「日本テレビ放送網」の版間の差分

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{{Notice|この項目はある項目からフォークされて出来た記事です。除去を求める際には、ノートでの合議が必要です。}}
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[[Image:日本テレビ.png|150px|right]]
{{自己責任}}
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[[ファイル:日本テレビタワー.png|300px|thumb|日本テレビタワー 汐留]]
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{{基礎情報 会社|
[[画像:Kentaro Noda.jpg|240px|thumb|なぜ笑う?]]
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社名 = 日本テレビ放送網株式会社|
[[画像:Noda Kentaro.jpg|thumb|いかにも粘着質って感じのお姿ですね。]]
+
英文社名 = Nippon Television Network Corporation|
</center>
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ロゴ = |
[[野田憲太郎]]は、自称・音楽家。ユアペディアをはじめとするネット上に頻繁に出没する。少なくともネット上の素行を見る限りでは、一般社会常識はゼロに等しく、Wikipediaをはじめとする複数のコミュニティで永久追放処分を受けている。追放処分の緩やかなサイトでのみ、追放されたサイト管理者の誹謗・中傷を中心とする投稿活動を行っている。
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種類 = [[株式会社]]|
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市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 9404 | 1959年9月15日}}|
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略称 = 日本テレビ、日テレ、NTV|
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国籍 = |
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郵便番号 = 〒105-7444|
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本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目6番1号|
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電話番号 = 03-6215-1111(代表)|
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設立 = [[1952年]](昭和27年)[[10月28日]]|
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業種 = 情報・通信業|
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統一金融機関コード = |
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SWIFTコード = |
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事業内容 = 放送法に基づくテレビジョン放送など|
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代表者 = [[久保伸太郎]](代表取締役 [[社長]][[執行役員]])|
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資本金 = 185億7,500万円|
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売上高 = 連結:3,436億5,100万円<br />単独:2,886億3,600万円<br />([[2007年]]3月期)|
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総資産 = 連結:5,292億6,500万円<br />単独:4,588億4,500万円<br />(2007年3月期)|
 +
従業員数 = 連結:2,886人 単独:1,083人<br />(2007年3月末日現在)|
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決算期 = 3月31日|
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主要株主 = [[読売新聞グループ本社|(株)読売新聞グループ本社]] 14.84%<br />[[讀賣テレビ放送|讀賣テレビ放送(株)]] 6.20%<br />[[読売新聞|(株)読売新聞東京本社]] 5.33%<br />(2007年3月31日現在)|
 +
主要子会社 = [[バップ|(株)バップ]] 53.0%<br />[[日本テレビアート|(株)日本テレビアート]] 100%<br />[[日本テレビエンタープライズ|(株)日本テレビエンタープライズ]] 100%|
 +
関係する人物 = [[氏家齊一郎]]([[代表取締役]] [[取締役会]]議長)<br />間部耕苹(代表取締役[[相談役]])|
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外部リンク = [http://www.ntv.co.jp/ www.ntv.co.jp]|
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特記事項 = |
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}}
  
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'''日本テレビ放送網株式会社'''('''にっぽんテレビほうそうもう'''、''Nippon Television Network Corporation'')は、[[日本]]の放送事業者である。一般的には、略して、'''日本テレビ'''(にほんテレビ)、更に略し、'''日テレ'''(にっテレ)などと呼ばれる。略称は「'''NTV'''」。元共産党員で、現在右翼の渡辺恒雄が支配する読売新聞、日本テレビグループに属している。
  
==[[ウィキペディア日本語版の利用者]]として==
+
== 概説 ==
<!-- 在日管理者の存在を公開したために、慌ててSnow steed(Mixiを退会済)が無期限投稿ブロックを提案した。2007年7月の京都烏丸おばんざいやさんで行われた海外組の接待は、この男によって暴露された。小西規勝や利用者:KMTは頻繁に利用者:Noda,KentaroのMixiを「勤務中に」覗いてくる。この男が行った在日認定がよほど悔しいからであろうか、最近は勤務中にユアペディアまでこの節を荒らす利用者が存在する。
+
{{日本のテレビ局
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|英名=[[:wiki:en:Nippon Television|Nippon Television Network Corporation]]
 +
|地域=<li>[[関東地方|関東広域圏]]<br/>([[東京都]]・[[茨城県]]・[[栃木県]]・<br/>[[群馬県]]・[[埼玉県]]<br/>[[千葉県]]・[[神奈川県]])
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|系列=NNN
 +
|番組=NNS
 +
|キー局=日本テレビ
 +
|略=NTV<br/>AX
 +
|愛称=日テレ
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|コールサイン=AX-(D)TV
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|呼出名称=にほんテレビ<br/>(デジタルテレビジョン)
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|年=1953年
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|月日=8月28日
 +
|郵便番号=105-7444
 +
|都道府県=[[東京都]]
 +
|本社=[[港区 (東京都)|港区]]東新橋一丁目6-1
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|演奏所=[[#スタジオ]]を参照
 +
|都市名=東京
 +
|ch1=4
 +
|ch2=4
 +
|id=4
 +
|dch=25
 +
|中継局=[[#アナログ放送]]参照
 +
|デジ中継局=[[#デジタル放送]]参照
 +
|公式サイト=[http://www.ntv.co.jp/ 日本テレビ]
 +
|特記事項フラグ=
 +
}}
  
-->現代音楽関連の記事に関して、出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、[[2ちゃんねる]]<ref>[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/ 野田憲太郎応援スレッド]</ref>と[[mixi]]<ref>[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10353087&comm_id=5454&page=all ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制] 閲覧にはmixiへの参加が必要。</ref>でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者(管理者を含む)を敵視し、[http://d.hatena.ne.jp/Kasumoerer/ 自分のウェブサイト]やYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見ると、ウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが、悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える。<ref>[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/Noda%2CKentaro Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro]</ref>余談ではあるが、この利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい。<ref>[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&limit=500&action=history ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴]</ref>
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=== 放送免許 ===
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*[[1952年]][[7月31日]] - テレビジョン放送予備免許取得(日本での取得第1号)。
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*[[1953年]][[8月27日]] - テレビジョン放送本免許取得(日本での取得第2号)。
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*[[1957年]][[12月26日]] - カラーテレビ実験局予備免許取得。
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*[[1957年]][[12月27日]] - カラーテレビ実験局本免許取得。
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*[[1960年]][[9月2日]] - カラーテレビ放送本免許取得。
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*[[1978年]][[9月28日]] - 音声多重放送実用化試験局免許を取得。
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* [[1980年]][[2月9日]] - 緊急警報放送用実験局免許を取得。
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* [[1981年]][[12月17日]] - 音声多重放送本免許を取得。
 +
* [[1983年]][[9月7日]] - [[テレビジョン]]同期放送実験局免許を取得。
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* [[1985年]][[11月29日]] - 文字多重放送本免許を取得。
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* [[1988年]][[4月13日]] - EDTV実験局免許を取得。
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* [[1994年]][[11月25日]] - [[ハイビジョン]]実用化実験放送本免許を取得。
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* [[1995年]][[7月13日]] - ワイドクリアビジョン放送本免許を取得。
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* [[2003年]][[12月1日]] - 地上デジタルテレビジョン放送本免許を取得。
  
ネット上で彼のピアノの演奏(と称するもの)を聴いたもののある者であれば、誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは、幼稚園児の落書きか、またはそれ以下である。ピアニストを'''目指す'''のであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。
+
=== 主な株主(2007年3月31日現在) ===
===状況===
+
#株式会社[[読売新聞グループ本社]] (15.0%)
* あからさまにウィキペディアの中毒者(もしくは依存者)であり、無期限ブロックを無視して多数の[[ソックパペット|靴下人形]]を操り、何度でもウィキペディアに闖入を強行している。しかしながらウィキペディアの[[ルール]]や、言論上の[[マナー]]を遵守しようという意思はまったく持ち合わせていない。そのため、ウィキペディア日本語版やその参加者に対して、自分の思い込みや憶測に基づき様々な[[流言蜚語]]と[[誹謗中傷]]の限りをネット上に並べ立てることにより、自己正当化が図れると確信し、なおかつ自分の恥ずべき言動に酔い痴れている。しかも、周囲からの顰蹙や失笑を買っていることにはお構いなしである。
+
#[[読売テレビ放送]]株式会社  (6.3%)
* ウィキペディアから無期限ブロック(事実上の追放)されたことを大きな恥辱とし、その恥辱を責任転嫁せんがために、ウィキペディアおよびその関係者に対して中傷[[プロパガンダ]]を繰り返している。中傷の舞台は日本語版ならびに英語版ウィキペディアの他、メタウィキメディアや[[2ちゃんねる]]、[[はてなダイアリー]]キーワード、[[Yourpedia]]など極めて多岐にわたり、プロパガンダを展開するためであれば舞台と手段を選ばない傾向が強い。
+
#株式会社[[読売新聞東京本社]] (5.4%)
* 私怨を基にした行動パターンが見出される。また、たいていの靴下人形が、野田の出没する領域と共通の分野やジャンルで投稿・加筆を行う上、「自分は野田さんの知り合いであり、その人柄や作品の優秀さは知り尽くしている」式の擁護を行い、あるいは野田が攻撃した他ユーザーを名指しでおちょくる……というように、統一された行動様式を見せている。
+
#学校法人[[帝京大学]] (3.5%)
* 以前は日本語版のウィキペディアンの間では、音楽家の[[野田憲太郎]]とウィキペディアンのNoda,Kentaroが同一人物であるかは断言できないとする見解が優勢であったが、[[2007年]]7月下旬において野田が自分のHPで、「ウィキペディアの中国人・韓国人投稿者について日本語版Wikitruthに論文(を発表)」と自ら暴露したことにより、'''野田憲太郎 = Noda,Kentaroであることは動かしがたい事実'''となった。
+
#[[日本トラスティ・サービス信託銀行]]株式会社(信託口) (3.1%)
* 日本の[[音楽学]]会や作曲界について毒づいているが、以下の3点から、野田が学位請求論文の書き方についてまともな指導をろくに受けていないことや、しかるべき学術機関に論文を作成して受理された経験がほとんどないことは明らかである(少なくとも、「野田憲太郎+音楽学」「Kentaro Noda + Acta Musicologica」などとネット検索で入力しても、論文関係の項目がヒットしない)。
+
#株式会社[[エヌ・ティ・ティ・ドコモ]] (3.0%)
** [[出典]]の明記の仕方を理解しておらず、また理解しようともしていない。
+
#[[モルガン・スタンレー]]・アンド・カンパニー・インターナショナル・リミテッド (2.3%)
** [[宇野功芳]]にも似た特異な(かつ著しく主観的な)言い回しを弄ぶが、それが[[百科事典]]や[[論文]]としての文体や品格にそぐわないという点については、何の自覚も反省もない。
+
#[[日本マスタートラスト信託銀行]]株式会社(信託口) (2.2%)
** [[2ちゃんねる]]などで指摘されているように、日本語作文に問題があるだけでなく、英作文についても、[[品詞]]の用法や[[単語]]の選択ならびに[[シンタックス]]がおかしい。
+
#[[名古屋テレビ放送]]株式会社 (2.2%)
* 野田から他者への攻撃は問題にならないが他者から野田への攻撃は問題になるとする[[二重基準]]の持ち主。みずからYourpediaやその他のウェブサイトで他者の実名を挙げて名誉毀損を繰り返しているにも拘らず、そのことを全て棚に上げている。本項目([[WP:NODA]])の記述の一部(野田の人間性に対する[[病理学]]的分析)が野田への名誉毀損にあたるので提訴するとの法的[[脅迫]]をおこない、当該部分を特定版削除させたこともある。
+
#株式会社[[よみうりランド]] (2.0%)
*複数の利用者について[[ストーカー]]的行為を行い、彼らについて「被害届を出す」<span style="font-size:smaller;">(ママ)</span>、「指導教官の名前を教えろ」<span style="font-size:smaller;">(ママ)</span>などの脅迫メールを関係者に送付している。
+
(出資比率は自己株式を控除して計算)
*ソックパペットの名前は楽譜出版社の社名から採ることが多い([http://www.schott-music.com/ Schott] [http://www.billaudot.com/ Billaudot] [http://www.esz.it/ Zerboni] [http://www.alphonseleduc.com/ Leduc] [http://www.boosey.com/ Boosey] [http://www.rugginenti.it/ Rugginenti] [http://www.zimmermann-frankfurt.de/ Zimmermann] [http://www.edipan.com/ Edipan] [http://www.durand-salabert-eschig.com/ Durand]など)。また、野田が逆恨みしている相手の名を揶揄するような利用者名を名乗ることも多い。
+
  
===編集傾向===
+
=== [[識別信号|呼出符号]](コールサイン) ===
#主として[[クラシック音楽]]、とりわけ[[現代音楽]]関係の記事に出現し、[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]に問題のある投稿を繰り返す。
+
*標準テレビジョン放送(地上アナログ放送):JOAX-TV(VHF4ch、映像171.25MHz/50kW、音声175.75MHz/12.5kW)(テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため、「JO*X-TV」シリーズの中で“A”が与えられた)
##ほかに[[戦争]]関連や[[アニメ]]、[[ゲーム]](ゲーム音楽)関連記事にも出没。
+
*標準テレビジョン[[音声多重放送]]:JOAX-TAM
##出典の明記や論拠を求められると途端に不貞腐れるくせに、他人には「理由のないことをしてはいけない」と教え諭す。
+
*標準テレビジョン[[文字多重放送]]:JOAX-TCM
#ブロック中であることを意に介さず、多重[[アカウント]]や[[IP]]で編集活動を強行しようとする。
+
*[[地上デジタルテレビジョン放送]]:JOAX-DTV(UHF25ch/リモコンID4ch、周波数545.142857MHz/10kW)
##ウィキペディアの慣行や[[モラル]]に毒づきながらも、ウィキペディアを自分の学習発表の場として濫用している。
+
#出典の明記を要求されることを極度に毛嫌いし、要求する側がおかしいとか、要求する側が読んで調べるべきとかといった類いの言葉で応戦する。
+
##出典タグに過敏に反応し、明記できない場合に沈黙ないしは放置するということができない。
+
##「出典を要求するくせに調べられないのは、外国人だからだ(あるいは日本語がろくにできないからだ、もしくは日本にいないからだ)」といった妄言で相手に反撃しようとする。
+
##要約欄などに、「○○に載ってる」「文献は○○でいいよ」といった杜撰かつ投げ遣りな"明記"をすることもある。
+
#[[余談]]や[[逸話]](それも、どちらかと言えば読者の心証を害するような[[アネクドート]]や[[ゴシップ]]、[[スキャンダル]]の類い)、個人的印象にもとづくエピソードを書き加える。ともすれば本文よりも長々と書き込む。
+
#バランス感覚を欠いているうえ[[批判]]と[[非難]]の峻別ができないために、攻撃的・他罰的な文章を平然と書き連ねる。そのため主張や論旨が客観的(または中立的)でないと指摘されると、改めるどころか憤慨する。
+
#[[編集合戦]]を仕掛け、自分が加筆した状態こそが最善であるとして、何度でも執拗に戻す。
+
##かつて自分が関わった記事を熱心に注察しており、自分の記述を変更・削除等されるとその都度[[ソックパペット]]で舞い戻って自分が書いた状態に差し戻す。
+
##なおかつノートページや会話ページで[[厭味]]を言う。
+
##さらには自分のブログを始めとする外部のウェブサイトで悪口雑言を並べ陰謀論を喚き散らす等、一連の行動から共同作業に全く向かない利用者であることが窺える。
+
#自分の発言や文章を他人が批判し、改訂することを許さないが、他人の発言やミスについては、自分の気が済むまで執拗に追及し、あるいは[[罵倒]]するという[[ダブルスタンダード]]の持ち主。
+
##「アホか貴様」([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88&diff=prev&oldid=7682960])「どあほ」([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E7%8E%8B%E5%A6%83%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB&diff=prev&oldid=7856889])など、要約欄での[[暴言]]・[[恫喝]]・[[罵詈雑言]]。
+
##他ユーザーの会話ページに、しつこく[[言いがかり]]や[[揚げ足とり]]を書き連ねる。あるいは、他ユーザーを自分の攻撃の仲間に引き入れようとして、会話ページを濫用(悪用)する。
+
##[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/Noda,Kentaro]]に賛成票を投じた利用者たちへの個人攻撃。
+
#[[民族]]的な出自に対して異常な拘りを示す。自らと対立する利用者たちを[[在日韓国人]]や[[在日中国人]]に対する[[蔑称]]で呼びならわす。([http://kentaro-noda.hp.infoseek.co.jp/index-e.html ホームページ('07年7月21日改訂版)]に以下の一文あり。''"Some articles about Korean and Chinese Administers of Japanese Wikipedia in Japanese Language Wikitruth"''<small>(対訳:ウィキトゥルース日本語版に、ウィキペディア日本語版における韓国人・中国人投稿者について論文数点。)</small>
+
##批判されると、「お前の日本語は[[機械翻訳]]で中国語や韓国語から即席に訳したものだ」あるいは「[[BOT]]による自動応答だ」と決めつける。
+
##自分の乏しい[[語彙]]や拙い表現力、でたらめなテニヲハ、ねじれた主-述関係を棚に上げて、他人については「日本語がおかしい」「日本語が読めない」といった類の攻撃をする。
+
#「管理ユーザー」「査読ユーザー」「攻撃ユーザー」など独特の造語(もしくは意味を自己流にねじ曲げた語)を多用する。「仮想アカウント」など既成の語を使う場合もあるが、独自の意味である。
+
##記事においても、公式の用語でなく、「前衛イディオム」「中華アカデミズム」のような造語(もしくは生硬な翻訳調)を用いる。また、「作曲様式」「演奏様式」といった用語の代わりに、「スタイル」のような、しばしば[[多義語]]であるような[[外来語]]を好んで使い、意味を曖昧にする。
+
##独自概念や造語で項目名を立てる。
+
##自らの語学力や海外渡航歴を喧伝している割には、[[ドミトリ・コゥリャンスキ]]や[[フランチェス・マリエ・ウィッティ]]など、先行資料の表記やネイティブの発音を確認して項目名を立てているのかどうか、すこぶる怪しい例がある。
+
#論文の文体の何たるかを理解していない。そのため鄙語・俗語を交えたり、「スタイル」「レヴェル」などのように横文字をカタカナにしただけで済ませたり(あるいは補足説明なしに横文字をそのまま引用したり)、また、印象批評をそのまま表現したりする。
+
#「ウィキペディアは[[ナレッジスペース]]ではない」ということが理解できないため、字数が増えることが内容の充実であると言い切って憚らない。そのため内容が希薄になったり散漫になったりすることにもお構いなく、どんどん長文にする(ウィキペディアの方針に対する無理解と[[侮蔑]]に関連)。
+
#第三者には理解不能な、意味不明な「美文調」を弄ぶ。[[ナルシシズム]]的な性格ゆえにか、自分の「立派な日本語」が通用しないことを読者の能力のせいだと責任転嫁する。
+
#[[携帯電話]]で連絡を取り合う管理者たちの指令によって集団攻撃されている等の[[妄想]]を書き散らす。
+
#自分が「専門家」であることをことさら誇大に訴え、それによりかかった暴論を繰り返す。「ど素人は、難しい現代音楽を専門的に理解できるはずないのだから、それに関する記事を起草・加筆・編集する資格はない。ど素人が専門家先生に楯突くのは生意気だ」といった発想が根底にある(同様の見解を[[菅野茂]]と共有している)。
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#[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC&diff=2427251&oldid=2414811 『今でも、「彼は国家の手で消された」と信じるイギリス人は多い。』]など、根拠がないことを確信ありげに断言することが非常に多い(出典の明記を極度に嫌う態度と通底)。思いついたことは何でもダメモトでとりあえず言ってみる、それを本気にする人間が一人でも現れれば儲けものという姿勢が透けて見える。
+
##「~と言われている」「~であることは非常に有名」などの表現によって、個人的妄想に一般性や信頼性があるかの如く偽装することも多い。
+
###[http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:新ロマン主義音楽 「これは常識でありもはや定説のレヴェルです。」]は、[[高橋弘二]]の[[定説|定説語]]を連想させずにおかない。
+
##[[矛盾|矛盾点]]等を深く突っ込まれると話を逸らすか、曖昧なほのめかしでお茶を濁し、自らの誤りを絶対に認めない。
+
###発言や文脈の前後で[[自家撞着]]が生じるようなことも平然と書き連ねる。[http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:新ロマン主義音楽 「アナトリー・アレクサンドロフの作品をピアノで練習していると/ロマンというよりも古典といったほうが良いくらいです」]。ならば、アレクサンドロフが新ロマン主義者ですらない(従って、[[新ロマン主義音楽]]の項目で[[アナトーリー・アレクサンドロフ|アレクサンドロフ]]の名に言及した自分の加筆[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%96%B0%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9F%B3%E6%A5%BD&diff=8559847&oldid=8426981]はおかしい)ということには気づいていない。
+
#「~に報告しますからそのつもりで」(「~」の部分には何らかの公的[[機関]]や権威者などの名が入る)など、他者の[[権威]]を笠に着た発言や、人の褌で相撲を取る物言いも多い。
+
#ノートや会話ページで発言する際、「タメ口」を利く。自分の思い込みを書き並べているにもかかわらず、疑問文で相手に聞き返して自分の発言の正当さを確認しようとする。
+
#下記のように自身が無数のソックパペットを操っているため、他人も同じことをしていると決めつける傾向が顕著である。
+
=== ブロック済みアカウント ===
+
{| class=wikitable sortable
+
|-
+
!利用者名
+
!初出現日時<!--初投稿日時-->
+
!投稿ブロック記録
+
|-
+
|align=center colspan=3|'''本体'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Noda,Kentaro}}
+
|2006年6月13日 (火) 04:33
+
|2006年11月25日 (土) 22:23 '''無期限'''
+
|-
+
|align=center colspan=3|'''ソックパペット'''
+
<!--
+
|-
+
|{{WikiUser2|Sushisushi}}
+
|2005年10月7日 (金) 00:12
+
|2006年12月15日 (金) 22:38 '''無期限'''
+
-->
+
|-
+
|{{WikiUser2|士心麻手}}
+
|2006年4月22日 (土) 10:35
+
|2006年12月23日 (土) 00:15 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Nodaken}}
+
|2006年12月22日 (金) 23:29
+
|2006年12月22日 (金) 23:31 '''無期限</br>UsernameBlock'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Anymoerer}}
+
|2007年2月13日 (火) 16:06
+
|2007年2月14日 (水) 12:00 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Divari0canto}}
+
|2007年2月15日 (木) 12:59
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|匿名委員会}}
+
|2007年2月24日 (土) 18:03
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|畢竟}}
+
|2007年3月24日 (土) 17:49
+
|2007年6月18日 (月) 22:07 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Dreme}}
+
|2007年6月23日 (土) 15:26
+
|2007年7月15日 (日) 10:29 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|間久部香織}}
+
|2007年7月9日 (月) 15:09
+
|2007年7月24日 (火) 23:09 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Alles}}
+
|2007年7月15日 (日) 11:53
+
|2007年8月4日 (土) 04:54 '''無期限'''
+
|-
+
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|2007年9月23日 (日) 21:30
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|2007年9月24日 (月) 23:56 '''無期限'''
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|2007年9月24日 (月) 23:56 '''無期限'''
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=== 投稿記録無し ===
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=== 保有チャンネル ===
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[[関東広域圏]]における地上放送の他に[[SKY PerfecTV!]](東経124・128度CS放送)で [[日テレG+]]、及び[[日テレNEWS24]]の2つのチャンネルを放送している。これらの2つのチャンネルは[[E2 by スカパー!|SKY PerfecTV!110]](東経110度CS放送)では[[委託放送事業者]]である[[シーエス日本]]を通じて放送され、また一部の[[ケーブルテレビ]]でも放送されている。
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+
 
