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'''タモリ'''([[1945年]]〈昭和20年〉[[8月22日]] - )は、[[日本]]の[[お笑いタレント]]、[[司会|司会者]]、[[俳優]]、[[ラジオパーソナリティー]]、[[作詞家]]、[[作家]]、[[実業家]]。本名、'''森田 一義'''(もりた かずよし)。
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[[福岡県]][[福岡市]]出身。[[田辺エージェンシー]]所属。[[女優]]の[[伊佐山ひろ子]]とは遠戚。
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== 来歴 ==
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=== 生い立ち ===
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[[1945年]][[8月22日]]に[[福岡県]][[福岡市]]、現在の[[南区 (福岡市)|南区]]に誕生する。
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本名は「一義」だが生まれる前までは「義一」と名付けられる予定だった。[[占い師]]から「義一」では頭でっかちな子が産まれると言われたため、「一義」になった。これは血の繋がりのない祖父が、尊敬している[[田中義一]]元[[首相]]にあやかって名付けようとしたが、「畏れ多い」と名を逆にしたもの。
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本人曰く、幼少時代より[[大人]]びており、「[[偽善]]」という言葉を知っていたと語り、[[幼稚園]]入園時期が迫り、園を見に行ったおり「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』[[葛原しげる]][[作詞]]・室崎琴月[[作曲]])」を両手を回転しながらお遊戯している園児達を見て、入園を拒否。[[小学校]]入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って[[人間]]観察を行っていた。また「5歳が俺の精神的ピークだったんだから」と、冗談めかして語ってもいる。このため坂道好きとなり、後に「[[日本坂道学会]]」を設立している。
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=== 少年時代 ===
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小学校3年生の時、下校途中に[[電柱]]のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2か月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。
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小学校5年生の頃、予餞会(卒業生を送る会)で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。しかし[[脚本家]]として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。[[スポーツ]]にも興味があり、[[野球]]をやっていた。現在は[[ラグビー]]などの[[スポーツ]]観戦も興味があるという。
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小学生の頃、祖母に「今の内から[[男]]も料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことをタモリは「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。その為、金銭面にも余裕がなかった学生時代に友人らと料理を作ろうとした時には、タモリ一人で大体の料理を作ったり、だしの取り方まで全部覚えていたと語っている。(小学校時代は1952年から1957年頃)
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[[陸上部]]で短距離200mを走っていた。4年間、近所の[[バプテスト派]]の[[キリスト教会]]に通ったという。本人曰く「[[牧師]]を[[芸人]]のように見ていた」とのこと。船が好きで、良く地元の港に行って船をずっと見ていた。そこで、どこの船なのかを全部知っていたとも話している。中学3年間は丸刈り頭であった。部活動は主に[[剣道]]と[[陸上競技]]を行っていた。
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=== 学生時代 ===
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[[福岡県立筑紫丘高等学校]]へ入学。高校時代は、[[剣道部]]と[[吹奏楽部]]を両立して[[トランペット]]兼司会を担当していた。[[アマチュア無線]]クラブにも入っていて、船の無線通信士にもあこがれた。さらに[[居合道]]場にも通い、二段を取得した。ファンだった地元球団・[[西鉄ライオンズ]]が身売りをしたため、野球への興味を失う。
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高校を卒業後、1年間の浪人生活を送る。[[大学]][[浪人]]中はしばしば押入に潜り込み、[[大韓民国|韓国]]や[[中華人民共和国|中国]]からのラジオ放送を長時間聴いていた。これが「[[藤村有弘]]以来」と言われた、「6か国語マージャン」などの「[[インチキ外国語]]芸」へとつながった。また、座禅を組んで極度の瞑想に近い経験をしたこともある。
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無線に興味があったため[[電気通信大学]]を目指したが、[[物理]]が克服できず、1年間の浪人生活を送ったのちに、[[1965年]]に[[早稲田大学]][[第二文学部]]西洋哲学専修へ入学。その後学費未納のため抹籍処分となる。
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[[早稲田大学]][[第二文学部]]部西洋哲学専修在学中は[[モダン・ジャズ]]研究会に在籍し、トランペットを演奏。同期に[[増尾好秋]]、1年先輩には[[鈴木良雄]]らがいた。しかし「[[マイルス・デイヴィス]]のラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」などの批評を受け、トランペットは3日でクビ、代わってマネージャー・司会を担当することになった。タモリはこの時期に付けられたニックネームであり、森田のバンドマン読み(銀座がザギンになるのと同様)。
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その後、学生バンドの司会として[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]の番組「大学対抗バンド合戦」に出演し、MCの[[大橋巨泉]]からその才能を認められている。
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大学2年次の5月の連休、友人2人と旅行を計画し、学費用に仕送りされた資金を旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料が払えなくなったため、[[早稲田大学]]を去った。3年次に学費未納のため抹籍という処分となった。
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=== 福岡時代 ===
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大学を抹籍処分になった後もタモリはモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行。かなりの収入を得ていたが、間もなく叔父に福岡に引き戻され、[[朝日生命]]で3年近く保険外交員として勤める。この時期に同僚の一般女性と結婚。その後、旅行会社に転職するが、系列のボウリング場([[大分県]][[日田市]])に転属される。
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1972年、[[渡辺貞夫]]の福岡でのコンサートのスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。室内ではナベサダのコンサートに同行していた[[山下洋輔]]トリオ(山下、[[中村誠一 (ミュージシャン)|中村誠一]]、[[森山威男]])が[[歌舞伎]]の踊り、[[狂言]]、[[虚無僧]]ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。そこにタモリは乱入する。[[中村誠一 (ミュージシャン)|中村誠一]]が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村は機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじった。しかしタモリはそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、その後、タモリと中村のデタラメ外国語の応酬が始まる。タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。
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「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下は、博多のジャズバーに「モリタ」という名前の男はいないかと片っ端から問い合わせたという。その後、とあるジャズバーから「喫茶店の変人マスターでは」という情報が入り、タモリと山下は再会することになる。この時期、タモリは転職して喫茶店のマスターであり、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。[[武田鉄矢]]もアマチュア時代に店に行ったことがあるという。再会後は山下トリオが九州に行く際に共に遊ぶ仲間となり、山下のエッセイでしばしば取り上げられる、知る人ぞ知る存在となる。
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1975年春には山下が行きつけだった[[新宿ゴールデン街]]のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いというのなら一度見てみたい」とタモリを上京させる機運が高まり、バーの常連([[奥成達]]、[[高信太郎]]、[[長谷邦夫]]、[[山下洋輔]]、[[森山威男]]、[[坂田明]]、[[三上寛]]、[[長谷川法世]]、[[南伸坊]]ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、同会のカンパによって、[[1975年]][[6月]]に上京を果たす。開かれた独演会では「4か国語麻雀」や、「中国で作られたターザン映画に出演した[[大河内伝次郎]]の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、[[筒井康隆]]、[[唐十郎]]ら臨席した全員を感動させた。
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=== 居候時代 ===
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福岡で生活しつつ、カンパの資金で月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を送り始めたタモリだったが、同年夏、面白い事をやっている人間がいるという噂を聞きつけた[[赤塚不二夫]]がタモリの元を訪れる。赤塚はタモリの即興芸に心酔し、8月末に生放送が決定していた自らの特番にタモリを出演させる事を決意。放送までまだかなり日数があったため、タモリは福岡に帰ることを望んでいたが、「タモリの芸をもっと見たい、福岡に帰したくない」と考えた赤塚は、常人ではありえない発想でタモリを引き止めた。
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1975年当時、赤塚は4LDKのマンションに住み、[[ベンツ]]のスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。タモリはこれを了承し、赤塚宅での居候生活が始まる(タモリや赤塚らは「居候」と言っているが、実質的には居候ではなく「生活スペースの交換」)。赤塚宅に住み始めたタモリは、「ジャックの豆の木」を始めとした飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎする日々を送り、赤塚からは月に20~30万円の小遣いが渡されるという破格の居候生活を送った。
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なお、生活スペースをタモリに譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送った。赤塚が着る服がなくなりやむなく「赤塚宅」に一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。タモリが考える居候の秘訣は、「卑屈になるな」。
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『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』(1975年8月30日、[[テレビ朝日|NET]])に出演し、インチキ牧師などのパフォーマンスでテレビ初出演。たまたま、番組を見ていた[[黒柳徹子]]から「今の人、誰? すごいじゃない」とその夜のうちに照会があり、次いで『[[徹子の部屋]]』(テレビ朝日系列)に赤塚とともに出演した。
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赤塚の特番に出るという当初の目的は達成したものの、赤塚らは次の目的を「タモリを芸能界入りさせる」に設定し、赤塚宅での居候生活は続行。タモリの居候期間はデビュー直前までの9ヶ月近くに及び、居候の途中には妻も呼び寄せている。
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赤塚らと飲み屋で騒ぐ素人芸人時代に、[[高平哲郎]]らとも知り合うなど、芸能界的な人脈も増えていく。売り出すための算段などが練られて、「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズが作られたり、[[アイパッチ]]姿([[浅井慎平]]がサイレント映画の大スター[[ルドルフ・バレンチノ]]風にスタイリングしたもの)にされるなど徐々にキャラクターが作りこまれていった。
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特異な芸風から所属事務所がなかなか決まらなかったが、後に[[田辺エージェンシー]]と契約。大恩人ともいえる社長の[[田邊昭知]]とは、後に親友になっている。(1980年代半ばに田辺エージェンシーが業界関係者に配っていた新年挨拶のビデオにはタモリが2年連続で出演。『いいとも』の[[テレフォンショッキング]]のセットで田邊社長と世間話をするという形が取られた)。
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なお、[[芸能界]]入りする際、4つの戒律を自らに掲げたという。
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# だれの弟子にもならない
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# 組織には属さない
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# [[頭]]をなるべくさげずにカネをもうける
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# [[色紙]]に[[サイン]]をするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない
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これらの方針により、芸人として先輩にあたる人物でも年下相手には敬語を使っていない。
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=== 芸能界入り ===
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1976年4月、[[テレビ東京|東京12チャンネル]](現:[[テレビ東京]]系列)の[[深夜番組]]『[[空飛ぶモンティ・パイソン]]』で正式にデビュー。その後、『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列)にもレギュラー出演が決まるが、この時期は「タモリ専用のコーナー」で密室芸をするという形が取られていた。
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当時の芸はイグアナのような体芸、反知性を打ち出した中州産業大学教授、デタラメ言語[[ハナモゲラ]]など、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。しかし、ラジオ『[[タモリのオールナイトニッポン|オールナイトニッポン]]』([[ニッポン放送]])で徐々にマニアックな層からのの支持を集めていく。
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またテレビやラジオ以外にも活動の場を拡大。[[山下洋輔]]の[[冷やし中華#全日本冷し中華愛好会|全日本冷し中華愛好会]]に参加。1977年には[[赤塚不二夫]]、[[滝大作]]、[[高平哲郎]]らと「面白グループ」を結成。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体であり、まもなく[[坂田明]]、[[内藤陳]]、[[小松政夫]]、[[団しん也]]、[[たこ八郎]]、[[三上寛]]、[[研ナオコ]]、[[柄本明]]、[[所ジョージ]]、[[THE ALFEE|アルフィー]]、[[劇団東京ヴォードヴィルショー]]の一部メンバーも参加。[[ビートたけし]]も参加しようとしていたが、たけしはタモリの芸風を嫌ってすぐに脱退したという。
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1979年には映画『[[下落合焼とりムービー]]』に出演。同年、[[渋谷公会堂]]で「第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行う。また、面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生二人が執筆した書籍『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本、『SONO・SONO(ソノソノ)』を刊行するなどしていた。
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=== 1980年代の飛躍 ===
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1980年代に入ってからは密室芸の披露の場を減らし、『[[今夜は最高!]]』などで知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。
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1982年、フジのプロデューサー[[横澤彪]]が「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出る。『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』は当初は低迷したものの、間もなく人気が沸騰。30年以上続く人気番組となる。またこの時期、深夜のタモリをなくさないという目的で『[[タモリ倶楽部]]』も放送開始、これもまた30年以上続く人気番組となっている。
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『いいとも』で司会術を磨いたタモリは、1983年には『第34回NHK紅白歌合戦』(NHK)の総合司会を務めることになる。NHKアナウンサー以外が紅白の総合司会を務めたのはタモリが初という異例の起用である。1986年10月24日からは『[[ミュージックステーション]]』(テレビ朝日系列)でメイン司会を務め、25年以上続いている。
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1985年以降は、日本のお笑いBIG3(タモリ・[[ビートたけし]]・[[明石屋さんま]])と呼ばれる存在になる。ただし、この時期女性からの人気はほぼなく、週刊誌などの「抱かれたくない芸人」ランキングでは常連だった。
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=== 1990年代以降の趣味路線 ===
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1990年代以降は趣味や知識(タモリ本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すようになり、『タモリ倶楽部』の他にも、『[[タモリの音楽は世界だ!]]』([[テレビ東京]]系列)、『[[タモリのボキャブラ天国]]』『[[タモリのジャポニカロゴス]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列)、『[[ブラタモリ]]』([[日本放送協会|NHK]])などが人気番組となっている。
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1990年代半ばには女子高生の間で人気が出るなどし、かつての女性からの不人気を解消している。ただし本人は「テレビの中に居る人物だと思われている」と分析している。プライベートで街で歩いている時に、指をさされて「マジでタモリ!」と言われてたとぼやいている。
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== 人物 ==
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* 座右の銘は「'''適当'''」「'''現状維持'''」「'''やる気のある者は去れ'''」など多数。好きな[[言葉]]は「'''[[妄想]]'''」。
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* 仕事も何でも「反省はしない」。「反省ばかりしてるとバカバカしくてこれから先、やっていけない」「過去を振り返らない」と語る。自ら出演している番組は恥ずかしくて一切観ない。『[[週刊朝日]]』の取材に答えた際、『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)の長寿の秘訣について、「番組についての反省を一切しないこと」と述べている。
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* デビュー当時は、[[眼帯]]([[アイパッチ]])を着用していたが、後に[[1978年]]頃から主に黒色の[[サングラス]]を使用し始め、『いいとも!』が始まって以降は、主に[[レイバン]]サングラスのみを使用し、サングラスはタモリのトレードマークとなっている。(目が細いのでコンプレックスになっているため、それを隠している)
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* デビュー当初はディップ(整髪料)で固めて、頭の真ん中分けで、[[中州産業大学]][[教授]]を演じる時のみボサボサとした髪型にしていた。その後『いいとも!』のみ、ディップで固めた7:3分けで出演していたが、[[1990年]][[7月22日]]放送分の『[[FNSの日|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90]]・笑っていいとも!増刊号生スペシャル』以降から髪型を現在のオールバックに変更。この髪型もまたタモリのトレードマークとなっている。またこの時に共演者の[[明石屋さんま]]がカツラだとネタにしたことから「カツラ疑惑」が生まれた。本人もしばしばネタにのることがある。
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タモリがいつもサングラス姿なのは、目が細いのがコンプレックスになっているから。
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* 「[[吉永小百合#サユリスト|サユリスト]]([[吉永小百合]]愛好家)」の一人として知られる。吉永と同年齢(学年は、早生まれの吉永が1つ上)のタモリは、[[早稲田大学]]第二[[文学部]]においては、吉永と在学時期が重なっている(タモリは西洋哲学専修、吉永は西洋史学専修)。
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* オールナイトニッポンで「[[根暗]]」という言葉を発明。タモリは「こう見えて、オレは根が暗いから」等と「表面的に明るいが、根は暗い人」という意味で使用していたが、世間的には「根っから暗い人」という意味で、「[[ネアカ]]」「[[ネクラ]]」と対比されて、悪口として流行した。
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== 芸風 ==
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=== 密室芸 ===
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居候時代に培った芸は「密室芸」と呼ばれる。命名者は[[奥成達]]。
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タモリは上京当初、「北京放送」や[[形態模写]]くらいしか持ちネタがなかったが、臨席した人物からの無茶振りをそつなくこなし、それを自らの芸として確立させていった。前述の「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」は「宇宙飛行士→大河内伝次郎の宇宙飛行士→ターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士…」と客の指示により、状況が変わっていく即興芸。「4カ国麻雀」は「北京放送が出来るのならこういうの出来ない?」という[[山下洋輔]]の要望による。
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ただし、放送できない部類の[[パロディ]]・[[ブラックジョーク|ブラックユーモア]]が特徴であり、テレビなどで密室芸と称して行う場合は放送して差しさわりの無い程度に表現を緩和あるいは差し替えている。「4カ国麻雀」は元々は、[[毛沢東]]・[[マッカーサー]]・[[ヒトラー]]・[[昭和天皇]]の麻雀対局であり、最後に昭和天皇が「結局○○人が悪い!」と民族差別的な発言をして終わるものだった。「イグアナ」も元々は全裸。
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また、知識人を揶揄した「[[中洲産業大学]]教授」などのネタや「'''思想模写'''」などがあり、これらは放送に適しているものの、[[1970年]]代半ばは番組製作側に[[パロディ]]の概念が皆無であり、[[赤塚不二夫]]の仲介で[[NHK]]の幹部に面会する機会を持った際に、NHK[[アナウンサー]]のパロディを披露したところ全く理解されないどころか激怒された経験を持っている。
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1990年代以降はテレビではほぼやらなくなり『徹子の部屋』の年末最後の放送にゲスト出演し、密室芸を披露するのが恒例になっている。
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==== 思想模写 ====
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[[寺山修司]]の[[モノマネ]]は、しゃべり方や身振りの模写のみならず、話す内容自体はインタモ自身が考えたものでありながら「いかにも寺山修司が語りそうな物言い」をするという点(寺山自身が生前、喋る内容や論理の組み立て方が自分と同じと語っていた)で画期的であり、それ以前の政治家のモノマネや歌手の歌真似を中心とする「[[声帯模写]]」芸とは題材やアイデアの面で一線を画し、後のモノマネに多大な影響を与えた。
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こうした芸は「思想模写」と称され、レパートリーとして[[野坂昭如]]や[[竹村健一]]、[田中角栄]]、[[大橋巨泉]]、[[永六輔]]、[[横井庄一]]、[[浦辺粂子]]、[[久米明]]、[[安藤忠雄]]など他多数存在する。また封印したものとして[[昭和天皇]]がある。筒井康隆全集の打ち上げパーティーで披露した後、一部メディアが報じてしまったために、事務所の社長が右翼に監禁される事件が起きた。
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[[筒井康隆]]は「奇人タモリの演じる文化人たちの物真似が受けるのは、何を言っているのかわからないことは本物とまったく同じでありながら、何よりも本物より面白いことだけははっきりしているからである」と評する<ref>筒井康隆、山下洋輔、タモリ他『定本ハナモゲラの研究』講談社、1982年。</ref>。
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モノマネでは他に、[[麻生太郎]](衆議院議員・元内閣総理大臣)の口と声マネ、[[森山周一郎]](声マネ)、[[滝口順平]](声マネ)、[[笑福亭鶴瓶]]、[[おすぎ]]&[[ピーコ]]、[[三宅裕司]]、[[横山昭二|横山弁護士]]、[[GACKT]]、[[DAIGO]]、[[渡部陽一]]、[[コカドケンタロウ]]([[ロッチ]])のアゴまね、生まれたての子馬、ハゲタカの着地、[[バグパイプ]]、携帯電話のバイブ、ジャングルにいるオランウータン、毛玉が喉に詰まった猫、童謡の女性の歌い方、トロを食う男、ハエ、ハイエナ、コンドルの着地など、多彩なレパートリーがある。
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=== 1980年代初期の悪口 ===
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上記の密室芸の他に、他者(権威的な物や自分の嫌いな物)への悪口が多かった。テレビ番組よりもラジオ番組『[[タモリのオールナイトニッポン]]』や各種イベントなどで顕著。
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標的になったのはオフコース([[小田和正]])、[[さだまさし]]、[[アリス (フォークグループ)|アリス]]、[[名古屋]]及び名古屋人、作家の[[五木寛之]]など。オフコースについては「軟弱なフォーク、根暗なヤツが聞く音楽、歌詞が嘘くさい」、さだまさしは「女々しい、わざとらしい、歌よりトークが長い」、アリスは当時行なわれたハンド・イン・ハンド運動([[谷村新司]]が提唱し、音楽ファンのための音楽ホール「シアター・フレンズ」建設を合言葉にした募金運動)を「もてない根暗ファンの自己満足」、そして名古屋と名古屋人は「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライをごちそうだと思っている、[[名古屋弁]]は響きが汚い」、五木寛之は「文化人づらをして、自分が書いた作品に出演する女優をくどいてばかりいる」。その他、『いいとも!』では[[明石家さんま]]とともに[[佐賀県]]をこき下ろす発言を繰り返していた。
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なお、後日談もあり、[[筒井康隆]]の「ジャズ大名セッションザ・ウチアゲ」に出演した際、他のミュージシャンが演奏している中、タモリがマイクをオンにして[[五木寛之]]の悪口をつぶやき始め、それがばっちり録音されてしまったため、レコード化が見送られたというエピソードがある。また、[[小田和正]]とは1984年に[[テレフォンショッキング]]で共演するが、終始冷たい空気が流れていた。その共演から約30年間一度も会っていないという。
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=== 司会芸 ===
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司会者としては、多趣味を生かした話のフリと、相手の話をきちんと理解しきちんと切り返すという技術に確かなものがある。ただし、バラエティ番組の司会、特に『いいとも』においては、要所を押さえながらも自由すぎる行動や発言を織り交ぜるのを特徴としている。
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代表的な発言は「俺は[[ジャニーズ事務所|ジャニーズ]]シニアの一員」「俺は『[[ZOO (ダンス&ボーカルユニット)|ZOO]]』にKAZU(カズ)の名前で所属していた」など。
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自由すぎる行動としては、番組の効果音やBGMや特徴のある共演者などの声真似、何も用意されていないのにもかかわらず用意されている雰囲気を出しながら何もない場所を指す(共演者は思わず振り向く)など。
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=== 音楽芸 ===
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「誰でも弾けるチック・コリア」「誰でも弾けるハービー・ハンコック」など誰でも弾けるシリーズや、[[中国人]]の弾き語りなど、[[ピアノ]]の[[鍵盤]]を使った芸を数多く持つ。また、[[ラップ]]やボイス・パーカッションなども得意としている。
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笑っていいとも祭典のアーチェリーでは法螺貝の真似した
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=== 安産祈願 ===
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ネタのひとつとして安産[[祈願]]をする。元々『いいとも!』の「[[テレフォンショッキング]]」で紹介されたテレフォンゲストへのメッセージのメモをとるふりをしていたが、本当にとっているわけではなく、放送禁止の[[おまんこマーク|女性器を簡素化した図形]]を描き、テレフォンゲストに見せて、その反応を楽しんでいた。次第に、その図柄にちなみ安産祈願と称しそのメモをテレフォンゲストが持ち帰るようになった。
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現在でも、インタモの持つ番組などで身近に出産を間近にしている[[著名人]]([[女優]]や[[素人]])等に書いている場面があり、その際、妊婦のお腹に手を当てて、「安産スッポン!」と何度も言葉を口にすることもある。また[[めちゃイケ]]において[[加藤浩次]]夫人の安産祈願に押し掛ける企画をしたこともある。安産祈願第1号は、[[坂東三津五郎 (10代目)|坂東三津五郎(当時・坂東八十助)]]の[[守田菜生|長女]]。安産祈願を行う際、インタモは「4人の逆子を治したことがある」「安産祈願の成功率は90%だ」などとその「霊験」を大げさに語ることがあるが、もちろんこれもネタの一環である。
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== 音楽 ==
