイングでプロデューサーをしていた中島正雄を取締役として招致した。RHへ経営権が移る2001年(平成13年)10月1日付けで松村が代表取締役CEOに就任する新体制が築かれた。
これよりJ-POP部門のアーティスト育成に本格的に乗り出すとされたが、2002年(平成14年)8月に松村は心不全により僅か48歳で急逝し、CEOは中島に交代となった。そして2002年(平成14年)10月に55年間親しまれてきた「日本コロムビア」から、「コロムビアミュージックエンタテインメント」へ社名変更された。
まず社名変更後の同年10月末に一青窈のデビュー作として発売された『もらい泣き』が、ロングセールスとオリコンチャートトップ5へのランクインを記録した。それ以降も2003年(平成15年)の木村カエラのデビューや、氷川きよし等既存アーティスト作品の安定した売上に加え、演歌・アニメソング分野でのベスト盤の発売、虫プロダクションの旧作アニメや中部日本放送の昼ドラマキッズ・ウォーシリーズのDVDソフト化を次々と行うなどの施策によって売上は微増傾向となっていく。
なお、2005年(平成17年)までの間に、コロムビア音響工業、旧日本コロムビアのライブハウス事業と位置づけられていた株式会社エッグマン(Shibuya eggman運営) 、コロムビアデジタルメディアの3子会社を企業買収ファンドを営むパインリッジ株式会社へ売却した。売却後もコロムビア健康保険組合の事業主を構成しているため、旧日本コロムビアグループとして括られている。
経営再建途上の2007年(平成19年)以降、レコード会社業界全般で音楽配信のシェアが急速に拡大し、CDメディアの売上が縮小する状態に陥る。コロムビアもその影響を受けて売り上げが再び減少。これに伴い、制作部門を含めた数百人規模の社員希望退職者募集に加え、売上不振となっているアーティストとの所属契約を期間満了で更新させずに退かせるなど、大胆なリストラを行った。
2007年(平成19年)にはTDK子会社で映像ソフトを中心とした制作・販売を行う「TDKコア」を15億円で買収し、2008年(平成20年)にクリエイティヴ・コアへ社名変更した。映像ソフト分野については事業統合するも、飛躍的な事業拡大へは至っていない。
株価についても、2008年(平成20年)以来100円前後から徐々に下落した。特に世界金融危機によって株式市場全体で株安傾向が強まっていた2009年(平成21年)2月22日には年初来最安値の16円を記録した。その後は2009年3月期決算が悲観的ではなかったため40円台まで回復したものの、継続企業の前提が財務諸表に付記され、2009年(平成21年)9月以降は25円-30円台という低水準で推移するといった厳しい経営状態が続く。
企業年金への取り組み[編集]
2009年(平成21年)に日本航空の再建問題で挙がった確定給付型企業年金の積立金不足問題に関連して、2009年(平成21年)12月9日の日経新聞朝刊9面(企業欄)に、コロムビアの給付債務の不足金(約41億円)に自己資本(約8億円)を割ると不足額比率が489%となり、上場企業では首位であることがに掲載された。この時期に、OBに対して給付額の減額交渉を行い、大半の同意を得た事が同月11日付記事で掲載された。企業年金の給付額削減の妥結を見いだした事例として、2010年(平成22年)3月22日号の日経ビジネスにも特集記事として詳述されている。
フェイスによる買収[編集]
2010年(平成22年)1月、コンテンツ配信サービス企業の (株)フェイス は、2001年(平成13年)10月以来筆頭株主で経営権を握っていた、RHJインターナショナルが組成した「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」から、コロムビアミュージックエンターテインメントの発行株式(合計31.39%)を取得すると発表[11]。これにより、フェイスはコロムビアの筆頭株主となり、持分法適用会社として同社グループ入りとなった。
なおこの結果、CEOをはじめとする現職の取締役が全て退任し、フェイスグループから派遣された役員による新経営陣への刷新が、同年4月6日に行われた臨時株主総会および同年6月の定期株主総会で承認され、フェイス創業者の平澤創が取締役取締役会会長に、代表執行役社長兼COOに原康晴(前副社長、旧日本コロムビアで営業畑を歩んできた生え抜き)が就任。社外取締役と社外監査役はほぼフェイス側の役員が兼任する形となった。
一方、日立製作所は2009年(平成21年)9月と2010年(平成22年)2月以降、徐々に保有しているコロムビアの株式を売却している事がEDINETでの5%ルールによる大量保有報告書(変更報告)の提出[12]によって明らかとなっている。
フェイスは2014年(平成26年)3月に株式公開買付けの結果、出資比率を50%超とし、コロムビアを子会社とした[13]。
コロムビアの原点回帰[編集]
2010年(平成22年)5月、創業1世紀(100周年)を迎える同年10月1日に、正式社名とツインノーツの社章・ロゴタイプを日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、旧社と同じ。英名:NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)に戻す(法制上は“社名変更”)ことを発表した[14]。旧社名に戻すのは、2002年10月1日付でコロムビアミュージックエンタテインメントに社名変更して以来8年ぶりである。そして、同年10月1日に社名変更が実行された。社章のシンボルカラーについては、2002年(平成14年)9月までの黒色ではなく、CME時代の青色を継承する。
理由としては、同年に筆頭株主(支配株主)が約10年振りに外資ファンドから国内企業に異動したことや、現在グループ内での主な事業が音楽・映像ソフト主体から映像・ゲーム関連へと拡大した事により、社名にミュージック(音楽)を付ける事は現状にそぐわないとの判断が現経営陣によってされた結果とのこと。
コロムビアレコードの商標[編集]
創業当初から1960年代まで英EMIのコロムビア・レーベルのソフトと米コロムビア・レコードの日本での発売権を持っていたが、前者は1962年(昭和37年)に当時の東芝音楽工業(現在のユニバーサル ミュージック合同会社 Virgin Music)に移籍し、後者は1968年(昭和43年)にソニーと旧米コロムビア・レコードの母体であるCBS(CBSレコード)との合弁で設立されたCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)設立により移管され、現在は子会社のソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(SMJI)が発売元となっている。
日本コロムビアはこれ以降、日本での『ツインノーツ』(16分音符の2連符)マークと、レコードなど音楽ソフトにおける『コロムビア』(COLUMBIA)の商標(登録番号・第318664号ほか)のみを残す形となった。それでも、ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)(SME)発売によるコロムビア・レコードレーベル商品の輸入盤については、輸入発売元がソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(SMJI)ではあるが、日本コロムビア(またはコロムビアミュージックエンタテインメント)の社名ロゴと商標承認の文字が記載されたシールが貼付され、同社はライセンス料を得る形となっている。
なお米国コロムビア・レコードのレーベルのマークは、上述のような商標権利上の関係から、旧:日本コロムビアの社章でもあった“ツインノーツ”(旧社は黒色、新社は紺色)ではなく、旧母体であるCBSの「目玉マーク」をアレンジしたもの(通称:ウォーキング・アイ)が用いられ、2000年代からは日本コロムビアと同一の商標ロゴであった「COLUMBIA」の字体(プロポーション)を縦長に改変して区別している。
また、SME傘下のコロムビア・レコードのクラシックレーベルとして1990年代に編成した「ソニークラシカル」は、コロムビア・レコードの“ツインノーツ”の代わりに、新たにデザインされた『赤地に2連符の白抜きを模ったロゴ』とSONYのロゴタイプを併記したマークを使用している。