!利用者名
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===ネットワーク===
!投稿ブロック記録
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[[1966年]]に''' [[NNN]]'''(Nippon News Network)を、また'''[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]''' (Nippon television Network System)を形成し、各地の地方局と系列局関係を結んでいる。日本テレビの報道取材地域には[[関東広域圏]]の他に[[沖縄県]]が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。
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|{{WikiUser2|Barnstar}}
+
===呼称===
|2006年12月23日 () 00:10 '''無期限'''
+
開局以来長年「4チャンネル」「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始める。2000年12月には、開局した系列の[[BS日本]]のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。
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+
 
|{{WikiUser2|Xesk0why}}
+
2003年の汐留移転を契機に、コーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「'''日テレ'''」が採用された。なお、[[新聞]]・[[テレビ情報誌]]の[[番組表]]での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、[[デイリースポーツ]]東京版では「'''NTV'''」として表記されている。
|2007年2月25日 () 01:53 '''無期限'''
+
 
|-
+
業界ではCX([[フジテレビジョン|フジテレビ]])、EX([[テレビ朝日]])、TX([[テレビ東京]])に合わせ「'''AX'''」と呼ぶこともある。渋谷には日テレが出資したライブスペース[[SHIBUYA-AX]](シブヤ-アックス)があり、1990年台後半(読売新聞は~い朝刊の次番組)の土曜深夜にもずばり“AX”(読みは「アックス」)という番組があった。
|{{WikiUser2|Edipan}}
+
 
|2007年8月16日 () 11:58 '''無期限'''
+
ちなみに、[[ロシア]]の「NTVテレビ」および[[マレーシア]]の「ntv7」とは無関係。
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|{{WikiUser2|Rugginenti}}
+
登記上の社名は「にほん」では無く「にっぽん」と読むのが正しい。(これは[[日本放送協会]]の場合と同様。ただし、[[アナウンサー]]も「にほんテレビ」と読むことが多い)
|2007年8月16日 () 11:58 '''無期限'''
+
 
|-
+
===備考===
|{{WikiUser2|Zimmermann}}
+
*日本テレビは日本のテレビ業界においても、新しい放送媒体を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を業界では1番多くの時間放送している事でも有名である。カラー放送、[[音声多重放送]]、[[ワイドクリアビジョン]]放送も、日本の民放では日本テレビが初めてであった。
|2007年9月4日 () 21:51 '''無期限'''
+
 
 +
*著名な[[アニメ]][[映画監督]]である[[宮崎駿]]率いる「[[スタジオジブリ]]」との関連が深く、同社の作品を独占的にテレビ放映する権利を持つ。また、日本テレビのマスコット「[[なんだろう]]」も宮崎駿が手掛けたものである。
 +
 
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*[[1953年]][[8月28日]]に日本で初めて[[コマーシャルメッセージ|CM]]を日テレで行い、2005年よりその日を「テレビCMの日」と定め、2007年8月28日には一部の番組で[[提供クレジット]]に[[コマーさる君]]が登場していた。
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<!--現在の[[提供クレジット]]の「提供」の文字は[[汐留]]完全移転(2004年2月29日)時から使用している([[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]・[[福岡放送]](2005年2月27日の清川完全移転より)も同[[書体]]=[[イワタ新ゴシック体]]。それまでは[[中部日本放送]]と同書体のものを使用していた。)。…文字フォントについては、編纂者の主観が高いと思うので、コメントアウトしました。内部情報がない限りは、具体的な表記を「百科事典」に加えるべきではないと思いますが、いかがでしょうか?-->
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 +
<!-- この地域の関東ローカルにての現在はドラマ・アニメの再放送を一度も行っていなかったが、2006年4月から15:55~16:53の時間帯でドラマの再放送を行っている。 -->
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== 主な[[中継局]] ==
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=== アナログ放送 ===
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* [[東京都]]
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** 大井町 70ch *[[品川区]]大井町地区では東京4chを視聴している家庭がほとんどである。
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** 八王子 35ch *八王子市周辺でも、東京4chを視聴している家庭が多い。
 +
** 多摩 51ch *多摩市周辺でも東京4ch視聴者が多い。
 +
** 新島 54ch(垂直偏波)
 +
** 八丈島 4ch
 +
** 三宅島 4ch
 +
** 小笠原父島 53ch
 +
* [[茨城県]]
 +
** 水戸 42ch(垂直偏波)
 +
** 鹿嶋 33ch
 +
** 日立 54ch
 +
** 高萩 53ch
 +
* [[栃木県]]
 +
** 宇都宮 53ch
 +
** 日光 54ch
 +
** 矢板 36ch
 +
* [[群馬県]]
 +
** 前橋 54ch
 +
** 富岡 53ch(垂直偏波)
 +
** 桐生 53ch
 +
** 沼田 53ch
 +
* [[埼玉県]]
 +
** 児玉(熊谷・本庄) 53ch(垂直偏波)
 +
** 秩父 16ch
 +
* [[千葉県]]
 +
** 成田 53ch
 +
** 銚子 53ch
 +
** 香取佐原 54ch
 +
** 勝浦 53ch
 +
** 館山 54ch(垂直偏波)
 +
* [[神奈川県]]
 +
** 山下町 71ch *東京4ch視聴者多し。
 +
** [[横浜みなとみらい21|横浜みなと]] 54ch *東京4ch視聴者多し。
 +
** 久里浜 41ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)
 +
** 平塚 35ch(垂直偏波)*東京4ch視聴者多し。
 +
** 小田原 54ch
 +
** 湯河原 53ch
 +
 +
 
 +
=== デジタル放送 ===
 +
* [[茨城県]]
 +
** 水戸 14ch
 +
** 日立 14ch
 +
* 栃木県
 +
** 宇都宮 34ch
 +
** 矢板 19ch
 +
* 群馬県
 +
** 前橋 33ch
 +
** 沼田 25ch
 +
* 埼玉県
 +
** 秩父 25ch
 +
* 千葉県
 +
** 銚子 25ch
 +
* 神奈川県
 +
** 平塚 25ch(垂直偏波)
 +
** 小田原 25ch
 +
 
