刑務所

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刑務所は何らかの法令に反する行為に及び(または状態に達し)、裁判判決により身体拘束を伴う刑罰懲役禁錮など)が確定し、その刑に服することとなった者を収容する施設のことをいう。法務省施設等機関とされ、同省矯正局が所管している。

なお、全国の刑務所のうち、医療的な処置が必要な者を収容するために設けられた刑務所を医療刑務所と呼び、2007年5月から開始されたPFI方式を採用して新設される刑務所は、「社会復帰促進センター」と呼ばれる。また、飲酒運転など重大な交通違反交通事故を起こし、禁固または懲役の刑を受けた者を収容する刑務所を交通刑務所と呼ぶことがある(市原刑務所千葉県市原市)・加古川刑務所兵庫県加古川市)など)。詳しくは収容分類級を参照のこと。

概要

刑務所、少年刑務所及び拘置所を総称して「刑事施設」という。このうち、刑務所及び少年刑務所は、主として受刑者を収容し、改善更生、社会への円滑な復帰などを目的とするさまざまな処遇を行う施設であり、拘置所は、主として刑事裁判が確定していない未決拘禁者を収容する施設である。刑務所及び少年刑務所では、受刑者への指導を通じてさまざまな処遇を行っており、2006年(平成18年)現在、全国に67庁(その他にも若干の支所がある)が設置されている。

拘置所では主として勾留中の被疑者被告人を収容し、これらの者が逃走したり、証拠を隠滅したりすることを防止するとともに、公平な裁判が受けられるように配慮すべきとされており、2006年現在では全国に東京拘置所など7庁が設置されている。なお、拘置所7庁の他に、全国の刑務所の下に「拘置支所」が多数置かれている。2006年現在、全国の刑務所、少年刑務所及び拘置所(それらの支所を含む。)においては約16,000人の刑務官が勤務している。

