「麻生太郎」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(人物像)
(公明党との関係)
192行目: 192行目:
 
== 他党、支持団体との関係 ==
 
== 他党、支持団体との関係 ==
 
=== 公明党との関係 ===
 
=== 公明党との関係 ===
 +
[[公明党]]と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の[[北側一雄]]も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している。連立与党のパートナーとはいえ、党幹部が他党の党首選について特定候補の支持を明言するのは極めて異例なことである。
 +
 +
=== 民主党との関係にかかわる報道 ===
 +
[[週刊文春]]は、組閣にあたり[[漆間巌]]の起用を真っ先に決めたのは、警察OBであることから、現役警官からの情報が得られることが理由であり、[[小沢一郎]]の持病である[[狭心症]]の状態や、民主党の議員の[[マルチ商法]][[スキャンダル]]を調査させるという目的であると報じた<ref>「小沢氏が倒れたら民主党がガタガタになり、そのタイミングで解散するという選択肢が生まれたのです」(政治部記者)。10月6日、小沢氏は日本医大病院に入院した。風邪と報じられたが、密かに集められた情報では不整脈の疑いがあった。「情報収集は警察が行い、元警察庁長官の漆間巌官房副長官に情報が上げられたのです」(別の記者)首相就任時、麻生氏が真っ先に決めた人事は、漆間氏の官房副長官だったというが。別の官邸記者が言う。「漆間氏が警察庁出身であることを買って、麻生首相が起用したのです。しかし、マルチ商法業界からの献金問題で、民主党の大物議員の逮捕を狙いながら、結局、何もなかった」[[週刊文春]]2008年12月11日号</ref>。
 +
 +
=== 統一教会との関係 ===
 +
[[勝共推進議員]]の1人であり、[[国際勝共連合]]から送り込まれた1人の統一教会([[世界基督教統一神霊協会]])信者を[[秘書]]として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道された<ref>『[[週刊現代]]』1999年2月27日号</ref>。麻生は週刊誌の取材に対して、統一教会との関係を全面否定している。また、麻生家はカトリックであるが、統一教会はカトリックでは異端として扱われているのも事実である。また勝共と対立している[[日本会議]]のメンバーでもある。
 +
 +
=== 献金 ===
 +
麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の[[政治献金]]を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており[[政治資金規正法]]違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した。
 +
 +
[[道路特定財源]]を資金源とする[[道路運送経営研究会]](道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。
 +
 +
[[山田洋行]]から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている。
 +
 +
== 発言 ==
 +
=== 物議を醸した発言 ===
 +
* 衆議院選挙に初出馬した[[1979年]]、地元の[[飯塚市]]での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている。
 +
* [[1979年]]、「[[日中貿易]]なんかやっても無駄。中国はお金を持っていない。代金を払ってくれないよ」と発言している<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]</ref>。
 +
* [[1983年]][[2月9日]]、[[高知県]]議選の応援演説にて「東京で[[美濃部亮吉|美濃部]][[革新]]都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に[[参政権]]を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えていることを批判した。
 +
* [[2002年]]7月、[[田中康夫]][[長野県]][[知事]]について「醜く太っていて嫌な体型だ。自分で身体の努力していない、年を取ってなりたくない体型だ」<ref>週刊新潮第53巻第37号、2008年[[10月2日]]。なお、同誌は麻生が防衛大臣(当時)の[[久間章生]]について「彼の何がすごいかって、あの体型にあの顔、それなのに頭がよいことだ」と発言したことも掲載している</ref>と発言した。
 +
* 2003年[[9月11日]]の麻生も同席した[[自民党総務会]]において、大勇会の会合において[[被差別部落]]出身の[[野中広務]]に対する差別発言をしたことを会合の出席者から聞いたとして、野中がこの発言を強く批判した。麻生は発言を否定している。
 +
* 2003年[[10月20日]]に[[ホームレス]]について、「[[新宿]]のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも[[糖尿病]]という時代ですから」と発言し、事実に反するうえに差別的であるとして各地の[[日雇い]][[労働者]]および野宿者支援組織などから抗議を受けたが、撤回はしていない。
 +
* 総務大臣在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一[[文化]]、一[[文明]]、一[[民族]]、一[[言語]]の国は[[日本]]のほかにはない」と発言。同博物館は[[選挙区]]は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである。
 +
* 2006年[[1月9日]]、[[福岡県]][[飯塚市]]で開いた集会で、[[シドニー]]で予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「([[イスラエル]]の)[[アリエル・シャロン|シャロン]]首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお[[葬式]]になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。<ref>共同通信 2008年1月19日配信記事</ref>
 +
* 2006年[[7月4日]]の[[アメリカ独立記念日]]に合わせて、北朝鮮が[[ミサイル]]を[[日本海]]に発射して挑発行為をしたことに対して、当時外相だった麻生は記者会見で「今日(7月5日)は、キムなんとか(=[[金日成]])の記念日だったな(実際は7月8日に死去)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろ[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]]領に近いほうに発射されてますんで」と発言した。
 +
* 2006年[[7月8日]]に[[広島市|広島市内]]で行なった講演で、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|北朝鮮がミサイルを撃ち]]、主要国が重大な関心を持ったことについて、「[[金正日]]に感謝しないといけないのかもしれませんが」と発言した(ただし、その後に「冗談は抜きにして」と念を押しており、金正日に対する痛烈な皮肉であることを留意すべし)。
 +
* 2006年9月、[[福井市|福井市内]]で自身が外国人から聞いた日本の印象に触れて「夜、[[日比谷公園]]で女が一人で歩いている。考えられない。しかもそこそこの顔をしているやつでも襲われない。この国はやたら治安がいいんだ」と発言したことを[[立命館大学]]教授が証言している。
 +
* [[2007年]][[7月19日]]、[[富山県]][[高岡市]]内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。[[アルツハイマー型痴呆|アルツハイマー]]の人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の[[塩崎恭久]]からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌[[7月20日]]に謝罪したうえで撤回した。
 +
* 2007年[[7月20日]]、アルツハイマー発言の翌日に[[鳥取県]][[倉吉市]]での[[演説]]で「[[酒]]は『[[きちがい]]水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した。(『きちがい水』という表現は酒を指す江戸時代からの俗語)
 +
* 2008年2月、[[中国産食品の安全性#中国製冷凍餃子中毒事件|中国製冷凍餃子中毒事件]]に関連し[[熊本市]]での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? [[農業協同組合|農協]]は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
 +
* 2008年7月に講演の中で、「1930年代、[[ドイツ]]では[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]がやたら出てきて、当時の[[ヴァイマル共和政|ワイマール共和国]]に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と、民主党とナチスを同一視するかのような発言をしたと報じられた。
 +