 +
== 沿革 ==
 +
=== 1950年代 ===
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*[[1951年]][[9月4日]] [[正力松太郎]]、日本テレビ放送網設立構想を発表。
 +
*[[1951年]][[10月2日]] 日本テレビ放送網、テレビ放送免許を申請。
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*[[1952年]][[7月31日]] 日本最初のテレビ放送予備免許を取得。
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*[[1952年]][[10月15日]] 創立総会を開催し、正力松太郎を社長に選出。
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*1952年[[10月28日]] 会社設立([[資本金]]2億5千万円)。
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*[[1953年]][[4月15日]] 資本金を5億円に増資。
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*1953年[[8月17日]] 名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請。
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*1953年[[8月18日]] 街頭テレビ受像機を関東一円(都内29ヵ所、周辺部13ヵ所)に設置。
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*1953年[[8月20日]] 試験電波を発射。
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*1953年[[8月27日]] テレビ放送本免許を取得。
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*1953年[[8月28日]] 午前11時20分、「鳩の休日」の映像と共に民放初のテレビ局(地上アナログ)として本放送を開始(この日が開局記念日)。日本初のテレビ局としての開局を目指していたが、多くの機器を輸入に頼っていたため納入が間に合わず、[[日本放送協会|NHK]]に先行された。
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*1953年[[8月29日]] プロ野球[[読売ジャイアンツ|巨人]]-[[阪神タイガース|阪神]]戦(後楽園球場)を民放としてテレビ初中継。
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*1953年[[10月27日]] プロボクシング世界選手権[[白井義男]]-テリー・アレン戦を中継。街頭テレビ熱高まる。
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*[[1954年]][[2月19日]] 「[[力道山]]・[[木村政彦]]対[[シャープ兄弟]]プロレス実況」を放送(3日間)。以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こる。
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*1954年[[10月4日]] ニュース番組「[[NNNきょうの出来事|きょうの出来事]]」放送開始。
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*[[1955年]][[4月1日]] 資本金を7億5千万円に増資。
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*1955年[[11月28日]] 清水与七朗が社長に就任。
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*[[1956年]][[8月19日]] 午前6時30分、日本初のテレビ早朝放送を開始。画面に初めて時分[[テロップ]]を入れる。(いわゆる[[時刻出し]])
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*1956年[[12月1日]] [[中部日本放送|中部日本放送(CBC)]]、[[朝日放送#大阪テレビ放送|大阪テレビ放送]](OTV、現在の[[朝日放送|朝日放送(ABC)]]テレビ)が開局し、両社とネットワークを形成。
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*1956年[[12月31日]] 精工舎(現・[[セイコーホールディングス]])提供、同局を始め民放4社による共同制作の「[[ゆく年くる年]]」を放送。
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*[[1957年]][[3月17日]] 「[[ミユキ野球教室]]」放送開始(1990年3月終了)。
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*1957年[[4月18日]] カラーテレビ放送の免許を申請。
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*1957年[[12月27日]] カラーテレビ実験局本免許を取得。
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*1957年[[12月28日]] カラーテレビ実験局開局(民放初)。
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*[[1958年]]4月1日 資本金を10億円に増資。
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*1958年8月28日 番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、[[讀賣テレビ放送]](YTV)、[[テレビ西日本|テレビ西日本]](TNC)が開局。先に開局した[[西日本放送|西日本放送]](RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる。
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*1958年[[10月1日]] (株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に。
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* 1958年 技術開発が進み、同局初のVTRドラマ「雑草の歌」が放映される。また、初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組「手品教室」が始まる。
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* [[1959年]] 日本初のカラー[[テレビドラマ]]「赤い陣羽織」放送。
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* 1959年4月 ネットワークニュース番組「[[日本テレニュース]]」スタート。
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* 1959年[[4月10日]] [[皇太子]][[明仁]][[親王]]([[今上天皇]])結婚(成婚)。この日、39台のカメラを駆使してテレビ史上に語り継がれる大規模生中継を行う。その後、成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を、午後9時から特番「このよき日」でカラーで放送した。この番組の中では、日本初のカラーCMも放送された。
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* 1959年[[9月15日]] 同局の株式が[[東京証券取引所]]に上場する。
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* 1959年[[10月24日]] [[毎日放送|毎日放送(MBS)]]と[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]中継を共同製作する。
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* 1959年[[12月3日]] 日本初のカラーVTR放送「ペリー・コモ・ショー」(米NBC-TVからダビングされたカラービデオテープを再生)放映。
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=== 1960年代 ===
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*[[1960年]]6月 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
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*1960年[[9月10日]] カラーテレビ本放送開始。([[日本放送協会|NHK]]、[[東京放送|ラジオ東京(KRT)]]と共に東京地区では初)当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
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*[[1961年]][[1月8日]] 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始。
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*1961年[[6月4日]] 「シャボン玉ホリデイ」放送開始(1972年10月1日終了)。
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* [[1962年]] フランスのRTFテレビと番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
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* [[1963年]] 通信衛星リレー1号を利用して、日米間で初の白黒テレビの電送実験。放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成。
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* [[1964年]]10月 東京オリンピック開催。これに関する自社製作におけるカラー放送を強化する。
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* 1964年 多摩丘陵・よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
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* [[1965年]] パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈。
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* [[1966年]][[4月1日]] [[NNN]](Nippon News Network)発足。
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* 1966年[[6月30日]] [[ビートルズ|ザ・ビートルズ]]の日本武道館来日公演をカラーで独占生中継し、視聴率は56%に達した(同時にカラーVTRでも録画され、このカラービデオテープは後に[[バップ|VAP]](全編)や東芝EMI(現[[EMIミュージック・ジャパン]])(一部)からビデオ・ソフト化される。)。
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* 1966年 世界初、カラーのスポットコマーシャル([[日立製作所]]提供)の放送が開始される。
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* [[1967年]][[7月21日]] 福井近夫が社長に就任。
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* 1967年 ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
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* [[1968年]][[4月]] [[新宿区]]に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
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* [[1969年]][[10月9日]] 当時の会長、正力松太郎が死去。
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* 1969年[[10月11日]] [[大蔵省]]の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の[[有価証券報告書]]を訂正。
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* 1969年12月1日 資本金を24億円に増資・
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* 1969年 コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。
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=== 1970年代 ===
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* [[1970年]][[5月29日]] [[小林與三次]]が社長に就任し、読売色が一層強まる。
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** この辺りから、対外的に使用する社旗を青地に社章(「NTV」ロゴを丸で囲った物)を白く抜いた物より、読売新聞の社旗を模した上から緑・赤・青色の模様の旗に変更。
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* 1970年[[11月10日]] 同局の送信所を、[[麹町]]の本社社屋に隣接したテレビ塔から[[東京タワー]]に移行。
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* 1970年 那覇、ワシントン、モスクワ、ソウルに各支局を開設。世界ネットを強化。
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* [[1971年]] [[全国高等学校サッカー選手権大会|全国高校サッカー選手権大会]]を[[毎日新聞|毎日新聞社]]に代わって主催し、独占中継権を得る。自社製作の番組のカラー化率がほぼ100%に達する(日本の民放初)。
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* [[1972年]] 系列18社による[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]](日本テレビネットワーク協議会)発足。当時のネット局[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ(NBN)]]と番組編成を巡って係争。この結果、12月に東海地区のテレビネットを[[中京テレビ放送|中京テレビ(CTV)]]へ一本化する事に決定。(CTV開局後もNBNと2局並列で[[クロスネット局|クロスネット加盟]]=当時CTVはNET中心の編成=だった)
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* [[1973年]][[1月14日]] ハワイで行われたエルビス・プレスリー・ショーを独占衛星生中継。
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* 1973年 アメリカABCニュース社と、ニュース提供と衛星中継に関する契約を締結。
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* 1973年[[10月31日]] 日本テレビ系列愛の小鳩事業団設立。
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* 1973年[[12月20日]] 読売新聞社、[[朝日新聞社]]、毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビと[[東京放送|東京放送(TBS)]]の新聞資本を統一する合意が成立。
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* [[1974年]] 石油危機による電力節減のため、郵政省が民放各社に深夜の放送自粛を要請。在京5社の申し合わせで、1月7日から深夜0時30分で放送終了となる。
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* 1974年[[3月31日]] 開局以来の[[読売・朝日・毎日3社ニュース|3社ニュース]]の放送が「[[読売新聞ニュース]]」に一本化される。
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* 1974年5月 読売新聞社は朝日新聞社と毎日新聞社が持つ全ての日本テレビ株式を購入。これで日本テレビは完全に読売グループの傘下に入る。
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* 1974年 小林社長、ヴァティカンで[[ローマ教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]から勲章を授与される。
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* 1974年12月1日 資本金を37億2500万円に増資。
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* [[1975年]] 同局の「愛の小鳩事業団」が日本で初めての「手話スクール」を開講する。UHF局([[テレビ神奈川]])へのプロ野球リレーナイター供給を開始。「[[金曜ロードショー|水曜ロードショー]]」にて、名作映画『[[風と共に去りぬ]]』がテレビで世界初放映される。
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* [[1976年]][[11月25日]] 日本テレビ放送網文化事業団設立。「フランス美術賞展」などの美術展を開催。
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* [[1977年]][[3月20日]] 資本金を41億円に増資
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* 1977年10月 視聴者参加型大型クイズ番組「木曜スペシャル 第1回[[アメリカ横断ウルトラクイズ]]」スタート(以後[[1992年]]まで毎年1回行われた)。
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* [[1978年]]1月 開局25周年に伴い、シンボルマーク(社章)を変更。(「NTV」ロゴを丸で囲った物から、日本テレビの"日"と地球を[[メルカトル図法]]的にデザイン化したものに。放送では1992年夏頃まで、社の封筒では2003年夏頃まで使用されていた〈1992年以降は「[[なんだろう]]」のマスコットと一緒に〉。現在は[[株券]]・社債のみに使用。)
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* 1978年4月1日 無償新株式(1:0.1)発行。資本金が45億1000万円となる。
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* 1978年[[8月26日]] 「[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」スタート(以後、毎年8月に行われる。)。
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* 1978年[[9月28日]] 世界初の音声多重放送実用化試験放送を開始。番組第1号は「ミセス&ミセス」。この日から、後楽園球場の[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦も[[ステレオ放送]]になる。
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* [[1979年]][[3月5日]] 「[[ズームイン!!朝!]]」放送開始。
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* [[1979年]][[12月31日]]「[[欽ちゃんの仮装大賞]]」の第1回が放送。
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=== 1980年代 ===
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* [[1980年]][[2月9日]] 緊急警報放送の実験放送を開始。
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* 1980年 VTRカメラが初めて[[エベレスト]]に登る。この登山のドキュメンタリー番組「生と死に賭けた36時間・これがチョモランマだ!」が高い評価を呼び、芸術祭テレビドキュメンタリー部門で優秀賞を獲得。
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* [[1982年]][[6月29日]] 高木盛久が社長に就任。
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* [[1983年]]8月28日 開局30周年を機に故・正力松太郎会長の遺訓の中から社訓・信条を制定。
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* 1983年[[9月7日]] テレビジョン同期放送の実験放送を開始。
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* [[1984年]] 民放業界最大の規模のコンピュータグラフィックスシステムを完成。参議院選挙、衆議院総選挙などの報道で稼動。
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* [[1985年]][[1月24日]] 資本金を70億8560万円に増資。
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* 1985年[[5月20日]] 無償新株式(1:0.1)発行。
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* 1985年[[11月29日]] 文字多重放送の本放送を開始。
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* 1985年 日本テレビニューヨークスタジオ開設、生放送スタート。
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* [[1987年]][[1月2日]]・[[1月3日|3日]] [[東京箱根間往復大学駅伝競走]](箱根駅伝)中継放送開始。
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* 1987年10月5日 「[[ズームイン!!朝!]]」にて、SNGの実験運用を開始する。
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* 1987年10月 [[マイケル・ジャクソン]]の横浜スタジアムでの来日公演を録画放送。
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* [[1988年]][[5月5日]] [[エベレスト]](チョモランマ)山頂から世界初の生中継を実施し、成功。日本中にこの模様が中継された。(開局35周年記念企画「[[チョモランマがそこにある!]]」)
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* 1988年[[5月20日]] 無償新株式(1:0.04)発行。
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* [[1989年]]6月29日 佐々木芳雄が社長に就任。
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* 1989年[[7月7日]] SNG日本テレビサテライトネットワーク運営開始。
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* 1989年[[8月24日]] クリアビジョン放送の本放送を開始。
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=== 1990年代 ===
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* [[1990年]][[5月21日]] 無償新株式(1:0.05)発行。
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* [[1991年]][[8月1日]] 1単位の株式数を100株から10株に変更。
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* 1991年8月 「第3回世界陸上競技選手権東京大会」のホストブロードキャスターを務め、世界131ヶ国に鮮明な映像・音声を送る。
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* [[1992年]]8月28日 開局40周年を記念して、[[スタジオジブリ]]制作のマスコットキャラクター「[[なんだろう]]」が登場。この「なんだろう」は、日本テレビのシンボルマークとして、企業[[ロゴタイプ|ロゴ]]が変わった現在でも使用されている(色は日本テレビ、CS日本、RFラジオ日本が<font color=FFCE26>線の色1色</font>をふち取りしたものが、BS日テレは2000年12月1日の開局から1992年のなんだろうが登場したときから使われている緑色のものとなっている。CS★日テレは光り輝くタイプとなっていた。)。
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* 1992年[[11月6日]] SNGデジタル伝送実験局免許取得。[[氏家齊一郎]]が社長に就任。
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* [[1994年]] [[アール・エフ・ラジオ日本]]の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
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* [[1994年]][[11月24日]] アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用の[[日本放送協会|NHK]]と民放の合同チャンネル)。第1回「流転の海」他を放送。
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* [[1995年]][[7月13日]] ワイドクリアビジョン本放送開始。
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* [[1995年]] インターネットに日本テレビ公式webページ([http://www.ntv.co.jp/ http://www.ntv.co.jp/])を開設。
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* [[1996年]][[4月3日]] CSデジタル放送「[[CS★日テレ]]」の委託放送業務認定取得、同年8月28日に放送開始。
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* 1996年 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
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* [[1997年]][[2月24日]] CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
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* 1997年 NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月1日に[[日テレNEWS24]]と名称変更)。
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* [[1998年]] 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
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* [[1999年]] キャンペーン「日テレ営業中」が[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。
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=== 2000年代 ===
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* [[2000年]] 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、[[東日本電信電話|NTT東日本]]とともに、[[テレビ番組]]、[[アニメ]]などの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。ライブハウス「[[SHIBUYA-AX]]」オープン、[[Dragon Ash]]が[[こけら落し]]を務めた。
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* 2000年12月1日 午前11時、系列のBSデジタル放送「[[BS日本|BS日テレ]]」(デジタルBS4ch)放送開始。
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* [[2001年]] 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、[[萩原敏雄]]専務取締役が代表取締役社長兼[[最高執行責任者|COO]]にそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
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* 2001年9月 開局以来のオープニング・エンディング「鳩の休日」を諸事情により休止。
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* 2001年9月28日 「[[ズームイン!!朝!]]」終了。 (後番組は 「[[ズームイン!!SUPER]]」)
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* [[2003年]]7月 [[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入。通称名を「'''日本テレビ'''」「'''NTV'''」から「'''日テレ'''」「'''NIPPON TELEVISION'''」へと変更、ロゴマークも「なんだろう」を継承するも、そのデザインも含め一新された。略称「NTV」の国内での使用も中止(但し、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記)し、国内での対外愛称は「日テレ」に統一、CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作「日テレ(ロゴ)」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。([[ぐるぐるナインティナイン]]などごく一部の番組は現在も「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」の表記が残っている)ただ、BS日テレ・CS日本の社名ロゴは、従来の日本テレビの社名ロゴがそのまま踏襲されている。また、番組表等業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。
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* 2003年[[10月25日]] 同局プロデューサーによる[[視聴率不正操作問題|視聴率不正操作]]が発覚。翌月18日、取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
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* 2003年12月1日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
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* [[2004年]][[2月29日]] 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が[[汐留]]に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、[[生放送]]のほとんど全ての番組が[[ハイビジョン]]制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大(汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンだったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上の[[お天気カメラ]]<麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化>、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された)。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスターの運用を開始。生テロップの[[フォント]]も変更。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。
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* 2004年[[11月5日]] [[読売新聞グループ本社]]が[[マスコミ集中排除原則]]により、歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき、有価証券報告書を同グループ名義へと訂正、同社株は一時「監理ポスト」に割り当てられた(同年11月22日まで)。
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* [[2005年]]6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎が代表取締役社長に就任。
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* 2005年[[10月27日]]深夜 インターネットを利用した[[ビデオ・オン・デマンド]]サイト「[[第2日本テレビ]]」をオープンする。
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* [[2005年]][[12月1日]] 「NNN24」を「[[日テレNEWS24]]」に名称変更。
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* [[2006年]][[3月1日]] 「G+ SPORTS&NEWS」を「[[日テレG+]]」に名称変更。
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* [[2006年]][[4月1日]] 地上デジタル[[ワンセグ]]の本放送を開始。
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* [[2006年]][[4月3日]] サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
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* [[2006年]][[4月12日]] [[ポッドキャスティング]]での動画配信に参入。
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* [[2006年]][[9月29日]] 全民放中の最長寿番組「[[NNNきょうの出来事]]」が終了し、52年の歴史に幕。 (後番組は「[[NEWS ZERO]]」)
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* [[2007年]][[4月2日]] 日本テレビの制作子会社4社の事業再編を実施、統括[[持株会社]]「[[日テレ・グループ・ホールディングス]]」と技術・制作・イベント・美術の4事業会社によるグループ体制を開始。
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===開局当日の編成(1953年8月28日)===
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*11:20放送開始 「開局記念式典」の実況中継
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*11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
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*12:00に本来なら[[セイコー|精工舎]]の[[コマーシャル]]第1号が放映される予定だったが、フィルムを裏から写してしまい放送できなかった
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*12:00 歌の祭典
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*12:30 記録映画「上代の彫刻」
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*13:00 [[NTVニュース]]・[[天気予報]](ここで一旦放送中断。[[テストパターン (放送)|テストパターン画像]]が放送された)
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*17:30放送再開 日本南方民謡集
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*17:40 テレビ浮世絵
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*17:55 リサイタル
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*18:10 国際ニュース
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*18:20 週間テレニュース
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*18:40 記録映画「天竜川」
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*19:00に精工舎のCMが放送された。これが実質的なコマーシャルの第1号。
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*19:00 花競祝写絵
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*19:45 劇場中継「ニューヨーク幻想曲」(会場:[[帝国劇場]])
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*21:00 「開局記念式典」の録画中継
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*21:15 テレニュース(これで放送終了)
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=== 特徴 ===
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正式社名が日本テレビ'''放送網'''であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の[[郵政省]]に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。(これが実現していれば現在の日本国内の民放が違っていたであろう)
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開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。[[東京タワー]]ができるまでは観光名所となっていた。
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プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や「なんでもやりまショー」などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京テレビ(現在の[[東京放送|TBSテレビ]])開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の[[東京ドーム]])と独占中継権を結んだのが有利に働いた。
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日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。すべては自社こそテレビのパイオニアであることを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、のちに頓挫する。
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しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局であるよみうりテレビの開局が「[[読売新聞大阪本社|大阪読売新聞]]」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社製作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降。
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正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の単独ネット化、読売新聞への完全系列化、[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]との提携など正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われた。しかし、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直したものの、依然として巨人戦に頼った編成のため、全体ではまだ「民放の雄」と呼ばれたTBSに及ばずといった感は否めなかった。朝枠に情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化。ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時、カルチャー路線化が成功し視聴率3冠王に輝いてたフジテレビに、現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。
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そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ「[[TVおじゃマンボウ]]」を開始することで、視聴者へのPRを行った。<br>
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しかしその後、地上波キー局における「興味を示せばなんでも良い」という傾向への転換や、インターネットなどの他のメディアへの興味による全体的な視聴率の低下による「視聴率稼ぎ」に終始する作り方へと変わったことで、番組内容の低レベル化、情報操作や歪曲、過剰なスピード化とそれによる視聴者の思考を疎外する作り方が横行し、やらせや過剰演出、情報の捏造などの問題へと発展している。
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1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」だった[[フジテレビジョン|フジテレビ]]をついに追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年~2002年に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」は30ヶ月連続となり、民放最高記録も樹立することを達成し、「民放界の雄」として一時代を築き、君臨し続けた。<br/>
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しかし2003年度には、巨人戦視聴率の低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、「プライムタイム」が2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月~2005年3月)の調査では、ついに全部門2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。
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しかし東京民放キー局の中では唯一サスペンスドラマの再放送を行なっていない局でもあり、この点は比較的高い評価を得ている。
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== 所在地・経営幹部 ==
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* 東京都港区東新橋一丁目6番1号(この界隈の事を[[汐留]]という。)
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* 代表取締役 取締役会議長 [[氏家齊一郎]]
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* 代表取締役相談役 [[間部耕苹]]
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* 代表取締役社長 [[久保伸太郎]]
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== 役職 ==
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* 局長
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* 局次長
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* 部長
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* 部次長
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* 担当副部長
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* [[チーフプロデューサー]]制度
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* 社員の種類
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** 正社員
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** 年契社員
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** シニア年契社員
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** 協力スタッフ(人材派遣会社からの派遣社員)
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== テレビの[[時刻出し]] ==
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*朝:未明の「[[日テレNEWS24]]」開始(「[[日テレNEWS24]]」がない時は放送開始)時~11:23:15まで(「[[Oha!4 NEWS LIVE]]」・「[[実父]]」・「[[爽快情報バラエティー スッキリ!!|スッキリ!!]]」・「[[あさ天サタデー]]」・「[[ズームイン!!サタデー]]」はカスタムで表示、「[[ボン]]」の通販コーナーでは表示オフ)。(かつては「[[ザ!情報ツウ]]」が終了する10:24:00まで表示していたほか、2002年前後(詳細時期失念)には10:30:00~11:23:00(「[[峰竜太のホンの昼メシ前]]」や「[[さきどり!Navi]](NNN24(現[[日テレNEWS24]])とのサイマル放送)」を放送していた時にも表示があった。)2015年1月19日からスッキリでは隣にマスコット出るようになった
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**土曜日は9:23:00([[ウェークアップ!ぷらす]]終了)まで。(かつては[[ぶらり途中下車の旅]]終了後の10:00:00まで表示されていた。)
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**日曜日は9:53:55まで。(一時期、[[THE・サンデー]]放送途中の9:15:00までの表示だった。それ以前は9:55:00まで表示されていた。)
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*昼:平日11:30:00~11:48:00 「[[NNNニュースダッシュ]]」内。
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**土曜日は11:25:00~11:33:30 「NNNニュースダッシュ」内、及び12:00:00~12:00:03「[[メレンゲの気持ち]]」の冒頭3秒間に表示。
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**日曜日は11:30:00~11:44:00 「NNNニュースダッシュ」内。
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**「NNNニュースダッシュ」は「日テレNEWS24」フォントでの表示。
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**及び平日12:00:00~12:55頃「[[午後は○○おもいッきりテレビ]]」の2回目のローカルセールスCM入りまで表示(かつて、12:52:10という中途半端な時間で表示消去していたが、これは前身の「お昼のワイドショー」の名残と思われる)。
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*夕:月~木曜日16:53:15~18:57:55まで「[エブリ[]]」内の一部コーナーを除いた時間帯に表示(2006年6月9日までアナログは番組独自のカスタム表示でデジタルは通常表示だったが同年6月12日よりアナログと同じものに統一)。
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**金曜日17:00:15~18:57:55まで「[[エブリ]]」内の一部コーナーを除いた時間帯に表示(2006年6月9日までアナログは番組独自のカスタム表示でデジタルは通常表示だったが同年6月12日よりアナログと同じものに統一)。
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**日曜日18:00:00~18:00:03まで「[[真相報道 バンキシャ!]]」の冒頭3秒間に表示。
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*なお、2006年[[9月6日]]の[[文仁親王妃紀子|秋篠宮妃紀子]]出産の報道特別番組「[[ズームイン!!SUPER]]内」では当放送局のカスタム表示が関東地方以外でも少し見られた。<!---実際の放送で見らので事実です--->
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== 主なテレビ番組・日本テレビの番組 ==
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* 具体的な番組については[[#制作局|制作局]]を参照。
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* スポーツ・情報番組の具体的な番組については[[日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧|スポーツ情報局]]を参照。
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* ニュース・報道番組は[[日本テレビ・報道局制作番組の分野別一覧|報道局]]を参照。
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* 上記以外の番組については[[日本テレビ・制作局制作番組の分野別一覧]]を参照。
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* また、報道特別番組については、[[NNN#NNN報道特別番組|NNN系報道特別番組]]を参照。
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=== 傾向 ===
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* 伝統的に、[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦を中心とした[[スポーツ]]中継や[[バラエティ番組]]を得意としており、1960年代から1970年代に掛けて[[シャボン玉ホリデー]]などの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率そのものも低迷した(詳しくは[[視聴率]]争いを参照)ものの1990年代にはその勢いを取り返した。その反面で一時期までは「[[ロンパールーム]]」や「[[カリキュラマシーン]]」などの教育番組にも取り組んだ。
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* アニメについても「[[ルパン三世]]」「[[それいけ!アンパンマン]]」や系列局[[読売テレビ]]制作の「[[名探偵コナン]]」「[[犬夜叉]]」などを放送。「[[スタジオジブリ]]」制作の映画作品にも加わるなど、[[アニメの歴史|アニメ史]]に煇く作品を輩出して来た。
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*バブル期にゴールデンタイムに帯情報番組「追跡」が導入された為、[[1988年]]から月曜夜7時台後半枠を除き、アニメは平日夕方5時台に新作の大半が移動した。しかし、平日夕方5時台はローカル枠だった為、日時差し替え放送か、当時の地方局は二局の地域が多かった為、四局の地域を含め未放送に終わった作品も少なくなかった。しかし、バブル崩壊後の不況でスポンサーが付かなくなったのと、地方局でも地元帯情報番組を導入する地域が増えた為、[[1995年]]には「[[それいけ!アンパンマン]]」以外は全て廃枠となり、その20年後の[[2016年]]にはそのアンパンマンも関東では平日午前中へ移動した為、完全に廃枠となった。以後、アニメはアンパンマンや読売テレビホスト局作品を除き、深夜枠やZIP!のショートアニメが中心となる。
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* しかし、前述のように2003年まで視聴率三冠王を達成してきた日本テレビも90年代の黄金期を築いた番組の視聴率が低下しはじめると、続々と人気番組の[[打ち切り]]を決定。名物長寿サスペンスドラマ番組「[[火曜サスペンス劇場]]」、同じくも52年間続いた長寿報道番組「[[NNNきょうの出来事]]」や、夕方の報道番組「[[NNNニュースプラス1]]」、20年間続いたお昼の生活情報番組「[[午後は○○おもいッきりテレビ]]」でも例外ではなく、また以前である[[2001年]]には、20年近く続いた平日午前の「[[ズームイン!!朝!]]」「[[ルックルックこんにちは]]」を終了させたこともある。結果、ここ数年で日テレのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。しかし打ち切られた後の枠の番組は必ずしも順調とは言えず、苦戦を強いられている番組もあれば、他の[[裏番組]]と互角な争いを繰り広げ、人気を得ている番組もあるため、番組の好不調の波が激しいことも言えよう。しかし、そして同時期から開局当時からの「ドル箱番組」だった巨人戦の視聴率が低迷し、ついに2006年には年間平均視聴率が1桁を記録するようになる。これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日テレは大きなダメージを受け、現在では縮小傾向にあるものの早々に巨人戦中継の縮小に方向転換したフジテレビと対照的に視聴率で大きく水を開けられる結果となっていた。これらのことから、日本テレビはほぼ第二次・[[視聴率争い#日本テレビの冬の時代|日本テレビ冬の時代]]状態となっていたが、昨今は後述のように視聴率が大幅に好転している。
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[[ワイドショー]]・[[情報番組]]が多く制作されており、[[ノンプライム]]帯に占める生放送の割合が高い。2014年現在、月曜日 - 木曜日は午前4時から午後7時まで生放送番組が連なっている(一部のミニ番組を除く)。この分野を得意としている日本テレビは[[ゴールデンタイム]]・[[プライムタイム]]・[[全日]]に加え、[[ノンプライム]]も視聴率の1つの区分として重要視している。
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バラエティ番組では1960年代から1970年代に掛けて『[[光子の窓]]』、『[[シャボン玉ホリデー]]』、『[[巨泉×前武ゲバゲバ90分!|ゲバゲバ90分]]』などの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率も低迷したものの1990年代にはその勢いを取り戻した。その反面で一時期までは『[[ロンパールーム]]』や『[[カリキュラマシーン]]』などの教育番組にも取り組んだ。
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他局と比較してゴールデンタイム・プライムタイムで放送されているバラエティ番組の本数が非常に多い。そのため、一部のバラエティ番組は情報エンターテインメント局で制作されている。
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アニメについては『[[ルパン三世]]』、『[[それいけ!アンパンマン]]』や[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作の『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』などを放送。[[スタジオジブリ]]制作の映画作品にも加わるなど、[[アニメの歴史|アニメ史]]に残る作品を輩出して来た。
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番組の開始時間を00分の定時ではなく、55分や57分などのいわゆる[[フライングスタート (放送)|フライングスタート]]をキー局でいち早く導入した局であり<ref>[[1993年]]開始の『[[ザ・ワイド]]』('''日本テレビ'''・よみうりテレビ共同制作、2004年度より'''よみうりテレビ(→読売テレビ)'''・日本テレビ共同制作)が始まりである</ref>、現在では他局でも多用されているが、[[2008年]]10月から[[2011年]]6月までは[[テレビ東京]]と同じように、月 - 金曜日の21時枠の番組を20:54開始に統一するという思い切った編成も行っていた<ref>基本的に20時54分頃は地方局ごとの[[ミニ番組]]が放送されることが多い為、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]と[[中京テレビ放送|中京テレビ]]以外の系列局は基本的に21時開始となっていた。そのため、系列局への配慮として20:54からは放送内容の告知を中心とした『[[番宣番組|まもなく!○○]]』と言う名称のミニ番組扱いとなり、実質的には21時から番組本編に入っていた。ただし、特別番組の多い改編期には20:54から番組本編が始まる事もあった<!--特番が多い改編期は番組の終了時間が一定しない事から、改編期でも時間が一定している深夜ニュースや深夜番組との間にミニ番組を入れる事が多い。また、クロスネット局では1時間ごとに放送番組のキー局が異なる場合があるが、特番の場合はどちらかのキー局に固定される為に時間をあわせやすいと言う点もある-->。</ref>。
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[[韓流]]ごり押しに関してはフジテレビやTBS、さらにはテレビ朝日を既に上回っているが、これらの放送局よりも批判は少なく及び腰である。小癪にも2014年の平均視聴率はこれらのテレビ局を大きく上回り四冠王を獲得している。
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==== ドラマ ====
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1970 - 90年代初頭にかけ、当時のプロデューサー[[岡田晋吉]]を中心に『[[太陽にほえろ!]]』、『[[大都会 闘いの日々|大都会]]シリーズ』、『[[俺たちの勲章]]』、『[[われら青春]]』、『[[俺たちの旅]]』といった刑事アクションや青春ドラマを量産。一時代を築くと共に、[[松田優作]]、[[中村雅俊]]、[[柴田恭兵]]ら多数のスターを発掘した。また、[[水谷豊]]主演による『[[熱中時代]]』、『[[事件記者チャボ!]]』などのスタジオドラマも高視聴率を記録している。
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2010年10月現在、[[プライムタイム]]で放送されている全国ネットの連続ドラマ枠は『[[水曜ドラマ (日本テレビ)|水曜ドラマ]]』・『[[土曜ドラマ (日本テレビ)|土曜ドラマ]]』の2本。これは他局に比べて少ないが、『[[家なき子 (1994年のテレビドラマ)|家なき子]]』や『[[金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)|金田一少年の事件簿]]』『[[ごくせん (テレビドラマ)|ごくせん]]』『[[家政婦のミタ]]』など国民的な人気を得るドラマも少なくない。『水曜ドラマ』は女性層、『土曜ドラマ』はファミリー層を意識した作品を放送している。日本テレビの主なテレビドラマの初回延長は原則15分である。
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=== 日テレ名物の番組のテコ入れ ===
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*日本テレビの番組の特徴として、大規模なてこ入れが多いことがあげられる。
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** 例えば「[[伊東家の食卓]]」は生活に役立つ「裏ワザ」を紹介する内容にしてから視聴率が上向き、「[[エンタの神様]]」は歌やマジックなどを取り入れた総合エンターテインメント番組からお笑いに特化した番組に変化することで視聴率が上昇。いずれの番組も開始から数ヶ月は不振だったものの新機軸を入れることにより視聴率が上向いた成功例として知られる。
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** しかし、てこ入れによってかえって視聴率を低下させることもしばしばで、例えば「[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]]」では、「[[ウリナリ芸能人社交ダンス部]]SP」や「[[ポケットビスケッツ]]」等の企画が好評を博したが(「~社交ダンス部」のコンセプトはその後「[[シャル・ウィ・ダンス? (テレビ番組)|シャル・ウィ・ダンス?~オールスター社交ダンス選手権~]]」に受け継がれる)、人気が低迷し'''「レギュラー陣入れ替え」'''をしたものの振るわず終了。また、人気番組だった「[[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]]」も、初代司会者[[逸見政孝]]の[[悪性腫瘍|ガン]]闘病による降板後番組名と内容変更を繰り返し番組コンセプトを見失ってしまい低迷し終了してしまった。
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* 他のキー局に比べ、系列局([[NNS]])が全国ネットの番組を制作する機会が多い。<br>
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**2007年現在、'''よみうりテレビ'''が「[[今夜はシャンパリーノ]]」(月曜21:00)、「[[ニッポン旅×旅ショー]]」(木曜21:00)、「[[ダウンタウンDX]]」(同22:00)、土曜8:00からの「[[ウェークアップ!ぷらす]]」(一部地域を除く)を制作。'''[[中京テレビ]]'''はかつての「[[サルヂエ]]」のような全国ネット番組はないが、「[[スーパーチャンプル]]」・「[[いただきマッスル!]]」を制作している。
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**かつては深夜のバラエティー枠「[[ZZZ]]」を系列局に開放し、'''[[札幌テレビ]]'''(「[[爆笑問題のススメ]]」など)、'''[[山口放送]]'''(「[[三宅裕司のドシロウト]]」など)、[[テレビ岩手]]、[[広島テレビ]]、[[福岡放送]]が制作に参加した。<br>
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*連続ドラマ枠は他局に比べて少ないが、高視聴率を記録するドラマも少なくない。
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* 他局では特別企画を除きテレビドラマの初回延長が20分以上という例はあまりないが、近年の日本テレビの主なテレビドラマの初回延長は全て20分である。
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== [[沖縄県]]に日本テレビ系列局が存在しない理由 ==
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[[1989年]]に設立され、日本テレビ系列の[[南西放送]]を開局する予定だったが、民放テレビ第3、4局の周波数が割り当てられていたこともあり、[[琉球朝日放送]]([[テレビ朝日]]系列)とともに1995年秋の同時開局が有力視されていた。ところが、日本テレビの沖縄進出凍結に伴って計画は頓挫し、1999年には沖縄県の民放テレビ第4局用の周波数割当そのものが取り消された。
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現在は日本テレビで放送されている番組の一部は[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]](主に「[[火曜ドラマゴールド]]」(旧「[[DRAMA COMPLEX|ドラマ・コンプレックス]]」、「[[火曜サスペンス劇場|土曜サスペンス劇場]]」)」「[[土曜ドラマ (日本テレビ)|NTV土曜ドラマ]]」などの番組提供付きの番組などを放送)と[[琉球放送]]([[東京放送|TBS]]系列、一時期は「[[木曜スペシャル]]」を同時ネットしていたが、現在は主に夕方枠・深夜枠でローカル扱いの番組で放送)で放送されている。また[[CS★日テレ]]で日本テレビの番組を沖縄でも見ることができたが、2000年9月の放送終了に伴い、ほとんどの日本テレビの番組がリアルタイムで見られなくなってしまった。
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== イベント ==
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<!--日テレのイベントはまだ開催される予定があります。以下に追加してください。-->
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* [[日テレジャンボリー]](2004年7月24日~8月31日、「GO!SHIODOMEジャンボリー ウンチャカ♪」2005年7月24日~8月31日、「GO!SHIODOMEジャンボリー2006 "熱ッ!!"~Be TARO」2006年7月15日~8月31日、汐留・日テレプラザ周辺で開催)
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*: 期間中、『[[伊東家の食卓|伊東家]]ラリー』や『[[エンタの神様]]ライブ』など数々のイベントが開催され、来場者を魅了した。
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<!-- 日本テレビではトップページ以外のリンクを禁止しています。-->
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* 世界縁起のいいもの博覧会(2004年12月26日~2005年1月6日)
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*: [[ごくせん (テレビドラマ)|ごくせん]]神社、移動屋台が展示された。
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* 春の日テレ祭 おフランスざ~んす!(2005年3月19日~4月3日)
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*: スピードガンチャレンジや[[瑠璃の島|瑠璃のいえ]]、[[歌スタ!!]]の公開オーディションなどのイベントが開催された。
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* SHIODOME 黄金週間ざ~んす!(2005年4月29日~5月8日、汐留・日本テレビ本社)
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** [[中井正広のブラックバラエティ#あ・石九博|あ・石九博]]、汐留[[名探偵コナン|コナン]]ラリーなどのイベントが開催された。
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* ハウルの動く城 大サーカス展(2005年4月27日~8月21日、[[東京都現代美術館]])
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* [http://www.shiodome.net/event/2005xmas/ GO!SHIODOME X'mas](2004年12月9日~12月25日、2005年12月10日~12月25日、汐留・日本テレビ本社)
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== 情報カメラ設置ポイント ==
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●…[[ハイビジョン]]カメラ
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'''現在'''
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* '''[[東京都]] '''
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**[[汐留]](本社屋上鉄塔)●
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**[[麹町]]([[日本テレビ放送網麹町分室|麹町分室]]屋上鉄塔)●
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**[[東京国際空港|羽田空港]]第1ターミナル・第2ターミナル●
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**[[築地]]([[聖路加ガーデン]])
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**[[丸の内]](三井ビル)
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**[[東京駅]]([[東京国際フォーラム]]、以前はその隣にある[[東京ビルディング|東京ビル]]旧建物〔現:[[TOKIA|東京ビルTOKIA]]〕に設置)●
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**[[渋谷]]●
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**[[中央自動車道]][[八王子インターチェンジ|八王子IC]]付近(帰省・Uターンラッシュ時)
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**[[八丈島]](台風接近時)
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**[[上野恩賜公園]]・[[不忍池]](春季限定)
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* '''[[神奈川県]]'''
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**[[横浜市]](ザ・ヨコハマノボテル〔旧ザ・ホテルヨコハマ〕、しばらくの間設置を中断していたが2007年7月に再開)●
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**[[藤沢市]]・[[江の島]](江の島ビュータワー)●
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**[[小田原市]]
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* '''[[千葉県]] '''
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**[[成田国際空港]]
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** [[鴨川シーワールド]](夏季限定)●
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*'''[[群馬県]]'''
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**[[草津国際スキー場]](冬季限定)
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* '''[[沖縄県]]'''
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**[[那覇空港]](台風接近時)
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'''過去に設置'''
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*[[東京湾アクアライン]]([[海ほたるパーキングエリア]])、[[大磯ロングビーチ]]([[プリンスホテル|大磯プリンスホテル]]屋上、夏季限定)など
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== スタジオ ==
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=== 汐留・日本テレビタワー(愛称:日テレタワー) ===
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[[Image:ShiodomeB.JPG|thumb|240px|東京・汐留にある日本テレビタワー]]
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[[画像:Nittele tower Shiodome 2007-3.jpg|thumb|240px|日本テレビタワー]]
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[[画像:NTV_Zero_Studio_2007-1.jpg|thumb|240px|ゼロスタジオ]]
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[[画像:日テレ大時計 2007-01.gif|240px|right|thumb|マイスタジオ・日テレ大時計]]
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世界的[[建築家]][[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]が基本構想を手掛けた。建物外部四隅に柱を露出させた理由は、容積率緩和措置を受けるため。その他、地上2階の受付前フロアを自由通路とすることによっても容積率緩和措置を受けている。
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なお、日本テレビタワーの19階から24階は一般のテナントビルとして賃貸しており、19階は日テレグループ各社や海外テレビ局の東京支局、20階から24階には一般企業が入居している。
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建設前の敷地では、[[進め!電波少年]]、[[雷波少年]]における長期ロケ企画のロケ地として使用されていた。<br>また、麹町からの移転直前には、[[ぐるぐるナインティナイン|ぐるナイ]]の“ゴチになります”オープニングとスペシャル料理の選択権を決めるゲームも行われた。
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; [[メディアセンター]]
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: 汐留・日テレタワー7階にある放送の運行・送出を行うマスターコントロールルーム。日本テレビの放送を支える中枢を担うセクション。関東一円と全国のネットワーク各局、またBS日本・CS日本へも毎日の番組を送り出している。送出VTR・番組サーバ・CMバンク・データ放送・文字字幕放送の送出設備を擁し運行・送出を行っている。
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: また、OAデータ・APS(Automatic Programing System)の運行データ作成・変更を行う「放送進行」もキー局としての重要なセクションである。
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; [[回線センター]](SDC・SOC・回線ブッキング)
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: 生中継に欠かせない自営マイクロ回線(マイクロ基地局)の運用・保守、及び局内回線分配系の運用・保守、SNGの管制・運用・保守を行うセクション。自営マイクロ回線の運用を行う「SDC」、SNG回線の管制・運用を行う「SOC」またNTTマイクロ回線の運用を行う「回線ブッキング」の3つに運用セクションが分かれている。
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; [[S1・S2スタジオ]](211坪・138坪)
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: 汐留・日テレタワー13階にあるバラエティ・情報番組の収録・生放送対応スタジオ。「[[踊る!さんま御殿!!]]」、「[[エンタの神様]]」、「[[THE・サンデー|ザ・サンデー]]」、「[[真相報道 バンキシャ!]]」などで使われる。なお「[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」や、「[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]」など不定期の大型番組の親サブとしても使用される。スタジオ入り口のドアの色は、S1スタジオが赤、S2スタジオが黄
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; [[S3・S4スタジオ]](148坪・148坪)
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: 汐留・日テレタワー9階にある生放送対応スタジオ。生放送対応を前提としているため、HD収録機がS1・S2の様に常設されていない。「[[ズームイン!!SUPER]](第1部)」、「[[NNNニュースSUPER]]」、「[[スッキリ!!]]」、「[[ザ・ワイド]]」、「[[午後は○○おもいッきりテレビ|おもいッきりテレビ]]」、「[[NEWS ZERO]]」、「[[スポーツうるぐす]]」などで使われる。スタジオ入り口のドアの色は、S3スタジオが青、S4スタジオが緑
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; [[NEWSスタジオ]](130坪)
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: 汐留・日テレタワー5階・報道フロアにある報道番組専用スタジオ。主に地上波報道番組で使用されている。なお5階報道フロアには[[日テレNEWS24]](旧NNN24)専用のミニスタジオや、常設の顔出しスペースや、各記者のデスクから直接最新情報が放送できる天井移動カメラも設置されており、ある意味報道フロア自体が巨大なニューススタジオとも言える。「[[NNNニュースダッシュ|NNNニュースD]]」、「[[NNNニュース]]」は報道フロアからで「[[NNN Newsリアルタイム]]」は第一部が報道フロアからで第二部が専用スタジオからとなっている。
 +
; [[マイスタジオ]](92坪)
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: 汐留・日テレタワー2階にあるオープンスタジオ。俗に「マイ・スタ」と呼ばれ、「[[ズームイン!!SUPER]](第2部)」、「[[ズームイン!!サタデー]]」、「[[NNNニュースサタデー]]」、「[[報道特捜プロジェクト]]」などで使われる。構造的には通常のスタジオの副調整室の後方にモニター類を見渡せる形でMCブースが設置されており、番組司会者は中継回線等の状況を把握し易く緊急事態等に素早く対応できる事から、情報系生番組用としてはある意味完成されたスタジオとも言える。なおMCブースの背後はガラス張りで外部から放送の様子を見ることが可能。なお。現在のマイスタは以前の麹町にあったものに続いて2代目である。
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; [[ゼロスタジオ]](22坪)
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: 汐留・日テレタワー1階レベルにあるオープンスタジオ。専用のサブや常設カメラはない(社内にあるどのサブからも駆動できるが、マイスタを駆動サブとすることが多いようである)。「[[ラジかるッ]]」で使用。[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]の放送にも使用される事がある。
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; [[SKY1・SKY2スタジオ]](35坪?)
 +
: 汐留・日テレタワー15階にある、ガラス張りのオープンスタジオ(パノラマスタジオとも呼べる)。「[[イブニングプレス Donna|donna]]」、「[[アンテナ22]]」、「スーパースポーツマガジン」(BS日テレ)などで使われる。
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; [[SVスタジオ]](71坪)
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: 汐留・日テレタワー13階にある[[ヴァーチャルスタジオ|バーチャルスタジオ]]。[[ブルーバック|ブルーバック(日テレはグリーンを使用)]]のホリゾントが常設され、「[[あさ天サタデー]]」などで使われているが、中規模のスタジオとして普通にセットが組まれ番組を収録する事も多々ある。
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; リモートサブ(1, 2)
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: 汐留・日テレタワー8階には、副調整室(サブ)だけの「リモートサブ」というのがある。主にプロ野球中継、サッカー中継などスポーツ中継で使用している。
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※すべてハイビジョン対応
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=== [[日本テレビ放送網麹町分室|麹町分室]] ===
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[[Image:Nippon Television Network (former head office).jpg|thumb|right|200px|麹町分室]]
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汐留・日テレタワーに本社が移転された後も、旧本社社屋は麹町分室として北本館にある2つのスタジオに限り、引き続き使用している。日テレで最大面積を誇るGスタジオがあることから、主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている。また制作部門の一部デスクは分室に留まっている。なお麹町分室は「日テレ麹町ビル」としてリニューアルし、旧西本館が一般テナントビルとして使用されている。また、BS日テレ・CS日本の本社と送出マスターもここにある。
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麹町分室は「西本館」「南本館」「北本館」「カラーセンター」の4棟から成り立っており、カラーテレビ放送開始に伴い建設された「カラーセンター」が後に新築された南本館と合体化された。しかし旧「カラーセンター」棟は老朽化が激しく、本社移転を契機として使用を中止した。
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; Kスタジオ(180坪)
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: 麹町分室北本館5階のスタジオ。主に観客入れを必要とするバラエティ・トーク番組や歌番組の歌唱部分の収録に使用されている。スタジオ入り口のドアの色は、青
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; Gスタジオ(250坪)
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: 麹町分室北本館1階のスタジオ(収録兼用)。日本テレビにてフロア面積最大のスタジオ。汐留移転前は、ゴールデンタイムで放送されているスタジオ番組の多くが生放送・収録された。2006年現在でも、「[[行列のできる法律相談所]]」や「[[世界まる見え!テレビ特捜部]]」、「[[天才!志村どうぶつ園]]」、「[[伊東家の食卓]]」、「[[ザ!世界仰天ニュース]]」、「[[中井正広のブラックバラエティ]]」などが制作されている。スタジオ入り口のドアの色は、赤
 +
: ※K・Gスタジオ共にHDTV対応。
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; 麹町日テレビデオスタジオ(75)
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: 報道番組で使用されてきた南本館4階のEスタジオを[[日本テレビビデオ]]が改装し、貸しスタジオとしてリニューアルしている。
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===新社屋・旧社屋の扱いについて===
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2004年に日本テレビの本社機能はデジタル放送に対応するため、開局以来本社を置いていた千代田区二番町(通称:麹町)から港区東新橋(通称:汐留)に移転した。
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しかし、移転後に本社機能・テレビ収録を全て旧社屋から新社屋にシフトしたTBSやフジテレビとは違い、日本テレビは麹町社屋がさほど老朽化していない事や、新社屋の敷地面積が他の在京民放の社屋より狭いことなどから、本社機能と報道・情報番組制作、一部のバラエティー番組制作のみが『日テレタワー』にシフトし、バラエティー番組の大半が汐留に本社を移した現在も『麹町分室』で制作されている。
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これらを踏まえると、新社屋『'''日テレタワー'''』は地上波放送の番組送出や報道・情報系の制作・送出に主点を置いた施設で(一部のバラエティー番組も収録・放送はしている)、旧社屋『'''麹町分室'''』はバラエティー番組の収録・生放送、BS・CS放送の番組送出に主点を置いているともいえよう(アークヒルズに本社を移転していた当時のテレビ朝日に近い。この事例は大阪の[[毎日放送]]でもあった)。
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ちなみに『'''麹町分室'''』で制作された番組は『'''日テレタワー'''』(汐留社屋)に光ファイバーでHD/SD転送されてローカルマスターを経由して日本テレビの親局である東京タワーから送出し放送されたり、ネットマスターを経由して全国の系列局に送出される。逆に『日テレタワー』で制作したBS・CSの番組は『麹町分室』に光ファイバー転送されてそれぞれのマスターを経由して放送される。
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=== [[生田スタジオ]] ===
 +
* [[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]]
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生田1から生田3まで3つのスタジオがあり、主に[[ドラマ]]の収録を行っている。すべてハイビジョン対応。
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災害時の送出機能も備えている。スタジオの管理・運営は[[NTV映像センター]]が行っている。
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== 報道局 ==
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報道局は、政治部・経済部・社会部・外報部・映像取材部・ニュース編集部・報道番組部・ニュース制作部の8部署からなり、汐留・日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている(報道フロア 340坪)。海外の放送局を模しレールカメラを配置した報道フロアをはじめ、パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している。CS放送・日テレNEWS24(旧NNN24)のスタジオもここにある。この報道局内設備もすべてハイビジョンに対応している。ニュース映像素材は最近ではハイビジョンカメラによる取材や現場からの中継も行っている(他にハイビジョンカメラによるニュース取材は[[日本放送協会|NHK]]、[[東京放送|TBSテレビ]]、[[日本テレビ系列]]の[[青森放送]](RAB)・[[テレビ岩手]](TVI)・[[秋田放送]](ABS)・[[宮城テレビ放送]](MMT)(※中継時のみ)・[[静岡第一テレビ]](SDT)・[[北日本放送]](KNB)・[[テレビ金沢]](KTK)・[[福井放送]](FBC)・[[讀賣テレビ放送|読売テレビ放送]](YTV)・[[四国放送]](JRT)・[[広島テレビ放送]](HTV)・[[山口放送]](KRY)(※中継時のみ)・[[南海放送]](RNB)・[[高知放送]](RKC)(※中継時のみ)・[[福岡放送]](FBS)、ごく僅かながら[[テレビ朝日]]や[[フジテレビジョン|フジテレビ]]などでも行われている。他の地方民放局の[[ハイビジョンカメラ]]で取材された映像もHD素材回線が地方局に常設されれば、日テレ制作報道番組での利用が可能となる)。
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報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ、[[副調整室|サブ]]は3つある。主にNEWS1サブでは地上波、NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される。この他に素材収録用の簡易サブもある。
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ニュース映像の[[収録]]・[[編集]]は4階の[[CVセンター (日本テレビ)|CVセンター]]、[[スーパー (映像編集)|テロップ]]・[[コンピュータグラフィックス|CG]]などの制作は4階の[[テロップセンター (日本テレビ)|テロップセンター]]で行われている。
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地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを「NNN」と併記して表示する(連名で表示する場合もある)。重大な事件・大規模な事故・災害の取材の際、地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や、高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は「NNN取材団」と表示する。この表示は地上波放送各種ニュース番組・日テレNEWS24ともにおこなわれている。
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<!--基本的にNNN系列はニュースの冒頭に真ん中に赤い線が出てその上に『事故現場』などが表示され、下に取材現場の地名を表示する。但し日本テレビと同じようにしている系列局(南海放送等)もあれば、広島テレビみたいに表示テロップの線が青になってたり、札幌テレビは画面左端(デジタル放送では若干左寄り)に縦の青い線が表示され横に取材場所が表示されるなど、FNNやANN等のように統一はされていない。またテロップのフォントは系列局で違っている。尚テレビ大分と、テレビ宮崎はFNNにも加盟しているため、FNN標準フォントとなっている(テレビ大分はFNNの部分をTOSに差し替えている)。その様な場合は日テレ側でNNN標準テロップや日テレNEWS24用テロップ(記者の名前表示のみ)に差し替えする場合がある。…NNNは他系列のように、加盟各局へテロップレイアウトの統一を行っておらず、加盟各局の独自判断に任されている。従って、内容には現実との乖離があるため、一旦コメントアウト。簡潔明瞭に、事実を客観的に捉えた形での再編集をお願いします。-->
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NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う「ニュースチャンネル」が6Fにある。
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ニュース配信を行う送出設備の他VTR編集室・カメラ1台の顔出し設備がある。
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番組については、[[日本テレビ・報道局制作番組の分野別一覧|一覧]]を参照。
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== 制作局 ==
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2006年に発足した部署。従来の編成本部が制作局と名称を変え、その中の部署も一新された。実質、その編成本部の前の編成局が復活したようなもの。新しい部署として、「ドラマ制作部」、「CP班グループ」、「業務部」が作られた。また、新たに「スポーツ・情報局」が発足し、スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ・情報局の担当となった。
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{{see also|日本テレビ・制作局制作番組の分野別一覧}}
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具体的に制作されている番組の種類は次の通り。
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* [[バラエティ番組]] - [[笑点]]、[[世界まる見え!テレビ特捜部]]、[[ザ!鉄腕!DASH!!]]、[[エンタの神様]]など
 +
* [[クイズ番組]] - [[全国高等学校クイズ選手権]]、[[ロンQ!ハイランド]]など
 +
* [[音楽番組]] - [[音楽戦士 MUSIC FIGHTER]]、[[1億3000万人が選ぶ!ベストアーティスト]]など
 +
* [[料理番組]] - [[キユーピー3分クッキング]]など
 +
* [[テレビドラマ|ドラマ]] - [[探偵学園Q]]、[[ホタルノヒカリ]]、[[受験の神様]]など
 +
* [[テレビアニメ|アニメ]] - [[それいけ!アンパンマン]]など
 +
* [[ミニ番組]]
 +
* [[読売新聞]]制作番組
 +
* [[特別番組|スペシャル番組]] - [[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]、[[はじめてのおつかい (テレビ番組)|はじめてのおつかい]]、[[モクスペ]]など(一部「スポーツ・情報局」の制作となる場合がある。)
 +
* 地方局制作番組 - [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、[[中京テレビ放送]]、[[福岡放送]]、[[札幌テレビ放送]]、[[山口放送]](現在は放送していない)などといった系列局制作の番組を一部放送している。
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== スポーツ・情報局 ==
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制作局と共に2006年に発足した部署。従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった。その中の部署は「スポーツセンター」と「情報センター」に分かれ、情報センターには「CP班グループ」、スポーツセンターには「CP班グループ」と「スポーツ企画推進部」がそれぞれ作られた。具体的な制作番組については[[日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧]]も参照のこと。
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具体的な制作番組は以下の通り。
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* [[情報番組]] - [[ズームイン!!SUPER]]、[[スッキリ!!]]、[[午後は○○おもいッきりテレビ]]、[[ザ・ワイド]]など
 +
* [[スポーツ番組]] - [[PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球]]、[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]、[[プロレスリング・ノア中継]]、[[スポーツうるぐす]]など
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* その他スポーツ、情報番組のスペシャル番組。
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==オープニング・クロージング==
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===アナログ放送===
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*鳩の休日(開局 - 2001年9月・2008年4月 - 2011年7月24日)
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**初代はモノクロで放送用の周波数も表示していた。アナウンスは男性、女性の2バージョンあり。
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**2代目はカラー。
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**3代目は音声多重放送に対応したものに変更。映像は2代目と同じ。
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**4代目はCGアレンジ(開局55周年に関連しての復活、2009年3月よりロゴを変更した現行のものに変更)。
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**2011年7月24日のアナログ放送終了時には、2代目のカラー・モノラル版で、最後の画面に「58年間ありがとうございました」の文字が入ったものが流され、停波となった。
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*:ナレーション:2代目・[[結城雅子]]といわれているが未詳、3代目・[[青尾幸]](音声多重放送のアナウンスも担当)、4代目・[[藤井貴彦]]
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*:BGM作曲:[[深井史郎]]
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*NNN24ジャンクション(2000年1月17日 - 2001年9月)
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*:ナレーション:平川健太郎
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*クロージング(2000年1月 - 2001年9月)(※ナレーションなし)
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*日テレブランド?バージョン(2001年10月 - 2003年6月)
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*:ナレーション:井田由美(現在は報道局所属)
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*日テレバージョン(2003年7月 - 2008年3月)
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*:ナレーション:井田由美
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===デジタル放送===
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*新社屋静止画バージョン(2003年12月 - 2008年3月)
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*:映像に動きは無く、BGMも無い。また、「JOAX-DTV、ご覧のチャンネルは、日本テレビデジタルテレビジョンです。」と2回繰り返しアナウンスされる。
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*鳩の休日(2008年4月 - 2013年12月)
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*:ナレーション:藤井貴彦
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*「見たい、が世界を変えていく。」バージョン(2014年1月 - )
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*:新社屋静止画バージョンとは異なり、局名告知アナウンスは1回のみ。『news every.』『NEWS ZERO』『真相報道 バンキシャ!』等の番宣も兼ねる。
 +
 
