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2019年8月28日 (水) 02:48時点における最新版
長崎県(ながさきけん)は、日本の九州西端部にある県。県庁所在地は長崎市。
五島列島、壱岐島、対馬を含む。目次
地理[編集]
東に佐賀県と隣接する他は、周囲を海に囲まれている。対馬、壱岐、五島列島などの島嶼が971あり、その数は日本一である。また、海岸線の長さは4,137kmであり、北海道に次いで国内2位である。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長大であるのは、島嶼が非常に多いことに加え、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるためである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の港湾が点在しており、その数は国内の7.4%に及ぶ。なお、長崎県内には海岸線からの距離が15km以上の地点はない。
- 長崎県の主な地形
- 半島
- 山
- 河川・湖沼
- 海域
- 島(太字のものは、橋によって九州本土と結ばれている島を表す。)
気候[編集]
南西方向から暖流の対馬海流が流入してくるため、気候は温暖で、寒暖差も小さい。冬場は東シナ海側を中心に曇りがちの天気になる事が多く、時雨や雪を降らせる事がある。積雪することは少ないが、すぐ西側は東シナ海なので季節風の風向によっては、雪雲が遮られずに供給される事により、大雪となることがある。特に2001年(和暦??年)1月16日には長崎市で14cmの積雪を観測し、県内各地で大雪となった。しかし、九州地方最北端の対馬では朝鮮半島のすぐ南側に位置する為、東シナ海で発生した雪雲は朝鮮半島に遮られる上、朝鮮半島との海上区間はわずか50km程と極端に短いため雪雲は発達せず、降雪日は多いものの積雪することは稀である。
生物的見地からみると、各地の海岸にみられるアコウなどの亜熱帯性植物は温暖な気候を反映している。他にも大陸に近いためツシマヤマネコやムツゴロウなどの大陸系遺存種が多いこと、各地の離島で多くの亜種・変種が確認されていることなども特徴である。
島原半島は活火山地帯で温泉が多いが、1990年 - 1995年の雲仙・普賢岳の噴火は島原市と深江町を中心に大きな被害をもたらした。また、東シナ海に突き出しているため、台風の上陸数も多く、長崎県に限らず、日本列島に大災害をもたらした台風9号(1970年、長崎市)、台風17号(1976年、長崎市)、台風17号(1991年、長崎市)、台風19号(1991年、佐世保市)、台風18号(2004年、長崎市)、台風14号(2005年、諫早市)、台風13号(2006年、佐世保市)などの台風が上陸している。
平年値 (月単位) |
北部 | 南部 | 対馬 | 壱岐 | 五島列島 | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平戸 | 松浦 | 佐世保 | 西海市 大瀬戸 |
大村 | 長崎 | 長崎市 野母崎 |
南島原市 口之津 |
島原 | 雲仙市 雲仙岳 |
対馬市 鰐浦 |
対馬市 美津島 |
対馬市 厳原 |
壱岐市 芦辺 |
壱岐市 石田 |
小値賀 | 新上五島町 頭ヶ島 |
新上五島町 有川 |
五島市 福江 |
五島市 上大津 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 26.0 (8月) |
27.4 (8月) |
26.3 (8月) |
27.6 (8月) |
26.1 (8月) |
27.3 (8月) |
22.8 (8月) |
25.8 (8月) |
25.7 (8月) |
26.7 (8月) |
||||||||||
最寒月 | 6.6 (1月) |
6.6 (1月) |
7.2 (1月) |
6.8 (1月) |
7.2 (1月) |
6.8 (1月) |
2.0 (1月) |
5.5 (1月) |
5.9 (1月) |
7.3 (1月) |
|||||||||||
降水量 (mm) |
最多月 | 346.9 (7月) |
347.8 (6月) |
299.9 (6月) |
345.2 (7月) |
360.7 (6月) |
314.3 (6月) |
353.4 (6月) |
573.5 (6月) |
323.4 (6月) |
303.2 (9月) |
368.5 (6月) |
|||||||||
最少月 | 64.1 (12月) |
54.3 (12月) |
49.6 (12月) |
45.8 (12月) |
57.3 (12月) |
47.5 (12月) |
44.2 (12月) |
78.0 (12月) |
56.2 (12月) |
