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(社会保障)
(慰安婦問題・河野談話)
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===慰安婦問題・河野談話===
 
===慰安婦問題・河野談話===
 
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」(1997年2月27日結成)の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している<ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている<ref>『[[中央日報]]』 2005年4月2日付2面。</ref>。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。
 
日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「[[新しい歴史教科書をつくる会]]」を支援して来た自民党内部の[[議員連盟]]「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会|日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会]]」(1997年2月27日結成)の元事務局長。現在[[中川昭一]]と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「[[慰安婦]]」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を認めた「[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]」を発表した[[河野洋平]]を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している<ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0414/14005270414002c.html|title=第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号|date=1997-05-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている<ref>『[[中央日報]]』 2005年4月2日付2面。</ref>。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。[[2007年]]3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。
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社民党の[[辻元清美]]の慰安婦問題に関する[[質問主意書]]<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm|title=安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書|date=2007-03-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|date=2007-03-16|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>を出した。
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「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「[[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]」による[[河野談話]]見直し発言<ref>{{cite web | title=「軍の慰安婦強制連行なかった…自民有志が見解表明要求 | work=読売新聞 | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070301ia01.htm | accessdate=3月1日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}</ref>が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した[[世耕弘成]]首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言<ref>{{cite web | title=「河野談話は継承=世耕補佐官 | work=時事通信 | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007030400072 | accessdate=3月4日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年3月}}</ref>し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった<ref>{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/02/AR2007030200235.html|title=Growing Chorus Slams War-Brothel Remarks|work=ワシントン・ポスト AP通信社|language=英語|date=2007-03-2|accessdate=3月2日|accessyear=2007年}}</ref>。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し<ref>{{cite web | title=「安倍首相:従軍慰安婦で日本の責任認める 米メディアに | work=毎日新聞 | url = http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070421k0000e010063000c.html | accessdate=4月21日 | accessyear = 2007年 }}{{リンク切れ|date=2009年5月}}</ref>、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)  「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)とお詫びを表明した<ref>{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6598289.stm|title=Abe explains sex slave comments|work=BBC News|language=英語|date=2007-04-27|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪<ref>{{cite web | title=「日米首脳会談 安倍首相、慰安婦謝罪具体的表現なし」 | work=中央日報 | url = http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=86960&servcode=200&sectcode=200 | accessdate=4月28日 | accessyear = 2007年 }}</ref>した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された<ref>[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日]</ref>。[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で[[アメリカ合衆国下院121号決議|慰安婦非難決議]]が採択された。
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=== 靖国神社参拝 ===
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{{see also|靖国神社問題}}
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首相の[[靖国神社]]参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている<ref name="sankei20090511">{{cite news | url =http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090511/plc0905112314016-n1.htm  | title = 安倍元首相「首相は靖国参拝すべきだ」 | newspaper = MSN産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社]] | date = 2009-05-11 | accessdate = 2009-12-09 }}</ref>。
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[[歴史認識]]を巡って[[反日]]騒動が起こった[[中華人民共和国|中国]]と[[大韓民国|韓国]]の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは[[内政干渉]]だという見解を持っている<ref>『[[東京新聞]]』 2005年1月9日付</ref>。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた)ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた<ref>{{cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6700/news/20060804i102.htm | title = 安倍官房長官は今年4月に靖国参拝…総裁選の争点にも| newspaper = YOMIURI ONLINE | publisher = [[読売新聞社]] | date= 2006-08-04 | accessdate = 2007-09-26 }}</ref>。
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首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している<ref name="sankei20090511"/>。
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== 問題の指摘 ==
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=== 団体や人物との関係 ===
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; [[統一協会]]・[[国際勝共連合]]
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: 母方の祖父[[岸信介]]と父[[安倍晋太郎]]が統一教会及びその関連団体である[[国際勝共連合]]と関わりが深いと言われていた(''詳細は[[岸信介#勝共連合・統一教会との関係|岸信介の当該記事]]や[[安倍晋太郎#関係する人物や団体|安倍晋太郎の当該記事]]を参照'')こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。
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: 官房長官当時の[[2006年]]、統一教会系列の団体である「[[天宙平和連合]]」 (UPF) の集会([[合同結婚式]]も行われたとも言われたが統一教会は否定<ref>統一教会系列の韓国の『[[世界日報 (韓国)|世界日報(セゲイルボ)]]』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』(2006年6月1日付)も(合同結婚式の主要[[儀式]]である)「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。[http://www.uc-japan.org/hodo.aspx?id=364&pg=0 「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」]</ref>)のイベントに[[祝電]]を寄せた([[保岡興治]]やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ<ref>この祝電の件について、『[[週刊現代]]』、『[[週刊ポスト]]』、『[[週刊文春]]』、『[[週刊新潮]]』などは取り上げなかった。</ref>、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像は[[インターネット]]上の[[動画]][[ウェブサイト|サイト]][[youtube]]にアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的な[[ジャーナリスト]][[有田芳生]]によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、[[霊感商法]]などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており<ref>{{cite web|url=http://s03.megalodon.jp/2008-0602-2353-32/saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/09/post_92eb.html|title=安倍晋三と統一教会(1)<魚拓>|date=2006-09-12|author=[[有田芳生]]|work=有田芳生の酔醒漫録|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している<ref>週刊朝日 2006年6月30日</ref>。
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: [[霊感商法]]被害対策に取り組んで来た「[[全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会]]」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない<ref>{{cite web|url=http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/shitumon/060619.htm|author=全国霊感商法対策弁護士連絡会|title=公開質問状|date=2006-06-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。
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; [[生長の家]]
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:第2代生長の家[[総裁]]の[[谷口清超]]の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治[[評論家]]の[[有馬晴海]]は、「生長の家の政策部門の別働隊に[[日本政策研究センター]]がある。ここの[[伊藤哲夫]]所長こそ安倍首相の[[ブレーン]]です。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。
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; [[公明党]]・[[創価学会]]
