内閣総理大臣の一覧
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内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじんのいちらん)は、日本の行政府の長である内閣総理大臣を務めた人物の一覧。
歴代の内閣総理大臣
- 註と凡例
- 大日本帝国憲法は1890年11月29日、第3代の第1次山縣内閣のときに施行。
- 日本国憲法は1947年5月3日、第45代の第1次吉田内閣のときに施行。
- 以下の表中、代は内閣(内閣総理大臣)の代数、人は何人目の内閣総理大臣かを表す。
- 日数は在職日数を表す。ただし、在職期間が連続していない場合は、各次の在職日数を挙げ、最終次の在職日数の後に通算の在職日数を記した。
- 年齢は在職期間中の年齢(就任時の満年齢 - 退任時の満年齢)。
- 表中へのジャンプリンク
代 | 人 | 氏名 | 在職期間 | 日数/年齢 | 出身地 | 学職歴 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
明治 | |||||||
1 | 1 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第一次伊藤内閣 1885年12月22日 - 1888年4月30日 |
861日 44歳-46歳 |
長州藩 (山口県) |
松下村塾出身 後に元老 |
長州閥 |
2 | 2 | 黒田清隆 くろだ きよたか 100px |
黒田内閣 1888年4月30日 - 1889年10月25日 |
544日 47歳-48歳 |
薩摩藩 (鹿児島県) |
後に元老 | 薩摩閥 在任中単独辞任 |
- | (三條實美) さんじょう さねとみ 100px |
(黒田内閣) 1889年10月25日 - 1889年12月24日 |
(内大臣三條實美が内閣総理大臣兼任) | ||||
大日本帝国憲法下 | |||||||
3 | 3 | 山縣有朋 やまがた ありとも 100px |
第一次山縣内閣 1889年12月24日 - 1891年5月6日 |
499日 51歳-52歳 |
長州藩 (山口県) |
松下村塾出身 陸軍軍人 後に元老 |
長州閥 |
4 | 4 | 松方正義 まつかた まさよし 100px |
第一次松方内閣 1891年5月6日 - 1892年8月8日 |
461日 56歳-57歳 |
薩摩藩 (鹿児島県) |
後に元老 |
薩摩閥 |
5 | 伊藤博文 |
第二次伊藤内閣 1892年8月8日 - 1896年8月31日 |
1485日 50歳-54歳 |
(略) | (略) | 在任中単独辞任 | |
- | (黒田清隆) 100px |
(第二次伊藤内閣) 1896年8月31日 - 1896年9月18日 |
(枢密院議長黒田清隆が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
6 | 松方正義 100px |
第二次松方内閣 1896年9月18日 - 1898年1月12日 |
482日 61歳-62歳 通算943日 |
(略) | (略) | ||
7 | 伊藤博文 |
第三次伊藤内閣 1898年1月12日 - 1898年6月30日 |
170日 56歳-56歳 |
(略) | (略) | ||
8 | 5 | 大隈重信 おおくま しげのぶ |
第一次大隈内閣 1898年6月30日 - 1898年11月8日 |
132日 60歳-60歳 |
佐賀藩 (佐賀県) |
佐賀藩蘭学寮出身 | 肥前閥 憲政党総裁 最初の政党内閣 |
9 | 山縣有朋 100px |
第二次山縣内閣 1898年11月8日 - 1900年10月19日 |
711日 60歳-62歳 通算1210日 |
(略) | (略) | ||
10 | 伊藤博文 |
第四次伊藤内閣 1900年10月19日 - 1901年5月10日 |
204日 59歳-59歳 通算2720日 |
(略) | (略) | 立憲政友会総裁 在任中単独辞任 | |
- | (西園寺公望) さいおんじ きんもち |
(第四次伊藤内閣) 1901年5月10日 - 1901年6月2日 |
(枢密院議長西園寺公望が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
11 | 6 | 桂太郎 かつら たろう 100px |
第一次桂内閣 1901年6月2日 - 1906年1月7日 |
1681日 53歳-58歳 |
長州藩 (山口県) |
陸軍軍人 台湾総督 後に内大臣、元老 |
長州閥 (予備役陸軍大将) |
12 | 7 | 西園寺公望 |
第一次西園寺内閣 1906年1月7日 - 1908年7月14日 |
920日 56歳-58歳 |
京都 (京都府) |
ソルボンヌ大学 パリ講和会議全権特使 後に元老 |
立憲政友会総裁 |
13 | 桂太郎 100px |
第二次桂内閣 1908年7月14日 - 1911年8月30日 |
