慰安婦
慰安婦(いあんふ)とは日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争及び韓米軍事合同訓練並びにアメリカ軍、連合軍及び国連軍の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地の周りの基地村などに設置された慰安所と呼ばれた施設で旧日本軍や韓国軍やアメリカ軍や国連軍の軍人に対して、性的サービスを行っていた婦女の総称である。
目次
- 1 概略
- 2 在日のつかこうへい氏の取材の結果
- 3 「新談話ものすごく効果」「国会で朝日、白黒つけよ」2014年8月21日の自民党政調会議抄録
- 4 また問題のすり替えとごまかしか 朝日、再度の慰安婦特集記事(2014年8月)
- 5 池田信夫「朝日新聞のねらいは『慰安婦』ではなく『国家賠償』だった」
- 6 概観
- 7 慰安婦の概要
- 8 「慰安婦」問題
- 9 証言・証拠資料
- 9.1 著作
- 9.2 加害証言
- 9.3 私が見た従軍慰安婦の正体-小野田寛郎
- 9.4 元慰安婦の証言
- 9.5 評論家・呉智英 「しっかりとした歴史知識があれば、強制連行がなかったと言える。貧困や、親の借金で売られたりした」
- 9.6 国会で中山成彬により事実が公表(2013年3月)
- 9.7 当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者は今も沈黙
- 9.8 元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」
- 9.9 「済州島で連行」吉田氏の証言。裏付け得られず虚偽と朝日が判断(2014年8月)
- 9.10 詐欺罪で元朝日・植村記者の義母逮捕「日本政府から補償金を受け取ってやる」会費15億ウォン(約1億2000万円)をだまし取る。遺族会の幹部39人も摘発
- 9.11 日本政府・軍関係
- 9.12 韓国の資料
- 9.13 海外の資料
- 9.14 その他の資料
- 9.15 「慰安婦」訴訟
- 9.16 「慰安婦」と外交問題
- 10 アメリカ,テキサス、売春取り締まりで韓国人女性大量検挙(2012年5月)
- 11 韓国の年寄りが証言「慰安婦?大嘘だよ。当時は皆日本国民だよ。」
- 12 韓国教授(88)が告白「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」
- 13 早く自虐教育をやめさせないと(2013年3月 中山成彬)
- 14 韓国からの出稼ぎデリヘル嬢「1000万円貯めて帰国したい」経営者「求人広告をだすと、応募が殺到する」
- 15 【赤旗】「慰安婦、お金をもらっていたら被害者ではないのか」(2012年9月)
- 16 「月に400万円」にダマされて(2012年9月)
- 17 売春産業の規模は韓国GDPの5%、「売春大国」韓国。年間売春件数4605万件
- 18 根深い韓国の性売買文化を根絶するためには
- 19 「慰安婦像設置は間違っていた」米市長発言。韓国紙は「波紋広がる」と報道(2013年10月)
- 20 ブエナパーク市のアートブラウン市議会議員のような正しい歴史認識を(2013年)
- 21 高齢者売春問題。60代娼婦たち「若いアガシたちのように、日本に体を売りに行くことできない」
- 22 橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」
- 23 韓国への修学旅行で強制的に慰安婦に謝罪させられる日本の高校生達
- 24 付け火して煙り喜ぶ朝日新聞。藤岡信勝氏「白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くような卑劣で許しがたい挙に出た」
- 25 声を上げた保守系市民「慰安婦の実像知って」(2014年7月)
- 26 慰安婦に対する海外の認識
- 27 脚注
- 28 関連項目
- 29 参考文献
- 30 外部リンク
概略
- 支那・大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が「従軍慰安婦」という言葉を創造、1973年「従軍慰安婦」を出版
- 1983年 「吉田清治」 が自著「私の戦争犯罪」にて「済州島でイアンフ狩りをした」と記載
- 1989年ハングル版出版、と同時に 「青柳敦子」 が韓国で「訴訟費用は負担します」とビラ配り
- 驚いた済州島で、地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、89年8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道
- 2年後の1991年8月11日、突如 「朝日新聞」 が、「元慰安婦に聞き取り調査開始」と報道(いわゆる「イアンフ捏造キャンペーン」開始)
- 記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた 「植村隆」 。
- NHKが終戦記念日企画として「イアンフ」捏造番組を放送。
- 「青柳敦子」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」 。この後に東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述(ここまで朝日は、常に韓国を『軍事独裁国家』と呼んで蔑んでいた)
- 翌92年1月11日、 「朝日新聞」 が「慰安所 軍関与示す資料」と、 「吉見義明」 の記事を報道。(内容は、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった)
- 1月16日 「宮沢喜一」 訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪、
- 1月23日、またしても 「朝日新聞」 が、夕刊コラムで「 吉田清治」 の「私の戦争犯罪」を紹介
- 6~7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が 「吉田清治」 の捏造を看破、騒動が急速に沈静化
- 「第一次サハリン裁判」で 「吉田清治」 が偽証、担当弁護士は翌年インドネシアで「元イアンフ2万人募集」をやる 「高木健一」 。
- 「加藤紘一」 が「慰安所には軍が関与」とし、1993年8月4日 「河野洋平」 が談話発表。
- 1997年1月3日、『朝まで生テレビ!』で 「吉見義明」 が「強制連行&挺身隊が慰安婦にさせられた例は未確認」と自白。
- 2001年、「金学順」 東京地裁で敗訴(判決前に既に死亡)、控訴&上告、2004年最高裁にて棄却
在日のつかこうへい氏の取材の結果
「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった。彼女たちの境遇は必ずしも悲惨ではなかったことが分かった」
「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったりけったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏をつくろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為である“あこぎな”強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」
つかこうへい後日談
日韓文化交流のためつかこうへい劇団で韓国を訪れた際に劇団員がレイプされる。レイプした後、韓国の教授は「友好のためなんだからレイプぐらいでガタガタ騒ぐな」とマスコミの取材にコメントした。
練馬劇団員強姦未遂事件を参照。
「新談話ものすごく効果」「国会で朝日、白黒つけよ」2014年8月21日の自民党政調会議抄録
21日に開かれた自民党政調会議の主な内容は次の通り。
高市早苗政調会長「未来志向の外交も非常に重要だが、私たちにとっては国家、国民、そして子孫の名誉を守りぬくことも大切なことだ」
内閣官房担当者「(当時の)朝日新聞の報道で対日批判が強まった。日本政府は強制連行は確認できないとの姿勢を貫いていた」
外務省担当者「(米カリフォルニア州グレンデール市などに設置されている慰安婦像について)大使館などを通じて、このような動きを阻止できるよう努めている」
片山さつき環境部会長「グレンデールの慰安婦だけでなく、日本海を『東海』に変えろというのは同じ(反日)運動だ。組織的に対応しないといけない。河野談話に対しては新談話を出すとものすごく効果がある」
城内実外交部会長「(日本と韓国以外の)第三国には粘り強く丁寧に説明し、誤解を解いていかなければならない」
佐田玄一郎元行政改革担当相「(河野談話は)どうしてこんな文書になったのか、どこが問題かを内閣官房は言わないとまずい。(韓国は)内政干渉に近いことを言ってきている。日本を大きく毀損した朝日新聞には、閉会中審査でもいいので、国会で白黒はっきりつけるべきだ」
佐藤正久参院議員「(慰安婦を『性奴隷』とした国連欧州本部自由権規約委員会がある)ジュネーブできちんと正しい情報を発信すべきだ。外務省が真剣にやらないといけない」
大西英男衆院議員「朝日新聞が誤った報道をしたせいで、世界に『性奴隷』という情報が広がっている。朝日の当時の経営者や記者を国会で証人喚問すべきだ」
山田賢司衆院議員「自民党として河野談話を総括しないといけない。談話を見直さないのなら、新談話を出すべきだ」
柴山昌彦衆院内閣委員長「国際的に権威のある人権機関が正しいコメントを発表するようにしないといけない」
赤池誠章副幹事長「改めて新談話を出すのが大事だ。自民党が主導してきちんと強制連行がなかったことを主張しないといけない」
高市氏「新談話が必要との要望があれば、党として菅義偉官房長官に要請したい。閣議決定していない河野談話を、なぜ政府が継承するのかというそもそもの疑問もある」
有村治子参院議員「虚偽のことを垂れ流し、(旧日本軍の)尊厳を踏みにじる自由は朝日新聞にはない。(同紙が強制連行の証言報道を虚偽と認めたことで)河野談話は根底から揺らいでいる」
丸山和也参院議員「韓国とは火花を散らすのではなく、その動きを国際社会の中で封じ込めるのがいい」
簗和生衆院議員「朝日新聞の所業についてはしっかりと追及すべきだ」
また問題のすり替えとごまかしか 朝日、再度の慰安婦特集記事(2014年8月)
朝日新聞は28日付朝刊記事で、「河野談話、吉田証言に依拠せず」との見出しを取り、河野談話が作成されるに至ったことと、自社が執拗に吉田清治氏の「強制連行証言」を取り上げ、国内外に広めたこととは無関係だと印象付けようとしているようだ。その根拠の一つとして、朝日新聞は今回、こう指摘している。
「(河野談話は)吉田氏が言うような『強制連行』ではなく、女性たちが自由意思を奪われた『強制性』を問題とした」
朝日新聞は、5日付の特集記事でも「(平成5年8月の談話発表時に)読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は『強制連行』を認めたと報じたが、朝日新聞は『強制連行』を使わなかった」と主張した。だが、そこには朝日新聞が触れなかった点が隠されている。
河野談話の主役である河野洋平官房長官(当時)が、談話発表の記者会見で「強制連行があったという認識なのか」と問われ、こう答えている部分だ。
「そういう事実があったと。結構です」
この河野氏自身が強制連行を認めたという事実は、朝日新聞の2度にわたる慰安婦特集記事からは抜け落ちている。政府が今年6月20日に公表した河野談話の作成過程を検証した報告書でも、河野発言は1章を設けて特記されているにもかかわらずだ。
つまり、河野氏自身は強制連行があったことを前提に河野談話を主導したのだろう。その河野氏の認識に、朝日新聞のおびただしい慰安婦強制連行に関する報道が影響を及ぼさなかったとどうしていえよう。
朝日新聞は、平成6年1月25日付朝刊の創刊115周年記念特集記事では「政治動かした調査報道」と題し、こう書いていた。
「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦三人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」
河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。
また、朝日新聞は今回、「韓国、元慰安婦証言を重視」との見出しも取り、現役の韓国政府関係者と韓国元外交官の匿名証言をもとに、吉田証言と韓国での慰安婦問題の過熱はかかわりがないと言わんとしている。
だが、韓国政府が1992年(平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。
朝日新聞の28日付特集の主見出しは「慰安婦問題 核心は変わらず」とある。
5日付記事と照らし合わせると、大事なのは女性の人権の問題だと言いたいのだろう。とはいえ、この論理も、自社が積み重ねた誤報や歪曲報道を枝葉末節の問題へとすり替えたいのだと読み取れる。
池田信夫「朝日新聞のねらいは『慰安婦』ではなく『国家賠償』だった」
朝日新聞の誤報事件を解明する上で重要なのは、なぜ彼らがこんなマイナーな数十人の(真偽も疑わしい)紛争に30年以上もこだわってきたのかという疑問だ。この口火を切ったのが、清田治史記者の書いた1982年9月の記事だ。
朝鮮人男性の抵抗に備えるため、完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。
ところが清田記者の1983年の記事では、慰安婦は消えている。彼の重点は、国家賠償にあった。当時は(男性の)強制連行が話題になり、韓国政府が日本政府に個人補償を要求していた。戦時中に日本に渡ってきた朝鮮人は100万人以上いたので、それにすべて個人補償すると巨額の費用が必要になる。
国際法的には、賠償の問題は日韓基本条約で解決ずみだが、韓国政府は強制連行に「超法規的」な国家賠償を要求していた。その中では数十人の慰安婦はマイナーな問題だが、セックスがからむので男性の炭鉱労働より興味を引く。朝日はそれを利用して、韓国の「強制連行に個人補償しろ」という主張を応援したのだろう。
高木健一・福島みずほなどの弁護士の目的も、個人補償の「1兆円訴訟」だった。法的には勝てる見込みはないが、弁護士手数料さえ 取れればいいので、話をなるべく大きくして原告を増やすことが彼らの戦術だった。そのもくろみ通り、日本政府は1993年に河野談話を出し、アジア女性基金という「示談金」を出したが、これがかえって問題を長期化した。
このころまでに、産経などの報道で吉田証言が嘘だということがはっきりし、朝日は河野談話の記事では「強制連行」ではなく「強制」という言葉を使った。検証記事では、「東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた」と書いている(この記者は市川速水報道局長だと思われる)。
強制連行がないことがわかっても、朝日だけは「強制性」を根拠に国家賠償を求め続けた。彼らの目的は、政府から個人補償を取ろうとする梁順任などのたかり行為を応援することにあったからだ。もともと法的根拠はないのだから、強制連行だろうと強制だろうと、政府に責任が あればいい。
ところが、たかりの方便だった慰安婦問題だけがクローズアップされて韓国で「炎上」し、本丸だった(男性の)強制連行が吹っ飛んでしまった。数十人の慰安婦だけ金を取ってもしょうがないので、韓国側はアジア女性基金を拒否し、あくまでも国家賠償を求めた。この点で、日本政府が国家賠償を拒否したのは正解だった。朝日も清田氏が退職してからからは、国家賠償の主張を取り下げた。
もともと国家賠償は国際法上も無理であり、日本は「示談」に応じたのだから、話は1993年で終わっている。それなのに国家賠償にこだわって撤退しなかったことが、朝日の最大の失敗だった。これは第一報を出した外報部の有力者、清田記者の利害がからんでいるものと思われる。 週刊文春の取材にも彼は答えないようだから、清田氏(もう朝日の社員ではない)を国会に喚問することが事態の解明に不可欠だ。
概観
制度としての慰安婦は、軍相手の「管理売春」という商行為をおこなう存在であったが、実態については、慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もあり、旧日本軍のケースでは慰安婦を強制連行したのか否か、強制的なものであったか等の点に疑問が呈されており、日本の国としての責任や女性の人権などの観点をめぐって、政治的・社会的に大きな議論を呼ぶ問題となっている。
韓国のケースでは韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている。朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性達は強制的に慰安婦にされることもあった。さらに韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた。少なくとも1980年代までは韓国人女性達はアメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた。1990年代の韓国では、アメリカ軍基地の近くで韓国人業者によりフィリピン人女性達が売春を強制されていた。1990年代中ごろから2002年までに5000人ものロシア人やフィリピン人女性達が韓国に密入国させられた上で売春を強制させられていた。2000年代の韓国では、韓国軍相手の女性達の90%がロシア人やフィリピン人女性などの外国人であるとされている。
日本政府としては、1951年9月8日に連合国諸国と日本国との平和条約を締結し、関係諸国との2国間条約を締結し請求権問題を解決した。1965年6月22日には韓国と財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定を締結し、両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認した。近年では、1994年8月31日に村山富市内閣総理大臣は元慰安婦に対して謝罪の談話を出している。また、1996年には橋本龍太郎内閣総理大臣は元慰安婦に対して謝罪の手紙を出している。同時に、サンフランシスコ平和条約、二国間の平和条約及び諸条約(日韓基本条約など)で法的に解決済みであることを明らかにしている。しかしながら、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとの認識のもと、道義的責任の観点から、アジア女性基金の事業への協力、日本人女性を除く元慰安婦に対する医療・福祉支援事業に対し資金拠出などを行った。1997年1月よりアジア女性基金は償い金の給付と医療福祉援助を行い、韓国人、台湾人、オランダ人、フィリピン人女性などが受給した。
韓国では、1997年に11名の元日本軍慰安婦がアジア女性基金による償い金を受領したが、1998年に韓国政府はアジア女性基金の償い金の受け取りは認めない方針を示した。これに対して日本側は医療施設建設など事業転換を提案したが、1999年6月に韓国政府は改めて拒否を通告した。これにより、韓国政府はアジア女性基金による償い金受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給することとし、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に亡くなったものを除く142人に生活支援金の支給を実施している。一方、アメリカ軍相手の売春を強制されていた女性達は謝罪と補償を求めているが、自発的な売春婦であるとして一切の謝罪・補償をおこなっていない。アメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた女性達は韓国政府の日本に対する絶え間ない賠償要求は韓国自身の歴史に対する欺瞞であると訴えている。2000年代以降、韓国挺身隊問題対策協議会や韓国政府主催の世界韓民族女性ネットワークは日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を世界各国で繰り広げている。
2007年7月30日、アメリカ合衆国議会は日本政府によって日本軍のために、いまだかつてないほどの残酷さと規模であった20世紀最大の人身売買の1つであるとし、性奴隷にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求するとしたアメリカ合衆国下院121号決議を採択した。アメリカ合衆国の動きを受けて、9月20日にオーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議、11月20日にオランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議、11月28日にカナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議、12月13日に欧州連合(European Union)の欧州議会本会議、2008年3月11日にフィリピン下院外交委、10月27日に韓国国会は謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択、11月11日に台湾の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択されるなど、サンフランシスコ講和条約締結国から次々に日本のみを対象とする決議が出されている。これらの諸国は朝鮮戦争に国連軍としても参加している。軍事裁判や講和条約でその責任や賠償は終わっている、サンフランシスコ講和条約以前のことを持ち出すことは国際法違反であると指摘されている。アラブメディアは、アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を創出したいのであると報じている。2009年に入ると日本に謝罪を要求する国連決議が可決されるようアメリカ合衆国下院議員たちやナヌムの家が活動を行っており、韓国政府はこれらの動きを努力を評価すると明らかにしている。アメリカ合衆国では日本軍の慰安婦を対象とした「従軍慰安婦記念碑」を「ユダヤ人虐殺記念碑」と同等とみなして全米各地で建立する運動が韓国人によって行われており、図書館などの公共施設の入り口に設置することが許可されている。2009年9月現在は、アメリカ合衆国議会によって、日本政府に謝罪を求めるとした国連決議がなされるよう働きかけが行われている。
日本国内では、「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求めるとした意見書を、2008年3月28日に兵庫県宝塚市議会が採択したのをはじめ、6月25日には東京都清瀬市議会、11月7日には北海道札幌市議会、2009年3月25日には福岡県福岡市議会、6月22日には大阪府箕面市議会、6月23日には東京都三鷹市議会、6月24日には東京都小金井市議会、6月29日には京都府京田辺市議会が、それぞれ同様の意見書を賛成多数で採択している。民主党らによって日本人女性を除く元日本軍慰安婦に対して新たな謝罪と補償と戦時性的強制被害者という新たな呼称を定めるための戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案が提出されており、政権獲得後に実現させるとしている。
2009年8月14日、大韓民国外交通商部の見解によると財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定で日本政府から無償で支給された3億ドル(1965年当時のレートで1080億円)に未払い賃金分が含まれており、すでに補償は解決済みとしていることが明らかになった。
慰安婦の概要
呼称
当時の呼称
当時女性達は、「慰安婦」という呼称が用いられていた。当時の文献によると、「慰安婦」という呼称のほかに「(料理店の店員を名目として)酌婦」「(慰安所)従業婦」「(慰安所)稼業婦」「醜業婦(売春婦)」などという呼称が存在していた。
また現地の軍人は、慰安婦のことを「ピー」、慰安所のことを「ピー屋」」と呼んでいたとも言われている。慰安所に限らないが「娘子軍(=からゆき=海外出稼ぎ娼婦)」という言い方も多い。また、海軍では「特要員」の名の下に戦地に送られたとも言われている。朝鮮戦争後は「美軍慰安婦」「洋パン(ヤン・セクシ)」「洋姫(ヤン・コンジュ)」「挺身隊」とも呼ばれていた。
「慰安婦」か「従軍慰安婦」・「戦時性的強制被害者」か
1980年代以降、旧日本軍が戦地の女性を慰安婦にするため、強制連行したという主張がなされ、社会問題となった当初は、千田夏光が自著の題名を自身の造語である『従軍慰安婦』(双葉社 1973年)としたことの影響もあり、日本軍の慰安婦は「従軍慰安婦」と呼ばれることが多かった。
これに対し“従軍”という言葉を巡り、慰安婦は旧日本軍による強制ではなかったとする立場から「旧日本軍が強制連行した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また強制であったとする立場においても、女性団体などから「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされたため、近年のマスメディアによる報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになった。
現在でも一部に「従軍慰安婦」という呼称が用いられる例がある。2009年7月10日、埼玉県平和資料館で在日本大韓民国民団が歴史年表の「従軍慰安婦」から「従軍」の2文字が削除されたことについて復元するよう抗議を行った。
日本では2000年代から民主党などによって日本軍慰安婦(日本人女性のみ排除)は「戦時性的強制被害者」という新たな名称で呼ばれており、民主党などが提出する元日本軍慰安婦とされる女性たちへの新たな謝罪と賠償を行うとする法案名は「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」とされている。
海外における呼称
韓国では、日本軍を対象とした慰安婦問題が起こった当初から、「女子挺身隊」との混同から呼ばれてきた「挺身隊」という呼称が一般に定着している。なお、アメリカ軍相手の慰安婦は韓国警察や韓国公務員により挺身隊とも呼ばれていた。
日本軍のみを対象とした慰安婦問題の代表的団体である「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし、「日本軍慰安婦」と呼んでいる。。
英語圏では、「慰安婦」を直訳した“Comfort Woman”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる“Sex Slave”の用語が用いられることもある。『ニューヨーク・タイムズ』は日本軍相手の女性達を性奴隷もしくは慰安婦と呼称しているが、アメリカ軍相手の女性達は日本軍の慰安婦とは異なるとして売春婦と呼称している。一方、アメリカ軍や韓国軍などを相手とした女性達への当時の韓国政府や韓国報道機関による公式呼称は慰安婦である。
その他の呼称
慰安婦制度に批判的な者の中には、「慰安婦」という言葉は実態を反映していないとして、「日本軍性奴隷」という用語を使用したり、慰安婦を括弧付きで使用している者もいる。
総数
日本軍慰安婦
日本における諸説
- 日本政府調査(1991年 - 1993年)では、慰安婦の総数を示した資料も、それを推認するに足りる資料もなかったので、総数を確定することは困難であるが、長期かつ広汎に慰安所が設置された数多くの慰安婦が存在したものと認められるとしている。
- 日本大学教授秦郁彦は総数2万人程度と推定している。
- 中央大学教授吉見義明は、総数を8万人から20万人と推定している。
- 民主党公式ホームページでは8万人 - 20万人としている。
韓国における諸説
- 韓国政府認定の元日本軍慰安婦は207人である。
- 2009年現在、韓国で元日本軍慰安婦であると名乗り出ているものはすでに亡くなったものを含めて234人である。
- 李榮薫ソウル大学教授によると、1937年に日本軍首脳は兵士150人につき1名の慰安婦を充当せよという指令を出したとしている。
- 中央日報では、名前は明らかにしないが歴史学者たちによると20万人以上としている。
アメリカ合衆国における諸説
- ニューヨークタイムズは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると日本軍慰安婦は最大20万人であったとしている。
- アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、最大で30万人もの14-20歳の女性たちを強制的に徴集して性行為を強要したとしている。さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
韓国軍・アメリカ軍慰安婦
- 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされていたとされる。総数は不明である。
- 1955年のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は61,833名であった。
- 1962年の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として2万名以上が登録されていた。
諸説
総数についての諸説
- 1969年、韓国の日刊紙が挺身隊動員を受けた女性が20万人(日本における挺身隊の結成率は1944年5月でわずか7%であり、挺身隊の結成率があまりにも低かったため、1944年8月の女子挺身勤労令で挺身隊は強制動員になった。1944年以降の12歳以上の生徒や学生の動員は300万人だったという。(1940年当時の日本の人口は7,000~7,500万)、その内、朝鮮人が5 - 7万と報じる)。
- 1973年1974年、千田夏光。慰安婦に関する著作の中で、慰安婦35人に対し朝鮮人は1人の比率で計算し、慰安婦8.4万人、朝鮮人が6.5万人と推計。 他に韓国の資料が「挺身隊20万の内、5 - 7万が慰安婦とされている」ことに言及(慰安婦と挺身隊との混同の始まりとされる)。
- 1976年、在日朝鮮人作家、金一勉 (キム・イルミョン)。業者が29:1が好ましい数字だと語っていたことから慰安婦17 - 20万人。内、8、9割が朝鮮人。
- 1984年、元『東亜日報』編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)の「日帝支配下の韓国現代史」で「日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録によると20万人で、うち5 - 7万人が慰安婦として充員された」に変わる(1969年の報道記録からと見られるという)。(業者が貧しい娼婦に声をかけたり、顔役を通じてだまして慰安婦にしたという)。
- 1993年、「挺身隊研究会」会長の鄭鎮星 (チョン・ジンソン)ソウル大学教授。「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」と書いており(独自根拠不明)、詐欺を強制に含めている。
- 1993年、日本大学教授秦郁彦。50:1の比率から、6万、交代して9万(のちに変更)。
- 1995年~1990年代後半、中央大学教授吉見義明。上海で1939年、性病防止のために「陸軍は上から兵100人に1人の「慰安婦」と言われた」ことと、それに現地の軍が独自に(犯罪を含めて)集めた数を加えた数字の範囲で、29:1の比率(交代率2)から8~20万人と推定。(これらの説では当時の下級兵士の回想から、朝鮮人女性が多かったと見ている)
- 1999年、日本大学教授秦郁彦。華南での兵力と慰安婦の比率、慰安所の数、経営上の計算、コンドーム使用量、国内公娼の客と娼妓の比率、どれからしても3万以下が妥当で、交代率をかけずに2万人程度と推定している(泰郁彦の計算は、狭義の慰安婦であり、民間の娼婦が別に数千人程度いたと想像している。また、在中国領事館のこの業種全体の統計から、朝鮮人は意外と少ないと見、また南方現地人、中国系の多さを指摘している)。
- 1996年、上海師範大学教授蘇智良(Su Zhiliang)。中国・天津の慰安所研究により、慰安婦の総計を40万人として朝鮮人20万人を引いて中国人と日本人が10万ずつとしていた(のち変更)。
- 1998年、国連に提出の「マクドゥーガル報告書」の付属文書。20万人以上。朝鮮人14万人が死亡。→根拠 は1965年(昭和40年)6月、日本は韓国との間で締結した「日韓基本条約」 において多額の援助を約束した。その援助は、無償援助が政府年間予算の1割、極めて長期で無償に近いと言われたものを入れると、年間予算の1/4に相当した。 荒船清十郎代議士は条約締結の半年後、自身の選挙区の集会において、日本が朝鮮に対して大変なことをしたのに、補償額を大幅に負けさせたという話をした。
