橋づくし

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橋づくし』(はしづくし)は、三島由紀夫短編小説築地界隈を舞台に、陰暦8月15日満月の夜に7つの橋を渡り願掛けをする女たちの悲喜交々を、数学的な人工性と古典的な美学とを巧妙に組み合わせて描いた作品である[1]。優れた技巧と構成で、多くの文芸評論家や作家から、短編の傑作として高い評価を受けた[2]1956年(昭和31年)、文芸雑誌『文藝春秋』12月号に掲載された。単行本は翌々年1958年(昭和33年)1月31日に文藝春秋新社より刊行された。同書には他に6編の短編が収録されている。1971年には単独豪華限定版も刊行された。現行版は新潮文庫の『花ざかりの森憂国』に収録されている。翻訳版は1966年(昭和41年)のエドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Seven Bridges)をはじめ、各国で行われている。

1958年(昭和33年)10月には、三島が書いた舞踊用台本で舞踊劇が上演され、1961年(昭和36年)7月には新派で劇化上演された。

1967年(昭和42年)度のフォルメントール国際文学賞 (Formentor Literature Prize)で第2位を受賞した短編集『真夏の死 その他』(“Death in Midsummer and other stories”)の中の一作として収録されている。

概要[編集]

陰暦8月15日満月中秋の名月)の夜、無言のまま7つの橋に願掛けをして渡ると願いが叶うという言い伝えに従って四人の女が橋を渡る物語。四人のうち誰が最後の橋を渡るのか、その歩行から人間性の意外な“重量”が浮かび上がる[2]。何となく面白おかしい客観性、冷淡で高雅な客観性を、文体の中にとり入れている作品である[3]

エピグラフとして、男女が橋を渡りながら死出の旅へ発つ、『「天の網島」名ごりの橋づくし』からの一節が引用されている。

なお、『橋づくし』の着想は、当時三島が交際し、結婚をしようとしていた女性(赤坂の料亭の娘・豊田貞子)から聞いた話からヒントを得て設定され、主人公・満佐子(“Masako”)のモデルは貞子(“Sadako”)だといわれている[4][5]。また、満佐子が恋い慕い結婚を夢見ている「R」という映画俳優は、市川雷蔵だという推測[1]、あるいは貞子と付き合っていた三島自身の投影という見方もある[4][6]。三島の恋人の貞子は、実際に料亭に雷蔵がよく来ていたことから、俳優「R」だと、友人たちから雷蔵との仲を誤解されるから、刊行の際には書き変えてほしいと三島に頼んでみたところ、「Rの付く映画俳優は日本にいないと思ってつけたつもりだったんだけど、歌舞伎俳優まで思いが及ばなかった」と言ったという[4]

あらすじ[編集]

陰暦8月15日 (旧暦)の夜、新橋の料亭・米井の娘・満佐子は、芸妓の小弓、かな子と一緒に願掛けに出かける。満月の深夜、無言で後戻りすることなく、7つの橋を渡って祈ると願いが叶うという。満佐子の願いは、「俳優のRと一緒になりたい」。満佐子と同い年の22歳の芸妓・かな子の願いは、「好い旦那が欲しい」。42歳の小太りの芸妓・小弓は、「お金が欲しい」のである。この三人と、満佐子の家の新米女中の田舎娘・みなが、お供として願掛けに加わった。願掛け参りのルールは、「7つの橋を渡るときに同じ道を二度通ってはいけない」、「今夜の願事(ねぎごと)はお互いに言ってはならない」、「家を出てから、7つの橋を渡りきるまで、絶対に口をきいてはいけない」、「一度知り合いから話しかけられたら、願(がん)はすでに破られる」、「橋を渡る前と渡ったあと、それぞれ合計14回、手を合わせてお祈りをする」などである。

四人は願掛けの橋に向かって歩きだした。月が出ており、街は寝静まり、四人の下駄の音が響いている。最初に渡る橋は向う岸に区役所のビルが見える三吉橋である。この橋は三叉の橋で、2つの橋を渡ったことになる。満佐子は手を合わせて祈っている時、ふと女中のみなを見ると殊勝に何かを祈念していた。自分と比べて、どうせろくな望みを抱いていないのだろうと満佐子は思ったりした。

