パナソニック

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
この記事の内容には批判・批評的内容が含まれています。この投稿に参加した時点であなた自身に責任が及ぶ可能性もあります。この記事を編集・執筆する方は自らの責任を自覚した上で利用してください。詳しくは基本方針を参照してください。記事の執筆にはYourpediaへログインを推奨します。また削除要請はこちらをご覧ください。
パナソニック株式会社
種類 株式会社
業種

パナソニック株式会社英称: Panasonic Corporation)とは、日本総合家電メーカーである。事業持株会社としてパナソニック電工パナホームなどを傘下に持つ。本社は大阪府門真市。創業者は松下幸之助

長らく松下電器産業株式会社(まつしたでんきさんぎょう 英称: Matsushita Electric Industrial Co.Ltd)という社名を用いていたが、2008年10月1日よりブランドイメージの統一などを目的として主なブランド名の1つであったパナソニックを社名に採用し、会社名を変更した。詳細は社名変更を参照。 グローバルブランドスローガンは「Panasonic ideas for life」。

概要[編集]

同根兄弟会社のパナソニック電工を連結対象に収めた現在、関連会社も含め、家電製品の他にも産業機器、通信機器など電気機器を中心に多角的な事業を展開している。その経営スタイルや社風から同業の東芝ソニーとの比較をされることが多く、特にソニーが好調の際にはソニー型経営を褒め称える書籍が増え、逆の状況では松下型経営を褒め称える書籍が書店に並ぶなど、良きにつけ悪しきにつけ世間では両社をライバルだとみなす傾向が強い。これはVTR機でのベータVHS競争の印象が強いためだと思われる(ただし、ソニー主導とされる次世代DVDBlu-rayをパナソニックが支持する等、必ずしも対立関係とは限らない)。確かにオーディオ・ビジュアル製品では、現在でも両者は直接の最大のライバルのひとつである。しかし、パナソニックの販売製品全体の中でソニーと競合する製品は多くなく(特にソニーは白物家電を販売していない)、これは映画事業やゲーム事業金融事業へと展開するソニー側から見ても同じことが言える(パナソニックも映画事業やゲーム事業に一時参入したが早期に撤退、金融事業も松下時代に撤退している)。現在の戦略は様々な規格で日系他社と争いつつも、一方で分野によっては(液晶パネルなど)東芝や日立、ミネベアなどと提携・合弁・事業移管を行っている。また知財活動も盛んで、米国出願件数ではIBMに続き、毎年、キヤノンと出願件数を争っており、技術力の高さも窺える。現在では薄型テレビデジタルカメラDVDレコーダーの新・三種の神器に力を入れて製造・販売している。かつては他社が取り入れた評判のよい技術をすぐに自社製品化して対抗商品を開発するため「マネした電器」とも揶揄されていたが、現在は独自技術を前面に打ち出した事業展開を行っている[1]

パナソニックの評価[編集]

年表[編集]

