剣 (小説)
『剣』(けん)は、三島由紀夫の短編小説。1963年(昭和38年)、文芸雑誌「新潮」10月号に掲載され、同年12月10日に講談社より単行本刊行された。同書には他に8編の短編が収録されている。現行版は講談社文芸文庫より『中世・剣』が刊行されている。1964年(昭和39年)3月14日に、市川雷蔵の主演により映画化された。
大学の剣道部での人間模様を描いた小説である。その結末にもかかわらず、一種澄妙な透徹感が全体をつらぬいていて、爽やかな後味さえのこす作品となっている[1]。合理的には割り切れない主人公の決意には、三島が『林房雄論』で述べている「変革の原理」へと結びつく情念であるところの、「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、……云ひうべくんば、青空と雲とによる地上の否定」 、「その志、その“大義”への挺身こそ、もともと、“青年”のなかの攘夷論と同じ、もつとも古くもつとも暗く、かつ無意識的に革新的であるところの、本質的原初的な“日本人のこころ”」[2]が召喚されている[3]。
あらすじ[編集]
大学剣道部主将の国分次郎は強く正しく、決然とした姿勢がその剣や生活にも行きわたっているような青年である。後輩で一年生の壬生は次郎を尊敬し、次郎のようになりたいと思っている。次郎の同級生の賀川は、主将として迷いのない次郎の言動がうとましく、傲慢とも感じ、その美しい微笑に嫉妬していた。次郎も賀川も同じ剣道四段だったが、審査の厳しい大学での段位では賀川は三段だった。大学の段位が四段の次郎は、もし連盟の査定を受ければ楽に五段がとれる実力であった。しかし次郎は決して連盟の査定に出ようとはしなかった。そんな余裕のある次郎に賀川は重苦しさと感じ、時あらば彼に反抗し、自分の流儀を主張したいと思っていた。
剣道部の夏の合宿は西伊豆の田子という漁村で行なわれることとなった。合宿場所は円隆寺という禅寺である。主将・次郎の統率の下、海で泳ぐことは禁じられ厳しい稽古が続けられた。合宿8日目に部長の木内が船で着くという電報があり、次郎と副主将らが迎えに出た。そのとき、賀川が、時間が十分あるから次郎がいない隙に海へ泳ぎに行こうと皆を誘う。うだるような暑さの中に投げ入れられた誘惑に皆は乗ったが、壬生だけは断った。しかし、木内や次郎たちが予定より早く車で戻ってきた気配がすると、壬生は急に、一人だけ規律を守った自分を次郎は偽善的に見るのではないかと考え、急いで皆のいる海へ駆けていった。
皆が海から帰ってきた時には、すでに木内と次郎らが本堂にいた。賀川は木内の命令によって東京へ帰らされる罰を受けた。反抗的な賀川は、うなだれる次郎を烈しい目で見つめた。夕食の後、次郎は壬生に、「お前も皆と一緒に海へ行ったのか」と訊ねた。壬生は自分も海に行ったと晴れやかに嘘を言った。
合宿の最後の晩、納会の演芸のさなかに次郎は席を立って行った。稽古着に竹刀を掲げて出て行くのを部員の1人が見かけていたが、夜中になっても戻らないので騒ぎになった。皆で手分けしてあたり一帯を探すと、裏山の頂きの林の中で、腕に竹刀を抱え仰向きに死んでいる次郎を、壬生を含む一隊が発見する。
登場人物[編集]
- 国分次郎
- 大学の剣道部の主将。美しい微笑。強く正しい者になることを、少年時代からの一等大切な課題としている。父親は胃腸病院の院長だが、次郎が中学のころから妾狂いをはじめ、母親はヒステリーになり酒や麻雀に溺れる暗い家庭環境で育つ。国分家の紋は、二葉竜胆の金色の紋。
- 賀川
- 次郎と同級生の剣道部員。威を衒い、力を恃むところのある剣。次郎のような純一な烈しさが欠けている。副将にも選ばれなかった。友人でありながら、自分よりも実力や清潔さのある次郎に重苦しさを感じている。校内合宿のときに道場の裏手で喫煙し、次郎に制裁されたことがある。
- 壬生
- 19歳。一年生の剣道部員。先輩の次郎を尊敬している。髭がのびない体質。次郎の悪口を言う奴はゆるしておけず、同級生と喧嘩したこともある。のびのびと育ち、年のわりに子供っぽいと家族に思われている。家族にも次郎のことばかり話し、姉妹や母に、「又はじまった」とからかわれている。
