新潟総合テレビ
この項目では、新潟県を放送対象地域とするFNN・FNS系列のテレビジョン放送局について説明しています。同県のNHK地方放送局が放送する「NHK総合テレビ」については「NHK新潟放送局」をご覧ください。 |
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株式会社 新潟総合テレビ Niigata Sogo Television, Co., Ltd.
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150px | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | NST |
本社所在地 | 日本 新潟県新潟市中央区八千代 二丁目3番1号 |
電話番号 | |
設立 | 1968年3月2日 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | 放送事業(フジテレビ系列) |
代表者 | 代表取締役会長村山稔 代表取締役社長大橋武紀 |
資本金 | 300,000,000円 |
売上高 | 7,652,000,000円(2017年3月期) |
総資産 | |
従業員数 | 91名(2017年4月1日現在) |
決算期 | |
主要株主 | フジ・メディア・ホールディングス(32.4%)など |
主要子会社 | 株式会社NSTサービス NSTエンタープライズ 株式会社コム 一般財団法人駒形十吉記念美術館 |
関係する人物 | 桜井督三、駒形十吉 |
外部リンク | https://www.nsttv.com/ |
特記事項: |
新潟総合テレビ | |
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英名 | Niigata Sogo Television, Co., Ltd. |
放送対象地域 | 新潟県 |
キー局 | フジテレビ |
ニュース系列 | FNN |
番組供給系列 | FNS |
略称 | NST |
愛称 | NST |
呼出符号 | JONH |
呼出名称 | NSTにいがた デジタルテレビジョン |
開局日 | 1968年12月16日 |
本社 | 〒950-8572 新潟県 新潟市中央区 八千代二丁目3番1号 |
演奏所 | 本社と同じ |
アナログ親局 | 新潟 35ch |
ガイドチャンネル | 35ch |
リモコンキーID | 8 |
デジタル親局 | 新潟 19 |
主なアナログ中継局 | #チャンネル参照 |
主なデジタル中継局 | #デジタルテレビ参照 |
公式サイト | http://www.nsttv.com/ |
特記事項:開局当初はFNN・NNN・ANNのクロスネットだった。 | |
株式会社 新潟総合テレビ(にいがたそうごうテレビ、Niigata Sogo Television, Co., Ltd.)は、新潟県を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行う特定地上基幹放送事業者である。 略称はNST、コールサインはJONH-DTVで、フジテレビジョン(FNN・FNS)系列に属している。
2018年現在、新聞(新潟版)のテレビ欄やEPG等では「NST」と表記されることが多いが、正式名称である「新潟総合テレビ」が用いられることもある。
キャッチフレーズは「Niigata Smile ТV(にいがたスマイルティービー)」(2014年4月より)。
目次
本社・支社[編集]
本社の郵便番号はNST専用。社用の他、視聴者プレゼントなど一般向けに使用している。
- 長岡支社 - 〒940-0033 長岡市今朝白二丁目1番4号
- 「長岡放送センター」跡地(後述)。同敷地内には、「駒形十吉記念美術館」があり、別棟のビルに長岡支社が入居している。
- 上越支社 - 上越市西城町三丁目5番24号(上越大同生命ビル内)
- ゆきぐに魚沼支社 - 南魚沼市六日町106番地1
- 佐渡通信部 - 佐渡市窪田538番地1
- 東京支社 - 東京都中央区銀座三丁目9番11号(紙パルプ会館内)
- 関西支社 - 大阪府大阪市北区堂島浜一丁目1番8号(堂島パークビル内)
かつて存在した施設[編集]
- 長岡放送センターがあった時代は、本社機能だけでなく、スタジオも設けられていた。
- 新潟市中央区八千代に移転後は解体され、現在は駐車場となっている。
- 長岡放送センター - 長岡市今朝白二丁目1番4号
- 開局から1991年10月に新潟市本社に廃統合するまで、演奏所およびスタジオ機能として存在していた。
- 統廃合後に解体され、1994年に「駒形十吉記念美術館」として開館。敷地内には、別棟で長岡支社の建物も設けられている。
概要[編集]
1968年12月16日開局。新潟県内で2局目の民間放送局で、県内初のUHF局である。
新潟県に2局目の民放テレビ局のチャンネルプランが発表された際、フジテレビなどフジサンケイグループ、日本テレビなど読売新聞グループ、NETテレビ(現:テレビ朝日)など朝日新聞グループをはじめ、複数の免許申請が出されたが調整により一本化され、3社が相乗りする形で会社を設立。トリプルクロスネットであったことから、社名には“総合”の名称がつけられた。なお、現在はフジテレビ系列のフルネット局のため、“総合”の意味合いはほぼなくなった。
複数の放送局申請を調整し設立の行司役を田中角栄が担ったことから、設立時には本社は新潟市、演奏所スタジオは田中の運営する越後交通のお膝下である長岡市でスタートし、越後交通グループや田中真紀子ほか田中家一族らとも親密であった。 さらにフジサンケイグループのネット局として設立され、また当時から現在に続くフジテレビのネット局である。
社長には、当時新潟県経営者協会会長の桜井督三(北越製紙社長)が就任。4年後の1972年に大光相互銀行(現:大光銀行)の会長だった駒形十吉が就いた。駒形は長年大光相互銀行の社長を務め、後に子息の斉に社長の座を譲り会長に退くが、大光は1979年秋に乱脈融資事件が発覚し強制捜査を受けることとなった。更にこれを巡って大幅な債務超過に陥っていることが発覚。1980年春には上場廃止となり、これを引責する形で駒形一族は大光を追われたが、十吉のNST社長職については個人大株主であったこともありそのまま留任、1999年の死去直前まで実権を掌握し続けた[注 1]。