  • 1917年6月 - 松下幸之助大阪府東成郡(今の大阪市東成区猪飼野の借家で電球用ソケットの製造販売を始める。当時は松下幸之助の妻“むめの”と妻の弟である井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。
  • 1918年3月7日 - 大阪市北区西野田大開町(今の大阪市福島区大開2丁目)に移転。松下電気器具製作所を創立する。
  • 1921年 - 最初の商品「国民ソケット」を発売。
  • 1927年 - 自転車用角型ランプを販売。この商品から「ナショナル (National)」の商標を使用しはじめる。
  • 1931年 - ラジオの生産を開始。
  • 1932年 - ラジオの重要部の特許を買収し、同業メーカーに無償で公開。戦前のエレクトロニクス業界の発展に寄与。
  • 1933年 - 大阪府北河内郡門真町(現・門真市)に大規模工場を建設して移転。事業部制を導入。
  • 1935年 - 松下電器産業に改組、松下電器(現・パナソニック電工などを分社化。「国民ソケット」発売。
  • 1937年 - 「ナショナル」のロゴ書体「ナショ文字」制定(1987年に使用中止)。
  • 1941年 - 軍需産業に参入。木造や木造飛行機を生産する。
  • 1946年 - 第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により制限会社の指定を受けた。しかし、軍需産業とみなされたことと大資本のため統廃合の制限がされた松下電工(当時 松下航空工業)以外の分社を再統合(合併)して事業部制に戻し、洗濯機などの製造を開始した。
  • 1947年 - 制限会社の指定を受けたことに伴い、専務取締役の井植歳男が公職追放。同氏が、兵庫県加西郡北条町(現・加西市)の松下航空工業北条工場と自転車用発電ランプの製造権、職員の一部を引き継ぎ三洋電機として独立。
  • 1952年 - オランダフィリップスと提携し、松下電子工業を設立。
  • 1954年 - 戦争でほぼ壊滅状態にあった日本ビクターと資本提携する。その際ビクターを吸収したりせず、ビクターとは競争しながら発展していくという関係をとることになった。その理念は社長が変わった後も続いていたが、2007年秋に資本関係を解消する事に合意した(同年8月に総額350億円の第三者割当増資をケンウッドスパークス・グループに行い、松下の保有比率は36.90%となり連結子会社から外れ、持分法適用関連会社となった)。
  • 1955年 - 「Pana Sonic」ブランドを、単体スピーカーユニット8P-W1(のちに国内向けは「EAS-20PW09」に型番変更)の輸出に初めて使用。
  • 1957年 - 全国の“街の電器屋さん”が加盟する日本で最初の系列店ネットワーク「ナショナル店会(後のナショナルショップ制度)」が発足。高度成長期の強大な販売網として機能し、ピーク時には全国で約5万店にまで増加したが、後継者不足や量販店との競争激化により現在は約1万8000店にまで減少している。
  • 1961年
  • 1964年 - 『熱海会談』。系列店への熾烈な販売ノルマや、テレビの不良品などが問題化し、3日間に亙って紛糾。幸之助が会長兼営業本部長代行としてトップセールスに復帰する契機になる。
  • 1965年 - 完全週休2日制を実施、新販売制度(流通経路の短縮主体)。高度成長路線に乗る。
  • 1966年 - 英字表記の「NATIONAL」ロゴを国内向け製品に、「PANASONIC」ロゴを海外向け製品、および国内向けトランジスタラジオに使用開始。「ナショナル」が米国で商標登録されており使用できなかったことがその動機だが、「パナソニック」に落ち着くまでに、1964年5月に「NATIONAL PANASONIC(ナショナル・パナソニック)」で米国への輸出が認められ、以後、「KADOMAX(カドマックス)」、「マツシタ」、「マーツ」を経て「パナソニック」となっている。
  • 1969年 - 東京電気化学工業(現・TDK)と提携。
  • 1970年 - 日本万国博覧会に松下館を出展。当時の文化の資料を収め5000年後の開封を目指したタイムカプセルを展示した。
  • 1971年 - 「PANASONIC」ロゴを、現在の「Panasonic」へ変更。
  • 1973年 - 「NATIONAL」ロゴを、現在の「National」へ変更。パナファコム株式会社(現:株式会社PFU)を設立。
  • 1977年
  • 1986年
    • 2月 - 谷井昭雄専務が社長に就任。
    • 「パナソニック/Panasonic」ブランドを国内でも使用開始。初使用した製品はMSX2パソコン「FS-A1」。またこの頃から「松下電器」の独自制定書体も使われなくなり、一般的なゴナ系の書体に変更される。
  • 1987年 - 富士通FM-RのOEM仕様のデスクトップPC「PanacomM500/700」を発売[2]
  • 1988年 - テレビビデオデッキCDラジカセミニコンポなどのAV家電部門が、ナショナルブランドからパナソニックブランドへ移行する。
  • 1989年 - 新しいスタイルのナショナルショップチェーン「パナック」を立ち上げ。
  • 1990年 - MCA社(現・ユニバーサル・スタジオ)を子会社化。
  • 1991年
    • 10月 - DCCデッキ RS-DC10を発売。
  • 1993年
  • 1994年
  • 1995年 - MCA社への出資分80%をシーグラム社に売却。
    • 4月 - 光ディスクPDを開発。
  • 1997年 - 社内分社制を導入(関連する事業部を統合・集約)。
  • 2000年
    • 6月 - 中村邦夫専務が社長に就任。森下社長は会長に、松下正治会長は名誉会長に、松下正幸副社長は副会長に就任した。将来の社長候補と目されていた創業者・幸之助の直孫である松下正幸が副会長に就任したことにより、松下一族による社長世襲はほぼ霧消したといえる。
    • 10月 - 同社初のDVDレコーダー「DMR-E10」発売。
  • 2001年 - 松下電子工業を吸収合併し、社内分社として「半導体社」「ディスプレイデバイス社」「照明社」の3部門を設ける。また、同社傘下にある宮田工業自転車消火器などのメーカー)の保有株式の半数をモリタへ譲渡。任天堂と共同開発商品DVD/GAME Player Q発売。
    長年にわたって続けてきた太陽電池の研究開発を取りやめ、家庭用の燃料電池事業に特化することを決断。経営危機さなかのやむを得ない判断ではあったが、これが大きな誤算となる。
  • 2002年 - 業績悪化により、2001年度末までに13000人を[[退職勧奨|早期退職]させ、企業年金を減らす事業の再構築を推し進めた。村山敦副社長は、『しんぶん赤旗』や週刊誌などの批判に対し、「私はこれだけの人が会社を去って、これだけ摩擦やトラブルが極小であったケースは稀まれであると思う。皆さん方は、人を大切にするやり方で、この特別ライフプラン制度をやりきったと、自信を持って胸を張って頂きたい。」と自賛した。しかし実態は、退職を拒むと再教育と称して草むしりなどの雑用をさせたケースもあったという。
  • 2003年 - グローバルブランドをPanasonicに統一、グローバルブランドスローガン「Panasonic ideas for life」の導入。
  • 2004年 - アルカリ乾電池以来40年ぶりとなる新型の乾電池「オキシライド乾電池」を開発。
    • 4月1日 - 戦後長らく独立路線であった松下電工を再び子会社化。ブランド戦略や経営戦略、研究開発にいたるまで統一的に展開することになり、互いの重複事業の再編と家電の営業部門の統合を行った。その結果、両社の共同経営会社のパナホームも松下電器産業直轄の子会社となり、松下電工とともに松下電器産業の住宅・電気設備のセグメント(電工・パナホーム)として組織上の再編が行われた。
    • 7月31日 - 同社初のBlu-ray Disc方式のレコーダーを発売。
  • 2005年
  • 2006年
    • 6月 - 大坪文雄専務が社長に就任。中村邦夫社長が会長に就任。
    • 10月 - 翌年3月までに家庭用ガス器具の生産、販売を終了すると発表。なお、家庭用燃料電池ライフエルおよびTESの端末である浴室暖房乾燥機の生産は続行、アフターサービスおよび部品供給はこれまで通り行う。ガス器具の売り上げは130億円だった。リンナイノーリツパロマに比べ規模が小さく、収益の上がる見込みなしと判断し、ガス器具からの撤退を決定した。近年、ガス器具の部品管理が家電部品部門に統合されるなど、会社内での電化商品の販売推進の経営方針もあり、ガス器具部門の衰退が伺えていた。ガス器具撤退に伴い『ナショナルガス器具』の看板を販売店は降ろすことになり、ナショナルショップには2007年3月にリンナイガス器具が供給されることになっている。なお、2008年ガスファンヒーターの生産販売をノーリツに移行した。
    • 時期不詳 - アナログ放送からデジタル放送への移行に伴い、同社で製造しているテレビ・録画機器のうち、地上デジタルテレビジョン放送非対応モデルの生産を全て終了すると発表。
    • 12月-グループ会社の日本ビクターの所有する株式を大手音響機メーカーケンウッドに売却する方針で最終調整と報道される
  • 2006年12月 - グループ会社の日本ビクターの所有する株式を大手音響機メーカーケンウッドに売却する方針で最終調整。