プレス設備[編集]
2000年代中盤まで、自社でCD・DVD等ディスクメディアの大規模なプレス工場(神奈川県川崎市川崎区港町)を保有する数少ないレコード会社であった(他にはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、東芝EMI(現:トエミ・メディア)など)。2005年(平成17年)にプレス工場をコロムビアデジタルメディア(CDM) と子会社を設立した上で、土地は株式会社原弘産(下関市)、建物は企業買収ファンドのパインリッジ株式会社へ売却された。
その後も生産活動を行っていたが、2007年(平成19年)7月頃に川崎港町から静岡県焼津市の東名高速道路沿いにあるソニーDADCジャパン静岡工場大井川(DADJ-O)敷地内に拠点を移転。会社名をCDMパートナーズへと変更したものの、2009年(平成21年)、CDMパートナーズは従業員による破産申し立てにより倒産している。
川崎工場跡地は京浜急行電鉄と大和ハウス工業の開発による大規模分譲マンション「リヴァリエ」(仮称:川崎港町プロジェクト)の建設が進行中である。
なお川崎工場の最寄り駅だった京急大師線港町駅は、1932年(昭和7年)の開設(臨時乗降場からの昇格)から1944年(昭和19年)まで「コロムビア前駅」だった。これが縁で、2013年3月1日、港町駅構内に日本コロムビア川崎工場の歴史を辿るフロアが新設され、同駅の発車メロディに美空ひばりの代表曲『港町十三番地』が採用された。駅構内には同曲の歌碑も設置されている。
沿革[編集]
- 1910年(明治43年)10月1日 - 株式会社日本蓄音器商会 (Nipponophone Co., Ltd.) 設立。ワシ印ニッポノホンレコード・ローヤルレコードなどの発売を開始する。
- 1912年(大正元年) - 日米蓄音器製造株式会社を合併。
- 1927年(昭和2年) - 米コロムビア・レコードと提携、コロムビア・レコードの発売を開始する。
- 1942年(昭和17年) - 商号を日蓄工業株式会社(Nitchiku Kogyo K.K.:通称ニッチク)に変更。これは戦時下での外来語(敵性語)禁止に伴うもので、レーベルもコロムビアからニッチクへと改められた。
- 1946年(昭和21年) - 商号を日本コロムビア株式会社 (Nippon Columbia Co., Ltd.) に変更。
- 1951年(昭和26年) - 日本初のLPレコードを発売(第1号は米コロムビア原盤による、ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるベートーヴェン交響曲第9番(2枚組)であった)[15]。
- 1958年(昭和33年)9月1日 - 国内では、日本ビクターに次いでステレオLPレコードを発売(米コロムビア原盤による。第1号は、セルゲイ・プロコフィエフ作曲、交響曲第5番 (RS-101) )[16][17]。
- 1959年(昭和34年) - 自社独自のステレオ録音を開始する。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年) - 日本電気音響株式会社(ブランド名・DENON(デンオン))を合併。
- 1965年(昭和40年) - 東京都港区赤坂に本社ビルを建設、同年2月1日より業務を開始。
- 1968年(昭和43年)7月1日 - 米コロムビア原盤の発売がCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移ったため、同原盤による発売を終了する。また、自社の洋楽部門からCBSレーベルでリリースしていた歌手やスタッフの一部もCBSソニーに移籍した。
- 1970年(昭和45年)頃 - レコード再生に於けるトレーシング歪を解消する技術、「ノン・ディストーション・カッティング・システム」を開発、運用開始。
- 1971年(昭和46年)1月11日 - NHK放送技術研究所のPCM録音機の試作機を借りて、世界初のPCM方式によるデジタル録音を行う[19]。
- 1972年(昭和47年) - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第1号機[20]を作り、本格的なPCM録音によるレコード製作を開始する[21]。同時に「PCM」が同社の登録商標となる。
- 1974年(昭和49年) - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第2号機[22]が完成。1号機よりもコンパクトになったため、ヨーロッパに持ち込んでのPCMデジタル録音を行う(パイヤール指揮のバッハ「音楽の捧げもの」ほか)。
- 1982年(昭和57年)10月1日 - ソニー、CBS・ソニーと同時に、世界初のコンパクト・ディスク(CD)の再生機及びソフトを発売する(再生機は日立Lo-DのOEM。ソフトはベートーベンの「運命」、ドボルザークの「新世界」ほかクラシック10タイトルを発売。)。
- 2001年(平成13年)10月1日 - AV・メディア関連機器部門を株式会社デノン(現・株式会社デノン コンシューマー マーケティング)として分離(その後、日本マランツと経営統合、ディーアンドエムホールディングスとなる)。同部門生産拠点の白河工場(福島県)も譲渡。
- 2002年(平成14年)10月1日 - 一時的にロゴマークを一新し、商号をコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社に変更。
- 2005年(平成17年)7月1日 - 赤坂本社屋売却に伴い本社機能を東京都港区六本木一丁目の第21森ビルに移転。
- 同年 - プレス部門(子会社(コロムビアデジタルメディア:名称のみ継承))を売却。
- 2007年(平成19年)9月28日 - TDK子会社のポストプロダクション・TDKコアを買収すると発表。買収金額は15億円で、同年11月1日付けで子会社化。
- 2008年(平成20年)2月1日 - TDKコアがクリエイティヴ・コアに社名を変更。
- 2009年(平成21年)8月24日 - 本社が入居していた第21森ビルの解体・再開発の実施に伴い、家主の森ビルの意向により本社を港区虎ノ門4丁目の江戸見坂森ビルへ移転。
- 2010年(平成22年)1月 - クリエイティヴ・コアを会社分割し、旧TDKコア時代からの音楽・映像・教育ソフト部門の一切の権利をコロムビア側で承継する。
- 同年10月1日 - 商号を日本コロムビア株式会社に変更。
- 2011年(平成23年)3月28日 - クリエイティヴ・コアの全株式をウッドオフィスグループに売却。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 音楽・映像ソフトウエア、ゲーム関連ソフトウエア等の販売事業等を、会社分割により新設子会社のコロムビア・マーケティング株式会社に承継。
- 2014年(平成26年)3月26日 - 株式会社フェイスが株式公開買付けにより過半数の株式を取得。フェイスが親会社となる。
- 同年4月1日 - 配信事業、特販・通販事業を吸収分割によりコロムビア・マーケティング株式会社に承継。
- 同年6月24日 - 2014 FIFAワールドカップ1次リーグで日本×コロンビア戦が行われるのを機に、社名を24・25日の2日限定で日本vsコロンビア株式会社とする。
主要レーベル[編集]
- コロムビアレコード (COLUMBIA RECORDS)
- 総合レーベル。演歌・歌謡曲・J-POPなどオールジャンル。1960年代初頭までは一部洋楽も。
- コロムビアハウス (COLUMBIA HOUSE)
- 総合レーベルのコロムビアレコードのサブレーベル的存在で、下記サブカル系2レーベルの総称である。
- コロムビアジャパン (COLUMBIA JAPAN)
- 2000年(平成12年)頃よりメインレーベルのコロムビアレコードより分離、2003年(平成15年)にトライアド・パッション(TRIAD PASSION、旧PASSIONレーベル)を改組。
- トライアド (TRIAD) - ロック音楽系レーベル。1990年代、THE YELLOW MONKEY、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ピチカート・ファイヴ、ザ・コレクターズ、森重樹一、Valentine D.C.らが所属。2007年から休止状態にあったが、2014年、吉井和哉の移籍を機に復活。
