外交官
外交官(がいこうかん)とは、国家を代表し、外国に派遣され、あるいは駐在し、外国政府との外交交渉や国際交流などを行う官職またその官職にある者をいう。
目次
概要[編集]
外交官は国家間のさまざまな外交業務を行う官職である。具体的には国外での国民保護や情報活動、政策立案などを職務とし、その資質としては洞察力、策略の才能、沈着さ、勤勉さ、忍耐力、幅広い教養、高度な判断力が挙げられる[1]。実際には各国とも午前中だけ自国民に窓口を開放するなど、怠慢さ・鈍感力も慣習化され、日本も決してその例外ではない。その活動拠点となるのは大使館、総領事館などの在外公館である。外交官の定義・立場は、長らく国際慣習法にもとづくあいまいな部分の残るものであった。しかしながら、その国際慣習法などをまとめて明文化したウィーン条約が1961年に採択され1964年に発効、以降はこの条約が外交における大使を含む使節団についての派遣・接受(受け入れ)・外交特権などをめぐる基準となっている。
機能[編集]
外交官の機能は象徴的機能、法律的機能、政治的機能に大別できる。象徴的機能とは式典への参加や外務省の訪問などの機能を指す。法律的機能としては国連総会や国際会議での投票、条約署名、批准書交換などの機能が挙げられる。政治的機能は自国政府に対する外交に関する助言や外交政策の形成、政策案の提供などの機能である[2]。また自国の代表、情報収集、外交交渉の担当、自国民の在留者とその財産の保護の四機能に大別することもできる[3]。
歴史[編集]
外交官の起源は、先史時代に人間による社会集団が成立し、その集団同士が接触した際に両者の対立を避けるために代表者を送って利害の調整を図ったことに由来すると考えられている。
古代国家には外交官の原型が存在していた。古代ギリシアや中国春秋戦国時代、ビザンツ帝国などで外交官の活躍が見られ、外交交渉を行うとともに情報収集や政治工作にあたった。
職業外交官が誕生したのは、都市国家による勢力争いが激しかったルネサンス期イタリアであると言われている。1455年にミラノ公国がジェノヴァ共和国に初めて公使館を設置して以後、イタリアの諸国家間で国家間の交渉に専門的に従事する外交官が相互に派遣されるようになり、またカトリックの長であるとともにイタリアの一君主としても位置づけられたローマ教皇も各国に教皇派遣使節を送った。そのシステムは主権国家が形成されるようになった16世紀以後ヨーロッパ各地に広まるとともに、外交慣行の基礎が形成された。
絶対王政期には、宮廷内部において国家の重要な政策決定が行われることが増加し、そのために君主あるいはその側近との個人的関係が外交交渉の成否に深く関わるようになった。一流の外交官は公式の場ではなく、夜中に接受国の君主の寝室に通されて直接重要交渉を行うものとされていた(閨房外交(Boudoir Diplomacy))。そのため、外交官には国王や貴族との交際を成立させるための知識と教養と財力、そして容姿や礼儀などの外見的要素も必要とされた。また、接受国における主君の代理として自国の名誉を守る責務も課されており、接受国での宮廷内における外交官同士の序列が時には互いの国家の尊厳に関わるものとして時には激しい議論や決闘にいたる例もあった。そのため、外交官には貴族や軍人などが任命されることが多かった。その後、国民国家の成立とともに宮廷外交・閨房外交の時代は終わり、交渉能力とともに相手国の各種情報を総合的に蒐集・報告する能力が求められるようになった。こうした中で職業外交官も外交専門職任用試験を経た人材が登用されるようになっていった。
外交官の地位や外交特権など待遇に関する規則は1815年のウィーン規則及び1818年のエクス・ラ・シャペル規則で基礎が定められ、1961年の外交関係に関するウィーン条約及び1963年の領事関係に関するウィーン条約によって修正が加えられて今日に至っている。
外交官特権[編集]
外交官には、任務の能率的な遂行を確保するため、国際法によって身体の不可侵(拘束されないこと)や裁判権からの免除などの特権を与えられている。特権の内容は、大使館員であるか、領事館員であるかによって異なる。これを外交官特権という。詳しくは該当項を参照。
条件[編集]
外交官は、外交使節団に属する。外交官として認められるためには、派遣する国がその者を外交官として派遣することを接受国(受け入れる国)に打診し、合意(アグレマン)が成立する必要がある。アグレマンが成立した場合に該当者は接受国内において外交官と認められ、派遣した国を代表する交渉相手として扱われるほか、外交特権を享受する。接受国側がその者を外交官として扱うべきではないと判断した場合、ペルソナ・ノン・グラータの通告を行うことで、外交官としての立場を失う。ペルソナ・ノン・グラータの通告は事前(着任前)でも事後(着任中)でも良い。
日本の外交官制度[編集]
外交官の種類[編集]
