潮騒 (小説)
三重県鳥羽市に属する歌島(現在の神島の古名)が舞台とされ、若い無邪気な恋人同士の漁夫と乙女が、いくつもの障害や不運を乗り越え、成就するまでを描く。
古代ギリシアの散文作品『ダフニスとクロエ』に着想を得て、1954年(昭和29年)6月10日に新潮社より書き下ろし長編として刊行され、たちまちベストセラーとなった。現行版は新潮文庫で、改版を経て重版され続けている。
『潮騒』の題名は、万葉集の歌、「潮騒(しほさゐ)に 伊良虞(いらご)の島辺(しまへ) 漕ぐ舟に 妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を」からとられた(万葉仮名では『潮左為』)。この歌は、持統天皇が伊勢に旅された時に、都に残った柿本人麻呂が伊良湖岬を歌ったもので、意味は、「さわさわと波がさわいでいる伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、今ごろあの娘は乗っているのだろうか、潮の荒いあの島の廻りを」である。
あらすじ[編集]
伊勢湾に浮かぶ歌島で猟師をしている久保新治は、貧しい家に母と弟と暮す18歳の若者であった。ある日、新治は浜で見知らぬ少女を見かけ心惹かれる。少女は砂浜に座り、じっと西の海の空を見つめていた。
少女・初江は、村で屈指の金持ちの家・宮田照吉の娘であった。初江は養女に出されていたが、照吉の跡取りの一人息子(初江の兄)が死んだため島に呼び戻されたのであった。それまで恋愛を知らない新治は、初江の名前をきくだけで頬がほてり鼓動が激しくなる自分の感情がよく分からなかった。しかし観的哨跡(旧陸軍が伊良湖岬から撃つ大砲の試射弾の弾着観測をしたコンクリート製の施設跡)で偶然、鉢合わせしたり、新治が浜で落とした給料袋を初江が拾ったり、灯台長の家でも顔を合わせた2人は、お互い相手に惹かれている自分の気持を知るようになる。
雨の降る休猟日に観的哨で初江と待ち合わせの約束をした新治は、嵐の日、先に到着し、初江を待っていたが、焚き火に暖められるうちに眠ってしまう。目が覚め気が付くと、初江が肌着を脱いで乾かしているのが見えた。裸を見られた初江は、羞恥心から新治にも裸になるように言う。裸になった新治に、さらに初江は、「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」と言った。火を飛び越した新治と初江は裸のまま抱き合うが、初江の、「今はいかん。私、あんたの嫁さんになることに決めたもの」という誓いと、新治の道徳に対する敬虔さから2人は衝動を抑える。
灯台長の娘で大学が休みになって帰省していた千代子は、新治と初江が一緒に帰るところを見かけてしまう。新治に気があった千代子は初江に嫉妬し、川本安夫に告げ口をした。有力者の息子・川本安夫は、自分が初江の婿になるのだと吹聴していたから面白くない。夜中、水汲みに出た初江を襲おうとするが、蜂に撃退されてしまう。やがて新治と初江の噂は照吉の耳にも入り、照吉は2人が会うことを禁じた。気落ちする2人にとって秘密裡に交換する手紙だけが唯一の絆だった。健気な2人に新治の親方・十吉が加勢し、仲間の龍二が郵便屋をしてくれた。年配の海女たちも初江のまだ蕾のような乳房を見て、2人の悪い噂が嘘だと解する。
機帆船歌島丸の船長が、船員修業のために船に乗らないかと新治を誘いに来た。歌島丸は照吉の持ち船である。安夫も同船するという。照吉は安夫に、初江との婚約の条件としてこの修業を申し渡したのだという。新治の心には、不安と悲しみと、それから一縷の希望が湧いた。
船が沖縄の那覇港から運天港に入ったとき台風に襲われた。船をつなぎ止めていたワイヤーが切れ、命綱を浮標(ブイ)につなぐしか手はなくなった。誰もが尻込みする中、新治が志願し荒海に飛び込んだ。力の限り泳いだ若者・新治の活躍で船は救われた。
2人の悪い噂を流した千代子の東京からの贖罪の手紙を読んだ灯台長夫人や、義侠心にかられた海女たちが、新治と初江の仲をとりもってやろうと、照吉の家に直談判にやって来た。女たちがやきもきする中、照吉は、新治と安夫を試すために自分が船に乗り込ませたのだと言った。照吉はすでに新治を婿にもらうと決めたところだった。新治と初江の願いは成就し、2人は灯台で美しい夜の光を眺める。
作品評価[編集]
『仮面の告白』、『金閣寺』など三島の他の作品の系統から外れており、三島の小説で同系統の作品が見つかりにくく、独立的要素が強い。話にも、難解・狷介な要素が見当たらず、近代小説としては珍しく素直に青春の恋愛物語を描いた牧歌的な物語である。そのため、三島作品のなかで最も多くの「文学全集」に採られている作品でもあり、代表作の一つでありながら、評価には賛否分かれる所がある。