1143日 60歳-63歳 |
(略) | (略) | ||
14 | 西園寺公望 |
第二次西園寺内閣 1911年8月30日 - 1912年12月21日 |
480日 61歳-63歳 通算1400日 |
(略) | (略) | ||
大正 | |||||||
15 | 桂太郎 100px |
第三次桂内閣 1912年12月21日 - 1913年2月20日 |
62日 64歳-65歳 通算2886日 |
(略) | (略) | ||
16 | 8 | 山本權兵衞 やまもと ごんべえ 100px |
第一次山本内閣 1913年2月20日 - 1914年4月16日 |
421日 60歳-61歳 |
薩摩藩 (鹿児島県) |
海軍兵学寮卒業 海軍軍人 |
薩摩閥 (予備役海軍大将) |
17 | 大隈重信 |
第二次大隈内閣 1914年4月16日 - 1916年10月9日 |
908日 76歳-78歳 通算1040日 |
(略) | (略) | ||
18 | 9 | 寺内正毅 てらうち まさたけ 100px |
寺内内閣 1916年10月9日 - 1918年9月29日 |
721日 64歳-66歳 |
長州藩 (山口県) |
陸軍軍人 | 長州閥 朝鮮総督 現役陸軍大将 米騒動で辞職 |
19 | 10 | 原敬 はら たかし |
原内閣 1918年9月29日 - 1921年11月4日 |
1133日 62歳-65歳 |
盛岡藩 (岩手県) |
司法省法学校中退 郵便報知新聞社記者 外務官僚 |
立憲政友会総裁 衆議院議員 在任中暗殺 |
- | (内田康哉) うちだ こうさい 100px |
(原内閣) 1921年11月4日 - 1921年11月13日 |
(外務大臣内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
20 | 11 | 高橋是清 たかはし これきよ |
高橋内閣 1921年11月13日 - 1922年6月12日 |
212日 67歳-67歳 |
仙台藩 (岩手県)[1] |
ヘボン塾[2] 日銀総裁 |
立憲政友会総裁 衆議院議員 |
21 | 12 | 加藤友三郎 かとう ともさぶろう 100px |
加藤友三郎内閣 1922年6月12日 - 1923年8月24日 |
439日 61歳-62歳 |
広島藩 (広島県) |
海軍兵学寮卒業 海軍軍人 ワシントン海軍軍縮会議主席全権 |
(予備役海軍大将) 在任中に病死 |
- | (内田康哉) 100px |
(加藤友三郎内閣) 1923年8月24日 - 1923年9月2日 |
(外務大臣内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
22 | 山本權兵衞 100px |
第二次山本内閣 1923年9月2日 - 1924年1月7日 |
128日 70歳-71歳 通算549日 |
(略) | (略) | ||
23 | 13 | 清浦奎吾 きようら けいご 100px |
清浦内閣 1924年1月7日 - 1924年6月11日 |
157日 73歳-74歳 |
熊本藩 (熊本県) |
咸宜園出身 司法官僚 |
貴族院議員 |
24 | 14 | 加藤高明 かとう たかあき 100px |
加藤高明内閣 1924年6月11日 - 1926年1月28日 |
597日 64歳-66歳 |
尾張藩 (愛知県) |
東京大学法学部卒業 三菱役員 外務官僚 |
憲政会総裁 衆議院議員 憲政会・政友会・革新倶楽部連立(1925年8月2日以降憲政会単独) 在任中に病死 |
- | (若槻禮次郎) わかつき れいじろう 100px |
(加藤高明内閣) 1926年1月28日 - 1926年1月30日 |
(内務大臣若槻禮次郎が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
25 | 15 | 若槻禮次郎 100px |
第一次若槻内閣 1926年1月30日 - 1927年4月20日 |
446日 59歳-61歳 |
松江藩 (島根県) |
東京帝国大学法科卒業 大蔵官僚 衆議院議員 ロンドン海軍軍縮会議主席全権 |
憲政会総裁 |
昭和 | |||||||
26 | 16 | 田中義一 たなか ぎいち |
田中義一内閣 1927年4月20日 - 1929年7月2日 |
805日 62歳-64歳 |
長州藩 (山口県) |
陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
立憲政友会総裁 (予備役陸軍大将) |
27 | 17 | 濱口雄幸 はまぐち おさち |
濱口内閣 1929年7月2日 - 1931年4月14日 |
652日 59歳-60歳 |
土佐藩 (高知県) |
東京帝国大学法科卒業 大蔵官僚 衆議院議員 |
立憲民政党総裁 在任中狙撃 外務大臣幣原喜重郎が1930年11月14日から1931年3月10日まで116日間にわたって臨時代理 |
28 | 若槻禮次郎 100px |