2013年11月25日発表された法務省矯正統計統計表によると、2013年9月末時点で、刑務所と拘置所に収容されている人数は63,897人である。

歴史

  • 律令制下の日本では刑部省の下に獄所を掌る囚獄司が設置され、都にあった左右の獄所を監督していたことが知られている。『延喜式』によれば、囚人は鈦または盤枷を嵌められて3・4人の組を編成され、日中は鈦・盤枷を外されて労役に従事した。後に検非違使が獄所を監督するようになった。だが、平安時代後期になると機能が衰退し、11世紀には獄舎は破損して脱獄が容易になり(「万寿3年8月26日左看督長紀延正等解」『平安遺文』505号)、また代替施設として用いられた検非違使職員の屋敷などでは囚人は鈦・盤枷は嵌められず、邸内は自由に行動でき、籠居した者よりも良い待遇を受けていたという(『小右記長和2年8月15日条・『宇槐記抄仁平2年5月12日条など)。その背景として、罪人といえども人間を特定の場所に幽囚することを罪悪視する当時の観念が影響したとみられている。それでも京都の右獄は鎌倉時代後期まで、左獄は戦国時代まで存在していた[1]
  • 江戸時代には裁判待ちの者や死刑執行待ちの者を収容する施設として牢屋があった。江戸、小伝馬町の牢には、天明の打ちこわしや、天保改革の時には最大900名も収容されていたが、基本的には未決囚の収容施設で幕府は収容期間の短縮をはかって、6か月以内に処分を定める原則を作っていた。吉田松陰は6カ月ばかり入獄していた。処分は、死刑、遠島、追放、刺青、鞭打ちなどである。
    • 肥後藩の宝暦の改革をなした細川重賢(1720-1785)は、『刑法叢書』を作り、それまで死刑か追放刑という刑罰内容だったものを変更し、追放刑を笞刑(むちで打つ)と徒刑(懲役)に減刑。刺青と眉を剃らせた。(5日に1回で、眉なしと呼ばれた)罪人の社会復帰を容易にした。死刑以外は15日以内に判決がきめられた。この『刑法叢書』は明治憲法下の刑法の手本とされ、熊本から多くの人材が司法畑に採用された。徒刑小屋を現在の熊本市一新小学校の所に作った。懲役刑受刑者は、晴天の日は引率されて土木工事に従事、雨天は作業場で手仕事をして、賃金をもらい半分は生活費、刑期を終えた時に元手金とした。
  • 明治時代に入り、律令制の復活による徒刑が導入された。1872年に欧米諸国に学んだ監獄則が制定され、1879年に国立の集治監東京都宮城県に建設され、少年矯正施設なども作られた。その後1908年に監獄法が制定され名称を監獄とした(監獄という名称は、1922年(大正11年)に、組織法上、刑務所及び少年刑務所と改められた)。この監獄法は、制定後、2005年(平成17年)5月18日に国会で可決された、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律2006年(平成18年)5月24日に施行されるまでの約100年もの間、日本の行刑政策の根幹をなす法律であった。なお、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律は、2007年6月1日刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律に改正され、現在に至っている。
    • 日本帝国は各地に衛戍司令官を作った。衛戍司令官はその衛戍地警備の責に任じ、兵力使用の権限も与えられた。各衛戍地には所用に応じて衛戍病院、武庫、衛戍監獄(後に衛戍刑務所、衛戍拘置所となる。)が置かれ、衛戍司令官が所管した。大正4年に作った熊本市の地図に衛戍監獄という施設がある。(以前は陸軍監獄であった)
  • 1947年8月日本共産党は患者にも参政権が認められたので、ハンセン病療養所である国立療養所栗生楽泉園を訪れ、そこに懲戒検束規定に基づく特別病室,別名「重監房」を見学した。そこでは22人が獄死していた。国会で論議となり、悪質な患者の処分に困窮した療養所は刑務所の建設を要求、また厚生省は代用監獄案を提出した。その後、国立療養所栗生楽泉園で韓国朝鮮系の患者により3人が殺害され、刑務所の必要性が認められた。更に熊本県藤本事件が発生し、国立療養所菊池恵楓園に接続して1953年に法務省管轄下の菊池医療刑務支所ができた。一般のハンセン病療養所の入所者は、菊池医療刑務支所から出所した患者を療養所に受け入れず、様々な問題を残した。1982年に古い建物はは更新されたが、1996年らい予防法廃止時その機能は廃止された。長年入所者はいなかった。
    • 囚人労働
      • 産業革命を支えたエネルギーは石炭であった。三池炭鉱は最初は政府直轄であったが、後で三井組が払い下げをうけ、三池炭鉱となった。ここには福岡、佐賀、長崎、熊本の監獄から囚人が送られて労働した。
      • 明治時代、阿蘇の難路の工事は熊本監獄の囚人により完成した。熊本の三角港の完成にも300人の囚人が使役された。3年余におよぶ過酷な労働で死亡した囚人69人を合葬した「解脱墓」が天草五橋1号橋の道路わきの林の中に建っている。

機能

日本においては自由刑執行する場所としての機能を有すると同時に、受刑者の改善更生のための働きかけを行っていく機関である。

なお、死刑判決を受けた者は刑務所には収容されることはなく、拘置所に収容され、刑の執行を待つこととなる。

刑務所に収容されると、刑務作業以外にも改善指導、教科指導といった矯正処遇が行われる。つまり、受刑者の社会復帰を助ける機能を有しているともいえる。

特徴

他国の刑務所の目的が「刑罰を犯罪者に与える」場所と位置付けられているのに対し、日本の受刑者処遇の基本法となる「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」は、第30条に受刑者処遇の原則について「その者の資質および環境に応じ、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起および社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする。」と規定した。

この規定により、日本の刑務所は、「自由刑の執行のために存在する行刑機関」であるのと同時に、「犯罪者の改善更生、再社会化に向けて、受刑者に対して各種の働きかけを行う機関」であると考えることができる。