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: 父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、[[大石寺]]の[[正本堂 (大石寺)|正本堂]]完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、[[池田大作]]と何度も面会したという<ref>創価学会機関紙『[[聖教新聞]]』(2001年3月)</ref>。
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: 晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「[[四月会]]」(代表幹事:[[俵孝太郎]])<ref>「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体(「[[立正佼成会]]」、「[[霊友会]]」、「[[仏所護念会]]」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。</ref>の集会などに参加したこともあった<ref name="sgkaibou">[[朝日新聞]][[AERA|アエラ]]編集部 『創価学会解剖』([[朝日新聞社]] 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861 </ref>。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという<ref name="sgkaibou"/>。1989年に死去した池田大作の次男<!-- 著名活動をしていないと思われるので本名を記載しないで下さい。 -->は成蹊高校時代の同期生である<ref name="faki">{{cite web|url=http://www.forum21.jp/2006/11/post_33.htm|work=FORUM21|title=特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で|date=2006-11-01|author=乙骨正生|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>。
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: 首相就任直前の[[2006年]]9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、[[池田大作]]創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞<ref>『[[日経新聞]]』・『[[毎日新聞]]』・『[[朝日新聞]]』・『[[読売新聞]]』や『[[週刊文春]]』などが報じた。毎日は20日と報道。</ref>「『[[産経新聞]]』を除く」を初め各種[[マスメディア|メディア]]が伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の[[戸田城聖]]が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った<ref>『[[毎日新聞]]』 2006年10月8日付</ref>。
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: その後、国会で池田と面会した事実があったかという[[野党]]の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した<ref>{{cite web|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0014/16510110014001c.html|title=第165回国会 参議院 予算委員会 1号|accessdate=2007-10-06}}</ref>。2007年2月13日の衆議院[[予算委員会]]でも同様に否定した<ref name="k20070213">{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070213007.htm|title=第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号|accessdate=2008-05-14}}</ref><ref name="kmovie20070213">{{cite web|url=http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&media_type=wn&lang=j&spkid=901&time=07:17:50.0|title= 「インターネット審議中継」[[亀井静香]]の安倍晋三への質疑(第166回国会 衆議院 予算委員会 7号|author=衆議院|accessdate=2007-10-06}}</ref>。
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; 安晋会
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: {{See also|安晋会}}
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: 国会で、 [[小嶋進]] [[ヒューザー]]社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の[[国会議員政策担当秘書|政策秘書]]を紹介してもらい、「[[構造計算書偽造問題|耐震偽装問題]]」に関して[[国土交通省]]への対応を働きかけてもらったことを[[証人喚問]]で認めた<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009916320060117014.htm|title=第163回国会 国土交通委員会 第14号|accessdate=2007-10-06}}</ref>ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつては[[バブル景気]]の際に自己[[破産]]した[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「[[UDI経営者連合会]]」という政治団体の理事長の[[杉山敏隆]]([[ヒューザー]]の[[ウェブサイト]]を運営していた<ref> {{cite web|url=http://web.archive.org/web/20050302234744/http://www.goalnet.co.jp/company/company.html|title=ゴールネット株式会社の公式サイト|accessdate=2008-05-14}} [[ウェブアーカイブ]]に保存されたもの</ref>ゴールネット株式会社会長(息子の杉山剛太が社長))で、副会長は [[APAホテル]]会長の[[元谷外志雄]]([[イーホームズ]]の[[藤田東吾]]社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した)である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、[[ライブドア事件]]の最中に不審死を遂げた[[エイチ・エス証券]]副社長であった野口英昭が[[理事]](経理)になっていた<ref>『[[週刊ポスト]]』(2006年2月10日号)</ref>ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために[[国土交通省]]に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816420060126002.htm#p_honbun|title=第165回国会 衆議院 予算委員会 2号|accessdate=2007-10-06}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.netlaputa.ne.jp/~ken2net/sub100.htm|title=第165回国会 参議院 本会議 5号|accessdate=2007-10-04}}</ref>。
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; [[アサリ]]輸入業者
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: 現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする[[怪文書]]が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる<ref>「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」[[読売ウイークリー]] 2007年4月1日号</ref>。
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;[[コムスン]]
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:[[グッドウィル・グループ]]のグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社[[コムスン]](数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている)と親密であったことが知られている。安倍晋三が[[内閣官房副長官]]時代には[[折口雅博]]会長と対談しており<ref>[http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.comsn.co.jp%2Fcomsnpress%2Ftsushin%2Fct-10%2Fp-n10-6-11.html&date=20070609194523 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times(現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク)]</ref>、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。
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; [[在日本朝鮮人総聯合会]]
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: 2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口での[[オフレコ]]懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」<ref name=bunshun20080221/>と述べている。
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;[[在日韓国人]]系[[パチンコ]]業者
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:韓国の[[親米保守]]勢力(現在は[[ハンナラ党]])とは韓国が[[朴正煕]][[軍事独裁]]政権だった頃から[[国際勝共連合]]などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての[[親韓派]]だった。その繋がりのため、安倍の[[下関]]事務所は、日本で[[パチンコ]]事業を展開する[[在日韓国人]]系の[[七洋物産]](東洋エンタープライズ)関連のビルを借りている。<ref>http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027</ref>
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;[[慧光塾]]
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: [[光永仁義]]([[1947年]][[11月3日]]-[[2005年]][[7月13日]])が[[1993年]]に設立した[[経営コンサルタント]]会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」([[1991年]]倒産)では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた<ref>「{{cite web|url=http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/07/post.html |title=『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠|work=情報紙「[[ストレイ・ドッグ]]」(山岡俊介取材メモ)|author=[[山岡俊介]]|date=2005-07-08|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。
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; [[日興コーディアルグループ]]
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: [[2006年]]、[[金融庁]]・[[証券取引等監視委員会]]の調査により日興コーディアルグループの不正[[会計]]処理が発覚した。同様の不祥事が起きた[[クラシエホールディングス|カネボウ]]は[[上場廃止]]となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、[[東京証券取引所]]は日興に上場廃止処分を下さず、[[監理ポスト]]に割り当てた。東京証券取引所は、[[赤字]]を[[黒字]]にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『[[サンデープロジェクト]]』に出演した[[山田厚史]]が「日興には安倍事務所に強い[[常務]]がいる」<ref>{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802210279.html|title=中国新聞ニュース|publisher=[[中国新聞社]]|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}</ref>と指摘している。
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: なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の[[公設秘書]]が山田と朝日新聞社を[[東京地方裁判所]]に訴え3400万円の[[損害賠償]]と[[謝罪]][[広告]]の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした[[和解]]が成立した<ref>{{Cite web|date=2008-02-21|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080221/trl0802212157008-n1.htm|title=安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース|publisher=産経デジタル|language=日本語|accessdate=[[2月21日]]|accessyear=[[2008年]]}}</ref>。
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=== 問題を指摘された行動 ===
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==== NHKへの圧力疑惑 ====