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== 歴代キャッチフレーズ ==
 +
* 1.2.3(ワン・ツー・スリー)!4(ヨン)チャンネルで楽しさ満開(1982年4月)
 +
* 読んでみる。4でみる。(1982年10月)
 +
* おもしろまじめに4チャンネル(1983年2月~1985年6月、[[小林完吾]]・[[徳光和夫]])
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* [[活火山]]です。4チャンネル(1985年7月~1986年2月、[[三宅裕司]])
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* 元気が大好き4チャンネル(1986年2月~4月)
 +
* わたしの好奇心4チャンネル(1987年4月~9月)
 +
* この春、プラス1(1988年4月)
 +
* ロマンリッチ4チャンネル(1988年10月~1989年9月)
 +
* 土、迫力。4チャンネル(1989年10月)
 +
* [[円周率|3.14]]倍(当社比)の春です。(1990年3月、[[中畑清]])
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* 一秒ごとに、新製品です。(1990年4月)
 +
* ハートフルコミュニケーション。(1990年10月~1992年8月)
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* みんなのなかに、私はいます。(1992年8月~1993年12月、同時にマスコットキャラクター「[[なんだろう]]」が登場・なお、「みんなの中に~」は、[[青森放送]]でもOPの局名告知後に流れていた。)
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* [[処女|Virgin]]から始めよう。(1994年1月~1995年3月)
 +
* それって、日テレ。(1995年4月~1996年3月)
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* そんなあなたも、日テレちゃん。(1996年8月~1997年7月)
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* 日テレちゃんパワー(1997年8月~12月)
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* 日テレ営業中(1998年1月~1999年8月)
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* 日テレ式(1999年9月~2001年3月・余談だが、この「日テレ式」は、1999年9月9日から放送されたが、当初は数字の語呂合わせで[[ナインティナイン|ナイナイ]]が言っていた。)
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* 日テレブランド?(2001年4月~2003年6月)
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* 日テレ(2003年7月~2004年1月、新[[コーポレートアイデンティティ|CI]]導入に伴い)
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* &amp;日テレ(2004年2月~2006年3月)、なお「&amp;日テレ」は、BS日テレやCS日本を通じ全国でも見られる。)(例、○○○(番組名)も&amp;日テレ)
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* 放送の情報だけ、番組のカタチがある「日テレ」(2006年4月~2006年9月)
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* 日テレちん(2006年10月~・なお、「日テレちん」は、[[BS日本|BS日テレ]]でも視聴出来る。)
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== 日本テレビの番組から誕生したユニット(歌手) ==
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([[スター誕生!]]出身者は除く)
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* [[DORA]]
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* [[BORA]]
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* [[ポケットビスケッツ]]
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* [[ブラックビスケッツ]]
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* [[メロン組]]
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* [[修二と彰]]
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== アナウンサー ==
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{{ana}}
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=== 男性 ===
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* [[青木源太]](2006年)
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* [[蛯原哲]](1997年)
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* [[河村亮]](1991年)
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* [[上重聡]](2003年)
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* [[新谷保志]](1999年)
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* [[菅谷大介]](1997年)
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* [[鈴木健 (アナウンサー)|鈴木健]](1990年)
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* [[鈴木崇司]](1998年)
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* [[高橋雄一 (日本テレビ)|高橋雄一]](1999年)
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* [[田中毅]](2002年)
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* [[田辺研一郎]](2000年)
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* [[寺島淳司]](1996年)
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* [[鳥羽博剛]](2005年)
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* [[中野謙吾]](2004年)
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* [[羽鳥慎一]](1994年)
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* [[平川健太郎]](1992年)
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* [[藤井貴彦]](1994年)
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* [[藤井恒久]](1993年)
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* [[藤田大介]](2005年)
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* [[桝太一]](2006年)
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* [[町田浩徳]](1998年)
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* [[右松健太]](2003年)
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* [[村山喜彦]](1988年)
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* [[森圭介]](2001年)
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* [[矢島学]](1995年)
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=== 女性 ===
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* [[阿部哲子]](2001年)
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* [[古閑陽子]](2005年)
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* [[斉藤まりあ]](2000年)
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* [[佐藤良子]](2002年)
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* [[杉上佐智枝]](2001年)
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* [[鈴江奈々]](2003年)
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* [[脊山麻理子]](2004年)
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* [[鷹西美佳]](1985年)
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* [[豊田順子]](1990年)
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* [[夏目三久]](2007年)
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* [[西尾由佳理]](2001年)
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* [[延友陽子]](1998年)
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* [[馬場典子]](1997年)
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* [[葉山エレーヌ]](2006年)
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* [[古市幸子]](1996年)
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* [[松尾英里子]](2006年)
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* [[松本志のぶ]](1992年)
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* [[宮崎宣子]](2002年)
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* [[森富美]](1996年)
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* [[森麻季_(アナウンサー)|森麻季]](2003年)
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* [[山下美穂子]](2000年)
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* [[山本舞衣子]](2002年)
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* [[山本真純]](1999年)
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== 元アナウンサー ==
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この局の特徴として、アナウンサーを放送とは直接関係ない別部署に異動させる事が多々ある。
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そのため、このリストの中には現役の日テレ社員が多数いる。
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=== 現・報道局キャスター ===
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ここでは報道局でニュースを担当するキャスター(元アナウンサー)を挙げる。
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; 男性
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* [[金子茂]]
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* [[後藤俊哉]](報道局外報部所属)
 +
; 女性
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* [[井田由美]]
 +
* [[笛吹雅子]]
 +
* [[町亞聖]](報道局社会部所属)
 +
 