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前述の通りジャズをこよなく愛しており、レコードも数多く所有している。また奏者としては、各種セッションへの参加は勿論、テレビの場でもトランペットを度々演奏している。他方、「意味性」のある音楽については苦手としており、自身は数多くの音楽番組の司会を長年務めているものの、ポップスなどのミュージシャンについてコメントすることはほとんどない。例外として、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した[[小沢健二]]について「いいと思う歌詞は小沢くんだけ」と公言したことがある。
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== 仕事 ==
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基本的に弟子は取らない方針で、希望者が来ても「自分の芸は誰かに教えてもらったものではないので、人に教えようが無い」と断るという。ただし付き人や運転手は存在する。1980年代後半には岡村という運転手がいて、たびたび『いいとも!』などに出演させていた。その後、[[イワイガワ]]のジョニ夫も運転手を勤めていた。
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日本の伝統ともいえるペーソスのある笑いが大嫌いという立場をデビュー時から崩していない。なお、芸人が自ら泣く、あるいは人を泣かせることにも否定的であり、[[2005年]]度の『[[FNS25時間テレビ]]』(フジテレビ系列)の終盤で、総合司会の[[笑福亭鶴瓶]]が出演者やスタッフに向けて涙ながらにメッセージを送ったことがあったが、後に「なんで泣くの?」とたしなめたという(同様の考えはたけし・さんまも番組などで語っている)。
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所属している[[田辺エージェンシー]]の公式サイト内におけるタレント紹介ページでは、タモリのみ写真が掲載されていない。
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出演番組の公式サイト上では『いいとも!』でも一切顔出しを行っていない(『いいとも!』については、他のレギュラー出演者も、テレフォンアナや例外のケースを除いて一切顔出しをしていない)。反面、『いいとも!』以外のサイトでは顔出しを行っている(『タモリ倶楽部』にはテレビ朝日のサイトの中に一応公式ホームページがあるが、1ページのみで構成される極めて簡素なもので、タモリの顔写真もない)。
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また、不定期で母校の[[早稲田大学]]へ、学園祭の講演会などで訪れることがある。
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=== 副業 ===
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タレント活動の他に、経営者・実業家としての顔もある。かつては、お好み焼きや海鮮もんじゃ焼の専門店・太助を[[静岡県]][[沼津市]]・駿東郡清水町・静岡市清水区に3店舗出店していたが後にすべて閉店している。
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おすすめ料理(メニュー)として、自身が練りに練って考案し試食を重ねたという「タモちゃん焼餃子」がある。休日には3店舗に顔を出して、自前のエプロンを着て従業員のように手伝っていることもあった。
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=== タモリカップ ===
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後述するように[[小型船舶操縦士|一級小型船舶操縦士]]の資格を持ち、沼津市にヨットを保有していることなど、近年ヨットとの繋がりが深くなっていることから、[[2008年]]よりヨットレースとして、自らの名前を冠した「タモリカップ」を開催している。
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2008年から2012年にかけては自らのヨットがあるヤマハマリーナ沼津での開催となっていたが、2013年は沼津での開催を休止する代わりに横浜・福岡の2ヶ所で開催された(ただし横浜・福岡ともレースは荒天のため中止)。2013年は横浜で192艇・福岡で84艇ものエントリーを集め、国内最大級のヨットレースに成長している。
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=== 資格・免許 ===
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* [[一級小型船舶操縦士]]
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* [[第一級海上特殊無線技士]]
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* [[防火管理責任者]]
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== 交友関係 ==
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=== 恩人である赤塚不二夫の死 ===
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[[2008年]][[8月2日]]、タモリの才能を見抜き、地元・福岡から上京させて、自宅マンションに居候までさせた漫画家・[[赤塚不二夫]]が逝去。死去の2日後に事務所を通じて追悼のコメントを発表し、「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉も載せた。
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同年[[8月6日]]の赤塚の通夜、及び[[8月7日]]の葬儀・告別式に参列。その告別式では「'''私もあなたの数多くの作品の一つです。'''」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」で、何も書いていなかったとの報道が一部でなされた。
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なお、横澤彪によると、後日行われた『いいとも!』スタッフの通夜でタモリと会っており、横澤が尋ねるとこの事実を認め、前夜に書こうとしたが面倒になったので[[勧進帳]]のギャグをやることにしたとのこと。ちなみにオチは「自分のマネージャの名前がトガシ」だから(詳細は[[勧進帳]]、および原作の[[安宅]]の項をそれぞれ参照)。
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=== プロデューサー横澤彪 ===
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[[2011年]][[1月8日]]、『いいとも!』初代[[プロデューサー]]を務めていた[[横澤彪]]が[[肺炎]]のために亡くなった。タモリは「夜の番組しか出演出来ないと言われていた私をいきなり昼の真ん中に起用してくれました。私自身は昼も夜も意識したことはありませんでしたが、私で大丈夫なのかと不安でした。『笑っていいとも!』は今秋30周年を迎えます。大変お世話になりました」とコメントを寄せ、恩人の死を悼んだ。葬式や通夜には参列しなかったが、[[1月12日]]に横澤の[[自宅]]で対面した。
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また、タモリ・[[ビートたけし|たけし]]・[[明石家さんま|さんま]]の「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|BIG3]]」を人気者へと押し上げた一人でもあった。
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== 各番組におけるタモリ ==
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=== 長寿番組 ===
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* 『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』(1982年放送開始)
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* 『[[笑っていいとも!増刊号]]』(1982年放送開始)
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* 『[[笑っていいとも!特大号]]』(1982年放送開始)
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* 『[[タモリ倶楽部]]』(1982年放送開始)
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* 『[[ミュージックステーション]]』(1986年放送開始)
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* 『[[ミュージックステーションスーパーライブ]]』(1992年放送開始)
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* 『[[世にも奇妙な物語]]』(1990年放送開始)
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といった、現在に至っても放送がされている代表的な数多くの[[長寿番組]]を持っている。
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番組を長く続ける秘訣につき、「自分の番組を好きでいなければいけない」「一々、反省はしない」「自分が出演しているテレビ番組は一切観ない」と述べる。
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レギュラー番組の司会で、[[マイクロフォン|マイク]]を使用する。タモリは「俺はいつも欠かさずマイクは何処に行くにしろ持っている」と述べる。
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=== 冠番組 ===
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『いいとも!』が放送開始した[[1982年]]ごろからバラエティ番組の司会が増え、冠番組が続々と誕生。『いいとも!』、『タモリ倶楽部』、『ミュージックステーション』に加えて、ゴールデンタイム・プライムタイム、ラジオ番組のレギュラー番組を週に7 - 8本はこなす時期があった。『[[今夜は最高!]]』([[日本テレビ放送網|NTV系列]])、『[[ジャングルTV〜タモリの法則〜]]』([[TBSテレビ|TBS系]] [[MBSテレビ|MBS]]制作)、『[[タモリの音楽は世界だ!]]』([[テレビ東京]]系列)等が開始されていった。また、博識が評価され『今夜は最高!』の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の[[日本民間放送連盟|民間放送連盟賞]]のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した。
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NHK。ブラタモリ
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* 日本テレビ系列 = 『今夜は最高!』
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* テレビ東京系列 = 『タモリの音楽は世界だ!』
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* TBS系列 = 『ジャングルTV〜タモリの法則〜』(毎日放送制作)
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* フジテレビ系列 = 『タモリのボキャブラ天国』夜タモリ
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* フジテレビ系列 = 『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』
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* [[ニッポン放送]] = 『[[タモリの週刊ダイナマイク]]』(ラジオ) など多数
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上記は[[1980年|1980]] - [[1990年]]代当時のレギュラー番組であるが、このうちNTV、TBS、CX全ての番組の視聴率が10 - 20%をマークした。その他、テレビ番組以外にも歌手としてのCD・レコードリリースとライブ活動なども行っていた。この頃により、[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]]とともに、「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|日本のお笑いタレントBIG3]]」と称されることとなった。
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=== ドラマ出演 ===
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主にバラエティ番組で活躍しているが、テレビドラマにも出演してきた。テレビドラマ初出演作品は[[ドラマ人間模様]]『[[詐欺師 (テレビドラマ)|詐欺師]]』([[日本放送協会|NHK]])であった。このドラマは連続ドラマであり、[[大谷直子]]とのベッドシーンやキスシーンもあった。他には[[月曜スター劇場]]『[[なぜか、ドラキュラ]]』『[[今夜は営業中!]]』(日本テレビ系列)、『[[代議士秘書の犯罪]]』『[[不連続爆破事件]]』『ミセスとぼくとセニョールと!』『[[自主退学 (テレビドラマ)|自主退学]]』(TBS系列)などで主演している。
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近年でもストーリーテラーを務める『[[世にも奇妙な物語]]』(フジテレビ系列)にエキストラで出演したり、[[2004年]]に『[[X'smap〜虎とライオンと五人の男〜]]』(フジテレビ系列)にてデビュー時の眼帯をつけた姿で登場、[[2007年]]に『[[和田アキ子殺人事件]]』(TBS系列)に本人(森田一義)役で出演、[[2012年]]に『[[ATARU]]』最終話(TBS系列)に宝飾店店員役でゲスト出演している。2014年12月29日に再放送放送された。また『[[HERO (2007年の映画)|HERO]]』劇場版では悪徳政治家を演じた。
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=== 報道番組出演 ===
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バラエティ番組以外に、報道・情報番組に登場することもある。
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*『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|選挙でいいとも!]]』(フジテレビ系列)
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*:[[1983年]][[6月26日]]に実施された[[第13回参議院議員通常選挙]]では、タモリが選挙メインキャスターとなり、フジテレビ系列・[[フジニュースネットワーク|FNN]]系列にて『いいとも!』をアレンジとした『選挙でいいとも!』が放送された。
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*『[[FNN DATE LINE]]』(フジテレビ系列)
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*:1987年と1988年の2回、タモリが司会を務めた[[FNSの日]]「FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'87・'88」の内包コーナーとして、「DAТE LINEデラックス」をメインキャスターの[[露木茂]]と担当(その他では、いいとも!の「テレフォンショッキング」でも共演)。
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*『[[FNNスーパーニュース]]』(フジテレビ系列)
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*:3回程度出演し、メインキャスターの[[安藤優子]]と共演(その他では露木同様、いいとも!の「テレフォンショッキング」でも共演)。『[[FNNスーパータイム|スーパータイムスペシャル]]』『[[タモリ&安藤優子のSuperスーパーニュースSpecial]]』にも出演している。
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== 事故 ==
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=== ヨット事故 ===
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* [[1990年]][[7月]]、ヨットの柱に額をぶつける事故があった。この事故でタモリは髪型を真ん中分け(『いいとも!』の番組内では7:3分け)のオールバックから、現在の分け目のないオールバックへ変えた。
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=== 人身事故 ===
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* [[2000年]][[5月6日]]、[[東京]]・[[目黒区]]で[[人身事故]]を起こした。タモリの[[車]]が左折した際、右から直進してきた[[オートバイ]]と接触、オートバイは弾みで別の車にも接触した。運転していた男性と同乗女性が足に軽い打撲し、タモリに怪我は無かった。
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=== ゴルフ事故 ===
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* [[2001年]][[11月4日]]([[日曜日]])、[[関東]][[近郊]]の[[ゴルフ場]]でタモリが複数の友人とプレイ(ラウンド)中、[[ゴルフボール]]がタモリが掛ける[[サングラス]]の左目のつるに当たり、左こめかみ付近を負傷。都内の[[病院]]に検査入院を1週間程度行った。[[1995年]]の[[小型船舶]][[免許]]取得時以来、6年ぶりの番組欠勤となった。レギュラー番組を持つ『いいとも!』は当時の各曜日レギュラー陣が代役を務め、『[[ミュージックステーション]]』ではタモリと共に司会を務めていた[[テレビ朝日]]の[[武内絵美]][[アナウンサー]](2000年4月 - 2004年3月まで担当)とゲストアーティストの[[KinKi Kids]]が司会を務めた。
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== エピソード ==
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* [[1985年]]、第1回[[東京国際映画祭]]において[[明石家さんま]]とともに司会を務めた。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「タモリの下品な司会」と新聞紙面上で非難される。
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* 芸人仲間だった[[たこ八郎]]が急逝した時、[[赤塚不二夫]]らと参列した葬儀の席で「たこが海で死んだ。何も悲しいことはない」とコメントした(この経緯については[[たこ八郎]]の項を参照のこと)。
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* [[大地真央]]が[[宝塚歌劇団]]に在籍した頃に、作詞・作曲を手掛けたことがある。曲名は「タモリさんが作った歌」で、編曲は[[小笠原寛]]。CD『この愛よ永遠に〜TAKARAZUKA FOREVER〜』に収録されている。
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* 旅行好きである。行ってみたい場所は[[イギリス]]、[[アフリカ]]、[[カリブ海]]、[[グアテマラ]]など。タモリ曰く、「お酒を浴びるように呑みながら旅がしたい」。
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* [[象印スターものまね大合戦|象印賞]]を受賞した経験がある。
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== 評価 ==
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当初自分の独特の芸風が壊されるという理由で師匠につかず事務所に入らずの方針で活動していたが、現在の所属事務所である田辺エージェンシー社長の田邊昭知が、芸風は自由にやらせるという条件付で自ら直々に口説き落としたという。
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現在でこそ[[ビデオリサーチ]]の企業などがおこなうタレントの好感度ランキングでは、[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]]・[[笑福亭鶴瓶]]・[[所ジョージ]]らとともに現在に至っても上位にランクされることも多いが、デビューした[[1975年]]から[[1980年代]]初頭にかけては、逆に嫌いなタレントランキングの上位にいた。
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笑福亭鶴瓶はかつて、タモリに「なんで人の笑いを邪魔するのか」と尋ねたことがある。これに対し、「お前やさんまは笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると帯番組はマンネリになる。だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう。それがマンネリ解消になる」と答えた。鶴瓶はその予定調和を嫌う態度こそがタモリがトップに君臨する理由と見抜き、「テレビの師匠」として仰いでいると語った<ref>『[[週刊文春]]』2007年8月30日号</ref>。
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作家の小林信彦は著書『日本の喜劇人』で、トニー谷などの系譜に位置する「下半身の弱い」芸人と批評。本来異端だったのに一般人気が高まった現象を、似非インテリ受けと切り捨てている。
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[[2010年]]、優れた芸術活動を表彰する[[伊丹十三賞]]を受賞。[[2010年]][[4月9日]]に第2回贈呈式が行われ、賞金100万円が贈られた。受賞理由は「テレビというメディアに『タモリ』としか名づけようのないメディアを持ち込み、独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能」。
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== 受賞歴 ==
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* [[1981年]] 第10回「[[ベストドレッサー賞]]」[[スポーツ]]・[[芸能]]部門受賞
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* [[1982年]] 第19回「[[ゴールデン・アロー賞]]」芸能賞受賞
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* [[1984年]] 第21回「ゴールデン・アロー賞」放送賞受賞
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* 1984年 第12回「[[日本放送演芸大賞]]」受賞
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* [[1986年]] 「[[流行語]]大賞」受賞
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* 1986年 「[[ゆうもあ大賞]]」受賞
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* [[2003年]] 「[[ギネス・ワールド・レコーズ]]」(2003年度版『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』[[生放送]]単独[[司会]]最高記録受賞)
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* [[2010年]] 第2回「[[伊丹十三賞]]」受賞
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2014年。菊地受賞
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== 現在の出演番組 ==
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=== レギュラー番組 ==
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* [[ミュージックステーション]]([[テレビ朝日]][[All-nippon News Network|系列]] / [[金曜日]] 20:00 - 20:54)
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* [[タモリ倶楽部]](テレビ朝日系列 / 金曜日 24:20 - 24:50)
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=== 単発・不定期番組 ===
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* [[世にも奇妙な物語|世にも奇妙な物語 春・秋の特別編]](フジテレビ系列 / 番組改編時期の春・秋に放送。ストーリーテラー役として出演)
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* [[ミュージックステーションスーパーライブ|ミュージックステーションスペシャルスーパーライブ]](テレビ朝日系列 / 年末年始特番)
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* [[徹子の部屋]](テレビ朝日系列 / 年内最後のゲストとして必ず出演する)2014年は総集編だった為出演しなかった
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== 過去の出演番組 ==
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[日本放送協会|NHK]]</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left">[[みんなのうた]]([[1980年]][[10月]]、「[[ミスターシンセサイザー]]」の楽曲を披露)
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* [[ばらえてい テレビファソラシド]]
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* [[ウオッチング (テレビ番組)|ウオッチング]]([[1985年]][[4月]] - [[1989年]][[3月]])
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* [[驚異の小宇宙 人体|驚異の小宇宙・人体]](1989年6月10日 - 1989年6月12日、1989年9月10日 - 1989年9月12日)
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* [[音楽の広場]](ゲスト出演)
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* [[第31回NHK紅白歌合戦]](ゲスト出演)
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* [[第34回NHK紅白歌合戦]](総合司会担当)
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* [[テレビドラマ|ドラマ]]「[[ドラマ人間模様]] 『[[詐欺師 (テレビドラマ)|詐欺師]]』」
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* [[土曜特集]]〜驚異の世界〜深海大冒険([[1999年]][[12月18日]])
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* [[J-MELO]](2008年6月15日、ゲストの[[ジャズ]][[ピアニスト]]:[[山下洋輔]]へスペシャルコメント)
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* [[ブラタモリ]](2008年12月13日、2009年10月1日 - 2010年3月11日、2010年10月7日 - 2011年3月31日、2011年11月10日 - 2012年4月5日 )
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* [[ETV特集]]『全身漫画家〜真説・[[赤塚不二夫]]論〜』(2009年[[3月29日]]、インタビュー出演)
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NHKスペシャル。(2014年8月30日)土曜日スタジオで会見放送された
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紅白(2014年12月23日)23日のYahoo!で明らかになった
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列</div>
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特記のないものは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]製作
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* [[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]
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* [[お笑いスター誕生!!]]
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* [[スター誕生!]]
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* [[今夜は最高!]]
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* [[11PM]](1975年、1976年、1979年8月8日・11月12日、1982年6月30日)
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* [[おしゃれ]](1980年代頃、[[久米宏]]が司会でゲスト出演)
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* ドラマ「[[月曜スター劇場]]」『[[なぜか、ドラキュラ]]』
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* ドラマ「[[真夜中のヒーロー]]」(1980年3月)
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* [[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]](1978年 - 1984年)
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* ピンクレディー 汗と涙の大晦日150分!! 紅白歌合戦をぶっとばせ! ビキニでフィーバー(1978年12月31日)
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* [[木曜スペシャル]] [[タモリのいたずら大全集]]
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* [[タモリ&さんまの爆笑タッグマッチ]](1987年 - 1992年頃)
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* 木曜スペシャル [[世界のドッキリNG大全集]]
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* 木曜スペシャル [[タモリの世界そっくり決定戦]]
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* [[シャボン玉ホリデー|シャボン玉が消えた日]](1986年3月6日、1989年)
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* 講演大王!(第1回ゲスト出演)
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* [[投稿!特ホウ王国]]スペシャル(1994年秋のスペシャルに審査委員長として出演)
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* [[欽ちゃんの仮装大賞]](第2回・第3回は審査員、第80回は80回記念のお祝いメッセージの[[VTR]]出演)
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* ドラマ『[[今夜は営業中!]]』(1999年9月18日、劇中劇ならぬ劇中[[バラエティ]]のゾーンがある)
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* [[ズームイン!!SUPER]](2008年11月28日、インタビュー出演)
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* [[タモリ教授のハテナの殿堂?]](2008年11月29日、日本テレビ系列の番組には9年ぶりに出演)
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[テレビ朝日]]系列</div>
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特記のないものは[[テレビ朝日]]製作
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*マンガ大行進 赤塚不二夫ショー(NET:1975年8月30日、テレビ初出演)
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* 刑事マチャアキ 謎の犯人タモリを追え!!([[名古屋テレビ]]制作、1979年1月)