2009年12月12日 (土) 16:39時点における版

安倍 晋三
(あべ しんぞう)
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第90 代
日本の旗 日本日本国 内閣総理大臣
在任期間 2006年9月26日
 - 2007年9月26日

生没年月日 1954年9月21日(2024-1954)+((11-9)*100+(27-21)>=0)-1歳)

 - 

出生地 日本の旗 日本 東京都
出身校 成蹊大学法学部卒業
南カリフォルニア大学中途退学
学位・資格 政治学士(成蹊大学)
前職 神戸製鋼所従業員
衆議院議員秘書
世襲の有無 3世
安倍寛祖父
岸信介(祖父)
安倍晋太郎
選挙区 山口県第1区→)
山口県第4区
当選回数 衆5回
党派 自由民主党町村派
花押
テンプレート

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本政治家衆議院議員(5期)。内閣総理大臣(第90代、2006年9月26日 – 2007年9月26日)、内閣官房長官第72代)、自由民主党総裁(第21代)、自由民主党幹事長を歴任。

概要

親族に政治家が多く、父方の祖父安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫参議院議員)などがいる。妻は森永製菓社長令嬢の安倍昭恵

大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。

来歴

出生

1954年9月21日、当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎とその、洋子の次男として東京で生まれる(本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している[1]。幼い頃は、野球選手刑事になることに憧れていた[2]

学生時代

成蹊学園小学校中学校・高等学校大学法学部政治学科)を卒業。 小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた[3][1]高校クラブ地理研究部に所属[4]。高校卒業後、成蹊大学に進み行政学を学ぶ。大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった[5]。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという[4]1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った[6]。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され[7]1978年に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、1979年中退した[8]

サラリーマン時代

1979年4月に帰国し、神戸製鋼に入社した。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した[1]。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点[9]」、あるいは「私の原点[10]」だったと回顧している。

政界へ

神戸製鋼での3年間勤務の後、1982年から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。1987年に松崎昭雄・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵結婚する。その際の媒酌人を務めたのが、福田赳夫総理だった。1991年に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。

衆議院議員

1993年に亡父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区(当時)より出馬し、初当選。父が派閥会長を務めていた清和会(当時三塚派、後の森派→町村派)に属す。1997年自民党青年局長就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の下村博文

2006年1月、アメリカ合衆国国務副長官ロバート・ゼーリックと握手を交わす安倍晋三

派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年第2次森改造内閣で、小泉純一郎に推薦され[11]内閣官房副長官に就任。森政権の後を受け、2001年に成立した第1次小泉内閣でも引き続き内閣官房副長官を務める。

2002年、小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と強硬論を繰り返し主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。内閣参与中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁という強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山と共に頑強に反対した[11]。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、安倍の姿勢は多くの支持を得た[12]

2003年9月、小泉首相によって自民党幹事長に抜擢された。自民党は総幹分離の原則が長く続いており、総裁派閥幹事長は1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった。大臣経験もない若手議員が第一与党幹事長に就任するのは極めて異例のことであるが、苦戦が予想される同年11月の総選挙のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で与党は絶対安定多数の確保に成功したが自身と93年初当選同期で同じ清和研属す高市早苗中村力は小選挙区敗北し比例復活すらならなかった。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。2004年4月埼玉8区補欠選挙で自民党史上初の全国的な候補者公募実施し合格した新人柴山昌彦が当選(同公募には佐藤ゆかりも最終選考に残った)、同年夏の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた05年衆院選では保守弁護士稲田朋美を「刺客」(「郵政民営化関連法案に反対した元自民党候補」に対する対抗馬、福井1区松宮勲への対抗馬)にスカウトした。

ポスト小泉

麻垣康三 も参照 小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。

2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正教育改革財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

2006年9月20日、小泉の任期満了にともなう総裁選で麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日臨時国会に於いて内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。

内閣総理大臣

安倍内閣 も参照

安倍内閣

2006年のAPECでの安倍晋三

就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。

安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国韓国への訪問を表明。2006年10月に中国・北京胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善を目指した。

北朝鮮が核実験を実施したことに対しては「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。

同年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、郵政造反組復党問題が政治問題化する。12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁昇格を実現した。一方で、同月、安倍が肝いりで任命した本間正明税制会長公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎行改担当大臣が、架空事務所費計上問題で辞任、この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。

