沼津市
沼津市(ぬまづし)は、静岡県の東部、伊豆半島の付け根に位置する市。特例市。
目次
概要[編集]
駿河湾に臨む伊豆半島の付け根、愛鷹山の麓に位置する港町である。 東駿河湾地域の中心都市であり沼津都市圏を形成する。
古来、東海道の陸路と海路を繋ぐ交通拠点であり、江戸時代には沼津城が築かれ東海道の宿場町として栄えるなど人・物・情報の交流拠点として、この地域の政治経済や商業、文化の中心的役割を担ってきた。
気候が温暖である他、箱根や伊豆半島や富士山への観光拠点としても便利な立地条件でもあるため、保養地としても発達した。 明治時代から1969年に亘っては、政財界の著名人が別荘を建てて、皇室も沼津御用邸を構えたために、「海の有る軽井沢」とも称された。 井上靖を初めとする文人墨客所縁の地でもある。
水産業が盛んであり、干物の「鯵の開き」、「雑節」の生産は市ごとの統計が廃止される2005年(平成17年)まで日本一の規模であった他、近年では新鮮な魚介類を求め沼津港を訪れる観光客が増加している。 だがここ十数年間では経済状況が悪化し、人口の減少が続いている。
地理[編集]
市街地から程近い香貫山は市民の憩いの場となっており、駿河湾に面した千本松原には沼津ゆかりの作家、芹沢光治良や若山牧水らの文学碑が点在する。なお、市街地を流れる狩野川は静岡県を流れる一級河川の中で唯一北上する川である。
富士市との間には浮島沼が広がっている。静岡県下最長の60kmの海岸線は砂浜からリアス式海岸まで変化に富み、それを生かしたレジャースポーツも盛んであり、大瀬崎は全国的に有名なダイビングスポットである。
駿河トラフ(南海トラフの北端の海溝)の東端が市の沖にあるため、深海魚のラブカやタカアシガニ等の水揚げがある一方、プレート境界型の大地震(東海地震)の危険性が指摘されており、国・静岡県・周辺自治体とともに地震対策、特に津波対策に力が入れられている。自主防災組織の活動も活発であるほか、自治体による防災設備の拡充にも力が注がれている。
自然地理[編集]
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600px | |
沼津市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 沼津市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 沼津市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
沼津市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/22 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政[編集]
沼津市の行政[編集]
- 市長:栗原裕康(くりはらひろやす、2008年11月10日就任 2期目)
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
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官選沼津市長 | ||||
1 | 和田伝太郎 | 1923年(大正12年)11月16日 | 1925年(大正14年)12月11日 | |
2 | 大場藤五郎 | 1926年(大正15年)2月25日 | 1927年(昭和2年)3月4日 | |
3 | 森田泰次郎 | 1927年(昭和2年)3月10日 | 1930年(昭和5年)11月22日 | |
4 | 和田伝太郎 | 1930年(昭和5年)12月20日 | 1933年(昭和8年)7月7日 | |
5 | 小山田正直 | 1933年(昭和8年)10月18日 | 1935年(昭和10年)7月27日 | |
6 | 森田泰次郎 | 1936年(昭和11年)1月30日 | 1940年(昭和15年)1月29日 | |
7 | 名取栄一 | 1940年(昭和15年)2月9日 | 1941年(昭和16年)11月25日 | |
8 | 小川三郎 | 1941年(昭和16年)12月24日 | 1942年(昭和17年)12月16日 | |
9 | 芝辻一郎 | 1943年(昭和18年)1月16日 | 1945年(昭和20年)10月11日 | |
10 | 勝亦千城 | 1945年(昭和20年)11月23日 | 1946年(昭和21年)11月22日 | |
公選沼津市長 | ||||
11 | 山本立太郎 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1947年(昭和22年)6月20日 | |