- パッションレーベル (PASSION)
- コロムビアレコードからJ-POP部門を分離独立させて新設したレーベル。
- M-TRAIN(エムトレイン) - 中村雅俊専属のレーベル。コロムビアレコードから移籍(但し、J-POP部門再編によりパッションレーベルの傘下レーベルとなっている)。
- B-C/BeatreC - 当時、音楽事務所的要素の強かったビーイングと提携したかつてのレーベル。PAMELAHやBAAD、また末期にはFIELD OF VIEWも在籍していた。現在は活動休止。
- ヒートウェーブ (HEAT WAVE)
- 1998年(平成10年)に子会社として設立したJ-POP系レコード会社。TRIADレーベル等のアーティストの一部が移籍し発売元になると共に、新人アーティストの発掘を事業領域としていたが、売上不振による債務超過に陥ったため、2001年(平成13年)3月に日本コロムビアへ吸収され、以後はレーベルのみ残る。
- ********* records,tokyo(レディメイド・レコーズ・トーキョー)- ピチカート・ファイヴなど「レディメイド・エンターテインメント」所属アーティストのレーベル(1998年(平成10年) - 2002年(平成14年))。
- コロムビアインターナショナル
- DENON(デノン/デンオン)
- デノン - 1968年(昭和43年)設立。設立当時はいわゆる「和製ポップス」のうちフォークあるいはソフト・ロック寄りの路線で展開した。伊東ゆかり、森山加代子、ベッツィ&クリス等が在籍。ロゴは丸型であった。また、演歌・歌謡曲などでも「コロムビア」の商標が使用できない在外邦人向けの海外輸出盤で使われた。「デンオン」レーベルの開始に伴い、「デノン」レーベルの規格品番「CD」シリーズはブロウアップレーベルに引き継がれる[23]。
- デンオン - 1973年(昭和48年)、PCM(デジタル)録音の本格稼働にあわせて、呼称とロゴを変更してリニューアル。主に高音質を期待されるクラシックやジャズの作品が発売されたが、ジャズは次第にBetter DaysやInterface等のレーベルに移行し、現在はほぼクラシック専門レーベル。1980年代初期には演歌・歌謡曲・邦楽ポップスなどでもコンパクト・ディスク限定で使われたことがある。なお、「DENON」の商標権はレコード等に関するものもディーアンドエムホールディングスに移っており、同社から許諾を受けて使用している。
アーティスト[編集]
あ、か行[編集]
- 青山和子
- 赤マルダッシュ☆(武田鉄矢プロデュースによる4人組の女性アイドルユニット。メンバーは大西菜友、玉城茉里、北澤鞠佳、川村彩花)
- 安倍なつみ (元モーニング娘。1期メンバー。2014年10月にアップフロントワークス(hachamaレーベルを経てUP-FRONT WORKSレーベル)から移籍)
- 出光仁美
- 伊奈かっぺい(マルチタレント、元・青森放送社員)
- 岩田光央・鈴村健一(協力・ラジオ大阪)
- 植田佳奈(アーツビジョン/アイムエンタープライズ)
- 内田彩
- 大石まどか
- 大川栄策
- 大杉久美子
- 小沢亜貴子
- autumn leave's
- ohana
- 金田たつえ
- 冠二郎(1976年に日本ビクターから移籍)
- Kyoco
- キリンジ(東芝EMIから移籍)
- 口笛太郎Duo(配信のみ)
- グッドモーニングアメリカ
- 小清水亜美
- KOBUDO -古武道-
- 胡美芳
- THE COLLECTORS (テイチクから移籍)
- コロムビアゆりかご会(音羽ゆりかご会のメンバーがアニメソング、童謡、文部省唱歌のコーラスで歌う場合に使用した)
- 初代コロムビア・ローズ
- 二代目コロムビア・ローズ
- 三代目コロムビア・ローズ 野村未奈
さ、た、な行[編集]
- サイキックラバー(ラムズ)- YOFFYはアニメ・特撮系の作詞・作曲家としても有名。
- ささきいさお(佐々木功)
- 佐土原かおり
- Ceiling Touch
- JABBERLOOP
- 伸太郎
- sweet ARMS
- 藏合紗恵子
- 高峰三枝子- 初期のコロムビアを支えた歌う女優の走りで、代表作〈湖畔の宿〉他
- 大我 - からくりキャラバンシリーズにて人材発掘の少年ドラマー、同社よりメジャーデビュー。
- 田川寿美
- ダ・カーポ
- 高木綾子
- 高嶋ちさ子 - めざましクラシックスの初期メンバーを代表するバイオリニスト。
- 高取ヒデアキ - 通常は主に同社向けに作詞曲主体で活動。
- 多岐川舞子
- たむらぱん
- Czecho No Republic
- テイ・トウワ - 海外では米国のV2レコードと専属契約(但し、松本人志初監督作品の松竹・吉本映画『大日本人』のサントラ盤はソニー系のレコード会社よりリリース[24])
- 手塚理 - かつてはキングレコードでスターチャイルド関連作品の劇伴をメインに活動(Vinkも参照)、現在は主に同社で劇伴・インスト系メインで活動。
- 富樫美鈴
- 冨田勲
- TRUSTRICK
- 中村雅俊(PASSION/M-TRAIN)
- 流田Project
- 謎の新ユニットSTA☆MEN
- ナナカラット
- なまず
- 新沼謙治
- 錦織健(ポニーキャニオンより移籍、男性オペラ歌手)
- Not yet (AKB48のユニット)
は、ま、や、ら行[編集]
- 走裕介
- 林未紀
- 原真祐美
- 氷川きよし(長良プロダクション)※同系列のインディーズ系音楽事務所SOL BLADEに専属レーベル"[HK]レーベル"が存在する。[25]
- 樋口あゆ子
- VITAMIN-Q
- フェロ☆メン
- 藤井リナ
- 藤原道山
- 二葉あき子
- 舟木一夫 - 近年ではビクターエンタテインメント系からのリリースタイトルもある。
- Blu-Swing
- Bloodthirsty butchers
- Project.R
- 細川たかし
- 堀江美都子
- 松山千春(アルファ・レコードから移籍)
- マルシア
- miu-clips
- 水木一郎
- 水谷豊
- 南かなこ
- 宮内タカユキ(元内山田洋とクール・ファイブメンバー)
- 都はるみ
- MAKE-UP
- メロキュア(岡崎律子・日向めぐみ)
- 望月久代(81プロデュース)
- 森の木児童合唱団
- 八代亜紀
- 矢野沙織
- 山形ユキオ
- 山崎ハコ
- ヤング・フレッシュ(現・東映アカデミー特音教室生による児童コーラスグループ。子供向けのアニメソングや特撮ソングのコーラスに参加することが多い)
- 吉井和哉(Virgin Music/ユニバーサルミュージックから移籍)
- 吉木りさ&ヒャダイン(前山田健一)
- 吉田仁美
- Lily-Yoji(りりィあんどよーじ)
販売委託[編集]
- よしもとアール・アンド・シー(旧R&C Japan→R and C)
- 幸福の科学出版
- NHKエンタープライズ(旧NHKエンタープライズ21)
- 日本の公共放送事業者であるNHKの関連企業。NHK関係の番組・作品の製作が事業主体としているが、それらに関連する映像・音楽ソフトを企画・制作・発売も行っている。なお、一部の番組や作品の関連メディアソフトによっては、コロムビアが直接発売・販売を行うものや、あるいは発売元が同社・販売元がコロムビアというケースもある。しかし、ポニーキャニオン(『おかあさんといっしょ』など。なお昭和期の『おかあさんといっしょ』関連については長らくビクターからリリースしていた)、ユニバーサル ミュージック(旧ポリドール)(『龍馬伝』『未来少年コナン』など)、NBCユニバーサル(旧パイオニアLDC→ジェネオン エンタテインメント→ジェネオン・ユニバーサル)(香取新選組ほか)、キングレコードなどの同業他社へ販売委託するケースの方が大半である。
- オーマガトキ
- 日本の都市型CDショップチェーン・新星堂の関連企業として設立され、メジャー流通系インディペンデントレーベルとしては異色の音楽ソフトメーカー。サブカルチャー系(ゲーム系主体)の別働レーベルとしてCANDYPOPレーベルを設置。現在は数組のアーティストやグループと専属契約、かつてはスターダスト・レビューや松崎しげるも10年以上所属していた他、Something ELseが活動末期に所属していた。2013年10月に子会社化。