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* [[のってシーベンチャー]]
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* [[タモリ倶楽部|夕刊タモリ!こちらデス]](1981年10月4日 - 1982年9月26日)
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* [[武田鉄矢・タモリスペシャル|タモリスペシャル]](1982年1月21日)
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* [[夢のビッグスタジオ]](1982年4月8日 - 5月13日、初のテレ朝音楽番組レギュラー司会。 わずか6回で降板。 5月20日から[[南美希子]]が司会。)
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* 月曜スペシャル エイプリルフールだ 生放送! だますぜ一気うそつきグランプリ(1985年4月1日)
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* 水曜特バン!タモリのUFO緊急スペシャルI、II(1990、1991年頃)
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* タモリ&[[井上陽水]]の大人のお正月 (1995年1月1日)
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* [[27時間チャレンジテレビ]]「タモリとチャレンジ」(1997年11月9日)
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* 1998年春の人気番組対抗「炎の熱血バトル'98」(1998年3月17日)
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* 祝「[[徹子の部屋]]」30周年記念スペシャル(2005年5月8日)
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* [[愛のエプロン]](2006年12月、[[堂真理子]]アナへの応援メッセージ)
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* [[SMAP☆がんばりますっ!!]]([[2009年]][[1月31日]])
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* ドスペ2「[[木村拓哉]]の[[全力坂]] 完全版」(2009年4月4日)
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* [[題名のない音楽会]](1977年、2009年6月28日・7月5日、[[山下洋輔]]、[[坂田明]]と共に32年ぶりのゲスト出演)
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* [[50時間テレビ]]
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[TBSテレビ|TBS]]系列</div>
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特記のないものは[[TBSテレビ|TBS]]製作
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* 大学対抗バンド合戦
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* 素晴らしき仲間(数回ゲスト出演)
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* スター対抗クイズ番組大集合 熱狂!興奮!タモリの司会でクイズを100倍楽しもう!(1983年)
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* タモリのスター対抗クイズ番組大集合(1984年)
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* [[サンデーお笑い生中継]](制作:[[MBSテレビ|毎日放送]])
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* [[ジャングルTV 〜タモリの法則〜]](制作:毎日放送)
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* [[タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事]](制作:毎日放送)
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* [[ザ・ベストテン]](1981年2月5日に[[久米宏]]の代行司会、1983年8月25日はゲスト出演)
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* [[クイズダービー]] (1980年11月8日、1982年までは毎年のようにゲスト出演していた常連中の常連。)
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{{main2|その他のエピソードについては[[クイズダービー#タモリのエピソード]]を}}
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* ドラマ『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』(1990年)
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* ドラマ『[[三男三女婿一匹#三男三女婿一匹(第2シリーズ)|三男三女婿一匹(第2シリーズ)]]』
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* ドラマ『水曜劇場・[[家路〜ママ・ドント・クライ]]』
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* ドラマ『水曜劇場・[[家路PART2]]』
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* ドラマ『[[代議士秘書の犯罪]]』
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* ドラマ『[[不連続爆破事件]]』
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* ドラマ『[[ミセスとぼくとセニョールと!]]』
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* ドラマ『[[自主退学 (テレビドラマ)|月曜ドラマスペシャル『自主退学』]]』
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* [[人形劇]]『[[飛べ!孫悟空]]』(1977年・1978年、ヘレヒッパリケ大魔王役で声の出演)
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* [[Ryu's Bar 気ままにいい夜]](ゲスト出演)
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* [[アッコにおまかせ!]](ゲスト出演)
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* スペシャルドラマ『[[和田アキ子殺人事件]]』(本人役で出演)
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* ドラマ[[日曜劇場]]『[[ATARU]]』([[2012年]][[6月24日]]、ジュエリー店店員役で本名の森田一義で大物ゲスト出演)
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[テレビ東京]]系列</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left">
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特記のないものは[[テレビ東京]]製作
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* チャンネル泥棒! 快感ギャグ番組! [[空飛ぶモンティ・パイソン]]([[テレビ東京|東京12チャンネル時代]]、[[1976年]][[4月9日]] - [[9月24日]])
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* [[タモリの突撃ナマ放送]](東京12チャンネル時代、[[1980年]][[10月5日]] - [[1981年]][[6月28日]]、[[日曜日]][[正午]]・[[スタジオアルタ]]から[[生放送]])
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* [[タモリの歌謡スター笑]](東京12チャンネル時代・[[1981年]][[7月5日]] - [[9月27日]]、日曜日正午・スタジオアルタから生放送)
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* [[赤塚不二夫]]とトンデモない仲間達([[1995年]][[12月30日]]、タモリを生んだ仲間が一挙に登場した)
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* [[開運!なんでも鑑定団]](ゲスト出演)
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* [[タモリの音楽は世界だ!]]
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* [[タモリのギャップ丼]]
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列</div>
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特記のないものは[[フジテレビジョン|フジテレビ]]製作
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* [[FNSの日]]
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** [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]](1987年 - 1990年、1987年から1989年まで総合司会を担当)
 +
** [[平成教育テレビ]](1991年 - 1997年)
 +
** [[27時間テレビ]](1998年 - 2001年、2004年 - 現在)2014年7月14日の目覚ましで2014年も出る事発表された
 +
** [[FNS27時間テレビ (2004年)|FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!]]
 +
** [[FNS25時間テレビ|FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!]]
 +
** [[FNS26時間テレビ (2006年)|FNS26時間テレビ 国民的なおもしろさ!史上最大!!真夏のクイズ祭り26時間ぶっ通しスペシャル]]
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** [[FNS27時間テレビ (2007年)|FNS27時間テレビ みんな なまか だっ! ウッキー!ハッピー!西遊記!]]
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** [[FNS27時間テレビ (2008年)|FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]]
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** [[FNS26時間テレビ (2009年)|FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード爆笑!お台場合宿!!]]
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** [[FNS26時間テレビ (2010年)|FNSの日26時間テレビ2010 超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!]]
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** [[FNS27時間テレビ (2011年)|FNS27時間テレビ めちゃ×2デジッてるッ!笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!]]
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** [[FNS27時間テレビ (2012年)|FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?]](総合司会を担当)
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** [[FNS27時間テレビ (2013年)|FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!]]
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27時間2014
 +
* [[小川宏ショー]](1976年、ゲスト出演)
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* [[スター千一夜]](1979年、ゲスト出演)
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* チャレンジ・ザ・ギネス’79(1979年10月3日)
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* 爆笑スタジオ1980 〜雨に笑えば〜(1980年6月3日)
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* [[ミュージックフェア]](1980年頃、ゲスト出演)
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* [[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]
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* [[笑っていいとも!新春祭]]
 +
* [[タモリのボキャブラ天国|ボキャブラ天国]]
 +
* タモリのsuperボキャブラ天国
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* タモリの超ボキャブラ天国
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* 祝!タモリのボキャブラ天国・新春復活スペシャル
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* タモリのボキャブラ天国大復活祭(2008年9月28日)
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* ドラマ『ぼくたちアダルトKIDS』(1985年8月)
 +
* ドラマ『[[世にも奇妙な物語]]』
 +
* ドラマ『[[if もしも]]』
 +
* スペシャルドラマ『[[X'smap~虎とライオンと五人の男~]]』
 +
* [[タモリの未来予測TV]]
 +
* [[タモリの新・哲学大王!]]
 +
* [[タモリのネタでNIGHTフィーバー!]]
 +
* [[オレたちひょうきん族]](ゲスト出演)
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* [[ひょうきん予備校]](講師としてゲスト出演)
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* [[新春かくし芸大会]](1980年1月1日)
 +
* [[ザッツお台場エンターテイメント!]]
 +
* スペシャルドラマ『[[アナウンサーぷっつん物語]]スペシャル』(1987年4月・10月1日)
 +
* [[FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル]]
 +
* [[なるほど!ザ・ワールド]](ゲスト出演)
 +
* [[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル]]
 +
* [[初詣!爆笑ヒットパレード]]
 +
* [[フジニュースネットワーク|FNN]]『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|選挙でいいとも!]]』(タモリが選挙キャスターに。1983年6月26日、[[第13回参議院議員通常選挙]])
 +
* [[バレーボールワールドカップ|ワールドカップバレーボール]]'99直前 タモリの応援団長なんてやるもんじゃないスペシャル (1999年10月31日)
 +
* [[FNNスーパータイム|スーパータイムスペシャル]]([[安藤優子]]とともに司会)
 +
* [[タモリ&安藤優子のSuperスーパーニュースSpecial]]
 +
* [[タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ]](1988年、1989年、1991年 - 1994年、1996年 - 1999年)
 +
* [[さんまのまんま]](制作:[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・2001年新年スペシャル・ゲスト出演)
 +
* [[SMAP×SMAP]](1996年12月30日、2006年4月14日、2010年1月4日、2014年3月[[SMAP×SMAP#ビストロ・スマップ(BISTRO SMAP)|ビストロSMAP]]ゲスト出演ほか)
 +
* [[サタ☆スマ]](2002年1月12日)
 +
* [[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ×2イケてるッ!SP]]([[2002年]][[3月16日]]「[[極楽とんぼ]]・[[加藤浩次]]の[[結婚]]お祝いコメント出演」、[[2011年]][[10月8日]]「[[近くへ行きたい]]」スペシャルゲスト、[[2013年]][[4月6日]]「[[ナインティンナイン]]・[[矢部浩之]]の結婚お祝いコメント出演、[[笑福亭鶴瓶]]と共に」)
 +
* [[FNS25時間テレビ]]事件の予感!?予習SP (2005年7月20日、[[笑福亭鶴瓶]]がタモリにインタビュー)
 +
* [[タモリの雑学の祭典!]](2007年5月12日)
 +
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]](2007年10月4日、「新・食わず嫌い王座決定戦」にて[[松田聖子]]と対決)2014年3月はいいともチームとして出演
 +
* [[タモリのヒストリーX]](2007年 - 2008年)
 +
* [[土曜プレミアム]]「これでいいのだ!!赤塚不二夫伝説」(2008年11月1日、インタビュー出演)
 +
* [[タモリのジャポニカロゴス]](2005年 - 2008年)
 +
* [[SMAP PRESENTS ドラマの裏の本当のドラマ|フジテレビ開局50周年 名作ドラマ&映画全て見せます!SMAP PRESENTS ドラマの裏の本当のドラマ]]
 +
: (2009年4月6日、「世にも奇妙な物語」のVTR出演)
 +
* [[笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル]]([[番組]][[改編]]時期の[[春]]と[[秋]]に放送)
 +
* [[エチカの鏡〜ココロにキクTV〜]](2008年10月19日 - 2010年9月19日)
 +
* フジテレビ夢スペシャル タモリ×SMAP 僕らは未来を信じよう! 〜宇宙への挑戦と奇跡の物語〜(2011年4月4日)
 +
* [[ニッポン小意見センタ〜♪]](2011年[[10月9日]])
 +
* [[タモリ・中居の手ぶらでイイのに…!?〜ドラマチック・リビングルーム〜]](2011年[[10月10日]])
 +
* [[夜の笑っていいとも!春・秋のドラマ特大号]](番組改編時期の春・秋に放送)
 +
* [[カスペ!]]
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** [[FNS27時間テレビ FNSアナウンサー歌謡大賞 全国歌うまNO.1アナ決定! 爆笑オーディション!!]](2012年7月10日) - FNS対抗企画「FNSアナウンサーがんばった歌謡大賞」の事前オーディション企画。
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** [[プレタモリ]](2012年7月17日) - 司会のタモリが[[西山喜久恵]](フジテレビアナウンサー)と『[[ブラタモリ]]』よろしく各番組の出演者に挨拶に赴く。
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* [[ミタパンブー]] - 2012年7月16日 - 19日放送分にて「笑っていいとも!」総合司会の森田一義(タモリ)と各曜日レギュラー陣が総出演し、「FNS27時間テレビ」の見所を紹介する。当日の生放送終了後に[[スタジオアルタ]]で収録している。
 +
* FNS27時間テレビ団結直前見どころスペシャル(2012年7月21日 15:00 - 17:00) - 2012年7月10日放送の「FNSアナウンサー歌謡大賞 全国歌うまNO.1アナ決定! 爆笑オーディション!!」の再編集版。
 +
* [[SMAP×SMAP]](2012年7月23日)- 草彅剛100kmマラソン企画の密着ドキュメント企画「27時間テレビ 草彅剛 100kmマラソンの裏側 全部見せますスペシャル!」
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* [[タモリ・中居のドラマチック・リビングルーム]](番組改編時期の春・秋に放送)
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</div></div>
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0">
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[BS]]系列</div>
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* タモリの[[ジャズ]][[スタジオ]] ([[1995年]][[2月20日]] - [[2月23日]])
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* [[横澤彪]]の笑いは世界を救えるか!?([[2000年]][[12月4日]]、ゲスト出演)
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</div></div>
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2015年1月29日のエブリと超報道及び翌日のワイドショー
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<div class="NavHead" style="text-align: left">[[ラジオ]]</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left">
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; [[ニッポン放送]]([[全国ラジオネットワーク|NRN]])
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* [[ブリタモリ大百科事典]]
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* [[タモリの週刊ダイナマイク]]
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* [[タモリのオールナイトニッポン]]
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* [[だんとつタモリ おもしろ大放送!]]
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* タモリの世界最大ポップス電話リクエスト
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* 拝啓!青春諸君
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* タモリのベルジャンジャンジャン([[石川ひとみ]]と共演)
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* [[ヨッ!お疲れさん|タモリのヨッ!お疲れさん]]
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* [[美女対談|タモリの美女対談]]
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* [[アッコのいいかげんに1000回]](ゲスト出演、[[2000年]][[11月18日]])
 +
* [[笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ]](ゲスト出演、[[2004年]][[8月1日]])
 +
* [[俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル]]([[2008年]][[2月24日]])
 +
* [[ニッポン放送開局60周年記念番組「われらラジオ世代」]]([[2013年]][[10月23日]] - [[10月25日|25日]])
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; [[文化放送]]
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* タモリと理恵の音楽専科
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* [[赤塚不二夫]]のギャグラジオ (ゲスト出演、[[1993年]][[6月29日]])
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; [[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]
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* タモリで失敬!
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* [[るんるんナイト ワオ!|タモリの事件ダヨ!]]([[1982年]][[10月4日]] - [[1983年]][[10月7日]])
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* [[小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる]](ゲスト出演)
 +
; [[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]]
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* [[BCLワールドタムタム]]
 +
; [[エフエム東京|FM東京]]
 +
* タモリ博士の自叙伝的ジャズ講座([[1979年]] - [[1980年]]頃)
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; セントギガ・[[サテラビュー]]
 +
* サバチーチカレッジ タモロス博士のサンデーゼミナール
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; [[NHKラジオ第1放送]]
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* [[ブラタモリ|ラジオでブラタモリ]]([[2010年]][[9月20日]])
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ほか
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</div></div>
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== CM ==
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0">
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<div class="NavHead" style="text-align: left">過去</div>
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* 松下電器(現・[[パナソニック]]) [[パナソニックのテレビブランドの変遷#パナカラー クイントリックス|クイントリックス]](1979年頃)
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* [[サントリー]] ポップタイム (1978年 - 1980年代前半)
 +
* [[キヤノン]] デートマチック (1979年 - 1982年代前半)
 +
* [[東洋水産]] マルちゃん 麦味噌、塩、醤油ラーメン(1980年 - 1981年頃)
 +
* [[象印マホービン]] (1982年 - 1983年頃?)
 +
* [[富士通]] パソコンFM-7シリーズ(1980年代前半)
 +
* [[新生フィナンシャル|GCカード]](1982年 - 1983年頃)
 +
* [[東洋水産]] 一醤麺(思想模写:[[寺山修司]]、[[野坂昭如]] 1980年代前半)
 +
* [[ソニー|SONY]] ビデオテープ(1981年頃)
 +
* [[片岡物産]] アストリアコーヒー(1982年 - 1984年)
 +
* [[コーセー化粧品]] ダモンモイスチュアライジング(1982年 - 1984年9月、[[日野皓正]]と共演)
 +
* [[佐藤製薬]] [[ユンケル黄帝液]]シリーズ(1984年 - 2002年)
 +
* [[寿がきや食品]]えび天鍋うどん(1980年代前半頃?)
 +
* [[パイオニア]] (1983年 - 84年)
 +
* [[本田技研工業|本田技研]] スカッシュスクーター(1985年 - 1987年)
 +
* [[理想科学工業]] リソグラフ(1986年頃)
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* [[東京ニュース通信社]] [[TVガイド]]40周年御礼記念(1982年、1983年 - 1984年、2001年 - 2003年3月)
 +
* [[ソフトバンクテレコム|日本テレコム]] おとくライン(2004年11月 - 2005年3月)
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* [[サントリー]] BOSSレインボーマウンテン([[石原さとみ]]と共演、2005年9月 - 2006年1月頃)
 +
* [[トヨタ自動車]] [[あしたのハーモニー]](編集長役、※「森田一義」名義、2007年5月 - 2008年6月)
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* [[佐藤製薬]] [[アセス]](2003年10月 - 2008年9月)
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* [[三菱UFJフィナンシャル・グループ]] [[アコム]](2009年3月23日 - 2013年3月31日)<ref>2009年4月より、タモリのレギュラー番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)・『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)の番組スポンサーとなっている。しかし、2010年3月で『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)の番組スポンサーは終了した。</ref>
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</div></div>
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== 映画 ==
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0">
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<div class="NavHead" style="text-align: left">映画出演作品</div>
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<div class="NavContent" style="text-align: left">
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* 喜劇役者たち 九八とゲイブル([[1978年]]3月21日公開・[[松竹]]、[[愛川欽也]]らと共演)
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* [[博多っ子純情]](1978年12月2日公開・松竹)
 +
* [[下落合焼とりムービー]]([[1979年]]6月23日公開・[[東映]]、[[所ジョージ]]らと共演)
 +
* [['80アニメーション ザ・ベストテン]]([[1980年]][[12月20日]]公開・[[東映]]、[[児島美ゆき]]ほかと共演)
 +
* [[水のないプール]]([[1982年]]1月23日公開・東映)
 +
* キッドナップ・ブルース(1982年10月9日公開・[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]])タモリ一義名義
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* だいじょうぶマイ・フレンド([[1983年]]4月29日公開・ 東映)
 +
* [[刑事物語#刑事物語2 りんごの詩|刑事物語2 りんごの詩]](1983年7月2日公開・東宝)
 +
* [[愛染恭子]]の未亡人下宿 ([[1984年]]12月22日公開・[[日活]])
 +
* スタア([[1986年]]3月21日公開・ 東映、[[筒井康隆]]らと出演)
 +
* [[ジャズ大名]] (1986年4月19日公開・大映) など
 +
* [[片翼だけの天使]] (1986年5月24日公開・松竹)
 +
* [[丹波哲郎]]の大霊界 死んだらどうなる([[1989年]]12月3日公開・松竹)
 +
* 丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!([[1990年]]1月13日公開・松竹)
 +
* [[世にも奇妙な物語 映画の特別編]]([[2000年]]11月3日公開・東宝、ストーリーテラー役)
 +
* [[やどさがし]] ([[2006年]]1月3日公開・東宝、声優に初挑戦)
 +
* [[HERO (2007年の映画)|映画版 HERO]]([[2007年]]9月8日公開・東宝、大物代議士役、※「森田一義」名義)2014年6月30日に放送された
 +
</div></div>
 +
 