荒船は、「強制連行の中から兵士にして戦死したのが56万7千人、慰安婦を消耗品にして14万2千人、貯金として、1100億円、その他、文化財を役人が奪ったものをすべてで50億ドル請求していたのを3億ドル(1100億円)にまけさせた」と語った。
この発言が後に、1998年の「マクドゥーガル報告書」において、旧日本軍が慰安婦を性奴隷にし、大虐殺したことの根拠とされた。これについて「アジア女性基金」は、韓国政府は、韓国人労務者、軍人軍属のうち10万2603人が負傷ないし死亡したと指摘したが、「慰安婦」のことは一切持ち出しておらず、数字などすべては荒船の嘘であるとしている。(また、文化財も民間所有であり、3億ドルとは別に寄付ということで韓国に引き渡されている)また、中国では金一勉の論文から荒船発言を知り、自身の推定した36万~41万人の慰安婦」総数のうち14万2千人を引いて、中国人「慰安婦」は20万人とする研究も出ているという。
なお、「荒船清十郎」代議士は運輸大臣、衆院副議長経験者であるが、放言と地元への利益誘導などで有名である。
またさらにこの報告書は、1965年の荒船発言を、1975年の声明として引用している(『マクドゥーガル報告書: 1999年 - 2003年、再度、上海師範大学教授蘇智良。総数36万 - 41万人、朝鮮人14万人、強制連行されて慰安婦にされた中国人が20万人に及ぶとしている。
- 2004年、アジア女性基金では、100:1が妥当な数字とし、マクドゥーガル文書における朝鮮人慰安婦の人数・死亡者数に根拠はないとしている。
- 2005年4月、北朝鮮の国連代表部金永好書記官がジュネーブの国連人権委員会で、慰安婦の数は20万人で、強制連行された人数は840万人だと主張。この頃の韓国の高等学校の教科書は慰安婦の数を「数十万人」と、「強制的に連れて行かれた」人々を「650万人」と教えている。
- 慰安婦の総数を推定する上で、当時の朝鮮半島の人口、日本軍の総数等が参照される場合があるので、以下に参考として記述する。
- 全体: 陸軍は慰安施設を、1942年9月頃に400箇所(満州を除く)作ったとされる。
- 当時の朝鮮半島の総人口は『朝鮮総督府統計年報 明治42-昭和15年度』によれば約2500万人前後であった。
- 日本の女子挺身隊の結成率は1944年5月では7%。。
- 韓国政府に旧日本軍の元慰安婦として登録されている女性は合計215人で、内88人が亡くなっている(2005年1月現在)。
民族別の内訳
- 政府の調査においては、慰安婦には、日本人、朝鮮人、台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人がいたことが確認されている。
- 1940年(昭和15年)1月時の性病に感染した兵士が相手にした女性の内訳の記録として、日本人26.3%、朝鮮人45.3%、中国人28.4%というデータが残っている。[1]また、同様に1940年(昭和15年)10月時の性病の感染相手の女性別の記録として、日本人16.4%、朝鮮人29.8%、中国人20.7%というデータが残っており、朝鮮人が多くなっている旨の言及も残されている。[2]
- 吉見義明らは、これらのデータから、慰安婦で最も多いのは朝鮮人であり、これに次いで中国人の割合が多かったと推定している。このような割合は、元慰安婦の証言や、兵士の回想録とも概ね整合している。
- 一方、渡航目的等を記録した公的な資料等によれば、慰安婦の出身者としては日本人が多かったことも分かっている。秦郁彦は、日本国内の遊郭などから応募した者が40%程度、現地で応募した者が30%。朝鮮人が20%、中国人が10%程度としている。残存している公的な資料に記録されていない場合もあるため、正確な内訳を把握することは困難になっている。
慰安所の設置と背景
- 日本政府調査によれば、慰安所は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(現:マレーシア)、タイ、ビルマ(現:ミャンマー)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及びフランス領インドシナ(当時)に設置されたことが確認されている。
- 1950年、韓国釜山に軍慰安所の設置、馬山に連合軍の慰安所の設置がされる[3]
- 1951年、釜山慰安所74ヶ所と国連軍専用ダンスホール5ヶ所の設置が許可される[3]。韓国軍慰安所が設置される(特殊慰安隊)[3]。
- 朝鮮戦争中には韓国にも設置されたことが韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』[4]に以下のように記録されている。
士気昂揚はもちろん、戦争という事実に伴う避けることの出来ない弊害を未然に防ぐことができるだけでなく、長時間にわたる報われない戦闘によって後方との行き来が絶えているため、この性に対する思いから起こる生理作用による性格の変化などによって鬱病、その他の支障を招くことを予防するために、本特殊慰安隊を設置させた。
陸軍本部軍事監室「後方戦史(人事編)」1956年、148頁[5]–
その他、慰安所を中心とした視点と詳細については、「慰安所」の記事を参照。
募集
(※軍の関与・強制性、強制連行の有無の点については論争となっている。詳細は論点の節を参照)
- 1944年に、当時の朝鮮の最大手の新聞『京城日報』(7月26日付)が「慰安婦至急募集」との紹介業者の広告を掲載。300円(京城帝国大学の卒業生の初任給75円の約4倍に当たる)以上の月収と記載されていた。また 朝鮮総督府の機関紙『毎日新報』(10月27日付)の「軍慰安婦急募集」との紹介業者の広告では行き先は部隊の慰安所であると明記されている。これらの募集の待遇が非常に好条件であることから、慰安婦が強制連行され、悲惨な生活を強いられたとする主張に疑問を投げかけられており、連絡先に朝鮮人らしき名前も見られることから、朝鮮人自体も慰安婦募集に関わっていたことが指摘されている[6]。
- 『京城日報』(1944年7月26日付)「慰安婦至急募集」
- 年齢 17歳以上23歳まで
- 勤め先 後方○○隊慰安部
- 月収 300円以上(前借3000円まで可)
- 『毎日新報』(1944年10月27日付)「軍慰安婦急募集」
- 行先 ○○部隊慰安所
- 応募資格 年齢18歳以上30歳以内身体強健女性
- 募集期日 10月27日より11月8日
- 契約及待遇 本人面接後即時決定
- 募集人員 数十名
- 希望者 左記場所に至急問議の事
京城府鍾路区○園町195 朝鮮旅館内光○2645 (許氏)
- 1992年・1993年の宮澤内閣当時の日本政府の調査報告や「河野談話」においては、「軍当局の要請を受けた慰安所の経営者が、斡旋業者に慰安婦の募集を依頼することが多かった、戦争の拡大とともに慰安婦の必要人数が高まり、業者らが甘言や脅迫等によって集めるケースが数多く、官憲等が直接これに荷担するケースもみられた[[7],1・14頁]」と報告されている。ただし、「軍ないし官憲などの公権力による強制連行」を示す資料はなかったが、総合的に判断した結果、一定の強制性があるとしたものであることが1997年の国会での政府答弁[8][9]や河野洋平元官房長官、や石原信雄元官房副長官などによって明らかにされている。
- 慰安婦問題の研究者秦郁彦は(女衒と呼ばれる)ブローカーが親または本人と話し合い、慰安所の業者に送ったのであり、業者は日本人と朝鮮人が半々だが、ブローカーは100パーセント朝鮮人だと語っている。[10]
- 海軍省の潜水艦本部勤務を経てペナン島の潜水艦基地司令部に勤務していた井浦祥二郎によれば、軍中央がペナン島に将兵の娯楽ために慰安所を設置することを公然と指示し、各地の司令部が慰安所の管理をしたという。井浦は「わざわざ女性を戦地にまで連れてきたことをかわいそうだ」と感じ、「そのくらいならば、現地女性を慰安婦として募集した方がよかった」という旨を自著で述べている。[11]
- 1961年9月14日付け東亜日報には、13日から国連軍相手の慰安婦登録実施と記載されている[12]。
現地への輸送
- 旧日本軍は、業者が慰安婦らを船舶等で現地に送るに際には、彼女らを特別に軍属に準じた取扱いにし、渡航申請に許可を与え、日本政府が身分証明書等の発給を行ったりした。軍の船舶や車両によって戦地に運ばれたケースも少なからずあり、現地に置き去りにされた事例もあったという。[7]
- 吉見義明によると、地域の状況を問わず、軍の進出に伴い、兵士が存在する地域には慰安所が設置されていったため、慰安婦が前線基地に派遣される場合も多く、そのため、慰安婦が空襲や爆撃の被害を受けたこともあったという[13][14][15]。
- 朝鮮戦争中は、ドラム缶に女性を一人ずつ押し込んでトラックに積んで前線を移動して回っていた[5]。
慰安所の管理・運営
- 日本国
- 1993年、弁護士の高木健一らが日本政府を訴える元慰安婦を探しにインドネシアを訪ねた模様を紹介したドキュメンタリーで「あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです」との証言があり、慰安婦の経営は朝鮮人も行っていたことが明らかになっている[16]。
- 太平洋戦争の生き残りの兵士として有名になった小野田寛郎は1940年前後に、商事会社の漢口(現・武漢)支店に勤務していた時代に、朝鮮半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話をしばしば聞いたという。中国江西省南昌の「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業しており、軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒するため、鉄帽を被り、銃と剣を携えた歩哨らが、慰安所の内部まで巡察し、利用者数の記録を確認したという。[17]
- 韓国
- 韓国軍は部隊長の裁量で、周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[5]。
- 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も大いに利用した[5]。
- 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は性病の疑いをもたれると韓国警察によりモンキーハウスと呼ばれる窓に柵のされた施設に留置され強制的に薬を完治するまで飲まされることとなっていた[19]。また、性病に罹患した女性達は治るまでの間は強制的に拘置所に隔離されていたと在韓米軍の性病報告に記録されている[20]。また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された[21]。
- 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は容易に行為の相手から見分けがつき易いように番号札をつけることを強制されていた[19]。
- 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は韓国政府から特別な講義をしばしば受け、「真の愛国者」や「ドルを稼ぐ妖精」と称賛されていた[21]。また、韓国政府は女性達に韓国を助けるために来た兵士達が満足するように清潔にしなさいと指導した[21]。
- 全斗煥大統領(1980年 - 1988年)による基地コミュニティー浄化キャンペーンが実施されると売春婦とアメリカ兵との関係の発展を目指して、エチケット講義が行われるとともに頻繁に薬物療法が行われるようになった[21]。医師免許を持たない医者達の前で脚を広げることを強制され、抗生物質を打たれて死にいたる女性もいた[21]。女性達が逆らうと彼らに暴力を振るわれて監禁されることとなっていた[21]。
生活状況
- 慰安婦を求める兵士の数と比較して、慰安婦の数は不足気味であった。元慰安婦らの証言によれば、戦況次第では一日に十人以上の兵士との性行為に従事する場合も少なくなかった。そのような場合に慰安婦に拒否する自由はほとんど与えられておらず、体調にかかわらず兵士の相手をしなければならなかった。[22]吉見義明は、慰安婦の状況を「1日数10人などの肉体的に過酷な条件のため、陰部が腫れ上がり、針も通らないようになった」事がたびたび(年数回)あったと書いている。[13]
- 慰安婦との性行為の際には、主として軍が作成した慰安所規程において、避妊具(当時は、「サック」と呼ばれた)の使用が義務づけられていた[[7]4巻,p293]。ただし、元慰安婦らの中には、慰安所での性行為によって妊娠したと訴えている者も存在する。
- 慰安婦の多くは故郷から戦地へと派遣されていた場合が多く、そのような場合は、事実上慰安所から逃亡することはほぼ不可能であった。許可制により外出が認められていた場合はあるが[23][24]、多くの場合、軍機密や安全等の必要から制限を課されていた。しかし、ビルマ中部のマンダレーでは経営者の許可証があれば外出でき、セレベス島では原住民慰安婦ばかりで外出自由であったという。また、自らだけの意思で慰安婦を辞めることは事実上不可能であり、辞めることを許されたのは、妊娠後期になったり、精神的疾病を発症して、慰安婦としての任務を遂行できなくなった場合に限られていたのがほとんどであった[13]との報告もあるが、米軍情報部の日本人の慰安所経営者及び慰安婦からの聴き取り調査によれば、北ビルマ(現:ミャンマー)のミートキーナー(ミチナ、Myitkyina)の慰安婦らは、1943年後半、陸軍は借金を返済した女性に帰省を命じ、何人かの女性は韓国へ帰国することをゆるされたという。そこでは個室を与えられており、接客を断る自由もあり、週一日は検診のため休日であり、生活はかなり豊かで町へ買い物に行くこともゆるされ、娯楽やスポーツやパーティを楽しんだりしたという。[25]もっとも反論もあり、他に慰安婦の待遇が良かったという実例記録は見当たらず、これをもって全慰安婦らの生活がすべて良好であったという証拠にはならないという指摘もある(後記)。実際の慰安所での待遇は、各地域と戦況さらに部隊の質によって千差万別であったと推測されている。
- 1938年から終戦まで七年間の中国北部で兵士を務め、戦後作家になった伊藤桂一は慰安婦達の相談係りのような役目もしたといい、自身が見た慰安婦については「借金を返済し、結婚資金を貯え、結婚の際の家具衣装箱も充分用意していた。」として生活は「かなり恵まれていた」と述べている。[26]
- 日本軍慰安婦の契約期間は通常2年間であった[5]。ただし、船便が途絶える場合などもあり、相当の数の慰安婦は2年間というわけには行かなかった[5]。
- 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は自殺や中毒により亡くなることもあった[21]。1957年7月21日付け東亜日報で、アメリカ軍慰安婦がわが身を悲観して自殺したと報道される[12]。1959年7月30日付け東亜日報で、慰安婦が悲觀自殺したと報道される[12]。
- 1959年9月の韓国保健社会省の性病保菌実態の報告では、接待婦の15.6%、私娼の11.7%、慰安婦の4.5%、ダンサーの4.4%が罹患していた[5]。
- 1959年10月18日付け東亜日報で、慰安婦の66%が保菌者であると報道される[12]。
報酬
報酬を得ていたとするもの
- 李榮薫ソウル大学教授の著書によれば、日本軍相手の慰安婦は兵士と将校には区別があったが、兵士はおおむね1円から2円であり、当時の兵士の月給は7円から10円であったとしている[5]。売上金はおおむね慰安婦と業者間で折半されたが、業者に負った前借金が多すぎたり、悪徳業者に出会った場合は、首尾よく金を稼ぐことができない場合もあったとしている[5]。
- 当時の陸軍大将の俸給は年に約6600円、二等兵の給料は年間72円であった[27][17]。
- 元慰安婦の1人文玉珠は、1992年、慰安婦時代の2年半の間に貯めた郵便貯金2万6145円の返還請求訴訟を行ったが、日韓基本条約に付随する日韓請求権並びに経済協力協定で解決済みとされ敗訴した。裁判で明らかにされたところによると、26,245円の貯金から5,000円を朝鮮の実家に送っていたという[28][5]。この元慰安婦自身の体験記によれば「千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えた」という[29]。上野千鶴子の慰安婦裁判の取材によれば、郵便預金返還訴訟を起こした文玉珠の貯金は、性交労働の代償ではなく、軍人からのお駄賃をため込んだものであるという。
- 中国漢口の日本人女性130名と朝鮮人女性150名が在籍していた慰安所では、慶子という名前の朝鮮人慰安婦おり、すでに3万円を貯めたが5万円になったら京城(ソウル)で小料理屋をもつことを夢見ているとの彼女の話が司令官に伝わり「なんとたいしたオナゴであるか」として表彰されたとされている[5]。
- 米軍作成の日本人慰安所経営者及び慰安婦に対する尋問レポートによれば、北ビルマのミートキーナの慰安所の慰安婦たちは売り上げの半分を報酬としてもらい、稼ぎは月に1000 - 2000円、年季は半年から一年で一部は帰還した者もいる。[30]兵士の月給は15円 - 25円。[27],p270]
- フィリピンのマニラの慰安所を利用した日本兵捕虜に対する連合軍の尋問記録によると、慰安婦は通常、スペイン人とフィリピン人の混血であり、利用料金は10円ないし20円……日本人及び朝鮮人女性については2円ないし3円であった」という[[31],P487] [27]。
- 中国漢口の約三十三万人と全兵士の金銭出納帳を調べたら、三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だったといい、ある内地人(日本人)の慰安婦は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」と語っていたという。慰安所の料金は女性の出身地によって上中下にランク分けされており、兵士の方は、階級が上であるほど、利用できる時間は長くなり、料金は割高になっていたという。[17]
- 吉原で10年間、娼婦をしていた高安やえは、内地(日本)で商売を始めるために、10倍稼げるという理由で、ラバウルへ行き、慰安婦となったといい、「一人5分と限り、一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している[32]。
- スマラン事件(「白馬事件」のBC級裁判の判決文が引用した証人・被害者に対する警察の尋問調書によれば、何人かの女性は報酬を断ったが、受け取った女性はそのお金で自由な時間を得ることができたことを報告している。「将校倶楽部」では、一晩に一人の男性の相手にし、男性が料金として支払った4ギルダーのうち、1ギルダー1セントを受け取り、そのお金で食べ物や衛生用品を購入したとされ、「慰安所日の丸」では、一時間1ギルダー50セントの料金のうち、45セントを受け取ったと慰安婦自身が証言している。[33]
- からゆきとの労働条件比較[34]
- からゆきさんとして有名な北川サキの、大正中期から昭和前期のボルネオの例では、
- 一人2円のうち娼婦の取り分は1/2、その内で借金返済分が1/4、残り1/4から着物・衣装などの雑費10円を出すのに、月20人の客を取る必要があった。「返す気になってせっせと働けば、そっでも毎月百円ぐらいずつは返せたよ」 といい、それは最少で月110人に相当する。
- (余談だが、フィリピン政府の衛生局での検査の場合、週一回の淋病検査、月1回の梅毒検査を合わせると、その雑費の二倍が娼婦負担にさせられていた。)
- 普段の客はさほど多くないが港に船が入ったときが、どこの娼館も満員で、一番ひどいときは一晩に30人の客を取ったという。
- 泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だった(接待時間ではなく、性交労働時間だったと思われる)。
- 当時の物価だが、のちに慰安婦が増えた時期と同水準だったと言える。[35]
- 現地人を客にすることは一般に好まれず、ある程度接客拒否ができたようである。
- しかし、月に一度は死にたくなると感想を語り、そんなときに休みたくても休みはなかったという。
報酬を得ていなかったとするもの
- 吉見義明や尹明淑の著書によれば、現在証言の得られる元慰安婦のほとんど(9割以上)は給料を貰っていないと証言している。[36]。その背景としては、慰安婦の直接の雇用主である業者が、慰安婦から「前借金」「衣装代」「食料代」等の名目で給与を天引きしており、実際に慰安婦の手元に渡された給料はほんのわずかというケースが少なくなかったことが挙げられる。
- 慰安婦に対する給与の支払いは、多くは軍票(軍用手票)という特殊な紙幣によってなされていたが、戦後この軍票に対する日本政府の支払義務が免除されたため、軍票が紙くず同様になってしまい、払戻しが受けられなくなったケースが多かった。また、戦地において軍票が大量発行されたため、軍票の価値が暴落しており、慰安婦が受け取る軍票の額面は膨れあがったケースがあった。吉見義明は、「慰安所の開設にあたって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、兵たちが受け取る毎月の棒給の中から支払う軍票では、慰安婦たちの生活が成り立たないということであった。」と推定している[13]。
兵士との関係
- 近衛師団の通信隊員であった総山孝雄の回想録によれば、シンガポール陥落の時、イギリス兵相手だった売春婦たちが自発的に慰安婦に志願したが、予想もしない人数を処理するという彼女らには未経験の種類の過酷な労働だったので、一人が4、5人目でもうできないと言い出し、当番兵が打ち切りを宣言したところ、戦闘が終わった後で列を成して待っていた兵士達が騒ぎだし、怯えた当番兵は、ベッドに縛り付けてそのまま兵士の相手をさせようとしたこともあったという(その次の順番に当たって中に入った兵士(目撃者)が驚いて逃げ帰ったので、その後の情報はない)。
- 元兵士の伊藤桂一は慰安婦らは「ときには性具のように取扱われはしても、そこにはやはり連帯感のつながりがあった。だから、売りものに買いもの、という関係だけではない、戦場でなければ到底持ち得ない、感動のみなぎる劇的な交渉も、しばしば持ち得たのである。」と述べ、当時の兵士と慰安婦たちの人間的な交流があったエピソードを紹介している。
- 吉見義明は、兵士から見れば慰安婦は血なまぐさい戦場で、身近の唯一の女性であり、恋愛を含めた心の交流があったと話す場合が多いが、元慰安婦の証言からはそうした状況はまったく違って述べられているという。慰安婦側から見れば、愛想良く対応しないと殴られる、兵士の求めるような形で応対する事で少しでも楽に「仕事」を済ましたい、将校と仲良くなることで少しでも待遇をよくしてもらいたい、という動機であるとしている。
- 北ビルマのミートキーナーの慰安所においては、日本の軍人からの求婚が極めて多く、中には実際に結婚したものがいることが報告されている。
- このほか、酒に酔った兵に脅された例、逆に刀を刺してしまった例、無理心中させられそうになった例、慰安婦に頼まれて自由にする金を横領した主計将校など様々な逸話がある。
- 韓国におけるアメリカ軍への売春を強制されていた女性達はアメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる放火で命を落とすこともあった。
「慰安婦」問題
概要
1970年代に、旧日本軍が戦地の女性を強制連行し、慰安婦にしたとする本が数冊出版された。中でも、元陸軍軍人の吉田清治(本名:吉田雄兎)は『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社 1977年)で、軍の命令で自身が韓国の済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたと告白。そして、日本、韓国、アメリカなどで講演を行なったり、新聞やテレビなどのマスメディアに精力的も出演し[37]、裁判の証人としても朝鮮人の奴隷狩りを証言したり、1990年代には国連の人権委員会に働きかけるなど、この問題を世の中に大きく広めた。済州島の郷土史家金奉玉は、「数年間も追跡調査を行った結果、事実ではないことが明らかになった。この本は日本人の浅ましさをあらわす軽薄な商魂の産物であると考える」と述べている。
韓国においては、吉田のこの著書は翻訳して出版され、史実としてドラマ化もされた。これらを受けて1990年、10年前から慰安婦の調査を行なって来た梨花女子大元教授の尹貞玉 (ユン・ジョンオク)がこの問題を新聞などのメディアで告発し、多数の女性団体が結集した「挺身隊対策協議会」を初めとして、様々な団体がこの問題に取り組み慰安婦問題が大きな運動になる。1991年には、韓国で元慰安婦が初めて名乗り出て、自らの体験を語った。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数出、日本の弁護士らの呼びかけで、日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟がいくつも起こされるようになる。
日本ではこの問題の報道を『朝日新聞』が主導した。吉田の証言を紹介し、韓国の元慰安婦が名乗り出たこと、慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかったことなどと大々的に報じた。それらの報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。 1992年 、反日デモが高まる中、訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領との首脳会談で慰安婦問題について謝罪し、真相究明を約束する。政府の第一次調査では「軍の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は無かったとしたが、反日世論の中で韓国政府が受け入れなかったため、1993年、第二次の調査を行ない、その結果発表の際に、河野洋平官房長官がいわゆる「河野談話」を発表。慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」として、旧日本軍による強制連行を認め、反省とお詫びの意を示した。これにより、平成六度版の高校歴史教科書から、韓国政府から強く要請されていた慰安婦の記述がなされるようになり、やがて、中学校の歴史教科にも及び、ほとんどの歴史教科書で慰安婦についての記述が掲載されるようになって行った。
1995年、日本政府は慰安婦問題を認めた責任から、民間(財団法人)からの寄附という形で元慰安婦への支援を行うため、「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立したが、特に韓国ではあくまでも国家として賠償すべきと政府や元慰安婦支援団体の反対運動により、多くの元慰安婦が基金からの支援を拒否した。
1996年、国連人権委員会に提出されたいわゆる「クマラスワミ報告書」と呼ばれる女性への暴力を取り上げた報告書において、慰安婦制度が国際法違反であると指摘され、日本政府は慰安婦に対する賠償すべきと勧告したのを初め、国際機関などにおいても、慰安婦問題への批判がなされる動きも出てきた。
1992年から、現代史家の秦郁彦(元日本大学教授)を初めとする歴史学者などが、吉田の証言やその経歴や著書において嘘や矛盾があると指摘していたが、1996年、吉田清治が自身の証言における「時」と「場所」はフィクションであることを明らかにしたことで、慰安婦の強制連行の大きな根拠とされて来た吉田証言への信憑性が揺らぐこととなる。そして、慰安婦の強制連行を認めない保守系の論客や、メデイアは、吉田証言を大きく取り上げて来た『朝日新聞』に対して、それまでの慰安婦報道において事実の歪曲があったということを含め、厳しい批判を浴びせた。このように軍が女性を強制的に連行していたことを裏付ける根拠が弱まった頃から、吉見義明が「強制連行」という「狭義の強制性」に対し、女性たちが甘言や詐欺により慰安婦にされたこと、旧日本軍による慰安婦の募集や慰安婦の慰安所での生活がきわめて不自由であったことなども問題であるとし、これらを「広義の強制性」問題だとして批判しはじめ、以降そのような観点からも慰安婦制度への批判がなされるようになった。同年6月に文部省(現:文部科学省)が検定結果を公表した中学校教科書では全ての歴史教科書に慰安婦に関する記述がなされていた。これらを問題とした有識者らが同年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」(略称・つくる会)を発足、それらの教科書を「自虐史観」であると批判し、それらに対抗する新しい歴史教科書をつくる運動を精力的に進めることとなり、慰安婦問題は「歴史認識問題」、「歴史教科書問題」にもなっていった。「自民党」においても、若手議員らが、「つくる会」と同様に現在の日本の歴史認識を「自虐的」として修正を求める運動を始めるようになる。翌1997年には、「河野談話」発表に至る調査に関わった政府関係者が、強制連行の証拠となる資料は一切なかったが、韓国政府の強硬な要請に押され、政治判断として強制性を認めたことなどを明かしたことから、証拠もなく、日本を不利な立場に立たせたとして、「河野談話」への批判もなされるようになり、強制連行の有無などをめぐり激しい議論がマスメディアで繰り広げられるようになる。「河野談話」で強制性を認めた政府ではあったが、ときおり、自民党の議員が強制連行を否定する発言をしたことが報じられ、中国、韓国からの強い反発を招くということが繰り返されている。
2001年4月、「つくる会」の中学校歴史教科書が検定を合格したが、強い反対運動もあり、実際にはほとんどの中学校で採択されなかった。一方、同年に検定通過した他の教科書においては慰安婦の記述が減少し、1999年には中学歴史教科書からは「従軍慰安婦」という用語が消えた。
2006年、総理就任後間もなく、安倍晋三は内閣として「河野談話」を引き継ぐことを公言したが、後に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と発言したことが「河野談話」を否定するものではないかと国内外で大きな波紋を呼んだ。2007年、アメリカの下院で慰安婦をめぐる対日非難決議案の提出が注目を集め、これを巡って日米間の政治問題ともなって来ている。
経過
戦時中の朝鮮(挺身隊)
慰安婦に関する出版物
- 1972年(前史)
- 1973年
- 元「毎日新聞社記者でノンフィクション作家の千田夏光が『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』を出版(1974年に続編の『続・従軍慰安婦』を出す)。これらの本では「挺身隊」の名の元に動員された朝鮮人女性20万人のうち、5 - 7万人が慰安婦にさせられたとしている。
- 1975年
- 禾晴道『海軍特別警察隊 アンボン島BC級戦犯の手記』が出版。
- 1976年
- 1月 『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(金一勉 『三一書房』)が出版。
- 1977年
- 1978年
- 12月 山田清吉 『武漢兵站 -支那派遣軍慰安係長の手記-』(図書出版社)が出版。
- 1982年
- 9月・11月 第二次世界大戦の戦前、戦中に、当時日本領だった樺太(現サハリン州)に渡った朝鮮人の韓国への帰還を日本政府に対して請求する「樺太裁判」(樺太残留者帰還請求訴訟)で、吉田清治が原告側の証人として朝鮮人の「奴隷狩り」(強制連行)を証言。
吉田証言以降
- 1983年
- 1989年
- 吉田の著書が韓国語に翻訳され、韓国で出版され、史実としてドラマ化され、韓国で「従軍慰安婦問題」への関心が高まる。
- 5月 大分市の主婦で「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」[41]の事務局員、青柳敦子 [42]が『朝日ジャーナル』(1989年5月19日号)に、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式に陳謝せよ」という意見広告を出す(同年12月まで隔週で15回)。
- 8月14日 吉田清治の記述内容に疑問を持った『済州新聞』の許栄善記者が現地調査したルポを『済州新聞』(8月14日付)に発表。慰安婦狩りの話を裏づける証言する人はほとんどおらず、島民たちが吉田の本の信頼性に疑問を呈していること、郷土史家の金奉玉が追跡調査した結果、吉田の本が事実でないことを発見し、「この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨したことなどを報告。
- 11月16日 韓国挺身隊問題対策協議会結成[43]。
- 11月19日 青柳敦子と在日朝鮮人の宋斗会[44]が日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こすため、韓国で訴訟費用を負担する条件を付け「慰安婦裁判の原告募集」のビラをまく。[45]数週間後にソウルの「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力したいという申し入れが来る。
- 1990年