12 | 長倉宜一 | 1947年(昭和22年)7月11日 | 1949年(昭和24年)7月5日 | |
13 | 塩谷六太郎 | 1949年(昭和24年)7月21日 | 1953年(昭和28年)7月20日 | |
14 | 高木恵太郎 | 1953年(昭和28年)7月21日 | 1957年(昭和32年)7月20日 | |
15 - 17 | 塩谷六太郎 | 1957年(昭和32年)7月21日 | 1969年(昭和44年)7月20日 | |
18 | 原精一 | 1969年(昭和44年)7月21日 | 1973年(昭和48年)7月20日 | |
19 - 20 | 井手敏彦 | 1973年(昭和48年)7月21日 | 1978年(昭和53年)8月31日 | |
21 - 22 | 庄司辰雄 | 1978年(昭和53年)9月23日 | 1986年(昭和61年)9月22日 | |
23 | 渡辺朗 | 1986年(昭和61年)9月23日 | 1990年(平成2年)9月22日 | |
24 - 25 | 桜田光雄 | 1990年(平成2年)9月23日 | 1996年(平成8年)9月30日 | |
26 - 28 | 斎藤衛 | 1996年(平成8年)11月10日 | 2008年(平成20年)11月9日 | |
29 - 30 | 栗原裕康 | 2008年(平成20年)11月10日 | 現職 |
- 市議会:定数28人(2011年5月に任用された議員の任期は2015年5月1日まで)
国や静岡県の主な機関[編集]
- 裁判所
- 静岡地方裁判所 沼津支部
- 法務省
- 財務省
- 沼津税務署
- 国土交通省
- 沼津河川国道事務所
- 防衛省
- 静岡県
政令指定都市構想[編集]
当市、三島市、御殿場市、裾野市、伊豆の国市、田方郡函南町、駿東郡清水町、長泉町、小山町の5市4町で組織する「東部広域都市づくり研究会」が、大規模合併による政令指定都市への移行を目指していたが、意見がまとまらず2008年2月に解散した。構想の経緯や解散後については静岡県東部 政令指定都市構想を参照。
姉妹都市・提携都市[編集]
歴史[編集]
古代珠流河国発祥の地。近世には沼津藩の沼津城の城下町として、また東海道の宿場町、港町として栄えた。
7世紀以前の当市周辺は、珠流河国(するがのくに)と呼ばれており、領域は近世駿河国から廬原国(現在の県央)を除き、伊豆国を加えた範囲となる。
- 古代から中世まで
- 7世紀:古代珠流河国と廬原国の領域と併せて駿河国が成立。
駿河国駿河郡となり、その郡衙が置かれる。この頃は駿河国の国衙も駿河郷にあった。 - 680年(天武天皇9年):駿河国東部の二郡を分離して伊豆国を設置。国衙が安倍郡に移る。
- 1487年(長享元年)頃:伊勢新九郎盛時(北条早雲)により興国寺城が築かれる。
- 1579年(天正7年):武田勝頼により三枚橋城が築かれる。
- 1706年(宝永3年):大久保教寛が松長藩(相模国小田原藩の支藩)を起こし、松長村に松永陣屋が置かれた。
- 1707年(宝永4年):富士山の宝永噴火。原村でも降灰が記録される。
- 1777年(安永6年):水野忠友により沼津城が築かれる。
- 1854年(安政元年):安政東海地震。ロシア軍艦ディアナ号が津波被害に遭う、君沢郡戸田村にて代船ヘダ号が建造される。
- 明治から第二次世界大戦まで
- 1869年(明治2年)旧1月:沼津兵学校が開校する。
- 1889年(明治22年)2月1日:東海道本線沼津駅開業。
- 1893年(明治26年):皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の静養のために沼津御用邸が造営される。
- 1906年(明治39年):田方郡三島町(現・三島市)との間に駿豆電気鉄道(後の伊豆箱根鉄道軌道線・路面電車)が開通。
- 1913年(大正2年):出口地区の浅間神社近くの天狗湯から出火し、5時間半ほどで鎮火した。町域の大半が焼失したものの、沼津駅は保線庫が焼失した他は無事だった。[6]
- 1923年(大正12年)7月1日:駿東郡楊原村と合併し、市制施行。
- 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により被災。
- 1926年(大正15年):沼津大火により市の中心部を焼失。
- 1944年(昭和19年):駿東郡片浜村・金岡村・大岡村・静浦村の4村と合併。
- 1945年(昭和20年)7月17日:未明、アメリカ軍機の空襲で市の中心部を焼失。(沼津空襲)
- 第二次大戦後