* 2008年8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで[[内閣改造]]を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから[[幹事長]]に就任した([[福田康夫内閣改造内閣]])。[[8月4日]]、参議院議長の[[江田五月]]を表敬訪問した際、ドイツで[[ヴァイマル共和政#世界恐慌と共和政の崩壊|ヴァイマル共和政]]末期に政治不信が募り、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。江田は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した。この会談においても「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と、先月の講演とほぼ同じことを述べたことについて、民主党政権が[[ナチス・ドイツ]]のように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、鳩山由紀夫が撤回を求めた。麻生は、「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。
 +
* [[2008年自由民主党総裁選挙|08年自民党総裁選]]の立会い演説会で「[[外務大臣]]として働いた方のうち、私ほど、外交について多くを述べた方は、かつてただの1人もいらっしゃらないと思います」と発言し、外相経験者で内閣官房長官(当時)の[[町村信孝]]を驚かせた。
 +
* 2008年9月、首相就任前『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と[[宮内庁]]に指示を出した。
 +
* 2008年[[9月14日]]、JR[[名古屋市|名古屋駅]]前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に[[岡崎市]]など[[愛知県]]内で3人の死者を出した[[平成20年8月末豪雨]]に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。[[安城市|安城]]や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した。
 +
* 首相就任後、麻生は毎晩のように高級ホテル([[帝国ホテル]]、[[ホテルオークラ]]、[[ニューオータニ]]など)のバーや、料亭で会食していることを報道された。記者団に「庶民の感覚と懸け離れているのでは」と質問された際に麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」などと答え、その後も攻撃的な口調で答えた。また、「普通の店に行くと[[SP]]やマスコミの影響で営業妨害になる」と主張したうえで、「店の妨害をして平気ですか?いま聞いてんだよ、答えろ!」と、質問した記者に強い口調で反問した。発言のあと、麻生が総理就任後の1ヶ月で3度訪れた。首相が足繁く通う店の正体は?]日経トレンディネット 2008年10月24日</ref>『帝国ホテルの会員バー「ゴールデンライオン」は入会金52万5000円、年会費12万6000円であり麻生のように数人を連れて一夜を過ごすだけで10万円は軽く超える』と報道された。与党の幹部からは「庶民派を気取っていても化けの皮がはがれる」と批判された。この発言に対し[[ノンフィクション作家]]の[[保阪正康]]は「記者が聞いているのは、<普通の庶民と違う感覚について、恐れ、不安があるんですよ>ということだった。これに対し麻生さんは『ホテルは安いんだ』とか、護衛がいて大変だ、とか答えた。質問と答えがあっていない」と指摘し、「自分の恵まれた生活空間の中でしか物事を見ていない。それが、今回の発言につながったと思いますね」と述べている。
 +
* 2008年[[9月24日]]、[[毎日新聞]]が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した。
 +
* 2008年10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会の様子が[[YouTube]]に投稿され、九州でのある事例で、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説した。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは[[非正規雇用]]の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。また、「結婚したらあたしが一人で働かないかん」と、非正規雇用の男性が失業者と同等だという差別的な発言であることも指摘された。
 +
* 2008年[[11月20日]]、[[全国知事会議]]で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って([[医師]]は)社会的[[常識]]がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。[[厚生労働大臣]]の[[舛添要一]]や、自民党の[[国会対策委員長]]の[[大島理森]]、元副総裁の[[山崎拓]]、[[税制調査会]]会長の[[津島雄二]]などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の[[河村建夫]]も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、[[日本医師会]]会長の[[唐沢祥人]]が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に[[全国保険医団体連合会]]も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。[[茨城県]]医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた<ref>毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊</ref>。
 +
* 2008年[[11月22日]]、訪問先の[[ペルー]]・[[リマ]]で、民主党代表の[[小沢一郎]]が、[[11月17日]]の党首会談で第2次[[補正予算]]案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている。
 +
* 2008年[[11月20日]]の経済財政諮問会議において、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金 (医療費)を何で私が払うんだ」「私の方が(多額の)税金は払っている」「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と、発言していたことが、2008年[[11月26日]]に公開された議事要旨から判明した。 この発言は保険制度の概念を軽視し「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、批判を浴びた。後に麻生は「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した。山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の[[伊吹文明]]、[[中山泰秀]]、[[渡辺喜美]]などが苦言を呈した。公明党代表の[[太田昭宏]]は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、[[国民新党]]の[[亀井静香]]は「[[社会保障]]とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
 +
* 2008年[[11月23日]]、訪問先のペルー・リマでの記者会見で「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と発言したことを同年[[11月30日]]放送の[[TBS]]のテレビ番組『[[時事放談]]』で問題発言として紹介された。
 +
* 2008年11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、[[定額給付金]]について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と、定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる発言をした。また、2008年[[12月6日]][[長崎県]][[諫早市]]で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した。
 +
* 2008年[[12月14日]]、北九州エコタウン([[北九州市]])を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞は暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した。
 +
* 2008年[[12月15日]]、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した。
 +
* 2008年[[12月19日]]、[[ハローワーク]][[渋谷]](東京都[[渋谷区]])を視察。失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」と話しかけたところをTBSのニュース番組で報道された。この発言に対し、鳩山由紀夫は「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した。ほかに同ハローワークを訪れていた相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えていた。
 +
* [[2009年]][[1月6日]]の会見において、[[定額給付金]]に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「[[国会議員]]も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出ている。
 +
 +
=== その他の発言 ===
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2011年2月5日 (土) 13:47時点における版