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=== 異動した元アナウンサー ===
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; 男性
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* [[芦沢俊美]](アナウンス部教育担当部長)
 +
* [[今井伊佐男]](ネットワーク室番組販売部長)
 +
* [[炭谷宗佑]](総務局総務部所属)
 +
* [[多昌博志]](営業局営業推進部所属)
 +
* [[野口敦史]](報道局外報部→報道局政治部所属)
 +
* [[船越雅史]](コンプライアンス推進室所属)
 +
* [[舟津宜史]](関西支社名古屋支局)
 +
* [[保坂昌宏]](報道局所属)
 +
* [[舛方勝宏]](取締役専務執行役員兼[[シーエス日本]]代表取締役会長)
 +
* [[増田隆生]](報道局→出版部所属)
 +
* [[松永二三男]] (事業局ビジネス事業部所属)
 +
* [[望月浩平 (アナウンサー)|望月浩平]](スポーツ局所属)
 +
* [[山下末則]](元[[宮崎放送]]、[[アール・エフ・ラジオ日本]]に出向)
 +
* [[吉田填一郎]](経営戦略局グループ戦略局所属、[[アール・エフ・ラジオ日本]]に出向しスポーツアナウンサー兼編成局長)
 +
* [[若林健治]]([[中部日本放送]]より移籍、事業局所属)
 +
 
 +
; 女性
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* [[石川牧子]]([[日本テレビエンタープライズ]]常務取締役兼日テレ学院長、同学院アナウンサーコース講師)
 +
* [[大島典子]](スポーツ・情報局→報道局所属、元[[午後は○○おもいッきりテレビ]]プロデューサー)
 +
* [[荻原弘子]]
 +
* [[加藤明美 (アナウンサー)|加藤明美]]
 +
* [[河本香織]](広報局→編成局宣伝部所属)
 +
* [[木村優子]](報道局→広報局副部長)
 +
* [[山王丸和恵]](編成局編成センター編成部→コンテンツ事業局通販事業部所属)
 +
* [[角田久美子]](編成局マーケティング部所属)
 +
 
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=== 退社したアナウンサー ===
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; 男性
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* [[浅見源司郎]]
 +
* [[小川光明]](スポーツコメンテーター、フリーアナウンサー)
 +
* [[小倉淳]](フリーアナウンサー)
 +
* [[小山田春樹]]
 +
* [[越智正典]]
 +
* [[久保晴生]](国際局長→日本テレビアナウンスカレッジ学長→現・日テレ学院スーパーバイザー、同学院アナウンサーコース講師、[[久保純子]]の実父)
 +
* [[倉持隆夫]]([[読売新聞東京本社]]・金沢総局出向→定年退社。[[スペイン]]在住)
 +
* [[小林完吾]](←[[南日本放送]]、フリーアナウンサー)
 +
* [[小早川正昭]](フリーアナウンサー)
 +
* [[久能靖]](ジャーナリスト)
 +
* [[志生野温夫]](フリーアナウンサー、日テレ学院アナウンスコース講師)
 +
* [[清水一郎 (アナウンサー)|清水一郎]]
 +
* [[徳光和夫]](司会者)
 +
* [[長谷川憲司]]
 +
* [[原和男]]
 +
* [[日高直人]]
 +
* [[福留功男]](司会者 なお娘明日香は現在も日本テレビに在籍)
 +
* [[福澤朗]](司会者)
 +
* [[本多当一郎]](日テレ学院アナウンスコース講師)
 +
; 女性
 +
* [[阿井喬子]]
 +
* [[青尾幸]]
 +
* [[魚住りえ]](タレント)
 +
* [[大神いずみ]](タレント、[[元木大介]]夫人)
 +
* [[大杉君枝]](在籍中に死去、旧姓 : 鈴木)
 +
* [[小野寺麻衣]](フリーアナウンサー、[[高橋由伸]]夫人)
 +
* [[加藤淑子]]
 +
* [[河合彩]]
 +
* [[楠田枝里子]](タレント)
 +
* [[斉木かおり]](フリーアナウンサー)
 +
* [[柴田倫世]](タレント、[[松坂大輔]]夫人)
 +
* [[菅家ゆかり]]
 +
* [[関谷亜矢子]](スポーツジャーナリスト)
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* [[永井美奈子]](フリーアナウンサー)
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* [[深堀恵美子]]
 
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* [[田原節子|村上節子]]
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* [[薮本雅子]]([[随筆家|エッセイスト]])
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* [[米森麻美]](故人、フリーアナウンサー)
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== 日本テレビ制作スタッフ ==
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* [[日本テレビ制作スタッフ一覧]]を参照
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== 事業所 ==
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; 本社
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: 東京都港区東新橋1丁目6番1号 [[郵便番号]]:105-7444
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; 麹町分室(旧本社屋)
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: 東京都千代田区二番町14番地
 +
; 関西支社
 +
: 大阪市北区堂島2丁目2番2号 [[近畿日本鉄道|近鉄]]堂島ビル14階
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; 名古屋支局
 +
: 名古屋市中区錦3丁目23番31号 栄町ビル7階
 +
; [[日本テレビ那覇支局|那覇支局]]
 +
: 那覇市泉崎1丁目10番3号 [[琉球新報]]ビル内
 +
 
