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2013年11月14日 (木) 23:17時点における最新版
『仮面の告白』(かめんのこくはく)は、三島由紀夫の書き下ろし長編小説。作者の自伝的作品である。
1949年(昭和24年)7月に初の書き下ろし長編小説として河出書房より刊行。担当編集者は坂本龍一の父・坂本一亀であった。翌年1950年(昭和25年)7月には、福田恒存の解説を入れた新潮文庫が刊行(三島作品最初の文庫版での刊行)。以来半世紀を越え、数度の改版を経て絶えず重刷されている。なお1996年(平成8年)6月に、初版本完全復刻版『仮面の告白』が河出書房新社より刊行された。
作者その人を主人公とし、「私」による一人称告白体の形式による告白小説の体裁をとった作品で、「私」の生まれたときから23歳までの青年期の「ヰタ・セクスアリス(ラテン語で性欲的生活を意味するvita sexualis)」を描いた自伝的小説である。
時代は、1925年(大正14年)から、敗戦をはさんで1948年(昭和23年)までの間で、「私」の生い立ち、祖母を中心とした家族との関わり、粗野な学友に対するに同性愛的思慕、友人の妹との恋愛と結婚への逡巡などの出来事が、第二次世界大戦期、戦後期の時代背景の中に描かれている。通常の人とは異なる「私」の性的傾向を赤裸々に告白し、そのために悩み傷つき苦しむ自分を、冷静に分析し論理的な文章で綴った小説である。当時、同性愛というテーマを扱ったことはセンセーショナルな話題を呼び、この作品により、三島由紀夫は一躍、20代半ばで著名作家となった。
エピグラフで、ドストエフスキの『カラマーゾフの兄弟』第3編・第3の「熱烈なる心の懺悔 ― 詩」の文章を引用している。
あらすじ[編集]
特殊な育ち方をした「私」には、いくつもの幼年時代の奇妙なエピソードがある。「私」は生まれた時の光景を憶えていた。午後9時に生まれたにもかかわらず、産湯の盥のふちに射していた日光を憶えている。小さな赤ん坊のうちに、祖母は若い母から「私」を取り上げ、坐骨神経痛で病む部屋で我がままに溺愛して育てた。外で遊ぶことを禁じ、男の子の玩具や動き回る遊びも禁じた。
幼年時に見た異様な光景の記憶を「私」は反復する。その一つは坂道を下りて来る血色のよい美しい頬の汚穢屋(糞尿汲取人)の若者である。「私」は彼に惹かれ、「私が彼になりたい」と切実に思った。二つ目は、絵本で見たジャンヌ・ダルクに惹かれた。しかし「彼」が女だと知って落胆した。もう一つは、家の前を通る兵士の汗の匂いである。それは私を駆り立て、憧れをそそり、私を支配した。それら官能的な感覚をそそるものは、何か「悲劇的」なものを帯びていた。「私」は殺される王子を愛し、殺される自分を想像すると恍惚とした気分になった。クレオパトラや松旭斎天勝の扮装も「私」を魅した。
13歳の時、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の絵に強い衝撃を受け、初めての「ejackatio」(射精)を体験する。「悪習」の始まりだった。間もなく、逞しい級友の近江に恋をする。鉄棒で懸垂をする近江の脇に茂る豊饒な体毛に圧倒されるのだが、なぜか、この恋を諦めざるをえない嫉妬の感情も同時に覚える。「私」には愛する相手に似たいという強い願望があったのである。そして血を流し死んでゆく与太者や水夫や兵士や漁夫に「私」の愛は向かっていた。そういう嗜好が友人たちとは大きく隔たっていることに気づき、「私」は苦悩する。
大学生になった「私」は、友人の草野の家で、下手なピアノの音を聞いた。それは草野の妹が弾くピアノだった。やがて、「私」は召集令状を受け取るが、軍医の誤診で即日帰郷となった。特別幹部候補生で入隊した友人の草野の面会に行くことになり、駅で草野の家族を待っていると、彼の妹の園子がプラットフォームに下りて来るのを見て、その清楚な美しさに、かつてないほどに胸が高鳴った。彼女は肉体としての女ではなかった。この一泊の小旅行で「私」は園子を、肉の欲望をもたずに愛していることだけは強く感じた。本を貸し借りする付き合いが始まり、園子も「私」に好意を持ち始める。
