侍
侍(さむらい)は、古代から中世にかけての日本における官人の身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である。「伺候(しこう)する」「従う」を意味する「さぶらう」に由来する。
成立[編集]
元来は有力貴族や諸大夫に仕える通常は位階六位どまりの下級技能官人層(侍品:さむらいほん)、つまり貴族に連なる国家レベルの支配階層の底辺を成す、実務者階級を指す。つまり朝 廷に仕える官人でありつつ、同時により上位の貴族・官人層に伺候して朝廷の実務を担う身分が「侍」で、出世した場合には、晩年にようやく貴族の末席たる五位まで昇進することもあった。
このように、侍とはさまざまな家職をもって朝廷の実務を担当する身分であったが、後世次第にその中でも武芸を職能とする技能官人である「武士」を指すことが多くなった。初期の武士身分は諸大夫身分の軍事貴族と、侍身分の一
般武士の二つの階層から構成されていた。
時代が下って武士階層の裾野が広がり、貴族に連なる支配階層たる侍身分より下、本来は百姓身分である地侍なども武士の扱いを受けるようになると、「侍」は「上層の武士」を指すようになった。たとえば、17世紀初頭に刊行された『[[
日葡辞書]]』では、Bushi(ブシ)やMononofu(モノノフ)はそれぞれ「武人」「軍人」を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、Saburai(サブライ)は「貴人、または尊敬すべき人」と訳されていることからも、侍が武士階層の
中でも特別な存在であったことは窺えよう。
ちなみに、ここで言う上層とは、厳密には発生期の武士と同様に、騎馬戦闘の権利資格を有する階層の武士を指す。
語源[編集]
「サムライ」は16世紀になって登場した比較的新しい語形であり、鎌倉時代から室町時代にかけては「サブライ」、平安時代には「サブラヒ」とそれぞれ発音されていた。「サブラヒ」は動詞「サブラフ」の連用形が名詞化したもの
である。以下、「サブラフ」の語史について述べれば、まず奈良時代には「サモラフ」という語形で登場しており、これが遡り得る最も古い語形であると考えられる。「サモラフ」は動詞「モラフ(候)」に語調を整える接頭辞
「サ」が接続したもので、「モラフ」は動詞「モル(窺・守)」に存在・継続の意の助動詞(動詞性接尾辞ともいう)「フ」が接続して生まれた語であると推定されている。その語構成からも窺えるように、「
サモラフ」の原義は相手の様子をじっと窺うという意味であったが、奈良時代には既に貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つという意味でも使用されていた。この「サモラフ」が平安時代に母音交替を起こしていったん「サムラフ」とな
り、さらに子音交替を起こした結果、「サブラフ」という語形が誕生したと考えられている。「サブラフ」は「侍」の訓としても使用されていることからもわかるように、平安時代にはもっぱら貴人の側にお仕えするという意味で使用されていた。
「侍」という漢字には、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味があるが、武士に類する武芸を家芸とする技能官人を意味するのは日本だけである。
さて、その「サブラフ」の連用形から平安時代に「サブラヒ」という名詞が生まれたわけであるが、その原義は「主君の側近くで面倒を見ること、またその人」で、後に朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候した中下級の技能官人層を指すようにな
り、そこからそうした技能官人の一角を構成した「武士」を指すようになった。つまり、最初は武士のみならず、明法家などの他の中下級技能官人も「侍」とされたのであり、そこに武人を意味する要素はなかったのである。前述したように、「サブラ
ヒ」はその後「サブライ」→「サムライ」と語形変化を遂げていったが、地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていた。
言葉の解釈:さぶらい〔さ無頼〕[編集]
「さ」とは、この場合「~の様」「まるで~のような」「さながらに」という内容の接頭語。 「無頼〔ぶらい〕」は、本来は「頼るものが何も無い状態」の事。 よって「さぶらい」は、「まるで頼るものが何も無いかのような状態」を表し、「サムライ」はそこから派生した言葉とされている。
武士は仕事柄、常に治安の乱れに対処する為に平常時でも侍〔はべ〕っている事から、手持無沙汰〔てもちぶさた〕で居る様も「さ無頼」と言われ、そこから「侍」となったとの説もある。
日本が古来より大事にして来ている精神性の面からの解釈では、「さぶらい・さむらい」は、「自律自立して他に自らの重みを掛けない状態で、その人自身の責はその人自身で担う事を基本とした精神」である。 武士は、そのさむらいの「自律独立の生き方や精神」を持つ事が特に要求される身分であった。