開局当初は「楽しいテレビNST」というキャッチフレーズを掲げ、PRを図った。また初のUHF局であったことから、開局前には県内各地で催事が行われる折に、VHFチューナのみを備えたテレビで視聴するためのUHFコンバータの普及促進活動を行っていた。クロスネット当時は、上記3局に加えて東京12チャンネル(現:テレビ東京)の番組も購入して放送しており、実に4局の番組が混在する状態が続いていた。
開局以後のNSTは、自社制作番組の割合が著しく低く、番組制作に関して消極的な姿勢を見せていた。事例として、トリプルクロスネットの頃は報道部が事実上機能していない時期もあった。その一方で、営業活動に非常に貪欲で、CM制作やコマーシャル収入で大きな収益を上げ、民放テレビ局の年収でも、ローカル局として上位を記録していた[1][注 2]。その後、1981年4月にテレビ新潟放送網が開局し、まず日本テレビ系列を離脱。1983年10月に、新潟テレビ21が開局してテレビ朝日系列も離脱し、フジテレビ系列のフルネット局となった。しかしNSTはそれ以後も、昼間や深夜時間帯にはフジテレビの番組よりもむしろテレビ東京の番組を主体とした編成体制を敷いていた。更にはフジテレビの日曜の競馬中継(現『みんなのKEIBA』)も、フルネット化以後も新潟放送からネットチェンジせず、なおも自社制作率は低いままであった。駒形氏の影響力が薄れた1990年代に入ってからは、まず1991年に長岡放送センター(長岡市)を本社(新潟市)に移転統合する。2000年代には自社制作率は徐々に上昇し、フジテレビの番組の遅れネットも減少。2000年には新潟競馬場開催の中継と『スーパー競馬』のネットを開始し、其の翌年には仙台放送製作の東北電力一社提供番組の放送権も新潟放送から移行した事で、長年の「腸捻転」(ネットワークのねじれ現象)がようやく解消。2004年には本社を新潟市中央区八千代に移転するなど、設備投資を積極的に行っている。2002年、新潟市中央区上所にあった本社の建物の老朽化と、後に開始される地上波デジタル放送におけるハイビジョン化を視野に入れ、現在の新社屋の建設を決定。新社屋は2004年10月に完成、2004年10月20日に本社の全機能を新社屋へ移転し、放送を開始している。この新社屋は全てハイビジョン放送に対応しており(県内では一番早かった)、省エネ設計の建築であるばかりか、屋上にはわずかだが太陽電池パネルまで取り付けられている。新社屋移転後、毎年10月には「NSTまつり」を開催している。
2010年3月29日、地上波デジタル放送移行に先駆けて社名の通称名称の整理を目指し、呼称を「NST」に統一した。なお登記上の商号は改称せず、引き続き「新潟総合テレビ」を維持している。放送上では、フジテレビ系列番組の表記は引き続き「新潟総合テレビ」を使用しているが、報道番組の制作協力、主催クレジットや新聞、テレビ欄などは「NST」と表記され、呼称する(但し『FNSの日』では系列局を紹介する際、「新潟総合テレビ」〈2014年以降は「新潟NST」〉と呼称する場合がある)。
キャンペーン、キャッチフレーズ[編集]
- 2003年度から6年間
- 新潟県内外で夢を追う人々を応援する「『Dreaming.』キャンペーン」を展開。同年のCI導入に合わせ、当時のキャッチフレーズ「もっと、いい夢。」に因んで開始した企業キャンペーンで、「人と、人の持つ可能性を応援する」というコンセプトの下で2008年度まで展開した。
- 2005年
- 「Digital Dreaming.」をキャッチフレーズに、地上波デジタル放送のPRを展開していた。
- 2009年度から(現在も実施)
- 2008年度から並行して実施していた「『大好き! にいがた!』キャンペーン」を展開している。
- 2010年1月1日から約1年間
- 2010年4月から1年間
- 前述のキャンペーンの途中から並行して使用を開始。風景の中から女性の顔の部位がアップで現れ、キャッチフレーズ「NSTは、あなたを、刺激する」をPRする自社のスポットCMを放映していた。ちなみに、このCMに流れる音楽を唄っているのは新潟市在住のソプラノ歌手のアマリア・ネクラエシェである。CMヴァージョンは以下の通り。
- 「唇編」(空から唇が現れる。ナレーション:「あなたが、話したいこと、それは私たちが見せたいこと。」)
- 「瞳編」(海の上空から瞳が現れる。ナレーション:「あなたが、見たいこと、それは私たちが見せたいこと。」)
- 「耳編」(森の上空から耳が現れる。ナレーション:「あなたが、聴きたいこと、それは私たちが見せたいこと。」)
- 「天使編」(これは2011年1月に初公開。天使の子供達が唇のようなソファに座る。ナレーション:「明日の向こうを、見ませんか。私たちと、ご一緒に。」)
- 前述のキャンペーンの途中から並行して使用を開始。風景の中から女性の顔の部位がアップで現れ、キャッチフレーズ「NSTは、あなたを、刺激する」をPRする自社のスポットCMを放映していた。ちなみに、このCMに流れる音楽を唄っているのは新潟市在住のソプラノ歌手のアマリア・ネクラエシェである。CMヴァージョンは以下の通り。
- 2014年4月から
- 略称がNSTであることと、ローカルの看板番組の1つに『スマイルスタジアムNST』があることをもじり、2018年12月16日に迎える開局50周年に向かい、「Niigata Smile TV(にいがたスマイルティービー)」キャンペーンを行っている。
マスコットキャラクター[編集]
局のマスコットキャラクターは「ナシテ君」。他にガールフレンドとして「ドシテちゃん」、友達として「ロボッチョ君」がいる。いずれも、開局35周年である2003年に登場した。開局45周年を迎えた2013年12月には、ナシテ君とドシテちゃんの顔のデザインが変更された。 テンプレート:FNN-character
駒形十吉について[編集]
NSTでは、『FNNプライムニュース α』などフジ系列全国ネットの最終ニュースのスポンサー全てがローカルスポンサー、またはネットスポンサーの一部とローカルスポンサーの混在のいずれかとなっている。フジ系列・テレ朝系列クロスネット局時代には、当時ネットしていた『ANNニュースファイナル』が、ネットスポンサーとローカルスポンサーが混在していた。
