長野県
長野県(ながのけん)は、本州内陸側に位置する、日本の県の一つ。
面積は全国第4位。かつての信濃国にほぼ相当するので、「信州」(しんしゅう)と呼ばれることも多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。
県庁所在地は長野市で、善光寺の門前町として発展し、第18回冬季オリンピックの開催地となった都市である 。
目次
地理
本州の中部に位置し、周囲8県に隣接する東西約128km、南北約220km、面積13,560.55k㎡、東西に短く南北に長い地形である。面積は、北海道を除く46都府県のうち、岩手県、福島県に次ぐ面積を持つ。長野県は「日本で最も多くの都道府県と隣接する県」でもある。
県域の中央がフォッサマグナに位置するため、中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈の標高が高く、間の幾つかの盆地(伊那谷、松本盆地、佐久盆地、長野盆地など)を中心とした地域が形成されている。大半は内陸側の地域であるが、北部(長野盆地、白馬岳麓)は完全な日本海側の地域である。分水嶺がその中央を走っているために、県内の南半分は太平洋側に近く、その最北端は群馬県よりも南である。
県内は、大きく分けて北信地方、東信地方、中信地方、南信地方の4地域に分けられる。19市23町35村の77市町村があり、最大人口は長野市の383,316人、最大面積は松本市の919.35km²、最大人口密度は岡谷市の640.76人/km²。
自然が豊富であり、地域医療への関心も高いことから平均寿命も長く、世界一の長寿国日本の都道府県で一番の長寿を誇る。
「日本の屋根」と呼ばれ、県境に標高2000m~3000m級の高山が連なり、内部にも山岳が重なりあう急峻で複雑な地形である。数多の水源を擁し、天竜川(諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信)は南下して太平洋へ、千曲川(東信、北信)、犀川(中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ、姫川(北信)も日本海に流れている。
本州を縦断する糸魚川静岡構造線(糸静線)が県下を南北に走る。糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の諏訪湖から中央構造線が南に走る。
気候は、日本海側気候を呈する北信を除いて、全般的に寒暖差の烈しい内陸性気候を呈している。ただし、位置による地域差が大きく、南信は山梨県や岐阜県東濃地方と同様に、内陸性気候であると同時に太平洋側気候の影響も受けている。降水量も地域差が大きく、県の東信から北信にかけては年間1000mm前後と少なめだが、中信から南信にかけては年間1500mmに達する。
内陸側なので、気象など自然地理学では、中央高地として区分される事が多い。しかし、機関や団体によっては、北陸地方や関東地方に編入される事もある。これらの長野県のエリア区分については「#長野県の分類」を参照すること。
地形
- 隣接県
自然公園
気候
長野県は南北に長く、各都市の標高が異なり、更に山脈や盆地の形状などの気候修飾を受けるため、同じ県内であっても気候の違いが大きい。
主な都市の冬 (1月。平年値)
都市 | 降雪量累計 | 最深積雪 | 日照時間 | 平均気温 | 最高気温平均 | 最低気温平均 | |
札幌 | 630 cm | 101 cm | 97.2 時間 | -4.1 ℃ | -0.9 ℃ | -7.7 ℃ | |
高田 | 746 cm | 139 cm | 64.7 時間 | 2.2 ℃ | 5.8 ℃ | -0.8 ℃ | |
長野 | 283 cm | 30 cm | 124.3 時間 | -0.7 ℃ | 3.4 ℃ | -4.3 ℃ | |
軽井沢 | 136 cm | 32 cm | 170.8 時間 | -3.6 ℃ | 2.0 ℃ | -9.0 ℃ | |
松本 | 85 cm | 25 cm | 171.8 時間 | -0.6 ℃ | 4.9 ℃ | -5.5 ℃ | |
諏訪 | 107 cm | 20 cm | 179.2 時間 | -1.5 ℃ | 3.6 ℃ | -6.1 ℃ | |