2007年4月27日、記者会見時にアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと握手を交わす安倍晋三

2007年3月の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」[13]と欧米のマスコミから非難されたが、4月下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて日米関係が強固なものであることをアピールした。5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣議員宿舎内で、首を吊って自殺。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し[14]「慙愧に耐えない」[15]と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」[14]と語っている。また年金記録問題が大きく浮上した。

こうした中で、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。同月6日~8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。7月3日には久間章生防衛大臣原爆投下をめぐる「しょうがない」発言が問題化。安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった(久間は翌日辞任)。

参議院議員選挙、内閣改造

2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」[16]と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。

安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。また、参院選直後の7月31日自民党総務会においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし[17]。同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、8月19日から8月25日インドネシアインドマレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた[16]

安倍改造内閣

選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(安倍改造内閣)。ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。9月9日、オーストラリアシドニーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続が出来なくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した[18]

2007年9月10日第168回臨時国会が開催され、安倍首相は所信表明演説を行った。その中で安倍首相は「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。午後には「(改正案を通すのは)厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を麻生幹事長に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです。」と慰留された[19]9月11日には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」[20]と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった[20]

辞意表明

2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った[21]。これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。

安倍は辞任の理由として「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している)。一方で、自身の健康に不安があるという理由も与謝野馨内閣官房長官が同日中会見で述べている。24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。

もともと胃腸に持病を抱えているといわれており[22]、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でもそのことについて触れられていた。また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している[23]。なお、辞任に追い込まれた実質的原因については、本人が記者会見をこなしていることもあり、健康問題ではないとする見方をする論者も、立花隆を初めとして存在する。ちなみに、自身の健康問題で辞任した首相は過去に、石橋湛山小渕恵三などがいるが、彼らは脳梗塞など重い病に侵されたためであり、記者会見が可能だった安倍とは比べものにならないほどの病状だった。

突然の辞意表明に対する批判

臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。

野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判をおこなった[24]。  

  • 「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」[25](民主党・小沢一郎代表)
  • 「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」(民主党・鳩山由紀夫幹事長)
  • 「所信表明直後の辞任は前代未聞」(共産党・志位和夫委員長)
  • 「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」[25](社民党・福島瑞穂党首)

与党側でも古賀誠元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た[25]塩川正十郎元財相も「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した[26]。また、公明党の北側一雄幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された[25]

麻生太郎自民党幹事長は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」[25]などと述べ、安倍の辞任を2日前(安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日)にはすでに知っていたことを明らかにした。

9月13日朝日新聞社が行なった緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している[27]

国外の反応

日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた。欧米諸国の報道では批判的な意見も多かったが[28]、安倍内閣の下で関係が良好だった中華人民共和国韓国台湾のマスコミは同情的な意見が目立った要出典

入院・内閣総辞職

退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に入院。検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。これについても海外メディアで報道され、イギリスBBCは「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。

遠藤武彦農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを与謝野馨内閣官房長官と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる[29]。 この内容について9月14日報道ステーションが麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「(9月14日に安倍氏の見舞いに行った時)『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流したデマでしょう」と反論をしている。同日のNEWS ZEROは、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。

また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した[30][31]

安倍内閣メールマガジン9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージのもと、これをもって最終号を迎えた[32]

なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った[18]。9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった[33]。このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた[34]。20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた[35]

入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した[18]

9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは谷川秀善両院議員総会長が代読した。

9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された[36]。さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった[37]

9月25日、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での首班指名選挙に出席する意思を明らかにした。9月25日の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、日本国憲法下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。

内閣総理大臣退任後

健康の回復

その後、入院していた慶應義塾大学病院から「一時帰宅」し、東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った[38][39]

11月13日新テロ特措法案の採決を行なう衆議院本会議には「はってでも出たい」と出席し、白票(賛成票)を投じた。後の記者会見において安倍前首相は「回復しました」と元気な様子を見せた。また、同採決を地方出張のため棄権した民主党代表小沢一郎に対して、「無責任じゃないですか。本当は(小沢は)賛成だったんじゃないかという人もいますがね」と強く批判した。

2008年1月、『文藝春秋』に手記を寄稿。2007年9月の退陣に関し、体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった。決定的な要因のひとつだった」と告白するなど、辞任の主な理由は健康問題だったとしている[40]

2008年には第169回国会会期中に妻の昭恵とスキー旅行[41]選抜高等学校野球大会の観戦[42]に出かけるなどしている。

政治活動の再開

2007年末、産経新聞のインタビューにて、「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」[43]と述べ、2008年からは活動を本格的に再開し「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」[43]と答えている。

2008年以降は政治活動を徐々に本格化させ、中華人民共和国国務委員の唐家璇と会談するなど外交への取り組みも再開した。同年1月、参院選時の公約への根強い批判に反論し、年金記録の照合作業を2008年3月までに終わらせると公約したが国民一人一人への支払いを保証したわけではない、と主張した[44]。また、本来は国民各自が責任を持って年金記録を管理すべきと指摘し、政府に頼る風潮に疑問を呈した[44]

2008年3月5日、安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や世耕弘成らが入会した[45]。設立総会において、安倍は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任」[46]と語り、同懇話会の座長に就任した。

3月6日、清和政策研究会(町村派)の総会に出席し、「首相として1年間、美しい国づくりに全力を傾注してきたが、残念ながら力が及ばなかった。私の辞任に伴い、みなさんに風当たりも強かったのではないか。心からおわびを申し上げたい」[47]と述べて所属議員に謝罪した。この総会にて安倍の派閥への復帰が承認され、清和政策研究会相談役に就任した。4月28日に「主権回復五十六周年記念国民集会」でスピーチ、4月30日には「中国の人権状況を考えるシンポジウム」に参加した。