第二次若槻内閣 1931年4月14日 - 1931年12月13日 |
244日 65歳-65歳 通算690日 |
(略) | (略) | 立憲民政党総裁 | |
29 | 18 | 犬養毅 いぬかい つよし |
犬養内閣 1931年12月13日 - 1932年5月16日† |
156日 76歳-76歳 |
庭瀬藩 (岡山県) |
慶應義塾中退 新聞記者 衆議院議員 |
立憲政友会総裁 在任中襲撃(五・一五事件) † 総理死亡は5月15日 午後11時26分 |
- | (高橋是清) |
(犬養内閣) 1932年5月16日 - 1932年5月26日 |
(大蔵大臣高橋是清が内閣総理大臣臨時兼任) | ||||
30 | 19 | 齋藤實 さいとう まこと 100px |
齋藤内閣 1932年5月26日 - 1934年7月8日 |
774日 73歳-75歳 |
仙台藩 (岩手県) |
海軍兵学校卒業 海軍軍人 朝鮮総督(2期) ジュネーヴ海軍軍縮会議主席全権 |
(予備役海軍大将) |
31 | 20 | 岡田啓介 おかだ けいすけ 100px |
岡田内閣 1934年7月8日 - 1936年3月9日 |
611日 66歳-68歳 |
越前藩 (福井県) |
海軍大学校卒業 海軍軍人 |
(予備役海軍大将) 在任中襲撃(二・二六事件) 内務大臣後藤文夫が臨時代理 |
32 | 21 | 廣田弘毅 ひろた こうき 100px |
廣田内閣 1936年3月9日 - 1937年2月2日 |
331日 58歳-58歳 |
福岡県 | 東京帝国大学法学部政治学科卒業 外務官僚 |
|
33 | 22 | 林銑十郎 はやし せんじゅうろう 100px |
林内閣 1937年2月2日 - 1937年6月4日 |
123日 60歳-61歳 |
石川県 | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
(予備役陸軍大将) |
34 | 23 | 近衞文麿 このえ ふみまろ |
第一次近衞内閣 1937年6月4日 - 1939年1月5日 |
581日 45歳-47歳 |
東京府 (東京都) |
京都帝国大学法学部卒業 公家華族 貴族院議長 |
|
35 | 24 | 平沼騏一郎 ひらぬま きいちろう 100px |
平沼内閣 1939年1月5日 - 1939年8月30日 |
238日 71歳-71歳 |
津山藩 (岡山県) |
東京帝国大学法科卒業 司法官僚 大審院長 枢密院議長 |
|
36 | 25 | 阿部信行 あべ のぶゆき 100px |
阿部内閣 1939年8月30日 - 1940年1月16日 |
140日 63歳-64歳 |
石川県 | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 後に朝鮮総督 |
(予備役陸軍大将) |
37 | 26 | 米内光政 よない みつまさ |
米内内閣 1940年1月16日 - 1940年7月22日 |
189日 59歳-60歳 |
岩手県 | 海軍大学校 海軍軍人 連合艦隊司令長官 |
(予備役海軍大将) |
38 | 近衞文麿 |
第二次近衞内閣 1940年7月22日 - 1941年7月18日 |
362日 | (略) | (略) | ||
39 | 第三次近衞内閣 1941年7月18日 - 1941年10月18日 |
93日 48歳-50歳 通算1035日 | |||||
40 | 27 | 東條英機 とうじょう ひでき |
東條内閣 1941年10月18日 - 1944年7月22日 |
1009日 57歳-59歳 |
東京府 (東京都) |
陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
現役陸軍大将 |
41 | 28 | 小磯國昭 こいそ くにあき 100px |
小磯内閣 1944年7月22日 - 1945年4月7日 |
260日 64歳-65歳 |
栃木県 | 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 朝鮮総督 |
(予備役陸軍大将) → 現役復帰 |
42 | 29 | 鈴木貫太郎 すずき かんたろう |
鈴木貫太郎内閣 1945年4月7日 - 1945年8月17日 |
133日 77歳-77歳 |
関宿藩 (千葉県)[3] |
海軍大学校卒業 海軍軍人 連合艦隊司令長官 侍従長 枢密院議長 |
(予備役海軍大将) |
43 | 30 | 東久邇宮稔彦王 ひがしくにのみや なるひこおう |
東久邇宮内閣 1945年8月17日 - 1945年10月9日 |
54日 57歳-57歳 |
京都府 | 皇族 陸軍大学校卒業 陸軍軍人 |
1945年8月15日より 連合軍の占領下 (9月6日主権放棄) |
44 | 31 | 幣原喜重郎 しではら きじゅうろう |
幣原内閣 1945年10月9日 - 1946年5月22日 |
226日 73歳-73歳 |
大阪府 | 東京帝国大学法科大学卒業 外務官僚 貴族院議員 内閣総理大臣臨時代理 |