本文はまだ不確定のため非表示化。

  • 2007年
  • 2008年
    • 1月10日 - 同年10月1日より、社名を松下電器産業株式会社から「パナソニック株式会社」に変更し、白物家電に使われてきた「ナショナル」ブランドを全廃して「パナソニック」ブランドに統合すると発表。松下やナショナルが付くグループ会社も基本的にパナソニックを冠にした企業名に変更することを発表。
    • 4月24日 - パイオニアとPDPのパネル・モジュールの開発と戦略的な生産供給に関する包括提携を行うことで基本合意した。PDPの自社生産から撤退したパイオニアに対して松下がパネルを供給。開発および生産の効率アップとコスト競争力の増強に繋げる。5月をメドに正式に提携を行う。
    • 4月28日 - 一部報道により、松下と三洋電機が資本提携を検討中と伝えられるが、この当時は否定した。11月1日にも再び報道された。
    • 5月15日 - ナショナルブランド最後の新製品である縦型洗濯乾燥機「NA-FR80S1/FR70S1」を発売。
    • 6月26日 - 同日の株主総会で、社名を「パナソニック株式会社」への変更と、ブランドの「パナソニック」への原則統一が正式に決定。同時に系列店(パナソニックショップ)で(看板より)「National」ロゴの撤去作業を開始。
    • 6月30日 - (この日製造・出荷・発売分を最後に)松下製白物家電における「ナショナル」商標の公式使用を全て終了(翌7月1日以降製造・出荷・発売分より、全ての松下製品商標を「パナソニック」に統一)。
    • 8月25日 - 旧来の「ナショナル」製品在庫を9月30日までに完全ゼロとする計画を発表。
    • 9月16日 - (10月1日の社名変更日に発売される)新生「パナソニック」白物家電を一斉に公式発表(製造開始時期の関係から旧社名での表記となった)。
    • 9月27日 - 大阪府門真市の松下本社屋上にあった「松下電器」の切り抜き文字を完全撤去。
    • 10月1日 - パナソニック株式会社に商号変更。企業グループ名もパナソニックグループとなった。同時に白物家電を中心に一部製品から撤退(冷凍庫単体機、ワインセラーなど)。
    • 10月 - SDオーディオプレーヤー(D-snap)の生産を終了。(最終機種:SV-SD870N)
      以上を以って、テープレコーダーを除く全てのポータブルオーディオプレーヤーの生産を終了した。これにより事実上、ほぼポータブルオーディオ市場から撤退した。
    • 11月7日 - 経営再建中の三洋電機買収に向けた交渉を開始すると正式に公表する(成立すれば日立製作所を抜いて売上高約11兆円の国内最大手電機メーカーへと成長)。パナソニックの三洋買収の狙いは、三洋が持つ世界シェアトップのリチウムイオン電池と、世界7位の太陽電池事業にある。2005年 - 2006年にかけて、三洋電機のメインバンクかつ大株主である三井住友銀行がパナソニックに救済を依頼するも、交渉に至らずにいたが、今回は三井住友の打診に大坪社長自らが動いた。大坪は会見で「世界経済の厳しさは増し、さらなる成長のエンジンが必要だった」と語った。だが、背景には、エネルギー技術の戦略を早期に軌道修正する必要に迫られていたことがあげられる。
  • 2009年
    • 3月 - 1994年制定のパナソニックショップキャラクター「パナ坊」の公式使用を2010年3月31日を以て完全終了する事が決定。パナソニックショップ各店へ配布された同年4月発行のパナソニック各製品カタログにその旨の文書を同封。
    • 4月 - 経営再建中の三洋電機を本年6月1日よりパナソニックグループの傘下に収める(パナソニックの子会社とする)事が正式決定(「SANYO」ブランドは子会社化後も存続)。**11月4日 - 三洋電機株のTOB(株式公開買付)開始。同年12月28日までに三洋はパナソニックグループの傘下に入る事が公式決定し、パナソニックは(売上高では日立製作所を上回る)世界有数の巨大電機メーカーとなった。
    • 12月21日 - TOBの結果、三洋電機の62.27%の株式を取得し、三洋電機はパナソニックの子会社となる。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月31日 - 旧ナショナルショップ時代から続いてきたパナソニックショップのマスコットキャラクター「パナ坊」の公式使用を完全終了(パナソニックショップ全店で看板・カタログ・チラシ類等からのパナ坊絵柄削除完了)。
  • 2011年(平成23年)
    • 4月1日 - パナソニック電工、三洋電機を完全子会社化。これに伴い三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」一部店舗において「Panasonic」への看板掛け替えを開始。
    • 6月10日 - 「SANYO」ブランドで発売していたポータブルカーナビゲーション「Gorilla」を「Panasonic」ブランドで発売開始(4機種を皮切りに、8月上旬までに9機種を順次発売開始)。発売元も当社のオートモーディブシステム社に移管。
    • 7月28日 - 子会社化した三洋電機の白物家電事業を中国の家電大手ハイアールに約100億円で売却する旨を公式発表(これにより親会社パナソニックと重複する三洋事業のリストラを加速)。
    • 8月31日 - パナソニック電工を2012年1月1日付けで吸収合併することを発表。
    • 9月30日 - 三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」検索サイトを(パナソニックショップ等への移行に伴い)この日限りで閉鎖。同時に「SANYO」製品はこの日までにぼぼ生産を終了し親会社「Panasonic」製品へ統合(今後も生産を継続する三洋製品はブランドを「SANYO」から「Panasonic」へ切替)。
    • 10月18日 - 三洋の白物家電事業のうち冷蔵庫・洗濯機部門を中国の家電大手「ハイアール」へ約100億円で売却する旨と三洋グループ洗濯機・冷蔵庫生産部門社員をハイアールへ移籍させる旨が正式決定。
    • 10月25日 - 「SANYO」ブランドで発売されていたサイクロン式掃除機「airsis(エアシス)」を「Panasonic」ブランドで発売開始(モデルはMC-SXD410)。発売元は当社のランドリー・クリーナービジネスユニットへ移管。
    • 10月下旬 - 「SANYO」ブランドにて「おどり炊き」の愛称で発売されていた可変圧力IHジャー炊飯器を「Panasonic」ブランドで発売開始(モデルはSR-SX101/SX181/SB101/SB181/SA101/SA181の6機種)。発売元は当社のキッチンアプラインスビジネスユニットへ移管。尚、前述の6機種が自社初の圧力IHジャー炊飯器となった。
    • 12月1日 - 旧「スマイるNo.1ショップ」より衣替えしたパナソニックショップの一部を「スーパーパナソニックショップ」へ新規認定し、スーパーパナソニックショップ検索サイトへ掲載開始。
    • 12月15日 「SANYO」ブランドで発売されていたライスブレッドクッカー「GOPAN」を「Panasonic」ブランドで発売開始(モデルはSD-RBM1000)。発売元は圧力IHジャー炊飯器と同じく、当社のキッチンアプライアンスビジネスユニットへ移管。
    • 12月23日 - 大阪府守口市にある三洋電機本社社屋より「SANYO」ロゴ看板を撤去。2日後の12月25日に「Panasonic」看板取付。
  • 2012年(平成24年)
    • 1月1日 - パナソニック電工を吸収合併(同時にパナソニック電工子会社はほとんどがパナソニック傘下となる)。この日より三洋グループの工場・営業拠点看板を(従来の「SANYO」から)「Panasonic」へ掛け替え。
    • 2月10日 - VHS方式の家庭用ビデオテープレコーダの日本国内向けの生産・販売終了を発表。
    • 3月31日 - この日を以て三洋の「SANYO」商標廃止。
    • 4月1日 - 三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」のパナソニックショップへの吸収合併完了。三洋製品はこの日以降商標を「Panasonic」に完全統一して出荷。
    • 6月27日 - 津賀一宏専務が社長に就任。大坪文雄社長が会長に就任。

「このままでは非常事態に…」(2012年12月)[編集]

6万2690人――。

大手企業の社員数ではない。過去2年半にパナソニックを去った社員の数だ。来年3月末までにあと8000人減る予定。年中行事のようなリストラでコストを切り詰めてきたが、長年のけん引役だったテレビに代わる成長事業が見えない32万人の巨大企業に市場は容赦はない。

「一体、株主を何だと思っているのか」。今年7月後半。ある投資銀行幹部はパナソニックの社長に就任して日が浅い津賀一宏(56)に、初対面の場で強烈なパンチを浴びせた。

その時点で時価総額は1兆3千億円。4年前の4分の1以下だ。「全く反論の余地はなかった」という津賀は、技術畑の出身で長らく研究所で会社人生を送ってきた。投資家という「社外の目」が予想以上に厳しいことを初めて肌で感じた瞬間だ。だが、日を追うごとに現実の厳しさを知ることになる。

「このままでは自主経営が許されない非常事態がおきる」。

4~9月期の決算発表を1カ月後に控えた10月3日。大阪府門真市にある本社1階の講堂で津賀はいら立っていた。怒りの矛先はそこに集まった幹部クラスの社員。「こののんびりムードは何なんだ」。2007年3月末に1兆5千億円あった余裕資金は5年間で2兆5千億円も減り、今や1兆円の借金を抱える。それなのに危機感が一向に伝わってこない。

そして10月31日。パナソニックは今期の最終赤字が7650億円になるとの見通しを発表。ムーディーズ・ジャパンは11月20日、パナソニックの格付けを2段階下げた。もう1段下がれば「投機的」水準だ。