 +
== スタジオ技術系協力会社 ==
 +
* 株式会社[[ヌーベルバーグ (テレビ技術会社)|ヌーベルバーグ]]
 +
* 株式会社[[日放]]
 +
* 株式会社[[ジャパンテレビ|ジャパンテレビ]](通称: ジャパンさん)
 +
* ミジェット
 +
 
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== 主なグループ会社 ==
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系列放送局各社に関しては、「[[NNN]]」及び「[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]」の項目を参照せよ。<!-- ※ちなみにこのほか、[[テレビ新潟放送網]],[[熊本県民テレビ]],[[鹿児島読売テレビ]],[[中京テレビ放送]],[[札幌テレビ放送]],[[テレビ大分]],[[日本海テレビジョン放送]]等、NNN系列の放送業者(とりわけ、後発のテレビ専業の放送業者)へも出資している。 -->
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=== 連結子会社 ===
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* 株式会社[[日テレ・グループ・ホールディングス]](制作事業統括持株会社)
 +
** 株式会社[[日テレ・テクニカル・リソーシズ]](旧[[NTV映像センター]]・[[日本テレビビデオ]]、技術会社)
 +
** 株式会社[[日テレアックスオン]](旧日本テレビビデオ・NTV映像センター・[[日本テレビエンタープライズ]]、制作会社)
 +
** 株式会社[[日テレイベンツ]](旧日本テレビエンタープライズ、イベント会社)
 +
** 株式会社[[日本テレビアート]](美術会社)
 +
* 株式会社[[日本テレビ音楽]]
 +
* 株式会社[[バップ]]
 +
* NTV America Company
 +
* NTV International Corporation
 +
* 株式会社日本テレビフットボールクラブ ([[東京ヴェルディ1969]]、[[日テレ・ベレーザ]])
 +
 +
 
 +
=== 持分法適用関連会社 ===
 +
* 株式会社[[シーエス日本]]
 +
* 株式会社[[BS日本]]
 +
* 株式会社[[アール・エフ・ラジオ日本]]
 +
 +
 
 +
なお、国が許可した[[債権回収業]](サービサー)の[[ニッテレ債権回収]]株式会社とは何の関係もない。
 +
 
 +
== アナウンサー以外で在籍した著名人 ==
 +
=== 男性 ===
 +
* [[池田文雄]]
 +
* [[石原伸晃]](衆議院議員)
 +
* [[面高昌義]]
 +
* [[真山勇一]]
 +
* [[四宮康雅]]([[北海道テレビ放送]])
  
==[[ユアペディアの利用者]]として==
+
=== 女性 ===
Wikipediaを中心とした、自分を追放したコミュニティを逆恨みし、管理者の誹謗・中傷を中心とした記述を行っている。その素行は「負け犬の遠吠え」と高く評価されている。
+
* [[渡辺みどり]](ジャーナリスト、[[文化女子大学]]客員教授)
  
==加入プロバイダからの追放==
+
== 関連項目 ==
迷惑行為(コピペ絨毯爆撃による掲示板の可読性の破壊)の常習犯としてぷららから契約を解除されている。
+
{{Wikinews|Category:日本テレビ}}
 +
*[[老舗局]] - [[関東広域圏]]としての[[民間放送|民放]]テレビ第1局。全国でも民放テレビ第1局。
 +
* [[日本テレビ盃]]
 +
* [[どこスタ]]
 +
* [[SHIBUYA-AX]]
 +
* [[成田真由美]](コンプライアンス推進室所属)
 +
* [[CS★日テレ]]
 +
* [[第2日本テレビ]]
 +
* [[番組ch(NTV)板]]
 +
非マストバイ局
 +
* [[秋田放送]]
 +
* [[北日本放送]]
 +
* [[福井放送]](テレビ朝日とのクロスネット)
 +
* [[山梨放送]]
 +
* [[四国放送]]
 +
* [[高知放送]]
 +
* [[テレビ大分]](フジテレビとのクロスネット)
 +
その他
 +
* [[テレビ宮崎]](フジテレビ・テレビ朝日とのトリプルクロスネットだが、NNS非加盟局)
 +
*[[宮崎放送]](TBS系列 一部の番組を放送)
 +
* [[琉球放送]](TBS系列 一部の番組を放送)
 +
* [[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]](フジテレビ系列 一部の番組を放送)
  
==2ちゃんねる==
+
== 外部リンク ==
2ちゃんねるでは、'''野田犬'''の名で<s>蔑まれ</s>親しまれ、<s>バカにされている</s>尊敬されているようである。
+
*[http://www.ntv.co.jp/ 日テレ・ホームページ]
== 脚注 ==
+
{{NNN・NNS}}
<references />
+
{{Tv-kanto}}
==外部リンク==
+
{{DEFAULTSORT:にほんてれひほうそうもう}}
*[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/l50 野田憲太郎応援スレッド](2ちゃんねる)
+
[[Category:日本テレビ|*]]
{{Wikipedia/Ja|Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro}}
+
[[Category:日本のテレビ局]]
 +
[[Category:衛星役務利用放送事業者]]
 +
[[Category:東京都のマスメディア]]
 +
<!--[[Category:東京都の企業]](「東京都のマスメディア」にあるのでコメントアウト)-->
 +
[[Category:東証一部上場企業]]
 +
[[Category:読売グループ]]
 +
[[Category:日本テレビ系列|*0]]
 +
[[Category:東京ヴェルディ1969]]
 +
[[Category:箱根駅伝]]
 +
[[Category:関東地方の放送]]

2023年12月16日 (土) 17:26時点における最新版

日本テレビ.png
日本テレビタワー 汐留
日本テレビ放送網株式会社
Nippon Television Network Corporation
種類 株式会社
市場情報 東証1部 9404
1959年9月15日~上場中
略称 日本テレビ、日テレ、NTV
本社所在地  〒105-7444
東京都港区東新橋一丁目6番1号
電話番号 03-6215-1111(代表)
設立 1952年(昭和27年)10月28日
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送など
代表者 久保伸太郎(代表取締役 社長執行役員
資本金 185億7,500万円
売上高 連結:3,436億5,100万円
単独:2,886億3,600万円
2007年3月期)
総資産 連結:5,292億6,500万円
単独:4,588億4,500万円
(2007年3月期)
従業員数 連結:2,886人 単独:1,083人
(2007年3月末日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)読売新聞グループ本社 14.84%
讀賣テレビ放送(株) 6.20%
(株)読売新聞東京本社 5.33%
(2007年3月31日現在)
主要子会社 (株)バップ 53.0%
(株)日本テレビアート 100%
(株)日本テレビエンタープライズ 100%
関係する人物 氏家齊一郎代表取締役 取締役会議長)
間部耕苹(代表取締役相談役
外部リンク www.ntv.co.jp
特記事項:

日本テレビ放送網株式会社にっぽんテレビほうそうもうNippon Television Network Corporation)は、日本の放送事業者である。一般的には、略して、日本テレビ(にほんテレビ)、更に略し、日テレ(にっテレ)などと呼ばれる。略称は「NTV」。元共産党員で、現在右翼の渡辺恒雄が支配する読売新聞、日本テレビグループに属している。

目次

概説[編集]

日本テレビ放送網
英名Nippon Television Network Corporation
放送対象地域
  • 関東広域圏
    東京都茨城県栃木県
    群馬県埼玉県
    千葉県神奈川県
  • キー局日本テレビ
    ニュース系列NNN
    番組供給系列NNS
    略称NTV
    AX
    愛称日テレ
    呼出符号JOAX-(D)TV
    呼出名称にほんテレビ
    (デジタルテレビジョン)
    開局日1953年8月28日
    本社〒105-7444 東京都
    港区東新橋一丁目6-1
    演奏所#スタジオを参照
    アナログ親局東京 4ch
    ガイドチャンネル4ch
    リモコンキーID4
    デジタル親局東京 25
    主なアナログ中継局#アナログ放送参照
    主なデジタル中継局#デジタル放送参照
    公式サイト日本テレビ
    特記事項:
    テンプレートを表示

    放送免許[編集]

    主な株主(2007年3月31日現在)[編集]

    1. 株式会社読売新聞グループ本社 (15.0%)
    2. 読売テレビ放送株式会社 (6.3%)
    3. 株式会社読売新聞東京本社 (5.4%)
    4. 学校法人帝京大学 (3.5%)
    5. 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) (3.1%)
    6. 株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ (3.0%)
    7. モルガン・スタンレー・アンド・カンパニー・インターナショナル・リミテッド (2.3%)
    8. 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) (2.2%)
    9. 名古屋テレビ放送株式会社 (2.2%)
    10. 株式会社よみうりランド (2.0%)

    (出資比率は自己株式を控除して計算)

    呼出符号(コールサイン)[編集]

    • 標準テレビジョン放送(地上アナログ放送):JOAX-TV(VHF4ch、映像171.25MHz/50kW、音声175.75MHz/12.5kW)(テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため、「JO*X-TV」シリーズの中で“A”が与えられた)
    • 標準テレビジョン音声多重放送:JOAX-TAM
    • 標準テレビジョン文字多重放送:JOAX-TCM
    • 地上デジタルテレビジョン放送:JOAX-DTV(UHF25ch/リモコンID4ch、周波数545.142857MHz/10kW)

    保有チャンネル[編集]

    関東広域圏における地上放送の他にSKY PerfecTV!(東経124・128度CS放送)で 日テレG+、及び日テレNEWS24の2つのチャンネルを放送している。これらの2つのチャンネルはSKY PerfecTV!110(東経110度CS放送)では委託放送事業者であるシーエス日本を通じて放送され、また一部のケーブルテレビでも放送されている。

    ネットワーク[編集]

    1966年 NNN(Nippon News Network)を、またNNS (Nippon television Network System)を形成し、各地の地方局と系列局関係を結んでいる。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。

    呼称[編集]

    開局以来長年「4チャンネル」「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」を使用し始める。2000年12月には、開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。

    2003年の汐留移転を契機に、コーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「日テレ」が採用された。なお、新聞テレビ情報誌番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「NTV」として表記されている。

    業界ではCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日)、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」と呼ぶこともある。渋谷には日テレが出資したライブスペースSHIBUYA-AX(シブヤ-アックス)があり、1990年台後半(読売新聞は~い朝刊の次番組)の土曜深夜にもずばり“AX”(読みは「アックス」)という番組があった。

    ちなみに、ロシアの「NTVテレビ」およびマレーシアの「ntv7」とは無関係。

    登記上の社名は「にほん」では無く「にっぽん」と読むのが正しい。(これは日本放送協会の場合と同様。ただし、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多い)

    備考[編集]

    • 日本テレビは日本のテレビ業界においても、新しい放送媒体を積極的に早く導入し、導入するや否やその媒体を用いた放送を業界では1番多くの時間放送している事でも有名である。カラー放送、音声多重放送ワイドクリアビジョン放送も、日本の民放では日本テレビが初めてであった。


    主な中継局[編集]

    アナログ放送[編集]

    • 東京都
      • 大井町 70ch *品川区大井町地区では東京4chを視聴している家庭がほとんどである。
      • 八王子 35ch *八王子市周辺でも、東京4chを視聴している家庭が多い。
      • 多摩 51ch *多摩市周辺でも東京4ch視聴者が多い。
      • 新島 54ch(垂直偏波)
      • 八丈島 4ch
      • 三宅島 4ch
      • 小笠原父島 53ch
    • 茨城県
      • 水戸 42ch(垂直偏波)
      • 鹿嶋 33ch
      • 日立 54ch
      • 高萩 53ch
    • 栃木県
      • 宇都宮 53ch
      • 日光 54ch
      • 矢板 36ch
    • 群馬県
      • 前橋 54ch
      • 富岡 53ch(垂直偏波)
      • 桐生 53ch
      • 沼田 53ch
    • 埼玉県
      • 児玉(熊谷・本庄) 53ch(垂直偏波)
      • 秩父 16ch
    • 千葉県
      • 成田 53ch
      • 銚子 53ch
      • 香取佐原 54ch
      • 勝浦 53ch
      • 館山 54ch(垂直偏波)
    • 神奈川県
      • 山下町 71ch *東京4ch視聴者多し。
      • 横浜みなと 54ch *東京4ch視聴者多し。
      • 久里浜 41ch(北方向は水平偏波・西方向は垂直偏波)
      • 平塚 35ch(垂直偏波)*東京4ch視聴者多し。
      • 小田原 54ch
      • 湯河原 53ch

    デジタル放送[編集]

    • 茨城県
      • 水戸 14ch
      • 日立 14ch
    • 栃木県
      • 宇都宮 34ch
      • 矢板 19ch
    • 群馬県
      • 前橋 33ch
      • 沼田 25ch
    • 埼玉県
      • 秩父 25ch
    • 千葉県
      • 銚子 25ch
    • 神奈川県
      • 平塚 25ch(垂直偏波)
      • 小田原 25ch

    沿革[編集]

    1950年代[編集]

    • 1951年9月4日 正力松太郎、日本テレビ放送網設立構想を発表。
    • 1951年10月2日 日本テレビ放送網、テレビ放送免許を申請。
    • 1952年7月31日 日本最初のテレビ放送予備免許を取得。
    • 1952年10月15日 創立総会を開催し、正力松太郎を社長に選出。
    • 1952年10月28日 会社設立(資本金2億5千万円)。
    • 1953年4月15日 資本金を5億円に増資。
    • 1953年8月17日 名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請。
    • 1953年8月18日 街頭テレビ受像機を関東一円(都内29ヵ所、周辺部13ヵ所)に設置。
    • 1953年8月20日 試験電波を発射。
    • 1953年8月27日 テレビ放送本免許を取得。
    • 1953年8月28日 午前11時20分、「鳩の休日」の映像と共に民放初のテレビ局(地上アナログ)として本放送を開始(この日が開局記念日)。日本初のテレビ局としての開局を目指していたが、多くの機器を輸入に頼っていたため納入が間に合わず、NHKに先行された。
    • 1953年8月29日 プロ野球巨人-阪神戦(後楽園球場)を民放としてテレビ初中継。
    • 1953年10月27日 プロボクシング世界選手権白井義男-テリー・アレン戦を中継。街頭テレビ熱高まる。
    • 1954年2月19日力道山木村政彦シャープ兄弟プロレス実況」を放送(3日間)。以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こる。
    • 1954年10月4日 ニュース番組「きょうの出来事」放送開始。
    • 1955年4月1日 資本金を7億5千万円に増資。
    • 1955年11月28日 清水与七朗が社長に就任。
    • 1956年8月19日 午前6時30分、日本初のテレビ早朝放送を開始。画面に初めて時分テロップを入れる。(いわゆる時刻出し
    • 1956年12月1日 中部日本放送(CBC)大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送(ABC)テレビ)が開局し、両社とネットワークを形成。
    • 1956年12月31日 精工舎(現・セイコーホールディングス)提供、同局を始め民放4社による共同制作の「ゆく年くる年」を放送。
    • 1957年3月17日ミユキ野球教室」放送開始(1990年3月終了)。
    • 1957年4月18日 カラーテレビ放送の免許を申請。
    • 1957年12月27日 カラーテレビ実験局本免許を取得。
    • 1957年12月28日 カラーテレビ実験局開局(民放初)。
    • 1958年4月1日 資本金を10億円に増資。
    • 1958年8月28日 番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、讀賣テレビ放送(YTV)、テレビ西日本(TNC)が開局。先に開局した西日本放送(RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる。
    • 1958年10月1日 (株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に。
    • 1958年 技術開発が進み、同局初のVTRドラマ「雑草の歌」が放映される。また、初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組「手品教室」が始まる。
    • 1959年 日本初のカラーテレビドラマ「赤い陣羽織」放送。
    • 1959年4月 ネットワークニュース番組「日本テレニュース」スタート。
    • 1959年4月10日 皇太子明仁親王今上天皇)結婚(成婚)。この日、39台のカメラを駆使してテレビ史上に語り継がれる大規模生中継を行う。その後、成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を、午後9時から特番「このよき日」でカラーで放送した。この番組の中では、日本初のカラーCMも放送された。
    • 1959年9月15日 同局の株式が東京証券取引所に上場する。
    • 1959年10月24日 毎日放送(MBS)日本シリーズ中継を共同製作する。
    • 1959年12月3日 日本初のカラーVTR放送「ペリー・コモ・ショー」(米NBC-TVからダビングされたカラービデオテープを再生)放映。

    1960年代[編集]

    • 1960年6月 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
    • 1960年9月10日 カラーテレビ本放送開始。(NHKラジオ東京(KRT)と共に東京地区では初)当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
    • 1961年1月8日 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始。
    • 1961年6月4日 「シャボン玉ホリデイ」放送開始(1972年10月1日終了)。
    • 1962年 フランスのRTFテレビと番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
    • 1963年 通信衛星リレー1号を利用して、日米間で初の白黒テレビの電送実験。放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成。
    • 1964年10月 東京オリンピック開催。これに関する自社製作におけるカラー放送を強化する。
    • 1964年 多摩丘陵・よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
    • 1965年 パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈。
    • 1966年4月1日 NNN(Nippon News Network)発足。
    • 1966年6月30日 ザ・ビートルズの日本武道館来日公演をカラーで独占生中継し、視聴率は56%に達した(同時にカラーVTRでも録画され、このカラービデオテープは後にVAP(全編)や東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)(一部)からビデオ・ソフト化される。)。
    • 1966年 世界初、カラーのスポットコマーシャル(日立製作所提供)の放送が開始される。
    • 1967年7月21日 福井近夫が社長に就任。
    • 1967年 ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
    • 1968年4月 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
    • 1969年10月9日 当時の会長、正力松太郎が死去。
    • 1969年10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の有価証券報告書を訂正。
    • 1969年12月1日 資本金を24億円に増資・
    • 1969年 コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。

    1970年代[編集]