- 1955年(昭和30年):愛鷹村・大平村・内浦村・西浦村の4村と合併。
- 1963年(昭和38年):伊豆箱根鉄道軌道線廃止。
- 1968年(昭和43年):駿東郡原町と合併。
- 1969年(昭和44年)3月31日:東名高速道路沼津IC開通。
- 1994年(平成6年):今上天皇が行幸。
- 2000年(平成12年):特例市に移行。
- 2005年(平成17年)4月1日:田方郡戸田村と合併。
- 2007年(平成19年):第39回国際技能競技大会が門池地区で開催された。
災害史(主に地震、津波)[編集]
沼津市は、平野部の軟弱地域であり、地震時における地盤振動が激しく、増幅しやすい。沿岸部は液状化による噴砂や地盤の軟弱化が起こり易い。津波による施設の破壊、台風による氾濫水の長期湛水の可能性がある。
- 1498年(明応7年)9月20日:明応地震 M=8.2~8.4 江梨で震度5程度と推定されている。津波も発生し、津波の高さは江梨で4~5mと推定。
- 1589年(天正17年)3月21日:天正地震 M=6.7 興国寺城・沼津城の塀など破壊し、民家も多く破損した。
- 1707年(宝永4年)10月28日:宝永地震 M=8.4 沼津・原は過半数潰家となり、道路・橋など所々大破した。沼津より東は被害はほとんどなかった。震度は原で6~7程度と推定されている。津波の高さは内浦で5.5~6m、原4mと推定されている。三津浜では、家々の床上浸水。
- 1782年(天明4年)10月28日:天明地震 M=7.0 小田原から箱根を中心として被害を生じた地震。沼津付近では2日後の25日の余震で潰家が出ている。
- 1854年(安政元年)12月23日:安政東海地震 M=8.4 震度は久料6~7、沼津6、原・香貫・三津・木負は5~6、沢田・三津は5と推定。沼津では死者11人。大岡では所々より水湧出4~5尺噴上げた。原では石鳥居・石灯・篭は悉く倒れた。
- 1854年(安政元年)12月23日:安政東海地震津波 北岸の狩野川河口や原、内浦湾南岸の津波の高さは江梨・久料・足保で2~3m、湾奥の重須・長浜・三津・多比・江ノ浦では5~7m。江梨から我入道までの集落の4割が流失。死者は最低5人以上。
- 1923年(大正12年)9月1日:関東地震 M=7.9 沼津市で1人の死者が出た。
- 1930年(昭和5年)11月26日:北伊豆地震 M=7.3 沼津市で死者1人、負傷者7人、大平で死者1人、静浦で死者1人、負傷者10人、鷹根で死者1人、負傷者21人。震度は5であった。
- 1944年(昭和19年)12月6日:東南海地震 M=7.9 被害僅少で震度4程度。津波の高さは沼津で1m、狩野川河口で1.5m、立保では海がざわざわした程度。
- 1996年(平成8年)3月7日:山梨県東部の地震 M=5.8 沼津市は黄瀬川橋付設の水道管が破裂、アパートの高架水槽の漏水があった。
- 1946年(昭和21年)12月21日:南海地震津波 内浦で津波の高さ0.2m。
- 2009年(平成21年)8月11日:駿河湾地震 M=6.5 沼津は震度5弱 国の重要文化財である松城家住宅が揺れにより海鼠壁が剥がれ落ちた
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災 M=9.0 沼津は震度5弱〜4程度とされる。
- 2011年(平成23年)3月15日:静岡県東部地震 M=6.4 沼津は震度4。
石油コンビナート反対運動[編集]
沼津市・三島市の石油コンビナート反対運動は、公害予防運動の最初の成功例として、後の公害予防行政や公害反対運動にも影響を与える。さらに公害対策基本法を制定するきっかけにもなった[7]。
第一次石油コンビナート計画 沼津、三島の石油コンビナート計画は、1961年(昭和36年)2月に静岡県が「第六次静岡県総合開発計画」で、沼津、三島を含めた東駿河湾地域を重化学工業の最重点地域と位置付けた。
沼津市は、火力発電所、江浦湾の巨大タンカー接岸施設の設置が予定されていた。当初は公害問題が顕著ではなかった事もあり、漁業補償以外に特に異議はなかった。1961年(昭和36年)3月にアラビア石油を中核に、昭和電工、住友化学、東京電力が計画に参加。前後して、漁民らによる反対運動が活発化したが、同年末に補償問題に目処がついた事から沈静化。
計画では沼津市の大平、徳倉一帯をコンビナート候補として上げていたが、地盤の問題で三島市梅名、函南町仁田になってしまった事から、沼津市として水産資源が豊富な江浦湾を犠牲にしてまでコンビナート計画をする理由を失ってしまった。その後、沼津市独自に牛臥に誘致しようとしたが立ち消えとなる。昭和37年7月に昭和電工がコンビナート計画が離脱した事で、計画全体が事実上頓挫した。
