獣の戯れ
『獣の戯れ』(けもののたわむれ)は、三島由紀夫の長編小説。1961年(昭和36年)、週刊誌「週刊新潮」6月12日号から9月4日号に連載され(挿絵:東山魁夷)、同年9月30日に新潮社より単行本刊行された。現行版は新潮文庫で重版されている。1964年(昭和39年)5月23日に若尾文子の主演で映画化された。
三人の男女の間に生まれた奇妙な愛と共同生活と、その終局への決断が西伊豆の村の豊かな自然や花を背景に、高雅で色彩的なタッチで描かれた物語。通俗的な男女の嫉妬や憎悪や愛情のもつれのような物語的な感情がすべて脱色されたところに、人間の奇怪な安らかさが描かれ、扇情的なタイトルとは裏腹に、静寂的な作品となっている[1]。
西伊豆町の黄金崎公園には本作の文学碑があり、沼津港から定期船に乗り黄金崎の断崖の下を通過する際に見た景観を描写した一節が刻まれている。
あらすじ[編集]
2年の刑期を終え、幸二は草門優子の待つ西伊豆へ船でやって来た。2年前、大学生だった幸二は、草門逸平・優子夫婦の営む銀座の西洋陶磁店でアルバイトをしていた。幸二と同大学の独文科出身の逸平は家業の店を経営する一方、訳書や評論などを書いたこともある知的ディレッタントで、また退廃した遊び人でもあった。何もかも恵まれた末に腐敗した逸平は、全くやきもちを示さない妻・優子への腹いせにヒステリックに浮気を重ねていることを幸二に語った。血気さかんな幸二はそんな優子へ恋心を寄せた。実は優子は興信所に調べさせ、夫の浮気を全て知っていて苦しんでいたが、このことだけは主人に言わないでほしいと幸二に言った。
優子と逸平の煮え切らない関係に苛立ちを覚えた幸二は、逸平が愛人と密会しているアパートへ優子を連れ立って行った。幸二は優子と待ち合わせた場所に落ちていたスパナを上着の内ポケットに入れていた。逸平が待ち望んでいた優子の嫉妬の行動にもかかわらず、彼の斜にかまえた冷静な態度に幸二は失望した。そして、慟哭し夫にすがろうとする優子に冷たく平手打ちをした逸平に向かい、幸二はその頭をスパナで殴打した。
それ以来、逸平は失語症と右半身麻痺の身体になり、幸二は傷害罪で服役していたのだった。その間、優子は銀座の店をたたみ、知り合いの園芸会社の伝手で、西伊豆の伊呂村(安良里)に、花の温室を建て草門園芸を営み始めた。そして、出所し身寄りのない幸二を引き取り、そこで三人の暮らしが始まった。逸平は言葉が不自由になっただけでなく、人格も変ったようになり諦観したかのような微笑を常にしていた。自然に囲まれ、充実した仕事ぶりの幸二だったが、しだいに叶えられない優子への愛に満たされぬ思いを抱いた。幸二は、村に帰省した喜美という浜松の楽器工場で働いている娘を抱いた。喜美の父親は草門園芸で園丁をしている使用人の定次郎だったが、幸二は定次郎から、喜美が家出をした理由を聞かされ驚愕した。定次郎は娘を強姦したのだった。
町に帰る喜美が幸二に挨拶に来たときに、優子が示した嫉妬のような態度に幸二は喜び、夜、自分の寝床近くにやって来た優子を抱こうとした。優子は主人がやって来ると言い、むしろ逸平の目にさらされることを望んでいたが、幸二は断固としてそれを拒んだ。逸平がゆっくり階段を上って来た。そして隣の客間で優子に、明日からここで寝たいと言った。後日、幸二は散歩の折に、自分たちを支配している達観したような空っぽな逸平に、あんたは何を望んでいるのか、と詰問した。逸平は、「死。…死にたい」と言った。
幸二と優子が逸平を絞殺する事件の数日前、三人は港の向う岸へ出かけ、仲良く写真を撮った。その写真は日頃、彼らと親交のあった泰泉寺の住職の覚仁和尚に預けられていた。幸二と優子が自首する前も二人は住職に、どうか三人の墓を並べて建ててほしいと懇願して行った。幸二は死刑が確定し、その約1年半後に刑死した。逸平の墓の左隣りに優子の寿蔵を、その更に左隣りに幸二の墓が建てられた。その墓の写真を見た無期懲役の優子は、面会に来た住職の使いの民俗学者に、「本当に私たち、仲が好かったんでございますよ。私たち三人とも、大の仲良しでした。和尚さんだけが御存知でした」と言った。
登場人物[編集]
- 幸二
- 2年間は快活で激しやすい21歳の青年。親も兄弟も親戚もなく、親の遺産で大学に通っていた。草門逸平の経営する銀座の西洋陶器の店でアルバイトをし、草門夫婦と知り合う。
- 草門逸平
- 大学の独文科を卒業後、私大の講師を務めたりしたのち、親の遺業をついで銀座の西洋陶器の店を経営していた。芸術愛好家で、ホーフマンスタールやシュテファン・ゲオルゲの訳書や評論本を出したこともある。痩せた白い腕。イタリア製の絹のシャツとネクタイを身につけていた伊達者。2年間の40歳の時、幸二に殴打されて右半身麻痺の失語症となる。