飯田 | 54 cm | 17 cm | 165.2 時間 | 0.9 ℃ | 6.8 ℃ | -4.0 ℃ | |
浜松 | 0 cm | 0 cm | 193.3 時間 | 5.8 ℃ | 10.1 ℃ | 2.3 ℃ | |
東京 | 13 cm | 7 cm | 180.5 時間 | 5.8 ℃ | 9.8 ℃ | 2.1 ℃ |
気象区分
- 長野県北部(甲信地方北部のうち)
- 中野飯山地域 - 飯山市・中野市・下水内郡・下高井郡
- 長野地域 - 長野市・須坂市・千曲市・上高井郡・上水内郡・埴科郡
- 大北地域 - 大町市・北安曇郡
- 長野県中部(甲信地方北部のうち)
- 上田地域 - 上田市・東御市・小県郡
- 佐久地域 - 佐久市・小諸市・北佐久郡・南佐久郡
- 松本地域 - 松本市 (旧安曇村と旧奈川村を除く)・塩尻市 (除楢川村)・安曇野市・東筑摩郡
- 諏訪地域 - 岡谷市・諏訪市・茅野市・諏訪郡
- 乗鞍・上高地地域 - 松本市 (旧安曇村と旧奈川村)
- 長野県南部(甲信地方南部のうち)
- 上伊那地域 - 伊那市・駒ヶ根市・上伊那郡
- 下伊那地域 - 飯田市・下伊那郡
- 木曽地域 - 塩尻市 (旧楢川村)・木曽郡
長野県の分類
全域を一括する場合
長野県は、知事会では関東地方知事会と中部圏知事会議の両方に加入している。しかし、中央省庁には、長野県を北陸4県と一緒にしたり、関東1都6県と一緒にする機関があり、これを模倣する企業や団体も存在する。
- 長野県を中部地方(中央高地)として扱う場合、交通的代替性から、甲州街道と中山道の沿線に当たる山梨県や岐阜県、東海道の沿線に当たる静岡県や愛知県などと一緒の枠組みで組まれる事が多い。この場合、東海地方(東海道沿線)が「東海」と省略されるのに対して、中央高地(甲州街道と中山道の沿線)が「甲信」と呼ばれる事がある。
- 又、(1) 山梨県・長野県・静岡県の3県で一組のパターンや、(2) 岐阜県・長野県・愛知県が一緒の枠組みで、山梨県・静岡県とは別々にされるパターンもある。
- 長野県を北陸地方に編入する場合、新潟県(特に頚城地方)と一緒にされる場合には「信越」と区分されたり、北陸4県と長野県を一緒にする場合には「北信越」と呼ばれる事がある。又、福井県が外されて、新潟県・長野県・富山県・石川県が「北陸4県」とされる場合もある。
- 長野県を関東地方に編入する場合、静岡県・山梨県・新潟県が加わる際には「広域関東圏」と呼ばれる事もある。しかし、箱根峠と碓氷峠から東に当たる1都6県とも、静岡県や東三河(愛知県東部)とも切り離されて、山梨県と新潟県と一緒にさせられて「甲信越」と区分される事がある。
- 関東地方(広域関東圏)の例:高等裁判所(東京高等裁判所)、高等検察庁(東京高等検察庁)、管区警察局(関東管区警察局)、農林水産省(関東農政局)、経済産業省(関東経済産業局)
- 関東地方(甲信越)の例:NHK(関東・甲信越)、JAF(関東・甲信越エリア)、NTTドコモ(関東・甲信越)、公正取引委員会(関東・甲信越)、人事院(関東事務局)、財務省(関東財務局、関東信越国税局)、厚生労働省(関東信越厚生局)、管区行政評価局(関東管区行政評価局)、都市再生機構(東日本支社)、国立病院機構(関東・信越)
- 関東地方(山梨県と長野県のみ編入する)の例:気象庁(関東・甲信地方予報区)、国土地理院(関東地方測量部)、日本金融新聞社
県を分割する場合
- 糸魚川静岡構造線(糸静線)で分割して、糸静線以東(木曽郡と伊那平を除く地域)を関東地方に入れて、糸静線以西(木曽郡と伊那平)を中部地方(中央高地)とする場合がある。この場合、上信越(国道18号沿線)が一体となった枠組みや、三遠南信(天竜川流域)が一体となった枠組みになる例も見られる。
- 北陸地方、中央高地
- (1) 上信越自動車道沿線(善光寺平・佐久平)を北陸地方に入れて、中央自動車道沿線(松本平・伊那平)を中央高地に入れるパターンと、(2) 千曲川と姫川と梓川の流域(善光寺平・佐久平・松本地域)を北陸地方に入れて、木曽川と天竜川の流域(木曽郡・諏訪地域・伊那平)を中央高地に入れるパターンの、2通りがある。
県民の気質
『新版 出世・結婚・お金は『県民性』で9割決まる』(監修/プレジデント社)等、県民性研究の第一人者で、ナンバーワン戦略研究所所長の矢野新一さんは言う。