すでに投機的と格付けされ、銀行から協調融資を受けるシャープより危機レベルは低いといえるが「最悪の場合、資金調達は銀行融資以外になくなる」(津賀)。戦後の混乱期にしか経験したことのない事態だ。

ある40歳代の社員はこう語る。「社員に危機感がないって冗談じゃない。経営陣は改革、改革って毎日言うけど、そのたびに組織が変わる。もう改革という言葉に我々は疲れたんだ」

相談役の中村邦夫(73)が社長時代、「聖域無き構造改革」を掲げてから12年余り。津賀は肥大化した本社を戦略立案に特化したスリムな組織に変えようとしている。しかし改革が半ば常態化してしまった社内で、真に必要な改革はできるのか。津賀の苦悶が続いている。

「こりゃあ、荒れるぞ」(2012年12月)[編集]

パナソニックの新体制が発足した6月末、最高財務責任者(CFO)常務の河井英明(58)は資金繰りに頭を悩ませていた。社債などの債務は1兆円を超える。格付けが引き下げられる中、すでに新たな社債発行も難しくなっていた。

「このままではまずい」。悩んだ河井はついにパナソニックでは長年、禁じ手だった手段を部下に指示した。「銀行と融資枠契約を結ぶようすぐ検討に入ってくれ。額は6000億だ」

ふつうの企業では銀行から融資を受けるのは当たり前。しかし、パナソニックという企業では事情が異なる。豊富な資金を背景に「松下銀行」とまで言われてきた同社にとって、銀行頼みは屈辱的なこと。特にメーンバンクの三井住友銀行とは、大阪経済界の代表どうしで張り合ってきた。

そんなプライドを優先できる余裕はもはやなくなったのかもしれない。河井の号令から3か月たった9月末、ようやく三井住友銀などと融資枠契約を結ぶことが取締役会で承認された。

こうした状況からいち早く脱したい――。数日後、社長の津賀一宏(56)は幹部らを集めた会議で、資金をひねり出すための全社プロジェクトを自ら立ち上げた。「これ以上、資本市場の信頼を失えば、まさに会社存続の危機だ」。事業戦略を練り直すのも大事だが、まずは今期末までにキャッシュ2000億円を捻出することが最重要課題となった。

しかし、今期に7650億円の最終赤字を計上する見通しと発表した10月31日午後。日系証券会社のある債券ファンドマネージャーは、目の前のモニター画面にくぎ付けになった。「こりゃあ、荒れるぞ」

パナの社債発行残高はすでに9300億円で国内最大規模。投資家にとってその信用力が魅力だったが、この日を境に評価は一変する。「もう信用できない」。夕方の取引開始直後からパナ債の売り注文が殺到。社債市場に“パナソニック・ショック”が走った。

2年で1兆5000億円の赤字という未曽有の危機。それは松下幸之助が興し、長らく家電製品で日本の家庭を支えたパナソニックの産業界、市場での地位が大きく変わったことを象徴する出来事なのかもしれない。ある主力取引銀行の元首脳は感慨深げにこう語った。

「あれだけ銀行なんか関係ないと言ってた頑固なパナさんも、ようやく我々のいう事を聞く気になったわけや。津賀さんには期待してるよ」

社名変更[編集]

世界展開により、「松下」「ナショナル」「パナソニック」の名称を使い分けることによるデメリットが年々増大し、ブランドイメージの統一が課題となっていた。 そこで、松下幸之助の存命中から海外で知名度の高い「パナソニック」への統一が検討されていたが、幸之助が激怒したため棚上げになった。幸之助の死後もその状況は続いたが、2008年6月26日の株主総会において、社名の「松下電器産業株式会社」から「パナソニック株式会社」への変更と、グループ会社名称の「パナソニック」への統一(一部例外あり)が承認され、同年10月1日に実施された。なお、「ナショナル」ブランドから「パナソニック」ブランドへの移行は、2008年7月1日発売の新製品から先行実施された。なお、中国語の表示では社名変更後も従来通り「松下電器産業株式会社」・「松下」の表記を使用している。松下電器は日本国外において自社のブランド名「パナソニック」が浸透していることを考慮し、2008年10月1日をもって社名を『パナソニック株式会社(英称 Panasonic Corporation)』に変更し、「ナショナル」ブランドも2009年度までに廃止し「パナソニック」へ一本化する意向を、同年1月10日の記者会見で(大坪文雄社長が自ら)公式発表した[4]6月26日の2008年度定例株主総会にて採決がなされ、社名変更は全会一致で正式決定した[5]。この社名変更関連費用はグループ全体で約300億円と推定されている。

その第一段階として、これまで日本国内向けの松下製白物家電に使われてきた「ナショナル」ブランドは2008年6月30日製造・出荷・発売分限りで公式使用を完全終了。同年7月1日以降製造・出荷・発売の松下製白物家電(松下電工の製品含む)は(以前の「ナショナル」ではなく)全て「パナソニック」ロゴに変更されている(一部の「ナショナル」ブランド製品は品番を変更せずに「パナソニック」ロゴにのみ変更されているものがある。その第1号は電球形蛍光灯「パルックボールプレミアQ(クイック)」シリーズと細環型蛍光灯「スリムパルックプレミア」シリーズ)。旧来の「ナショナル」製品は現在全て「在庫・展示品限り」となっており、「ナショナル」製品は完売次第、店頭から完全消滅する予定。なお、松下製白物家電各製品カタログは2008年8月発行分まで表紙ロゴは「National」のままだったが、一部製品(エコキュートIHクッキングヒーター)は(2008年7月発行分より)索引欄に「ブランド」項が新設され「Panasonic」も併記され始めた。なお(2008年)翌9月発行分より松下製白物家電カタログの表紙ロゴは全て「Panasonic ideas for life」に変更されている(シェーバーカタログは松下製白物家電のトップを切って同年8月発行分より表紙記載の商標を「Panasonic ideas for life」に変更。取扱説明書裏表紙における「松下電器産業株式会社」という社名表記は2008年9月30日製造・出荷・発売分限りで終了。翌10月1日以降製造・出荷・発売分からは「パナソニック株式会社」に変わっている)。なお、系列店については(2008年度定例株主総会において)パナソニック(株)への社名変更が正式決定した2008年6月26日以降、看板・シャッターから「National」の文字を外し、「Panasonic」ロゴのみを表記した新デザインへの変更作業を順次開始。2009年度までには全パナソニックショップの看板・シャッターが新デザインに切り替わる。さらにパナソニックショップキャラクター「パナ坊」の公式使用は2010年3月31日を以て完全終了する(「パナソニック」へのブランド統一に当たり「パナ坊」作者との契約を解除する為)。松下電工(現:パナソニック電工)など、「松下」や「ナショナル」を冠する子会社も、松下電器本体の社名変更と同時に社名を一斉に変更し、企業グループも松下グループからパナソニックグループに呼称変更した。さらに、パナソニック提供番組についても、社名変更に伴い、2008年10月改編時に、「ナショナル」を冠した番組名称が、「パナソニック」を冠するものへ変更された(「ナショナル劇場」から「パナソニック ドラマシアター」へ)[6]。なお、パナソニックでは自社が運営する財団法人松下政経塾松下教育研究財団など)や松下記念病院といった関連系列団体の名称は維持し、グループ各社の社名変更後もこれらの関連系列団体の名称は変更しないことを表明していた[4]が、松下教育研究財団をパナソニック教育財団とするなど一部の団体は名称変更した。

