第1次佐藤内閣
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第1次佐藤内閣(だい1じ さとう ないかく)とは、佐藤栄作が第61代内閣総理大臣に任命され、1964年(昭和39年)11月9日から1965年(昭和40年)6月3日まで続いた日本の内閣である。
概要[編集]
池田勇人首相の病気辞任により、前の第3次池田内閣改造内閣が総辞職し、佐藤栄作が後継総裁に指名されて組閣した。閣僚は、内閣官房長官を鈴木善幸から佐藤派の橋本登美三郎に差し替えたほかは、前内閣のメンバーが再任した居抜き内閣となった。
通算7年8ヶ月続いた佐藤長期政権の始まりである。1965年(昭和40年)2月10日の衆議院予算委員会において社会党の岡田春夫が自衛隊の極秘研究である三矢研究を暴露し、国会は一時この問題をめぐって紛糾した。
閣僚[編集]
- 内閣総理大臣 - 佐藤栄作
- 法務大臣 - 高橋等
- 外務大臣 - 椎名悦三郎
- 大蔵大臣 - 田中角栄
- 文部大臣、科学技術庁長官 - 愛知揆一
- 厚生大臣 - 神田博
- 農林大臣 - 赤城宗徳
- 通商産業大臣 - 桜内義雄
- 運輸大臣 - 松浦周太郎
- 郵政大臣 - 徳安実蔵
- 労働大臣 - 石田博英
- 建設大臣、近畿圏整備長官、首都圏整備委員会委員長 - 小山長規
- 自治大臣、国家公安委員会委員長 - 吉武恵市
- 行政管理庁長官、北海道開発庁長官 - 増原恵吉
- 防衛庁長官 - 小泉純也
- 経済企画庁長官 - 高橋衛
- 国務大臣 - 河野一郎
- 内閣官房長官 - 橋本登美三郎
- 総理府総務長官 - 臼井荘一
政務次官[編集]
- 法務政務次官 - 大坪保雄
- 外務政務次官 - 永田亮一
- 大蔵政務次官 - 鍛冶良作、鍋島直紹
- 文部政務次官 - 押谷富三
- 厚生政務次官 - 徳永正利
- 農林政務次官 - 館林三喜男、谷口慶吉
- 通商産業政務次官 - 岡崎英城、村上春蔵
- 運輸政務次官 - 大久保武雄
- 郵政政務次官 - 服部安司
- 労働政務次官 - 始関伊平
- 建設政務次官 - 白浜仁吉
- 自治政務次官 - 高橋禎一
- 行政管理政務次官 - 山本杉
- 北海道開発政務次官 - 大泉寛三
- 防衛政務次官 - 高橋清一郎
- 経済企画政務次官 - 伊東隆治
- 科学技術政務次官 - 交告弥三