詩を書く少年
『詩を書く少年』(しをかくしょうねん)は、三島由紀夫の短編小説。作者本人の自伝的作品である。
概要[編集]
1954年(昭和29年)、文芸雑誌「文學界」8月号に掲載され、1956年(昭和31年)6月30日に角川書店より単行本が刊行された。同書には他に10編の短編が収録されている。現行版は新潮文庫の『花ざかりの森・憂国』で重版されている。
詩の天才と自認し、詩作の幸福に酩酊していた少年が、或る親しい先輩の恋愛の告白の中からその滑稽さを発見し、自らの自意識に目ざめる物語。少年のナルシシズムと、先輩のナルシシズムとの親和と、見せかけの友情と、その乖離が描かれ、詩作に耽っていた少年時代の自分を、30歳を前にした三島由紀夫が、醒めた目で回顧した一種の私小説的な短編である。また本作は、少年(三島)が詩人にならず、小説家になったその転機と、三島の小説全体にわたる一つの主題を考察する上で、いくつかの重要なヒントを与える作品である[1]。
作中に登場する文芸部の先輩もモデルは、三島の学習院時代の先輩であった坊城俊民である[2]。
あらすじ[編集]
15歳の少年は詩を書き、それはまったく楽に次から次へと、すらすらと出来た。少年の詩は先輩の間でも評判となり、彼も自分のことを天才だと確信していた。詩が生れ、世界が変貌するとき、少年は至福を感じた。
5年も先輩のRという文芸部委員長が、少年を贔屓にし構ってくれた。少年もRを好きになった。Rは自分自身を不遇な天才だと考え、年齢の隔たりなしに少年をはっきり天才だと認めてくれたからだった。天才同士は友達になるべきだった。二人は毎日長い手紙のやりとりをした。手紙の日課は楽しかった。お互いの近作の批評、日々の挿話、美しいと思った少女の印象、見た夢の叙述などが交わされた。
Rの手紙には、憂鬱や不安、現実に対する危惧、苦さの翳があった。それは少年には縁のないように思われた。青春は少年にはまだ遠かった。自分の中に発見する醜さは忘れ、美しいものを作る人間が醜いなどということはありえないと、少年は考えた。何かの欠乏から詩が生れるなどとは深く意識せず、少年は詩の源泉を、天才という便利な一語で片付けていた。
少年の書く詩はだんだん恋愛の素材が増えたが、恋をしたことはなかった。しかし彼は未経験を少しも嘆かなかった。彼には、まだ体験しない世界の現実と彼の内的世界との間に、対立も緊張関係もなかったし、或る不条理な確信によって、自分がこの世でいまだに体験していない感情は一つもないと考えることさえできた。しかし少年は、自分には少年らしい粗雑な感激性が欠けていることも、一方で認知していた。
ある日、授業が退けた後、文芸部の部室でRは少年に恋愛の悩みを打明けた。彼は若い人妻と愛し合い、父に気づかれ仲を割かれていた。少年は先輩から相談をされた嬉しい虚栄心から、精一杯まじめな慰めで、「きっといい詩ができるでしょう」と、ゲーテの例をとりながら言った。しかしRは、「君にはまだわからないんだよ」と言い、少年はその言葉に深く傷ついた。少年は、この人は天才じゃなかったんだと心の中で嘲った。Rの恋は本当の恋だったが、その告白は少年にとって何一つ未知な要素はなかった。すべてはすでに古典に書かれ、書かれた恋や詩になった恋の方が美しかった。
Rは話すうちに心がほぐれ、永々と恋人の美しさを語り、彼女がRの額を美しいと言ったことを自慢した。少年はそのおでこを美しいとは全く思わなかった。その時、少年は目ざめた。恋愛とか人生とかの認識にうちに必ず入ってくる滑稽な夾雑物を彼は見た。自分も似たような思い込みを抱いて、人生を生きつつあるのかもしれない、ひょとすると、僕も生きているのかもしれない、という考えは少年をぞっとさせるようなものがあった。「僕もいつか詩を書かないようになるかもしれない」と少年は生れてはじめて思った。
登場人物[編集]
- 少年
- 15歳。学習院の文芸部に所属。詩を書き綴り、学内で発表。周囲からもてはやされている。自涜過多のために貧血症だが、まだ自分の醜さは気にならない。少年にとって詩は、こういう生理的ないやな感覚とは別物だった。毎日、辞書を丹念に読む。自分は天才だから夭折する運命に襲われると信じる。
- R
- 少年の文芸部の先輩。5年上。ある侯爵家の嫡男。リラダンを気取り、自分の堂上家の一門を誇り、古い貴族文芸の伝統に対する耽美的な哀惜の念を作品に書く。詩と小品の自費出版の本を出したことがある。
- 学生監
- 教官よりも生徒たちに恐れられている存在。学生監室にわざわざ少年を呼び出し、詩を読んだことを告げ、やさしく接する。「君はシラーになろうとしてはいけないよ。ゲーテになるべきだ」と言う。
作品評価・解説[編集]