「長野県は江戸時代、寺子屋の数が日本一だったこと(面積が広いこともある)、明治の就学率が日本一だったことから、『教育県』と言われるようになったと思われます」
日本の各国の人柄や風俗などを記した、今でいう県民性本のはしりのような書物、『人国記』に、こんな記述がある。
「信濃は武士の気質は天下一なり。もっとも、百姓・町人も律儀なること、伊賀・伊勢・志摩に五畿内を加えたよりも、なお上である。義理が強く臆することもなく、百人のうち九十人は律儀である。たまたま臆病な者がいても、それは他国で云うようなほどではない。もし、卑劣な事を言ったり、卑劣なことをすれば、人は皆、これを憎み付き合わなくなるため、弱々しい人も、後には義理を知るところである。知恵も他国に比べ優れている。辺鄙なところだけに、偏屈な人も多いが、善き気質の人が多い」
「義理が強く」「律義」だったら、良いイメージだが、気になるのは「偏屈」。これはなぜか。
「海沿いの地域の人は、『この海は中国大陸、またはアメリカまで続いている』などと感じるのに対し、内陸県は、『あの山の向こうは○○集落』という感じで、どうしても視野が狭くなります」
その他、一般的に言われる「長野県人の県民性」を挙げてもらった。
「勤勉で誠実で辛抱強い性格。考え方も生活も堅実。お金には細かいが、教育熱心で研究心も旺盛。わが国有数の長寿県(男性1位、女性4位)なのは、暴飲暴食などせず、規則正しい生活を送っているから。理屈っぽく、議論好き、頑固なところもあるため、やや社交性に欠けるのが玉にキズ。また、内陸県だけに融通がきかない、視野が狭いといった一面も。とにかく真面目で正直で曲がったことが嫌い。そのため冗談が通じないことも。この傾向は北部へ行くほど顕著になり、逆に南部に行くとおおらかで情緒的な傾向に。女性はおしなべて正直で誠実な性格。大人しそうに見えても実はタフ。ストレスも溜めない性格だから長生きする」
ちなみに、周囲に「長野県人」のイメージを聞いてみると、挙がったのは「オリンピック」「長寿県」「スキーやスケート」「昔、合宿で行ったことがある」など、「県民性」とは無関係のものばかりだった
歴史
※ 江戸時代までの歴史は「信濃国」を参照すること。
- 1868年(慶応4年・明治元年)8月2日 (旧暦) - 信濃国の旗本領・幕府領が、明治政府の府藩県制導入により、伊那県となる(県庁所在地は伊那郡飯島村=現在の上伊那郡飯島町)
- 1870年(明治3年)9月17日 (旧暦) - 伊那県の北信部分が中野県として分立する(県庁所在地は中野)も、その年に中野県庁が中野騒動により全焼。
- 1871年(明治4年)
- 1876年(明治9年)8月21日 - 筑摩県が分割され、信濃国部分(中信・南信・大北地域)が長野県に編入され、現在の長野県が発足した。旧高山県(旧飛騨国)は岐阜県に編入された。
- 1879年(明治12年)1月14日 - 前年の郡区町村編制法により、南佐久郡・北佐久郡・小県郡・更級郡・埴科郡・上水内郡・上高井郡・下高井郡・下水内郡・北安曇郡・南安曇郡・東筑摩郡・西筑摩郡・諏訪郡・上伊那郡・下伊那郡が発足。(※ 自治体としての郡は1926年(大正15年)6月30日の郡制廃止により消滅。)
- 1926年(大正15年) - 当時の梅谷光貞県知事が地元の意見を聞かずに3つの警察署を廃止すると発表したのをきっかけに暴動がおきる。いわゆる警廃事件が発生。
- 1942年(昭和17年) - 1926年6月30日に廃止された郡に代わるものとして地方事務所が設置される。地方事務所は以下のとおり。
- 佐久地方事務所=南佐久郡・北佐久郡
- 上小地方事務所=上田市・小県郡
- 更埴地方事務所=更級郡・埴科郡
- 長野地方事務所=長野市・上水内郡・上高井郡
- 高水地方事務所=下高井郡・下水内郡
- 安曇地方事務所=北安曇郡
- 松本地方事務所=松本市・南安曇郡・東筑摩郡
- 筑摩地方事務所=西筑摩郡
- 諏訪地方事務所=岡谷市・諏訪市・諏訪郡
- 伊那地方事務所=上伊那郡
- 飯伊地方事務所=飯田市・下伊那郡
(※いずれも1942年時点での配分。)
- 1956年(昭和31年)6月1日 - 災害復興の支出などによる県財政赤字のため、地方財政再建促進特別措置法を適用。財政再建団体に指定。