これは、フジ系列フルネット局化後も駒形が「この時間帯のスポンサーになってくれる地元企業を大切にしたい」との意向によるもので、同時間帯のニュース番組の完全ネットスポンサー化を現在も辞退し続けているのは、その名残である。なお、ローカルスポンサーについては、提供読みで企業名の読み上げを要するスポンサー料が高額な企業となる場合が多い。
また、現代美術収集家としても知られ、大光相互銀行やNSTの社内には「大光コレクション」と呼ばれる数多くの美術品が飾られていた他、大光相互銀行は長岡市内に美術館も持ち(長岡現代美術館)、一般にもこれらコレクションを公開していた。しかし乱脈融資事件をきっかけに経営危機に陥った大光相互銀行は、国や各地の金融機関から融資を受けるため現代美術館を閉鎖し、これら収蔵品の約半分を全国各地へ売却することとなった。その際、売却を免れた一部の作品は現在、同市の新潟県立近代美術館とNST長岡支社敷地内の放送センター跡地に建設した駒形十吉記念美術館に収蔵されている。
資本構成[編集]
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[2][3][4][5][6]
2015年3月31日 - 2016年3月31日[編集]
資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 |
---|---|---|---|---|
3億円 | 12億円 | 500円 | 600,000株 | 150 |
株主 | 株式数 | 比率 |
---|---|---|
フジ・メディア・ホールディングス | 194,400株 | 32.4% |
朝日新聞社 | 30,000株 | 5.0% |
第四銀行 | 30,000株 | 5.0% |
北越銀行 | 30,000株 | 5.0% |
大光銀行 | 30,000株 | 5.0% |
過去の資本構成[編集]
資本金 | 授権資本 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 |
---|---|---|---|---|
3億円 | 12億円 | 500円 | 600,000株 | 166 |
株主 | 株式数 | 比率 |
---|---|---|
駒形十吉 [7] | 34,000株 | 5.66% |
田中角栄 [8][9] | 33,100株 | 5.51% |
鹿内宏明 [10][11] | 32,400株 | 5.40% |
フジテレビジョン | 30,000株 | 5.00% |
産業経済新聞社 | 30,000株 | 5.00% |
小梶彰三 [10][12] | 30,000株 | 5.00% |
朝日新聞社 | 30,000株 | 5.00% |
第四銀行 | 20,000株 | 3.33% |
北越銀行 | 20,000株 | 3.33% |
大光銀行 | 20,000株 | 3.33% |
新潟中央銀行 | 20,000株 | 3.33% |
沿革[編集]
- 1967年11月1日 予備免許取得。
- 1968年
- 3月2日 NST 新潟総合テレビ設立。
- 10月頃 NST 長岡放送センター完成。屋根に取り付けられた大きなNSTの看板が印象的な建物であった。
- 11月7日 放送試験電波発射。マスターは松下(現:パナソニック)製で、1981年6月下旬の音声多重放送開始に伴う更改まで使われ続けた。送信機は東芝製。
- 11月29日 本免許取得。これに伴い、サービス放送を開始する(カラー放送も同時に開始)。
- 12月1日 地元の新聞紙新潟日報に同局の番組表が初めて掲載される。午前11時55分~放送開始。
- 12月9日 この日より、フジテレビの朝の看板番組『小川宏ショー』の同時ネットを開始する(1981年3月31日まで)。これに伴い、平日の朝の放送を開始する。
- 12月16日 FNN、NNN、NET-朝日テレビニュース3系列のトリプル・クロス・ネット局(ダブル・クロスネットも含めて、クロスネットではUHF局で全国初)として開局。
- 12月20日 開局記念として、新潟市体育館での『プロレスリング中継』が、日本テレビの制作で全国で放映される(但し、白黒放送だった。)。[注 4]
- 1969年10月1日 FNS発足と同時に加盟。
- 1970年
- 1971年10月25日 平日が全日放送になり、完全全日放送化完了。これと同時に、フジテレビの『ママとあそぼう!ピンポンパン』の放送開始。NSTの同番組での放送は、初めは17時からの1日1回の放送だったが、後に朝からの放送も開始し1日2回の放送となるが、後にフジテレビが同番組は朝の放送のみとなったため、それから番組終了までは朝の放送のみとなる。
- 1972年
- 1975年
- 1977年頃 アンペックス社製1インチVTR導入、運用開始。
- 1980年
- 頃 報道取材として、U規格3/4インチVTRを使ったENGを使用開始。
- 3月 アンペックス社製のCMバンク稼動開始(尚、同システムの本格稼動の開始は、翌年3月頃からとなる)。
- 4月 デイリーのレギュラー情報番組『NSTですこんにちは』放送開始
- 9月 FM放送の開設を申請。しかし、後に却下された。
- 1981年
- 1981年7月27、28日 高校野球県大会の準決勝、決勝の模様を長岡市悠久山野球場から、同局ローカル番組初のステレオ(生中継)で放送[注 6]。
- 1983年
- 1989年
- 1991年10月1日 長岡にあった放送センター(演奏所設備)が本社のある新潟(上所)に移転統合。これに伴い、新潟に新しい運用設備が稼動開始。
- 新しい主調整設備はNEC製。
- 一部の画像・音声送出用に、書き換え可能の光磁気ディスク(MO)が採用される。
- 1993年頃 ソニー製D-2方式のデジタルVTRを導入、運用開始。
- 1997年10月 字幕放送開始。
- 1998年 終夜放送開始。
- 2000年1月 TBS系列局である新潟放送(BSN)で放送されていたフジテレビの『スーパー競馬』がようやくNSTに移行される。
- 2001年
- 3月 放送データ作成システム及びCMバンク更新。
- 10月6日 『スマイルスタジアムNST』スタート。
- 2002年4月1日 CIの一環として、ロゴ変更。
- 2003年
- 3月 新社屋(市内八千代2、旧新潟鉄道管理局グラウンド跡)起工式・着工。