- 1月 4日~24日 『ハンギョレ新聞』(現:ハンギョレ)紙上で、韓国の梨花女子大学教授の尹貞玉が「"挺身隊"怨念の足跡取材記」と題する4回に渡る連載で慰安婦問題を告発し、韓国で大きな反響を呼ぶ。
- 6月6日 参議院の予算委員会で、 日本社会党本岡昭次の朝鮮人の強制連行に関する質問において、政府(労働省職業安全局長)は「国家総動員法に基づく業務として慰安婦の強制連行は行っていなかった」、「古い人の話等からも、民間業者が慰安婦を軍と共に連れ歩いていたらしく、実態調査はできかねる」という旨の答弁をする[46]。
- 7月10日 韓国において、慰安婦問題の真相究明と問題解決のために「挺身隊研究会」(現:「韓国挺身隊研究所」)が結成される。
- 10月17日、韓国の37の女性団体が日本の海部俊樹首相に慰安婦問題に関する政府への6項目の要求[47]を示した公開書簡を送付。6月6日の国会で慰安婦の強制連行を否定した労働省職業安全局長の発言を「歴史的事実に反する無責任な発言」と糾弾。
- 11月 韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が発足。ソウルの日本大使館前で日本軍による「慰安婦問題」に対する抗議デモを行なう(以降毎週水曜日にデモ(水曜デモ)を行なうことが恒例となる)。
- 1991年
- 4月1日 参議院の予算委員会で、 日本社会党本岡昭次の従軍慰安婦に関する質問において、労働省の政府委員は「手がかりになる資料がない」という旨の答弁をする。
- 4月24日 ソウルの日本大使館が尹貞玉韓国挺身隊問題対策協議会代表を呼び、「日本軍が強制連行した証拠はない」、「補償は日韓協約で解決済み」と伝え、挺対協からの六項目の要求[47]を拒否すると回答。
- 5月22日 『朝日新聞』大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで吉田清治の慰安婦狩りの証言を写真入で紹介。
- 10月10日 『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビュー記事を掲載。 吉田は「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行した」、「政府は資料を隠している」などと述べる。[48]
- 11月 改定版として出版された『広辞苑』第4版(岩波書店)に、初めて以下の2語が収録される。
- 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
- 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性。
元慰安婦の登場以降
- 8月11日 『朝日新聞』が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(韓国特派員植村隆のソウル発記事)との見出しで、[49]で、「日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で[50]戦場に連行され[51]、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。」と報じる。
- 8月14日 元慰安婦の金学順がソウルで記者会見。14歳の時、家が貧しかったのでキーセンハウス(売春宿)に売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に華北にある日本軍の慰安所に連れて行かれた[52][53]事などを述べる。[54]
- 12月6日 金学順を初め3名の元慰安婦を含む35人の原告(主任弁護士:高木健一)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求め提訴(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)。
- 1992年
- 1月8日 韓国挺身隊問題対策協議会により宮沢喜一内閣総理大臣の訪韓を契機として、駐韓日本大使館前における日本政府の日本軍慰安婦への謝罪を求める第一回水曜集会が開かれる[55][56][57]。以来、2008年2月13日には第800回水曜集会が開かれ、一度も欠かすことなく継続中である[57]。
- 1月11日 宮澤喜一首相訪韓の5日前のこの日、『朝日新聞』は一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」との見出しで、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万人とも20万人ともいわれる」と報じる。
- 1月14日 韓国の多数のマスメデイアが、前年に日本のテレビで女子児童が挺身隊として勤労動員されたという報道を誤解し、「国民学校の生徒(小学生)まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」などと報道[58]。
- 1月16日 韓国を訪問した宮沢首相は慰安婦問題の報道により反日デモが高まる状況に、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束する。韓国国会においても「実に心の痛むことであり、誠に申し訳なく思っています」と述べる。盧泰愚大統領は、記者会見で「韓日が同伴者関係を構築するためには、日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省する土台が必要」と語る。
- 1月23日 『朝日新聞』夕刊の「窓」欄で、「強制連行した女性は950人」、「強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」との吉田清治のインタビューを掲載。
- 2月17日 日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会において、慰安婦問題を人道上の罪だとして国連の介入を求める。
- 2月25日、韓国政府が被害者申告センターを設置し、被害の申告と証言の受付を始める。
- 5月1日発売の『正論』(1992年6月号)の「昭和史の謎を追う-第37回:従軍慰安婦たちの春秋」と題するルポで、秦郁彦は済州島での実地調査により、吉田清治が現地で205名の慰安婦狩りをしたという事実はないことが判明したと主張。
- 5月25日 『朝日新聞』が7月、吉田清治が韓国に「謝罪の旅」に出ること、吉田は強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりと語っていることなどを紹介。
- 7月6日 日本政府が吉見教授の資料発見を受けて行った慰安婦問題に関する調査結果を発表。100を超える関係資料を公開。加藤紘一官房長官(当時)は「朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかった」としながらも、「慰安所の設置や運営・監督などに政府が関与していた」ことを初めて公式に認める。
- 7月7日 『朝日新聞』が日本政府が上記慰安婦問題に関する調査結果の資料を改変していたことが見つかる[59](『朝日新聞』 1992年7月7日付 31面 )。
- 7月 韓国政府が「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表し、「日本政府による慰安婦の威圧的連行があった」と主張。「強制連行なし」とした日本政府に追加調査を求めるとともに、日本の歴史教科書への記述と学校教育を通じた「過去の正しい認識」の周知を要請。
- 12月 中央大学教授吉見義明が『従軍慰安婦資料集』(大月書店)を刊行。その中で「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは『狭義の強制連行』であり、詐欺などを含む『広義の強制連行』の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と「広義の強制性」という主張を始める。
- 12月25日 韓国釜山市などの元慰安婦ら10名が、日本政府に公式謝罪と賠償を求めて山口地方裁判所に提訴(釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟)。
- 1993年
- 2月1日 韓国で元慰安婦らの証言集『強制連行された朝鮮人「慰安婦」たち』(韓国挺身隊問題対策協議会、挺身隊研究会編)が刊行される(2001年末現在第5集まで刊行。日本ではその10月に『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』として刊行)。
- 『現代コリア』(1993年2・3月号)紙上で、現代史研究家の加藤正夫が、千田夏光の『従軍慰安婦』(講談社文庫 1984年)の中の嘘を暴露。
- 3月 韓国政府が国内の元慰安婦135名に対して500万ウォン(約74万円)の支給などの支援策を発表。また、日本の教科書に慰安婦に関した記述をするよう求める。秦郁彦が『正論』と『諸君』の記事をまとめ『昭和史の謎を追う』(文芸春秋社)を出版し、同年菊池寛賞を受賞。
- 4月2日 フィリンピンの19人の元「慰安婦」らが日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。原告は、最終的には46名となる。1998年10月9日、地裁で慰安婦側の請求を棄却、2000月12月6日、控訴棄却、同年12月25日、最高裁判所への上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。
- 4月 元慰安婦の宋神道(ソン・シンド)が、二次大戦中約七年間にわたりいわゆる従軍慰安婦とされ肉体的精神的苦痛を受けたとして、日本政府を相手取り、国際法及び民法に基づき、日本政府に謝罪のみを求め(後には損害賠償を求める)、東京地裁に提訴(1999年10月1日、一審で請求棄却、2000年11月30日、控訴審の判決も請求棄却)。
- 6月 高校日本史検定済み教科書7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることが判明。
- 6月11日 韓国で「日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」が制定、同年8月から元「慰安婦」に一時金、生活費の支給を行う。
河野談話以降
- 8月4日 日本政府が「慰安婦問題に関する第二次調査報告結果」を公表。それに関連し、河野洋平内閣官房長官が旧日本軍の強制連行を認める「河野談話」を発表。 「慰安所設置等に旧軍が関与し、慰安婦の募集も本人の意思に反して集められた事例が数多かった」とし、慰安婦に対し、「心からお詫びと反省を申し上げる」と謝罪。談話発表後の記者会見で「強制連行の事実があったという認識か」との記者の質問に、「そういう事実があったと。(それで)結構です」と答えた。これを受けた韓国外務省は「全体として強制性を認め、被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表。
- 8月4日 NHK教育テレビジョンが『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。元慰安婦らが共同生活している「ナヌムの家」を紹介し、日本の反省や償いについて論じる。
- 8月31日 村山富市首相が、談話「平和友好交流計画」に関する談話の中で 、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」と謝罪。
- 高木健一ら、日本の弁護士3人がインドネシアの地元紙に「日本政府に対して補償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出す。
- 1994年
- 1995年
- 1月 『週刊新潮』(1995年1月5日号)が取材の結果、吉田清治の証言が事実無根である事が判明したとの記事を掲載。
- 1月24日 「日本弁護士連合会」が「従軍慰安婦問題に関する提言」を政府に提出。立法措置などにより、元慰安婦らに補償するよう求める。
- 7月19日 元慰安婦への償い金を民間から募ることなどを目的として、日本政府の主導で財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。
- 8月15日 社民党の村山富市首相(当時)が過去の日本の侵略戦争や植民地支配について公式に謝罪した村山談話を発表。
- 8月15日 「大東亜戦争」(アジア・太平洋戦争)を総括する目的で自民党が1993年8月に立ち上げた「歴史・検討委員会」(委員長:山中貞則)が『大東亜戦争戦争の総括』(展転社)を出版。「『大東亜戦争』は、自存・自衛のアジア解放戦争であり、侵略戦争ではなかった」、「『南京大虐殺』や『従軍慰安婦』は事実ではない」、「加害・戦争犯罪はなかった」と総括。
- 8月22日 韓国で、元「慰安婦」および支援35団体が「民間基金構想撤回と被害者個人への謝罪と補償を求める共同声明」を発表。
- 11月22日 「国際法律家委員会」(ICJ)が、慰安婦被害者には個人補償請求権があるとする報告書を発表。
- 1996年
- 2月6日 スイスのジュネーヴで開かれた国際連合人権委員会にスリランカの著名な法律家であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:クマラスワミ報告書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、付属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『人道に対する罪』、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラ スワミ勧告)。引用エラー:
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タグが不足しています。 - 1月3日 『朝まで生テレビ!』に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。
- 1月30日 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、参議院予算委員会において、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかったが、「総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との判断で「河野談話」の表現になった旨を答弁。河野談話の根拠となった韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集に対する裏付けは取っていない旨を述べる。[8]
- 2月27日 自民党の安倍晋三の主導で自民党の当選5回以下の議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長:安倍晋三、幹事長:平沼赳夫、現・「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」)が結成される。
- 3月 韓国の中学校、高校用の国定歴史教科書に従軍慰安婦に関する記述が今学期から掲載される。中学校の教科書では、、「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」、高等学校の教科書では、「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」と説明される。
- 3月9日 元内閣官房副長官の石原信雄が『産経新聞』のインタビューで、募集の文書や担当者の証言を初め、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかったことや、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるように強行に要請していた韓国政府に対し、「強制性を認めれば、問題は収まる」という判断で、元慰安婦らの証言だけで強制性を認めたという「河野談話」発表に至る経緯を明かす[60]。河野官房長官は、産経新聞のインタビューは断ったが、同年3月の朝日新聞のインタビューには応じた。[61]
- 3月10日 ジャーナリストの 櫻井よしこが『文藝春秋』4月号の「密約外交の代償」と題する論文で、加藤紘一元官房長官、石原信雄元官房副長官、谷野作太郎元外政審議室長などに対する直接取材の結果として、証拠に基づかずに、政治的判断で強制連行を認めた政府の外交を批判。
- 3月12日 参議院の予算委員会において、平林博外政審議室長は、「政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったが、総合的な調査の結果についての総合判断により、一定の強制性を認めた」旨の答弁をする。[9]
- 河野洋平元官房長官が自身の講演会で、「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」と語る[62]
- 3月31日 『朝日新聞』が2ページの慰安婦問題の特集記事を掲載。吉田証言に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と、これまでの主張を修正し、「吉田証言の真偽は確認できない」とした。河野洋平元官房副長官のインタビューも掲載。
- 5月 中学校教科書の慰安婦の記述削除を求める請願が各地の地方議会で相次ぐ。その問題に対して、「日本弁護士連合会」が「二度と過ちを犯さないため、事実を歴史教科書に記載して子供たちに伝えていくことが必要」と、請願を採択しないように地方議会に呼びかける声明を発表。
- 6月27日 1997年度用中学校社会科教科書の検定に合格した7冊すべてに慰安婦に関する記述があることが判明。
- 2月6日 スイスのジュネーヴで開かれた国際連合人権委員会にスリランカの著名な法律家であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:クマラスワミ報告書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、付属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『人道に対する罪』、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラ スワミ勧告)。引用エラー:
- 1998年
- 4月27日 元慰安婦3人と元挺身隊員7人の計10人の韓国人女性が日本政府に総額5億6400万円の損害賠償と公式謝罪を求めた訴訟(関釜裁判)で初の司法判断。山口地裁下関支部は請求の一部を事実認定し、河野談話の後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」一人あたり30万円の支払いを命じる。河野談話が強制連行の証拠と認定される。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高裁)は、一審判決を破棄し、最高裁への慰安婦側の上告(2003年3月25日)も棄却され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定)
- 4月28日 『産経新聞』(1998年4月28日付)が「主張」の欄で、「慰安婦訴訟 禍根を残した『河野談話』」との記事で、慰安婦側の訴えた認めた前日の判決を批判。裏づけとなる証拠がない「河野談話」を根拠に強制連行を認めたこと、河野談話によって、国会での立法義務が生じたとされたこと、戦後補償問題を清算した「日韓基本条約」締結との関係が不明確である点を批判。[63]
- 7月31日 小渕内閣の中川昭一は 農林水産大臣就任直後の記者会見で、「中学校の教科書に従軍慰安婦に関する記載があるのは疑問」、「強制連行があったかどうかは分からない」などと述べ、中国、韓国からの強い反発を受け、翌日、発言を撤回した。
- 8月 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で、アメリカのゲイ・マクドゥーガル国連人権委員会特別報告者の「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行に関する最終報告書」(「マクドゥーガル報告書」)が採択され、付属文書で、日本の慰安婦の制度は「奴隷制」であり、慰安所は「強姦収容所」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「性奴隷」であるとし、慰安婦の日本政府に対する賠償請求権を認め、政府、軍関係者、兵士個人も訴追し、裁くべきであるとした。これは人権小委員会の勧告としては採択されず。
- 8月 韓国で、「ナヌムの家」の隣に建てられた「日本軍慰安婦歴史館」がオープン。
- 8月4日 『読売新聞』が「『慰安婦』問題をもてあそぶな」と題した社説で、「わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある」、中川農相が発言を撤回したのは、「歴史を捏造していた一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だとして騒いだからだ。」と『朝日新聞』を暗に批判する。
- 8月11日 読売新聞が「国連の権威損なう『慰安婦』報告」と題し、「慰安婦強制連行説」を捏造した者とそれを追認した「河野談話」を厳しく批判。
- 11月 月刊雑誌『諸君!』(1998年11月号)において、秦郁彦が吉田清治本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる。
- 11月 改定版として出版された広辞苑5版は、旧版に加筆修正された。
- 【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
- 【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。
- 2000年
- 7月 中学校歴史教科書の検定申請本8種の内容が公開され、「慰安婦」についての記述が3社に減少することが判明。
- 12月8日から12日 東京で慰安婦制度など戦時中の旧日本軍による性暴力を裁こうと、VAWW-NETジャパンを初め、日本とアジアの非政府組織(NGO)が東京で民間の模擬法廷、「女性国際戦犯法廷」を開く。最終日には四人の裁判官が「性奴隷化を図った慰安婦制度は当時の国際法に違反する犯罪」とする判決を発表。
- 2001年
- 2月17日 元職員(女・43)からセクハラを告発されていた『ナヌムの家』の園長が、女性職員らとの性関係を認め、園長職から退き、僧籍を離れることを表明。[64]
- 3月1日 『読売新聞』は社説で慰安問題が捏造であると指摘。「特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身隊を強制的な"慰安婦狩り"制度だったと歴史を捏造した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。中韓両国は、 こうした特定マスコミの報道に便乗して対日外交カードとするようなことがあってはなるまい」と主張。
- 5月8日 韓国政府が日本政府に対して中学校の「つくる会」の歴史教科書などに対し、記述修正を要求。
- 5月16日 中国政府が日本政府に対し、「つくる会」の歴史教科書教科書の8項目について記述修正を要求
- 7月9日 文部科学省が韓国・中国政府の修正要求に対して、「つくる会」歴史教科書に対する訂正は求めない方針を示す。
- 2002年
- 韓国女性省は、新学期から使用される中学2年と高校1年の歴史教科書の慰安婦関連の記述について「多数の女性を強制動員して、日本軍が駐屯するアジア各地に送り、慰安婦として非人間的な生活を強要した」などと、詳細且つ具体的な表現にする方針を発表、教育省に提案。[65]韓国女性省は「慰安婦が強制動員だったことと、性の奴隷としての生活を強いられたことを明確にする」、「慰安婦問題についてのビデオCDを教師向け教材として全国の中・高校に配布する」などの方針を示す。
- 2月24日 立命館大学で開かれた「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)において、韓国・ 慶南大学客員教授(社会学)の金貴玉(キム・ギオク)(40)が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったと発表[4]。
- 3月28日 在日韓国人で唯一元慰安婦であると名乗り出た宋神道(80)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求めていた訴訟で、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は宋側の上告を棄却し、宋の敗訴が確定。
- アメリカとイギリスで田中ユキという正体不詳の著者による“Japan's Comfort Women”(日本の慰安婦)という英文の書が出版される。400人を超える女性への聞き取り調査に言及。
- 2003年
- 3月25日 「関釜裁判」の上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。
- 2004年
- 3月17日 韓国挺身隊問題対策協議会が韓国、日本、米国、フィリピン、台湾、スペイン、ベルギー、ドイツの8ヶ国で水曜集会600回を記念して1000人余りで日本政府に公式謝罪と賠償を求めるデモを行った[56]。
- 9月2日 「過去史真相究明論争」をテーマにした「MBC100分討論」において、ソウル大学の李栄薫教授(経済学部)が、慰安婦を売春業になぞらえたかのような発言を行った。また、「韓国戦争当時の韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する韓国人の反省と省察がない」「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」「日本は挺身隊を管理した責任があるが、韓国民間人の問題も取り上げるべきだ」と主張したことに対し、インターネット上で抗議が殺到し、「韓国挺身隊問題対策協議会」が教授職辞任を要求する声明書を出す[66]。同年9月6日、李教授は「ナヌムの家」を訪問し、元慰安婦らに謝罪。
- 11月27日 中山成彬文部科学省大臣[67]が大分県別府市でのタウンミーティングの席上で、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と述べたことが、反発を招く。
- 『親日派のための弁明』の著者、金完燮が7年前に19万部のベストセラーとなった『娼婦論』に慰安婦制度を肯定する最終章を加えた日本版『娼婦論』(日本文芸社刊)を出版。韓国の女性団体が主張する「日本軍用女性奴隷」という用語は、「日本の国家的イメージを失墜させようとする意図が見え隠れする」と指摘、「慰安婦制度は戦場となった住民の安全を守るために必要不可欠だった」と肯定、「韓国の教科書で教える10万とも20万とも言われる女性が連行されたとする内容も情報操作された数字だ」とした。
- 12月3日 細田博之内閣官房長官が民主党の岡崎トミ子副代表(当時)の求めで、衆院第2議員会館において、閣僚として初めて元慰安婦(韓国人の李容珠(75)とフィリピン人のベアトリス・トゥアソン)と非公開に面談。「(慰安婦問題)は父親の世代の罪。心から反省し、おわびする」と謝罪。
- 2005年
- 3月27日 安倍晋三自民党幹事長代理が講演会で、「従軍慰安婦は作られた話」と述べる。[68]。
- 4月 中学歴史教科書では、「慰安婦」の記載は申請段階で1社となる。
- 6月 中山文科相が「従軍慰安婦という言葉はその当時なかった」と発言したことが、韓国などから反発を招く。
- 8月10日 第二次世界大戦終結60周年世界60都市同時集会・デモが東京、ソウル、マニラ、サンフランシスコなどで日本政府や在外公館に対する集会やデモとして取り組まれた。日本政府に対し、国連勧告に従い元「慰安婦」への賠償を訴える。
「アムネスティ・インターナショナル」が、第二次世界大戦終結から60年を迎える直前のこの日の「水曜デモ」を機に、慰安婦とその支援者らに賛同することを発表。[69]
安倍政権以降
- 2007年
- 1月末 マイク・ホンダら6人の 民主党の米下院議員が共同署名で米下院に慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案(H.Res.121)を提出。戦時中に日本が、アジアの女性たちを強制的に「性奴隷」にしたことに対する首相の公式謝罪などを求める内容。
- 2月15日 米下院院外交委員会アジア太平洋・地球環境小委員会における公聴会で、李容洙、金君子、ジャン・ラフ・オハーンの3人の元慰安婦が証言。
- 2月19日 衆院予算委員会において、麻生太郎外務大臣が慰安婦をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」という記述について「決議案は客観的事実に基づいていない。日本政府の対応を踏まえておらず、はなはだ遺憾だ」と不快感を表明。麻生外相は同年3月11日、フジテレビの番組で、この対日非難決議案をめぐる動きについて「日米(関係)を離間させる有効な手段だ。」として、第三国による対日工作の可能性を指摘。司会者の「北朝鮮や中国による工作か」との質問に同意する[70]。
- 2月25日 フジテレビ系列の『報道2001』に中継で出演したマイク・ホンダは、「謝罪要求決議案は、反日の決議案ではなく、和解・平和ということを意識した決議案である」、「国会において、総理大臣が正式にきちんと陳謝するというプロセスが重要である」という旨を述べる。また、強制連行があった根拠を問われ、「被害者の証言」や「アジア女性基金による支援」、「河野談話」、「総理の謝罪」がなされたこと自体が根拠だと主張。
- 3月1日 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が「慰安婦に対して、日本軍の強制連行はなかった」との見解を明らかにし、政府に慰安婦問題に対する調査を要求[71]。
- 3月1日、安倍晋三首相が「河野談話」に関する記者の質問に対して「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語り、国内外から波紋を呼ぶ。
- 3月5日 参院予算委員会において、安倍首相が、「(米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難)決議案は客観的事実に基づいていない」、「決議があっても謝罪することはない」と答弁する。
- 3月14日 自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬 元文部科学相と下村博文官房副長官との会談で、当面は慰安婦問題に関する再調査しないことで合意。
- 3月16日 日本政府は閣議において、社会民主党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書[72]に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書[73]を出す。
- 3月23日 「日本外国特派員協会」(東京・有楽町)で記者会見した中曽根康弘元首相に慰安婦問題に関する質問がなされる。海軍将校だった中曽根がボルネオ島で「慰安所」を設営したと回顧録で述べていることに対し、外国人ジャーナリストらが追及。中曽根は「私は飛行場を作る施設部隊にいた。(相当な期間を要するので、)徴用した工員たちのための娯楽施設を設営した」と説明。「『娯楽』とはどんな娯楽か」「強制はあったのか……」との質問に「海軍におったのでその点は知らない」とし、慰安婦問題については「河野談話を踏まえて謝罪すべきは謝罪する……」と答える。[74]
- 3月24日 米紙『ワシントン・ポスト』が「安倍晋三の二枚舌(Shinzo Abe's Double Talk)」と題する社説を掲載。歴史的な記録により、日本が慰安婦を強制連行したことは「北朝鮮が日本の市民を拉致した証拠に劣らず説得力がある」、「拉致問題で国際的な支援を求めるなら、彼は日本の犯した罪の責任を率直に認め、彼が名誉を傷つけた被害者に謝罪すべきだ」とし、「河野談話」を後退させてはならないと主張した。
- 3月28日 アメリカで最も使われている歴史教科書「伝統と出会い:過去に対する世界的 展望(Tradition & Encounters: A Global Perspective on the Past)」に、日本軍が当時、最大 30万人に達する女性たちを慰安婦として強制連行したとの記述があることが判明[75]。
- 3月31日 元従軍慰安婦への償い事業を十二年間行ってきた「アジア女性基金」が解散。
- 3月31日 米の『ニューヨーク・タイムズ』が国際面の1ページを使って吉見教授のインタビューを掲載。「軍の関与を示す資料発掘によって論争に終止符が打たれたのに、安倍晋三に先導された若い民族主義者の政治家らが河野談話の撤回に向けたロビー活動を行った。」という旨の批判。