- 1958年(昭和33年)10月15日 - 西筑摩郡神坂村が自治庁(当時)の裁定により分村。馬籠地区を山口村に編入し湯舟沢地区を岐阜県中津川市に編入させる。世にいう島崎藤村騒動。
- 1962年(昭和37年)3月31日 - 好景気による県財政収入の増加で、当初計画より2年早く財政再建終了。
- 1965年(昭和40年)7月16日 - 県営松本空港(愛称:信州まつもと空港)開港。
- 1968年(昭和43年)5月1日 - 西筑摩郡が木曽郡に郡名変更。
- 1968年(昭和43年)5月20日 - 信濃の国を県歌に制定。
- 1972年(昭和47年)2月19日 - 連合赤軍事件(あさま山荘事件)発生。
- 1993年(平成5年)7月17日 - 信州博覧会開会。
- 1994年(平成6年)6月27日 - 松本サリン事件発生。
- 1998年(平成10年)2月7日 - 長野オリンピック開会。
- 1998年(平成10年)3月5日 - 長野パラリンピック開会。
- 2000年(平成12年)10月26日 - 田中康夫が県知事に当選。
- 2002年(平成14年)7月5日 - 長野県議会が田中知事の不信任案可決。
- 2002年(平成14年)9月1日 - 県知事選挙で田中康夫が圧勝。
- 2004年 長野県水産試験場がニジマスとブラウントラウトをバイオテクノロジー技術を用いて交雑させニジマスの染色体を2組、ブラウントラウトの染色体を1組もった三倍体の「信州サーモン」を開発。[1]
- 2005年(平成17年)2月13日 - 木曽郡山口村が越境合併により岐阜県中津川市に編入される。
- 2005年(平成17年)2月28日 - スペシャルオリンピックス冬季世界大会開会。
- 2006年(平成18年)8月6日 - 県知事選挙で村井仁が田中康夫を破り初当選。
- 2006年(平成18年)8月31日 - 田中康夫知事が任期満了のため退任。
- 2006年(平成18年)9月1日 - 村井仁知事が就任。
2016年。1月15日。軽井沢でバス事故発生。27人崩御した
人口
年齢構成
600px | |
長野県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 長野県の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 長野県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
長野県(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/20 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
組織
議決機関</br>
- 県議会 - 議会事務局
執行機関</br>
- 知事:村井仁
- 副知事:板倉敏和・腰原愛正
- 知事部局 - 危機管理局、企画局、総務部、社会部、衛生部、生活環境部、商工部、農政部、林務部、土木部、住宅部(2006年11月1日、経営戦略局を廃止)
- 会計局
- 公営企業管理者
- 教育委員会 - 教育委員会事務局
- 公安委員会 - 長野県警察
- 選挙管理委員会
- 監査委員 - 監査委員事務局
- 人事委員会 - 人事委員会事務局
- 労働委員会 - 労働委員会事務局
- 収用委員会
- 内水面漁場管理委員会
外郭団体
財政
2006年度の実質公債費比率は20.2%と、全国最悪である。総務省 2006年度 実質公債費比率の算定結果(速報)PDF、同HTML
歴代知事
中野県参事
- 高石和道1870年
中野県権知事
長野県権令
長野県令
官選知事
- 木梨精一郎 1886年~1889年
- 内海忠勝 1889年~1891年
- 浅田徳則 1891年~1896年
- 高崎親章 1896年~1897年
- 権藤貫一 1897年~1898年
- 園山勇 1898年~1899年
- 押川則吉 1899年~1902年
- 関清英 1902年~1905年
- 大山綱昌 1905年~1911年
- 千葉貞幹 1911年~1913年
- 依田銈次郎 1913年~1914年
- 力石雄一郎 1914年~1915年
- 赤星典太 1915年~1921年
- 岡田忠彦 1921年~1922年
- 本間利雄 1922年~1924年
- 梅谷光貞 1924年~1926年