麻生 太郎
麻生 太郎

麻生 太郎(あそう たろう、1940年昭和15年〉9月20日 - )は、日本政治家実業家衆議院議員(10期)。為公会(麻生派)会長。

経済企画庁長官(第53代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第2代)、総務大臣(第345代)、外務大臣(第137138代)、内閣総理大臣第92代)や、自由民主党政務調査会長自由民主党幹事長自由民主党総裁(第23代)などを歴任した。

モントリオールオリンピッククレー射撃クレースキート競技)日本代表(41位)。元麻生セメント(現・株式会社麻生。麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生からさらに分社化した麻生セメント(2代目)が社名変更したもの。)代表取締役社長。妹は寛仁親王妃信子クリスチャンカトリック)である。

経歴

政界入りまで

福岡県飯塚市麻生太賀吉・和子の長男として生まれる(父方の祖父の名前も“麻生太郎”である)。麻生塾小学校(閉校 後の学校法人麻生塾・麻生専門学校)を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入。

海外留学

1963年学習院大学政経学部を卒業した。 学習院大学卒業後は、下記のような海外留学生活を送ったとされている。

  • 1963年9月 - スタンフォード大学大学院に留学
  • 1965年 - スタンフォード大学大学院を中退、ロンドン大学政治経済学院に留学
  • 1966年8月 - ロンドン大学を中退

スタンフォード大学・大学院(米国)では政治学、ロンドン大学・大学院(英国)では経営学を学んだと2001年4月の自民党総裁選挙候補者プロフィール中には記載されていたが、現在の本人オフィシャルサイトにこの期間についての一切の記載はない。2007年9月16日 読売新聞には、1963年3月 学習院大政経学部卒業、同年9月 スタンフォード大大学院留学、と紹介されており、上記の総裁選候補者プロフィール中にあるロンドン大学への留学については記述が無い。