- 4月3日 アメリカ議会調査局の専門家らが「日本軍の『慰安婦』システム」と題する議員の審議用資料とする報告書を作成。「軍による女性の強制徴用」について、「日本軍はおそらくほとんどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。特に朝鮮半島ではそうだった」との見解を示す。また、「アジア女性基金」の設立や「河野談話」など、日本政府が謝罪や賠償の努力を重ねてきたことを指摘、日本へ更なる謝罪や賠償を要求することに疑問を呈す。[76]
- 4月17日 林博史関東学院大学教授が外国特派員協会における記者会見で、「従軍慰安婦」問題に関する新資料七点を発表。戦後の東京裁判でオランダ、フランス、中国の検察団が提出した尋問調書や陳述書が旧日本軍が慰安婦を強制連行し、性行為を強要したたことを示していることを指摘。
- 4月26日 米紙『ワシントン・ポスト』が「慰安婦問題ワシントン連合」(徐玉子会長)をはじめとする在米韓国系団体の「慰安婦の真実」と題した全面広告を掲載。「日本はこの犯罪に全面的な責任を取ったことは一度もない」と非難、慰安婦問題に関し日本政府の謝罪を求める下院対日決議案の採択を求める。
- 4月27日 総理として初の訪米した安倍晋三は連邦議会においての上下両院幹部との会談で、「慰安婦問題について「私の真意が正しく伝わっていない」、「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として首相として心から同情するとともに、極めて苦しい状況に置かれたことに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と元慰安婦らに対する同情とおわびを表明。[77]
- 2008年
- 2009年
- 1月8日 米紙『ニューヨークタイムズ』が韓国政府やアメリカ人によってアメリカ軍に対する売春を強制されていた女性達の声を掲載した[19]。
- 1月10日 麻生総理が韓国大統領と強制徴用と慰安婦問題について謝罪要求放棄を誓約
- 1月27日 元慰安婦の損害賠償請求権譲渡を可能に、法改正推進国会の金映宣(キム・ヨンソン)政務委員長は、日本軍従軍慰安婦被害者らの日本政府に対する損害賠償請求権を家族や友人、民間団体などに譲渡できるようにした「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援及び記念事業などに関する法律」改正案を国会に提出した。改正案が成立すれば、慰安婦被害者の死後にも日本に持続的に賠償を請求できるようになる[79]。また日韓基本条約については無効としている。
論点
強制連行の有無
実際に強制性が存在したかについては、いわゆる強制連行の有無や、売春が強制下で行われたのではないかなどを含めて様々な議論がある。強制的に連れ去られた事実が存在したのか、また存在したとしてそれを行い売春を強要させた主体が日本政府(軍)だったのか、被害者の両親と金銭取引を行い、本人の意思を無視して連れ去った民間業者だったのかで意見が分かれる。
- 2006年9月13日に米上院外交委員会に提出された日本軍慰安婦問題に関し日本政府に謝罪を求める決議案(H.Res.759)は「日本政府は性奴隷にする目的で慰安婦を組織的に誘拐、隷属させた」としており、2007年1月31日に提出された同様の決議案(.Res.121)は「日本政府は「帝国軍への性行為という唯一の目的のために若い女性を職務として連行した」としている。
- ソウル大学教授安秉直は韓国挺身隊問題対策協議会と共同で3年間に渡って日本軍慰安婦について調査をしたが、強制連衡があったとする客観的資料は一つも見つからなかったと明らかにしている[80]。
- 韓国陸軍元大佐の評論家池萬元は、元日本軍慰安婦は大半が厳しい経済事情のため自ら性売買を望んだ人だとしている[81]。
- 中央大学教授吉見義明は、秦郁彦が済州島での実地調査で吉田証言がウソであったことが判明したと報告して間もなく、人狩りのようなことは“狭義”の強制連行であるが、詐欺などを含む「“広義”の強制連行」というものも問題であると主張するようになった[31]。後に吉見教授は、自身の見解を質された際に、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めている。[82]
- 小林よしのりは、吉見義明をはじめとする慰安婦制度批判派が、旧日本軍による強制連行を批判してきたのに、証拠が無いとわかっても自説の訂正や謝罪はせず、「広義の強制性」を持ち出してきたことを「論点のすり替え」だとして批判している。[83]
- 秦郁彦は実質的に強制であるかどうかではなくて、物理的な強制連行の有無が問題だとし、「そうしないと、ある世代の全員が『強制連行』になりかねない。」と吉見義明の「狭義の強制性」論に異議を唱えている。[53]また、「強制連行」については、志願者が多数いたので「強制連行」する必要性はなかったとし、「強制連行」されたという証言は元慰安婦の証言のみで、第三者の目撃証言はこれまで一切なく、2000年の「国際女性法廷」において、配られた60数人の元慰安婦の来歴には誰が慰安所に強制連行したかといういう主語が一切省かれていたと指摘している[10]。
- 『朝日新聞』は1997年3月31日付の社説で、「旧日本軍の従軍慰安婦をめぐって、日本の責任を否定しようとする動きが続いている。これらの主張に共通するのは、日本軍が直接に強制連行したか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向だ」と主張。
- 親日的で知られる日本国籍を取得した韓国出身の日本の評論家呉善花は自身がインタビューした「生活者の連帯意識も民族意識や民族愛も強い当時の朝鮮人が、娘たちが強制的に連れて行かれるのを見て黙っているわけがなく、そんな世界で女狩りなんてできるはずがない」 という当時を知る日本人の証言を紹介し、自身が韓国にいた間、「慰安婦」の話を耳にしたことがなかった意味が、ようやくわかったと自著で述べている。 [84]
- 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長や石原信雄官房副長官は、政府の調査おいて、軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような証拠も証言もなかったと国会答弁[8][9]や新聞[60]、雑誌[85]等のインタビューにおいて語っている。
- インドネシアの抑留所を管理していた第16軍軍政監部は、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り同意書を取るように指示していたが、それに反し、ある幹部候補生隊がオランダ人女性35人をスマランの慰安所に強制連行したこと(「白馬事件」)が戦後、連合国によるB,C級法廷で裁かれ、軍人のほかに 、慰安所を経営していた日本人業者のうち、一人が死刑、10人が有罪となったとの記録が残っており、これが強制連行を行なっていた証拠であるとの指摘[86]がある一方、軍は事件後慰安所を閉鎖しており、元もと自由意思で応募する者だけを慰安婦にする方針だったので、むしろ強制連行を行なっていなかった証拠であるとの反論がある。[87]
「公娼」か「性奴隷」か
- 中国の山西省南部の陸軍病院の軍医として従軍し、朝鮮人慰安婦の性病検査なども行なった湯浅謙(中国帰還者連絡会会員)は、当時の軍人にとって慰安婦は料金も払うし、愛想もよかったので、「公娼」に見えたが、植民地支配下にあって、彼女たちは抵抗することも「強制され連れて来られた」と異議を唱えることもできない状況下にあったので、「性的奴隷」であった旨を語っている。[88]
- 日本の戦争犯罪・戦争責任を追及しているNGO「日本の戦争責任資料センター」は、「『日本軍慰安婦』制度は、慰安婦たちに居住の自由、廃業の自由、外出の自由や慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった」、「故郷から遠く離れた占領地から逃亡することは不可能だった」などの理由から、「公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、『日本軍慰安婦』制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった」旨を主張している。[89]
- 米会員の対日決議案(H.Res.121)は「強制軍売春という『慰安婦制度』は“残忍さという点で前例のないもの”と認識されており、“20世紀における最大の人身売買の一つ”である」と主張している。
- 秦郁彦は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」と主張している。
- 商社員として約三年半の間、中国漢口の慰安所について見聞きして来た小野田寛郎は自著[17]で、慰安婦制度の背景について、「兵士も、やはり(女性を求める)若い人間であり、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在した」とし、「『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。」と述べている。
- 親日的な著作で知られる韓国の作家、金完燮は「軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題であり、“性奴隷”というのは反日キャンペーンのために発明された用語だ」と批判している[90]。
- 産経新聞は米軍が1944年にビルマにおける慰安所経営者と慰安婦20人を尋問した報告書では、「すべての慰安婦は以下のような条件で契約を交わして雇用していた」とあることから、商業ベースでの契約に基づいて雇用されていた実を率直に記されているとし、「慰安婦の雇用条件や契約条件が明記されており、慰安婦の女性が一定額の借金を返せば解放されるという条項があるという点で、当時の米軍当局が日本軍の“強制徴用”や“性奴隷”とは違った認識を持っていた証拠になる」と指摘している(報告書の詳細はの#証言・証拠資料の節の「米軍作成の捕虜尋問報告書」を参照)[91]。
政治的背景の指摘
- 軍人に対する売春に従事した婦女は日本に限らず、米国、韓国、ドイツを含む他国にも存在しており[92][93][94][95]、自国にも存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国[96][97]や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであると日本の右派・保守派は主張している[97][98][99][100]。また、特定の政治的意図を持った日本国内のマスコミや団体や人物などの工作と指摘する声もある[101][102][103]。また、当時は国が売春を認める「公娼制度」があった時代であり、性に対する倫理感覚、女性に対する人権感覚は現在と違っているのに、過去の歴史の出来事を現在の基準で裁くのは間違いだとの指摘もある[104]。
- 日韓基本条約で日韓の戦時中の問題は解決を見ているのに、韓国や北朝鮮などが未だにこの問題を非難するのはおかしいという指摘もある。
証言・証拠資料
著作
- 『現代コリア』(1993年2・3月号)紙上で、現代史研究家の加藤正夫が、千田夏光に、『従軍慰安婦』(講談社文庫 1984年)の中の矛盾点を問い詰め、島田俊彦(武蔵大学教授)の『関東軍』(中央公論社 1965年)に載っていた話を引用したとの答えを引き出し、「関東軍特別演習に備え、慰安婦を集めたとことを後方担当参謀だった原善四郎元少佐より直接聞き取った」という旨の記述は嘘であったことを暴露した。その島田の著作も出典はなく「慰安婦を集めた」と記載されているだけであった。
- 女医の天児都は2001年に出版した自著で、千田の『従軍慰安婦』に裏付けのない記述や矛盾が多いと指摘した。千田は1996年4月、軍医だった天児の父、麻生徹男が自身の論文で娼楼でない軍用娯楽所(音楽、活動写真、図書等)の設立を希望したのに、娼婦が不可欠のものと主張していると誤解し、父親を慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしてしまったことを娘の天児に謝罪したが、その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を改訂しなかったという。天児は「慰安婦問題」は千田の誤りを検証しないまま、それを事実として書かれた後の著作によって誤りを再生産して日本中に広め、それが海外へ流出して日本叩きの材料とされた事件だ」という旨を述べている[92]。
加害証言
現在の所、慰安婦を強制連行したという公になされた加害証言は吉田証言のみとされているが、その吉田証言はその信憑性が問題視され、慰安婦問題を批判する側からも採用されなくなりつつある。
吉田証言
自著で、韓国の済州島において、慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白し、日本、韓国、アメリカなどで、何度もそのことを証言して来た。自著では当時の命令書の内容まで詳細に記載していた。初めての、かつ今日まで唯一の加害証言として旧日本軍の慰安婦に対する強制連行の有力な証言として、扱われてきたが、秦郁彦、中村粲、板倉由明、上杉千年らの歴史学者の検証によって、その証言をはじめ、吉田の語っていた軍の命令系統から本人の経歴に嘘や矛盾があると指摘されたため、旧日本軍による「強制連行」を否定する側からは捏造だと批反されている。
- それらの証言に対する検証にやがて、吉田本人も慰安婦狩り自体を行なったということまでは否定していないが、時と場所だけは創作を交えたので事実ではないことを認め、その後も真実は明かしていないため、慰安婦制度を批判している吉見義明[105]や 上杉聰(日本の戦争責任資料センター事務局長も「吉田証言」は歴史証言としては採用できないとしている。
- 秦郁彦によれば、1998年9月2日、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、85歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという。
- 付属文書で、当時の日本の慰安婦制度を国際法違反であるとした国連人権委に提出された「クマラスワミ報告書」は吉田証言を強制連行の証拠として引用している。
- 米国下院が慰安婦問題で対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書(2006年4月10日付)に「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記されていた。改訂版の報告書(2007年4月3日付)では「吉田証言」が削除された。
私が見た従軍慰安婦の正体-小野田寛郎
首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。
戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。
外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。
淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。
あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。
商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。
当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。
難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。
ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。
映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう。小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。
ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。
そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。
群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。
料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。
半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」「精神決めてトットと上がれ ネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。
内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。
ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。
「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。 そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。
私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。
というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。
確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。
先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。
騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。
ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。
私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。
貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。 私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。
ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。
以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。
これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの・」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。
次に、軍関与の暴論について証言する。私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。
だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。 南昌には師団司令部があった。
「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。
「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。
私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。
その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。
考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。
それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。
私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。
もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。
言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。
軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。
「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。
彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。
「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。
買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。
「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。
元慰安婦の証言
- 韓国で初めて慰安婦であったことを証言した金学順を初め、慰安婦と名乗り出た者の証言の中に矛盾があるとして、その証言の信憑性を疑問視する指摘がこれまである(秦郁彦は雑誌『諸君』(2007年5月号)などで氏名不明の旧軍人との証言の突合せなどにより疑問を提起している。
- 吉見義明は1997年、研究者も強制連行であるとしていない文玉珠に対し、強制連行ではないと主張しても研究上では意味をなさないとしている。
- 1993年の韓国の挺対協などによる調査において、文玉珠の証言はそのときの最も明白な強制連行証言であった。それ以前の訴状には、騙されて掠われたことになっている。
- ハイナンNETによる台湾元慰安婦の調査報告や石田米子・内田知行らの著作によれば、最近の調査では1人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行い、日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、研究者は証言の信頼性を確認しながら調査を行っているという。
- 河野洋平は官房長官として慰安婦に対する軍の強制性を認めた談話を発表した後、1997年3月31日付の『朝日新聞』のインタビューにおいて、「半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。」と語っている。
- 1992年、ソウル大学教授の安乗直ら「挺身隊研究会」が慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった。このとき一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談、を経てまとめられたという。結果は半数以上が「意図的に事実を歪曲していると感じられる」などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった。この調査報告書では強制連行は詐欺(主)を含めて大部分だとしている。
- 現代朝鮮研究者の西岡力は、雑誌『WILL』で上記の証言集に掲載できた19人のうち、官憲等による「強制連行」だったと証言する女性は4人だけであり、その4人のうちの2人が自分が連行されたと語った慰安所は実際には実在しないことが判明。残りの金学順と文珠珠の二人は両名共、日本政府を訴えた裁判の訴状では元「キーセン」であったことを述べており、西岡が『文藝春秋』紙上でこのような指摘した後、金学順は「キーセンに売られて中国に連れて行かれたのだけど、業者の人と北京の食堂でご飯を食べていたら日本の軍人が来て連行された」とそれまでの証言を変えたという。
- NHK職員(当時)の池田信夫は1991年にNHKの終戦に関する番組制作のため、韓国で数十人の強制連行されたという関係者に取材したが、軍が連行したという証言は得られなかったという。
- 1993年、宮沢内閣は「河野談話」発表の前に、韓国政府の強い要請を受け、元慰安婦16人の証言を聞いた。この元慰安婦の人選は韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」が行い、証言書には福島瑞穂弁護士などの立会い人が付き添った。日本政府はこの証言に対しては質問することも、裏付け調査をすることも許されず、この調査における慰安婦の氏名も証言内容も非公開とされたという。
- 旧日本軍に強制連行されたと証言している慰安婦
韓国人元慰安婦のキムボットンさん「在日朝鮮人は日本で優遇されるべき存在。日本は謝罪し差別無くせ」
南朝鮮から来日した日本軍「慰安婦」被害者である金福童さんと吉元玉さんは集会で、「慰安婦」としての自身の悲惨な体験とともに、平和への切実な思いを訴えた。
金福童さんはとりわけ、在日朝鮮人に送る激励の言葉をたびたび口にした。
「現在日本には在日朝鮮人と呼ばれる人たちがいるが、その人たちは望んで日本にやって来た人たちだろうか。過去の戦争時にどうしようもなく日本にやってきた青年たちが日本で苦労しながら生きてきて、その人たちの子孫が今の在日朝鮮人である。日本人と同じく税金を収めており、しかも過去の(植民地支配の)歴史を考えるとむしろ日本政府から優待されるべき彼らが、今なお差別を受けている状況を見ると胸が痛い。日本政府がすべての過去に対し謝罪し、心を入れ替え、私たちの同胞である在日朝鮮人に対する差別をなくしてもらいたい」
金さんは、「私たちの同胞には、日本で差別に負けずに力強く生きていってほしい。みなさんには私たちがついている。日本のみなさんも、私たちの同胞と仲良く平和に暮らしていってほしい」と話した。
韓国人元慰安婦のキム・ボットンさん、証言と自身の年齢のつじつまが合わず1947年まで強いられた計算
沖縄タイムスは2013年5月20日、[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」と題した社説を掲載し。その社説には、旧日本軍慰安婦とされる韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87歳)が5月18日に沖縄の証言集会に参加したことに触れて、以下のように書かれている。
『金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた』。
また、時事通信社の『時事ドットコム』が25日付で伝えたニュースによると、金さんは25日に大阪で開催された集会においても「工場に行くと言われたのは14歳」と沖縄タイムスの社説と同様の発言をしている。
ここで注目すべきは金さんの誕生年への言及がないことだ。もし彼女が現在87歳であれば、14歳当時は1940年。2013年に満88歳を迎えるのなら、14歳当時は1939年。日本は1945年に終戦を迎えたので、彼女の証言に基づくと、終戦後の数年間も慰安婦を強いられたということを意味する。
なお、ツイッター上では、記事を読んだネットユーザーの「マスコミは足し算や引き算が出来ないのか」「慰安婦自らが証言する言葉に耳を傾けるべき」「私は橋下(徹)大阪市長の味方ではないが、肝心の証言が疑いをかけられるようなものでは…」「計算が合わないことは問題ではない」といったさまざまな意見がつぶやかれている。
自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言
慰安婦問題には物的証拠は何もなく、彼女たちの「証言」が唯一の根拠だ。
しかしNYタイムズの田渕記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に「慰安婦が嘘つきだというんですか!」などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう。
橋下氏に面会するといって来日しながら、なぜか直前にキャンセルした金福童(87)と吉元玉(84)の2人は、大阪市内で開かれた集会には参加した。
朝鮮新報によれば、「金福童さんはまず、14歳の時に軍需工場に連れて行くと騙され、南洋群島の戦場に慰安婦として送られた」という。彼女の証言は次のようなものだ。
最初、中国・広東の慰安所に入れられた。そこには陸軍司令部の本部があり、私たちは将校と軍医官に身体検査をされ、すでに用意してあった部屋に行かされた。日本政府は『自分たちがやったことではない』と言っているが、民間人がどうやって軍人相手のための慰安所を作ることができるのか。
まず彼女が最初に送られたのが南洋群島(パラオ・サイパンなど)なのか広東なのかという事実が、同じ記事の中で食い違っている。 さらに金は「広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした」という。
日本軍の部隊でも、このように太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、まして慰安婦がそれに随行することはありえない。
金は87歳というから、「14歳の時」というのは1939年か40年だ。そのころ朝鮮半島に徴用令は出ていないので、「軍需工場に連れて行くと騙した」のは民間人だろう。
軍医が身体検査をするのは当然で、衛生管理のためである。「民間人が軍人相手のための慰安所を作る」のはもうけるためで、何の不思議もない。要するに、彼女は民間人にだまされて民間の慰安所で働いたと言っているのだ。どこにも「強制連行」は出てこない。
他方、沖縄タイムスによると、金は「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。各地の(民間の)売春宿を渡り歩いていたのではないか。
もう一人の吉元玉は、毎日新聞によれば「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられた」という。11歳というのは小学5年生で、当時は初潮もなかっただろう。これは現在の年齢と辻褄を合わせるための嘘だと思われるが、集会でも慰安婦としての体験は具体的に何も話していない。
田渕記者の信じる慰安婦の「証言」は、みんなこんなものだ。このように二転三転し、歴史的事実と矛盾する「証言」をいくら集めても、証拠能力はゼロである。
今回、彼らが橋下氏との面会をドタキャンしたのも、事前の市当局との話し合いの中で反対尋問に耐えられないと支援団体が判断したためだろう。慰安婦なるものはこういう詐欺師であり、橋下氏が謝罪するような相手ではない。
オフイス・マツナガ@officematsunaga
- 今回、橋下発言に抗議目的で来日した「元従軍慰安婦」だが、年齢が判明した模様。
- 「証言通りだとしたら、当時、7歳ぐらいになって計算あわない」と在大阪記者。
- さすがの朝日新聞も気づいたようで、報道を控えている。「年齢詐称・・・」と北岡絶句。
https://twitter.com/officematsunaga/status/339191795953045504
「10万人いた」?自ら「父に売られた」証言も…韓国紙報道に疑問・矛盾の数々
日本統治時代の「慰安婦」問題をこじらせている理由の1つに韓国メディアの極端な報道姿勢があることは以前から指摘されてきた。
特に最近、具体的な証拠をもって検証するという姿勢は消えうせ、これまで以上に一方的な思い込みや元慰安婦・反日団体の主張を垂れ流して問題の拡大再生産を続ける。韓国メディアが伝えた“証言”や“情報”を詳細に見ると、おかしなことに気づく。
「日本右翼が死を待つ人々」
朝鮮日報(電子版)は2013年8月17日、「日本の右翼が一日も早く死ぬのを待っている人々がいる。旧日本軍の従軍慰安婦の被害者だったおばあさんたちだ」と始まる記事を掲載した。
記事によると、元慰安婦の女性らは、日本側が「組織的かつ暴力的な慰安婦動員の証拠を出さない中」での、「日本の過去の蛮行を詳細に明らかにした証言者だ」と主張する。
そして「日帝(日本帝国)統治からの解放から63年の長い歳月を経て、推定10万人あまりいた元慰安婦の数は(8月13日)現在、57人に減った」としている。
問題は「10万人」という数字だ。
最近では「20万人が性奴隷となった」などと喧伝され、一人歩きする数字の典型例となっているが、これにしても出所不明、根拠不明瞭この上ない数字だ。
朝鮮人慰安婦の数をめぐっては、確定した数字はない。歴史研究者による調査・分析の結果から推定したものが根拠となることが多い一方で、政治家ら一定の発言力がある人物が発信した出所不詳の数字が検証されずに伝えられたものまであるのが実態だ。
科学的な根拠から事実関係究明しようとしてきたが、研究者によって推定には開きがある。
韓国メディアはこうした「過去の事実」については一切「直視」しようとしていない。
「朝鮮人慰安婦」8000~8万人?