第3の橋は築地橋である。ここを渡る時、はじめて汐の匂いに似たものが嗅がれ、生命保険会社の赤いネオンが海の予告の標識のように見えた。芸妓のかな子は出る前から少しあった腹痛が激しくなってきた。何かに中ったらしい。次の橋を目前にして、かな子は脱落してしまった。

第4の橋は入舟橋で、残りの三人は無事に渡った。第5の橋まで大分道のりがあり、左方の川むこうに聖路加病院の頂きの巨きな金の十字架が見えた。

第5の橋は暁橋である。毒々しいほど白い柱の橋だった。もうすぐ渡り切ろうというところで、銭湯帰りの浴衣の女が小弓に気さくに声をかけた。小弓は脱落した。いくら返事を渋ってみたところで、「一度知り合いから話しかけられたら、願(がん)はすでに破られる」のであった。

第6の橋は堺橋である。緑に塗った鉄板を張っただけの小さな橋であった。駆けるように渡ると、まばらな雨粒が降ってきた。満佐子はみなと二人だけになり、この見当のつかない願事を抱いた岩乗な山出し娘の存在が不気味になってきた。

第7の橋は備前橋である。川向うの左側は築地本願寺である。橋の前で祈念している時、満佐子はパトロールの警官に不審尋問されてしまった。満佐子は代わりにみなに答えさせようと、そのワンピースの裾を引っ張ったが、みなも頑なに黙っている。満佐子は先に駆け出して逃げようとしたが警官に腕をつかまれ、思わず、痛いと声を発してしまった。橋の先を見ると、一緒に駆け出したみなが14回目の最終の祈念を黙々とこなしていた。

家に帰った満佐子は泣いて母に、みなの気の利かなさを訴えた。一体おまえは何を願ったのかと聞いても、みなはにやにや笑うだけであった。数日後、いいことがあった満佐子が機嫌を直して、また、みなに同じことを訊ねたが、みなは不得要領に薄笑いをうかべるだけであった。

登場人物[編集]

満佐子
22歳。新橋の一流料亭・米井の箱入り娘。早大芸術科に通っている。勝気だが、色事については臆病で子供っぽい。
小弓
42歳。芸妓。五そこそこの小肥り。大食。
かな子
22歳。芸妓。踊りの筋がいいが、旦那運がなく、踊りのいい役がつかない。満佐子とは小学校の同級生。
みな
満佐子の家の新米女中。色黒で太い腕の田舎娘。引っかきまわしたようなパーマの髪。胴間声。ふくらんだ頬に糸のような目。口をふさいでも乱杭歯のどれか一本がはみ出る。
小えん
元芸妓。風呂屋帰りで、だらしなく浴衣の衿をはだけ、金盥をかかえた洗い髪。頭がおかしくなって妓籍を退き、養生している老妓。
警官
パトロールの若い警官。
満佐子の母

作品評価・解説[編集]

『橋づくし』は三島の短編の中でも特に評価の高い作品で、発表された1956年(昭和31年)11月の各新聞の文芸時評で、平野謙毎日新聞[7]山本健吉朝日新聞[8]兎見康三読売新聞[9]三浦朱門東京新聞[10]が、それぞれ『橋づくし』を取り上げた[2]。平野は、「花柳界などでいまも信じられている願かけを描いただけの作品にすぎない」[7]という辛口批評をしているが、他は総じて三島の作家としての力量を評価した。なお、『橋づくし』の願掛けは、三島の創作であり、花柳界にそういった風習が常時あったという形跡はないため、迷信をありのまま描写したという平野の批評は疑問視され、的がはずれたものとされている[11]

この作品には様々な論評があり、人物たちが人生の象徴である川に連接する形で区役所から生命保険会社、病院、そして寺と、歩いていることから生老病死を象徴しているとも解釈されており[12]、その後三島自身の葬儀が奇しくも築地本願寺で行われたという事実も興味深いものとされている[11]。「7」という数字も、「暴食」、「傲慢」、「強欲」というキリスト教7つの大罪のイメージや[12]、死の領域から生の領域への移行を象徴しているなど、様々な読み方ができる作品で、最後に願掛けに成功したのが一番欲のなさそうなみなだった意外性や、みなが何を願ったのか、最後まで読者にも明かされない終わり方も相まって、多数の評論がなされている。