自作について三島は、「この小説(「潮騒」)の採用してゐる、古代風の共同体倫理は、書かれた当時、進歩派の攻撃を受けたものであるが、日本人はどんなに変つても、その底に、かうした倫理感を隠してゐることは、その後だんだんに証明されてゐる」[1]と記している。
プロットについて三島は、「ギリシアの小説『ダフニスとクロエ』を底本とした小説の執筆を考へ(中略)ほとんど原作どほりのプロットを作った」[1][2]としている。
マルグリット・ユルスナールは、『仮面の告白』を黒い傑作、『金閣寺』を赤い傑作とすれば、『潮騒』は透明な傑作と評価し、『潮騒』について、「一般に作家がその生涯に一度しか書けないような、あの幸福な書物の一つである。それはまた、その直接の成功があまりに華々しいので、気むずかしい読者の目にはかえって胡散くさく見えるような作品の一つである。その完璧な明澄さそのものが一つの罠なのだ。古典期ギリシアの彫刻家が人体の上に光と影の段落を描き出す、あまりに際立った凹凸をつくることを避けて、限りなくデリケートな肉づきを目や手により生々しく感知させようとしたように、『潮騒』は批評家に解釈のための手がかりをあたえない書物なのである。(中略)若者の恋というテーマだけを取ってみれば、『潮騒』はまず、『ダフニスとクロエ』の無数の二番煎じの一つのように見える。けれどもここで古代と、さらにずっと後代の変則的な古代とを、あらゆる偏見を棄てて比較してみると、二つのうちでは『潮騒』の旋律の示す音高線のほうがはるかに純粋だ」と高い評価をしている[3]。
全般的に評価そのものは高く、『潮騒』は第1回新潮社文学賞を受賞した。また、三島の作品では異例とも言える5回もの映画化がなされ、新たな映画化の検討もなされている。更に、日本テレビや、「まんが日本昔ばなし」でアニメ化もされている。
三島由紀夫と神島[編集]
三島由紀夫は、水産庁に依頼し「都会の影響を少しも受けてゐず、風光明媚で、経済的にもやや富裕な漁村」を探してもらい、金華山沖の某島と神島を紹介された。そこで三島は万葉集の歌枕や古典文学の名どころに近い神島を選んだという[4]。神島を舞台に選んだ理由を三島は、「日本で唯一パチンコ店がない島だったから」と、大蔵省同期の長岡實に語ったという。
1953年(昭和28年)3月と、8月 - 9月に、三島は三重県鳥羽港から神島(かみしま)を訪れ、八代神社、神島灯台、観的哨、島民の生活、例祭神事、漁港、歴史、漁船員の仕事や生活、台風などについて取材し、最初の旅行直後の4月から執筆を開始したといわれている。
三島は神島やその人々について、「神島は忘れがたい島である。のちに映画のロケーションに行つた人も、この島を大そう懐しんでゐる。人情は素朴で強情で、なかなかプライドが強くて、都会を軽蔑してゐるところが気に入つた。地方へ行つて、地方的劣等感に会ふほどイヤなものはない」[5]、「辺鄙な漁村などにゆくと、たしかにそこには、古代ギリシアに似た生活感情が流れてゐる。そして、顔も都会人より立派で美しい。私はどうも日本人の美しい顔は、農漁村にしかないのではないかといふ気がしてゐる」[6]と述べている。
映画[編集]
これまで5度映画化された(2012年5月現在)。
第1作 | 第2作 | 第3作 | 第4作 | 第5作 | |
公開年 | 1954年 | 1964年 | 1971年 | 1975年 | 1985年 |
制作会社 | 東宝 | 日活 | 東宝 | 東宝 | 東宝 |
監督 | 谷口千吉 | 森永健次郎 | 森谷司郎 | 西河克己 | 小谷承靖 |
脚本 | 谷口千吉・中村真一郎 | 棚田吾郎・須藤勝人 | 井手俊郎 | 須崎勝弥 | 剣持亘 |
制作 | 田中友幸 | 田中収 | 堀威夫・笹井英男 | 笹井英男 | |
配役 | 俳優 | ||||
久保新治 | 久保明 | 浜田光夫 | 朝比奈逸人 | 三浦友和 | 鶴見辰吾 |
宮田初江 | 青山京子 | 吉永小百合 | 小野里みどり | 山口百恵 | 堀ちえみ |
宮田照吉 | 上田吉二郎 | 石山健二郎 | 石山健二郎 | 中村竹弥 | 丹波哲郎 |
久保とみ | 沢村貞子 | 清川虹子 | 小田切みき | 初井言榮 | 初井言榮 |
灯台長 | 加東大介 | 清水将夫 | 桑山正一 | 有島一郎 | 神山繁 |
灯台長の妻 | 三戸部スエ | 原恵子 | 斎藤美和 | 津島恵子 | 岩崎加根子 |
船長 | 三船敏郎 | 鴨田喜由 | 下川辰平 | 青木義朗 | 室田日出男 |
久保宏 | 高島稔 | - | 越智光弘 | 亀田秀紀 | - |
千代子 | 宮桂子 | 松尾嘉代 | 木内みどり | 中川三穂子 | 高橋ひとみ |
川本安夫 | 太刀川洋一 | 平田大三郎 | 佐々木勝彦 | 中島久之 | 五代高之 |