中国語の社名[編集]

中国語圏においては当分の間「松下」「松下電器産業」の名称を継続して使用する。公式の解釈は「中国での社名については仮名を使用できない」とのことである。話によると「パナソニック」は中国語の音訳が「怕那索尼哥・怕那索尼克」(ソニーを恐れる)という不味い意味になるので、音訳を回避し、現在のまま英表記「Panasonic」と漢字名「松下」を続けるということである。

商標[編集]

Panasonic(パナソニック)
Pan a Sonicより。「全ての」の意の「PAN」と「」を意味する「SONIC」からなる。海外で「National」の商標が登録されていたことと、「ナショナル」という響きが「国家主義」と取られかねないため(形容詞「国立」「国家の」の意)に海外向けのブランドとして制定。「松下電器の音をあまねく世界へ」という意味が込められている。1955年に輸出用スピーカーのブランドとして用いられたのが初めで、1961年から対米輸出品に用いられた[7]。ただし、1955年当時は「PanaSonic」、1961年からは「PANASONIC」であった。
1971年に表記を現在の「Panasonic」へ変更。フォントはHelveticaファミリーの1つ「Helvetica Black」を使用。欧米で最も有名なサンセリフ体を使うことで、Helveticaを見るたびにPanasonicを想起することを狙ったもの。定番書体を逆手に取った戦略である。(Nationalも同じフォントを使用。)
2008年7月以降、現在では全世界的に全ての部門に於いて「Panasonic」に統一されている。またグローバルブランドスローガンとして「Panasonic ideas for life」を導入している。(なお、このスローガンは国際的に「Panasonic」ロゴの下に表記されるが、アメリカカナダでは「Panasonic」ロゴの下ではなく、右側に表記される。)
日本国内では、1927年以降全ての部門に「National」ブランドを使用していたが、日本国外で商標の関係で用いることができないこと、また保守的なイメージの刷新を狙うという理由で、1986年より映像・音響機器部門(放送業務用機器も含む)に「Panasonic」ブランドの使用を開始した。この後20年以上に渡り、白物家電部門や松下電工(当時)などの「National」ブランドと、映像・音響機器部門の「Panasonic」ブランドが併用されていたが、2008年10月1日に社名を「松下電器産業株式会社」から「パナソニック株式会社」に変更すると同時に、全ての部門を「Panasonic」ブランドで統一した。なお1988年まではMSX2パソコンやカーオーディオを除いた映像・音響機器は「National」ブランドを使用していたが、同年に発売されたカラーテレビPANACOLOR X」、ビデオデッキマックロード NV-F70」から全面的に「Panasonic」ブランドへ移行した。
社名変更直前の2008年9月当時では、松下電工製品を含め、電子機器、制御機器、カーナビや盗難防止装置などの自動車用電化製品、通信機器などにも「Panasonic」が使われていた。電気鉛筆削り機も「Panasonic」を使用していた。なお、1960年代 - 1970年代にかけて、国内で販売されるトランジスタラジオに「National Panasonic」を使用(1960年代後半にはトランジスタテレビにも使用)。2003年4月までは「National/Panasonic」、「National/Panasonic/Technics」という表記もされていた(保証書では表記されているものもある)が現在は併記は認められず、「Panasonic」「National」「Technics」を使用する。
このパナソニックというブランド名があったためか、電産・電工の商品名に「パナ○○」(パナカラー、パナホーム、パナコラン(高周波治療器細川隆一郎の「パナコランで肩コラン」というテレビCMでも有名になった)、パナピック(レコードシートを応用した製品)など)といったものが多くつけられていた。
なお、「パナソニック」は香港の関連会社「信興集團」の販売品では「樂聲牌」と表記され、台湾では「國際牌」と表記される場合がある。
ナショナルのブランドで発売されていたものを単にパナソニックのブランドに変更したのみの商品は品番の末尾にPを付けている。パナソニック電工が製造する美容・健康商品も同様だが、同社の他の商品は品番の変更なしにブランドを変更している。
National(ナショナル)
松下幸之助が新聞記事上にあった『インターナショナル』の文字に注目し、「国民 (national) のための」という意味を込めて命名された。日本においては音響機器で限定的に「Panasonic」や「Technics」ブランドが導入されたものの、戦前昭和初期の1927年から2008年の「パナソニック」への社名変更発表まで長らく「National」が電産・電工製品の主軸ブランドであった。『明るいナショナル』で始まるテレビやラジオの一社提供番組冠スポンサー番組)を含む各種広告や販売網(ナショナルショップ、ナショナル店会)の強力な展開もあり、家電製品のトップブランドとして、日本国内で幅広く浸透していたブランドであったが、社名変更後は使用されていない。海外ではナショナルを「インターナショナル」と呼ばれることがある。
先の松下電工(当時)との事業統合により、両社ともオレンジ色のNationalロゴへ変更された。それ以前は電産が赤色、電工が青色 - 黄色だった。また、乾電池においては一般市販品のマンガン乾電池はナショナル(その後、デザイン・型番は変更せず、パナソニックブランドに切り替わる)。海外の逆輸入品・非市販品のマンガン乾電池リモコンなど商品への添付用)、一般市販品・非市販品のアルカリ乾電池オキシライド乾電池、リチウム電池(電気うき用のピン型を除く)、二次電池がパナソニックを用いている(パナソニック充電式ニッケル水素電池)。
この「ナショナル」ブランド使用は2008年6月30日製造・出荷、発売分を以て終了し、翌7月1日より順次「パナソニック」への一本化を開始した。「ナショナル」商品は2008年7月以降「在庫・展示品限り」となっており、無くなり次第(同年9月30日をもって)店頭から消えると共に、翌2009年内に「ナショナル」ブランドは完全に消滅する見込み。とはいえ、松下電器・電工時代に全国津々浦々で販売された「ナショナル」ブランドの商品は(特に、電球などの消耗品や配線器具に至っては)膨大な数であり、2010年以降も、暫くの間市場に残る可能性がある(ただ、品番・デザインは変更せずに「Panasonic」ロゴや「パナソニック電工」のみに変更された商品もある)。現に調理器具などの分野では2009年1月までまだブランド変更が行われていない商品もあった。
パナソニックに社名変更した2008年10月以降、一部の白物家電カタログで掲載されている「ナショナル」商品(推奨部品・消耗品を含む)には「National」ロゴを付けている。ウェブサイトでの商品案内では「ナショナルのブランドです」と表記されている。
Technics(テクニクス)
1970〜1990年代に主に使われていたハイエンド系(高級)音響機器のブランド。2000年代に入り、「テクニクス」ブランドの使用は縮小され、現在はDJ機器にのみ使用されている。日本国内で音響機器への「パナソニック」ブランド投入前は比較的低価格の音響機器にも使われていた。また姉妹品として電子オルガンテクニトーンも存在していた。
RAMSA(ラムサ)
業務用の音響(PA)機材に使用。現在はパナソニックの商品の一部となっている。
Quasar
北米特定商品ブランド。1974年に米国のモトローラ社から一部事業を買収した際に、同社がカラーテレビに使用していたブランドを引き継いだ。
Rasonic
香港の関連会社「信興電工工程有限公司」(SHUN HING ELECTRIC WORKS AND ENGINEERING CO., LTD.)が展開する中華人民共和国香港の特定商品ブランド。漢字表記は「楽信牌(樂信牌{{#if:| {{{3}}}}}/乐信牌{{#if:| {{{3}}}}})」en:Rasonic参照。
この他、会社の黎明期には松下から「マーツ」(MURZ)[1]や、所在地の門真市と最大の英語読みを引っ掛けて「KADOMAX」のブランド名[2]も使用されていたことがある。