すなわち、反社会的行為(=犯罪行為)により収監された者を、「作業・改善指導・教科指導」といった矯正処遇を始めとする各種の指導を通じて改善更生させ、社会の有用な成員として出所させるというのが日本の刑務所である。

その運営について、日本の刑務所は収容定員に対して職員数は非常に少なく、通常は施設警備隊以外の職員は警棒すら持たない完全な丸腰であるにも関わらず、暴動や脱走が極めて少ないという特徴がある。それゆえ、徳島刑務所での暴動事件が与えた衝撃は一般人のみならず関係者に対しても大きかった。

情報公開についても積極的に進めようとしているようであるが、やはり刑務所が極めて閉鎖的かつ特殊な空間であるのは事実にはかわりはなく、各種法律等を根拠に受刑者は多くの自由(人権)が制限されるのだが、元受刑者や刑務官への取材、あるいは内部告発により、受刑者に対する必要以上の人権の制限が疑われる事例が多数報告されている。

職員については国家公務員という身分でありながら幹部職員以外はほとんど転勤がない。また、世襲が多いともいわれている。それゆえ、各施設ごとに職員間における施設文化はまったく違う。これは、外部と隔離された特殊な環境下における被収容者の心情を考えたとき、担当職員が何度も変わることがなく心情安定に資する、仮に担当が変わったとしても、それは所内異動であることがほとんどであるため、引き継ぎなどもスムーズに行えるという利点があるが、職員間にあっても閉鎖的な世界を作ってしまうため、陰湿ないじめや派閥の形成、不正の隠蔽工作が行われやすいという問題点もある。

また、ここ数年の公務員削減の波に反して、PFI施設4庁に加え、新たに増改築や新設予定の施設もあり、刑務官全体の数は増員されている。しかし、ここ数年の世代交代で、有能な幹部職員やベテランの一般職員の多くが定年退職を迎えており、その流れは当面続くと思われる。若手を指導する立場の優秀な職員が減っており、現場では処遇力の低下が問題視されている。

なお、日本の刑務所においては、現在、男性受刑者に対して丸刈りの強制が行われている。


また、諸外国の刑務所と同様に日本の刑務所でも検身が行われている。男子刑務所の場合、通称カンカン踊りと呼ばれる所定の動きで身体を隅々まで見せる検査が以前までは裸体で行われていたが、制度が変更され、以降はパンツのみを着用した状態で検査が行われている。女子刑務所の場合、カンカン踊りではなく静止した状態での検査が行われており、四つん這いに裸体で肛門の内部の異物や隠匿物の有無を検査する。

新法の施行

日本の刑務所に関する法律である監獄法は、受刑者の人権保護に関する規定が不十分であったこと、2002年(平成14年)に問題化した名古屋刑務所での刑務官によるとされる受刑者への暴行等事案などをきっかけとして法改正の機運が高まり、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律2005年(平成17年)5月18日に国会で成立、2006年(平成18年)5月24日から施行され、2007年(平成19年)6月1日には、同法改正法である刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律が施行された。監獄法は施行以来100年以上使用されてきたため、実務に対する根拠法とするにはさまざまな面で問題があった。そのため、数十年前から法改正の動きはあった訳であり、その改正を先取りせんとばかりに法務省や各施設は訓令や通達、それを受けての指示等で監獄法の不足分を補いながら行刑の運営を行ってきた。

新法では、被収容者等の人権保護だけでなく、刑務官の行為の根拠についての規定も大幅に増えている。しかし、外部交通や所持品などの分野に統一された決まりがなく、各施設の判断に委ねられているために、許可・不許可の判断が違っているといった事態が起こっている。

刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律は明治期の監獄法施行以来の行刑立法であることもあり、長年、旧法と訓令・通達などを用いて処遇を行ってきた職員と、被収容者双方の認識不足(特に、旧法慣れしているB級受刑者)から生まれるトラブルが懸念されていたが、各施設において職員研修を実施する、被収容者に対して適宜訓示・告知を行うなどして対策を進めていた結果、若干の問題は発生したものの、全体としては大きなトラブルもなく、新法での施設運営はまずは順調にスタートしたと考えられる。

日本の刑務官(一般的にいわれる「看守」とは刑務官の階級のことで、一番下の階級名である)は国家公務員法により労働基本権が認められておらず労働組合を結成することができない。しかし、主な先進国では各国で原則として認められており、日本でも労働者としての性格を十分に考慮して、団結権は認めるべきだとの意見がある。また、その仕事の特殊性から心身のバランスを崩す職員が増加傾向にあるため、採用時点で適性を慎重に吟味しつつ職員数を増やし、定期的な職員への研修やカウンセリングを行い、指導能力の向上、悩みや問題点の早期解決の助けにするなどの改善策をとって、刑務官の業務を少しでも適正にする必要がある。犯罪を犯しても、人権の制限は矯正に必要な範囲で適正に保たれるべきであるのは現在の憲法の理念からいっても当然であるため、刑務官の質の向上と適正な人員の配置が求められる。

周辺地域への影響

日本は世界でまれにみる脱獄の少ない国である。ここ20年ほどの間、脱獄は年間3件以下で推移しているが、近年は外国人被収容者が増加し、その中には特殊部隊経験者もいる。1996年(平成8年)、東京拘置所で起きたイラン人の集団脱走事件はそのような状況に対応しきれていない日本の行刑政策の現状を露呈したものであり、脱獄の周辺地域へ与える影響を考える際の大きな課題となっている。

しかしながら、刑務所が出来る事による住民増加を期待し、過疎に悩む市町村が刑務所を誘致しようとする例もある。

PFI方式の刑務所運営

2006年(平成18年)の構造改革特別区域法施行令の改正により、構造改革特区の指定を受けた地域へのPFI手法による刑務所の設置が可能となった。この方式により設置されたのが2007年(平成19年)4月に供用開始の美祢社会復帰促進センター山口県美祢市)である。この施設は刑務官と民間職員が協働して運営する混合運営施設であり、刑罰権の行使にかかわる業務は刑務官、その他の業務(施設の維持・管理、食事の提供など)に関しては社会復帰サポート美祢株式会社が担当する。この施設では、PFI事業期間中(20年間)においては、武器や手錠等の特殊な物品を除いた施設などほとんどの設備・物品の所有者は民間事業者のものであり、しばしば、刑務所の「民営化」、「民営刑務所」といわれるが、処遇の最終決定権はあくまで「官」にあり、一部民間委託にすぎない。もっとも、どのような形であれ日本における刑務所改革の一つの動きとして注目されていることに違いはない。

なお、現時点で4つ新施設でPFI事業が行われており、美祢社会復帰促進センター島根あさひ社会復帰促進センター島根県浜田市)のPFI事業は建設からのPFI事業であるが、喜連川社会復帰促進センター栃木県さくら市)・播磨社会復帰促進センター兵庫県加古川市)のPFI事業は運営特化型PFI事業で、建設は国が行っており、設備や物品の所有者は最初からすべて国である。また、民間事業者が関与する勤務もそれぞれ違っている。

なお、PFI運営が可能な特区対象が「栃木県内」となっていることから、既存施設である黒羽刑務所栃木県那須塩原市)においても喜連川社会復帰促進センター同様の運営特化型PFI事業を行っている。女子施設である栃木刑務所では犯罪傾向に関わらずW級受刑者(女性)は女子刑務所に送られるため、現時点ではPFI運営は不可能だと思われる(収容分類級については別項を参照)。