大山十吉 | 小杉義男 | 菅井一郎 | 藤田進 | 花沢徳衛 | 坂上二郎 |
林(浜田)龍二 | 石井伊吉 | 前野霜一郎 | 橋本広行 | 川口厚 | - |
宗太(宗やん) | 赤生昇 | - | 小川寿一 | - | - |
勝やん | 山崎優 | - | 中山次男 | - | - |
お春婆 | 本間文子 | 高橋とよ | - | 丹下キヨ子 | 賀原夏子 |
その他のキャスト[編集]
- 1954年
- 1964年
- 1971年
- 行商人:三谷昇
- 1975年
- 1985年
- 海女1:江崎和代
テレビドラマ・アニメ[編集]
バラ劇場『潮騒』(TBSテレビ) 1962年(昭和37年)7月10日 - 31日(全4回)
文芸劇場『潮騒』(NHKテレビ) 1963年(昭和38年)7月5日
青春アニメ『潮騒』(日本テレビ) 1986年(昭和61年)5月2日、9日(全2回)
- 脚色:中西隆三。演出:植田秀二。音楽:島津秀雄。製作:本橋浩一。語り部:木内みどり。声の出演:小山茉美、島田敏、中尾隆聖、稲葉実、ほか
- ※ 新潮社より「アニメ文学館」(全15巻)の一巻としてビデオ(VHS)発売。
朗読紀行 にっぽんの名作『潮騒』(NHKハイビジョン) 2001年(平成13年)2月4日
ラジオドラマ・朗読[編集]
連続放送劇『潮騒』(文化放送) 1954年(昭和29年)7月11日 - 9月26日(全12回)
文学サロン『潮騒』(ラジオ東京) 1955年(昭和30年)5月2日
- 朗読:東山千枝子。
連続ラジオ小説『潮騒』(NHKラジオ第一) 1961年(昭和36年)6月26日 - 7月29日(全29回)
お茶の間名作集『潮騒』(ニッポン放送) 1964年(昭和39年)9月1日 - 30日(全26回)
名作をたずねて『潮騒』(NHKラジオ第二) 1976年(昭和51年)4月23日、30日(全2回)
おもな刊行本[編集]
- 『潮騒』(新潮社、1954年6月10日)
- クロス装。帯(裏)に吉田健一「『潮騒』について」。
- 本扉に、書名を囲むように「Die Erzählung von einem Sonntagskind」とドイツ語表記あり。
- 『潮騒』(新潮社・新潮青春文学叢書、1955年1月31日)
- 文庫版『潮騒』(新潮文庫、1955年12月25日。改版1967年、1985年)
- カバー装幀:中島清之。付録・解説:中村真一郎。
- ※ 1968年に新潮文庫名作セット内の一冊、学校図書館用セットの一冊として、クロス装でも発売。
- ※ 改版1985年より、解説が佐伯彰一に変更され、佐伯彰一「人と文学」と、年譜も付加。カバーに映画のスチール使用。のちにカバー装幀:沢田哲郎。
- 大活字本『潮騒 上』(埼玉福祉会、1982年9月30日) 限定500部
- 第1章 - 第10章。紙装。A5横変型判。
- 大活字本『潮騒 下』(埼玉福祉会、1982年9月30日) 限定500部
- 第11章 - 第16章。紙装。A5横変型判。付録・解説:佐伯彰一。年譜。
- 新装版『潮騒』(新潮社、1990年9月10日)
- 装幀:菊地信義。紙装。筒函。函(裏)にマルグリット・ユルスナール、沢木耕太郎による作品評。
- 英文版『The Sound of the Waves』(訳:Meredith Weatherby)(Knopf、1956年6月。他多数)
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 三島由紀夫『「潮騒」執筆のころ』(雑誌・潮 1965年7月号に掲載)
- ↑ 直接引用は「『潮騒』-「歌島」の物語」杉本和弘(中部大学国際関係学部紀要 pp.355-364 19900301)[1]
- ↑ マルグリット・ユルスナール『三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン』訳・澁澤龍彦(河出書房新社、1982年。河出文庫、1995年)
- ↑ 三島由紀夫『神島の思ひ出』(しま6号 1955年4月に掲載)
- ↑ 三島由紀夫『「潮騒」のこと』(婦人公論 1956年9月号に掲載)
- ↑ 三島由紀夫『美しい女性はどこにゐる―吉永小百合と「潮騒」』(雑誌・若い女性 1964年6月号に掲載)
参考文献[編集]
- 斎藤平“第9章 文学作品にあらわれる<方言> -「潮騒」の場合-”『伊勢志摩と近代文学』(半田美永編、和泉書院、1999年3月31日、299pp. ISBN 4-87088-968-4):211 - 232.
- 文庫版『潮騒』(解説 佐伯彰一)(新潮文庫、改版1967年、1985年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)