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2020年1月13日 (月) 19:17時点における版
東京スポーツ(とうきょうスポーツ)は、東京スポーツ新聞社が発行する日本の夕刊スポーツ新聞。略称は「東スポ」。休日は原則休刊。GWは5月2日頃に、年末年始は12月28日頃に250円のGW特大号並びに新春特大号がそれぞれ発売され、以後GW並びに正月三が日が過ぎるまで休刊。「飛ばしの東スポ」の異名を取る。
なお、名前が類似している新聞である東京新聞、東京中日スポーツは中日新聞社の東京本社が発行しているもので、東スポとはまったく関係ない。
目次
概要
明治時代からの老舗新聞であるやまと新聞の流れを汲む。「やまと―」最後のオーナーで暴力団からプロレス界まで幅広く顔が利いた右翼の児玉誉士夫がそのままオーナーとなった。現在の同社の会長は児玉の側近であった太刀川恒夫が務めている。そうした経緯から、概ね保守的・右派的な論調を持っている。
「マドンナ痔だった」、「落合家チンポ丸出し放送」、「聖子輪姦」、「人面魚重体」、「大仁田爆死」、「フセインインキン大作戦」、「ダイアナ大胆乳」、「阪神次期監督上岡龍太郎」、「宇宙人化石発掘」、「ネッシー出産」、「電線に止まったUFO」、「SMAP解散」、「前田敦子ヌード」など、1面の奇抜な見出しが特徴。これらの見出しの下には小さく「?」「か」「も」「説」「絶叫」などの言葉が書かれ濁されていることが多いが、それらは新聞スタンドに陳列されている状態や折りたたんである状態では見えないように紙面のつくりが計算されている。
創刊当時からプロレスを大きく扱い、他に競馬・風俗関係の記事に強い。1980年代半ばまで赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られた。ただし長年女子プロレスは扱わず、1面に来るのはたいてい男子プロレスの記事であった。もっとも、東京スポーツ制定のプロレス大賞に1995年より「女子プロレス大賞」が新設されるなど変化が見られる。
東京スポーツにおいてプロレス記事が多い理由は、夕刊紙であるが故に、野球などの記事での試合速報は他社と勝負にならない[1]ことと、プロレスは、八百長疑惑もあり、他のほとんどの新聞が扱わなかったためであった。その後「紫色のにくい奴」「リングを染める鮮血の赤から、王者の風格のパープルへ」をキャッチフレーズに、青紫の見出しの紙面に刷新。
1986年、元横綱の輪島大士が全日本プロレス入りすると同時に、他のスポーツ紙もそろってプロレス報道をするようになり、希少価値を失う。
1988年、全日本プロレスや新日本プロレスがゴールデンタイムに放送されなくなり、プロレスがマイナー化すると、芸能ゴシップなどが1面に掲載されることが多くなる。1991年4月、ビートたけしが客員編集長に就いてからは、浅草キッドから「日付以外は全て誤報」と言われるほど娯楽性を重視しており、「“ガセ”の東スポ」という異名も持つ。TBS『アッコにおまかせ!』では「“エキサイト新聞”東スポ」と称される。
2000年代あたりからは、日本人スポーツ選手の海外進出が本格化したため、時差の関係から、日本のスポーツ紙の中で最も早く国外スポーツの試合結果を伝えられるケースが多いという特性を生かし、野球のメジャーリーグ・ゴルフのPGAツアー・欧州各国のサッカーリーグなど欧米のスポーツに関する記事に力を入れるようになっており、娯楽性の強いゴシップ記事は減少傾向にある。
競馬に関しては、中央競馬の全レース(最大36レース)の馬柱が掲載されている。中央競馬開催前日付けの競馬面において、競馬新聞と同じ品質の紙を使用する。月曜に開催される場合、通常は夕刊フジ・日刊ゲンダイと共に休刊する日曜にも発行する(値段は変わらず)。 地方競馬やそれ以外の公営ギャンブルについても、ナイターレース中心に予想を掲載することがある。