慰安婦問題を詳細かつ実証的に論じた「慰安婦と戦場の性」などの著作で知られる歴史学者、秦郁彦氏は1993年、中国などに展開していた兵員数を約300万人とし、将兵50人に慰安婦1人という割合、さらに慰安婦の休日のための予備人員の係数(交代率)から1.5倍の人数を要したとの推計を前提に、慰安婦の総数を約9万人とした。
秦氏はその後、1999年に兵員数を250万人、将兵150人に慰安婦1人の割合だったとの見方を示し、慰安婦の総数は約2万人だったとの分析結果を示した。
慰安婦問題解決のため、1995年に設置された「女性のためのアジア平和国民基金」が日本政府の調査を基にまとめた「政府調査『従軍慰安婦』関係資料集成」では、過去の記録を基に台湾の台北や台南、高雄など6地域を経由して最終的に中国に移設されていった慰安所での従業員や関係者らの割合を示している。
これによると、「朝鮮人」慰安婦の割合は40.1%と推計。秦氏の総数9万人説を基にすると、朝鮮人慰安婦は約3万6000人。総数2万人説を基にすると8000人となる。
このほか、慰安婦が日本による「性奴隷制度」の下にあったとの立場をとる歴史学者の吉見義明氏は、兵員数300万人、割合を100人に1人、交代率を1.5とする説と、割合を30人に1人、交代率を2とする説を発表。これによると、慰安婦の総数は4万5000人から20万人となる。この場合でも、朝鮮人慰安婦の数は最大20万人の40.1%で8万2000人となり、韓国の反日団体が主張する20万人はおろか、10万人にも届かない。
論拠を示さずに「10万人」の主張を繰り返すのが、朝鮮日報の報道姿勢だ。
「空腹の弟たちのため」2度売られ…
朝鮮日報は一方で、元慰安婦の女性たちが暮らしている施設でインタビューした結果として、女性らの当時の境遇をまとめている。女性らが訴える境遇は悲惨で、深い同情を禁じ得ないものだが、中にはこんな証言もある。
平壌出身で91歳になるキム・スンオクさんという女性は「暮らし向きが苦しく、7歳から他人の家で生活していると、空腹の弟たちの生活の一助にと父親の勧めで、妓生(キーセン)として売られた」と述べている。
キムさんはもう一度、家に帰りたいと思う一心で、金を稼ぎ借金を完済。家に戻ったが、父親は再びキムさんを売り、中国・黒竜江省の「石門子」という慰安所に行くことになった。
約5年間、慰安婦として働かされた-。キムさんは同紙にこう述べている。
赤貧ゆえに2度にわたって父親に売られたという事実には、だれもが同情を禁じ得ないだろうが、きっかけは「父親が娘を売った」という事実である。
朝鮮日報のインタビューでは他にも、「工場で働けば、お金を稼げると聞いたが、慰安婦の募集だった」という女性の話や、「家が苦しく学校に行けず、1940年に、お金も稼げて勉強もさせてもらえるという誘い話に乗って蔚山(ウルサン)の旅館で働き、1942年に朝鮮人1人と日本人1人に中国の延吉に連れていかれ、3年間、慰安婦として過ごした」という女性などの話が出てくる。
地元出身者による女性連れ去り多発
朝鮮日報など韓国メディアは、こうした話をたびたび引用して日本批判のよりどころにしているのだが、当時の社会状況などについては検証することはない。
当時の韓国では、朝鮮出身者が女性を連れ去った事件(1939年8月31日付の東亜日報)や、朝鮮半島出身者による少女買春事件(1933年6月30日付同紙)などが多発していた一方、日本の治安機関が連れ去られた女性らを救出したという出来事(1939年3月15日付同紙)があった。
こうした事実を提示し、社会情状況を重ね合わせて検証するという報道姿勢は、韓国メディアには望めないのだろうか。
評論家・呉智英 「しっかりとした歴史知識があれば、強制連行がなかったと言える。貧困や、親の借金で売られたりした」
一般の女性を拉致して慰安婦にしたことは、朝鮮人に関して「ない」と言われていました。なのにペテン師というか、虚言癖のある吉田氏が、ありもしない話を本にして、それ以来、強制的に拉致されたと言われるようになったのです。
従軍慰安婦を“性奴隷”と最初に表現したのは、作家の吉田清治氏。1977年、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)という著書で、戦時中に日本軍人が朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にしたことを本人から聞き、発表。のちに全てが創作であることがわかり、本人も認めた。
外国と戦争をして、敵国の女性を拉致して売春婦にする例はあります。日本人も敗戦後は、ソ連兵に何万人も強姦されています。
ただ、ここで踏まえておかなければいけないのは、当時、日本は朝鮮を併合して植民地化していたことです。「朝鮮人」というのは岩手人とか、九州人とか、一種の県人名のようになり、敵国どころか日本人だったのです。
日本国民として選挙権があり、朝鮮人で陸軍中将や、国会議員になった方もいます。形式的とはいえ、同じ日本人女性に銃剣を突きつけて、強制で慰安婦にするなんて考えられません。
しっかりとした歴史知識があれば、強制連行がなかったという問題に対して、すぐに反論できることです。
産経新聞の記事で、出身地や生年月日などがはっきりしないというのは、ウソというより、戦前の一般的な娼婦の人たちの多くが文字を読み書きして、理解できる人が少なかったということです。当然、記述も曖昧になってきます。
このスクープの重要なところは、日本政府がどのように調査して、内部的にどう合議していたのかが、わかったことです。「河野談話」は崩れたので、今後日本政府は、否定するべきでしょう。感情論ではなく、実証論として取り組むべきです。
慰安婦の中には運がよくて、将校より給料がよかった人もいます。だからといって、羨ましいとなるわけじゃない。貧困や、親の借金で売られたりした背景があるのです。
国会で中山成彬により事実が公表(2013年3月)
2013年3月8日、衆院予算委員会で、中山成彬委員(日本維新の会)が慰安婦問題などについて、「日本人が何かやったということは調べても出てこない」と述べた。
「ウソも100回言えば本当になると、プロバガンダに励む国民もいることを忘れちゃいけません、国際社会ではダブルスタンダードで生きていけない」として、歴史認識を訴えていく必要性を強く述べた。
強制連行についても、平成4年の朝日新聞の一面記事「慰安所 軍関与示す資料」を示しながら、中山氏によると、官憲が出した資料は、悪徳業者が募集に関与しているので注意するようにとの通達だとして、朝日新聞は事実の歪曲だとしている。
さらに、中山氏は「日本の戦前の統治、欧米諸国の植民地主義、略奪を目的としてものと違っていたと思う」と持論を展開。
日本は学校、病院、鉄道、道路などのインフラを朝鮮半島に積極的に作ったことを説明。地下鉄銀座線が開通した1939年の翌40年には京城(ソウル)に、地下鉄を作っている。また、京城帝国大学を、大阪帝国大、名古屋帝国大よりも早く作っている事実などを挙げ「日本が韓国の近代化にいかに熱心であったかがわかる」と述べた。
また、公立学校が100校しかなかったが4200校まで増やしており、しかも鉄筋コンクリートの校舎で「わたしの小学校は木造のオンボロ校舎でした。本当に内地と同じ統治をしたとご理解いただきたい」とした。
道議会議員の約8割が日本人ではなく、警察もナンバー2や幹部は現地の人だったとしている。当時の報道を示しながら「警察がしっかり仕事をしていたことがわかるし、日本人が何かやったということは調べても出てこない」とした。
また卯委員長に対して「集中審議をお願いしたい。その際には、朝日新聞の関係者にも来ていただきたい」と要請した。
なお、マスコミはこれを報道せず、NHKはYouTubeにアップされた国会中継動画を削除した。
当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者は今も沈黙
平成4年1月16日からの首相、宮沢喜一の韓国訪問直前のことだった。
「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を中央大教授、吉見義明が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」
慰安婦募集の強制性を認めた翌5年8月の官房長官、河野洋平の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返る。そして「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは、次のようなものだ。
平成3年12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。
朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊の植村隆の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」
大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は金学順だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「キーセン(朝鮮半島の芸妓・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。
記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲だといえる。その上、植村は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。
そして冒頭の外政審議室元幹部の証言通り、朝日は宮沢訪韓5日前の4年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する。
「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」
記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」という解説記事もあり、「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「人数は8万とも20万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている。
だが、吉見が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書は実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」「不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの」「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達だ。
少なくとも、強制連行とは何の関係もない。現代史家の秦郁彦は「もともと明らかになっていた文書で、朝日の記事が出る2週間ほど前に会った吉見は『近々この資料が朝日で出る』と言っていた。朝日は宮沢訪韓のタイミングを狙ったのだろう」と振り返る。
宮沢内閣は事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先させた。官房長官、加藤紘一は2日後の13日の記者会見で「事実を厳粛に受け止めたい」「このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表した。
16日に訪韓した宮沢は大統領、盧泰愚との会談で「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。
まず「謝罪ありき」であり、この姿勢が河野談話へとつながっていく。植村が現在勤務する札幌市内の北星学園大学に取材を申し込んだが回答はなかった。
朝日新聞広報部は「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた。
「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」
「全体像」が何を指すかは不明だが、慰安婦問題は朝日があおりたてた結果、国際問題化したことに変わりはない。なかでも朝日が作り上げた“事実”を利用したのが北朝鮮だった。
元朝日ソウル特派員「日本人が無理やり娘をさらったら暴動が起きましたよ」
慰安婦問題が過熱した1990年代初め、朝日新聞ソウル特派員として前川惠司(現在は退社しジャーナリスト)は、韓国内で元慰安婦らに取材した。日本にいたときも「韓国・済州島で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、朝日が繰り返し取り上げてきた吉田清治とも会った。
「確か80年に川崎支局で『韓国・朝鮮人』という続き物をやっていたころ、吉田が『自分の話を聞いてほしい』と支局に電話をかけてきた。彼の自宅に行って3、4時間ぐらい話を聞いたが、(核心部分の)済州島の話はまったくでなかった。尋ねるたびに話のつじつまが合わなくなるので結局、多くは書かなかった」
こう語る前川は、元韓国人慰安婦にインタビューし、「女子挺身隊」の名で慰安婦が戦場に連行されたと、事実をねじ曲げて伝えた朝日新聞平成3年8月11日付朝刊の植村隆(2014年3月退社、北星学園大学講師)の署名記事についても首をひねる。
「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」
挺身隊が慰安婦と異なるのは、少しでも戦時下の日本について調べればすぐ分かる常識だったからだ。
前川はこの4月、ソウル時代に元慰安婦を取材したエピソードを「戦場の慰安婦哀譚昨今」(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)と題したエッセーにつづった。そこから浮かび上がるのは、元慰安婦の女性らが支援団体らの主義主張に「利用」されているという一面だ。
エッセーには、前川のこんな忘れられない光景が記されている。
1993年11月、当時の首相、細川護煕と韓国大統領、金泳三による首脳会談が韓国の慶州で行われたときのことだ。元慰安婦を支援する韓国の団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開した。
厳しい寒さの中、元慰安婦らは、薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされていた。時折、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ」と叫んではいたものの、顔面は蒼白だった。前川が「おばあさんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れてしまった。
「これが人権団体のやることか」
前川は憤りを禁じ得なかった。ほかにも、こんなエピソードが記されている。
別の集会では、元慰安婦らは「『今度、国連に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら』と、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていた」。
前川が当時韓国で、元軍人、大学教授から友人の母親まで、つてを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官に無理やり連れていかれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と尋ねて回っても「ある」とうなずいた人は皆無だった。逆にある人は「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と言った。
「あのころのおばあさんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なおばあさんたちでしたから」
こう振り返る前川は、少女の慰安婦像まで用いて「元慰安婦イコール性奴隷」との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を抱いている。
「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、李朝時代を含めてあっただろうか。自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶められて、侮辱を感じないのだろうか」
前川は疑問を投げかけ、エッセーをこう結んだ。
「あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか、気になってならない」
「済州島で連行」吉田氏の証言。裏付け得られず虚偽と朝日が判断(2014年8月)
〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。 朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。
慰安婦問題を考える
男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。
大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。
1990年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。
1992年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。
1997年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。
しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。
今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。
干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。1993年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。
吉田氏は著書で、1943年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は2000年7月に死去したという。
吉田氏は1993年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、 動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している。
戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。
吉田氏はまた、強制連行したとする1943年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは1945年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。
■読者のみなさまへ
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
門田隆将・従軍慰安婦「記事取り消し」でも開き直った朝日新聞
本日(8月5日)紙面で朝日新聞が、突如、従軍慰安婦の大特集を組んだ。しかし、まるで子どものようなひとりよがりの記事に、私は絶句してしまった。“僕だけじゃないもん!”――そんな駄々っ子のような理屈に、言葉を失った読者は多いのではないだろうか。
「この記事は、本当に朝日が従軍慰安婦報道を反省し、撤回したものなのか」。私は、本日の朝日新聞の大特集を読みすすめながら、そう思った。「これは、逆に火に油をそそぐものかもしれない」と。
従軍慰安婦問題とは、朝日新聞が一貫して報じてきた「強制連行問題」にある。あの貧困の時代、さまざまな事情で、春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた薄幸な女性たちが数多く存在した。そういう商売が「公娼制度」として現に認められていた、今とは全く異なる時代のことである。
彼女たちは当時の兵士の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となった女性たちである。新聞に大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、その末に集まった女性たちだ。なかには親に売り飛ばされた女性もいただろう。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないと思う。
だが、これが、無理やり日本軍、あるいは日本の官憲によって「強制連行された」となれば、まったく様相は異なる。それを主張してきたのが、ほかならぬ朝日新聞である。
「強制連行」とは、すなわち、従軍慰安婦たちは日本によって「拉致」「監禁」「強姦」された被害者だった、という意味である。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら、それは「強姦」であるからだ。
現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、まさにそこにある。その結果、今や世界各地に日本糾弾のための「慰安婦像」が建ち、さまざまな議会で日本非難の決議がなされ、日本の若者の国際進出に対する大きな「障壁」となっているのは、周知の通りだ。
言いかえれば、韓国と歩を一にして、「日本を貶めつづけた」存在が朝日新聞にほかならない。私はそのことに対して、どの程度の真摯な反省が記述されているのか、今日の記事を読みすすめた。まず第1面に〈編集担当 杉浦信之〉という署名で書かれた〈慰安婦問題の本質 直視を〉と冠する記事には、こう書かれている。
〈私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します〉
私は、これは朝日新聞が真摯な反省をするのかと思い、期待した。しかし、それはすぐに失望に転じた。それは、次のくだりである。信じられない朝日独特の論理がそこには展開されていた。
〈似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。
被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉
「えっ?それはないだろう」。
この言い分を読んで納得する人がどれだけいるだろうか。ここにこそ、朝日新聞特有の巧妙な論理の“すりかえ”がある。
彼女たちが薄幸な女性たちであることは、もとより当然のことである。貧困のために、心ならずも身を売らなければならなかった不幸な女性たちに、今も多くの人々が同情している。私もその一人だ。
しかし、朝日新聞は、彼女たちが自分たちの意思に反して無理やり「日本軍や日本の官憲」によって、「戦場に連行」された存在だった、としてきたのである。だからこそ、日本は「拉致」「監禁」「強姦」国家である、という汚名を着せられているのだ。
その根拠なき「強制連行」報道を反省すべき朝日新聞が、〈「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません〉と、改めて主張したのである。
これは、一部勢力の過激な「従軍慰安婦論」を持ち出すことによって、自分自身を“善”なる立場に持ち上げて「擁護」し、自らの「正当性」を訴えているのだ。これは一体、何なのだろうか。
さらに、この記事は、問題の本質をこう捻じ曲げている。〈戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです〉
この手前勝手な論理に、私は言葉を失ってしまった。〈問題の本質〉とは、朝日新聞が“虚偽の証言者”を引っ張ってくることによって、歴史の真実を捻じ曲げ、従軍慰安婦のありもしない「強制連行問題」をつくり上げたことではなかったのだろうか。
そして、そのことによって、日本人が将来にわたって拭い難い汚名を着させられ、国際社会で「性奴隷を弄んだ日本人」として、謂われなき糾弾を受けていることではないのだろうか。
私が、「こんなひどい論理が許されるのだろうか」と思う所以である。私は記事を読みすすめた。1面で開き直りの宣言をおこなった朝日新聞は、今度は16面、17面をブチ抜いて、〈慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます〉という記事を掲げている。
ここでは、5つの事象で、読者に対して「説明」をおこなっている。しかし、その5つの説明は、どれも納得しがたい論理が展開されている。特に驚くのは、肝心の「強制連行」に関するものだ。そこには、こう書かれている。
〈読者のみなさまへ 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです〉
すなわち〈軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません〉と、このことでの誤りを認めたのかと思ったら、〈軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めること〉ができた、さらに〈インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています〉と、逆に「強制連行はあった」という立場を鮮明にしたのである。
ここでいう〈インドネシア〉の事例というのは、スマランという場所で起きた日本軍によるオランダ女性に対する事件である。「強姦罪」等で首謀者が死刑になった恥ずべき性犯罪だが、この特定の犯罪をわざわざ持ち出してきて、これを朝日新聞は強制連行の“実例”としたわけである。
まさに開き直りである。結局、読みすすめていくと、朝日新聞は、韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」という衝撃的な告白をおこなった自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の発言を繰り返し報道したことに対してだけ〈虚偽だと判断し、記事を取り消します〉としたのである。
また、戦時中の勤労奉仕団体である「女子挺身隊」を、まったく関係のない慰安婦と混同して、記事を掲載したことに関しては、〈当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉と言い訳しながら、しぶしぶ間違いを認めている。
驚くのは、この検証記事のなかで、ほかの新聞も吉田清治氏の証言を取り上げていたと、わざわざ各新聞社の名前を挙げて、各紙の広報部のコメントまで掲載していることだ。まるで、“(悪いのは)僕だけじゃないもん!”と、駄々っ子がゴネているような理屈なのである。
さらに、朝日新聞は、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事を書き、〈『女子挺身隊』の名で戦場に連行〉と、実際の金氏の経験とは異なった記事を書いた植村隆記者に関しては〈意図的な事実のねじ曲げなどはありません〉と擁護している。
記事を書いた植村記者の妻が韓国人で、義母は当時の慰安婦訴訟の原告団幹部だったことは、今では広く知られている。そのことに対して、朝日はこう弁明しているのだ。
〈91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした〉
ソウル支局長の情報提供によって、大阪からわざわざ植村記者が「ソウルに飛んだ」ということを信じる人が果たしてどれだけいるのだろうか。情報提供したのが〈ソウル支局長〉なら、なぜ本人か、あるいはソウル支局の部下たちが金学順氏を取材し、記事を執筆しないのだろうか。大阪から、わざわざ“海外出張”までさせて、取材・執筆させる理由はどこにあったのだろうか。
さらに言えば、植村記者は、なぜ金学順氏が妓生(キーセン)に売られていた話など、自らが主張したい「強制連行」に反する内容は書かなかったのだろうか。
私は、朝日新聞の今回の従軍慰安婦の検証記事は、完全に“開き直り”であり、今後も肝心要の従軍慰安婦の「強制連行」問題では「一歩も引かない」という宣言であると思う。
つまり、朝日新聞は、「日本が慰安婦を強制連行した」ということについては、まったく「譲っていない」のである。今日の記事で、従軍慰安婦問題が新たな段階に入ったことは間違いない。しかし、それは朝日新聞の“新たな闘い”の始まりに違いない。
すなわち、どう検証しても「虚偽証言」が動かない吉田清治氏についての記事は「撤回する」が、そのほかでは「闘う」ということにほかならない。
私は、不思議に思うことがある。
それは、「朝日新聞は、どうしてここまで必死になって日本人を貶めたいのか」ということだ。
歴史の真実を書くことはジャーナリズムの重要な使命であり、役割だ。しかし、朝日新聞は、「真実」が重要なのではなく、どんなことがあっても「日本は悪いんだ」と主張しつづけることの方が「根本にある」ような気がしてならない。
なぜ、事実を捻じ曲げてまで、朝日新聞はそこまで「日本人を貶めたい」のだろうか。私はそのことが不思議だし、そんな新聞を今も多くの日本人がありがたく購読していることもまた、不思議でならない。
従軍慰安婦問題で肝心要の「強制連行」を撤回しなかった朝日新聞――日本を貶めたいこのメディアへの風当たりは「一部記事の撤回」によって、今後、ますます激しくなっていくだろう。
詐欺罪で元朝日・植村記者の義母逮捕「日本政府から補償金を受け取ってやる」会費15億ウォン(約1億2000万円)をだまし取る。遺族会の幹部39人も摘発
太平洋戦争犠牲者遺族会の会長だった梁順任は、2011年12月に詐欺で韓国の警察に逮捕された。彼女は朝日新聞の植村隆記者の妻の母親である。
容疑は、日本統治時代の戦時動員被害者に「日本政府から補償金を受け取ってやる」といって会費15億ウォン(約1億2000万円)をだまし取ったというもので、遺族会の幹部39人も摘発された。
これは朝日新聞の「『元慰安婦 初の証言』記事に事実のねじ曲げない」という記事と関係がある。ここでは植村記者が韓国メディアより早く金学順の記事を書いた経緯について「当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった」と書いているが、ソウル支局長がこんなスクープを自分で書かないで、大阪社会部に知らせることはありえない。
彼が情報を入手したのは、挺対協を支援していた義母からの情報提供による疑いが強い。このときの金学順の録音テープには「14歳からキーセン学校に3年間通った」という話があったが、植村記者の第一報(8月11日)では、「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」となっている。
これについて朝日の検証記事は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」という植村記者の話をそのまま紹介しているが、彼は12月の提訴の後も「強制連行」と書いた。強制連行は挺対協の訴状には出てこないのに、なぜそんな嘘を書く必要があったのか。
それは慰安婦より大きなマーケットである戦時動員被害者として、金学順を利用する必要があったからだ。当初、福島みずほ氏がNHKに売り込んできたときは元キーセンだった金学順を、植村記者が(義母の資金源である)強制連行に仕立てることで、遺族会と挺対協が共闘できたのだ。
なぜこれが重要かというと、植村記者が義母の詐欺を支援するために強制連行という嘘をついたとすると、彼は義母の詐欺の共犯になるからだ。つまり詐欺のために捏造した強制連行という作り話が、その後20年以上も日韓関係を狂わせたことになる。
大阪社会部のデスクが当時、こういう彼の意図を知っていたとは思えないが、結果的には朝日の紙面を使って詐欺の片棒をかついだことになる。
少なくとも朝日の記事によって、梁順任が3万人もの被害者(ほとんどは元慰安婦ではない)から金を集めやすくなったことは間違いない。
これは犯罪にかかわる疑いがある。植村記者は記者会見を開いて「強制連行」という嘘をついた理由を説明すべきだ。
日本政府・軍関係
河野談話
日本政府が慰安婦に対する強制性を公式に認めた談話ではあるが、その意義や根拠について賛否両論を呼んでいる。
- 慰安婦裁判において、1998年4月の「関釜裁判」で山口地裁下関支部は河野談話の発表後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」側の損害賠償の訴えを一部認めた(結果的には控訴審で棄却されることになる)。
- 秦郁彦は「日韓基本協約」において、日本は韓国に経済協力を支払ったが、当時の韓国政府は慰安婦に対する補償はまったく念頭になかったが、後に元慰安婦の補償を求める声が高まったため、補償はするが日本は慰安婦に対する「強制連行」を求めよとの要請に、(日本が「強制連行」したともしなかったとも取れる)玉虫色の「河野談話」が出されたと主張している。