以前のブランドスローガン[編集]

企業スローガン

  • 社会とともに歩む技術のナショナル(1970年代)
  • 世界に伸びる技術のナショナル(1960年代後半 - 1970年代)
  • 丈夫で豊かな暮らしをひろげる(1960年代前半)
  • 技術でひらく 世界の繁栄(1970年代後半 - 1986年まで)
  • 心を満たす先端技術Human Electronicsヒューマン・エレクトロニクス)(1987年 - 1994年頃まで)
  • あなたとともに豊かな未来へ1995年 - 2000年まで)
  • あなたとともに 豊かな21世紀を2001年 - 2003年まで)

Nationalブランド

  • ○○は National」(○○には、それぞれの製品カテゴリーが入る)というテロップを、サウンドロゴと共に使用していた(正月シーズンは「今年もよろしく National」)。(1980年頃 - 1987年初頭)
    • 1987年のHuman Electronics採用時からは、「Human Electronics ○○は National」に変更された。(1987年 - 1990年初頭)
  • あたらしい(ナショナルブランド)この頃から社名変更まで『ナショナル』のサウンドロゴが使われる(1990年 - 1994年)
  • いつも、いっしょ。(1995年 - 2003年)
  • Nのエコ計画(2003年 - 2008年、社名変更前まで)

Panasonicブランド

  • Panasonic いつも SOMETHING NEW1987年 - 1989年初頭)
    パナソニックブランドで販売されるAV機器のみに使用されたキャッチコピージョージ・ルーカスがイメージキャラクターとして起用され、CMの最後に彼がこのスローガンを言っていた。
  • Human Electronics Panasonic OA1988年 - 1989年初頭)OA機器のみに使用された。
    • Human Electronics Panasonic (1989年 - 1991年初頭)
  • What's New by Panasonic(パナソニックブランド)(1995年 - 2003年)
昭和30年代 - 40年代(1955年 - 1974年)には、松下電器産業(現:パナソニック)の一社提供番組で流れた三木鶏郎作のCMソング『明るいナショナル』で一世を風靡した。

商品一覧[編集]

廃止されたものも含む。

AV機器[編集]

現在[編集]
VIERA(ビエラ)
液晶/プラズマテレビ。現在業界No.1の売り上げを誇る。「VIERA」以前の主要テレビブランドについては、ブランドの変遷を参照。
DIGA(ディーガ)
2003年以降のDVD/BDレコーダー全般。操作性追求。「ビエラ」同様業界No.1の売り上げだったが、2007年度はシャープのハイビジョンレコーダー「AQUOS」シリーズに1位の座を明け渡した。
DIGICAM(デジカム)
DV・DVDビデオカメラ全般。「愛情サイズ」などで知られている。
LUMIX(ルミックス)
デジタルカメラ全般(D-snapは含まない)。元祖「手ブレ補正」モデル。浜崎あゆみのCMで話題に。
D-dock(ディードック)
ミニコンポ全般。
過去[編集]
トランザム
ブラウン管式ポータブルテレビ。かつてジェシーこと高見山大五郎がCMに出演したことでも知られる。
マックロード
VHSビデオデッキ全般。パナソニックブランド以降消極的な表記となり、近年になってカタログからも消えてしまった。
れんたろう
1989年 - 1990年代初頭、一部のVHS Hi-Fi対応ビデオデッキに使われていたマックロードのサブネーム。CMキャラクターにはウッチャンナンチャンが起用されていた。
録画王→ビデオ画王
一部のビデオデッキに付けられたマックロードのサブネーム。1990年代初頭に使用された。
DREAM
初期のDVDプレーヤー、2001年〜2002年ごろのDVDレコーダー。現在は廃止された。
COUGAR(クーガ)
1970年代に販売されていた、ソニーのスカイセンサーに対抗した高性能トランジスターラジオのシリーズ。深夜放送ブームからBCLブームへの過渡期の商品。ジャイロアンテナ(回転式のバーアンテナ)などの派手なギミックや大径スピーカーを装備。「吠えろ、クーガ」「狙え、クーガ」などのキャッチコピーでも話題になった。
PROCEED(プロシード)
前記「COUGAR」シリーズのマルチバンド機種の後継シリーズ。よりBCL用途に特化されていた。ジャイロアンテナを継承。
マリン
1970年代前半に販売されていた防水携帯ラジオ。テレビCMは、銭湯で野球中継に興じる中高年男性たちという演出。AMのみの小型廉価版も発売された。
pepper(ペッパー)
1970年代後半に販売されていた薄型携帯ラジオのシリーズ。テレビCMには当初、ピンク・レディーが起用されていた。一部の機種には太陽電池が内蔵されていた機種(薄型携帯ラジオとしては世界初)も存在していた。
マイソニック
1960年代に販売されていたオープンリールテープレコーダーのシリーズ[8]
MAC(マック)
1970年代に販売されていたモノラルラジカセのシリーズ(一部にステレオ機も存在した)。インパクトのある多数のテレビCMでも話題になった。一方で同社の当時のステレオラジカセは「STEREO-4400」(RS-4400)などのように「STEREO-4XXX」と呼ばれていた。
スナッピー
1970年代中頃に販売されていた、初心者向け低価格モノラルテープレコーダー。型式はRQ-55。丸みのある愛らしいデザインと、機能別に色分けされた操作ボタンが特徴だった。テレビCMにはフィンガー5が起用されていた。
youシリーズ
1970年代前半から中期のシステムコンポのシリーズ。you-3you-5、他。最後のyou-oZおよびyou-oZ DDは低価格商品として後記のVシリーズと併売。
Vシリーズ
1970年代中期から後半のシステムコンポのシリーズ。V-3、V-5、V-7 / V-33、V-55、V-77
ビックGMシリーズ
1970年代末期から1980年頃のシステムコンポのシリーズ。従来の大型コンポーネントステレオからミニコンポが主流に変化する過渡期の商品であり、テレビCMでは、後記のコンサイスコンポとの選択を提案する演出がされた。
コンサイス
1970年代後期から1980年代中期頃にかけて販売されていたテクニクスブランドのミニコンポ。テレビCMには当初、小林亜星が起用されていた。
DISCO(ディスコ)
1970年代末期から1980年代初頭にかけて販売されていたステレオラジカセのシリーズ。当時の「竹の子族」御用達となった。
Way(ウェイ)
ヘッドホンステレオ。ソニーがウォークマンを発売すると、ナショナルは東芝(「ウォーキー」)やアイワ(「カセットボーイ」)と共にいち早くこの市場に参入した。サザンオールスターズをCMキャラクターにするなどの広告展開が行われたが、ウォークマンの名称があまりにも広がったためか「Way」のブランド名称は早々に消えてしまった。その後、ナショナルブランドで発売されるヘッドホンステレオには「GO(ゴー)」、「JUMP(ジャンプ)」のブランド名称が付けられたがパナソニックブランドになると「RQ-」から始まる型番のみとなり、特にシリーズ名称は付けられていない。
The 3(ザ・サード)
1980年代前期に販売されていたアイワの「キャリングコンポ」などに対抗するためのシリーズ。3ピースのセパレートミニコンポ風スタイルを用いた3電源対応のラジカセ型パーソナルオーディオシステムでありキャリングハンドルが装備されていた。テレビCMにはサザンオールスターズが起用された。後に更に小型化した「The 3 Mini(ザ・サードミニ)」が追加された。
STATION(ステーション)
1980年代前期に販売されていた大型ステレオラジカセのシリーズ。専用のガラス戸付ラックがオプションとして用意されていた。
ラブコール
1980年代中期に販売されていたミニステレオラジカセ。CMキャラクターには近藤真彦などが起用されていた。
RESTY(レスティ)
1992年から1996年頃まで使用されていたコンポーネントシステムの名称。一時期、CHAGE and ASKA福山雅治をCMキャラクターに起用していた。廉価モデルでRESTY MINI(レスティ ミニ)というのも存在していた。現在は使用されていない。
カンガルー
一般的なラジカセの形状であるが、ラジオ・カセット部分を小型ヘッドホンステレオとして取り外して使用できる特徴を持っている。
D-snap(ディースナップ)
SDカードを使用したポータブルオーディオプレーヤー。2008年の新モデルを最後に姿を消している。

