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2013年11月14日 (木) 23:34時点における最新版
『十日の菊』(とおかのきく)は、三島由紀夫の戯曲。1961年(昭和36年)、「文學界」12月号に掲載され、初演は、その号の発売直後の11月29日に文学座により、第一生命ホールで上演され、第13回(1961年度)読売文学賞(戯曲部門)を受賞した。3幕30場の長い芝居となっている。
単行本は、翌年1962年(昭和37年)3月20日に新潮社より刊行された『三島由紀夫戯曲全集』に初収録されたのち、1966年6月30日に河出書房新社より刊行された作品集『英霊の聲』に、『憂国』と共に二・二六事件三部作として纏められた。現行版は河出文庫より重版されている。
『十日の菊』の背景となるクーデターは二・二六事件を変造して、10月13日に「十・一三事件」というものが起こったという設定となっている。そして、1936年(昭和11年)の過去を現在に結ぶ時点を、1952年(昭和27年)に置いている。これは作中では物語れていないが、この年が正月から日共が暴力化し、2月には植民地闘争のデモが起き、4月には岸信介らの最後の追放解除があり、同時に日米平和条約が発効し、5月1日はまた血のメーデーがあった年で、いろいろな意味で戦後に一つの時期を劃した年であるからだと三島は述べている[1]。
本作は人間の性格と運命との関わり合いを描いた作品で、最後の幕切れでヒロインの性格と運命が一致する。作者・三島はこれを、「喜劇と見ることも悲劇と見ることも観客本位の全くの自由である」[1]と述べている。また、ヒロインの名前の「菊」は、主君への一般的忠節を表しているが、すでに忠節のその菊は、9月9日の重陽の佳節をすぎて廃物となった「十日の菊」と化していることを寓意していると述べている[2]。
あらすじ[編集]
第1幕 - 1952年(昭和27年)10月13日夜
- 元大蔵大臣の森重臣は69歳。16年前の1936年(昭和11年)の今日、青年将校たちが企てたクーデターで殺されるはずだったが、女中頭の奥山菊の助けによって命拾いし生きながらえていた。菊はそれ以来、大金を渡されて田舎へ帰された。森は命を狙われた昔の栄光を述懐しながら、29歳の娘・豊子とサボテンの温室で話していた。そのとき、森の姉妹たちがあわてながら、女中・菊が森邸の昔のボーイ長・垣見と一緒に歩いているところを街で見かけたと知らせた。垣見は60歳で、毎年10月13日の事件の記念に森邸に挨拶に来るのがならわしとなっていた。
- 垣見が菊を伴って森邸にやって来た。菊は54歳となっていた。16年ぶりにやって来たのは、死んだ息子の墓参りの時に息子の声が聞えたからだという。夫に早く死なれた菊は、息子・正一と親子2人の身であった。兵隊にとられた正一は、森の命を狙った聯隊に入った。事件のおこる一週間前、正一はこっそりと母に、森が命を狙われていることを教え、「このことを森さんには知らせないで、命を救う工夫をして下さい」と告げていたのだった。
- 妻が入院中の森から、側妾にならないかと前々から言われていた菊は決心をし、10月13日の事件の夜に森に抱かれた。そして、将校たちが邸になだれ込んで来た時、森をすばやく抜け穴から逃がしてやったのだった。1人寝室に素っ裸で横たわり、菊は兵隊たちの罵詈雑言や唾を吐きかけられながら耐えた。しかしその兵隊たちの中に正一がいたのだった。悲しげな顔で母を見た正一は、前の兵隊に倣って唾を吐きかけ去って行った。そして正一はあくる日に自殺した。主人を助けた菊のことは新聞には載らなかった。
- 森の姉妹の里枝、房子たちは、菊がやって来た理由を、お金か森の後妻になるつもりだろうかなどと勘ぐっていた。森の娘・豊子は歴史を書き直し、菊の味方に立とうと言ったが、森は、「歴史を書き直すことなんかできやせんのだ」と居直った。
第2幕 - 翌日の10月14日。
- 菊は朝食の時、皆さんは旦那様を国賊と思いますかと森の姉妹らに尋ねてみた。彼女らは、お兄様は国賊なんて威勢のいい柄じゃない、英雄なんかになる柄じゃないなどと言った。菊は自分の行為がまちがいだったのではないかと思っていたのだった。そして菊は、自分の味わった悲しみの万分の一でも森に味わってもらいたかったのであった。
- 森の息子・重高は戦争中、戦犯の罪を部下に全部身代わりにさせて、自分は生き残っていた女々しくずるい男だった。だがそれ以来、罪の意識に苛まれていて、自殺をしたいと菊に訴えた。一方、森の妹たちはそれぞれの思惑で、森の後妻になりそうな菊にすり寄り、財産狙いのために他の姉妹を追い出してくれとそれぞれが頼んだ。森は、「十・一三事件」の取材にやって来た記者にサボテンの話ばかりし、真面目に応じない態度だった。豊子は菊に、どっかから機関銃を持ってきて、この腐ったどうしようもない家族を片っ端から殺してくれと言い出した。