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== レコード・CD作品 ==
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=== アルバム ===
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{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"
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! style="width:3%;"| NO.
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! style="width:15%;"|ジャケットタイトル
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! style="width:27%;"|形態・発売日
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! style="width:25%;"|品番・発売元
 +
! style="width:30%;"|備考
 +
|-
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| rowspan="4"|1st
 +
| rowspan="4"|タモリ
 +
| LP:1977年03月20日
 +
| ETP-72227(東芝EMI/Alfa)
 +
| rowspan="4"|[[毛沢東]]風中国人・[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]風アメリカ人・[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]風ドイツ人・[[寺山修司]]風日本人のモノマネによる「四カ国親善麻雀」が収録されているが、元々は寺山修司ではなく[[昭和天皇]]のモノマネだった。発売になったのは修正版。2007年発売版では「ブラジャー・ミシン」([[ブラザー工業]]風のパロディCM)のセリフの一部がカットされて収録されている([[乳がん]]患者への配慮と思われる)。
 +
|-
 +
| LP:1980年(再発)
 +
| ALR-4013(アルファ)
 +
|-
 +
|CD:1995年06年16日(初CD化)
 +
| ALCA-9159(アルファ)
 +
|-
 +
|CD:2007年12年20日(CD再発)
 +
※初回のみ紙ジャケ仕様
 +
| MHCL-1238(Sony Music Direct)
 +
|-
 +
| rowspan="4"|2nd
 +
| rowspan="4"|タモリ2
 +
| LP:1978年12月20日
 +
| ETP-80060(東芝EMI/Alfa)
 +
| rowspan="4"|講師として[[中州産業大学]]芸術学部西洋音楽理論の森田一義助教授の音源が収録されている。
 +
|-
 +
| LP:1980年(再発)
 +
| ALR-4007(アルファ)
 +
|-
 +
|CD:1995年06年16日(初CD化)
 +
| ALCA-9160(アルファ)
 +
|-
 +
|CD:2007年12年20日(CD再発)
 +
※初回のみ紙ジャケ仕様
 +
| MHCL-1239(Sony Music Direct)
 +
|-
 +
| 3rd
 +
| タモリ3
 +
- 戦後日本歌謡史 -
 +
| LP:1981年9月10日
 +
| TAMORI-3(アルファ)
 +
| 実際には『タモリ2』発売以前より録音されており、当初はこの内容が『タモリ2』になるはずだった。戦後の名曲をパロディーにしているため著作権上の疑義が指摘され、初回プレス分の3万5000枚だけを[[新星堂]]で限定発売し直ちに絶版という運命をたどる<ref>[[レコード・コレクターズ]]2007年9月号</ref>。未CD化。
 +
|-
 +
| rowspan="2"|4th
 +
| rowspan="2"|ラジカル・ヒステリー・ツアー
 +
| LP:1981年05月01日
 +
| 27AH-1237(CBS/SONY)
 +
| rowspan="2"|[[サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]、THE SQUARE(現:[[T-SQUARE]])の安藤まさひろ(本名の安藤正容名義で)と当時メンバーだった[[久米大作]]が楽曲を提供。安藤、久米の提供曲はTHE SQUAREがバック演奏を担当している。CD化の際にシングル「タモリのワーク・ソング」AB面を追加収録。
 +
|-
 +
|CD:2007年12年20日(初CD化)
 +
※初回のみ紙ジャケ仕様
 +
| MHCL-1240(Sony Music Direct)
 +
|-
 +
| rowspan="2"| 5th
 +
| rowspan="2"| HOW ABOUT THIS
 +
| LP:1986年09月21日
 +
| VIH-28272(ビクター)
 +
| rowspan="2"| 大マジなジャズ・アルバム。LPとCDで一部収録曲が異なる。
 +
|-
 +
| CD:1986年09月21日
 +
| VDR-1276(ビクター)
 +
|}
 +
 