白物家電[編集]

現在[編集]
エレックさん
電子レンジ全般。現在も使用されているが、オーブン機能付機種の発売時には「オーブンエレック」となり、敬称部分が省略されるようになった。
ビストロシリーズ
レンジ。
エアロボシリーズ(輸出向けでは「ACロボット」や「Etherea」(アセリア)等の名称で発売されている)エアコン
パルックシリーズ
蛍光灯。最近は従来のシリーズより明るさが長期間持続する世界初の「プレミアコーティング」技術を採用した「パルックプレミア」シリーズが登場。なお白色蛍光灯は「ハイライト」、電球形蛍光灯は「パルックボールYOU(螺旋状のものは“パルックボールスパイラル”)」という商品名。
過去[編集]
愛妻号
洗濯機/衣類乾燥機
1980年代に「うず潮」に代わって命名された。現在は使用されていない。
一時期食器洗い機が「キッチン愛妻号」を名乗っていたが、これも現在は使用していない。
うず潮
洗濯機。各メーカーとも愛称をつけていたが「青空」(日立製作所)、「銀河」(東芝)、「千曲」(三菱電機)など漢字2文字が多い中で、強烈なインパクトを放った。現在は廃止された。
The Big
家庭用大型冷蔵庫。松下がかつて伝統的にラインアップしていた、家庭用2ドア大型冷蔵庫、および家庭用両開き3ドア大型冷蔵庫に付けられていた。現在はこれ以上の容量が一般的になり、廃止された。なお両開き5ドアの機種はQuintetとされていた。
The R
一部の大型冷蔵庫に付けられていた名称。
隼(はやぶさ)
掃除機。現在は使用していない。CMでは円谷プロダクションが特撮を手がけていた。
エオリア (Eolia)
エアコンスクロールコンプレッサー採用の機種から採用された。なお、かつては「楽園」だった。CMソング徳永英明の『風のエオリア』。

その他[編集]

UniPhier(ユニフィエ)
パナソニックが推進する、システムLSIを核にしたデジタル家電向けの統合プラットフォーム。
strada
カーナビゲーションシステム。かつては、旧九州松下電器生産モデルのポータブルナビゲーションシステムは「デルNAVI」だった。
VIGIN(ビギン)
車載テレビ。業界で初めてデジタルチューナー専用端子を設けた。
キングコング、 A1シリーズ
MSX規格のパソコン(生産終了)。初代A1は、国内でのパナソニック単独ブランドの第1号商品である。
WOODY
デスクトップパソコン
ディスプレー一体型デスクトップパソコンのCF-31から使われ始めたが、ミニタワー型となったCF-233PDにはWOODYの称号は付けられなかった。大容量光学ドライブであるPDを装備していたのが特徴。イメージキャラクターとしてウッディー・ウッドペッカーを使用していた。WOODYという呼称は、1970年代に同社から販売されていたカラーテレビにも使用されていた。
Let'snote
コンシューマ向けノートパソコンのブランドだったが、現在は法人向けにも使われている。
PRONOTE
ノートパソコン全般、のちに法人向けだけのブランドだったが、現在はLet's noteに統合されている。
TOUGHBOOK
過酷な条下でも使用可能なノートパソコンのブランド。以前は、"PRONOTE FG"だった。
hito
ノートパソコン
Human Information Technology Operationの頭文字と日本語の「人」にかけたもの。現在は廃止された。
SD-Jukebox
SDオーディオ対応の携帯電話/D-snapなどで音楽を楽しむためのパソコンソフト。一般家電量販店やナショナル・パナソニックショップおよびインターネットなどで入手できる(SE版のみで取り寄せとなる場合が多い)。
おたっくす
パーソナルファックス。旧九州松下電器が製造していたもので、旧松下電送システムの「Panafax」と競合していたが、両社の合併でパナソニック コミュニケーションズが発足したことにより、家庭用機は「おたっくす」、業務用機は「Panafax」と棲み分けが図られた。また、旧松下通信工業から同社に移ったデジタルコードレス電話機「おうち電話Ru・Ru・Ru」とは子機が共通化されている。
G1, OZMA, オズマシリーズ
カーオーディオのブランド(生産終了)
パナワードU1、 U1PRO、 スララシリーズ
パーソナルワープロのブランド(生産終了)
RJXシリーズ
アマチュア無線機器(ラジオ事業部の分野撤退で終了)
RJシリーズ
市民ラジオ(同上)
PanaX
システムLSIやマイコンのオンボードデバッグ環境。
Debug Factory
システムLSIやマイコンのオンボードデバッグ環境。

ガス器具[編集]

エネファーム
都市ガスによる家庭用燃料電池東京ガス東邦ガス西部ガス向けの商品[9]
ビルトインコンロ
まかせタッチ。ガラストップが高効率バーナー、魚焼きをスイッチを押せば勝手に焼き上がるというもの。
テーブルコンロ
高効率バーナーや魚焼きをスイッチを押せば勝手に焼き上がるというもの。
ガス給湯機
簡易24時間風呂機能や酸素発生機能を装備し話題となった。
ガスファンヒーター
東京ガスや大阪ガス、東邦ガスといった大手都市ガス会社のブランドで販売していた。最近はガラスフロントパネルを装備しアレルバスターという空気清浄機能を装備している。過去に空気清浄機とガスファンヒーターを合体させたものが登場し話題となった。2008年ノーリツに製造販売を移管した。
ガス衣類乾燥機
早い乾太くんというネーミングで知られている。

キャラクター[編集]

