鍵のかかる部屋
『鍵のかかる部屋』(かぎのかかるへや)は、三島由紀夫の短編小説。戦後の混乱期における一青年の内面を描いた作品である。1954年(昭和29年)、文芸雑誌『新潮』7月号に掲載された。単行本は同年10月15日に新潮社より刊行された。現行版は新潮文庫で刊行されている。なお、1970年(昭和45年)6月には、純金象嵌番号鍵がはめこまれて、国電四谷駅入場券や主人公の名刺が添付された作者署名入り豪華限定版が刊行された。
概要[編集]
敗戦から2年半の無秩序な雰囲気が漂う時代、財務省(当時は大蔵省だが、作中で「財務省」となっている)に入省したばかりのエリート官吏の青年が、或るコケティッシュな少女へサディスティックな幻想を抱く物語。不気味に現代人の疎外を内的に表現しながら、政治的人間の本質的頽廃と裏腹な性的人間の本質的頽廃を鋭く指摘し、何の希望も見出せない暗澹たる未来の予兆を描いている[1]。
『鍵のかかる部屋』は、ちょうど同時期に発表された『潮騒』の健康的な明るい世界とは全く反対の作品であり、異常性欲を批判精神として表現し、生への指向とは別の破滅への指向を極端なかたちで描いた作品となっている[1]。文体も、これまでの三島の硬質な明晰簡潔の文体、事物の表面を表現する古典的文体とは違い、内部の渾沌に入ってゆくような自意識過剰的な饒舌な文体に変化させている[1]。
なお、この文体崩しは、三島に反社会的無頼派になることを期待していた奥野健男が、「現代文学者ならまずその整合した硬質な窮屈な文体をこわし、表面でない渾沌たる内部や深層意識をこそ表現すべきだ」と表明した『三島由紀夫論』[2]を受けて、三島が実験的に試みた文体破壊であったという[1]。のちに奥野は三島から、君の意見に影響されて文体を壊して書いたが、惨憺たる結果で失敗作だったと言われ、「二度と君のおだてにうかうか乗るような愚は犯したくない。ぼくは君と違って表面の硬質の美だけに真実があるのだと信じて、それを表現したい」[1]と宣言されたという。奥野は、三島が自分のような青二才の評論家の忠告からヒントを得ようとし、真面目に将来の作家としての道に悩み、文体改革を実験したことに感無量だったと述懐している[1]。
作品背景[編集]
『鍵のかかる部屋』は、1948年(昭和23年)の連合国軍占領下の時代が背景となっており、作中にも当時の政治背景や、賭博やヒロポン中毒、自殺、闇屋の天下、いたるところに居るアメリカ兵など、暗いパセティックな無秩序な世相、寿産院事件、帝銀事件があったことが触れられている。その点について三島は、当時の政治情勢や経済状況を作中に織り込んではあるが、物語はもちろんフィクションであるとし、「破局的なインフレの進行といふ状況は、別の精神的破局の進行の比喩である」[3]と述べている。また当時はまだ泰平ムードは固まらず、「世間がまだ偏狭な道徳観に身を鎧はなかつた一時期」で、そんな時代の空気に、「戦争直後の時代へのノスタルジア」をからませたものが『鍵のかかる部屋』だとしている[3]。
なお、当時は銀行家令嬢の幼い少女が、青年により誘拐監禁されるという変質的な陰惨な事件が新聞を賑わせていたため、そういった事件から、三島は作品主題の発想を得たのではないかという見方もある[1]。
あらすじ[編集]
時代は1948年(昭和23年)2月10日から4月10日
去年の秋にT大学を卒業し、財務省銀行局に入省した事務官の児玉一雄は、一ヶ月前に死んだ情婦のことを思い出していた。大学時代の終りにダンスホールで知り合ったその女・東畑桐子とは、一雄の入省日に彼女の家で結ばれて以来、その「鍵のかかる部屋」へ昼休みに「定例訪問」を続けていた関係だった。外界の無秩序に逆らって、内心の無秩序を純粋化して、ほとんどそいつに化身してしまおうとしていた一雄は、その小さな「鍵のかかる部屋」の中で、内心の小さな結晶した無秩序を保っていた。桐子は人妻だったが、夫は毎晩1時以降にしか帰らず常に不在で、家には9歳の娘・房子と女中・しげやがいるだけだった。ある日、「鍵のかかる部屋」で密会中、桐子は持病の心臓脚気の発作で起こし、その晩に死亡した。何事にも無関心を持している一雄は、桐子の死が少しも悲しくなかったが、ある雨の土曜の午後、一ヶ月ぶりに何となく再び東畑家へ行ってみた。
女中は買物中で、小学校が半ドンだった房子が玄関に出た。房子は一雄の訪問を待っていたかのように媚を見せて応接間へ招き入れ、母親がやっていたことを真似るように部屋の鍵をかけた。そして無邪気に一雄の膝の上に乗ってはしゃぎ、キスごっこをしようよと、小さな乾いた唇をつけてきた。一雄はそれを避けたが、勃起してしまい困惑した。ノックして紅茶と菓子を持ってきた女中のしげやは、ちょいちょい遊びに来てくださいと愛想がよかった。それから一雄は再び土曜に訪れ昼食を供にし、房子に応接間に招き入れられた。母親の死を少しも悲しんでいる様子のない房子はダンスをせがみ、また悪戯のように接吻してきた。一雄は怒って混乱し接吻をやめるように言った。一雄は房子を訪ねるのは差し控えることにした。房子を引き裂くサディスティックな妄想にとりつかれ出したからだった。