 +
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0">
 +
<div class="NavHead" style="text-align: left">シングル</div>
 +
<div class="NavContent" style="text-align: left">
 +
* 「狂い咲きフライデイ・ナイト」1981年
 +
* 「タモリのワーク・ソング」1981年
 +
</div></div>
 +
 
 +
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0">
 +
<div class="NavHead" style="text-align: left">その他アルバム</div>
 +
<div class="NavContent" style="text-align: left">
 +
* [[ミスターシンセサイザー]](1980年10月に『[[みんなのうた]]』([[日本放送協会|NHK]])に出演時に熱唱)
 +
* おうちでデジタモドン(初級編)TOCT-8272・[[東芝]]EMI(1993年、テレビ東京系列『[[タモリの音楽は世界だ!]]』)
 +
* おうちでデジタモドン(中級編)TOCT-8273・東芝EMI
 +
* おうちでデジタモドン(上級編)TOCT-8274・東芝EMI
 +
* TAMORI'S DREAM REMIXED BY TACKHEAD
 +
* [[大瀧詠一]]がプロデューサーとして招かれたものの、タモリがヴォーカル録りをしないまま終わった幻のアルバムの企画があったと言われている。
 +
* 『永遠の絆』・[[なぎら健壱]]コンサート(MC・Mr.タモリとして参加。)
 +
* [[T-SQUARE|THE SQUARE]]のアルバム『[[MAGIC (THE SQUAREのアルバム)|MAGIC]]』内の2曲にトランペットおよびバックボーカルで参加している。
 +
* パイパー(PIPER:山本圭右がリーダーを務めた1980年代のJ-POPグループ)のサードアルバム『GENTLE BREEZE』のジャケット写真(古風な赤い消防車に雪が降り積もっている)の撮影を担当。
 +
* 決定盤「NHKみんなのうた」より大全集8 タモリが唄う「ミスターシンセサイザー」を収録
 +
* TAMORI'S DREAM REMIXED BY TACKHEAD(「タモリ」「タモリ2」音源によるリミックス盤)
 +
* 『ライヴ・イン・ハトヤ 赤塚不二夫と全日本満足問題研究会』 ([[赤塚不二夫]]、[[赤瀬川原平]]、[[奥成達]]、[[高信太郎]]、[[長谷邦夫]]による満足問題研究会。プロデューサー[[高平哲郎]]、作曲[[小林亜星]]らが担当)
 +
* 『[[発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会|笑っていいとも!コンピレーション・マイクロミニアルバム 発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会]]』([[2010年]][[5月12日]][[CD]]発売)
 +
* けさめらの親王むれさのはけ姫に詠む(アルバム『ジョージのセロリ・パセリ』収録)所ジョージ(作詞)
 +
</div></div>
 +
 