55.7 (12月) |
82.0 (12月) |
自然公園[編集]
地名の由来[編集]
「長崎」という地名の由来は次のように長崎氏よりと言われている。長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と、少数意見ではあるが元弘3年(1333年)、北條氏が新田義貞の軍勢に鎌倉を襲われて滅ぶと、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の執事をつとめていたことのある長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説がある。
また、その他にも俗説として「訛り」に基づく言い伝えがある。地元では野母崎半島を「長い岬」と称していたが、長崎弁では「長か岬(ながか・みさき)」となり、更にこれが「なんか・みさき」と転訛し、この語が約まって「長崎」になった、というものである。
歴史[編集]
古くは肥前国(佐賀県と、壱岐・対馬を除く長崎県全域)、対馬国、壱岐国に分かれていたが、肥前の国府は佐賀県の佐賀市(旧大和町)にあった。
古代[編集]
現在の佐世保市にあたる地域からは、福井洞窟や泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも日本の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。縄文時代の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の原山支石墓群である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。2003年12月には、平戸市入口遺跡で10万年前の地層から旧石器が見つかったという報道もあり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。
弥生時代の遺跡としては、魏志倭人伝に登場する「一支国」と見られる原の辻遺跡は現在の壱岐市芦辺町、石田町にあり、日本の特別史跡に指定されている。また里田原遺跡が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した富の原遺跡(大村市)、塔の首遺跡、日本最古のネコの骨が出土したカラカミ遺跡(壱岐市)などがある。
古墳時代[編集]
県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し壱岐古墳群として日本の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の出居塚古墳、根曽古墳群がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の鬼の窟古墳があり、これは県内最大の円墳である。このほかには双六古墳(これは県内最大の前方後円墳である)、矢立山古墳群、曲崎古墳群がある。
飛鳥時代[編集]
倭国が朝鮮半島での白村江の戦いに敗れたため、664年に対馬・壱岐などに防人や烽(とぶひ)を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。667年には対馬に金田城が築かれた。
奈良・平安時代[編集]
小野妹子をはじめとする遣隋使や遣唐使は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮半島や中国に渡っていた。五島列島は遣唐使南路の出発地として有名である。万葉集には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の三井楽町柏崎には、空海の「辞本涯の碑」が建てられている。
12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平家方につき、松浦党は壇ノ浦の戦いにおいても平家方の水軍として戦った。
中世[編集]
中世には松浦党などの海賊衆(水軍)が興り、対馬を含め各地が倭寇の根拠地となった。
1274年(文永の役)、1281年(弘安の役)の元寇では対馬、壱岐、鷹島に元・高麗軍が襲来したが、「神風」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。
室町時代に入り、1419年には応永の外寇、1507年には五島で玉之浦納の反乱が起こっている。