かつては東京都中央区築地の日刊スポーツ本社工場で印刷されていたが、1988年6月以降は東京都江東区越中島の東日印刷[2]本社ビル内に本社・編集局を構え、印刷も東日印刷が行っている。2009年6月29日から、北海道での現地印刷を開始した。
テレビ欄は社会面の下に掲載している。在京テレビ局の番組表のみ掲載されており、他の東スポ管轄エリアのテレビ局の番組表は掲載されていない(いずれも東スポの場合)。かつては別々に掲載していた。日付欄は「平成18年(2006年)」のように元号(西暦)と表記している。
記事の信憑性
飛ばし
- 2002年10月、「岩手県遠野市で河童が発見された」と写真付きで報道。のちに日本テレビの『電波少年に毛が生えた』の企画でタレントが扮装していたものと判明した。これが引き金となり、番組は2003年1月で打ち切られた。
- 2007年5月、「一部で噂となっていた辻希美と杉浦太陽の交際が破局した」という記事を載せたが、その数日後に両者のできちゃった結婚が発覚した。
- 2007年度の『東京スポーツ映画大賞』内の「ビートたけしのエンターテインメント賞・話題賞」をダウンタウンの松本人志が受賞した折、同イベントに出席した松本は、「以前、(東スポの記事で)『松本、吉本解雇!』って書かれてたんですけどね…」と、過去の飛ばし記事をネタにし、聴衆の笑いを誘っていた。
裁判
- ロス疑惑で注目された三浦和義から、「三浦和義差し入れ品横流しで特別待遇」という見出しで、三浦が拘置所で差入れの菓子を看守にばれないように他の収容者に与えたという梨元勝文責の記事(1986年3月25日付)について、梨元とともに名誉毀損で300万円の慰謝料を求めて訴えられた際に、一審の東京地裁平成4年9月24日判決は、「被告梨元のリポート記事の類は、社会的事象を専ら読者の世俗的関心を引くようにおもしろおかしく書き立てるものであり、東京スポーツの本件記事欄もそのような記事を掲載するものであるとの世人の評価が定着しているものであって、読者は右欄の記事を真実であるかどうかなどには関心がなく、専ら通俗的な興味をそそる娯楽記事として一読しているのが衆人の認めるところである。そして、真摯な社会生活の営みによって得られる人の社会的評価は、このような新聞記事の類によってはいささかも揺らぐものでないことも、また経験則のよく教えるところである。したがって、このような評価の記事欄に前記のような内容の記事が掲載されたからといって、当時の原告が置かれていた状況を合わせ考慮すると、記事内容が真実であるかどうかを検討するまでもなく、原告の社会的地位、名誉を毀損し、あるいは低下させるようなものと認めることは到底できないものというべきである。もっとも、本件記事が名誉毀損にわたるものではないとしても、思わせぶりな前記見出しの掲げ方とともに、被告らにおもしろおかしく前記のような記事として取り上げられたこと自体が、原告にとって不快なものであろうことは推認できないではない。しかし、当時の原告の置かれた状況並びに世人から寄せられていた関心の高さと、その性質及びそのような関心を寄せられたとしてもやむを得ない状況にあったこと、右記事から既に六年以上が経過し、右記事自体の陳腐さが明らかであること等の諸事情に照らすと、右記事の掲載に損害賠償をもってするほどの違法があるものとも認められない」と判示して三浦の請求を棄却した。
しかし三浦が控訴し、二審の東京高裁平成5年8月31日判決は、「被控訴人梨元の執筆する芸能リポート記事が通俗的な興味をそそる娯楽性の高いものであること等の事情によつて右結論が左右されるとは考えられない」と、三浦の請求を認めて(慰謝料10万円)確定したため、結局は東京スポーツ側が敗訴した。この二審では、判決公判において裁判長が「報道機関が自ら『記事を信用する人間はいない』と主張することは、報道機関としての存在そのものを自ら否定していることに他ならない」と、出席した東スポ関係者に説教する一幕もあった。