- 草門優子
- 逸平の妻。丸顔で大まかな花やかな顔立ち。大きな潤んだ目、豊かな頬。唇だけが薄い。幸二が起こした事件後、銀座の店をたたみ、西伊豆の伊呂村で園芸を営む。
- 囚人たち
- 幸二が服役していた刑務所の囚人たち。汚い湯船につかる丸刈りの男たち。
- 町子
- 逸平の愛人だった女。逸平は毎週火曜日の夕方に町子のアパートを訪れていた。
- 定次郎
- 草門園芸で雇っている園丁。老いた元漁夫。日に灼けた古い鎧のような堅固な顔。白髪の丸刈り頭。若者のような機敏な物腰。妻はすでに死別。
- 喜美
- 定次郎の娘。浜松の帝国楽器で女工をしている。美しい上に、その美しさを鼻にかけているので、村の娘たちや地道な人たちから鼻つまみにされている。小柄だが、村の娘の中で最も乳房が大きい。工場で自分がその一部を手がけた新品のウクレレを肌身離さず持っている。父親に強姦され家を出た。
- 「海燕」の主人
- 伊呂村にただ一軒の酒場の主人。
- 松吉
- 漁夫。愚鈍な若者。喜美の幼馴染。肩幅が広く、胸の筋肉が夏の雲のように隆起している。
- 清
- 航空自衛隊の整備員。明るい丸顔。喜美の幼馴染。松吉と喜美を争っている。真面目な抒情的な青年。
- 覚仁和尚
- 泰泉寺の住職。血色のいい、笑窪のできる頬の丸顔。気持のよい小さな細い目。逸平夫婦と幸二から苦悩の匂いを嗅ぎとる。優子から金を託され、寺に逸平と優子と幸二の墓を並んで建てた。
- 私
- 高校教師で、民俗学研究者。夏休みに西伊豆に採訪の旅に出て、泰泉寺の覚仁和尚から、逸平夫婦と幸二の事件の話を聞き、栃木刑務所にいる優子に面会に行く。
作品評価・解説[編集]
挿絵を依頼された東山魁夷は、『獣の戯れ』の原稿のコピーを読んでから、西伊豆の安良里に行き、また丹念に原稿を読んだという。東山は、「私は次第にこの小説の主人公達の世界に引き入れられて、はじめに心配したのとは反対に、言葉によって形成されている情景なり、心象が、ある時は暗く、グロテスクに、ある時は明るく、のびやかに、私の眼前に生き生きとした形態となってあらわれてくるのだった」[2]と述べている。東山は、無名の学生時代にアルバイトで挿絵を描いたことはあったものの、画家として自立してからは初めての挿絵であったという[2]。
本作について田中美代子は、音楽や絵画を解説しても何ものも伝えたことにならないように、読者は文体の魅力を味わわれるがよい、この小説はおせっかいな解説屋などが、もっともらしい思想の説明でお茶を濁すことができないようにちゃんと仕組まれている作品だと述べている。
佐藤秀明は、「嫉妬も憎悪も愛情のもつれもなく、いわばそういう物語的な感情がすべて脱色されたところに、人間の奇怪な安らかさが描かれる」[1]と解説し、「通俗小説的なアイテムが一つひとつ言い換えられてしまうところに、この小説の静かな魅力があるのだ」[1]の述べている。
映画化[編集]
『獣の戯れ』(大映) 1964年(昭和39年)5月23日封切。モノクロ 1時間34分。
スタッフ[編集]
キャスト[編集]
- 草門優子:若尾文子
- 草門逸平:河津清三郎
- 梅宮幸二:伊藤孝雄
- 寛仁和尚:三島雅夫
- 定次郎:星ひかる
- 木部教誨師:加藤嘉
- 喜美:紺野ユカ
- 町子:十和田翠
- 松吉:工藤堅太郎
- 清:井上大吾
- 三郎:三夏伸
- 病院の医師:中条静夫
- 刑務所所長:早川雄三
- 秀子:目黒幸子
おもな刊行本[編集]
- 『獣の戯れ』(新潮社、1961年9月30日)
- 装幀:東山魁夷(見返し・扉)。紙装。青銀色帯。
- 本文中、挿絵7葉(東山魁夷)。
- ※ 1964年(昭和39年)5月30日発行の2刷でカバーを薄クリーム色に改装。赤色帯。
- 文庫版『獣の戯れ』(新潮文庫、1966年7月10日。改版1988年)
- 白色帯。付録・解説:田中美代子。
- 新装版『獣の戯れ』(新潮社、1971年6月20日)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 文庫版『獣の戯れ』(付録・解説 田中美代子)(新潮文庫、1966年。改版1988年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第8巻・長編8』(新潮社、2001年)
- 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)