薔薇と海賊
『薔薇と海賊』(ばらとかいぞく)は、三島由紀夫の戯曲。1958年(昭和33年)、文芸雑誌「群像」5月号に掲載され、同年5月30日に新潮社より単行本刊行。初演は同年7月8日に文学座により、第一生命ホールで上演され、花田清輝『泥棒論語』とともに、週刊読売新劇賞を受賞した。現行版は新潮文庫『熱帯樹』に収録されている。
本曲はヒロインの女流童話作家と、童話ファンの白痴の青年との恋愛劇である。三島は、ロマンチック時代と同等のラヴ・シーンを、現代風俗の舞台に持ち込むために、性欲を嫌悪する女と性欲を持たぬ男との恋人同士を登場させたのだという[1]。
構想の母胎は、ニューヨークで見たロイヤル・バレエ団(旧・サドラース・ウエルス・バレエ団)の『眠れる森の美女』終幕のディヴェルティッスマンからインスピレーションを得たものと、三島は述べている[2]。当初は『月のお庭』という題にする予定だったが、『薔薇と海賊』となったという[3]。
『薔薇と海賊』は1970年(昭和45年)10月に再演されたが、三島はその時、涙を流して観ていたという[4][3]。
あらすじ[編集]
第1幕 - 童話作家・楓阿里子邸の居間。
- 童話作家で37歳の楓阿里子邸に客が訪れた。阿里子の童話ファンの30歳の松山帝一は、自分を童話の中の主人公・ユーカリ少年だと信じている白痴の青年で、後見人の額間(50歳)に付き添われて阿里子に会いに来たのだった。楓邸の住居や庭は童話の世界のように仕立てられ、阿里子は19歳の娘・千恵子にも登場人物のニッケル姫の扮装をさせていた。帝一はこの家にずっと住みたいと阿里子に言い出した。阿里子は、夢の世界で生きる帝一の無垢な心に惹かれる。
- ユーカリ少年は不思議な星からやって来て、密林に落ち、犬のマフマフを従え、ジャングルをかきわけ海へと進む。しかしマフマフは海賊たちの捕虜となる。ユーカリ少年は薔薇の短剣で海賊たちを退治し、マフマフを救い出す。そして船の帆をあげ、自分が王様となる王国に向けて航海を始める。そんな童話のストーリーを逆手にとり、額間は自分が「薔薇の短剣」を持っていることをちらつかせ、帝一を制していた。その短剣は額間が特注で作らせた、美しい薔薇の彫刻とルビーをはめ込んだものだった。「薔薇の短剣」の威力を恐れる帝一は、額間に逆らうことができなかった。帝一は仕方なく楓邸をあとにし、阿里子は帝一との別れを惜しみつつ、各地の子供たちへの童話講演の旅に出るため家を出た。
- 阿里子には重政という45歳の夫がいた。しかしこの結婚は恋愛結婚ではなかった。20年前の夏の夜、重政とその弟・重巳は、当時女学生だった阿里子を公園の裏山に誘い、重政が無理矢理に強姦したのだった。翌日、犯行現場を見に行った重政は、その公園のベンチで彼が来るのを待っている幽霊のような阿里子を見て驚いた。しかし重政は今まで見たことがないほどの、その聖らかな女の顔を見て、阿里子に恋をしたのだった。純潔を失った阿里子は、自分の純潔の絶対の誇りを守るために、重政と結婚した。そして結婚当夜、阿里子はきっぱりと重政を拒み、その後もずっと2人の間には男女関係がなかった。娘の千恵子はただ一度だけ重政に犯されたときの子であった。阿里子は、ひたすら童話の創作に情熱を傾け、重政が何人も女を作ろうと全く意に介さない様子だった。そして重政は、何の嫉妬も羞恥も軽蔑も示さないそんな阿里子を聖女として崇め、愛していたのだった。
第2幕 - 楓邸の居間。
- 額間をまいた帝一は東京駅にいた阿里子にしがみつき、再び楓邸に戻って来た。逆らったため額間に殺されると怯える帝一を放っておけない阿里子は彼を匿った。千恵子は、帝一が「薔薇の短剣」を持てば帰るだろうと思い、額間から色仕掛けで短剣を奪い取り、帝一に渡してやった。しかし帝一は、この家にずっと住むと言い、阿里子もそれを許可した。2人は意気投合し、お互いに愛情を抱き恋人同士のようになっていた。帝一は夢中で王国に向けての冒険の話をし、希望に燃えた。しかし重巳が帝一の寝ている隙に薔薇の短剣を奪うと、帝一は再び額間におびえ出した。みんな敵だ、海賊だと言う帝一に、阿里子は、「勇気を出して」と彼を励ました。しかし帝一は、「僕は一つだけ嘘をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ」と言った。
第3幕 - 楓邸の同じ部屋での大食卓。