第二次石油コンビナート計画 第一次で頓挫した石油コンビナート計画だったが、関係者は東駿河湾地域でのコンビナート計画の復活を模索していた。但し、1962年(昭和37年)5月に発表された全国総合開発計画内に東駿河湾地域は含まれていなかった。もっとくも、同年7月には閣議決定で工業整備特別地域として指定された。
静岡県は、第一次の頓挫した原因が地域間の利害関係の対立であった事から、沼津市、清水町、三島市の二市一町合併を推進。三島市がこの動きを警戒して、石油コンビナート計画復活への伏線を含んだ合併協議を牽制した。 ちょうどその頃から、三島市が全国初の「環境衛生都市宣言」をしたこと、全国各地で公害問題が顕著になり始めた事から、環境意識が高まり始めた。
1963年(昭和38年)12月の合併協議会の終了間際、静岡県が石油コンビナート計画の復活を電撃発表する。この電撃発表に三島市が反発する。 第二次石油コンビナート計画は、住友化学が中核に、富士石油、東京電力が参加し、沼津市は静浦の大久保の鼻に巨大タンカー接岸施設、牛臥山付近に火力発電所、三島のコンビナートまでのパイプラインが予定されていた。 当時、既に公害問題が顕著になり始めていた事もあって、最新の公害対策を施すとの静岡県の説明に対して地域住民が不信感を持つようになった。沼津市としては、1963年(昭和38年)10月に片浜愛鷹地区の工業団地計画を提案して計画を推進する立場であった。
先の三島市での環境意識の高まりもあり、電撃発表の翌日には三島市で住民による反対運動が起き始めた。沼津市としての反対運動は、牛臥山での火力発電所予定地の下香貫での大気汚染に懸念する声が高まり反対運動が始まる。1964年(昭和39年)2月には連合自治会会長が兼任する形で反対同盟が結成される[8]。特に、御用邸を擁するほどの「天下に誇るべき住環境」を守る意識が強かったと言われる。
1964年(昭和39年)5月には、三島市の反対運動により富士石油が計画離脱。沼津市の方も火力発電所計画が白紙。ところが、先の片浜愛鷹の工業団地計画に住友化学、富士石油が石油コンビナートを設置するとの動きを見せ、片浜地区でも反対運動が活発化する。
同年9月16日に沼津市は計画撤回を表明し、更に市議会で反対決議が可決された。これにより、第二次石油コンビナート問題は完全決着した。
千本松原[編集]
千本松原は、沼津市中心部の南から狩野川河口まで10㎞程度の海岸線にある白砂青松の松原を指す。千本松原の由来は、戦国時代に武田と小田原北条との合戦で、浜の松が全部伐採されてしまった事から、農民は潮風被害に悩まされた。そこで、江戸時代に増誉長円が、お経を唱えながら松の苗を植えていき、最終的に千本程度植えた。これを知った江戸幕府は、「枝一本を折れば腕一本と引き替えにする」と厳命し、長円の松を保護した。この松が千本松原そのものであると言われている。
千本松原の東間門付近に「六代松の碑」がある。平家滅亡時に、平六代が北条時政に捕らえれ、千本松原で処刑されそうなった場所。結局、その時、助けた文覚が後に文覚の謀反により、連座で処刑されてしまう。その時の首を千本松原に葬った場所が、「六代松」と呼ばれる。
ディアナ号沈没[編集]
1853年、江戸幕府に開国を求めて日本に来航したロシア提督プチャーチンは、下田において日露和親条約を締結。ところが、安政大地震に遭遇し、ディアナ号が損傷。結局、戸田沖に来た際に、損傷が原因で沈没してまった。そこで、彼らが帰国するために、戸田で地元の船大工と乗組員と協力して西洋式帆船を建造、君沢形1番船「ヘダ号」を完全させて、彼らを無事帰国させる。このヘダ号の技術が、後に日本の近代造船技術の発展に大きく寄与した。
地域[編集]
静岡県東部での地位[編集]
当市には静岡県東部総合庁舎が置かれるなど、静岡県は県東部の拠点都市として位置付けている。このため、全国紙の支局、郵便事業の統括支店、東京電力の支店(静岡県の富士川以東を統括)も置かれている。金融機関もスルガ銀行と静岡中央銀行の2行が本店を設置している。三島市や裾野市、駿東郡清水町、長泉町と市街地が連続し、都市圏を形成している。
鉄道では東海道本線と御殿場線の分岐点であり、道路網では東名高速道路沼津ICが伊豆半島への玄関口となるなど、交通の要衝となっている。しかし、西湘バイパスが小田原箱根道路と直結するなど、競合する相模湾岸の道路の整備の結果、首都圏から当市を経由しない伊豆半島へのアクセスが増えている。また、新幹線駅は上記に述べた通り、緩い地盤を避けるために当市内には設置されておらず、隣接する三島市と富士市に置かれている。