- 木内
- 50歳。剣道部のOBで監督。肥っていて色が白く、顔の造作も大まか。剣は強いが顔には険しいところが少しもない。すでに嫁いだ娘が二人いる。
- 若者たち
- 与太者五、六人。次郎の大学の伝書鳩を空気銃で射撃。銃を持った若者は角ばった顎の気取ったかすれ声。次郎に退治される。
- 老小使
- 大学の用務員。小柄な老人。鳩の血がついた次郎の頬を白百合の花びらで拭う。
- 大学の学生たち
- 不良三人。大学近くの喫茶店で、トイレの近くに座り、出てくる若い女の客をからかう。下卑た笑い声を立てる。次郎に追っ払われる。
- その他の剣道部員たち
- 試合で、次郎に胴をとられた副将の村田。マネージャーの山岸。その他。
作品評価・解説[編集]
『剣』は、大学剣道部の一員として剣に生きようとする若者が心身を打ち込んでその極まりを追い求め、一部部員が禁を破って海水浴をしたという些細な裏切りも許せず、自決するまでを描いているが、松本徹は、「剣の強さがガラスのように繊細で透明なものとなり、砕け散るところが捉えられています」と評している。また、『林房雄論』なども書いていたこの時期の三島は、イデオロギーを越えた、われわれの内を強く流れる心情とでも言うべきものへと関心を向けていると述べている[4]。
本作の主題とされる、三島が『林房雄論』で述べている「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、……云ひうべくんば、青空と雲とによる地上の否定」[2]という一句は、1968年(昭和43年)1月の『円谷二尉の自刃』の中でも三島は円谷に送っている。三島は、「円谷選手の死のやうな崇高な死を、ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた。私はかつて全く同じやうなケースの自殺を、『剣』といふ小説で描いたことがあるが、小説のやうに純粋化された事例が現実に起つたことにおどろかされた」[5]と述べている。そして最後に、「そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである」[5]と締めくくっている。
菅原洋一は『剣』について、「三島の短編のみならず、その作品中でも、屈指の作品のひとつである」[6]と評し、「『青年だけがおのれの個性の劇を誠実に演じることができる』[7]と考える三島にすれば、自身の分身ともいうべき次郎の死は、むしろ完成劇であった。(中略)次郎の唐突な死、それは『ただ一点を添加することによつて瞬時にその世界を完成する死』[8]であったのだ。それは作者の浪曼であり、次郎の心情の顕在化であるとともに、『剣』の幕切れにふさわしい強烈な完成である」[6]と述べている。また、冒頭と結末部において、次郎の黒胴につけられた「二葉竜胆の金いろの紋」が、意図された符牒のようになっている点を解説しながら、竜胆の花言葉と『剣』のクライマックスが重なり印象的だと述べている。
『剣』は、小説発表からわずか5ヶ月で映画化された。雑誌に掲載された小説を市川雷蔵が読んで、自ら映画化したいと希望したという。1964年(昭和39年)の年明けすぐの撮影で、午前4時の寒稽古見学を三島もしているが、多忙を極める2人がここまでするのは、作品への情熱、そして、三島が雷蔵を本物の俳優だと認め、期待していたからだろうと、大西望は述べている[9]。
『剣』はテレビドラマとしても映像化されているが、三島はそのドラマと映画を比較し、「加藤剛の主役は、みごとな端然たるヒーローだが、映画の主役の雷蔵と比べると、或るはかなさが欠けてゐる。これはこの役の大事な要素だ」[10]と感想を日記に書いている。
塩田長和は『日本映画五十年史』の中で、映画『剣』について、「ここでは雷蔵が三島の分身ではないかと思わせられるほどだった」[11]と述べている。大西望は、雷蔵が次郎の正しさ強さ、「はかなさ」を見事に表現し、三島の理想を体現することに成功していると評し、「三島由紀夫が描き、市川雷蔵が体現した反時代的な青年は、三島の理想とした反時代的な“美”を象徴する人物でもある。三島はこういった青年を描くときに、共通した特徴を持たせている。それが“微笑”である」[9]と述べている。また、「市川雷蔵という俳優自体、生活臭がなく人生にも芸道にもストイックなところがあった。そこが“人生”よりも“美”を選ぶ三島作品の主人公たちを表現できた所以だろう」[9]とも述べている。