(詳細は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」を参照)
慰安婦問題、政府報告にも韓国介入
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」が韓国側の修正要求に沿った「日韓合作」だった問題で、河野談話と同時発表された政府の慰安婦に関する調査結果報告(公式事実認定)も、韓国側の修正要求を大幅に取り入れていたことが2014年1月7日に分かった。政治性を排除すべき事実認定にまで韓国側の介入を許していたことで、政府の慰安婦問題に対する認識・見解の正当性・信憑性は事実上、失われた。
当時の政府関係者らが詳細に証言した。韓国側からの調査結果報告への修正要求は、河野談話発表4日前の7月31日に届いた。
調査結果報告は(1)慰安所設置の経緯(2)慰安所が設置された時期(3)慰安所が存在していた地域(4)慰安所の総数(5)慰安婦の出身地(6)慰安所の経営および管理(7)慰安婦の募集(8)慰安婦の輸送等-の8点について、政府の事実認定を記述している。
証言によると、韓国側は(1)と(7)に対して、河野談話への修正要求と同じく「軍当局の意向」を強制性が明らかな「指示」と改めるよう求め、協議の末に「要請」で決着した。
韓国側は、(4)に関しては日本側の原案に「慰安所が存在しなかった地域も存在し、また兵隊に対する慰安婦の割合も地域ごとにさまざまで、書物などの試算が当時の実態と合致していたか否かは全く不明」とある部分の全面削除を要求。その上で韓国側は「長期に、また、広範な地域にわたって慰安所が設置されていたことから、相当の数の慰安婦が存在したと推定される」との代替案を示し、これがほぼ日本の事実認定として採用された。
韓国側は(6)の部分では、原案の「(慰安婦は)自由な境地とはほど遠いところにあった」という記述について、「自由もない、痛ましい生活を強いられた」と書き換えるよう求め、日本側はそのまま受け入れた。
一方で、(7)の原案の「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースも数多く」の部分では、韓国側は「業者ら」を「官憲または業者ら」にすることなどを求めたが、日本側は拒否した。
慰安婦に関する調査結果報告 政府による慰安婦関係資料の調査は平成3年12月に始まり、平成4年7月に政府の関与を認める第1次調査結果が公表された。ところがその後も韓国側からも「強制性の認定」が強く求められたため、平成5年8月4日、河野談話と合わせて強制性を認める第2次調査結果が発表された。
元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り。慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧。河野談話の根拠崩れる
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。
証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。
平成5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては平成9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言している。ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。
産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されている。
しかし、資料としての信頼性は薄い。当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。
肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、「カン」などと漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる箇所も存在する。
大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言もある。元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして報告書に記述している部分もあった。
また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安秉直ソウル大教授(当時)が中心となって平成4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に5~6回面会した結果、「証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケース」(安氏)があったため、採用したのは19人だった。
政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。
談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」と語った。
- 河野談話 - 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。
「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」石原元官房副長官
河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は、産経新聞のインタビューに次のように語った。
--聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い
「証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。(身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ」
--16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ
「信用できない人について日本政府が聞き取りしたと?」
--日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、それぞれ異なる証言をした人も含まれている
「うーん。そういう話になると、基本がおかしくなる。もともとの証言の信憑性が揺らいでくる」
--そういうことになる
「証言者の人選は韓国側が行った。私たちは韓国側を信頼し『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ」
--対日裁判を起こした当事者も5人含まれる
「反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた」
--石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い
「残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ」
--裁判を起こした5人についても、訴状と安氏、日本政府の聞き取りに対する証言が食い違う
「ああ、そういうことになると、何が真実かということになってくると、証言自身の信憑性というか、価値が下がってくる」
--調査報告書では台湾の地名を「娼家」と間違えている箇所もあった
「証言内容をチェックする時間はなかった。私は担当官の報告を聞いて判断した。紙は見ていない。報告を聞いての心証で河野談話をまとめた」
--河野談話が強制性を認めた根拠は、16人の証言が決め手だったはずだが
「そうだ。担当官の報告を聞いて、大部分は家が貧しく泣く泣くなったのだろうが、中には筋の良くない人たちが相当悪辣な手段で集めたということが否定できない。そういう心証であの文書(談話)になった」
--業者の悪辣な行動は日本軍の責任ではない
「だから『加藤談話』(平成4年の加藤紘一官房長官談話)は、わが方が直接連行したことを裏付けるものがないので(軍の関与は)ないとした」
--聞き取り調査は証拠資料たり得ないのでは
「(証言者は)真実を語れる人、というのが調査の前提だった。その日本側の善意が裏切られたということになる。それに基づいて世界中に強制的に慰安婦にされたということが事実として広まっていくとなると、全く心外な話だ」
--強制性を認めるための調査ではなかったか
「そんな意図は私にはなかった。国の名誉が関わる問題だから。ただ、役人としては時の政権の方針に従ってやるしかない。一切の弁解はしない」
軍関係者の証言
- 宮沢内閣の慰安婦に関する二次に渡る調査において、元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したがなかったと元内閣官房副長官の石原信雄は語っている。
- 「クマワスワミ報告書」においても、「慰安婦の募集に関する公文書はなく、証拠は元慰安婦の証言だけである」旨を記している。
これだけある元軍人証言をなぜ軽視するのか
「産経新聞が頑張ってくれて、慰安婦問題の本質とか、(慰安婦募集の強制性を認めた)河野談話がどんなものだったのか、やっと国民にも伝わってきているんじゃないか」
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は2014年5月13日、記者団にこう語った。そして、橋下氏が続けて述べた次の言葉にも賛同する。
「歴史問題は外交戦争に使われることもある。日本として認めるところは認めるけれど、言うべきところは言っていかなきゃいけない。どの国だって、事実と違うことを言われた場合は異議を申し立て、抗議するのは当たり前の話だ」
日本の軍や官憲が嫌がる朝鮮人女性を強制連行したり、性奴隷として扱ったりした証拠は一切なく、その目撃者も誰もいないという事実を主張するのは当然だということである。
ただ、こうした事実関係を指摘すると、いつも「そうは言うが『無理やり連れて行かれてひどい目に遭った』というハルモニ(おばあさん)たちがいるではないか」との反論を受ける。
韓国の朴槿恵大統領も2014年3月1日の独立運動記念式典で「歴史の真実は生きている方々の証言だ」と強調。河野談話の唯一の根拠となったのも、元慰安婦16人の聞き取り調査だった。
とはいえ、元慰安婦の証言だけを無謬の真実だとして採用するやり方には無理がある。当時を知る「生きている方々」は、何も元慰安婦に限った話ではない。
常々、そう思っていたところ、埼玉県本庄市の松井敬子さん(87)から「慰安婦問題に関する元軍人の証言」(平成9年刊)という小冊子をいただいた。7人の旧軍関係者が見聞きした慰安婦の実態がつづられており、例えば中国戦線にいた札幌市の伊庭野さんはこう記す。
「駐屯して1カ月ほどたった頃、1人の朝鮮人がやってきて、私に『朝鮮の女性を7人連れてきました。兵隊さん方の慰安所を開きますのでよろしくお願いします』と語った。(中略)彼らは日本軍と関係なく、親方が女を募集して連れてきて自発的に営業した」
満州(現中国東北部)にいた静岡県裾野市の勝又さんは、上官に「この朝鮮女性たちは軍が集めたのか」と聞いた。上官は「金を目当てに朝鮮の親分が集めてくる」と答えたという。
勝又さんの手記によると軍曹の月給が25円だった当時、朝鮮半島出身の女性は土・日の2日間で25円から30円の収入を得ていた。
7年間にわたり中国北部を転々とした北海道旭川市の外川さんは次のように証言している。
「戦地では慰安婦を何人か(6~7人が多い)連れて、それを商売にしている朝鮮人や中国人が必ずいたのである。(彼女たちに)『なぜこの道に入ったのか』と聞くと、『家が貧しいのでよい金になるからといわれ、働いて親元にお金を送るため』と答えた」
小冊子にはこのほかさまざまなエピソードが掲載されているが、共通するのは実体験に基づく「日本軍による強制連行などない」という確信だ。元慰安婦の証言なら無条件に信用する一方で、軍関係者のそれは無視・軽視するというこの問題への向き合い方には、合理性も誠実さも感じられない。
日本の資料
- 1934年3月、陸軍省兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した『軍慰安所従業婦等募集に関する件』とする通牒が北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛てに出されていることが、旧日本軍が慰安婦の募集や慰安所の運営、管理に関与していた証拠であると吉見教授が主張し、『朝日新聞』が1992年に一大スクープとして取り上げたが、これに対して、漫画家の小林よしのりは「慰安婦を誘拐まがいの募集を行なう業者がいるから注意せよという「関与」を示すものだ」と「よい関与論」を唱え反論した。しかし後に、これは、これに先立つ警察資料「支那渡航婦女の取り扱いに関する件」(警保局長通牒)1938-2-23などのそれ以前の流れから読むべきであるという指摘がなされている。
- 1938年、内務省が各庁府県長官に宛てた通達では、中国に渡航させる慰安婦は満21歳以上の、現役の娼妓や醜業を営む女性に限定し、身分証明書の発行の際には、婦女売買または誘拐などがないかよく注意することや、募集に際し、軍の名をかたったり、募集の広告宣伝をする者、虚偽や誇大なことをいう者も厳重に取り締まるよう命じている。支那渡航婦女の取扱に関する件(秘) 内務省警保局長 各庁府県長官宛 (1938年2月23日)(全文)軍慰安所従業婦等募集に関する件
支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り、
故らに軍部了解等の名義を利用し 為に軍の威信を傷つけ 且つ一般民の誤解を招く虞あるもの、
或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し 社会問題を惹起する虞あるもの、
或は募集に任ずる者の人選適切を欠き 為に募集の方法 誘拐に類し警察当局に 検挙取調を受くるものある等、
注意を要するもの少なからざるに就ては 、
将来 是等の募集に当たりては 派遣軍において統制し 募集に任ずる人物の選定を周到適切にして、
その実施に当たりては 関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、
以て軍の威信保持上 並に社会問題上 遺漏なき様配慮相成度、
依命通牒す。
- この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料『支那事変の経験より観たる軍紀振作対策』を各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防のために必要であると説いている。
『支那事変の経験より観たる軍紀振作対策』(原文)
事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・(中略)・・犯罪非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・(中略)・・事変地においては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情を緩和抑制することに留意するを要す。・・(中略)・・特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを思わざるべからず。
- [1942年][9月3日]の陸軍省課長会報で倉本敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を報告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南方100、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。
- 台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を陸軍大臣に求めた公文書「台電 第602号」がある。
「台電 第602号」(全文)
陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営者3名渡航認可あり度、申請す。
勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。
- 旧日本軍の慰安婦に関する関与を認めた「河野談話」発表に至る経過をめぐり、1997年1月と3月に、調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、国会において「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった 」と答弁。同年3月には当時宮沢内閣の内閣官房副長官であった石原信雄も『産経新聞』のインタビューで、「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。」と明かした。
- 朝鮮半島・台湾などでは国家総動員法に次ぐ国民徴用令に基づいた挺身隊(女子の動員は1943年9月から)から、植民地女性を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当人の証言以外には証拠は見つかっておらず、命令書等の公文書も存在しない。
- 慰安婦問題を批判する側からは、「強制連行」を指示する資料が見つからないのは旧日本軍が証拠資料を既に処分したという主張がなされている。河野洋平も2007年3月、「従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は「処分されていたと推定もできる」と指摘している。吉見義明は焼却された政府資料があり、まだ公開されていない資料もあるとしている。
- 「日韓基本協約」の締結に至る過程での日韓の懸案事項についての話し合いにおいて、「慰安婦問題」は一切持ち出されていない。
韓国の資料
韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』では朝鮮戦争中の韓国軍慰安婦や慰安所についての記録や統計がなされている[4][18]。
海外の資料
米軍作成の捕虜尋問報告書
日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」を募集したか、彼女らの生活、仕事の状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼らの軍事情勢に対する理解度を明らかにする目的で、北ビルマ(現:ミャンマー)のミートキーナー(ミチナ、Myitkyina)で捕虜となった慰安所経営者の日本人夫婦及び朝鮮人慰安婦20名に対して、米国陸軍の戦争情報局心理作戦班が”UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Attached to U.S.Army Forces”(「戦闘地域の日本軍の売春所」 米国立公文書館所蔵)と題する報告書を1944年9月に作成、同年11月、米軍の東南アジア翻訳尋問センターが作成した尋問報告書の中に含まれていたこの報告書は、29年後の1973年に公開された。
主な内容
- 「慰安婦」とは、日本軍に特有の語で、軍人のために軍に所属させられた売春婦もしくは「職業的野営随行者」(professional camp follower)に過ぎない。日本軍は1942年にこのような朝鮮人慰安婦を703人ほどビルマに向けて出航させたと報告されている。
- 1942年5月上旬、日本の斡旋業者が、日本が新たに勝ち取った東南アジアの属領で、「慰安奉仕」をさせる韓国人女性を徴募するために朝鮮に赴いた。この「奉仕」の中身は明らかにされていなかったが、病院で負傷者を見舞ったり、包帯を巻いたり、一般的に兵士を慰労すること考えられていた。、「多くの収入が得られる」、「家族の借金を返すことがでる」、「簡単な仕事」、「新しい土地(シンガポール)で新しい生活が出来る」などの斡旋業者の偽りの誘い文句によって、多くの少女達が海外での仕事に応募し、前金として数百円が与えられた。
- 彼女らの大半は無知で教育も受けていなかった。以前から「地球最古の職業」(売春)に関係していた者もわずかながらいた。
- 彼女らは、家族の借金返済の為に前借りした借金額に応じて6ヶ月から1年、軍の規則と慰安所の経営者のための仕事に従事する契約に署名した。
- 約800人の少女達が集められ、日本人の慰安所経営者と共に1942年8月20日にラングーン入りした。彼女らは8人から22人のグループに分けられ、大抵はビルマの各地の軍拠点の近くの街に派遣された。
- ミッチーナでは、彼女らは通常2階建ての大きな建物に住んでおり、個室で生活し、仕事をした。食事は慰安所経営者が準備した。
- 彼女らはほしいものを買えるだけの多くのお金を持っており、暮らしぶりは良好であった。彼女らは、服、靴、タバコを買えたし、実家から慰問袋を受け取った多くの軍人からの多くのプレゼントで化粧品をまかなえた。
- 将兵と共に、スポーツ、ピクニック、娯楽、社交ディナー等を楽しんだ。蓄音機も持っており、買い物に行くことも許された。
- 接客を断る自由もあり、軍人が泥酔していた時には断ることもしばしばあった。
- 彼女らの健康状態は良く、各種の避妊用具を十分に支給されていた。
- 決まった日本軍医が週1回訪れ、病気が見つかった女性は全員治療を受け、隔離され、最終的には病院へ送られた。
- 日本の軍人からの求婚が極めて多く、中には実際に結婚した者もいた。
- 慰安所経営者は彼女らが契約時に借りた借金額に応じて、彼女らの総収入の50 - 60%を受け取っていた。すなわち、彼女らは月平均で1500円の総収益を上げ、750円を経営者に返済した。さらに、多くの経営者は慰安婦の食事や品物に高値を付け、彼女らの生活を大変厳しいものにした。
- 1943年後半、陸軍は借金を返済した女性に帰省を命じ、何人かの女性は韓国へ帰国することをゆるされた。
- 連合軍の爆撃のため、慰安婦らは捕らえられる直前には、ほとんど壕の中で過ごした。1 - 2名の慰安婦はそこでも仕事を続けた。慰安所は爆撃に遭い、何人かの慰安婦は負傷したり、死亡したりした。
同報告書を巡る議論
- 秦郁彦は、同報告書を「資料的価値は高い」と評価としている。
- 小林よしのりらは、『新ゴーマニズム宣言』において、同報告書の内容は、それまでに伝えられていた慰安婦の生活状況が悲惨であるということとは程遠く、むしろ恵まれていたのではないかと主張している。
- これに対して京都大学(永井和研究室)の白石秀人は、「慰安婦の容姿が水準以下であるとか、無知でわがままであるとか、慰安婦自身が答えている」、「『彼女たちの暮らし向きはよかった』とある一方で、『彼女たちは生活困難に陥っていた』との記載もある」。彼女たちは1942年に上陸し、1943年には特に生活状態が良く、1944年には敗色濃い中で爆撃も受け、捕虜となった。(吉見資料集)(註: 軍票の価値の下落によって生活困難が生じることはすでに、他の研究者によって指摘済み)などと、報告書自体の不自然さや矛盾と思うものを指摘し、また慰安婦の待遇が良かったという例はこれ一つ位しか見あたらず、これをもって全慰安婦らの生活が良好であったかのように主張するのは論理が飛躍していると反論している。
- また、白石はその中で、吉見が「秦氏らが比島軍政監部の慰安所規定などの「一次資料」を無視して、前記米軍の資料を使用している」と批判しているとも言う。
- 旧日本軍には:ビルマ・マレー・インドシナ・フィリピン・オセアニアなど様々な方面軍があり、最終配置としては南方8方面が知られ、1992年、1993年発表の政府資料には、マレー、ビルマ方面の慰安所規定がある。
- その一つ、1943年の中部ビルマのマンダレー(2007年現在のビルマの首都)の駐屯地慰安所規定1938-5-26によれば、「慰安婦の他出に際しては、経営者の証印ある他出証を携行せしむるものとす」とあり、 料金時間は下兵30分、他に「慰安所における軍人軍属など使用者の守るべき注意事項」として、 「過度の飲酒者は遊興せざること」「従業員(慰安婦を含む)に対し粗暴の振る舞いをなさざること」「サック」を必ず使用し確実に洗浄を行い性病予防を完全ならしむること」「違反者は慰安所の使用停止のみならず、会報に載せられ、その部隊の使用停止につながりうる」という規定が存在する。
その他の資料
- 中国占領日本軍の 工場就職口実 従軍慰安婦募集 詐欺 (「極東国際軍事裁判」判決)Judgment International Military Tribunal for the Far East , p1022
- サンフランシスコ講和条約 11 条項: Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East (日本は 「極東国際軍事裁判」の判決を 認める)
「慰安婦」訴訟
韓国人、中国人などを中心に、元慰安婦であると名乗り出た人々がこれまでに強制的に慰安婦にされたとして、日本政府に対し、謝罪と賠償を求める訴訟を起こして来たが、時効・除斥期間の経過、大日本帝国憲法が定めていた「国家無答責の法理」(官吏が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。
- 慰安婦側の請求が唯一認められたのは、「釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」(関釜裁判)における一審判決(1998年4月27山口地裁下関支部)であり、原告らが売春を強制されたことを事実認定し、国の立法義務、立法の不作為を認め、「慰安婦」一人あたり30万円の支払いを命じ、一部ながら国の責任を認めた判決として注目を集めた。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高裁)は、一審判決を破棄し、原告に対して、立法行為への規制が司法判断になじまない事、該当事項に関する立法責任が明文化されていない事などを理由に慰安婦側の請求を「全面棄却」。最高裁への上告(2003年3月25日)も棄却され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定した。
- 在日韓国人女性が1993年4月に東京地裁に提訴した謝罪・補償請求訴訟で、2000年11月に東京高裁は原告の請求を棄却する判決を出した。この際、判決効力に関連のない傍論[106]において、裁判長は旧日本軍の慰安婦に対する行為が国際法違反であるとの意見を述べた。原告は「国際法違反であるとの判断を示したこと」については僅かながら評価したが判決を不服として上告したもの敗訴した。なお、この傍論をもってVAWW-NETジャパンなどの一部勢力は「国際法違反であると認定された」と解釈しているが、日本同様に国際社会においても、この慰安婦問題に対する評価は確定していない。
「慰安婦」と外交問題
日本政府の対応
- 1965年の日韓基本条約により、日本と韓国の間の請求権の問題は法的に解決されたとことになっているため、日本政府は、医療・福祉支援事業や民間の寄付を通じた「償い金」の支給などの元慰安婦に対する償い事業のために、1995年、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立。運営経費や活動資金を負担した。歴代総理からのお詫びと反省の手紙を各慰安婦に送った。フィリピン、韓国、台湾において、計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を贈るほか、医療・福祉支援事業を実施。元慰安婦の認定が行われていないオランダに対しては現地の慰安婦関係者に対する生活改善支援事業に対し援助。元慰安婦の特定が困難であるとするインドネシアに対しては、同国政府の行う高齢者社会福祉事業を援助した。韓国や台湾では日本政府に対し、「法的責任を認め、国家補償を行なえ」という主張を掲げる運動体の影響が強く、「アジア女性基金」を受け取ろうとする元慰安婦に対して、受け取るべきでないと圧力が加えられたり、政府や民間団体が「基金を受け取らないと誓約すれば300万円・200万円を支給する」ことを表明したため、韓国では半数以上の元慰安婦が受け取りを拒否した。
アメリカ,テキサス、売春取り締まりで韓国人女性大量検挙(2012年5月)
アメリカ,テキサス州で不法マッサージ店を構えて性売買を日常的に行ってきた韓国人女性たちが、大量に警察に検挙された。
2012年5月11日(現地時間)、テキサス地域メディアによると、最近ヒューストン地域ハリスカウンティ警察の退廃業者取り締まりで、アジア系女性7人が性売買および斡旋疑惑で拘束された。
警察は先月末、韓国出身などアジア系女性たちがマッサージ店で現地人を相手に性売買をしているという機密情報を入手、去る4日に特殊機動隊を動員して韓国人業者3か所を一斉に急襲した。
警察は緊急逮捕された被疑者は皆女性なのに足首に鉄製の鎖までして連行し、韓国人女性たちが鎖で身体的苦痛を訴えながら警察署に引きずられて行く姿が現地放送で生中継され、人権侵害論議も起きている。
被疑者7人のうち6人が韓国人、1人が中国系であり、これらのうち韓国人チャン某氏、ホ某氏は当局の許可なしでマッサージ店舗を運営した疑惑を受けていると現地メディアは伝えた。
ヒューストン総領事館関係者は聯合ニュースとの通話で「警察が逮捕された女性たちの身元を公開していないので韓国国籍者なのかは確認されていない」として「領事館は被疑者が助けを要請してこそ事件処理過程に関与することができる」と話した。
一方、警察は不法マッサージ店の運営に韓国人犯罪組織がかかわった情況も確保して、韓国人業者を相手に捜査網を拡大すると発表されて波紋が広がる展望だ。テキサス韓国人社会人士は「ロサンゼルスやニューヨーク、アトランタで活動する韓国人暴力団がアメリカでそれなりに景気が最も良いテキサスで勢いを拡張しているという話が多かった」として「今回の事件は来るものが来たものなのでそれほど驚くこともないが、韓国人に対するアメリカ主流社会の認識が悪くなるか心配になる」と話した。
韓国の年寄りが証言「慰安婦?大嘘だよ。当時は皆日本国民だよ。」
日本会議川崎北支部主催で、元韓国空軍大佐崔三然氏の講演会が行われた。崔氏は以下を語った。
「私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である」
また従軍慰安婦問題については、
「韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっているが、とんでもない。慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない」
韓国教授(88)が告白「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」
"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" チェ・キホ伽耶大学客員教授
朝鮮末期の私は1923年の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。それは相当な覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。しかし、これは私の使命であると信じています。
私はソウルに住んでいました。そして、時々、平壌や東京に行きました。その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。
民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。歴史の真実を知っているためです。
朝鮮語でキウン「地獄」でした。それは大韓帝国時代になっても同じでした。1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。その差額は日本が負担していました。1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています。
早く自虐教育をやめさせないと(2013年3月 中山成彬)
去る3月8日の私の国会質問がネットで騒がれているようだ。NHKがYouTubeの画面を削除したというので更に騒ぎが大きくなっていると聞いた。
私は中国や韓国が「歴史を直視して未来志向で」という決まり文句に我慢がならない。これは、日本が侵略国で中国や朝鮮に多大な被害をもたらし、従軍慰安婦や南京事件は実在のものであるということを確定した上で、だから日本は永久に中国や朝鮮に謝罪し続けなければならないという事を言いたいのだ。
これらのことを捏造したのが日本の朝日新聞であり、拡げたのが日教組であり、情けないのは、それを許したのが自民党であるという事だ。
私は、日本維新の会の議員として質問に立ったが、自民党ではなかなか言えないことも言えたという意味で、私が維新の会にいることの意味もあるのかなと思う。
今回は、創氏改名と従軍慰安婦の問題を取り上げ、創氏改名は強制では無かった、朝鮮女性を強制連行した事実は無かったと、当時の新聞記事等の一次資料を使って証明した。