尚、米国での留学生活は麻生が過剰にアメリカナイズされる事を恐れた実家の意向で中断され、一旦帰国した後に、再度ロンドン大学に留学したとされている。 華やかな留学歴を持つが、肝心の学位は取得できないまま帰国しており、留学中は学業をはおろそかにしていたと自ら語っている。霍見芳浩ニューヨーク市立大学教授によれば、80年代に同氏が麻生太郎を訪ねた際に『「英国留学」ということだったので英文資料も持参していたが、見せようとすると、「私は、英国では遊んでばかりで、何も勉強しなかった」と正直な告白だった。ご謙遜かと疑ったが、そうではないのはすぐに明らかになった』といったやりとりがあったとのことである。

海外での事業

帰国後の1966年に実家の麻生産業(後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジルサンパウロ市に1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。また、麻生太郎の従兄弟に当る人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。

その後、1970年から2年間に渡って西アフリカのシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していた事が知られている。この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である麻生太賀吉と実弟で専務の麻生典太だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと麻生典太は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。 2006年1月19日に日本記者クラブにて行われた外務大臣演説でシエラレオネのダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している

帰国後の経歴

1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、1976年モントリオールオリンピッククレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。

政界入り後の経歴

1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現:福岡県第8区)から出馬。初当選を果たし政界入りする。落選した第37回衆議院議員総選挙を除き、現在まで全ての総選挙で当選している。宏池会に所属。

1996年第2次橋本内閣経済企画庁長官に就任し、初入閣。

1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁河野洋平を会長に大勇会(現在の為公会、通称”麻生派”)旗揚げ。

2001年4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎橋本龍太郎と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年9月からは総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した。

2006年9月、06年自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。

2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。

2007年9月、07年自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。

2008年9月、08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。

2008年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣する。就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。

2008年10月2日麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる」を配信。創刊号では景気対策の必要性を訴えているほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意している。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。

2009年9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて麻生内閣総辞職を決定。政権を民主党代表鳩山由紀夫に明け渡した。

政治的主張

経済

道路整備などを主に主張するエコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力している。

定額減税公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している。2008年になってからは、財政健全化を目指した小泉政権構造改革路線の推進を否定し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している。

消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、2011年以降に10%の消費税を導入する意向を示した。

労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた付加価値の分配は個々の企業が判断する」と述べ、国としては是正する意思の無いことを明らかにした。

首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している。また、「(地方の)医療介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路建設により地方の医療が向上するとの考えを示している。

2008年10月30日には、世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円にも及ぶ追加経済対策を発表。小渕内閣地域振興券とよく似た、2兆円を超える給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている)を全世帯に支給し、過去最大規模の住宅ローン減税などを実施した。

この政策のうち、定額給付金について、毎日新聞は、過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、今回も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し、11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した。麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛ぶ一方で「地方分権」を理由に事務を市区町村に委ねたことなどについて政府を批判した民主党幹事長鳩山由紀夫は大きな拍手を浴びた。しかし、経済協力開発機構(OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズは「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示しており、最終的にはジョーンズの見解どおり、定額給付金の支給は、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになった が、この政策は金融危機を回避するという緊急性から急いで決定された政策であったため、配布方法などできめ細かさに欠けるところがあり、「バラまき」という批判を浴びた。

外交・安全保障

ディック・チェイニーと会談する麻生(2007年2月21日ホワイトハウスにて)

外務大臣時代に、当時のブッシュ政権の中心にいた新保守主義の考え方に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」(価値観外交)と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。

発展途上国へのODA
ODAには積極姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた。
アメリカ合衆国
2007年2月3日、京都市内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。(イラク戦争においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。
東アジア
韓国に対しては、2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである中央日報のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。サムスンだけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた麻生炭鉱の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した。
中国に対しては、2007年1月26日に「共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」としている。
台湾に対しては、2006年3月9日、参院予算委員会で、「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と報道された。
北方領土問題
2006年12月13日の衆院外務委員会において、北方領土問題を解決するために北方4島(択捉国後色丹歯舞)全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した。これは元首相の海部俊樹から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
核武装論
2006年10月、自民党政調会会長(当時)の中川昭一が「核武装論も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は非核三原則の堅持を明言を前提としつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と中川の擁護とも解釈できる発言を行った。この発言が原因で、12月に民主党、社民党共産党など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。
憲法改正論議
2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の集団的自衛権の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。

歴史認識

日本統治時代の朝鮮台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日東京大学学園祭において「創氏改名朝鮮人が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日福岡市での講演において、日本が植民地台湾義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。