外交官の種類は慣習国際法上一定の原則があり、日本もこれに則って外交官の名称を「外務省設置法」、「外務公務員法」(昭和27年法律第41号)及び「外務職員の公の名称に関する省令」(昭和27年外務省令第7号)により次の通り定めている。ただし参事官~在外公館警備対策官については、外務大臣が「公の便宜のために必要があると認める場合には、国際慣行に従い、第二条及び第三条に掲げる公の名称の一又は二以上を用いることを命ずることができる」ものであり、戦前は官名であったが現在は正式の官名あるいは職名ではない(正式の官名は外務事務官)。その為、外国に赴任して大使、公使、総領事、参事官などになった者も、国内に戻ると大使、公使、総領事、参事官ではなくなるが、儀礼的にこれらの職名で呼ばれる場合がある。また、外交儀礼上、本来の職位よりも一段上の「公の名称」を名乗ることが許される場合がある(名称大使、ローカルランク)。
- 特命全権大使 (Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary)
- 特命全権公使 (Envoy Extraordinary and Minister Plenipotentiary)
- 在外公館たる公使館の公館長。ただし1967年に日本の公使館はすべて大使館に昇格しているので、このような意味での特命全権公使は存在しない。現在は、各国の大使館で特命全権大使に次ぐ次席館員を単に「公使」(Minister) と呼び、そのうち外務省入省年次が一番上の数名に「特命全権公使」の名称を付与しているにすぎない。したがって、特命全権公使が置かれる国は、実は外務省内の人事によって左右され、しかも年々変わるというのが現状となっている。
- 参事官 (Counsellor)
- 書記官
- 一等/二等/三等書記官 (First/Second/Third Secretary)
- 外交官補 (Attaché)
- 主に外交事務に従事する職員。このうち「外交官補」は、大使館などに配属された語学研修を行う若手外交官のみが用いる。
- 領事官
- 総領事 (Consul-General)
- 領事 (Consul)
- 副領事 (Vice-Consul)
- 領事官補 (Attaché)
- 主に領事事務に従事する職員。このうち「総領事」の名称を用いるのは在外公館たる総領事館の在外公館長だけである。また「領事官補」の名称を用いるのは、領事館などに配属された語学研修を行う若手外交官だけである。
- 理事官
- 一等/二等/三等理事官 (First/Second/Third Attaché)
- 副理事官 (Assistant Attaché)
- 主に外交領事事務に直接関連する業務に従事する職員。ただし現在は、三等理事官以外はほとんど存在しない。
- 外務書記
- 外交事務、領事事務または外交領事事務に直接関連する業務の一般的補助業務に従事する職員。ただし現在は存在しない。
- 電信官
- 一等/二等/三等電信官
- 電信官補
- 主に電信符号の組立て、もしくは解読または電気通信事務に従事する職員。ただし現在この「電信官」という公称を用いる外務省職員はなく、電信担当官は「書記官」または「領事」の名称を用いている。
- 通訳官
- 一等/二等/三等通訳官
- 通訳官補
- 主に通訳事務に従事する職員。ただし現在この「通訳官」という公称を用いる外務省職員はなく、通訳は語学に秀でた職員が随時担当している。
- 翻訳官
- 一等/二等/三等翻訳官
- 翻訳官補
- 主に翻訳事務に従事する職員。ただし現在この「翻訳官」という公称を用いる外務省職員はなく、翻訳は語学に秀でた職員が随時担当している。
- 防衛駐在官 (Defense Attaché)
- 諸外国の駐在武官に相当。在外公館に勤務し、主に防衛に関する事務に従事する職員。事実上、全員が陸・海・空自衛隊から出向している幹部自衛官(主に佐官クラス)であり、自衛官としての身分及び外務事務官としての身分を併有して任命される。自衛官としての階級を公称し、自衛官の制服を着用し、儀礼刀を佩き、飾緒を着用する。この防衛駐在官は全員が自衛官で占められており、外務省出身者や他の省庁からの出向者は一切いないが、法文上は自衛官に限られるものではない。通常はこれに加えて「参事官」「書記官」などの名称も用いる。
- 医務官 (Medical Attaché)
- 在外公館に勤務し、主に医務に関する事務に従事する職員。外務省が募集した医師が用いる名称だが、通常はこれに加えて「参事官」の名称も用いる。
外交官の任免[編集]
外交官の任免は、
- 大使・公使・領事 → 外務大臣の申し出により内閣が行い、天皇がこれを認証する(認証官)。
- 参事官・書記官・理事官・外務書記などの外交職員 → 外務大臣が行う。
- 外交職員(特別の技術を必要とする外交領事事務などに従事する職員)→ 外務省令で定めるところにより、外務大臣が行う。