1550年には、ポルトガル船が平戸に来航した。これを知ったフランシスコ・ザビエルは鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、1561年に起きた宮ノ前事件によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の1563年、横瀬浦は武雄領主後藤貴明の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスの意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、大村純忠はキリスト教の洗礼を受け、初のキリシタン大名となっている。1567年には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後にセミナリヨが建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。大村純忠の兄である有馬義貞も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、1571年に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎をイエズス会に寄進した。1582年には天正遣欧少年使節が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。
1588年、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には天正遣欧少年使節が長崎に戻り、秀吉に謁見している。1592年には文禄・慶長の役により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易を継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでにバテレン追放令が出されており、1597年には長崎西坂でカトリック信者26人が処刑されている。二十六聖人という。
近世[編集]
17世紀にはいるとオランダ東インド会社、イギリス東インド会社が相継いで平戸支店を開設している。江戸時代の長崎県は佐賀藩、島原藩(島原半島)、大村藩(彼杵地方)、平戸藩(松浦半島・平戸島・壱岐)、平戸新田藩、福江藩(五島列島)、対馬府中藩(対馬)、佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、天領(長崎)に分かれる。江戸幕府の鎖国方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から李氏朝鮮との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、釜山に倭館を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。なお、鎖国下における江戸幕府公認の国際貿易港は上記2港のみである。
1637年島原の乱が起こった土地だけに江戸期を通じて隠れキリシタンが多く存在した(壱岐・対馬を除く)。現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域となっている。しかし、第二次世界大戦中に投下された原子爆弾は教会(浦上教会)のすぐ近くに落ち、原爆落下当日は教会でミサが行われていた為に司祭をはじめ教会内にいた信徒全員が死亡し、その他にも多数の信徒が犠牲になったことなどから、信仰に悩みを持ったままの人や棄教した人も多く存在する。2011年現在でも、爆心地跡には教会の残骸が一部だけ保存されている。
近代以降[編集]
幕末の長崎港開港によって各国商船が来航し、長崎は国際貿易港として更に発展を遂げる事となった。それまでは遠国奉行首座たる長崎奉行が治めていた長崎であったが、「鳥羽・伏見の戦い」に於ける幕府軍敗戦の報を聞いた長崎奉行河津祐邦は慶応4年(1868年)1月15日早朝に長崎を船で脱出。これを受けて、長崎詰めの各藩藩士や長崎の地役人達の間に協議が行われ、政府から責任者が派遣されるまでの間の暫定協議体として「長崎会議所」の設置が決定され、長崎奉行所西役所がその役所とされた。
江戸幕府崩壊後の慶応4年(1868年)2月2日には沢宣嘉を総督に長崎裁判所が、5月4日には沢を府知事に長崎府が設置され、肥前国松浦郡5村・彼杵郡6村・高来郡5村、筑後国三池郡12村、肥後国天草郡89村の幕府領および肥後国松浦郡の旗本領5村を管轄。明治2年(1869年)6月20日にはこれが長崎県へと改められ、旧肥前国域は明治4年(1871年)の第1次府県統合の際に長崎県と伊万里県(現佐賀県)とに分立した。その後、佐賀県の統廃合の影響で徐々に長崎県の県域は拡大し、1874年の佐賀の乱後には、政府による懲罰によって佐賀県全域が長崎県に併合されることとなる。1883年、佐賀県の復県によって10の郡が長崎県より分離し、おおよその現在の長崎県が成立した。