2007年3月21日長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」と語った。

2006年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた。

2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した。

2008年10月31日には航空自衛隊幕僚長田母神俊雄旧日本軍の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた。

麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年12月4日配信)」において、「1941年12月に第二次世界大戦真珠湾攻撃で始まるんです」と発言した。

従軍慰安婦問題

  • 内閣総理大臣としては河野談話を踏襲することを表明したが、アメリカ合衆国下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している。首相また、国連の自由権規約委員会が従軍慰安婦に対して日本政府に謝罪と補償などを行うよう求める勧告したときも、第171回国会において、内閣総理大臣として『この勧告は、法的拘束力を持つものではなく、市民的及び政治的権利に関する国際規約の締約国に対し、当該勧告に従うことを義務付けているものではないと理解している。』と述べ、慰安婦に対して謝罪や賠償をする意思がないことを表明した。

靖国神社問題

若き頃の麻生太郎
国体クレー射撃代表の麻生太郎

政治家の靖国神社参拝問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる特殊法人への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している。

2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた[1]。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。

A級戦犯分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している[2]が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している[3]

2006年1月28日名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した[4]

日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。

2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した。

首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」として、終戦記念日に靖国神社参拝を行わない意向を示した。

2009年10月17日には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した。

人物

記者会見に臨む麻生

人物像

身長175cm、体重70Kg、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口が上がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。べらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。一方で過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。

大学進学に際し、父親に「東大を受験したい」と言ったところ、父親から「官立大学はお金がない人がいくところで、お金持ちのおまえが行くのは税金がムダ。それに東大は役人になるためにいくところだ。おまえ役人になるのか?」と言われたため、東大へ行けないこともなかったがあえて私立の学習院大学へ進学した、と自著で述べている。また、成績はビリから5番目以内であったことも自著で述べている。

夢実現21世紀会議の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。また日韓議員連盟の副会長も務めている。

海外留学などの経験から、英語力が堪能であるため海外などでのスピーチは通訳なしで英語で行っているというふれこみである。しかし、週刊新潮によるとアメリカ合衆国大統領バラク・オバマが「麻生首相の英語はさっぱりわからない」と外務省が言ったとしている。。その一方で、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだり、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、日本語の能力に関しては疑問符がついている。

総理大臣に就任以後も高級ホテルや高級料亭などを頻繁に行き来していることが報道されている。政治資金収支報告書によると、2006年度には資金管理団体「素淮会」から高級クラブなどに173回、合計で約3500万円を支出している。2007年度にも「ミシュランガイド」東京版で最高の3つ星を獲得した寿司店など高級店を「会合」名目で利用している。しかしこのような店はセキュリティ上有利なことなどから、与野党問わず大物議員が使うことは多いため、一概に麻生が多く使っているとは言えない。

2004年9月に、3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが判明している。民主党代表(当時)の菅直人が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。

2008年10月24日閣僚資産公開で福岡県の実家や都内一等地の邸宅、軽井沢の別荘など併せて4億395万円の個人資産を所持している事が分かった。前首相福田康夫が所持している総資産の6倍に及び、国会議員の中でも有数の「セレブ議員」と報道された。

邸宅

敷地面積2400平方メートル、土地代だけで時価50億円を超えると言われる大邸宅を渋谷区神山町の一等地に所有している。また、弟・泰の土地を併せれば5000平方メートルを優に超える。敷地内には木造3階建ての洋館が屹立し父・麻生太賀吉が存命中の頃は専属コックがおり、フランス料理のフルコースなども調理していた。報道機関では「麻生御殿」とも呼称される。東京の大邸宅の他には約2万坪の実家が福岡県飯塚市に存在する。

信仰

クリスチャンカトリック)である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が神道ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。終戦記念日8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。

クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての十字架の鎖部分である[5]

漫画

読書が趣味。特に漫画好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身のウェブサイトに掲載している『ビッグコミックオリジナル増刊』2003年7月2日号のインタビューによれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、ポーランド外相からは、現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている。

漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、2006年2007年自民党総裁選の際には秋葉原で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきであると述べた。2006年4月にデジタルハリウッド大学で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である勇午について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた。 2007年5月22日には海外の漫画家を対象とした「国際漫画賞」を創立することを発表。「漫画のノーベル賞のようなものを作りたい」と述べている。同年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島被爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。外務省英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している。

羽田空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという2ちゃんねるの書き込みがインターネット上で話題となり、一部のおたく層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われたサブカルチャー雑誌『メカビ』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている。だが、2008年2月18日のSMAP×SMAPにゲスト出演した際に質問され「空港で噂のローゼンメイデンが置いてあったので読んだ」と語り、さらに『英語でしゃべらナイト』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『現代用語の基礎知識』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、漫画好きの人々からの支持は高いと言われている。