- 開局35周年に伴い、自局初のキャラクター「ナシテ君・ドシテちゃん」が登場する。
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2月27日 地上デジタル放送のサイマル試験サービス放送開始(データ試験放送、ワンセグ試験放送も同時開始)。これを期に、ローカルニュースを含めローカル番組のほとんどがハイビジョン化される[注 13]。
- 3月30日 - 地上デジタル放送の本免許を取得。[13]
- 4月1日 午前4時40分、地上デジタル本放送開始(UHF19ch、出力3kw、コールサインJONH-DTV、リモコンキーID8)。同時にワンセグの本放送も開始これに伴い、20時台の『NSTニュース』・『NSTゴールデンニュース』・ニュース・放送開始前後に放送される天気予報の各OP/EDと、放送開始・終了時のOP/EDをハイビジョン化させ、デジタル放送対応にした。[注 14]。
- 4月15日 ローカル番組で、新潟ビッグスワンからJ1リーグ「アルビレックス新潟VS名古屋グランパスエイト」の模様をハイビジョンで生中継する。[注 15]
- 2008年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 2012年
- 2013年12月16日 開局45周年のこの日に、自局のキャラクター「ナシテ君・ドシテちゃん」の顔のデザインが変更される。
- 2014年4月
- 開局50周年に向かい、「Niigata Smile TV」(にいがたスマイルティービー)キャンペーンをスタートする。
- 社員の65歳定年制を、日本の民放史上、初めて導入する[14]。
- 2015年3月27日 この日を以て、テレビ東京の「L4 YOU!」の同時ネットが打ち切り。これに伴い、『レディス4』以来約30年も続いた、テレビ東京の平日16時から45分枠の三越提供枠の同時ネット放送(フジテレビ系のフルネット局としては唯一だった)が終了する[注 22]。
- 2016年4月 南魚沼市に、ゆきぐに魚沼支社を開設する。
- 2016年10月 局初の海外拠点として、ベトナムのホーチミン市に、ASEAN支局を開設する。
ネットワークの移り変わり[編集]
- 1968年12月16日 - 日本テレビ・フジテレビ・NETテレビのトリプルクロスネット局としてテレビ本放送を開始。ニュースネットはNNN・FNN・NET-朝日テレビニュース系列。
- 1969年10月1日 - この日発足したFNSに加盟。
- 1970年1月1日 - NET-朝日テレビニュース系列がANNとして発足し加盟。
- 1972年6月14日 - この日発足したNNS発足と同時に加盟。要出典
- 1975年3月31日 - 腸捻転解消に伴いトリプルクロスのうちANN系列準キー局がMBSからABCに変更される。
- 1981年4月1日 - テレビ新潟放送網の開局によりNNN・NNSを脱退。新潟放送から開局時移行されなかったテレビ朝日の番組が移行するがこれによりフジテレビの番組が朝8時半からの生番組(当時は『小川宏ショー』)を中心に一旦激減する[注 23]。
- 1983年10月1日 - 新潟テレビ21の開局によりANN脱退。新潟放送から移行しきれなかったフジテレビの番組が移行され、FNN・FNSマストバイ化が完了するが競馬番組と仙台放送製作の東北電力一社提供番組は新潟放送でネット継続。(勿論、2年半前の時点で打ち切りになったフジテレビ制作の朝8時半からの生番組(当時は『おはよう!ナイスデイ』)のネットも再開する。)
- 2000年1月1日 - フジテレビの競馬番組がようやく新潟放送から移行される。
- 2001年4月 - 仙台放送製作の東北電力一社提供番組の放送権が『ぼくらの時代』の開始と共に、ようやく新潟放送から移行される。
プライムタイムの番組編成の変貌[編集]
開局当初 (1968年12月)[編集]
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
日テレ・フジ・テレ朝トリプルネット末期 (1981年3月)[編集]
- ★ → 時差ネット
月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
19:00 | テレ朝 生徒諸君! |
日テレ★ それは秘密です!! |
日テレ★ カックラキン大放送!! |
テレ朝 クイズタイムショック |
テレ朝 ハロー!サンディベル |
日テレ★ がんばれ!ブーマー |
日テレ★ すばらしい世界旅行 |
19:30 | フジ クイズ漫才グランプリ・スター千一夜 |
フジ アップルハウス |
テレ朝 クイズ ヒントでピント | ||||
20:00 | テレ朝★ ワールドプロレスリング |
日テレ 新五捕物帳 |
フジ 銭形平次 |
フジ 探偵同盟 |
日テレ 太陽にほえろ! |
フジ 小さな追跡者 |
日テレ (日曜8時連続ドラマ) 宇宙空母ギャラクティカ |
21:00 | テレ朝★ 長七郎天下ご免! |
テレ朝 柳生あばれ旅 |
テレ朝 欽ちゃんの どこまでやるの!? |
フジ (木曜時代劇枠) 江戸の朝焼け |
日テレ (金曜劇場) 欽ちゃんのちゃーんと考えてみてネ! |
テレ朝 土曜ワイド劇場 |
日テレ★ 水曜ロードショー |
22:00 | フジ 夜のヒットスタジオ |
日テレ ダウンタウン物語 |
テレ朝 特捜最前線 |
テレ朝★ ゴールデン劇場 |
テレ朝 (必殺シリーズ) 必殺仕舞人 |
フジ・テレ朝クロスネット初期 (1982年4月)[編集]
月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
19:00 | テレ朝★ ドラえもん |
テレ朝 怪物くん |
フジ Dr.スランプ アラレちゃん |
テレ朝 クイズタイムショック |
テレ朝★ ワールドプロレスリング |
フジ★ アイ・アイゲーム |
フジ おじゃまんが山田くん |
19:30 | テレ朝 一休さん |
フジ 火曜ワイドスペシャル |
テレ朝 水曜スペシャル |
フジ★ パタリロ! |
テレ朝 熱血 あばれはっちゃく |
テレ朝 クイズ ヒントでピント | |
20:00 | フジ★ 欽ドン!良い子悪い子普通の子 |
フジ スターどっきり(秘)報告 |
フジ 時代劇スペシャル |