なお、天草諸島は一時、富岡県(のち天草県に改称)に移管されたのち、いったん長崎府に復帰し、第1次府県統合で八代県(現・熊本県)に移管された。
佐世保は日本海軍の大規模な軍港となり、長崎では戦艦武蔵が建造されるなど造船が発達した。第二次世界大戦末期、1945年6月29日(未明)に佐世保大空襲があり、1945年8月9日午前11時2分 (JST) 米国陸軍爆撃機B-29ボックスカーによって長崎市に原子爆弾が投下され、広島市とともに原爆被災地となった。
人口[編集]
600px | |
長崎県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 長崎県の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 長崎県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
長崎県(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/42 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政[編集]
歴代知事(公選)[編集]
長崎県知事一覧参照
代 | 氏名 | 就任期間 |
---|---|---|
初代 | 杉山宗次郎 | 1947年4月16日 - 1951年4月4日まで1期4年 |
2 - 3代 | 西岡竹次郎 | 1951年5月6日 - 1958年1月14日まで2期 |
4 - 6代 | 佐藤勝也 | 1958年3月2日 - 1970年3月6日まで3期12年 |
7 - 9代 | 久保勘一 | 1970年3月2日 - 1982年3月1日まで3期12年 |
10 - 13代 | 高田勇 | 1982年3月2日 - 1998年3月1日まで4期16年) |
14 - 16代 | 金子原二郎 | 1998年3月2日 - 2010年3月1日まで3期12年) |
17代(2011年10月30日現在-->現職) | 中村法道 | 2010年3月2日 - 1期目) |
組織[編集]
長崎県庁参照
財政[編集]
2009年度(平成21年度)[編集]
- 標準財政規模 3695億7200万円
- 財政力指数 0.30(47都道府県平均 0.52)
- 財政力指数が0.3未満のIVグループ(6自治体)に分類されている
- 経常収支比率 97.2%(47都道府県平均 95.9%)
- 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である
- 将来負担比率 197.3%(47都道府県平均 229.2%)
- 実質公債費比率 11.4%(47都道府県平均 13.0%)
- 人口100,000人当たりの職員数 1442.39人(47都道府県平均 1138.41人)
- 長崎県行財政改革プラン (2006 - 2010) に基づき職員数の削減に取り組んでいる
- ラスパイレス指数 101.0(47都道府県平均 98.9)
- 現給保障を実施しているため、日本政府の給与構造改革が完成する2010年度まではおおむね現在の水準で推移する見込み 2011年度以降は標準職務の見直し効果があらわれ逓減する見込み
地方債残高
- 普通会計分の地方債現在高 1兆1518億2600万円
- 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 202億1400万円
2008年度(平成20年度)[編集]
- 財政力指数 0.30(47都道府県平均0.52)
離島行政[編集]
五島、壱岐、対馬には県の出先機関として支庁を設置していたが、2003年(和暦??年)に地方局に再編された後、2009年からは本土と同様の振興局となっている。
治安・防衛[編集]
経済[編集]
産業[編集]
平成20年度(2008年 - 2009年)の県内総生産は4兆3109億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県民所得は3兆1070億円であり、一人当たり県民所得は215.7万円である。
県庁所在地長崎市は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦武蔵を建造した造船の町でもある。
県第2の市である佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊や米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯している。また、南部にはヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスがあり、韓国や台湾からの観光客も多い。