第3幕 - 10月14日の夕刻。
- 森の部屋に呼び出された菊。森は、「お前はこの家に何を狙ってやって来たんだね」と尋ねた。菊は、「旦那様がこの世で一等愛しているものを探しに来た」と言い、それをぶち壊そうとしていることを認めた。そしてサボテンを愛していると言う森に対して、逃げ口上だと食い下がる。菊は、大事な息子を失ってまで森を助けたのはまちがいだった、意志に反した不器用な行為だったと思っていたが、そんな菊に対し森は、「お前がわしを助けたのは、つまりわしを愛していたからだ」と言いはじめ、女中頭の忠義だったと反論する菊に、それはわしのサボテンの逃げ口上と同じ、お前の逃げ口上だと理屈的な問答を始め、今こそ2人が裸の人間、ただの男と女になるべきだと言った。
- すると菊は、あなたの注文どおり、私があなたを愛していたということになるとしたら、あなたは私のためにどんな礼を下さいますかと問い返した。森は、わしの本心という礼をやろう、お前が永年探しあぐねていたわしが一等愛しがっているものという切札をやろうと言い、「それは、菊、他ならぬお前だよ」と諭した。そして、事件の只中に暗い抜け穴から逃げ出しているときに心残りだったのは、ついに見られなかったのはお前の輝かしい裸、百年に一度とないほどの歴史の光りに照らしだされたお前の裸が、倒れた記念碑のように横たわっている姿だと言った。兵隊たちに罵られ、ますます誉れを高めたその美しい裸は、わしの栄光の具体的なあらわれだったのだと言った。
- 近所の愚連隊らがこそ泥しようと森邸の抜け穴から侵入して豊子の部屋に来た。豊子は愚連隊に入れてくれなどと言い、その手始めに彼らに抱かれそうになっていた。物音に気づき、愚連隊から豊子を救った菊は、16年前のように一家から再び感謝された。そこへ垣見が、重高が首吊り自殺したことを告げに来た。森は、あいつが自分を救うには、これが唯一の道だったのかもしれんと言い、父親なのに涙も流れない乾いた棘だらけの冷たい自分を嘆いた。そんな森を見て菊ははじめて同情の気持を示す。しかし重高の部屋から戻った豊子は菊に向かって、「まだそこにいるの?早く出ていって」と言った。昼間まで菊の味方だった豊子は態度を変え、菊のことを、「余計な人助けの手を出して、恩を売ろうとする人間」だと罵倒した。
- この家族の中で1人だけ好きだった豊子になじられてがっくりしている菊に、垣見が、こんな恩知らずな家のことを忘れて2人で一緒に暮らそうよと切り出した。しかし菊は、今こそ、この家で私が必要とされている気がすると言い、「一度お助けしたら、どこまでもお助けするのが、私の気性なんですの」と言った。
作品評価・解説[編集]
三島は、「体を張つた女の助けと、その息子の犠牲によつて、まんまと難をのがれ、生きのびた重臣は、しかし生ける屍として、魂の荒廃そのものを餌にして生きてゐる。それが作中のサボテンの寓意である。私はかうして生きのびた人間の喜劇的悲惨と、その記憶の中にくりかへしあらはれる至高の栄光の瞬間との対比を描きたかつた」[2]と述べている。また、「菊は善意を民衆を代表し、自らの悲劇を体験しても、その体験を真に一回的な形而上学的体験に高めることができない。菊は、いはば第二次世界大戦を通過してかはることのない善意の民衆であり、われしらず、性こりもなく同じ善意の行為をくるかへす。彼女の心は怨念に充ちてゐても、決して悲劇の本質を理解しない。そして最後に彼女は言ふのである。『一度お助けしたら、どこまでもお助けするのが、私の気性なんですの』 さうだ、それこそは彼女の気性なのだ!」[2]と解説している。
舞台公演[編集]
文学座創立25年記念公演
- 1961年(昭和36年)11月29日- 12月17日 東京・第一生命ホール、12月20日 名古屋・愛知文化講堂、
- 12月21日 京都・弥栄会館、12月22日 - 24日 大阪・毎日ホール
- 演出:松浦竹夫。出演:杉村春子、中村伸郎、有馬昌彦、岸田今日子、北城真記子、荒木道子、三津田健、ほか
劇団創作舞台第5回公演
- 1968年(昭和43年)7月13日- 14日 横須賀市文化会館大ホール
おもな刊行本[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 三島由紀夫『「十日の菊」について』(文学座プログラム、1961年)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 三島由紀夫『二・二六事件と私』(『英霊の聲』あとがき)(河出書房新社、1966年。河出文庫、2005年)
参考文献[編集]
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第23巻・戯曲3』(新潮社、2002年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)