実は南京事件についても、今から4年前、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会長として、当時の1次資料を徹底的に調べて、「南京事件は通常の戦闘であり、それ以上でもそれ以下でもなかった」と結論づけた。そして「南京の実相」という本を出版し、英訳してアメリカの上下両院の議員全員にも送付した。
調査で特に印象深かったのは、橋の上を歩く中国女性達の前後を日本兵が銃を担いで守っている写真であった。アサヒグラフの原画をみると女性達は笑っている。これを薄暗くして表情が分らないようにして、「The Rape of Nankin」や南京の抗日記念館で従軍慰安婦として強制連行している証拠の写真としていたのだ。
当時の中国内は軍閥や匪賊が出没し一般人を苦しめており、日本軍が占領した地区の住民は安心して暮らしていたのだった。なおこの写真は本の出版後、南京の抗日記念館から消えたという話もあるが、この目では確かめていない。次に質問の時間をもらえたらこの南京事件についても「直視」してみたい。アサヒグラフの写真など資料は沢山ある。
それにしても、最近の話だが、高校の時、修学旅行で中国に連れて行かれ、南京の抗日資料館を見学した後、現地の高校生と交流会があり、中国の高校生に英語でこてんぱんにやられたという女性の体験談を聞いた。真の歴史を教えられず、英語の不得意な日本の学生達が中国の学生達に頭が上がらなかったのは当然だ。
中国や韓国に子供達を連れて行き、残虐記念館を見せ、「自分たちの祖先は中国で悪いことをした、中国の人は可哀そう」という反省文を書かせる教師達は子供達の将来を考えているのだろうか。
子供達が社会に出て、反日愛国教育で鍛えられた中・韓の子供たちに相対した時に気力で負けるのは当たり前だ。もう遅いかも知れないが、一日も早く、この自虐教育は辞めるべきだ。
そして、安倍総理の言う「日本人として自信と誇りを持った子供達を育てる」という一項目を教科書検定の最初に置くべきではなかろうか。
更に言えば、歴史教科書は国定教科書でいいはずだ。同年代で日本の歴史を語り合うとき、意気投合できてこそ日本人としての一体感が生まれるというものだ。
韓国からの出稼ぎデリヘル嬢「1000万円貯めて帰国したい」経営者「求人広告をだすと、応募が殺到する」
日本の風俗業界で巻き起こっている“韓流デリヘルブーム”。韓国メディアが一斉に「人身売買」と批判する問題ともなっている。東京を例にとると、かつては日暮里や大塚あたりが韓デリの本場だったが、今は鶯谷がメインになっている。鶯谷のホテル街では、デリヘル嬢がホテルから別のホテルへ駆け足で移動する姿も見られるという。
風俗雑誌『俺の旅』の生駒明編集長が解説する。
「90分で3万円が相場だったのが、最近は値崩れが進み60分1万5000円、中には1万円という店もあります」
韓デリの経営者もこう証言する。
「韓国人女性の求人は完全な買い手市場だね。日本の韓国人向け新聞やサイトに広告をだすと、応募が殺到するから」
経営者によると、各店とも摘発防止のために店名をしょっちゅう変えるため、「キャバクラのような人気店はない」とのこと。韓国人デリヘル嬢の実態についても質問してみた。 「お金に困ってる子がほとんど。日本滞在が3か月以内ならビザがいらないから、風俗で働く目的で来日する子も少なくないんだ。しかも今は円高だから韓国より効率よく稼げる。新大久保あたりに住めば日本語なんて一切不要で生活できるし、滅多に母国でバレはしない」
前出の生駒氏もいう。
「出稼ぎデリヘル嬢に聞くと、みな申し合わせたように『1000万円貯めて帰国したい』といいます。昼間は上野あたりのサウナでタオルを畳む仕事をして、夜にデリヘルで稼ぐケースが多いようです」
【赤旗】「慰安婦、お金をもらっていたら被害者ではないのか」(2012年9月)
戦時下における性暴力の実態調査や告発を行っている市民団体「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター(バウラック)は9月29日、東京都新宿区でシンポジウム「日本人『慰安婦』の被害実態に迫る」を開いた。
バウラックは2011年から日本人「慰安婦」についての調査・分析を開始。活動の中間報告や被害者の足跡などを発表した。
バウラック共同代表の西野瑠美子さんは、日本人「慰安婦」の実態解明が遅れているのは、「公娼制度下にあったため」と指摘した。
「お金をもらっていたら被害者ではないのか。『強制』させられることだけが被害なのか。『慰安婦』問題とは何か捉え直したい」とのべた。
「月に400万円」にダマされて(2012年9月)
甘い言葉につられて来日しタコ部屋暮らし――。いま韓国人風俗嬢たちが泣いている。
警視庁は2012年9月、東京・荒川区の韓国デリヘル「OPPA(オッパ)」を摘発、韓国人の女性経営者(32)ら3人を逮捕した。この店のサービス嬢たちは「月に200万~300万円稼げる」と誘われて来日していた。
「経営者は月に一度韓国に帰り、風俗嬢をスカウトしていた。“月収400万円も可能”と大風呂敷を広げることもあったが、日本のデリヘル嬢だってトップクラスは月収150万円。オッパは本番が80分2万円と単価は高いものの、せいぜい稼いでも月収50万円止まりです」(風俗店関係者)
韓国人風俗嬢は劣悪な環境で暮らしている。オッパには6万円の12時間コースもあった。指名された女の子は3万円以上の取り分をもらえるが、朝まで眠ることも許されずフェラとセックスを強要されるケースも多かったという。
悪質業者は女の子が寮から逃げないよう、「外出禁止」を強制している。風俗ライターの蛯名泰造氏が言う。
「“竹島問題で日本人に殴られる”“売春防止法で逮捕される”と口実をもうけて外に出さないのです。彼女たちはコンビニ弁当ばかり食べて栄養が偏るばかり。唇が割れ、唇の端が切れているのはビタミン不足のせいです。言葉が通じないストレスから胃をやられたり不眠に苦しめられたりもする。業者は胃薬や精神安定剤を通常の2、3倍で売りつけます」
中出しOKの店の子はピルを飲んで避妊はしているが性病のリスクは高い。病気になっても業者は治療費を出してくれない。
「寮では女の子が仲間のサイフを盗むトラブルも起きている。万が一のため、お札に自分の名前を書く子もいるくらいです。狭い部屋に5、6人が暮らし、ケンカが絶えません」(蛯名泰造氏)
タコ部屋というより、「地獄」である。
売春産業の規模は韓国GDPの5%、「売春大国」韓国。年間売春件数4605万件
「売春大国」の汚名を返上すべく、韓国では売春の摘発が強化されたが、なくなるどころか地下に潜り、さらには“輸出”までされて、ますます世界から白い目で見られている。
例えば、韓国の高速鉄道KTXのソウル駅前には、いわゆる「ちょんの間」が密集していた。日本で言えば、上野駅前に大風俗街があるようなものだ。それが法改正によって壊滅した。
古くから韓国に存在する「頽廃理髪所」は、表向きは理髪店だが、別室で売春を行なう風俗店だ。
売春なしの理髪店との違いはサインポール(日本の床屋にもある、赤・青・白の回転するポール)が非常に大きいなどで、ひと目で「セックスあり」とわかるようになっている。比較的女性の年齢が高いことや、髪を切りたいだけの若い男性は美容室に行くことなどから、特別法が出来る以前から廃れていたが、2004年以降はいよいよ見かけなくなった。
また、「チケット茶房」は表向きは喫茶店だが、ウェイトレスがコーヒーを配達しに来て売春を行なう。もちろんコーヒーはインスタントで、実態は日本のデリヘルに近い。しかしこれも店舗を構えるため摘発の対象となりやすく、近年は減少傾向にある。
逆に増加の一途を辿っているのが、オフィステル(事務所+簡易宿泊施設。ワンルームタイプが多い)やマンションの一室を借りて、そこで売春するケースだ。ソウルでは江南エリアに集中しており、街を歩けばそこらじゅうにピンクチラシが落ちている。
かつて日本の電話ボックスに貼ってあった同種のチラシと違ってB5サイズほどの大きなもので、もちろん通りを歩いている高校生や主婦の目にもとまる。店舗を構えておらず、記載されている電話番号も携帯電話のため、警察も摘発しにくい。
また、キスバンと呼ばれる、個室で客とホステスが1対1になり、キスまではOKというサービスがあるが、このキスバンを装って売春するケースも増えている。こちらは女子大生など若い女性が小遣い稼ぎで働いていることが多い。
看板は出していないが、今も変わらず売春産業は根強く生き残っている。2004年の法律制定後も風俗産業は一向に衰えず、現在も一大産業となっている。
韓国政府の女性家族部がソウル大女性研究所に依頼して調査・作成させた『2010年性売買実態調査』の内容には驚く。結果は非公開だったが、それを入手した『ハンギョレ21』が2011年11月にスクープした。
それによれば、売春産業の規模は最大8.71兆ウォン(約6300億円)と報告され、韓国GDPの約5%を占めている。また、同調査では、年間売春件数が4605万件、売春従事者は14万2000人余であることを明らかにしている。
2010年11月にはハンナラ党最高委員を務めたホ・テヨル議員が、「観光事業を育成するため『フリーセックス』、『カジノフリー』のタブーのない特区を作らなければならない」と、闇の売春産業を認めて公然化する主張をしたため問題となった。
この時代に売春を観光の起爆剤にしようという発想が出てくるほど、韓国は売春大国なのだ。
根深い韓国の性売買文化を根絶するためには
キム・ジヘさん(32、仮名)はソウル下月谷洞にある「ミアリテキサス」で働いている。 一日平均3、4人の男性を相手にしている。ジヘさんが初めて売春を始めたのは学校の授業料のためだった。 2004年にソウル江南の「ルームサロン」が最初の職場だった。
その年、性売買特別法が施行された。風俗街が強制的に閉鎖された時期だった。このため売買春が可能な他の遊興店が“特需”を迎えた。ジヘさんは江南・瑞草などのルームサロンを転々としながら学費を稼いだ。しかし家に生活費を入れていたうえ、お金を遣うことも増え、休学と復学を繰り返し、結局、卒業できなかった。
ジヘさんがミアリテキサスに入ったのは2011年2月。性売買特別法でミアリテキサスがすべて消えたという噂は事実でなかった。ジヘさんは3カ月間、月平均500万ウォン(約38万円)稼いだ。これで学費は十分だと考えて復学した。しかし生活費がまた厳しくなった。他のアルバイトもしたが、給料があまりよくない。ジヘさんは2012年9月、またミアリに戻ってきた。
11月4日、ミアリテキサスでジヘさんに会った。ジヘさんは「事実上取り締まりもしないのに性売買特別法を作り、売春女性だけが犯罪者になった」と話した。ジヘさんのように風俗街を一度離れた後、また戻ってきたという女性が多かった。
この女性たちは「すぐにも家族の生計を維持する責任がある状況で、他の仕事に移るのは容易でなかった」と主張した。ソウル地域の風俗街で働くイさん(34)は「2010年以降、1回も取り締まりを見ていない。意味のない法をそのまま置いておく必要があるのか」と語った。性売買従事者と事業主からなる「全国ハント連合会」は9月、憲法裁判所に性売買特別法に対する違憲法律審判を申請した。
これに関し2004年に性売買特別法を代表発議した趙培淑(チョ・ベスク)元民主党議員は「性売買特別法のおかげで風俗街が大きく減り、女性の人権が改善された」と主張した。しかし趙氏も「当時、性売買集結地の問題に集中したため、新種の変態性売買への対応は不足していた」と話した。金康子(キム・カンジャ)韓南大警察行政学科客員教授はソウル鍾岩警察署長当時の2000年、ミアリテキサスで大々的な取り締まりを行った経験がある。
しかし金教授は「生計のための売春女性に対する具体的な支援策を用意せず、特別法に基づいて制裁したため、単発性の効果に終わった面がある」と述べた。金教授は「当初の目標とは違って新種の売春が広がり、よりいっそう肥大化してしまった」と指摘した。
金教授は「制限的な公娼制度は考慮するに値する」と主張した。しかし一部の女性団体はこうした主張に強く反対している。「性売買特別法は最小限の法であり、公娼制は女性を商品化するという発想」という理由からだ。実際、一部の店では今でも女性従業員に負債を抱えさせ、強制的に売春を要求したりもする。
2011年2月、Aさん(28)は500万ウォンが突然必要になり、知人の紹介でルームサロン経営者に会った。この経営者は「日本で男性と友人のように話をするだけで2000万ウォンを貯められる」と説得した。しかしAさんは日本に到着するとすぐにパスポート(旅券)を取り上げられ、宿舎に監禁された。その後、一日に5、6回ほど売春をすることになった。出血があっても綿で抑えて仕事を続けるように言われた。Aさんは日本女性団体の助けで辛うじて宿舎から抜け出せた。
韓国社会に根付いた性売買文化を根絶するためには、持続的な取り締まりとともに、女性の自活への誘導が重要だと、専門家は指摘している。ソウル江南区庁は2012年7月から違法店舗を取り締まるTFチームを設置し、大々的に取り締まりを行っている。現在まで257店舗が摘発され、18億9500万ウォンの税金・履行強制金を科した。申燕姫(シン・ヨンヒ)江南区庁長は「住宅街にまで入り込んでいるため取り締まりに難しさはあるが、続けていくことが重要」と強調した。
女性家族部は全国自活団体9カ所で女性の職業・進学教育を支援している。自活プログラムに参加する女性は年平均560人にのぼる。
「慰安婦像設置は間違っていた」米市長発言。韓国紙は「波紋広がる」と報道(2013年10月)
韓国紙、朝鮮日報は12日付で、今年7月に韓国以外で初めて「慰安婦」の像を設置した米カリフォルニア州グレンデール市のウィーバー市長が、「像の設置は間違っていた」と発言して波紋が広がっていると報じた。
同紙によると、ウィーバー市長は先月、日本のインターネットテレビ「チャンネル桜」のインタビューで、「われわれは蜂の巣を突いてしまった。少女(慰安婦)像を建てるべきではなかった」と語った。市長は「像の設置後、1千通を超す(抗議)メールを受けた」とし、「グレンデールが日本人の最も憎む都市になったことは残念だ」とも述べたという。
ウィーバー市長は慰安婦像の設置後、市議会議員5人が交代で務める市長に就任。像の設置が決まった議会の投票のさい、5議員のなかで唯一、反対票を投じていた。
朝鮮日報は市長の発言について、「市議会では議決権を正面から否定したものとみなし、弾劾事由に該当すると考えている」とし、「次週の議会会議でこの問題を正式に取り上げるだろう」との市関係者のコメントを紹介している。
ブエナパーク市のアートブラウン市議会議員のような正しい歴史認識を(2013年)
グレンデール市の近くにあるブエナパーク市では7月23日の市議会にて市議会議員であるアートブラウン氏が「慰安婦問題の提起自体には妥当性を認めるが、少女像設置は判断の時間がさらに必要だ」と発表しました。すぐ近くのグレンデール市で慰安婦像の設置が決まり、その嫌な流れが浸透してしまうかと思った矢先でのアートブラウン氏のこの発言は、実はアートブラウン氏が正しい歴史認識をしてくれたからなのです。
ブエナパーク市の市議会議員の中にオー(OH)さんという韓国系の議員がいます。この人が、今回のグレンデール市の決議を受け、ブエナパーク市でもこれを大きく取り上げるべきだと議会に持ち込みました
この公聴会ではオーさんをはじめ、韓国系市民たちが、如何に韓国は被害を受けたか、慰安婦はどれだけ苦労したかと、先ほども述べたような同情心をくすぐるような発言をします。
そんな中、公聴会に参加していた日本人が「それは間違っている」と立ち上がり意見を述べました。そして、別の白人男性も「戦争には様々な被害者がいる。それなのに慰安婦だけを取り上げ、像を設置するなんておかしい」と主張したのです。
この公聴会を聞いたアートブラウン氏は「私はこの慰安婦問題よく知らないので、自分なりに調べたい」と発言しました。
それから約1ヶ月後の8月27日、アートブラウン氏は「私なりに今回の問題を調べましたところ、私は慰安婦像設置に対して支持をしないということを表明します」と決断したのです。
実のところ、もともと公聴会の段階で市議会は慰安婦像に関しては支持しない方針だったのですが、アートブラウン氏の発言によって、もうひと押しされ、改めて設置が中止となりました。
この件に関して、私たちなでしこアクションも抗議のメールをたくさん送りました。それが響いてくれたのかなとも信じていますが、諸外国の方が正しい歴史認識を持ってくれたことをただただ喜んでいます。
―慰安婦像設置対象市と姉妹都市
今回、慰安婦像が設置されたグレンデール市ですが、大阪府の東大阪市と姉妹都市関係にあります。
この慰安婦像設置に関して東大阪市は現地にて「賛同した」と報道されました。さらに、その慰安婦像の維持費は姉妹都市の1つである東大阪市も協力していくということになっています。
しかし、これはまったくのウソです。むしろ東大阪市はそれに対して怒りをあらわにし、グレンデール市に対して「適切な対応をしない場合、姉妹都市関係を解消する」と、抗議をしています。
そして現在、慰安婦像が設置されかねない「ミルピタス市」と「アーバイン市」ですが、両方とも茨城県つくば市が姉妹都市です。東大阪市のようなことがないように、つくば市に教えてあげないといません。
―日本政府の対応を望む人々
私たちは何から何まで「韓国反対!」というわけではありません。何故私たちが抗議をしているかと言うと、正しい歴史をねじ曲げ、韓国にとって都合の良い事を捏造し、あまつさえそれを本当の歴史として世界に浸透させようとしていることが許せないからです。私たちの最終目標は「正しい歴史認識を持ってもらうこと」に尽きます。
しかし、これはあくまで最終目標です。それにむかって突き進む前に、真っ先に実現してほしいことがあります。
それは「日本政府がきちんと対応してくれること」です。現在、従軍慰安婦関係は国際的にもナイーブな問題だとは思います。そのために政府はなかなか積極的な言動を行いません。
政府が行動してくれないと、私たちがどれだけ抗議をし、どれだけ活動をしても、アメリカという国単位から見れば「ちっぽけな集団が尖ったことを言っているぞ。日本は国として何も言ってないし、あいつらは無視しよう」ということになってしまいます。
今回のグレンデール市の設置に関しても日本領事館は慰安婦関連なので「政治・外交問題にしない」を貫いてしまいました。「反対しない=容認」と取られてしまいますので、私たちがどれだけ反対を唱えても、活動が無意味になってしまいます。
また、日本政府が動くことにより、多くの日本人は自信を持って正しい歴史認識を世界に主張することができます。
韓国政府はウソの歴史を発言し、韓国人もそれにならって自信満々に世界へと語っています。
それに比べて、正しい歴史を知る日本が正しい主張をすることに何の落ち度があるというのでしょうか。繰り返しになりますが、「政府がしっかり行動し、世界に対して正しい歴史認識を発言し、国民の後押しをする」ことこそが、私たちなでしこアクションが現在望むことです。
最後に、この場を借りまして、実際に会った方や、協力をしてくれているお顔も見ぬ皆様に感謝を伝えたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
高齢者売春問題。60代娼婦たち「若いアガシたちのように、日本に体を売りに行くことできない」
最初に答えたのは、紅い口紅とアイシャドーが艶めかしい美形の五十路娼婦だ。
「2年前までは生活保護をもらいながら、キャリジという手押し車で段ボールを集めていたのよ。でも、生活保護費は49万ウォン(約4万9000円)、それに1カ月間段ボールを集めても、2万5000ウォン(約2500円)にしかならない。それでこの公園で客を引くようになったのよ」
この娼婦によれば、当時の宗廟公園は、日曜日ともなれば4000人近くの人出があったという。そのため、当局の取り締まりが厳しくなった現在と違い、売春稼業を始めた当初は「客が入れ食い状態だった」というのだ。
「うまくいけば、月額60万ウォン(約6万円)近くは稼げた。今は稼ぎが減ったけれど、それでも美人のハルモニなら50万ウォン(約5万円)は稼げる。生活できない段ボール集めをしているより、はるかにいい生活ができるのよ」(同)
また、60代と思しき熟女娼婦たちが口々に言う。
「60代や70代のお客は、しつこくなくてHも早い(笑)。情に厚くて、月に一度は私を買いに来てくれる。この齢になっても男に抱かれ、生活も潤うとなればやめられないでしょ。若いアガシたちのように、日本に体を売りに行くこともできないし…。ここで商売している人たちは、そんな女ばかりなのよ」(65歳の娼婦)
「セックスするだけで3度の食事にありつけるなら、何度でもする。韓国の貧乏なハルモニは家賃にも困っているし、生活費にも事欠いている。 だから売春の値段は、中国や北朝鮮より安いはず。娼婦の中には、『ここは世界で一番セックスの値段が安い場所』という人もいるほどなの」(67歳の娼婦)
もっとも、こうした熟女娼婦たちの証言から透けて見えるのは、高齢者の多くが貧困に喘いでいるということだ。なぜ、韓国の高齢者たちは、それほど困窮しているのだろうか。
その原因は、どうやら同国の社会保障制度の脆弱さにありそうだ。韓国事情に詳しい経済アナリストがこう明かす。
「実は、韓国は公的年金の歴史が浅く、65歳以上の年金受給者は35%。しかもその平均受給額は、4万4000円と極めて低い。また、生活保護をもらうにも子供やその配偶者に一定の収入があると受けられないばかりか、資格自体が厳しく、なかなか受給できないシステムになっているのです」
要は、高齢者が安心して社会生活を送れるシステムが根本的に破綻しているのだが、熟女売春婦の急増には無論、崩壊寸前の経済事情も影響を及ぼしている。
「『サムスン』など10大財閥の収益が軒並み地盤沈下したことで、韓国経済が傾いたが、この煽りを受けた子供世代が親まで扶養できない悲惨な状況に陥っている。また、韓国の高齢化の速度は世界有数。'11年の『OECD』(経済協力開発機構)の調べでは、全人口に対する65歳以上の割合が7%増えるのに要した時間は、日本が12年、米国は27年、韓国はわずか8年と突出しているのです。その高齢者のうち貧困に喘ぐ層は48.6%で、『OECD』加盟国34カ国中トップ。韓国の主要新聞の報道によれば、1日950円という古紙、廃品回収などに携わる高齢者も200万人いると伝えられているのです」(同)
つまり、経済事情の悪化と世界でもダントツの高齢化の波が、熟女娼婦の急増に拍車を掛けているのである。
橋下市長「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」
--NHK会長の慰安婦発言で、民主党が追及の構えだが、市長の見解は
「民主党はもうちょっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないですか。籾井さんが言っていることはまさに正論ですよ。その通りですよ。あの主張に反論なんかできる人なんていないと思いますよ。僕が言い続けてきたことと全く一緒です。あの意見について、まぁ朝日は毎日、メディアは大誤報やってくれて、主語とかすっとばして、正当化したとギャーギャー言っていたが、籾井さんの言っていることは僕がずっと言い続けてきたことで、あの点についてきちっと反論できる人はいないと思いますよ。もっとね、皆さんも含めてね、歴史を勉強しないといけないし、今この時期、この状況になってね、中国や韓国のこの状況をみて、歴史というものが外交戦争に使われているということもある。日本は今までそういうことやってこなかった。日本の外交官もそういうこと言わずに、とにかく相手の気を害さないようにとやってきたが、中国もね、それなりの力を持ってきて、今までのアメリカ一極の世界秩序の中で我慢するような状況でなくなったときには、歴史については主張してきますよ」
「安重根の問題だって、韓国の主張だって中国の主張だって、彼らの主張でそういう主張あると思うが、日本であんな主張認められませんよ。歴史は当事者によって主張や認識が違うのはあたりまえ。だから自衛戦争だと言っても相手方から見たら侵略だし、相手が侵略と言ってもこっちからしたら自衛だということもある。でも僕はサンフランシスコ講和条約を結んだ以上は、世界から侵略戦争と評価されること、言われることについては日本の政治家として受け入れざるを得ないが、その他の歴史問題については、今までのように黙っていたらいいなんてそんなことやってたら、外交戦争に敗北しますよ」
「どれだけ中国や韓国が今、世界でプロパガンダやっているんですか。今まで日本人は相手の気持ちを害してはいけないということで「言うな」「言うな」となりましたが、慰安婦問題は最たるもの。きちっと言わないといけない。日本人として。認めるところは認め、反省するところ反省する。世界から不当な評価受けるようなことについてはしっかり言わないと」
「アメリカ人もヨーロッパも、完全に勘違いしている。僕が言っているのは、世界の、国際社会においては価値観は多様化している。一定の価値観を押しつけたって理解はしてくれない。でも世界共通の物差しは、フェアかアンフェアか。慰安婦問題はアンフェアです。日本だけを袋だたきするような世界の態度はアンフェだと言えばいい。戦争は悲惨だし、二度とやってはいけないが、そういう状況の中で、似たり寄ったりのことはどの国だってやっていたし、戦争と性の問題は、どの国だって抱えてきた不幸な歴史なんですよ。そういうことは二度と繰り返さない、今の価値観においてはそんなことあってはならない。だけど、日本だけが不当に袋だたきされているのは何故かというと、日本人が主張してこなかったからだ」
「慰安婦問題について、どういう問題なのか。河野談話の問題点とかきちっと言わなかったから。籾井さんの言っていることは至極正当で、民主党はもっと歴史を勉強すべきだし、自民党の方から批判が出るのは非常に残念です。こういう問題になって必ず出てくる政治的中立性ですよ。出ましたよ、またこれ」
「政治的中立性ってね、だいたい何か発言したら政治的な価値観は必ず含まれるものでね。メディアからしたら、毎日、朝日にしたら、籾井さんとは慰安婦問題で反対意見だから、ああいう発言をしたら政治的中立性を害するというが、朝日や毎日のような考えだったらあれも政治的な見解ですよ。ひとつのね。籾井さんの考え方も政治的な考え方。僕の考え方も政治的な考え方。もっと言えば、慰安婦問題について、世界から袋だたきにあっても良いという主張も政治的な考え方」
「だから朝日とか毎日とか、ああいう主張をNHKの会長が仮に言えば、それはまた政治的中立性を害することになる。政治的中立性というのは、権力を使って番組の編集権に介入してくるのが中立性を害するということ。トップが発言すれば、政治的な意味は入ってきます。たまたまそれが、政権側の考え方なのか、朝日新聞や毎日新聞の考え方なのか、どっちかは知りませんが、たまたま今回のような主張を言えば政治的な中立性を害すると言って、朝日や毎日が言っているような主張を言えば政治的な中立性を害さない。そんなのはおかしいです」
「僕は籾井さんが言っていることは極めて正論。日本人が、特に僕らの世代が籾井さんの考え方を勉強して、反論できるなら反論を考えた方が良い。学校現場で。どこが問題なのか。今まではそういうことを考えることなく、発言すること自体がダメという風潮だったが、非常にね、僕が言ったところで世間はわーっと「橋下が言った」ということでこうなったが、NHK会長で、それなりの経歴のある人がああいうことを言われたということで、日本国民はしっかりここで考えなきゃいけないと思う。発言が悪いというなら、どの部分が悪いのか論理的に言わないといけない。論理的に論破できる人はいないと思いますよ」
--政治家や新聞社と違い、NHKは放送法で中立が定められている。受信料で成り立っている。NHK会長が発言したことについては政治的に意味ない発言…なんてのはあり得ないのでは?
「問題ないんじゃないですか。だから、政治的中立性と言うが、政治的に意味のない発言なんてのはあり得ない。何か発言すれば、必ずそこには何か政治的な意味が含まれていて、今まではメディア、特に朝日や毎日がすぐ騒ぐから、彼らが反対するようなことを言わなければ、たまたま何も騒がれなかっただけ。でもそこに政治的な意図は入っていると思いますよ。NHKの番組自体だって、政治的な意図は入っているじゃないですか。慰安婦問題とか、戦争責任を追及した裁判の番組にしたって、番組には必ず政治的な意味っていうのは入っている。でもそれは仕方ない。中立性というものは、現場が何か作るときに政治権力で編集権や番組作るところに介入してくることが問題だが、トップが発言することというのは何ら問題ないと思う。発言したうえで、そのような見解で現場に介入したら問題だと思うが。政治的中立性という言葉も、もうそろそろ、日本人は考えないといけないと思います。何かやろうと思えば、政治的な意味は含まれてくる。政治的中立性というのはどういうことなのかをしっかりしっかり考えないといけない」
--維新としては国会では問題にする必要ないと?
「いやどこが問題なんですか籾井さんの発言の。誰もたぶん、論理的に反論できないと思う。僕が言っていることと同じだから、僕だって論理的に批判受けたら論破する自信はあるが、そういう議論の場が与えられなかったから一方的に悪いと言われたが。籾井さんや僕の発言に問題があるならどこかということ。モラル上は悪い、現在は悪い。当時だって、やっていいことかといったらだめなことでしょう。二度とやってはいけない。でも世界各国、当時、戦争時は似たり寄ったりのことはみんな戦場と性の問題は、現代の紛争においてすらずっとある。古代の戦争からずっとあったわけです。そいうことをどうやって止めるかをこれから考えないといけないが、そういうことはあったのは歴史的な事実。日本も反省するが、日本だけが袋だたきに遭っている状況は『違う』ということを言わないといけない。米国だって、こういうことはやってはいけない、やめていこうと、ヨーロッパや米国の価値観だったらそういう。でも現実問題として、第二次世界大戦とかそれ以降、米国も英国もフランスだって、戦場で女性を性の対象としてみんな利用していた。なぜ日本だけが袋だたきに遭うのか。それは、国家が組織的に女性を拉致した。人身売買した。世界の戦場の性の問題とは特殊なことをやっていたという風に、世界に広まってしまっているから」
「日本だけが特殊だと批判を受けている。日本だけが本当に特殊なんですか。反省はするし、二度とやってはいけないが、日本がやっていたことだけが世界から袋だたきに遭うような特殊性があったなら、どこが特殊なのかしっかり検証しないといけない」
「韓国だって、朝鮮戦争の時には慰安婦制度をしっかり設けてやっていた。なぜ設けるかと言ったら、強姦が多発するとか、性病が蔓延するといろんな理由でね、慰安婦制度を朝鮮戦争の時に持っていたというのは、韓国の軍事史の中でもはっきり位置づけられている。そういうことを検証せずに日本だけ言われっぱなしで、朝日や毎日などのメディアがずっと日本が悪い、一切発言できないような雰囲気を作ってきたからこういう状況になったけれど、ちゃんと歴史を勉強して、戦場と性の問題、どういう事実が歴史的にあったのか、二度とやってはいけないが、日本だけが袋だたきに遭うというのはどういうことか、日本人は考えないといけないと思いますよ」
韓国への修学旅行で強制的に慰安婦に謝罪させられる日本の高校生達
旅行中、元従軍慰安婦のおばあさんのお話を聞く機会があったんです。
お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。
???、確かにに私たちは日本人だけど、どうして手をついてまで謝らなくちゃいけないんだろうと疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう」
と言いだし、先生が「申し訳ありません」と最初に頭を下げました。 突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声!
私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして俺が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。
その生徒は普段みんなに怖がられている悪い生徒でしたが、このときばかりはみんなその生徒に同調していました。
一番頭のいい男子生徒が普段は先生に口答えとかしたとこ見たことないのですが、猛烈に先生に 抗議しました。それに同調するかのように「私はしない」「やらない」の声があがり始めもう周りは騒然としました。
そうしたら韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生に怒鳴りつけていました。 元慰安婦のおばあさんが激しい怒った口調で言っています。
それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、先生方が
「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」
と言って、結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。私は納得がいかない思いでいっぱいでした。
確かに私たち日本人の祖先が過去に韓国の人に苦痛を与えたのかもしれませんがその理由で私たちが土下座をする必要があるのでしょうか?
これは修学旅行の第一日目におこったことでその後は、もうめちゃくちゃでした。 友達の中には先生に切れてさらに韓国が大嫌いになった人もたくさんいます。
こういうこと(謝ること)は普通なのですか?