学徒動員で海軍工廠にいる「私」と、空襲の危険を避けて一家で疎開した園子との手紙のやり取りが続いた。距離が隔たっていることと、空襲の危機とで、「私」は無理なく「正常」な恋人の気分になれた。園子の家からの誘いに応じて、疎開先を訪れた「私」は、以前からの懸念であった接吻を試みる。しかし「私」には何の快感もない。すべてが分かったという気持ちになり、「私」はやはり異常なのだと深く傷つく。彼女に相応しくない「私」は園子から逃げなければと思った。その後、草野の家から結婚の申し出の手紙が来て、「私」は婉曲な断りの返事を出してしまう。「私」はただ生まれ変わりたいと願っていた。そして終戦が来る。
間もなく園子は他の男と結婚した。私は自分に向かってはしゃいでみせた。彼女が「私」を捨てたのではなく、「私」が彼女を捨てた当然の結果だと。「私」は友人に誘われ娼家に行ってみたものの、不可能が確定するだけだった。「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物だ」という苦しみが訪れる。
あるとき偶然、他家に嫁いだ園子に出会ってしまう。以来、また、たびたび2人だけで逢うようになる。彼女への肉慾はないのに、「逢いたい」という欲求はどういうものか「私」は訝る。肉の欲求にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか?それは明々白々な背理(論理に反すること)ではなかろうか。しかしまた「私」は思うのである。人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまいと。
プラトニックな関係のまま、人妻の園子と何度か逢い引き(密会)を重ねる。クリスチャンの家に育った園子の気持ちは揺れ始めていた。2人は真昼のダンスホールの中庭に出た。そして「私」の視線は、ある粗野な美しい肉体の刺青の若者に釘付けとなる。「私」は、彼が与太者仲間と乱闘になり、匕首に刺され血まみれになる姿を夢想した。しばし園子の存在を忘れて見入っていたとき、「あと5分だわ」という園子の哀切な声を聞いた。その瞬間、「私」のなかで何かが残酷な力で2つに引裂かれた。「私」という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見た。もう一度、若者のいる方へ視線を向けると、そこにはもう空っぽの椅子と、卓の上にこぼれた飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげていた。
作品評価・解説[編集]
本多秋五は、『物語戦後文学史』で、「三島は、戦後文学の第四年目に『仮面の告白』を発表するにおよんで、はじめて否定できぬ特異な才能として文壇の評価をえたのである」[1]と記している。
花田清輝は、「かれは、全然、あたらしいのだ。そうして、ここから、ようやく、文学の領域において、半世紀遅れ、日本の二十世紀がはじまるのである」[2]と述べ、「透明な論理的抒情」と、本作を絶賛した。
また、花田清輝は、「仮面は懺悔聴聞僧(confessor)を眼中におき、おのれの顔をかくすためにとりあげられているのではなく、逆におのれの顔をあきらかにするために ― ほとんど他人の視線など問題にせず、いわば、仮説としてとりあげられているのである」、「(三島においては)、きれいに肉体を喪失しており、仮面は、かれの肉体を探がしだすための道具になっている」[2]と述べている。
田坂昮は、作品を読み解きながら、「『悲劇的なもの』への呼び声は、糞尿がその象徴であるところの、あの大地からの呼びかけであった。『根の母の悪意ある愛』が呼びかけたものであった。ここまでくると、わたしの想念はニーチェの“悲劇論”にゆきつく。ニーチェがその著書『悲劇の誕生』においてギリシア悲劇の根源にすえた、あの“ディオニュソス的なもの”の世界に。(中略)とりわけ、『仮面の告白』第1章の終りの部分に描かれている夏祭の神輿の場面にその最も濃厚な写し絵がみいだされる」[3]と述べている。そして、『仮面の告白』中の、「かれら(神輿かつぎの若衆たち)の目は地上のものを見てゐるとも思はれなかつた」という部分の、かれらの状態を、日常の現実界から断ち切られた“ディオニュソス的状態の狂喜”であるとし、「自然からの家出息子である人間」が「存在の母」への道に帰りゆくとき成就されるのは、このような「個体の破壊と根源存在との合一」であるとしている[3]。