- キノミュージック
- 綜合住宅メーカー木下工務店のグループ会社。音楽・映像ソフト事業を行う。
- ポリスター
- 有限会社ポリスター・ソングス名義で発売される作品のみ販売委託を行っている。
かつての販売委託先[編集]
- インターチャネル(旧NECアベニュー時代〜センチメンタルグラフティ関連、現在はキングレコードに完全販売委託し、音楽事業自体もインデックスミュージックに分社)
- ドリーミュージック(現在はソニー・ミュージックマーケティングが販売委託している)
- サンリオ(かつて音楽・映像ソフト分野で同社(旧社時代)に長らく販売委託を行っていた。現在は一部を除きエイベックス(avex trax)を中心に発売・販売権を他社に委託)
- マザー&チルドレン(ロックミュージシャン系芸能事務所・マザーエンタープライズが設立。CBSソニーに在籍していたHOUND DOG、尾崎豊を移籍させた。1989年にアルファ・ムーン、THE BLUE HEARTSの事務所との合弁によりMMGの内包レーベルとなる。尾崎は同レーベルを離脱してCBSソニーに再移籍した。その後、イーストウエスト・ジャパンに社名変更し、ワーナーミュージック・ジャパンに完全合併された)
旧バンダイ・ミュージックエンタテインメント(BME、旧アポロン。但し、同社が販売委託していたマリン・エンタテインメントの音源は同社が保有)や、同社に販売委託を行っていた旧エアーズ[26]、音楽部門(ソノシート関連)を持っていた頃の朝日ソノラマ[27]、及びかつてコロムビアの直系子会社であったフォルテ・ミュージックエンタテインメント[28]の音源を買い取って同社の音源とし、現在に至っている。
以前に在籍していたアーティスト[編集]
引退、解散、死去したアーティストも含む。
あ行[編集]
- 愛河里花子 - ビクターエンタテインメントから移籍、現在はアーティストとしての活動を休止
- Aisha - ビーイング専門レーベルB-Cに所属、KEY WEST CLUBの東恵子のソロユニット。
- 赤い鳥 - デビューはデノンレーベル、のちにリバティレコード(東芝音工)に移籍。原盤制作はアルファ・アンド・アソシエイツで、現在音源はソニー・ミュージックダイレクトが所有
- 朝丘雪路 - 東芝音工(現・EMIミュージック・ジャパン)→日本クラウン→CBSソニー(現・ソニーミュージックレコーズ)に移籍、現在はアーティストとしての活動を休止
- THE YELLOW MONKEY - ファンハウス(現・アリオラジャパン)に移籍、のち解散
- 石川さゆり - ポニーキャニオンに移籍、のちに同社の演歌部門廃止で現在はテイチクエンタテインメントに在籍。コロムビア、ポニキャン時代の音源はホリプロを経て(ポニキャンのホリプロ音源は1996年まで)、個人事務所「さゆり音楽舎」が所持
- いしだあゆみ - ビクターレコードから移籍、その後アルファレコードを経てCBSソニーに移籍後、女優業に専念
- 石田燿子 - 当時は石田よう子名義でデビュー、現在はジェネオンエンタテインメント(旧・パイオニアLDC)に在籍
- 石原慎一 - 現在はエイベックス等、フュージョンで活動中
- 伊藤かずえ - フォーライフに移籍後、女優業に専念
- 伊東ゆかり - キングレコードより移籍→ビクターインビテーション→アルファレコード→キングに復帰→ユニバーサル→BMG JAPANを経て、現在はフリー
- 因幡晃
- 井上純一
- 井上宗孝とシャープファイブ - キングレコードより移籍(コロムビアを経て、キャニオン)
- 上田まり - 現在はエイベックスに移籍
- EDGE - ビーイング専門レーベルB-C第一弾
- エスカレーターズ - 解散
- Mi(エムアイ) - 活動休止
- 大滝詠一 - Niagaraレーベルと共に在籍。エレックレコードの倒産に伴い、同社より移籍。80年代CBSソニーに、Niagaraレーベルごと移籍
- 王貞治 - 現福岡ソフトバンクホークスの球団取締役会長、日本プロ野球名球会会長
- 大橋恵里子 - 女優に転向後、引退。現・長谷川康夫(劇作家・演出家)夫人
- 大矢晋 - 引退
- 岡本敦郎
- 尾崎紀世彦
- 岡村佳枝 - ユピテルレコードより移籍。現在はラジオ・パーソナリティーなどの仕事で活躍
- 0930(ヤマハ音楽振興会)- 解散
- 小田茜 - 女優業に専念
- オレンジカウンティーブラザース
- ジュディ・オング - CBSソニー→東芝EMIへ移籍を経て、現在はビクターエンタテインメントに在籍
か行[編集]
- GARDEN - アルファ・ミュージックから移籍。現在はインディーズで活動
- カーネーション - 徳間ジャパンから移籍。2003年(平成15年)にエイベックスへ移籍し、現在はインディーズで活動
- 影山ヒロノブ - ランティスに移籍
- 笠原弘子 - ワーナーミュージック・ジャパンから移籍。一時期ベラボー・エンタテインメントよりマキシシングルやアルバムをリリースしていたが、現在はHiBOOM VRに在籍
- Cup's - ビーイング専門レーベルB-Cに所属していた
- 金井克子 - 1970年(昭和45年)にCBSソニーに移籍、現在はアーティストとしての活動を休止
- 嘉門達夫 - 1989年に代官山プロダクションに移籍
- 茅弘二
- GARO - 原盤制作はアルファ・アンド・アソシエイツ(マッシュルームレーベル)。現在音源はソニー・ミュージックダイレクトが所有
- 河合奈保子 - 1997年(平成9年)よりアーティストとしての活動を休止
- 河合美智子 - デビュー初期に行っていた歌手活動を休止後、ドラマ『ふたりっ子』とのタイアップで「オーロラ輝子」名義で歌手活動再開→現在はアーティストとしての活動を休止し、女優業に専念
- 河上幸恵 - 引退後、阪神地区で司会業・ピアニストに転向
- 河村隆一 - 2009年(平成21年)avexへ移籍
- 菊池俊輔 - 現在もフュージョンで活動中
- 北島三郎 - 1964年(昭和39年)に日本クラウンに移籍
- きただにひろし - 現在はJAM Projectやフュージョンで活動中
- 木村カエラ - 2013年 (平成25年) にビクターエンタテインメントに移籍
- 草尾毅 - 現在はアーティストとしての活動を休止
- 工藤慎太郎
- 紅麗威甦 - 解散後、ボーカルの哲太は杉本哲太に改名し俳優に転向
- 国実百合
- 黒沢年男(現・年雄) - 当初はCBSコロムビアに所属していたが、後述するジャッキー吉川とブルー・コメッツ同様日本コロムビアに移動。のちに東芝EMIに移籍。現在は俳優・タレント業に専念
- 毛皮のマリーズ - 2011年解散
- 國府田マリ子 - コナミ音楽部門(現:コナミ・マルチメディア)よりメジャーデビューし、その後同社で挿入歌をリリース。その後はキングレコードへ移籍して現在に至る(2005年(平成17年)より育児休業のためすべての活動を当面自粛の方向へ)
- こおろぎ'73 - 1990年に活動停止
- 小坂一也
- 小坂忠 - 原盤制作はアルファ・アンド・アソシエイツ(マッシュルームレーベル)。後にゴスペルシンガーに転向、2001年(平成13年)、25年ぶりにロック/ポップ・ミュージックのアルバムを発表。現在音源はエピックレコードジャパンが所有
- ゴダイゴ
- 後藤久美子 - 女優業に専念
- 小林旭 - →日本クラウン→ポリドール→ソニーレコード→第一興商傘下のガウスエンタテインメント(現・徳間ジャパンコミュニケーションズガウス制作室)現在はマイトガイレーベル(インディーズ・ダイキサウンド受託)在籍
- 小林幸子 - デビュー時に在籍。その後、多数のレーベルを経て、ワーナー・パイオニアで「おもいで酒」を皮切りに多くの代表曲を世に送り出す。1990年代中期に古巣であるコロムビアに復帰したが、個人的な事情により、2012年(平成24年)、離脱して自身のレーベルを設立した。
- コロムビア・トップ
- コロムビア・ライト
さ行[編集]
- サーカス - アルファレコード→ワーナー・パイオニアから移籍。その後、VAP→ファンハウスを経て、現在はソニー・ミュージックダイレクトに在籍
- 堺正章 - ザ・スパイダース解散後にソロ歌手としてデビュー。のちにビクターエンタテインメントに移籍。なお、ムッシュかまやつ、井上堯之とのユニット「ソン・フィルトル」を経て、その後アーティストとしての活動を休止するも、2008年(平成20年)に久々に新曲を発表