2008年8月15日朝、首相在任中に果たせなかった終戦記念日靖国神社参拝をおこなった。

略歴

主な所属議員連盟

政見・政策

国家像

美しい国

美しい国 も参照

総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する[48]ベストセラーになった。政権スローガンも「美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出”と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。
これまでの日本の歴史認識を自虐的な東京裁判史観とする保守層からは好意的に迎えられる一方、左派からは内閣発足当初から集団的自衛権を容認しアメリカに追従する軍国主義的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている[49]。また「美しい国」という理念について、何が・また何をもって“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある[50][51]。さらには任期中においては「美しい国作り」と言う目標として掲げたものであったが、当時の社会問題などのニュースなどの締めに「これが美しい国の正体」などと現在進行形の問題を持ってくる報道も少なからず存在していた。
アジア・ゲートウェイ構想
第165回国会の所信表明演説にて「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』を推進します」[52]と述べ、内閣官房に「アジア・ゲートウェイ戦略会議」を設置した。第166国会の施政方針演説では、2007年5月までに「アジア・ゲートウェイ構想」を取りまとめると明言した[53]が、この構想の議論が本格化すると、閣内で対立が尖鋭化する。2007年5月、内閣官房長官塩崎恭久内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)大田弘子、特命担当大臣(規制改革担当)渡辺喜美内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)根本匠の四者がこの構想について協議した際には、意見の相違から渡辺が根本に掴み掛かる[54]など混乱し、塩崎が仲裁する事態に発展した。
地方自治
道州制の導入を検討。

憲法

総裁選では施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、60年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、21世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べた[55]。また“私は、国会議員になった当初から改憲論者だが、3つの点で憲法を改正すべきだと主張してきた。第一の理由だが、現行憲法は占領軍の手によって、憲法の専門家ではない人たちによって2週間そこそこで書き上げられた、と言われており、やはり国の基本法である限り、制定過程にもこだわらざるを得ない”と述べた[56]

改憲のための国民投票法案日本国憲法の改正手続に関する法律)の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。

安全保障

日本版「国家安全保障会議」(NSC)構想を推進した。総理就任以前は憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出して来た。総理就任後は、防衛庁を防衛省へ格上げした。これは「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と意義付けられた。

2006年11月14日、安倍内閣は閣議で、核保有についての鈴木宗男質問主意書[57]に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」と強調しながらも、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との答弁書[58]を出した。

教育

2006年12月に教育基本法を改正し、教育の目標の一つとして愛国心という言葉を盛り込んだ他、義務教育9年の規定や男女共学の項を削除した。内閣府直属の「教育再生会議」を立ち上げ、2007年6月には教員免許更新制を導入した。その他、学校週五日制の見直しや大学進学の条件として社会奉仕活動の義務化を提唱した[59]。その他の政策としては、教育バウチャー制度の導入を検討、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長を務め、自民党の山谷えり子らと共にジェンダーフリー教育に対する批判等を行った[60]

改正後の教育基本法については、「一見、立派なことが書いてあるが、家族・郷土・歴史・伝統・文化・国など、私たちが大切にしなければいけないものが抜け落ちている。日本人として生まれたことに誇りを持つためには、そうしたことを子どもたちに教えていくことが大切ではないか」「“世界から尊敬されている”ということも、誇りが持てるということにとって大切だ。世界に貢献していく際に“日本はこういう理想を持っており、こういう世界を実現していきたい”と述べていく必要がある」と述べている[61]

公務員改革

内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に渡辺喜美を置き、官僚主導の政治体制、公務員の給料制度、天下り、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化しようと国家公務員法改正を打ち出した。同改正法に基づいて(1)官民人材交流センター(人材バンク)の制度設計(2)キャリア制度の見直し、という2つの作業が開始され、それぞれについて有識者懇談会が設けられた。安倍も成田空港社長に官僚OBがなることを却下したり、東京証券取引所への天下り人事にも横槍を入れるなどの行動を見せていたが、官僚や自民党内から激しい抵抗が起るようになる。渡辺喜美行政改革担当相が、自民党行政改革推進本部の会合に出席し、各省庁による天下り支援を禁止する案を説明すると、党側に『各省にあっせん機能を残すべきだ』と猛反発されたり、天下り規制の懇談会にて天下りをしている元事務次官7人のヒヤリング調査をしようとしたところ、担当官僚が元事務次官に懇談会出席の要請すらしない等の抵抗が見られた。

この公務員改革で安倍は、特に社会保険庁改革(社保庁民営化)に力を入れていた。その理由としては年金行政への信頼回復とともに、社保庁の民営化によって公務員削減の突破口にしたいとの狙いがあった[62]。しかしここでも激しい抵抗にあった。田原総一郎によれば、安倍が社保庁民営化を目指していたことで、社保庁がクーデターを起こし、社保庁の年金が酷い状態であるということを社保庁自らが民主党やマスコミに選挙前に広め、「いかに安倍が危機管理ができないか」と国民に思わせて退陣を狙う「自爆テロ」を行い、そしてマスコミもそれに乗った、と指摘された[63]

労働政策

再チャレンジ政策
小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる格差社会の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーター正社員として採用するよう企業に要請したが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果であり、期待通りの成果は出なかった。「ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている[64]
ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
日米投資イニシアチブ報告書」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 メディアで「残業代ゼロ法案」と批判的に報じられ、反対世論が強まったため、2007年1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念した。
最低賃金
最低賃金の抜本的引き上げは、「中小企業を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」とした[65]。2007年3月の参議院の予算委員会では、「最低賃金制度を生活保護以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した[66]
格差問題
格差はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている[67]