そして田坂昮は、三島がエピグラフで採用したドストエフスキーの句の主題との関連を論じ、「理性の目と感情の目の全き対立。悪行(ソドム)の中の美。それはあの『根の母の悪意ある愛』の叫び声のなかに顕現する美ではないのか。汚穢と神聖とが一身同体であるところの美。そうであるならば、このような美とはあの『悲劇的なもの』のなかに住まうものであろう。いや、美とは『悲劇的なもの』そのもののこととなろう。『美』と『悲劇的なもの』との同一性。『大地』からの、『自然』からの叫び声による『悲劇的なもの』への誘ないは、こうして、『美』への誘ないとなる。(中略)ニーチェにいわせれば、『世界の存在は美的現象としてのみ是認される』 そして、その根源にあるものは、あの“ディオニュソス的なもの”なのである。このことは、三島氏の美学の根源がニーチェ的悲劇論となにか共通するものにゆきつくことを意味している」[3]と解説し、『仮面の告白』をこのようにして読み解くと、「性的な意味を越えて存在論的意味がうかびあがってくる」、「作品をつらぬく背骨は一個の存在の形而上学といえるだろう」[3]と述べている。
神西清が『仮面の告白』について、「前半はerectioとejaculatioに満ちていて、男性的なみずみずしさに満ちているのに反し、後半、『私』が女の世界へ出ていってからは、作品としての無力と衰弱を示している」と評していることに対し、伊藤勝彦は、「(神西論が)定説になってしまっているが、これは間違った解釈だと思う。前半の昂揚があり、後半の沈静があるからこそ、この作品全体のバランスというか調和が成りたっている」と述べ、「ぼくには後半が実に興味深く思えるのだ。だからこそ、『仮面の告白』こそが三島の最高の傑作だと思うのである」[4]と評価している。
おもな刊行本[編集]
- 『仮面の告白』(河出書房、1949年7月5日)
- カバー装幀:猪熊弦一郎。紙装。月報に三島の「仮面の告白」ノート。
- 文庫版『仮面の告白』(新潮文庫、1950年6月25日。改版1967年、1987年、2003年)
- 初版本完全復刻版『仮面の告白』(河出書房新社、1996年6月25日)
- カバー装幀:猪熊弦一郎。紙装。機械函外函。
- ※ 奥付・カバー・表紙・ドビラ・月報・帯のすべてを復刻(ただし、用紙についてはできるだけ近い用紙を使用)。
- ※ 付録(無綴二つ折り8頁、写真2葉)として新たに、三島由紀夫「作者の言葉」、坂本一亀「『仮面の告白』のころ」、同時代評・神西清「仮面の告白と―三島由紀夫氏の近作」を付加。
- 英文版『Confessions of a Mask』(訳:Meredith Weatherby)(New Directions、1958年6月。HarperCollins Publishers Ltd、1972年2月。他多数)
派生作品[編集]
- 『仮面の告白』のタイトルをヒントに坂本龍一が作曲した楽曲。ちなみに、この曲は、マイケル・ジャクソンにカバーされている。
- ストラングラーズの『Death & Night & Blood (Yukio)』(『死と夜と血』)
- 楽曲タイトルは、『仮面の告白』の中の、「ともすると私の心が、死と夜と血潮へむかつてゆくのを、遮げることはできなかつた」の語句から取られている。ベースのジャン=ジャック・バーネルは三島ファンであり、詩も、三島の生き方、作品に着想を得たものとなっている。
脚注[編集]
- ↑ 本多秋五『物語戦後文学史』(新潮社、1960年。岩波現代文庫、2005年)
- ↑ 2.0 2.1 花田清輝『聖セバスチャンの顔』(文藝 1950年1月号に掲載)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 田坂昮『増補 三島由紀夫論』(風濤社、1977年)
- ↑ 伊藤勝彦『最後のロマンティーク 三島由紀夫』(新曜社、2006年)
参考文献[編集]
- 文庫版『仮面の告白』(解説 福田恆存)(新潮文庫、1950年。改版1967年、1987年、2003年)
- 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- 田坂昮『増補 三島由紀夫論』(風濤社、1977年)
- 伊藤勝彦『最後のロマンティーク 三島由紀夫』(新曜社、2006年)
- フリードリヒ・ニーチェ『悲劇の誕生』訳・西尾幹二(中公クラシックス、2004年)
- web-magazine GYAN GYAN [1]