- 榊原郁恵 - 第1回ホリプロTSCグランドチャンピオン。現在はアーティストとしての活動を休止
- 坂口良子 - のちにフォーライフに移籍して数枚シングルをリリース。現在はアーティストとしての活動を休止し、本業の女優業に専念するも、2013年(平成25年)死去
- 坂本スミ子 - のちにCBSソニーに移籍、現在はアーティストとしての活動を休止
- 桜っ子クラブさくら組 - ワーナーミュージック・ジャパンから移籍、のち解散
- ムーン・リップス - 上記からの派生ユニット。ユニット名はアニメ『美少女戦士セーラームーン』で主題歌を歌っていたことから由来。その後、アニメ版完結を待たずして解散
- 佐々木望 - 現在はアーティストとしての活動を休止
- 五月みどり - 徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍
- 佐村河内守 - ゴーストライター問題が発覚したため契約を解除、事実上の引退
- ジャッキー吉川とブルー・コメッツ - 当初はCBSコロムビアに所属していたが、先述の黒沢年男と同様に日本コロムビアに移動した。1973年のメンバーチェンジ後はビクター音楽産業に移籍。
- 猿岩石 - 『内村プロデュース』などで"手裏剣トリオ"名義で一時は活動するも、結局解散。有吉のみ太田プロに残留へ
- GENERAL HEAD MOUNTAIN - 2011年解散
- 時給800円 - 現在はR and Cに移籍、メンバーの品川祐は、品川庄司として2005年(平成17年)にアーティストデビュー
- ZIG ZAG - フォーライフ・レコードに移籍、のち解散
- しばたはつみ - ビクター→RCAビクターから移籍。移籍前の芸名は「はつみかんな」
- 渋谷哲平 - 現在はアーティストとしての活動を休止し、俳優業に専念
- SHIHO - 活動中
- 島倉千代子 - 2013年 (平成25年) に肝臓がんのため死去。
- 島田奈美 - 「ガラスの幻想曲」でデビュー、世界初のピクチャーCD要出典を発売。現在は音楽ライター島田奈央子(本名)として活動中
- 志村香
- 子門真人 - ポニーキャニオンへの移籍を経て、現在は引退の模様
- ジャドーズ - 活動休止状態なのだが、メンバーはダンス☆マン&ザ・バンド☆マン(エイベックス所属)として活動している
- ザ・シュークリーム - 解散後、ホーン・ユキ(ユキ)は女優として、清水クーコ(クーコ)はタレントとして、谷上いく子(イッコ)は南麻衣子→北原由紀に改名しソロ歌手として、甲山暁美(ノロ)はモデルとして活躍
- Juicy Fruits - 解散
- 純エリ子 - 後に藍美代子の芸名で渡辺プロダクションから再デビュー。現在はフリーのジャズヴォーカリスト兼パブ経営者
- 庄野真代 - 東芝EMI→ファンハウスへ移籍を経て、現在は自主制作レーベル「S2S」に在籍
- 白田あゆみ - 引退
- 水前寺清子 - 11曲録音するもデビューには至らず、1964年(昭和39年)に日本クラウンへ移籍してデビュー。
- Syrup 16g(DAIZAWA RECORDS) - 解散
- spAed - ビーイング専門レーベルB-Cに所属していた、解散
- センチメンタル・シティ・ロマンス
- sorachoco(稲村優奈・花村怜美)- 2011年解散
た・な行[編集]
- 大事MANブラザーズバンド - メルダック(トライエムを経て、後の徳間ジャパンコミュニケーションズメルダック制作室)→ファンハウスを経て移籍、解散後立川俊之はソロ活動。その後「大事MANブラザーズオーケストラ」として再結成。
- 高橋克典 - ワーナーミュージック・ジャパンから移籍→現在はavexに在籍
- 高橋洋樹 - 一度引退するも、2005年(平成17年)にマーベラスエンターテイメントへ移籍・復帰
- 高見知佳 - 現在は沖縄県に在住しCM出演や朗読会に参加
- 竹仲絵里 - R and Cへ移籍
- TAMTAM
- TALIZMAN - 解散
- 段田男 - 引退。歌謡教室を主宰。
- ちあきなおみ - CBSソニー(主題歌を歌った映画のサウンドトラック)→ビクターインビテーション→テイチク、現在は芸能活動休止
- CHAINS - メジャー契約終了後、インディーズにて活動中。
- CHISATO - 徳間ジャパンコミュニケーションズより移籍。現在は、PENICILLINとは別に結成したバンドCrack 6のメンバーとしてCutting edgeに在籍
- CHARCOAL FILTER - POWERPOP RECORDS.COMから移籍、コロムビアを経てWARNER MUSIC JAPANへ移籍。現在は既に解散
- チューリップ
- つのごうじ - 現在は活動休止か
- DJ KAWASAKI - EMIミュージック・ジャパンに移籍
- 寺田恵子 - ビクターエンタテインメントへの移籍を経て、現在はavex(avex mode)に在籍
- 天童よしみ - ポニーキャニオンから移籍、現在はテイチクエンタテインメントに在籍
- 堂島孝平 - 徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍
- 当山ひとみ - ボーカルの講師を行いながら、現在も活動中
- 十田敬三 - 引退
- 富田靖子 - 東芝EMIに移籍。現在はアーティストとしての活動を休止し、女優業に専念
- ドミンゴス - メジャー契約終了後、インディーズにて活動。2004年(平成16年)解散(後に再結成)
- 豊嶋真千子 - 現在はアーティストとしての活動を休止
- 内藤やす子 - ラジオシティ→フィリップスを経て、現在はテイチクエンタテインメントに在籍
- 内藤洋子 - 芸能界引退後、「喜多嶋洋子」名義で絵本作家として活動、不定期でテレビ出演。
- 中島卓偉 - アップフロントワークス(レーベルはゼティマ)に移籍
- 中西保志 - 現在は徳間ジャパンコミュニケーションズに在籍
- 浪花男 - ソニー・ミュージックエンタテインメントへ移籍。
- 忍者 - 解散
は行[編集]
- BAAD(ビーイング専門レーベルBeatreCに所属。ZAIN RECORDSから移籍、解散)
- HOUND DOG(イーストウエスト・ジャパンから移籍、R and Cにも在籍。現在は活動休止中)
- 橋本潮 - 一度活動休止するも、コロムビアに復帰
- 橋本仁 - 現在はエイベックス(avex mode)に在籍
- PaniCrew - 現在はBMG JAPANに在籍
- 浜崎あゆみ - 現在はエイベックスに在籍
- PAMELAH - ビーイング専門レーベルB-C/BeatreCに所属していた、解散
- 原真祐美 - 引退
- VALSHE - 5pb.Recordsから移籍。2013年(平成25年)にビーイングへ移籍。
- パンダフルハウス - 1980年(昭和55年)に解散。
- valentineD.C. - 活動休止
- P-MODEL - ポリドールから移籍。その後インディーズで活動後、2000年(平成12年)に活動休止。
- 比企理恵 - 第4回ホリプロTSCグランプリ。現在はアーティストとしての活動を休止し、女優業に専念
- 日高美子 - 引退後主にビクターエンタテインメントより童謡歌手として活動。現在心理カウンセラー。ドイツ在住。年に一度帰省ライブ活動。
- bice (ビーチェ)- ポニーキャニオン→徳間ジャパンコミュニケーションズを経て、2008年(平成20年)契約。2010年(平成22年)に死去
- ピチカート・ファイヴ - 1990年(平成2年)CBS・ソニーから移籍。2001年(平成13年)解散。
- 秀夕木 - 1998年(平成10年)に心不全のため死去。
- ヒデとロザンナ - 結婚を公表しなかったため契約解除→ワーナーパイオニアへ移籍
- 一青窈 - 2008年(平成20年)8月に契約終了、2009年(平成21年)にフォーライフミュージックエンタテイメントへ移籍
- 平沢進 - P-MODELと同じくポリドールからの移籍。その後、インディーズとして活動中。
- 平松まゆき - 休業または引退
- 平山三紀 - CBSソニー→ファンハウスへ移籍を経て、現在はアップフロントワークス・ライスミュージックに在籍