- 食事中にも阿里子は帝一を励まし、短剣を奪う勇気を与えようとした。なかなか短剣を奪えないでいる時、阿里子の童話ファンで楓邸の庭掃除などの奉仕をしていた老人・勘次と定代の幽霊が現われた。彼らは帝一の加勢をし、薔薇の短剣が帝一の手に戻った。額間や重政らをみんな追い出した帝一と阿里子は、勘次と定代の幽霊に薔薇の宝石の冠をかぶせられ結婚式をあげた。童話の世界の犬のマフマフや本物のニッケル姫も現われ、2人を祝福した。「僕たちは夢を見ているんじゃないだろうね」と言う帝一の問いかけに対し、阿里子は、「大丈夫よ。私に委せておおきなさい。たとえあなたの見ているものが夢だとしても」と言い、きっぱりと、「私は決して夢なんぞ見たことはありません」と宣言する。
作品評価・解説[編集]
三島は本作の主題について、「世界が虚妄だ、といふのは一つの観点であつて、世界は薔薇だ、と言ひ直すことだつてできる。しかしこんな言ひ直しはなかなか通じない。目に見える薔薇といふ花があり、それがどこの庭にも咲き、誰もよく見てゐるのに、それでも『世界は薔薇だ』といへば、キチガヒだと思はれ、『世界は虚妄だ』といへば、すらすら受け入れられて、あまつさへ哲学者としての尊敬すら受ける。こいつは全く不合理だ。虚妄なんて花はどこにも咲いてやしない。本曲の女主人公楓阿里子は、身を以て、生活を犠牲にして、この不合理に耐へて来た女である。それがこの不合理をものともせず、『世界は薔薇だ』と言ひ切る、少々イカれた青年の突然の訪問をうける。二人の間に恋が生れなかつたらふじぎである」[1]と述べている。
1970年(昭和45年)10月に再演された際に三島は主演の村松英子に、「随分前に書いた芝居だけど、僕はいつも25年は早すぎるのかなあ」、「最近ますます、何て世の中は海賊ばかりだろうって思うよ」と言っていたという[3]。
舞台公演[編集]
文学座公演
- 1958年(昭和33年)7月8日 - 27日 東京・第一生命ホール、7月31日 京都・弥栄会館、
- 8月1日 - 4日 大阪・毎日ホール、8月5日 - 8日 神戸国際会館、8月9日 名古屋・愛知文化会館
- 演出:松浦竹夫。音楽:黛敏郎。出演:杉村春子、芥川比呂志、岸田今日子、中村伸郎、北村和夫、三津田健、ほか
- ※ 1958年(昭和33年)7月21日にNHKテレビ、27日にNHKラジオ第一で東京公演を舞台中継。
劇団浪曼劇場第6回公演
- 1970年(昭和45年)10月22日 - 11月3日 東京・紀伊國屋ホール、11月6日 奈良県文化会館、
- 11月8日 大阪・毎日ホール、11月13日 名古屋・愛知県勤労会館、
- 11月15日 京都・弥栄会館、11月23日 藤沢市民会館
- 演出:松浦竹夫。音楽:中村八大。出演:村松英子、中山仁、清水美沙子、中村伸郎、村上冬樹、勝部演之、ほか
- ※ 昭和45年度芸術祭参加。
劇団かに座第40回公演(横浜アマチュア演劇連盟月例公演)
L.S. Direction 公演
演劇集団円公演
- 1996年(平成8年)7月3日 - 8日 東京・紀伊國屋ホール、
- 7月10日 兵庫県立尼崎青少年創造劇場ピッコロシアター大ホール、
- 演出:大間知靖子。出演:高林由紀子、井上倫宏、小松エミ、有川博、勝部演之、三谷昇、ほか
向陽舎 Vol.12
おもな刊行本[編集]
- 『薔薇と海賊』(新潮社、1958年5月30日)
- 文庫版『熱帯樹』(新潮文庫、1986年2月25日)
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 三島由紀夫「『薔薇と海賊』について」(文学座プログラム 1958年7月)
- ↑ 三島由紀夫「あとがき」(『薔薇と海賊』)(新潮社、1958年)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 村松英子『三島由紀夫 追悼のうた』(阪急コミュニケーションズ、2007年)
- ↑ 中山仁「三島戯曲を演じる」(『三島由紀夫・英霊の聲 三島由紀夫研究8』)(鼎書房、2010年)
参考文献[編集]
- 文庫版『熱帯樹』(付録・自作解題 三島由紀夫)(新潮文庫、1986年2月25日)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第23巻・戯曲3』(新潮社、2002年)
- 村松英子『三島由紀夫 追悼のうた』(阪急コミュニケーションズ、2007年)