百貨店や大規模な商店街などがあり、商業の売上高も静岡や浜松に次ぐ規模である。要出典物流の上でも浮島沼辺りの国道1号沿いに倉庫街があり、地域の商業を支えている。しかし、旧来の商店街は個人経営の店が多いことや後述する人口減少にも伴い活気が往年ほどには見られず、沼津駅の南に少し離れて位置する「アーケード名店街」と呼ばれるかつての高級商店の並ぶ通りにおいては、シャッター通り化といった現象も見られる。
1876年8月21日の静岡県成立以降、静岡市や浜松市と並ぶ拠点都市として発展してきたが、近年は人口減少が続き、人口規模では富士市が上回るなど、拠点性は縮小傾向にある。現状を打開するために周辺市町と政令指定都市構想を検討しているが、当市や周辺市町の財政が健全で合併の必要性が薄いことなどから進展していない。
産業[編集]
当市の産業はバランスがよく不況に強い構造となっている。[9]
- 産業大分類別就業者比率:第一次産業3.1%、第二次産業31.5%、第三次産業65.0%
農業[編集]
温暖な気候と変化に富んだ地形を生かして、多彩な農産物が生産されている。
当市の農地は三つに大別することができる。
- 北部 - 愛鷹山の裾野に広がる丘陵地帯で、茶畑や畑作が中心である。
- 中央部 - 中央部に広がる平地部で、浮島地区の泥炭地及び狩野川による沖積地を利用した稲作が盛んである。
- 南部 - 静浦・内浦・西浦地区が該当し、丘陵地帯を利用した温州みかんの生産が盛んである。
- 主な農産物
- 温州みかん - 当市の主力農産物。高級みかん「寿太郎温州」は当市で開発されたものである。
- 茶 - 皇室献上茶に二度選ばれ、品評会で好成績を収めるなど「ぬまづ茶」ブランドを確立している[10]。
- プチヴェール - 静岡県磐田市で開発された品種で、当市への定着が目指されている。
- あしたか牛 - 愛鷹山山麓で一定の条件の下で育てられた高級食肉牛。ブランド化が目指されている。
- 米、ホウレンソウ、生乳など。
水産業[編集]
水産業が盛んで、焼津市を抜き静岡県下最大の規模を誇る。変化に富む長い海岸線を持ち複数の漁港を有するなど、予てから当市では漁業が盛んに行われていたが、2005年に漁村であった田方郡戸田村を編入したため、静岡県内でも有数の漁獲高を誇る港町となった。また、沼津港周辺には水産加工業者が集積している。
漁業[編集]
イワシ、サバを中心とする漁船漁業やマダイ、マアジ、ハマチ等の養殖・栽培漁業など沿岸漁業を主体とする多様な漁業が営まれている。特に、サバ類の漁獲量は静岡県全体のおよそ80%、マダイ、ハマチの海面養殖漁業に至ってはほぼ100%のシェアを占めている[11]。また、戸田港は遠洋漁業の基地になっている他、戸田沖には駿河湾海溝があるため、タカアシガニやアオメエソなど高値で取引される珍しい深海魚等の水産物が漁獲される。
- 主な水産物
- 戸田港には多くのタカアシガニが水揚げされる。戸田沖にはタカアシガニが生息しやすいといわれる駿河湾海溝があり、大正時代にはすでに戸田港に大量に水揚げされていたとされる。かつて、どの市場でも見向きもされていなかったタカアシガニを、初めて食用として出したのが戸田の旅館であると言われている[12]。また、タカアシガニの甲羅が人面に似ているため、戸田ではこの甲羅に色を塗り「タカアシガニの魔除けの面」として軒先に吊るす風習がある。この風習の起源は江戸時代とも言われているが、現在でも戸田の民家の軒先で見ることができる他、観光客が戸田の商店等で買うこともできる。
- トウジン(地元ではゲホウとも)
- アオメエソ(地元では「めひかり」、「とろぼっち」とも)など
- 主な漁港
水産加工業[編集]
- 沼津市は、干物の町と言ってもいいほど、とても干物の生産が盛んである。
沼津港周辺では「干物」や「雑節」を中心とした多様な水産加工業が形成されており、全国でも有数の水産加工品の産地としての「沼津産」ブランドを築いている。
- 沼津のひもの
- 当市のアジの干物生産量は、市ごとの統計調査が廃止される平成17年度まで全国の約半分を占め、日本一であった。
- 沼津のひものの歴史は江戸時代まで遡り、当時は駿河湾で取れる新鮮な魚介類を家庭で保存するための手段として発達したと言われている。明治時代には売買される水産加工品となり、大正時代には他地域に出荷され産業に変化していった。現在では「沼津産ひもの」として全国に出荷されている。
- 富士山の良質で豊富な湧水や強い浜風、沼津の温暖な気候などの環境と、巨大マーケットである首都圏に近いという地理的条件が産業としての「沼津のひもの」を成功に導いたと言われている。
- 雑節の生産量は市ごとの統計調査が廃止される平成17年度まで全国の約1/3を占め、日本一であった。
工業[編集]