テレ朝★ 鬼平犯科帳 |
フジ オールスター家族対抗歌合戦 | ||
21:00 | フジ★ 銭形平次 |
フジ なるほど!ザ・ワールド |
テレ朝 欽ちゃんの どこまでやるの!? |
フジ (木曜時代劇枠) 同心暁蘭之介 |
テレ朝 土曜ワイド劇場 |
テレ朝 日曜洋画劇場 | |
22:00 | フジ 夜のヒットスタジオ |
テレ朝 プロポーズ大作戦 |
テレ朝 特捜最前線 |
フジ★ 影の軍団III |
テレ朝 (必殺シリーズ) 新・必殺仕事人 |
フジ・テレ朝クロスネット末期 (1983年9月)[編集]
月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
19:00 | テレ朝★ ドラえもん |
テレ朝 フクちゃん |
フジ Dr.スランプ アラレちゃん |
テレ朝 クイズタイムショック |
テレ朝★ ワールドプロレスリング |
フジ★ アイ・アイゲーム |
フジ さすがの猿飛 |
19:30 | テレ朝 The・かぼちゃワイン |
フジ 火曜ワイドスペシャル |
テレ朝 水曜スペシャル |
フジ★ ベムベムハンター こてんぐテン丸 |
テレ朝 痛快あばれはっちゃく |
テレ朝 クイズ ヒントでピント | |
20:00 | フジ★ 欽ドン!良い子悪い子普通の子 |
フジ 木曜ファミリーワイド |
フジ 時代劇スペシャル |
テレ朝 暴れん坊将軍II |
フジ オールスター家族対抗歌合戦 | ||
21:00 | フジ★ 銭形平次 |
フジ なるほど!ザ・ワールド |
テレ朝 欽ちゃんの どこまでやるの!? |
テレ朝 土曜ワイド劇場 |
テレ朝 日曜洋画劇場 | ||
22:00 | フジ 夜のヒットスタジオ |
テレ朝 プロポーズ大作戦 |
テレ朝 特捜最前線 |
フジ★ 大奥 |
テレ朝 (必殺シリーズ) 必殺渡し人 |
番組[編集]
新潟総合テレビ番組一覧 を参照
チャンネル[編集]
デジタルテレビ放送[編集]
- 地上波デジタル放送は、NHK新潟放送局、新潟放送と同じ2006年4月1日に本放送を開始。放送を開始する同放送のPRもサイマル試験放送開始前から行っていた。リモコンキーIDはフジテレビジョン(キー局)、関西テレビ放送(準キー局)、沖縄テレビ放送が3局ともにアナログ親局・リモコンキーIDで使われる「8」を使用している。「8」は東海テレビ放送、サガテレビとクロスネット局(テレビ大分・テレビ宮崎)を除くFNN・FNS系列24局で共通となっている。
- しかし、同局は2004年にハイビジョン及び地上デジタル放送に対応した新社屋に移転したため、設備がほぼ万全だったので、地上波デジタル放送への移行が他局よりも比較的に楽だった。さらに将来のハイビジョン化をにらみ、新社屋移転後から局のローカル看板番組である『スマイルスタジアムNST』では、早くも一部コーナーでハイビジョンでの取材を始め、更にサイマル試験放送開始後では、直ぐに一部の報道取材をハイビジョン化するなど、ハイビジョン化においては、地上デジタル放送開始以前から、新潟県の民放で最も積極的に取り組んでおり、2007年の時点では、『スマイルスタジアムNST』では取材部分まで全部ハイビジョン化されていた[注 24]。しかし、ローカル番組のハイビジョン中継車を使った生中継では、自社がまだハイビジョン中継車を導入していなかったため、他社よりそれをレンタルするしかなく、まず、地上デジタル放送開始記念番組として新潟ビッグスワンからのJ1リーグ「アルビレックス新潟VS名古屋グランパスエイト」のハイビジョン実況生中継を行ったが、ハイビジョン大型中継車のレンタルであった。しかし翌年、新潟テレビ21が、ローカル番組において、新潟スタジアムからのJ1リーグの生中継や高校野球の新潟県大会の準決勝及び決勝戦をハイビジョン実況生中継で行ったり、地上波デジタルテレビの大幅な普及も手伝い、2008年からは、『NSTみんなのKEIBA』が、フジテレビ等のハイビジョン中継車の貸与と中央競馬の主催・スポンサーでもあるJRAの金銭面でのサポートもあり、当番組のローカル部分が全てハイビジョン化される様になった[注 25]。
親局、中継局共、リモコンキーIDは8である。
- 親局:19ch JONH-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
- 中継局
- 高田 25ch
- 津南 24ch
- 新井 45ch
- 守門 34ch
- 妙高高原 45ch
- 三川 43ch
- 津川 43ch
- 村上 25ch
- 村松 43ch
- 高柳 38ch
- 津南上郷 24ch
- 両津 31ch
- 外海府 24ch
- 関川 45ch
- 青海 20ch
- 小出 28ch
- 相川 30ch
- 湯沢 19ch
- 栃尾 45ch
- 川口 19ch
- 鹿瀬 19ch
- 大和 34ch
- 津南田中 19ch
- 六日町 34ch
- 高千 17ch
- 糸魚川大野 18ch
- 糸魚川早川 34ch
- 朝日 34ch
- 府屋 33ch
- 土樽 33ch
- 安塚 32ch
- 勝木 20ch
- 小千谷真人 37ch
- 中里 47ch
- 黒川 33ch
- 湯之谷 28ch
- 柿崎 30ch
- 松代 32ch
- 新発田赤谷 40ch
- 越路 39ch
- 鯖石 40ch
- 塩沢 45ch
- 新津 37ch
- 牧 45ch
- 下相川 19ch
- 牛野尾谷 46ch
- 関川女川 36ch
- 津南中津 24ch
- 柏崎山口 28ch
- 中郷 48ch
- 宮古木 22ch
アナログテレビ放送[編集]
2011年7月24日停波時点
- 親局:35ch JONH-TV 弥彦送信所(出力=映像:30kW、音声:7.5kW。)
- 中継局
- 高田 33ch
- 相川 58ch
- 小出 43ch
- 津南 57ch
- 松代 43ch
- 高柳 48ch
- 守門 61ch
- 関川 59ch
- 青海 43ch
- 三川 58ch
- 早川 44ch
- 湯沢 44ch
- 糸魚川 33ch
- 津川東 51ch
- 湯之谷 27ch
- 六日町 61ch
- 外海府 27ch
- 下相川 43ch
- 牛野尾谷 57ch
- 川口大島 55ch
- 妙高高原 24ch
- 津南田中 27ch
- 津南上郷 34ch