    • 1970年5月29日 小林與三次が社長に就任し、読売色が一層強まる。
      • この辺りから、対外的に使用する社旗を青地に社章(「NTV」ロゴを丸で囲った物)を白く抜いた物より、読売新聞の社旗を模した上から緑・赤・青色の模様の旗に変更。
    • 1970年11月10日 同局の送信所を、麹町の本社社屋に隣接したテレビ塔から東京タワーに移行。
    • 1970年 那覇、ワシントン、モスクワ、ソウルに各支局を開設。世界ネットを強化。
    • 1971年 全国高校サッカー選手権大会毎日新聞社に代わって主催し、独占中継権を得る。自社製作の番組のカラー化率がほぼ100%に達する(日本の民放初)。
    • 1972年 系列18社によるNNS(日本テレビネットワーク協議会)発足。当時のネット局名古屋テレビ(NBN)と番組編成を巡って係争。この結果、12月に東海地区のテレビネットを中京テレビ(CTV)へ一本化する事に決定。(CTV開局後もNBNと2局並列でクロスネット加盟=当時CTVはNET中心の編成=だった)
    • 1973年1月14日 ハワイで行われたエルビス・プレスリー・ショーを独占衛星生中継。
    • 1973年 アメリカABCニュース社と、ニュース提供と衛星中継に関する契約を締結。
    • 1973年10月31日 日本テレビ系列愛の小鳩事業団設立。
    • 1973年12月20日 読売新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビと東京放送(TBS)の新聞資本を統一する合意が成立。
    • 1974年 石油危機による電力節減のため、郵政省が民放各社に深夜の放送自粛を要請。在京5社の申し合わせで、1月7日から深夜0時30分で放送終了となる。
    • 1974年3月31日 開局以来の3社ニュースの放送が「読売新聞ニュース」に一本化される。
    • 1974年5月 読売新聞社は朝日新聞社と毎日新聞社が持つ全ての日本テレビ株式を購入。これで日本テレビは完全に読売グループの傘下に入る。
    • 1974年 小林社長、ヴァティカンでローマ教皇パウロ6世から勲章を授与される。
    • 1974年12月1日 資本金を37億2500万円に増資。
    • 1975年 同局の「愛の小鳩事業団」が日本で初めての「手話スクール」を開講する。UHF局(テレビ神奈川)へのプロ野球リレーナイター供給を開始。「水曜ロードショー」にて、名作映画『風と共に去りぬ』がテレビで世界初放映される。
    • 1976年11月25日 日本テレビ放送網文化事業団設立。「フランス美術賞展」などの美術展を開催。
    • 1977年3月20日 資本金を41億円に増資
    • 1977年10月 視聴者参加型大型クイズ番組「木曜スペシャル 第1回アメリカ横断ウルトラクイズ」スタート(以後1992年まで毎年1回行われた)。
    • 1978年1月 開局25周年に伴い、シンボルマーク(社章)を変更。(「NTV」ロゴを丸で囲った物から、日本テレビの"日"と地球をメルカトル図法的にデザイン化したものに。放送では1992年夏頃まで、社の封筒では2003年夏頃まで使用されていた〈1992年以降は「なんだろう」のマスコットと一緒に〉。現在は株券・社債のみに使用。)
    • 1978年4月1日 無償新株式(1:0.1)発行。資本金が45億1000万円となる。
    • 1978年8月26日24時間テレビ」スタート(以後、毎年8月に行われる。)。
    • 1978年9月28日 世界初の音声多重放送実用化試験放送を開始。番組第1号は「ミセス&ミセス」。この日から、後楽園球場の巨人戦もステレオ放送になる。
    • 1979年3月5日ズームイン!!朝!」放送開始。
    • 1979年12月31日欽ちゃんの仮装大賞」の第1回が放送。

    1980年代[編集]

    • 1980年2月9日 緊急警報放送の実験放送を開始。
    • 1980年 VTRカメラが初めてエベレストに登る。この登山のドキュメンタリー番組「生と死に賭けた36時間・これがチョモランマだ!」が高い評価を呼び、芸術祭テレビドキュメンタリー部門で優秀賞を獲得。
    • 1982年6月29日 高木盛久が社長に就任。
    • 1983年8月28日 開局30周年を機に故・正力松太郎会長の遺訓の中から社訓・信条を制定。
    • 1983年9月7日 テレビジョン同期放送の実験放送を開始。
    • 1984年 民放業界最大の規模のコンピュータグラフィックスシステムを完成。参議院選挙、衆議院総選挙などの報道で稼動。
    • 1985年1月24日 資本金を70億8560万円に増資。
    • 1985年5月20日 無償新株式(1:0.1)発行。
    • 1985年11月29日 文字多重放送の本放送を開始。
    • 1985年 日本テレビニューヨークスタジオ開設、生放送スタート。
    • 1987年1月2日3日 東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)中継放送開始。
    • 1987年10月5日 「ズームイン!!朝!」にて、SNGの実験運用を開始する。
    • 1987年10月 マイケル・ジャクソンの横浜スタジアムでの来日公演を録画放送。
    • 1988年5月5日 エベレスト(チョモランマ)山頂から世界初の生中継を実施し、成功。日本中にこの模様が中継された。(開局35周年記念企画「チョモランマがそこにある!」)
    • 1988年5月20日 無償新株式(1:0.04)発行。
    • 1989年6月29日 佐々木芳雄が社長に就任。
    • 1989年7月7日 SNG日本テレビサテライトネットワーク運営開始。
    • 1989年8月24日 クリアビジョン放送の本放送を開始。

    1990年代[編集]

    • 1990年5月21日 無償新株式(1:0.05)発行。
    • 1991年8月1日 1単位の株式数を100株から10株に変更。
    • 1991年8月 「第3回世界陸上競技選手権東京大会」のホストブロードキャスターを務め、世界131ヶ国に鮮明な映像・音声を送る。
    • 1992年8月28日 開局40周年を記念して、スタジオジブリ制作のマスコットキャラクター「なんだろう」が登場。この「なんだろう」は、日本テレビのシンボルマークとして、企業ロゴが変わった現在でも使用されている(色は日本テレビ、CS日本、RFラジオ日本が線の色1色をふち取りしたものが、BS日テレは2000年12月1日の開局から1992年のなんだろうが登場したときから使われている緑色のものとなっている。CS★日テレは光り輝くタイプとなっていた。)。
    • 1992年11月6日 SNGデジタル伝送実験局免許取得。氏家齊一郎が社長に就任。
    • 1994年 アール・エフ・ラジオ日本の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
    • 1994年11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル)。第1回「流転の海」他を放送。
    • 1995年7月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始。
    • 1995年 インターネットに日本テレビ公式webページ(http://www.ntv.co.jp/)を開設。
    • 1996年4月3日 CSデジタル放送「CS★日テレ」の委託放送業務認定取得、同年8月28日に放送開始。
    • 1996年 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
    • 1997年2月24日 CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
    • 1997年 NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月1日に日テレNEWS24と名称変更)。
    • 1998年 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
    • 1999年 キャンペーン「日テレ営業中」がJR東日本ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。

    2000年代[編集]

    • 2000年 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、NTT東日本とともに、テレビ番組アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。ライブハウス「SHIBUYA-AX」オープン、Dragon Ashこけら落しを務めた。
    • 2000年12月1日 午前11時、系列のBSデジタル放送「BS日テレ」(デジタルBS4ch)放送開始。
    • 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
    • 2001年9月 開局以来のオープニング・エンディング「鳩の休日」を諸事情により休止。
    • 2001年9月28日 「ズームイン!!朝!」終了。 (後番組は 「ズームイン!!SUPER」)
    • 2003年7月 CIを導入。通称名を「日本テレビ」「NTV」から「日テレ」「NIPPON TELEVISION」へと変更、ロゴマークも「なんだろう」を継承するも、そのデザインも含め一新された。略称「NTV」の国内での使用も中止(但し、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記)し、国内での対外愛称は「日テレ」に統一、CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作「日テレ(ロゴ)」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。(ぐるぐるナインティナインなどごく一部の番組は現在も「製作著作 日本テレビ「日テレ(ロゴ)」の表記が残っている)ただ、BS日テレ・CS日本の社名ロゴは、従来の日本テレビの社名ロゴがそのまま踏襲されている。また、番組表等業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。
    • 2003年10月25日 同局プロデューサーによる視聴率不正操作が発覚。翌月18日、取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
    • 2003年12月1日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
    • 2004年2月29日 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が汐留に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大(汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンだったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ<麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化>、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された)。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスターの運用を開始。生テロップのフォントも変更。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。
    • 2004年11月5日 読売新聞グループ本社マスコミ集中排除原則により、歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき、有価証券報告書を同グループ名義へと訂正、同社株は一時「監理ポスト」に割り当てられた(同年11月22日まで)。
    • 2005年6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎が代表取締役社長に就任。
    • 2005年10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ・オン・デマンドサイト「第2日本テレビ」をオープンする。
    • 2005年12月1日 「NNN24」を「日テレNEWS24」に名称変更。
    • 2006年3月1日 「G+ SPORTS&NEWS」を「日テレG+」に名称変更。
    • 2006年4月1日 地上デジタルワンセグの本放送を開始。
    • 2006年4月3日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
    • 2006年4月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入。
    • 2006年9月29日 全民放中の最長寿番組「NNNきょうの出来事」が終了し、52年の歴史に幕。 (後番組は「NEWS ZERO」)

    開局当日の編成(1953年8月28日)[編集]

    • 11:20放送開始 「開局記念式典」の実況中継
    • 11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
    • 12:00に本来なら精工舎コマーシャル第1号が放映される予定だったが、フィルムを裏から写してしまい放送できなかった
    • 12:00 歌の祭典
    • 12:30 記録映画「上代の彫刻」
    • 13:00 NTVニュース天気予報(ここで一旦放送中断。テストパターン画像が放送された)
    • 17:30放送再開 日本南方民謡集
    • 17:40 テレビ浮世絵
    • 17:55 リサイタル
    • 18:10 国際ニュース
    • 18:20 週間テレニュース
    • 18:40 記録映画「天竜川」
    • 19:00に精工舎のCMが放送された。これが実質的なコマーシャルの第1号。
    • 19:00 花競祝写絵
    • 19:45 劇場中継「ニューヨーク幻想曲」(会場:帝国劇場
    • 21:00 「開局記念式典」の録画中継
    • 21:15 テレニュース(これで放送終了)

    特徴[編集]

    正式社名が日本テレビ放送網であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。(これが実現していれば現在の日本国内の民放が違っていたであろう)

    開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。

    プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や「なんでもやりまショー」などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と独占中継権を結んだのが有利に働いた。

    日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。すべては自社こそテレビのパイオニアであることを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、のちに頓挫する。

    しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局であるよみうりテレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社製作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降。

    正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の単独ネット化、読売新聞への完全系列化、ラジオ日本との提携など正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われた。しかし、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直したものの、依然として巨人戦に頼った編成のため、全体ではまだ「民放の雄」と呼ばれたTBSに及ばずといった感は否めなかった。朝枠に情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化。ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時、カルチャー路線化が成功し視聴率3冠王に輝いてたフジテレビに、現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。

    そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ「TVおじゃマンボウ」を開始することで、視聴者へのPRを行った。
    しかしその後、地上波キー局における「興味を示せばなんでも良い」という傾向への転換や、インターネットなどの他のメディアへの興味による全体的な視聴率の低下による「視聴率稼ぎ」に終始する作り方へと変わったことで、番組内容の低レベル化、情報操作や歪曲、過剰なスピード化とそれによる視聴者の思考を疎外する作り方が横行し、やらせや過剰演出、情報の捏造などの問題へと発展している。

    1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」だったフジテレビをついに追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年~2002年に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」は30ヶ月連続となり、民放最高記録も樹立することを達成し、「民放界の雄」として一時代を築き、君臨し続けた。
    しかし2003年度には、巨人戦視聴率の低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、「プライムタイム」が2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月~2005年3月)の調査では、ついに全部門2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。

    しかし東京民放キー局の中では唯一サスペンスドラマの再放送を行なっていない局でもあり、この点は比較的高い評価を得ている。

    所在地・経営幹部[編集]

    役職[編集]

    • 局長
    • 局次長
    • 部長
    • 部次長
    • 担当副部長
    • 社員の種類
      • 正社員
      • 年契社員
      • シニア年契社員
      • 協力スタッフ(人材派遣会社からの派遣社員)

    テレビの時刻出し[編集]

    • 朝:未明の「日テレNEWS24」開始(「日テレNEWS24」がない時は放送開始)時~11:23:15まで(「Oha!4 NEWS LIVE」・「実父」・「スッキリ!!」・「あさ天サタデー」・「ズームイン!!サタデー」はカスタムで表示、「ボン」の通販コーナーでは表示オフ)。(かつては「ザ!情報ツウ」が終了する10:24:00まで表示していたほか、2002年前後(詳細時期失念)には10:30:00~11:23:00(「峰竜太のホンの昼メシ前」や「さきどり!Navi(NNN24(現日テレNEWS24)とのサイマル放送)」を放送していた時にも表示があった。)2015年1月19日からスッキリでは隣にマスコット出るようになった
    • 昼:平日11:30:00~11:48:00 「NNNニュースダッシュ」内。
      • 土曜日は11:25:00~11:33:30 「NNNニュースダッシュ」内、及び12:00:00~12:00:03「メレンゲの気持ち」の冒頭3秒間に表示。
      • 日曜日は11:30:00~11:44:00 「NNNニュースダッシュ」内。
      • 「NNNニュースダッシュ」は「日テレNEWS24」フォントでの表示。
      • 及び平日12:00:00~12:55頃「午後は○○おもいッきりテレビ」の2回目のローカルセールスCM入りまで表示(かつて、12:52:10という中途半端な時間で表示消去していたが、これは前身の「お昼のワイドショー」の名残と思われる)。
    • 夕:月~木曜日16:53:15~18:57:55まで「[エブリ[]]」内の一部コーナーを除いた時間帯に表示(2006年6月9日までアナログは番組独自のカスタム表示でデジタルは通常表示だったが同年6月12日よりアナログと同じものに統一)。
      • 金曜日17:00:15~18:57:55まで「エブリ」内の一部コーナーを除いた時間帯に表示(2006年6月9日までアナログは番組独自のカスタム表示でデジタルは通常表示だったが同年6月12日よりアナログと同じものに統一)。
      • 日曜日18:00:00~18:00:03まで「真相報道 バンキシャ!」の冒頭3秒間に表示。
    • なお、2006年9月6日秋篠宮妃紀子出産の報道特別番組「ズームイン!!SUPER内」では当放送局のカスタム表示が関東地方以外でも少し見られた。

    主なテレビ番組・日本テレビの番組[編集]

    傾向[編集]

    • 伝統的に、巨人戦を中心としたスポーツ中継やバラエティ番組を得意としており、1960年代から1970年代に掛けてシャボン玉ホリデーなどの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率そのものも低迷した(詳しくは視聴率争いを参照)ものの1990年代にはその勢いを取り返した。その反面で一時期までは「ロンパールーム」や「カリキュラマシーン」などの教育番組にも取り組んだ。
    • アニメについても「ルパン三世」「それいけ!アンパンマン」や系列局読売テレビ制作の「名探偵コナン」「犬夜叉」などを放送。「スタジオジブリ」制作の映画作品にも加わるなど、アニメ史に煇く作品を輩出して来た。
    • バブル期にゴールデンタイムに帯情報番組「追跡」が導入された為、1988年から月曜夜7時台後半枠を除き、アニメは平日夕方5時台に新作の大半が移動した。しかし、平日夕方5時台はローカル枠だった為、日時差し替え放送か、当時の地方局は二局の地域が多かった為、四局の地域を含め未放送に終わった作品も少なくなかった。しかし、バブル崩壊後の不況でスポンサーが付かなくなったのと、地方局でも地元帯情報番組を導入する地域が増えた為、1995年には「それいけ!アンパンマン」以外は全て廃枠となり、その20年後の2016年にはそのアンパンマンも関東では平日午前中へ移動した為、完全に廃枠となった。以後、アニメはアンパンマンや読売テレビホスト局作品を除き、深夜枠やZIP!のショートアニメが中心となる。
    • しかし、前述のように2003年まで視聴率三冠王を達成してきた日本テレビも90年代の黄金期を築いた番組の視聴率が低下しはじめると、続々と人気番組の打ち切りを決定。名物長寿サスペンスドラマ番組「火曜サスペンス劇場」、同じくも52年間続いた長寿報道番組「NNNきょうの出来事」や、夕方の報道番組「NNNニュースプラス1」、20年間続いたお昼の生活情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」でも例外ではなく、また以前である2001年には、20年近く続いた平日午前の「ズームイン!!朝!」「ルックルックこんにちは」を終了させたこともある。結果、ここ数年で日テレのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。しかし打ち切られた後の枠の番組は必ずしも順調とは言えず、苦戦を強いられている番組もあれば、他の裏番組と互角な争いを繰り広げ、人気を得ている番組もあるため、番組の好不調の波が激しいことも言えよう。しかし、そして同時期から開局当時からの「ドル箱番組」だった巨人戦の視聴率が低迷し、ついに2006年には年間平均視聴率が1桁を記録するようになる。これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日テレは大きなダメージを受け、現在では縮小傾向にあるものの早々に巨人戦中継の縮小に方向転換したフジテレビと対照的に視聴率で大きく水を開けられる結果となっていた。これらのことから、日本テレビはほぼ第二次・日本テレビ冬の時代状態となっていたが、昨今は後述のように視聴率が大幅に好転している。

    ワイドショー情報番組が多く制作されており、ノンプライム帯に占める生放送の割合が高い。2014年現在、月曜日 - 木曜日は午前4時から午後7時まで生放送番組が連なっている(一部のミニ番組を除く)。この分野を得意としている日本テレビはゴールデンタイムプライムタイム全日に加え、ノンプライムも視聴率の1つの区分として重要視している。

    バラエティ番組では1960年代から1970年代に掛けて『光子の窓』、『シャボン玉ホリデー』、『ゲバゲバ90分』などの名番組を制作。その後1980年代には目立つバラエティ番組が無く視聴率も低迷したものの1990年代にはその勢いを取り戻した。その反面で一時期までは『ロンパールーム』や『カリキュラマシーン』などの教育番組にも取り組んだ。

    他局と比較してゴールデンタイム・プライムタイムで放送されているバラエティ番組の本数が非常に多い。そのため、一部のバラエティ番組は情報エンターテインメント局で制作されている。

    アニメについては『ルパン三世』、『それいけ!アンパンマン』や読売テレビ制作の『名探偵コナン』などを放送。スタジオジブリ制作の映画作品にも加わるなど、アニメ史に残る作品を輩出して来た。

    番組の開始時間を00分の定時ではなく、55分や57分などのいわゆるフライングスタートをキー局でいち早く導入した局であり[1]、現在では他局でも多用されているが、2008年10月から2011年6月まではテレビ東京と同じように、月 - 金曜日の21時枠の番組を20:54開始に統一するという思い切った編成も行っていた[2]

    韓流ごり押しに関してはフジテレビやTBS、さらにはテレビ朝日を既に上回っているが、これらの放送局よりも批判は少なく及び腰である。小癪にも2014年の平均視聴率はこれらのテレビ局を大きく上回り四冠王を獲得している。

    ドラマ[編集]

    1970 - 90年代初頭にかけ、当時のプロデューサー岡田晋吉を中心に『太陽にほえろ!』、『大都会シリーズ』、『俺たちの勲章』、『われら青春』、『俺たちの旅』といった刑事アクションや青春ドラマを量産。一時代を築くと共に、松田優作中村雅俊柴田恭兵ら多数のスターを発掘した。また、水谷豊主演による『熱中時代』、『事件記者チャボ!』などのスタジオドラマも高視聴率を記録している。

    2010年10月現在、プライムタイムで放送されている全国ネットの連続ドラマ枠は『水曜ドラマ』・『土曜ドラマ』の2本。これは他局に比べて少ないが、『家なき子』や『金田一少年の事件簿』『ごくせん』『家政婦のミタ』など国民的な人気を得るドラマも少なくない。『水曜ドラマ』は女性層、『土曜ドラマ』はファミリー層を意識した作品を放送している。日本テレビの主なテレビドラマの初回延長は原則15分である。

    日テレ名物の番組のテコ入れ[編集]

    沖縄県に日本テレビ系列局が存在しない理由[編集]

    1989年に設立され、日本テレビ系列の南西放送を開局する予定だったが、民放テレビ第3、4局の周波数が割り当てられていたこともあり、琉球朝日放送テレビ朝日系列)とともに1995年秋の同時開局が有力視されていた。ところが、日本テレビの沖縄進出凍結に伴って計画は頓挫し、1999年には沖縄県の民放テレビ第4局用の周波数割当そのものが取り消された。

    現在は日本テレビで放送されている番組の一部は沖縄テレビ(主に「火曜ドラマゴールド」(旧「ドラマ・コンプレックス」、「土曜サスペンス劇場」)」「NTV土曜ドラマ」などの番組提供付きの番組などを放送)と琉球放送TBS系列、一時期は「木曜スペシャル」を同時ネットしていたが、現在は主に夕方枠・深夜枠でローカル扱いの番組で放送)で放送されている。またCS★日テレで日本テレビの番組を沖縄でも見ることができたが、2000年9月の放送終了に伴い、ほとんどの日本テレビの番組がリアルタイムで見られなくなってしまった。

    イベント[編集]