治安政策

組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。

党運営

郵政民営化時の造反議員を復党させた(郵政造反組復党問題)。これに対しては国民から強い反発が出たため、支持率はその後低下した。

社会保障

中国残留孤児
中国残留孤児問題における訴訟では請求を取り下げられた原告団に面会し、新たな支援を検討していくことを確認した。
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」

赤ちゃんポスト も参照

2007年2月23日に、熊本市慈恵病院赤ちゃんポストの設置を計画していることについて、「ポスト」という名前や匿名で子供を置いていけるものだということに大変抵抗を感じると反対の意向を示した[68][69]
年金問題

年金記録問題 も参照

年金記録問題では民主党の小沢一郎との党首討論で「消えた年金はどうするのか」という野党からの追及に対し「年金は消えたわけではない」として年金時効撤廃特例法案など具体的な救済案を提示した。該当者不明の年金記録5000万件の照合作業については「三千万人の方々とこの二千八百八十万件を一年間のうちに突合いたします」[70]「一年間で私たちはすべて突合を行うということをお約束をする」[70]と断言、当初2年程度を想定していた調査期間を前倒しすると表明し[71]、自民党の公式HPでも宣伝した。第21回参議院議員通常選挙の際は、安倍自身が「最後の一人まですべての記録をチェックし、まじめに保険料を払ってきた人の受給を保障する」[72]と各地で演説した。
メディアや専門家からは、その公約の実現性に対して当初から懐疑的な意見が出されていた[73]社会保険庁は年金記録の照合作業を進めたものの、2008年3月末までに持ち主が判明するのは1000万人程度に留まり、名寄せ困難な記録が1975万件に達すると発表された(人数や件数は2007年12月時点での推計値)[74]。安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった[75]。福田は「(当時の)安倍総理は割合ときちんと言っているんじゃないかと思います」[76]と安倍を擁護したが、内閣官房長官の町村信孝は「亡くなった方もいる。『最後の一人まで』ということはありえない。もとより無理」[75]と述べ、安倍の公約の問題点を指摘した。
2008年1月、安倍はマスコミとの懇談の席上、「年金ってある程度、自分で責任を持って自分で状況を把握しないといけない。何でも政府、政府でもないだろ」[44]と指摘した。公約違反との批判に対しては「今になって(参院選の)選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってないんだぜ」[44]と反論している。
2008年3月、社会保険庁の照合結果が公表され、1172万件分の持ち主が特定できたが、名寄せ困難な未解明記録は2025万件に達したことが明らかになった[77]
なお、国民皆年金制度は祖父・岸信介が首相時代に策定したものである。

外交

下記の歴史認識も参照

日中・日韓関係を改善し、東アジア共同体の構想に強い意欲を示す。新自由主義政策・グローバル資本主義を推進した。

大韓民国
韓国の親米保守勢力(現在はハンナラ党)とは韓国が朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての親韓派だった。[78]安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と親韓的な発言をしている[79]
中華人民共和国
2006年の自民党総裁選では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤国家主席と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。
朝鮮民主主義人民共和国
2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した[80]。3月1日、6者協議日朝国交正常化に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。
アメリカ合衆国
小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。
オーストラリア
詳細は 日豪関係 を参照
オーストラリアとは「基本的価値観を共有する[81]国家として連帯強化を目指している。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言ジョン・ハワード首相と共に署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた[82]。「豪との共同宣言が中国狙ったものでない」とした[83]

歴史認識

戦争責任・村山談話

総裁選を目前に控えた2006年9月7日、「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」とした。その一方で、2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について、「戦争犯罪人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた[84]。2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣商工大臣だった岸信介が対米英開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」とも述べている[85]

慰安婦問題・河野談話

日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た自民党内部の議員連盟日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997年2月27日結成)の元事務局長。現在中川昭一と共に顧問を務める。同会は特に「侵略戦争」や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た吉田清治の証言が虚偽であることが判明したため、「河野談話」および教科書への「慰安婦」の記述を載せることは問題であると指摘している[86]。自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている[87]。総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言。2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語った。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。

社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書[88]に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書[89]を出した。

「慰安婦」問題については存在しないとする立場を従来からとってきたことと、自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」による河野談話見直し発言[90]が一部マスコミの反発を招いた。2007年3月4日テレビ朝日の番組に出演した世耕弘成首相補佐官は、「河野談話を継承する」と発言[91]し鎮静化を図ったが、近隣アジア諸国を中心に非難が巻き起こった[92]。安倍はその後、慰安婦について日本の責任を認める発言を繰り返し[93]、2007年4月27日には海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)  「私たちは、戦時下の環境において、そうした苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)とお詫びを表明した[94]。同日の日米首脳会談で、ブッシュ大統領との会談で「人間として、首相として、心から同情している。申し訳ない思いだ」と謝罪[95]した。しかし、欧米のマスコミからは「二枚舌」(Double Talk)と非難された[96]第21回参議院議員通常選挙敗北直後の2007年7月31日、アメリカ下院で慰安婦非難決議が採択された。

靖国神社参拝

靖国神社問題 も参照 首相の靖国神社参拝について「国のために殉じた人たちに対して国のリーダーが尊崇の念を表するのは当然だ。お参りすべきだと思う」と述べている[97]

歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている[98]。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた)ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた[99]

首相就任後も参拝を続ける意向を示し、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した。首相在任中は参拝を行わなかったが、安倍はこれについて首相退任後に「『主張する外交』を展開する中で、日本のための将来の布石を打つため大きな決断をした」と説明している[97]