元外務大臣 進歩・自由連立 連合軍の占領下 |
45 | 32 | 吉田茂 よしだ しげる |
第一次吉田内閣 1946年5月22日 - 1947年5月24日 |
368日 67歳-68歳 |
東京府 (東京都)[4] |
東京帝国大学法科大学政治科卒業 外務官僚 貴族院議員 |
日本自由党総裁 自由・進歩連立 連合軍の占領下 |
日本国憲法下 | |||||||
46 | 33 | 片山哲 かたやま てつ |
片山内閣 1947年5月24日 - 1948年3月10日 |
292日 59歳-60歳 |
和歌山県[5] | 東京帝国大学法学部独法科卒業 弁護士 |
日本社会党委員長 社会・民主・国協連立 連合軍の占領下 |
47 | 34 | 芦田均 あしだ ひとし |
芦田内閣 1948年3月10日 - 1948年10月15日 |
220日 60歳-60歳 |
京都府 | 東京帝国大学法学部仏法科卒業 外務官僚 |
民主党総裁 民主・社会・国協連立 連合軍の占領下 |
48 | 吉田茂 |
第二次吉田内閣 1948年10月15日 - 1949年2月16日 |
125日 | (略) | (略) | 民主自由党総裁 連合軍の占領下 | |
49 | 第三次吉田内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 改造内閣 三 1949年2月16日 - 1952年10月30日 |
1353日 | 連合軍の占領下 (1952年4月28日主権回復) | ||||
50 | 第四次吉田内閣 1952年10月30日 - 1953年5月21日 |
204日 | 自由党総裁 バカヤロー解散(53年3月) | ||||
51 | 第五次吉田内閣 1953年5月21日 - 1954年12月10日 |
569日 70歳-76歳 通算2616日 |
|||||
52 | 35 | 鳩山一郎 はとやま いちろう |
第一次鳩山一郎内閣 1954年12月10日 - 1955年3月19日 |
100日 | 東京府 (東京都) |
東京帝国大学法学部英法科卒業 東京市議会議員 弁護士 |
日本民主党総裁 |
53 | 第二次鳩山一郎内閣 1955年3月19日 - 1955年11月22日 |
249日 | |||||
54 | 第三次鳩山一郎内閣 1955年11月22日 - 1956年12月23日 |
398日 通算745日 71歳-73歳 |
自由民主党総裁 | ||||
55 | 36 | 石橋湛山 いしばし たんざん |
石橋内閣 1956年12月23日 - 1957年2月25日 |
65日 72歳-72歳 |
山梨県[6] | 早稲田大学大学部文学科[7]卒業 東洋経済新報社社長 |
自由民主党総裁 発足直後に脳梗塞で執務不能 外務大臣岸信介が臨時代理 |
56 | 37 | 岸信介 きし のぶすけ |
第一次岸内閣 改造内閣 1957年2月25日 - 1958年6月12日 |
473日 | 山口県 | 東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業 商工官僚 |
自由民主党総裁 |
57 | 第二次岸内閣 改造内閣 1958年6月12日 - 1960年7月19日 |
769日 通算1241日 60歳-63歳 |
|||||
58 | 38 | 池田勇人 いけだ はやと |
第一次池田内閣 1960年7月19日 - 1960年12月8日 |
143日 | 広島県 | 京都帝国大学法学部卒業 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 所得倍増計画打ち出し |
59 | 第二次池田内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 改造内閣 三 1960年12月8日 - 1963年12月9日 |
1097日 | ムード解散 | ||||
60 | 第三次池田内閣 改造内閣 1963年12月9日 - 1964年11月9日 |
337日 通算1575日 60歳-64歳 |
|||||
61 | 39 | 佐藤榮作 さとう えいさく |
第一次佐藤内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 改造内閣 三 1964年11月9日 - 1967年2月17日 |
831日 | 山口県 | 東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業 運輸官僚 |
自由民主党総裁 |
62 | 第二次佐藤内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1967年2月17日 - 1970年1月14日 |
1063日 | |||||
63 | 第三次佐藤内閣 改造内閣 1970年1月14日 - 1972年7月7日 |
906日 通算2798日 63歳-71歳 |
|||||
64 | 40 | 田中角榮 たなか かくえい |