- 高橋守男 1926年~1927年
- 千葉了 1927年~1929年
- 鈴木信太郎 1929年~1931年
- 石垣倉治 1931年~1933年
- 岡田周造 1933年~1934年
- 大村清一 1935年~1936年、1938年
- 近藤駿介 1936年~1937年
- 富田健治 1938年~1940年
- 鈴木登 1940年~1941年
- 永安百治 1942年
- 郡山義夫 1943年~1944年
- 大坪保雄 1944年~1945年
- 物部薫郎 1945年~1947年
- 伊能芳雄 1947年
民選知事
- 林虎雄(3期) 1947年4月12日~1959年4月22日
- 西沢権一郎(6期) 1959年4月26日~1980年9月11日
- 吉村午良(5期) 1980年10月26日~2000年10月25日
- 田中康夫(2期) 2000年10月26日~2002年7月15日,2002年9月1日~2006年8月31日
- 村井仁(1期) 2006年9月1日~2010年8月31日
- 阿部守一(1期目) 2010年9月1日~
政治
長野県議会
県議の選挙区
※ 選挙区の変遷については「長野県議会の選挙区割の歴史」を参照すること。
(2007年4月8日執行)
選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
長野市 | 10 | 上水内郡 | 1 | 中野市・下高井郡 | 2 | 須坂市・上高井郡 | 2 | 飯山市・下水内郡 | 1 | 千曲市・埴科郡 | 2 |
上田市・小県郡 | 4 | 東御市 | 1 | 小諸市 | 1 | 佐久市・北佐久郡 | 4 | 南佐久郡 | 1 | 松本市 | 6 |
塩尻市 | 2 | 大町市 | 1 | 安曇野市 | 2 | 北安曇郡 | 1 | 東筑摩郡 | 1 | 木曽郡 | 1 |
岡谷市・下諏訪町 | 2 | 諏訪市 | 1 | 茅野市・富士見町・原村 | 2 | 伊那市 | 2 | 駒ヶ根市 | 1 | 上伊那郡 | 2 |
飯田市 | 3 | 下伊那郡 | 2 |
経済
長野県は就業率が高く、2000年度の国勢調査では、(全)就業率、女性就業率、高齢者就業率ともに全国一である。
産業
- ※ 本社を置く企業は「category:長野県の企業」を参照。
- 精密機械(かつては時計や光学機器が主体であったが、1980年代以降情報通信機械器具、電子部品・デバイスなどに変化している)
- 主に諏訪地域を中心に精密機械や電子産業が盛んであり、高地で気候が類似する、高級ブランド時計の本場であるスイスになぞらえ、「日本のスイス」の異名を取る。
- 法令系の企業が集積し、地方としては出版、印刷が多いことも特徴である。
- 食料品製造業、農業では、日本酒や味噌の醸成、高原野菜の栽培が盛んである。
電力
全域が中部電力のエリアになっている。中部電力を初め、東京電力、東北電力、関西電力、電源開発の水力発電所がある。60Hzの電源周波数の区域が大半であるが、小諸市高峰高原や大町市の一部、飯山市の一部と栄村の一部などでは50Hzの区域もある。
ガス
長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが、2006年に長野県営のガス事業が民営化され、新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された。その後2006年7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。ちなみに、長野都市ガスは東京ガスグループに属している。
上記も含め、長野県内の主なガス供給業者は下記の通り。
- 長野都市ガス - 本社:長野市、供給エリア:中野市、須坂市、長野市、千曲市、上田市、東御市、小諸市、佐久市、山ノ内町、小布施町、御代田町
- 上田ガス - 本社:上田市、供給エリア:上田市
- 大町ガス - 本社:大町市、供給エリア:大町市
- 松本ガス - 本社:松本市、供給エリア:松本市
- 諏訪ガス - 本社:諏訪市、供給エリア:諏訪市、茅野市、岡谷市、下諏訪町
- 信州ガス - 本社:飯田市、供給エリア:飯田市
地域
自治体
※ 消滅した自治体は「消滅した長野県の市町村一覧」を参照のこと。