 +
=== プロデュース ===
 +
* [[大地真央]]が[[宝塚歌劇団]]時代に、タモリが作詞・作曲家を手掛けた。「タモリさんが作った歌」編曲は[[小笠原寛]]。CD「この愛よ永遠に~TAKARAZUKA FOREVER~」の1曲に入っている。
 +
 
 +
== ゆかりの地・愛好地 ==
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* 出身地:[[福岡県]][[福岡市]]
 +
** 現在の福岡市 - [[博多弁]]なのはこの地に出生したから。
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 +
* その他
 +
** 主に[[東京]]全域(中でも[[江戸]]の雰囲気が出ている場所)
 +
** [[静岡県]][[沼津市]] - 同市内浦湾に[[ヨット]]を置いている。『笑っていいとも!』の「[[テレフォンショッキング]]」のトーク内でも、度々[[沼津]]の話が出てくる。
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** 同県[[伊豆市]] - 別荘を構えている。
 +
 
 +
== VHS・DVD ==
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<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0">
 +
<div class="NavHead" style="text-align: left">VHS・DVD</div>
 +
<div class="NavContent" style="text-align: left">
 +
* 『タモリの大宴会』
 +
* 『NHKスペシャル 驚異の小宇宙人体全6巻』
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* 『下落合焼とりムービー』([[所ジョージ]]らと共演)
 +
* 『水のないプール』
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* 『キッドナップ・ブルース』
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* 『片翼だけの天使』
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* 『喜劇役者たち九八とゲイブル』([[愛川欽也]]らと共演)
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* 『タモリ倶楽部 THEビデオ』(1986年7月21日、ポニーキャニオン)
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* 『世にも奇妙な物語 vol.1 ~4』
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* 『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 15周年の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2006秋の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2007春の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2007秋の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 DVDの特別編 vol.1~3』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2008春の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2008秋の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2009春の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2009秋の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2010春の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2010秋の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2011春の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2011秋の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 2012春の特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 無料ビデオの特別編』
 +
* 『世にも奇妙な物語 映画の特別編』
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* 『代議士秘書の犯罪』(TBS、パック・イン・ビデオ、SRVE-87B)
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* 『不連続爆破事件』(同上、SRVE-87B)
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* 『THE ボキャブラ天国 公式ビデオ 寿』([[ポニーキャニオン]])
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* 『THE ボキャブラ天国 公式ビデオ 誉』(ポニーキャニオン)
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* 『THE ボキャブラ天国 公式ビデオ 雅』(ポニーキャニオン)
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: 3巻同時に1998年[[12月18日]]発売 ほか
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== 書籍 ==
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<div class="NavHead" style="text-align: left">書籍</div>
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* タモリ『21世紀ブックス タモリのカセット面白術 : もてる!ウケル!きわめつけ実例94』、主婦と生活社、1977年。
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* タモリ『タモリのケンカに強くなる本』、ベストセラーズ、1978年。
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* タモリ『タモリのちょっとアレですが』、エイプリル・ミュージック、1978年。
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* タモリ『行ってから読むか読んでから行くか : タモリのNew York旅行術』、[[講談社]]、1980年。
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* タモリ『ミステリーカセットブック』「タモリのシャーロック・ホームズまだらのひも」(小学館)
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* 『タモリのニューヨーク旅行記(1980年3月、講談社)
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* 『タモリだよ! (ISBN 4-7897-0003-8)(平岡正明、1981年12月、ソニー出版)
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* 『ぼくはタモリの運転手』(ガブリエル・ウッシー) (ISBN 4-8973-0005-3)(ライフ社、1982年2月)
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* 『ぴーぷる最前線・タモリ』 (ISBN 4-8288-0314-9)[[福武書店]](1983年12月)
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* 『タモリのこれが世界の珍商売』 (ISBN 4-9055-8789-1)[[笠倉出版社]](1984年2月)
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* 『タモリが本屋にやってきた』(ISBN 4-9476-0909-5)[[オールナイトニッポン]]編
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* タモリ『[[今夜は最高!]]』、[[日本テレビ放送網]]、1982年1月。
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* タモリ『今夜は最高! part 2』、日本テレビ放送網、1982年3月。
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* タモリ『今夜は最高! part 3』、日本テレビ放送網、1982年4月。
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* タモリ『今夜は最高! 傑作場面集』(日本テレビ、1982年4月)
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* タモリ『新・今夜は最高!』、日本テレビ放送網、1983年1月。
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* タモリ『新・今夜は最高!. part 2』、(ISBN 9-8334-2112-1)日本テレビ放送網、1983年3月。
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* タモリ『コレが、今夜は最高だ!?』(日本テレビ放送網、1983年4月)
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* タモリ『新・新今夜は最高!』 (日本テレビ、 (1983年12月)
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* タモリ『新・新今夜は最高! part 2』 &lt;ISBN 9-8400-4392-7&gt;(日本テレビ、1984年2月)
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* タモリ『タレント狂殺人事件』、[[作品社]]・[[徳間書店]]、1983年11月。(ISBN 4878938013)
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* タモリ『タモリのおじさんは怒ってるんだぞ!』、[[徳間書店]]、1984年。(ISBN 4-19-502931-7)
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* タモリ『タモリのこれが世界の珍商売!!』、1984年、[[笠倉出版社]]・[[フジテレビジョン]]
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* タモリ『[[タモリのTOKYO坂道美学入門]]』 、[[講談社]]、2004年。(ISBN 4063527239)
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: 過去に[[交友社]]より雑誌『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』への登場依頼があったが、スケジュールの関係で実現できなかった。
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<div class="NavHead" style="text-align: left">共著</div>
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* 空飛ぶかくし芸(1977年11月、[[住宅新報社]])
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* 空飛ぶ冷やし中華part2(全冷中編)1978年5月、住宅新報社
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* タモリ、[[松岡正剛]]『プラネタリー・ブックス16 愛の傾向と対策』、工作舎、1980年。
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* 超時間対談 (ISBN 4-0875-0847-1)(1981年7月、[[集英社]])
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* ブリタモリ編纂委員会(タモリ、[[赤塚不二夫]] 他)『現代用語辞典 ブリタモリ』、[[講談社]]、1982年。(ISBN 4-061-41363-5)
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* 定本ハナモゲラの研究(赤塚不二夫・山下洋輔・筒井康隆・赤瀬川原平・奥成達、[[講談社]]、1979年2月)
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* 言語学のたのしみ(タモリの言語学) (ISBN 4-4692-1079-X)(1980年2月、[[大修館書店]])
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* タモリ、松岡正剛『コトバ・インターフェース』、ダイワアート、1985年。
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* SONOSONO (ISBN 4-0635-2723-9)(滝大作・赤塚不二夫・高平哲郎、山手書房)
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* タモリ、[[笑福亭鶴瓶]]『タモリ鶴瓶のおぼえてるでェ!』、フジテレビ出版、1987年。(ISBN 4-594-00180-7)
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* タモリの、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]も世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
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* タモリ・[[ウッチャンナンチャン]]のダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
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* タモリ+イースト・クイズ班編『クイズ![[タモリの音楽は世界だ!]]』、マガジンハウス、1993年。(ISBN 4-8387-0313-9)
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* 赤塚不二夫、タモリ『赤塚不二夫とタモリの西サモアに行ってこれでいいのだ』、コミックス、1994年。(ISBN 4-06-313704-X)
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<div class="NavHead" style="text-align: left">関連書籍</div>
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* 家庭画報編『タモリと賢女・美女・烈女』、世界文化社、1982年。
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* 武市好古編『ぴーぷる最前線 タモリ』、[[福武書店]]、1983年。(ISBN 4-8288-0314-9)
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* 赤塚不二夫の人生これでいいのだ(ISBN 4-5370-2534-4)、[[日本文芸社]](1996年10月)
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* 『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』2008年、(ISBN 978-4840126250)
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; 笑っていいとも!
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* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 1』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02256-1)
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* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 2』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02272-3)
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* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 3』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02287-1)
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* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 4』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02311-8)
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* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 5』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02320-7)
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* フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! : 世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 6』、サンケイ出版、1984年。(ISBN 4-383-02332-0)
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* 世紀末ゲーム-爆笑!オールスタータモリンピック(フジテレビ出版、ISBN 4594-010806、1992年11月)
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* 笑っていいとも!編『タモリの世紀末伝説 : 関根くん家とマチャミん家のおかしな人々』
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: フジテレビ出版、1993年。(ISBN 4-594-01321-X)
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* 笑っていいとも!あー(学研、ISBN 4054009336、1997年11月)
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* LOVE LETTERS-すばらしいラブレターの世界(ワニブックス、ISBN 4847032691、1997年12月)
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* 秘密のつながりグランプリ(興陽館、ISBN 4877231285、1998年12月)
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* 森田一義アワー 笑っていいとも! インスタントイングリッシュ〜おばちゃん海外輸出計画〜
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: (フジテレビ出版、[[扶桑社]]出版、ISBN 4-594-02711-3、1999年5月30日)
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* 森田一義アワー 笑っていいとも!「Mr.ビジョアル」写真集(ISBN 4-8342-5203-5)([[集英社]]、1999年6月)
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* 科学実験で笑っていいとも!(学研(学研M文庫)、ISBN 405902015X、2000年11月)
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* 森田一義アワー 笑っていいとも! 曜日対抗いいとも選手権!!BESTゲーム集88
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: (河出書房新社、ISBN 4309265960、2002年10月20日)
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* 目指せ!達筆王〜すぐに上達する132のコツ〜(扶桑社、ISBN 4594051138、2006年3月23日)
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* 私服だらけの『[[中居正広]]増刊号』〜輝いて〜(扶桑社刊、ISBN 9784594060183、2009年8月18日)
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; タモリ倶楽部
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* 夜の英会話:タモリ倶楽部(男と女)(ISBN 4-8813-1101-8)(1987年12月)
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* 窪田ひろ子『「タモリ倶楽部」夜の英会話 : 夜だけでなく、昼間も役に立つ!』、全国朝日放送、1988年。(ISBN 4-88131-086-0)
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* タモリ倶楽部 東京トワイライトゾーン(日之出出版、久住昌之・滝本淳助 ISBN 4-89198-073-7、1989年1月)
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; タモリのボキャブラ天国
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* タモリのボキャブラ天国(発行:フジテレビ出版、発売:[[扶桑社]]、ISBN 4-594-01186-1)
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: 1993年[[7月10日]]初版第1刷発行
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* タモリのSuperボキャブラ天国
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: 1994年初版第1刷発行
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* タモリのスーパーボキャブラ天国 お・と・なスペシャル版(発行:フジテレビ出版、発売:扶桑社、ISBN 4-594-01638-3)
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: 1995年[[1月10日]]初版第1刷発行
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* タモリのスーパーボキャブラ天国・2(発行:フジテレビ出版、発売:扶桑社、ISBN 4-594-01728-2)
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: 1995年[[4月30日]]初版第1刷発行
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* 黄金ボキャブラ天国(発行:フジテレビ出版、発売:扶桑社、ISBN 4-59402-429-7)
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: 1998年[[1月30日]]初版第1刷発行
 +
* フジテレビ「タモリのボキャブラ天国」編『タモリのボキャブラ天国 : フジテレビオフィシャル』
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: フジテレビ出版、1993年。(ISBN 4-594-01186-1)
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* フジテレビ「タモリのスーパーボキャブラ天国」編『タモリのスーパーボキャブラ天国 : フジテレビオフィシャル』
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: フジテレビ出版、1994年。(ISBN 4-594-01494-1)
 +
* フジテレビ「タモリのスーパーボキャブラ天国」編『タモリのスーパーボキャブラ天国 : お・と・なスペシャル版』
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: フジテレビ出版、1995年。(ISBN 4-594-01638-3)
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; タモリのジャポニカロゴス
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* タモリのジャポニカロゴス国語辞典編集部編『タモリのジャポニカロゴス国語辞典』、フジテレビ出版、2006年。(ISBN 4-594-05174-X)
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* タモリのジャポニカロゴス国語辞典編集部編『タモリのジャポニカロゴス国語辞典第二版』、[[扶桑社]]出版、2007年。:(ISBN 978-4-594-05493-9)
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; トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜
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* 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本』 第1巻から第19巻 - [[講談社]] / フジテレビ 〜トリビア普及委員会〜
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** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 1』(ISBN 4-06-352702-6) 2003年6月25日発行
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** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 2』(ISBN 4-06-352703-4) 2003年6月25日発行
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** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 3』(ISBN 4-06-352704-2) 2003年9月3日発行
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** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 4』(ISBN 4-06-352710-7) 2004年3月24日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 5』(ISBN 4-06-352717-4) 2004年7月17日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 6』(ISBN 4-06-352702-6) 2003年6月25日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 7』(ISBN 4-06-352706-9) 2003年11月7日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 8』(ISBN 4-06-352718-2) 2004年8月8日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 9』(ISBN 4-06-352729-8) 2004年12月15日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 10』(ISBN 4-06-352728-X) 2004年12月15日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 11』(ISBN 4-06-352733-6) 2005年4月27日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 12』(ISBN 4-06-352734-4) 2005年4月27日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 13』(ISBN 4-06-352738-7) 2005年11月9日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 14』(ISBN 4-06-352739-5) 2005年11月9日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 15』(ISBN 4-06-352743-3) 2006年4月19日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 16』(ISBN 4-06-352744-1) 2006年4月19日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 17』(ISBN 4-06-352745-X) 2006年9月27日発行
 +
** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 18』(ISBN 4-06-352746-8) 2006年9月27日発行
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** 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 へぇの本 19』(ISBN 978-4-06-352747-6) 2007年1月25日発行
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* 『金のへぇ〜トリビアの泉 金の脳だけセレクション〜』(講談社、ISBN 9784063527483)
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== ゲーム ==
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* 「森田一義アワー 笑っていいとも!ボードゲーム」(1985年)
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* 「森田一義アワー 笑っていいとも!タモリンピック」 [[スーパーファミコン]]専用[[ゲームソフト]](1994年、[[アテナ]])
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* 「タモリのSuperボキャブラ天国 CARD GAME ヤングアダルト向カルタ的 豪華美麗カードゲーム」
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: (発売元:[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]、販売元:セントラルホビー)
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== 関連項目 ==
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* [[福岡県出身の人物一覧]]
 +
* [[お笑いタレント]]
 +
* [[芸人]]
 +
* [[芸能人]]
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* [[笑っていいとも!レギュラー出演者一覧]]
 +
* [[インポテンツ]]
 +
* [[ハナモゲラ語]]
 +
* [[日本坂道学会]]
 +
* [[冷やし中華|全日本冷し中華愛好会]]
 +
* [[おっぱい星人]]
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* [[勃起不全]]
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* [[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|ビッグ3]](タモリ・[[ビートたけし]]・[[明石家さんま]])
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* [[ギネス・ワールド・レコーズ]]
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* [[赤塚不二夫]]
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* [[ミスターシンセサイザー]]
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* [[カムイトラノ屈斜路湖ジャズフェスティバル]]
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== 脚注・出典 ==
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{{脚注ヘルプ}}
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{{Reflist|2}}
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== 外部リンク ==
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* [http://danmo.nobody.jp/ 早稲田大学モダンジャズ研究会]
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* [http://www.tanabe-agency.co.jp/ 株式会社 田辺エージェンシー]
 +
* [http://www.1101.com/tamori_2009/index.html ほぼ日刊イトイ新聞 タモリ先生の午後2009]
 +
* [http://www.waseda.jp/student/weekly/people/obg-800.html 「早稲田ウィークリー」タモリ ロングインタビュー]
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{{DEFAULTSORT:たもり}}
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[[Category:タモリ|*]]
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[[Category:お笑い芸人]]
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[[Category:日本のタレント]]
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[[Category:日本の司会者]]
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[[Category:日本の俳優]]
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[[Category:ケイダッシュ系列所属者]]
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[[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]]
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[[Category:赤塚不二夫]]
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[[Category:鉄道に関係する人物]]
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[[Category:笑っていいとも!]]
 +
[[Category:日本のギネス世界記録保持者]]
 +
[[Category:日本のコレクター]]
 +
[[Category:朝日生命保険の人物]]
 +
[[Category:福岡市出身の人物]]
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[[Category:1945年生]]
 +
[[Category:隻眼の人物]]

2021年4月8日 (木) 21:50時点における最新版

タモリ

タモリ1945年〈昭和20年〉8月22日 - )は、日本お笑いタレント司会者俳優ラジオパーソナリティー作詞家作家実業家。本名、森田 一義(もりた かずよし)。

福岡県福岡市出身。田辺エージェンシー所属。女優伊佐山ひろ子とは遠戚。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1945年8月22日福岡県福岡市、現在の南区に誕生する。

本名は「一義」だが生まれる前までは「義一」と名付けられる予定だった。占い師から「義一」では頭でっかちな子が産まれると言われたため、「一義」になった。これは血の繋がりのない祖父が、尊敬している田中義一首相にあやかって名付けようとしたが、「畏れ多い」と名を逆にしたもの。

本人曰く、幼少時代より大人びており、「偽善」という言葉を知っていたと語り、幼稚園入園時期が迫り、園を見に行ったおり「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』葛原しげる作詞・室崎琴月作曲)」を両手を回転しながらお遊戯している園児達を見て、入園を拒否。小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていた。また「5歳が俺の精神的ピークだったんだから」と、冗談めかして語ってもいる。このため坂道好きとなり、後に「日本坂道学会」を設立している。

少年時代[編集]

小学校3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2か月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。

小学校5年生の頃、予餞会(卒業生を送る会)で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。しかし脚本家として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。スポーツにも興味があり、野球をやっていた。現在はラグビーなどのスポーツ観戦も興味があるという。

小学生の頃、祖母に「今の内からも料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことをタモリは「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。その為、金銭面にも余裕がなかった学生時代に友人らと料理を作ろうとした時には、タモリ一人で大体の料理を作ったり、だしの取り方まで全部覚えていたと語っている。(小学校時代は1952年から1957年頃)

陸上部で短距離200mを走っていた。4年間、近所のバプテスト派キリスト教会に通ったという。本人曰く「牧師芸人のように見ていた」とのこと。船が好きで、良く地元の港に行って船をずっと見ていた。そこで、どこの船なのかを全部知っていたとも話している。中学3年間は丸刈り頭であった。部活動は主に剣道陸上競技を行っていた。

学生時代[編集]

福岡県立筑紫丘高等学校へ入学。高校時代は、剣道部吹奏楽部を両立してトランペット兼司会を担当していた。アマチュア無線クラブにも入っていて、船の無線通信士にもあこがれた。さらに居合道場にも通い、二段を取得した。ファンだった地元球団・西鉄ライオンズが身売りをしたため、野球への興味を失う。

高校を卒業後、1年間の浪人生活を送る。大学浪人中はしばしば押入に潜り込み、韓国中国からのラジオ放送を長時間聴いていた。これが「藤村有弘以来」と言われた、「6か国語マージャン」などの「インチキ外国語芸」へとつながった。また、座禅を組んで極度の瞑想に近い経験をしたこともある。

無線に興味があったため電気通信大学を目指したが、物理が克服できず、1年間の浪人生活を送ったのちに、1965年早稲田大学第二文学部西洋哲学専修へ入学。その後学費未納のため抹籍処分となる。

早稲田大学第二文学部部西洋哲学専修在学中はモダン・ジャズ研究会に在籍し、トランペットを演奏。同期に増尾好秋、1年先輩には鈴木良雄らがいた。しかし「マイルス・デイヴィスのラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」などの批評を受け、トランペットは3日でクビ、代わってマネージャー・司会を担当することになった。タモリはこの時期に付けられたニックネームであり、森田のバンドマン読み(銀座がザギンになるのと同様)。

その後、学生バンドの司会としてTBSラジオの番組「大学対抗バンド合戦」に出演し、MCの大橋巨泉からその才能を認められている。

大学2年次の5月の連休、友人2人と旅行を計画し、学費用に仕送りされた資金を旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料が払えなくなったため、早稲田大学を去った。3年次に学費未納のため抹籍という処分となった。

福岡時代[編集]

大学を抹籍処分になった後もタモリはモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行。かなりの収入を得ていたが、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命で3年近く保険外交員として勤める。この時期に同僚の一般女性と結婚。その後、旅行会社に転職するが、系列のボウリング場(大分県日田市)に転属される。

1972年、渡辺貞夫の福岡でのコンサートのスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。室内ではナベサダのコンサートに同行していた山下洋輔トリオ(山下、中村誠一森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言虚無僧ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。そこにタモリは乱入する。中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村は機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじった。しかしタモリはそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、その後、タモリと中村のデタラメ外国語の応酬が始まる。タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。