PFI方式を利用する施設といっても、職員はすべて民間人というわけではなく刑務官もいる。しかし、職員はほとんど増員されない上に2007年問題も重なり、既存施設に欠員が出るのは避けられない状況となっている。仮に、増員されたとしても新採用職員での補充となるわけであり、現場のベテラン職員の不足は深刻な問題になると思われる。ここ数年、既存施設では過剰収容状態を改善するために、施設を増改築している事が多いのだが、職員数は変わっていない。つまり、増えた被収容者を管理する面では非常に厳しい職員配置状況であり、今後も刑務官のさらなる負担増が懸念される。

刑務所民営化の先進国であるアメリカでは、民営化によって利益を受ける集団, 産獄複合体)が形成され、集団の意を受けた厳罰化が進んだという指摘がある。

職員採用方法等

刑務官採用試験高等学校卒業程度)の合格者から採用するのが一般的であるが、武道(柔道、剣道有段者)を対象とした選考試験による武道拝命剣道柔道)や国家公務員採用I種・II種試験からの採用もある。国家公務員II種採用の場合は看守部長から、I種採用の場合は副看守長からの採用となる。刑務官採用試験は高卒程度の難易度とされているが、大学入学試験や他の高卒程度の試験と比べると難易度はかなり低い。

かならずしも4月に採用される訳ではなく、必要に応じて採用候補者名簿の有効期限内に随時採用される。武道拝命以外にも、武道が奨励されているために武道を好む職員が多い。採用後、選抜試験を経た上で中等科研修や高等科研修といった研修受けることにより、幹部職員になることが可能である。

受刑者

受刑者の一日や作業内容

受刑者は刑事施設に収容されると、単独室(いわゆる独居房)と共同室(いわゆる雑居房)のどちらかに収容される。定員は、原則、単独室は1名、共同室は6名である。かつては過剰収容状態にあり、多くの施設で単独室に2名を収容、共同室に8名を収容するといった状態が続いていたが、過剰収容から高率収容となり、定員オーバーは徐々に解消されつつある。

平日の起床は午前7時前。施設によって若干の違いはあるものの、おおむね6時40分ころである。その後、開室点検(人員点呼等)を行った後朝食をとり、工場へ出役する(作業を望まない禁錮刑の受刑者は除く)。そして、刑務作業を行い、その間に、運動・面会・医務診察などがある。夕方、おおむね午後4時半前後に各居室へ戻り、閉室点検、夕食の配膳が行われ、食事後は余暇時間帯となる。午後7時ころからテレビが視聴できる。ニュースはテレビの時間外にラジオで流すケースが大半であるが、朝のニュースを昼や夕方に流すといったケースもある。ニュースに関しては工場備え付けの日刊新聞の回覧で得ることもできるし、自弁購入で新聞を購入することもできる。

なお、全裸での検身(通称カンカン踊り)は現在でも行われているが、少しずつではあるが下着の着用が許されつつある。尚、女子刑務所ではカンカン踊りの検身は原則無い。 多くの施設では、午後9時に就寝時間となって消灯されるが、完全に明かりが消えるわけではなく、読書できる程度の明るさが維持されている。この時間については読書を認めている施設と認めていない施設とで対応が分かれる。当然、認められていない施設では時間外読書となり、場合によっては調査・懲罰を受けることになる。

刑務作業は、木工金工紙工縫製などの生産作業から、洗濯炊場(被収容者の食事の支度)・水道電気などの経理作業まで多岐にわたる。刑務所製品の即売会などで販売される商品を作る作業を「事業部作業」といい、外部の民間業者の製品を作る作業を「提供作業」という。刑務所における作業の大半は提供作業であり、その製品は身近な物も多数ある。他にも、自動車整備士等各種免許取得が可能な職業訓練、地域の学校と協力しての通信教育など懲役と一言でいっても、その作業・矯正教育の幅は非常に広く、社会復帰に向けての様々な工夫がされている。施設によっては、大手企業の第一線で活躍する職員(技能五輪参加経験者など)が中に入り、直接指導をしていたり、IT企業が出所後の採用を前提にプログラミングの訓練を行っていたりする場合もある。 ただし、職業訓練の希望者は多く極めて倍率は高いため、訓練を受けられる場合はまれである。また、資格によっては免許証などの交付があるが、それらについては自弁での支払いとなる場合が多い。