戦後まもなく大手電気機械メーカーが多数進出し、当市の産業の核になると共に地域の中小企業との調和の取れた集積により、当市の発展に少なくない影響を与えた。首都圏の100km圏内である事や、沼津ICや国道1号などの有利な条件の下で順調な発展を遂げてきたが、近年ではフジクラ沼津事業所の縮小、ジヤトコ沼津工場の撤退や新規事業所進出の減少など停滞がみられる。
静岡県の進めるファルマバレープロジャクトや、技能五輪国際大会の当市開催を契機にしたものづくりの振興など、地域の工業の活性化と当市の工業の更なる発展が目指されている。
金融業[編集]
当市内に営業拠点を置く金融機関・証券会社等。なお、スルガ銀行、静岡中央銀行は沼津市を本店としている。
商業[編集]
当市は商圏人口100万人の沼津商圏を擁しており、静岡県東部地域の商業の中心地となっている。特に沼津駅前には商店街、百貨店やアミューズメント施設が集積しており、静岡県東部随一の繁華街となっている。しかしながら、長崎屋、丸井、沼津西武などの大型店の相次ぐ撤退、近年の郊外化の影響などにより当市においても中心市街地の空洞化が進行して往年の活気が無い状態が続いている。
中心市街地の店舗は撤退、閉店が相次ぐ一方で郊外店は増加するという悪循環に陥っている。この状況を打開するために、市は沼津駅の高架化を中心とする沼津駅周辺総合整備事業を掲げているが、駅の高架化に先駆けて完成した再開発ビルイーラdeは集客や周辺への波及効果などの点において、目的を完全には達成できていないのが現状である。
市内の主な商業施設[編集]
主な商店街
大規模商業施設
沼津駅周辺 |
沼津市街 |
郊外店 |
本社や拠点を置く主な企業[編集]
- 本社
- スルガ銀行本店
- 静岡中央銀行本店
- 沼津信用金庫本店
- ゴトー本社 - メガフランチャイジー
- エヌビーエス - のっぽパンなど、パンの製造。
- フーディアム・インターナショナル本社
- メディアクリエイト本社 - 漫画喫茶「ゆう遊空間」を運営。
- ZOA本社
- 富士急シティバス本社
- 沼津登山東海バス本社
- 国産電機本社
- 東芝機械本社(登記上の本店は東京都千代田区)
- 平成建設本社
- マキタ沼津(旧富士ロビン)本社
- 桃中軒本社 - 駅弁等の製造・販売
- 米久本社
- アルファ本社 - ヒートシンク製造。
- 静岡沖電気工業本社
- アンゼンフーズ本社 - 華点心類・肉加工品の冷凍食品製造。
- 北越東洋ファイバー本社 - バルカナイズドファイバー製造。
- トッパン・エレクトロニクス富士本社
- 三幸興業本社 - 人材派遣。
- トーヨーアサノ本社 - 太平洋セメントグループ。コンクリートパイル製造等。本社機能は東京。
- オートベル本社 - 中古車買取・販売店を静岡県内に展開。
- イカイ本社 - 構内請負、人材派遣、ソフトウェア設計、広告代理、製造、運送事業等。
- エイテック本社 - 釣具の開発・製造・輸入。アルファタックル、オクマなどのブランドを展開。
- 拠点
- リコー沼津事業所 - 北および南プラントの計2ヶ所がある。主に複写機用トナーを扱う拠点。
- 明電舎沼津事業所 - 同社の主力工場。制御装置・電子装置の生産拠点。
- 富士通沼津工場
- 沖電気工業社会システム工場 - 同社の基幹工場の一つ。情報通信システムの研究・開発の拠点。
- 東芝ライテック沼津事業所
- エヌ・イー ケムキャット沼津事業所 - 化学製品製造。
- 東レエンジニアリング沼津工場
- 東レメディカル静岡工場
- 日本AEパワーシステムズ沼津事業所 - 送変電・受変電などの開発、設計など。
- 図書印刷沼津工場
- IHI運搬機械沼津工場
- フジクラ沼津事業所
- 関電工静岡支店
- 矢崎電線沼津工場
- 東京電力沼津支店
マスメディア[編集]
- 沼津新聞
- 沼津朝日新聞
- COAST-FM(エフエムぬまづ)(76.7MHz)
- TOKAIコミュニケーションズ(旧ビック東海)(CATV放送事業本部、CATV放送・通信センター)
教育[編集]
大学・短期大学[編集]
- 東海大学開発工学部
- 東海大学の学部再編により開発工学部の廃止が決定され、開発工学部が置かれる沼津キャンパスは2010年度からの新入生募集を停止する。沼津キャンパスは在学生が卒業する2012年度以降も大学として利用する方針が発表されている。
- 静岡県立大学経営情報学部 沼津エクステンションセンター
高等専門学校[編集]
高等学校[編集]
市立
- 沼津市立沼津高等学校※中高併設
なお、静岡県立沼津商業高等学校という高校がある。この学校は昭和30年代まで当市内の所在であったが、校地等の関係で昭和40年代に隣の駿東郡清水町に移転し、現在は当市内には所在しない。
