午後の曳航
『午後の曳航』(ごごのえいこう)は、三島由紀夫の書き下ろし長編小説。1963年(昭和38年)9月10日に講談社より、三島作品初版では初めて現代かなづかいで刊行。現行版は新潮文庫で重版されている。本作は内外で高い評価を受け、1965年(昭和40年)にはジョン・ネイスンによる英訳が出された。
1967年(昭和42年)5月1日に、三島の短編集『真夏の死』がフォルメントール国際文学賞第2位受賞した際に、『午後の曳航』も候補作品に挙げられていた。この年の日本人作家の候補作は三島由紀夫の他には、安部公房の『他人の顔』がある。
横浜山手を舞台に、ブティックを経営する未亡人と息子、そしてその女性に恋する外国航路専門の船員とが織り成す人間模様と、少年たちの残酷性を描いた。なおモデルとなったブティックは横浜元町に現存する。三島作品では珍しく、前編「夏」・後編「冬」に分かれている。構成としては、前編はごく普通のメロドラマとして終わり、後編でその世界が崩壊していく様が書かれている。
三島没後の1976年(昭和51年)に日米英合作の映画が、舞台を英国に移しサラ・マイルズとクリス・クリストファーソン主演で作られた(原題:The Sailor Who Fell from Grace With the Sea)。現在はDVDが紀伊國屋書店で販売されている。
ドイツの作曲家・ハンス・ヴェルナー・ヘンツェによる歌劇『裏切られた海』の原作となり、ベルリン・ドイツ・オペラで、1990年(平成2年)5月5日に初演された。
あらすじ[編集]
横浜市中区山手町の谷戸坂上にある家に母・黒田房子と住む13歳の登は、自分の部屋の大抽斗(ひきだし)を抜き取ったところに覗き穴があるのを偶然発見した。この家はアメリカ占領軍に接収され、その家族が一時住み洋風に改築された家だった。覗き穴からは母の部屋がよく見え、夜、裸体で自慰をする母を登は見たりしていた。房子は5年前に夫を亡くしていた。その後は夫に代わり、元町の輸入洋品店のブティック・レックスを房子が取り仕切っていた。
ある夏休みの夜、登が除き穴を見ると、二等航海士・塚崎竜二が裸で立っていて、母が脱衣しているところであった。開け広げた窓から横浜港の汽笛が響いてきた。男が海のほうを振り向いた光景を見た登は、奇蹟の瞬間だと思い感動する。房子は船マニアの登にねだられて、貨物船見学を店の顧客の船会社重役に頼んで許可してもらい、前日に航海士の塚崎竜二と出会ったのであった。
竜二は、海に「栄光」や「大義」があると思っている孤独な風情のある逞しい男で、登はそんな竜二を「英雄」として見て憧れた。そのことを遊び仲間の同級生グループに得意げに報告していた。この少年グループの首領は、「世界の圧倒的な虚しさ」を考察し、他の少年たちに猫を解剖することを命じた。また、父親や教師の大罪について教授し、集まる数名の少年たちを番号で呼んでいた。
やがて、竜二は房子のブティック・レックスを一緒に経営するために接待用に英会話のテレビを見たり、一般教養のために下らない美術書や文学書を読み始め、店の経営のことを勉強したりするようになった。海の男・竜二を羨望していた登は戸惑い失望する。そして、ついに2人が結婚することとなり、「英雄」だった存在が「父親」となり、憧れていた船乗りの竜二が、この世の凡俗に属していくのを裏切りと登は感じる。そのことを登は首領に報告する。首領は、3号(登)を裏切った竜二を処刑しなければならない、そいつをもう一度英雄にしてやるんだと提言し、みんなに竜二の処刑を命令する。
登は竜二に、友だちにパパの航海の話をしてほしいと言い、彼を杉田のとある小山の洞穴に案内した。竜二をおびき寄せた少年たちは睡眠薬を混ぜた紅茶と、メスやゴム手袋を隠し持っていた。
作品評価・解説[編集]
担当編集者の回想に、川島勝『三島由紀夫』(文藝春秋、1996年)がある。また同世代の作家・司馬遼太郎は、三島事件の文章で、この作品を真に傑作と位置づけている。
作中内の少年たちは「非力」な存在であり、「普遍的な力を持ちえないことによってさらにイロニー化される」[1]と柴田勝二は指摘している。そして佐藤秀明は、「彼ら(少年たち)は“非力”なるがゆえに全能感を持つという小説内の論理を背負っている。“子供たちの夢みがちで残忍な眼”を捉えて、村松剛は“メルヘン”(“おとなのための童話”)と呼んだが、“非力”なるがゆえの全能感という転倒した論理が、現実的には“メルヘン”に見えるのは当然だった。しかし『午後の曳航』が発表されて三十数年経ったとき、そこには“メルヘン”ではない少年少女が出現してしまった。『午後の曳航』は、人間の極北を見た作者が、人間の悪を“メルヘン”ではなく可能性として描いてしまった先見の小説だったのである」[2]と述べ、本作が、神戸連続児童殺傷事件の犯人の少年・酒鬼薔薇聖斗のような出現を先見していた小説だと見ている。また、「私たちの常識や価値観に大きな揺さぶりをかける、その意味では真に文学的な傑作である」[2]とも述べている。