土曜日曜祝日並びに年末年始は免業日と呼ばれ、原則的に刑務作業はないが、たまに残業や休日の作業もある。また、炊事・内掃などを担当している者については免業日がシフト制になっている。また、月に2日ほど、「矯正処遇日(教育的処遇日)」と呼ばれる日が指定されている。これは、平日ではあるが工場などでの作業を行わずに、矯正「教育」に当てるために作られた日で、施設によっては指定されたテレビ番組やラジオ番組(いずれも録画・録音)を視聴し、感想文などの提出を求めるところもあるが、専門職員が不足していることもあり、本来の目的が果たされているかは疑問が残る。

職業訓練

「受刑者等の作業に関する訓令」(法務大臣訓令)に基づき30職種以上あり訓練修了者のうち,総合訓練施設において年間1,400時間以上の訓練を修了した者には,厚生労働省職業能力開発局長から履修証明書が発行されている。

事務・福祉

商業デザイン科、義肢・装具科、経理事務科、一般事務科、OA事務科、介護サービス科、理容科、美容科

自動車

自動車整備科、自動車車体整備科、農業機械整備科

情報処理

コンピュータ制御科(数値制御機械科)、OAシステム科、ソフトウェア管理科(情報処理科)、データベース管理科、 プログラム設計科、システム設計科、データベース設計科

製造

機械加工科(機械科)、精密加工科、機械製図科、電子機器科、電気機器科、製材機械整備科、縫製機械整備科、織布科、織機調整科、染色科、ニット科、洋裁科、縫製科、和裁科、寝具科、木工科、紙器製造科、製版科、印刷科、製本科、プラスチック製品成型科、鞄製造科、ガラス製品製造科、石材加工科、製麺科、パン・菓子製造科、水産加工科、発酵製品製造業、陶磁器製造科、竹工芸科

建設

園芸科、造園科、塑性加工科(板金科)、塑溶接科、構造物鉄工科、電気工事科、建設機械整備科、木造建築科、枠組み壁建築科、とび科、鉄筋コンクリート施工科、プレハブ建築科、建築設計科、屋根施工科、スレート施工科、建築板金科、防水施工科、サッシ・ガラス施工科、畳科、インテリア・サービス科、床仕上施工科、表具科、左官・タイル施工科、ブロック施工科、配管科、住宅設備機器科、土木施工科、測量・設計科、ビル管理科、ボイラー運転科、クレーン運転科、建設機械運転科、木材工芸科、漆器科、貴金属・宝石科、金属塗装科、木工塗装科、建築塗装科、広告美術科、工業デザイン科

入所から出所まで

以下の流れは有期刑の場合である。

  1. 収容:収容後まもなく刑執行開始時の指導・処遇調査・医務診察などが行われる。→処遇方針決定
  2. 処遇方針決定後、処遇(作業、矯正指導、保護調整)
  3. 釈放前指導等
  4. 釈放(満期か仮釈放)

無期刑の場合は刑に終わりがないため満期釈放は不可能であるが、現行法は無期刑にも仮釈放を認めているため、無期刑の受刑者に対しても、10年を経過した後、改悛の状などによって仮釈放を許すことができる(刑法28条)。ただし、実務上は、仮釈放が認められた無期刑受刑者は、2003年以降は全員が20年以上在所している(2011年の仮釈放者の平均は35年2ヶ月)。