前田愛は、三島が西川鯉三郎のために舞踊用台本を書いた際に言及した、「この台本は数学的特色を持つてゐる。と云つても初等数学に類するもので、四人の人物が七つの橋を完全に事なく渡りうるか、といふ数学的質問なのである」[13]という言葉から、「有名な数学パズルを下敷きにした可能性が高い」[1]と述べ、数学者オイラーが証明した数学パズルケーニヒスベルクの橋』の一筆書きパズルと『橋づくし』の7つの橋の関係性を指摘している[1]。そしてこの、同じ道を二度歩かずに7つの橋を一回づつ渡るような散歩道はありえないという不可能のパズルを下敷きにしたことにより、「透明な願望」を持つ三人が無残に挫折し、「見当のつかない願事」を抱いている“みな”だけが、この論理を超越して幸運に恵まれるという皮肉などんでん返しが生きてくると解説する前田は[1]、舞台となった街を眺めながら、物語の中にきめ細かく描かれた水の風景が全く失われてしまったにもかかわらず、橋の上の風景や建物はそのまま残っているという「時間の裂け目」に思いを馳せ、「数学的な人工性と古典的な美学とを巧妙に組み合わせた『橋づくし』一編を書きあげたとき、三島由紀夫はそうした風景を引き裂いて行く時間の秘密を幻視してしまったかもしれない」[1]と述べている。

中野裕子は、折口信夫が研究した「沖縄久高島イザイホウの祭」との関連を論じ[14]高橋広満も、三島が『橋づくし』を創作するにあたり、「橋渡りの古層」として4つの物語への思いがあるとし、近松門左衛門の『「天の網島」名残の橋づくし』、『橋姫伝説』、数学パズル『ケーニヒスベルクの橋』、沖縄久高島のイザイホウの祭、神女組織への加入式の『七つ橋』を挙げ[15]ダニエル・ストラックは、北陸地方の「橋めぐり」との関係性を指摘している[11]

八木惠子は、三島がいう「数学的質問」[13]に込められた意味について、前田愛や高橋広満の挙げた「数学者オイラーがグラフ理論で明らかにしたケーニヒスベルクに架かる七つの橋の散歩コースの“一筆書き”の問題」という純粋な「初等数学」的な数学的問題の他に、三島が、舞台において「セリフを使はずに心理表現」[13]を行う舞踊創作家の方法を、「多数の碁石や駒を盤上に争はせる、いはば戦術家にも似た数学的頭脳」[13]と表現し、「台本の初等数学に、見事な高等数学的解答が与へられたのを見た」[13]と述べている点を挙げ、「心理表現」という「高等数学」的な問題があると解説している[16]

記念碑[編集]

登場人物たちが最初に渡った三吉橋の、銀座よりの北側の橋の袂には『橋づくし』の記念碑があり、彼女たちが渡った橋の経路の略図が示されている。

舞台化[編集]

テレビドラマ化[編集]