- 弘田三枝子 - 1977年(昭和52年)に離脱し、渡米。1980年代に帰国後は、フリーの立場からディナーショーなどを中心に活動中
- FIELD OF VIEW - (ビーイング専門レーベルBeatreCに所属。ZAIN RECORDSから移籍し後にZAIN RECORDSへ再移籍)
- 風雅なおと - 現在はEMIミュージックで『しましまとらのしまじろう』で主題歌や挿入歌等を歌っている
- フォー・クローバース - 東芝音工から移籍。東芝時代はフォー・セインツとして活動。
- 藤谷美和子 - 現在はアーティストとしての活動を休止し、本業の女優業に専念
- 布施明 - キングレコード→フィリップス→コロムビア→ビクター→アップフロントワークス・ゼティマを経て、現在はユニバーサルシグマに在籍
- ブレッド&バター
- Project DMM - 円谷プロ作品の主題歌を多く手掛ける男性3人組のボーカルユニット。2009年(平成21年)に活動休止
- 辺見マリ
- ジャッキー吉川とブルーコメッツ - 解散(新編成後のグループはビクターレコードでデビュー)
- 本田美奈子. - 東芝EMI→キティMMEから移籍。2005年(平成17年)に死去
- 本間千代子
- 藤田恵名
ま・や・ら・わ行[編集]
- 牧穂エミ - ビーイング専門レーベルB-Cからリリース、現在はアーティストとしての活動を終了し、作詞家業に専念。
- 増田未亜 - 現在はアーティストとしての活動を休止し、女優業に専念
- 松原のぶえ - 2005年(平成17年)よりガウスエンタテインメント(後に徳間ジャパンコミュニケーションズガウス制作室)に移籍
- 松坂慶子 - ポリドールから移籍→ソニーレコードに移籍、現在はアーティストとしての活動を休止し、本業の女優業に専念
- 松山まさる - ポリドールに移籍して一条英一、ミノルフォンに移籍して三谷謙に改名もヒット曲に恵まれず、『全日本歌謡選手権』に出場して10週勝ち抜きのグランドチャンピオンとなり、現在の芸名は五木ひろしである。
- MALICE MIZER - 1997年(平成9年)にメジャー入りするも、1999年(平成11年)に再度インディーズへ→2001年(平成13年)末で解散。ヴォーカルのGacktは1998年(平成10年)に脱退し、翌年日本クラウンでソロ活動を開始
- 未来-MIKU-
- 水谷絵津子 - 引退
- 水森亜土 - 現在はウォルト・ディズニーと提携してエイベックスに在籍
- 美空ひばり
- 三田村邦彦 - 東芝EMI→TDKコアから移籍、現在はアーティストとしての活動を休止し、本業の俳優業に専念
- 観月ありさ - 1997年(平成9年)エイベックス (avex tune) に移籍
- thee michelle gun elephant - ミッシェル・ガン・エレファント名義で再度、同社へ移籍
- みといせい子 - 旧・日本コロムビア時代に歌手デビュー、現在は芸能リポーターとして活動
- 緑川光 - 現在はアーティストとしての活動を休止
- ミミ - ミミ萩原に改名して女子プロレスラー、新興宗教家としても活躍
- 村田英雄 - 1971年(昭和46年)に東芝EMIへ移籍。ただしコロムビア時代の音源を収録したベスト盤は当社から発売している。
- 森繁久彌
- 森重樹一 - ZIGGYの活動と並行しソロ活動。のちメルダックへ移籍。
- 守屋浩 - 1964年(昭和39年)に日本クラウンへ移籍
- 守谷香
- ヤクルトスワローズ応援団 - 東京ヤクルトスワローズになってからは、ポニーキャニオンよりリリースとなる。
- 山形英夫
- 山田パンダ
- 山下久美子 - 1989年に東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に移籍
- 大和さくら - 引退
- UNISONAIR - 解散。庄野賢一はプロデューサー・アレンジャーとして活動中
- RIDER CHIPS - 2002年(平成14年)にavex modeに移籍
- LOUDNESS - メンバーチェンジを繰り返しながらも、→ワーナーパイオニア→Rooms RECORDS(ビーイング系)→コロムビア復帰→徳間ジャパンコミュニケーションズを経て、現在はユニバーサルミュージックに在籍
- LANCE OF THRILL - 徳間ジャパンコミュニケーションズから移籍し、アルバム「POISON WHISKEY」のみ当社からリリース。現在は解散。
- ルースターズ - 解散
- Le Couple(ポニーキャニオンより移籍) - 活動休止
- RED WARRIORS - 1989年に一度解散。1996年(平成8年)の再結成時はポニーキャニオン、2001年(平成13年)から2003年(平成15年)の二度目の再結成時は徳間ジャパンコミュニケーションズからリリース。
- ロケットマン - ふかわりょうと小西康陽による音楽ユニット。2000年(平成12年)よりふかわのソロユニットに移行、2009年(平成21年)にビクターエンタテインメントに移籍。
- 和栗卓也 - 病気により活動を一時休止。2005年に和栗卓也として再デビュー。現在は両名義で活動。
コロムビアハウス部門[編集]
アニメソング(ANIMEX)・ゲームミュージック・子供向け音楽・邦楽(雅楽等)・学校音楽教材を管轄する制作ディビジョンである。
アニメ・特撮・ゲームミュージック[編集]
アニメソングや特撮番組の音源については前述通り力を入れており、1970年代までは、日本の子供向け番組の大半の楽曲を同社が保有していた。この事から現在でも、70年代以前の懐かしのアニメ・特撮は、同社のCDを求めるだけでかなりの作品を揃える事が出来る。
- 日本アニメーション制作作品に於いては積極的に音源が発売されており、1997年(平成9年)発売の3枚組アルバム『名作アニメ主題歌全集』や2000年(平成12年)発売の8枚組アルバム『創立25周年企画 アニメ主題歌大全集』、2004年(平成16年)の『日本アニメーションの世界(4作品 計12枚)』シリーズで自社原盤では無い作品の音源については全て保有者(他レコード会社等)より借り入れる形でほぼ網羅のうえ収録している。
主な音源所有作品[編集]
以下の作品の一覧のうち、サウンドトラック発売のみの作品は「(ST)」、他社音源が含まれる作品は「◇」の記号を付記する。
アニメソング[編集]
1965年
1966年
1967年
1968年
1971年
- アニメンタリー 決断
- ルパン三世シリーズ◇[31]
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
- くじらのホセフィーナ[38]
- 世界名作劇場シリーズ◇
- ドラえもん◇
- 未来ロボ ダルタニアス
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
- コンポラキッド
- ズッコケ三人組シリーズ
- はーいステップジュン
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1997年
- AIKaシリーズ
- こちら葛飾区亀有公園前派出所◇
- スーパーフィッシング グランダー武蔵
- 超特急ヒカリアン
- 電脳戦隊ヴギィ'ズ★エンジェル
- ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー
- マスターモスキートンシリーズ
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
- 暴れん坊力士!!松太郎
- オレカバトル
- くつだる。
- ケロロ 〜keroro〜
- 史上最強の弟子ケンイチ 闇の襲撃
- ドラゴンコレクション
- 風雲維新ダイ☆ショーグン
- 普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。
- ロボットガールズZ
2015年
- バンダイミュージック原盤
バンダイ・ミュージックエンタテインメント(旧・アポロン)およびエアーズが音源を保有していたもの
(ガンダムシリーズなど一部作品は例外有り)
特撮[編集]
- ウルトラシリーズ[69]
- 仮面ライダーシリーズ[70]
- スーパー戦隊シリーズ
- メタルヒーローシリーズ[71]
- 人造人間キカイダー
- イナズマン
- メガロマン
- 変身忍者嵐
- 超人バロム1
- 星雲仮面マシンマン