中学校[編集]
市立
- 沼津市立大平中学校
- 沼津市立今沢中学校
- 沼津市立門池中学校
- 沼津市立長井崎中学校
- 沼津市立戸田中学校
- 沼津市立沼津高等学校中等部※中高併設
私立
- 加藤学園暁秀中学校※中高併設
小学校[編集]
市立
- 沼津市立第一小学校(代戯館→沼津兵学校附属小学校)
- 沼津市立第二小学校
- 沼津市立原小学校
- 沼津市立片浜小学校
- 沼津市立大岡小学校
- 沼津市立金岡小学校
- 沼津市立愛鷹小学校
- 沼津市立西浦小学校
- 沼津市立浮島小学校
- 沼津市立大平小学校
- 沼津市立第三小学校
- 沼津市立第四小学校
- 沼津市立第五小学校
- 沼津市立千本小学校
- 沼津市立内浦小学校
- 沼津市立静浦小学校
- 沼津市立静浦東小学校(平成22年静浦小学校と統合)
- 沼津市立静浦西小学校(平成22年静浦小学校と統合)
- 沼津市立開北小学校
- 沼津市立香貫小学校
- 沼津市立今沢小学校
- 沼津市立門池小学校
- 沼津市立沢田小学校
- 沼津市立大岡南小学校
- 沼津市立原東小学校
- 沼津市立戸田小学校
私立
特別支援学校[編集]
- 静岡県立沼津視覚特別支援学校(幼、小、中、高)
- 静岡県立沼津聴覚特別支援学校(幼、小、中、高、専攻科)
- 静岡県立沼津特別支援学校(小、中、高)
専修学校[編集]
学校法人の施設[編集]
- 学習院 沼津遊泳場
学校教育以外の施設[編集]
- 自動車教習所
- 東部自動車学校
- 黄瀬川自動車学校
- 公共職業能力開発施設
- 静岡県立沼津技術専門校(愛称:沼津テクノカレッジ)
- 静岡県立あしたか職業訓練校
交通[編集]
当市は財界の保養地としても発展したために、鉄道や道路などの交通網の整備が明治の早い段階から推し進められて来た。
東海道本線は当初、箱根を貫通するトンネルの開削技術がなかったことから北の御殿場を通る現在の御殿場線ルートを採用したが、これに伴い25パーミル(1000分の25)の急勾配が発生した。そのため、沼津には勾配を超えるための補助機関車を解結するための機関区が置かれ、結果として同線における重要な駅と位置づけられることになった。
1934年、丹那トンネルの開通により東海道本線のルートが現行のものになった後も、1949年までは同線の電化区間が東京から沼津までであったため、ここで電気機関車と蒸気機関車との付け替えを行った。
鉄道[編集]
東海道本線は、沼津 - 東京間に直通乗入れが複数ある。また、特急「あさぎり」も、御殿場線と小田急線を経由し、沼津と新宿を結んでいた。
東海道新幹線を利用する場合は、沼津から三島まで東海道本線で1駅連絡することになる。
なお、市内を通る鉄道は、すべて東海旅客鉄道(JR東海)管轄である。
中心駅:沼津駅
道路[編集]
高速道路[編集]
※新東名は沼津市を通ってはいるが市内にインターチェンジやジャンクションはない(長泉沼津ICは沼津市でなく長泉町に位置する)。
自動車専用道路[編集]
国道[編集]
県道[編集]
道の駅[編集]
- くるら戸田(沼津市戸田)
バス[編集]
- ビーバス南北循環(伊豆箱根バス)
- ミューバス片浜循環・原循環(富士急シティバス)
- 路線バス
- 高速バス (沼津駅北口バスターミナル)
船舶[編集]
- 戸田運送船
- 高速船ホワイトマリン:沼津港 - 戸田港 - 土肥港(カーフェリーの運航はない)
軌道[編集]
1963年(昭和38年)に廃止された路面電車を、同様に廃止された蛇松線のルートを通ってLRTとして復活しようとする動きがある。
索道[編集]
- 淡島ロープウェイ - 日本で唯一の海上ロープウェイである。
空港[編集]
市内に空港は無いが以下の2つが主に使用される。
観光[編集]
主な史跡・旧跡等[編集]
観光地[編集]
- 伊豆三津シーパラダイス
- 淡島マリンパーク
- 沼津港深海水族館
- 沼津ぐるめ街道
- 沼津港大型展望水門「びゅうお」
- 大瀬崎 - 大瀬崎のビャクシン樹林 - 引手力命神社 - 大瀬明神の神池
- 戸田温泉 - 沼津市立造船郷土資料博物館(併設:駿河湾深海生物館)
- 井田の明神池
- 我入道の渡し
祭り[編集]
- よさこい東海道
- 水祝儀
- 戸田盆踊り大会・海上花火大会
スポーツ[編集]
- アスルクラロ沼津 - 静岡県東部のサッカークラブ
- 大瀬崎- スキューバーダイビングのスポット
- イカイ・EPSセパタクロー - 静岡県唯一のセパタクローTEAM日本代表選手所属・山田昌寛・本橋淳・林雅典
- イカイ・EPSテニス - テニス日本リーグ
当市を舞台とした作品[編集]