ただし全ての漫画に理解があるというわけではなく、1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。この会では、業界関係者を招致し、自主規制の現状について説明させた。

2008年8月2日に死去した漫画家赤塚不二夫について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした。

2008年9月25日の英有力紙フィナンシャル・タイムズでは「貴族的家柄で失言と偏愛的な青年向け漫画愛好家である麻生太郎」と表され、国外でも漫画好きの政治家と認知されている。

2008年9月26日東京・秋葉原で遊説を行い、さらに同所で開かれた「秋葉原エンタまつり08」の特別ステージにゲスト出演。『ジャパニメーションは、21世紀日本の資源。正しく国益。』という持論に基づき、漫画家・アニメーターの待遇向上による作品の品質向上、多国間における著作権保護の促進による国際競争力強化、ネット時代の柔軟なコンテンツ流通のあり方等について政策として強力に取り組むと共に、平和日本の文化として世界へのアピールを宣言。多くの聴衆からの熱狂的支持を受けた。

10月26日には再び秋葉原で街頭演説を行った。その際2008年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員の最低賃金を上げることや、非正規雇用正規雇用にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を訴えた。また、総理大臣になってからの多忙さで、漫画があまり読めなくなったことも話した。

この街頭演説では総裁選時とは異なり「アキバはいつまでもてめーの味方ぢ(じ)ゃねーぞ」と書いた紙を掲げる左翼活動家でエロ漫画家の山本夜羽音の一団や、「アキバを利用している」等と批判的な見解を示す者がおり、「秋葉原ですら麻生離れがすすんでいる」という報道がなされた。

週刊少年ジャンプで人気を博しており、麻生も好きだと公言している漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の銅像が東京・亀有に2008年11月に設立され、アニメで両津の声を務めたラサール石井と原作者や麻生も参加し除幕式が行われたが、その際に麻生は原作者の秋本治には挨拶したにも関わらずラサール石井に対しては知らなかったためか完全に無視し、そのことに憤慨したラサール石井がblogで「握手どころか、1回も目を合わすこともない。漫画好きなんじゃないの?庶民派アピールなんじゃないの?俺、両さんの声やってるんすけど。ははあ。この人、俺のこと知らないな。漫画好きでもアニメはみてないのね。なんで俺をシカト?いやあ、なんかヘンだよこの人。ていうか、馬鹿だなあ」などと麻生批判を展開したことが話題になった。このblogはラサールに対する批判で炎上し、該当記事はその後削除された。

2008年11月20日、アニメ映画監督として知られる宮崎駿(学習院大学では麻生と同期)が、都内の日本外国特派員協会で行われた記者会見の中で、機会のあるごとに麻生が「オタク」文化を理解する人物として自分を積極的に打ち出していることについて、記者が宮崎にどう考えるかと質問したところ、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることをわざわざ首相が宣伝する必要はないという考えを示した。これに対して、ネット上の一部で「オタク批判だ!」という宮崎への批判も出たが、スタジオジブリ関係者は、「ネットで言われているような『漫画を読むのは恥ずかしい』などと宮崎監督は言っているわけではない」「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピール(政治利用)として使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」との見解を示している。

『後継者の品格—現代に見る帝王学』の著者の新井洋は「麻生さんは、育ちが悪いと自分を卑下することで、逆に家柄の良さをひけらかしています。マンガオタクも秋葉原好きも、自分が庶民的であることのアピールですが、真の帝王学を学ばれた方はそういうひけらかしはしません」と述べている。

衆議院議員平沼赳夫は、読売新聞の連載記事でのインタビューにて「総理が秋葉原で漫画の話をしてはいけない。総理は歴史、政治、道徳、宗教学などの本を読まなければいけない」と苦言を呈している。中曽根康弘は、麻生が「勉強になる」と公言する漫画『ゴルゴ13』を読み、「バカだね」と発言した。

クレー射撃

大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年のモントリオールオリンピック代表に選出される。2000年5月には日本クレー射撃協会会長に就任した。

他党、支持団体との関係

公明党との関係

公明党と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の北側一雄も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している。連立与党のパートナーとはいえ、党幹部が他党の党首選について特定候補の支持を明言するのは極めて異例なことである。

民主党との関係にかかわる報道

週刊文春は、組閣にあたり漆間巌の起用を真っ先に決めたのは、警察OBであることから、現役警官からの情報が得られることが理由であり、小沢一郎の持病である狭心症の状態や、民主党の議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であると報じた[6]