- 1990年9月、元地方競馬の騎手で当時は日本から離れシンガポール競馬で活躍していた道川満彦について、「現地で八百長行為に関与している」という記事を掲載。道川は「全くの事実無根である」として、東スポを相手取り名誉毀損による損害賠償を求め訴訟を起こし、1992年に勝訴して自身の潔白を証明した。しかし、この東スポの記事が主な原因となり、道川はイメージ悪化による騎乗機会の逸失など、その後のホースマンとしての人生が暗転してしまう程の大きなダメージを被った。
- 2005年に全日本プロレスがプロレスラーケンドー・カシンこと石澤常光に対し世界タッグ王座ベルト返還を求める民事訴訟を起こしたが、このとき全日本側は証拠品として東スポを提出。石澤は不定期の人生相談コーナーを持つなど東スポ誌面に数多く登場しており、石澤が問題のベルトを所持していること、全日本を中傷する言動を繰り返していること等の証拠とされた。しかし裁判長は東スポの記事について証拠能力を認定せず。訴訟自体も石澤がベルトを全日本側に着払いで送りつけ、やはり東スポ上で終結宣言を発したのを最後に、うやむやのうちに取り下げられた。
このように、東京スポーツの記事については根本的な部分で信憑性・信頼感が不足しているという認識は広く存在しており、「記事に激しく反発して、訴訟沙汰や名誉棄損などでの刑事告訴にまで発展するのは、明らかに過剰反応である」と考えている者は、芸能関係者やマスコミ関係者には多い。逆に東スポの記事に反応し、損害賠償請求の訴訟などを起こしたことによって、「東スポの記事に過剰な反応を示すのは、(経済的な面や信用度の面などで)よほど切羽詰まった状況に追い詰められている証拠」などと、訴えた側がかえって周囲の人物や投資家・マスコミなどに不安感や憶測を誘発してしまうケースも見られている。他方で、過去には上述の道川満彦のケースの様に、法律や規則の関係から職業生命に関わる記事を書かれ、潔白を証明するために東スポや記事を執筆したライターを相手取って裁判を起こさなければならない状態に追い込まれた人物もいる。
なお梨元勝によれば、自らが寄稿した新聞・雑誌記事の信憑性を巡る損害賠償請求訴訟で敗訴した場合には、「通常なら損害賠償の全額を(記事を掲載した)会社側が支払ってくれるが、東スポは好きなことを書かせてくれる代わりに折半で負担させられる」システムになっているという。こういった点からも、記事の内容について、よく言えば執筆者の自主性を重んじている、悪く言えば面白半分の信憑性の乏しい記事でも執筆者任せで最低限のチェック機能しか置いておらず、刺激的な飛ばし記事を繰り出してでも販売部数を優先する、東スポのスタイルを窺い知ることができる。
スクープ
ゴシップ系記事や芸能人の動向にまつわる記事でも稀に事実を記載することがある。また、それが大きなスクープであることも多いが、上述の様にスクープに見せかけた飛ばし記事が多い紙面体質ゆえ、「東スポの記事だから」と冷淡に扱われることが多く、そのスクープが東スポ独占状態の時点では世間を騒がせることは少ない。
- 1997年にいち早く宗教団体「摂理」(当時の名称はMS教団)の問題と危険性を報じた。
- 2003年秋、総合格闘家・キックボクサーのミルコ・クロコップが母国クロアチアの総選挙にクロアチア社会民主党から出馬することを日本でいち早く報道した。その際の1面見出しは「ミルコ・クロコップ社民党から出馬」。折りしもこの年の11月9日は日本国内では第43回衆議院議員総選挙の投開票日であった。