ラジオドラマ化[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『橋づくし』(文藝春秋、1958年1月31日)
    クロス装。機械函。同年の「昭和33年9月30日発行」の5刷で函の色が青色から朱色に変更。
    収録作品:橋づくし、施餓鬼舟、急停車、博覧会、十九歳、女方、貴顕
  • 限定版『橋づくし』(牧羊社、1971年1月7日) 限定360部
    題簽:竹柴蟹助。造本:直木久蓉。B5変型判。和装袋綴。布装。帙。袋裂。夫婦函。段ボール外函。
    帙(内側)に「築地絵図」印刷。袋裂に平岡家の家紋(抱茗荷)入。
    雪の巻、月の巻、花の巻、各限定120部。記番と署名入。
    雪、月、花の巻はそれぞれ、本文袋綴の芯紙、奥付、表紙(江戸小紋四ッ目菱)、袋裂(一越縮緬)、段ボール外函の題簽の色の組み合わせが異なる。
    ※ 3種360部のほか、非売品「限定著者自筆署名特製本」(表紙・江戸鮫小紋)が23部あり。
  • 自選短編集『花ざかりの森憂国』(新潮文庫、1968年9月15日。改版1992年)
    白色帯。付録・自作解説:三島由紀夫。口絵写真1頁1葉(映画『憂国』スチール)。
    収録作品:花ざかりの森、中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋、遠乗会、卵、詩を書く少年、海と夕焼、新聞紙、牡丹、橋づくし、女方、百万円煎餅、憂国、月
    ※ のちにカバー改装。
  • 『近代浪漫派文庫42 三島由紀夫』(新学社、2007年7月)
    カバー装幀画:クレー
    収録作品:十五歳詩集、花ざかりの森、橋づくし、憂国三熊野詣卒塔婆小町太陽と鉄文化防衛論
  • 英訳版『真夏の死 その他』 “Death in Midsummer and other stories”(訳:エドワード・G・サイデンステッカードナルド・キーンアイヴァン・モリス、ほか)(New Directions、1966年。Penguin Books Ltd、1986年)
    収録作品:真夏の死(Death in Midsummer)、百万円煎餅(Three Million Yen)、魔法瓶(Thermos Flasks)、志賀寺上人の恋(The Priest of Shiga Temple and His Love)、橋づくし(The Seven Bridges)、憂国(Patriotism)、道成寺(Dōjōji)、女方(Onnagata)、真珠(The Pearl)、新聞紙(Swaddling Clothes)
    ※ 1967年(昭和42年)度のフォルメントール国際文学賞 (Formentor Literature Prize)第2位受賞。

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 前田愛「三島由紀夫『橋づくし』築地」(本の窓1982年1月号に掲載)。『幻景の街文学の都市を歩く』(小学館、1986年)に所収。
  2. 2.0 2.1 2.2 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  3. 三島由紀夫「自作解説」(『花ざかりの森・憂国』)(新潮文庫、1968年。改版1992年)
  4. 4.0 4.1 4.2 岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣、2008年)
  5. 岩下尚史『ヒタメン 三島由紀夫が女に逢う時…』(雄山閣 、2011年)
  6. 大西望市川雷蔵の『微笑』―三島原作映画の市川雷蔵」(『三島由紀夫と映画 三島由紀夫研究2』)(鼎書房、2006年)
  7. 7.0 7.1 平野謙「今月の小説ベスト3」(毎日新聞 1956年11月21日号に掲載)
  8. 山本健吉「文芸時評」(朝日新聞 1956年11月21日号に掲載)
  9. 兎見康三「文芸時評」(読売新聞夕刊 1956年11月27日号に掲載)
  10. 三浦朱門「文芸時評」(東京新聞夕刊 1956年11月29日号に掲載)
  11. 11.0 11.1 11.2 ダニエル・ストラック『三島の「橋づくし」―反近代の近代的表現として』(日本近代文学会・九州支部 近代文学論集第29号、2003年11月)
  12. 12.0 12.1 竹田日出夫『三島由紀夫「橋づくし」論』(武蔵野女子大学紀要 1979年3月)
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 『「橋づくし」について』(西川会上演プログラム 1959年4月)
  14. 中野裕子「『橋づくし』論<様式>の意味」。熊坂敦子『迷羊のゆくえ漱石と近代』(翰林書房、1996年6月)所収。
  15. 高橋広満『<模倣>のゆくえ三島由紀夫「橋づくし」の場合』(日本文学、1998年1月)
  16. 八木惠子『「橋づくし」―日本事情として読む三島由紀夫と中央区築地界隈―』(広島大学留学生センター、1990年)

参考文献[編集]

  • 自選短編集『花ざかりの森憂国』(自作解説 三島由紀夫)(新潮文庫、1968年。改版1992年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第19巻・短編5』(新潮社、2002年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第29巻・評論4』(新潮社、2003年)
  • 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  • 岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』(雄山閣、2008年)
  • 岩下尚史『ヒタメン 三島由紀夫が女に逢う時…』(雄山閣 、2011年)
  • 前田愛『幻景の街文学の都市を歩く』(小学館、1986年)
  • ダニエル・ストラック『三島の「橋づくし」―反近代の近代的表現として』(日本近代文学会・九州支部 近代文学論集第29号、2003年11月)[1]
  • 八木惠子『「橋づくし」―日本事情として読む三島由紀夫と中央区築地界隈―』(広島大学留学生センター、1990年)[2]

関連事項[編集]

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