- 津南中津 41ch
- 柏崎鯖石 57ch
- 柏崎山口 43ch
- 関川女川 44ch
- 小千谷真人 27ch
- 糸魚川大野 57ch
オープニング・クロージング[編集]
また、現在は終夜放送(24時間放送)を行っている。1998年頃から2015年5月頃までの放送休止時間帯は県内の気象情報が放送されていた。ただし、終了から約1~2分程度および開始の5~10分前にはカラーバー表示があった。2015年6月頃から現在は「大好き!にいがたふるさと百景」(県内の風景映像)を放送している。またカラーバー表示はいずれも2015年6月頃に廃止された。また現在の放送休止時間帯(フィラー)は、「大好き!にいがたふるさと百景」だけでなく企画(イベント等)宣伝や番組宣伝のCMを放送している。
- 2006年4月1日~ - 「海と日の出」【オープニング】「海と月」【クロージング】バージョン
- ハイビジョン収録のCG映像。オープニングは海から上り出る太陽と流れ行く雲、クロージングは月明かりに照らされた海の上を流れ行く雲。いずれも「新潟総合テレビ」「JONH-TV」「JONH-DTV」のロゴが次々と表れ、最後に「NST NIIGATA SOGO TELEVISION CO. LTD」の社ロゴが表示される。アナログ・デジタルで共用している。
- 2010年3月29日からは新潟総合テレビの呼称がNSTに変更したことにより、ロゴは「NST」「JONH-TV」(2011年からデジタルのみになったため、表示なし)「JONH-DTV」の表示のみになった。
- 2014年4月1日からは、新キャッチコピー使用開始のためロゴは、「NST Niigata Smile TV」の表示になった。
- 2004年10月~2006年3月31日 - 「もっと、いい夢。」【オープニング】
- 現本社移転後、このオープニングが制作された。本社周辺の風景や社内の設備や機器を紹介している(BGM:『Fields and Hedgerows』Johnny pearson)。事実上オープニングとして放送開始時に使用していたが、コールサインや周波数・出力などの技術情報は全く入らず、むしろ新社屋のPRである。
- 地上波デジタル放送のサイマル放送のオープニングにも使用されていた(2006年2月27日~3月31日)。
- 2002年4月~2006年3月31日「もっと、いい夢。」【オープニング・クロージング兼用】(オープニングでの使用:2002年4月~2004年10月・クロージングでの使用:2002年4月~2006年3月31日)
- 林の中を駆け抜ける少年と犬の映像から始まる。林を抜けたところで少年は突如空へと飛び立ち、弥彦山と「はざ木」の上空を旋回しながら(この映像をバックに弥彦送信所の周波数・出力と中継局数を表示)、新潟市内上空へと飛んでゆく(この映像をバックに「JONH-TV 新潟総合テレビ」のテロップを表示)。最後に「もっと、いい夢。」のキャッチフレーズと共に「NST」の社ロゴが表示される。
- 新潟市上所の旧本社(1991年10月に放送所が新潟に移動してNEC製のマスターになってから)では、東京等からのアナログ・マイクロ回線を通して入る番組と、ローカル送出番組での技術的な違和感を無くすため、ローカルでの送出では音声をイコライジング処理して音質を故意に劣化させる処置をとっていた。しかし、同市八千代の現本社に移転した際に導入したアナログ放送用マスターは映像・音声共に全てデジタル信号で処理するようになっており、前述のイコライジング処理を行う必要がなくなった。このため、旧本社の時のものと現本社移転後のものとでは音質が微妙に異なっている。
- 地上波デジタル放送のサイマル試験放送でも流されていたが、コールサインのテロップには手を加えないまま使用された(2006年2月~3月31日)。
- 1994年頃~2002年3月 - 旧ロゴ最終バージョン
- オープニングは、弥彦送信所をモチーフにしたイラストをバックに「JONH-TV」のロゴが映し出され、続いて「NST 新潟総合テレビ」の社ロゴと弥彦送信所の周波数・出力が表示される。続いて新潟県の地図をバックに各中継局のチャンネルが表示され、最後に白バックを背景に「NST 新潟総合テレビ」の社ロゴが再び表示される、30秒間の映像。BGMは、1世代前同様に「NST県民茶会」のCMで使用されたもの(ただし、音声ののピッチは高め)。
- クロージングは、弥彦送信所のイラストをバックにコールサイン、社ロゴ、弥彦送信所の周波数・出力が表示され、「今夜もNSTの放送をご覧頂き、ありがとうございました。本日の放送はこれで終了致します。JONH-TV」とナレーションが入る。オープニングのBGMが使用される場合もあった。
- 1991年10月~1994年頃 - 新潟市上所本社移転後
- 弥彦送信所のアンテナや上所社屋の鉄塔・パラボナアンテナなど4つの写真の上に新潟県の形のCGから電波をなし続け、その目の前に様々な年代の新潟県民の顔を写した映像がスライドインし、最後に局名と技術情報が載る。技術情報はこのころから周波数・出力ともに載るようになった。BGMは、「NST県民茶会」のCMで使用されたもの(ただし、音声ののピッチは高め)。
- クロージングは、オープニングを早回しにしたもので、オープニングが60秒に対して、クロージングは30秒の映像尺であった。
- 全篇サイケデリック調のイラストレーションを用いたセル画のアニメーション。
- 目・耳・口、そしてストップウォッチを押す画の後、花々と男女、働く人々、港、工場の画が次々とフラッシュしてゆく。そして新潟県の画をバックに「JONH-TV」、「新潟総合テレビ」のロゴが映し出され、モザイク模様をバックに「NST」のロゴ、最後に「35ch 弥彦送信所、中継局42局」のテロップが表示される。以上、1分間の映像。エンディングは30秒間で、映像構成が一部異なる。ナレーションは無く、詳細な技術情報も表示されなかった。
- 1985年までは最後の部分において、弥彦送信所に加えて、中継局の字幕スーパーが挿入されたが、以降「35ch 弥彦送信所、中継局42局」のみの表記となった。
- クロージングでは、アナウンサーが中継局を全局読み上げ、季節の事項についてトークし、オープニングで放映された1分間の映像を放映していた。その後、アナウンサーが翌日の番組の内容について読み上げ、季節の事項についてトークしたあとに、30秒の映像を流すパターンとなった。