その他の地域もかつては炭鉱、底曳き網などの漁業基地、宝石サンゴ漁などにより繁栄したが、1970年代頃からそれらの産業が徐々に振るわなくなり、過疎化が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。
なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。
長崎県に拠点事業所を置く主要企業[編集]
名産品[編集]
地域[編集]
以下の13市4郡8町がある。「町」の読みは、すべて「ちょう」。村は2005年10月1日の大島村の合併をもって消滅している。
- 13市(50音順)
- 壱岐市
- 諫早市
- 雲仙市
- 大村市
- 五島市
- 西海市
- 佐世保市
- 島原市
- 対馬市
- 長崎市
- 平戸市
- 松浦市
- 南島原市
- 4郡8町
- 北松浦郡
- 小値賀町
- 佐々町
- 西彼杵郡
- 時津町
- 長与町
- 東彼杵郡
- 川棚町
- 波佐見町
- 東彼杵町
- 南松浦郡
- 新上五島町
- 人口の多い順
- 2011年7月1日現在
- 1. 長崎市(439,728人)
- 2. 佐世保市(259,894人)
- 3. 諫早市(140,557人)
- 4. 大村市(90,827人)
- 5. 南島原市(49,526人)
- 6. 島原市(47,181人)
- 7. 雲仙市(46,766人)
- 8. 長与町(42,536人)(西彼杵郡)
- 9. 五島市(39,530人)
- 10. 平戸市(34,303人)
- 11. 対馬市(33,397人)
- 12. 西海市(30,833人)
- 13. 時津町(29,874人)(西彼杵郡)
- 14. 壱岐市(28,551人)
- 15. 松浦市(24,654人)
- 16. 新上五島町(21,563人)(南松浦郡)
- 17. 波佐見町(15,015人)(東彼杵郡)
- 18. 川棚町(14,597人)(東彼杵郡)
- 19. 佐々町(13,528人)(北松浦郡)
- 20. 東彼杵町(8,973人)(東彼杵郡)
- 21. 小値賀町(2,749人)(北松浦郡)
- 郡ごとの人口と順位
- 西彼杵郡(72,410人)- 大村市の次
- 東彼杵郡(38,585人)- 五島市の次
- 南松浦郡(21,563人)- 松浦市の次
- 北松浦郡(16,277人)- 新上五島町の次
平成の大合併で消滅した自治体[編集]
本項では記事がある市町村のみを掲載。記事がないものについては、長崎県の廃止市町村一覧を参照。
消滅した市・郡[編集]
町村が減少したが、存続している郡[編集]
- 西彼杵郡 - 15町から2町へ減少。(現在 時津町と長与町の2町のみ。)
- 北松浦郡 - 12町1村から2町へ減少。(現在 小値賀町と佐々町の2町のみ。)
- 南松浦郡 - 10町から1町へ減少。(現在 新上五島町の1町のみ)
交通機関[編集]
航空[編集]
- オリエンタルエアブリッジ (ORC)
- 日本航空グループ (JAL)
- 全日本空輸グループ (ANA)
- スカイネットアジア航空 (SNA)
- スカイマーク (SKY)
空港[編集]
- 2005年度旅客数(日本の空港#乗降客数参照)
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
長崎 | 2,610,770人 | 2,555,843人 | 県外 |
東京・中部・大阪・ 鹿児島・那覇 |
54,927人 | ソウル・上海 |
県内 | 対馬・福江・壱岐 | |||||
対馬 | 312,827人 | 312,827人 | 県外 | 福岡 | 0人 | - |
県内 | 長崎 | |||||
福江 | 163,779人 | 163,779人 | 県外 | (関西)・福岡 | 0人 | - |
県内 | 長崎 | |||||
壱岐 | 28,976人 | 28,976人 | 県内 | 長崎 | 0人 | - |
上五島 | 4,702人 | 4,702人 | 県内 | - | 0人 | - |
小値賀 | 3,104人 | 3,104人 | 県内 | - | 0人 | - |
- 旅客数の出典は国土交通省航空局
- チャーター便の旅客数含む
- 定期便就航地は[2007年]]現在(上五島・小値賀両空港への定期便は2006年(和暦??年)3月31日限りで全廃)
- 括弧書きは季節運航を示す
- 三大都市圏への便は太字
鉄道・軌道[編集]
バス事業者[編集]
道路[編集]
船舶航路[編集]
- 西彼杵郡
- 長崎空港(大村市) - 時津(時津町)(安田産業汽船)
- 長崎空港 - 長与港(長与町)(大村湾観光汽船)
- 佐世保市
- 長崎空港 - ハウステンボス(佐世保市)(安田産業汽船)
- 相浦(佐世保市) - 高島(佐世保市) - 黒島(佐世保市)(黒島旅客船)
