蘭陵王 (小説)
『蘭陵王』(らんりょうおう)は、三島由紀夫の最後の短編小説。1969年(昭和44年)、文芸雑誌『群像』11月号に掲載され、翌々年の1971年(昭和46年)3月5日に講談社より自筆原稿完全復元の限定版で単行本刊行された。現行版は新潮文庫『鍵のかかる部屋』に収録されている。
三島が1969年(昭和44年)8月20日に陸上自衛隊富士学校で行なった楯の会の戦闘訓練の際の一挿話である。演習を終えた夏の夜、簡素な兵舎で1人の学生が奏でる横笛「蘭陵王」に、耳を傾ける「私」の感慨が、厳かに詩的に綴られている。
作品評価・解説[編集]
島内景二は『蘭陵王』の中の文章、「部屋におちつくと、私はここへ来てはじめてきく虫の音が、窓外の闇に起るのを知つた。何一つ装飾のないこの部屋が私の気に入つてゐた。一つの机、一つの鉄のベッド、壁に掛けられてゐるのは、雨衣と、迷彩服と、鉄帽と、水筒と、……余計なものは何一つなかつた。開け放たれた窓のむかうには、営庭の闇の彼方に、富士の裾野がひろがつてゐるのが感じられる。存在は密度を以て、息をひそめて、真黒に、この兵舎の灯を取り囲んでゐる。永年欲してゐた荒々しくて簡素な生活は、今私の物である。(中略)要するに私は幸福だつた」を例に引きながら、以下のように解説している。
「それにしても、この自衛隊での暮らしぶりは、中世の遁世者たちや芭蕉が求めた『草庵』での心静かな生活そのものではないか。文壇で忙しく活躍する三島にとって、『体験入隊』は、一種の『出家』だったのだろう。体験入隊が終わると、再び三島は都会と文壇の喧操の中へ戻ってくる。言わば、『還俗』である。三島由紀夫は、擬似的な出家と還俗を繰り返しているうちに、少しずつ現実生活を出家生活へ近づけようとし始める。正式な出家をしたわけではないが、仏教に心を深く染めている男を、『優婆塞』という。三島は、自衛隊での『草庵』暮らしに憧れるあまりに、優婆塞としての生活を自分に課すようになる。それが、楯の会での活動となった。自衛隊にせよ、楯の会にせよ、集団の規律を重んじるだけの団体ではなかった。三島にとっては、『理性の草庵』を求める精神活動の一環だったのである」[1]と島内景二は述べている。
小田実は、三島がすぐれた文学者で、絢爛たる才能の持ち主であったことを述懐し、「たとえば、自決前年の『蘭陵王』――ああいう作品はなかなか書けるものではない」[2]と述べている。また、「『文』においても、今や『商』あっての『文』。私は三島の『文』『武』に賭けた純情をなつかしく思う」[3]と回顧している。
おもな刊行本[編集]
- 限定版『蘭陵王』(講談社、1971年3月5日) 限定1,500部(記番入)
- 評論集『蘭陵王―三島由紀夫 1967.1 - 1970.11』(新潮社、1971年5月6日)
- 文庫版『鍵のかかる部屋』(新潮文庫、1980年2月25日)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 文庫版『鍵のかかる部屋』(付録・解説 田中美代子)(新潮文庫、1980年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第20巻・短編6』(新潮社、2002年)
- 島内景二『三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ』(ミネルヴァ書房・ミネルヴァ日本評伝選、2010年)