ナショナル坊や
1950年代に登場したナショナルショップ(現:パナソニックショップ)のキャラクター。テレビなどの広告に登場したほか、店頭に人形が置かれたりしていた(一部店舗では、現在も店内に人形を置いている所がある)。ナショナルから発売されたミキサーのキャラクター「トマト坊や」を基にして誕生した。2003年に、現行キャラクターのパナ坊とテレビCMで共演し「復刻版ナショナル坊や」の貯金箱が当たるキャンペーンが実施された。
パナ坊
1994年登場の現行キャラクター。テレビCM「ナショナルのお店(現:パナソニックのお店)」「パナソニックフェア」(いずれもアニメ作品)に登場。デザイナー絵本作家五味太郎。全国のパナソニックショップ各店では営業車の車体の多くにこの「パナ坊」が描かれている。ただし、パナソニックへの社名変更後は、CMおよびパナソニック特選品カタログに登場していない。また2010年3月31日をもって公式使用を終了することが決定している。

日本国内工場・研究所[編集]

  • 主要工場
    • 門真工場
    • 山形工場
    • 草津工場
    • 神戸工場
    • 砺波工場
    • 魚津工場
    • 長岡工場
    • 他に14工場。
  • 研究所
    • 先端技術研究所(京都府相楽郡・けいはんな関西文化学術研究都市
    • ネットワーク開発センター(東京都品川区)
    • 半導体デバイス研究センター(大阪府高槻市)
    • 他に2研究所。

なお、これらの数字はパナソニック電工、パナソニック プラズマディスプレイなど連結子会社を含まない。

スポーツ関係[編集]

企業スポーツやスポーツへの協賛に比較的積極的である。 また、夏と冬のオリンピックの公式スポンサーで、1988年カルガリーオリンピックから始まり、同年のソウルオリンピック1992年アルベールビルオリンピックバルセロナオリンピック、1994年のリレハンメルオリンピック、1996年のアトランタオリンピック、1998年の長野オリンピック、2000年のシドニーオリンピック、2002年のソルトレイクシティオリンピック、2004年のアテネオリンピック、2006年のトリノオリンピック、そして2008年の北京オリンピックまで夏季・冬季連続で12大会連続・20年連続でAV機器カテゴリーのTOPスポンサー(「The Olympic Partner」の略。最高位のオリンピックスポンサーのこと。日本企業ではパナソニックのみ)を務めている[10]。2007年にロンドンで開かれたIOC総会にて、引き続き2009年から2016年までの8年間、TOPスポンサーとなる契約を締結した。

不祥事[編集]

FF式石油温風機の欠陥問題[編集]

詳細は松下電器FF式石油温風機欠陥問題を参照

松下製リチウムイオン充電池回収問題[編集]

詳細は松下電器産業#松下製リチウムイオン充電池回収問題を参照

所得隠しの発覚[編集]

取引先からの部品の仕入れ価格について、割引があったにもかかわらず原価のまま経費計上していたとして、大阪国税局から2008年3月期までの数年間で計約1億5,000万円の所得隠しを指摘されたことが、2010年6月に発覚した。差額分は取引先にプールされており、隠蔽に当たると判断された模様である[11]

グループ会社・関連団体[編集]

詳細はパナソニックグループを参照

グループイメージソング[編集]

『Step&GO』
によるタイアップソングで、『We're gonna step and go』という曲が基になっている。歌詞では、「Rollin' Rollin' on」の部分を「Panasonic」と歌い、「forever feel my soul!」の部分を「ideas for life」(パナソニックのスローガン)と歌っている。
この曲は企業CMの他、提供番組の『パナソニック ドラマシアター』および『歌のない歌謡曲』で、長年親しまれてきた『明るいナショナル』に代わる新オープニング曲として使用されている。

社章[編集]

以下、社章の名称はいずれも通称である。
  • M矢 … 松下電気器具製作所時代の1920年、松下幸之助がアルファベットの「M」と矢のイラストをデザインとする商標を考案した[12]。この商標は商品や広告でのマークに使用されたほか、1943年まで社章として使用された。また松下電工では、現在のパナソニック電工に社名変更するまで「M矢」を社章として用いていた。
  • 三松葉 … アルファベットを用いた「M矢」が戦時下では好ましくないということで、1943年に、三枚の松葉をデザインしたものに社章を改訂した[13]。2008年の社名変更まで使用された。
  • Panasonic … 現在の社章。パナソニックへの社名変更を機に、ブランドロゴとして使われていたものを社章にも制定した。グループ企業・団体のうちパナソニックがつくものは、すべて社章を「Panasonic」に変更している。

主なスポンサー番組[編集]

現在放送中(2008年10月現在)[編集]

松下家役員一覧[編集]

主な大手顧客・パナソニック製品使用箇所[編集]

関連項目[編集]

備考[編集]

  1. ただし、シャープの「ヘルシオ」に対しての「ビストロ」、富士通ゼネラルの「nocria」に対しての「エアロボ」、三洋電機の「エネループ」に対しての「充電式EVOLTA」など最近の商品でも同業他社のヒット商品のコンセプトと似せ、後追いした商品はまだ多い。
  2. 本製品は開発元がパナファコム(PFU)であり、富士通ブランド、松下ブランド、そして事務系の内田洋行ブランドの3種類のブランドで販売されている。又、日立製作所のパーソナルワークステーション『FLORA』は、内田洋行とPanafacomが合併する以前、PanafacomによってOEM供給されていたものである。
  3. 尚、前出のPanafacom及びFM-Rシリーズ及び日立製作所のFLORAパーソナルワークステーションにはジャストシステム一太郎Ver.4及び花子Ver.2がバンドル及び対応商品が販売されていた。尚、元来この製品群は一太郎のバンドルを前提で開発されている。
  4. 4.0 4.1 松下電器産業株式会社が「パナソニック株式会社」に社名を変更 | プレスリリース | ニュース | 松下電器産業株式会社
  5. 「パナソニック株式会社」への社名変更が正式決定 | プレスリリース | ニュース | 松下電器産業株式会社
  6. 番組名に「ナショナル」を冠していなかった「歌のない歌謡曲」については、名称変更はしていないが、番組のオープニング曲は三木鶏郎作曲のCMソング「明るいナショナル」からの「Step&Go」に変更された。
  7. 松下電器、社名も「パナソニック」に ブランド名と統一 asahi.com 2008年1月10日
  8. 独立行政法人産業技術総合研究所 - テープレコーダーRQ-303マイソニックのデザインプロセス(PDF)
  9. 大阪ガス向けは「東芝燃料電池システム」と「ENEOSセルテック」製を採用。
  10. オリンピックスポンサーには、2000年のシドニーオリンピックまで東芝も立候補していたが、いずれもパナソニックが権利を獲得した。
  11. 所得隠し:パナソニックが1億5000万円
  12. 幸之助が石清水八幡宮を参詣した際、破魔矢からヒントを得た。松下幸之助の生涯:25. M矢の商標を制定 1920年(大正9年)
  13. 松下幸之助の生涯:76. M矢の社章を三松葉に改訂 1943年(昭和18年)

外部リンク[編集]

このページはウィキペディア日本語版由来のコンテンツを利用しています。もとの記事、画像はパナソニックにあります。執筆者のリストは履歴をご覧ください。Yourpediaと同じくWikipediaGFDLのライセンスで提供されています。コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。