「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下は、博多のジャズバーに「モリタ」という名前の男はいないかと片っ端から問い合わせたという。その後、とあるジャズバーから「喫茶店の変人マスターでは」という情報が入り、タモリと山下は再会することになる。この時期、タモリは転職して喫茶店のマスターであり、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。武田鉄矢もアマチュア時代に店に行ったことがあるという。再会後は山下トリオが九州に行く際に共に遊ぶ仲間となり、山下のエッセイでしばしば取り上げられる、知る人ぞ知る存在となる。

1975年春には山下が行きつけだった新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いというのなら一度見てみたい」とタモリを上京させる機運が高まり、バーの常連(奥成達高信太郎長谷邦夫山下洋輔森山威男坂田明三上寛長谷川法世南伸坊ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、同会のカンパによって、1975年6月に上京を果たす。開かれた独演会では「4か国語麻雀」や、「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、筒井康隆唐十郎ら臨席した全員を感動させた。

居候時代[編集]

福岡で生活しつつ、カンパの資金で月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を送り始めたタモリだったが、同年夏、面白い事をやっている人間がいるという噂を聞きつけた赤塚不二夫がタモリの元を訪れる。赤塚はタモリの即興芸に心酔し、8月末に生放送が決定していた自らの特番にタモリを出演させる事を決意。放送までまだかなり日数があったため、タモリは福岡に帰ることを望んでいたが、「タモリの芸をもっと見たい、福岡に帰したくない」と考えた赤塚は、常人ではありえない発想でタモリを引き止めた。

1975年当時、赤塚は4LDKのマンションに住み、ベンツのスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。タモリはこれを了承し、赤塚宅での居候生活が始まる(タモリや赤塚らは「居候」と言っているが、実質的には居候ではなく「生活スペースの交換」)。赤塚宅に住み始めたタモリは、「ジャックの豆の木」を始めとした飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎする日々を送り、赤塚からは月に20~30万円の小遣いが渡されるという破格の居候生活を送った。

なお、生活スペースをタモリに譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送った。赤塚が着る服がなくなりやむなく「赤塚宅」に一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。タモリが考える居候の秘訣は、「卑屈になるな」。

『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』(1975年8月30日、NET)に出演し、インチキ牧師などのパフォーマンスでテレビ初出演。たまたま、番組を見ていた黒柳徹子から「今の人、誰? すごいじゃない」とその夜のうちに照会があり、次いで『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)に赤塚とともに出演した。

赤塚の特番に出るという当初の目的は達成したものの、赤塚らは次の目的を「タモリを芸能界入りさせる」に設定し、赤塚宅での居候生活は続行。タモリの居候期間はデビュー直前までの9ヶ月近くに及び、居候の途中には妻も呼び寄せている。

赤塚らと飲み屋で騒ぐ素人芸人時代に、高平哲郎らとも知り合うなど、芸能界的な人脈も増えていく。売り出すための算段などが練られて、「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズが作られたり、アイパッチ姿(浅井慎平がサイレント映画の大スタールドルフ・バレンチノ風にスタイリングしたもの)にされるなど徐々にキャラクターが作りこまれていった。

特異な芸風から所属事務所がなかなか決まらなかったが、後に田辺エージェンシーと契約。大恩人ともいえる社長の田邊昭知とは、後に親友になっている。(1980年代半ばに田辺エージェンシーが業界関係者に配っていた新年挨拶のビデオにはタモリが2年連続で出演。『いいとも』のテレフォンショッキングのセットで田邊社長と世間話をするという形が取られた)。

なお、芸能界入りする際、4つの戒律を自らに掲げたという。

  1. だれの弟子にもならない
  2. 組織には属さない
  3. をなるべくさげずにカネをもうける
  4. 色紙サインをするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない

これらの方針により、芸人として先輩にあたる人物でも年下相手には敬語を使っていない。

芸能界入り[編集]

1976年4月、東京12チャンネル(現:テレビ東京系列)の深夜番組空飛ぶモンティ・パイソン』で正式にデビュー。その後、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)にもレギュラー出演が決まるが、この時期は「タモリ専用のコーナー」で密室芸をするという形が取られていた。

当時の芸はイグアナのような体芸、反知性を打ち出した中州産業大学教授、デタラメ言語ハナモゲラなど、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。しかし、ラジオ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で徐々にマニアックな層からのの支持を集めていく。

またテレビやラジオ以外にも活動の場を拡大。山下洋輔全日本冷し中華愛好会に参加。1977年には赤塚不二夫滝大作高平哲郎らと「面白グループ」を結成。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体であり、まもなく坂田明内藤陳小松政夫団しん也たこ八郎三上寛研ナオコ柄本明所ジョージアルフィー劇団東京ヴォードヴィルショーの一部メンバーも参加。ビートたけしも参加しようとしていたが、たけしはタモリの芸風を嫌ってすぐに脱退したという。

1979年には映画『下落合焼とりムービー』に出演。同年、渋谷公会堂で「第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行う。また、面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生二人が執筆した書籍『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本、『SONO・SONO(ソノソノ)』を刊行するなどしていた。

1980年代の飛躍[編集]

1980年代に入ってからは密室芸の披露の場を減らし、『今夜は最高!』などで知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。

1982年、フジのプロデューサー横澤彪が「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出る。『森田一義アワー 笑っていいとも!』は当初は低迷したものの、間もなく人気が沸騰。30年以上続く人気番組となる。またこの時期、深夜のタモリをなくさないという目的で『タモリ倶楽部』も放送開始、これもまた30年以上続く人気番組となっている。

『いいとも』で司会術を磨いたタモリは、1983年には『第34回NHK紅白歌合戦』(NHK)の総合司会を務めることになる。NHKアナウンサー以外が紅白の総合司会を務めたのはタモリが初という異例の起用である。1986年10月24日からは『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)でメイン司会を務め、25年以上続いている。

1985年以降は、日本のお笑いBIG3(タモリ・ビートたけし明石屋さんま)と呼ばれる存在になる。ただし、この時期女性からの人気はほぼなく、週刊誌などの「抱かれたくない芸人」ランキングでは常連だった。

1990年代以降の趣味路線[編集]

1990年代以降は趣味や知識(タモリ本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すようになり、『タモリ倶楽部』の他にも、『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京系列)、『タモリのボキャブラ天国』『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系列)、『ブラタモリ』(NHK)などが人気番組となっている。

1990年代半ばには女子高生の間で人気が出るなどし、かつての女性からの不人気を解消している。ただし本人は「テレビの中に居る人物だと思われている」と分析している。プライベートで街で歩いている時に、指をさされて「マジでタモリ!」と言われてたとぼやいている。

人物[編集]

  • 座右の銘は「適当」「現状維持」「やる気のある者は去れ」など多数。好きな言葉は「妄想」。
  • 仕事も何でも「反省はしない」。「反省ばかりしてるとバカバカしくてこれから先、やっていけない」「過去を振り返らない」と語る。自ら出演している番組は恥ずかしくて一切観ない。『週刊朝日』の取材に答えた際、『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)の長寿の秘訣について、「番組についての反省を一切しないこと」と述べている。
  • デビュー当時は、眼帯アイパッチ)を着用していたが、後に1978年頃から主に黒色のサングラスを使用し始め、『いいとも!』が始まって以降は、主にレイバンサングラスのみを使用し、サングラスはタモリのトレードマークとなっている。(目が細いのでコンプレックスになっているため、それを隠している)
  • デビュー当初はディップ(整髪料)で固めて、頭の真ん中分けで、中州産業大学教授を演じる時のみボサボサとした髪型にしていた。その後『いいとも!』のみ、ディップで固めた7:3分けで出演していたが、1990年7月22日放送分の『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90・笑っていいとも!増刊号生スペシャル』以降から髪型を現在のオールバックに変更。この髪型もまたタモリのトレードマークとなっている。またこの時に共演者の明石屋さんまがカツラだとネタにしたことから「カツラ疑惑」が生まれた。本人もしばしばネタにのることがある。

タモリがいつもサングラス姿なのは、目が細いのがコンプレックスになっているから。

  • サユリスト吉永小百合愛好家)」の一人として知られる。吉永と同年齢(学年は、早生まれの吉永が1つ上)のタモリは、早稲田大学第二文学部においては、吉永と在学時期が重なっている(タモリは西洋哲学専修、吉永は西洋史学専修)。
  • オールナイトニッポンで「根暗」という言葉を発明。タモリは「こう見えて、オレは根が暗いから」等と「表面的に明るいが、根は暗い人」という意味で使用していたが、世間的には「根っから暗い人」という意味で、「ネアカ」「ネクラ」と対比されて、悪口として流行した。

芸風[編集]

密室芸[編集]

居候時代に培った芸は「密室芸」と呼ばれる。命名者は奥成達

タモリは上京当初、「北京放送」や形態模写くらいしか持ちネタがなかったが、臨席した人物からの無茶振りをそつなくこなし、それを自らの芸として確立させていった。前述の「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」は「宇宙飛行士→大河内伝次郎の宇宙飛行士→ターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士…」と客の指示により、状況が変わっていく即興芸。「4カ国麻雀」は「北京放送が出来るのならこういうの出来ない?」という山下洋輔の要望による。

ただし、放送できない部類のパロディブラックユーモアが特徴であり、テレビなどで密室芸と称して行う場合は放送して差しさわりの無い程度に表現を緩和あるいは差し替えている。「4カ国麻雀」は元々は、毛沢東マッカーサーヒトラー昭和天皇の麻雀対局であり、最後に昭和天皇が「結局○○人が悪い!」と民族差別的な発言をして終わるものだった。「イグアナ」も元々は全裸。

また、知識人を揶揄した「中洲産業大学教授」などのネタや「思想模写」などがあり、これらは放送に適しているものの、1970年代半ばは番組製作側にパロディの概念が皆無であり、赤塚不二夫の仲介でNHKの幹部に面会する機会を持った際に、NHKアナウンサーのパロディを披露したところ全く理解されないどころか激怒された経験を持っている。

1990年代以降はテレビではほぼやらなくなり『徹子の部屋』の年末最後の放送にゲスト出演し、密室芸を披露するのが恒例になっている。

思想模写[編集]

寺山修司モノマネは、しゃべり方や身振りの模写のみならず、話す内容自体はインタモ自身が考えたものでありながら「いかにも寺山修司が語りそうな物言い」をするという点(寺山自身が生前、喋る内容や論理の組み立て方が自分と同じと語っていた)で画期的であり、それ以前の政治家のモノマネや歌手の歌真似を中心とする「声帯模写」芸とは題材やアイデアの面で一線を画し、後のモノマネに多大な影響を与えた。

こうした芸は「思想模写」と称され、レパートリーとして野坂昭如竹村健一、[田中角栄]]、大橋巨泉永六輔横井庄一浦辺粂子久米明安藤忠雄など他多数存在する。また封印したものとして昭和天皇がある。筒井康隆全集の打ち上げパーティーで披露した後、一部メディアが報じてしまったために、事務所の社長が右翼に監禁される事件が起きた。

筒井康隆は「奇人タモリの演じる文化人たちの物真似が受けるのは、何を言っているのかわからないことは本物とまったく同じでありながら、何よりも本物より面白いことだけははっきりしているからである」と評する[1]

モノマネでは他に、麻生太郎(衆議院議員・元内閣総理大臣)の口と声マネ、森山周一郎(声マネ)、滝口順平(声マネ)、笑福亭鶴瓶おすぎ&ピーコ三宅裕司横山弁護士GACKTDAIGO渡部陽一コカドケンタロウロッチ)のアゴまね、生まれたての子馬、ハゲタカの着地、バグパイプ、携帯電話のバイブ、ジャングルにいるオランウータン、毛玉が喉に詰まった猫、童謡の女性の歌い方、トロを食う男、ハエ、ハイエナ、コンドルの着地など、多彩なレパートリーがある。

1980年代初期の悪口[編集]

上記の密室芸の他に、他者(権威的な物や自分の嫌いな物)への悪口が多かった。テレビ番組よりもラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』や各種イベントなどで顕著。

標的になったのはオフコース(小田和正)、さだまさしアリス名古屋及び名古屋人、作家の五木寛之など。オフコースについては「軟弱なフォーク、根暗なヤツが聞く音楽、歌詞が嘘くさい」、さだまさしは「女々しい、わざとらしい、歌よりトークが長い」、アリスは当時行なわれたハンド・イン・ハンド運動(谷村新司が提唱し、音楽ファンのための音楽ホール「シアター・フレンズ」建設を合言葉にした募金運動)を「もてない根暗ファンの自己満足」、そして名古屋と名古屋人は「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライをごちそうだと思っている、名古屋弁は響きが汚い」、五木寛之は「文化人づらをして、自分が書いた作品に出演する女優をくどいてばかりいる」。その他、『いいとも!』では明石家さんまとともに佐賀県をこき下ろす発言を繰り返していた。

なお、後日談もあり、筒井康隆の「ジャズ大名セッションザ・ウチアゲ」に出演した際、他のミュージシャンが演奏している中、タモリがマイクをオンにして五木寛之の悪口をつぶやき始め、それがばっちり録音されてしまったため、レコード化が見送られたというエピソードがある。また、小田和正とは1984年にテレフォンショッキングで共演するが、終始冷たい空気が流れていた。その共演から約30年間一度も会っていないという。

司会芸[編集]

司会者としては、多趣味を生かした話のフリと、相手の話をきちんと理解しきちんと切り返すという技術に確かなものがある。ただし、バラエティ番組の司会、特に『いいとも』においては、要所を押さえながらも自由すぎる行動や発言を織り交ぜるのを特徴としている。

代表的な発言は「俺はジャニーズシニアの一員」「俺は『ZOO』にKAZU(カズ)の名前で所属していた」など。

自由すぎる行動としては、番組の効果音やBGMや特徴のある共演者などの声真似、何も用意されていないのにもかかわらず用意されている雰囲気を出しながら何もない場所を指す(共演者は思わず振り向く)など。

音楽芸[編集]

「誰でも弾けるチック・コリア」「誰でも弾けるハービー・ハンコック」など誰でも弾けるシリーズや、中国人の弾き語りなど、ピアノ鍵盤を使った芸を数多く持つ。また、ラップやボイス・パーカッションなども得意としている。 笑っていいとも祭典のアーチェリーでは法螺貝の真似した

安産祈願[編集]

ネタのひとつとして安産祈願をする。元々『いいとも!』の「テレフォンショッキング」で紹介されたテレフォンゲストへのメッセージのメモをとるふりをしていたが、本当にとっているわけではなく、放送禁止の女性器を簡素化した図形を描き、テレフォンゲストに見せて、その反応を楽しんでいた。次第に、その図柄にちなみ安産祈願と称しそのメモをテレフォンゲストが持ち帰るようになった。

現在でも、インタモの持つ番組などで身近に出産を間近にしている著名人女優素人)等に書いている場面があり、その際、妊婦のお腹に手を当てて、「安産スッポン!」と何度も言葉を口にすることもある。まためちゃイケにおいて加藤浩次夫人の安産祈願に押し掛ける企画をしたこともある。安産祈願第1号は、坂東三津五郎(当時・坂東八十助)長女。安産祈願を行う際、インタモは「4人の逆子を治したことがある」「安産祈願の成功率は90%だ」などとその「霊験」を大げさに語ることがあるが、もちろんこれもネタの一環である。