なお、収容中に反則行為を起こした場合、その事実について調査の上、「懲罰」を受けることもある。「報奨金計算額の3分の1の削減」、「書籍等の閲覧停止」などいくつかの種類があるが、大半は一定の期間、単独室の中で正座で過ごす、いわゆる「閉居罰」を科されることになる。懲罰は刑罰ではなく「行政処分」なので単に懲罰を受けただけでは刑期自体が延びることはないが、仮釈放の時期に大きな影響を及ぼす。

また、収容中に器物損壊などの刑罰法令に触れる疑いのある行為があった場合、所内で特別司法警察職員の指定を受けている職員が捜査し、検察庁に事件送致する場合がある。その場合、刑事事件として審理されるわけであるが、有罪判決が出れば、新たな刑を受ける(つまり刑期が延びる)ことになる。

運転免許証の書き換えについては、2年以上の受刑者のみ、自弁での書き換えが可能。それ以下の場合は在監証明の発行を受け、住所地の運転免許試験場などでの再発行手続きとなる。 国民年金については、収容中も支払い義務が発生するため、収容後速やかに手続きが必要。ただし無収入なので申請免除は可能。納付期間によっては年金受給額が減額されたり、支払われなくなる場合があるので注意が必要である。 それ以外の民間の支払い義務(NTT固定電話、各社携帯電話、電気・ガス・水道などのインフラ系、家賃、クレジットカード、ローン等々)は全くと言っていいほど特例はないので、拘引前の在宅中あるいは未決勾留中に手続きを済ませる必要がある。

最高齢受刑者89歳、福祉施設と化す「刑務所」の現状

全国の刑務所で、入所者の高齢化が進んでいる。全体数が平成18年をピークに減少に転じる一方、65歳以上の割合は年々増加。現場では刑の執行に加えて、入所者の介護という新たな業務が持ち上がっている。再犯者の割合も深刻で、身寄りのない高齢者が刑務所に舞い戻る悪循環が生じている。“塀の中”は、さながら福祉施設の様相を呈している。

高齢者工場

通路の端っこに、机といすを並べただけの簡素なスペースがある。動く人の手はしわ深く、ぷるぷると指先が震えている。車いすも目立つ。最高齢は89歳だという。

神戸刑務所(兵庫県明石市)に設けられた「高齢者工場」。ここでは65歳以上の受刑者が紙袋にひもをつけたり、ヘアピンをケースに詰めたりしている。いずれも力を必要とせず、簡単な作業だ。

ふだん寝起きする居室棟の中に「工場」があるのは、足腰が不自由な入所者に配慮し、移動の労を省くため。工場の定員は36人だが「空きはないか」と問い合わせが引きも切らない。

担当の前田敏宏刑務官(35)は「高齢者はいつ体調が変わるか分からない。常に緊張感を持っている」と話す。顔色は大丈夫か。食事を残していなかったか。「ヘルパー」としての気遣いが欠かせない。受刑者の紙おむつを片付けるのも、刑務官の仕事の一つになっている。

平成25年11月末時点、同刑務所の入所者のうち65歳以上の割合は11.9%。全体の平均年齢は48歳で、わずか3年で3歳近く上がった。平成21年からは転倒予防のための柔軟体操など高齢者専門のプログラムも取り入れている。

高齢者工場にも出られず、病棟で介護を受ける入所者も8人いる。食事を口に運んで食べさせ、着替えを手伝うのも刑務官。「本来の職務以外にこうした負担がどんどん増えている。このまま高齢化が進むとどうなるのか不安だ」とある職員は漏らした。

平成25年の犯罪白書によると、全入所者2万4780人のうち65歳以上は2192人(8.8%)で前年より164人増えた。平成5年と比較すると5倍以上に増加している。

女子刑務所ではさらに高齢化が顕著で、全入所者(2225人)に占める高齢者の割合は12.8%(285人)。平成5年の26人から10倍以上に達している。

一方、平成24年に検挙された人のうち、再犯の割合は45.3%で過去最悪。刑務所の入所者で2度目以上の人の割合(再入者率)も58.5%で9年連続で増加した。高齢者の再入者率はさらに高く、73.4%に及んでいる。