第一次田中角栄内閣 1972年7月7日 - 1972年12月22日 |
169日 | 新潟県 | 中央工学校卒業 会社社長 |
自由民主党総裁 |
65 | 第二次田中角栄内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1972年12月22日 - 1974年12月9日 |
718日 通算886日 54歳-56歳 |
金脈問題で総辞職 | ||||
66 | 41 | 三木武夫 みき たけお |
三木内閣 改造内閣 1974年12月9日 - 1976年12月24日 |
747日 67歳-69歳 |
徳島県 | 明治大学法学部卒業 環境庁長官 |
自由民主党総裁 |
67 | 42 | 福田赳夫 ふくだ たけお |
福田赳夫内閣 改造内閣 1976年12月24日 - 1978年12月7日 |
714日 71歳-73歳 |
群馬県 | 東京帝国大学法学部卒業 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
68 | 43 | 大平正芳 おおひら まさよし |
第一次大平内閣 1978年12月7日 - 1979年11月9日 |
338日 | 香川県 | 東京商科大学[8]卒業 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
69 | 第二次大平内閣 1979年11月9日 - 1980年6月12日 |
217日 通算554日 68歳-70歳 |
在任中心筋梗塞で急死 | ||||
- | (伊東正義) いとう まさよし |
(第二次大平内閣) 1980年6月12日 - 1980年7月17日 |
(内閣官房長官伊東正義が内閣総理大臣臨時代理) | ||||
70 | 44 | 鈴木善幸 すずき ぜんこう |
鈴木善幸内閣 改造内閣 1980年7月17日 - 1982年11月27日 |
864日 69歳-71歳 |
岩手県 | 水産講習所[9]卒業 漁協役員 |
自由民主党総裁 |
71 | 45 | 中曾根康弘 なかそね やすひろ |
第一次中曽根内閣 1982年11月27日 - 1983年12月27日 |
396日 | 群馬県 | 東京帝国大学法学部政治学科卒業 内務官僚 |
自由民主党総裁 |
72 | 第二次中曽根内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1983年12月27日 - 1986年7月22日 |
939日 | 自民・新自由クラブ連立 | ||||
73 | 第三次中曽根内閣 1986年7月22日 - 1987年11月6日 |
473日 通算1806日 64歳-69歳 |
自民単独 | ||||
74 | 46 | 竹下登 たけした のぼる |
竹下内閣 改造内閣 1987年11月6日 - 1989年6月3日 |
576日 63歳-65歳 |
島根県 | 早稲田大学商学部卒業 中学校教師 島根県議会議員 |
自由民主党総裁 |
平成 | |||||||
75 | 47 | 宇野宗佑 うの そうすけ |
宇野内閣 1989年6月3日 - 1989年8月10日 |
69日 66歳-66歳 |
滋賀県 | 神戸商業大学[10]中退 滋賀県議会議員 |
自由民主党総裁 |
76 | 48 | 海部俊樹 かいふ としき |
第一次海部内閣 1989年8月10日 - 1990年2月28日 |
203日 | 愛知県 | 早稲田大学第二法学部卒業 議員秘書 |
自由民主党総裁 |
77 | 第二次海部内閣 改造内閣 1990年2月28日 - 1991年11月5日 |
616日 通算818日 58歳-60歳 |
|||||
78 | 49 | 宮澤喜一 みやざわ きいち |
宮澤内閣 改造内閣 1991年11月5日 - 1993年8月9日 |
644日 72歳-73歳 |
広島県[11] | 東京帝国大法学部政治学科卒業 大蔵官僚 |
自由民主党総裁 |
79 | 50 | 細川護熙 ほそかわ もりひろ |
細川内閣 1993年8月9日 - 1994年4月28日 |
263日 55歳-56歳 |
熊本県[12] | 上智大学法学部卒業 朝日新聞記者 熊本県知事 |
日本新党代表 非自民・非共産連立 1955年以来の非自民総理 |
80 | 51 | 羽田孜 はた つとむ |
羽田内閣 1994年4月28日 - 1994年6月30日 |
64日 58歳-58歳 |
長野県[12] | 成城大学経済学部経営学科卒業 小田急バス社員 |
新生党党首 非自民・非共産連立 (首相指名直後に社会党離脱) |
81 | 52 | 村山富市 むらやま とみいち 100px |
村山内閣 改造内閣 1994年6月30日 - 1996年1月11日 |
561日 70歳-71歳 |
大分県 | 明治大学専門部政治経済科[13]卒業 大分県議会議員 |
日本社会党委員長 自民・社会・さきがけ連立 |
82 | 53 | 橋本龍太郎 はしもと りゅうたろう |