県下には19市14郡25町37村がある。県内は、2地域、4地域、または10地域に区分される(人口は2006年12月1日現在の推計人口[2])。以下に挙げる地域区分は、県庁による地域区分である。
- 北信地方(66万1418人)
- 東信地方(42万0533人)
- 中信地方(53万0018人)
- 南信地方(57万6851人)
- 飯伊地域 (17万3957人)
地域的特徴
北信、東信、中信、南信の4地域は、自然地理や歴史や交通などの各面で、特徴が全く異なっている。これは、「信濃の国」(県歌)における「松本、伊那、佐久、善光寺」の四区分にも象徴されている。
信越本線・国道18号や上信越自動車道の沿線である北信と東信は、千曲川流域で北国街道沿線に当たり、戦国時代には上杉氏の支配圏に置かれて来た。この為に、日本海側(特に頚城地方)、或いは群馬県や東京との繋がりが深い。
北信は、飛騨山脈のすぐ東側に位置しており、豪雪地帯でスキー場も多い為に、北陸の一部だと見なされる事も多く、海水浴で日本海へ行く者も多い。近年では、「首都圏から最も近い日本海側」として、首都圏からの観光客も多く訪れている。
一方の東信は、中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯から、日本海側のみならず、浅間山や碓氷峠を越えた群馬県との交流も深い。又、道路で雁坂峠の国道140号が開通する前には、碓氷峠~東信~山梨県~静岡県大井川以東のルートが、国道16号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていた為に、関東志向が最も強い地域になっている。この為に、「関東と北陸の折衷地域」という様相を呈している。
これらに対して、中央本線・飯田線や中央自動車道の沿線である中信と南信は、戦国時代には諏訪氏・小笠原氏・武田氏・徳川氏の支配圏に置かれて来た地域で、内陸側の山梨県や、太平洋側の静岡県や東三河地方との歴史的連関が大きい。従って、内陸側同士(山梨県、東濃など)や太平洋側(東京都、遠州灘沿岸など)との繋がりが深く、日本海側である北信との繋がりは浅い。
南信は、天竜川流域に位置する為に、太平洋側でも遠州灘沿岸(東三河地方、遠江地方)との繋がりが特に深く、次いで山梨県や東京都との繋がりが深い。メディアでも、太平洋側に本拠地を置く中日新聞の販売エリアに入っている。又、鎌倉と京都から等距離に位置するために、文化圏も関東系と近畿系が折衷している。
一方の中信は、中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、内陸側で隣接する山梨県(甲州街道沿線)や東濃(中山道沿線)との交流も多く、特に武田氏の支配圏に置かれた山梨県との繋がりが深い。太平洋側では、東京都との繋がりは深いが、遠州灘沿岸とは親和性は強いが繋がりはやや浅い。
気候では、南信・中信・東信は内陸性気候の地域であるのに対して、北信は日本海側気候の地域になっている。水系でも、北信・東信・松本地域が日本海側水系に属するのに対して、南信・諏訪郡・木曽郡は太平洋側水系に属している。
又、私立大学の地方入試会場を見ると、北陸4県の私立大学は長野に、濃尾2県や遠州灘沿岸の私立大学は松本に、それぞれ地方入試会場を設ける事が多い。一方で、首都圏や京阪神の私立大学は、長野と松本の割合が半々となっている。
従って、長野県全域としてではなく、「上信」(上野国・信濃国)の呼称は東信を指し、「信越」(信濃国・越後国)の呼称は北信を指し、「上信越」(上野国・信濃国・越後国)の呼称は東信と北信を指し、「三遠信」(三河国・遠江国・信濃国)の呼称は南信を指すと考えることもできる。特徴としては、「上信越」は観光や交通網で総まった経済連合、「三遠信」は反県庁所在地の政治連合という色が濃い。
南信の場合は、「三遠信」というよりも、より明確に「三遠南信」という名称で呼ぶ事も多い。主な名称としては、三遠南信自動車道、三遠南信地域交流ネットワーク会議、三遠南信サミット、三遠南信地域整備連絡会議、三遠南信地域経済開発協議会、といった機関がある。こうした動きからも、特に飯田を初めとする伊那盆地では、「伊那は北陸ではないし、北関東でもない」「長野や直江津と一緒にされたくない、豊橋や浜松と一緒になりたい」と念願する姿勢が強く、長野県からの離脱を求める動きがある。2006年11月4日には、小坂樫男・伊那市長が、「伊那谷は中京、(次いで)関東・東京とつながりが深い。県を半分に割ってもいい」と発言した(※信濃毎日新聞 2006年11月5日付記事より)。