アナウンサー[編集]
NSTは会社の方針として、新潟県出身者や同県育ちの人材を数多く採用することで知られており、アナウンサーについても同様で、県内の民放テレビ局の中でその割合が最も高い。以下のリストには、現役のアナウンサーについて、新潟県出身者・育ちの人のみ、その地を記す。
男性[編集]
- 鈴木秀喜(2000年、ラジオ福島から移籍。現在は番組制作のプロデューサー担当の方が多い。神奈川県出身。)
- 飛田厚史(2010年、TOKYO FMから移籍。2002年~2008年までテレビ信州アナウンサー。千葉県出身。)
- 高橋正和(2018年、秋田朝日放送から移籍。)
女性[編集]
- 水谷悠莉(2013年入社、上越市生まれ)
- 真保恵理(2015年入社、新潟市生まれ)
- 杉山萌奈(2015年入社、柏崎市生まれ)
- 松尾和泉(2016年入社、柏崎市生まれ)
- 井上綾夏(2017年入社、新潟市生まれ)
過去[編集]
男性[編集]
- 山本安幸(1973年和歌山放送から移籍、現FMゆきぐに取締役放送局長)
- 山田晟
- 藤田嘉宏(山口放送から移籍、現国際音楽エンタテイメント専門学校講師)
- 田島義彦(1984年山形テレビへ移籍、現酒田支社長)
- 長谷川晴彦(1990年テレビユー福島より移籍。現上越支社所属)
- 田中良幸(現フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』リポーター等)
- 高橋翔(2006年~2007年、富山テレビへ移籍も退職)
- 梅中悠介(2006年~2010年、大分朝日放送から移籍、→ジョイスタッフ)
- 斉藤修(1991年、山形放送から移籍。豊栄市(現:新潟市北区)出身)
女性[編集]
- 中村政子
- 佐々木志津子(1975年入社〜1985年。現見附市議会議員)
- 樋口幸子(山形放送から移籍。現フリーアナウンサー)
- 小方恵子(千葉テレビ放送より移籍。その後、FM新潟に移籍し、現在フリー)
- 関根美紀(現FM新潟パーソナリティー)
- 藤野綾子
- 山田典子
- 鈴木美佳(退社後はテレビ神奈川へ移籍)
- 外山優子
- 岡田花菜子(1992年入社〜?、現フリーアナウンサー)
- 菊野麻子(1992年入社〜2000年。当時の報道制作部所属。現フリーアナウンサー、Kアプローチ(K&A)代表)
- 根津ゆかり(1992年入社〜1995年3月。その後、ショップチャンネルの開局時からのキャストとなり、現在に至る)
- 大坪幸代(1995年入社〜2003年。現フリーアナウンサー)
- 柳華織
- 北村史子(1998年入社〜?)
- 草薙厚子(現SMAエンタテインメント所属のジャーナリスト)
- 田中真木子(1999年入社〜2001年)
- 木竜亜希子(2001年〜2006年。その後テレビ信州に移籍し、更にその2年後には、ジョイスタッフ所属となりフリー)
- 高山景子(2001年入社〜2004年。その後テレビ愛媛へ移籍、2009年同局退職。その後はフリーとなり、オフィスケイアールに所属)
- 松村道子(2002年入社〜2007年、ビープロデュース所属のフリーアナウンサー)
- 斉藤有希(2005年入社〜2006年?現NHK水戸放送局契約キャスター)
- 村山恵美(2001年〜2008年3月。新潟放送から移籍)
- 中田エミリー(2003年〜2010年3月。その後フリーとなり、セント・フォースに所属)
- 近藤麻智子(札幌テレビ放送から移籍。2009年4月〜2011年3月。その後はフリーとなり、ニチエンプロダクションに所属)
- 市野瀬瞳(2007年〜2012年、中京テレビ放送へ移籍)
- 村山千代(2004年〜2013年。その後フリーとなり、ライムライトに所属)
- 堀恭子(2007年〜2013年)
- 廣川明美(2006年〜2015年、以前は青森テレビに所属。地上デジタル放送推進大使)
- 新井翔子(2013年〜2016年6月。山形テレビから移籍。結婚による寿退社)
- 横内美紗(2011年〜2016年12月。退社後、古巣の圭三プロダクションに所属しフリーに転身。0〜5歳の頃、新潟市に在住していた[注 26])
- 堀井七絵(2013年〜2018年、川崎市出身)
脚注[編集]
- ↑ 『週刊ダイヤモンド』2007年6月2日号「テレビ局崩壊 Part.5 地上波の民放127局の経営局ランキングを初試算「Columm 平均1000万円はザラでも身を削らない高給の実態」」内の民放年収ランキングより(ダイヤモンド社) 2007年6月2日、56頁。
- ↑ 日本民間放送連盟 (2015-11-20) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑2015 ] コーケン出版 2015-11-20 305
- ↑ 日本民間放送連盟 (2016-11-25) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑2016 ] コーケン出版 2016-11-25 312
- ↑ 日本民間放送連盟 (1978-12) 日本民間放送連盟 [ 日本放送年鑑'78 ] 洋文社 1978-12 186
- ↑ 日本民間放送連盟 (1992-11) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑'92 ] コーケン出版 1992-11 265
- ↑ 日本民間放送連盟 (2003-11) 日本民間放送連盟 [ 日本民間放送年鑑2003 ] コーケン出版 2003-11 286
- ↑ 7.0 7.1 新潟総合テレビ 代表取締役社長
- ↑ 越後交通 代表取締役
- ↑ 元 衆議院議員(中選挙区制 新潟3区)、元 内閣総理大臣(第64 - 65代)
- ↑ 10.0 10.1 新潟総合テレビ 非常勤取締役
- ↑ フジテレビジョン 代表取締役会長
- ↑ フジテレビジョン 常務取締役
- ↑ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年3月23日付
- ↑ NSTホームページの「会社概要欄」に記載。公的年金制度の変化にいち早く対応するため理由による。
注釈[編集]
- ↑ NSTは、かつて元日未明(大晦日深夜)にはフジテレビのネット受けを行わず、駒形自らの出演による10分間の「社長挨拶」を放映していたことからも、それが窺える。