- 大鉄人17
- 恐竜戦隊コセイドン
- 快傑ズバット
- 忍者キャプター
- 好き! すき!! 魔女先生
- 宇宙鉄人キョーダイン
- UFO大戦争 戦え! レッドタイガー
- プロレスの星 アステカイザー
- スパイダーマン
- スターウルフ
- アクマイザー3
- 超神ビビューン
- がんばれ!!ロボコン
- 燃えろ!!ロボコン
- 東映不思議コメディーシリーズ
- 超光戦士シャンゼリオン
- ケータイ捜査官7
- 非公認戦隊アキバレンジャー
ゲームミュージック[編集]
旧ナムコ(現:バンダイナムコゲームス)との関係が深い。
- みんなのゴルフシリーズ
- ぼくのなつやすみシリーズ
- 塊魂シリーズ
- ロコロコシリーズ
- AFRIKA
- ミスタードリラーシリーズ
- 太鼓の達人シリーズ
- THE IDOLM@STERシリーズ
- ユグドラ・ユニオン
- ブレイズ・ユニオン
- ナイツ・イン・ザ・ナイトメア
子供向け[編集]
※ ライナーノーツの歌詞は丸ゴシック体でルビが掲載されている。
NHKみんなのうた[編集]
1980年代頃より番組で放送された新曲を含めたアルバム盤CD(1980年代はレコード・CT)を年2作品程度のペースで自社企画のうえ発売している。原盤の著作権の殆どは日本放送出版協会が保有しているが、ニューミュージック系の楽曲でオリジナルアーティストの所属レコード会社が異なる場合は、コロムビアによって製作されたカバー曲を収録している。2005年(平成17年)頃発売作品より、原盤を製作者から借り入れてオリジナル版を収録するケースが増えている。番組開始40周年を2001年(平成13年)に迎える1999年(平成11年)や、同45周年を迎えた2006年(平成18年)には、過去の楽曲を収録したベスト選集を発売している。
テレビこどものうた(こどものうた)[編集]
1993年(平成5年)よりシリーズ展開されている自社企画のオムニバスアルバム。童謡、子供(キッズ)向けのアニメ・特撮番組、ポンキッキーズ・ひらけ!ポンキッキ、おかあさんといっしょなどの楽曲を選り取り構成し、2500円程度の廉価格で発売している。
特におかあさんといっしょやポンキッキ関係の音源はフジメディアホールディングス(ポニーキャニオン・フジパシフィック音楽出版)が保有しているため、これらの楽曲については原盤の借り入れをせず、全て自社係属アーティスト(山野さと子・影山ヒロノブ・ひまわりキッズなど)によるカバー音源で収録されている。
同等の企画盤はキングレコード・日本クラウン・ビクターエンタテインメント・アポロンが先行しており、東芝EMIなどからも発売された実績がある。
CDツイン[編集]
上述の「NHKみんなのうた」や、自社音源のアニメソング・特撮主題歌を2枚組のコンピレーションCDとした廉価なベスト・アルバム。
サウンドトラック[編集]
NHK教育番組(映像ソフトはNHKエンタープライズと共同制作)
その他民放番組
- ウゴウゴルーガ(※「ウゴウゴルーガのピチカートファイブ」)
- ぐリンちょリンぱリン
- のりもの王国ブーブーカンカン
- のりスタ!シリーズ
過去
- おかあさんといっしょシリーズ(映像ソフトはNHKエンタープライズと共同制作)
- 1989年までビデオ・CD・カセットなど発売して、1990年春のファミリーコンサート以降はポニーキャニオンから発売している。
関連商品・レーベル[編集]
- 特撮専用のレーベル。コロムビアレコードへ統合され、現在のANIMEXレーベルが新設される。
コンピュータゲーム[編集]
2010年(平成22年)1月、クリエイティヴ・コア(旧TDKコア)のゲーム事業を譲り受け、コンピュータゲーム事業に参入している。ラインナップはニンテンドーDS・3DS用の女児向けゲームが中心。
ゲーム制作部の沿革と発売タイトルについては日本コロムビア発売のゲームタイトル一覧を参照。
備考[編集]
- 美空ひばりの代表曲「港町十三番地」は、川崎工場の住所(川崎市港町)にちなんで作られたといわれることがあるが、実際のところは無関係である。なお、旧川崎工場の最寄駅である京浜急行電鉄大師線の港町駅には「港町十三番地」の歌碑が2013年に設置され、接近メロディも同楽曲が使われる様になった。
- 1968年(昭和43年)に学校音楽科指導用の教材として発売した「変声期」というレコード(NHK制作)作品において、当時の男子中学生(東京放送児童合唱団員)が1960年(昭和35年)から変声期を迎えるまでの3年間にわたり歌声の変遷を収録していたことが、2003年に「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」で『(No.157)少年の声変わりの瞬間が録音されたレコードがある。』として取り上げられた[73]。
脚注[編集]
- ↑ 後のRCAレコードとBMG。日本ビクターおよびビクターエンタテインメントの起源となる企業。
- ↑ スーパー戦隊シリーズ分を除く。
- ↑ 同様の企業として東燃や日立グループとは同根の日産自動車(芙蓉系)がある。
- ↑ 日立グループ時代のサブバンクであった旧三和銀行の流れによる。なお、三菱グループに近いレコード会社として1964年(昭和39年)に日本コロムビア出身者が中心となり設立した日本クラウンと1985年(昭和60年)に三菱電機・アドメルコ(現アイプラネット、三菱電機の子会社)・日本クラウン・ダークダックスによって設立したメルダックがかつて存在したが、2001年(平成13年)に日本クラウンの筆頭株主だった三菱電機が第一興商へ日本クラウン株を売却している。またメルダックも同年三菱グループが出資して設立したトライエムに営業譲渡されたが、2003年(平成15年)にトライエムの筆頭株主だったアイプラネットをはじめとする三菱グループが第一興商へトライエム株を売却している。ちなみに第一興商は、旧三菱銀行時代からの流れで三菱東京UFJ銀行を主力取引銀行としている。リップルウッド・ホールディングスの組成する再建ファンドには三菱商事も参画していた。詳細については上記参照。
- ↑ なお、南米コロンビアの英字表記はスペイン語表記をそのまま使った「Colombia」である。
- ↑ http://columbia.jp/nipponyell.html
- ↑ コロムビアからコロンビア - クミコ公式ブログ、2014年6月24日閲覧
- ↑ 日本コロムビアが「日本vsコロンビア」に 期間限定の社名変更で日本代表にエール【ワールドカップ】 - 2014年6月24日閲覧
- ↑ 旧本社屋は2005年(平成17年)に高級マンションへ建て替えとなっている。
- ↑ (日立製作所・プレスリリース)日本コロムビア、リップルウッド、日立、資本提携による日本コロムビアの事業再生で合意
- ↑ (2010-01-21) フェイス、コロムビアミュージックエンタテインメントの株式を取得し、筆頭株主へ 株式会社フェイス、コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社 [ arch. ] 2010-01-22
- ↑ Ulletサイト 2010年3月26日閲覧
- ↑ 株式会社フェイスによる当社株式に対する公開買付けの結果並びに親会社及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ(2014年3月19日)
- ↑ ただし、関連子会社のコロムビアソングス、およびコロムビアファミリークラブに限り、当面の間はCME時代のロゴマークを継続する。
- ↑ レコード番号WL-5001~2。価格は、当時の値段で2枚組で5,000円と、非常に高価であった。
- ↑ ステレオ・レコード発売当初の販売価格は、12インチ (30cm) 盤で、クラシックが1枚2800円、ポピュラーが1枚2500円だった。
- ↑ この時から、米コロムビア原盤を発売する時は、同原盤の発売レーベル名がCBSに変わるまで、12インチ (30cm) 及び10インチ (25cm) のステレオ盤のみ、米コロムビアと同様に、6つ目デザインのレーベルが使用される。
- ↑ 英EMI原盤によるコロムビア・レーベルの音源は、東芝音楽工業に移行してからは、英HMV原盤の場合と同様に「エンジェル」レーベルとして発売される。
- ↑ 第1号は、ツトム・ヤマシタの「打」。東京文化会館小ホールにて録音され、NCC-8004-Nというレコード番号で発売された。