問題の指摘

団体や人物との関係

統一協会国際勝共連合
母方の祖父岸信介と父安倍晋太郎が統一教会及びその関連団体である国際勝共連合と関わりが深いと言われていた(詳細は岸信介の当該記事安倍晋太郎の当該記事を参照)こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。
官房長官当時の2006年、統一教会系列の団体である「天宙平和連合」 (UPF) の集会(合同結婚式も行われたとも言われたが統一教会は否定[100])のイベントに祝電を寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ[101]、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像はインターネット上の動画サイトyoutubeにアップロードされ、ネット上で広く話題になった。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、後に「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。統一教会に批判的なジャーナリスト有田芳生によれば、安倍は統一教会は拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援しており、霊感商法などの問題で日本の公安当局の監視対象である団体であることから、面会を求められても会わないようにしているという方針を取っていると語っており[102]、また「目的のためなら平気で祝電を捏造するような組織ですから、勝手に名前を使うのもありうる話です」と解説している[103]
霊感商法被害対策に取り組んで来た「全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない[104]
生長の家
第2代生長の家総裁谷口清超の著書の第1部は「美しい国」から始まる。また、政治評論家有馬晴海は、「生長の家の政策部門の別働隊に日本政策研究センターがある。ここの伊藤哲夫所長こそ安倍首相のブレーンです。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います」述べている。
公明党創価学会
父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、大石寺正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという[105]
晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、小選挙区制度が導入され、二大政党制に近づけば、創価学会は自分から離れてゆくとの判断から、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎[106]の集会などに参加したこともあった[107]。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという[107]。1989年に死去した池田大作の次男は成蹊高校時代の同期生である[108]
首相就任直前の2006年9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、池田大作創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞[109]「『産経新聞』を除く」を初め各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の戸田城聖が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った[110]
その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した[111]。2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した[112][113]
安晋会
安晋会 も参照
国会で、 小嶋進 ヒューザー社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の政策秘書を紹介してもらい、「耐震偽装問題」に関して国土交通省への対応を働きかけてもらったことを証人喚問で認めた[114]ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつてはバブル景気の際に自己破産したデベロッパー会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「UDI経営者連合会」という政治団体の理事長の杉山敏隆ヒューザーウェブサイトを運営していた[115]ゴールネット株式会社会長(息子の杉山剛太が社長))で、副会長は APAホテル会長の元谷外志雄イーホームズ藤田東吾社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した)である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、ライブドア事件の最中に不審死を遂げたエイチ・エス証券副社長であった野口英昭が理事(経理)になっていた[116]ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために国土交通省に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶應義塾大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した[117][118]
アサリ輸入業者
現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする怪文書が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる[119]
コムスン
グッドウィル・グループのグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社コムスン(数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている)と親密であったことが知られている。安倍晋三が内閣官房副長官時代には折口雅博会長と対談しており[120]、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。
在日本朝鮮人総聯合会
2008年1月26日、首相当時の番記者を集めた地元山口でのオフレコ懇親会において、「朝鮮総連の山口の幹部とも俺は仲がいいんだよ。やっぱり幹部は金持ちだしね。いろいろと子弟の就職の世話とかを頼まれるんだよ」[44]と述べている。
在日韓国人パチンコ業者
韓国の親米保守勢力(現在はハンナラ党)とは韓国が朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、父親の安倍晋太郎も日本政界きっての親韓派だった。その繋がりのため、安倍の下関事務所は、日本でパチンコ事業を展開する在日韓国人系の七洋物産(東洋エンタープライズ)関連のビルを借りている。[121]
慧光塾
光永仁義1947年11月3日-2005年7月13日)が1993年に設立した経営コンサルタント会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」(1991年倒産)では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた[122]
日興コーディアルグループ
2006年金融庁証券取引等監視委員会の調査により日興コーディアルグループの不正会計処理が発覚した。同様の不祥事が起きたカネボウ上場廃止となっており、日興も上場廃止基準に抵触すると見られたが、東京証券取引所は日興に上場廃止処分を下さず、監理ポストに割り当てた。東京証券取引所は、赤字黒字にしたのではないこと、組織的、意図的でないこと、を理由として挙げている。日興については、『サンデープロジェクト』に出演した山田厚史が「日興には安倍事務所に強い常務がいる」[123]と指摘している。
なお、山田の発言に関しては、上場維持に安倍が関与したと誤解される表現だと主張し、安倍の公設秘書が山田と朝日新聞社を東京地方裁判所に訴え3400万円の損害賠償謝罪広告の掲載を要求した。2008年2月、山田が「テレビでの発言で、原告らが誤解するような表現があったとすれば遺憾」と表明し、公設秘書は損害賠償請求や謝罪広告の掲載を放棄する、とした和解が成立した[124]