    • 日テレジャンボリー(2004年7月24日~8月31日、「GO!SHIODOMEジャンボリー ウンチャカ♪」2005年7月24日~8月31日、「GO!SHIODOMEジャンボリー2006 "熱ッ!!"~Be TARO」2006年7月15日~8月31日、汐留・日テレプラザ周辺で開催)
      期間中、『伊東家ラリー』や『エンタの神様ライブ』など数々のイベントが開催され、来場者を魅了した。
    • 世界縁起のいいもの博覧会(2004年12月26日~2005年1月6日)
      ごくせん神社、移動屋台が展示された。
    • 春の日テレ祭 おフランスざ~んす!(2005年3月19日~4月3日)
      スピードガンチャレンジや瑠璃のいえ歌スタ!!の公開オーディションなどのイベントが開催された。
    • SHIODOME 黄金週間ざ~んす!(2005年4月29日~5月8日、汐留・日本テレビ本社)
    • ハウルの動く城 大サーカス展(2005年4月27日~8月21日、東京都現代美術館
    • GO!SHIODOME X'mas(2004年12月9日~12月25日、2005年12月10日~12月25日、汐留・日本テレビ本社)

    情報カメラ設置ポイント[編集]

    ●…ハイビジョンカメラ

    現在

    過去に設置

    スタジオ[編集]

    汐留・日本テレビタワー(愛称:日テレタワー)[編集]

    ファイル:ShiodomeB.JPG
    東京・汐留にある日本テレビタワー
    ファイル:日テレ大時計 2007-01.gif
    マイスタジオ・日テレ大時計

    世界的建築家リチャード・ロジャースが基本構想を手掛けた。建物外部四隅に柱を露出させた理由は、容積率緩和措置を受けるため。その他、地上2階の受付前フロアを自由通路とすることによっても容積率緩和措置を受けている。 なお、日本テレビタワーの19階から24階は一般のテナントビルとして賃貸しており、19階は日テレグループ各社や海外テレビ局の東京支局、20階から24階には一般企業が入居している。

    建設前の敷地では、進め!電波少年雷波少年における長期ロケ企画のロケ地として使用されていた。
    また、麹町からの移転直前には、ぐるナイの“ゴチになります”オープニングとスペシャル料理の選択権を決めるゲームも行われた。

    メディアセンター
    汐留・日テレタワー7階にある放送の運行・送出を行うマスターコントロールルーム。日本テレビの放送を支える中枢を担うセクション。関東一円と全国のネットワーク各局、またBS日本・CS日本へも毎日の番組を送り出している。送出VTR・番組サーバ・CMバンク・データ放送・文字字幕放送の送出設備を擁し運行・送出を行っている。
    また、OAデータ・APS(Automatic Programing System)の運行データ作成・変更を行う「放送進行」もキー局としての重要なセクションである。
    回線センター(SDC・SOC・回線ブッキング)
    生中継に欠かせない自営マイクロ回線(マイクロ基地局)の運用・保守、及び局内回線分配系の運用・保守、SNGの管制・運用・保守を行うセクション。自営マイクロ回線の運用を行う「SDC」、SNG回線の管制・運用を行う「SOC」またNTTマイクロ回線の運用を行う「回線ブッキング」の3つに運用セクションが分かれている。
    S1・S2スタジオ(211坪・138坪)
    汐留・日テレタワー13階にあるバラエティ・情報番組の収録・生放送対応スタジオ。「踊る!さんま御殿!!」、「エンタの神様」、「ザ・サンデー」、「真相報道 バンキシャ!」などで使われる。なお「24時間テレビ」や、「箱根駅伝」など不定期の大型番組の親サブとしても使用される。スタジオ入り口のドアの色は、S1スタジオが赤、S2スタジオが黄
    S3・S4スタジオ(148坪・148坪)
    汐留・日テレタワー9階にある生放送対応スタジオ。生放送対応を前提としているため、HD収録機がS1・S2の様に常設されていない。「ズームイン!!SUPER(第1部)」、「NNNニュースSUPER」、「スッキリ!!」、「ザ・ワイド」、「おもいッきりテレビ」、「NEWS ZERO」、「スポーツうるぐす」などで使われる。スタジオ入り口のドアの色は、S3スタジオが青、S4スタジオが緑
    NEWSスタジオ(130坪)
    汐留・日テレタワー5階・報道フロアにある報道番組専用スタジオ。主に地上波報道番組で使用されている。なお5階報道フロアには日テレNEWS24(旧NNN24)専用のミニスタジオや、常設の顔出しスペースや、各記者のデスクから直接最新情報が放送できる天井移動カメラも設置されており、ある意味報道フロア自体が巨大なニューススタジオとも言える。「NNNニュースD」、「NNNニュース」は報道フロアからで「NNN Newsリアルタイム」は第一部が報道フロアからで第二部が専用スタジオからとなっている。
    マイスタジオ(92坪)
    汐留・日テレタワー2階にあるオープンスタジオ。俗に「マイ・スタ」と呼ばれ、「ズームイン!!SUPER(第2部)」、「ズームイン!!サタデー」、「NNNニュースサタデー」、「報道特捜プロジェクト」などで使われる。構造的には通常のスタジオの副調整室の後方にモニター類を見渡せる形でMCブースが設置されており、番組司会者は中継回線等の状況を把握し易く緊急事態等に素早く対応できる事から、情報系生番組用としてはある意味完成されたスタジオとも言える。なおMCブースの背後はガラス張りで外部から放送の様子を見ることが可能。なお。現在のマイスタは以前の麹町にあったものに続いて2代目である。
    ゼロスタジオ(22坪)
    汐留・日テレタワー1階レベルにあるオープンスタジオ。専用のサブや常設カメラはない(社内にあるどのサブからも駆動できるが、マイスタを駆動サブとすることが多いようである)。「ラジかるッ」で使用。ラジオ日本の放送にも使用される事がある。
    SKY1・SKY2スタジオ(35坪?)
    汐留・日テレタワー15階にある、ガラス張りのオープンスタジオ(パノラマスタジオとも呼べる)。「donna」、「アンテナ22」、「スーパースポーツマガジン」(BS日テレ)などで使われる。
    SVスタジオ(71坪)
    汐留・日テレタワー13階にあるバーチャルスタジオブルーバック(日テレはグリーンを使用)のホリゾントが常設され、「あさ天サタデー」などで使われているが、中規模のスタジオとして普通にセットが組まれ番組を収録する事も多々ある。
    リモートサブ(1, 2)
    汐留・日テレタワー8階には、副調整室(サブ)だけの「リモートサブ」というのがある。主にプロ野球中継、サッカー中継などスポーツ中継で使用している。

    ※すべてハイビジョン対応

    麹町分室[編集]

    汐留・日テレタワーに本社が移転された後も、旧本社社屋は麹町分室として北本館にある2つのスタジオに限り、引き続き使用している。日テレで最大面積を誇るGスタジオがあることから、主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている。また制作部門の一部デスクは分室に留まっている。なお麹町分室は「日テレ麹町ビル」としてリニューアルし、旧西本館が一般テナントビルとして使用されている。また、BS日テレ・CS日本の本社と送出マスターもここにある。

    麹町分室は「西本館」「南本館」「北本館」「カラーセンター」の4棟から成り立っており、カラーテレビ放送開始に伴い建設された「カラーセンター」が後に新築された南本館と合体化された。しかし旧「カラーセンター」棟は老朽化が激しく、本社移転を契機として使用を中止した。

    Kスタジオ(180坪)
    麹町分室北本館5階のスタジオ。主に観客入れを必要とするバラエティ・トーク番組や歌番組の歌唱部分の収録に使用されている。スタジオ入り口のドアの色は、青
    Gスタジオ(250坪)
    麹町分室北本館1階のスタジオ(収録兼用)。日本テレビにてフロア面積最大のスタジオ。汐留移転前は、ゴールデンタイムで放送されているスタジオ番組の多くが生放送・収録された。2006年現在でも、「行列のできる法律相談所」や「世界まる見え!テレビ特捜部」、「天才!志村どうぶつ園」、「伊東家の食卓」、「ザ!世界仰天ニュース」、「中井正広のブラックバラエティ」などが制作されている。スタジオ入り口のドアの色は、赤
    ※K・Gスタジオ共にHDTV対応。
    麹町日テレビデオスタジオ(75)
    報道番組で使用されてきた南本館4階のEスタジオを日本テレビビデオが改装し、貸しスタジオとしてリニューアルしている。

    新社屋・旧社屋の扱いについて[編集]

    2004年に日本テレビの本社機能はデジタル放送に対応するため、開局以来本社を置いていた千代田区二番町(通称:麹町)から港区東新橋(通称:汐留)に移転した。

    しかし、移転後に本社機能・テレビ収録を全て旧社屋から新社屋にシフトしたTBSやフジテレビとは違い、日本テレビは麹町社屋がさほど老朽化していない事や、新社屋の敷地面積が他の在京民放の社屋より狭いことなどから、本社機能と報道・情報番組制作、一部のバラエティー番組制作のみが『日テレタワー』にシフトし、バラエティー番組の大半が汐留に本社を移した現在も『麹町分室』で制作されている。

    これらを踏まえると、新社屋『日テレタワー』は地上波放送の番組送出や報道・情報系の制作・送出に主点を置いた施設で(一部のバラエティー番組も収録・放送はしている)、旧社屋『麹町分室』はバラエティー番組の収録・生放送、BS・CS放送の番組送出に主点を置いているともいえよう(アークヒルズに本社を移転していた当時のテレビ朝日に近い。この事例は大阪の毎日放送でもあった)。

    ちなみに『麹町分室』で制作された番組は『日テレタワー』(汐留社屋)に光ファイバーでHD/SD転送されてローカルマスターを経由して日本テレビの親局である東京タワーから送出し放送されたり、ネットマスターを経由して全国の系列局に送出される。逆に『日テレタワー』で制作したBS・CSの番組は『麹町分室』に光ファイバー転送されてそれぞれのマスターを経由して放送される。

    生田スタジオ[編集]

    生田1から生田3まで3つのスタジオがあり、主にドラマの収録を行っている。すべてハイビジョン対応。 災害時の送出機能も備えている。スタジオの管理・運営はNTV映像センターが行っている。

    報道局[編集]

    報道局は、政治部・経済部・社会部・外報部・映像取材部・ニュース編集部・報道番組部・ニュース制作部の8部署からなり、汐留・日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている(報道フロア 340坪)。海外の放送局を模しレールカメラを配置した報道フロアをはじめ、パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している。CS放送・日テレNEWS24(旧NNN24)のスタジオもここにある。この報道局内設備もすべてハイビジョンに対応している。ニュース映像素材は最近ではハイビジョンカメラによる取材や現場からの中継も行っている(他にハイビジョンカメラによるニュース取材はNHKTBSテレビ日本テレビ系列青森放送(RAB)・テレビ岩手(TVI)・秋田放送(ABS)・宮城テレビ放送(MMT)(※中継時のみ)・静岡第一テレビ(SDT)・北日本放送(KNB)・テレビ金沢(KTK)・福井放送(FBC)・読売テレビ放送(YTV)・四国放送(JRT)・広島テレビ放送(HTV)・山口放送(KRY)(※中継時のみ)・南海放送(RNB)・高知放送(RKC)(※中継時のみ)・福岡放送(FBS)、ごく僅かながらテレビ朝日フジテレビなどでも行われている。他の地方民放局のハイビジョンカメラで取材された映像もHD素材回線が地方局に常設されれば、日テレ制作報道番組での利用が可能となる)。

    報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ、サブは3つある。主にNEWS1サブでは地上波、NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される。この他に素材収録用の簡易サブもある。

    ニュース映像の収録編集は4階のCVセンターテロップCGなどの制作は4階のテロップセンターで行われている。

    地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを「NNN」と併記して表示する(連名で表示する場合もある)。重大な事件・大規模な事故・災害の取材の際、地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や、高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は「NNN取材団」と表示する。この表示は地上波放送各種ニュース番組・日テレNEWS24ともにおこなわれている。


    NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う「ニュースチャンネル」が6Fにある。 ニュース配信を行う送出設備の他VTR編集室・カメラ1台の顔出し設備がある。

    番組については、一覧を参照。

    制作局[編集]

    2006年に発足した部署。従来の編成本部が制作局と名称を変え、その中の部署も一新された。実質、その編成本部の前の編成局が復活したようなもの。新しい部署として、「ドラマ制作部」、「CP班グループ」、「業務部」が作られた。また、新たに「スポーツ・情報局」が発足し、スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ・情報局の担当となった。

    日本テレビ・制作局制作番組の分野別一覧 も参照

    具体的に制作されている番組の種類は次の通り。

    スポーツ・情報局[編集]

    制作局と共に2006年に発足した部署。従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった。その中の部署は「スポーツセンター」と「情報センター」に分かれ、情報センターには「CP班グループ」、スポーツセンターには「CP班グループ」と「スポーツ企画推進部」がそれぞれ作られた。具体的な制作番組については日本テレビ・スポーツ・情報局制作番組の分野別一覧も参照のこと。

    具体的な制作番組は以下の通り。

    オープニング・クロージング[編集]

    アナログ放送[編集]

    • 鳩の休日(開局 - 2001年9月・2008年4月 - 2011年7月24日)
      • 初代はモノクロで放送用の周波数も表示していた。アナウンスは男性、女性の2バージョンあり。
      • 2代目はカラー。
      • 3代目は音声多重放送に対応したものに変更。映像は2代目と同じ。
      • 4代目はCGアレンジ(開局55周年に関連しての復活、2009年3月よりロゴを変更した現行のものに変更)。
      • 2011年7月24日のアナログ放送終了時には、2代目のカラー・モノラル版で、最後の画面に「58年間ありがとうございました」の文字が入ったものが流され、停波となった。
      ナレーション:2代目・結城雅子といわれているが未詳、3代目・青尾幸(音声多重放送のアナウンスも担当)、4代目・藤井貴彦
      BGM作曲:深井史郎
    • NNN24ジャンクション(2000年1月17日 - 2001年9月)
      ナレーション:平川健太郎
    • クロージング(2000年1月 - 2001年9月)(※ナレーションなし)
    • 日テレブランド?バージョン(2001年10月 - 2003年6月)
      ナレーション:井田由美(現在は報道局所属)
    • 日テレバージョン(2003年7月 - 2008年3月)
      ナレーション:井田由美

    デジタル放送[編集]

    • 新社屋静止画バージョン(2003年12月 - 2008年3月)
      映像に動きは無く、BGMも無い。また、「JOAX-DTV、ご覧のチャンネルは、日本テレビデジタルテレビジョンです。」と2回繰り返しアナウンスされる。
    • 鳩の休日(2008年4月 - 2013年12月)
      ナレーション:藤井貴彦
    • 「見たい、が世界を変えていく。」バージョン(2014年1月 - )
      新社屋静止画バージョンとは異なり、局名告知アナウンスは1回のみ。『news every.』『NEWS ZERO』『真相報道 バンキシャ!』等の番宣も兼ねる。

    歴代キャッチフレーズ[編集]

    • 1.2.3(ワン・ツー・スリー)!4(ヨン)チャンネルで楽しさ満開(1982年4月)
    • 読んでみる。4でみる。(1982年10月)
    • おもしろまじめに4チャンネル(1983年2月~1985年6月、小林完吾徳光和夫
    • 活火山です。4チャンネル(1985年7月~1986年2月、三宅裕司
    • 元気が大好き4チャンネル(1986年2月~4月)
    • わたしの好奇心4チャンネル(1987年4月~9月)
    • この春、プラス1(1988年4月)
    • ロマンリッチ4チャンネル(1988年10月~1989年9月)
    • 土、迫力。4チャンネル(1989年10月)
    • 3.14倍(当社比)の春です。(1990年3月、中畑清
    • 一秒ごとに、新製品です。(1990年4月)
    • ハートフルコミュニケーション。(1990年10月~1992年8月)
    • みんなのなかに、私はいます。(1992年8月~1993年12月、同時にマスコットキャラクター「なんだろう」が登場・なお、「みんなの中に~」は、青森放送でもOPの局名告知後に流れていた。)
    • Virginから始めよう。(1994年1月~1995年3月)
    • それって、日テレ。(1995年4月~1996年3月)
    • そんなあなたも、日テレちゃん。(1996年8月~1997年7月)
    • 日テレちゃんパワー(1997年8月~12月)
    • 日テレ営業中(1998年1月~1999年8月)
    • 日テレ式(1999年9月~2001年3月・余談だが、この「日テレ式」は、1999年9月9日から放送されたが、当初は数字の語呂合わせでナイナイが言っていた。)
    • 日テレブランド?(2001年4月~2003年6月)
    • 日テレ(2003年7月~2004年1月、新CI導入に伴い)
    • &日テレ(2004年2月~2006年3月)、なお「&日テレ」は、BS日テレやCS日本を通じ全国でも見られる。)(例、○○○(番組名)も&日テレ)
    • 放送の情報だけ、番組のカタチがある「日テレ」(2006年4月~2006年9月)
    • 日テレちん(2006年10月~・なお、「日テレちん」は、BS日テレでも視聴出来る。)

    日本テレビの番組から誕生したユニット(歌手)[編集]

    スター誕生!出身者は除く)

    アナウンサー[編集]

    アナ記事注意
    アナウンサー記事に関する注意 :文中の所属先などの内容は永続的に保証されるものではありません。正確な情報は放送局の公式Webサイトなどでご確認ください。免責事項もあわせてご覧ください。

    男性[編集]


    女性[編集]

    元アナウンサー[編集]

    この局の特徴として、アナウンサーを放送とは直接関係ない別部署に異動させる事が多々ある。 そのため、このリストの中には現役の日テレ社員が多数いる。

    現・報道局キャスター[編集]

    ここでは報道局でニュースを担当するキャスター(元アナウンサー)を挙げる。

    男性
    女性

    異動した元アナウンサー[編集]

    男性
    女性

    退社したアナウンサー[編集]

    男性
    女性

    日本テレビ制作スタッフ[編集]

    事業所[編集]

    本社
    東京都港区東新橋1丁目6番1号 郵便番号:105-7444
    麹町分室(旧本社屋)
    東京都千代田区二番町14番地
    関西支社
    大阪市北区堂島2丁目2番2号 近鉄堂島ビル14階
    名古屋支局
    名古屋市中区錦3丁目23番31号 栄町ビル7階
    那覇支局
    那覇市泉崎1丁目10番3号 琉球新報ビル内

    スタジオ技術系協力会社[編集]

    主なグループ会社[編集]

    系列放送局各社に関しては、「NNN」及び「NNS」の項目を参照せよ。

    連結子会社[編集]

    持分法適用関連会社[編集]

    なお、国が許可した債権回収業(サービサー)のニッテレ債権回収株式会社とは何の関係もない。

    アナウンサー以外で在籍した著名人[編集]

    男性[編集]

    女性[編集]

    関連項目[編集]

    非マストバイ局

    その他

    • テレビ宮崎(フジテレビ・テレビ朝日とのトリプルクロスネットだが、NNS非加盟局)
    • 宮崎放送(TBS系列 一部の番組を放送)
    • 琉球放送(TBS系列 一部の番組を放送)
    • 沖縄テレビ(フジテレビ系列 一部の番組を放送)

    外部リンク[編集]

    テンプレート:NNN・NNS

    テンプレート:Tv-kanto
    1. 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が始まりである
    2. 基本的に20時54分頃は地方局ごとのミニ番組が放送されることが多い為、読売テレビ中京テレビ以外の系列局は基本的に21時開始となっていた。そのため、系列局への配慮として20:54からは放送内容の告知を中心とした『まもなく!○○』と言う名称のミニ番組扱いとなり、実質的には21時から番組本編に入っていた。ただし、特別番組の多い改編期には20:54から番組本編が始まる事もあった。