法務省は「出所しても行き場のない高齢者が、軽微な犯罪を起こして刑務所に戻るケースが多い。社会復帰の環境づくりが急務だ」としている。

自由なき「安心感」

高齢者工場で働く男性受刑者(70)は一昨年、膀胱癌の手術を受けた。健康への不安は常につきまとう。「この年で刑務所にいる現実は、本当に情けない」と嘆く。

民家に忍び込み、現金10万円を盗んだ。懲役3年6月。侵入盗の前科があり、服役は今回が6回目だ

工事現場で働いていた約20年前、ポンプ車から転落した。両膝の靱帯を痛め、これまでのようには動けなくなったのに、申請が遅れて労災が認められなかったのだという。

「ここで人生を捨ててしまった」。生活費に困り、盗みに走った。

出所のたびに「今度こそまじめに働く」と心に誓うが、家族も頼るべき知人もいない。職探しに行き詰まり、やがて刑務所に舞い戻る。その繰り返し。

「次に出所してもまともな仕事はまずないと思う」

生活苦、癌の再発、再犯…。不安だらけだ、という。「また刑務所に入れば、生きて出られないかもしれない」と自嘲気味に話した。

ただ、「情けない」と思う刑務所暮らしに、なじんでしまっているのも事実だ。定時に起床し、工場で作業し、眠る。「ここには自由こそないが、安心感がある」と、何ともいえない複雑な表情を見せた。

別の受刑者の男性(66)も窃盗の常習犯で服役は13回目。前回の出所後、生活保護を受けて暮らしていたが、同じ簡易宿舎の男にたばこを1本渡してから、何度もたかられるようになり、金に困ってエアコンの室外機を盗んだことが今回の罪だ。

「何度も刑務所に入り、無駄な時間を過ごしてきた」と悔やむ男性。人生の半分、およそ30年を塀の中で送ってきた。

出所予定は2015年の2月。「親兄弟にはとっくに見放されている」。男性もまた寄る辺のない人間だ。「ひとまず更生保護施設を頼り、社会復帰を目指す」とつぶやいた。この言葉を自分でどこまで信じられているのだろう。

過剰収容

2000年代に入り受刑者数が激増し、各刑務所では過剰収容が問題となった。統計では犯罪発生数に目立った増加がないのに受刑者数が激増した理由として、オウム真理教事件や、犯罪報道の増加による国民の体感治安の悪化で厳罰化が進んだこと、景気の悪化により就労先が見つからない者や、高齢者などが出所後すぐに生活に困った結果、衣食住が保証される刑務所に戻ろうと窃盗や詐欺、傷害事件等の犯罪を再び犯すという、いわば刑務所が福祉施設代わりになっていることが挙げられる。

過剰収容対策として、既存施設の大幅な増改築や、PFI施設4庁の新設により、収容定員を大幅に増やしたのだが、現在は受刑者総数が減った事もあり、現在のところ、全体で見れば全国刑事施設の総収容定員に対する収容率は100%を下回っている。

しかしながら、これまでの過剰収容対策は、PFI施設を中心とするA級受刑者に対する対策が中心のものであり、LA級施設、B級施設、女子施設については現在でも過剰収容状態が続いているため、LA級施設、B級施設、女子施設に対する重点的な過剰収容対策が必要であると思われる。

また、出所後の再犯防止のための就労支援や、保護観察、福祉制度による支援の充実が必要であると言われる。

日本の刑務所一覧

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福岡矯正管区

医療刑務所

社会復帰促進センター(PFI方式で建設・運営する刑務所)

関連項目

脚注

  1. 上杉和彦『日本中世法体系成立史論』校倉書房、1996年 「京中獄所の構造と特質」(初出:1992年)「摂関政治期における拘禁処分をめぐって」(初出:1991年)

外部リンク

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