- 2008年5月12日の1面で、サザンオールスターズの無期限活動休止をスクープした。「サザン解散か」という見出しで、「(活動休止)イコール事実上の解散ではないか」と論評する内容だった。同年5月19日に同年限りでの活動休止がサザンの所属事務所などから正式に発表された。なお、所属事務所や桑田佳祐は解散を否定しているものの、期限を設定しない活動休止であり、そのプレスリリースを受けて少なからぬ芸能マスコミ・音楽関係者が「公式発表は休止だが、事実上の解散に等しい」とコメントするなど、東スポの記事内容が事実上追認される格好になった。しかし当のサザンは2013年6月25日に活動再開を発表し、あくまでも休止に過ぎなかったことが露になった。
- 2008年の暮れに取材でユニコーン再結成をスクープした。その後バンドは2009年に再結成を果たした。
コラボレーション
- 2006年にはソフト・オン・デマンドと共同で、アダルトビデオ日本一を決めるコンテストとして『AV OPEN〜あなたが決める!セルアダルトビデオ日本一決定戦〜』をスタートさせた。ただ同イベントは不祥事などの影響により、わずか2回で終了している。
- 2009年5月には関東のコンビニチェーン・セーブオンとタイアップし、セーブオンの店舗で缶コーヒー『東スポ 宇宙人からの「甘い誘惑コーヒー」』と『東スポ ビッグフットの足型大盛のり弁当』の2種類の商品が発売された。特に缶コーヒーは、缶の表面のデザインが東スポの1面を思わせるものとなっている。
- 2010年12月にはハローキティとのコラボレーションでTシャツと根付を発売した。「ハローキティは宇宙から来た!」という見出しが一面の東スポをキティ自身が読んでいるというデザインになっている。
その他
- ケネディ大統領暗殺事件の際、他の新聞全てでこのニュースが1面に掲載された中、唯一「ブラッシー血だるま」を1面に掲載した、という都市伝説が存在する(実際の日本時間11月24日付紙面見出しは「力道不覚!新兵器も不発」であった。とは言え、話題が他社とずれていることには変わらない)。なお、この都市伝説については東スポ自身による考察も参照のこと。
- 1989年の昭和天皇崩御の翌日の1面は「ブッチャー流血」だった。
- 1994年にアイルトン・セナが事故死した際の1面は前日の新日本プロレス福岡ドーム大会で行われたアントニオ猪木 vs グレート・ムタであった。
- 1994年に日本テレビ『進め!電波少年』で松村邦洋の隠し子を探すという企画を行ったが、宛先は日テレではなく東スポだった。
- 1995年の阪神大震災翌日の1面は、「ベイダー、オブライトに圧勝」だった。
- 2005年にロンドン同時爆破事件が発生した際の翌日の1面は「健想WWE解雇」だった。
- 2000年のシドニーオリンピックの現地取材の際は、「東京スポーツ」という首都名を冠した名称のためか、現地関係者に「日本の一流スポーツ新聞」と勘違いされ、他紙よりも好待遇を受けた(※欧米系諸国では首都名は国の中央政府を意味することがある。例:ワシントン=米国連邦政府)。
- 2006年にマイケル・ジャクソンが8年ぶりに訪日した際、取材拒否された。東スポでは以前に「マイケル、まだらチンポ」との見出しで「本人曰くマイケルは『色素が抜ける病気』なので、男性器も黒と白のまだらになっているという『信頼できる筋』からの情報がある」という内容の記事を掲載したことがある。
- 2010年4月2日付(4月1日発行) 東スポの創刊50周年記念として、中面に東スポ第1号の1面(日本プロ野球の開幕をテーマにした記事)を復刻コピーした紙面を掲載した。
- 東京スポーツの運動部記者は、スーツ姿で取材することが多いという。理由は、「選手がユニフォームという正装を着ているのだから、記者も正装すべき」という考えによるものだという。
- 2011年6月には、プロレスラーの平井伸和の報道を一面で取り上げ、全日本プロレスから批判され全日本プロレスから取材拒否を受ける。
沿革
- 1958年4月16日:国民タイムス社より『国民タイムズ』創刊(旧『やまと新聞』『新夕刊』)
- 1959年2月16日:国民タイムス新社が『国民タイムズ』を承継