- 小説
- 映画
- 刑事物語(1982年)
- 日本沈没(1973年)
- シベリア超特急(1996年) - 伊豆箱根鉄道が所有するスカンジナビア (客船)と沼津御用邸記念公園裏の海岸がシベリア超特急3のロケ地となった。
- 幕が上がる(2015年)
- 雑誌企画
- ラブライブ! サンシャイン!!(2015年)
沼津に関連する有名人[編集]
沼津出身者・沼津市民[編集]
政治
経済
文学
芸術
- 原田眞人(映画監督)
- 村山知義(グラフィックデザイナー)
- 山口源(版画家)
- ニコラ・フォルミケッティ (ファッションエディター)
学術
スポーツ
芸能
マスメディア
架空の人物
当市に縁の有る人物[編集]
- 文学
- 井上靖と大岡信の両名は、出身地がそれぞれ外の都市である。井上は天城湯ヶ島(現・伊豆市湯ヶ島)出身、大岡は三島出身。共に出身校が旧制沼津中学校(戦後の静岡県立沼津東高等学校)であるため、その理由で井上は生前に、大岡は2003年の文化勲章受章時に、名誉市民が授与されている。大岡は、同時期に出身地である三島市からも名誉市民が授与され、異例の2市同時名誉市民授与となった。
- 太宰治(小説家)
- 三國連太郎(俳優)
- 養父が当市出身。家庭の事情で中学2年まで土肥町に住んでいた関係で、晩年は沼津に住んでいた。沼津の観光大使にも就任した事がある。
- タモリ(タレント)
- 沼津マリーナにヨットを所有し、週末にはクルージングに訪れていた。当市の内浦湾では「タモリ茶碗(カップ)」を冠するヨットレースが行われている。
- 山田邦子(タレント)
- 父が当市出身。観光大使に就任したこともある。
- 芸術
- ニコラ・フォルミケッティ (ファッションエディター)
- 母親が当市出身。沼津第五小学校を卒業。自分にとってのファッションの原点は沼津にあると言っており、「いつになっても僕のホームタウンは沼津」と述べている。来日の際には、必ず沼津まで出向く。
- 政治
- 沼津兵学校の教頭であった。
- 町村信孝(元外務大臣、政治家)
- 出生地が沼津。
- 宮澤喜一(官僚、政治家)
- 大蔵省に入省後、最初に配属された任地であり沼津税務署署長として着任し、在職していた。
その他[編集]
- 「ねんねんころりよ おころりよ」の歌詞の子守歌は「沼津地方の子守歌」といわれている[15]。
- 和文通話表で「ヌ」を送る際、沼津のヌという。
- エキセントリック少年ボウイオールスターズに登場する主人公の少年ボウイが操る高速マシーン・エキセントリック号は沼津ナンバーという設定となっている。
- Jアラート(全国瞬時警報システム)を導入している。
脚注[編集]
- ↑
- ↑ 沼津市公式サイト: 弥生時代
- ↑ 沼津市公式サイト: 狩野川台風
- ↑ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。『朝日新聞』。
- ↑ 在日米軍施設・区域別一覧 - 防衛省(2013年3月現在、同年11月25日閲覧)
- ↑ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正2年1〜6月)
- ↑ 宮本憲一『公害対策基本法』佐々木・鶴見・富永・中村・正村・村上編集委員 2005年 259頁-260頁
- ↑ 沼津市の反対運動は、住民向けの学習会が市内各地で模様され、反対運動の原動力となった。反対運動は、革新派だけでなく保守派との連携が沼津市の反対運動の特徴と言われる。そのため、同じ保守派でも市長派と反市長派と対立するようになった。
- ↑ 沼津市公式サイト: ぬまづ自慢 これが一番・これが唯一・産業
- ↑ JAなんすん ぬまづ茶の歴史
- ↑ 沼津市役所 産業立地総合支援サイト 産業振興資料
- ↑ 静岡農政事務所 - 西伊豆戸田のタカアシガニ 産地のあゆみ
- ↑ “西友「沼津店」、WM主力業態に注力 SuCいまだ発展途上”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年4月12日)
- ↑ “「西友楽市沼津松長」がオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年8月30日)
- ↑ 沼津市公式サイト: この子のかわいさ 沼津地方の子守唄
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 静岡県沼津市(公式サイト)
- 沼津市観光WEB
- 沼津市 戸田観光協会
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