本作について三島由紀夫は、「半ば自伝的な作品であり、学習院中等科時代の鼻持ちならぬ少年の自分を、わざと甘く、ナルシシズムに溺れて書いた。その少年のナルシシズムと、先輩のナルシシズムの親和と、見せかけの友情と、乖離。そこに先輩のナルシシズムの滑稽さを如実に見た少年は、同時に自分の無意識のナルシシズムの滑稽さを発見して、自意識に目ざめる。それは少年が、自分は詩人ではなかつたといふことを発見する転機となる。私が詩人にならず、散文作家になつた、その転機はすべてここに隠されてゐるから、私はどうしてもこのことを書いておかなければならなかつた」[3]と述べている。また、「『詩を書く少年』には、少年時代の私と言葉(観念)との関係が語られてをり、私の文学の出発点の、わがままな、しかし宿命的な成立ちが語られてゐる。ここには、一人の批評家的な目を持つた冷たい性格の少年が登場するが、この少年の自信は自分でも知らないところから生れてをり、しかもそこには自分ではまだ蓋をあけたことのない地獄がのぞいてゐるのだ。彼を襲ふ『詩』の幸福は、結局、彼が詩人ではなかつたといふ結論をもたらすだけだが、この蹉跌は少年を突然『二度と幸福の訪れない領域』へ突き出すのである」[4]と述べている。
また、三島は本作と『海と夕焼』の関連性に触れ、「(『海と夕焼』は)『詩を書く少年』の絵解きとも見るべき作品で、つひに海が別れるのを見ることがなかつた少年の絶望は、自分が詩人でないことを発見した少年の絶望と同じである」[3]と述べ、さらに、「『海と夕焼』は、奇蹟の到来を信じながらそれが来なかつたといふ不思議、いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議といふ主題を、凝縮して示さうと思つたものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。人はもちろんただちに、『何故神風が吹かなかつたか』といふ大東亜戦争のもつとも怖ろしい詩的絶望を想起するであらう。なぜ神助がなかつたか、といふことは、神を信ずる者にとつて終局的決定的な問ひかけなのである。『海と夕焼』は、しかし、私の戦争体験のそのままの寓話化ではない。むしろ、私にとつては、もつとも私の問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だつたやうに思はれ、『なぜあのとき海が二つに割れなかつたか』といふ奇蹟待望が自分にとつて不可避なことと、同時にそれが不可能なことは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されてゐた筈なのだ」[4]と述べている。
初版刊行本の「おくがき」で三島は、「自分が贋物の詩人である、或ひは詩人として贋物であるといふ意識に目ざめるまで、私ほど幸福だつた少年はあるまい。その目ざめから以後、私は小説家たるべき陰惨な行程を辿るのであるが、あのやうな幸福感を定着したいといふ思ひが、たまたまこの小品の形をとつた。これを書き、これを読み返して、私は文句を言はせぬあの幸福感は何に由来してゐたのかと考へる。それは一旦私を見捨て、又私から見捨てられたものであるが、三十一歳の今日、少年期の幸福感が再び神秘な意味を帯びはじめたやうに思はれる」[5]と述べている。
野島秀勝は、「『金閣寺』に至る三島文学の傑作の底に響く主調音」として「被疎外の意識」ということを挙げ、「『仮面の告白』は、三島が、『詩を書く少年』の詩人としての贋物性の認識と共に、その幸福の贋物性を明視したところに成立した」[6]と述べている。
高橋和幸は、『詩を書く少年』を分析し、「三島文学の初期から中期への移行は、このような詩そのものの幸福から、詩と詩人が分離し、外界と内界の醜悪さや不完全性、不足を批判攻撃することが文学創造の原動力となっていた」[7]と述べている。
佐藤秀明は、「『詩を書く少年』には、詩が生まれるときの『幸福』が書かれている。(中略)この『幸福』に冷水を浴びせるのは、『現実』すなわち『僕も生きてゐるのかもしれない』という予感である」[1]と述べ、三島が自作解説で語っている“奇蹟”のことを「現実が許容しない詩の幸福」と名付けている。そして三島が評論『小説家の休暇』で述べている文章の、「小説を書くことは、多かれ少なかれ、生を堰き止め、生を停滞させることである。私は、二十代に、かくもたびたび、生を堰き止め、生を停滞させたことを後悔しない。しかし純然たる芸術的問題も、純然たる人生的問題も、共に小説固有の問題ではないと、このごろの私には思はれる。小説固有の問題とは、芸術対人生、芸術家対生、の問題である」[8]を引き、佐藤は、「『小説家の休暇』では、生きながらなお小説を書くことが問題として設定され、生きることと小説との間に一種の齟齬が見出されていた。しかし“詩”のように、生きることと小説とは対立しない。三島の言う小説とは、人生(現実)と詩(“現実が許容しない詩”)との対立を含み、それを描いたものなのである」[1]と述べている。
そして佐藤は、三島のあらゆる小説や戯曲には、この「芸術=詩(現実が許容しない詩)」と「人生(現実)」との関係性が様々な形で描かれているとし、「『仮面の告白』で自己の“詩”を否定的に捉えた三島は、その後の作品では、逆にその“詩”を救済しているのである。(中略)(『金閣寺』では)金閣に火を放った“私”に究竟頂で死のうという考えが閃いたのも確かである。(中略)“私”が行為のただ中にありながら、“現実が許容しない詩”を目指したということである。(中略)(『卒塔婆小町』では)“現実が許容しない詩”を生きてしまった詩人は、ここで死ななければならない。ところが八年後に発表された『弱法師』になると、(中略)幕切れの台詞は、桜間への妥協であり、この世を生きねばならぬ“異人”の苦い覚悟を示している。(中略)(『薔薇と海賊』では)“現実が許容しない詩”を、現実として生きること、死の準備を密かに進めていた三島が、1970年10月の再演を見て涙を流したというエピソードは、楯の会の計画が三島にとってどういう性格のものであったかをも窺わせ、興味深い。(中略)“海賊”という現実をうち破って、“薔薇”という虚妄が現実として成立する点で注目されるのである」[1]と解説し、さらにこの“現実が許容しない詩”をより徹底させ、詩そのものに近い作品が『憂国』や『英霊の聲』だと述べている。