採用[編集]
大半の外交官は国家公務員I種試験(平成12年までは外務公務員I種試験、公務員試験の項参照)および外務省専門職員試験、国家III種試験等に合格して外務省に入省した職員から選ばれる。前者出身の外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命される。それに対して、後者出身及び同等の経歴の者から任命される外交官を同様に「ノンキャリア外交官」と呼称することがあり、その多くは栄進したとしても本省のごく一部の幹部職や中小国駐在の大使等で外交官としての経歴を終わることになる(キャリアの項も参照)。
なお、例外的に一部の大使や公使には学識経験者等の民間人や他省庁出身者が任命されることもある。また書記官には各省庁からの出向者が、在外公館警備対策官等には警察庁・防衛省・法務省入国管理局・公安調査庁・海上保安庁からの出向者が、それぞれ任命されることもある。
待遇[編集]
日本国の外交官に対しては、在外公館における勤務に必要な経費に充てるために(通常の給与に加えて)在勤手当(非課税)が支払われ、平成17年度において総額256億7188万7000円の予算が計上された。支払対象は約3,000人とされる(一人当たりの単純平均額は約856万円)。
日本の有名な外交官[編集]
- 陸奥宗光 - 明治期に不平等条約の改正に尽力。下関条約全権。
- 青木周蔵 - 明治期の外交官。ドイツ滞在通算21年。二度目の妻はドイツ貴族の娘。外相も数度歴任。
- 小村寿太郎 - ポーツマス条約全権。日露戦争後の外交に強い影響。
- 諸井六郎 - 小村寿太郎と共に陸奥条約改正に尽力し、ジュネーブでのILO総会では使用者代表顧問を務めた。
- 堀口九萬一 - メキシコ革命に際してフランシスコ・マデロ大統領の遺族を保護。
- 松岡洋右 - 満鉄総裁・外務大臣、国際連盟脱退時のジュネーブ総会首席全権。
- 野村吉三郎 - 太平洋戦争日米開戦時の駐米大使。
- 来栖三郎 - 日独伊三国軍事同盟締結当時の駐ドイツ大使、日米開戦時の交渉担当大使。
- 杉原千畝 - 第二次世界大戦期の在カウナス(リトアニア)日本領事館領事代理。
- 幣原喜重郎 - ワシントン会議全権。戦前、国際協調路線の「幣原外交」を推進。戦後、内閣総理大臣に就任し日本国憲法の制定に関わる。中でも第9条は幣原が発案したとする説がある。
- 重光葵 - 東條内閣・小磯内閣で外務大臣。連合国への降伏文書調印において、日本政府全権として署名。
- 廣田弘毅 - 外務大臣・内閣総理大臣、A級戦犯として処刑。
- 吉田茂 - 元駐英大使、戦後占領下で内閣総理大臣。
- 加瀬俊一 (1925年入省) - 初代国連大使。※5期上に同姓同名の外交官がいる。
- 小和田恒 - 元外務事務次官・国連大使・国際司法裁判所判事、皇太子妃雅子の父。
- 皇太子妃雅子 - 旧名、小和田雅子。ただし同妃は旧外務公務員I種試験に合格して外務省に入省したが、外務省職員としては国内勤務のみを経験し、長期に亘って在外公館において勤務した経験がなく、その意味でいわゆる「外交官」経験者と呼びうるかどうかに関しては議論がある。
- 奥克彦 - イラク復興支援に尽力、2003年11月殉職。大使。
- 井ノ上正盛 - 奥克彦とともにイラク復興支援に尽力、2003年11月殉職。一等書記官。
- 佐藤優 - 元国際情報局主任分析官、2002年背任等により逮捕・起訴(休職中)。
- 岡崎久彦 - 元駐タイ大使、1982年外務省退官、外交評論家。
- 青木盛久 - 元駐ペルー大使、ペルー大使在任中にペルー日本大使公邸占拠事件に遭遇。
関連項目[編集]
- 外交 外交交渉 外交政策
- ペルソナ・ノン・グラータ
- 外務省 大使館 総領事
- 大使 駐在武官
- 待命大使 名称大使 政府代表 全権委員
- 特命全権大使 臨時代理大使
- キャリア (国家公務員)#外務キャリア
- ローカルランク
- 味の外交官
脚注[編集]
- ↑ カリエール著『外交談判法』坂野正高訳(岩波文庫、1978年、128ページ)
- ↑ モーゲンソー 『国際政治学』現代平和研究会訳、(福村出版、1986年)547ページから550ページを参照
- ↑ 坂野正高 『現代外交の分析』(東京大学出版会、1971年)58ページ
参考文献[編集]
- 西川吉光 『現代国際関係論』 晃洋書房
- アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫上下, 1961年/平凡社東洋文庫に伝記ほか)
- 安成英樹「外交官」(『歴史学事典 8 人と仕事』(弘文堂、2001年) ISBN 978-4-335-21038-9
- 木村昌人編『外交』(日本史小百科 近代 東京堂出版 1999年)
- ニコルソン 斎藤真訳 『外交』(UP選書 東京大学出版会 1968年)