葉隠入門
『葉隠入門』(はがくれにゅうもん)は三島由紀夫の評論。1967年(昭和42年)9月1日に光文社(カッパ・ビブリア)より刊行された。現行版は新潮文庫より刊行され続けている。
この書に先んじて1955年(昭和30年)に発表した評論『小説家の休暇』において三島は、「私は戦争中から読みだして、今も時折『葉隠』を読む。犬儒的な逆説ではなく、行動の知恵と決意がおのづと逆説を生んでゆく、類のないふしぎな道徳書。いかにも精気にあふれ、いかにも明朗な、人間的な書物。封建道徳などといふ既成概念で『葉隠』を読む人には、この爽快さはほとんど味はれぬ。この本には、一つの社会の確乎たる倫理の下に生きる人たちの自由に溢れてゐる」[1]と述べているが、『葉隠入門』はそれをより具体的に論じた書である。『葉隠』を通じて人生観、死生観を説き、三島自身の文学的思想的自伝でもある。
付録として、『葉隠』名言抄(訳:笠原伸夫)が同書に収められている。
内容・あらすじ[編集]
わたしは、芸術というものは芸術だけの中にぬくぬくとしていては衰えて死んでしまうと考える。この点でわたしは、世間のいうような芸術至上主義者ではない。芸術はつねに芸術外のものにおびやかされ鼓舞されていなければ、たちまち枯渇してしまうのだ。文学などという芸術はつねに生そのものから材料を得て来ているが、その生なるものは母であると同時に仇敵であり、芸術家自身の内にひそむものであると同時に、芸術の永遠の反措定(アンチ・テーゼ)なのである。「葉隠」の生の哲学の透明なさわやかな世界は、つねに文学の世界の泥沼をおびやかし挑発する。しかし「葉隠」の影響が、芸術家としてのわたしの生き方をむずかしくしてしまったと同時に、「葉隠」こそはわたしの文学の母胎であり、永遠の活力の供給源なのである。
「一芸これある者は芸者なり、侍にあらず」。「葉隠」の芸能人に対する侮蔑は、胸がすくようである。現代では人を魅する専門的技術の持ち主が総合的な人格を脱して一つの技術の傀儡となるところに、時代の理想像が描かれている。この点で芸能人も技術者も変わりない。現代はテクノクラシーの時代であると同時に、芸能人の時代である。一芸に秀でたものは、その一芸によって社会の喝采をあびる。同時に、いかに派手に、いかに巨大に見えようとも、人間の全体像を忘れて、一つの歯車、一つのファンクション(機能)にみずからおとしいれ、またみずからおとしいれることに人々が自分の生活の目標を捧げている。
「葉隠」は天下太平の世相に対して、死という劇薬をの調合を試みたものである。山本常朝の着目は、その劇薬の中に人間の精神を病いから癒すところの、有効な薬効を見出したことである。
「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこい)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんとうの恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もっともたけの高い恋であると断言している。 アメリカ風な恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものであるが、その恋愛のエネルギーはけっして内にたわめられることがなく、外へ外へと向かって発散する。しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに滅殺されるという逆説的な構造をもっている。もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬという経過を何度もくり返していると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目にみえている。
日本人本来の精神構造の中においては、エロース(愛、恋)とアガペー(神への愛)は一直線につながっている。もし女あるいは若衆に対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変わりない。このようなエロースとアガペーを峻別しない日本の恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」という名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤をなした。今は戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊しているとはいえない。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信である。
「葉隠」では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬほうを選ぶべきだという決断をすすめながら、一方ではいつも15年先を考えなくてはならない、15年過ぎてやっとご用に立つのであって、15年などは夢の間だということが書かれている。これは一見矛盾するようであるが、常朝の頭の中には、時というものへの蔑視があったのであろう。時は人間を変え、人間を変節させ、堕落させ、あるいは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか真実がないとすれば、時の経過というものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、その夢のような15年間を毎日毎日これが最後と思って生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いている生の哲学の根本理念である。
神風特攻隊は、もっとも非人間的な攻撃方法と言われ、戦後、それによって死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名をこうむっていた。しかし、国のために確実な死へ向かって身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあったに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、「葉隠」 の明快な行動と死の理想に、もっとも完全に近づいている。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強いられることもできない。たとえ、強いられた死として極端な死刑の場合でも、精神をもってそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強いられた死ではなくなるのである。また、原子爆弾の死でさえも、あのような圧倒的な強いられた死も、一個人一個人にとっては運命としての死であった。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追いつめられた形でしか、死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、永久にまつわりついている。
自由意思の極致のあらわれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、ついに自分で選んで選び得なかった宿命の因子が働いている。また、たんなる自然死のように見える病死ですら、そこの病死に運んでいく経過には、自殺に似た、みずから選んだ死であるかのように思われる場合が、けっして少なくない。 「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強いられた死だと、厳密にいう権利はだれにもないわけなのである。問題は一個人が死に直面するというときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかという人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかという問題である。
われわれにとって、もっとも正しい死、われわれにとってみずから選びうる、正しい目的にそった死というものは、はたしてあるのであろうか。人間が国家の中で生を営む以上、そのような正しい目的だけに向かって自分を限定することができるであろうか。あるいは国家を前提にしなくても、まったく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の完全に正しい目的のための死というものが、選び取れる機会があるであろうか。そこでは死という絶対の観念と、正義という地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、また歴史によって10年後、数10年後、あるいは100年後、200年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。「葉隠」は、このような煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくということを考えている。なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかというときに、死ぬことをすすめているのである。それはけっして死を選ぶことだとは言っていない。なぜならば、われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
われわれが生きているということは、すでに何ものかに選ばれていたことかもしれないし、生がみずから選んだものでない以上、死もみずから最終的に選ぶことができないのかもしれない。では、生きているものが死と直面するとは何であろうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、情熱の高さとその力を肯定して、それによって生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでいる。死について「葉隠」のもっとも重要な一節である。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という文句は、このような生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、一刀をもって切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」。図に当たるとは、現代のことばでいえば、正しい目的のために正しく死ぬということである。その正しい目的ということは、死ぬ場合にはけっしてわからないということを「葉隠」は言っている。
「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」。生きている人間にいつも理屈がつくのである。そして生きている人間は、自分が生きているということのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。したがって「葉隠」は、図にはずれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはずれて死んだほうがまだいいという、相対的な考え方をしか示していない。「葉隠」は、けっして死ぬことがかならず図にはずれないとは言っていないのである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくだろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
おもな刊行本[編集]
- カバー装幀:粟津潔。紙装。カバー(表)・本扉には副題のような体裁で「武士道は生きている」とある。
- 口絵写真4頁7葉(山本常朝墓碑ほか)。本文、中扉にイラスト39葉(横尾忠則)。
- 見返し(表)に「『葉隠』遺跡地図」(村上豊)。見返し(裏)に「『葉隠』参考年表」。
- カバー袖に著者肖像写真、略歴、および三島の「わたしのただ一冊の本『葉隠』」と、石原慎太郎の「三島由紀夫氏のこと」記載。
- 文庫版『葉隠入門』(新潮文庫、1983年4月25日)
- 英文版『葉隠入門―The Samurai Ethic and Modern Japan』(訳:Kathryn Sparling)(Souvenir Press Ltd、1977年10月13日。チャールズイータトル出版、1978年。他)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 文庫版『葉隠入門』(付録解説 田中美代子)(新潮文庫、1983年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)