- 1960年4月1日:国民タイムス新社が『国民タイムズ』を廃刊。代わりに『夕刊東京スポーツ』が創刊。号数は国民タイムスのものを継承せず、改めて第1号とした。
- 1962年9月:『東京スポーツ』に改題。以降、全国紙体制を確立すべく、大阪(堺)、九州(福岡・下関)、中京(名古屋)に進出。
- 1988年8月:現在の東京・越中島に本社を移転(社屋はスポーツニッポン新聞社と同じ場所)
- 2009年6月29日:北海道で『東京スポーツ』の現地印刷を開始
- 2010年4月1日:東京スポーツ創刊50周年
発行地域
発行する地域によって題字が異なる。予め朝刊で発行されている九州以外は、配送の事情により夕刊紙ながら、他の朝刊紙とともに翌朝に店頭に列び販売されている地域(北海道・東北・四国のほぼ全域、および大阪スポーツを扱う中国のごく一部)もある。
- 東京スポーツ
- 関東地方、静岡県(大井川以東)、山梨県、長野県(南西部を除く)、新潟県、東北地方、北海道
- 中京スポーツ
- 東海3県(三重県伊賀地方を除く)、静岡県西部地区(大井川以西、主に浜松市周辺)、長野県南西部、滋賀県東部、北陸地方
- 大阪スポーツ
- 近畿地方(三重県伊賀地方を含む、滋賀県東部を除く)、中国地方(山口県と広島県安芸地方、島根県石見地方を除く)、四国(愛媛県松山市を除く)
- 九州スポーツ
- 九州(朝刊で発行)、南西諸島、山口県、広島県安芸地方、島根県石見地方、愛媛県松山市
東京スポーツの1面題字下には2007年秋から「TOKYO SPORTS PRESS」という英字表記が付くようになった。中京スポーツ、大阪スポーツ、九州スポーツの題字下には、英字表記ではなく「東京スポーツグループ」と表記されている。
かつては系列紙「北海道スポーツ」も存在した(道新スポーツとは関係がない)。なお、北海道では2009年6月29日から、北広島市の毎日新聞北海道センター(毎日新聞・スポーツニッポンの印刷工場)で東スポの現地印刷を開始した。札幌都市圏では発行当日、石狩振興局以外の地域では翌朝の販売となる。なお、北海道印刷分も公営競技、テレビ欄などは差し替えず、東京のものをそのまま掲載している。
宅配に関しては、本州・四国・九州の一部地域(東スポ・中京スポ・大スポ・九スポ共通)並びに北海道における現地印刷開始後も北海道地区では宅配は行っておらず、これらの地域では駅売店やコンビニなどにおける即売のみとなる。また、スポーツ紙では珍しく3か月以内のバックナンバーも扱っている(バックナンバーは本社注文のみ取扱)。
創刊年月日
印刷工場
- 東京スポーツ:東京都江東区(東日印刷本社)、北海道北広島市(毎日新聞北海道センター)
- 大阪スポーツ:大阪府堺市堺区(高速オフセット堺工場)
- 中京スポーツ:愛知県名古屋市北区(中日新聞印刷金城工場)
- 九州スポーツ:山口県下関市(みなと山口合同新聞社本社工場)
東京スポーツを題材としたもの
楽曲
書籍
- 東スポ伝説〜一面見出し、そこは一行の劇場だ〜(東スポ探検隊編、扶桑社、1991年)
- 東スポの戯法〜爆笑見出しの知の理論(海保博之監修、ワニブックス、1995年)
- たけしの「号外」!! - 東スポ客員編集長北野武問題発言集 '91-'98 (ビートたけし著、洋泉社、1998年)
- 東スポ黄金伝説(赤神信著、太陽出版、2006年) - 元東スポ記者が東スポの歴史を記した本。冒頭には「平成10年ごろの東スポ社員の年収は45歳・平社員でも3000万円近かった」とある。
東京スポーツの人物
主な所属記者
主な出身者
- 江尻良文 - 夕刊フジ編集委員。元は東スポの記者だった。
- ストロング小林 - プロレスラー。国際プロレス離脱後、一時東京スポーツ所属だった。
- 塩崎利雄 - 競馬評論家。現在は日刊ゲンダイに競馬小説を連載。
- 山田隆 - プロレス評論家