- 宇久島・小値賀島への航路は下の五島列島を参考。
- 西海市への航路は下記の西海市を参考。
- 平戸市への航路は下記の平戸市を参考。
- 西海市
- 松浦市
- 島原半島
- 五島列島
- 壱岐市・対馬市
廃止された航路[編集]
マスメディア[編集]
新聞社[編集]
- 長崎新聞
- 西日本新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞、みなと新聞、水産経済新聞、
- 長崎政治経済新聞
- 島原新聞
- 壱岐日報
- 壱岐日々新聞
- 新壱岐新聞
- 対馬新聞
- 壱岐正論(2007年4月時点で休刊中)
- ※ 産経新聞は2009年9月30日付までは、産経新聞大阪本社発行で午後6時締切の6版(早版)を西日本新聞販売店より委託販売されていたが。産経新聞九州・山口特別版が、創刊した同年10月1日以降は毎日新聞販売店より委託販売されている。駅売店やコンビニエンスストア等でも、同日から販売されている。
放送局[編集]
テレビ[編集]
開局順に表記。(チャンネルは地上デジタル放送のもの)
放送局名 | 開局日 | チャンネル |
---|---|---|
NHK長崎放送局 | 1933年9月20日 | 総合1ch/教育2ch |
長崎放送(NBC、JNN系列) | 1959年1月1日 | 3ch |
テレビ長崎(KTN、FNS・FNN系列) | 1969年}}4月1日 | 8ch |
長崎文化放送(NCC、ANN系列) | 1990年4月1日 | 5ch |
長崎国際テレビ(NIB、NNS・NNN系列) | 1991年4月1日 | 4ch |
- 長崎県のテレビ事情
- 民放に関しては、1969年から1990年までの21年間、長崎放送 (NBC) とテレビ長崎 (KTN) の2局体制であった。平成の初めに、長崎文化放送 (ncc) と長崎国際テレビ (NIB) の開局で4局体制となり、現在に至っている。
- テレビ東京系列の番組は視聴できない。(他局での再放送がある番組もある)
- 福岡県のTVQ九州放送(TVQ、TXN系列)はケーブルテレビを利用すれば長崎県内のほぼ全域(五島列島を除く)で視聴可能となっている。
- 場所によっては、ケーブルテレビなしで他県のテレビ局の電波を受信できる。
- 有明海沿いの地域(諫早市の一部、島原半島の一部)では、対岸の佐賀県や、福岡県、熊本県から、各県のテレビ局を受信できる。
- 有明沿いの地域は、多数の電波が飛び交う地域で、「電波銀座」と呼ばれている。
- 壱岐・対馬の一部地域では、佐賀県と福岡県のテレビ局の電波を受信できる。
- 有明海沿いの地域(諫早市の一部、島原半島の一部)では、対岸の佐賀県や、福岡県、熊本県から、各県のテレビ局を受信できる。
- 地上デジタル放送の整備
- 2006年12月 - 稲佐山(長崎市)の親局から本放送を開始。
- 2007年- 烏帽子岳(佐世保市)・五家原岳(諫早市)から送信を開始し、3送信所体制となる。
- 2008年- 本格的に中継局整備が進められた。
- 2011年
ケーブルテレビ[編集]
- 長崎県のケーブルテレビ局(参照)
ラジオ[編集]
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- 外国関係
- AFN(在日アメリカ軍放送)- 佐世保基地 (アメリカ海軍)
- 外国関係
教育機関[編集]
大学[編集]
短期大学[編集]
高等専門学校[編集]
短期大学同等[編集] |
有形文化財建造物[編集]
- 国宝
- 重要伝統的建造物群保存地区
長崎県を舞台にした作品[編集]
- 映画・テレビドラマ
- 冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- (1981年、千葉真一主演) 式見港と軍艦島がロケ地。
- 長崎の鐘(大庭秀雄)
- この子を残して(木下惠介)
- 69 sixty nine(村上龍)
- 精霊流し(さだまさし)
- 解夏(さだまさし)
- 長崎ぶらぶら節(なかにし礼)
- てるてる坊主の照子さん(てるてる家族、なかにし礼)
- 親戚たち
- 若い人(西河克己)
- ファザーファッカー(内田春菊)
- 釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪
- ヒロシマナガサキ(スティーブン・オカザキ)
- 奈緒子
- 長崎の歌は忘れじ(田坂具隆)
- 二重被爆(青木亮)
- せんせい(大澤豊)
- 電撃戦隊チェンジマン第17~18話 (長崎オランダ村)
- TOMORROW 明日(黒木和雄)
- 八月の狂詩曲(黒澤明)
- NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘(有原誠治)
- 馬頭琴夜想曲(木村威夫)