田坂昮は、『午後の曳航』の二部構成の「夏」と「冬」は、「海」と「陸」といってもよいとし、三島にとっての「戦前・戦中」と「戦後」にも置き換えられると見ている。そして、竜二が振り向いた海からの汽笛(海の潮の情念のあらゆるものを満載して響いてくる「海そのものの叫び声」)を「ディオニュソス」と捉え、それは三島が「古事記」論[3]で言っている純粋天皇・神的天皇・ヤマトタケルに置き換えられるとしている[4]。
松本道介はオペラ化された本作について解説しつつ、原題の『午後の曳航』のローマ字読みである GOGO NO EIKO について、「『午後の曳航』という題名にはポエジーを感じる。(中略)独語訳英語訳の題名を見るにつけても『午後の曳航』という日本語を味わうことの出来る有難さを感じる」[5]と述べている。
映画化[編集]
『午後の曳航』(英題: The Sailor Who Fell from Grace With the Sea)のタイトルで 1976年(昭和51年)4月封切。カラー 1時間45分。日米英合作。登場人物が全て外国人名に置き換えられてはいるが、内容は極めて原作に忠実である。
スタッフ[編集]
- 製作:マーティン・ポール+ルイス・ジョン・カルリーノ・プロダクション
- 配給:日本ヘラルド映画
- 監督・脚本:ルイス・ジョン・カルリーノ
- 音楽:ジョン・マンデル
キャスト[編集]
【】は原作に該当する人物。
- アン・オズボーン【黒田房子】 - サラ・マイルズ
- ジム・キャメロン【塚崎竜二】 - クリス・クリストファーソン
- ジョナサン・オズボーン(3号)【黒田登】 - ジョナサン・カーン
- パーマー夫人 - マルゴ・カニンガム: オズボーン家の家政婦。
- 首領 - アール・ローデス
- 2号 - ポール・トロピア
- 4号 - ゲイリー・ロック
- 5号 - スティーブン・ブラック
- リチャード・ペティット - ピーター・クラハム: アンの経営する店の従業員。
- メアリー・イングラム - ジェニファー・トールマン: アンの経営する店の従業員。
オペラ化[編集]
ドイツの作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェが『裏切られた海(Das verratene Meer)』として1986年 - 1989年にオペラ化し、ベルリン・ドイツ・オペラで1990年(平成2年)5月5日に初演された。日本では以下の公演が行われた。
- 読売日本交響楽団第420回定期演奏会
- 東京交響楽団第516回定期演奏会 「裏切られた海(Das verratene Meer)」
- 2004年(平成16年)6月19日 東京・サントリーホール
- 指揮:秋山和慶。演出:実相寺昭雄。舞台監督:幸泉浩司。
- 出演:ピア=マリー・ニルソン、ピーター・マーシュ、クラウディオ・オテッリ、大久保光哉、ダニエル・ブベック、星野聡、ほか
- ※ ドイツ語オリジナル版(字幕付き)による日本初演、演奏会形式。
おもな刊行本[編集]
- 『午後の曳航』(講談社、1963年9月10日)
- 文庫版『午後の曳航』(新潮文庫、1968年7月15日。改版1990年)
- 『午後の曳航』(講談社・現代文学秀作シリーズ、1970年9月4日)
- 新装版『午後の曳航』(講談社、1976年5月24日)
- カバー装幀:大沢昌助。紙装。黒色帯。
- 帯(背)に「映画化原作」、帯(表)に「ヘラルド映画原作/The Sailor who fell from grace with the sea」とあり、映画のスチール1葉。
- 英文版『Sailor Who Fell from Grace with the Sea』(訳:ジョン・ネイスン)(Penguin Books Ltd、1970年5月。Vintage、1994年)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 文庫版『午後の曳航』(付録・解説 田中美代子)(新潮文庫、1968年。改版1990年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
- 田坂昮『増補 三島由紀夫論』(風濤社、1977年)