- 高橋三千綱 - 記者職で入社
主な寄稿者
- ビートたけし - 1991年より「客員編集長」の肩書きで、月に1度、1面と最終面に直近の話題についてジョークを交えた談話を掲載(週刊ポスト「世紀末毒談」に近い体裁)。
- 広岡達朗 - 野球評論家。同じく月1度の間隔で寄稿(東スポの契約評論家では無いため特別寄稿の扱いであり、東スポ特有の娯楽的な記事とは異なり、広岡氏特有の真面目かつ論理的な記事である)。
- 清水成駿 - 競馬評論家。2003年より毎週土曜の競馬面で「馬単三国志」を連載中。コーナー自体が1面になることも少なくない。例年、夏競馬期間中は休載。
- 井崎脩五郎 - 競馬評論家。2008年4月より毎週土曜の競馬面で「そりゃホントか井崎亭」を連載中。サイン予想の天才という、よく行く鰻屋の女将を引き合いに出した予想を中心としている。
- 田中裕二(爆笑問題) - 2005年より毎週金曜の競馬面で「爆笑問題田中裕二の爆勝予想」を連載中。穴狙い、またはサイン予想が大方である。また、不定期に相方の太田光と、最新映画の評論を行うことがある。
- 三浦皇成 - JRA騎手。2008年より毎週金曜の競馬面で「三浦皇成 スマイル競馬」を連載中。
- 蛯名正義 - JRA騎手。毎週木曜の競馬面で「エビショウの"独舌"講座」を連載中。
- 藤田紘一郎 - 東京医科歯科大学名誉教授。連載コラム「カイチュウ博士の虫のいどころ」は2800回を超える長期連載となった。現在は毎週火・木曜にコラム「カイチュウ博士の健康四方山話」を連載中。
- 早乙女貢 - 時代小説家。東スポに『おれが百万石 前田慶次郎風流譚』など数々の新聞連載小説を書いていた。
- 岡留安則 - ジャーナリスト、『噂の眞相』編集長。「マンデー激論」を月に1度担当。
- 大下剛史 - 専属野球評論家(2009年頃 - )
- 矢野吉彦 - フリーアナウンサー。テレビ東京『ウイニング競馬』メインレース実況担当。現在は火曜競馬面にコラム「矢野吉彦の地方競馬応援団」を連載中。かつては土曜に「矢野アナの実況席から勝つ馬が見えた」という連載を持っていた。
- 上杉隆 - 毎週土曜日に藤本順一とともに「永田町特別ワイド」を寄稿中。
- 襟川クロ - 隔週木曜に「エリすぐり一本」を連載中。
- 島地勝彦 - 毎週火曜に「グラマラスおやじの人生智」を連載中。
なお、三浦と蛯名はJRA騎手のため、騎乗停止・海外遠征等の場合は休載となる。
- 過去の寄稿者
- 千葉茂 - 専属野球評論家
- 小林繁 - 専属野球評論家
- 土井正三 - 専属野球評論家
- 藤本義一 - 「のむ・うつ・ただ」(1973年)、「日日日日」(2005年3月~2010年12月)
- レオ澤鬼 - 「玉門占い」
脚注
関連項目
- プロレス大賞
- 東京スポーツ映画大賞 - ビートたけしが審査委員長を務める映画賞。
- 東京スポーツ杯2歳ステークス - 寄贈杯を出している競馬の重賞競走。
- ウイニング競馬 - データ協力および競馬担当記者が出演している。
- 小橋建太 - ゲーセン特訓やサウナ特訓など特訓シリーズが名物であった。
- 松井秀喜 - 高校時代からの東スポの愛読者として有名。ただし松井の出身地・石川県は系列の中京スポの管轄エリアであった関係で、高校時代は中京スポを購読していたため、東スポの購読はプロ入り後のこと[1]。
- 金融腐蝕列島 - 「再生」「混沌」「消失」の3シリーズが東スポ紙上で連載された。
- ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発 - 主人公2人が東スポの記者とカメラマンという設定である。
外部リンク
- 東京スポーツ新聞社
- 東スポ芸能(@tospo_mobile)- Twitter(芸能ニュースを配信している)
- 東京スポーツ新聞社公式YouTubeチャンネル「東スポ@チャンネル」