統一教会との関係

勝共推進議員の1人であり、国際勝共連合から送り込まれた1人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道された[7]。麻生は週刊誌の取材に対して、統一教会との関係を全面否定している。また、麻生家はカトリックであるが、統一教会はカトリックでは異端として扱われているのも事実である。また勝共と対立している日本会議のメンバーでもある。

献金

麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した。

道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。

山田洋行から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている。

発言

物議を醸した発言

  • 衆議院選挙に初出馬した1979年、地元の飯塚市での街頭演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている。
  • 1979年、「日中貿易なんかやっても無駄。中国はお金を持っていない。代金を払ってくれないよ」と発言している[8]
  • 1983年2月9日高知県議選の応援演説にて「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えていることを批判した。
  • 2002年7月、田中康夫長野県知事について「醜く太っていて嫌な体型だ。自分で身体の努力していない、年を取ってなりたくない体型だ」[9]と発言した。
  • 2003年9月11日の麻生も同席した自民党総務会において、大勇会の会合において被差別部落出身の野中広務に対する差別発言をしたことを会合の出席者から聞いたとして、野中がこの発言を強く批判した。麻生は発言を否定している。
  • 2003年10月20日ホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」と発言し、事実に反するうえに差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが、撤回はしていない。
  • 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にあり、展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである。
  • 2006年1月9日福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。[10]
  • 2006年7月4日アメリカ独立記念日に合わせて、北朝鮮がミサイル日本海に発射して挑発行為をしたことに対して、当時外相だった麻生は記者会見で「今日(7月5日)は、キムなんとか(=金日成)の記念日だったな(実際は7月8日に死去)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろソ連領に近いほうに発射されてますんで」と発言した。
  • 2006年7月8日広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて、「金正日に感謝しないといけないのかもしれませんが」と発言した(ただし、その後に「冗談は抜きにして」と念を押しており、金正日に対する痛烈な皮肉であることを留意すべし)。
  • 2006年9月、福井市内で自身が外国人から聞いた日本の印象に触れて「夜、日比谷公園で女が一人で歩いている。考えられない。しかもそこそこの顔をしているやつでも襲われない。この国はやたら治安がいいんだ」と発言したことを立命館大学教授が証言している。
  • 2007年7月19日富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の塩崎恭久からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌7月20日に謝罪したうえで撤回した。
  • 2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した。(『きちがい水』という表現は酒を指す江戸時代からの俗語)
  • 2008年2月、中国製冷凍餃子中毒事件に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
  • 2008年7月に講演の中で、「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と、民主党とナチスを同一視するかのような発言をしたと報じられた。
  • 2008年8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで内閣改造を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから幹事長に就任した(福田康夫内閣改造内閣)。8月4日、参議院議長の江田五月を表敬訪問した際、ドイツでヴァイマル共和政末期に政治不信が募り、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。江田は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した。この会談においても「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と、先月の講演とほぼ同じことを述べたことについて、民主党政権がナチス・ドイツのように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、鳩山由紀夫が撤回を求めた。麻生は、「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。
  • 08年自民党総裁選の立会い演説会で「外務大臣として働いた方のうち、私ほど、外交について多くを述べた方は、かつてただの1人もいらっしゃらないと思います」と発言し、外相経験者で内閣官房長官(当時)の町村信孝を驚かせた。
  • 2008年9月、首相就任前『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と宮内庁に指示を出した。
  • 2008年9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した。
  • 首相就任後、麻生は毎晩のように高級ホテル(帝国ホテルホテルオークラニューオータニなど)のバーや、料亭で会食していることを報道された。記者団に「庶民の感覚と懸け離れているのでは」と質問された際に麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」などと答え、その後も攻撃的な口調で答えた。また、「普通の店に行くとSPやマスコミの影響で営業妨害になる」と主張したうえで、「店の妨害をして平気ですか?いま聞いてんだよ、答えろ!」と、質問した記者に強い口調で反問した。発言のあと、麻生が総理就任後の1ヶ月で3度訪れた。首相が足繁く通う店の正体は?]日経トレンディネット 2008年10月24日</ref>『帝国ホテルの会員バー「ゴールデンライオン」は入会金52万5000円、年会費12万6000円であり麻生のように数人を連れて一夜を過ごすだけで10万円は軽く超える』と報道された。与党の幹部からは「庶民派を気取っていても化けの皮がはがれる」と批判された。この発言に対しノンフィクション作家保阪正康は「記者が聞いているのは、<普通の庶民と違う感覚について、恐れ、不安があるんですよ>ということだった。これに対し麻生さんは『ホテルは安いんだ』とか、護衛がいて大変だ、とか答えた。質問と答えがあっていない」と指摘し、「自分の恵まれた生活空間の中でしか物事を見ていない。それが、今回の発言につながったと思いますね」と述べている。
  • 2008年9月24日毎日新聞が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した。
  • 2008年10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会の様子がYouTubeに投稿され、九州でのある事例で、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説した。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは非正規雇用の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。また、「結婚したらあたしが一人で働かないかん」と、非正規雇用の男性が失業者と同等だという差別的な発言であることも指摘された。
  • 2008年11月20日全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。厚生労働大臣舛添要一や、自民党の国会対策委員長大島理森、元副総裁の山崎拓税制調査会会長の津島雄二などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の河村建夫も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、日本医師会会長の唐沢祥人が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に全国保険医団体連合会も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。茨城県医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた[11]
  • 2008年11月22日、訪問先のペルーリマで、民主党代表の小沢一郎が、11月17日の党首会談で第2次補正予算案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている。
  • 2008年11月20日の経済財政諮問会議において、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金 (医療費)を何で私が払うんだ」「私の方が(多額の)税金は払っている」「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と、発言していたことが、2008年11月26日に公開された議事要旨から判明した。 この発言は保険制度の概念を軽視し「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、批判を浴びた。後に麻生は「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した。山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の伊吹文明中山泰秀渡辺喜美などが苦言を呈した。公明党代表の太田昭宏は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、国民新党亀井静香は「社会保障とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
  • 2008年11月23日、訪問先のペルー・リマでの記者会見で「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と発言したことを同年11月30日放送のTBSのテレビ番組『時事放談』で問題発言として紹介された。
  • 2008年11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、定額給付金について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と、定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる発言をした。また、2008年12月6日長崎県諫早市で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した。
  • 2008年12月14日、北九州エコタウン(北九州市)を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞は暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した。
  • 2008年12月15日、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した。
  • 2008年12月19日ハローワーク渋谷(東京都渋谷区)を視察。失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」と話しかけたところをTBSのニュース番組で報道された。この発言に対し、鳩山由紀夫は「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した。ほかに同ハローワークを訪れていた相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えていた。
  • 2009年1月6日の会見において、定額給付金に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「国会議員も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出ている。