- 7月24日通りのクリスマス(吉田修一)
- 蝶々夫人(日本&イタリア合作映画、リッツォーリ・フィルム、ガローネ・プロ、東宝、監督:カルミネ・ガローネ 、助監督:増村保造/1955年)
- 出演:八千草薫、田中路子、ニコラ・フィラクリディ、フェルディナンド・リドンニ、宝塚歌劇団、寿美花代
- プッチーニ原作の世界的に有名な同名オペラの舞台をそのまま映画のセットで表現した忠実な映画化。「蝶々夫人」は、有名なオペラとして世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという主旨で制作された。そのため、日本家屋のセットはすべて日本からイタリアへ空輸して、現地(ローマ・チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。衣装などもイタリアへ空輸した。当時、宝塚歌劇団在団中であった八千草薫がヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」として蝶々さん役に抜擢された。撮影は全てローマのチネチッタ撮影所で行われ、八千草や寿美花代、東郷晴子、淀かほる、伊吹友木子など宝塚歌劇団生徒達が羽田空港から渡伊した。宝塚歌劇団生徒一行がローマ空港に到着した時の模様や映画「蝶々夫人」の撮影中の様子を伝えるニュースフィルム(モノクロ)が現存する。
- 忘れえぬ慕情 (シラ・フィルム=テラ・フィルム=P.A.T.フィルム=ラ・ソシエテ・ヌーベル・パテ・シネマ、松竹、日本&フランス合作映画、監督:イヴ・シャンピ/1956年)
- 出演:ダニエル・ダリュー、ジャン・マレー、岸惠子、ゲルト・フレーベ 、野添ひとみ、山村聰
- 撮影監督は映画『ローマの休日』『ベルリン・天使の詩』も担当したアンリ・アルカン (Henri Alekan)。イーストマン・カラーによるカラー映画。
- 撮影はロケ地として長崎原爆資料館や三菱重工業長崎造船所など全て日本で行われ、ダリュー、マレー、フレーベ、アルカンらも来日。出演者の内、ダリューは1956年(昭和31年)3月30日、午後11時5分羽田空港着のエールフランス機で訪日。空港では岸惠子や城戸四郎松竹社長らが出迎えた。それから約3か月間滞在し、7月11日、全撮影を終え、離日。なお、西岡竹次郎長崎県知事(当時)が特別出演している。日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス国内33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイス、ハンガリー、フィンランド、スペイン、米国、ギリシャ、ルーマニア、デンマークでも公開。製作費は4億8千万円。
- 漫画
- アニメ
- 機動戦艦ナデシコ 第1話をはじめ一部のエピソード(サセボシティ=佐世保)
- 鋼鉄神ジーグ (五島列島。劇中で地名が明言されるシーンは無し)
- センチメンタルジャーニー 第1話
- sola
- 闇の末裔 第1 - 2話
- ゲーム
- 体操
- 歌劇
- 蝶々夫人(ジャコモ・プッチーニ)
- Jr.バタフライ(三枝成彰)
- 戯曲
- 楽曲
- 小説・紀行・随筆
- 海と毒薬(遠藤周作)
- 沈黙(遠藤周作)
- 女の一生(遠藤周作)
- 69 sixty nine(村上龍)
- コインロッカー・ベイビーズ(村上龍)
- 精霊流し(さだまさし)
- 解夏(さだまさし)
- 長崎ぶらぶら節(なかにし礼)
- てるてる坊主の照子さん(てるてる家族、なかにし礼)
- ファザーファッカー(内田春菊)
- 長崎乱楽坂(吉田修一)
- 街道をゆく第十三巻壱岐・対馬の道(司馬遼太郎)
- 地の群れ、明日 一九四五年八月八日・長崎(井上光晴)
- 刻を曳く(後藤みな子)
- 樹影 (佐多稲子)
- 祭りの場、ギヤマンビードロ、やすらかに今はねむり給え、長い時間をかけた人間の経験(林京子)
- 遠い山なみの光(カズオ・イシグロ)
- 聖水、爆心(青来有一)
- 六〇〇〇度の愛(鹿島田真希)
- 被爆のマリア(田口ランディ)
- 長崎の鐘、この子を残して(永井隆)
- 娘よ、ここが長崎です(筒井茅乃)
- 長崎原爆記、死の同心円(秋月辰一郎)
- われなお生きてあり(福田須磨子)
- 紫の履歴書(美輪明宏)
- 長崎原爆体験 医師の証言(調来助)
- 神聖喜劇(大西巨人)
- 詩集
- 歌集・句集
- 松尾あつゆき「原爆句抄」など
長崎県内のスポーツチーム[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 読みは「かき」。意味は「草花」
外部リンク[編集]
- 行政
- 観光
- ながさき旅ネット - 長崎県観光連盟
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