映画化[編集]
『剣』(大映) 1964年(昭和39年)3月14日封切。モノクロ 1時間35分。
- 原作にはない女性の登場人物が加えられている。
- 公開時の惹句は、「彼はアンチ現代だ!とぎすまされた世界に命をかけた異様な現代青年!」「この汗の中に生きがいがある! 現代の誘惑を叩きつぶしてひたぶるに命を燃やす異常な青年!」「誘惑の風を斬って剣の心に生命を賭けた一学徒の異常な生涯を描く!」である。
- ※ 併映は、池広一夫監督の『座頭市千両首』(勝新太郎、坪内ミキ子出演)。
スタッフ[編集]
キャスト[編集]
テレビドラマ化[編集]
おもな刊行本[編集]
- 『剣』(講談社、1963年12月10日)
- 装幀:真鍋博。クロス装。貼函。紺色細帯。
- 収録作品:剣、月、葡萄パン、雨のなかの噴水、苺、帽子の花、魔法瓶、真珠、切符
- 文庫版『剣』(講談社文庫、1971年7月1日)
- 文庫版『中世・剣』(講談社文芸文庫、1998年3月10日)
- 英文版『Acts of Worship: Seven Stories』(訳:ジョン・ベスター)(Kodansha International、1989年。HarperCollins Publishers Ltd、1991年6月)
脚注[編集]
- ↑ 佐伯彰一「解説」(文庫版『剣』)(講談社文庫、1971年)
- ↑ 2.0 2.1 三島由紀夫『林房雄論』(新潮 1963年2月号に掲載)。『林房雄論』(新潮社、1963年)、『作家論』(中央公論社、1970年。中公文庫、1974年)に所収。
- ↑ 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
- ↑ 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
- ↑ 5.0 5.1 三島由紀夫『円谷二尉の自刃』(産経新聞 1968年1月13日に掲載)。『蘭陵王』(新潮社、1971年)、『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)に収む。
- ↑ 6.0 6.1 菅原洋一『三島由紀夫「剣」論―浪曼と心情―』(立正大学文学部論叢、1979年7月1日)
- ↑ 三島由紀夫『空白の役割』(新潮 1955年6月号に掲載)
- ↑ 三島由紀夫『葉隠入門』(光文社カッパ・ビブリア、1967年)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 大西望「市川雷蔵の『微笑』―三島原作映画の市川雷蔵」(『三島由紀夫と映画 三島由紀夫研究2』)(鼎書房、2006年)
- ↑ 三島由紀夫『TV「剣」週間日記』(週刊新潮 1964年5月25日に掲載)
- ↑ 塩田長和『日本映画五十年史―1941-91年』(藤原書店、1992年)
参考文献[編集]
- 文庫版『中世・剣』(付録・解説 室井光広)(講談社文芸文庫、1998年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
- 三島由紀夫『作家論』(中央公論社、1970年。中公文庫、1974年)
- 大西望「市川雷蔵の『微笑』―三島原作映画の市川雷蔵」(『三島由紀夫と映画 三島由紀夫研究2』)(鼎書房、2006年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第20巻・短編6』(新潮社、2002年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)
- 菅原洋一『三島由紀夫「剣」論―浪曼と心情―』(立正大学文学部論叢、1979年7月1日) [1]