4月10日の土曜、役所が退けて席で弁当を食べていた一雄のもとへ、房子を連れたしげやが面会にやって来た。しげやはしつこく家への訪問を勧めた。一雄はとりあえず房子を新宿へ映画を見せに行くということで、しげやを帰した。房子は家の外では媚態を見せずにお菓子や映画に満足し子供に返っていた。それから後日、すばらしい太陽の照る昼休み、虚無的な思いにとらわれ何か爆発的なものが内側と外側からしめつけられていた一雄は、「鍵のかかる部屋」で一人でしばらく休みたいと考え、また東畑家に行った。
しげやは、房子が具合が悪くてちょうど学校を休んでいると言い、応接間へ一雄を通した。やって来た房子は今までと違い、動作が静かで大人しかった。肩を抱くと体を固くし抵抗したため、それに刺激された一雄は初めて女にするような接吻をしたが、房子の唇は乾いていなかった。房子を引き裂くという怖れていた妄想に一雄はまたとらわれた。房子は部屋の鍵をかけていなかった。一雄が鍵をかけにドアの方へ行くと、外のしげやに呼ばれ、房子に今朝初潮があったことを教えられた。まだ9歳なのにと驚く一雄に、しげやは自分も早かったからと、房子が実は自分の娘であることを告げた。もう房子に会うべきでないと思った一雄は房子に「さよなら」を言い、ドアを開けて部屋から出た。すばやく背後に内側から鍵のかかる音が聞えた。しげやが一雄を帰すまいと玄関に出てきた。そして手に持っていた溺死体のような大きな雑巾から、夥しく水をしたたらせながら、追い詰めるようにこう繰り返した。「もうおかえりになるんですか。それはいけません」
登場人物[編集]
- 児玉一雄
- 23歳。財務省銀行局国民貯蓄課の新任の事務官。たえず無関心を持している。バスで揺れたり、役所の机で眠くなるとよく勃起する。そういうときポケットに手を入れて、それを軽く慰撫するが別に快感はない。外界の無秩序に逆らって、内心の無秩序を純粋化して、ほとんどそいつに化身してしまおうとしている。「契約の酒場」というサディストが集って空想を語り合う酒場が夢にときどき出てくる。破滅的なインフレーションが必ず来ると思っている。財務省は建物を進駐軍にとられているので、四谷の汚い小学校の建物に逼塞されている。
- 東畑桐子
- 和服の女。赤坂離宮の横の小公園の裏手の中流住宅に居住。夫と9歳の娘がいる。女学生時代はバレーボールの選手だった。夫はほとんど不在。快楽の最中でもまるきり叫ばず、意識的に陶酔する女。煙草をよく喫み、心臓脚気の持病がある。かかりつけの医者がいる。
- 東畑房子
- 桐子の娘。9歳。G学院の小学校2年。見知らぬ人にまで、可愛らしく見せたいために微笑に歯を見せる子供。踊りを習っている。「小学生の貯蓄宣伝ポスター」で3等をとる。図案はアメリカの絵本にあったのを真似たもの。
- しげや
- 桐子の家の女中。肥って真っ白な、毛の薄い、蛆のような女。着物の胸元がいつも少しはだけ、肌が白くて、てかてか光っている。手首に輪ゴムを二つ三つはめている。房子の本当の母親。
- 女事務員
- 一雄の向い合わせの机にいる事務員。ペン皿に丸い毛糸の人形を乗せて、暇なときに鉛筆の先でそれを突っついて机の上で転がしている。出勤するとすぐ、必ず10本の鉛筆の先を錐のようにとがらす仕事に熱中する。
- 課長
- 次官。一雄の上司。小柄。自分が帝銀事件の犯人になった夢を見たことを皆に話すが、面白くない話なので部下たちはお愛想笑いをする。
- インバネスを着た老人
- 一雄の家の近くの郊外電車の駅のベンチにいた老人。突然、うるさい謡をうなり出す。インバネスコートを着て、鉢植えの梅を持っている。
- 桑原
- 一雄がいたT大の就職係の事務員の女。省線電車の中で一雄に声をかける。N教授の隠し子か、あるいは妾という噂がある。
- 同級学士たち
- 一雄と同級で入省した者たち。同級会を作り、週に一回「ケインズの一般理論」のゼミナールをやる。横浜税関が見せるエロ映画をみんなで見に行く。半分以上は童貞。彼らの先輩には29歳まで童貞のまま結婚した男がいて、世間では「自信のある男」と呼ばれていた。
- 朝山画伯
- 画家。小肥りで愛想がよく、いつも洒落を飛ばしている。姿も人となりも安楽椅子のような男。自分が人気者だということをよく知っていて、大臣にも左官にも同じ冗談まじりの挨拶をする。いつも薔薇色の頬。15分も話すと人を魅了させる。財務省主催の「小学生の貯蓄宣伝優秀ポスターと綴方の審査会」のため日銀に招かれる。
