壱岐国

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壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つである。西海道に含まれ、その領域は現在の長崎県壱岐島である。壱州と呼ばれることもある。延喜式での格は下国、遠国。

沿革[編集]

史料上の初見は、中国史書である三国志 (歴史書)のいわゆる魏志倭人伝に「一大國」としてある。『魏略』の逸文、『梁書』、『隋書』では一支國と記述される。

古くは壱岐のほか、伊伎伊吉伊岐由紀由吉など様々に表記され、「いき」または「ゆき」と読んだ。令制国しての壱岐国が7世紀に設けられると、しだいに壱岐と書いて「いき」と読むことが定着した。壱岐国は、「島」という行政単位として壱岐島とも呼ばれ、その国司は島司とも呼ばれた。

国府・一宮など[編集]

国府は石田郡にあった。壱岐市芦辺町湯岳興触の興神社付近ではないかと推測されるが、他にも場所は諸説あり遺跡もまだ見つかっていない。

延喜式神名帳には大社7座7社・小社17座17社の計24座24社が記載されている。大社7社のうち6社が名神大社となっている。壱岐国内の名神大社を以下に示す。

  • 壱伎郡 住吉神社壱岐市芦辺町)
  • 壱伎郡 兵主神社(壱岐市芦辺町 ほか論社1社)
  • 壱伎郡 月読神社(壱岐市芦辺町 ほか論社1社)
  • 壱伎郡 中津神社(壱岐市勝本町 ほか論社1社)
  • 石田郡 天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町 ほか論社1社)
  • 石田郡 天手長比売神社(現在は天手長男神社に合祀)

一宮は天手長男神社である。しかし、郷ノ浦町にある現在「天手長男神社」とされている神社が本当に壱岐国一宮・式内社の天手長男神社であるかどうかの明証はない。式内社・天手長男神社を現在地に比定したのは国学者の橘三喜である。三喜は「たながお」という社名から郷ノ浦町田中触に天手長男神社があったと考え、実際に田中触に荒れはてた祭祀場の跡を発見したのでこれが式内社・天手長男神社であるとしたものである。三喜の報告に基づき、平戸藩主の命によって社殿等が整備された。近年の研究では、壱岐市芦辺町の興神社(こうじんじゃ)が本来の式内社・一宮の天手長男神社であったとする説が有力となっている。二宮は壱岐市勝本町の聖母宮総社は興神社摂社の総社神社である。

国司[編集]

※長崎県史より

守護[編集]

鎌倉幕府[編集]

室町幕府[編集]

【この期間は守護職不在の可能性あり】

郡・郷[編集]

  • 壱岐郡:可須郷、風早郷、潮安郷、那賀郷、鯨伏郷、伊宅郷、田河郷
  • 石田郡:石田郷、沼津郷、物部郷、篦原郷

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  • 優通駅(ゆうずえき):石田郷に所在した。
  • 何周駅(かすえき):可須郷に所在した。

関連項目[編集]

Wiktionary
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参考資料[編集]