また佐藤は、『美しい星』の暁子や、『絹と明察』の駒沢などは、「“現実が許容しない詩”を、まさに現実が許容しなかったにもかかわらず、生き延びる」とし、『剣』の国分や、『奔馬』の勲は“詩”を生き残らせたものとしている。そして、『天人五衰』の絹江は“詩”を生き続け、透は失明することで絹江の一部となるとし、「絹江の自己認識は、(猫だと信じた)鼠にあった主観・客観の分節を無効にしてしまう。ここでは“現実が許容しない詩”が現実であるという堅固な一元性しか存在しないのである」[1]と解説している。そして、「三島由紀夫の小説は、“詩”への批評から始まった。三島は少年時代の詩を否定し、しかし“詩”は生き延び、背理である“詩”こそが現実であるという小説も書かれ、『豊饒の海』に至った。『豊饒の海』で、“現実が許容しない詩”と現実はさらに上位のレベルである唯識によって相対化され、反転を繰り返すことになる。“詩”と現実の絶え間ない反転は、『小説の固有の問題』を変質させ、もはや小説の成立を不可能にする地点に来たことを証するのである」[1]と述べ、『詩を書く少年』の主題が、三島の一生を貫いていることを論考している。
吉田健一は、初版本の評で、「三島氏の作品を読むと、上等な洋酒の辛口を飲んでゐるやうな気がする。ドライも、エクストラ・ドライであつて、これは文体もさうであるが、ものの見方にも湿気に似たものが全くない。それでゐて我々を酔はせてくれる所も、味はあつさりした古酒に似てゐる。飽くまでもドライの酒の味であつて、文体やものの見方が乾いてゐるのではないのである。(中略)透明で、空と幾何学的に正確な一線を劃してゐる点で、三島氏は凪いだ海に一番似てゐるかも知れない」[9]と述べている。
おもな刊行本[編集]
- 『詩を書く少年』(角川小説新書、1956年6月30日)
- 自選短編集『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫、1968年9月15日。改版1992年)
- 付録・自作解説:三島由紀夫。口絵写真1頁1葉(映画『憂国』スチール)。
- 収録作品:花ざかりの森、中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋、遠乗会、卵、詩を書く少年、海と夕焼、新聞紙、牡丹、橋づくし、女方、百万円煎餅、憂国、月
- ※ のちにカバー改装。
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 佐藤秀明「〈現実が許容しない詩〉と三島由紀夫の小説」(『三島由紀夫論集II 三島由紀夫の表現』)(勉誠出版、2001年)
- ↑ 坊城俊民『焔の幻影 回想三島由紀夫』(角川書店、1971年)
- ↑ 3.0 3.1 三島由紀夫「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集・5』)(講談社、1965年)
- ↑ 4.0 4.1 三島由紀夫「自作解説」(自選短編集『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫、1968年。改版1992年)
- ↑ 三島由紀夫「おくがき」(『詩を書く少年』(角川小説新書、1956年)
- ↑ 野島秀勝『「拒まれた者」の美学―三島由紀夫論』(群像 1959年2月号に掲載)。野島秀勝『「日本回帰」のドン・キホーテたち』(冬樹社、1971年)に所収。
- ↑ 高橋和幸『三島由紀夫の初期世界の考察』(「私学研修」151・152合併、1999年2月)
- ↑ 三島由紀夫『小説家の休暇』(大日本雄弁会講談社 ミリオン・ブックス、1955年)
- ↑ 吉田健一「小説の魅力」(『詩を書く少年』カバー袖)(角川小説新書、1956年)
参考文献[編集]
- 自選短編集『花ざかりの森・憂国』(自作解説 三島由紀夫)(新潮文庫、1968年。改版1992年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第19巻・短編5』(新潮社、2002年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第33巻・評論8』(新潮社、2003年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第35巻・評論10』(新潮社、2003年)
- 『三島由紀夫論集II 三島由紀夫の表現』)(勉誠出版、2001年)
- 坊城俊民『焔の幻影 回想三島由紀夫』(角川書店、1971年)