その他の発言

脚注




Flag of Japan.svg          歴代内閣総理大臣          Go-shichi no kiri crest 2.svg
91
福田康夫
92
2008年 - 2009年
93
鳩山由紀夫
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
第代
[[]]
第代
第代
[[]]
伊藤博文
黑田清隆
山縣有朋
松方正義
大隈重信
桂太郎
西園寺公望
山本權兵衞
寺内正毅
原敬
高橋是清
加藤友三郎
清浦奎吾
加藤高明
若槻禮次郎
田中義一
濱口雄幸
犬養毅
齋藤實
岡田啓介
廣田弘毅
林銑十郎
近衞文麿
平沼騏一郎
阿部信行
米内光政
東條英機
小磯國昭
鈴木貫太郎
東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎
吉田茂
片山哲
芦田均
鳩山一郎
石橋湛山
岸信介
池田勇人
佐藤榮作
田中角榮
三木武夫
福田赳夫
大平正芳
鈴木善幸
中曾根康弘
竹下登
宇野宗佑
海部俊樹
宮澤喜一
細川護熙
羽田孜
村山富市
橋本龍太郎
小渕恵三
森喜朗
小泉純一郎
安倍晋三
福田康夫
麻生太郎
鳩山由紀夫
菅直人
野田佳彦
  1. 『読売新聞』 2006年8月4日
  2. 『時事通信』 2006年3月8日
  3. 『日本経済新聞』 2008年9月15日
  4. 『共同通信』 2006年1月31日
  5. 側近の議員である松本純がウェブサイトで説明している。
  6. 「小沢氏が倒れたら民主党がガタガタになり、そのタイミングで解散するという選択肢が生まれたのです」(政治部記者)。10月6日、小沢氏は日本医大病院に入院した。風邪と報じられたが、密かに集められた情報では不整脈の疑いがあった。「情報収集は警察が行い、元警察庁長官の漆間巌官房副長官に情報が上げられたのです」(別の記者)首相就任時、麻生氏が真っ先に決めた人事は、漆間氏の官房副長官だったというが。別の官邸記者が言う。「漆間氏が警察庁出身であることを買って、麻生首相が起用したのです。しかし、マルチ商法業界からの献金問題で、民主党の大物議員の逮捕を狙いながら、結局、何もなかった」週刊文春2008年12月11日号
  7. 週刊現代』1999年2月27日号
  8. 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日
  9. 週刊新潮第53巻第37号、2008年10月2日。なお、同誌は麻生が防衛大臣(当時)の久間章生について「彼の何がすごいかって、あの体型にあの顔、それなのに頭がよいことだ」と発言したことも掲載している
  10. 共同通信 2008年1月19日配信記事
  11. 毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