中信も、廃藩置県期には筑摩県の県庁が置かれて来た経緯や、中央本線沿線という立地から、こちらも「北陸ではないし、北関東でもない」「長野や直江津と一緒にされたくない」という姿勢が強く、長野県からの離脱や、筑摩県の復活を求める動きがある。
地域的な食い違いを解消する為に、長野県を北(水内)・東(佐久)・中(筑摩)・南(伊那)に四分割する案も出ている。又、道州制論議でも、区割りでは中央自動車道沿線と上信越自動車道沿線を別々にする案も出されている。
更に、尾張地方・西三河地方・西濃地方の3地域が、歴史的に滋賀県や京都府との繋がりが深く、長野県との繋がりが浅い点から、道州制を題目とするネット掲示板では、「名古屋と一緒にされたくない」という意見も出ており、中央自動車道沿線の長野県・山梨県・東三河地方・静岡県が一緒の枠組みで(広域)関東州への加入を希望する意見がある。
2006年2月28日に、地方制度調査会が道州制の区割り案を発表した際に、当時の田中康夫知事は、「長野県全域が北関東というのはいかがなものか?」と発言した。次いで、2006年10月の知事選挙で当選した村井仁知事は、「長野県は分割してもいい」と発言しているが、木曽町出身で長野県松本深志高等学校のOBであり、中信側の人物である。
交通
長野県は古くから、中山道、北国街道、甲州街道など、国内東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し、その流れから現在においても主要幹線交通が交わる。
又、広く山国の長野県において、県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている。関東地方や近畿地方からの距離があり、広大な面積を持つ県なので、JR本州3社全ての管轄路線が存在する。特に伊那谷と木曽郡は、首都圏(東京・鎌倉)と畿内(大阪・京都・奈良)から等距離に位置している。
自動車登録番号標
この外に、伊那谷に「伊那」ナンバーあるいは「南信州」ナンバーの導入を、東信地方に「軽井沢」ナンバーあるいは「佐久」ナンバーの導入を、国土交通省に求める動きがある。
鉄道
長野県は、旧国鉄の線路がJR本州3社に分割された唯一の都道府県である。
道路
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空港
- 信州まつもと空港(松本空港)
- 大阪線、札幌線、福岡線
教育
長野県は以前は教育に熱心で「教育県」と呼ばれていたが、戦後数十年はそのイメージが薄れつつあった。しかし2002年度(平成14年度)より田中県政下において、公立小学校の30人規模学級が進められ、2005年度(平成17年度)には、小学校1~4年生の4学年にまたがる完全30人学級が、全額県の費用負担により全国で初めて実現した。また小学校5、6年生に関しては、市町村と共同で行われている。
現在では、この「教育県」を彷彿させるものとして、冬休みや夏休みなどの長期休業が短いことやテレビ(民放)の放送終了時間も他県と比べて圧倒的に早いこと、性風俗営業店舗を条例で規制しているなどが挙げられる。また、長期休みに関しては、長野県の気候の関係による「寒中休み」も一部の学校で実施されている。
なお、長野県の県立高校の正式名称は、高等学校設置条例(昭和39年12月28日長野県条例第64号)第2条により「長野県○○高等学校」となっており、「長野県立○○高等学校」といった「県立」の名称は用いない。
- 備考・その他
- 長野県の県立高校は私服通学の高校(私服校)が多い。
- 中学生は、高山登山の伝統がある。
報道機関
新聞
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テレビ局
いずれの局も美ヶ原送信所を親局とし、長野県を放送範囲としている。(数字はリモコンキーID)
- 1(総合)・2(教育) NHK長野放送局(長野市) - NHK松本支局(松本市)
- 4 テレビ信州(TSB)(NNN〔日本テレビ〕系列)(長野市(放送センター)・松本市(本社))