問題を指摘された行動

NHKへの圧力疑惑

  1. 1.0 1.1 1.2 梶川浩伸 () 梶川浩伸 夕刊フジ特捜班「追跡」-3回生の衝撃- ~「安倍晋三」大研究(2)~ 夕刊フジ [ arch. ] 9月26日
  2. (2006-12-14) 第10回「40年ぶりの給食」 政府インターネットテレビ:安倍総理のライブ・トーク官邸/政府広報オンライン 2006-12-14 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
  3. (2006-09-08) 政治・安倍政権は国民の支持がカギ―平沢勝栄氏インタビュー JANJAN 2006-09-08 [ arch. ] 9月26日
  4. 4.0 4.1 満富俊吉郎 (2006-09-19) 満富俊吉郎 徳永裕介 「人間・安倍晋三の実像」(1) ライブドア・ニュース 2006-09-19 [ arch. ] 9月26日
  5. 『滋賀市民新聞』2007年2月12日 第4784号
  6. 月刊現代』 2003年12月号「安倍晋三 気骨と血脈」、野上忠興
  7. 報知新聞』2月16日
  8. 日本経済新聞』2004年2月6日付、共同通信社 2004年2月5日付
  9. (2007-03-15) 安倍内閣メールマガジン 第21号 ~更生する少年たちの心 2007-03-15 [ arch. ] 9月26日
  10. (2007-03-15) 第20回「26年ぶりの職場/少年院」 政府インターネットテレビ:安倍総理のライブ・トーク官邸/政府広報オンライン 2007-03-15 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
  11. 11.0 11.1 満富俊吉郎 (2006-09-19) 満富俊吉郎 徳永裕介 「人間・安倍晋三の実像」(2) ライブドア・ニュース 2006-09-19 [ arch. ] 9月26日
  12. 西岡力「民意は安倍政権の拉致政策を支持」(『産経新聞』2006年8月3日付「正論」欄)
  13. ワシントンポスト2007年3月24日
  14. 14.0 14.1 安倍昭恵「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『週刊新潮』53巻1号、新潮社2008年1月3・10日、32頁。
  15. YouTube映像「松岡農水相自殺仮通夜営まれる」テレビ記者会見
  16. 16.0 16.1 安倍昭恵「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『週刊新潮』53巻1号、新潮社2008年1月3・10日、29頁。
  17. 自民総務会で首相退陣論が噴出「政権選択迫ってしまった」読売新聞
  18. 18.0 18.1 18.2 安倍昭恵「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『週刊新潮』53巻1号、新潮社2008年1月3・10日、30頁。
  19. フジテレビ「ハッケン」麻生外相インタビュー
  20. 20.0 20.1 安倍昭恵「初めて明かす『安倍辞任』の真相」『週刊新潮』53巻1号、新潮社2008年1月3・10日、28頁。
  21. テレビニュース速報映像YouTube TOKYOMX 2007年9月12日
  22. 安倍首相、慶應義塾大学病院に検査入院、読売新聞。2007年9月13日
  23. 安倍首相が風邪、公邸に直帰、時事通信。2007年9月11日
  24. 「無責任の極み」と批判 野党、衆院解散を求める構え(2007年9月12日 東京新聞)
  25. 25.0 25.1 25.2 25.3 25.4 2007年9月12日NHKインタビュー
  26. テレビインタビュー
  27. (2007-09-13日) 首相辞任「無責任」70% 本社緊急世論調査 朝日新聞 2007-09-13日 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
  28. (2007-09-13) 「安倍首相は臆病者」英メディア酷評 産経新聞 2007-09-13 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
  29. 日刊ゲンダイ2007年9月8日、 内閣で「孤立」した安倍首相…「麻生にはめられた」と不信感も
  30. (2007-09-19) 首相の辞意、麻生幹事長「自分以外にも知っていた人いる」 読売新聞 2007-09-19 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
  31. (2007-09-19) 中川前幹事長にも伝達の可能性 首相辞意 与謝野長官 産経新聞 2007-09-19 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
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  100. 統一教会系列の韓国の『世界日報(セゲイルボ)』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』(2006年6月1日付)も(合同結婚式の主要儀式である)「『聖水式』と『聖婚問答』が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」
  101. この祝電の件について、『週刊現代』、『週刊ポスト』、『週刊文春』、『週刊新潮』などは取り上げなかった。
  102. 有田芳生 (2006-09-12) 有田芳生 安倍晋三と統一教会(1)<魚拓> 有田芳生の酔醒漫録 2006-09-12 [ arch. ] 10月6日
  103. 週刊朝日 2006年6月30日
  104. 全国霊感商法対策弁護士連絡会 (2006-06-19) 全国霊感商法対策弁護士連絡会 公開質問状 2006-06-19 [ arch. ] 10月6日
  105. 創価学会機関紙『聖教新聞』(2001年3月)
  106. 「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体(「立正佼成会」、「霊友会」、「仏所護念会」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。
  107. 107.0 107.1 朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861
  108. 乙骨正生 (2006-11-01) 乙骨正生 特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で FORUM21 2006-11-01 [ arch. ] 9月26日
  109. 日経新聞』・『毎日新聞』・『朝日新聞』・『読売新聞』や『週刊文春』などが報じた。毎日は20日と報道。
  110. 毎日新聞』 2006年10月8日付
  111. () 第165回国会 参議院 予算委員会 1号 [ arch. ] 2007-10-06
  112. () 第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号 [ arch. ] 2008-05-14
  113. 衆議院 () 衆議院 「インターネット審議中継」亀井静香の安倍晋三への質疑(第166回国会 衆議院 予算委員会 7号 [ arch. ] 2007-10-06
  114. () 第163回国会 国土交通委員会 第14号 [ arch. ] 2007-10-06
  115. () ゴールネット株式会社の公式サイト [ arch. ] 2008-05-14 ウェブアーカイブに保存されたもの
  116. 週刊ポスト』(2006年2月10日号)
  117. () 第165回国会 衆議院 予算委員会 2号 [ arch. ] 2007-10-06
  118. () 第165回国会 参議院 本会議 5号 [ arch. ] 2007-10-04
  119. 「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係]」読売ウイークリー 2007年4月1日号
  120. 折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times(現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク)
  121. http://s01.megalodon.jp/2008-1001-0529-46/www.chosunonline.com/article/20060921000027
  122. 山岡俊介 (2005-07-08) 山岡俊介 『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠 情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ) 2005-07-08 [ arch. ] 10月6日
  123. (2008-02-21) 中国新聞ニュース 日本語 中国新聞社 2008-02-21 [ arch. ] 2月21日
  124. (2008-02-21) 安倍前首相秘書と朝日元編集委員が和解 - MSN産経ニュース 日本語 産経デジタル 2008-02-21 [ arch. ] 2月21日