- 局次長や日銀の役員たち
- 「小学生の貯蓄宣伝優秀ポスターと綴方の審査会」に集まった役員。朝山画伯の人柄に魅了される。
- 高等学校時代の友人
- 双子の兄がいる。双子の姉妹の姉に惚れて結婚する兄と同じように、自分もその妹を好きになりたいが、ならないので悩んでいる。
- 同僚
- 一雄の同級の同僚。二本筋のある太った頸。大抵のやつが権力機構だと思い込んでいる司令部を、人間関係としか見ない大人の目の持主。人間関係に生きていて、人間関係しか信じていない。
- 久しく会わない友人
- 「前略、生存しております、敬具」という葉書をよこした2、3日後に自殺。一雄は葬式に参列する。
- その他の人々
- ダンスホールの中央の密集した渦の中で、舌を出し入れし接吻し合う男女や、サックをはめている相手の陰茎を擦って射精させる女たち。省議に集まる重たい陰気な顔の局長や課長たち。省内理髪店の馴染みの理髪師。一雄の夢に登場する「契約の酒場」に集う男たち。
作品評価・解説[編集]
『鍵のかかる部屋』は、作者の三島曰く、「後世の人は、ここに、大江氏のエロティシズム観の一つの小さな予兆を見出すかもしれない」[3]との見解であるが、これについて奥野健男は、三島が自作を、大江文学の政治情況とかかわるデスペレートな性的人間の主張の予兆的な先駆的作品と指摘しているのは、自己の作品を見事に客観的に認識しているとし[1]、『鍵のかかる部屋』は、「現代人のみじめさ、政治との必然的なかかわりあい、サディストの心理をファシズムの心理との関係でとらえている」[1]と解説している。
また奥野は、三島の文学が、同時期に書かれた、反対の趣の『潮騒』の方向にも直接には進まなかったと同時に、『鍵のかかる部屋』の作品傾向を深化させる方向にも進まなかった点に触れ、これらの作品は夭折をあきらめ生を全うすることにしていた戦後の三島が、現代文学の主流になるために試行錯誤していた実験作であり、地盤固めの作品群であったと論じている[1]。そしてその後三島は、自身の文体を壊して書いた実験作の『鍵のかかる部屋』の失敗を二度と繰り返すまいと、「表面の硬質の美だけに真実がある」と信じる本来の文体に立ち返ることになったが[1]、『鍵のかかる部屋』は頽廃した不吉な現代社会への照応も確かであった作品だと奥野は高い評価をし[1]、この時期の三島の純文学者として評価は、ベストセラーの『潮騒』よりも、この陰気な『鍵のかかる部屋』によって期待され支えられていたとしている[1]。
田中美代子は、『鍵のかかる部屋』に登場する人物も、様々な局面において「日本の社会共同体の集合的魂の顕現であり、時代精神の体現者」であるとし[4]、父親不在の「鍵のかかる部屋」へ若い男を呼び入れ、「奇妙な秘密の遊び」を続ける母親と幼い少女もその例外ではないと解説している[4]。
おもな刊行本[編集]
- 『鍵のかかる部屋』(新潮社、1954年10月15日)
- 限定版『鍵のかかる部屋』(プレス・ビブリオマーヌ、1970年6月) 限定575部(A版とB版の2種)。
- 越前産一枚漉「三島由紀夫」透入り局紙。口絵1頁1葉(古沢岩美自刻銅版画、署名番号入)。本文中、挿画10葉(古沢岩美)。
- 収録内容:鍵のかかる部屋、あとがき/補記(別紙1葉)
- A版395部(記番・署名入)は、総革装。布装夫婦函。天金。表紙に純金象嵌番号鍵はめ込み。
- B版180部(記番入)は、装本:佐々木桔梗。紙装。布装帙。天金。国電四谷駅入場券貼付。児玉一雄名刺1枚添付。
- ※ 575部のほかに、特別限定B版15部(口絵なし)がある。また、刊行者によれば、三島没後に製本された無番号A版5部(口絵手彩色、表紙鍵に三島と刻印、赤色バックスキン表紙のもの3部、青色バックスキン表紙のもの2部、函入)あり。
- ※ 付録の「児玉一雄名刺」には余白に、“私の友人三島由紀夫氏を「鍵のかかる部屋」に御紹介します 東畑房子さま”と青字で書かれている。
- 文庫版『鍵のかかる部屋』(新潮文庫、1980年2月25日)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 文庫版『鍵のかかる部屋』(付録・解説:田中美代子)(新潮文庫、1980年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第19巻・短編5』(新潮社、2002年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第33巻・評論8』(新潮社、2003年)
- 奥野健男『三島由紀夫伝説』(新潮文庫、2000年)