- 5 長野朝日放送(abn)(ANN〔テレビ朝日〕系列)(長野市)
- 6 信越放送(SBC)(JNN〔TBS〕系列)(長野市)
- 8 長野放送(NBS)(FNN〔フジテレビ〕系列)(長野市)
長野県内のケーブルテレビ局の数は山梨県・徳島県・佐賀県と同じくとても多く、また、このケーブルテレビ局の中には、長野県の民放4局 + テレビ東京などの在京局(一部在名局)5局(計民放9局)が視聴可能な所も多い。それは難視聴地域が多く存在していたからだと思われる。実際、長野県のCATV局加入率は全世帯の50%を超え、全国の都道府県で第5位である。よって、必然的にテレビ東京や在京局(キー局)を視聴している家庭が多いといえるとだろう。しかし、地上デジタル放送移行による、「CATVによる区域外再送信禁止の方針」や在京局の圧力(前記の方針が出される前から再送信に圧力を掛けられていた)で現時点では将来、在京局を見る世帯は少なくなると見込める。当然、この方針が実現したら、多くのCATV局視聴者から反発が来ると予想できる。
アンテナ受信では県東部・北部の一部の地域で関東広域圏のチャンネルが受信できる。県南部の一部では、東海3県(含テレビ愛知)が受信可能(現在デジタル放送では放送エリアが十分でないため受信不可能)、だが両方の場合も本来の放送範囲からは外れているため、場所によりノイズやゴーストなどが入る場合がある。
又、信濃毎日新聞のラテ欄には、関東広域圏のテレビ局と中京広域圏のテレビ局の両方を掲載しており、他に山梨放送も掲載している。
ラジオ局
AMラジオ局
東北信地方全般・中南信地方の一部(DID地区を除く)では東京のAMラジオ局(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送・アール・エフ・ラジオ日本)が終日良好に聴取出来る。また、南信地方の飯田・木曽南部地区では名古屋のAMラジオ局(中部日本放送・東海ラジオ放送)が終日良好に聴取出来る。
大阪のAMラジオ局(朝日放送・毎日放送・ラジオ大阪)は晩秋~春先にかけて天気如何によっては終日良好に聴取可能な地方がある。
FMラジオ局
県内ケーブルテレビ局の一部では、県内FM局のほかにもTOKYO FM(JFNキー局)などの関東地方やFM AICHIなどの東海地方のFMラジオ局も再送信している。
コミュニティFM
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ケーブルテレビ
長野県はケーブルテレビ局の局数が多い県としても有名である。
(→Category:長野県のケーブルテレビ局)
長野県を舞台にした作品
有形文化財建造物
- 国宝
- 重要伝統的建造物群保存地区
主な観光地
最近の長野県に関する話題
- 脱・記者クラブ宣言
- 脱ダム宣言
- 長野県原産地呼称管理制度(制度の概要)
- 詳細については内部リンクを参照
- 「田中県政完全清算」宣言
- 冬季五輪使途不明金疑惑の調査委員会の解散
- 1998年に行なわれた冬季五輪の使途不明金調査委員会を、「特定の個人、特定のグループの罪をあばくことは建設的でない」という理由で解散させる。調査委員会は今後、財政悪化の原因や第三セクター鉄道に関する調査を行なう予定であり、存在している可能性のある行政の癒着の発見を妨げる事となった。田中によって開かれた県政が閉ざされつつあることが浮き彫りになった一件である。
- 信州サーモン
- 2004年 長野県水産試験場がニジマスとブラウントラウトをバイオテクノロジー技術を用いて交雑させニジマスの染色体を2組、ブラウントラウトの染色体を1組もった三倍体の「信州サーモン」を開発。
その他
- 沖縄県と並び、公営競技場及び投票券場外発売場が1つも無い県である。そのため、テレビで競馬・競輪・競艇などのCMが流されることは稀であり、ローカルで「レースガイド」が放送されることはめったに無い。(しかし「スーパー競馬」などの競馬番組はネットしている。)
関連項目
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外部リンク
- 長野県ウェブサイト
- さわやか信州旅ネット
- ビーなび信州
- 信濃毎日新聞
- 信州スタイル
- SNOWLOVE.NET
- Y!ニュース - 長野県政
- 長野県統計情報
- 信州毎日新聞