音楽[編集]

前述の通りジャズをこよなく愛しており、レコードも数多く所有している。また奏者としては、各種セッションへの参加は勿論、テレビの場でもトランペットを度々演奏している。他方、「意味性」のある音楽については苦手としており、自身は数多くの音楽番組の司会を長年務めているものの、ポップスなどのミュージシャンについてコメントすることはほとんどない。例外として、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した小沢健二について「いいと思う歌詞は小沢くんだけ」と公言したことがある。

仕事[編集]

基本的に弟子は取らない方針で、希望者が来ても「自分の芸は誰かに教えてもらったものではないので、人に教えようが無い」と断るという。ただし付き人や運転手は存在する。1980年代後半には岡村という運転手がいて、たびたび『いいとも!』などに出演させていた。その後、イワイガワのジョニ夫も運転手を勤めていた。

日本の伝統ともいえるペーソスのある笑いが大嫌いという立場をデビュー時から崩していない。なお、芸人が自ら泣く、あるいは人を泣かせることにも否定的であり、2005年度の『FNS25時間テレビ』(フジテレビ系列)の終盤で、総合司会の笑福亭鶴瓶が出演者やスタッフに向けて涙ながらにメッセージを送ったことがあったが、後に「なんで泣くの?」とたしなめたという(同様の考えはたけし・さんまも番組などで語っている)。

所属している田辺エージェンシーの公式サイト内におけるタレント紹介ページでは、タモリのみ写真が掲載されていない。

出演番組の公式サイト上では『いいとも!』でも一切顔出しを行っていない(『いいとも!』については、他のレギュラー出演者も、テレフォンアナや例外のケースを除いて一切顔出しをしていない)。反面、『いいとも!』以外のサイトでは顔出しを行っている(『タモリ倶楽部』にはテレビ朝日のサイトの中に一応公式ホームページがあるが、1ページのみで構成される極めて簡素なもので、タモリの顔写真もない)。

また、不定期で母校の早稲田大学へ、学園祭の講演会などで訪れることがある。

副業[編集]

タレント活動の他に、経営者・実業家としての顔もある。かつては、お好み焼きや海鮮もんじゃ焼の専門店・太助を静岡県沼津市・駿東郡清水町・静岡市清水区に3店舗出店していたが後にすべて閉店している。

おすすめ料理(メニュー)として、自身が練りに練って考案し試食を重ねたという「タモちゃん焼餃子」がある。休日には3店舗に顔を出して、自前のエプロンを着て従業員のように手伝っていることもあった。

タモリカップ[編集]

後述するように一級小型船舶操縦士の資格を持ち、沼津市にヨットを保有していることなど、近年ヨットとの繋がりが深くなっていることから、2008年よりヨットレースとして、自らの名前を冠した「タモリカップ」を開催している。

2008年から2012年にかけては自らのヨットがあるヤマハマリーナ沼津での開催となっていたが、2013年は沼津での開催を休止する代わりに横浜・福岡の2ヶ所で開催された(ただし横浜・福岡ともレースは荒天のため中止)。2013年は横浜で192艇・福岡で84艇ものエントリーを集め、国内最大級のヨットレースに成長している。

資格・免許[編集]

交友関係[編集]

恩人である赤塚不二夫の死[編集]

2008年8月2日、タモリの才能を見抜き、地元・福岡から上京させて、自宅マンションに居候までさせた漫画家・赤塚不二夫が逝去。死去の2日後に事務所を通じて追悼のコメントを発表し、「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉も載せた。

同年8月6日の赤塚の通夜、及び8月7日の葬儀・告別式に参列。その告別式では「私もあなたの数多くの作品の一つです。」との弔辞を読み上げた。この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」で、何も書いていなかったとの報道が一部でなされた。

なお、横澤彪によると、後日行われた『いいとも!』スタッフの通夜でタモリと会っており、横澤が尋ねるとこの事実を認め、前夜に書こうとしたが面倒になったので勧進帳のギャグをやることにしたとのこと。ちなみにオチは「自分のマネージャの名前がトガシ」だから(詳細は勧進帳、および原作の安宅の項をそれぞれ参照)。

プロデューサー横澤彪[編集]

2011年1月8日、『いいとも!』初代プロデューサーを務めていた横澤彪肺炎のために亡くなった。タモリは「夜の番組しか出演出来ないと言われていた私をいきなり昼の真ん中に起用してくれました。私自身は昼も夜も意識したことはありませんでしたが、私で大丈夫なのかと不安でした。『笑っていいとも!』は今秋30周年を迎えます。大変お世話になりました」とコメントを寄せ、恩人の死を悼んだ。葬式や通夜には参列しなかったが、1月12日に横澤の自宅で対面した。

また、タモリ・たけしさんまの「BIG3」を人気者へと押し上げた一人でもあった。

各番組におけるタモリ[編集]

長寿番組[編集]

といった、現在に至っても放送がされている代表的な数多くの長寿番組を持っている。

番組を長く続ける秘訣につき、「自分の番組を好きでいなければいけない」「一々、反省はしない」「自分が出演しているテレビ番組は一切観ない」と述べる。

レギュラー番組の司会で、マイクを使用する。タモリは「俺はいつも欠かさずマイクは何処に行くにしろ持っている」と述べる。

冠番組[編集]

『いいとも!』が放送開始した1982年ごろからバラエティ番組の司会が増え、冠番組が続々と誕生。『いいとも!』、『タモリ倶楽部』、『ミュージックステーション』に加えて、ゴールデンタイム・プライムタイム、ラジオ番組のレギュラー番組を週に7 - 8本はこなす時期があった。『今夜は最高!』(NTV系列)、『ジャングルTV〜タモリの法則〜』(TBS系 MBS制作)、『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京系列)等が開始されていった。また、博識が評価され『今夜は最高!』の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の民間放送連盟賞のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した。 NHK。ブラタモリ

  • 日本テレビ系列 = 『今夜は最高!』
  • テレビ東京系列 = 『タモリの音楽は世界だ!』
  • TBS系列 = 『ジャングルTV〜タモリの法則〜』(毎日放送制作)
  • フジテレビ系列 = 『タモリのボキャブラ天国』夜タモリ
  • フジテレビ系列 = 『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』
  • ニッポン放送 = 『タモリの週刊ダイナマイク』(ラジオ) など多数

上記は1980 - 1990年代当時のレギュラー番組であるが、このうちNTV、TBS、CX全ての番組の視聴率が10 - 20%をマークした。その他、テレビ番組以外にも歌手としてのCD・レコードリリースとライブ活動なども行っていた。この頃により、ビートたけし明石家さんまとともに、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。

ドラマ出演[編集]

主にバラエティ番組で活躍しているが、テレビドラマにも出演してきた。テレビドラマ初出演作品はドラマ人間模様詐欺師』(NHK)であった。このドラマは連続ドラマであり、大谷直子とのベッドシーンやキスシーンもあった。他には月曜スター劇場なぜか、ドラキュラ』『今夜は営業中!』(日本テレビ系列)、『代議士秘書の犯罪』『不連続爆破事件』『ミセスとぼくとセニョールと!』『自主退学』(TBS系列)などで主演している。

近年でもストーリーテラーを務める『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系列)にエキストラで出演したり、2004年に『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』(フジテレビ系列)にてデビュー時の眼帯をつけた姿で登場、2007年に『和田アキ子殺人事件』(TBS系列)に本人(森田一義)役で出演、2012年に『ATARU』最終話(TBS系列)に宝飾店店員役でゲスト出演している。2014年12月29日に再放送放送された。また『HERO』劇場版では悪徳政治家を演じた。

報道番組出演[編集]

バラエティ番組以外に、報道・情報番組に登場することもある。

  • FNN DATE LINE』(フジテレビ系列)
    1987年と1988年の2回、タモリが司会を務めたFNSの日「FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'87・'88」の内包コーナーとして、「DAТE LINEデラックス」をメインキャスターの露木茂と担当(その他では、いいとも!の「テレフォンショッキング」でも共演)。

事故[編集]

ヨット事故[編集]

  • 1990年7月、ヨットの柱に額をぶつける事故があった。この事故でタモリは髪型を真ん中分け(『いいとも!』の番組内では7:3分け)のオールバックから、現在の分け目のないオールバックへ変えた。

人身事故[編集]

  • 2000年5月6日東京目黒区人身事故を起こした。タモリのが左折した際、右から直進してきたオートバイと接触、オートバイは弾みで別の車にも接触した。運転していた男性と同乗女性が足に軽い打撲し、タモリに怪我は無かった。

ゴルフ事故[編集]

エピソード[編集]

  • 1985年、第1回東京国際映画祭において明石家さんまとともに司会を務めた。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「タモリの下品な司会」と新聞紙面上で非難される。
  • 芸人仲間だったたこ八郎が急逝した時、赤塚不二夫らと参列した葬儀の席で「たこが海で死んだ。何も悲しいことはない」とコメントした(この経緯についてはたこ八郎の項を参照のこと)。
  • 大地真央宝塚歌劇団に在籍した頃に、作詞・作曲を手掛けたことがある。曲名は「タモリさんが作った歌」で、編曲は小笠原寛。CD『この愛よ永遠に〜TAKARAZUKA FOREVER〜』に収録されている。
  • 旅行好きである。行ってみたい場所はイギリスアフリカカリブ海グアテマラなど。タモリ曰く、「お酒を浴びるように呑みながら旅がしたい」。
  • 象印賞を受賞した経験がある。

評価[編集]

当初自分の独特の芸風が壊されるという理由で師匠につかず事務所に入らずの方針で活動していたが、現在の所属事務所である田辺エージェンシー社長の田邊昭知が、芸風は自由にやらせるという条件付で自ら直々に口説き落としたという。

現在でこそビデオリサーチの企業などがおこなうタレントの好感度ランキングでは、ビートたけし明石家さんま笑福亭鶴瓶所ジョージらとともに現在に至っても上位にランクされることも多いが、デビューした1975年から1980年代初頭にかけては、逆に嫌いなタレントランキングの上位にいた。

笑福亭鶴瓶はかつて、タモリに「なんで人の笑いを邪魔するのか」と尋ねたことがある。これに対し、「お前やさんまは笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると帯番組はマンネリになる。だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう。それがマンネリ解消になる」と答えた。鶴瓶はその予定調和を嫌う態度こそがタモリがトップに君臨する理由と見抜き、「テレビの師匠」として仰いでいると語った[2]

作家の小林信彦は著書『日本の喜劇人』で、トニー谷などの系譜に位置する「下半身の弱い」芸人と批評。本来異端だったのに一般人気が高まった現象を、似非インテリ受けと切り捨てている。

2010年、優れた芸術活動を表彰する伊丹十三賞を受賞。2010年4月9日に第2回贈呈式が行われ、賞金100万円が贈られた。受賞理由は「テレビというメディアに『タモリ』としか名づけようのないメディアを持ち込み、独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能」。

受賞歴[編集]

2014年。菊地受賞

現在の出演番組[編集]

= レギュラー番組[編集]

単発・不定期番組[編集]

過去の出演番組[編集]

紅白(2014年12月23日)23日のYahoo!で明らかになった

2015年1月29日のエブリと超報道及び翌日のワイドショー

CM[編集]

映画[編集]

レコード・CD作品[編集]

アルバム[編集]

NO. ジャケットタイトル 形態・発売日 品番・発売元 備考
1st タモリ LP:1977年03月20日 ETP-72227(東芝EMI/Alfa) 毛沢東風中国人・マッカーサー風アメリカ人・ヒトラー風ドイツ人・寺山修司風日本人のモノマネによる「四カ国親善麻雀」が収録されているが、元々は寺山修司ではなく昭和天皇のモノマネだった。発売になったのは修正版。2007年発売版では「ブラジャー・ミシン」(ブラザー工業風のパロディCM)のセリフの一部がカットされて収録されている(乳がん患者への配慮と思われる)。
LP:1980年(再発) ALR-4013(アルファ)
CD:1995年06年16日(初CD化) ALCA-9159(アルファ)
CD:2007年12年20日(CD再発)

※初回のみ紙ジャケ仕様

MHCL-1238(Sony Music Direct)
2nd タモリ2 LP:1978年12月20日 ETP-80060(東芝EMI/Alfa) 講師として中州産業大学芸術学部西洋音楽理論の森田一義助教授の音源が収録されている。
LP:1980年(再発) ALR-4007(アルファ)
CD:1995年06年16日(初CD化) ALCA-9160(アルファ)
CD:2007年12年20日(CD再発)

※初回のみ紙ジャケ仕様

MHCL-1239(Sony Music Direct)
3rd タモリ3

- 戦後日本歌謡史 -

LP:1981年9月10日 TAMORI-3(アルファ) 実際には『タモリ2』発売以前より録音されており、当初はこの内容が『タモリ2』になるはずだった。戦後の名曲をパロディーにしているため著作権上の疑義が指摘され、初回プレス分の3万5000枚だけを新星堂で限定発売し直ちに絶版という運命をたどる[4]。未CD化。
4th ラジカル・ヒステリー・ツアー LP:1981年05月01日 27AH-1237(CBS/SONY) サザンオールスターズ桑田佳祐、THE SQUARE(現:T-SQUARE)の安藤まさひろ(本名の安藤正容名義で)と当時メンバーだった久米大作が楽曲を提供。安藤、久米の提供曲はTHE SQUAREがバック演奏を担当している。CD化の際にシングル「タモリのワーク・ソング」AB面を追加収録。
CD:2007年12年20日(初CD化)

※初回のみ紙ジャケ仕様

MHCL-1240(Sony Music Direct)
5th HOW ABOUT THIS LP:1986年09月21日 VIH-28272(ビクター) 大マジなジャズ・アルバム。LPとCDで一部収録曲が異なる。
CD:1986年09月21日 VDR-1276(ビクター)

プロデュース[編集]

  • 大地真央宝塚歌劇団時代に、タモリが作詞・作曲家を手掛けた。「タモリさんが作った歌」編曲は小笠原寛。CD「この愛よ永遠に~TAKARAZUKA FOREVER~」の1曲に入っている。

ゆかりの地・愛好地[編集]

VHS・DVD[編集]

書籍[編集]

ゲーム[編集]

  • 「森田一義アワー 笑っていいとも!ボードゲーム」(1985年)
  • 「森田一義アワー 笑っていいとも!タモリンピック」 スーパーファミコン専用ゲームソフト(1994年、アテナ
  • 「タモリのSuperボキャブラ天国 CARD GAME ヤングアダルト向カルタ的 豪華美麗カードゲーム」
(発売元:タカラ、販売元:セントラルホビー)

関連項目[編集]

脚注・出典[編集]

  1. 筒井康隆、山下洋輔、タモリ他『定本ハナモゲラの研究』講談社、1982年。
  2. 週刊文春』2007年8月30日号
  3. 2009年4月より、タモリのレギュラー番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)・『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)の番組スポンサーとなっている。しかし、2010年3月で『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)の番組スポンサーは終了した。
  4. レコード・コレクターズ2007年9月号

外部リンク[編集]