- ↑ 2007年6月号の『週刊ダイヤモンド』によると、民放年収ランキングの項目において、NSTは全体から7位を記録するほどであった。
- ↑ この日の同番組では、「ジャイアント馬場VSブルート・バーナード」の30分一本勝負がメイン・イベントとして放送された。
- ↑ この番組の試合でのメイン・イベントは、「ジャイアント馬場VSブルード・バーナード」だった。
- ↑ 当番組がBSNで放送されていた時は、フジテレビから1日遅れの月曜日午後6時からの放送であったが、この月より、フジテレビと同じ、日曜日午後6時30分からの放送となり、今でも続いている。これは、NSTが開局当初から、良質な子供向け番組の放送に力を入れていたこともあって、移行がある意味スムーズにいった。しかし、同じフジテレビの番組でも、『ズバリ!当てましょう』については、スポンサーの松下電器(現:パナソニック)の意向により、放送終了までBSNにて放送されていた。
- ↑ しかし翌年からは、ANNを脱退して自局で同番組を放送しなくなるまでモノラル放送だった。
- ↑ CM用に使われる1インチVTRによる映像・音声をバックに、字幕による予報情報が出る番組構成の場合のみにステレオ放送となる。この方法での天気予報番組のステレオ化は、この時既に、新潟放送、テレビ新潟でも行われていた(ちなみにBSNでは、天気予報のほぼ全時間帯がステレオ放送だった)。
- ↑ フジテレビと同時放送開始当時から、この番組を放送する一部の放映局は、番組編成の都合上、時差ネットを行っていた。当時に比べれば、現在ではこの番組の時差ネットをする局は少なくなった。また、この番組の新潟での放送開始に伴い、柏崎市に本社のあるブルボンが同番組の全国版CMスポンサーの1社となった経緯がある。
- ↑ 後の地上デジタル放送開始に備え、後にデジタルマスターを増設させてアナログ・デジタル統合型にできる様に設計させている模様である。
- ↑ 地震発生時、同局は『NSTスーパーニュース』のローカルニュース枠の放送で、新社屋4階のニューススタジオでフリーアナウンサーの菊野麻子が天気予報を読み終える直前だった
- ↑ フジテレビの『ミュージックフェア』がネットされていないこと、18:30~19:00枠がローカル枠だったことが影響している。
- ↑ この日は、新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
- ↑ 同時ネットによるハイビジョン放送はフジテレビ系列の番組のみで、テレビ東京の番組で同時ネットをしている『レディス4』についてはハイビジョン化されなかった。同番組は、テレビ東京がこの時点で既にハイビジョン放送をしているにもかかわらず、NST側で同局のハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ体制が整っていなかったため、しばらくの間は、アナログ放送用の回線をアップコンバートして4:3の額縁放送の処置をとっていた。但し同じテレビ東京の番組でも、ビデオ送出の番組についてはこの限りではない。例えば、『いい旅・夢気分』、『開運!なんでも鑑定団』等は、サイマル試験放送開始当初からハイビジョン放送だった。
- ↑ デジタル放送開始記念番組として、『はっしん! デジタル2006』(NHK新潟放送局、BSNとの共同制作番組)、シリーズ『ふるさと新潟の童謡(うた)』等のハイビジョン番組が放送された
- ↑ この中継時、ハイビジョン中継機材をレンタル使用して生中継放送を行った。しかし、その際のレンタル料金が余りにも高価だった為、その後約2年間はローカル番組に於いてのハイビジョン中継機材のレンタル及び使用は自粛される。
- ↑ 新潟競馬場からの中継時のハイビジョン中継車は、スポンサーであるJRAの金銭面でのサポートも手伝い、フジテレビ等(日によっては別のレンタル会社の場合あり)が貸与する
- ↑ これにより、いつもレギュラー枠であるフジテレビ同時ネットの『ネプリーグ』は、この回については、4日後の同月8日午後2時より放送された。
- ↑ 同番組は放送後に再放送の要望が多数寄せられ、これに答えるべく、同年10月9日の14時05分より再放送された。
- ↑ ハイビジョンによる同中継システムの自社導入は、県内民放ではテレビ新潟(TeNY)、新潟テレビ21に次いで3局目で、FNS系列では最も遅れた方である。
- ↑ 但し、スポーツ中継等の大規模を要するローカルのハイビジョン番組については、引き続きそれ用の中継車等の設備をレンタルして放送を行う。
- ↑ 新潟民放で系列局以外のハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ態勢を整えたのは、NSTが初である。
- ↑ この改編(2015年3月30日)に伴い、『スーパーニュース』(平日版は2015年3月27日終了)時代はNSTでは実施されていなかった17時台のネットが『みんなのニュース』(2015年3月30日開始)の開始から実施される。
- ↑ しかしその一方で『火曜ワイドスペシャル』、「世界名作劇場」(1981年当時は『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』を放送)、『オールスター家族対抗歌合戦』など同時ネットになったフジテレビ系番組や『おじゃまんが山田くん』など新潟放送から移行されたフジテレビ系番組、『ひらけ!ポンキッキ』など新たにネット開始したフジテレビ系番組も存在する。
- ↑ 但し、取材用のハイビジョンカメラが全部出払っている状況の時もあり、その場合は、標準画質の取材である場合も稀にあったが、現在は勿論、取材も全部ハイビジョンである。
- ↑ 時々、フジテレビのハイビジョン中継車が全部出払っている状況やそれをレンタルできる別の会社でもそれが日によってはできない場合もあるために、標準画質の普通中継車を使って放送する日もある。移行初期には福島テレビからその後BSNから中継車を借り受け、NSTのロゴを貼って対応した事もある(当時の雑誌ラジオライフに写真が掲載)。
- ↑ NSTホームページ内の彼女の自己紹介の一部に記載されている
外部リンク[編集]
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