付け火して煙り喜ぶ朝日新聞。藤岡信勝氏「白旗を掲げつつ進軍ラッパを吹くような卑劣で許しがたい挙に出た」
世界に広げられた慰安婦問題の解決には、2つのルートしかないと考えてきた。一つは政府による河野談話の撤廃であり、もう一つは、このプロパガンダの製造・普及の責任主体である朝日新聞社が、報道の誤りを認め、公表し、謝罪することだ。
この度、朝日新聞は自社の慰安婦報道の核心をなす3点の誤りをついに認めるに至った。すなわち
- 慰安婦を強制連行したとする吉田清治証言を「虚偽だ」と判断し、記事を取り消した
- 女性を戦時動員した女子勤労挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた
- 朝鮮や台湾では「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と認めた
の3点である。
画期的なことだ。これによって“慰安婦強制連行説”は完全かつ最終的に崩壊した。残るのは「戦地にも遊郭があった」という単純な事実だけである。
世界中のどの国の軍隊も将兵の性処理システムを持っていた。日本の慰安婦制度は(1)戦場での敵国女性の保護(2)将兵の性病予防-という2つの目的を果たす模範的な制度だった。
ところが、朝日新聞は8月5日付1面に杉浦信之編集担当の「慰安婦問題の本質 直視を」と題する論文を掲載し「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と宣言した。これでは元の木阿弥となる。
一体、何が問題なのか。
論文は「軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた」ことが「問題の本質」だと主張する。「女性の尊厳と名誉」なる文言は河野談話からとったのだろうが、慰安所があったことが本質だと言うのだから話にならない。
付け火して煙り喜ぶ朝日新聞-。
朝日報道への批判は燎原の火の如く広がっている。今回の異例の検証は、朝日新聞のコアな読者層にまで疑念が広がったことへの危機感の表れではないか。
だが、朝日は根本的な路線転換を避けている。まるで白旗を掲げつつ進軍ラッパ
声を上げた保守系市民「慰安婦の実像知って」(2014年7月)
「慰安婦問題が世界に広まっているのは、左派系市民団体が国連に働きかけているのが原因だ。国連に問題があることを多くの人に知ってもらい、立ち上がってほしい」
東京都内に住む主婦、山本優美子が今月中旬、国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)を訪れたのはこんな思いからだった。
15、16両日に開かれた自由権規約委員会の対日審査をめぐり、左派・リベラル系の非政府組織(NGO)による委員へのロビー活動に可能な限り楔を打ちたいと考えたのだ。
山本は、国内外での反日活動の阻止を目指す民間グループ「なでしこアクション」代表でもある。国内では慰安婦問題で事実と異なる意見書などを決議した地方議会、海外では慰安婦碑・像の設置案が浮上している自治体などに対し、手紙やファクス、電子メールで慰安婦の実像を伝えてきた。
平成23年にインターネット上にサイトを立ち上げ、今では世界各地からネットを通じて反日活動の情報をいち早く入手している。
今回、ジュネーブ入りしたのは、山本をはじめ米カリフォルニア州グレンデールの慰安婦像撤去訴訟の原告の一人、目良浩一や、「テキサス親父(おやじ)」の呼び名で知られる米テキサス州在住の評論家、トニー・マラーノら計11人。
慰安婦問題で日本の名誉を守ろうとする立場の個人・諸団体によって25年7月に結成された連絡組織「慰安婦の真実国民運動」として、国連側に参加を登録した。
山本は慰安婦問題がなくならないのは「左派系市民団体と国連の間にマッチポンプの関係があるから」とみている。
左派・リベラル系団体が「日本が慰安婦問題で謝罪していない」などと主張する誤った内容の報告書を人権関係の委員会に届け、委員会はそれを基に日本に謝罪や賠償などを求める勧告を出す。その勧告を使って報告書を書いた団体が日本政府に圧力をかける-という構図だ。
「国連は人権侵害の被害者側に立つ組織とはいえ、事実を知る必要があるのではないか」
そう考える山本たちは「慰安婦イコール性奴隷」説を否定する見解をまとめた資料を作成した。ビルマ(現ミャンマー)で米軍に捕らえられた慰安婦たちが、破格の高収入を得て、買い物やスポーツを楽しんでいたと認定した1944年の米軍報告書や、朝鮮半島での慰安婦募集の広告のコピーなどを説明した資料を添付したものだ。
山本たちは15日の審査が始まる前のわずかな時間を使い、審査会場に姿をみせた委員たちに「読んでください」といいながら資料を手渡した。
すると、委員の一人が「慰安婦のことならもう知っている」と反応した。山本は間髪を入れずに「これは違う立場の主張です」と付け加えた。この委員が「知っていること」とは、90年代から左派・リベラルが主張する「慰安婦イコール性奴隷」説だ。彼らの20年以上にわたるロビー活動は国連にすっかり浸透していることがうかがえた。
そんな山本たちのそばでは、民族衣装「チマチョゴリ」を着た日本の朝鮮大学校の女子学生らが、朝鮮学校の高校無償化除外問題の資料やDVDを配っていた。さまざまな団体がそれぞれの主張をまとめた資料を委員の机上に置いていく。
「すでにこんなに資料をもらっている」と困惑顔の委員もいた。国連は熾烈なロビー活動の舞台なのだ。
慰安婦に対する海外の認識
韓国
2004年2月、韓国国内で挺身隊(韓国では慰安婦の意)をテーマにした映像・写真集が民間業者によって企画・撮影されたが、被写体の女性が上半身裸であったことから「商業的ヌードに挺身隊のイメージを利用するのは冒涜だ」と市民から猛抗議が起きた。結果、企画は中断されることとなったが、未だに韓国で慰安婦問題が大きな問題として存在していることを象徴する事件であった。
韓国「慰安婦事業」予算、2.3倍に増額(2014年1月)
韓国女性家族省は27日、従軍慰安婦関連の事業予算を2014年度(1~12月)、昨年度比2.3倍の45億8700万ウォン(約4億3400万円)に増額したと発表した。
ここ数年では最多。広報予算を大幅に増やし、慰安婦問題を国内外でアピールする狙いがある。
同省によると、「被害者の名誉回復、歴史意識の向上事業」に、予算全体の約7割に当たる33億8300万ウォン(約3億2000万円)を配分した。主な事業としては、国内2か所の慰安婦関連施設の建設に7億ウォン(約6600万円)を投じる。
「日本軍は私たちを生き埋めにし、自殺強要した」慰安婦でたらめ証言、韓国HPで子供向けに
韓国・女性家族省の公式ホームページに掲載されている慰安婦問題を扱ったコーナーで、真偽が明らかでない元慰安婦たちの証言がそのまま真実のように扱われ、子供たちの教育資料として使われていることが5日までに分かった。
同省のサイト内にある「日本軍慰安婦歴史館」には、子供たちにも慰安婦問題を分かりやすく理解してもらおうと、写真やアニメーションなどを使って制作された「おばあさんの一生」という動画コーナーがある。
このコーナーでは、アニメで元慰安婦のおばあさんが登場し、「日本軍慰安婦とは何ですか」「“慰安婦”たちはどのようにしてどこへ行ったのですか」といった子供の質問に答える形で、慰安婦問題を説明している。
その内容をみると、慰安婦については「日本軍の性的奴隷になった女性たちをいう」と定義した上で、「日本の軍人に虐待されて死に、生きて帰ってきた人は多くなかった」と証拠もなく、真偽が疑われる内容をそのまま紹介。また、「朝鮮総督府が警察と憲兵などを動員して暴力的に女性たちを強制的に連れて行ったりした」と説明している
さらに「拒否すれば鞭で打たれ、徹底的に日本軍が監視していたので逃げるのも難しかった」「日本軍は性犯罪の残虐性が世の中に知られるのを恐れ、戦争に負けると同時に私(慰安婦)たちを生きたまま土に埋めたり、自殺を強要するなどさまざまな方法で殺そうとした」などと、明白なでたらめや史実を脚色した内容も含まれていた。
日韓問題に詳しい日本の専門家は「慰安婦問題については、韓国政府やマスコミが元慰安婦の支援団体『挺身隊問題対策協議会』などによる“日本たたき”に同調し、事実を誇張したり、脚色したりして国民や国際社会に伝えている実情がある。そのため韓国民は、日本政府が公式に慰安婦の存在と責任を認めていることなどを知らされておらず、問題解決を難しくする一因となっている」と指摘している。
モンゴル
中国・内モンゴル自治区出身の文化人類学者で、現在は日本に帰化して静岡大の教壇に立つ大野旭(ペンネーム・楊海英)教授から近著が送られてきた。書名は『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(5)』(風響社)といい、モンゴル人女性たちが中国人から受けた性的被害を記した記録である。
添えられた手紙にはこうしたためられていた。
「朝日新聞による(慰安婦報道の)でっちあげとは異なり、私は長年にわたって調査研究してきております」「戦時ではなく、平時における中国政府と中国人による性犯罪をこれから、国際社会は裁くべきだ」
大野氏が調べた中国政府の公式見解によると、文化大革命時に内モンゴル自治区では34万人が逮捕され、2万7000人が殺害されたほか、12万人が身体に障害が残る傷を負った。当時、自治区で暮らしていたモンゴル人の実に50人に1人が殺された計算となる。
そしてその過程で、「(妊娠中の女性に対し)手を陰部から入れて子宮から4カ月になる胎児を引き出した」「女性の下着を脱がせて、水に漬かった麻縄で会陰部を前後に鋸のように引く」(ともに同書から引用)などの残虐行為が繰り返されたのだという。
こうした原体験を持つモンゴルでは、韓国などが非難する慰安婦問題はどう映るのか。大野氏に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「先の大戦では、戦勝国側も日本と似たシステムで女性の性を利用していた。韓国もベトナム戦争時に戦場の性の問題を起こしており、それを封印して慰安婦問題で日本批判のキャンペーンをするのは国際的に公正ではない」
「中国はモンゴルだけでなくチベット、ウイグルでも平時に性的犯罪を行っている。それに対して謝罪も賠償もされていない。それを省みず、日本だけを批判するのは問題だ」
物事は第三者の立場でみると理解しやすい。韓国の朴槿恵大統領はバイデン米副大統領と会談した際、「安倍晋三首相の歴史認識が変わらない限り、会っても成果がない」と述べたとされる。もっと謙虚に歴史を直視すべきだろう。
慰安婦問題では、日本の軍・官憲が組織的に韓国人女性を強制連行した資料・証拠は何も見つかっていない。この点について大野氏は「かなりいいかげんな話だ。一方、私の本は被害者、加害者双方の名前入りの中国政府に事実認定された1次資料だ」と語った。
また、大野氏は「戦後、満州などから引き揚げた日本人居留民が朝鮮半島や中国で受けた犯罪を、日本はずっと不問にしてきた」と指摘し、日本のメディアのあり方にも矛先を向けた。
「慰安婦問題が政治問題化したのは朝日の偏向報道がきっかけであり、それに一部の左派研究者もくみした。彼らは中国が私たちマイノリティー(少数民族)に対してやったことは正面から取り上げない。それはフェアじゃない」
大野氏の労作は、現在進行形の犯罪には頬かむりし、事実関係の怪しい過去の掘り起こしに血道をあげることの愚かさを教えてくれる。
欧米
欧米の研究者は慰安婦を“性奴隷”として捉えている人物が多い。ジョージ・ヒックスの著作”The Comfort Women”はその信憑性が破綻している吉田証言に依拠していると言われ、アンドルー・ゴードンはヒックスを重視してまとめたという。国連報告をまとめたクマラスワミ報告も参考文献はヒックスのみに依拠しているという。また、同じく国連で報告書をまとめたマクドゥーガル報告書は慰安所を等しくレイプセンターと呼び、慰安婦20万のうち3分の4の朝鮮人慰安婦が死んだとしていることについて「アジア女性基金」は自民党代議士の放言に過ぎず、まったく根拠のない主張と批判している。さらに、吉見義明はマクドゥーガルが政府調査に基づくと報告した中で実際に政府資料にない箇所を本人を前に指摘したが、マクドゥーガルは無視したという。
国連の他の問題においても性奴隷という言葉が用いられるが、1992年以降、日本弁護士連合会は、NGOと共に国連において慰安婦問題を性奴隷として扱うように働きかけ、1993年のウィーンの世界人権会議において性的奴隷制という用語が国連で採用されたのが始まりであると語っている。
脚注
- ↑ 「北支派遣多田舞台冨塚舞台副島隊調査」(昭和15年1月)
- ↑ 「支那事変ニ於ケル軍旗風紀ノ見地ヨリ考察セル性病ニ就テ」(1936年(昭和15年)10月)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 "米国と韓国の軍の性売買は国際法違反" (“미국과 한국의 미군성매매는 국제법 위반”) 統一TV 2008年10月17日 (韓国語)
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 『日本文化チャンネル桜』2005年6月15日放送
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タグです。 「kankeisiryousyuusei
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 8.0 8.1 8.2 第140回国会 参議院 予算委員会 第2号 平成9年(1997年)1月30日
- ↑ 9.0 9.1 9.2 第140回国会 参議院 予算委員会 第8号 平成9年(1997年)3月12日
- ↑ 10.0 10.1 『たかじんのそこまで言って委員会』2005年4月10日放送
- ↑ 井浦祥二郎 『潜水艦隊』 学習研究社 (2001年6月)
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 吉見義明 『従軍慰安婦』 岩波新書 1995年 4月
- ↑ 吉見義明、川田文子 『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店1997年 7月
- ↑ 1962年の国会において、厚生省(現:厚生労働省)は「慰安婦は、軍属にはなっていないが、敵襲を受けるなどの部隊の遭遇戦で亡くなった場合は戦闘参加者として準軍属の扱いをしているはず」と答弁している。第040回国会 衆議院 社会労働委員会 第27号 昭和37年(1962年)4月11日
- ↑ Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(下)~仕掛けられた情報戦争~によれば、 中京テレビ製作の『IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には』において、元慰安婦の話に対する日本語のテロップは「戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。」となっていたが、実際には、元慰安婦はインドネシア語で「あの朝鮮人は誰だったろう…」と語っていたという。
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「Former_sex_workers_in_fight_for_compensation
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 21.0 21.1 21.2 21.3 21.4 21.5 21.6 Openly revealing a secret life JoongAng Daily (中央日報) July 31, 2005
- ↑ 戦争犠牲者を心に刻む会 (編) 『アジアの声(第11集) 私は「慰安婦」ではない』 東方出版(大阪) 1997年8月
- ↑ 文玉珠は主計将校と偽の結婚の約束をして、結婚前の準備のため家に帰るとして中国の慰安所から朝鮮の家までの通行許可証を得ることで慰安所を脱走したという。
- ↑ 韓国挺身隊問題対策協議会『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(明石書店 1993年)
- ↑ 米国立公文書館所蔵の米軍のレポート“UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Attached to U.S.Army Forces”(1944年夏、北ビルマのミートキーナーにおいて捕らえられた朝鮮人慰安婦二十人と雇い主の日本人夫婦に対して行なった尋問の内容が報告されている)。
- ↑ 金一勉 『軍隊慰安婦―戦争と人間の記録』(徳間書店 新装改訂版版 1992年2月)
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「senjyounosei
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ P138 文玉珠 『ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎 1996年)
- ↑ p301 西岡力 『闇に挑む!』(徳間文庫 1998年9月)
- ↑ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う 下』文藝春秋社 1999年12月
- ↑ 31.0 31.1 吉見義明(編)『従軍慰安婦資料集』I大月書店 1992年12月
- ↑ 高安やえ「女のラバウル小唄」(『戦中派の遺言〈続〉』 櫂書房1979年)
- ↑ 日本占領下インドネシアにおける慰安婦---オランダ公文書館調査報告 山本まゆみ、ウイリアム・ブラッドリー・ホートン
- ↑ 山崎朋子『サンダカン八番娼館』(文藝春秋 1975年1月)
- ↑ 日本の円の価値は、この時期は安定していたが、ブロック経済(又は満州事変)と前後して急低下して日華事変の頃まで6割のレベルが続き、欧州戦争開始以後さらに低下している。 「国際金融」第9回 「円の歴史、PPP」 p13 また、当時日本の大正中期から昭和の第二次大戦前までの物価はほぼ同じレベルにあり、米価は上下変動があり、第二次上海事変からとくに欧州戦争が始まってから大きく上昇が始まる。なお、北川サキの前借りは、10歳で売られた時で300円だったが、3年経って娼婦になるまでの渡航費用と食事代と利息で2,000円になると聞かされたが、北川サキ自身は疑っている。
- ↑ 吉見義明・林博史他 『共同研究日本軍慰安婦』 大月書店 1995年
- ↑ 『朝日新聞』とその系列の「テレビ朝日」にしばしば登場した
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タグです。 「teisyn-party
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 終戦後にアメリカ占領軍相手の女性達を警察が取り締まりの区別上、「特別挺身隊」と呼んでいたという話もあるが、このことは慰安婦と女子挺身隊混同の一因とは見られていない。(いのうえせつこ『占領軍慰安所』 新評論 (1995年8月31)
- ↑ 近年出版された小熊英二『1968』下巻 新曜社 ISBN 4788511649・第17章「リブと『私』」p.713、p.721によれば、初期ウーマン・リブの運動家であった田中美津が1970年当時に書いた著作の中に、「従軍慰安婦という一大便所集団」の「大部分は朝鮮人であった」(同書p.713・便所集団とは、性処理の対象という意味の田中流の言い方)、あるいは「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」(同書p.721)という記述があるとされる。
- ↑ 「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」は、半年後には五十嵐広三、田英夫などの国会議員や、橋本大二郎(橋本龍太郎元首相の弟)を含む120人以上の個人と10以上の団体の賛同を得る。
- ↑ 宋斗会に私淑し、在日二世の日本国籍確認訴訟に取り組む。2005年5月には『朝鮮人徴兵・徴用に対する日本の戦後責任―戦後日本の二重基準』という著作を出版した。
- ↑ [今日の歴史(11月16日) http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2006/11/09/0200000000AJP20061109000500999.HTML] 聨合ニュース 2006/11/09
- ↑ 戦後、「浮島丸」事件の訴訟を起こしたり、指紋押捺を義務づけていた外国人登録制度に抗議をして、霞が関で自らの外国人登録証を焼き捨てたり、慰安婦問題に対して日本政府に謝罪を求める意見広告を新聞に出したりするなど、在日の立場から発言した。
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タグです。 「subetehaasahi
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 第118回国会 参議院 予算委員会 第19号 平成2年(1990年)6月6日
- ↑ 47.0 47.1 要求した六項目とは
1・日本政府が朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認める。
2.公式謝罪する。
3・蛮行の全てを自ら明らかにする。
4・慰霊碑を建てる。
5・生存者・遺族への補償。
6・歴史教育で(慰安婦問題に関する)事実を教える。
(後に責任者処罰が加えられる。) - ↑ 朝日新聞社 『女たちの太平洋戦争(3)---暗い青春の日々』 朝日新聞社 1992年3月
- ↑ 記事を書いた植村記者は、慰安婦問題で訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部の娘と結婚していおり、義母からの情報提供で、韓国よりも先にスクープを書いた
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「teisinntainonade
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ この元慰安婦金学順の同年8月14日の韓国ソウルでの記者会見の話によると、17歳の時、義父によって、華北の日本軍部隊に連れて行かれたことになるが、この1939年(昭和14年)に「女子挺身隊」は未だ存在していなかった。
- ↑ 秦郁彦との対談で、千田夏光は「訴訟を起こした金学順さんの講演記録を読むと、軍による強制連行だったかどうかは不明確なんです。」と述べている。(出典↓)
- ↑ 53.0 53.1 「歴史論争を総括する」(『論座』 1999年9月号)
- ↑ 『ハンギョレ新聞』(現:『ハンギョレ』)1991年8月15日付
- ↑ 日本大使館前の水曜集会、今年の女性運動賞受賞 聨合ニュース 2008/02/27
- ↑ 56.0 56.1 慰安婦「水曜デモ」、8カ国で同時開催 中央日報 2004.03.17
- ↑ 57.0 57.1 日本大使館前の水曜集会、問題解決求め800回目に 聨合ニュース 2008/02/14
- ↑ 『日韓新考』(黒田勝弘 産経新聞出版/扶桑社 2005年 2月)によれば、前年の日本のテレビで、教え子の6人の女子児童を「女子挺身隊」として日本の軍需工場に派遣したソウルで国民学校の教師をしていた日本女性が、戦後、韓国で教え子たちの消息をたずね歩き、全員が無事だったことを確認したという美談が、慰安婦として強制連行されたと誤解されたという。
- ↑ 「パナイ島接客業組合」という資料において、「事業内容」の部分で、酒場、映画などの六項目のうち、最後の「慰安所」という項目だけが、白く消されて公開されていた。その後に公刊された政府資料には、「慰安所」という項目名が復活するが、その下にある責任者の名が黒く消されている。ここは、事業種と事業者・責任者のリストである。(「政府調査「従軍慰安婦」資料集成」2巻202頁)
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「sankei19970309
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 河野・慰安婦談話と石原元官房副長官の証言(『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』 2006/08/28 15:48)
- ↑ 『WILL』2007年5月号
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「sankei19980428
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 『朝鮮日報』2001年2月19日付
- ↑ この当時の韓国教科書では「女性まで挺身隊の名で連れ去られ慰安婦として犠牲にもなった」と記述されている。
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 当時、中山文科相は、歴史教科書の見直しを推進する自民党内の「日本の将来と歴史教育を考える若い議員の集い」での代表であった。
- ↑ 『中央日報』 2005年4月2日付2面
- ↑ 60年もの間求め続ける正義:2005年8月10日の「水曜デモ」を機に、元「従軍慰安婦」とその支援者に連帯を表明する。
- ↑ 「時事ニュース」 2007/03/11-10:49
- ↑ 『中央日報』 2007年3月2日付。
- ↑ 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
- ↑ 衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書
- ↑ 慰安婦問題でトバッチリ喰らった中曽根元首相(『JanJan』 2007年3月24日付)
- ↑ "日本軍、慰安婦強制動員" 『聨合ニュース』(韓国語)。
- ↑ 「組織的強制徴用なし」 慰安婦問題 米議会調査局が報告書(『産経新聞』2007年4月12日)
- ↑ (『時事通信』2007年4月27日)
- ↑ 日本に死刑廃止検討求める。国連委、慰安婦でも初勧告産経ニュース2008年10月31日
- ↑ 元慰安婦の損害賠償請求権譲渡を可能に、法改正推進 聯合ニュース 2009/01/27
- ↑ (韓国語) () 教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋 デイリー・サプライズ [ arch. ] 12月6日
- ↑ 池萬元氏「偽の慰安婦」疑惑を提起、波紋広がる 中央日報 2005.04.14
- ↑ 『朝まで生テレビ!』1997年1月3日放送
- ↑ 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 5』 小学館 2002年9月
- ↑ 呉善花 『「反日韓国」に未来はない』(小学館 2001年9月)
- ↑ 櫻井よしこ「密約外交の代償」(『文藝春秋』4月号)
- ↑ 『共同通信』2007年5月12日付
- ↑ 「慰安婦問題 対日非難は蒸し返し」(Sankeiweb 2007/03/10 06:09)
- ↑ 私が知る「従軍慰安婦」湯浅謙 (季刊『中帰連』第五号 1998年6月)
- ↑ 「日本軍「慰安婦」問題に関する声明」 日本の戦争責任資料センター 2007年2月23日
- ↑ 『親日派のための弁明2』 扶桑社 2004年11月27日
- ↑ 『産経新聞』2007年5月18日付
- ↑ 92.0 92.1 天児都 『「慰安婦問題」の問いかけているもの』 石風社 2001年7月
- ↑ 2002年、韓国・ 慶南大学客員教授(社会学)の金貴玉が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことを明らかにした。1956年に陸軍本部がに編纂した公式記録や目撃者たちの証言がある。韓国軍は1948年の政府の公娼廃止令に背いて、約3年間不法に公娼を設置・運営していた(『朝日新聞』2002年 2月24日付)
- ↑ 米人女性ジャーナリスト、スーザン・ブラウンミラー(Susan Brownmiller)は自著”Against Our Will”(1975年)で、ベトナム戦争中、米軍がベトナム人女性がいる軍公認の慰安所を利用していたことについて詳細なルポを書いている。また、戦後の日本において、「パンパン」などと呼ばれていた進駐軍相手の日本人娼婦がいたことはよく知られている。
- ↑ 2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組「Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution(戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春)」は、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、後にはポーランドやウクライナの女学校の生徒を騙して連れて行き、慰安婦にしたことなどを数多くの報告書や指令文書を元に報じた。
- ↑ 韓国に対しては、ベトナム戦争時に、韓国軍が現地の女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になったことなどが指摘されている。
- ↑ 97.0 97.1 『正論』2005年3月号
- ↑ 世界各国にもあった慰安婦・慰安所(『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』 2007/03/09 16:54 )
- ↑ 「民族的快感、沸く韓国 米の慰安婦決議案 ホンダ議員、英雄扱い」(『Sankeiweb』 2007/03/14 03:24)は日本に対する道徳的優位を誇示するために韓国は慰安婦問題を日本の国家的強制によるものとすることに力を注いできていると指摘している。
- ↑ 「日豪安保宣言が中国『慰安婦カード』を無効にする」 浅川晃広(『諸君!』2007年6月号)
- ↑ 「河野談話」発表に関わった当時、内閣官房副長官だった石原信雄は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で、慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり、「韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない」という状況があったこ語っている。
- ↑ 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(編) 『歴史教科書への疑問』 展転社 1997年12月23日、p314]
- ↑ 韓国の盧泰愚大統領は慰安婦問題の発生について、「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。」と語っている。(『文藝春秋』1993年3月号 )
- ↑ 『正論』 2003年3月号
- ↑ 1993年5月に吉田を訪ね、積極的に反論するよう勧めたが、「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるのでできない」、「回想には日時や場所を変えた場合もある」と言われ、吉田の回想は証言としては使えないと確認したという。
- ↑ 判決としては被告の勝訴なのに、傍論で原告側の主張に沿う憲法判断を示すことを「ねじれ判決」(國學院大學の大原康男教授の命名)と言い、これまでにもいくつかそのような判決が出ており、上告を封じるものになるなどの点で専門家からも批判がある。
関連項目
政府・軍関係
政策・施設
裁判・法律関係
- アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件
- 釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟
- 女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷)
- 高木健一・福島瑞穂
- 芸娼妓解放令
国連関係
歴史認識
元慰安婦
強制連行肯定派
強制連行否定派
比較項目
参考文献
政府資料
- 「女性のためのアジア平和国民基金」(編)『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』 龍溪書舎 1997年3月20日
慰安婦制度の批判論者の文献
- 大韓民国の物語 李榮薫著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02 ISBN 4163703101
- 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会 (編集)、従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク (翻訳) 『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』 明石書店 (1993年11月) ISBN 9784750305486
- 千田夏光 『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』(双葉社1973年)、三一書房 1978年 9月 ISBN 9784380780127
- 吉田清治 『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 三一書房 1983年1 月 ISBN 4380832317
- 吉見義明 『従軍慰安婦資料集』 大月書店 1992年12月 ISBN 9784272520251
- 吉見義明 『従軍慰安婦』 岩波新書 1995年 4月 ISBN 4004303842
- 吉見義明 ・川田文子 『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 1997年 6月 ISBN 4272520504
- 吉見義明・林博史他 『共同研究日本軍慰安婦』 大月書店 1995
- 倉橋正直 『従軍慰安婦問題の歴史的研究』 共栄書房 1994年
- ジョージ・ヒックス 『性の奴隷従軍慰安婦』 三一書房 1995
- 池田恵理子他 『慰安婦戦時性暴力の実態1:日本・台湾・朝鮮編』 緑風出版 2000
- 池田恵理子他 『慰安婦戦時性暴力の実態2:中国東南アジア太平洋編』 緑風出版 2000
- 朱徳蘭 『台湾慰安婦関係資料集』第1巻・第2巻 不二出版 2001
- 尹明淑 『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』 明石書店 2003
- 鈴木裕子 『日本軍「慰安婦」関係資料集成』上下 明石書店 2006
- アジア女性資料センター編 『「慰安婦」問題Q&A編―「自由主義史観」へ 女たちの反論』 明石書店 1997
- ゲイ・J. マクドゥーガル他著、バウネットジャパン訳『戦時・性暴力をどう裁くか―国連マクドゥーガル報告全訳』凱風社 2000
- 国際法律家委員会著 『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』 明石書店 1995
- VAWW-NETジャパン他著『裁かれた戦時性暴力―「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」とは何であったか 』白沢社 2001
慰安婦制度を問題視することに否定的な論者の文献
- 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』 新潮社 1999年6月 ISBN 4106005654
- 藤岡信勝『自虐史観の病理』文藝春秋
- 西岡力『よくわかる慰安婦問題』草思社
- 西岡力 『日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』 PHP研究所 2005年6月 ISBN 9784569643168
- 阿部晃 『日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり』 夏目書房 2005年5月 ISBN 9784860620394
- 大師堂常慰 『慰安婦強制連行はなかった―河野談話の放置は許されない』 展転社 1999年 2月 ISBN 9784886561633
- 黄文雄『「従軍慰安婦」問題』WAC
外部リンク
韓国軍
外務省関係
- いわゆる従軍慰安婦問題について(平成5年8月4日)(PDF)
- 従軍慰安婦問題に対する日本政府の施策(平成19年4月)
- 朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表(平成4年7月6日)
- 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(平成5年8月4日)
- アジア女性基金 政府調査の資料
- 「「従軍慰安婦」関係資料集成」1~5
入り口・1・2。3・4・5 - 「慰安婦」問題とアジア女性基金
慰安婦制度批判派のサイト
- 韓国挺身隊研究所(日本語・文字化け有り/他に英語、ハングル)
- ナヌムの家・日本軍「慰安婦」歴史館
- 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)
- 日本の現代史と戦争責任についてのホームページ 林 博史(関東学院大学教授)
- Comfort Women (オープンディレクトリー: Society: Issues: Warfare and Conflict: War Crimes: Japan)(英語)
強制連行否定派のサイト
- 070.15 「従軍慰安婦」問題(国際派日本人養成講座)