第一次橋本内閣 1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
302日 | 岡山県[12] | 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 呉羽紡績社員 |
自由民主党総裁 自民・社民・さきがけ連立 |
83 | 第二次橋本内閣 改造内閣 1996年11月7日 - 1998年7月30日 |
631日 通算932日 58歳-61歳 |
自民単独 | ||||
84 | 54 | 小渕恵三 おぶち けいぞう |
小渕内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 1998年7月30日 - 2000年4月5日 |
616日 61歳-62歳 |
群馬県 | 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了 会社役員 |
自由民主党総裁 自民・自由・公明連立 在任中に脳梗塞で執務不能 内閣官房長官青木幹雄が臨時代理 |
85 | 55 | 森喜朗 もり よしろう |
第一次森内閣 2000年4月5日 - 2000年7月4日 |
91日 | 石川県 | 早稲田大学第二商学部卒業 日本工業新聞記者 |
自由民主党総裁 自民・公明・保守 |
86 | 第二次森内閣 改造内閣 再編前 改造内閣 再編後 2000年7月4日 - 2001年4月26日 |
297日 通算387日 62歳-63歳 |
自民・公明・保守連立 | ||||
87 | 56 | 小泉純一郎 こいずみ じゅんいちろう |
第一次小泉内閣 改造内閣 一 改造内閣 二 2001年4月26日 - 2003年11月19日 |
938日 | 神奈川県 | 慶應義塾大学経済学部卒業 議員秘書 |
自由民主党総裁 自民・公明・保守連立 |
88 | 第二次小泉内閣 改造内閣 2003年11月19日 - 2005年9月21日 |
673日 | 自民・公明連立 郵政解散(2005年8月) | ||||
89 | 第三次小泉内閣 改造内閣 2005年9月21日 - 2006年9月26日 |
371日 通算1980日 59歳-64歳 |
自民・公明連立 | ||||
90 | 57 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
安倍内閣 改造内閣 2006年9月26日 - 2007年9月26日 |
366日 52歳-53歳 |
山口県[12] | 成蹊大学法学部政治学科卒業 神戸製鋼所社員 |
自由民主党総裁 自民・公明連立 |
91 | 58 | 福田康夫 ふくだ やすお |
福田康夫内閣 改造内閣 2007年9月26日 - 2008年9月24日 |
365日 71歳-72歳 |
群馬県[11] | 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業 丸善石油社員 |
自由民主党総裁 自民・公明連立 |
92 | 59 | 麻生太郎 あそう たろう |
麻生内閣 2008年9月24日 - 2009年9月16日 |
358日 68歳-68歳 |
福岡県 | 学習院大学政治経済学部政治学科卒業 麻生セメント社長 |
自由民主党総裁 自民・公明連立 |
93 | 60 | 鳩山由紀夫 はとやま ゆきお |
鳩山由紀夫内閣 2009年9月16日 - 2010年6月8日 (266日) |
テンプレート:age in days日 62歳- |
東京都 | 東京大学 スタンフォード大学大学院 東京工業大学助手 専修大学経営学部助教授 新党さきがけ代表幹事 |
民主党代表 民主・社民・国民連立 1996年以来の非自民総理 |
94 | 61 | 菅直人 かん なおと 80px |
菅内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 2010年6月8日 - 2011年9月2日 (452日) |
山口県 | 民主党代表 民主・国民連立政権 | ||
95 | 62 | 野田佳彦 のだ よしひこ 80px |
野田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 2011年9月2日 - 2012年12月26日 (482日) |
千葉県 | 民主党代表 民主・国民連立政権 | ||
96 | 63 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
第2次安倍内閣 改造内閣 2012年12月26日 - 2014年12月24日 (729日) |
(略) | 自由民主党総裁 自民・公明連立政権 | ||
97 | 第3次安倍内閣 |
2014年12月24日 - 現在 (テンプレート:age in days日) (第2次発足からテンプレート:age in days日) |
自民・公明連立政権 |
脚注
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