- ↑ 型式番号:DN-023R。13ビット直線量子化、サンプリング周波数:47.25KHz、8チャンネルまでのマルチ録音が可能。
- ↑ 第1号は、同年4月24、26日に青山タワーホールにて録音された、スメタナ四重奏団によるモーツァルト作曲、弦楽四重奏曲第17番「狩」、同15番で、NCC-8501-Nというレコード番号で発売され、同年のレコードアカデミー賞を受賞した。レコード芸術推薦。CDでは現在、COCO70431というCD番号で入手可能である。
- ↑ 型式番号:DN-023RA。技術仕様はDN-023Rと同じ。但し、同機に比べてハーフスピード再生が行えない等、一部の機能が省かれている。
- ↑ 当社の1960年代の和製ポップスレーベルとしては、デノンのほか、洋楽セクションから派生した「CBSコロムビア(CBS邦楽部)」→「L盤」と、逆に邦楽セクションから1967年に派生した「P-」で始まる規格番号の「P番帯」等があった。このうち「L盤」は1973年頃に縮小される(事実上消滅)が、「P番帯」はその後もしばらく存続し、「L盤」に所属していたいしだあゆみや堺正章等のシングルのリリースは「P番帯」が引き継いだ。
- ↑ 関連書籍・記事等より確認。
- ↑ 氷川向けのため同社に販売委託。
- ↑ ガンダムV,G,W,Xのエンディングと関連楽曲は譲渡先のトライエム(旧:メルダック。現在は出版事業のみ)に音源を譲渡、但しかつてネオプレックスに移籍していたinfixの楽曲はランティスが保有
- ↑ 鉄人28号は初期アニメ版の音源はEMI-J、それ以外の作品の音源と前者を含めた映像著作権はキング/スターチャイルドへ譲渡
- ↑ 日本コロムビアの木村英俊が設立した会社だったが、経営難のため設立から数年で親会社へ吸収合併し、コロムビアエデュテインメントと社名変更して、コロムビア内の企画部門として一時期、存在していた。
- ↑ 2009年に放映されたTV長編特番はSMEが音源元
- ↑ 第1・2作はキングレコードと朝日ソノラマが主題歌を発売。第3作では徳間ジャパンが原盤権を持つ。第4作はワーナーミュージック・ジャパンが、第5作はインデックスミュージックが音源を保有(劇場版のサウンドトラック・アルバムのみコロムビアが発売)。コロムビアの「鬼太郎」主題歌は滝口順平によるカバー。但し、ワーナーの第4作サントラ盤は、後にコロムビアが再発売している。
- ↑ 第1シリーズ、第2シリーズ、劇場版(第3作まで)の主題歌・テーマ・挿入歌などを保有(第1シリーズの主題歌は放送当時はテイチクと朝日ソノラマが保有していたが、後に権利が解放された)。劇場版第1作の主題歌はテイチクが保有。OVA第1作の音源はキングレコードが保有。その他の作品の音源はバップが保有
- ↑ 同シリーズの実写化作品群(劇場版(avex/rhythm zoneよりリリース)、キューティーハニー THE LIVE(ランティスよりリリース))については各項を参照
- ↑ YAMATO2520は一部楽曲を除きソニー・ミュージックエンタテインメントが音源を保有し、宇宙戦艦ヤマト 復活篇は一部楽曲を除きEMIミュージック・ジャパンが音源を保有。『2199』編はランティスとの相乗り。但しランティスは主題歌のみで、本来の音源元である同社は劇中音楽と主題歌のみ担当、これに加えTV版ではED曲のみ他社に委託(主題歌協力としてクレジット)
- ↑ 『宇宙の騎士テッカマンブレード』及び『同II』の音源はキングレコード/スターチャイルドが保有
- ↑ 火曜枠を担当。日曜枠はユニバーサルミュージックが保有
- ↑ 劇場版第3作はEMIミュージック・ジャパンが音源を保有。
- ↑ キングレコードも一部音源を保有
- ↑ 但し、他の国際映画社作品はキングレコード、ポニーキャニオン(旧キャニオン・レコード)がそれぞれ音源を保有。
- ↑ 『闘将!!拉麺男』も含む。『キン肉マンII世』はNECインターチャネルが、『キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE』はインデックスミュージックが音源を保有
- ↑ 一部OVA作品は他社が音源を保有。『聖闘士星矢Ω』はエイベックスが一部音源を保有
- ↑ ドラゴンボールGT及びドラゴンボール 最強への道はポニーキャニオンが音源を保有。また、2013年の劇場版『ドラゴンボールZ 神と神』はSMEが音源を保有
- ↑ 続編『破邪巨星Gダンガイオー』はavex modeが音源を保有
- ↑ 主題歌は楽曲によっては他社が音源を保有
- ↑ 前期主題歌はメジャーデビュー前の貴水博之が主題歌を担当、バンダイレーベルよりリリース
- ↑ 2002年よりavex modeへ移管。コロムビアは初期主題歌・サウンドトラックの音源を保有
- ↑ 2000年の劇場版より。後にTVシリーズも担当
- ↑ 一部EDテーマ曲はソニー・ミュージックエンタテインメントよりリリース
- ↑ 『コロムビアME』へ社名変更後最初の担当作品
- ↑ サウンドトラック等の音源を保有。但し、DVD等の映像関連はavex modeが保有している
- ↑ 第2シリーズはSME系(ミュージックレイン)が事実上の音源元
- ↑ 第1期EDテーマ曲は德永英明が担当、ユニバーサルJ(ユニバーサル ミュージック)よりリリースしている
- ↑ 一部主題歌はクライム・ミュージックエンタテインメント・ドワンゴ・ミュージックエンタテインメントよりリリース
- ↑ 53.0 53.1 主題歌CDについてはユニバーサル ミュージック/ユニバーサルJよりリリース
- ↑ アニメ第3期より。それ以前の音源もハピネット音楽制作部より移管されている
- ↑ ED主題歌はポニーキャニオンが保有
- ↑ 主題歌は他社が音源を保有
- ↑ 主題歌を歌唱している吉木りさ(別名義でリリース)はインディーズの歌手、コミネリサはフライングドッグ契約歌手として、それぞれ活動している
- ↑ 各クールEDテーマ曲は他社が音源を保有
- ↑ 2012年の劇場版より。旧TVシリーズの音源もソニー・ミュージックエンタテインメントより移管されている
- ↑ 60.0 60.1 各クールEDテーマ曲は他社が音源を保有
- ↑ 2012年の『ビクトリーV』より。それ以前の音源も小学館ミュージックより移管されている
- ↑ 主題歌担当の吉木りさとヒャダイン(前山田健一)はそれぞれインディーズ歌手とシンガーソングライター兼プロデューサーとして活動。尚、後者のヒャダインはランティスとアーティスト契約している。
- ↑ フライングドッグはエンディングテーマ担当で同作に出演している野水伊織(野水いおり)のタイトルのみ。
- ↑ コロムビア所属の佐土原かおり(EDおよび挿入歌)の楽曲のみ。
- ↑ サウンドトラック等の音源を保有。主題歌および映像はavexが保有している
- ↑ 『♯』はキングレコード、『も~っと!』以降は担当プロデューサーの一人であるADKの片岡義朗が移籍した関係から、マーベラスエンターテイメント(現:マーベラス)よりリリース。以後同放映枠のアニメ作品はマーベラスより楽曲がリリースされている。
- ↑ (ダイの大冒険は同社、ゲームシリーズのサントラ盤は当初ビクターレコードやアニプレックスよりリリースしたが、現在はキングレコードからリリースされている。)
- ↑ 初代鉄人28号は続編製作等の都合上、キングレコードに音源を譲渡(なお、現在は東芝EMIが事実上の音源元。また、一部作品でキングや徳間ジャパンの音源になっているものもある
- ↑ 作品によっては東芝EMI・バップ・avexと円谷ミュージックが保有
- ↑ 仮面ライダーアギト(2001年)まで、仮面ライダー龍騎(2002年)以降はavex modeが音源を所有。ディケイド劇場版より音源保有レーベルをavex entertainmentへ移行している。
- ↑ 『特捜ロボ ジャンパーソン』(1993年)から『重甲ビーファイター』(1995年)まではフォルテミュージック・エンタテインメントが音源を所有していたが、同社の解散に伴い、全作品の音源の所有権がコロムビアに統合された。
- ↑ 1970年代後半に徳間音楽工業と提携して「ファンファニー」シリーズを発売
- ↑ 実際には、それ以前に探偵!ナイトスクープでも同様の調査依頼があり、このレコードの存在が明るみになっている。なお、ナイトスクープの調査によると、この歌声を収録した男性は後に病死した、とのこと。